2011年11月30日水曜日

第195話 帰って来たヨッパライ

♪   おらは死んじまっただ
   おらは死んじまっただ
   おらは死んじまっただ
   天国に行っただ
   長い階段を 雲の階段を
   おらは登っただ ふらふらと ♪
          (作詞:松山猛)


ザ・フォーク・クルセダーズがかっ飛ばしたヒット曲、
「帰って来たヨッパライ」(1967年)の出だしである。

主人公の”おら”は酔っ払い運転で天国に行った。
今のご時世だったら頭の固いオバさんたちが
飲酒運転を助長するとかなんとかイチャモンつけて
しかもそんなヤツは天国じゃなく、
地獄に落とせ!とかなんとか言っちゃって
さぞかし物議をかもしたことであろうよ。

ハナシをJ.C.の実生活に移す。
一月半ほど前のこと。
わがよき友が日本に帰って来た。
花の都・パリからの里帰りだ。
しかもこれがトンデモないヨッパライなのである。

彼女の名はM由子。
そう、このブログの前身、「食べる歓び」を
ご愛読いただいた読者なら覚えている方もおられよう。
行きつけの和食店「やまじょう」のひとり娘だ。
フィアンセのH大がシャンパーニュは
ランスのレストランで料理人をしていて2人はパリ在住。
M由子のほうだけ年に1度、
ビザ(査証)の関係もあって帰国して来るのである。

いきなりハナシは飛ぶが彼女の愛読書は
浅田次郎の「天切り松 闇がたり」シリーズ。
ここに登場するのが目細の安吉親分で
一家の最初のヤサが抜弁天(厳島神社)にあり、
ひょんなことからそこへM由子を案内する手はずとなった。
所在地は永井荷風ゆかりの新宿区余丁町。
実はこの小説に荷風センセイも実名で登場する。

ものはついでの帰りがけ、抜弁天近くの「蛍」へ廻った。
しばらくマスター夫妻の顔を見てないこともあって―。
一見、パブ風の「蛍」は見かけによらずコース料理がウリ。
それもかなりのボリュームで
揚げ肉団子、炒り玉こんにゃく、すき焼き風肉豆腐、
なぜか真っ赤な柳麺、好物の豚ペイ焼きなどをいただいた。

もちろん酒もしこたま飲んだ。
プレミアムモルツに始まり、生(き)のウォッカ、
金宮焼酎のフレッシュグレープフルーツハイ、
アブサンのカクテル、バーボンのミントジュレップと何でもござれ。
自慢じゃねェけど、チャンポンなんてヤワなもんじゃありやせん。

このあたりでやめときゃいいのに神保町に移動する。
2軒目はすずらん通りの「ビストロ リベルテ」。
ビストロというよりバーラウンジみたいなフロアには
食べてる客より飲んでる客のほうが多い。
もっともここで食べてもあまり旨いものはない。

飲み直しはもっぱらアサヒの生とリカールの水割り。
夜が更けてなおもガンガン飲りながら
話題はありとあらゆる方向へ飛びまくる。
気がつけば明け方の4時過ぎだったぜ。
自分のオンナでもない女と飲み明かしの語り明かしなんて
ここ数年、まったく記憶にございません。
しっかし10時間も飲み続けるとは、お互いバッカじゃないのっ!
死んじまいはしなかったけど、おらはヨッパラッただ!

「蛍」
 東京都新宿区余丁町4-4
 03-3356-4748

「ビストロ リベルテ」
 東京都千代田区神田神保町1-5-5島田ビル4F
 03-5280-1233

2011年11月29日火曜日

第194話 忘却の彼方から

週末の朝10時過ぎ。
昼めしは何処にすんべェかと思いあぐねていた。
ふと浮かんだのは中野の天ぷら「住友」。
飾り気のない下世話な天丼が大好きなのだ。

夜はいつも売切れの穴子が昼にはあった。
はぜの天ぷらでビールを飲み、穴子天丼をいただく。
う~ん、やっぱりこの店の天丼は穴子より海老だな。

本日の主役は「住友」ではない。
実はこのあとにあった。
昼食後、腹ごなしに中野から高田馬場まで歩く。
小滝橋のバス車庫を通り過ぎてほどなく、
昔ながらに殺風景な八百屋に差し掛かった。
こんな場所から野菜を抱えて帰るのはイヤだが
一応、店内を一回りしてみる。

そこで発見したのがこれである。

胡瓜じゃないよ、糸瓜だよ

これは”いとうり”ではない、”へちま”と読む。
ヘチマもクソもない!の、あのヘチマだ。
いと瓜がナマッて、と瓜となり、”と”の字は
”いろは”において”へ”と”ま”の間にあるから、へち間。
オツなネーミングでありますまいか。

へちまと言えば子どもの頃、銭湯でよく見掛けた。
スポンジ代わりにアレで身体をこするのである。
ちなみにへちまは英語で sponge guard という。
以来、忘却の彼方に押しやられ、思い出すことなどなかった。

したがってその日出会ったへちまはほとんど未知との遭遇だ。
150円だったか250円だったか忘れたが
とにかく1本だけ買って帰った。
へちまを料理するのも初めてなら食するのも初めてである。
ところが今の世の中、便利なもので
ネット検索すれば何でも出てくる。
へちまのレシピとて例外ではない。

一見は胡瓜の親分みたいな身肉に包丁を入れると、
中は胡瓜と茄子の混血といった感じ。
作ってみたのは2品である。
まず中華風おひたし。
サッと湯がいたところに中華風のタレをかけた。
出汁醤油やポン酢の代わりに
冷やし中華のつゆをかけたと思っていただければ判りやすい。

もう1品は豚バラ肉・赤ピーマンとの味噌炒め。
赤ピーマンは余計かもしれないが、これは一応、沖縄風。
ちなみに沖縄でへちまはナーベーラーと呼ばれる。
コイツで鍋を洗うからだそうだ。

薩摩の芋焼酎・南之方(みなんかた)のロックで味わうと、
手前味噌ながら、どちらもまことにけっこう。
それにしても英語ではスポンジ、琉球語だと鍋洗い。
ネーミングに関しては間違いなく
標準日本語に軍配が挙がろうというものである。

「住友」
 東京都中野区中野5-52-15 中野ブロードウェイ2F
 03-3386-1546

2011年11月28日月曜日

第193話 競輪場のある町 (その2)

まずはお詫びです。
前回(先週金曜)のブログのアップが3時間ほど遅れてしまい、
午前中に立寄られる読者にはご迷惑をお掛けしました。
公開予定を誤って3日遅れの本日に打ち込んだのが原因でした。
あらためてお詫びします。

北松戸の「麺座 まねき」をあとにして
駅から来た道をそのまま真っ直ぐ道なりに歩く。
進路は南東に向かっている。

およそ30年ぶりで私立病院の建物の前に立った。
懐かしさもあって院内に入ろうとしたが今日は休診日。
病院の向かいにあった果物屋や鮨屋は跡形もない。
調剤薬局ばかりが何軒も目立ってるのも何だかなァ。
味気ないったらありゃしない。

松戸新田・稔台、
駅への入口に当たる交差点を通りすがる。
道は新京成の線路とほぼ平行に走っているのだ。
どれくらい歩いたろうか、八柱駅に到着。
いつもの花屋に立ち寄った。
買うのは決まって赤いガーベラ2輪に線香。

ここまでくればあと一息だ。
霊園前の雑貨店では供える飲みものを買った。
墓前を清め、香華を手向けてしばらくたたずむ。
線香の煙がたなびいている。
この匂いは嫌いじゃない。

四半世紀も前に当時のGFが棲んでいた、
アパートに立ち寄ったりもして
曲折を経ながら振り出しに戻り、北松戸駅西口。
万歩計は携えていないが
この日は3万歩近く歩いたんじゃないかな。

まだ晩酌にはちょいと早く、再び界隈をぶらぶら。
競輪場前を流れるしょぼい川は新坂川という。
これで一級河川の表示には驚いた。
本郷橋なる橋の上から川面をのぞくと
大きな真鯉がうじゃうじゃと泳いでいるではないか。
都心を流れる神田川しかりだが
日本の河川にはけっこう鯉が生息している。
これが中国あたりだったら
みんな獲られて食われちまうだろうネ、まず間違いなく。
つくづく日本の鯉はシアワセだよ。

昼めし前に目星をつけておいた「義野屋」の暖簾をくぐる。
「吉野家」同様に「よしのや」と読むのであろう。
ここは大衆食堂にして大衆酒場だ。
日本そばもいろいろ揃っており、中華モノは麺類だけで4品目。
アサヒの大瓶(550円)と
鳥ニンニク焼き(3本350円)を所望した。

隣りの席にやって来た競輪帰りのオッサン2人。
接客のお姐サンにビールを頼むと、キリン?アサヒ?の返事。
これに対する応えがふるっていた。
「どっちゃでもええ、泡が出りゃ、それでええ!」
コップのビールを飲みかけてたJ.C.、
危うく吹き出すところであった。

「義野屋」
 千葉県松戸市北松戸1-2-29
 047-364-8007

2011年11月25日金曜日

第192話 競輪場のある町 (その1)

11月好日。
晴れ、曇ってはまた晴れる。
風絶えて暖かなり。
先考の墓を掃(はら)い、香華を供(ささ)ぐ。

本日は荷風センセイ風に書き出してみました。

松戸市の都営八柱霊園を訪れるのは5月と11月。
気候穏やかにして、雨の日が少ないからだ。
墓参りは降られるとシンドい。
仏のほうだって雨の訪問者は迷惑だろうし・・・。

三島由紀夫が絶賛した仁侠映画の傑作、
「総長賭博」における雨の墓参シーンは圧巻だった。
鶴田・若富・藤純子、いずれ劣らぬ名優・女優だけれど、
今も散らずに残っているのは一輪の緋牡丹だけか・・・。

常々、霊園へは八柱駅から歩いて行く。
徒歩でおよそ15分。
此度はJRで松戸の一つ先、北松戸で下車した。
ここから墓地へは相当の距離があるにもかかわらずだ。

30年前の一時期、何度も訪れた北松戸。
町のランドマークは競輪場だが
生まれてこのかた車券を買ったことがない。
なぜひんぱんにやって来たのかというと
岡沢家の墓に眠っている仏が
近くの市立病院で最後の日々を送ったから。
したがって競輪場のある西口へは下りたことがない。
いつも東口に出て病院までのゆるやかな坂を上った。

墓参後の晩酌はこの町と決めていたので
ギャンブル場の周りを物色する。
飲み屋が多いのは当然、数軒の下見を終えた。

東口の坂を上り始めてほどなく「麺座 まねき」に心惹かれた。
入店すると、初老の夫婦が2人だけで営んでいる。
10席ほどのカウンターにいくつもの招き猫が並んでいた。
揃って猫好きなのであろうよ。

まねきらーめん醤油味 600円  特製塩味 700円
潮まねき醤油 650円  のりしおそば 750円
かぼすらーめん(季節限定) 650円


ここはオーソドックスに醤油味を注文。
卓上にはギャバンの白と黒の胡椒、原了郭の黒七味、
生酢(きず)、爪楊枝が整然と置かれていた。

運ばれたのはらーめんというより中華そば。
アタリ柔らかなスープにコシしっかりの細打ち麺は
ともにケレンなく、好みのタイプである。
厚い肩ロースのチャーシューと水菜はうれしくないが
細切りシナチク、味玉半個、焼き海苔はありがたい。
ビールを頼んだらシナチクをサービスしてくれたのも好評価。
われ棲む町にあったらば、月イチは訪れること必至であろう。

=つづく=

「麺座 まねき」
 千葉県松戸市北松戸2-7-3
 047-366-5537

2011年11月24日木曜日

第191話 川のこっちと向こう側

 ♪   浅草(エンコ)生れの 浅草(あさくさ)育ち
     極道風情と いわれていても
     ドスが怖くて 渡世はできぬ
     賭場が命の 男伊達
     背中(せな)で呼んでる 唐獅子牡丹


     おぼろ月でも 隅田の水に
     昔ながらの  濁らぬ光り
     やがて夜明けの 来るそれまでは
     意地で支える 夢ひとつ
     背中で呼んでる 唐獅子牡丹  ♪


          (作詞:矢野亮・水城一狼)

ご存知、高倉健の「唐獅子牡丹」。
この曲が主題歌の「昭和残侠伝シリーズ」はすべて観た。
作詞が2人というのはきわめて珍しいが
映画では佐伯清なる人物もクレジットされていて計3人。
まったくもってワケが判らん。

浅草をエンコと呼ぶのは”その道”の業界用語。
上野を逆さにノガミと呼ぶが如く、
浅草公園の公園を逆さにしてエンコウ、
それが訛ってエンコとなったわけだ。
さすれば同じく恩賜公園のある上野がエンコになり、
浅草がクサアサになっていてもおかしくなかった。

その夜は浅草1丁目1番地1号に
J.C.オカザワの姿を見ることができた。
見たくない人は目をつむってチョ。
これは浅草のランドマーク、「神谷バー」のアドレス。

アサヒビールから直送された生ビールを
専用の500Lタンクにて
徹底した品質管理を行っております


店のHPにこうある。
食券制の1階席は落ち着かず、陣取るのは常に2階。
何度通ったことか、もはやカウント不能である。
正式名称は1階が「神谷バー」で
2階が「レストランカミヤ」だが
なあに、客の認識は「神谷バー」の1階と2階なのだ。
ジャーマンポテトで生中を2杯楽しみ、早々に切上げた。

おぼろの月を見上げ、隅田の水を渡る。
橋の名は吾妻橋。
都の東にあるため、ずっと昔は東橋と呼ばれたそうな。
目指すは川の向こう側、通称〇ンコビル1階の、
こちらもビヤレストラン、「フラム・ドール」。
屋上に設置された黄金の炎のオブジェが
そのまま店名になっており、アサヒビールの直営店だ。

ここでもやはり生中を2杯。
つまみは”アッとおどろくオリジナルグラタン”なる珍妙な料理。
分厚い食パンを繰り抜いたところへ、
アルモリケーヌ風のソースで煮た小海老がおさまっている。
驚きはしないが、まずまずの一品ではあった。

川のこっちと向こう側。
こっちにはほかに「正直ビヤホール」があり、
向こうには「23Banchi Cafe」がある。
タハッ、ビール好きにはたまらん街だぜ、浅草は!

「神谷バー」
東京都台東区浅草1-1-1
03-3841-5400

「フラムドール」
東京都墨田区吾妻橋1-23-1
03-5608-5381

2011年11月23日水曜日

第190話 愛猫プッチ 失踪す!(その2)

いない、いない、ウチの猫がいない!
いったいどこへ消え失せたのか?
これは家出か? はたまた失踪か?

14年も以前、アメリカから帰国して間もない頃。
ある日、一人の部下がデスクにやって来て
「スンマセン、早退させてください」
「どうした?、体調でも悪いのか?」
「いえ、ウチの猫がいなくなっちゃいまして・・・」
「それで?」
「いえ、あの、近所を捜さないと・・・」
「ハア?」
こんな会話が交わされた。

結局は早退を許可したが心の内では
「ったく、最近の若いモンはナニ考えてんだか!」であった。
だども、今のわが身にはヤツの切実な気持ちが
痛いほど判るんですなァ。
そう、生きものを飼うことは、
その生きものを愛することは、こういうことなのだ。

愛猫プッチが忽然と姿を消したのはいかなる理由か?
数時間前の記憶をたどり、推理をめぐらせる。
経験則から、たとえ玄関にすき間があっても
せいぜい顔を出す程度、絶対に外出することはない。

さすれば、ちょくちょくお出ましのベランダだ。
以前にもベランダ沿いに隣家を訪れ、
しばらく滞在したのちに帰って来たことがある。
身を乗り出して隣りをのぞいてみても真っ暗闇。
まさか夜の夜中にピンポンするわけにもいかず、
すべては夜が明けてからとあきらめた。

あきらめてはみたが、寝つきの悪いことったらない。
帰宅の遅い夫を待つ妻の心境を
生まれて初めて身をもって知った。
世の旦那サン、愛妻のためにお帰りはお早めにネ。

浅い眠りに寝返りばかりを打ち、
いつしかしらじらと明け方の5時。
小用にベッドを出ると、開けてビックリ玉手箱。
リビングの板の間に奴さん、
ちゃっかりうずくまっているではないのっ。
「コネ野郎、さんざ心配させやがって!」―
取りあえず叱咤しただけで体罰は免除し、
朝まで(もう朝なのだけれど)同衾を許した。

数時間後に目覚め、さて、刑罰を与えねばならない。
すると敵もしたたか、空気を察して盛んに逃げ回る。

物陰に隠れて視線を合わせず

罪の意識があるのだろうか? あるハズないやナ。
引きずり出して実刑はデコピン一発だ。

観念したものか真名板の鯉状態

額(ひたい)にキツい一発をお見舞いしたら
止めるヒマもあらばこそ、一目散に逃げ出した。
まっ、いいか、放免としてやろう。

10時間の失踪事件はこれにて一件落着。
と思ったものの、厄介なのは3缶開けたツナ缶である。
それから3日間はバカ猫とともに
せっせこ、せっせこ、ツナを食いまくりましたとサ。
しっかし、ツナ缶っつうのは旨いもんじゃねぇナ。

2011年11月22日火曜日

第189話 愛猫プッチ 失踪す!(その1)

かれこれ1ヶ月近くも前の事件。
10月も下旬のことであった。
その夜はやけに生暖かく、
エアコンをオンにすべきか迷っていた。

思案の末、玄関のドアにサンダルを片方はさみ、
ベランダのガラス戸を20センチほど開けて
そよそよと風を通すことにした。

とっぷりと日が暮れ、
どこからか秋刀魚を焼く匂いが漂ってくる。
焼き立てに酢橘(すだち)を搾り、
おろしと一緒にやったら、さぞや旨かろう。
秋刀魚は食いたし、焼くのは煩わし。
18時過ぎ、普段よりやや遅めの晩酌をスタートした。

「おうっ、今日も元気だ、麦酒が旨い!」―
一人ごちて冷奴に箸をつける。
木綿豆腐の上にはきざんだ大葉と長ねぎにおろし生姜。
タラリ垂らした醤油は
キッコーマンの本醸造・特選丸大豆しょうゆ。
いつの頃だったか、ヤマサをキッコーマンに切り替えた。

やりいかと水だこの刺身にはおろし立ての本わさび。
削り節を振りかけた茹で隠元。
甘辛く煮つけた油揚げ。
砂肝と長ねぎのニンニク炒め。
ヤッコのほかは、そんなもんが食卓に並んでいる。
刺身以外はすべて自分で作った。

刺身と隠元はビール、
油揚げと砂肝は赤ワインの合いの手とする。
その夜の赤はピエモンテのバルベーラ・ダスティ。
ネッビオーロほどの凄みはないが
バルベーラは和食にシックリとなじむ。

夜も更けてふと気がつくと愛猫プッチの姿が見えない。
名前を呼んでもノー・リプライ。
ときどきあることだからさほど気にもとめず、
のんきに浅田次郎の小説を読んでいた。

時間だけが過ぎゆきて気がつけば夜中の1時半。
さすがに少々心配になってきた。
最後に姿を確認したのは5時間ほど前か?
かくなるうえは夜中の大捜査線である。

狭い家中を捜し回ってみたものの、
影も形もないじゃないのっ!
こうなりゃ決め手の必殺技だ。
キッチンでヤツの好物、ツナ缶のプルトップを引き抜いてみた。
この音を聞きつけると、どこにいようがすっ飛んで来るからネ。

ところがどっこい、最初の1缶にゃまったく反応ナシ。
仕方なく家のあちこちで計3缶も開けちまった。
したっけ、ウンともスンとも言わんじゃないのっ!
ことここに至り、さしものJ.C.、色を失った。
いや、参ったなァ、参ったサンは成田山である。

=つづく=

2011年11月21日月曜日

第188話 燗酒にあさり汁

久方ぶりに不忍池のほとりをそぞろ歩いた。
今年もまた渡り来た鳥の数少なからず。
ユリカモメ・オナガガモ・キンクロハジロ、
我を張るものとてなく、お互い干渉し合わずに
”共存共泳”している姿が実に微笑ましい。

憩いを求めて訪れた人々が与えるパンくずに群がるのは
おおかたカモメとカモと池の鯉。
警戒心が強いのかキンクロはあまり岸辺に近づかない。
キンクロの人に媚びない性格が犬より猫的で好きだ。

池畔の桜が紅葉し、散り始めている。
葉に緑をとどめているのは柳。
柳の木の下に野田、もとい、ドジョウならぬマゴイの群れが
一様に口を大きく開いてエサをねだっている。
「悪いなァ、オマエたちの食いもんは持ってないんだよ」―
なおもパクパクやりやがって聞き分けのない鯉どもだ。

散策の後、上野公園に近いマーケットに立ち寄った。
当夜はTVのスポーツ中継が多く、晩酌は自宅と決めていた。
肴は小肌の酢洗いが第一候補なれど、
並んでいるのはサイズがデカすぎて、これじゃ巨肌だヨ。
〆さばはそれほど好まないし、
生あじをこれから自分で〆るのは面倒くさい。
となれば白身のヒラメか赤身のマグロかな?

結局、身が肉割れしたミナミマグロの赤身を買った。
マグロの赤身はホンにせよ、ミナミにせよ、バチにせよ、
ちょっと見、肌に肉割れのあるものが旨い。
長い経験からの体得で、サカナの目利きはまことに重要。

赤身をカゴに放り込んだあと、小さな貝に目がとまった。
看過できないほどに器量よしだったのはアサリだ。

貝殻の模様が多彩にして鮮やか

われわれクラスともなると目利きはサカナに限らない。
貝でもタコでもカニでも魚介全般にわたる。

それでは写真のアサリのどこがよいのか?
ポイントは殻の模様だ。
白黒のコントラストがハッキリしているほど食味がよい。
全体にグレーがかっているのは泥臭い。

アサリの貝殻は保護色になっており、
砂地にいるのはご覧のように鮮やかな色合いをしている。
逆に泥地にいるのはどうしても黒ずんだりグレーだったり。

砂抜きして信州味噌で濃い目の味噌汁に仕立て上げ、
菊正宗・上撰の上燗とともに味わった。
ちなみに上燗はぬる燗と熱燗の中間だ。
はたしてアサリと燗酒の相性のよさはマグロを凌駕した。
江戸の町民はシジミ汁で一杯やったと伝え聞くが
アサリ汁もまた、よき酒の友になってくれたのである。

2011年11月18日金曜日

第187話 トーマス・クラウン事件

今日のサブタイトルにピンときた人はかなりの映画通。
今は亡きスティーヴ・マックイーン主演の映画、
原題は「The Thomas Crown Affair」である。
日本語タイトルは「華麗なる賭け」。

1968年の作品だが1999年に
ピアース・ブロスナン主演でリメイクされ、
タイトルはそのまま「トーマス・クラウン・アフェアー」。
フェイ・ダナウェイが30年の時を超え、
どちらにも出演しているのには驚いた。
オリジナルではヒロインの保険調査員、
リメイクでは精神分析医という役柄だ。

印象深いのは断然マックイーン版。
確かダスティン・ホフマンの「卒業」との併映を
池袋東急で観た記憶がある。
映画の出来映えもさることながら主題歌がすばらしい。
マックイーンがグライダーで空を飛ぶシーンで流され、
心に深く深くしみ入った。

その年のアカデミー主題歌賞にも輝いた名曲は
「風のささやき(The Windmills Of Your Mind)」。
歌ったのはレックス・ハリソンの息子のノエル・ハリソン。
レックスは「マイフェア・レディ」のヒギンズ教授役が有名。

この曲はほかにもありとあらゆる歌手がカバーしている。
思いつくままに挙げてみると、
ダスティ・スプリングフィールド、バーバラ・ストレイザンド、
ペトゥラ・クラーク、ティナ・アリーナ、ナナ・ムスクーリ、
エヴァ・メンデス、ヴィッキー・レアンドロス、
ホセ・フェリシアーノ、スティング、ジョージ・ベンソン。
ねっ、ものすごい顔ぶれでしょ?

おしなべて女性歌手が秀でており、
ダスティ、ナナ、エヴァ、ヴィッキーが好きだ。
ギリシャ人のヴィッキー・レアンドロスは
「恋はみずいろ」、「待ちくたびれた日曜日」で
一時期、一世を風靡したあのヴィッキー。
驚いたことに現在の彼女は
アテネ近郊の港町、ピレウスの副市長におさまっている。

そして忘れてならないのがこの曲の作曲者、
ミシェル・ルグランであろう。
「シェルブールの雨傘」、「おもいでの夏」のルグランだ。
仏語で文字通りささやくように始まり、
徐々に強弱とテンポのメリハリが効き出し、
しまいには狂ったが如くのジャズり方。
加えてハスキー・ヴォイスにはアズナブールも真っ青だ。
多才なルグランは作曲だけでなく、
歌手にしてピアニスト、はては俳優までこなしてしまう。

かれこれ15年余り前、森山良子とのジョイントコンサートを
ニューヨークのカーネギー・ホールで観た。
両者の息はピッタリで、その後日本ツアーが組まれた。
カーネギーではシャルル・アズナブールと
ライザ・ミネリのジョイントもすばらしかったなァ。

とにもかくにも、名立たる歌手がこぞって歌いたがった、
「風のささやき」をぜひ、youtubeでお聴きくらべあそばせ。
ついでに映画の「華麗なる賭け」もご覧あそばせ。

2011年11月17日木曜日

第186話 和・洋・中を制覇した日 (その2)

いい歳こいたオジさん・オバさんが
恥ずかしげもなく徒党を組んで
地元の人々の迷惑をよそに
ゾロゾロと大隈通り商店街を連なり歩き、
くだんの「まほうつかいのでし」にご到着でござ~い!

供するものはピッツァ(というよりピザ)とスパゲッティだけ。
アンティパストをつまみながら
ビッラやヴィーノのグラスを傾けるという店ではないのだ。
一応、ビールとワインの取り揃えはあるものの、
他の酒類はいっさい置かない。
ほかにはサラダくらいしかなかった。
小鳥じゃあるまいし、生の菜っ葉だけじゃ飲めんもんな。

そこで予約の際に鴨スモークのサラダ、
チキンとブロッコリーのトマト煮を用意してもらった。
あとは3種(小海老・サラミ・ベーコン)の具が乗ったピザ。
非イタリア系というか、和風アレンジ版というか、
こんなピザもたまにはいいもんである。
昔、喫茶店やビヤホールにあったようなヤツだ。
今でもあるところにはあるだろう。

明るいうちのでワインは回避し、
もっぱらビールでお茶を濁したわけだが
どうせ1軒じゃ終わらないわれわれ、
このくらいでちょうどよいのサ。

そうして向かった2軒目は
目白台・千登勢橋のたもとにポツンとある中華料理屋。
この橋の名前を聞きゃあ、なんつったって
西島三重子の、その名も「千登勢橋」が思い浮かぶ。

♪   電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上
   千登勢橋から落とした 白いハンカチが
   ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは
   あなたがそっとサヨナラを つぶいた時でしたね ♪
                                               (作詞:門谷憲二)

西島三重子は橋の近所の川村学園出身。
この人は生き別れにしろ、死に別れにしろ、
とにかくしょっちゅう男と別れている、いや、棄てられている。
もっとも歌詞上でのハナシですがネ。

料理屋の名前は「熱烈上海食堂」。
これを聞いただけでもうイヤ、絶対に入りたくない。
でも界隈に縁の深い K木夫妻が太鼓判を押す以上、
いかな J.C.とて却下することなどできやしない。

くらげの冷製、真鯛の中華風刺身を紹興酒の友とすると、
さすがに夫妻が推すだけのことはあった。
続いて、わたり蟹の豆鼓炒め、はまぐりのオイスターソース、
五目あんかけ焼きそばも賞味したがみな水準に達している。

そば屋・イタめし屋・中華屋と
本日は一日で和・洋・中をオール制覇した。
余は満足であるぞよ。

「まほうつかいのでし」
東京都新宿区西早稲田1-9-12
03-3207-1876

「熱烈上海食堂」
東京都豊島区高田2-17-16
03-3987-0720

2011年11月16日水曜日

第185話 和・洋・中を制覇した日 (その1)

昨日もふれた早稲田での小宴会。
予約の電話を入れた「金城庵本館」は
夜の営業が17時からで
16時の開宴はとても無理と、やんわり断られた。
そりゃそうだよ、恨みはござんせん。
よって次候補、「まほうつかいのでし」を確保した。

さて当日である。
ハープコンサートの前に多少、時間の余裕があり、
フラれた「金城庵」にフラフラっと立ち寄ってしまう。
下町から”都の西北”まで、はるばる歩いて来たから
ことさらにノドが渇いていたこともあり、
ビールとかき揚げを所望して一休み。

かき揚げは小海老&貝柱と明記されていたものの、
海老はともかく、貝柱はただ1片のみ。
「何だよ、ケチ!」―ふふ、別に起こっているのではない。
声には出さず、セリフは胸の内におさめた。

ところが、そのかき揚げはカラリと揚がって食感サックリ。
ふむふむ、コイツはなかなかのものだぞ。
のんびりした空間はとても居心地がよい。
中休みなんか取らず、通し営業してもらいたいもんだ。
接客もテキパキと好感が持てる。
一度、夜に再訪してゆるりと飲んでみたい、
そんな気にさせてくれたのだった。

リーガロイヤルのセラー・バーで開かれたコンサートは
ここ数年、成長著しい石﨑菜々のハープの音色が
ホールの隅々まで響き渡り、
聴衆をせちがらい現世から解放してくれる。
難曲を続けざまに弾きこなし、その技量は目を見張らせる、
もとい、耳を拡げさせるものがある。

すでに母親を超えちゃってますヨ。
エッ? 母親って誰だ! ってか?
同じくハーピストにして、わが旧友のI 﨑C子サンです。
しかもクラシックにうとい向きのためにシャンソンの「枯葉」や
「日本の秋の歌メドレー」を織り交ぜて実に心憎いばかり。
なかなか聴く機会に恵まれないハープながら
こんな世の中だからこそ、足を運ぶ価値があろうというものだ。

終了後、すみやかに「まほうつかいのでし」へ移動。
珍妙な店名は19世紀のフランスの作曲家、
ポール・デュカスの「交響詩『魔法使いの弟子』」によることは
紛れもない事実であろう。
はて、いったいどんな食いモンが出て来るのでしょうか?

「金城庵本館」
 東京都新宿区西早稲田1-18-15
 03-3203-4591

2011年11月15日火曜日

第184話 霜降りは和牛に限らず

早稲田の町で小宴を張ることと相成った。
若く美しきハーピスト(ちとホメすぎかな?)、
石﨑菜々のコンサートがリーガロイヤルホテルで開催され、
そのあとの打上げを仕切ることになったのだ。

まあ、毎度のことだから慣れっこだが
さすがに学生街で真っ当な会場を確保するのは
そうそうラクなミッションではない。
インポッシブルではなくともディフィカルトではある。

週末土曜日の16時に13~4名という条件。
日曜ほどではないにせよ、土曜とて休む店が多かろう。
しかも16時スタートというのがネック。
そして大人数につき、それなりのキャパが必要となる。

でもって一週前の日曜日、下見に出掛けた。
目星をつけたのは日本そば屋の「金城庵本館」と
ピッツァ&パスタの「まほうつかいのでし」(変ンな店名)。
前者が本命、後者が対抗という位置づけである。

そうと決まれば、あとは散歩を楽しむだけ。
早稲田をあとにして神田川を渡り、
目白不動から鬼子母神を経て池袋にやって来た。

この日の夜は家めしの予定で食材の買出しが不可欠。
西武デパートの地下に隣接するスーパーに入店した。
いろいろと物色しているうち、霜降りインゲンというのに遭遇。
霜降りは何も和牛に限ったことではないようだ。

秋田産のそれは緑の地に黒い霜降り模様が散っている。

初めてお目に掛かった

ただし、この模様は茹でると消えてしまうらしい。
にわかには信じがたいが、パッケージにはそう書いてある。
こういう類いのモノに出会っておいて
そのまま素通りできないのは持って生まれた性分。
さっそく買い求めて茹で上げてみた。

ホレ、この通り

キレイさっぱりとはいかず、多少の黒ずみは残るものの、
霜降りが消え去ったことは確かだ。

メインディッシュの付合わせにとも考えたが
なるべく素材の味を損なわないように
削り節と生醤油だけをかけていただく。
はたして・・・
うん、なかなかの食味であった。

よく見掛けるドジョウインゲンより平ぺったいからか、
インゲン特有のキュッキュッという噛み応えと異なり、
もっとシャキシャキした感じ、これはこれで楽しめる。

かつて秋田名物は八森ハタハタ、男鹿では男鹿ブリコ。
最近は漁業より農業に力を入れ始めたのだろうか。
その農業を単に守るためだけでなく、
”ドジョウ”にはTPP参加をキッパリ断念してもらいたいもんだ。

2011年11月14日月曜日

第183話 身重を送る送別会 (その2)

大井町の東小路飲食店街で
原料に何を使っているのか見当もつかない、
つみれとスジの洗礼を受け、
命からがら逃げ出して当初の目的地を目指す。

線路沿いを大森方面に少しく歩いて右折し、
ゆるやかな坂を上りつめて大井の三つ又交差点に到達した。
「燻製キッチン 大井町店」は交差点に面していても
大通りから奥まっており、何やら隠れ家風。
この店は五反田にも姉妹店がある。

ウエイターくんに案内されるまま半地下のソファ席へ。
すでに先着のO野チャンが独りビールを飲んでいた。
聞けば時間を間違え、もう1時間も飲っているとのこと。
おう、おう、それはまた難儀なこった。

彼は前回も連絡ミスの憂き目に会い、
汐留の「潮夢来」のはずが
芝大門の「新亜飯店」に行ってしまった。
何ともウッカリぐせの治らない人である。
だが、こういう人に悪人はいない。

ほどなく主賓のM央、仕切り屋のA子が到着し、
燻製三昧のディナーが始まった。
主賓は身重につきソフトドリンク、
他の3人はキリンハートランドの生で乾杯だ。

最初に頼んだのが燻製ナッツと燻製シーフード盛合わせ。
内容は前者がカシューナッツとピーナッツ、
後者がサーモン・さば・たら子の3種。
素材によってチップやスモークの時間を替えているようだ。
たら子などはごく軽いスモークであった。
サーモンはやはり燻製の王者と呼ぶべきか、
一頭抜きん出た感がある。

ビールは前の2軒で飲んできたから
ほどほどにしてワインに移行する。
選んだのはグルジアの赤、オールド・トビリシ。
ヴィンテージは忘れたが、フルボトルで金3300円也。
グルジアワインは値段のワリに飲み手を裏切らない。

身重のM央もいよいよ我慢ができずチロチロなめ始めた。
ところで飲酒は妊婦にとって本当にタブーなのかな。
そりゃ何事も度を超したらまずいだろうが
実のところ、どうなのだろうか?

ワインとともに今度は肉系の盛合わせ。
鴨ロース・鶏レバー・豚タン・豚ベーコン。
この顔ぶれが赤ワインに合わぬハズはない。
チーズとトマトの燻製までお願いすると、
トマトが存外によかったのは驚きだ。
そして唯一のノンスモークもの、
ポルチーニ・クリームのスパゲッティで締めた。

こうして身重の友を送り出したが
デトロイトで元気な赤ちゃんを”生産”してくれれば、
友人としてそれにまさる歓びはない。
あとは・・・
あとはイカズ後家・A子嬢の多幸を祈るばかりなり。

「燻製キッチン 大井町店」
 東京都品川区大井3-4-8
 03-5742-6172

2011年11月11日金曜日

第182話 身重を送る送別会 (その1)

食べ歩き仲間のM央チャンが
旦那のあとを追って訪米の運びとなった。
行く先はクルマの街・デトロイト。
MLBの人気球団、タイガースの本拠地でもある。
ただ今、彼女は妊娠8ヶ月・・・だったかナ?
予定日は確か1月某日のハズで紛れもないプレグナントだ。

その夜のほかのメンバーは
今は無きカレーミュージアム名誉館長だったO野チャンと
いつも仕切り役にしてイカズ後家のA子嬢である。
この4人は3~4ヶ月に一ぺん食卓を共にする仲間、
当夜訪れたのは品川区・大井町で
A子が探してきた「燻製キッチン」なる燻製料理専門店。

集合時間よりずいぶん早く現地入りした。
さすれば一足先に単独で晩酌を始めねばならない。
カンカン照りの真夏はもとより、秋風が立とうが、
枯葉が舞おうが、粉雪がちらつこうが、桜が芽吹こうが、
1年365日、夕暮れに冷たいビールを飲らねば、
J.C.の夜はやって来ない。

目指すは時代遅れの酒場街である。
そう、ノスタルジーかきたてる東小路飲食店街だ。
昭和3~40年代に隆盛を誇ったこの一角は
昭和が色濃く残るなんて生やさしいもんじゃない。
敗戦後の闇市の気配すら漂わせている。
さすらいのギャンブラーならぬ、宵闇のセンベラーには
絶対オススメの聖地と言い切ってよい。

最初に向かったのは常に
店から表に客があふれ出ている「肉のまえかわ」。
町の精肉店でありながら本来の商売よりも
立ち飲み居酒屋として機能している変ンな店だ。
金290円也のスーパードライ・レギュラー缶に
金110円也の串カツを1本所望した。

缶から直接飲むビールは旨かあないが
コップなんか頼もうものなら
アイソのアの字もない中国人の姐チャンに
張っ倒されるかもしれない雰囲気につき、ジッとガマン。
まずは芋洗い状態の店内から脱出した。

脱出はしたが店外に身を置くスペースが見当たらない。
仕方ないから路地をはさんで向かい側、
飲食店の空調の室外機に串カツの皿を乗せ、
おもむろに缶ビールをあおった。
何の因果でこんなことしてんだか・・・。

空いた缶と皿を自ら片付け、早々に立ち去ったものの、
みんなと落ち合うにはまだ若干の余裕がある。
そこでもう1軒立ち寄ったのが
かつて町のランドマークだった「大山酒場」の跡地辺りに
新しく出来た名もない立ち飲み屋。
若いアンちゃんが2人で頑張っている。

頑張ってはいるが生ビールとともに頼んだおでんがヒドい。
つみれは鰯の風味よりもなんだか鮮度落ちの肉臭いぞ。
スジはつなぎばかりで魚すり身の味がまったくしないぞ。
つゆに至っては化調サンが全面主張ときたもんだ。
こりゃたまらんわと、即時撤退を決断。
気を取り直し、「燻製キッチン」に向かいましたとサ。

「肉のまえかわ」
 東京都品川区東大井5-2-9
 03-3471-2377

2011年11月10日木曜日

第181話 新派のあとのオイスター

米映画「リバティ・バランスを射った男」を
三越劇場が上映したのは49年前。
今は芝居一辺倒だが往時は映画も掛けていたのだ。
思い出せば松本清張原作の「砂の器」もここで観た。
製作の2年後の1976年だったから
封切館ではなかったのだろう。

その三越劇場に出掛けたのは数週間前の日曜日。
演し物は新派アトリエ公演の「女の一生」である。
主役の布引けいは名女優・杉村春子の当たり役で
その役を常日頃からひいきにしている、
中堅女優の石原舞子が演ずるとあって
われら仲間が大挙して乗り込んだわけだ。
彼女にぞっこんのファンクラブ会長・K石クンなんぞ、
終始ソワソワして落ち着かないことはなはだしい。

一抹の不安を抱えながらの観劇はまったくの杞憂。
大向こうをもうならせる演技に老婆心などどこへやら
大いに芝居を堪能させてもらった。
よかったぜ、エラかったよ、舞子!
何たって舞子の”舞”は、舞台の”舞”だかんネ。

さて、芝居がハネたあと、一行は地下鉄で京橋へ移動。
予約を入れておいたのは
わが心の牡蠣料理店、「レバンテ」だ。
数年前に有楽町駅前から東京フォーラムに移転してきたが
松本清張の出世作、「点と線」に実名で登場する名店である。
稀代の洒落者、故・山口瞳サンは
九段下「寿司政」の新子を食べずば、私の夏は終わらない、
と名言を残したが、その伝を継承させてもらうと、
「レバンテ」の牡蠣を食べずして、J.C.の秋は始まらない。

当夜はいつもの同期生たちのほかに
「柔道一直線」でおなじみの桜木健一ご夫妻が
参加してくださり、おかげで座は大盛り上がり。
ドラマを観たのは確か高校三年生だったなァ。

聞けば、翌日は早朝から映画ロケで隠岐に飛ぶそうな。
しかも役柄が牡蠣の養殖会社の社長だと―。
とんだところでの牡蠣つながりに一同、大笑いだ。

三重県・的矢産しか使わぬ「レバンテ」では
生がきで始め、かきフライで継ぎ、かきピラフで締める。
これが当店必食の御三家と心に決めている。
注意点はかきフライで2種類あるうち、
生がき用の高価なほうでなく小粒で廉価なほうがオススメ。
まっ、好きずきではありますけどネ。
あとはローストビーフと串カツと、なんかサラダも頼んだな。

サッポロの生ビールをガンガン飲り、
白ワインはシャトー・メルシャン、
赤ワインはキャンティ・クラシコ。
このラインはずっと変わることがない。

よき友、よき酒、よき料理、
まっこと「男の一生」をエンジョイしておりやす。
殊にJ.C.の場合は、柔道ならぬ「酒道一直線」にござんす。

「レバンテ」
 東京都千代田区丸の内3-5-1
 03-3201-2661

2011年11月9日水曜日

第180話 パリの匂いがした男

 ♪ Sous le ciel de Paris
      S'envole une chanson hu~m  ♪


今日はいきなりの横文字でスタートです。
何のこっちゃい? とお思いの方も多いことでしょう。

♪ が顔を出しているので
歌の文句だということはお判りいただけたと思う。
そう、これは195年のフランス映画、
「パリの空の下セーヌは流れる」の主題歌、
「パリの空の下」なんですね。
映画ではジャン・ブルトニエールが
アコーディオンを弾きながら歌っていたっけ・・・。
その後、20世紀のフランスが生んだ最大の歌手、
イヴ・モンタンが歌って大ヒットとなった。

201年11月9日。
本日はイヴ・モンタンの命日に当たる。
(そういえば昨日はアラン・ドロンの誕生日だった)
192年生まれのモンタンは20年前、
199年の今日、満70歳で亡くなった。
関係ないけど、J.C.が初めてパリを訪れたのは197年。

そんなことでイヴ・モンタンの歌声を懐かしんで
故人を偲ぶよすがとしたい。
「恐怖の報酬」、「恋をしましょう」、「Z」など、
俳優としても活躍した彼の持ち歌のうち、
マイ・ベストスリーは
① 「パリの空の下」
② 「枯葉」
③ 「パリで」


冒頭に紹介した①はモンタンの声質にピッタリの名曲で
伸びやかな歌声があたかもパリの街角に流れるかの如く。

②は映画「夜の門」で主役を演じた彼自身が歌ったもの。
詩的なモノローグで始まるのだが
この曲はジュリエット・グレコのほうが好きだ。
そしてナット・キングコールの英語版が実に味わい深く、
ジャズのインストルメンタルでもすでにスタンダードナンバー。
「枯葉」はジャズると別の魅力を発揮する。

③はアップテンポの軽快な曲。
あまりの早い節回しに聴いてるほうがあわててしまう。
この曲に限り、ほかの歌手が歌うのを聴いたことがない。

もともとモンタンはトスカーナ生まれの生粋のイタリア人。
父親が熱烈な共産党支持者だったため、
ファシストの暴徒に襲撃され、
一家で南仏のマルセイユに落ち延びた。
にもかかわらず、彼ほどパリの匂いのする歌手はいない。

すでにかなわぬ夢となったが
マリア・カラス、エルヴィス・プレスリーとともに
願わくばナマで聴いてみたかった歌手である。

2011年11月8日火曜日

第179話 49年の歳月を経て

一昨日の日曜日は大忙し。
終日、雨しとしとにつき、
近所での買い物以外に外出は控えた。
それではなにゆえ忙しかったのかというと、
TVを観るのに大忙しなのだった。

殊にスポーツ番組が目白押しで
学生駅伝、女子ゴルフ、ボクシング、プロ野球、
女子バレーとめまぐるしいったらありゃしない。

その合間を縫って
「サンデーモーニング」、「将棋の時間」、「笑点」、
大河ドラマ「江」、「ダーウィンが来た!」、
「N響アワー」をカバーしたし、
「サンデースポーツ」はもとより、
「やべっちF.C.~日本サッカー応援宣言」もはずさない。
やべっ! ほとんど一日中TVの前を離れてねェぞ!

みな一様に楽しんだ中で「N響アワー」の
”永遠の名曲たち~オペラ序曲集~”が白眉だった。
「セビリアの理髪師」、「こうもり」、「椿姫」(前奏曲)と
名立たる序曲のオンパレード。
1時間の放送時間では短すぎ、
さらに名曲を集めて3時間は取ってほしかった。

Qさんコラム時代の「食べる歓び」と異なり、
当「生きる歓び」は食べることにテーマを限定しないから
訪れた店が紹介しきれないで溜まってしまう。
土・日も休まずアップすれば多少ハカがいくものの、
今度は書く時間が足りなくなる。
と言いながら長時間TVを見ているのだから世話はない。

TV疲れの翌月曜朝も6時前に起床。
ひかりTVのザ・シネマHDでかねてより観たかった
「リバティ・バランスを射った男」が放映されたからだ。
J・フォード監督のこの映画は1962年の作品。
封切られたときのポスターを覚えている。
日本橋三越の屋上でそれを見たということは
おそらく三越劇場で上映されていたのであろう。

小学生に洋画はまだ早く、ポスターだけが記憶に残り、
いつか観たいと心に秘めていた。
半世紀近くを経て、やっと念願がかなったことになる。
J・ウェインとJ・ステュアートの二大スターに加え、
リー・マーヴィンとリー・ヴァン・クリーフも出ている。
主役級を4人も揃えた異色の西部劇は
「駅馬車」と「市民ケーン」を足して2で割ったような映画。

1950年代には西部劇の出演が多かったステュアートだが
カウボーイはあまり似合わない。
知的な都会人に大いなる西部は場違いな気がする。
ただし、ヒロインのヴェラ・マイルズとはお似合いで
むしろキム・ノヴァク(「めまい」)や
グレース・ケリー(「裏窓」)よりシックリくる相手役だ。

なかなかの秀作につき、
西部劇ファンならずとも楽しめることうけあいである。
お望みならば、今月19日(土)午前6時、
ザ・シネマHD(Ch251)で再放送がありますよ。

2011年11月7日月曜日

第178話 月の輝く夜に (その3)

谷中・よみせ通りをちょいと折れたすずらん通りは
映画の書割みたいな一角。
場違いにもそんな場所にポツンとあるイタリアン、
「エゾットリア」に来ている。
店のビジネスカードには
”北海道食材を使った下町トラットリア”とあった。
この界隈、下町とは呼べまいが雰囲気は下町風である。

いきなりの赤ワインは
キャンティ・クラシコ リヴェルナーノ’06年。
実力をじゅうぶんに備えた造り手による1本は
ピンクの市松模様を配したエチケットも愛らしく、
女性に例えるなら、さしずめ才色兼備といったところだ。

初っ端の一皿は根室産秋刀魚のマリネ。
まあ、その時期なら「エゾットリア」に限らず、
どこの店でも根室か釧路辺りの産であろうよ。
オレンジ風味のマリネはシチリア料理を連想させた。
もっともあちらは秋刀魚じゃなくて鰯だけど・・・。

定番のカプレーゼはモッツァレッラ・バジリコ・トマトの三色旗。
いわゆるトリコローレってヤツだ。
牛もつ煮込みは辛味を利かせたアラビアータ。
これは松の実をちりばめたドイツパンとともに食した。
フランスは別格として
ドイツのパンはイタリアのそれより旨いよネ。
もっともイタリアにはフォカッチャもあればピッツァもある。

食べるほどに飲むほどに
キャンティが微妙に変化して味蕾と鼻腔を楽しませる。
これが赤ワインの真骨頂。
赤とは最初から最後まで深くつき合わねばならない。
巷にはびこるテイスティングの名を借りて
何種類ものワインをチョコチョコ味わうスタイルは大嫌い。
当のワインだってそんな飲まれ方はされたくないハズだ。
あれでは見合い写真をパラパラめくるのと同じ、
相手とジックリつき合ったことにはならない。
写真パラパラで真の魅力に到達するのは不可能であろう。

さて、この夜もパスタは締めにお願いした。
いか墨を練り込んだ手打ちタリオリーニは
するめいか・トマト・水菜のコンビネーション。
生トマトと水菜のせいか少々水っぽく、あまり感心しない。
とは言え、気楽なイタめしを月の輝く夜に楽しむことはできた。

おっと、そう、そう、危うく忘れるところだった。
食事中にお行儀よくしていてくれたシェフの恋人のトイプードル。
実は彼女の名前がルナなのだ。
いやあ、こういう偶然ってうれしいものですネ。
何を隠そう、イタリア語でルナはお月さまのこと。
月の輝く夜に、瞳が輝くルナちゃんでありました。

=おしまい=

「エゾットリア」
 東京都文京区千駄木3-44-1
 03-3823-0553

2011年11月4日金曜日

第177話 月の輝く夜に (その2)

映画「月の輝く夜に」では
ピッツァ職人のニコラス・ケイジが
兄嫁になる予定のシェールをオペラに誘う。
しがない職人の唯一の趣味がオペラなのだった。

メトロポリタンン・オペラハウスで観た人生初めてのオペラ、
「ラ・ボエーム」にシェールは感動の涙を流す。
映画「プリティウーマン」でもやはり初めて
「ラ・トラヴィアータ」を観たジュリア・ロバーツが泣いている。
アメリカではオペラに涙するのが、いいオンナの証しらしい。

ちなみにリチャード・ギアがジュリアを連れて行ったのは
サンフランシスコのウォー・メモリアル・オペラハウス。
今からちょうど60年前の1951年、
サンフランシスコ講和会議及び、
条約の調印が行われた場所がここだ。

メトの「ラ・ボエーム」は何回か観ている。
ヒマに任せて当時のダイアリーをチェックしたら
ゲッ! 何と、5回も観ていたぜ。
ほかにチェコのプラハ国立歌劇場でも1回。
プッチーニの作品では「トスカ」が一番好きだが
「蝶々夫人」、「トゥーランドット」と同様に
代表作にはひんぱんに足を運んでいたことが判る。

さて、現在に戻って谷中はすずらん通りの「エゾットリア」。
3連休最後の月曜日に赴いた。
当日も月夜の晩である。

入店すると、アレレ、足元に見覚えのある子犬が1匹。
おっと、3日前に立ち寄った際、
女性客が膝に乗せていたワン公だよ、これは!
なかなかに人なつっこい瞳の持ち主は
紛れもないトイプードルでんがな。

ちょっと待てよ、するってえと、
この子の飼い主は彼女じゃなくってお店だわサ。
訊けば、カノジョのいない店主の恋人なんだと―。
したがって四六時中、一緒なんだと―。
そいつは仲むつまじくて、けっこうなこった。

メニューに目を通しながら、この夜はいきなり赤ワイン。
何となればホンの数分前に谷中銀座の酒屋の店先で
冷たい生ビールをクイ~ッとやってきたばかり。
最近は初見参の店に限り、
訪問前に最寄りのどこかで好みの銘柄を1~2杯、
必ず引っ掛けることにしている。

一日終えて日が暮れて、さあ飲むぞというときに
何よりも楽しみなビールが気に染まないヤツだったら
泣くに泣けまへんもん。

=つづく=

2011年11月3日木曜日

第176話 月の輝く夜に (その1)

翌日から3連休を控えた金曜日の夜。
それも最終電車が行ってしまった深夜のこと。
取り残されたように独り、谷中にいた。
文字通り、真夜中の谷中である。
夜空にはまあるい月がぽっかり浮かんでいたっけ。

谷中銀座及び、よみせ通りには
週にいっぺんの割合で買い物に訪れる。
主なターゲットは2軒。
小さなスーパーで生わさび、
イラン&トルコ料理店でチャパティかピタを買う。
したがって谷中はお定まりの行動範囲内、
いわば縄張内(しまうち)である。

谷中の夜は早い。
日付が替わる時間にはほとんどの店が扉を閉ざしている。
この晩は十分に食べ、十二分に飲んできたから
店舗を物色して飛び込もうという気はさらさらない。
ただ、昼とは違うこの町の夜の顔を
拝んでおこうという腹積もりで徘徊していた。

夕焼けだんだんの石段を下り、そのまま谷中銀座を真っ直ぐ、
ほどなくTの字にぶつかる通りがよみせ通りだ。
これを左に行くと三崎坂、右に行けば道灌山通りに出る。
当夜は進路を右にとった。

よみせ通りを歩み始めてすぐ、
映画の書割みたいな、すずらん通りが左手に現れた。
この小路だけが真夜中にもかかわらずにぎやかだ。
小料理屋やスナックが軒を連ね、
カラオケのがなり声がここかしこ。
まったく日本人ってヤツは・・・。

中に1軒、「エゾットリア」という名のイタリアンがまだ営業中。
店名はお察しの通り、蝦夷とトラットリアの合成語だ。
食材を北海道から調達しているのだろう。
店頭のメニューボードにあった生ホッケのムニエルが珍しい。
心惹かれて店内に入ると、
カウンターだけの小体な店に客はカップルが1組。
オンナの方は膝に子犬を乗せている。

とにかく3日後の月曜日に予約を入れた。
ただし、生ホッケは毎日入荷するわけではなく、
月曜まではとてももたないとのこと。
まあ、それはそれでいいでしょう、またの機会もございましょう。

思いもかけず、月の輝く夜にいい散歩ができた。
そういやあ、映画「月の輝く夜に(Moonstruck)」を観たのは
ニューヨークに赴任した年だから1987年の暮れだった。
あれから24年か、なんとまあ、月日のめぐりの早いことよ。

映画の主役はシェールとニコラス・ケイジ、
そしてメトロポリタン・オペラハウスの「ラ・ボエーム」であった。
あのオペラ抜きにこの映画は語れやしない。

=つづく=

2011年11月2日水曜日

第175話 念願かなって江戸っ子天丼

ずいぶん以前の散歩である。
すでに消滅した花街・柳橋を起点に歩き始めた。
浅草橋から鳥越、鳥越から台東、
ほどなく御徒町に差し掛かろうとするところで
1軒の天ぷら屋を発見する。
その名を「天正(てんまさ)」といった。

昼夜のはざまの休憩時間だったが
下町チックな小商店街になじんだ佇まいを見て
胸に期待がふくらんだ。
帰宅後、検索してみたら
思いのほか変化に富んだ品書きが気に染まった。

HPによると、いの一番のオススメは
穴子の天ぷら丼つゆつけ(550円)で
これは17:30からのメニューとあった。
ほかにも穴子の胆(400円)、とんぷら(2つで250円)、
鳥手羽の仙台味噌焼き(550円)など、
そそられるものが揃っている。
胆はもちろん肝のこと、とんぷらは豚ヒレ肉の天ぷらである。

なかなか訪れる機会に恵まれず、
2ヶ月ほどして独り、夕刻に出掛けると
カウンターもテーブルも予約で満席。
それでは出直しましょうと、そのまた1ヶ月後の夜に再訪したら
店内に客の姿はないものの、またまた予約でいっぱいだという。
ことここに及び、温厚なJ.C.もさすがにハラタツノリ。
(そう言やあ、一昨日は原監督、お疲れさんでした)

仕方なく当夜はヨソに回ったが
一度ならず二度までもフラレると腹の虫がおさまらない。
おさまらないが結局は薬局、夜はあきらめて
昼の天丼に狙いを定めたのがそのまた1ヶ月後だ。

注文したのは江戸っ子天丼(850円)。
待つこと10分でどんぶりが整い、
わかめの味噌汁、野沢菜&たくあんを従えて運ばれた。
天丼の内容は穴子と海老が1つずつに、いかが2片。
ビッグサイズの大葉みたいなのはおそらく明日葉であろう。
見るからになかなかの豪華版である。

まずは好物の穴子から。
尻尾のほうをパクリとやって一噛み、二噛み。
アレレ、何か変ンだぞ、旨みがどこぞにもれちゃってる。
海老はどうだろ? やっぱり不満。
さてさて、いかは? これも何だかなァ。
念願かなって入店をはたしたものの、
この程度の天ぷらならば、あらためて夜に出直すこともない。

界隈はときどき出没するエリアである。
目当ては美しいバーテンダレス、
A子サンがたった独りで取り仕切るバーだ。
エッ? どこの何て店だ! ってか?
へへへ、こればっかりはいかに敬愛する読者の皆様といえども
そうやすやすとはお教えできないッス。
興味がおありの方は台東1~3丁目をくまなく探してごらんなすって。

「天正」
 東京都台東区台東3-8-8
 03-3831-9553

2011年11月1日火曜日

第174話 夜まだ更けやらぬ 経堂の町

 昨日まで紹介した経堂の「喜楽寿司」は
実のところ「鮨処 喜楽」が正式名称らしい。
遠くからでもよく見える大看板には
確かに「喜楽寿司」とあったけれど・・・。

まっ、こういうことはままあるもの。
したがって昨日のブログのデータ部分における店名は
修正したがサブタイトルのほうはそのままにしておいた。

結局、「鮨処 喜楽」に滞在した時間は40分ほど。
夜の町に出たのは19時前でまだまだ宵の口である。
せっかく遠来に及んだのに
このままおめおめと帰宅の途に着くつもりはさらさらない。
腹ごなしを兼ねて豪徳寺・梅ヶ丘方面に歩いてもいいし、
小田急線に乗って沿線の下北沢・代々木上原ならば、
訪れる店の選択肢はさらに拡がる。

だが、ちょっと待てよ、何度も来ている経堂ながら
訪れる店は決まって駅の北側ばかりだ。
なじみの薄い南口エリアの探索と
北口方面のおさらいを含めて
1時間ばかり経堂の町を徘徊してみたくなった。

犬も歩けば棒に当たる。
J.C.も歩けば店に当たる。
とはいってもぶっつけ本番で良店との遭遇は
そうそう簡単なものではござんせん。
南側をグルグル回り、そろそろ北へ移動と思った矢先、
「鮨処 喜楽」の近くに「味田」なるおでん屋を発見。
これはいい店だぞ! というのが第一感。
われわれクラスともなると、
エッ? どんなクラスだ! ってか?
だから聞き流してくだせェって、この間も言ったでしょ?

「味田」は間違いなく当たりだと思った。
しかもおでん屋は2軒目に最適ではないか。
何となれば、料理をいろいろ頼む必要がなく、
おでんを何品かチョコチョコつまみ、
あとはコップ酒を傾けてりゃあ、それで済む。
ただし、時期がお生憎さま。
まだ残暑の続く折、おでんにはちと早すぎる。

北口に移動してグルリ周遊したのち、
ラーメン店なのに酒肴もイケる「はるばるてい」を訪ねると
なぜかシャッターが下りている。
確か定休日は火・水曜日のはずなんだが・・・。

ガックリしつつなおもさまよい、
袖を引かれたのが「いちふく」という居酒屋だ。
初老の夫婦二人きりの切盛りである。
どうもこういう類いの店に弱いんだなァ。
若いアンちゃん・ネエちゃんの仕切るところは苦手だねェ。

客の入りはよく、入口に一番近いカウンターの隅に着席。
サッポロ黒ラベルのお通しに小鉢のソーメンが来た。
小海老・きゅうり・トマト・椎茸が一緒に浮いている。
鮨屋のあとにつき、
あんまりうれしくないことは言うまでもない。

つまみに注文したのは鳥ももニンニク串焼き。
ビールの大瓶1本に焼き鳥が2本。
世田谷の片隅の居酒屋のカウンターの隅の隅。
孤独な男の独り酒には絶好のシチュエーションではありました。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の
     酒は”独りで”飲むべかりけり


まだ秋には日があるけれども・・・。

「いちふく」
 東京都世田谷区宮坂3-11