2011年10月31日月曜日

第173話 気楽に入った「喜楽寿司」 (その2)

小田急線・経堂の「喜楽寿司」を初訪問。
季節は秋風立つ前の晩夏だった。
つまみを取らずににぎりで始めたのは
入店の際に1時間だけの滞在と制限されたためだ。

白身の取り揃えを訊ねたら真子がれいとの応答。
朝〆だろうか、身がコリッとくるけっこうな状態で
順調な滑り出しといえよう。

ここ数年、置く店が増えた金目鯛は脂がのっていた。
ナマだったけれど、金目は皮目を軽くあぶったほうがおいしい。
頑固な親方なら敬遠する鮨種なのは
昔の鮨屋に深海魚の出番はなかったからだろう。

ハートランドの生中をお替わり。
生に限らず瓶でもワリと好きな銘柄だ。
ラガー、クラシックラガー、一番搾り、
数あるキリンの製品ではもっとも好きなのがコレ。

秋刀魚には酢橘(すだち)が搾られた。
白身ならともかく、青背に酢橘は感心しない。
せいぜい新子(小肌の幼魚)どまりであろうよ。
ところが同じ秋刀魚でも塩焼きとなるとハナシは別。
焼き秋刀魚におろしと酢橘は不可欠だ。

赤貝はやや小ぶりで身の締まった良形。
津波で大打撃を受けた三陸モノの復活には
まだまだ時間が掛かると思われ、
おそらく九州は大分辺りの産だろうか。

芋焼酎・三岳(みたけ)のロックに切り替える。
これを飲むたびに
西浅草の「すし468」を思い起こすのはパブロフの犬現象か。

サイズのよい小肌は残念ながら少々生臭かった。
酢より塩が勝った〆具合が災いしたのかもしれない。
そういえばこの店は甘さを排した酢めしの酢も控えめ。

子ナシの蝦蛄もよいサイズ。
蝦蛄と渡世人は子ナシに限り、子持ちはいけない。
舌先を変えるため、漬け生姜に箸をのばしてみると、
酢めし同様に甘みナシ、これはこれでよいというか
酢めしはともかく、漬け生姜は甘味全廃が理想的かも。

まぐろの赤身は本まぐろだろうか?
まぐろ特有の酸味が立つもののコク味に欠け、
ばちまぐろだった可能性が高い。

ふっくらと煮含められた穴子はまずまず。
ただし、柔らかい煮穴子は好みじゃない。
沢煮をあぶり直すプリッとしたのがよい。

締めの玉子は出し巻だが砂糖と醤油を利かせたもの。
江戸と上方の折衷スタイルといったところ。

以上、にぎり9カン(玉子は酢めし抜き)に加え、
生ビール2杯と芋焼酎1杯で会計は6400円。
諭吉翁1枚で足りると踏んだが
ここまで安いとは思わなかった。
でも、つまみ抜きならこんなものかな。

世田谷の鮨屋としては佳店かもしれないけれど、
都心や下町ではそうもいくまい。
施すシゴト、揃えた種、どちらも真っ正直でちと退屈。
もう一ひねり、何か工夫がほしい。
遊びというか、戯れと呼ぶか、
そんなところに職人の色気がチラリとのぞくものなのだ。

「鮨処 喜楽」
 東京都世田谷区経堂1-12-12
 03-3428-3517

2011年10月28日金曜日

第172話 気楽に入った「喜楽寿司」 (その1)

都内23区で高級住宅地の代名詞は
世田谷区ということになろう。
田園調布を擁する大田区は地域によってピンキリ、
というより田園調布だけが飛び抜けており、
東急多摩川線や京浜急行の沿線は庶民的だ。

高級感漂う世田谷区だが、こと旨い店となれば、
急に旗色が悪くなり、23区では劣等区の一つ。
”食の不毛地帯”とまでは言わないけれど、
遠方からの訪問に値する処はきわめて限定されてしまう。

ここでは料理自慢の奥様たちが腕をふるい、
自宅で家族団らん、ご馳走を召し上がっているのであろう。
小田急小田原線・経堂の駅前から南下してゆく商店街に
「喜楽寿司」という、地元の人気を集める店がある。
経堂には梅丘に本拠を構える、
「美登利寿司」系列の店舗が2軒あり、こちらも人気だ。

大衆鮨店の雄、「美登利寿司」といえば、
何と言っても銀座コリドー街の長蛇の列がつとに有名。
あれはコリドー街というロケーションが図に当たったのだネ。
メインストリートの銀座通りや晴海通りじゃ、
とてもとてもああはいかない。
客のほうが恥ずかしがって行列なんかできゃしません。
どこの誰かに見られないとも限らないし・・・。

さて、「喜楽寿司」である。
商店街を歩いて行ったら
デカい看板が遠くからやけに目立つ。
鮨屋としてあまり趣味のよいものではない。
ところが店先は一転してすっきりとした佇まい。
傍らの簡素な品書きボードには

 おまかせ握り
  八個     3000円
  十二個    4600円
 おまかせコース
          8600円
             税別


とあった。

敷居をまたいだのは18時前だったろうか。
ぶらりと気楽に立ち寄ったので
当然のことながら予約はしていない。
店主に「1時間ほどでしたら・・・」―
そう言われてニッコリうなずいた。

つけ台の先客は奥に中年女性の二人連れ。
手前に若い男性客が独り。
キリン・ハートランドの生中と一緒に
突き出しの枝豆が運ばれる。
当夜は遠出の帰りなのでホッとひと息。
店主にはお好みのにぎりで始めることを伝えた。

=つづく=
  

2011年10月27日木曜日

第171話 甲斐の国にも桂川 (その3)

猿橋を渡り返して大月へは徒歩で向かった。
大月の町は桂川の南側に位置するが
地形的にそちらは道路が大きく迂回していそうで
川の北側、いわゆる左岸を歩んだ。
通るクルマの数は少なく、歩行者のジャマをしない。
いったん猿橋駅に戻って線路沿いを行くのは
何となく遠回りのような気がして
桂川をすぐには渡らず、ひたすら西へ西へ。

途中、猿橋と大月の中間点辺りにて強瀬橋を渡ると、
南詰たもとに小滝が流れ落ちている。

小さいながらもなかなかの水勢

帰宅後、調べてみたら
丘の上にある駒橋水力発電所の余剰水を流す人口滝だった。
明治40年(1907年)開設のこの発電所は
東京に遠距離送電した最初の水力発電所とのこと。

滝の脇にある勾配の急な小道を登り切ると、小さな踏切に遭遇。
れっきとしたJR中央線の踏切だが
日にそう多くの人々が通行するとも思えない。

到着した大月の町はやけに殺風景だった。
一時期は織物産業で栄えたものの、その後衰退の一途をたどり、
ここ20年で人口が15%も減少し、3万人を割り込んでいる。
中央線の南側だけに開けた町は
ホンの15分ですべてを把握できるほどだ。

目当ての食堂「うづき」はすぐに見つかった。
以前は国道沿いにも支店があったが
飲酒運転取締り強化のあおりを食い、
客が激減して閉店の憂き目を見たとのこと。
親切な女将と実直な店主、二人だけで切盛りしている。

ビールの大瓶と餃子(400円)に
期待のチャーシュー(700円)をお願い。
「え~っと、チャーシューはもう少し時間が掛かるかな?」―
女将の言葉から現在進行形で焼かれていることが判る。
いいでしょう、いいでしょう、別に急ぐ旅ではないし、
気持ちよく余裕でお待ちしましょう。
第一、焼き立てにありつけるなら、それに越したことはないもの。

まず登場した焼き餃子

ほほう、カタチ、色つや、焼き加減、整列ぐあい、
どれをとっても非の打ち所ナシ!
われわれクラスともなると、
エッ? どんなクラスだ! ってか?
まァまァ、聞き流しておくんなせェ。
とにかくわれわれクラスは
見ただけで食べる前から美味を確信するのである。
何も付けずにパクリとやったら案の定、花マルだった。

続いて運ばれたチャーシュー

いや、参ったネ、もろ手を挙げて降参だネ。
コイツはすごいや、生涯ベストスリー間違いナシ!
タイプは異なるが「中国飯店」グループのそれに匹敵。
値段はこっちがずいぶん安いのもありがたい。
名ばかりの高級店など足元にも及ばない。
何たってチャーシューは叉焼だかんネ。
煮豚なんざ、もう金輪際、食いたかねェ!

=おしまい=

「うづき」
 山梨県大月市御太刀1-1-1
 0554-23-1510

2011年10月26日水曜日

第170話 甲斐の国にも桂川 (その2)

山梨県・大月市は猿橋にて桂川を見下ろしている。
桂川といえばピンとくるのは京都の淀川水系河川だが
ここ山梨にも甲斐の山々の間を縫うようにして流れていた。
神奈川県に入ると、その名を相模川と変え、
”砂まじりの茅ヶ崎”辺りで相模湾に注ぐのだ。

行楽シーズン真っ盛り、
十月の週末なのに観光客はまばらであった。

橋上に人影は見えない

猿橋が初めて架橋されたのは7世紀という説があるが
現在の橋は27年前に架け替えられたもの。
橋自体の長さも水面からの高さも30メートルなのだそうだ。

橋の南詰に1軒の日本そば屋を見とめた。
という言い方は語弊があり、
実は東京を離れる前にインターネットで調査済み。
そば屋の存在はすでに認識していた。
屋号を「大黒屋」といい、手打ちそばが自慢とのこと。

国定忠治ゆかりの忠治そば(1100円)を所望する。
凶状持ちの忠治がこの「大黒屋」にしばらく逗留したらしい。
それに因んだメニューはかくの如し。

もりそばに桜肉の竜田揚げが添えてある

忠治は馬肉を好んだのだろうか。
いずれにしろ珍妙な組合せだ。

見た目の冴えない竜田揚げはそれなりの味で悪くはない。
かといって鳥や鯨に勝ることもない。
さすれば馬肉で頑張ることもなかろうに―。

そんなことより困ってしまうのは、そばとつゆそのもの。
そばにコシも香りもなく、手打ちを供する意味がない。
そこいらのスーパーで買える茹で麺とほとんど変わらんぞ。
超ド級の甘さのつゆにはお手上げ状態だ。
おまけに薬味はニセわさびと雀の涙ほどの大根おろし。
つゆの中に申し訳程度の三つ葉と白髪ねぎが
空しく浮き沈みしていた。
まったくもって隣県の信州そばとは雲泥の差であった。

観光スポットに旨いものナシ。
格言は今も生きており、永遠に変わらないのかもしれない。
店のHPによるとオススメは冷たいそばで
大量のそばをいっぺんに茹でることを避けているそうだが
そういう次元の問題ではあるまい。
ダメなものはどう茹でようとダメ。

気を取り直して会計を済ませ、はて、どうしたものだろう。
薄曇りの比較的しのぎやすい日、大月まで歩いてみようか。
調べによると、大月にはチャーシューの旨い食堂がある。
そこで飲る一杯を楽しみに進路を真西に取った。

=つづく=

「大黒屋」
 山梨県大月市猿橋町猿橋55
 0554-22-1626

2011年10月25日火曜日

第169話 甲斐の国にも桂川 (その1)

 ♪  苦しめないで ああ責めないで
   わかれのつらさ 知りながら
   遠い日は二度と帰らない
           夕やみの桂川 
             (作詞:林春生)


1970年代に”京都演歌”のスペシャリストだった渚ゆう子。
彼女のヒット曲第2弾、「京都慕情」のエンディングである。
何せ、古都・京都を舞台にした持ち歌が
10曲以上もあるのだからオタクもオタク、大オタクだ。
もちろん、そこにはレコード会社の戦略があるけれど・・・。

かつて好きだった、いや、
今でも好きな渚ゆう子のマイ・ベストスリーは
① 長崎慕情
② さいはて慕情
③ 雨の日のブルース


最大のヒットとなった「京都の恋」がもれているのは
およそ2年後にリリースされた小柳ルミ子の
「京のにわか雨」がさらなる佳曲で
多少なりともワリを食った感否めず。

ベストツーの「さいはて慕情」は
たまたまルミ子もカバーしており、ゆう子に負けず劣らずの熱唱。
二人の歌声から伝わって来るのは
ルミ子が恋を逃れる女ならば、ゆう子は恋に溺れた女である。

ベストワンの「長崎慕情」は
「京都の恋」・「京都慕情」に続くベンチャーズの作曲。
マイナーからメジャー、またマイナーへと転調がすばらしく、
名曲「長崎の鐘」の影響をモロに受けているのだろうが
これはこれで見事な出来映えと言えよう。
日本人の心の琴線にふれるメロディーは
とても外国人がコンポーズしたものとは思えず、
彼らの度重なる来日がダテではなかったことを裏付ける。

ここでいきなり、小さな旅の話に転調。
ある日、思い立って山梨県・大月市を訪ねた。
信州方面に向かう途中、通過することはあっても
大月の地に足をつけるのは初めてのこと。
降り立ったのは大月の1つ手前、猿橋だった。

駅から歩くこと20分弱、
日本に現存する唯一の刎橋(はねばし)、猿橋に到着した。
刎ねるという稀有な文字は
”首を刎ねる”のケース以外にほとんど使われない。
そのせいか日本三奇橋の1つに数えられている。

両たもとから刎ね木が刎ね出して橋を支える

屋根が付いているのは雨水による腐食を防ぐため。
言われてみれば、確かに変わった架橋スタイルではある。

その先には水道橋が架けられ、今も稼働中だった。

八ツ橋発電所の第一水路橋

なかなかの奇観である。
下をのぞくと渓谷は深く、渓流は早い。
高所恐怖症にはちとキビシい眺めがそこにあった。
流れは山中湖を水源とする桂川。
エッ? 桂川?
甲斐の国にも桂川が流れていたのだ。

=つづく=

2011年10月24日月曜日

第168話 再び北海縞海老の話

第160話に端を発し、
第163話でもふれた北海縞海老の話。
読者のM井サンから貴重なメールが届いたので
ここに紹介させていただく。

初めまして。北海道在住のM井と申します。
J.Cさんの本は「●●を食べるシリーズ」、どくろ本、
庶ミシュランとも軽快な文章が楽しく、
愛読させていただいています。


今年7月までの4年間は、東京勤務で西荻窪に在住しており、
J.Cさんの本やブログを参考に食べ歩きをさせていただきました、
どじょうの「ひら井」、とんかつの「ゆたか」、寿司「たなか」など、
数々の店を教えていただいたので東京生活を満喫できました。


前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
上記の本などでもかねてから疑問に思っていたのですが、
先日のブログでようやく分かりました。
J.Cさんが言う「北海縞エビ」と北海道のそれは全く別物なのです。
両者の違いを記しますので参考にしていただければ幸いです。


ホッカイエビ
北海道で言う北海縞エビです。
ご指摘の通り、野付湾やサロマ湖で捕れます。
ここからが肝心なのですが、生きている時の体の色は
緑褐色で黄緑色のしま模様が入っています。
これを茹でると、御存知の鮮やかな赤に変わるのです。
湧別や別海など産地に近い店で「おどり」で供するほか、
札幌で刺身を出す店もありますが甘味が少なく、
決しておいしいとは言えません。
シャコ同様、鮮度のよい物でも茹でて食べる方がおいしいのです。


モロトゲアカエビ
北海道で言う縞エビ、J.Cさんの言う北海縞エビです。
日本海側(留萌や増毛、余市から積丹にかけて)で
甘エビや牡丹エビなどともに混獲されることが多いです。
あまり数が多くないため、狙って捕れる物ではないのです。
よって、希少価値は道内でも高いのです。
北海道の人も、ちょっと魚介類に詳しい人なら
このエビの価値は知っていて、甘エビよりも人気は高いです。
当然、茹でるなどは邪道で
鮮度の良い物はまず、刺身か寿司で食べます。
その他、天ぷらか唐揚げといったところです。


今回のブログにあった話は
都内と北海道で「北海縞エビ」と言った場合、
示すエビの種類が全く別物だったことに
端を発していることが原因でしょう。


茹でて食べる「北海縞エビ」は築地でも評価が一定しておらず、
単なる「茹でエビ」として扱っている店も多いため、
むしろ産地より安くなる場合もあると、聞いています。
にもかかわらず、根室食堂が地元で使っている「北海縞エビ」が
そのまま都内でも通用すると思って表記したため、
J.Cさんのような件を引き起こしたのだと思います。

以上、長々と書きましたが、ご参考になれば幸いです。

おかげ様で疑問が氷解しました。
微に入り細を穿つご解説、M井サンに心より感謝します。
いやあ、人生はいくつになっても勉強ですねェ。 

2011年10月21日金曜日

第167話 モヒート風チキン蒸し焼き 男やもめのキッチン Vol.4

男やもめがが独りでキッチンに立ち、
手を抜けるだけ抜いて自分のために料理を作る。
今日は”男やもめのキッチン”シリーズ、その4回目。

ここ1~2年、若い女性を中心として
大流行した飲みものにモヒートがある。
大量のミント葉にホワイトラムとライムジュース、
ガムシロで甘みを加え、氷を投入してソーダを満たす。
ロングカクテルと呼ぶ向きもあるが
厳密にいうとカクテルは2種類以上の酒を合わせることが必須。
モヒートはロングドリンクと呼ぶのが正しい。

キューバ生まれのこのドリンク、
ラムはバカルディを使うのが一般的だが
本場ではハバナクラブを使用する。
ダイキリと並んで文豪・ヘミングウェイお気に入りの飲みものだ。
彼のレシピは上記に加え、
2ダッシュのアンゴスチュラ・ビターズがポイント。

さて、夏は過ぎ去り、モヒートの季節も終焉を告げた。
別にモヒートを秋や冬に飲んで悪くはないけれど、
ここは夏の日の思い出を胸に、あの風味を料理に導入したい。
自慢じゃないが正真正銘、J.C.のオリジナルである。

名付けて、モヒート風チキン蒸し焼き。
とてもオサレな料理につき、
彼女を自宅に招き入れてご馳走したら歓ばれること必至。
家に上がりこんでおきながらこれでオチなきゃ、
おそらくアナタに問題があるのだろう。
もはやその彼女に目はないから、即刻狙いを移すべし。

それではアラ・キュイジーヌ!

用意する食材(2人前)は  
 鶏もも肉・・・2枚
 コーン油、バター・・・適宜
 ホワイトラム・・・少々
 フレッシュライム・・・1個
 フレッシュミント・・・数葉


チキンには塩・胡椒しておく。
ほかに味付けをしないから塩はやや強め。
胡椒はできれば挽き立ての白胡椒が望ましい。

フライパンにコーン油を熱し、
肉の皮目を下にして強火で焼き目をつける。
その間1~2分。
返したら最弱火に落としてフタをし、ゆっくりと火を入れる。
その間6~7分。

火が通ったらそれぞれの肉にバター少々を乗せ、
溶けたところでホワイトラムを投入し、フランベする。
あらかじめ2枚のスライスを確保しておいた残りのライムを
火の落とし際にチキンの上から大量に搾り掛ける。

チキンを皿に盛り、ライムスライスを乗せ、
その上にミント数葉を飾って出来上がり。

もちろんミントはお飾りではなく、チキンとともにいただく。
余計な味付けを排し、塩味と胡椒の香気、
ライムの酸味と風味にミントがアクセントとなり、
見るからに食べるからにシンプリー・ビューティフル。

ガルニテュール(付合わせ)は絹さやかいんげんのソテー、
茹でたブロッコリーなど、青物がピッタリ。
間違っても冷凍のミックスベジはいけません。
あれではすべてぶち壊しだ。

合わせる飲みものは、是が非でもラムにご登場願いたい。
モヒートやダイキリというわけにもいくまいから
ライムの櫛切りを添えたメキシコ産コロナビール。
あるいはライムスライスを浮かべたラム&ソーダ。
甘党ならコークかペプシで割ったキューバ・リブレでキマリだろう。
う~ん、実にオサレだ!

2011年10月20日木曜日

第166話 接客業 いまむかし (その2)

いくらこちらが高校生でもタクシードライバーに
「眠れねェじゃねェか!」と一喝される筋合いはない。
いやはやトンデモない時代だったのである。

ほかにも客や来訪者に対して
冷淡な扱いに終始する連中がいた。
当時(1960~70年代)のワーストスリーは
タクシー運転手を筆頭に、続いて役所の職員、
そして国鉄&地下鉄の駅員であったろう。
私鉄でさえもけしてほめられた対応ではなかった。

1976年に東京都・板橋区から
千葉県・松戸市に転居した。
松戸市役所には全国初の「すぐやる課」があったりして
心温まる応対をしてもらった覚えがある。
いまだに松戸の街が好きなのも
そんなところに起因している。

駅員たちもヒドかった。
買った切符を紛失しようものなら犯罪者扱いで
「何時何分に家を出たの?」なんて
自宅に電話を掛けられたりする始末。
今ではまったく考えられない。

反対に礼節をきわめた接客業は何であったろうか?
これは半世紀近くを経た今も変わらない。
ベストスリーの第3位には銀行のテラ。
ATM周りのオジさん・オバさんも大変なもので
1日に何回「いらっしゃいませ~」を口にするのだろう。
丁寧さにかけては1、2を争うけれど、
テラはけっこう待たせるから、そこが減点材料だ。

第2位は百貨店の販売員。
ただし、地下の食料品売場ならともかく、
スーツやシャツ売場での「サイズはおいくつですか?」、
ネクタイ売場での「どんなお色をお探しですか?」―
あれはうっとうしい。
「しばらくほっといておくれ」と言いたくなる。
彼らにノルマがあるのかないのか知らないけれど、
あのわずらわしさだけは御免こうむりたい。

そして栄えある第1位はダントツでホテルマン。
ビジネスホテルや連れ込みホテル(死語か?)はおいといて
シティホテルほど客あしらいに秀でた職種はない。

たび重なる外資系の参入で
都心御三家の宿泊稼働率は悪化の一途。
宴会・料飲部門の売上もかんばしくないと聞く。
昨日・今日乗り込んできた新参者と違い、
昔からずっと快適なサービスに努めてきた日本のホテル。
なるべくならそこで飲食し、そこに宿泊しましょうよ。
別に外資が悪いわけではないけれど、
老舗の廃業なんて事態は見たくないものネ。

2011年10月19日水曜日

第165話 接客業 いまむかし (その1)

ときは1958年4月5日。
読売ジャイアンツVS国鉄スワローズ@後楽園球場。
カンのいい読者はもうお判りですネ?
そうです、3番サード長嶋茂雄がエース金田正一に
4打席連続空振り三振を喫した日ざんす。

ミスターのショッキングなプロデビューだった。
翌日も長嶋はリリーフでマウンドに上がった金田に
三振を喫しているから実際は5打席連続三振、
こんな珍記録はもう永遠に破られることはないだろう。

だがそんな記録よりも
当時のピッチャーの酷使には唖然としてしまう。
当人の金田は別格だったが
杉浦・稲尾・藤田・尾崎、
彼らはみなこき使われて投手生命をむしばまれた。
鶴岡・三原・水原、この三爺がA級戦犯、
おのれの名声のために若い命を奪った罪は限りなく深い。

1958年4月3日。
長嶋VS金田の2日前のこと。
ベースボールとはまったく関係ないけれど、
NHKのTVドラマ「事件記者」が始まった。
数年後には視聴率40%を超えたオバケ番組である。

脚本は新聞記者上がりの作家・島田一男だ。
たまたま小説「事件記者」の文庫本を
手に入れる機会に恵まれ、
懐かしさのつれづれに急ぎページをめくる。
ハタと手が止まったのはかくなる文章であった。

”アポニー” を出た荒木は新橋駅のほうに行きかけたが
突然立ち止まると、通りかかったタクシーを止めた。
「東小松川・・・。江戸川の向こう・・・」
運転手は、返事もせずに車を走らせた。
運ちゃんの御機嫌を気にしちゃ、
東京でタクシーには乗れない・・・。
 (アポニーは記者連中が溜まる喫茶室、
   荒木は新聞記者)

そうだった、そうだった、思い出した。
あの頃の・・・昭和30~40年代の、
タクシー運転手の態度はヒドかったな。
今じゃ考えられないがほとんどやくざ同然で
どっちが客だか知れたものではなかった。

あれは高校卒業の数ヶ月前だったろうか、
クラスメートと池袋から本郷までタクッたとき、
目的地に近づいたので道順を指示したものの返事はナシ。
再度、声を大きくしたら
返ってきた言葉に度肝を抜かれましたネ。
「うるせェな、眠れねェじゃねェか!」
オイ、オイ、寝てたのかよ、お前?

=つづく=

2011年10月18日火曜日

第164話 悪夢の竹輪磯辺揚げ

竹輪の磯辺揚げってご存知ですよネ?
通常、1本の竹輪を脳天唐竹割りにして
それを胴の真ん中からブッタ斬り、
計4ピースにバラしたあと、
青海苔入りのコロモをまとわせて揚げたものだ。

自分に子どもはいないし、
近所に学童の友だちもいないから
現在の実情は存ぜぬが
昭和30年代の小学校給食に
しょっちゅう登場したのが竹輪の磯辺揚げ。
鯨の竜田揚げと隔週金曜のローテーションで
出てきたことを覚えている。

そして月曜によく出た献立が
ねぎま汁と砂糖をまぶした揚げコッペパン。
昭和30年代といえば、まだまだみんなが貧しかった時代。
昼食はもとより夕食だって質素なおかずで
中には麦の混じったごはんを食べていた家庭もあったはずだ。
何せ、時のアホな総理大臣(でも菅よりはずっとマシ)が
「貧乏人は麦を食え!」などと、マジで叫んでいたご時世だもの。

思うに金曜と月曜に揚げ物を持ってきたのは
給食のない土・日に貧弱な食事で
栄養不足に陥った児童の栄養補給のため、
栄養士が考えに考えて
高カロリーの揚げ物を供給したのではなかろうか。

今では貴重な鯨の竜田揚げも
当時は嬉しくも何ともなく、とんかつのほうがありがたかった。
大森から深川の小学校に転校したとき、
給食にとんかつとフルーツポンチが出て雀躍したことを記憶している。

そんな鯨だったが竹輪よりはずっとよかった。
実は子どもの頃、磯辺揚げが大の苦手で
当日は朝から憂鬱になったものだ。
口いっぱいに詰め込んだまま嚥下せず、
校舎裏の排水溝に全部吐き出したくらいである。
それが大人になって食べられるようになるから不思議だ。
さすがに好物とはいかないまでも
居酒屋で友人が注文しても、それをさえぎることはしない。
昔はむしろ嫌いだった豆腐も歳とともに好きになったから
人間の味覚や嗜好はずいぶんと変化するらしい。

とある夕暮れ、銀座の泰明小学校近くにある老舗日本そば店、
「泰明庵」で一人前の刺身盛合わせを肴に独酌していた。
刺盛りの内容は真鯛・まぐろ・かんぱち、
そしてもう一種の白身は縞あじに間違いあるまい。
この時間に独りゆるりと酒を酌む幸せを肌で感じていた。

ふと品書きに鯛ちくわ天の文字を見とめる。
あのときは上等な鯛竹輪ではなかったものの、
小学生時代の悪夢が脳裏を貫いた。
注文してみるとコロモに青海苔は混ざっていない。
不味くはないが別段旨いというものでもない。
3つ目あたりから次第に飽きて持て余す。

気まぐれに余計なモンを頼んじまった夕まぐれ、
7、8丁目あたりに回り、新規開拓でもしてみるか。
意外とまぐれ当たりがあったりもして・・・。

「泰明庵」
 東京都中央区銀座6-3-14
 03-3571-0840

2011年10月17日月曜日

第163話 北海縞海老の話

何かに咬みついたが最後、
雷が鳴ろうが稲妻がは疾ろうが金輪際放すことのない、
性器の、もとい、世紀の咬みつき亀、
友里征耶が親切にも電話をくれた。

何でも当コラムのことがツイッターでつぶやかれていたらしい。
当方、その世界には足を踏み入れたことがないので
今ひとつ実感が伴わないが
ことの次第はかくかくしかじかである。
まず先週掲載した「第160話 根室から札幌へ逃走」から
一文を引用したのでご覧いただきたい。
「根室食堂 新橋店」での出来事であった。

根室直送の活魚がウリの店だから変わった食材が揃っている。
少々水っぽいがオヒョウの刺身が珍しい。
好物の北海縞海老を注文すると、茹でられてやって来た。
どこの世界に縞海老を茹でるバカがいるんだい!
茹でるんだったらメニューにその旨を明記せよ。


友里亀が伝えてくれたところによると、
これを読んだツイッターのつぶやきシローならぬ、
つぶやき某氏曰く、
「北海縞海老は茹でて食べるのが当たり前、
 カン違いでバカ呼ばわりされたら店もたまらないよな」―
であったらしい。
某氏に言わせれば、まさしく
”カン違い コタツで母の 手を握り” を地でゆくJ.C.である。

ちょっと待ってくださいよ、つぶやきサン。
道東の野付半島辺りで大量に水揚げされる北海縞海老は
正しくは北国海老というらしいが
浜茹でされて箱に詰められ、消費地に供給されている。
松花堂弁当の炊き合わせなんかに紅一点、
鎮座ましましているあれだ。
あれは解凍後にあらためて味付けされたもの。
もっとも高級店では高価な車海老が使われるけれど・・・。

しかしながら都内の真っ当な鮨屋や割烹では
ナマ以外の、火の通った縞海老にはまずお目に掛からない。
デパ地下や都内有数の鮮魚店、
御徒町「吉池」でも刺身用としてナマで売られている。
つい先日も自宅用にここで購入したし、
ふた月ほど前には浅草の「志ぶや」で刺身を食べた。

たくさん獲れるうえに鮮度オチの早い海老につき、
ナマで流通させるにはムリがあるのだろう。
でもネ、プックリと太って良形の縞海老は
何と言っても刺身が一番。
くだんの「根室食堂」でも産地直送を高らかに謳い、
しかも刺身のラインナップにその名が記されていれば、
誰だってナマで供されるものと思い込んでしまうでしょうに。

まっ、いくらなんでもバカは言葉が過ぎたかもしれない。
それに説明不足で誤解を招いた点も否めない。
ただ、そういうことですから
つぶやきサンのご了承を得られれば幸いであります。

2011年10月14日金曜日

第162話 三菱を食っちゃいました!

はて? これはいったい何でありましょうか?

Qu'est-ce que c'est (ケス・ク・セ)?

日本狭し、もとい、広しといえども
この写真を見ただけで
この物体の何たるかを識る人はそう多くはないハズだ。

人間は考える葦である。
写真は食べられる菱である。
菱?
何じゃソレ? ってか?
菱ですヨ、ヒシ。
菱形の菱、菱餅の菱、まき菱の菱。
実はこれ、水生植物の菱の実なんです。

根津神社の裏手にある坂は根津裏門坂。
神社の真裏には日本医科大学付属病院がある。
尿管結石の小沢一郎が担ぎこまれたのがここだ。
坂を降りきると不忍通りだが
同時に千駄木本通り商店街とも呼ばれている。
散歩の途中、この商店街の青果店で菱を見つけた。
福岡のJA全農が出荷したもので
ここで会ったが三年目、すかさず買い求める。
確か1袋498円だったかな?

上の写真じゃよく判らんので皿に並べてみた。

三菱グループのロゴを真似て

じっくり眺めたものの、別に菱形はしていない。
むしろ忍者の使うまき菱に近い形状をしている。
調べてみると葉のカタチが菱形とのこと。
そしてまた菱の実を上からではなく、
横から見ると菱形に見えるそうだが
食べてから知ったので後の祭りもいいところ、
プロフィール(横顔)は拝んじゃいない。

同封のチラシには
水に浸してアク抜きしてから茹でろとあった。

最初の一口は興味津々

何やらほっこりと、栗の実に似ている。
ただし、甘みと色は栗よりだいぶ薄い。
奈良時代の食べものみたいだな、というのが第一感。
どことなく万葉集の味がした。
万葉集の味って何だ?と問われても答えに窮するが
感覚的に理解していただきたい。

デリケートな味覚がわりかし気に染まり、
結局、三菱どころか六菱も七菱も食っっちゃった。
とにかく珍しい代物につき、
どこぞで見掛けたら迷わず購入することをおすすめしたい。

ところでヒシクイというガンの仲間をご存知だろうか。
好んで菱を食べるところから菱喰の名前が付いた。
アリを食う獣がアリクイ、ヒシを食う鳥がヒシクイ。
1袋の菱の実でいろんなことを学んだJ.C.、
いくつになっても毎日が勉強でありますな。

2011年10月13日木曜日

第161話 ハムカツが完全復カツ

昭和30年代、町の精肉店の揚げ物コーナーには
必ずといってよいほどハムカツがあった。
それも中身のハムより両サイドのパン粉のほうが厚いヤツ。
しかもハム自体がロースやボンレスに程遠く、
何の肉だか判らない畜肉が混合されたヤツだった。
中には魚肉の混じったのもあったのではなかろうか。

その後、ハムカツの消息がプツリと途絶えて・・・
っていうか、肉屋で買い食いをしなくなったために
こちらが勝手に疎遠となっただけで
実際は細々と売られ続けてきたのかもしれないが
あまり目にする機会がなくなった。

それがいつの頃からだろう、
定食屋や居酒屋でしきりに目にするようになったのは―。
殊にレトロをウリにしたエセ昭和30年代風の酒場で目立つ。
ご丁寧に”昔懐かしいハムカツ”などと一筆添えられてネ。
もはや完全に復権をはたした感すらある。

はしご酒の最初の1軒、あるいは最後の1軒で
よき酒の友となってくれるのがハムカツ。
トンカツではそうはいかないし、メンチカツもちと重たい。
芋のコロッケはどちらかというと女子どもの食べもので
しがないオヤジにはハムカツがしっくりなじむのだ。

西浅草は合羽橋通り(道具街ではない)の「豚八」は
以前、年中無休の24時間営業を敢行しており、
その時分はよく真夜中に利用した。
ここのハムカツの中身は単にハムのみにあらず、
チーズが1枚しのばせてあるのだ。

チーズが溶けて流れ出す

都内屈指のハムカツがこれである。
もっとも正しくはチーズハムカツだけれどネ。

9月中旬、埼玉県・春日部在住の友人から
ジャズコンサートに出て来いとの呼び出し。
役者はあのディック・ミネの長男坊、
といってもすでに古希を超えたケニー・ミネさんである。
でもって行きました、8人ほどの徒党を組んで。

コンサートの前に軽く一杯。
案内されたのは「ふじや」なる町の食堂だ。
日中は初老の夫婦二人だけの切盛り、
日が沈むとバイトの可愛いおネエちゃんが手伝いに来るという。
当日はまだ宵の口、惜しくも目の保養はならなかった。

その代わり喉と舌をそれなりに歓ばすことができた。
スーパードライの大瓶に
枝豆・焼き餃子・赤ウインナー炒め、そしてハムカツくんである。

薄いのが2枚重ねで登場

サクッと軽やかに揚げられて冷たいビールにピッタンコ。
このままずっと飲み続けていたい。

街道筋にある何の変哲もない食堂ながら
夫婦が律儀に作り続けてきた料理には
真心という名の隠し味が利いておりました。

「豚八」
 東京都台東区西浅草2-27-10
 03-3842-1018

「ふじや」
 埼玉県春日部市中央1-18-4 
 048-754-4589

2011年10月12日水曜日

第160話 根室から札幌へ逃走

三石精一+東京ユニフィルハーモニー管弦楽団の
定期演奏会に通い始めてどのくらいになるだろうか?
3年近くになるのではないか。
その最後の定期公演を聴きにサントリーホールに赴いた。
ドビュッシー、ラヴェル、ベルリオーズ、フランスの巨匠3連発だ。
昼と夜の長さが同じ日のことで穏やかな秋日和であった。

コンサートがハネたあと、向かったのはオヤジの街・新橋。
赤坂・六本木に落ち着き処を求めてウロウロするより、
地下鉄に乗ってしまったほうが早い。
新橋なら隣りに銀座が控えていることだし、
たとえ祝日であろうとも、どうにかなろう。

一行は、K木夫妻、Gラ、Y子の総勢5人。
5人とも同期ながら板橋高校出身のJ.C.以外は
すべて隣りの豊島高校出身者。
悪名高き都立高校学校群制度のもと、
賽の目の出方一つで同じ学び舎に通うこともあった間柄。
結果として出目は異なれど、両校はそこそこに仲がよい。

駅前ビルに飛び込むものの、気に染まる店はみな休業中。
それではと地上に出て目にとまったのが「根室食堂 新橋店」。
渋谷店の前はしょっちゅう行き来するので
その存在は認知していたけれど、とにかく初めての試みに
あまり期待もせず入店した。

ビールは生のプレミアムモルツのみでいきなりガックシ。
仕方ないから1杯だけやっつけ、あとは角のハイボールへ移行。
根室直送の活魚がウリの店だから変わった食材が揃っている。
少々水っぽいがオヒョウの刺身が珍しい。
好物の北海縞海老を注文すると、茹でられてやって来た。
どこの世界に縞海老を茹でるバカがいるんだい!
茹でるんだったらメニューにその旨を明記せよ。

腹っぺらしのGラの発案で
”ど~んとにぎり30カン盛り”なんぞも頼んでみたが
奇妙なネタばかりで鮮度と質にも疑問あり。
どうにもこうにも箸が進まず、5~6カンを残して退散を決め込む。

逃走を図った亡命先は間違いのない「銀座ライオン 七丁目店」。
言わずと知れたサッポロビール直営のビヤホール、
そのフラッグシップである。
ところがどっこい、到着してみれば長蛇の列だ。
それもそうだよなァ、銀座一、いや、東京一のビヤホールですもの。

そこで急遽向かったのがすんなり入れる「五丁目店」だ。
接客の女の子に「おトクですから」とすすめられ、
K木とJ.C.は1リットルの特大ジョッキに挑戦。
おう、おう、さすがにサッポロ、旨さがネムロとは格段に違う。
大した時間も掛けずにお替わりである。
これには西武ライオンズのオカワリ君も参ったろう。

つまみのアボカドサラダはそれなり。
店自慢のローストビーフは
有楽町の「レバンテ」よりオチても及第点はを上げられる。
何せロービーは大店(おおだな)でないと提供できないからネ。

ほどなく知人の結婚披露宴に出席していたH津、
娘の発表会を見守ってきたS井が遅れて到着。
彼女たち2人も豊島高校の出だ。
気の置けぬ友人たちとああでもない、こうでもないの応酬。
和気あいあいのワイワイガヤガヤ。
互いにジジ・ババになっても楽しいものである。
そして傍らにビールのジョッキがあれば、
もう何も言うことがございませぬな。

「根室食堂 新橋店」
 東京都港区新橋2-18-4
 03-3571-3360

「銀座ライオン 銀座五丁目店」
 東京都中央区銀座5-8-1 サッポロ銀座ビルB1
 03-3571-5371

2011年10月11日火曜日

第159話 コソ泥以下の東京電力

悪の巣窟・東京電力がまたやらかしてくれた。
何と、過去9ヶ月間ずっと、
電気料金の値上げを続けてきたのだ。
毎月、毎月値上げして9ヶ月連続の値上げ。
ご存知の方もおられようが
この悪行を知ったのはつい最近のこと、
われながら迂闊千万であった。

普通の家庭の場合、電気・ガス・水道の公共料金は
各家庭の世帯主の口座から自動的に引き落とされる。
それをよいことに密かにコッソリと、
かなりの額をつまみ食いしていたのが東電だ。
月々送られてくる明細書にはごくごく小さな文字で
目立たぬように値上げの旨は記されている。
だけどネ、このやり口はずるがしこさにかけては
天下一品の保険会社と丸っきり同じ手口。
コソ泥以下の所業と断じてよい。

こういう悪漢を英語で
ファッ〇ング・スニーキー・バスタードという。
スニーキーもスニーカーも語源は同じスニーク。
動詞は”こそこそ歩く”、”こそこそ隠れる”という意味だが
形容詞のスニーキーには”卑劣な”という意味も含まれる。

コソ泥は罪の意識があるから人知れずコッソリと犯行に及ぶ。
それもほとんどの場合が単独犯で狙う獲物も知れたもの。
翻って極悪非道の東電は
罪悪感のかけらすら持ち合わせない組織的犯行で
ゴッソリとまとめて庶民から吸い上げる。

こんな企業に独占的恩恵を与え続け、
見返りに巨額の企業献金をせしめてきた自民党も同じ穴のムジナ、
言わば、悪徳商人と悪代官の関係そのものである。
そうして手に入れた”山吹色”が原発という名の大判・小判。
しかもこの世界には水戸黄門も暴れん坊将軍も
遠山の金さんも桃太郎侍もいないんだから
悪徳の栄え、とどまるところを知らずである。

独占権の剥奪にあたっては
それなりの電力をただちに供給できる企業体の設立は無理。
さすれば、一刻も早い東電の国有化を実行するほかはない。
世のため、人のため、悪者はすみやかに成敗せねばならぬ。

国有化を避けるため、密かに値上げを続けてきた東電だが
見て見ぬフリをしてきた政府や大手メディアはいったい何なのだ。
そこにはポリティシャンとしての自覚も
ジャ-ナリストとしての矜持もまったく見受けられない。

こんな国に生きなきゃならない国民は不幸。
不幸だけれども経済的にはそこそこ恵まれているから
変化を求める声はきわめて限定的なものとなる。
乱世では自分の地位や名誉、
ひいては利権や収入がおびやかされることになりかねない。
劇的変化は大いに迷惑なのだ。
こんなところに小沢一郎が排除される理由が潜んでいる。
公務員を中心としてこの国には
小沢に首相をやってもらったら困る人間が多すぎる。

竜馬ファンや信長ファンが少なくない日本。
でもネ、そんなことは歴史上の夢物語で
今の世の中、彼らみたいなのが登場したら
周りが寄ってたかってつぶしてしまうに決まっている。
”出る杭は打たれる”―彼らは明らかに出る杭そのものだからネ。

2011年10月10日月曜日

第158話 バターはどこへ消えた?

自宅近くのスーパーにバターを買いに行ったら品切れ。
雪印も明治も森永も全滅で棚はスッカラカンのカンである。
そのくせマーガリンだけは
高級ホテルのモノも含めてあふれ返っている。
何か変ンだなァと思いつつ、翌日出直したら以前品切れ。
こいつは明らかにオカシい。
10年ほど前に
「チーズはどこへ消えた?」という本がベストセラーになったが
バターはいったいどこへ消えた?

でもって店員に訊ねてみると、返ってきた応えは
「このところバターの供給が不安定なんです。
 入って来ても30個くらいでお昼前には売切れちゃいます」―
ふ~ん、そうであったのか。
こちとら午前中から
スーパーで買い物する習慣は持ち合わせてないしなァ。

バターの品不足はほぼ毎年のようにやって来る。
牛乳の供給過剰を目の当たりにした国が
数年前から乳牛の数を減らし、
生乳を減産するよう指導したことに起因するのだろうが
今年は殊さらヒドい。

自然現象に大きく左右される農・水産物ならまだしも
加工製品のバターがこの有様では
一般家庭はもとより、製菓業や洋菓子店、
学校給食はたまったものではなかろう。

でもって調べてみると、
①去年の猛暑で乳牛の繁殖力が落ち
  仔牛の数が減ったために母牛の乳の出が激減
②原発事故の影響で大量の原乳を廃棄処分
③もともと利益率の低いバターに回される原乳は一番最後

以上の原因が浮かび上がった。

原因は判明したが実際問題として
この窮地を何とかしのがなければならない。
子どもの頃から根っからのバター好きにつき、
マーガリンではクソの役にも立たないのだ。

思案投げ首の末、ふと思い出したのは
これもまた自宅近くのうらぶれた八百屋だ。
確かあそこの商品棚には
雪印の北海道バターが2ツ3ツ並んでいたハズ。
あってくれヨと念じつつ、出掛けてみると、
ヘッヘッヘ、ありやした、ありやした。
ことほどさように記憶力は身を扶けるのである。

バター不足といえば、大震災の直後を思い出す。
あの時期、棚から消えたのは
米・パン・ヨーグルト・納豆が真っ先。
次いでカップ麺・バター・玉子あたりじゃなかったかな?
ただ、品薄になっても大幅値上げなんてことはなかった。
パンやヨーグルトの特売日は廃止されたけど、
震災をダシにして儲けようなんて店もメーカーもなかった。

それがネ、それがですヨ、
世の中にはとてつもないワルがいるんですなァ。
ワルなんてモンじゃない、巨悪ですヨ、巨悪!
しかもそいつが諸悪の根源。
そいつはいったい誰なんだ!ってか?
言わずと知れた東京電力、この野郎はトンデモなく悪い。
明日はそのハナシをお届けします。

2011年10月7日金曜日

第157話 近頃ハテナの神楽坂 (その2)

神楽坂の中腹にある「ル・ロワズィール」を
最後に訪れたのは2007年3月。
したがっておよそ4年半ぶりの再訪になる。

この店は原則、年中無休。
神楽坂はある意味、週末が稼ぎどきで
土・日を開ける代わりに月曜休という店が少なくない。
カガクくんを伴ったのもお盆のど真ん中、
ほかの街ならほぼ全滅という日柄であった。

以前は3675円と5250円の2種類だったプリフィクス。
今回は2625円のエコノミークラスが設定されていた。
やたらにビストロやブラッスリーの多い街だから
競争が激化して価格の見直しを迫られたのかもしれない。
もちろん、一番安いヤツを2人前でゆく。

こちらはビール、相方はカンパリソーダで乾杯。
下戸を相手にフルボトルはキツく、
コート・デュ・ローヌのカラフェ(500ml)をお願い。
セパージュはサンソー(エルミタージュ)100%。
シラーがまったく含まれていないから
同じローヌでも北部ではなく、南部の産であろう。
この程度のワインで、しかもフルボトルの2/3で
3360円の値付けはかなり高めながら、致し方あるまい。

ヒドい店になると東京電力みたいなあくどいマネをするから
まだまだ許容の範囲内。
あっ、そうだ!ここで突然、東電の悪業を思い出した。
思い出したが3年目、このことは来週にでも書こう。

前回はあった仔牛の料理が失せていた。
失意のもとに2人で選んだのは
前菜が
乳呑み仔羊の冷製(これが仔牛だったのだ)。
小海老&生ハムのサラダ。
どちらも大量のムスクラン(ベイビーリーフ)が添えられている。
主菜は
仔羊のナヴァラン(煮込み)、
塩漬け豚のプレ・サレ(長くなるのでググッてください)。
温かい主菜には当然のことながら温野菜の付合わせ。


バターを塗ったバゲットと一緒に味わってみた結果。
4年余りの星霜を経て満足感は激変。
もちろん悪いほうへだ。
カガクくんの眉毛も8時20分を指している。
(フレンチ食いたいと言ったのはオマエだろうが!)
口には出さず、グッと言葉を飲み込んだ。

フランス人住民の増加とともにフレンチが急増した神楽坂。
店の数は増えても質は一向に上向かない。
そう言やあ、本場パリのレストランも
進化どころか退化を辿る一途だものなァ。
この程度で満足してるフランセーズは大したことないねェ。
よってますますJ.C.の足は
この花街から遠ざかるのでありました。

「ル・ロワズィール」
 東京都新宿区神楽坂3-2
 03-3266-0633

2011年10月6日木曜日

第156話 近頃ハテナの神楽坂 (その1)

今も東京に残る数少ない花街、
神楽坂の様子がどこか変ンだ。
お勤めにせよ、お遊びにせよ、
毎日出掛ける人は異変に気づかないかもしれない。
異変というのはいささか大げさだろうが
たまに訪れる者には何となく判る。

じゃ、どこが変ンなんだ?
そう問われても、ここが変ンだヨとは応じにくい。
こればかりは肌が無意識に感じる微妙なところ、
具体的に説明はしづらい。
ただ、いつからこうなったのかというと、
神楽坂の料亭が舞台のTVドラマが脚光を浴び、
オバタリアンが徒党を組んで街を闊歩し始めた頃からだ。

古くから伝統の破壊者(一歩譲って革命家)は
若者&女性と言われ続けてきた。
さように神楽坂を侵食したのは
オバちゃん、ヤング(死語か)、外人サンだろう。

今のご時勢、この街の裏筋をそぞろ歩いて
頭上から三味(しゃみ)の音色が
チントンシャンと降り落ちる幸運はまずない。
現在、定期的に訪れる神楽坂の飲み食べ処は
本多横丁からもう一つ入った「K.S寿司」だけになった。
ほかに再訪する店は皆無も同然だ。

ホンの数年前までマイ・フェイヴァリット・タウン・イン・東京は
一に浅草、二に銀座、三、四がなくて、五に神楽坂だった。
それがここ1~2年、一番、二番は不動なものの、
五番は御茶ノ水に取って代わられた。

御茶ノ水といってもJRの駅周辺だけでなく、
南は小川町、西は神保町に至るエリアだ。
界隈には地番のアタマに”神田”を冠する町が多いが
これはある意味、千代田区の愚かな施政方針。
とにかく”神田・何某”、あるいは”何某・神田”が多すぎる。
東神田の東端から西神田の西端までの距離は
驚くなかれ、中央区・日本橋から港区・新橋に匹敵する。
しかも皇居を擁する、あの狭い千代田区内でっせ!

とまれ、最近は疑念ばかりが思い浮かぶ神楽坂だが
坂の中腹にあるフレンチ・ビストロ、
「ル・ロワズィール」をしばらくぶりで訪れた。
かねてより気に入りの店である。

友人のカガクくんがタマには
ナイフ&フォークを操ってみたいなどと、
気の利いたセリフを吐きやがったので連行した。
連行はしたが、もちろん手錠は掛けていない。
常日頃、貴重な情報を授かっている立場上、
彼のリクエストには抗えぬものがある。
でもって、エッチラオッチラ出向いたのでござる。

=つづく=

2011年10月5日水曜日

第155話 恋は小岩ではしご酒 (その4)

JR総武線・小岩駅構内を縦断して南口へ。
南口を出たらそのまま線路沿いを千葉方面に向かうと
間もなく小岩地蔵通りなる飲み屋街に吸い込まれる。
軒(のき)を連ねているのは大衆的な居酒屋ばかりで
典型的な場末感が辺り一帯に漂っている。

今宵は初見参の「阿波屋」に目星をつけた。
界隈をグルッと周回して決めたのだ。
ちょうど店の裏手に回ったとき、
近所のオバさんとダベりながら店主が生イカをさばいていた。
なじみの客には小売りもするのだろうか。

店内は節電中の様子、相当に薄暗い。
接客の女性がなかなかの美形にして
ちょいと宝塚のタチ役を思わせ、店の暗さをカバーする。
もっとも”夜目、遠目、傘の内”というくらいで
若干割り引いたほうがいいかもしれない。

四半刻ほど歩いたおかげか、シラフに戻った。
いや、少なくとも本人は戻ったつもり、あらためて飲み直しだ。
独りのはしごはまたこれで言うに言われぬ楽しさがある。

スーパードライの中ジョッキは他店より大きめ。
店によっては中だか小だか判別しにくいのがあるけれど、
生ビールのジョッキたるもの、
そこそこのサイズがないと、みじめったらしくていけない。

目の前のカウンターに大皿料理が何皿か。
ピリ辛しらたき、苦瓜の豚玉炒め、茄子南蛮漬け、
セロリときゅうりの塩炒めなんぞが並んでいる。
シゴトにおざなりな部分は見受けられない。

ただし、突き出しの小鉢には一瞬「ウッ」となった。
見れば、メカブともやしがゴチャ混ぜになってるじゃないか。
こういうものは別々に食べたいなァと思いつつ、
イヤイヤ箸をのばしてみると、
あにはからんや、味は悪くなかった。
でもネ、ちょtっとネ・・・結局、半分残しました。

どうやらここは海鮮モノと焼きとんの両刀使いのようだ。
刺身は平目・金目・ほうぼう・かつおのラインアップ。
大きな毛蟹が半身で1800円と、
これには惹かれたものの、蟹は当たり外れが大きい。
第一、大の男がカウンターで独り、
黙々と毛蟹をむさぼる姿はあんまり絵にならんし・・・。

しばし悩んで三陸名物、どんこの煮付けに白羽の矢。
はるか昔、福島県いわき市の教習所で運転免許を取ったとき、
夜な夜ないわき駅前の商店街に繰り出して
地魚のどんこやメヒカリをさんざん食べたっけ・・・。
ところがこのどんこクン、鮮度落ちで感心しなかった。
酎ハイに切り替え、完食はしたものの不完全燃焼気味。
そうそうに会計を済ませ、夜の街に出る。

次の狙いは京成小岩方面。
酔い覚ましに歩くにはちょうどよい。
柴又街道を一路北に向かう。
と、ここまで書いたが、この項もすでに(その4)、
あまりに長くなりすぎた。
このエリアを紹介するまたの機会もあろう。
てなこって、いったん筆を納めます。

=おしまい=

「阿波屋」
 東京都江戸川区南小岩7-25-17
 03-3657-1448

2011年10月4日火曜日

第154話 恋は小岩ではしご酒 (その3)

なかなか酒に行き着かなかった”恋は小岩”のはしご酒。
ようやく1軒目の「大竹」にやって来た。
ここは小岩随一の男の酒場である。
16時半開店のところ、到着時刻は17時ちょい過ぎ。
すでに満席に近く、入口で少々待たされる。
これは順番待ちというより、店内の交通整理のためだ。

ほどなく奥のエッジに近いカウンター席へ。
この店はカウンター向かい合わせで両サイド10席に
それぞれのエッジが1席ずつ。
あとは小上がりが3卓と計30席ほどのキャパである。
おっと、外のテーブルで飲んでる客が数人いたな。

ビールはサッポロのラガー、人呼んで赤星。
まだ暑気の去らぬ季節柄、
瓶よりも生を飲んでる客がほとんどだ。
生を1杯飲ったあと、酎ハイに移る傾向が見てとれる。
かたやハナから酎ハイ派もけして少なくない。
スタッフはこぞって愛想がよく、
一見客が酎ハイを注文すると、
「氷は入れますか、入れませんか?」―親切に訊いてくれる。

野菜炒めみたいな料理に
生のトマトが添えられた皿を前に飲む客が目立つ。
ありゃいったい何であろうか?
謎はすぐに解けた。
まず注文品の冷やしトマトが運ばれたあと、
2品めのホルモン焼きかレバニラ炒めが到着し、
置くスペースに困って一緒盛りにしちゃうのだ。

上記の2皿はネーミングこそ異なれ、見た目はほぼ同じ。
野菜炒めが豚もつ入りか豚レバ入りかの違い。
1種類2串からの焼きとんもけっこうだが
この2皿はそれ以上のオススメで
ボリュームがあって野菜の補給にうってつけ。
ただし、独りのときは持て余す。

そして名代はじゃが芋が乗っかった煮込み。
もつの煮込みに大根やにんじんは邪道だぜ、
そう決め込んで譲らぬ御仁は少なくない。
かく言うJ.C.もその口なれど、
なぜか「大竹」のじゃが芋は許せてしまう。
保守派・守旧派をうならせるだけの説得力がこれにはある。

生ビール・瓶ビール・酎ハイと飲み継いでいささか酩酊気味。
この日はヤケにアルコールの回りが早い。
隣りに座ったオバさんはもっと早く、すでに大トラと化している。
からみ酒じゃないのが救いだが仕切りに話し掛けてくる。
いや、参っちゃうなァ。
これがうら若き美女、
いえ、ベツに美女なら若くなくともよいけれど、であったなら
「まあ、お近づきのシルシにご一献!」となるべきところ、
そんなのこんな場所に居るわきゃないヨ。

いつの間にか女将に代わって
看板娘と思しきお姐ちゃんが目の前に登場。
出会いがしらにその流し目と目線が合ったとき、
笑みを一つだけくれたが
あとは常連客としきりにゴルフ談義だ。
世の中不景気とは聞くものの、
猫も杓子もいまだにゴルフでっか。

さて、そろそろ切上げて
駅の西から東に廻り、もう1軒と参りましょう。
頭の中で再び藤圭子が歌い出した。

♪ よってらっしゃい
    よってらっしゃい お兄さん ♪

=つづく=

「大竹」
 東京都江戸川区西小岩1-19-26
 03-3658-2179

2011年10月3日月曜日

第153話 恋は小岩ではしご酒 (その2)

さあ、やってまいりました小岩の町。
まだお天道様は西空上空で踏ん張っているが
明るい時間に仕掛けなければ
第一目的地、「大竹」のポジションを確保できない。

今夜もしかと飲みまくるゾ、腕まくりで改札口を出た。
いよいよ、はしご酒の始まり、始まりである。
当然のことながら藤圭子の「はしご酒」が
壊れたレコードのように頭の中でグルグル回っている。

♪  人の情けが ひとしずく
  しみて苦労を 忘れ酒
  昔恋しい 下町の 
  夢が花咲く 錦糸町
  よってらっしゃい
    よってらっしゃい お兄さん 


  飲めば飲むほど 嬉しくて
  知らずに知らずに はしご酒
  恋は小岩と 下手なしゃれ
  

  酒の肴に ほすグラス
  よってらっしゃい
    よってらっしゃい お兄さん 


  男まさりの ママがいる
  格子作りの いきな店
  江戸の名残りの 浅草は
  木遣くずしの 酒の味
  よってらっしゃい
    よってらっしゃい お兄さん ♪
   
       (作詞:はぞの なな)


本日は大サービスで1、3、5番をお届けしてみました。
余計なことしてんじゃねェ!ってか?
まあまあ、そう目くじら立てずともいいじゃありませんか。
だってこの歌、宇多田ヒカルのママ、
いや、マイ圭子のことなんですがネ、
ともあれ彼女のナンバーで一番好きなんですから。
軽快なイントロからして、もうウキウキのほろ酔い気分。
いい曲なんでぜひ一度、聴いてみてチョンマゲ!

いつぞやマニラ在住ののみとも、
大馬主の半チャンがカラオケで歌ってたっけなァ。
この人、面白い人で歌いだしたら、もうどうにもとまらない。
あるとき、それも夜中の3時にJ.C.からの最後のリクエストは
「そして、神戸」・「東京砂漠」・「噂の女」の3連発。
いや、熱唱してましたネ。

そいでもってその翌日、
知人の娘さんの結婚披露宴に出席したら
隣りに座ったのが前川清ご夫妻だとヨ。
こんなことってあるもんかいな、ジッサイ。
しかも前川サンはヒカルママの前夫ときたもんだ。
何でも新婦の親爺サンが調教師で
前川サンも馬を持っており、馬主つながりだったそうな。

ハナシが脇道にそれちまって
ちっともはしご酒が前に進みませんな。
面目もございませんが、取りあえずまた明日。

=つづく=