2011年6月30日木曜日

第86話 夜の神田の「三州屋」

先週、「三州屋 裏通り店(神田駅前店)」の
銀むつあら煮を紹介したら何人もの読者の方から
「飲みに行きたいので、夜の様子を詳しく教えて・・・」―
かようなリクエストが寄せられた。
よって当ブログとしては異例の早期再登場であります。

くどくどと説明するよりも直近4夜の訪問メモを
ご覧いただいたほうが早道と思われるので、そうしたい。
飲みものはビールの大瓶か中ジョッキで入り、
日本酒か芋焼酎に移行するのが常である。

第1夜ー5月某日
 イナダかワカシのあら煮(突き出し)
 皮はぎ刺し(1050円)・・・残念なことに肝はナシ
 むつ子煮(600円)・・・黒ムツの子に百合根添え
 鯛豆腐(780円)・・・「三州屋」の名物は鳥豆腐だけど


第2夜ー5月某日
 いか酢味噌(突き出し)・・・イカやタコの酢味噌が多い
 せり辛子和え(値段失念)・・・シャキッとして旨し
 ほたるいかボイル(値段失念)・・・富山湾産で良質
 銀むつあら煮(650円)・・・黒むつあら煮だと600円


第3夜ー6月某日
 たこ酢味噌(突き出し)・・・イカよりタコがいい
 茄子ぬか漬け(250円)・・・練り辛子がピッタリ
 かつお刺身(値段失念)・・・ ニンニクないが鮮度高く美味
 にしん煮付け(480円)・・・小ぶりのニシンはアッサリ仕上げ


第4夜ー6月某日
 黒ムツあらの南蛮漬け(突き出し)
 かにサラダ(750円)・・・ずわい蟹にたっぷり野菜と自家製マヨ

  *この夕方はパーティーの前に立ち寄り、ビールを1本

赤字は推奨メニューで、やはり銀むつあら煮はその筆頭格である。
おろし生姜でやる初夏のかつおがさわやかな香気を放った。
願わくば生ニンニクのスライスがほしいが、たまにゃ生姜も悪くない。

と、ここまで書いたところで
つけっ放しのTVを見やったらキャスターの古舘サンが伝えている。
震災後初めて気仙沼の漁港に静岡の漁船が接岸したとのこと。
縞模様も鮮やかに見事なかつおが水揚げされている。
昨年のかつおの水揚げ量は気仙沼港が全国一。
万全とはいかないまでも
どうにか”海のダイヤ”の到来に間に合った様子、よかった。

都内各所に散在する「三州屋」はどの店舗もサカナが中心。
肉料理はほとんど見当たらず、思い浮かぶのは鳥豆腐くらい。
そのせいか、肉には目のない若者の姿が少ない。
女性客にいたってはほとんど見つけるのが難しい。
銀座や六本木と違い、神田はオヤジの聖地である。

「三州屋 裏通り店(神田駅前店)」
 東京都千代田区内神田3-22-5
 03-3252-3035

2011年6月29日水曜日

第85話 マカサラはビールのよき友 (その2)

北区・十条の「三忠食堂」で生ビールのジョッキ片手に
マカロニサラダとベーコンエッグを楽しんだ。
チェーン居酒屋みたいな出来合いではなく、
手造りのマカサラに好感が持てる。
調理と接客をたった独りでこなす、
白いゴム長靴を履いた猫、
もとい、店主の活躍ぶりにも痛く感心した。

食堂・居酒屋の定番メニューとなったマカサラとポテサラは
取りあえずの一品として何気なしに頼むことが多い。
タマにはハズレもあるが小物につき、
たとえハズレても大した痛手にはならない。
野球で言うなら立上がり初回の1失点のようなものだ。
ドンマイ、ドンマイである。
もっとも今のジャイアンツにゃ、致命傷になるけれど・・・。

ときどき、マカロニとポテトの両方が入ったというか、
マカサラ・ポテサラ合体版を出す店があるが
この混ぜこぜはいただけない。
サラダの混浴はヤッツケ仕事そのもの、
混浴が喜ばれるのはひなびた温泉と相場が決まっている。

ある土曜日の20時前後、
西武新宿線・沼袋駅前の「福久家食堂」に流れ込む。
何の変哲もないフツーの町の食堂だ。
ところが近頃は何の変哲もない店が極端に減ってしまい、
そんな店が逆に変哲のある店に様変わりしている。
おかしな世の中になったものだ。

「福久家」へは隣り駅の野方で飲んだあと、
”帰り掛けの駄賃”のつもりでやって来た。
それもふらふらと千鳥足で―。
初めての店ながら、数ヶ月前の散歩の途中、
たまたま発見して目星はつけてある。
食べ歩きは何よりも自分の脚によるパトロールが肝心、
労を惜しんでいては宝の山に登れない。
人類は歩くために二本の脚で立ったので
走るのならば四ッ足のままのほうが早いハズだ。

いろいろ飲んできたのでふりだしに戻り、
スーパードライの大瓶(580円)を所望。
表の看板は「福久家」だったがメニューには「福久屋」の表記。
まっ、こういうことはままある。
あの「弁天山」でさえ、
「美家古寿司」だったり、「美家古鮨」だったりするもん。

つまみは例によってマカサラ(160円)とオムレツ(450円)。

見た目は「三忠食堂」より旨そう

ありゃりゃ、ここにもマカサラが!

まったく懲りないオトコだねェ。
「三忠」のベーコンエッグの教訓を活かせてないなァ。
そしてマカサラ&玉子料理の組合せはもはやクセになってる。

会計後、沼袋の町をしばしさまよう。
とある、これも定食屋の貼り紙に目が点になった。

もうちょいキレイに書けないもんかね


 女性アルバイト募集
 20才~40才くらいまで(独身の方)


おい、おい、”独身の方”って何だよ?
こりゃアルバイト募集じゃなくて、テメエの嫁さん募集だな。
まともな神経のオンナならコワくて応募なんかできやしないぜ。
世の中どんどん無粋になり、
人々は”わきまえる”ことの美徳を忘れてゆくばかり。
岸谷秀吉が栄え、石坂利休は滅びゆくということか。
嗚呼、嘆かわしや。

「福久家食堂」
 東京都中野区沼袋1-36-1
 03-3387-4063


2011年6月28日火曜日

第84話 マカサラはビールのよき友 (その1)

マカサラとは何ぞや?
マカロニサラダのことでござんす。
ポテトサラダをポテサラと称するが如しですな。

昭和30年代、町の精肉店には惣菜御三家というのがあった。
何かというと、マカロニサラダ・野菜サラダ・シューマイである。
野菜サラダとは現在のポテトサラダのことで
ポテトも野菜の1種だから昔はこう呼んだものだ。
今ではあまり見掛けなくなったが
小ぶりの体にグリーンピースをポツンと乗っけたシューマイは
実に肉屋の定番だったのである。

当時の家庭の主婦はとにかく忙しかった。
洗濯はたらいと洗濯板、掃除はほうきとはたき、
米を炊いたり、サカナを焼いたりするのは七輪の時代だもの、
まともなおかずなんざ、いちいち作っていられやしない。
だからこそ、肉屋の揚げ物と惣菜御三家が大活躍したのだ。

ハナシを本日の主役、マカサラにしぼる。
それにしてもなぜイタリアのパスタをマヨネーズで和えた、
珍妙な食べものが日本でこんなに普及したのだろう。
スパゲッティ・ナポリタンのように
米国から渡来したものと思われるが
あれほどポピュラーになるなんて、ちょいとした驚きである。

子どもの頃になじんだ味は大人になっても忘れがたい。
懐旧の想いも手伝って、酒場・食堂・居酒屋で飲むときなど、
つい、つい、マカサラに食指が動いてしまう。
ビール・酎ハイ・ホッピーとの相性がよいのも大きな理由だ。

JR埼京線・十条駅前の「三忠食堂」を訪れたのは
ある晴れた金曜日の16時過ぎ。
白いゴム長靴の店主が中に外に独りでテキパキと動き回る。
よくよく見ると、千昌夫のコンパクト版といった面貌だ。
瓶ビールと生野菜を同時に注文した客に
「ビールはキリンとアサヒのどっち? 
 生野菜にはドレッシングとマヨネーズのどっち?」―
なかなかキメのこまかい接客ぶりではござらんか。

店内には地元のオッサンたちが数人、早くもきこしめしている。
外回りの若いサラリーマンが遅い昼めしを食べてもいる。
こちらはさっそくキリン一番搾りの中ジョッキ。
長距離を歩いてきたのでジョッキの3分の2ほどを一気飲みだ。
音には出さぬが、気分的には「プッファ~!」でんがな。

壁に貼り巡らされた品書きの短冊が半端じゃない。

これはホンの一部にすぎない

さっそくマカサラ(200円)を頼み、
あとはベーコンエッグ(320円)とあじフライ(350円)で迷い、
結局は前者に決定した。

キャベツを敷いたマカサラ

こちらにもキャベツとマカサラが隠れていた

エッグスではないエッグの黄身がいい塩梅。
注文取って作って出して、すべて独りでこなすゴム長オジさん、
これじゃ茶髪でチャラチャラしたオネエちゃんなんか要らんわな。

=つづく=

「三忠食堂」
 東京都北区上十条2-28-4
 03-3909-2730

2011年6月27日月曜日

第83話 この人をリスペクト

音楽が好きである。
まあ、嫌いな人はいないと思うけど・・・。
とにかくジャンルを問わずに何でも聴いてしまう。
積極的に聴かないのは軍歌と浪花節くらいのものだが
それとて嫌いというほどでもない。
ああ、そうだ、唯一苦手としているのはラップかな。

桑田佳佑のナンバー、「私はピアノ」は大好きな曲。
 ♪ 人も恨やむよな仲が いつも自慢のふたりだった ♪
この歌詞にあるように、男女の仲を恨やむことはまずない。
ただ、うらやましいと思う人種が2タイプある。
 ①楽器を弾ける人
 ②絵を描ける人
以上を上手にこなせる人には羨望を禁じえない。
わが身を振り返ると、①は根気がないから身につかず、
②はハナから才能がございませんでした。

楽器を弾けるうえに作曲までしてのける御仁など、
もう憧れの的である。
それにアホやタコが少なくない総理大臣でさえ、
偉大な作曲家には大いに敬意を表している。
まっ、自分の人気取りに利用してるんだけどネ。
過去18人の国民栄誉賞受賞者の中に、
作曲家が4人もいるのに対して作詞家は一人としていない。
これはかなり差別的じゃないか。

作曲家の中で一番好きなのは筒美京平サン。
心よりリスペクトしている。
ただし、メディア嫌いというのではないにせよ、
あまり表に出たがらない性格の持ち主で
偉大な業績を残しているのに知名度がそれほど高くなく、
顔と名前が一致する人はそんなにいないと思われる。
J.C.とてそんな一人であった、ついこの間までは―。

1ヶ月前に観たNHK BSプレミアムの
「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」は興味深かった。
制作してくれたNHKには感謝の意を表したい。
筒美サンの肉声を聴いたのはおそらくこれが初めてで
人柄も好感度大、実に楽しい番組だった。

思い起こせば、最初に出会った曲は「バラ色の雲」。
特徴であるイントロの卓抜さが早くも発揮されている。
選び抜いたマイBest10はかくの如し(作曲年順)。
 バラ色の雲・・・ヴィレッジ・シンガーズ 1967
 雲の上の城・・・Kとブルンネン ’69
 誰も知らない・・・伊東ゆかり ’71
 雨のエアポート・・・欧陽菲菲 ’71
 ひまわりの小径・・・チェリッシュ ’72
 よろしく哀愁・・・郷ひろみ ’74
 美貌の都・・・中島みゆき ’75
 さようならの彼方へ・・・内山田洋とクールファイヴ ’78
 たそがれマイ・ラブ・・・大橋純子 ’78
 Lucky Chance をもう一度・・・C-C-B ’85

名曲揃いである、多種多彩である。

ついでに次点グループを3曲。
 ギンギラギンにさりげなく・・・近藤真彦 ’81
 ドラマティック・レイン・・・稲垣潤一 ’82
 抱きしめてTONIGHT・・・田原俊彦 ’88


ほかにも大ヒット曲が目白押しだ。
 ブルーライト・ヨコハマ ’68
 また逢う日まで ’71
 真夏の出来事 ’71
 17才 ’71
 飛んでイスタンブール ’78
 魅せられて ’79

レコ大受賞曲が2曲も含まれている。
当たり年は1971年、彼はまだ31歳だった。

歌は世につれ、世は歌につれ。
わが人生において雨の日も風の日も、
はたまた太陽がいっぱいのバラ色の日々も
傍らには常に筒美京平の歌があった。
おかげでどんなにシアワセだったことか!

2011年6月24日金曜日

第82話 ムツにもいろいろありまして (その2)

花のお江戸の神田に3軒ある「三州屋」のうち1軒にいる。
南口に1軒、北口に2軒もあることは昨日書いた。
暖簾や看板に明記されてはいないが
北口の2軒は神田警察通りに面しているほうが”神田本店”。
通りの裏側にあるのが”神田駅前店”というのだそうだ。

だが、これが紛らわしい。
駅からだと”本店”のほうが近いくらいで
”駅前店”はややこしくて到達しにくい。
よってJ.C.は前者を”表通り店”、
後者を”裏通り店”と称することにしている。
こう覚えておいたほうがずっと都合がよい。
2軒はごく至近にあるのでくれぐれもお間違えのないように。

此度いるのは気に入りで行きつけの裏通りのほうだ。
料理も”表”より上だし、何と言っても店内の雰囲気がいい。
昭和の香りの立ち込める懐旧の酒場がここにある。
昼と夜のはざまに飛び込んで
銀むつあら煮定食をお願いしたところであった。
ついでにビールの大瓶を1本。
中瓶がなく、大・小の二者択一で銘柄はサッポロ黒ラベル。
そうそう、昨日のブログで
うっかり銀むつ煮付けと記してしまったが
正しくは銀むつあら煮である。

ビールと一緒に大根葉と白菜をきざんだ浅漬けが出た。
間髪おかずにチョッピリのポテトサラダ。
これはおそらくポテサラがお通しで
きざみ浅漬けは定食に属する一品なのであろう。

ほどなく銀むつあら煮・赤だし・どんぶりめしが運ばれた。
めしの量にたじろいで、半分以下に減らしてもらう。
赤だしは豆腐と三つ葉の正統派だ。
違和感を感じたのはあら煮で普段よりも色黒な感じ。
定食を食うほうのサラリーマンなら
初夏の陽射しを浴びて日焼けすることもあろうが
食われるほうの銀ムツが日焼けをする道理がない。

赤だしを一口すすっておもむろにあら煮をチェックすると、
やけに脂っこそうだし、皮目も黒い。
ハハ~ン、こりゃ黒ムツのあら煮を出して来やがったな。
この店のあら煮は両方あって
確か黒は銀より50円ほど安かったハズだ。

まっ、いいか、ここで黒むつは初めてだし、味わってみようか。
われながら実に寛容な対応である。
ところが、これがイケなかった。
情けも過ぐれば仇となるのことわざ通り。
脂のしつこさははハンパでなく、匂いにはクセがあり、
しかも骨ばかりで身肉がほとんど付いていない。

鼻白んでビールを飲み干し、ごはんを少々残してお会計。
このとき何気なしに勘定書きに目を落とすと、
定食の850円が消され、820円に書き直されていた。
ホラ、案の定だ。
まあ、いいでしょう、いいでしょう、
事情の説明はなかったものの、
ちゃんと訂正するところは佳店の証しでしょうよ。
許す、許す、J.C.は許す!

「三州屋 裏通り店(神田駅前店)」
 東京都千代田区内神田3-22-5
 03-3252-3035

2011年6月23日木曜日

第81話 ムツにもいろいろありまして (その1)

今日はムツの話題。
ムツといっても紙オムツのムツじゃない。
そういやあ、紙以外のオムツってトンと見掛けなくなった。
昭和の昔は小さな赤ん坊のいる家の物干し台なんかに
何枚ものサラシのオムツが
それこそ鯉のぼりの子鯉たちのごとく、
ヒラヒラとはためいていたものだ。
あの景色、いま一度見てみたい。

ムツはムツでもサカナのムツである。
スズキ目ムツ科のムツは漢字で鯥と書く。
睦み合いの睦の字の偏だけを
サカナにして、いかにも当て字っぽい。
ムツにもいろいろありまして
それぞれ分類が異なるものの、
ムツ・黒ムツ・赤ムツ・銀ムツが一応、ムツ四天王になろうか。

ムツと黒ムツはしばしば混同されるが、ともに肉食の深海魚。
どちらも見るからに獰猛な面構えをしており、
口の中をのぞくと犬歯がズラッと並んで
ちょいとした鮫ですぜ、コイツは。

赤ムツは別名ノドグロと呼ばれる高級魚。
主に北陸から山陰にかけて分布し、
刺身はもちろん、煮ても焼いても美味である。
仲間の中でもっとも高価なのがこれだ。

銀ムツはマジェランアイナメのこと。
その名の如くマゼラン海峡近辺で多く水揚げされる。
ムツや黒ムツと勘違いされて
消費者のの混乱を招くことから近年はメロと呼ばれるが
いまだに銀ムツのほうが通りがよい。
日本ではフランスからの輸入物がよく出回っている。

都内各地に点在する良質な居酒屋といえば「三州屋」。
完全にオヤジたちの憩いの場になっている。
都内有数のオヤジの街、神田には南口に1軒、
神田警察通りの表と裏に1軒ずつと計3軒。
独立採算制ながら、メニュー構成は似通っている。
昼は定食屋、夜は居酒屋の二面性も各店共通だ。
いずれもただ「三州屋」を名乗るだけだから
きわめて紛らわしいのだが
J.C.の気に入りは勝手に名付けた「三州屋裏通り店」。

昼めしを食いはぐれた午後3時半過ぎ。
居酒屋が暖簾を出すにはまだ早い時間に
神田で独りウロウロしていた。
そこで思いついたのがこの店である。
ひょっとしたらまだ定食にありつけるかもしれない。
「岸壁の母」よろしく、われは来ました、今日も来た、
もしやもしやにひかされて・・・。

思惑通り、この時間でも定食OKであった。
実は酒の肴によく注文する銀むつのあら煮で
飯を食べたいと思っていたのだ。
念願かない、金850円也の定食を頼みましたヨ。
ところがである。
世の中そうそう、上手くは運びませんナ。

=つづく=

2011年6月22日水曜日

第80話 猫にコロッケ

昨日の朝、友人のN濱クンからメールが1通。
この人とは行きつけの店が一緒だからそこで知り合った。
お互いビール党で気が合ったのかもしれない。
出版社勤務という職業柄か、
当ブログの誤字・脱字を修正してくれるのがありがたく、
くだんのメールも例によって間違いの指摘だった。
「私鉄沿線」の歌詞、
 電車の中から降りて来る 君を待つのが好きでした
               ↓
 電車の中から降りて来る 君を探すのが好きでした

この部分だった。
ありがとヨ、濱チャン。

さて、台東区と文京区にまたがる谷根千には
しょっちゅう散歩に出掛ける。
谷中銀座やよみせ通りで買い物をすることも少なくない。
JRの日暮里駅寄りから入ることもあれば、
千代田線・千駄木方面から回ることもある。
月に3~4度は訪れているから出没率はかなり高い。

夕陽がきれいな(最近はまず見えない)夕焼けだんだんの上、
「大島酒店」が店頭で売る生ビールがこの時期、最高だ。
350mlほどが1杯350円で銘柄はスーパードライ。
愛好者はけっこういて先日もあるオジさんとすれ違ったとき、
どちらからともなく会釈し、ついでにグラスを合わせてしまった。
あいや、グラスではなく、プラコであった。
袖振り合うもそうならば、コップ触れ合うも多生の縁である。

よみせ通りの「コシヅカ ハム」は自家製ハム・ソーセージが自慢。
見た目は立派な精肉店で店内も広々と買い物がしやすい。
ここではすき焼きやバタ焼き用に赤身のもも肉を買う。
年々、歳とともに脂っこい霜降りがいっそういけなくなった。

この店が週末に売り出す、1個100円のコロッケがおいしい。
ラードでカリッと揚げられ、ホクホクのじゃが芋と
ほどよく混ざった牛挽き肉のバランスがよろしい。
すぐそばの谷中銀座で競い合う、
2軒の肉屋のメンチカツなど足元にも及ばない。
谷中はメンチではなくコロッケである。
「すずき」と「サトー」よりも「コシヅカ」である。

その日曜日もコロッケを2つ買い、
ブラ下げ歩いて通り掛かったのが圓妙山本授寺。
猫の額ほどの境内に2匹の黒猫が寝そべり、母と子らしい。
グッドタイミングで、こちらにはコロッケという手駒がある。
2つに割って与えると、子どものほうは飛びついたが
母猫は匂いを嗅いだだけでそれっきリ。

アッというまに平らげた子猫

水飲み場に移動した母猫

芋を食う猫、食わぬ猫、というより、母は揚げ物を避けたのか。
人間同様に猫もまた年々、脂っこいものがいけなくなるのかも・・・。

「コシヅカ ハム」
 東京都文京区千駄木3-43-11
 03-3823-0200

2011年6月21日火曜日

第79話 焼き台前は常連専用 (その2) にせどろ千夜一夜 Vol.3

やれやれと3席しかない窓辺にたたずんで飲むビール。
名画「ショーシャンクの空に」の一シーンがまぶたに重なる。
主人公の活躍でプリズナー全員に
ビールが振る舞われるあのショットだ。
くれなずむ塀の外を遠望しながらのビールは実に旨そうだった。

この飲みものを一番旨く感じるのは夕暮れどき。
食うためとはいえ、一日中会社に奉仕して
やっと解放される時間に飲るビールは自由の象徴である。
J.C.はそれが飲めなくなる環境に身を置かぬためにも
常々、罪を犯さぬよう心がけている。
気をつけていてもモンテクリスト伯やリチャード・キンブルのように
無実の罪を着せられることがあるから油断はできない。
いずれにしろホリエモンはご苦労なこってス。
これこそ“ご同情のいたり”である。
ビールのない日々なんて紐のない越中ふんどしより哀しい。

豪徳寺駅の乗降客をぼんやりと眺めながら、
われに返ってコンクリート打ちっぱなしの店内を見渡す。
そしておもむろに品書きを手に取った。
ちなみにサッポロ黒ラベル中瓶(500円)とともに
運ばれたお通しはきゅうりとにんじんのぬか漬け。

飲みものは麦焼酎・まつり邑(450円)、
芋焼酎・黒霧島(500円)、本醸造浦霞(550円)、
酎ハイ(400円)、生レモンハイ(450円)、
ホッピーセット(450円)といったラインナップだ。

10種類ある焼きとんは120円均一。
タン・ハツ・カシラを塩、レバ・シロをタレで焼いてもらう。
豚足(500円)のハーフポーション、
半足(300円)を同時に注文。
豚のアンヨのほうはそれなりだが
焼きとんのレベルの高さにいささか驚かされた。

生レモンハイに切り替え、にこみ豆腐(600円)と
白もつ皿(400円)というのを追加する。
にこみは豚もつの部位が豊富で
フワ(肺)の存在が殊更にうれしい。
卓上には一味と七味の両揃えと、気が利いている。
壁に“名物もつ皿”とあった一皿には
きざみねぎがあしらわれ、醤油を掛けて味わう。
ついでにレモンハイのレモンを搾るのも妙案。

焼き台の前に陣取れるのは常連のみ

店主は常連との会話を楽しみながら
ひたすら串を焼き上げてゆく。

行きたくもないトイレに行くフリをして地下に降りると
1階とは打って変わってゆったりとしたレイアウト。
若い娘が三人でサワーか何かのジョッキを傾けていた。

勘定は二人で4000円と少々。
ちとつまみを取りすぎたきらいあり。
実は2軒目に近所のイタリアン「フィレンツェ」を想定していた。
短角牛のタリアータでワインを飲む腹積もりだったが
もうとてもとても肉を食う気になんかなれない。
近頃、わが食はどんどん細るいっぽうでありんす。

「まつり邑」
 東京都世田谷区豪徳寺1-43-2
 03-3427-4493

2011年6月20日月曜日

第78話 焼き台前は常連専用 (その1) にせどろ千夜一夜 Vol.3

さあ、久々のにせどろシリーズ。
これによってしばらく自重していた居酒屋ネタの解禁とします。

今回は小田急線・豪徳寺を訪れた。
小田急線は小田急電鉄小田原線が正式名称。
駅名は近くにある大渓山豪徳寺に由来している。
彦根藩・井伊家の菩提寺は招き猫発祥の地とされている。

猫つながりでウチの猫

突然、失礼いたしました、テヘッ。

駅前には東急世田谷線・山下駅がある。
東武伊勢崎線・牛田駅と京成線・関屋駅みたいなもので
目の前なのに駅名が異なり、不慣れなヨソ者を惑わせている。
私鉄同士が意地を張り合っているわけでもあるまいが
大手銀行の合従連衡が済んで久しい21世紀、
駅の名前ぐらい統一してほしいものだ。
駅名を一緒にすると乗車賃の値下げにつながるとでも
思っているのだろうか。
東京メトロと都営地下鉄の連携のように。

豪徳寺へは代々木上原から歩いて行った。
東北沢―下北沢―世田谷代田―梅ヶ丘と、
ほぼ小田急沿線に沿って歩みを進めてきた。
その間、野口五郎の「私鉄沿線」の歌詞とメロディーが
たびたび脳裏をよぎったことは言うまでもない。
通行人とすれ違わないときには口ずさんだりもして―。

 ♪  改札口で君のこと いつも待ったものでした
    電車の中から降りて来る 君を探すのが好きでした
    悲しみに心とざしていたら 花屋の花も変りました
    僕の街でもう一度だけ 熱いコーヒー飲みませんか
    あの店で聞かれました 君はどうしているのかと  ♪

                                  (作詞:山上路夫)

恋人を失った悲しい歌。
「池上線」は傷心の女ごころだったが
「私鉄沿線」は逆に男ごころである。
おっと、歌ってる場合ではない、にせどろだから飲まなきゃ・・・。

豪徳寺駅前に焼きとんの「まつり邑」を見つけたのは1年前。
それほど期待をふくらませたのではなくとも
いつか訪れてみようと心の隅にインプットしておいたのは事実だ。

入店すると、焼き台の前のカウンターに4席ほどのスペース。
先客が2人いて、その間に滑り込もうとしたら
串を焼いている店主から
窓際の、これまたカウンターに誘導された。
「あっちへ行け!」とは言われないまでも、ちと淋しい。
「いいよ、判ったよ、そっちに移ればいいんだべ」
気持ちはオールモスト悔し紛れだ。
「ガラス越しに外が見えるからこっちのほうがいいモンね」
100%悔しがってるな、これは・・・。

余計なことをつらつら書いていたら
今度は書くスペースまでなくなった。
本題は、また明日。

=つづく=

2011年6月17日金曜日

第77話 9年ぶりのダッタンそば

ダッタンそばをご存知でしょうか? 漢字で書けば韃靼蕎麦。
欧州では韃靼のことをタタールとかタルタルなどと呼ぶ。
北アジアから中央アジアに棲む民族、タタール人を指す言葉だが
定義はあいまいで欧州人にとってはほぼモンゴル人と同じ。
モンゴル軍の西方遠征に多くのタタール人が参加したために
混同されたものと思われる。

タタールの語源はギリシャ語で地獄を意味するタルタロス。
生肉をたたいたタルタルステーキもここから来ており、
あれもずいぶんと血なまぐさい料理だ。
ユッケもタルタルの仲間で先ごろの事件はまさに地獄であった。

中央アジアで産するダッタンそばが
日本で食されるようになったのはたかだか十数年前。
ルチンが日本そばの100倍も含まれているため、
そばそのものだけでなく、そば茶まで急速に普及した。
ルチンは血流をよくしたり、関節症に効き目があるという。
中国でもよく食べられるが彼の地で韃靼は差別的名称、
苦そばと称されており、これを苦肉の策という。

そのダッタンそばに出会ったのは2002年秋のこと。
大岡山の「志波田」で食べた。
黄色、いや、黄土色、いやいや、ウコン色が一番近いかな?
なかなかに印象的な色合いをしていた。
中国の人々が苦そばと呼ぶほどの苦味は感じなかった。
日本そばより旨いともいえないが不味くはなく、
たまにはこういうのもアリといった位置づけだろうか。
そうそうお目に掛かるものでもないから
以来、トンとご無沙汰だった。

過日、普段通りに週末の散歩。
この日のルートは、門仲から牡丹・古石場を廻り、
越中島から相生橋を渡ったら佃・月島を抜けて
勝鬨橋で築地に入り、銀座に至るというもの。
起点の門前仲町駅に降り立ったのは正午過ぎだ。
胃袋が脳みそに「メシよこせ!」と叫んでいる。
「物色中だからちょっと待て!」―脳みそも負けてはいない。

深川不動参道の茶漬け屋「近為」に赴くも待ち人10名弱。
1500円もする茶漬けだぜ! 世の中、リッチな人が多いや。
犬も歩けば棒にあたる、J.C.も歩けば店にあたる。
胃袋の叫びを無視して散歩のスタート。
歩き始めて10分、「あさのや」なるそば屋に遭遇した。
都内に「浅野屋」はクサるほど存在するが
かな表記の店は稀有だ、というより初めての顔合わせ。
品書きにダッタンそばを見とめ、即入店と相成った。

金800円也のダッタンそば

それほど黄色みを帯びていないし、苦味もまったくない。
とまれ量少なめにつき、1分と持たずに残りは一つまみ。
ここであわてて金250円也のかやくごはんを追加した。
でなきゃ、胃袋の野郎が納得しない。

キューちゃんみたいなのと桜大根付き

そば湯を吸い物代わりに一気に平らげる。
ふむふむ、薄味仕立てでマアマアですな、これは。
それよりも、よくぞビールを我慢したネと
自分をほめて、散歩の継続、継続。

「あさのや」
 東京都江東区牡丹3-6-2
 03-3641-5889

2011年6月16日木曜日

第76話 婆ちゃん帰って 日が暮れて

昨日の替え歌の原曲は
五木ひろしの「長崎から船に乗って」。
作詞は山口洋子で作曲の平尾昌晃とは
伝説のゴールデンコンビだった。
この歌は艱難辛苦をなめ続けた五木が
やっと「よこはま・たそがれ」で認められたあとの第2弾。
流行歌手の場合、デビュー後の2曲目がとても重要で
これをヒットさせないと一発屋のレッテルを貼られ、
使い捨ての憂き目を見る。

ついでに「赤坂の夜は更けて」は
関口宏と結婚して引退した西田佐知子が歌った名曲。
島倉千代子との競作だったが、これは西田の圧勝。
千代チャンのコブシは赤坂のイメージじゃないやネ。
もっとも赤坂の花柳界ならまたベツのハナシだけど・・・。
西田佐知子という歌い手サンは競作にめっぽう強く、
あの「コーヒー・ルンバ」でもあのザ・ピーナッツを撃破した。

歌謡曲はこれくらいにして今回はお婆ちゃんの原宿、
巣鴨のとげぬき地蔵通りに出没する。
いつの頃からか、この地に婆さんたちが集結し始めた。
巣鴨地蔵通り商店街の中ほどに位置する、
萬頂山高岩寺は通称とげぬき地蔵。
到来者はまずお地蔵さまに手を合わせ、
気に染まった飲食店で昼餉をとったり、お茶を飲んだり。
そうしておいて自分の衣類や孫のみやげの調達を済ませ、
思い思いに家路を急ぐのである。
爺さんにドヤされたり、嫁にイビられたりしないようにネ。

主役が去って日の暮れた商店街には
閑古鳥が鳴くのかと思いきや、意外にそうでもない。
けっして繁華な盛り場というのではないが
そこそこに人の出入りはあるのである。
中でも繁盛しているのは2軒の「ときわ食堂」。
高岩寺に近いほうが本家で、庚申塚にあるのが分家。
分家は本家の女将の息子が開いた。
若い経営者のアイデアが功を奏したものか
客足は分家のほうに分があるように見える。

J.C.は改装前の本家の雰囲気が好きだったが
死んだ子の歳を数えていても仕方がない。
数年ぶりで本家の敷居をまたいだ。
ビールの大瓶が450円と下町の大衆酒場より安いくらい。
350円の煮物盛合わせの充実振りはどうだ。

茄子・大根・人参にコンニャクと鶏肉も

大根と人参の切り口を見ればキレイなシゴトぶりが判ろう。

ロールキャベツ(330円)はいかにもデキ合い風ながら、
値段が値段なので文句は言えない。
かつ煮(500円)には珍しくも練り辛子が添えられている。
何だか押上か曳舟辺りで飲んでる気になってきて
川向こうの定番、ホルモン焼き(450円)に食指が動く。

下町とは様子が異なる長ねぎ・玉ねぎ入り

店内に婆ちゃんの姿なくとも
婆ちゃんの原宿で飲む気分は悪くない。
年寄り年寄りとバカにするなかれ、いずれおのれが行く道だ。
エッ? もう来てるってか?
放っとけや!

「巣鴨 ときわ食堂」
 東京都豊島区巣鴨3-14-20
 03-3917-7617

2011年6月15日水曜日

第75話 赤坂の夜は更けず

病院に行きました。
自身の受診でもなければ、知人を見舞うでもなく、
おそらくこういうケースは生まれて初めてのことだ。
半世紀以上生きてきて、いまだに入院や手術は未体験。
これは歓ぶべきことであろうか?
何といっても人生は健康第一、大いに歓ぶべきだろう。

友人のハーピスト・ I 﨑サンのミニ・コンサートが
高輪のせんぽ病院で開かれ、
例によってその進行役に狩り出されたわけだ。
この数日前にもやはりコンサートで
栃木県・西片町を訪れたばかり。
売れっ子の助っ人ってェのも、なかなかラクじゃござんせん。
西片町はのどかで人がみな親切でいい土地でした。
おみやげにいただいたお米も旨かった。

此度の仕掛け人は当病院の名医・ I 原ハカセ。
この人は当ブログの読者にして
気の置けないのみともでもある。
飲むほどに酔うほどにゴキゲンうるわしく、
豪快な高笑いが店内に響き渡るのは迫力十分。
とにもかくにもハカセがいないと座の雰囲気が消沈する。

病院なので聴衆はほとんど患者さん。
中には大病を患っている方もおられようから
普段より厳かに公演を進めていった。
くだらないギャグで笑いを取るのを控えたのだ。

無事演奏が終わったあと、そのお礼にと、
ハカセがわれわれを鮨屋に招待してくれた。
行き先は彼行きつけの「赤坂 藤」。
この店は何回か訪れた。
親方のY澤サンとは食事をともにした仲である。
赤坂では一、二を争う鮨の名店、
弾む胸を抑えつつ、心静かにつけ台に並んだ。

真子がれい・生とり貝・青柳と続き、
三浦半島は松輪の港に揚がった槍いかの登場。
いろいろな部位を少しずつ食べ比べるいか三昧だ。
槍いかの旬は2・3・4月のハズ。
5月半ば過ぎ、いわゆる名残りだが
身の張りよろしく、コリコリとした食感を失ってはいない。
天然かんぱちの活け〆と1日寝かしたものを1切れずつ。
爽快感と熟成感の直接対決は甲乙つけ難し。

にぎりに突入する。
この頃には芋焼酎を飲みすぎており、記憶が曖昧だ。
真子昆布〆・小肌・赤身づけ・穴子と来て、あとはおぼろ。
おぼろは海老や白身を炒ったオボロではなく、おぼろ気のおぼろ。
玉子を食べたのか食べなかったのか、今となっては忘却の彼方だ。

  ♪    いまごろ どうして いるのかしら
     せつない 想いに ゆれる灯かげ
        
むなしい未練とは 知りながら
     恋しい人の名を 囁けば
     逢いたい気持ちは つのるばかり
     赤坂の夜は 更けゆく       ♪
          (作詞:鈴木道明)


おもてへ出ても赤坂の夜はまだ明るい。
この時期、そうやすやすと夜は更けない。
でもって、なぜかそこからかなり遠い浅草のスナック「B」へ。

 ♪  赤坂から電車に乗って 浅草着いた
   ここは田原町 女が待ってます
   エンコの女は お人好し
   いいことばかりの そのあとで
   白い白衣に あゝ騙される
   あゝ騙される 女郎花     ♪


さて、これはいったい何の替え歌でしょう?
答えはまた明日。

「赤坂 藤」
東京都港区赤坂3-15-14
03-3585-7887

2011年6月14日火曜日

第74話 小さな手帳 (その2)

そう、この小さな手帳が
ダンボール箱の奥から出てきたのは昨年のこと。
実に久しぶり再会であった。
表紙には
1971 WASHITANI SHOTEN CO.
の文字。

鷲谷商店というのは
大阪市・天王寺に本社を構えるサントリーの代理店。
手帳を手に入れた経緯はまったく覚えていない。
40頁にわたる価格表が興味深いので
一例を紹介してみよう。

    品名          容量    卸価格  小売価格 
 サントリー・オールド  760ml   1615   1900
    〃 角瓶       720ml   1210   1450
 トリス・エクストラ         640ml      288          340
 ブランデー X・O      700ml   4240    5000
 赤玉ポートワイン      550ml    213        260
 ヘルメス・シャンパン  720ml    650    840
      〃 アブサン      720ml    760     900
      〃 テキーラ      720ml     840   1000
 ジャック・ダニエル黒  760ml   8000  10000
 サントリー純生大瓶     633ml    122    140


ザッとまあ、こんな感じ。
ポートワインやシャンパンの商標はまだ使えたのだ。
今は無きアブサンは、今は亡き父親が飲んでいた。
ちなみに度数は68度で、全サントリー製品中最強。
これも今は無き純生だが、ビールは安かったんだねェ。

手帳の住所録に中学・高校時代の友人や
世話になった大人たちの名前がズラリ並んでいるのは
’71年の3月末に欧州旅行を企てており、
旅先から絵葉書を送るためである。

住所録以外はほとんど空白ながら、
一応、渡航用の持ち物リストがあった。
アスコットシャツやヘアチックが時代を感じさせる。
”5円玉50個”というのは当時のヨーロッパに
穴開きコインがなく、珍しいのでちょっとしたおみやげ用。

あとは
①フィンランド・・・スウェーデン間連絡船 
②チェコスロヴァキア・ポーランド査証 
③欧州ユースホステル・リスト
以上のメモがあるのみ。
こうして生まれて初めての海外に出たのだった。

ハナシは’71年から’68年にまた戻る。

 ♪  淋しげな 雨に濡れた君の
   くちびるが 忘れられなくて
   わかれても 私は信じたい
   いつの日か あなたに
   愛される 愛の奇跡  ♪
       (作詞:中村小太郎)


この年のマイ・モースト・フェイヴァリット・ソングは
ヒデとロザンナの「愛の奇跡」であることは昨日書いた。
当時はたびたび高校の授業をサボッて
同級生のS水クンの家に入り浸っていた。
買ってもらったばかりの小さなステレオにかかるレコードは
「愛の奇跡」とビージーズの「マサチューセッツ」の2枚だけ。
繰り返し、繰り返し聴き続けて
今もことあるごとに頭の中でコダマするのです、ハイ。

2011年6月13日月曜日

第73話 小さな手帳 (その1)

♪   小さな日記に綴られた
      小さな過去のことでした
         私と彼との過去でした
       忘れたはずの恋でした ♪
        (作詞:原田晴子)


フォー・セインツが「小さな日記」で
デビューしたのは1968年のことだった。
この年、流行った邦楽曲は
 
 花の首飾り(ザ・タイガース)
 長い髪の少女(ザ・ゴールデン・カップス)
 エメラルドの伝説(ザ・テンプターズ)
 亜麻色の髪の乙女(ザ・ヴィレッジシンガーズ)
 小さなスナック(パープル・シャドウズ)
 悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセダーズ)
 ケメ子の歌(ザ・ダーツ)


 知りすぎたのね(ロス・インディオス)
 小樽のひとよ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
 新宿そだち(大木英夫&津山洋子)

 伊勢佐木町ブルース(青江三奈)
 好きになった人(都はるみ)
 三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)

 年上の女(森進一)
 釧路の夜(美川憲一)
 あなたのブルース(矢吹健)
 霧にむせぶ夜(黒木憲)
 
 ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)
 恋のしずく(伊東ゆかり)
 ゆうべの秘密(小川知子)
 天使の誘惑(黛ジュン)


 山谷ブルース(岡林信康)
 愛の園(布施明)
うわっ、とめどなくジャンジャン出てくる。
歌手名のうしろのジルシは特に好きな曲、
思い入れの深い楽曲である。

こうしてみると、グループサウンズを筆頭に
コーラス、デュオの全盛時代だったことがよく判る。
演歌もそれなりにヒットが生まれているし、
その頃、アイドルなんて言葉はあったが
認識のなかった若手女性シンガーも大健闘。
不振をきわめたのは男性ソロで
岡林はフォークだから、歌謡曲は布施明だけ。
この頃、すでに御三家人気はかげりを見せていたし、
若大将の時代も終焉していた。

1968年のヒットでどれか1曲と問われれば、
それはもう、迷わず、「愛の奇跡」。
これしかない。

ハナシは急に前回(金曜)のブログに飛ぶ。
読者の方からどうして今まで
何十年も前の級友の住所なんぞキープしてるんだ? 
こんな問い合わせがいくつか。
いや、ごもっとも。

今、手元に小さな日記ならぬ、小さな手帳が1冊ある。

=つづく=
 

2011年6月10日金曜日

第72話 練馬・板橋 行ったり来たり (その2)

練馬区・氷川台から板橋区・上板橋方面へ移動中。
よい天気である。
歩いていて気持ちが晴ればれとしてくる。
ほほに当たる涼やかな風は緑のそよ風。
関東地方は本当に梅雨入りしたのだろうか。
気象庁は原子力保安院みたいに
いい加減なことは言わないよナ。

ネリカンに長居はできないから先を急ぐ。
右手にずっと続く木立は城北中央公園だ。
40年以上前、公園の真ん中に今もあるはずのグラウンドで
たびたびサッカーをしたっけ・・・。
ここは広大な都立公園で練馬・板橋両区にまたがっている。

周囲を彩る新緑の木々がたいそう立派に育った。
ちょっと見はパリのリュクサンブール公園さながら。
彼の地でパリのチビッ子たちを集め、
草サッカーに興じたのは1971年5月、ピッタシ40年前のこと。
当時、離れていた日本では大久保清が世間を震撼させ、
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が一世を風靡していた。
五木ひろしや小柳ルミ子が世に出た年でもある。

公園を過ぎてほどなく川越街道にぶつかった。
おお、道のど真ん中にあるのは懐かしの五本けやきじゃないか!
中学からの遠足の行き帰り、
車窓から何度も眺めた古木は上板橋界隈のランドマーク。
昭和の初め、屋敷を道路用地として売り渡した地主が
存続を条件としたからこそ生き残ったけやきである。

街道を横断すると上板橋南口の商店街。
週末の夕暮れどきとあって家族連れでにぎわっている。
東上線の線路をまたいで北口へ。
線路と並行して走るときわ通りを
北西に進み、東武練馬を目指す。

途中、先刻渡ったばかりの線路の反対側に
北一みのり市なる幟(のぼり)を発見。
一見、寂れた商店街のようだが
看過できずに再び板橋から練馬へ逆戻りである。
メインストリートに出ると、繁華をきわめた商店街だった。
しかもくだんのみのり市は第一土曜日だけののイベント、
買い物客であふれている。

見るからに怪し気なアーケードに出くわした。

昼なお暗い北町アーケード

でも、こういうの好きなんだな。

胸弾ませて中へ

ペットショップ・居酒屋・スナックが立ち並んでいるが
余命いくばくもないことでござろう。

東武練馬駅前の踏切を板橋側へ渡る。
ふと思いつき、昔お世話になったS水クンの旧宅を訪ねる気になった。
おそらくマンションか何かが建っていることだろう。
駅から徒歩15分、徳丸4丁目〇〇ー〇に到着したらば、
どこか見覚えのある木造2階建て。
まさか! いや、もしや・・・。
目の前にあった田んぼは宅地になっていたが
旧宅のほうはひょっとすると・・・。

しっかりカメラに収めたから、
ストックホルムのヤツのところへ送って確かめてみよう。
いや、ちょいと待て!
来春には一時帰国してくるはずだ。
そのときの余興に写真は取っておくことにした。

2011年6月9日木曜日

第71話 練馬・板橋 行ったり来たり (その1)

ゴルフをよして早や11年半、
以来、運動らしい運動をしていないから
身体がなまっちまうことはなはだしい。
ただ、歩くことだけは大好きで
殊に知らない町を歩かせたら4時間でも5時間でも平気。
脚が棒になっても疲れというものを知らない。

これはおそらく高脂血症のせいであろうよ。
血液中にエネルギーがたっぷりと含まれているのだ。
と、勝手に思い込むようにしている。
病(やまい)は気からというけれど、
気の持ちよう一つで、病が福に転じることもある。

シドニー五輪における女子マラソンの金メダリスト、
高橋Qチャンも高脂血症だったと聞いた。
あの細い身体で高脂血症なら
軽自動車にハイオクを注入しているようなもの、
そりゃ走りやすいやネ。
ラッタッター・・・、てなもんや三度笠。

都心はすでに歩きつくした。
山手線内にとどまらず、川向こうは江東・墨田区、
城西は中野・杉並区、城南の品川・大田区あたりは
路地裏に至るまで相当に歩き回った。
地下鉄や私鉄の駅周辺をほっつき歩くのが主たる目的だから
都内に知らない駅そば商店街などほとんどない。

先の土曜日、朝シャン(死語か?)しながら考えていた。
はて、今日はどこへ行ったものか。
ここで浮かんだのが東武東上線・東武練馬である。
あの町にはしばらく行ってないぞ。
沿線の中板橋・成増に棲んだことがあるので
知りつくしたものと思っていたが
ここだけスッポリ抜け落ちていた。

高校時代、東武練馬にはよく来た。
今もストックホルムで
現役のタクシードライバーをしているS水クンちに
たびたびシケ込んだものだった。
火曜日午後の柔道の時間がイヤでイヤで
昼めしを食い終わったら、仲間数人とフケるのであった。
自分でする格闘技は嫌いだ。

その日、下車したのは有楽町線・氷川台駅。
行きがけの駄賃のつもりである。
まだ駅はなかった昔、ここにもよく来た。
やはり高校時代のことで、麻雀の師匠の家があったのだ。
この師匠、実は中学のときの警備員のオジさん。
どんな経緯で仲良くなったのか
今となってはまったく思い出せず、何やら不思議。

氷川台から進路を北にとり、
駅からちょいと離れた古い商店街へ。
有楽町線が通る前はささやかな盛り場だったのだろう。
寂れてはいても地域に密着している様子、地元客がちらほら。

お次は建物の前を何度も通ったネリカンこと東京少年鑑別所だ。
隣接して、ねりま青少年心理相談室というのがあった。
ヒマと好奇心に任せてのぞいてみる。
ほう、わが子に対して親が抱える問題は
非行・不登校・子育ての悩み、この3点につきるのだな。
子のないわが身を振り返り、なんだかホッとした。
さっ、次へ向かおう。

=つづく=

2011年6月8日水曜日

第70話 麦つるりと藤うどん 

日本古来の麺はそばとうどん。
そうめん・冷麦など太さによる仕分けがあっても元は小麦粉、
うどんの仲間にくくって問題はなかろう。

昭和30年代にインスタントラーメンが登場して以来、
ラーメンがぐんぐん勢力をのばして国民食の座に座り、
今やこの国は世界に冠たるラーメン大国になってしまった。
やれトンコツだ、やれ魚系だと、やたらに脂っこいのや、
サカナ臭いのが大手を振って、挙句の果てはつけ麺などと、
量ばっかりで愚にもつかないものが大人気の今日この頃、
そばとうどんの素朴な美味しさは
おのれが日本人であることを思い出させてくれる。

日本列島のおおまかな勢力分布図は
東がそば、西がうどんと二分されよう。
もちろん関東にうどん好きがいるごとく、
上方にもそば好きがいることではあろう。
でただ、日本全国津々浦々、アンケートをとってみたらば、
そば派・うどん派はほぼ真っ二つに分かれるのではないか。

かく言うJ.C.は断然、そば派である。
殊に外食の場合は9割方そば屋で
うどん屋にはめったに入らない。
理由は飯よりも酒に軸足を置いているためで
そば屋なら飲めるが、うどん屋ではちと難しい。
酒とは無縁の子どもの頃はそばよりうどんが好きだった。

ところが自宅で食べるとなると、うどんがそばを駆逐する。
乾麺や半生麺の場合、うどんに優れモノが多い。
現在、わが家の食品棚には2種類の半生うどんがある。

ともにいただき物で持つべきは友なり

宮城県・登米市から遠来の”麦つるり”はR子サン、
埼玉県・春日部市より到来した”藤うどん”はHしクンから
それぞれありがたく拝受した。

これが揃いも揃って秀にして逸なのだ。
いくらもらい物でも不味けりゃブログに書かない。
平打ちの麦つるりは幅が不揃いで手造り感にあふれている。
もり・かけを選ぶことなく、独特のコシを楽しめる。
そして長所はパスタの代用品としてもイケるところ。
リボン状パスタのパッパルデッレに似ており、
バジルを利かせたトマトソースなんかピッタリ。
ボロネーゼ、いわゆるミートソースもバッチリだった。
登米市といえば、此度の震災では激震に見舞われた土地。
麦つるりは震災後、復旧のさなかに生まれた新商品である。

一方の藤うどんはほのかな藤色が印象的。
アヤムラサキ芋の色素を
埼玉産小麦・あやひかりの生地に練り込んでいる。
ほのかだった色が茹でると鮮やかな紫に変色する。
冷たいざるがオススメなれど、これまたパスタ使いOK。
ボロネーゼもいいがカルボナーラが上をゆき、
ベストはニンニクを利かせたペペロンチーノ。
この際は黄色いパプリカの千切りを加える。
茄子紺に辛子色の例えがあるごとく、
紫の地に黄色が映えて食卓の美、ここにきわまれり。

「マルニ食品株式会社」
 宮城県登米市南片町鴻ノ木123-1
 0120-58-2201

「春日部麺業組合KM」
 埼玉県春日部市藤塚2371-32
 048-736-1296

2011年6月7日火曜日

第69話 観音裏に鐘が鳴る (その2)

フレンチ好きの大食漢、
友里亀とその友人のS藤サンとともに
観音裏の「オマージュ」に来ている。
乾杯を済ませ、メニューとにらめっこの真っ最中。
おっとその前にワイン選びである。
1本目は造り手を失念したが
シャサーニュ・モンラッシェ’00年。
そしてニュイ・サン・ジョルジュの1級畑・シェニョ’98年。
これはジェラール・ムニェレの手になるものだ。

結果を先に述べれば、
ともにブルゴーニュ産ピノ・ノワールの特性がクッキリ。
鼻腔に抜けるブーケかぐわしく、舌ざわりなめらかにして
のど越しも爽快、値付けが1万円と1万4千円では
ほほが緩むのも当然であろう。

2本とも赤にしたのはハートランド小瓶のあと、
彼らはシャルドネのグラスワインを
J.C.は小瓶のお替わりをしたからだ。

われわれ3人が選んだ料理はかくの如し。
 前菜
  S藤・・・トルコ産モリーユ(編笠茸)のフリカッセ
   友里・・・鴨フォワグラのショー・フロワ
  J.C.・・・ドンブ産グルヌイユ(カエル)のペルシャード
 主菜
  S藤・・・サウスダウン種仔羊のロティ
   友里・・・ドンブ産ウズラのパエリャ仕立て
  J.C.・・・      〃

すかさず登場したアミューズは
仏産プティ・ポワ(えんどう豆)のヴルーテ。
ヴルーテはビロードのことで濃厚なスープとでも申しましょうか。
モロッコ王室御用達のアルガンオイルがあしらわれている。

そしてもう一つ、和歌山産月日貝という珍しい貝。
タルタル仕立てを3人で少しずつシェアした。
見た目は帆立によく似た貝の食感は
帆立と平貝の中間といった感じ。
メキシコ風のワカモーレ(アヴォカドサラダ)が添えられる。
料理をおすそ分けし合ったが前菜に特筆モノはない。
もちろん浅草随一のフレンチのこと、水準はきわめて高い。

そのあとの主菜が見事であった。
ウズラのパエリャはスペイン人もビックリのデキ。
仔羊はその上をいったのだからたまらない。
サウスダウン種は脚の短い、
言わばダックスフンドみたいな羊で北海道は足寄の産。

プティ・フールだけにデセールをとどめ、
彼らはカフェ、当方は振り出しに戻り、ハートランドを三たび。
期待に背くことなく「オマージュ」は移転後も健在であった。
「素人のど自慢」よろしく頭の中では
 ♪ カンカンカンカンカーン ♪
合格の鐘が打ち鳴らされたのでありました。

「オマージュ」
 東京都台東区浅草4-10-5
 03-3874-1552

2011年6月6日月曜日

第68話 観音裏に鐘が鳴る (その1)

浅草寺の裏手、言問通りを渡るとそこは観音裏。
浅草の花街といえばここである。
すでに多くの料亭が店をたたんでしまい、
往時の華やぎを偲ぶよすがとてないが、
芸者衆を差配する見番は今もなお健在。
つい2~3年前までは夜な夜な出掛けたものだ。
それがこのところ、生活パターンと出没エリアが変わってしまい、
トンとご無沙汰気味で不義理している店も少なくない。

一夜、マニラ在住の飲み友だちで
帰国中の半チャンと久々に浅草へ。
彼のめし友だち、Sのぶチャンも一緒である。
雷門に近い「志ぶや」の小上がりでくつろいだあと、
彼らの願いで以前よく通ったスナック「N」に流れた。
観音裏で飲むと、妙に落ち着くから不思議だ。
相性と言おうか、身体がなじむとはこういうことだろう。

ハナシは変わり、ついでに相手も変わる。
咬みつき亀の友里征耶からまたもやディナーの誘い。
平穏な日々を毎度かき乱すのがこの薄髪の吸血鬼である。
最近、どことなく元気がないのは心に屈託を抱えているか、
身の上に何か不幸な出来事でも起こったに相違ない。
弱ってるヤツをムゲに扱うとあとの祟りが怖いから
しぶしぶつき合ってやることにした。

何でもJ.C.と食事をともにしたいという、
奇特な女友だちがいるそうだ。
一応、それが声掛けの言い訳だった。
「下町だったらいいけど・・・」―条件を付けたら
観音裏のフレンチ、「オマージュ」を予約してきた。

「オマージュ」かァ、しばらく行ってないなァ。
ここの料理は好きだし、浅草にこれ以上の仏料理店はない。
イタリアンの「カリッスィマ」と並び、浅草の横めしの双璧である。
ここ数年、精彩を欠いているロシアンの「マノス」を加えて
以前は横めし御三家を形成していたものだ。

見番に近い場所に移転してからは初訪問。
二人の到着を待つ間、
ワインリストに目を通しながら冷たいビールをクククイッと。
銘柄はキリンのハートランドのみ。
移転前は生だったが現在は小瓶になった。
バー周りが手狭になった様子だ。

亀のツレの女性は笑顔の可愛いS藤サン。
奴サンにしては上出来のパートナーでご同慶の至り。
フム、亀もなかなかやるじゃないの。
淑女はグラスのシャンパーニュ、野郎どもはビールで乾杯。
彼ら二人は数週間前にも来店しており
その夜はコースだったので此度はアラカルトを希望。
むろん当方とてアラカルトに異存はない。
メニューの幅はさほど広くないものの、
惹かれる料理が勢揃いして、思わず舌なめずりである。

=つづく=

2011年6月3日金曜日

第67話 俺らこんな鴨せいろ好きだ!

昨日は悪魔に魅入られたが如く、
天丼でヒドい目にあったハナシ。
それも海老より好きな小魚の天丼で。
しかも東京でもっとも好きな街、浅草の新仲見世で。
まっ、たまにゃこんな放銃(フリコミ)もあろう。

ところで、昨日のブログを読んだ友人たちから
いつの間に韓国へ行ってたんだ? との質問が相次いだ。
言われてみれば、どこへ行ったかは書いたが
いつ行ったかにはふれていない。
実は20年も前のことでやんした。
なにぶん古いことで恐縮である。
以来、半島を訪れたことはない。
近くて遠い国、自分にとって韓国はそんな国である。

さて、今日は天丼の仇を鴨せいろで取ったハナシ。
ところは根津の「手打ちそば 三里」。
言わば、浅草の仇を根津で取ったわけだ。
店先のボードに”鴨せいろがおいしい!手打ちそば三里”の文字。
自ら名代を高らかに謳うからにはよほどの自信作なのだろう。

品書きをご披露しよう。
 せいろ―780円  おかわり―580円 
 おろしそば、ごまだれせいろ、かけ、玉子とじ―各980円
 鴨せいろ、鴨南ばん―各1580円

ほほう、さすがにイチ推しだけあってなかなかの値段である。
安い店ならうな重が食べられるではないか。

ついでにつまみも。
 焼き海苔、そば味噌、莫久来―各480円
 板わさ―580円 そば屋仕立ての和風チヂミ―780円
 合鴨の陶板焼き―1380円

とまあ、そば屋の定番は一通り揃っている。
和風チヂミというのは桜海老・分葱・そば粉のアンサンブル。

日本酒は大雪渓、四季桜など、品揃え豊富だ。
しかるにビールは生も瓶もエビス一辺倒。
そば屋や鮨屋、殊にそば屋にありがちな大いなる勘違い。
日本そばにエビスはまったく合わない。
したがってこの店を夜訪れることは絶対にない。
ジャズのBGMも鼻につくしネ。

気を取り直してこれからたぐるそばの品定め。
せいろも試したいが、この日は鴨に狙いを定めて来た。
「室町砂場」や「並木藪」程度の少量であれば
両方いけるが初訪問につき、ボリュームの判断がつかない。
取り合えず、鴨せいろだけお願いした。

20分は待ったろうか、腹ペコ時ならイラツく長さだ。
そばは少なめだが鴨づゆはタップリ。
このとき、せいろを追加する気になったが思いとどまる。
そばは舌ざわり、歯ごたえ、のど越しともによい。
上をいったのはつゆである。
胸肉とつくね団子入りで、殊につくねがすばらしい。
軟骨のコリッとした歯ざわりは特筆、都内随一と言ってよい。
安易に絶妙などと表現したくはないけれど、
まさしく絶にして妙だったんだから仕方がない。
俺らこんな鴨せいろ好きだ!

「手打ちそば 三里」
 東京都文京区根津2-33-9
 03-5814-1810

2011年6月2日木曜日

第66話 俺らこんな天丼いやだ!

♪   ハア~ パーパット 2メートル 
    下りのラインだ パーパット
    打っただヨ 打っただヨ 青木みたいに 打っただヨ
    グリーンから外れたヨ そしたらバンカー入ったぜ
    詰まってる 詰まってる うしろが5組も詰まってる
    俺らこんなゴルフいやだ 俺らこんなゴルフいやだ
    パットがいやだ ゴルフやめたら 
    居酒屋行って 一人でパーッとやるだァ ♪
                  (作詞:吉幾三)


「俺ら東京さ行ぐだ」のアレンジ版、
「これが本当のゴルフだ!!」を初めて聴いたのは
成田からソウルに向かう機内だった。
いや、笑いましたネ、思わず吹き出しちゃった。

ソウルでは河豚料理屋がズラリと並ぶ町に出掛け、
チゲ鍋仕立ての河豚を食べて
ホテルに戻ったところまではよかったが
その夜から原因不明の体調不良に見舞われる。
発熱や下痢の症状はまったくないものの、
胃がムカムカしたかと思うと、シクシク痛んだりもして
とにかく不快感は大変なものだった。

丸24時間、食事はのどを通らず、
飲みものだけでしのいだが
さすがにこのときばかりは
好きなビールを飲み気にもならなかったから
間違いなくビューキである。

ほどなく体調が戻り、
釜山に移動してから食べた穴子の刺身や参鶏湯には
その反動もあって舌が鼓を連発しましたがネ。

ところ変わって東京は浅草。
仲見世と新仲見世が交差する角に
「竹庵」という名の天丼とうどんを商う店がある。
いかにも観光客狙いといった風が気に染まず、
ずっと未踏のままであった。

しかし、人生、魔がさすことは多々あるものですな。
昼めしを食いっぱぐれて空腹を抱えた昼下がり、
「竹庵」の店先に魚々天丼の文字を発見してしまう。
魚々と書いてトトと読む。
天ぷらならば、海老よりもトトが好きなこの身、
結果としてそれが運の尽きと相成ることに。

トトはメゴチ・白魚・キス・ハゼ

あとはシシトウとありがた迷惑なエノキダケも混入している。

メゴチを一口やって言葉を失った。
今まで経験したことのない食感だ。
浅草ではふっくら、もったりした天ぷらが少なくないので
ハナからサクサク感など期待していない。
でもネ、上手く噛み切れないし、
ダマになったコロモ、いわゆる揚げ玉が多過ぎるしで
食べてるうちに情けなくなってくる始末。
オマケに三つ葉の吸い物は化学調味料まみれときた。

店内の客はうどんをすする婆さんただ一人である。
あとから調べてみたら、「饂飩亭 竹庵」が正式名。
そうか、ここはうどんのほうがマシなのか。
とにもかくにも、何がどうあれ、
俺はこんな天丼いやだ!!

「饂飩亭 竹庵」
 東京都台東区浅草1-19-5 
 03-3841-8781

2011年6月1日水曜日

第65話 「ゆうひ」の鮨に 友と行く (その2)

地番は田端だが最寄りは駒込の「ゆうひ鮨」。
サッポロの生から瓶に切り替えたところで
にぎりの第一弾が目の前に置かれた。
おやっ? ずいぶん小ぶりになったもんだ、これが第一感。

すし種は小肌であった。
新子より成長していてもこれまた小ぶり。
1尾を半身2枚付けにしてにぎられている。
サイズも意外ながら、もっと驚いたのは酢めしのほうだ。
かなり色黒に日焼けしているではないか。
海辺に小麦色の肌をさらす、
ビキニスタイルのお嬢さんならまだしも
浅黒い酢めしってのはあまり気持ちのよいものではない。
一見して酒粕が原料の赤酢だと知れるが
それにしても・・・なのである。

酸味にコク味が重なり、舌は喜んでいる。
とは言っても見た目は人間だけでなく、鮨にもまた大切。
親方自身もそこを気にして
以前のミツカン酢に戻そうかと思案中らしい。
味はいいんだけどねェ・・・。

お次はキスが来た。
皮目を除き、軽く〆ておぼろをカマせてある。
これがスマッシュ・ヒット。
この店は、というより、この親方は繊細な江戸前シゴトが得意だ。
キスを扱う鮨屋はほぼ間違いなく当たり。
下町の優良店でキスを見つけたら指パッチン必至となる。
ところが銀座や麻布の高級店となると、
一人アタマ24000円は軽く取られてしまう。
これを24000のキスという。
何のこっちゃい? ってか?
オールドファンなら覚えておられよう。
アドリアーノ・チェレンターノのカンツォーネを
藤木孝がカバーした「24000のキッス」。
ハイ、すんません、お粗末さま。

真鯛昆布〆のにぎりのあとは漬け生姜で口中のリフレッシュ。
こちらは普通の米酢で漬けてあるから色白だ。
この頃には宮崎の芋焼酎、大地の夢のロックに移行している。

つまみに戻り、まずはタコと肝付き蒸しあわび。
甲乙つけがたいが、あえてタコに軍配。
よくもこうまで柔らかく仕上げるものだ。
それでいて歯応えの最後の一線はキッチリ残している。
粗塩とスダチがピタリと寄り添った。
ニンニクがないのは残念ながら上りかつおもなかなか。
大ぶりの穴子は塩焼きにしてカボスを搾る。

再びにぎりへ。
赤身づけ・大とろ、そして甘めの玉子でおまかせはお終い。
小肌をアンコールしたら、締めはかんぴょう巻だ。
傍らの友も大満足の様子。
むろんこちらに異論のあるはずもない。
かくして「ゆうひ鮨」の夜は更けていったのでした。

「ゆうひ鮨」
 東京都北区田端3-6-9
 03-3827-0478