2011年9月30日金曜日

第152話 恋は小岩ではしご酒 (その1)

自慢じゃないが都内23区内であれば
どこへでも出没している。
もっとも出没率の高いのは
千代田・中央・台東・文京の4区。
ここはわが縄張りである。
毎夜どこかに出張っており、
パトロールを欠かすことはまずない。

続いて
墨田・江東・港・新宿・豊島・葛飾の6区。
隅田の流れのほとりは昔からなじみが深い。
豊島も学生時代のホームグラウンド。
葛飾は何たって立石が控えているからね。

どこの街へ行くのかって?
もちろん各区の盛り場でげすよ。
ちょっと紹介してみましょう。

千代田・・・神保町・神田
中央・・・・・銀座・日本橋
台東・・・・・浅草・上野・御徒町
文京・・・・・本郷・湯島・千駄木


墨田・・・・・吾妻橋・玉の井
江東・・・・・門前仲町・森下
港・・・・・・・新橋・麻布十番
新宿・・・・・神楽坂・四谷
豊島・・・・・大塚・駒込・池袋
葛飾・・・・・立石


まあ、こんなところで飲んでいるワケです。

ところで江戸川区・小岩は
実にディープな飲み処なのになぜか縁が薄かった。
川の向こうは千葉の市川市。
距離的問題の影響もあったが
初めてはしご酒に訪れたのは2年半ほど前。
このブログの前身、「食べる歓び」にそのときのことを
書いたので少々引用してみる。

坂崎重盛著「東京煮込み横丁評判記」を頼りに
お次は線路の反対側、北口の「大竹」である。
重盛翁によると、小岩でもつ焼き&もつ煮込みとなれば、
真っ先に「大竹」であるらしい。
太鼓判を押されては立ち寄らぬわけにはまいるまい。


16時半の開店と同時に席が埋まってしまうらしいが
どうにかなるだろうと、タカをくくって向かった。
ところがどうにもならなかったのである。
敵陣に一歩たりとも踏み込めなかったのである。
この世に神も仏もあったものではなかった。
というのは大げさで、何のことはない、
その日が定休日に当たっていただけのこと。


てなわけで初回は空振り。
その後、訪問ははたしたが、とある夜再び、
名横綱・栃錦のブロンズ像待ち構える小岩駅に降り立った。

=つづく=

2011年9月29日木曜日

第151話 塀の外をすり抜けて (その2)

足立区・綾瀬で地元の絶大な支持を得ている「味安」に入店。
待合わせたというよりも、呼び寄せたカガクくんの姿を探し、
店内を見渡せば、おっ、居ました、居ました、小上がりにちゃあんと。
並んでいる客が居たから懸念したものの、
杞憂に終わって何よりであった。

1階の10席ほどのカウンターは主に単身客用。
小上がりは喫煙席と禁煙席に分かれ、
それぞれ4X4の16席ずつ。
たまたまかもしれないが喫煙席の需要のほうが高く、
順番待ちのファミリーはそちらが空くのを待っていた模様。
そういえば、旦那が煙草をプカプカやってたっけ。
まだまだスモーカーの絶えぬ日出ずる国である。
2階にも席があるが、そちらの様子は判らない。

多彩なメニューの中からカガクくんが選んだのはCセットなる定食。

おかずが他店の1.5倍はありそうだ

内容は、トンテキ・鳥唐揚げ・あじフライ・切干し大根・
白菜浅漬け・わかめ&油揚げ味噌汁・ごはん。
ごはんの盛りがすこぶるよいが
若いカガクくんならこれくらいへっちゃら、へっちゃら。

当方はキリンラガーの生中に焼きたら子をお願い。
セロリのきんぴらか竹の子土佐煮あたりを
頼んでおきたいところなれど、
このあと東武伊勢崎線・五反野に流れる腹積もり、
その腹に余裕を持たせるため、パスしておく。
トンテキのおすそ分けもあったことだし、これで諒とした。

料理の味は可も不可もなく、なんとか及第点はつけられよう。
ガッツリ食べたい若者や子連れファミリーには
かなり使い勝手がよいと思われる。

久保田・八海山・越乃寒梅・〆張鶴、
やたらめったら新潟の酒ばかりが並ぶ品揃えに
1杯飲ってみる気になったが1軒目から日本酒はキツい。
よって生ビールのお替わりにした。

「もう腹いっぱいで食えないッスよ!」
「いい若いモンが何のこれしき、甘ったれるんじゃない!」
そんなやりとりを交わしながら進路を真西にとって歩みを進める。
これで振分け荷物にわらじ履きであったなら
「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛と喜多八さながらだ。
ちなみに膝栗毛とは
自分の膝を駿馬の栗毛に見立てた歩き旅のことをいう。
博学な読者におかれてもこれは知らなかったっでしょ?

途中、今にも崩れ落ちそうな廃屋に遭遇。

よくぞ震災に持ちこたえたものよのう・・・

そうだ、五反野では久々に「駿河屋」を訪ねてみよう。
前回の訪問は震災の翌日だった。
「山形の宮城寄りにいる親戚と連絡が取れないんですよォ」―
店を切盛りする老夫婦が案じていたっけ・・・。

ともあれ歯のない老人でも噛み切れる、
あのヤワなラーメンを若者に馳走してやろうじゃないの。
クックッ、今にももれそうな意地悪い笑みを
必死に噛み殺すJ.C.でありました。

「味安」
 東京都足立区東綾瀬2-4-2
 03-3620-7000

2011年9月28日水曜日

第150話 塀の外をすり抜けて (その1)

まことに唐突ながら
いまだかつて刑務所には入ったこともないし、
面会に訪れたことすらない。
自ら入所するのはイヤだが
後学のために1度くらいは面会に訪れてみたいと思う。
しかしながらわが友人・知人には
大した度胸の持ち主がおらず、望みは実現していない。
お~い! 
旨いモン差し入れるから誰か入所してくれや~い!

東京拘置所、いわゆる”東拘”、
またの名を”小菅”の塀の外は何度か歩いている。
千住方面からなおも北へ、
あるいは東へ向かう散歩のルート上に位置しているからだ。

東武伊勢崎線・小菅は
駅前にコンビニ風のスーパーがあるほか、
ホンの数軒の飲食店が散在しているばかり。
あとは拘置所に隣接して
小さな団地風の建物がひっそりとたたずんでいる。
町全体がヨソ者を拒んでいるような淋しい町なのだ。
もっともこういう土地柄に盛り場があるほうがおかしいか。

その日は北千住から綾瀬を目指して歩いていた。
拘置所の脇をすり抜け、
頭上に首都高速6号三郷線がかぶさった綾瀬川を渡ると
目の前におもちゃのような米穀店が現れた。

”桶亀”という屋号は珍しいが隣り町は亀有

店先のミニバンや自販機も可愛らしい。
思わずカメラを取り出すのもむべなるかな。

ほどなく東京メトロ千代田線・綾瀬駅前に出た。
北へ10分近く歩き、到達したのは「味安」という食堂。
ここで科学者の卵、カガクくんと待合わせているのだ。
彼はいわゆる”めしとも”だが
下戸につき、”のみとも”にはなれない。
いつもめしをおごってやる代わりに
いろいろと珍しい話を聴かせてもらう、そんな間柄である。

「味安」はこれといった名所のない綾瀬の町にとって
ランドマーク的存在と言えないこともない。
年中無休にして朝7時から夜中の24時まで通し営業。
めしどきを外してもそれなりに混雑する人気店らしい。

店構えがかなり派手、というか品というものに欠けている。
あいや、下品という品があったか!
あとで調べてみたら、ラーメン店から居酒屋、
はてはカラオケボックスまで手を拡げている、
パンダグループの傘下にあることが判明した。
グループ名からして何だか胡散臭い。

個人経営の店は控えめなナリをしているが
グループ経営となると、どうしてこうタガが外れるかね。
勤め人が地味なスーツを着ているのに対し、
芸人やヤクザがド派手な服を着たがるのと一緒かな。

入口左手の待合スポットに子ども連れのファミリーが1組。
土曜とはいえ、まだ15時半だというのに
もう並んでるのかヨ、という感じ。
はて、カガクくんはすでに到着しているだろうか?
並ぶのヤだから居てくれヨ、ぜひ居てほしい。
おもむろに一歩、店内に足を踏み入れた。

=つづく=

2011年9月27日火曜日

第149話 さようなら 杉浦直樹!

杉浦直樹が亡くなった。
いや、死んでしまった。

5月13日にこのブログ(第52話参照)で取り上げ、
彼の消息を案じていた矢先のことである。
不吉なことにその日は13日の金曜日であった。

参照するのもわずらわしいでしょうから
抜粋してお届けします。

日曜日の昼過ぎのこと。
観るともなしに観ていた「素人のど自慢」が終わり、
そろそろ散歩に出掛けようとTVのスイッチを切りかけたとき、
思いがけない顔が画面に映って手がとまる。
そこにはしばらく見ないので
気にかかっていた杉浦直樹の顔があった。
目元と下あごで演技する性格俳優である。


彼を初めて見たのは裕次郎主演の日活映画「錆びたナイフ」。
ボスから差入れられた饅頭が毒入りと知りつつ、
わしづかみにして頬張る狂気の眼が強く印象に残った。

(今回ビデオを見直し、あらためて感服)

杉浦直樹が登場したTV番組はNHKアーカイブス。
1996年に放映されたドラマ「鳥帰る」の再放送だった。
先月亡くなったスーちゃんこと、
田中好子を偲ぶ追悼番組である。
結局、散歩はそっちのけで見入ってしまった。
二人ともよかったし、母親役の香川京子もけっこうでした。


それにしても杉浦直樹の消息が気になって仕方がない。
ほかにも行方が心配な人たちがいっぱいいる。
日下武史は?
園井啓介は?
川地民夫は?
われながら古いや。
家庭に入った笹森礼子と桑野みゆきの追跡は
いささか野暮というものか。


そして誰よりも1963年12月12日、
小津安二郎の通夜の席で
最後の姿を見せた原節子はどうしているのだろう。


今、杉浦直樹のフィルモグラフィーを振り返って
記憶に残るのはTVドラマ(映画化もされた)の「図々しい奴」。
映画化第一作では主役の”図々しい奴”を演じたが
TVでは旧岡山城主の末裔役。
こちらのほうがピッタリで以後定着した。

「図々しい奴」の原作は柴田錬三郎の週刊誌連載小説。
絶頂時の1963年には視聴率45%をたたき出して
まさにオバケ番組である。
このときの主役・丸井太郎は国民的人気を博しながらも
当時の事情から映画界に引き戻され、
不遇をかこって数年後には自死してしまった。
事実上、映画会社・大映に殺されたも同然だった。

好きだった俳優・女優の訃報にふれるのはやるせない。
そのたびに自分自身の人生の一コマを
削り取られるような痛みを感じる。
誰にでもいつの日かお迎えが来るものだが
せめてその瞬間はこぞって幸せでいてほしい。

名優・杉浦直樹の最後の言葉は
「私の人生、メデタシ、メデタシ、
  皆さんにありがとうと言ってください」
であったそうな。

2011年9月26日月曜日

第148話 乙女はママになっていた (その2)

16年ぶりに再会したN実と
アサヒビールの直営店「23 BANCHI CAFE」で
冷たいビールを飲んでいる。
当社自慢のエクストラコールドである。
この夏は例年にも増してコヤツのお世話になった。

彼女からメールが届き、メシでも食おうとなったとき、
幼い子どもがいると聞いて、こりゃ子連れの昼めしかと思いきや、
ワインが飲みたいから晩めしがいいと言う。
託児所に預けて来るのだそうだ。
そういう事情には疎いため、虚を衝かれた感あれど、
近頃の母親の育児はそんなものかネ。

今やママとなった乙女のリクエストはイタリア料理であった。
いいでしょう、いいでしょう、
さすれば、浅草随一の「カリッスィマ」にご案内しましょう。
この店のシェフは浜町の「アル・ポンテ」の出身。
J.C.も一時期、ごく短期間ではあったが
「アル・ポンテ」のHシェフにイタリア料理を習ったことがあり、
兄弟弟子と言えないこともない。

ビールは飲んで来たのでいきなり赤ワイン。
しばしリストとにらめっこして選んだ1本は
ネッビオーロ・ダルバ ブルーノ・ジアコーザ'07年。
ニューヨーク時代にさんざっぱら飲んだ造り手である。
ネッビオーロはピノ・ノワールを抑えて一番好きなセパージュだ。

スターターは生ハムとルッコラのピアディーナ。
ピアディーナは中東のピタに似ているが酵母は使わない。
具をはさんで食べる、言わばピッツァのサンドイッチ版だ。
青山にはその名も「ピアディーナ」なる専門店があるそうな。

続いてサルデ・アル・ベッカフィコ、鰯のベッカフィコ風だ。
このシチリア料理は”超”の付く大好物。
説明が長くなるので、興味のある方はググッてみてください。
ピエトロ・ジェルミ監督の映画「誘惑されて棄てられて」で
父親が娘の婿に「今晩ベッカフィコをご馳走するぞ!」と叫ぶ、
あのシーンが懐かしい。

主菜は仔うさぎのローストにした。
じゃが芋が付け合わさってくるが
フェノッキオ(ういきょう)を追加する。
カルチョーフィ(アーティチョーク)や
プンタレッレと並んで、もっともイタリア的な野菜がコレ。

締めはフェデリーニ・プッタネスカ(娼婦風)。
パスタは最後に食べるのが好きで
日本そば屋のせいろ、中国料理店の炒麺の感覚ですな。
そうしたほうが腹の収まりがよい。

そろそろ託児所の子どもが心配になる時間だが
母親はどこ吹く風でチャッカリ旦那を迎えに行かせたという。
やれやれ、ヒギンズ教授を気取って淑女に育てたつもりでも
躾(しつけ)がイマイチ出来ていなかった。

結局は薬局、あろうことか3軒目へ流れる。
数分後には行きつけの「志ぶや」のカウンターに
酔眼の二人が居座りましたとサ。
やれやれ・・・。

「カリッスィマ」
 東京都台東区浅草1-18-4
 03-5826-0678

2011年9月23日金曜日

第147話 乙女はママになっていた (その1)

今年の3月に当ブログを綴り始めてから
思いも掛けないメールがたびたび舞い込むようになった。
何かの拍子にたまたま目にして懐かしさに誘われ、
一筆したためたというケースがほとんどである。

中には日本語の”ニ”の字も解さない元同僚、
パレスティナ系米国人のN.Abbed なんてのもいた。
何度か食事をともにしたことのある細君と別れたあと、
流れ流れてサンフランシスコに行き着いたという。
実の娘とたまに会うのが唯一の楽しみだが
もう1度ニューヨークに帰りたいと、淋しそうだった。
「J.C., I'm getting old, I always miss that good days」
孤独感漂う文字に胸が詰まる。

マンハッタンの高級鮨店「S田」のマネージャーだった、
H田M子も出身地の大阪から便りをくれた。
彼女とは6年前に銀座で会ったのが最後だ。
7月に上京して来た折、初めてだという浅草に案内した。
修学旅行の少女の如く、まぶしそうに雷門を見上げ、
吾妻橋からはスカイツリーの写真を撮っていた。
そしてここからは大人のオンナ、
「23 BANCHI CAFE」の生ビールに喉を鳴らしていたっけ・・・。

ニュージャージーの「ヤオハン」で
アルバイトをしていた留学生・S瀬N実もそんな一人。
カラッとした性格が気に染まり、よく食べ歩きのお供をさせた。
あそこまで歳が離れちゃいないが
ミュージカル「マイフェア・レディ」における、
イライザとヒギンズ教授のような関係。
マンハッタンのイタリア料理屋を何軒回ったことだろう。
いや、イタめしに限らず、フレンチ、アメリカン、スカンジナヴィアン、
中華、鮨、居酒屋、何でもござれであった。

そのN実と16年ぶりで再会したのは先月。
場所はやはり浅草でN実もエンコは初めてとのこと。
M子女史とは雷門で待ち合わせたが
此度は〇ンコビルの足下で落ち合った。
目当てはもちろん、くだんの生ビールだ。

再会を祝し、笑顔で乾杯。
目鼻立ちは昔のままである。
(ふむ、ふむ、なかなかの熟女になったものよのう・・・)

問わず語りに耳を傾けると、岡山市出身の彼女は
15年前に帰国して今は千葉県にいるという。
フィリピンのマニラまで出向いて見合いをし、すぐに結婚。
その後離婚して2人目の夫との間に男の子が1人ある。

「オマエもいろいろあったんだネ」
「でも2人の旦那が同姓だったからいろいろ便利だった」
「何だよ、ソレ!」
16年を経てもテンネンのノー天気は変わることがない。
三つ子の魂、何とやらである。

訊けばただ今37歳、・・・ってことは当時21歳。
その間、女の一生のコアそのもので紆余曲折はさもありなん。
松尾芭蕉の言葉を借りれば、
”月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり”
年月が旅人であったら、人はいったい何であろう?
旅人の肩に掛かった振分け荷物であろうか。

=つづく=

2011年9月22日木曜日

第146話 消えてゆくもの 残るもの

1905年(明治38年)築の本郷館が消えた。
1905年といえば、
前年に始まった日露戦争が終わった年である。
震災に耐え、戦火を忍び、
奇跡的に生き残った学生たちの館が
ついにその終焉を迎えてしまった。
もう二度とあの不気味な姿を拝むことはできない。

あとで知ったのだが
何でも8月初旬に3日間に渡ってライトアップされた由。
それぞれの思いを胸に訪れ、
別れを告げた人も少なくはなかったろう。

月に一度はすぐそばの鮮魚店で買い物をする慣わし。
その折にちょくちょく立ち寄ったものだった。
すでに更地になったが最後の雄姿をカメラに収めておいた。

夕闇迫る本郷館

確か8月の第1週だったからライトアップの前後だと思われる。

解体にあたっては
立ち退きにからんで民事訴訟に発展したと聞いた。
建物が消えてなくなった今、
トラブルもカタがついてノーサイドを迎えたのであろうか。
跡地の土を眺めていると、
空襲に見舞われた焼け跡に佇んでいるかのよう。
芭蕉が傍らにいたなら一句ひねったに相違ない。

そんなこんなで最近は本郷の町を訪れることが多い。
お盆の直後にも東大正門前の老舗店でカレーを食べた。
1914年(大正3年)創業の「万定フルーツパーラー」だ。
1914年といえば、
第一次世界大戦が勃発した年である。

もともとは果物屋でその後フルーツパーラーに変身、
ずっと東大のセンセイたちの御用達であったそうな。

なるほど懐旧の心をくすぐる

今ではフルーツジュースだけが
フルーツパーラーを偲ぶよすがなれど、
看板メニューはカレーライスとハヤシライス。


チョコレート色のカレーライス(750円)

見た目はフツーながら味わいはビミョーで
辛さよりも苦みが主張している。
カレーを始めたのは昭和30年代に入ってかららしい。
それでもあの頃に
町の食堂で食べたカレーとは似ても似つかない。

評判を聞きつけた遠来の客を
ありふれた一皿で落胆させるくらいなら
個性的な味を記憶に残すほうが大切かもしれない。
そう思って食べ進むうち、違和感も薄れてこようというものだ。

ハヤシライスは打って変わって甘さがきわだつ。

やや赤みがかったハヤシライス(850円)

カレーもハヤシも万人の味覚に合うとは言いがたいものの、
これだけ長きに渡って生き残っているのだから
根強いファンの支えがあらばこそ、
ふらりとやって来たヨソ者がとやかく言う筋合いではなかろう。

「万定フルーツパーラー」
 東京都文京区本郷6-17-1
 03-3812-2591

2011年9月21日水曜日

第145話 再び伊集院サン (その2)

伊集院静サンがらみのネタ、”飲む・打つ・買う”の続き。
今日は”打つ”にまつわるハナシである。

”打つ”となれば、博奕に決まっている。
この国はどうもギャンブルにはヘンにナイーヴな国で
アレルギー反応がきわめて強い。
そのクセ、パチンコなんぞが
世にはびこっているのだから始末に悪い。
あれはギャンブルではなかろう。
じゃ何だってか?
時間を持て余している人間のヒマつぶしに過ぎない。

競輪・競艇はやったたことがないが
競馬だけははるか昔にしていた。
初めて馬券を買ったのが1970年の有馬記念。
スピードシンボリーダテテンリュウで確か5-6だったかな?
連複で7.5倍はついたと記憶している。
同レースに出走し、1番人気になりながら
3着に敗れたアカネテンリュウが好きだった。

長い海外生活のため、帰国したときはまったくの浦島太郎。
馬の名前もチンプンカンプンで
場外馬券売場に出向いたものの、
馬券の買い方が判らず、それを機会にスッパリ足を洗った。
今では月に何回か麻雀に興じる程度だ。

さて、伊集院サンであった。
週刊現代9月17日号の彼のコラムから、
数行を引用させていただこう。
麻雀にちなんだハナシにつき、興味のない方はまたアシタ。

先日、配牌三巡目に、

 東 東 南 南 西 西 北 北 白 白 發 發

という手役になった。
は白板、は一ピン)
河の和了牌を見逃し、をひたすら待った

 東 東 南 南 西 西 北 北 白 白 發 發

となったのが海底前で河にが一枚。
「誰かどこからでもいいからを持って来い!」


ここで文章が終わり、翌週号でも音沙汰ないから
最後まで上がれなかったに違いない。
しかし、ここでJ.C.は思いましたネ。
こんなに我慢強い打ち方は到底、マネができないと―。

自分だったら風牌が出たら即座にポン。
が出た場合はどちらでも初牌なら1度見逃し。
例えばが出ても初牌なら見送るが
そのあと2枚目の、あるいは初牌のが出たらポン。
当然、その際にはの対子を落としてゆく。
そうして小四喜+字一色のダブル役満に狙いを定めるのだ。
いくら三巡目とはいえ、残り3枚しかない
ひたすら待ち続ける忍耐力は見上げたものだが
打ちスジとしてはよろしくない。

だが、達人がなぜ鳴かずに七対子を目指したのだろう。
そこで思い当たったのが以下の3点。


 ・ポンを2回もすれば残りの字牌は抑えられて出て来ない
 ・役満には責任払いが生じることがあり素人をいたぶりかねない
 ・牌をさらさず字牌7種をきれいに2枚ずつ並べる美しさに溺れた


そんなところだろうが、ここには男の美学がある。
そしてそこに夏目雅子は惚れたのだ。

いや、ご立派です。

2011年9月20日火曜日

第144話 再び伊集院サン (その1)

図らずも多大なご迷惑をお掛けしてしまった、
伊集院静サンに再びご登場を願うことにする。
ネタの仕入先は例によって
週刊現代における彼のコラム、「それが どうした」である。

伊集院サンといえば、”飲む・打つ・買う”の達人だが
どれが一番お好きなのか、想像をめぐらしてみると、
”打つ”、いわゆる博奕であるように思われる。
博奕に男の美学を見出していて
その想いが行間ににじみ出ているのだ。

かくいうJ.C.も”飲む・打つ”に関しては人後に落ちない。
男として生きるための”三種の仁義(誤植ではない)”における、
最後の”買う”についてはおおやけに語るものでもないから
「みなさんのご想像にお任せします」と言いたいところだが
このフレーズは虫唾が走るほどに嫌いなので
あえて「読者の判断にゆだねたい」としておく。
これも一種の美学なのです。

まっ、それでも少しく触れておくと、
19歳の春、初めての海外渡航の折であった。
ドイツの港町、ハンブルグの有名な歓楽街、
早いハナシが紅燈街なのだが
ザンクトパウリ地区のレーパーバーンにもちゃんと出没している。

両側に”飾り窓”が居並ぶレーパーバーンは
”罪深き1マイル”の異名を取るほどの性の巣窟。
まだ無名だった頃のビートルズは
もっぱらここで演奏活動にいそしんでいた。
初期の大ヒット曲、「シー・ラヴズ・ユー」や
「抱きしめたい」にドイツ語版があるのはそのためである。
前者はともかく、後者はドイツ語版のほうがよいくらいだ。

ちなみにザンクトパウリとは英語でセントポール、
仏語ではサンピエール、伊語だとサンピエトロ。
言わずと知れた聖パウロのことだ。
これには天にましますJ.C様(ジーザス・クライスト)も
ビックリ仰天、眉をひそめておられることでありましょうよ。

ついでに申し添えておくと
(なんだかんだ言ってけっこう語っているな)
J.C.の知る限り、世界の紅燈街で
詩情流れるのはオランダのアムステルダム、
哀愁漂うのはトルコのイスタンブール、
異国情緒あふれるのはエチオピアのアディスアベバである。
残念ながらアジアの国々、東洋の街々にそのムードはない。

三種の仁義の一番目、
”飲む”ほうは日々欠かすことがない。
ただし、アル中でないことだけは誓っておこう。
以前、とある私鉄沿線の小駅に住んでいたとき、
朝の出勤時によく見掛けたのは
駅前の酒屋に自転車をキコキコ鳴らしてやって来るオッサン。
そんな時間に酒屋は開いていないので目当ては店先の自販機だ。
毎度、手にしたワンカップ大関を恍惚の表情で一気飲みである。
ああいう芸当だけは絶対にできないなァ。
ああならないように、節度を保ちつつ毎日飲み続けている。

明日は仁義の二番目、”打つ”について。
ここで初めて週刊現代ネタが登場するのです。

=つづく=

2011年9月19日月曜日

第143話 助けた亀に連れられて (その2)

豚珍巻の商品名につられて購入したのは
豚巻お惣菜と銘打った一品で
山口市・黒川の「有限会社 れんげ」製造のものだ。
こんないでたちで棚に並んでいた。

インパクトあるパッケージ

山口県産のゆで玉子に
同じく県産のハイポー豚薄切りを巻いて煮込んである。
豚珍巻はシリーズになっており、
買い求めたのは、玉子巻・しょうゆ味。
ほかには、ごぼう巻・みそ味、だいこん巻・コンソメ味、 
じゃがいも巻・カレー味と、全4種類が揃っている。

キャッチは
お口の中でふわっと広がる柔らかさ!
ぷちセレブーな逸品

それよりも気に入ったのは描かれた豚の親子、
ラッピーとラッピーママ。
そして化学調味料不使用である。

数日後、袋のまま沸騰した湯で温めて晩酌の友とした。
ふむ、ふむ、町のスーパー・コンビニ・弁当屋と違い、
比較的薄味に仕上げられており、
余計なカチョウさんがご不在なのがいい。
ビールとサワーのつまみとして過不足ないが
第一感は焼酎、それも芋のロックかお湯割りだろうな。

普段なら食指を動かさぬ惣菜を
味わうことができたのも、ひとえに亀のおかげ様。
今度出会ったら、だいこんかごぼうを試してみよう。

さて、相変わらず駄文汚染を垂れ流している、
短足亀(本当は短脚亀が正しい)、
どうした風の吹き回しか、その亀から間接的に連絡が入った。
直接FKでないのはバツが悪く、中に人を立てたらしい。

理由はおおよそ察しがついている。
いつものことながら、あちこちの店に予約を入れたあと、
直近になって相方に逃げられ、
その穴埋めにお声が掛かるのである。
今まで何度助けてやったことか。

こたびは何ヶ月も先まで予約の取れない鮨店だという。
フン、恩着せがましいやっちゃ。
しかし仲立ちを務めてくれたO鬼氏とは
かつて一緒に仕事をした仲、彼の顔も立てねばならない。
ということで、来週末、
呉越同舟の憂き目を見ることと相成った。

 ♪ 広い沙漠を ひとすじに
   二人はどこへ 行くのでしょう ♪


「月の沙漠」の王子さまとお姫さまはロマンチックでよいけれど、
助けた亀に連れられて、J.C.はどこへ行くのでしょう?

「有限会社 れんげ」
 山口県山口市黒川501-7
 083-925-0203

2011年9月16日金曜日

第142話 助けた亀に連れられて (その1)

♪   むかしむかし 浦島は
   助けた亀に 連れられて
   龍宮城へ 来て見れば
       絵にもかけない 美しさ


       乙姫様の ごちそうに
       鯛やひらめの 舞踊り
       ただ珍しく 面白く
       月日のたつのも 夢のうち


       心細さに 蓋取れば
       あけて悔しき 玉手箱
       中からぱっと 白けむり
       たちまち太郎は おじいさん ♪
     
      (作詞:不詳 ついでに作曲も不詳)


出し抜けに童謡・浦島太郎の登場で驚かれたことでしょう。
この歌は明治44年、尋常小学唱歌集に選ばれた一曲で
日本人なら多少なりとも物語の顛末を知っているハズ。
珍しくも長々しく紹介した歌詞は1、2、5番。
途中の3、4番も実に面白いが紙面の都合上、
割愛を余儀なくされたので、そこは想像してみてください。

さて、さて、
「何だってまた浦島が?」―いや、ごもっとも。
昨今、亀といえばあの咬みつき亀しかいませんが
先日も咬みついてきたのでチョイとばかりイジクッてやったら
案の定、一度食いついたが最後、もう放さんのですわ。
お目汚しながら、まあ、ご覧くだされ。
http://tomosato.net/weblog/date/2011/09/12

でも彼らサテライツ、みな人が良さそうな人ばかり。
だからオカザワが凄いと勘違いしてしまうんでしょうけど。
実はかなり前、彼らとオカザワ抜きで、
五反田の焼き鳥屋で食べたことがあるのです。
帰り際、彼ら(女性もいた)の一人が
 
おい、友里ってオカザワと違って腰が低いじゃないか
と漏れ聞いた仲間内への発言が記憶に残っております。

ってか?
これだから亀はアフォ(ボキャ貧しき亀語録より)だっつうのっ!
アフォのためにあえて通訳してやれば、
腰が低いってのは、胴が長いって意味なのね。
胴が長いと、必然的に脚は短くなるのよね。
判りる、亀チャン?

亀に伊集院サンともども頓珍漢呼ばわりされたJ.C.、
散歩の途中で面白いモンをめっけた。
JR駒込駅近くのスーパーで遭遇したのは
その名も頓珍”巻”。
山口市の「有限会社れんげ」による豚肉の玉子巻だ。
頓珍漢が頓珍巻に親近感を抱き、
ついつい買っちゃったじゃないか!

=つづく=

2011年9月15日木曜日

第141話 磯のアワビでいい思い

「加賀屋 本郷店」にてくわえパイプの厨房スタッフに
ぶったまげたあともなお、この町にいる。
これからが本番で、「鮨すゞ木」に赴くのだ。

本郷もかねやすまでは江戸の内

紹介したのは江戸時代の川柳。
防火対策を推進した徳川幕府が江戸城から
本郷の大店(おおだな)「かねやす」までは
土蔵造り・瓦葺き建築を奨励したことに由来する。
このとき指揮を取ったのが
TVでおなじみの大岡越前守忠相(ただすけ)だったそうな。

「かねやす」は今も小間物店として営業を続けているが
もともとは歯磨き粉を売り出して評判を取り、
大成長を遂げた商店である。

三丁目交差点で広い間口を誇る

「鮨すゞ木」の暖簾をくぐると
すでにT子女史とT村クンがつけ台に収まっていた。
若者の就職、並びに中高年の再就職をサポートするのが
専門分野のT子女史は、T大で教鞭を取っており、
T村クンはかつての彼女の教え子にして
かつてのJ.C.の直属の部下。
その縁あって、ときどき酒盃を交わす仲なのである。

ビールで乾杯後は宮崎の芋焼酎・夢の番人のロックを。
相方たちは冷たい吟醸酒に移行した模様だ。
真子かれいの薄造りをポン酢でやったあと、
まぐろのカマトロ部分だろうか、黒胡椒と芽ねぎで味わう。
これは「すゞ木」の名物の一つ。

キス一夜干し、〆さばと来て、さばが旨いのなんのっ!
季節の移ろいがスピードアップしているせいか、
秋を待たずして真夏のさばに舌鼓である。
ところが上には上があるもので
お次のアワビがスゴかった。
おそらく外房の海から揚がった黒アワビであろう。
弾力のある厚い身肉もさることながら
添えられた肝が磯の香をいっぱいに放っている。
おまけに煮汁を固めたゼリー寄せがまた泣かせる。

二枚貝のように見えて実は貝殻一枚であることから
磯のあわびの片思いなどと、
悲恋の対象として揶揄されるアワビのおかげで
こんなにいい思いができるとは、さすが界隈一の名店だ。

泉州・岸和田の水なす、
江戸前であろうところの穴子白焼きをはさみ、
にぎりで締めにかかった。
3枚付けの新子、生姜でやるアジ、酸味の乗ったまぐろ赤身、
たぶん墨イカではなく、あおりイカと推測されるイカ、
軍艦ではない、要するに海苔を排徐した海胆。
ここまでは何とか思い出したが、面目なくもあとはおぼろ。
夢の番人のせいで
夢心地になっていたのでは、それも致し方あるまいて。

「鮨すゞ木」
 東京都文京区本郷2-31-1
 03-3817-7711

2011年9月14日水曜日

第140話 くわえパイプにぶったまげ

ビン・ラーディン終焉の地、パキスタンのカラチにて
”酒難”に翻弄された顛末を2回に渡って記してみたが
そもそもハナシが脇道にそれたのは黄昏どきの本郷。
独り気軽に一杯飲れる店を探していたのだ。
東京の街にはスッと立ち寄り、
サッと飲めるスポットが絶対的に不足している。

昭和の半ば頃までは酒屋の立ち飲みコーナー、
いわゆる角打ちがそこかしこに見られたものだが
今や、ああいった儲からない商売は絶滅の危機に瀕している。
「明治は遠くなりにけり」がが死語となった現在、
「昭和も遠くなりにけり」の時代に生きる味気なさよ。

結局、本郷三丁目駅近くの「加賀屋 本郷店」に入った。
東京に十数軒ある「加賀屋」はチェーン店のようだが
すべて独立採算の暖簾分けらしい。
同じく居酒屋の「三州屋」、
大衆食堂の「ときわ食堂」みたいな形態なのだろう。

「加賀屋」の名物は一律、判で押したように特製煮込み鍋。
他店におけるもつ煮込みをやや大型化した感じ。
じっくり煮込まれた豚シロ(小腸)の味わい深さは特筆モノだ。

「いらっしゃいませ~!」―大きな掛け声で迎えられた。
店内の活気、スタッフの元気は
数ある「加賀屋」の中でもトップクラスではなかろうか。

ネクストに鮨屋が控えているのでつまみは最小限にせねば。
スーパードライの大瓶を頼むと、
突き出しはイカゲソと里芋の煮っころがし。
見た目が最悪でずいぶん黒ずんでいる。
箸を付けるのがはばかられるほどだ。
それでもつまんでみると、意想外に味はよかった。

ボリュームのある煮込み鍋を避け、
焼きとんのレバーを2本お願いしたが
あまり感心しなかった。
串がデカいだけでタレもしょっぱいだけ。
江東・墨田・葛飾・江戸川区など、
川向こうの名店群の足元にも及ばず、
「加賀屋」は煮込みでもつということか。

オープンキッチンを見渡すカウンターに収まったので
厨房スタッフの仕事ぶりが手に取るよう。
いや、実にこれが興味深かった。
5人の男たちは右から揚げ物担当のヒゲオヤジ。
煮込みと焼きとん、いわばモツ係は金髪の若い衆。
真ん中には包丁1本、刺身を切盛りする店長風。
続いて枝豆・サラダなど、野菜モノを扱うオッサン。
最後に一番年少とみられる皿洗いのアンチャンだ。

流れるような分業制は飲食業にたずさわる者なら
一見の価値があり、学ぶところ少なからずである。
ただし、ほぼ全員がスモーカー、嫌煙家は耐えられまい。
殊にぶったまげたのは揚げ手のヒゲオヤジである。
驚くなかれ、くわえタバコならぬ、
くわえパイプで仕事にいそしむ。
蝶タイ・チョッキの喫茶店主ならまだしも
他分野の飲食業で、くわえパイプに初めて出食わした。
かつててんぷくトリオを率いた故・三波伸介じゃないが
ビックリしたな、もう!

「加賀屋 本郷店」
 東京都文京区本郷2-39-5
 03-3818-1194

2011年9月13日火曜日

第139話 地獄でタコハイ (その2)

パキスタン最大の都市、カラチでの昔話。
投宿したホテルのバーで
バーテンダーに「ビールはない!」と言われたところだ。
それはないぜ、セニョール!

ビールのないバーなんて

クリープのないコーヒー
柄の折れた肥ビシャク
紐の切れた越中ふんどし
よだれかけのないお地蔵さん

ボーナスの出ない株式会社
スピードの出ないアルファ・ロメオ
唄を忘れた美空ひばり
足の短い石原裕次郎
寅さんの出ない「男はつらいよ」
ミッキーのいないディズニーランド
ソープ嬢のいないソープランド
セックスのない夫婦生活
(これはあり得る)

キリがないからこのへんでやめとくが
みたいなモンである。

早いハナシがパキスタンは禁酒国に変身していた。
クーデターでブットー政権を倒し、
大統領の座に着いたジア=ウル=ハクが
国家のイスラム化を強力に推し進めていたのだ。
サウジ並みに石打ち刑など、残虐な刑罰が導入され、
飲酒もご法度の憂き目を見ていた。
ただし、バーテンダー曰く、市内に3軒ある高級ホテルだけは
外国人に限って酒を出すとのこと。

翌日、そのうちの1軒、インターコンチネンタルに引っ越した。
さっそくバーに赴いたが今度は明るいうちはダメときた。
仕方なく日が暮れるまでプールサイドで甲羅干しにいそしむ。
するとそのプール、やたらに日本の若い女性が多いのだ。
10人近くはいたろうか、加えて日本人のオジさんも2人。
しばらく考えて、おそらく女子大の教授と教え子たちが
モヘンジョダロの見学にでも来たものと思われた。

たまたま隣りのデッキチェアに腰を下ろした、
うら若き乙女に意を決して訊ねかけると、
何のことはない、一行はJALの乗務員であった。
昨日からの経緯に耳を傾けてくれた親切なスッチーさん、
「ちょっと待っててください」―そう言い残して館内へ。

5分ほどで戻った彼女が手にしていたのは
サントリーのタコハイ、いわゆる缶チューハイであった。
それもよ~く冷えたヤツを1缶くれたのだ。
Oh、ギャル! JALのギャル!アンタはエラい!
ビールのほうがよかったがゼイタクは言ってられない。
まさに地獄で仏とはこのことだ。

人影消えて日が暮れて、ホテル最上階のレストランへ。
宿替えのため、思わぬ出費を強いられたのにもめげず、
半ばヤケクソでビールにワインまで飲む気になっていた。
パキスタンとはいえ、ワインにいくら取られるんだろう?
独り席に着き、おもむろにビールの銘柄を訊ねると、
ウエイターが首を横に振りふり、のたもうた。
「人目のあるレストランでリカー類はお出しできません」
「ハア? おい、おい、ふんじゃどこで飲めるんだべサ?」
「はい、ルームサービス限定でございます」
俺らこんな国いやだ!

2011年9月12日月曜日

第138話 地獄でタコハイ (その1)

非喫煙者になって何年経つだろうか。
喫煙者だった頃もたびたび短期禁煙は敢行した。
ニューヨークに赴任していた時代、
毎年正月になったら年の初めのためしとて
10日間ほどタバコをやめた。
別段、苦痛を感ずることもなく。

そしてこの調子ならいつでもやめられるゾとばかり、
自分自身にしっかりコンファームし、
自信に満ち満ちて、また吸い始めるのだ。
「今年も元気だ、タバコが旨い!」―てなもんや三度笠。
どうです、賢いでしょう?
いや、ほとんどバカですネ。

本郷にある「鮨すゞ木」に出掛けた夜のこと。
ちなみにここは界隈随一の鮨店。
文京区一の鮨屋と言い切ってもよい。
当夜の面子はT大准教授のT子女史と
彼女の元教え子にして、わが元部下のT村クンだった。
何だか”T”ばっかりやな。

予定より早く本郷に姿を現したJ.C.は
例によって近所の探索にいそしむ。
夕暮れの町を散策するうち、禁断症状が表れてきた。
そうですがな、アル中の症状ですがな。
とにかくビールが飲みたくて仕方がなくなったのだ。
禁煙はツラくなかったが、禁酒は絶対にムリだろうな。

以前、漫画家の東海林さだおサンにお会いしたとき、
やはり夕方の4時頃になると
ビールが飲みたくなってソワソワし始めると伺った。
その道の大家に同胞を見い出してうれしかった。

ハナシが横道にそれるが、あれは1984年の夏。
友よ、また古い話かヨと言わないでちょうだい。

 ♪ 何も言わないで ちょうだい  
   黙ってただ 読みましょう 
   だってチョッカイは つらい
   ブログの後に してね  ♪


倍賞千恵子の声色がとても好きだった。

エニウェイ、当時はシンガポールに赴任しており、
夏休みに単身、トルコ周遊の旅へ出たのだ。
シンガポール―イスタンブール間で一番安いキャリアは
パキスタン航空だったのでそれにした。
カラチに途中下機できるのも魅力だったし・・・。

カラチには1975年、
ロンドンからの帰りにストップオーバーして
ホンの数時間、市内観光したことがあった。
パキスタン航空が用意してくれたカレーを
空港近くのホテルで食べたっけ。

ハナシは戻り、1984年夏である。
空港からタクシーで市内に入り、
中級ホテルにチェックインしたら、館内のバーへ直行だ。
目当てはむろん冷たいビール。
ところがバーテンダー氏、「ビールはない!」の一点張り。
思いもかけない強烈な肩透かしに
哀れJ.C.、もんどり打って黒房下に転落である。
バーにビールがないとはこれいかに!

=つづく=

2011年9月9日金曜日

第137話 意外に美味な生くらげ

昨日は幼児期の目板がれいと墨いかを紹介した。
煮魚にしたら東のなめた、西の目板と
本邦の人気を二分する目板がれいである。
一方の新いかは鮨屋でん、天ぷら屋でん、
殊のほか珍重される墨いかの子どもだ。
鮨にしてよし、天ぷらもまたよしというイカは
ほかにあおりいかがあるくらいで
そのとろけるような舌ざわりは
するめいか(真いか)の対極にある。

昨日に引き続き、今日もまた御徒町の「吉池」。
築地を筆頭に都内に11ヶ所ある中央卸売市場はベツとして
こんなに多彩なサカナたちが集う場所はなかなかござらん。
サカナ好きのJ.C.は2時間ほど滞留していても全然飽きない。
これが鮮魚店のいいところで精肉店ではこうはいかない。

いつ訪れても珍魚・奇魚が目白押し。
このブログの前身、「食べる歓び」でも紹介した、
銀鏡(ギンカガミ)や銀宝(ギンポ)はこの日も健在だった。
米国東海岸からのバラスト水に混じり込んで来日し、
内房の海で繁殖したホンビノス貝もここにある。
ニューヨーカーはこの貝を生で食するのが大好き。
小ぶりなものはリトルネック、
大きくなるとチェリーストーンと呼ばれ、
J.C.はむろんのことに、よりデリケートなネックを好む。

日本人にははまぐりを生で食べる習慣がないが
まことにもったいないハナシで
生がきに負けず劣らずの美味なのだ。
日頃から生はまぐりを平気で食べている。
ときどき貝殻の中にちっちゃい蟹なんぞを見つけて
それも一緒に嚥下しちゃっている。

腹痛を起こさないか? ってか?
ノー・プロブレムのモーマンタイ。
多少の虫や菌は一緒に胃袋に到達するアルコールが
除虫・消毒を完璧にこなしてくれるからネ。

「吉池」で目板と新いかを購入した日、
練り物売場の一角に生くらげを発見した。
実はコイツも買い求めたのだ。
初顔に出会って看過するとのちのち後悔する破目に陥る。

中華のくらげとは見た目が違う

熊本産ということは有明か天草の海から揚がったのだろう。
ビニール袋にはポン酢やわさび醤油で食せと書いてある。
だが、第一感は冷やし中華のトッピングであろうよ。

帰宅後、さっそく晩酌の友に。

色が均一ではない

軽く水洗いしてまずは卸し立てのわさびと生醤油で。
続いて既製品のミツカンポン酢で。
ともに美味にしてコリコリ感が心地よい。
どちらが上かというと、これはポン酢のほうだ。
くらげと酢は相性がよろしいようで。

翌日は冷やし中華に乗っけて、これもイケた。
麺がノビないうちにと、一気呵成にツルツルやったものだから
撮影するのをコロリと忘れちまった。

冷やし中華といえば、友人のO堤クンは51歳になった記念に
冷や中51皿制覇に挑んでおり、まったくヘンなオジサンである。
そうそう、お宅の果樹園で採れたデッカい春日部梨ネ、
みずみずしくて実に美味でした、この場を借りて御礼申し上げます。
来年もよろぴくネ。
http://blog.livedoor.jp/cpiblog01502/
彼のブログ、メイン商品の日本茶情報と合わせてご覧ください。

「吉池」
 東京都台東区上野3-27-12
 03-3831-0141

2011年9月8日木曜日

第136話 小さいことはいいことだ

 ♪  大きいことは いいことだ それ!
  おいしいことは いいことだ それ!
  森永エールチョコレート
  大きく食べて おいしく食べて
  50円とは いいことだ    ♪


昭和のテレビCM史に大きな足跡を残す、
森永エールチョコレートのコマーシャルソングである。
世にこんな作曲家がいたのかね?
と、万人に思い知らしめた山本直純サンでした。

ところがどっこい、エールチョコはあまり売れなかったようで
ロッテのガーナ、グリコのアーモンド、不二家のルック、
そして王者、明治のミルクチョコレートの後塵を
図らずも拝していたように思う。
それが証拠にすぐ消えちゃったものなァ。

このCMがお茶の間の注目を集めた、その翌年あたり、
直純センセイは昭和の名曲、
「男はつらいよ」の主題歌を世に送り出した。
このメロディーと江戸川の風景はセットになって
日本人のまぶたに焼き付き、耳にこびりついている。

大きいワリに売れなかったエールチョコ。
となると、大きいことはあまりいいことではないのかもしれない。
わが身の嗜好からもそれはハッキリと言える。
うな重だって一番小さいのを頼むし、あればうな丼でじゅうぶん。
(予算の都合もあったりしますが・・・)
穴子なんかもメソッ子と呼ばれる幼子(おさなご)が好きだ。
とんかつ屋でもプレミアム・ヴァージョンのロースカツや
ヒレカツは極力避け、ランチのサービス品を注文することが多い。
町の中華屋の餃子と焼売も小さめが好きだし、
ラーメンだって太麺よりも細麺をチョイスする。
牡蠣も小粒、たら子も小ぶりなものにこそ、舌が美味をより感じる。

定期的に出没する御徒町のフィッシュマーケット、
「吉池」で理想的なちびっ子たちに遭遇した。
まずはご覧くだされ。

類いまれな小サイズの目板がれい

隣りの100円玉と見比べてほしい。
これがワンコインで4尾も買え、余は満悦であった。
甘辛く煮付けたら、そのテクスチャーのなめらかなこと、
あえて例えるなら赤ん坊の尻っぺたの如し。
As smooth as baby's ass  ですな。
われながら上手いことを言うと自画自賛。

もう1つはこちらである。

何だかお判りか?

正解は墨いかの赤ちゃん、俗に言う新いかである。
この時期、まことに貴重なもので
江戸前の鮨屋ではことのほか珍重される。
これもまた繊細な舌ざわりが命だ。
刺身にするのは皮むきが大変ながら
半分は刺身、残り半分はサッと煮て食した。
旨かったか? ってか?
あったり前じゃん。

けっつろ~ん!
気球に乗って天国に行っちゃった、
直純センセイにゃ申し訳ないが
実に、小さいことはいいことだ。

「吉池」
東京都台東区上野3-27-12
03-3831-0141

2011年9月7日水曜日

第135話 亀がまたもやシャシャり出て (その2)

頭髪も薄ければ、頭の中身まで薄い亀のせいで
貴重な2日間を浪費しつつある。
今の心境を吐露すれば、”われ泣きぬれて 亀とたはむる”、
石川啄木、あるいは浦島太郎のそれですがな。
子どもを鮨屋に連れてくな、と書いただけで
こんなに咬みつかれるとは思わなんだ、ジッサイ。

(子どもは)うるさいし、マナーが出来ていない
との理屈なら、それこそ鮨屋へは
業界人や自称文化人(作家ですよ)こそ出入りするな


ってか?
ガキの騒音やマナーなんか、ハナから問題にしてないよ。
相も変わらずピントがずれてやがる。
おおかた亀は自分の子を鮨屋に連れてくバカ親なのだろう。
痛いところを突かれて逆上したに相違ない。
伊集院サンもJ.C.も亀の子タワシならぬ、
亀の子地雷を踏んじまったようだ。
 ♪ オラは踏んじまっただァ ♪

何年ぶりかで大人二人が会う場所は、オカザワ得意の居酒屋でも、
敢えて誰が得意か言いませんが韓国料理店でも良いではないか。
ちょっと高額な店というなら、フレンチもあるではないか。
いや不得意な(行ったことがほとんどないはず)
高額和食屋はどうなのか。
この二人は鮨屋になにかトラウマでもあるのでしょうか。


ってか?
おやおや、居酒屋軽蔑主義者がおっしゃいましたネ。
それに韓国料理店は大きなお世話だろう。
まったくもって品性を疑うよ。

フレンチや高額和食屋ってか?
大人の男二人がそんなところで酌交するかね?
はばかりながら、その趣味はないんですのよ、ウッフン。
そういう場所へはオンナと行くのッ!
亀は男同士で出掛けるらしいが
それじゃ女日照りを自ら白状してるようなモンだ。

モテない理由は薄髪と間抜け顔だと思ってるようだが
ブルース・ウィルスを見てごらんよ。
チミもウジウジしてないで、潔く頭を丸めなさい。
まっ、顔だけは施しようがないけどな。
でも、憎まれ口さえたたかなきゃ、けっこう愛嬌あるし、
木久チャンだって「笑点」の人気者じゃん。
捨てる神あらば拾う神あり、蓼食う虫も好きずき、
あきらめるのはまだまだ早いぞ、ガンバレ亀!

それにもう一つ、自腹だ他腹だとあんまり吠えなさんな。
亀もしょっちゅう接待してるじゃないの。
何かの拍子に自分の客にも言ってごらんよ、
「今夜は私がごちそうしますから貴方は他腹ですね」って。
途端に商売が来なくなるから。

常に自分は自腹だとエラそうだけど、
単に先代の遺産を食い潰してるだけじゃないの。
テメェで稼いだ金で飲み食いするのが真の自腹、
血のつながった父君を、しかも大恩あるその人を
草葉の陰で泣かせちゃいけないぜ。

世にこれを鷹鳶(たかとび)の悲劇というんだ。
エッ、何だって? どこぞに高飛びするってか?
フン、亀が空を飛べるかよ、このバカタレがっ!

2011年9月6日火曜日

第134話 亀がまたもやシャシャり出て (その1)

咬みついたが最後、雷が鳴ろうと槍が降ろうと、
まず放さない稀代の咬みつき亀・友里征耶が
またもやシャシャり出て来た。
このデバ亀にはスッポンも顔色ナシだ。

週明けの月曜朝、ケータイに受信したメールに
「亀サン、また語っちゃってますね」
「ニセ木久蔵が懲りずに吠えてるよ」
こんなのが混じっていて
何のこっちゃい? とPCを立ち上げると・・・
http://tomosato.net/weblog/自慢/1774.html

おう、やってる、やってる、
ブログのネタ不足に悩む哀れな亀が
力の限りに吠えまくっていた。

ちなみにニセ木久蔵というのは
「笑点」でおなじみの林家木久蔵、
現・木久扇師匠のニセ者という意味。
トボけた顔がソックリなので
亀のGFが付けたあだ名だ。
言いえて妙とはこのことでピンポンのポン、ハハハ。

それにしても此度は伊集院静サンに迷惑をお掛けした。
もっとも彼の耳には負け犬、もとい、
デバ亀の遠吠えなんぞ届くこともなかろうが
万が一つ届いてしまったとしたら、
大人の対応をもって聞き流していただきたい。
「フン、馬鹿が!」― この一言でお願いいたします。

それにしても咬みつき亀には困ったモンだ。
亀の別名はハゲちょろけた狸だが
そんな歳でもないのに頭髪がやたらに薄い劣等感からか、
はたまた持って生まれた間抜けヅラを恥じるためか、
モテる男に対するやっかみ、ねたみがすさまじい。
人目もはばからず、
”持ってる友里”などと自称するのがその証しだ。

たまたまどこかで遭遇した著名人の行動を
克明に報告して、いったいどういうつもりかね。
オメエは「噂のチャンネル」のリポーターか?
挙句の果てはゴルフ場から実況中継までしてやがんの。
しかも自分の自慢話を巧みに折り込んで―。

亀よ、そういうことは黙して語らぬのが男の作法だぜ。
だからオメエは女にモテないんだ。
腐った女のようなマネをするんじゃないよ。
おっと、世の女性に失礼しました。

鮨屋が特別な場所と思い込んでいる頓珍漢なオッサン2名。

特別な場所と思い込んでる、ってか?
数限りない食べもの屋の中にあって
この国では、殊に東京では、鮨屋は特別な場所だろうよ。
火事と喧嘩は江戸の華、鮨と鰻は江戸の味ってネ。

(ガキが)「トロをさび抜きで握ってよ」
と言ったって、他の客が迷惑に感じるものか。

迷惑に感じるものか、ってか?
おい、おい、チミの言うところの頓珍漢なオッサン2名は
そんな次元で鮨屋を論じちゃいないんだぜ!

あ~あ、また読者に
「アホ亀の相手をするのは金輪際やめろ!」って叱られそうだ。
それでもなお、賢者(冗談ですってば)としては
愚者の矯正を避けて通ることあたわず、なのである。
よって話題は明日に引き継がれる。

気がかりだった豪州戦は余裕の1-0。
アレを苦戦と見た人は、悪いけど亀と同次元。
3連勝、めでたし、めでたし。

=つづく=

2011年9月5日月曜日

第133話 見まもる歓び

男はW杯、女は五輪、
サッカー界はどちらも予選の真っ盛り。
見逃さないために期間中は
余計な飲み会・食事会を封印しているが
今夕のなでしこVS豪州はライヴで観ることかなわず。
5連戦の山場となるゲームだけに気がかりである。
北朝鮮に足元を救われて
牝カンガルー軍団は死に物狂いで向かってくるだろう。
ぽっちゃりデバナがパワフルに活躍しそうだ。

オセアニアを離脱し、アジアの一員に組込まれてから
豪州は日本の永遠のライバルになりつつある。
少なくとも女子サッカーにおいてはそうであろう。
中国・韓国・北朝鮮がどこまで両雄、
もとい、両雌との差を詰めてくるかが当面の焦点。
W杯における日本の栄冠は
アジア諸国に大きな刺激を与えたのだ。

それにしてもなでしこジャパンは
すっかりメジャースポーツの仲間入りを果たした。
NHKはじめ、メディアの注目度が格段に上がった。
何よりも、誰よりも、彼女ら自身が
身の上の激変ぶりに驚いているに違いない。

ひるがえってアジアの男子サッカーは日豪韓の三つ巴。
韓国には水を空けた感が無きにしも非ずで
現時点では日豪が双璧だろうが
大韓民国は必ず復活してくる。
それが韓国サッカーの伝統であり、底力というものだ。

おそらく彼らは日本に差をつけられたと思ってはいまい。
たまたま直近のゲームが不デキだった、その程度の認識だろう。
またそう思ってもらったほうが日本はラクだ。
日本にコテンパンにやられたという自覚を持たれて
目の色を変えてこられると、恐ろしいのが韓国である。
アジア杯でもPK戦に持込まれた、
あのド根性を忘れてはならない。
なんか、往年の9回裏のPL学園みたいだったナ。

明日はアウェイのウズベキスタン戦。
協会内にはドローもやむなしなどとホザく、
のんきな父さんも散見されるが
アウェイだろうがウズベク相手のドローはあきまへん。
向こう10年は日本に手も足も出ないと、
骨の髄まで知らしめることが肝要だ。

ところで先週の北朝鮮戦はすばらしいゲームだった。
観ているほうはハラハラというよりイライラしたろうが
あれは苦戦でも何でもなく、ゴールマウスに嫌われただけのこと。
バスケットやアメフトのようにポコポコ点が入らないのが
サッカーの魅力で、だからこそドラマが生まれ、番狂わせが生じる。
むしろああいう試合運びができるようになったチームの成長を
余裕を持って見まもることが大切なのだ。

0-0で引き分けても賞賛に値するゲームだった。
それが1-0の結末は僥倖もいいところで
日本チームに地力がついてきた証左だ。
MVPは文句ナシに長谷部。
日本サッカー史上、いまだに
釜本邦茂を超えるストライカーは出現していないが
史上最高のキャプテンは長谷部誠でキマリだろう。

ザックJAPANといい、なでしこJAPANといい、
彼らの熱き戦いを見まもることのできる歓びを
肌で感じる晩夏の日々である。

2011年9月2日金曜日

第132話 鮨屋は二十歳になってから (その2)

さっそく昨日のつづき。
伊集院サンのコラム、
「それがどうした」における鮨屋のくだりである。

勿論、子を連れてきた母親なり、
父親(時々、祖父母)が非常識なのだが、
やはり店が子供を追い出すべきだろう。

大人が二人、何年ぶりかで鮨屋で逢い、
― そうか、おまえと逢って飲むのも、
今夕が最後となるかもしれないのか・・・。
とそういう事情で大人の男が酌交している隣りで、ガキが、
「トロ握ってよ、サビ抜きで」と言いやがったら、
地球上に何人ほど大人の男がいるのかは知らぬが、
無条件でそのガキの頭を引っぱたくのは自然なことだろう。

第一、手の届くところに刃物がある場所に子供を置く親があるか。
突然、鮨屋の主人が発狂したらどうするのか。

言えてますね、おっしゃる通り。
もっとも客商売だから入店してきた家族連れを
頭から追い出すのは無理があろう。
「酒を飲めない未成年、および車を運転の方お断り」―
これくらいはキッパリ宣言してもよい。
鮨屋のつけ台は二十歳を過ぎてからだ。

主人の発狂もありえなくはないが、そこまで考えだしたら
子どもを駅のプラットフォームに立たせることもできなくなる。
でも、伊集院サンのようにハッキリ物事を言い切れる男が
めっきり少なくなった今日びのニッポンでは貴重なご意見。
今の世の中、右を見ても左を見ても玉ナシ男ばっかりで
タマに玉アリに出会うと、今度はフニャチン野郎ときたもんだ。

半月ほど前、築地の河岸に出掛けた折、
十数年ぶりでY枝にバッタリ出くわした。
彼女は一時、銀座のオーセンティックなバーで
バーテンダレスの見習いをしていたが
ほどなく勤め人と所帯を持ち、今じゃ2児のママである。
互いにツレがないのを幸いに場内で昼めしをともにした。

何でもご亭主の晩酌用に刺身を買いに来たとのこと。
小学生の息子たちも生モノには目がなく、
週末に近所の安直な鮨屋に揃って出掛けるのが
目下、一家4人の最大の楽しみであるらしい。
平和だネ。

昼めしを食いながら、鮨屋談義をひとしきり。
「安いったって、4人じゃそこそこ取られるだろ?」
「ううん、チェーン店みたいなとこだから」
「皿がくるくる回ってるとこかい?」
「そうじゃないけど、似たり寄ったり」
「真っ当な鮨屋にガキなんか連れて行くんじゃないよ」
「判ってるわよ、ワタシもダンナもバカ親じゃないもの」
ほほう、あらためてY枝を見直したものである。

イートインでも持ち帰りでも
くだらんチェーン店が町場の鮨屋を絶滅に追い込んだ。
昔の親は何かいいことがあったときやふいの来客があったとき、
近所の鮨屋に出前を頼むついでに
子どもたちにもひと桶ずつあてがってくれた。
そうして子どもたちの食べる様子を観察したものだ。

好きな種からパクパク食べ始める子、
後生大事に好物をあとに残しておく子、
その様子からわが子の性格や嗜好をつぶさに分析していた。
猪突タイプの子の手綱は引き締め、引っ込み思案の尻はたたく。
こうして親子の情愛は育まれていった。
愚痴になるが、こんな親子はいくらも残っちゃいまい。
あの時代、鮨桶の中には日本人の温もりがあった。
桶の中の小さな宇宙で子どもたちは思う存分、遊泳したのだ。

2011年9月1日木曜日

第131話 鮨屋は二十歳になってから (その1)

もう何年も前に、とある鮨屋にて
と、こう書き始めると、
「最近、昔バナシが多いんじゃないの?」―
親切にもたしなめてくれるありがたい友人が何人かいる。
彼らの友情にはつい目ガシラが熱くなり、
不覚にも落涙を見ることさえあり・・・
んなワケねェだろ! フン、ほっとけや!

憎まれ口はほどほどに、その、何年も前のことである。
今じゃ、ふるさとのみちのくに帰ってしまった弟分が言った。
「鮨屋で鮨を食うときの順番ってのはあるのかね?」
「そりゃ、あるに決まってるだろ」
「ぜひ、お聞かせ願いたい」
「まっ、オレたちみたいな酒飲みはまずちょこっとつまむわな」
「いきなりにぎりってのも何だしネ」
「そんとき、あとでにぎってもらう鮨種と
 なるべく重複しないように頼むんだ、殊にまぐろはイカん!」
「例えば?」
「そうネ、皮切りは旬の白身なんかいいんじゃないの。
 定番は夏場の真子がれい、冬場の寒平目ってとこだな。
 イカした店なら夏のコチやキス、冬の皮ハギなんざ最高だ」
「鯛はどうなの?」
「真鯛は春がいい、皮目を湯通しした松皮造りが特にいい。
 いずれにしろ、つまみはあんまりバクバク食わないほうがいい。
 生モノを避けて蛸の桜煮とか蒸しあわびとか・・・。
 蝦蛄やはまぐりもつまみのほうが旨いと思う」

なおも会話は続く。
「にぎりは好きなモンを好きな順に好きなだけ食えばいいのね?」
「そういう人もいるな、いや、そんな輩のほうが多いか」
「そういやあ、兄貴の場合はいつも大体、順番決めてるよね?」
「ああ、白身→ひかりモノ→イカか貝→あったら海老→
 まぐろ系→煮モノ→玉子で、巻きモノは食べたり食べなかったり」
以前、だしぬけに中とろを頼んだこの弟分をたしなめたことがあった。

「この間、ウチの近所の鮨屋で、そこそこの値段取る店なんだけど、
 小学生のガキが『大とろ、サビ利かして!』なんてホザきやがって」
「そりゃガキもガキだが、親がヒドいネ、
 おおかた小金持ちのバカ社長だろうよ」
「それが都心の都銀の支店長」
「ヘッ、どこで誰に出くわすか判らんのに脇の甘い支店長だこと。
 第一そのガキ、将来ロクなモンにならんぜ」
とまあ、そんなこんなで話題は不振の読売巨人軍に移行した。

ちょうど一ヶ月前に書店で買った「週刊現代」のコラム、
伊集院静サンの「それがどうした」でわが意を得たり。
数年前に弟分と鮨屋で交わした会話がよみがえった。
作者にも講談社にも無断ながら、少々引用させていただく。

鮨屋に平気で子供を入れ、平然と鮨を握る店や職人がいる。
呆れはてる。

と、ここまで書いて本日の紙面が尽きた、以下次話。

=つづく=