2011年8月31日水曜日

第130話 初めて食べた もつ釜めし

昨日、書き忘れたことがあった。
「キッチン南海本店」のボリュームばかりを強調したが
肝心の味はけっして悪いものではなかった。
生姜焼きもイカフライも水準に達している。
ただし、付合わせの面妖なスパゲッティは
手をつけなかったので保証の限りではない。

本日は江戸川乱歩の推理小説、
「D坂の殺人事件」の舞台となった千駄木・団子坂に出没する。
千駄木といえば、オバタリアン(死語か?)の散歩の聖地、
かの有名な谷根千の一翼を担う土地柄である。

不忍通り沿いの東京メトロ千代田線・千駄木駅が町の中心。
この地は隣り町の根津同様に谷間になっている。
その谷底から東西に登り坂が伸びており、
西側が団子坂、東側は三崎(さんさき)坂。
三崎坂には「乱歩」の名を冠した風変わりな喫茶店がある。

江戸川乱歩はプロの作家になる前、
実の兄弟3人で「三人書房」なる古本屋を経営していた。
一時は支那そば屋も営んだというから本人自身、
怪人二十面相とまではいかなくとも
様々な面相を持っていたことになる。

団子坂のふもとに「一富士」という新店を見つけたのは
大型連休の最中だったと思う、いや、直後かな。
とにかく店頭に提示されたランチメニューに惹かれた。
もつ釜めしと牛テールカレーがユニーク極まりない。
殊にもつ釜めしは前代未聞だ。

後日、持ち駒の中では数少ないアカデミックな友人、
仮にXクンとしておこうか、科学者の卵なのだが、
昼めしを奢ってやるから出て来いと呼び出した。
科学者や研究者は朝から晩まで顕微鏡をのぞいていて
ロクなモン食っちゃいないだろうから
味オンチばかりだと思っていたら
どうしてどうして、なかなかに敏感な舌の持ち主である。
でもって、いただきやした。

牛テールより野菜の目立つカレー

様々な牛もつが混在している

カレーを一口やって「・・・・・。」
何だか旨みもコク味もどこかへ置き忘れてきちゃった感じ。
科学者Xクンもまったくの同意見。
カウンター8席ほどの小体な店で目の前には経営者の若夫婦。
大きな声は出せないから、ひたすら首を傾げるわれわれであった。

むしろこちらがメインのもつ釜めしのデキやいかに?
心配をよそにこちらは水準に達していて胸をなでおろす。
使用されているのはミノ、ハチノス、ギアラ、シマチョウの4種類だ。
まっ、珍しいといえば珍しいのだが牡蠣や松茸と比較して
もつ釜めしが一頭抜きん出ているということはない。

牛テールときゅうりを和えた小鉢、丁寧に作られた小サラダ、
臭みのないテールスープなど、脇役陣が光彩を放っている。
仕上げには杏仁豆腐と煎茶まで登場した。
夜は夜で牛もつ主体のコース料理がほどほどの予算で食べられる。
そこで夜の再訪は?
そう問われると、はなはだ躊躇せざるをえない自分がいるのです。

「一富士」
 東京都文京区千駄木3-34-10
 03-5832-9633

2011年8月30日火曜日

第129話 南海に沈没す!(その2)

決戦前には景気づけが肝要である。
笹川の繁蔵の用心棒、あの平手造酒だって
大利根川原に馳せ参じる前には
地獄参りの冷や酒を飲んでいるではないか。

 ♪  義理の  義理の夜風にさらされて 
  月よお前も泣きたかろ 
  こころみだれて 
  抜いたすすきを  奥歯で噛んだ 
  男  男泪の落とし刺し     ♪
              (作詞:猪又良)

今から167年の以前、天保15年8月の喧嘩(でいり)であった。
いや、失礼しました。
どうも自分の世界に入ってしまうと悪ノリしていけない。

麻雀を打つ前の景気づけに一杯飲ろうと、
これまで未踏だった「キッチン南海」、
それも神保町はすずらん通りの本店に来ている。
ところがギッチョン、店内にビールの”ビ”の字もなく、
あきらめてメシを食う覚悟を決めたところである。

おもむろにメニューの吟味に入った。
ふむ、ふむ、料理2品の盛合わせが主力商品であるな・・・。
それも豚肉の生姜焼きとほか1品の組合せが主流だな・・・。
このスタイルは浅草の洋食屋「ぱいち」に酷似しておるな・・・。

結局、豚生姜焼き+1品のメニューから
1品をイカフライにしてもらう。
その際に「ライスは半分で・・・」―
ひとこと付け加えるのを忘れない。
まあこれならボリューム的に大したことなかろう、
そう踏んだのだった。

手持ち無沙汰につき、
ほかの客の食いっぷりを眺めていて妙なことに気がついた。
スタッフを含め、店内にオンナは一人もいない。
そして客の中に小柄な人物、あるいは痩せっぽちは皆無。
みんながみんな揃いも揃ってカロリー過多気味の様子だ。

目の前に運ばれた注文品を見て納得がいった。
半分のハズのライスは他店の大盛り級。
すかさず半分のそのまた半分に減らしてもらう。
そして料理の皿もすさまじかった。
まず主役の豚生姜焼きがどっさり。
相棒のイカフライは大きめのヤツが2本。
ケチャップとマヨネーズで和えた(?)スパゲッティもタップリ。
そして千切りキャベツがこんもり盛られている。

客はみな常連で初訪問者なんていやしない。
こんなのしょっちゅう食ってたら、そりゃ太るわな。
かくして完食にほど遠く、不名誉の撃沈と相成った。
南シナ海ならぬ、南海で沈没の憂き目を見たわけだ。
夢破れて山河あり、障子破れてサンがあり。

そういやあ、東シナ海水深350mに眠っている、
戦艦大和の引上げ計画はいったいどうなったのかな?
こういうハナシはいつの間にか
ウヤムヤになってることが多いからネ。

「キッチン南海本店」
東京都千代田区神田神保町1-5
03-3292-0036

2011年8月29日月曜日

第128話 南海に沈没す!(その1)

御茶ノ水の雀荘で麻雀を打つ前に
必ず軽く晩酌することは先週すでに書いた。
実は今日もそのからみの失敗談である。

都内各地に何軒か点在する「キッチン南海」。
どれもが暖簾分けによる独立採算制であるらしい。
神保町・蔵前・両国店の前は何度も通り過ぎているが
今までずっと未踏のままだった。
理由は噂に聞いたそのボリュームのすさまじさ。
大食漢の若者でないと完食はまずムリだという。
大食に無縁の者が怖気づくのも当然であろう。

にもかかわらずある日、打牌の前にふと思った。
ライスを回避して料理をつまみにビールを飲むだけなら
大事に至ることはあるまいと・・・。
そのアイデアに勇気づけられ、
神保町の本店に出掛けて行ったのである。

時刻は17時ちょっと過ぎ、開戦には1時間ほどの余裕がある。
昼でも夜でも食事どきとなると、
店先に数名の行列を見ることしばしばだったが
幸いにも並んでいる客がいない。
この時間なら飲む客、食う客が半々だろうと勝手な推測をした。

ここで気になるのはビールの銘柄だ。
得意な2社のものならよいが、苦手の2社ならどうしよう・・・。
このことであった。
よって入店の直前に店内の盗み見を試みる。
このときの心境は小学唱歌「めだかの学校」さながら。

♪   そお~っと のぞいて見てごらん
   そお~っと のぞいて見てごらん
   みんなで おビール飲んでるよ ♪

ところがが見たところ、誰もビールなんざ飲んじゃいない。
っていうかァ、ビール瓶の姿がまったくない。
今度は店の入口周りに目を配る。
ビール瓶を収めるラックの有無を確かめるために―。
しかし、これまた見当たらなかった。
ことここに及び、心に暗雲が立ち込めた。
ひょっとすると、この店はビールを出さないのではないか。
疑念にとらわれてよくよく目をこらすと、
カウンターにはお冷やのピッチャーだけがズラリと並んでいた。

ダメだこりゃ!
いよいよ覚悟を決めるときがきた。
もう、なるようになれ、
メシだけ食ってビールは雀荘で飲めばそれでいいじゃんか!

観念してガラスのドアを引いた。
「いらっしゃあ~い!」の声を聞き、
カウンターの1席に身を沈めたら
おもむろに隣り近所と背後のテーブル席をチェックする。
案の定、だあれもビールなんぞ飲んじゃあいない。
あいや、ビールどころか、ジュースやサイダーの姿すらない。
揃いも揃ってお冷やのみ。
かくしてはかない望みは完全に断ち切られた。

=つづく=

2011年8月26日金曜日

第127話 喉が渇いちゃ 戦(いくさ)は出来ぬ (その2)

1970年代初めに何度か訪れた駿河台下の雀荘「竹馬」。
この春、40年ぶりに再訪したのをきっかけにまた通い始めた。
月に1度のペースで卓を囲むのだが
戦いの前に必ず軽く1杯引っ掛けてから戦場に赴く。
上野・神田・新橋のようなオヤジ街とは異なり、
この界隈での店の物色はなかなか難儀なものだ。

どこで飲んでいるかというと、コンスタントに使う手駒は2枚。
1枚目は印度&欧州カレーの「トプカ」である。
そばの有名店、「神田まつや」の並びにあり、
昼はカレー専門店ながら
夜はそば居酒屋ならぬ、カレー居酒屋に変身する。
酒を飲まずにカレーライスを食べに来る客も少なくない。

この店の使い勝手がとてもよく、
ビール・酎ハイ・ホッピー・日本酒と、品揃えも充実している。
ただし、生ビールは飲む気がしない。
小さめの中ジョッキは我慢できるけれど、
ジョッキそのものが腹立たしい。
何と、分厚い底のガラスの一部に琥珀色が施してありやがる。
要するにビールと同色にして客の目をごまかしているのだ。
此度、初めて気がついたが以前にこんなのあったかな?

とにかくこういうことをする店はイヤだがメーカーはもっとイヤ。
ジョッキはビールメーカーのロゴが入りサービス品だから
店よりもメーカーの罪が重い。
シェアが最下位だったサントリーに抜かれたからって
こんなマネはよくないヨ、サッポロさん。
即刻、無色透明のジョッキと交換すべし。
御社の旨い生ビールが泣きやすぜ。

したがって「トプカ」ではもっぱらサッポロ黒ラベルの中瓶。
さすがにビールだけというわけにもいかず、
合いの手にはまぐろの中落ちを頼むことたびたび。
本まぐろではなく、せいぜいバチだろうが
赤身・中とろ・カマとろの3点盛りで来ることが多い。
500円でオツリの来る値段につき、
量も控えめで”軽酌”にはもってこいだ。
生さわびと鮫皮のおろし板を持込みたいが
さすがに嫌味なので自重している。
ほかにはつまみ用カレールウがビールにピッタリだ。

もう1枚の駒は神保町交差点のすぐ近く、
ナポリタンで有名な喫茶店、
「さぼうる2」の向かいにある「中華食堂 一番館」。
安さがウリのチェーン店だ。
チェーン店ならいくらでもあるだろ、と言われても
牛丼の「吉野家」でビールだけってわけにはいくまい。

ここで飲むのもスーパードライのやはり中瓶。
生は第3のビール、クリアアサヒになるからだ。
中ジョッキと餃子のサービスセットは500円だが
それを無視して450円の中瓶と190円の餃子を注文する。
これだってずいぶん安いもの。

オマケに「一番館」のウエイトレスは
飲みものだけでもイヤな顔一つせず、いつもニコニコ。
町の中華屋にはいまだにつっけんどんな中国娘が多いなか、
娘と呼ぶには多少トウが立っているものの、
愛想のよいおネエさんはありがたい。
決戦前の晩酌でイヤな思いをすると、
肝心の勝敗に悪影響を及ぼしますからネ。

「トプカ」
 東京都千代田区神田須田町1-11
 03ー3255ー0707

「中華食堂 一番館 神保町店」
 東京都千代田区神田神保町1-9
 03-3296-1855

2011年8月25日木曜日

第126話 喉が渇いちゃ 戦(いくさ)は出来ぬ (その1)

平均すると、月に3~4回ほど麻雀卓を囲んでいる。
板橋の友人宅での月例会は自分で牌を積む手積み。
あとは御茶ノ水の雀荘「竹馬」で1~2回と
高田馬場の雀荘「ワセダ」で1~2ヶ月に1回の割合いである。

「竹馬」は学生時代の1972~3年頃、
バイト先の同僚たちと通った。
仲間に明大生がおり、彼のなじみの店だったように記憶する。
今年の春、40年ぶりにに訪れてからというもの、
定期的に顔を出すようになった。
当時はまだアンちゃんだった店番も今じゃすっかり老け込み、
昔の面影すら宿らぬオヤジに変貌した。
明治の学生はあまり麻雀を打たないのだろう、
店はいつもガラガラ状態、閑古鳥が鳴いている。

高田馬場のほうは雀代の安さが拍車を掛けたものか、
いつも満卓に近い盛況ぶりで熱気がムンムン。
おそらく客のほとんどは早大生であろう。
それにしてもヤツらは五月蝿いねェ。
マナーもクソもあったものではない。
ハネ満なんぞ上がろうものなら、天地雷鳴の大騒ぎである。
終始、黙りこくって打つのも不気味だけれど、
もうちょっと静かに打牌できないものかしら・・・。

で、御茶ノ水のケースだ。
雀荘「竹馬」は周恩来ゆかりの中華料理店、
「漢陽楼」の地下にあり、経営は一緒。
したがって食事は上から取ることができる。
ただし、餃子が1時間経っても出て来なかったりもする。
据え置きのビールが喉に合わないマイナー銘柄だったため、
好みのものを上から調達してもらうように変えた。

プレイ中はビールを飲み続けることになるが
一戦交える前に必ずどこかで軽い晩酌を楽しむのが常。
喉が渇いちゃ、戦は出来ぬ、なのである。
この際に適当な角打ちか立ち飲みでもあれば、
それがベストながら、御茶ノ水界隈、
いわゆる駿河台や神保町にそういうスポットがないのが困る。
つまみ抜きで1~2杯飲れる店が心底ほしいと思うのだ。

目を海外に転ずれば、ロンドンのパブ、ローマのバール、
はたまたニューヨークのバーのような存在が
この美食の街・東京ではなかなか見当たらない。
お隣りの神田はさすがにオヤジの聖地の面目躍如、
角打ちはともかくも立ち飲みにこと欠かないのは便利だ。
ところ変われば品変わるで
ここは依然として学業と出版の街なのである。

とは言うものの、蛇の道はヘビ。
おめおめと指をくわえてるJ.C.ではない。
ちゃあんとそれなりの手駒は揃えてある。
では、どんなところで飲んでいるのであろうか。

=つづく=

2011年8月24日水曜日

第125話 アベックアイスと氷すい

甘党に限らずとも
暑い日にはアイスクリームが食べたくなるが
ものすごく暑くなると不思議にあんまりほしくなくなる。
そこまでいくとアイスキャンデーの世界に入るのだそうだ。

カランカランと鐘を鳴らして売りに来るアイスキャンデー屋は
近頃めったに見掛けなくなった。
昨年だったか葛飾・柴又の江戸川の川原で、
先週はまた不忍池のほとりでそれぞれ出会ったが
いったいどんなオジさんがあの商売をしているのだろう。
祭りの屋台なんかを取り仕切るテキ屋がらみだろうか。
大正時代に日本へ入ってきたアイスキャンデーは
1905年、サンフランシスコの少年が偶然に発明したそうだ。

コンビニやスーパーで売っている、いわゆるアイスバーでは
真夏の太陽の下でしゃぶる、あの醍醐味は味わえない。
キャンデーなきあと、夏の氷果はいの一番にかき氷。
読者にはこっそりお教えしますが
東京の三大かき氷は以下の通りでござる。

 ①「初音茶屋」・・・浅草
 ②「にんきや」・・・浅草橋
 ③「ひみつ堂」・・・谷中

氷いちごや氷あずきが幅を利かせるかき氷に
氷すいというのがあるのをご存知だろうか?
正しくは氷水と書くが
これだと”こおりみず”と読まれてしまう。
赤や緑のいわゆる着色料を使用していない、
無色透明のガムシロップを仕込んだもので
氷砂糖水(さとうすい)を略して氷すいとした。

甘いものは好まず、デザートをほとんど取らないくせに
ときどき赴く甘味処が大正元年創業、根津の「芋甚」。

これが「芋甚」の氷すい(370円)

無色だからシロップを掛け忘れたかに見える。
これが意外とイケて昭和30年代には通が好むかき氷だった。
あるいは子どもにゃ判らぬ、大人の味のかき氷とか・・・。

「芋甚」の一番人気は店頭売りのアイス最中。
ヴァニラとあずきの2種類あって、あずきの人気が高いが
ヴァニラのほうを気に入っている。
脂肪分少な目の昔ながらのアイスクリン。
みんなが貧しかったあの頃のアイスクリームが好きだ。

近所に来ると、必ず1個110円のコイツを買い求め、
昭和の匂い立ち込める町を歩きながら舐めるのである。
だからこそ美味しさが倍増し、銀座だととてもこうはいかない。

店内ではヴァニラとあずきが仲良くワンスコップずつの
アベックアイス(260円)がいただける。

アイスクリーム専用スプーンで

イートインしてもたったの260円。
セレブな女性にゃ
フォションやハーゲンダッツがお似合いだけれど、
オジさんにはこっちのほうがずっとよいわいな。

「芋甚」
 東京都文京区根津2-30-4
 03-3821-5530

2011年8月23日火曜日

第124話 嘆きのホテルめし

1ヵ月半ほど前のこと。
机の引き出しから1枚のクーポン券が出てきた。
JALマイレッジバンクのクーポンは5千円の金券だった。
旅行でJALの直営ホテルに宿泊する際、
いくばくかをクーポンに換えており、使い残しが1枚あったらしい。
期限を見ると2011年7月いっぱいと、先があまりない。
舟木一夫のデビュー曲、「高校三年生」の文句じゃないが
♪  残り少ない 日数を胸に 
   夢がはばたく 遠い空 ♪ 
なのである。

5千円で宿泊はムリ。
せいぜいランチかバーでの使用とならざるをえない。
このためにわざわざお台場の「ホテル日航東京」へ出向くのは
本末転倒もいいところ、何をやっているのか判らない。
かといって芝浦や四谷の「JALシティ」じゃ失敗が見えている。

結局、消去法で出掛けて行ったのは「銀座日航ホテル」。
5、6年前、仕事の絡みで毎日銀座に足を運んだ頃は
メインダイニングの「メゾン・スレーヌ」を何度か利用した。
打合せの相手が呑み助ならば、
バー「BRICK」のカウンターや
ビヤホール「銀座ライオン」のテーブルに落ち着くが
相手が下戸の場合はここへ逃げ込んだのだ。
ただ、めしを食った覚えはほとんどない。
一度だけ牛フィレのステーキを付き合ったくらいかな。

知人と銀座でランチの機会に恵まれ、
というより、半ば強引に約束を取り付けて
赴いたのは7月下旬の日曜日は正午過ぎのこと。
日曜の西銀座、殊にホテルのあるクラブ街は人影まばらにして
裏路地に入ったら猫のほうが多いくらいだ。
平日でさえランチ営業を控える店が目立つエリアで
週末の、しかも日曜に開けているのは皆無に近い。

80席から100席ほどはあろうか、
店内はひっそりと静まり返っている。
それもそうだよ、ほかに客はゼロで接客係が1人だけだもの。
何かイヤな予感、あいや、予感どころかイヤな実感。

注文したのは珍しくも蟹ピラフ。
相方は海の幸のスパゲッティだ。

蟹缶中、最安の紅ズワイほぐし身入り

冷凍海老中、最安の東南アジア産超小海老入り

写真じゃよく判別がつかないが、
あまりの食材の貧しさに思わず天を仰いだ、もとい、天井を仰いだ。
いくら再建中とはいえ、一時は世界に進出したホテルグループでっせ。
しかもここはかりそめにも花の銀座の8丁目でっせ。
落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、もとい、JALはJALじゃ、
散り際だけは自覚しておいてほしい。
往時のナショナルフラッグキャリアが生き恥をさらしちゃアカンやろ。
飛びながら食べさせるほうはともかく、
泊めて食べさせるほうは1日も早く全面撤退すべきであろう。

「メゾン・スレーヌ」
東京都中央区銀座8-4-21 銀座日航ホテル中2階
   03-3571-4911

2011年8月22日月曜日

第123話 麦が葡萄を駆逐する

この夏に飲んでる酒はほとんどビール。
冷酒や焼酎のロックを飲んだ夜は数えるほどで
ホッピーや酎ハイはもっと少ないハズ。
ワインもたしなんでいるが、例年に比べれば激減だろう。

若い頃はかなりのビール好きだった。
金融界に足を踏み入れた30代からは
客との接待ディナーが急増して
ずっとビールで通すわけにはいかなくなった。
それからの四半世紀は週に2晩ほどしか
自由な晩めしは食えなかったような気がする。

つい先日、ニューヨーク時代の旧友と16年ぶりに再会した。
当時、ソイツとはどんなところに出没したのか
検証のため、1995年の食日記を引っ張り出し、
ついでにその夏、何を飲み食いしていたのか調べてみた。

今日は8月22日。
16年前のその夜から3晩のディナーシーンを詳らかにする。
退屈でしょうが、しばしおつき合いくだされ。

’95.8.22 Tue
 @「すし清」
 スーパードライ小瓶1.5本
 高天(諏訪産)冷や2杯
 たらば蟹、煮はまぐり、焼き椎茸、
 鯵&鰯のつみれのしそ巻き、まぐろつけ焼き
 にぎり・・平目・真鯛・青柳・小肌・牡丹海老・うずら玉子

うずらの玉子って何だ?
理解に苦しむが生の玉子の軍艦でも食ったのだろうか?

’95.8.23 Wed
 @「Caffe Bondi」
 モレッティ小瓶1.5本
 Duca Enrico(シチリア産) ’87年1/2本
 鰯煮込みのペルチアテーリ(穴開きロングパスタ)トマトソース
 鰯素焼きのブカティーニ(上記のパスタと同じ)ハーブソース
 エスカルゴのトマト煮
 サラセン帝国風ズッパ・ディ・ペッシェ(魚介類の煮込み)
 うさぎの煮込み・いんげん&じゃが芋添え
 仔牛のインヴォルティーニ(薄切り肉の詰め物巻き)
 木苺のパンナコッタ
 モスカート(イタリア産デザートワイン)1杯
友人と3人でシェアしながらわいわいがやがや。

’95.8.24 Thu
 @「Il Toscanaccio」
 モレッティ小瓶1本
 Chianti Crasicco Viticcio ’90 1/4本
 Brunello Di Montalcino Piave Gaja ’88 1/4本
 前菜盛合わせ
 フィレンツェ風骨付き仔牛の網焼き
 モスカート1杯

今となってはその名前の消えた某都市銀行の接待だった。
 
ざっとまあ、こんな感じでビールはほどほど。
自分で言うのもなんだが、実にスマートな飲み方である。
ただし、3晩とも二次会があり、
ラウンジやクラブでヘネシーVSOPの水割りを数杯飲んでいる。

何のことはない、接待から解放されて
自分の好きなものを自腹で飲むようになっただけのハナシ。
まっ、大麦由来のビールが
葡萄由来のワインやブランデーを駆逐しつつあるわけだ。
ただし、ホステスの侍るテーブルで
ブランデーはタイヘン貴重な役割を担うこととなる。
押しなべて彼女たちはウイスキーよりブランデーがお好き。
五月蝿い黒服にいろいろ指図されはしても
ブランデーのあるテーブルにはついつい長居しがちになる。
これは銀座のクラブとて大同小異。
ホステスさんの滞留時間は
その夜の接待の成否に重要な鍵を握っているのです。

2011年8月19日金曜日

第122話 天然氷のかき氷

谷中の夕焼けだんだんはその名の通りに夕陽の名所。
石段に固有の名前が付いているのは都内でも珍しい。
J.C.の知る限りでは
五反田の「助川ダンス教室」の脇にある裕次郎階段くらいだ。
もっともこちらは文筆家の冨田均氏が名付け親、
彼の著書「東京映画名所図鑑」を読んでいない人は初耳だろう。
映画「嵐を呼ぶ男」ではホンの数段の階段上に
裕次郎と母と弟の一家が住む安アパートがあった。

夕焼けだんだんの最寄り駅は
JRもしくは京成線の日暮里と
東京メトロ・千駄木がほぼ同じ距離だ。
日暮里から行くと階段の上、千駄木からだと下に出る。
どちらがよいかは当然のことに日暮里。
夕陽に向かって歩いてゆくのと
夕陽に背を向け、階段を昇りきって振り返るのとでは
気分の爽快さにいささかの差が出ようというものだ。

階段を降りきり、一つ目の角を左折してほどなく
「ひみつ堂」なる甘味処がある。
いや、甘味処と呼ぶのは当たっていない。
何となれば、あんみつもアイスクリームも和菓子類も
まったく扱っていないからだ。

ここは都内でも唯一の(知る限りでは)かき氷専門店。
「ひみつ堂」の”ひみつ”は”秘密”ではなく”氷蜜”、
なかなかにしゃれのめした店名ではある。
何でも栃木県・日光の天然氷を使用しているらしい。
シベリアやアラスカでもあるまいし、
そんなところにあるのかな、天然氷?

8月に入ってから気温はうなぎ上り。
夏休みということもあってか
通るたびに長い行列を見るようになった。
商売繁盛はご同慶のいたりだが
気になるのは夏はともかく、冬はどうすんの?
このことである。

子どもの頃、どこの町内にも1軒はあった氷屋は
常に炭屋を兼業していて
冬場になると木炭・練炭・豆炭・炭団(たどん)が
主力商品となったものだった。
言わば氷と炭の二毛作。
もっともこういった氷屋がかき氷を出すことはないがネ。

谷根千在住の友人と
昼過ぎの一番暑い時間帯に訪問。
”氷蜜”を高らかに謳い上げるだけあって
氷にかけるシロップも本物を使う。
オーソドックスに氷いちごで攻めてみた。

苺特有のツブツブがご覧いただけようか?

う~ん、やっぱり真っ赤な色付きシロップとは別物ですな。

相方はゴージャスに宇治金時。

抹茶のシロップがこれでもかと

注文の際、店主にかなり苦いヨと注意を促された通り、
相当に苦みばしった本格派であった。
こりゃ子どもにはちょいとムリかも・・・。

店主夫婦と小学生の息子、
家族3人のほのぼの経営である。
「アリとキリギリス」のキリギリスではないが
冬を迎えて一家が路頭に迷わぬよう、
心から祈るばかりである。

「ひみつ堂」
 東京都台東区谷中3-11-18
 03-3824-4132

2011年8月18日木曜日

第121話 遠くで鮨を食べながら

町の雰囲気が好きだから
中央線沿線ではもっとも出没率の高い西荻窪。
ここに沿線で一、二を争う鮨店「鮨たなか」がある。
南口から歩いて5分余り、五日市街道にぶつかる手前に
コンクリートが即物的な鮨屋らしからぬ佇まいを見せている。

明日は七夕という夜に出掛けた。
実に9年ぶりのことで
2002年9月の食日記によれば、評価はきわめて高い。
ただし難点が一つあり、ビールの銘柄がエビスなのだ。
鮨にエビスはまったく合わない。
合わないどころか、邪魔をすることはなはだしい。
これではどこかに立ち寄り、
気に入りの銘柄を引っ掛けて来なければならない。
それには西荻駅前の居酒屋「戎(えびす)」が最適で
文字通り、エビスの欠点を戎で補うわけである。

当日は港区・愛宕で所用を済ませたあと、
学友のK石クンと新橋駅前で軽く一杯。
このとき行き当たりばったりで入った立ち飲み屋が
驚くなかれ、「ゑびす屋烏森本館」ときた。
〔エビス → 戎 → ゑびす〕、とても単なる偶然とは思えない。

鮨屋が控えているのでつまみはパスし、キリンの生を2杯飲る。
ここでもう一度驚いたのは生ビールの値段で
やや小さめながら中ジョッキが1杯290円。
時間が早くハッピーアワーが適用されているのだろう。

友は御徒町の角打ち、こちらは西荻の鮨屋と袂を分かち、
電車に揺られること、およそ30分。
駅前でこれも学友のC子サンと待合わせて店に向かう。
入口に近いつけ台の角に落ち着く。
親方の面貌にほのかな見覚えがある。
芋焼酎・海のロックで、いただいたものはかくの如し。

 つまみ・・・絹かつぎ・蝦蛄・真子かれい・いさき・柳かれい・
       小肌・玉子
 にぎり・・・こち・真子かれい・車海老・あじ・赤身・穴子2カン

穴子は煮きりと煮つめで1カンずつ。
あとは赤身のづけを食べたような、食べなかったような・・・。
焼酎を飲みすぎたため、記憶がおぼろ。

サカナの取り揃えが限定的で、かれいの重複も気になる。
この時期、若鮎の塩焼きなんぞも食べたかったが
さりとて評価の見直しにはつながらない。
界隈で突出した人気を誇るのもうなづける。

明日の七夕は織姫と年に一度限りのデート。
てなことがあるハズもなく、夕方から御茶ノ水で麻雀だ。
思えばしばらく役満をあがってないなァ。
遠くで鮨を食べながら、ボンヤリそう思っておりました。

「鮨たなか」
 東京都並区西荻南2-6-3
 03-3335-3777

2011年8月17日水曜日

第120話 昔の名前で食べてます (その2)

昔よく通った「直久本店」の味を求めて
「直久 新橋店」にやって来た。
生ビールに付いてきた餃子を食べてビックリ。
期待のかけらもなかったのにこれが旨いのなんのっ!
近年まれにみる傑作であった。

ふ~ん、こんなこともあるのだねェ。
餡における肉と野菜のバランスよく、
包んだ皮のモチモチ感が何ともいえない。
一人3ヶじゃもの足りなくて追加を焼いてもらった。

中ジョッキをガンガン飲ったのでそのアテに
ねぎチャーシュー・にら玉・きゅうり漬けを選んだものの、
この連中には感心しなかった。
もともと本店にこんなものはなかったし・・・。
新橋という土地柄から
一杯やるオッサンを呼び込むために用意したのだろう。
周囲を見渡すとなるほど独り飲みの客がいっぱい。

目当てのラーメンは手打ちの太麺でお願いする。
何となれば、こちらが本来の姿で
細麺はこれまた昔の本店にはなかった。
「直久」本来のオードソックスな醤油ラーメンに
ゴキゲンの夜である。

新橋から有楽町へ歩いたのは
ガード下の「八起」で飲み直す腹積もり。
店に抜けるトンネルをくぐる直前、
ふと「いわさき」の様子を探りたくなった。
1年ほど前、電話したときに店主から
「もう夜はやってないんですヨ」と言われたが
佇まいだけでも拝んでおけば気が済む。

すると、ひょっこり暖簾が出ているではないか。
うっすら灯りも点っているではないか。
おそるおそる引き戸を引いて入店。
「まだいいですか?」
「ええ、いいですよ」
思いも掛けない幸運とはこういうことをいう。

ビールを1本頼んでおいて名物の”わかれ”。
あとは鯖塩焼きが売切れなので秋刀魚の開きをお願い。
最近は”わかれ”よりもカツ丼の注文が多い。
というより、”わかれ”の存在を知る客が激減したのだ。
そんな事情もあり、女将さんは
”わかれ”を所望する声が上がるたびに目をキラリと光らせる。
一方のオヤジさんも注文を聞くと、
カウンター越しにチラリと客の顔を確かめる。
嘘だと思ったら読者も一度食べに行ってごらんなさい。
”わかれ”の一言で愛想がグッとよくなるから。

まっ、わかれ話はこのくらいにしましょ。
サラリーマンに成り立ての頃の味が忘れられなくて
故きを温ね続けているJ.C.である。
そうなんですヨ、この歳になってなお、
昔の名前で食べてます。

「直久」
 東京都港区新橋2 ウィング新橋B1
 03-3574-7279

「いわさき」
 東京都千代田区有楽町1-6-9
 03-3591-4740

2011年8月16日火曜日

第119話 昔の名前で食べてます (その1)

 ♪  京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
   神戸じゃ渚と 名乗ったの
   横浜(ハマ)の酒場に 戻ったその日から
   あなたがさがして くれるの待つわ
   昔の名前で 出ています    ♪
             (作詞:星野哲郎)

小林旭の「昔の名前で出ています」は1976年のヒット曲。
その頃は有楽町にあったデューティーフリーショップで働いていた。
いわゆる免税店に’75年夏から’77年秋までいた。

当時、昼めしによく利用して今も健在なのは
いの一番に食堂「いわさき」。
名物の”わかれ”はかつ丼のアタマとメシがセパレートで運ばれる。
この下世話な味が実に旨い。
何十年も変わらぬ割下を使っているおかげだ。

あとは中華の「慶楽」とホロホロ鳥の「大雅」が
無事に生きながらえている。
あまたの店が姿を消した今、
老舗が健やかなのは頼もしい限り。

上記3店はすべて有楽町のガード下かガード沿いにある。
なじみの飲み屋で残っているのも
同じガード下の「八起」と「登運とん」。
早いハナシがこの一帯は昔とあまり変わってないのだ。
逆に近所の映画街は様変わりもいいところ。
「有楽座」、「日比谷映画」、「みゆき座」、みな消滅した。
「スカラ座」だけが辛うじて残るが、もう映画街とは呼べない。

銀座は数寄屋橋交差点の一角、
ソニービルの向かいに建替えの決まった東芝ビルがある。
この地下にラーメン店「直久」があった。
昔ながらの支那そば屋とは違うタイプながら
懐かしさ漂う醤油ラーメンにもたびたびお世話になった。
刻んだ焼き豚と野菜がタップリのとんさいラーメンが
他店にはない人気アイテムだった。

「直久」は新宿や新木場など各地に展開していて
まあ、チェーン店といえないことはない。
ただし昨日・今日出没した新興勢力と一緒くたにしたくはない。
ルーツをたどれば大正5年に甲州で誕生。
「更科」という屋号で日本そばと支那そばの両方を出した。
東京の第一号はくだんの東芝ビル、昭和42年の開店だ。

東芝ビルが閉鎖後はトンとご無沙汰していたある日、
新橋駅と地下でつながる「ウイング新橋」に
支店があることを思い出し、無性に食べたくなって出撃を決意。
金曜なのに予定のないヒマな友人を伴って初訪問である。

待ち合わせに先着してさっそくお願いしたのは
生ビールの中ジョッキに餃子3個が付いてくるセット。
いくらだったかな? 確か400円ほどだったと記憶する。
この時期、最初のジョッキはほとんどイッキ。
すぐに2杯目を頼み、おもむろに餃子を1ヶパクリとやると、
ややっ、これはいったいどうしたことだ!

=つづく=

2011年8月15日月曜日

第118話 川魚に目を見張る (その2)

軽井沢のスーパーマーケット「TSURUYA」で
東京に持ち帰る食料品を買い込んでいる。
青果類を買ったついでに鮮魚・精肉コーナーに移り、
元気な川魚に心奪われたところだ。

鮎・岩魚・山女魚、いずれもキトキト。
長野の隣りの富山では
新鮮な魚介をかように表現する。
鮎の隣りに並んでいた虹鱒に目を見張った。
東京で目にするものとはモノが違う。
顔つき・体つき・色艶、そのすべてが違う。

川魚の仲間でも大味な虹鱒には
あまり美味しいサカナという思いがない。
英米ではレインボウ・トラウト、
フランスではトリュイト・アルクアンシエル、
ところ変われど名前は常に虹の鱒だが
立派な名前に味のほうが追いつけていない印象。

精肉売り場ではU.Sサーロインを買った。
久しぶりに脂肪の少ない米国牛が食べたくなったからだ。
懐かしさに追い討ちをかけられ、購入した次第。

昼食は2年前にもおジャマした富岡の富士屋。
富岡製糸場のすぐ近くにあり、
往時を偲ばせる店のたたずまいに惹かれ、
入店を決めた町の食堂だ。

前回はワンタンメン、今回はスープそばをいただく。
スープそばとは何ぞや? 一瞬疑問が湧くものの、
何のことはない他店のタンメンのこと。
あとはソース焼きそばを2人前頼み、7人でシェアした。

その後、製糸場前の旅館「信州屋」に立ち寄って
名物の絹シューマイ弁当を買うつもりが
弁当は予約制になっており、絹シューマイだけで我慢。

帰宅後すぐ虹鱒を取り出し、塩を振る前に写真を撮る。

信州・長和町で養殖された虹鱒

長和町は美ヶ原の西、霧が峰の北に位置して
湧き水が豊富なのであろう。
清く冷たい水がなければ川魚は育たない。

塩焼きはまことにけっこう。
山女魚にも近い食味には旨みの凝縮があった。
あらためて比べるため、近所のスーパーへ出向き、
虹鱒の姿を拝んできたがまったくの別物であった。

翌日は米国牛のサーロインを焼くと、
残念ながらこちらは肩透かし。
コク味に欠けてステーキを食べている実感がない。
ニンニクとバターの風味にすがるも効果はなかった。
ニューヨーク随一のステーキハウス、
「Peter Luger」と比べるつもりはないけれど、
あまりの落差にガッカリの巻である。
ブラックアンガス種のような高級牛は
あまり日本に入って来ないのかもしれない。

米国産サーロインと信州産虹鱒、
悲喜こもごもの軽井沢みやげ。
おっと、忘れるところだった。
絹シューマイの評価は両者の中間に位置している。

「TSURUYA 軽井沢店」 
 長野県軽井沢町長倉2707
 0267-46-1811

「富士屋」
 群馬県富岡市富岡1072
 0274-62-0752

「信州屋」
 群馬県富岡市富岡51
 0274-63-2000

2011年8月12日金曜日

第117話 川魚に目を見張る (その1)

7月末、さして暑くもない東京を脱出し、
毎年恒例となった北軽井沢へ。
避暑というより、飲んだり食ったり遊んだりが主な目的だ。
というか、それしかやらないのである。

徹夜明けで向かったものだから到着後は3時間ほど爆睡。
目を覚ますとBBQはほぼ終了して
焼き台には鳥のナンコツと玉ねぎだけがくすぶっていた。
いいでしょう、いいでしょう、起き抜けには軽いモンがよい。
しかも玉ねぎなんざ、甘みいっぱいでイケるのなんの。
行きがけの駄賃よろしく、別働隊が軽井沢の台所、
スーパー「TSURUYA」で調達してきたものだ。

BBQはともかくも旨いピクルスや奈良漬で
真っ昼間からビールとワインをしこたま飲む。
その後は酔っ払いが2人してヘボ将棋だ。
いったい何局指しただろうか、
夜の部のBBQそっちのけでひたすら指し続けた。
カルビやらツボ鯛やら焼き立てが駒台の脇に運ばれたが
飲み食いしながらの勝負事は麻雀以外に記憶がない。

晩の主食はチキンと小海老と夏野菜のカレーライス。
いろいろゴチャゴチャ入ったカレーは好みじゃないが
これはなかなかのデキであった。
ビタミンと食物繊維もじゅうぶん補給できたし、
アタマ(カレーのみ)をお替わりしたほどだ。

夜も更ける頃にやっと将棋を切上げ、
ほかのメンバーとの”飲み”に合流。
それもひとしきりしたら
今度はフランス生まれの家庭ゲーム、ブロックスだ。
そして仕上げは先刻まで
将棋を指していた仇敵のカミサンと花札のコイコイ。
夫婦の相手を別々に務めるのもラクではない。
終わったのが翌朝の4時で、これまたほとんど徹夜の巻。

年寄りが多いから朝が早く、早朝から朝食の団欒。
ときどき起こるバカ笑いが安眠を妨げることはなはだしい。
それでも布団をかぶって粘りに粘った。
結局、目覚めたときに朝食は終わっており、
みなさんそろそろ帰りじたくである。

帰り道くらいはあちこち寄ろうという決議案のもと、
まずはくだんの「TSURUYA」で新鮮な野菜の買出し。
店内は軽井沢の人々が全員集合したかのようで
まさしく満員御礼の大賑わいである。
東京のデパ地下やスーパーでは見掛けぬものが
安くて新鮮ときては、さもありなん。

素手で買い始めたら早くも両手がいっぱいになった。
あわてて入口に戻り、バスケットを下げて仕切り直しだ。
珍しモノは金時草・はくれい茸・
原種エノキ茸・サラダ春菊・カリブロッコリー、
お馴染みモノはトマト・いんげん・ネクタリン、
ずいぶん買い込んだ。

ものはついで、鮮魚・精肉コーナーを見回ると、
いやビックラこきました、養殖モノではあるが
サカナたちが元気、元気、ピチピチ跳ねるがごとくである。
ちゃんと観たことないけど、AKB48ってこんな風なのかな?

=つづく=

2011年8月11日木曜日

第116話 この夜を忘れない

2011年8月10日、この夜を生涯忘れない。
いえ、昨夜のことですがな。
1967年10月7日、あの夜も生涯忘れない。
おっと、44年前のことですがね。
だしぬけに意味不明の書き出しで失礼サンにござんす。
何のことかといやあ、日韓戦のことざんす。
日韓戦といやあ、サッカーに決まってまさァ。
まっ、野球もあるけんど・・・。

昨夜、札幌で行われたキリンチャレンジカップ。
日本が3-0で韓国を撃破した。
生きてるうちにこんなに大きな夢がかなうなんて
長生きはするものである。
だって日韓戦に親善試合なんてありえないからネ。
この対戦はいつだって真剣勝負、
極東のダービーマッチと呼ぶにふさわしい。

あまりのうれしさに急遽、
本日用の原稿を差し替えることにした。
ただ今、11日の午前1時半。
試合中も終わったあとも、
ずっとビールを飲み続けたおかげで
冷蔵庫のビールがなくなっちゃった。
仕方ないから麦茶に切り替えた次第。

ところで1967年うんぬんって何だ! ってか?
そう問われる貴方は日本サッカー史に
いささかうといんじゃございませんか?

ところは雨のそぼ降る国立競技場。
メキシコ五輪出場を掛けて
日韓、天下分け目の合戦がこの日だ。
前半2-0の楽勝パターンが
後半に追いつかれ、3-3にされた挙句に
韓国の放ったシュートが
日本ゴールのクロスバーをたたきやがんの。
生きた心地がしないってのはああいうことを言う。

それにしても昨夜の日本はすばらしかった。
東京五輪のハンガリーVSモロッコ戦以来だから
サッカーを観始めて早や47年。
翌々年には関東大学リーグ、明治VS早稲田のの決勝戦、
全勝同士の対決にして杉山と釜本の激突も観ているから
蹴球とのつき合いは実に長い。

にもかかわらず昨夜の札幌の試合は
日本サッカー史上に燦然と輝く快挙といえよう。
このままおめおめ引き下がる韓国ではないが
日本はスペインの如く、香川はメッシの如しであった。
やることなすことズバズバ決まりすぎるので
こちらは夢見るシャンソン人形の如くルンルン。

なでしこの快挙もうれしかったけれど、
オトコのサッカーを半世紀も見守ってきた身に
夕べの出来事は死ぬまで、
いえいえ、死んでも忘れえない慶事だった。
ダンケ! グラッツェ! スパスィーバ!

2011年8月10日水曜日

第115話 この舌が忘れない

神保町の「東京堂書店」へ出掛けた。
書籍を買い求めに行ったんではなく、
石田千・浅生ハルミン御両人のトークショウを聴きに。

石田千サンといえば、
今期の芥川賞候補にもなった今をときめく女流作家。
彼女とは行きつけの店が一緒なので知らぬ仲ではない。
デートをしたことはないが会食はご一緒した。
まっ、その程度の関係である。

テンネン色の強い2人のトークは
3、40代の女性のツボをおさえて会場は終始笑いの渦。
こちらは話題になかなかついていけず置いてけ堀だ。
隣りの女性があまりにケラケラ笑い転げるので
どんなツラか見てやったら、視線が合って気まずい思いをした。

イベントのあとは、招いてくれた友人にお返しの馳走。
まだ17時半前なのに早めの夕食と相成った。
神保町の交差点から店を物色しつつ、白山通りを北上。
途中、奥野かるた店で足が止まり、道草を食う。
ここでは以前、麻雀牌を買った。
ついこの間、当ブログにも書いたが
軽井沢で覚えたゲームはブロッキーではなくブロックスと判明。
フランス生まれの世界的なヒット商品であったとは―。

水道橋駅にほど近い「海南鶏飯 水道橋本店」に上がる。
”入る”ではなく”上がる”としたのは店が2階だから。
海南島は未踏につき、本家の実情は存ぜぬけれど、
シンガポールで海南鶏飯は代表的な国民食である。
当地には4年もいたので何回食べたか数知れない。
ちょいとクセがあり、好きずきがあろうとも
慣れたらやみつきになること請け合いだ。

とり肉・とり飯・とり汁のセットが950円

この料理は上記3点、いずれが欠けても成り立たない。
3種のソースが添えられるのも決まりごと。
本場の味にはかなわぬものの、
この値段で手っ取り早く食べられるのは実にありがたい。

シンガポール風チキンカレー

これも好物であった。
ココナッツミルクが利いて、なかなかの仕上がりだ。
ライスがついてくるが、あえてロティ・プラタを追加する。

ロティ・プラタは油っ気多めのパンケーキ

インド由来のシンガポール名物がこれで
大の上にもう1つ大が付く好物であった。
カレーソースをちょこっと付け、主に朝食として食べるが
J.C.はコイツを週に1度はいただきましたネ。
ちゃんと朝のローテーションに組み入れてたモン。
したがって海南鶏飯よりずっとたくさん食べている。

いずれにせよ、彼の地で覚えた味は
この舌が明確に覚えており、忘れることはない。
10年前、都内に数えるほどだったシンガポール料理店。
こんなに増えるとは夢にも思わなかったが
うれしい誤算とはこのことでありますヨ。

「海南鶏飯 水道橋本店」
 東京都千代田区三崎町2-1-1
 03-3264-7218

2011年8月9日火曜日

第114話 ミラノの哀しい物語

スポーツとニュース番組以外、あまりTVを観てこなかった。
ほかに観るのはNHK総合の「ダーウィンが来た!」くらい。
需要がないので供給もなおざり、
ついこの間までBS放送すら観れない環境下にいたほどだ。
それがつい半年前に
BSどころか、ひかりTVまで観られるようになった。
にも関わらず、しばらくほったらかしていたのは
番組表のチェックやリモコンの操作がわずらわしかったから。

ところが何かの拍子で精力的に観るようになった。
特に気に入っているのは
ひかりTVのナショナル・ジオグラフィとヒストリー・チャンネル。
ミステリー・チャンネルの「逃亡者」も
懐かしさに惹かれ、ときとして―。

困るのはツボにはまってしまうと徹夜も辞さないこと。
その影響からブログ原稿の執筆も
TVのあとの真夜中か明け方が増えた。
ただ今時刻は8日月曜午前3時半。
ピーターじゃないが、「夜と朝のあいだに」書いている。

先週水曜日、NHKのBSプレミアムにて
ルキノ・ヴィスコンティの「若者のすべて」に遭遇。
イタリア・ミラノを舞台にした1960年の作品を
最初に観たのは1965年。
場所は「新宿伊勢丹」の前にあった、
おそらく当時、東京で一番小さな映画館、「シネマ新宿」。

アラン・ドロンとアニー・ジラルドの別れの場面、
ミラノのドゥオーモ屋上のシーンが心に刻まれている。
初見の6年後、これも初めて欧州旅行に出掛けた折、
実際に登楼したときの気分は雲の上を歩いているようだった。
ああいう胸のときめきは近頃、トンとなくなった。

ヴィスコンティ家はミラノの名門。
ルキノ自身も伯爵サマである。
その彼が共産党に入党し、映画界に足を踏み入れ、
ネオリアリスモの一翼を担ったのだから
人の出自ほど当てにならず、人生ほど不可思議なものはない。
晩年の作風からはおよそ想像のつかない、
光と影に彩られた生涯であった。

バイセクシュアルを公言してはばからなかったヴィスコンティは
恋人と噂されたドロンを「山猫」(1963年)で再び起用した。
主役はアメリカ人のバート・ランカスター。
ドロンとジラルドが再度競演した「ショック療法」(1972年)は
ロンドンの映画館で英語の字幕付きを観た。
ともにスターク・ネイキッド(素っ裸)の大熱演。
2人の裸体に唖然としたものである。

「若者のすべて」でドロンの兄貴役を演じたイタリア人俳優、
レナート・サルバトーリは共演が縁でアニー・ジラルドと結婚。
オシドリ夫婦ぶりが伝えられていたが
1988年に55歳の若さで死去。
倦怠感漂う知的な冷笑が魅力のジラルドも
今年の2月に79歳で亡くなった。
「あの愛をふたたび」のラストシーン、
画面いっぱいに拡がる悲しげな微笑のアップが
今もまぶたに灼きついている。

ヴィスコンティの作品で一番好きな「若者のすべて」。
ドロン主演の映画では「太陽がいっぱい」の下、
「太陽はひとりぼっち」の上で、二番目に好きだ。
この時代は彼らがともに輝きを放ち始めた時期。
以降はともにだんだんと光を失ってゆくように見えた。
実際は2人の名声は高まっていったのだが
何かが違う、どこかが違う、
冷めて離れる自分の気持ちを抑えられなかったあの頃。
帰り来ぬ青春というヤツですな。

2011年8月8日月曜日

第113話 スカッとさわやかレモン切り (その2)

魅惑のレモン切りに誘われて
地下への階段を意気揚々と降りていった。
ピーカンの真昼に変りそばのレモン切り。
気持ちはスカッとさわやか、
コカ・コーラみたいなもんである。

中学時代、厳しい夏場のサッカー練習をしながら
帰宅後に飲むコーラを思い浮かべて
苦しさを耐え忍んだものである。
それが今じゃコーラなんかに見向きもしない。
たまにどこぞのバーで気まぐれに
ラム酒をコーラで割ったキューバ・リブレを飲むくらい。

そんなことより昼めしの日本そばである。
店内にはデイヴ・ブルーベック・カルテットの
「テイク・ファイヴ」が流れている。
メンバーの一人、アルトサックス奏者のポール・デスモンドが
作曲したこの曲はいつ聴いても名曲だ。

接客のお姐さんに「レモン切りを」と言い掛けて逡巡。
結局、せいろとの二色もりにした。
この日はヘビーなディナーを慮って天ぷらはパス。
その代わりと言っちゃあ何だがビールの中瓶である。
ミュージックがアンディ・ウイリアムスの「ムーン・リバー」に替わった。

「とお山」の魅力は変わりそば。
季節の移ろいとともに
柚子・青海苔・梅・よもぎ・抹茶・けし・紫蘇と打ち分ける。
4月のアタマには桜切りも登場するに相違ない。

レモン切りが最初に運ばれた。
一口すすり込み、奥歯で噛みしめる。
変わりそばはその香りもさることながら御前粉の噛みしめ感が命。
のみ下したあと、鼻腔に残る柑橘の爽快感は記すまでもない。
薬味は相変わらず丁寧なさらしねぎと辛味の利いた粉わさび。
粉わさびは想定の範囲内ながら、困ったのは塗り箸である。
先っちょ4センチほどに滑りどめが施されているものの、
食べにくいことこのうえなく、そばには割り箸であろうよ。

せいろは二八そばだ。
本日のそば粉は北海道の音威子府(おといねっぷ)産。
二色を食べ比べると断然レモン切りである。
変わりそばの種が変わったら、また食べに来よう。
夜に訪れ、揚げだし茄子やにしん旨煮で飲むのもいい。
初めて目にした銘柄、純米酒のビキニ娘も気になることだし・・・。

BGMはいつの間にか
大好きな「You'd Be So Nice To Come Home To」が掛かっている。
コール・ポーター作詞・作曲のこれまたすばらしいジャズのスタンダード。
歌っているのは誰だろう。
日米を問わず、あまたの歌手がカバーしているが
声色からして大御所のヘレン・メリルじゃなさそうだ。
ジュリー・ロンドンでもナンシー・ウイルソンでもないぞこれは。
ふ~む、まっ、いいか。
ビールを飲み干し、熱いそば湯も冷たいそば茶も飲み干してお勘定。

以前、「とお山」があった駅前には高層ビルが建っており、
1階に姉妹店「遠山」が出店しているが
こちらはそば粉9割の九一そば。
変わりそばは出さないから、お間違えなきように。

「とお山」
 東京都荒川区東日暮里6-60-10日暮里中央ビルB1
 03-3806-1881

2011年8月5日金曜日

第112話 スカッとさわやかレモン切り (その1)

6月の暑さから察するに
7・8月は大変なことになりそうな気配。
だが実際にフタを開けてみたら、何だよこれ?
暑いのが苦手な人はほくそ笑んでいようとも
夏オトコにはもの足りないのなんのって―。
夏ならもっと真面目に気合いを入れて夏らしくしろっ!
そう叫びたい今日この頃でありまする。

先週末は涼しい東京を離れ、
より涼しい軽井沢に”避暑”したが、まったく意味ナシ。
瞬間、晴れ間がのぞいても、ほぼずっと雨ときたもんだ。
でも、いいんだモンね、関係ないんだモンね、
滞在中は外出もせず、BBQ、将棋、花札に興ずるのみ。
メインとなる麻雀は面子が足りずに出来なかった。
おっと、4人で陣地を取り合うブロッキーといったかな?
そんなゲームも初めて覚えた。

東京に戻って数日後、カンカン照りの正午過ぎ。
夕方からは曇りのち雨の予報ながら
その時点ではわが世の”夏”を謳歌していた。
順調に所用を済ませたあと、
舎人ライナー・日暮里駅前で思案投げ首。
はて、どこで昼めしにしたらよかんべサ。
夜は雷門のイタリアンでガッツリ食う手筈、
さすれば、軽く麺類に逃げるのが得策だ。

すると、目前に忽然と現れた一軒のそば店。
あいや、そば屋にしてみれば
「オメエがウチの前に突然現れたんだろが!」―
てな思いにかられるわな。
判る、判る、その気持ち判ります。

屋号の「とお山」には記憶があった。
帰宅後調べてみたら
2003年4月に1度訪れており、何と8年ぶりになる。
光陰、矢の如し。
そのときはせいろ・田舎・桜切りの三色天もりをいただいた。
天ぷらは活〆穴子・さつま芋・青唐の内容で
三色天もりの値段は金1785円也。

桜切りを筆頭に、総じて評価は高いものがあった。
上品なつゆは甘みをほのかに含み上々。
ただし、粉わさびだけが残念至極。
有料でも構わないから生わさびを使ってほしい。
もっともそばにわさびは不可欠というわけではない。
鮨屋だったら致命傷だがね。

さて、「とお山」に記憶はあったが
移転したとみえ、微妙に場所が違っている。
界隈はすさまじい再開発で
面相のまったく異なる町に生まれ変わった。
それでも遠方にハジキ飛ばされたのでもなく、
近所で商売を続けられるのはご同慶の至りだ。

出くわしたとき、すでに入店を決めていたが
さらに背中を押してくれたのは1枚の貼り紙。
「すりおろしたレモンの皮を打ち込んだレモン切り」―
この仰せであった。
季節との折り合い、胃袋との調整、
どちらに転んでも非の打ち所ない昼めしとの遭遇。
フフッ、日頃の行いのいかに大切なことよのォ。

=つづく=

2011年8月4日木曜日

第111話 木曜日でもベルギーよ

 ♪  If it's Tuesday, this must be Belgium
    If it's Wednesday, this must be Rome
       If it's Thursday, this must be Montreux
       I feel I never wanna go home               ♪

今日はいきなりのイングリッシュで失礼サンにござんす。

上記の歌詞は米映画「火曜日ならベルギーよ」の主題歌。
ペーソスあふれるこの曲の作詞作曲は
スコットランド出身のドノヴァンで
「Mellow Yellow」が日本でもヒットした。
彼はビートルズとも親交が厚く、コラボレーションまでしている。

映画を観たのは高校3年か、いや大学1年だったかな?
12人のアメリカ人観光客がロンドンを皮切りに
ヨーロッパ周遊のバスツアーをするロマンチック・コメディだった。
他愛もない映画ながらキャストがもの凄い。
ただし、地味めのスザンヌ・プレシェットを主役に据えたのは意外。
絶世の美人なのに大成しなかった彼女のキャリアでは
ヒッチコックの「鳥」で鳥たちに惨殺される女教師役が有名だ。

とにかくチョイ役も含めると個性的な顔ぶれがズラリである。
男優はイアン・マクシェーン、ロバート・ヴォーン、ドノヴァン、
ジョン・カサヴェテス、ヴィットリオ・デ・シーカと映画監督まで動員。
女優はエルザ・マルティネリ、アニタ・エグバーグ、ヴィルナ・リージ、
カトリーヌ・スパーク、ヨーロッパ映画のファンなら失禁しそうだ。

ここで本題。
4年前に気の合った仲間が10人で欧州旅行に出掛けた。
映画と異なり、バスツアーではなく列車の旅だったが
その結団式を催したのが赤坂のベルギー料理店「シェ・ミカワ」。
先日、ほぼ同じメンバーが再び同店に集まった。

仲間の一人の快気祝いがその主旨で
長老格のS崎サンがムール貝を所望したのが決定打。
ゆかりある店に再集結すればいろいろ話題にも事欠かず、
楽しいひとときを過ごすことができるものだ。

目当てのムール貝はマルニエール(白ワイン蒸し)と
エスカルゴ仕立ての2種類を注文。
一同タップリいただいたものの、
この貝はいくらでもイケちゃうから困る。

ほかはいわしのマリネ。
あとは揚げたじゃが芋、にんじんのグラッセの脇役陣。
ガツンとくる肉系料理を食べた記憶がトンとない。
したがってワインも赤は頼まず白のみだ。
もっともビール党のJ.C.はちっとも困らない。
ベルギー産ヴァイス(白)ビール、
ヒューガルテンなんぞもたしなんでみたが
結局は好みの国産ビールに定着してグラスを重ねた。
やはり日本のビールは上手くできておるわい。

当夜は華の木曜日。
店内は次第に立て込んできた。
何もベルギーは火曜日に限ったこっちゃない、
木曜日でもベルギーだ!
読者のみなさんもいかがです?
今宵のハナモクに出掛けてみては・・・。

「シェ・ミカワ」
 東京都港区 赤坂3-13-4 三河家ビル2F
 03-3583-5212

2011年8月3日水曜日

第110話 濹東綺廛(ぼくとうきてん)

 わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。
 おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。
 神田錦町にあった貸席錦輝館で、
 サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。
 活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。
          ~  ~  ~ 
 花の散るが如く、葉の落(おつ)るが如く、
 わたくしには親しかった彼の人々は
 一人一人相ついで逝ってしまった。
 わたくしもまた彼の人々と同じように、
 その後を追うべき時の既に甚しくおそくない事を知っている。
 晴れわたった今日の天気に、
 わたくしはかの人々の墓を掃(はら)いに行こう。
 落葉はわたくしの庭と同じように、
 かの人々の墓をも埋(うず)めつくしているのであろう。
                           (岩波文庫)

二・二六事件が勃発した昭和11年。
その秋口にほんのひと月余りで書き上げられ、
翌12年春には朝日新聞夕刊に連載された小説、
「濹東綺譚」の初めと終わりを抜粋してみた。
作者は言わずと知れた永井荷風。
作中のわたくし(主人公)は自身をモデルにしている。
タイトルは濹東に関わった、とある物語といった意味だろうか。

小説の舞台は私娼街・玉の井。
東武伊勢崎線・東向島の改札を右に出たらすぐ北上、
ほどなくぶつかるいろは通りなるレトロな商店街に沿い、
その右手に紅燈街が拡がっていた。

改札を同じく右に出たら、今度は反対側に南下、
右手に現れるガードをくぐり抜け、
荷風も訪れた向島百花園に向かって真っ直ぐ進むと、
園の手前にあるのが鮨店「うを徳」である。  
「うを徳」と聞けば荷風と交流のあった、
泉鏡花の「婦系図」に出てくる魚屋が思い浮かぶ。

この店は飲み友にして牌友の金融マン、
フタちゃん行きつけの店で彼に連れられ初訪問。
「濹東綺譚」に出てきそうな佇まいの店先を
何度も通っているが今まで縁がなかった。

スーパードライで突き出しの絹かつぎ。
お次は牡丹鱧のじゅんさい添えだ。
韓国産ではなく国産の鱧にこだわるという。
賀茂鶴の冷酒に切り替えて
神津島の汐っ子(かんぱちの幼魚)。
そして津軽は深浦のめじ(本まぐろの幼魚)である。
こうして幼魚ばっかり食ってると、
幼児虐待に手を貸しているような罪悪感にさいなまれるが
余計なことを考えるほうがおかしい、旨いのものは美味いのだ。

にぎりに移行し、あおりいかと特大サイズのとり貝。
片身のデカい真あじは2カンに切り分け、
即席の酢〆をお願いし、うち1カンはおぼろをカマせてもらった。
締めは何日も掛けて煮詰めたどんこ椎茸の海苔巻き。
これが「うを徳」の名代といえよう。

京都で和食を修めた親方は鮨職人より料理人の風情。
店内に流れる空気も他店とは一味違うものがある。
「濹東綺譚」ならぬ「濹東綺廛」と呼ぶにふさわしい廛(みせ)だ。
アシの便がよいとはいえぬが半蔵門線が延び、それも改善した。
遠征に値する一軒につき、一訪をおすすめしたい。

「うを徳」
 東京都墨田区東向島4-24-26
 03-3613-1793

2011年8月2日火曜日

第109話 骨肉茶をご存知? (その2)

小田急線・祖師谷大蔵のマレー料理店、
その名も「馬来西亜マレー」にて
メニューブックに骨肉茶の文字を認めた。
マレーシアやシンガポールではこれをバクテーと読む。
動物の骨を砕いたものを煎じ、
お茶にして飲む、というのではまったくない。
そんなモンは誰も飲まないだろう。

メニューブックにあった説明書きを見てみよう。
原文を原色でそのままお届けする。

当店看板メニューの
「バクテー」「肉骨茶」と書きます
今から130年以上前頃
マレーシアの港町ポートクランに
住み付いた中国福建省の人達が創った
薬膳肉スープかけご飯のことです
今でもマレーシア中の
何処の屋台でも食べることが出来る
庶民の朝ご飯です
シンガポールでも食べられますが
中国・台湾・香港では見かけないようです

これでは思い浮かべにくいので
百聞は一見にしかず、写真をご覧あれ。

骨付き豚肉に椎茸がいっぱい

丁子(クローヴ)が主張する薬膳スープに
なぐさみ程度のレタス以外は何もない。
店主はこれをライスにぶっかけて食せ!とのたまうが
そのやり口は好みではない。
別々に口に運ぶほうが美味しく食べられる。
ちょうど定食屋で、豚汁と飯をやっつけるようにネ。

う~む、シンガポールでよく食べた代物とは微妙に違うナ。
椎茸のせいもあってか、こちらのほうが薬膳色が強い。
ほかにはチリ・ジャガと称するポテトサラダ。
マレー半島のジャングルに自生する木の実、
プタイを使ったプタイカレー。
同じく木の実のアサムを発酵させたタマリンドを
揚げ玉子に添えたフライエッグ・タマリンド。
いろいろ楽しんだ末に、締めはサンバルゴレンだ。
サンバルは小海老の塩漬け入りチリソースで
これに干し海老を加えた焼きめしである。

韓国風わかめスープみたいのが付く

ココナッツとドリアンが選べるアイスクリームに
タピオカや杏仁豆腐など、
甘味も豊富ながらデザートはパス。
相方も甘いものには食指を動かさない。

店内は地元のカップルを中心に客が入替わり立替わり。
確かに料理はよかったけれど、
世田谷区民が盛んにほめそやすほどではない。
様々な人種の集まる都心の料理店は
賛否両論が上手くこなれて信頼感指数が高まるが
郊外区にある店のケースは
ジモティによるひいきの引き倒しに要注意。
それを割引かずにのこのこ出向くと
ほぞを噛むことが大いにありますぞ。

「馬来西亜マレー」
 東京都世田谷区祖師谷4-21-1
 03-3484-0858

2011年8月1日月曜日

第108話 骨肉茶をご存知? (その1)

裕次郎カレンダーを背にして一杯やったあと、
祖師谷大蔵の駅に舞い戻り、友人をピックアップ。
そして当夜の本命、マレー料理店に向かった。

これを書いているのは7月30日。
早起きをし、朝からひかりTVで
裕次郎主演の「太陽への脱出」を観たのだった。
1963年の作品には引退した北原三枝はもちろん、
浅丘ルリ子も芦川いづみも吉永小百合も出ていない。
やや地味めな岩崎加根子がヒロインで南田洋子が脇役。
昔観ており、うっすらと記憶はあるものの、
スジはほとんど覚えちゃいない。
映画のデキ自体も芳しくない。
ラストで裕次郎が死ぬのが珍しいくらい。

駅から徒歩10分弱、やって来たのは「馬来西亜マレー」。
念には念を入れた店名ではある。
噂を耳にしたのは半年前のこと。
夫婦で切盛りするマレー料理店が
沿線のみならず、遠来からも客を呼び寄せているという。
珍しさも手伝い、これは行かにゃあなるまい、となった次第。

長いことシンガポールに赴任していたので
隣国のマレーシアにはちょくちょく出掛けた。
首都・クアラルンプールを始め、
王朝と海峡で名高いマラッカ、
ミュージカル映画「南太平洋」のロケ地となったティオマン島、
はたまた星降るデサルーで休日を過ごしたものだ。

日本サッカーが初めてW杯出場を決めた決戦地、
ジョホールバルは目と鼻の先、何度訪れたか数知れない。
行けば必ず海亀の玉子を買った。
いくら茹でても固まらない摩訶不思議なあの玉子・・・。

東南アジアを思わせる民芸調の店内は
評判ほどの空間ではなく、むしろやぼったい。
満席ではないにせよ、客席は8割がた埋まっている。
夫婦二人きりではとても手が回らず、
帰った客の卓に下げ物がそのままの状態だ。
アルバイトの女の子一人で解決するのに―。

写真入りのメニューはかなりの厚さ。
アジア諸国のビールの豊富な品揃え、
多彩にしてローカル色豊かな料理、
これは選びがいがあろうというものだ。

相方はネパール産ネパールアイス、
こちらはスリランカ産ライオンラガー、
それぞれにビールを頼み、
メニューブックの吟味に入る。

ほう、看板メニューは骨肉茶だ。
この料理をご存知の読者はおられますかな?

=つづく=