2012年12月31日月曜日

第480話 鰻屋の鯖うまし! (その1)

千葉県・松戸市は居住人口において県内第3の市。
J.C.にとってはしばらく棲んだ思い出深い街だ。
ここではいろんなことがあったなァ・・・。
20代半ばから30代初めにかけてだから、さもありなん。
当時は人口20万そこそこだったと記憶している。
あれからおよそ30年、今じゃ48万人と倍以上になった。

千葉市96万、船橋市61万に次いで県下3番目だが
上位2市の面積が272k㎡、85k㎡なのに対し、松戸は61k㎡。
人口で4番目の市川市が47万人の57K㎡で
人口密度では市川・松戸が一、二を争っている。
そりゃそうだろう、どちらも東京都に隣接しており、
首都に接する千葉県の市はほかにない。

松戸駅東口の正面に鰻の「軍次家」を見つけたのは数ヶ月前。
店舗は2階にあって階段入口の品書きを見たときに
ここは間違いなく佳い店だと直感した。

大正13年、創業時には川魚料理に佃煮問屋も兼ねていた。
鰻屋の命ともいうべきタレはずっと継ぎ足して使っている。
鰻は静岡や鹿児島の養殖モノ。
時期によっては国産より台湾産が優れていることもあり、
店主の目利きを頼りに使い分けている。

と、鰻について語ってきたものの、
J.C.が「軍次家」で食べたのはウナ子ちゃんに非ず。
白状すればサバ男くんでありました。
実食時のリポートはあと回しにして
今しばらく、この店を持ち上げてみたい。

まず、徹底した化学調味料の排除がエラい。
化学の子は鉄腕アトムとウランちゃんだけにしてほしい。
おっと、アレは科学の子だったか・・・。
科学まみれのお茶の水博士がここの料理を食べたら
いかなる感想をもらすのか、ちょいと気になるところではある。

ごはんは茨城県の農家から送られてくるコシヒカリの自家精米。
豆腐ははるか尾瀬からの取り寄せで、夏がくれば思い出す逸品。
驚いたのは使用水だ。
浸透膜浄水器でろ過した聖なる水は
本来、高級ホテルのビデ専用水として使われるべきもの、
というのは悪い冗談だが
訊けばこの浄水器、セシウムをすべて除去してくれるそうだ。
それならヤサ男のオタマジャクシなど一たまりもなかろうて。
(まだ言ってるヨ)

ということですから「軍次家」の真価を識るに
何も高価な鰻を奮発する必要はありません。

そろそろそばでも食べようかな。
どうぞみなさん、よいお年をお迎えください。

=つづく=

2012年12月28日金曜日

第479話 茶菓子にチャレンジ (その2)

何十年ぶりかで茶菓子とふれあった。
数日間だけの蜜月ではもったいない気がした。
連夜とはいかないまでも、せめて週に2~3回は向き合いたい。
素朴にそう思ったのである。

上野動物園にいたら夕焼け小焼けで日が暮れた。
不忍池の池畔をブラブラ。
いつの間にやら渡り鳥がたくさん帰って来ていて心が和む。
オナガガモ、ユリカモメ、キンクロハジロ、遊べや親のない水鳥。
連中は歓んでパンを食うがアンコはどうだろう。
今度、あんパンで試してみるか。
パンだけ食ってアンコを残したりして―。

”エサはやるナ!”―
池のほとりには上から目線の立て看板が随所に目立つ。
人と野鳥のふれあいに
無粋な役所がとやかく言う権利があるのかエ?
おのれの権益だけはガッチリ守った末に
あれするナ、これするナ、困ったものよのォ。
日本が第二のギリシャにならないように祈るばかりなり。

野鳥じゃなかった、茶菓子であった。
徘徊の末路、差し掛かったのは根の津の谷の交差点だ。
「I 田屋」なる甘味処の店先に腰の曲がりかかった老婆がひとり。
キンさんギンさんよりだいぶ若いから仮にドウさんとしておこう。
店の売り子さんと大きな声でしゃべっている。
ドウさんに興味はないが、つい立ち止まって様子を伺うに
けっこうな量の団子を買い込んだ。
袋が重くてヨロヨロしてるもの。

われに返って立ち去らんとするそのとき、
「ハイ、どうぞ!」―売り子に肥掛け(汚くてめんご)、
もとい、声掛けされちまっただヨ。
しかるに義経、もとい、J.C.、少しもあわてず、
「だんごください! みたらしとアンコを2本ずつ!」―
即座に応えたものでした。
よくも、「水割りをください!」と言わなかったものよのォ。
よくぞ、アンコを〇ンコと言い間違えなかったものよのォ。

何で1本ずつ頼まなかったのか?
これはオトコのつまらんミエが2本と言わせちまうのだヨ。
1本130円で計520円、すみやかに払って
吸い込まれたのははす向かいのスーパー「A札堂」だ。

さっきのドウさんと同じくらいに古い店舗だから売場もヤケに狭い。
それでもひとめぐりして目に入ったのは
レジの脇にあった大手パンメーカー製造のだんごパック。
いや、まいったぜ、何と3本入りで金77円也!
何だよコレ? 1本当たり26円じゃんよォ!
こんなん食ってダイジョビかァ?
何十年もだんごなんか(だんご屋サンめんご)買ったこたねェから
相場観がまったくないけど、すんごい価格差だやな。
ここで買ってどこかで売って、アービトラージできちゃうゾ!

ぜひ食べ比べたかったが、ここで買ったらだんご過多。
糖尿病も恐ろしいので素通りの巻だ。
でも、どうすんだヨ、食えもしないだんご4本。
唯一、同居のバカ猫のヤツ、肉団子は食うが串団子は食わニャい。
イザというとき、ニャンの役にも立ちゃしニャい、ケッ!

結局は薬局、3日掛けて食べ切りました。
いえ、まだ1本残ってる。
こういうのはいったい何日持つんかネ?
コレを書いてる今現在、目の前にはビールが1缶。
もちろん、だんごなんざあるわきゃない。
だんごもケーキも最中(もなか)も
アッシには関わりのねェ、仇なヤツラでござんした。
See you never !

2012年12月27日木曜日

第478話 茶菓子にチャレンジ (その1)

いやあ、慣れないことはするもんじゃありませんな。
長年の習慣というものは一朝一夕に
変えられるものではないことを身にしみて感じました。

ことの発端はこうである。
12月を迎えて友人から立て続けに菓子をいただいた。
それも洋菓子と和菓子の両方を。
あまり甘いものを好まないから通常は
よく言えば、どちらかにおすそ分け、
あからさまに言うと、どこぞに横流しすることになる。
ところが師も駆け回る師走、
友だちに受け渡しする時間的余裕がない。
簡単には腐らないのをいいことに2~3日が経過した。

そして、とある夜更けである。
タンゴを聴きながら書き物をしていて、のどの渇きを覚えた。
冷蔵庫を開けてビックリ玉手箱、ありゃ~、ビールがねェゾ!
確かに買ってあったんだがなァ!
ビールはキッチンにあるにはあったが冷蔵庫の外でした。
この時期だからそこそこの冷たさは保っているものの、
やはりもっと冷えたのが望ましい。
かといって今から冷凍庫に入れてそのまま忘れちゃったら爆発だ。
いや、缶がふくらむだけで爆発なんかしやしないけど・・・。

ここでふと思ったのである。
今晩は少し酒量を減らしてみるかな・・・と。
そうだ、これを機会にしばらく節酒に努めてみるかな・・・と。
コーヒーはめったに飲まないが紅茶と緑茶ならOKだ。
もっとお茶を積極的に摂取して節酒につなげよう。
ことはついで、同時に甘味・スイーツを味わおうじゃないか。
ちょうど在庫があり余っていることだし・・・。
このことであった。

その夜は最中(もなか)と緑茶、翌晩はケーキと紅茶にした。
ふ~ん、悪かないねェ、タマにはいいねェ。
何だか子どもの頃に戻ったみたい。
小学生時代はアンコ玉や栗むしようかんで
一家団欒、よくお茶を飲んだものだ。

月に一度、わが家に来る父親の友人・A野サンは
泉屋の四角い缶に入ったクッキー専門。
缶の青と白のツートンカラーが子どもの目にもオサレだった。
もう一人のS上サンは三笠山のどら焼き一本やり。
むさくるしい家だったが、あの時代の男たちは
互いの家を訪ね合って酒を酌み交わしていたんだ。

茶菓子の独り宴会を始めて3日目の晩。
ケーキを緑茶で試してみると、これはこれでよい。
おそらく最中&紅茶もいいハズだ。

翌日。
猫がらみでちょいとお世話になった近所のオバさんに
あまりモノで悪いけどと、残りをもらってもらった。
目の前から甘いモノが、きれいサッパリ消えた瞬間である。

=つづく=

2012年12月26日水曜日

第477話 有楽町でロードショウ (その3)

こうして読み返し始めた松本清張の短編集。
”読書の秋”ならぬ、”読書の師走”である。
早くも30篇ほど読みくだしたが
名作・佳作は昭和30~35年に集中していますな。
なぜだろうか?
この頃の清張サンは脇目も振らずにただ、ただ、まっしぐら。
流行作家としての確たる足場をまだ築いたわけではないから
持てる才能のすべてを投入して全力投球だもの。

昨日紹介した「声」と、その二ヶ月前に発表された「顔」は
ともに初期の傑作として呼び声が高いが
あまりにも恣意的な偶然性が鼻につかないでもない。
もっともこれはミステリーに必ずついて回る避けがたき欠陥。
この点をあまり神経質に追求すると、
作品の展開力を極端に拘束することになるので痛し痒しだ。

「一年半待て」、「地方紙を買う女」は誰もが認める秀作。
宮部みゆきサンが責任編集した、
「松本清張・傑作短編コレクション(上・中・下)」にも
しっかりと収められている。
「恐喝者」、「共犯者」、「捜査圏外の条件」もまたしかり。
宮部サンが大好きという、「鴉」は筋書きにムリがあるうえ、
ラストの御都合主義的尻切れトンボがどうにも許しがたく、
J.C.にとっては嫌いな作品の代表格になっている。

「声」、「顔」がはずれているけれど、
彼女が選ばなかった作品群(篇数に制限もあろうが)では
「草」、「愛と空白の共謀」、「怖妻の棺」あたりが好き。
茶目っ気じゅうぶんなおかしみや
すがすがしい読後感を残してくれる作品が
非常に少ない清張サンにあってキラリひかるものがある。。

宮部サンは「コレクション下巻」の冒頭で
「タイトルの妙」と題し、一筆したためている。
題名を上手につけるのは難しいと、作家の悩みを告白している。
しかるに彼女によれば、清張サンは名タイトル製造機なんだそうだ。
確かに「点と線」、「砂の器」はそうであろう。
でもネ、昭和26年の流行歌、「上海帰りのリル」が
効果的に使われる「捜査圏外の条件」はあんまりだろう。
これじゃあまりにモロ、まったくもってそのまんま東、
味気ないったらありゃしない。

「潜在光景」や「削除の復元」、
「愛と空白の共謀」(名作なのに)や「恐喝者」も気に入らない。
「剥製」や「詩と電話」なんてのもつまらない。
昭和33年1月発表の「点」という陰気な小品があるが
この時期は彼の一大出世作、長篇「点と線」の連載真っ最中。
「点と線」のさなかに「点」でっか?
ヨーロッパの作家は「夜と霧」の連載中に
「夜」なんて作品を世に送らんでしょう、いや、ジッサイ。

=おしまい=

2012年12月25日火曜日

第476話 有楽町でロードショウ (その2)

昭和32年当時の東京のロードショウ。
チケットの値段を求めてゆきついた、
松本清張の短編、「声」にはこうあった。

 いったい茂雄にはそんなところがあった。
 名もないような三流会社に勤めていて、
 安月給をこぼしているくせに
 流行型の洋服を月賦で新調したり、
 絶えずネクタイを買い替えたり、
 映画館でも有楽町あたりの高級館に朝子を誘って
 二人で八百円を払ってはいったりした。
 始終借金をしているらしい。
 そんな見栄坊なところが朝子には気になったし、
 性格の不均衡(アンバランス)な面も不安であった。

恋人同士の茂雄と朝(とも)子はほどなく結婚する。
上記は結婚を前にした朝子の心情の吐露である。
三流会社、安月給、月賦、借金、
もちろん現代にも実存しているが、いかにも昭和ですねェ。
有楽町の高級館、二人で八百円、
さんぜんと輝く往時のオサレなデートだったのでしょう。

でなわけで岡山県のY岡サンの問い掛けには
即座にお応えしたのだが問題はそこから始まった。
デスクやソファやベッドの上に拡げちまった10冊の短編集。
いったいどうすんのヨ、コレ?
Book Off にでも売るかァ! バカな、人件費も出ないヨ!

でもって、しっかたナシに読み始めやした。
読書週間でもないのに黙々と・・・・
ちなみにこのチャレンジは現在も進行中であります。
萩本の欽チャンじゃないが、何でこうなるのっ?
まっ、世の中こんなモンだわな。
ここまで書いてアタマが痛くなったので小休止。

キッチンで湯を沸かし、到来物の棒茶を淹れて
なぜか聴いているのは来生たかおのアルバム。
今かかっているのは「セカンド・ラブ」だ。
この曲は哀しいなァ。
流行らせた幸うすき明菜のことを
ぼんやり考えるうちに、曲は「めざめ」に替わった。

このアルバムを聴くのはかれこれ15年ぶりかも・・・。
来生たかおとオネエちゃんの来生えつこは
再びクローズアップされてもいいと思うんだがねェ。

おっと、清張サン、清張サン。
くだんの一作、「声」は結末が存外ながらまずまず楽しめた。
昭和31年の東京の町が次から次へと現れては消える。

銀座→有楽町→世田谷町→日ノ出町(豊島区)→
谷町(文京区)→指ヶ谷町(文京区)→田無(北多摩郡)→
小平町(北多摩郡)→立川→新宿→田端

てな感じ。
ちょいとした「東京だヨおっ母さん」ですな。

=つづく=

2012年12月24日月曜日

第475話 有楽町でロードショウ (その1)

=第365話 山手線をひとめぐり(その1)=で
昭和32年の流行歌、
「有楽町で逢いましょう」の1番の歌詞を紹介したところ、
3名の方からお便りをいただいた。

青森県のK藤サン
― 母が元気だった頃、よく台所で歌っていました。
  なつかしくて胸がキューッとなりました。―

東京都のS谷サン
― この歌がデパートのキャンペーン・ソングだったこと、
  初めて知りました。
  そういえば歌詞にデパートが出てきますものね。―

岡山県のY岡サン
― 当時の恋人たちはデパートで買い物をして
  ロードショーを観たのでしょうか・・・。
  映画の入場券っていかほどだったのかしら?―

それでは曲の2番。

 ♪  心に沁みる雨の唄
    駅のホームも濡れたろう
    ああ 小窓にけむるデパートよ
    今日の映画(シネマ)はロードショウ
    かわす囁き
    あなたと私の合言葉
    「有楽町で逢いましょう」    ♪
           (作詞:佐伯孝夫)

いただいたメールを読み下していて
ふと気になったのがY岡サンの問い掛けだった。
そう、昭和32年当時、
有楽町映画街における高級館のチケットは
いくらであったのだろう。

これにはおぼろげな記憶があった。
松本清張の初期の短編ミステリーに記述があったのだ。
おそらくわが家の本棚に収まっているものと思われるが
何せ清張の短編集だけでも10冊はあろうから
こいつは大変な作業になりそうだ。

手当たり次第に読み始めるのは効率が悪すぎる。
おそらく小説はリアルタイムの描写だろうから
昭和30年代初めの2~3年に書かれた作品にしぼり、
つぶしてゆくと3作目であっけなく問題解決。
自分のカンもまんざらではないと自画自賛しちゃいました。

小説のタイトルは「声」。
「小説公園」なる文芸誌の昭和31年10月号ー11月号に掲載された。
昭和33年には日活が「影なき声」というタイトルで映画化もしている。
主演は南田洋子と今年の1月に亡くなった二谷英明。
監督は若き日の鈴木清順で
彼が清張原作の映画を撮ったのはこの1本だけである。

「有楽町で逢いましょう」がリリースされたのは
昭和32年7月だからタイムラグは8ヶ月、まずビンゴであろう。
原作にはこうあった・・・。

=つづく=

2012年12月21日金曜日

第474話 マージャン教室 開講します

今日は頭のスポーツに関するお知らせです。
今年もあと10日ほどで終わりますが
明けて2013年1月より、
文京区・春日の「麻雀ロンロン」において不肖J.C.、
麻雀教室の講師をつとめることと相成りました。

当雀荘は昨年末に脱サラした友人の I 﨑K司サンが
この春に開いた雀荘なのです。
明るく清潔な店内は
従来の雀荘の暗く不健康なイメージとはほど遠く、
雀荘を意味する英単語、
マージャン・パーラーと呼ばれるにふさわしい空間です。

そこで当ブログを通して
新しい生徒さんの募集をすることとなりました。
老若男女を問わず、初心者から中級者まで
幅広く声をかけていきたいと思っています。

モットーは
・和気あいあいと楽しめる憩いの場の提供
・若い頭脳の柔軟な発想力の育成(ちとオーバー)
・人生の下り坂を迎えた方のボケ防止
といったところでしょうか。

巷で人気の大箱教室のように
ほとんど放ったらかしの大ざっぱな指導はいたしません。
コンパクトに丁寧に
麻雀を楽しみながら覚えていただきます。

パソコン相手と実戦は似て異なるもの、
麻雀の醍醐味をぜひ味わえるようになってください。
殊に年配の方には頭と指先を同時に使うこの”スポーツ”は
一石二鳥でボケ防止に大きな効果を発揮します。

開講日は2013年1月12日(土)午後。
当面、毎土曜午後、そして毎月曜夜を予定しています。
1レクチャー3時間制で受講費は
 男性・・・3000円
 女性・学生・シルバー・・・2400円
 (茶菓付き。完全禁煙、スモーキング・バルコニーあり)
となります。

「麻雀ロンロン」
 東京都文京区本郷4-25-8 猪尾ビル6F
 (白山通り&言問通りが交わる西片交差点角
  都営三田線・春日駅A6出口真上、徒歩0分
  最寄りは春日ながら地下鉄3線・後楽園駅も至近)
 03-5689-3122

お問い合わせは

okazawa@almond.ocn.ne.jp

どうぞお気軽にご相談ください。
キャパシティに限りはありますが
多くの方々のご参加をお待ちしております。

2012年12月20日木曜日

第473話 初めて蕨で飲みました

埼玉県・蕨市は面積において日本最小の市。
5.1平方キロメートルに7万1千人余りが住んでおり、
人口密度の高さも日本一である。

ずっと以前に一度だけここを訪れたことがあった。
当時のあるとも(歩き友だち=散歩の友人)と
二人で駅の周辺を2時間ほど徘徊したものの、
真っ昼間だったため、町の全貌を知るにいたらず、
その相棒からは
「つまんないとこに連れて来ないでおくれ、電車賃の無駄だヨ!」
たしなめられた苦い思い出があるのだ。

蕨といえば、1970年代のストリップ劇場華やかなりし頃、
東京の街角でよく蕨OS劇場のポスターを見たものだ。
往時、蕨と西船橋はストリップのメッカだった。
町を歩いたときに、ふとそのことを思い出したが
当地に乗り込んだのにポスター1枚貼られているわけでもなく、
とっくに消滅したものと決めて掛かり、あえて探さなかった。
それが今日、この稿を書き始める前に調べたら
蕨ミニ劇場というのが細々と営業を続けていることが判明。
客が20人も入ればいっぱいらしいが
とにかく驚いたネ、シーラカンスに遭遇した思い。

此度は「喜よし」という焼きとん屋が目当て。
これも数年前、何かの雑誌でなぎら健壱サンが紹介していた。
蕨駅から歩いて数分なのに店があるのは川口市。
駅の西は丸っきり蕨だが東は蕨と川口が複雑に入り組んでいる。
まったくヘンな町だヨ、ここは。

「喜よし」の焼きとんは味噌ダレがウリ。
同じ味噌ダレで有名な中野区・野方の「秋元屋」は
ここから分かれたのだと、どこかで聞いた記憶がある。
埼玉県・東松山市は味噌ダレの豚カシラをやきとりと呼び、
市内に何十軒もの専門店があるが、まだ行ったことはない。

さっそく生ビールとともに焼きとん・みそ焼きをお願いする。
カシラとレバーのミックスが6本で500円と安い。
本来はタン・ハツ・シロ・ナンコツが揃って6種・6本らしい。
仕掛けた時間がちょいとばかり遅かったかな・・・。
まっ、タン・ハツはあまり好きじゃないし、
ナンコツは固いのに出食わすと歯のためにならない。
なんて負け惜しみ言ってら。

カシラに味噌はよく合うがレバーは甘辛のタレのほうがいい。
素直な感想である。
煮込みはここ2ヶ月ほどイヤというくらい食べたのでパス。
ネギみそきつね焼き(120円)を2本追加した。
きつねといえば油揚げだ。
まずまずながら、湯島「シンスケ」のきつねラクレットには及ばない。
値段がずいぶん違うのでこれは致し方ナシ。

わざわざ遠征するに値する店でも町でもないけれど、
ディープタウンで飲みたい向きなら楽しめるところだろう。
でも、手前に十条・赤羽の最強コンビが控えてるからねェ。
よほどの決意を持って臨まないと、
北区で途中下車しちゃうことになりそうだ。

「喜よし」
 埼玉県川口市芝新町2-11
 048-266-1002

2012年12月19日水曜日

第472話 こんなそば屋がありました (その2)

そうだ、そば屋の屋号をまだ明らかにしていなかった。
大正時代に開業したのか、「大正庵」という。
視力のよい方なら昨日の写真を読み取っていたでしょう。

2杯目のビールをグラスに注いでいるときに
そば定食が登場した。
(ウワッ!)
いえ、声は出さなくとも衝撃のご対面であった。
存在感に圧倒される
まず、ボリューム感がスゴい。
ひやかけはいわゆるぶっかけそばで盛り込まれたのは
 大根おろし・揚げ玉・切り海苔・
 白胡麻・きゅうり・ねぎ・粉わさび
ときたもんだ。
ちょいと気取ったそば屋なんざ、1200円はふっかけようという豪華版。
もりにおろしを添えただけで
野口英世1枚じゃ追っつかない店があるもんなァ。

一箸つまんで驚いた。
旨い、そばが旨い。
コシの強い歯ざわり、なめらかなのどごし、つゆもスッキリと、
こりゃ町場のそば屋のレベルじゃございやせんぜ。
都心であればコレ一つで千円が適正価格だ。

そばを取り囲む脇役陣もなかなかのもの。
チキン南蛮だけはそれなりで可も不可もなし。
隣りのキンピラがうれしいねェ、ビールにピッタリ。
新香だって黄色いたくあんじゃなく、きゅうりのぬか漬けだ。
ごはんの米の質、炊き加減ともによし。
食後の満足感は満腹感とない混ぜになってやって来た。

お勘定で再び驚いた。
請求額の千円ポッキリは何かの間違いだろうと質したところ、
オネエさんが指し示した壁の貼り紙には

 御苦労様そば定食
 ビール又はお酒付き 1000円

いくらデフレの世とはいえ、この値段にゃ野口英世もビックリだ。
以後、夜に2回も訪れて、くだんの”御苦労様”をいただいた。
そのときのおかずはハンバーグと秋刀魚の煮付け。
もちろん2晩ともごはん抜きでネ。

住所は赤羽北だがJRの北赤羽や赤羽よりも
都営三田線・志村坂上からのほうが近い。
駅を降りたら真っ直ぐの1本道で判りやすく高低さもない。
他の2駅はかなりの上り坂になるし、
赤羽だと初めての人はなかなか行き着けないかもしれない。

電車賃をかけても行く価値アリの「大正庵」。
お~い、T大のブンガクくんよォ!
このブログ見たらさっそく行きなよォ!
白山まで歩いて三田線に乗るんだぜェ!

「大正庵」
 東京都北区赤羽北3-25-4
 03-3908-8417

2012年12月18日火曜日

第471話 こんなそば屋がありました (その1)

都の春いまだ浅い頃、
暖かな土曜日の散歩は板橋区・西高島平でスタートした。
ここは都営三田線の終着駅だ。
大きな団地のある高島平は住人以外に
地下鉄(地上だけど)の乗降客がほとんどいないと思われる。
よしんば何もなくったって構わないから
とにかく沿線を歩いてみようと心に決めていた。

新高島平―高島平―西台―蓮根―志村三丁目ときて
まあ、本当に何もないんだわ、ビックリするくらいに。
志村坂下から坂上に上って行く途中に
名も知らぬ小さな庭園があり、そこに立ち寄ったのみ。
そうしてやって来た志村坂上である。

これより先の中仙道沿いは土地カンがある。
このときふいに浮気心がアタマをもたげた。
どうせなら知らない地区を散策したい。
即断即決、駅前の交差点を左折し、
小豆沢方面に進路をとったのだった。
中学生の時分に小豆沢公園内の区営プールで泳いだが
辺りの光景に見覚えもなく、未知の町同然だ。

折れてから1キロほど歩いたろうか、
北区との区界を越えてすぐ、1枚の看板が目に飛び込んできた。
思わず足を止めて見上げましたネ
ちょっと小さくて読みにくいかな?
とにかく都の内外を問わずにあちこち歩き回り、
気になる飲食店の観察に余念のない身ながら
こういう看板を掲げる店は見たことがない。

店主の要望通りに”是非御来店して試食”したかったが
昼食を済ませたあとで、いささかムリ筋。
( I shall return !)を心に叫び、
後ろ髪引かれつつも赤羽方面へと歩を進めた。

それから実に半年後、やっと訪問の機会を作った。
正午前に暖簾をくぐると、けっこうな客入りである。
昼食時の人気メニューはそば定食(700円)の模様。
店のオネエさんに内容を訊ねると、
日替わり定食に冷やかけか温かけが付くという。
その日のおかずはチキン南蛮だった。

量的に絶対多いよなァ、懸念したものの、
そうなったらそうなったで
晩めしをセーブすれば済むこと、挑戦する気になった。
一度腹をくくってしまえば
輪をかけて太っ腹になるのがJ.C.の悪いクセ。
勝負事で調子がいいときは
カサにかかって攻める性格だからねェ。

そいでもってどうしたかというと、
ビールを1本追加しちゃいました。
注文してはみたものの、ビールが運ばれた瞬間に
さっきの強気はどこへやら、オネエさんに伝えました。
「ごはんは半分以下でお願いします」
われながら弱っちいや。

=つづく=

2012年12月17日月曜日

第470話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その3)

この3年4ヶ月はいったい何だったのだろう。
鳩・菅・野、揃いも揃って馬鹿と阿呆ばかりなりけり。
国民をああまで愚弄した報いとはいえ、
こうまで愛想づかれされるとは思わなかったろうに。

それはそれとして煮込みの旅はまだ続いた。
伊勢崎線の線路は続くヨどこまでも、である。
西新井を訪れた翌日、埼玉県・春日部市へ遠征した。

この日は当地の市民文化会館で
鳥羽一郎&ピンクボンゴのジョイントコンサートが開催された。
前日もつき合ってくれた春日部のお茶屋社長・Hしクンが
招いてくれたのはまさに渡りに舟だ。
のみとものN村クンとタコちゃんを誘い、意気揚々と出掛けた。

コンサートの前に1軒目の「福島や」。
いつぞやは当ブログでも紹介した。
殻付きうずら玉子の串焼きに度肝を抜かれた店である。
サッポロ赤星でいただいた煮込みは豆腐入り。
オーソドックスな豚シロの味噌仕立てに安定感がある。。

軽く立ち寄るつもりが町の墓石屋さん・Y田氏の合流もあり、
赤星ラガーのあとにサッポロ生中を3杯も飲んでしまった。
公演中に催すのではと、少々心配になったりもしたが
ワリと我慢の利く体質につき、何とかなるであろう。

初めて観る鳥羽チャンの歌唱もさることながら
曲の合間のベシャリが上手なのには正直驚いた。
実力派ピンクボンゴの演奏もまことにけっこうだ。

コンサートのハネたあと、
われら3人を引率してくれたのは主催者側のHし社長。
訪れたのは「もつ焼き 熱田」。
春日部では知られたホルモン焼き屋があらたに開いた店だ。
豚もつ煮込みと牛すじ煮込みの両方を味わう。
どちらもそこそこのレベルに達していた。

感心したのはお初にお目に掛かったわさびサワー。
焼酎ベースのサワーにおろした生わさびを投入する。
わさびには一家言持つJ.C.が虚を衝かれた。
半信半疑で試してみたら意外や意外、イケちゃうのである。
まあ、ウチでやってみようとまでは思わなかったけれど・・・。

最後に向かったのは最近オープンした「春日部休憩所」。
店名がなかなかにふるっている。
ここは和・仏・伊が溶け合うビストロ風トラットリアとでも申そうか。
ザッとメニューを紹介してみる。
自家製パテ、バーニャ・カウーダ、ポテトとキノコのグラタン、
豚トロとアスパラのトマト炒め、チーズのライスコロッケ、
もちろんピッツァとパスタも揃っている。

豚すじ塩煮込みと牛トリッパトマト煮込みを注文。
ここにも2種類の煮込みが揃っていた。
しかもともに個性が立って味わい深い。
春日部という町は隠れた煮込みタウンであった。
新潟は阿賀町の産、麒麟山を常温で飲みながら
そんな思いがこみ上げてきた。

=おしまい=

「福島や」
 埼玉県春日部市粕壁東1-13-8
 048-755-0970

「もつ焼き 熱田」
 埼玉県春日部市中央1-9-13
 048-754-5550

「春日部休憩所」
 埼玉県春日部市中央1-22-22
 090-6103-8886

2012年12月14日金曜日

第469話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その2)

煮込みの調査で足立区・西新井に来ている。
この駅で東武大師線に乗り換えれば、
弘法大師ゆかりの名刹、
西新井大師(五智山總持寺)まで一駅。
神奈川の川崎大師、
千葉・香取の観福寺大師堂とあわせて
関東厄除け三大師と呼ぶのだそうだ。

煮込みのハシゴのついでにお参りもないものだから
関原地区にて煮込み行脚を継続する。
2軒目の「浩二」での支払い時に
「またあとで寄るからネ」―こう女将にささやいたらしい。
心のうちで締めはこの店のラーメンと決めていたのかもしれない。

さて、3軒目は立ち飲みの「酒屋バル nibu」。
ここはお茶屋・Hしクンのホームグラウンドだ。
以前にも一度案内されたことがある。
ブンガクくんにとっては初訪問、というより、
彼にとっては西新井の街そのものが未踏の地だったのだ。

実はJ.C.、「nibu」の店主夫妻には恩義があった。
あれは今年の5月末。
旧友とともに北千住のスペインバル「ボケロン」を訪れた折、
満席であきらめ、引き揚げかけたところ、
店内のカップルがオモテに出て来て席をゆずってくれたのだった。
この親切なカップルこそ店主夫妻。
「nibu」には一度しかオジャマしていないのに
よくぞ覚えていてくださった・・・なのである。
恩を返すのにずいぶん日が経ってしまったけれど、
何となく肩の荷が下りた感じ。

もともとここは酒屋さん。
18時まで「松屋酒店」、それ以降は第二部の「nibu」になる。
カリニャン種の赤ワインをグラスで2杯飲んだ。
カリニャンはスペイン・サラゴサ県原産のぶどう品種。
プチトマト入りの牛すじ煮込みにピタリと寄り添う。
パンをもらったことだし、
鶏レバーのムースがほしくなったが、ここはグッと我慢の子。
これから約束をはたさずばなるまい。

そうして舞い戻った鶴田浩二ならぬ、ただの「浩二」。
女将に訊いたら息子さんの名前なんだと―。
スーパードライを飲みながら
3人で焼きそば&ラーメンを分け合った。
おう、おう、どちらもマトモだ、マトモだヨ。

 ♪ 何から何まで 真っ当じゃないか
   筋の通った ものばかり
   右を向いても 左を見ても
   馬鹿と阿呆の 男づれ
   どこに女の 影がある     ♪
    (本来は作詞:藤田まさと)

Hしクン、ブンガクくん、今回は馬鹿と阿呆にしちまって
ごめんねごめんね~!
おっと、これは鶴田浩二じゃなくって、U字工事でありました。

=つづく=

「酒屋バル nibu」
 東京都足立区関原3-28-11
 03-3886-2270

「浩二」
 東京都足立区関原3-17-10
 03-3887-0369

2012年12月13日木曜日

第468話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その1)

昨日は五反田発の東急池上線だったが
今日は浅草発の東武伊勢崎線。
何やら私鉄づいている。
野口五郎の「私鉄沿線」でも聴きたい気分だ。

今年もいつの間にか師走、
先月、先々月は発売中の「東京冬ごはん」の取材で
毎晩が煮込み状態だった。
やくざの大喧嘩(でいり)や要人暗殺の際に
寝込みを襲われるのはよく耳にするけれど、
煮込みに襲われたのはJ.C.くらいのものではないかいな。

とまれ、都内をあちこちさまよい、再検証に次ぐ再検証。
しばらく煮込みのカオはご免こうむりたいと思った矢先、
O編集長から発信されたミッションが伊勢崎線を踏破せよ! 
なかなか厄介なんだな、これが!
伊勢崎線といっても
浅草の川向こう、いわゆる墨東や北千住は熟知している。
しかし、その先はあらたに地道に探索せざるをえまい。

そうして侵攻した西新井の町。
こんなときには仲間に声を掛けるのが一番。
改札で待合わせたのは春日部のお茶屋社長・Hしクンと
本郷の現役大学院生・ブンガクくんである。
こう見えても(見えねェ!ってか?)気のいい二人だ、

皮切りは駅東口の「丸重」。
珍しい生ホッピーに意表を衝かれた。
しかも白・黒の両揃いときたもんだ。
1杯ずついきたいところなれど、これからが長い。
妙案のハーフ&ハーフをグイッと飲る。

目当ての牛すじ煮込みは豆腐が入った甘辛醤油味。
足立区ではなく、墨田区の水準に達している。
にらオムレツと呼ぶにふさわしい、にら玉がよかった。
1皿4本のもつ焼きは塩とタレで計2皿。
総じて悪くなかったが、西新井代表とまではいかない。

西口に回って徒歩数分の関原地区を目指す。
未訪ながら目星を付けておいた「浩二」が2軒目。
鶴田浩二みたいな店主がいたら、どう仁義を切ろうか?
意外にも切り盛りするのは還暦超えの女将だけだった。
忙しくなると、近くに住む娘が手伝いに来たりもするそうだ。

瓶ビールを飲みながらの煮込みは豚シロの赤味噌仕立て。
ほ~う、けっこうじゃないの。
お茶屋がじゃがバタ塩辛、ブンガクがかきバターを所望した。
これはブンガクのほうの筋がよろしい。
ゆでたじゃが芋に出来合いの塩辛ってのはどうもネ。
品書きにあったラーメンと焼きそばは
娘さんが拡げたメニューで以前は出していなかった。
どこか惹かれるものがあったが
先を急がねばならぬ身、早くもお勘定である。

=つづく=

「丸重」
 東京都足立区栗原1-7-21
 03-3859-7679

2012年12月12日水曜日

第467話 やはり鰻はおかしいゾ!

「有楽町で逢いましょう」に始まり、
「嵐を呼ぶ男」で終わった山手線めぐり。
先日、裕次郎がドラム缶をたたいた五反田を訪れた。

 ♪  終電時刻を確かめて あなたは私と駅を出た
   角のフルーツショップだけが 灯りともす夜更けに
   商店街を通り抜け 踏切り渡ったときだわね
   待っていますとつぶやいたら 突然抱いてくれたわ
   あとからあとから涙あふれて うしろ姿さえ見えなかったの
   池上線が走る町に あなたは二度と来ないのね
   池上線に揺られながら 今日も帰る私なの     ♪
                    (作詞:佐藤順英)

だしぬけにシンガーソングライター・西島三重子の「池上線」。
作詞の佐藤サンは実体験をもとにこの詩を書いた。
でも実際にフラれたのは歌詞とは逆に彼のほうらしい。
数分後に別れる二人が降りた駅は池上駅。
角にフルーツショップがあったとしても
ほかには池上本門寺しかない寂しい駅である。

池上線は五反田と蒲田を結ぶ東急電鉄の路線。
品川区と大田区の間を弧を描いて走るローカル線だ。
今もこの電車に乗ると、西島三重子の歌声が耳にこだまする。
沿線の戸越銀座や洗足池は
デートにピッタリで訪問者の老若を問わないのがエラい。

池上線の始発駅・五反田に戻ろう。
その日、所用が片付いたのは18時過ぎ。
日はとっぷりと暮れている。
身を置くところは何軒もあるが新規開拓にいそしむことにした。

駅前ロータリーを超えて歓楽街に入り込み、ブラつくこと30分。
何となしに「松月」なる鰻屋の前にたたずんでいた。
店頭にはランチの品書きが残っている。
天丼・海鮮丼・金目鯛煮つけ定食が1000円。
柳川定食が1200円で特うな丼は1500円。
もつ煮込み定食(950円)なんてのもあったが、これは高い。
ほかはともかくも特うな丼がずいぶんと低価格じゃないか。
しかも鰻は愛知県の一色産だという。

最近、鰻じゃロクな目に逢っていないがダメ元で飛び込んだ。
女将との短い会話で奨められた菊定食(1800円)をお願いする。
あとはビールと必注の肝焼き(300円)だ。
肝焼きは値段が値段だけにこんなものか。
肝臓の姿なく腸管ばかりなのは肝吸い用にレバーを抜いた証し。

ホンの15分ほどで整った菊定食。
あまりに貧相な鰻はほとんどどぜうの蒲焼きだ。
ひからびていて本来の味も香りもしない。
隣りにこれまた小さなどぜう柳川鍋。
あとはおざなりな香の物とお吸い物。
やっちまったヨ、安物買いの銭失いとはこのことであった。
やはり鰻はおかしいゾ!

長居は無用と早々に腰を上げる。
支払いの際に女将がひとこと耳元でささやいた。
「お口に合いましたでしょうか?」
合うわけないから話題をそらすほかはない。
「ここしばらく鰻屋さんは大変でしょうねェ」
「ええ、本当に、あまり値上げはできませんし、苦しいですヨ」
(こんな鰻を食わなきゃならない客だって苦しいヨ)
言葉を飲み込んで、独りゆく夜の五反田の街。

「松月」
 東京都品川区東五反田1-16-3
 03-3441-6365

2012年12月11日火曜日

第466話 山手線をひとめぐり (その2)

山手線めぐりは上野から大塚へ。
大塚はかつての三業地。
往時は隣りのターミナル駅・池袋をしのぐ繁華を誇った。
三業地って何だ? ってか?
料亭・芸者置屋・待合の三業種を当局から認可され、
それぞれが営業していたエリアでござんす。

名残りが漂う街で真っ先に訪れたいのが
南口のロータリーに面する酒亭「江戸一」。
当ブログでたびたび紹介しているから今さら多くを語らぬが
文字通り、江戸で一番の酒亭がここ。
日本酒党はぜひ出向き、一献傾けていただきたい。
店と客が一体となって小粋な空間を育んでいる。

大塚駅改札を南に出てたたずむと、
ロータリーをゆっくり通過するチンチン電車が
古き良き東京をしのばせてくれる。
JR山手線と都営荒川線がモロに交差するのは
都内広しといえどもここだけ。
偶然の産物だろうが、この光景はずっと失いたくない。

都電の路線で思い出深いのは
深川・木場から乗った丸の内南口行きと
池袋東口から乗った数寄屋橋行き。
何年か前にスイスのチューリヒでストリートカーに乗車したとき、
大都会・東京と小都会・チューリヒの彼我の差をつくづく感じた。
東京に残る唯一の都電、荒川線だけは何としても残そうヨ。
それが東京都民のつとめであろう。

山手線の中で大嫌いな新宿と渋谷はトバそう。
どちらも人が多すぎて生きた心地がしない。

そうしてやって来た五反田。
ここのいいところはホームから見下ろせる東口ロータリー。
やはり地表にロータリーを持つ駅はいいやネ。
地方へゆくとロータリーの上に
歩道橋を兼ねた広場が広がる駅が目立つ。
苦肉の策だとしてもヤボッたさがすべてをブチ壊している。

東口から線路沿いを目黒方面に歩いてほどなく、
「助川ダンス教室」の看板が見えてくる。
教室の入るビルを超えてすぐ、右側に小さな石段がある。
何の変哲もない階段だがスクリーンを通して
この上に若き石原裕次郎の姿を見ることができた。
当時、J.C.は小学校に上がる前のマセたガキだった。

映画は「嵐を呼ぶ男」。
階段上に現れたのは弟役の青山恭二と
その恋人の芦川いづみの3人。
階段の上に裕次郎の家族が住むアパートがあったのだ。
母親とのいさかいで部屋を飛び出した裕次郎が
へし折った棒っ切れをスティっク代わりに
ドラムに見立てたドラム缶をたたく。
忘れられないなァ、あのシーン。

この映画をキッカケとして日本人は
ガソリンの入ったデカい缶をドラム缶と呼ぶようになった。
なあ~んていうのは嘘。
映画が公開されたのは昭和32年。
そう、街には「有楽町で逢いましょう」が流れていたっけ。

2012年12月10日月曜日

第465話 山手線をひとめぐり (その1)

JR山手線の正式名称は
”やまてせん”ではなく”やまのてせん”。
もともと”やまのて”だったのが
終戦直後に連合国軍総司令部の指示で
鉄道施設のローマ字併記を実施した際、
旧国鉄内の通称”やまて”を
YAMATEとしたために混同された。

国鉄当局が二本立てを一本化したのが1971年3月7日。
先週のブログでふれたが
五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が世に出たのも
J.C.オカザワが横浜から出国したのも1971年3月である。
だから何だ? と問われれば、
ベツに何でもございませんが・・・。

山手線には29の駅がある。
そのうち好きな駅(周りの雰囲気が)は
有楽町・上野・大塚・五反田の4駅。

有楽町にはいろいろと思い入れがある。
駅前の旧「レバンテ」は大好きなレストランだった。
デートの待合わせも今は無き日劇か、
今も在るソニービルだった。

 ♪ あなたを待てば雨が降る
   濡れて来ぬかと気にかかる
   ああ ビルのほとりのティー・ルーム
   雨も愛しや 唄ってる
   甘いブルース
   あなたと私の合言葉
   「有楽町で逢いましょう」   ♪
         (作詞:佐伯孝夫)

フランク永井が歌ったのは昭和32年。
作曲は国民栄誉賞の吉田正だ。
東京進出をはたしたデパート「そごう」の
キャンペーンのために生まれた曲は一世を風靡したものの、
今ではデパートの代わりにカメラ屋が営業しちまっている。
あゝ、無情!
ただ、東口の商業施設「イトシア」に
歌詞の一部が採用されたのは何となくうれしい。

上野に移動する。
この駅はお山の上と下とのギャップが面白い。
公園口から出るのと不忍口から出るのとでは
周りの様子がまったく異なる。
学生カップルのデートは”上”、
不倫相手との逢瀬は”下”であろうヨ。
もっとも熟年が”上”を散策してもすがすがしいし、
”下”で買い物や食事を楽しむ若者も目立つ。

J.C.はひんぱんに上下を行ったり来たり。
このところオペラや美術館にはご無沙汰ながら
わが楽園としての動物園の存在がとても大きい。
動物園の東園は”上”、西園は”下”に位置する。
西園の隣りの不忍池と弁天島も当然”下”だ。
立ち飲める酒場に事欠かない”下”は呑ン兵衛のパラダイス、
混沌とした魅力に満ちている。

=つづく=

2012年12月7日金曜日

第464話 よこはま橋に行きましょう (その3)

到着時間にバラつきがあったものの、
そこは土佐の高知の中村方式。
勝手に飲み始め、全員集合した時点であらためて乾杯だ。
のどをすべり落ちたのはキリン一番搾りの生ビール。

横浜は日本におけるビール発祥の地。
麒麟麦酒もこの地で創業している。
よって地域ではキリンが断トツのシェアを誇る。
調べたわけじゃないから確証はないけれど、
横浜をあちこち飲み歩き、肌で感じた。

みんなに食べてほしかったのは、いの一番に叉焼。
ここのはラーメン屋でおなじみの煮豚ではない。
オーヴンでビシッと焼き上げた焼き豚だ。
同じ豚でも煮るのと焼くのとでは大違い。
何といっても中華は”叉焼”、手抜きの”叉煮”はいただけない。
しかも紅麹の輪郭鮮やかな正統派だから余計にありがたい。

周りが赤い焼き豚は大好き。
中華街の中華料理店は玉石混交なれど、
こと叉焼に限っては東京の店舗よりレベルが高い。
J.C.にとって横浜の第一感は赤い叉焼と、
裕次郎の「赤いハンカチ」ということになろうか。

「酔来軒」の前菜はピータン・ハチノス・海老天の盛合わせ。
和気あいあいとつまみながら、15年物甕出し紹興酒に移行した。
ヨソでは見掛けぬ珍品のトマト肉団子は
ミートボールの中にプチトマトが潜んでいた。
スコッチエッグのゆで玉子の代わりにトマトを仕込んだものだ。
味的にはあまり感心はしなかったけれど・・・。

廣東料理を謳うだけに点心の海老餃子と焼売は高水準。
推奨品の中華風茶碗蒸しも和風と異なる佳品だ。
育ち盛りをとっくに超えたのに、みなの食欲は旺盛きわまりない。
締めにはタイトルロールの酔来丼を分け合った。
具は焼き豚・シナチク・もやし・ねぎ・目玉焼き
これがたったの400円では
「すき家」も「松屋」も「吉野家」も太刀打ちできまい。

よこはま橋をあとにして舞い戻った野毛の町。
かなり歩いたから馬体が重めのY子なんざ、
着いたときには息も絶えだえで酸素マスクが必要なほど。
それはともかく、横浜の野毛は東京の浅草みたいな存在。
呑ン兵衛を歓ばせる店がいくらでもある。

吟味の末、以前に立ち寄った居酒屋になだれ込み、
冷やしトマトでビールを飲んだところまで覚えちゃいるが
恥ずかしながらあとはすべて忘却の彼方。
ひとしきり飲んでそれぞれ帰って行った宮城・埼玉・千葉・本郷。
まことにお疲れさまでした。

「酔来軒」
 神奈川県横浜市南区真金町1-1
 045-231-6539

2012年12月6日木曜日

第463話 よこはま橋に行きましょう (その2)

美空ひばりゆかりの町・野毛から
よこはま橋を目指し、ヒマにまかせて歩く。
よこはま橋商店街の最寄り駅は市営地下鉄・阪東橋。
「新横浜ラーメン博物館」のあとの移動に都合がよい。
JR京浜東北線の関内か石川町からのんびりゆくのもオススメ。
その場合、伊勢佐木町を通る関内からのほうがより楽しい。
京急本線・黄金町はセカンド最寄りでこれもまた便利だ。

商店街の北側から入って南に下る。
途中、必ず足を止めるテイクアウト専用の惣菜屋がここ。
彼女を見るたび焼き豚が食いたくなる
廉価にして味もなかなかだから
わざわざデパ地下の有名中国料理店で買う気がしなくなる。

鮮魚店が多く、商店街には下町情緒が漂う。
なかには安かろう、悪かろうの店もあるから
買い物にはそれなりの目利きが求められる。
近所にサカナ屋がある暮らしは実にいい。
町の生活観をストレートに映し出すのは一番に鮮魚店。
続いて青果店、精肉店という順番だろうか。

それにしてもキャラメルやビスケットを売る、
一般的な菓子屋が町から消えて久しい。
スーパーとコンビニに駆逐されたのだ。
乾物屋なんてのも今の若者には判るまい。
すでに死語にして死舗ですネ。

よこはま橋商店街を抜けてすぐ左手、
当夜の会場、「酔来軒」に着いた。
その夜、参加したメンバーは総勢8名。
敬称略でつまびらかにすると
Y子・W子・R子・I原夫妻・H野・O堤の布陣。
♂と♀とが4名ずつで合コンにピッタリだ。
宴の終わりにはかつてのTV番組「パンチDEデート」さながらに
好きな相手の告白タイムなんてアイデアも脳裏をかすめたが
仲むつまじい”新婚さんがいらっしゃってる”からそうもいかない。
しかし、両番組とも進行役は桂三枝(現6代目文枝)だ。
素人をいじくらせたら右に出るものがいないからねェ。
本職の落語より上手いんじゃないの。

揃って遠路はるばるやって来る集まりは
遅刻者も出そうだから中村方式を採用した。
何じゃソレは? ってか? 
よくぞ訊いてくれました。
コレ、高知県・中村市から全国に広まった(?)システムで
宴会の際、会場に到着した人から飲み始める方式なんざんす。
上司も部下も、接待も被接待もありゃしない、
いわゆる早いモン順ですな。
ただし、先着したからって定刻前のフライングは反則だそうだ。

ホントにそんなのあるのか? ときましたか?
かれこれ17、8年前、
これまたTV番組の「クイズ 日本人の質問」で紹介されたから
間違いはございません。

=つづく=

2012年12月5日水曜日

第462話 よこはま橋に行きましょう (その1)

 ♪ 森へ行きましょう 娘さん アハハ
   鳥が鳴く アハハ  あの森へ ララララララ
   僕らは木を伐る 君たちは アハハ
   草刈りの アハハ  仕事しに     ♪
      (作詞:東大音感合唱団らしい

ポーランド民謡の「森へ行きましょう」を
初めて聴いたのは1962年か63年だったと思う。
正確には聴いたというより、
小学校の音楽の授業で習ったというのが正しい。

ポーランドでは古くから歌われていたこの曲が
日本に入って来たのは1955年。
10年も経ずに文部省が目をつけたことになる。
今と違い、昔のお役所仕事は迅速だったようだ。

港の見える丘の下でラーメンとカレーを食べた午後。
中華街と野毛の町をブラブラしたあと、
相方のP子は鎌倉へ帰って行った。
そして一人たたずむ横浜のたそがれどき。

 ♪  よこはま たそがれ  ホテルの小部屋
    くちづけ 残り香 煙草のけむり
    ブルース 口笛 女の涙
    あの人は 行って行ってしまった
    あの人は 行って行ってしまった
    もう帰らない          ♪
           (作詞:山口洋子)

そういう間柄じゃないから独り取り残された気はしない。
けれど何気なしに口ずさんだのは
五木ひろしのデビュー曲(五木としてはネ)。
リリースされたのは1971年3月だ。

忘れもしない41年前、その年その月25日の午前11時。
19歳のJ.C.はソビエト船・ハバロフスク号に乗り込み、
生まれて初めて故国を離れたのでした。

 ♪ 横浜から船に乗って ナホトカ着いた
   ここは港町 女が泣いてます   

ここんとこ歌ばっかりですんません。
「長崎から船に乗って」は五木ひろしの第2弾。
もっともナホトカの港じゃ、誰も泣いちゃいませんでしたがネ。

数ヶ月後に横浜の大桟橋に帰って来たら
日本全国津々浦々、流れていたのは「よこはま・たそがれ」、
「また逢う日まで」、「わたしの城下町」、この3曲でやんした。
しっかし、歌う3人はいずれも抜群の歌唱力ですなァ。
今の世のチャラ歌手に彼らの爪の垢でも煎じてやりたいヨ。

おっと、どうもハナシがソレルわ、ジュリアン・ソレル。
(文学好きじゃないと判らんよネ))
P子を見送ったあと向かったのは
横浜きっての下町的商店街、そう、よこはま橋商店街だ。
さして長くもないアーケードながら、ここは歩いていて楽しい。
みなさん、横浜を訪れたらぜひ、よこはま橋に行きましょう。
やっとこサ、冒頭の「森へ行きましょう」とつながりました。

=つづく=

2012年12月4日火曜日

第461話 港の見える丘の下

 ♪ あなたと二人で来た丘は
   港が見える丘
   色あせた桜唯一つ
   淋しく咲いていた
   船の汽笛咽(むせ)び泣けば
   チラリホラリと花片(はなびら)
   あなたと私に降りかかる
   春の午後でした      ♪
         (作詞:東辰三)

「港の見える丘」は敗戦の2年後、
1947年のリリースで平野愛子のデビュー曲。
15年後の1962年、横浜に港の見える丘公園が開園した。
もちろん公園名はこの流行歌にちなんでいる。

港の見える丘には公園のほかに
横浜外国人墓地(通称:外人墓地)があり、
この一帯は山手地区。
カップルの散策には恰好のエリアといえる。

丘のふもとに美味しいラーメン店があるとの情報を得て
とある日曜日、東京駅から東海道本線に乗り込んだ。
実はその夜、伊勢佐木町近くの中華料理屋で
J.C.主催の小宴会を張る予定であったのだ。
晩餐が中華だというのに
昼からラーメンを食わなくてもよさそうなものだが
ぜひ訪れたかった店につき、ほかの選択肢はなかった。

つき合わせたのは鎌倉在住のP子。
当ブログにも何度か登場しているからおなじみでしょう。
オンナおんなしていない、
サバサバした性格はまったくの天然。
養殖モノがはびこるご時勢には貴重であろう。

JR横浜駅のホームで待合わせ、
京浜東北線に乗り換えて石川町で下車。
「下前商店」に向かってトコトコ歩いて行った。
店先の行列を形成するのは6名、何だこれなら楽勝じゃん。
と思ったのもつかの間、店内に立ち待ち客が10人ほど居たヨ。

40分ほど経過して席にありつく。
サッポロの赤星ラガーを飲みながら出来上がりを待ったのは
麺少なめのラーメン、細切り叉焼とねぎが別盛りのネギソバ、
そしてもう一つの人気商品、カレーライスのスモールサイズだ。
これを分け合う腹積もり。

鳥ガラ主体の醤油スープが好感を呼ぶラーメン。
塩味スープがねぎ&叉焼とマッチするネギソバ。
ともに麺は細打ち。
クローヴ(丁子)が主導する辛めのカレー。
三者三様にイケている。
L字形カウンター内のスペースはかなりのものだが
中にはオニイさんが独り切り。
注文・調理・会計、そのすべてをこなす。
人件費は切詰められているし、商店街からちょいと外れている。
こりゃ効率がいいから儲かるだろうな。

迷うのが心配な向きは元町の老舗パン屋、
「ウチキパン」を目指すとよいだろう。
何ならここの店員サンに場所を訊いちゃうのが早道だ。

「下前商店」
 神奈川県横浜市中区元町1-54-1
 045-662-6588

2012年12月3日月曜日

第460話 穴子の活作り

鰻はすっかり庶民には手の届かぬ高級魚。
本まぐろの中とろより高価になった。
そこへいくと鰻によく似た穴子は経済的弱者の味方だ。
鯵や鯖や秋刀魚のような大衆魚とはいえなくとも
デパ地下・スーパーで売られている蒲焼きの値段は
鰻と穴子じゃ雲泥の開きがある。
弱きを助ける穴子のような肌合いの持ち主を
穴子肌ならぬ姐御肌と称する、ナンテことをネ。

数ヶ月前、夜の散歩中にたまたま出会い、
気に入った根津の「海鮮茶や 田すけ」は
店頭の品書きにあった穴子の刺身に惹かれたのだった。
血液にイクチオトキシンなる毒素を持つ鰻の刺身はアウトだが
穴子なら刺身で食べてもOK。
なのになぜか日本では一般的でない。
韓国・釜山の海岸に連なる屋台じゃ、ポピュラーなんだがな。

こういう貴重な美味は仲間と分け合おうというのがJ.C.イズム。
ある土曜日に召集をかけると、集まったのは5名。
H野サン、欣チャン、Hしクン、A薙クン、M原サン。
いずれ劣らぬ食いしん坊揃いが
L字形カウンターに鉤の字座りだ。
本来、穴子刺しは金曜限定だが
予約時にちゃんと人数分の仕入れをお願いしておいた。

前菜の盛合わせは総じて悪くはない。
あん肝だけはちと生臭くてアカンかった。
穴子の前に出てきた〆さばはよい。
のどぐろの一夜干しは小ぶりながらもそれらしき味がする。
威勢がよくて咬みつかれそう

ここでお待ちかねの穴子刺しが登場。
さっきまで活きていた穴子
鰻職人のように目打ちするのではなく、
氷水に放って凍えさせ、
動きを封じてさばくから時間も手間も掛かるのだ。
したがってほかの料理を作りながら
時間差で一人前ずつ配膳される。
J.C.のはラストの1尾ということになる。

この夜は生わさびと生醤油を持ち込んだ。
鮨屋じゃないから生わさびがないのは仕方ないとして
溜り醤油だけというのは関東人にかなりシンドい。
今はむかし、京都の鮨屋で一桶のにぎり鮨を食べたとき、
店のオバさんが運んできた醤油の小皿をのぞいて
(ババア、ブルドッグソースと間違えやがったナ)
そう思ったものだ。
京都で鮨なんか食うもんじゃないわいな。

おろし立ての本わさでいただく活穴子の旨さよ!
5人の仲間にとって生の穴子は初体験。
それぞれに歓んでくれ、
連れてきたかいがあったというもの、よかった、よかった。

ところがたった今、
念のために調べてみたら鰻ほどではないにせよ、
真穴子の血液にも弱い毒素が含まれているらしい。
J.C.は何度か食べて何ともないから大丈夫だとは思うが
乳幼児や老人には食べさせないほうが無難かもしれません。

「海鮮茶や 田すけ」
 東京都文京区根津2-18-3
 03-3827-3737

2012年11月30日金曜日

第459話 昔恋しい高砂の町 (その3)

何だ、高砂はまだ=つづく=のか? ってか?
ええ、でも今回で終わりますから
今しばらくのご辛抱を!

8年前、高砂に2軒の店を訪ねたが
駅前の小料理屋「T」はすでにない。
ひょっとすると屋号を変えただけで
女将も料理もそのままかもしれないけれど・・・。
線路の反対側のスナック「M」はどうなったかな?
実はあれ以来、再訪していないのだ。
何となくああいうのは一夜限りがよいのでは? 
と思いましてネ。

バック・トゥー・ザ・プレゼンスの2012年秋。
M鷹サンと高砂駅で落ち合い、
いかにもベタな店名の「トリス酒場」を目指した。
町の評判はいい店らしいが金町の「ブウちゃん」しかりで
葛飾の経営者はあまり名前にこだわらないらしい。
フーテンの寅さんが帰る柴又の団子屋も「とらや」だもんな。

酒場の止まり木に二羽の夕雀が止まった。
ビールはハートランドの中瓶、これで乾杯する。
突き出しは牛もつ煮、だしぬけにもつ煮込みは珍しい。
M鷹サンが野菜のピクルスを注文した。
野菜と食酢でダブル・ヘルシーな一品だ。

芋焼酎・三岳のロックに切替え、スモーク盛合わせを追加。
ししゃも・サラミ・チーズ・ゆで玉子・さつま揚げの陣容は
可も不可もナシといったところか。
トリスのハイボールが20時まで1杯190円だという。
ウイスキーをあまり好まないのと、さすがにトリスはなァ・・・
そんな気持ちが入り混じったものの、
ダメ元でいっときましょうヨ、相方と合意にいたる。
結果は・・・、ハイ、お察しの通りでありました。

2軒目もあらかじめ目星をつけておいた「たかだ」。
居酒屋というか洋食屋というか、まあ、そんな店だ。
口直しにサッポロの生ビールを流し込む。
お通し代わりにスルメイカとホタテの刺身がきた。
マグロや白身と違い、
こういうものは店によってそれほどの差が出ない。
下調べでは人気だった具だくさんの五目せいろを一人前注文。
J.C.とは逆にM鷹サンは飲むよりも食べるほう。
素直に情報に従ってくれたのだった。

運ばれた五目せいろは五目を名乗るだけあり、
海老やら蟹やらいくらやら、滅多やたらに盛込まれている。
盛込まれてはいるが、見るからに素人仕事で垢抜けない。
家庭の主婦でも料理上手ならもうちょっと小粋に器を彩るハズ。
おすそ分けの蟹をつまむと、
解凍を失敗してスカスカじゃないか!
われら顔を見合わせたきり、しばし会話が途切れる。
昔恋しい町なれど、今おいしい町ではなかった高砂、
面目丸つぶれの苦い一夜であった。

=おしまい=

「トリス酒場」
 東京都葛飾区高砂8-12-14
 03-5660-5454

「たかだ」
 東京都葛飾区高砂8-26-1
 03-5699-1531

2012年11月29日木曜日

第458話 昔恋しい高砂の町 (その2)

かれこれ8年ほど前のハナシをしている。
その夜、京成線の高砂駅前に来ていた。
昔恋しい高砂の懐かしい「T」がまだ暖簾を掲げていたのだ。
若女将の変容ぶりにたじろぎながらもカウンターに着き、
あらためて目の前の女将と目を合わせた。

ありゃりゃ、なあ~んだ・・・そうだったのか!
思うのと同時に
「お客さん、ウチ初めてですよネ?」
「それがそうじゃないんだなァ」
「あら、いらしたっけ?」
「うん、ずいぶん昔になるけど・・・」

こんな会話が交わされたがなんのことはない、
目の前の女将はT子とは別人なのだった。
そりゃそうだろう、似ても似つかないもの。
しかしながら遠目で見るより近目のほうが
整った顔立ちで、これは珍しいケースといえよう。
昔から”夜目遠目笠の内”っていいますからネ。

ビールと一緒に出ためかぶポン酢の歯ざわりがいい。
刺身は真子がれい・かつお・〆さばの盛合わせ。
料理に限ると、昔よりずっといいんじゃなかろうか。
麦焼酎の神の河に移行し、お次は鰯の塩焼きだ。
ややっ、これも水準が高いゾ。
鮮度も焼き加減も申し分ない。
いや、実に感心したのだった。

ひとしきり落ち着いて女将との会話が始まる。
居抜きで店名ごと店を引き継ぎ、丸8年になるそうだ。
駅から1分という立地も幸いし、客入りはまずまずだと言う。
呑ン兵衛オヤジのディープタウン・立石と異なり、
青砥・高砂の食レベルはけして高くないのに
大健闘の一軒と言ってよい。

ハナシは当然、先代の女将・T子に及んだ。
すると、彼女は線路の反対側で
スナックを経営しているというではないか。
こりゃ是が非でも立ち寄らずばなるまい。

でもって踏切を渡りました。
スナック「M」はすぐに見つかりました。
四半世紀ぶりの再会に思い出話の花が咲き乱れました。

店内にはT子ママのほかに若い娘が一人。
何とこれがT子の愛娘のM子嬢で
店名は彼女の名前に由来している。
実はこの娘(こ)がまだ母親に抱かれている時分、
二度ほど見たことがあるのだ。
いや、まいりましたネ。
そんなこんなで楽しい宵となりました。

その夜更け、どうやって家に帰ったのかトンと覚えていない。
いえ、酔っぱらったからではなく、
8年も前だから思い出せないだけですって―。

=つづく=

2012年11月28日水曜日

第457話 昔恋しい高砂の町 (その1)

 ♪ 昔恋しい 銀座の柳
   仇な年増を 誰が知ろ
   ジャズで踊って リキュルで更けて
   明けりゃダンサーの 涙雨   ♪
         (作詞:西条八十)

昭和4年の流行歌「東京行進曲」を
佐藤千夜子の歌声で聴きながらコレを書いている。
youtubeが映す御茶ノ水界隈の古い映像が心を洗う。
聖橋のアーチは今も御茶ノ水橋から眺めることができるが
駿河台に屹立していたニコライ堂は
今やビル群に消えて目視不能となってしまった。

昨日紹介したにせどろ酒場「ブウちゃん」を
つい先日、再訪した。
のみともM鷹サンとの待合わせまで小一時間ほどあり、
時間つぶしに金町にやって来たのだ。
気に入りのわさび茎漬けでボールを2杯飲み、
京成・金町線に揺られて高砂に向かった。

京成高砂にはかつてよく飲みに来た。
松戸在住の頃で1970年代後半から80年代初頭にかけてだ。
バイト先の同僚が高砂の団地に住んでおり、
彼の中学の同級生が駅前の小料理屋で若女将をしていた。
家族経営の佳店であった。

店の名前は「T」。
彼女の名前のC原T子に由来している。
暴露しちまえば、”T”は絶滅した日本古来の野鳥の名だ。
彼女は葛飾区にはもったいない(めんご!)ほどの美形で
近所のオヤジさんたちにとってマドンナ的存在だった。

もう何年も前になるが、たまたま高砂で下車し、
ものはついでと四半世紀ぶりに訪ねてみると、
驚くなかれ、暖簾に「T」と染め抜かれているではないか。
いやはや、ビックラこきました。
虹色の思い出が走馬灯のように・・・
いいえ、こんな使い古された陳腐な表現はやめよう。
胸の奥で柘榴(ざくろ)の実がつぶれたような酸っぱさを感じました。

大女将は引退しているだろうがT子はまだ現役かもしれない。
珍しくもJ.C.、ジャケットの襟を正して暖簾をくぐった。
すると・・・、するとでっせ、Oh, my God !!
カウンターの中には変わり果てた姿のオババが一人、
豆鉄砲をくらった鳩のような眼差しを送ってくるじゃないの。
あゝ、無情! あゝ、T子! 
ついに天は彼女を見放したかっ! 

夢破れて山河あり、
障子破れてサンがあり。
そこには後ろ手に引き戸を閉めながら
肩をガクリと落とすJ.C.がおりました。
月日の流れはかくも残酷なりけり。

=つづく=

2012年11月27日火曜日

第456回 金はなくとも金町は にせどろ千夜一夜 Vol.8

お待たせしました。
朝からPCその他と格闘の末、やっとアップできました。
遅れて申し訳ありませんでした。

さて、真っ当なつまみや料理を出してくれ、
フトコロを傷めることもないから
人々に愛される地域の佳店たち。
しかも二千円で泥酔できちゃう店の紹介となれば、
当ブログでもおなじみの”にせどろシリーズ”でしょう。
今回は東京の北東のはずれ、
葛飾区のそのまたはずれの金町に出没となりました。

 ♪  遊びじょうずな ひとだから
    あなた仕事も 押上よ
    金がなくても 金町は
    させてあげます いい思い
    よってらっしゃい よってらっしゃい
    お兄さん                ♪
            (作詞:はぞのなな)

これまた当ブログに何度か登場している「はしご酒」。
唄っているのはご存知、藤圭子である。
金がなくてもいい思いをさせてくれるってんだから
オトコにとっちゃ金町はパラダイスみたいなもんですな。

常磐線で金町の一つ先、江戸川を越えた松戸に
一時期暮らしていたから土地カンはじゅうぶんにある。
なじみの店はないが、何度も途中下車して飲んでいる。
京成線でここから一つ下ると、寅さん映画で有名な柴又だ。

柴又は帝釈さまのご利益(りやく)からにぎやかな町。
川魚や草だんごの店々が参道を埋め尽くしている。
打って変わって隣りの金町は再開発中とはいえ、さみしい。
これといって名の知れた店は見当たらない。
まあ、そこは蛇の道は蛇、
ちゃんと”にせどろシリーズ”にふさわしい酒場を探してござる。

店の名は「ブウちゃん」。
名前を聞いただけで半数近くの呑み助が脱落するかもしれない。
豚のもつ焼き、いわゆる焼きとん中心の店だから
名は体を表しているわけで、このネーミングも致し方ナシなのだ。
すでに半世紀を超える昭和33年の創業と知れば、
早合点して脱落したあわて者も戻ってくるだろうか。

アサヒの大瓶が500円。
ボールと呼ばれる氷抜き酎ハイが290円。
沖縄の柑橘、シークァーサーハイを飲む客が多く、これは300円。
いつものようにビールで始め、ほかも制覇した。

さっそくのもつ焼きはタンとカシラを塩で。
続いてシロとレバーはタレだ。
すべてミディアムレアよりもレアの状態で供され、レベルが高い。
ピーマン・ねぎ・しし唐の野菜を含め、すべて1本80円のようだ。

ほかのつまみはほとんど300円均一。
冷ややっこ、しらすおろし、いんげん胡麻和え、めかぶポン酢、
パリパリキャベツの元気漬けなんてのも並んでいた。
二日替わりメニューがあり、
 月・火―なす焼きのおひたし
 水・木―ポテトサラダ
 金・土―厚揚げのふっくら焼き
これらも一律300円。

J.C.の大の気に入りはわさび茎漬け(300円)。
本わさびの茎の醤油漬けだが
量もたっぷりあってこれは必注の一鉢であろう。

「ブウちゃん」
 東京都葛飾区金町5-17-5
 03-3600-5895

2012年11月26日月曜日

第455話 覆面実食で選んだ「東京冬ごはん」

ただ今、絶賛発売中のファミリーウォーカー冬号増刊、
覆面実食で選んだ「東京冬ごはん」(角川マガジンズ)。
本日は手前ミソながら、少しばかり宣伝させてください。
稀代の咬みつき亀・友里征耶の筆力不足など、
多少の難点はありますが
総じてデキのよいマガジンに仕上がりました。
ぜひ、ご一読のほどをお願いします。

J.C.オカザワが担当したのはまず「東京の煮込み」、
圧巻の全14ページであります。
煮込みの歴史と成立ち、素材と味付けの系統分け、
都内の煮込みディープ度マップなどを網羅しました。

俗に「岸田屋」(月島)、「山利喜」(森下)、
「大はし」(北千住)の3軒をもって東京3大煮込み、
これに「大坂屋」(門前仲町)、「宇ち多゛」(立石)を
補足して5大煮込みと申します。
ちょいとばかり異論を唱える身としまして
「東京真・3大煮込みを歩く」と称し、
マイ・ベストスリーを独断で選んでみました。

ほかにも五つ星、四つ星の煮込み店を紹介。
意外と思われるところが登場します。
はてはとうきょうスカイツリーを出発点として
「東武伊勢崎線を往く!」と題し、
沿線5駅の”煮込み放浪記”をしたためました。
それこそ毎晩が煮込み・にこみ・ニコミのオンパレードでした。
おかげで最近はあんまり煮込みを食べないのです。

続いて覆面実食隊・隊長として
年末年始にぜひ訪れたい「下町鍋」のセレクション。
桜鍋・ふぐちり・すっぽん鍋の名店3軒を選りすぐりました。
何かと物要りなこの時期、
いずれもフトコロを傷めない優良店ばかりですヨ。

そして「築地旬めし」のコーナーでは
かきバタ焼き、かきフライ、かきどうふ、かきめしと
かき料理の数々に加え、煮魚やクリームシチューなど、
オススメの店々を取り上げております。
築地では鮨を食わない築地ジャンキーが4名揃いましたから
みなそれぞれに自分の溺愛する店を推薦しまくりなんですわ。

エッ? 何で築地の魚河岸で鮨を食わないんだ! ですって?
理由はいろいろございます。

・長いこと行列に並ぶのがわずらわしいし、時間の無駄
・両脇の客と肘がぶつかり、背中の壁とのスペースも狭くてイヤ
・指定しないと本わさび不使用の店ばかり
・食べていただくというより、食わせてやるという態度の職人多し

そして最大の理由が
江戸前シゴトを施した鮨種があまりにも少ないことなんです。
どの店も仕方なく穴子はにぎっても小肌は出したがらない。
仕込みに手が掛かりますからネ。
新鮮なサカナを包丁で切って酢めしに乗せただけのお刺身ごはん、
ありゃあ、鮨とはいえません。
少なくともJ.C.は鮨とは呼びませんデス、ハイ。

それでは重ねて「東京冬ごはん」をよろしくお願いいたします。
シツッコくてすみませんデス。

2012年11月23日金曜日

第454話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その3)

母校・上板一中は廃校を免れて
昔日の面影をとどめていた。
一年生の数組が放り込まれた離れの木造校舎は
取り壊されて跡形もない。
跡地はスイミングプールになっていた。
本校舎と体育館は見たところ変わりがないようだ。
おっと、のんびりしてもいられない。
先の道のりはまだ長いゾ。

東新町の辺りでいったん川越街道に出て
陽光の下、時折吹きつける強風を受けながら足早に歩く。
遠くに五本けやきが見えてきた。
ここで街道をそれ、上板橋駅南口の商店街へと切れ込んだ。
せっかくの機会、駅周辺を探索しとかなければ・・・。

隣り駅の常盤台は板橋区きっての高級住宅街。
対照的に上板橋はグッと庶民的だ。
跨線橋を渡り、反対側の北口へ。
階段を降りたところで駅に隣接する「吉野家」に目を奪われた。
あの牛丼の「吉野家」だが
「吉野家」は「吉野家」でも、ただの「吉野家」ではない。
掲げられたネームプレートには「築地吉野家」とあった。
しかも”牛丼専売店”を謳っている。

ピンときたのは築地場内市場にある「吉野家1号店」のこと。
元はといえば日本橋の魚河岸にあった1号店は
関東大震災後の魚市場移転に伴い、築地に移ってきた。
確かに築地店は牛丼しか扱っていない。

BSE騒動で米国産牛肉が輸入禁止になったとき、
他チェーンのように豪州産・中国産に頼らない「吉野家」は
牛丼販売の自粛に追い込まれた。
それでも築地の1号店、府中と大井の競馬場、
戸田競艇場の4店舗だけは営業を続けた。
築地は栄えある1号店としての矜持だろう。
残りの3店は施設内にある他店の業態と競合しないように
牛丼しか売れない契約を結んでいたのだ。

さて、上板橋駅前である。
築地以外で初めて目にした「築地吉野家」である。
こりゃ入らんわけにいかんわな。
食べとかなきゃ人に語れんわな。
かなり歩いて来たんだ、ビヤーブレイクも必要だわな。

自分で自分を説得して、エイヤ!っと入店。
お願いしたのは牛皿(200円)と
スーパードライ中ジョッキ(350円)である。
ジョッキは「ちょもらんま 大山店」より若干大きめだった。
1皿200円はずいぶん安いがつまんでみると、
気のせいかほかの「吉野家」よりおいしく感じた。
帰宅後、調べたらこの形態は都内にけっこうあるじゃないか。
ここもつい最近まで「そば処 吉野家」だったのを
売上不振のせいだろう、模様替えしたとのこと。

支払いの際、お店のアンちゃんに訊いてみた。
「ビールだけってのはダメでしょ? ダメだよネ?」
一瞬応えに詰まった彼、一拍おいて曰く、
「そっ、そうですネ」
「今までそんなお客いた?」
「エッ、ハイ、いません」
そうでしょう、そうでしょう。

餃子に母校に牛皿に、あっちフラフラ、こっちフラフラ。
そのあと急いで駆けつけたものの、
すでにコンサートの前半は終了、ティーブレイク中だった。
3回に渡ったこの稿のラベルの設定に迷った。
”飲む”でも”食べる”でもよかったが
やはり”歩く”がふさわしいと判断しました。

=おしまい=

「築地吉野家 上板橋駅前店」
 東京都板橋区上板橋2-36-2
 03-5922-4772

2012年11月22日木曜日

第453話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その2)

角川マガジンズ発行の「東京冬ごはん」は
本日発売ですよォ!
「生きる歓び」を読んだあとはお近くの書店へまっしぐら、
”走る歓び”を存分に味わってくださいまし。

際コーポが展開する「ちょもらんま 大山店」で
羊の挽き肉で作った餃子を食べている。
辣油を垂らしても酢をかけてもイケる。
生ビールをお替わりした。
もっともジョッキのサイズは生中より生小に近い。
1杯290円では文句を言えた義理ではない。
ただし、キャンペーン期間中だか
ハッピーアワーだかでサービス価格が設定されている。
普段は390円だったかな?
 290円は安いが、390円だと高いなァ。
適正価格は中を取って340円といったところか?

いつの間にかBGMが明菜の「少女A」に代わっている。
彼女の人気を決定づけた出世作がコレ。
口ずさめないので聴くだけにした。
曲が終わり、残りのビールを飲み干す。
お勘定は締めて970円也。

商店街を突っ切り、川越街道に出た。
街道をこのまま北上すればコンサート会場に着く。
だけど車が引っきりなしに行き交う大通りを誰が歩くものか。
よってすかさず脇道に入った。
この通りは下頭橋通り、旧川越街道なのだ。

界隈の地番は板橋区・弥生町。
ここには小6から高2まで、およそ6年間居た。
当然、住んでいた家を訪ねたくなった。
2~3年に1度は来るから、すでに建て替わったことは知っている。
行ってみると、再度の建て替えはなかった。
家の裏側の当時使っていた井戸も撤去されずそのまま。
もちろん赤く錆びついており、
もう何年、いや何十年も使われていない模様だ。

下頭橋通りに戻ってなおも真っ直ぐ。
中板橋駅に通ずる道を右折せず、さらに真っ直ぐ。
石神井川に架かる下頭橋を渡った。
橋のたもとには
中学時代に買い食いした鶏肉専門店「井水屋」が健在。
鶏挽き肉のメンチカツを学校帰りによく食べたものだ。

橋を渡って右折し、川沿いに行くと母校・上板一中がある。
先を急がねばならないのについ誘われて
フラフラッと母校を訪ねてしまった。
折りよく校門が開け放たれて校庭ではチビッ子がサッカーの練習中。
これから試合になるのだろう。
保護者の姿も多く、こちらもそれを装い校内へ。
しばし校庭の片隅にたたずみ、懐旧の思いにふけるJ.C.であった。

=つづく=

「ちょもらんま 大山店」
 東京都板橋区大山町30-15
 03-5926-3490 

2012年11月21日水曜日

第452話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その1)

今日は最初にご案内です。
いよいよ、明日(22日木曜)角川マガジンズから
季刊誌「東京冬ごはん」が発売されます。
J.C.は「下町鍋」に「東京の煮込み」に
それはそれは奮闘努力しました。
お読みになった方の目からは
ウロコがポロポロ落ちることでしょう。
損はさせません。
ぜひ、お買い求めくださいまし。

さて、前日の荒れ模様とは打って変わって青空の日曜日。
冷たい風も日向(ひなた)を歩けば、さほど気にならない。
正午過ぎには愛猫に別れを告げ、家を出た。
この日は板橋区・赤塚のハープ・コンサート。
開演は14時半だから余裕もいいとこだ。
時間があったら歩くに限る。
だって、ほかに運動らしい運動をしないんだから・・・。

東武東上線・大山駅で下車し、
残りの5駅ぶんはテクテクゆくことにした。
大山駅から川越街道に抜ける商店街をのんびりと歩む。
この通りは小学校に上がる前から知っている。
当時は物価の安さにかけて都内有数の町だった。
今でもおそらくそうじゃないかな。

途中、とある店の前で脚が止まった。
朝から何も口にしておらず、
空っぽの胃袋が脳に向かって「めしよこせ!」を叫んでいる。
何か食わねば・・・。

店の名は「ちょもらんま」。
ヨソでも見掛けたような気がするからチェーン展開だろう。
あとで調べたら経営母体は際コーポレーションだった。
脚を止めさせたのは
立て看板にあった羊肉餃子(ヤンロウギョーザ)の4文字。
6カンで390円とある。
訪れたことはないが羊肉の餃子は
西域のウイグルやサマルカンド辺りじゃ常食されているハズ。
焼きとんと煮込みの聖域、葛飾区・京成立石に行ったときは
中華料理店「蘭州」に立ち寄り、
必ずこの餃子でビールか紹興酒を飲む。

でもって頼みましたヨ、
くだんの羊肉餃子とキリン一番搾りの生ビールを。
いや、旨かった、どっちも旨かった。
殊に餃子は花マルでありました。
香辛料のクミンがバッチリ効いて
こういうのを390円なんかで売っちゃいけないんじゃないの。
チェーンだろうが何だろうが旨いものは旨い!

頭の上から降ってくるBGMは寺尾聡の「ルビーの指輪」。
つい、つい、
 ♪ く~もりガラスの 向こうは風の街 ♪
なんて口ずさんだりしちゃって
われらがJ.C.、ことのほかゴキゲンじゃん。

=つづく=

2012年11月20日火曜日

第451話 文豪・川端が名付け親 (その2)

大映映画「赤線地帯」が公開された1956年。
この年は滅びゆく花街・柳橋を活写した、
「流れる」(成瀬巳喜男)も封切られている。
心に残る名作で大好きな1本だ。
洋画では「居酒屋」、「ヘッドライト」、「ピクニック」などが。
作品における洋の東西を問わず、
映画が全盛期を誇った懐かしくも輝かしき時代。

一般家庭に普及し始めたTVでは
「お笑い三人組」、「チロリン村とくるみの木」、
「名犬リンチンチン」といった番組が茶の間の人気を集めた。
街には三橋美智也の「哀愁列車」、「リンゴ村から」が流れていた。
三浦洸一の「東京の人」、大津美子の「ここに幸あり」もこの年。

書籍では石原慎太郎の「太陽の季節」。
思うにこの人の活動期はずいぶん長いや。
今また国政に打って出るってんだからネ。
弟の短命が悔やまれる。

昨日の当ブログをご覧になった方から
文豪・川端はいつ出て来るの? というお問い合わせ。
承知しておりますって、でも。もう少々お待ちください。
その前に「赤線地帯」の男優陣。
映画の性格上、主だった役は
女優に割り振られ、オトコどもはみな脇役だ。
その脇役がそれぞれにいい味を出している。
菅原謙二だけがミスキャストながら
これは菅原の責任ではなかろう。
彼にチンピラみたいな役は似合わない。

個性的な風貌の多々良純は好きな俳優だった。
劇中、休日なのだろう、
木っ端役人の彼が家族だんらん、食堂で昼めしである。
骨付きの鳥ももをしゃぶっていたら
折悪しくなじみの若尾とバッタリ、女房に怪しまれてしまう。
そのときのあわてふためきが
手にした鳥ももとあいまって独特のおかしみを醸す。
食堂は日本の外食の一時代を築いた「鮒忠」。
昭和30年代、「鮒忠」の鳥ももはご馳走だった。
暖簾にしっかり屋号が染め抜かれているから
これはセットではあるまい、どこかの店舗のロケだろう。

特飲店「夢の里」では田舎から出てきたばかりの、
いわば半玉、川上康子が小間使いをしている。
そう、この芸名から察しがつくでしょう?
川端康成が”川”と”康”の字を与え、
みずから名付けた女優が彼女なのだ。
美人でもなんでもないが、実にすばらしい。
店屋モノのどんぶり(おそらく親子丼)を初めて口にして
そのおいしさに感激する姿がほほえましくも印象的。
笑っているうちに目がしらが熱くなってしまった。
そして今度は初めて客を取ることになって店先に立つ。
彼女のアップで映画は終わる、強烈なラストシーンだ。
あとは観てのお楽しみにしてください。

劇中、「夢の里」の経営者・進藤英太郎が
たびたび発する売春禁止法なる言葉。
度重なる流産を経て法律が成立したときには
売春防止法と、その名称がすり替わっていた。
”防止”と”禁止”かァ、ビミョーってばビミョーだ。

2012年11月19日月曜日

第450話 文豪・川端が名付け親 (その1)

今月下旬に発売される雑誌の取材で
毎晩のように下町を徘徊していた。
浅草は毎度のことだが
ずっと範囲を拡げて門仲・森下・押上・向島・三ノ輪、
南と北の千住に堀切菖蒲園までも北上した。
しまいにゃ下町を通り越して西新井どころか
はては東京を突き抜けて埼玉県・春日部まで行った。

どこを散策していても楽しみはつきない。
中でもかつて色街・花街だった一郭の残り香を嗅ぐのが好き。
今の時代のフーゾクにはトンと興味がないくせに
赤線の跡地をさまようときの気分は格別のものがある。
おかしいでしょ?

10日ほど前のある夜、赤線地帯に迷い込んだ。
というのは冗談で、映画「赤線地帯」(1956)を観た。
この作品、過去に2回は観ていると思うが
たまたまひかりTVで放映されるのを知り、看過できなかった。
言うまでもなく監督・溝口健二の遺作は
撮影が宮川一夫、音楽は黛敏郎ときて
巨匠三人の豪華な揃い踏みである。

舞台は「夢の里」なる吉原のサロン。
これを女郎屋と呼んだら元も子もない。
やることは一緒でもサロンと女郎屋じゃ、
イメージの面からも天と地ほどの差があろう。

ザッと配役を紹介しておきたい。
サロンを営む亭主と女房が進藤英太郎と沢村貞子。
両者、いい味を出している。
そして何よりも娼婦役の女優たちがすばらしい。
京マチ子・若尾文子・小暮実千代・三益愛子・町田博子。
脇を固める男優陣は
菅原謙二・加東大介・十朱久雄・多々良純・田中春男。
こうして並べると何だか夢を見ているようだ。

京マチ子が白眉。
この大女優は日本人離れした桁違いの存在感に満ちている。
現代女優が束になってかかっても
軽く一蹴してしまうほどのパワーを秘めている。
「羅生門」のあの妖艶美はいったい何なんだ!

撮影当時45歳の三益愛子扮する年増娼婦も印象的。
春をひさぐ稼業の悲哀をあますところなく演じ切る。
あまりにもリアリスティックな演技が観る者の胸を打つ。
サロンの店先で客引きする母親を見て
絶望した一人息子に捨てられてしまう。
走り去る息子に追いすがろうとしてとどかぬ後姿が
映画には出ていない、杉村春子を連想させた。
実生活での三益のご亭主・川口松太郎は
自分の妻ををどんな思いでみたのだろうか?

=つづく=

2012年11月16日金曜日

第449話 10年ぶりの「リラ・ダーラナ」 (その2)

10年ぶりの「リラ・ダーラナ」。
もともとは西荻が発祥の地だそうだ。
移転後の新店は「STB139」の近くにあった。
モダンなビルの2階だが
大衆酒場のよさを備えていた旧店の雰囲気が好きだった。

生ビールの銘柄はストックホルム・プレミアム。
スッキリと飲み口がいい。
今はどうだか知らないけれど、
昔の北欧にはエビスみたいな重いビールがなかった。
2年前にストック在住の旧友・S水クンが一時帰国した際、
缶ビールを何種類かみやげに持参してくれたが
みなスッキリのアッサリだった。
推測するに状況はあんまり変わっていないのだろう。

北欧ではアルコールの含有量でビールの値段が変動する。
昔住んでたときは軽いのを選んで飲んだものだった。
もっともスウェーデン人は酔おうと思ったとき、
ビールなんか飲みはしない。
もっぱらじゃが芋焼酎のアクアヴィットで
ビールはそのチェイサーの役割に甘んじるのが常。

オバさまお二人は「STB139」で軽く食事してきたし、
J.C.はそれ以前に恵比寿のカレー屋を訪れた。
ここでは前菜をつまむ程度に抑えるつもり。
メニューの吟味に入ったので読者も一緒にご覧ください。

=秋の前菜メニュー=

 ニシンのマリネ盛り合わせ3つの味で ポテト添え   1000円
 アボカドのムース グリーンランド産小エビ飾り     1000円
 ノルウェー産 サーモンのマリネ ディル風味      1200円
 ウナギのスモークのオープンサンド            1000円
 ダーラナ特製グリーンサラダ                   500円
 タラレバーのオイル漬け 黒パン添え              800円
 自家製 田舎風肉のパテ                  1000円  
                                         
六本木というロケーションを考慮すると
価格設定は控えめだ。
グリーンランド産小エビは甘海老と同じ。
タラレバーは日本で見かけないが北欧人はよく食べる。
缶詰なんかもあったと記憶している。
あん肝を珍重する日本人はたら肝を捨てちまうのだろうか。
いや、それはあるまい、何かに活用しているはずだ。

協議の結果、ニシンとウナギの2皿に決定。
ポストシアターはこの程度でちょうどよい。
ニシンの3つの味というのは
ヴィネガー、マスタード、チリトマトであった。
マリネされた光りモノは好物につき、文句はない。
ウナギのスモークも好きな一品で蒲焼きの次は燻製に限る。
仏料理のマトロート、
いわゆる赤ワイン煮は佳品に出会ったためしがない。

六本木は社会人に成り立ての頃、よく遊んだ街ながら
肌が合わないというか、けっして好きな街ではない。
ただ、「リラ・ダーラナ」みたいな店が
フツーに営業している、そこのところだけは認めてあげたい。

「リラ・ダーラナ」
 東京都港区六本木6-2-7  ダイカンビル2F
 03-3478-4690

2012年11月15日木曜日

第448話 10年ぶりの「リラ・ダーラナ」 (その1)

その夜はまだ六本木にいた。
「STB139」で jammin Zeb を聴いたあと、
同行のオバさま方より一足先に会場を出て
ポストシアターの物色を開始したのだ。

ミュージカル、バレエ、オペラ、コンサート、
どこへ出掛けようとも欧米なら
プリシアターとポストシアターはきわめて重要。
とりわけデートの場合は男の腕の見せ所だ。
公演前の軽い食事がプリシアター。
公演後の軽い飲酒はポストシアター。
別段、軽く収める必要とてなく、
とことん重くなっても誰も文句は言わない。
ただし、プリで飲み食いがすぎると、
公演のさなかに爆睡の憂き目を見ることとなる。

降って湧いたように
メトロポリタン・オペラにハマッた1990年代。
プリはもっぱらリンカーンセンター近くのイタリアン。
インサラータ・トリコローレ(イタリア国旗風サラダ)や
ヴィッテロ・パイラルド(薄切り仔牛肉の網焼き)をよく食べた。

ポストシアターは58丁目のロシア料理店「P」がなじみ。
ここのバーでよく冷えたストーリを
2~3杯というのがいつものパターンだ。
ストーリはロシアン・ウォッカのストリチナヤのこと。
カーネギーホール(57丁目)の並びにある、
同じくロシアンの「R.T」より素敵な店だった。

六本木の夜にハナシを戻そう。
当夜のポストシアターの第一感は「リラ・ダーラナ」。
芋洗坂を麻布十番方面に降ってゆく途中にある。
ここはスウェーデン料理が主体の北欧料理店だ。
行ってみたら扉に貼り紙が1枚。
実際は移転案内だったが遠目には閉店通知に見えた。
幸いにも移転先は徒歩圏内、それも5分ほどの距離にある。

旧店を訪れたのは10年前の2002年4月のこと。
ワイン好きの小集団、「煩悩の会」の定例会で
その月はJ.C.が幹事だった。
店の予約のみならず、持込みワインの手配もしたっけ…。
10年なんてアッという間ではないが
月日の経つのは早い。

あのときは前菜の盛合わせで始まり、
アンチョヴィとポテトのグラタン、
シーフードのクリーム煮、
国民食のチェットブーラーもいただいた。
チェットブーラーは俗にいうミートボール。
スェーデンでは木苺のジャムを添えて食する。

北欧料理を目の前にすると、
ストックホルムのレストランで
皿洗いをしていた若き日を思い出す。
何を食べてもおいしく、何をしても楽しい日々だった。

=つづく=

2012年11月14日水曜日

第447話 オバさまに囲まれて

その日の午後は中目黒にいた。
日本人が作る本格的なカレーの旨い店があると聞き、
実食に訪れたのだった。
2種のカレーを選べるハーフ&ハーフが人気とのこと。
インド料理屋にはよくあるメニューも
日本人が営むカレー屋ではそんなに見かけない。
何事につけ、あきっぽい性格のJ.C.には
一皿で二度美味しいハーフ&ハーフはありがたい。
この店のことは近々あらためてリポートしましょう。

中目黒はほぼ1年ぶり。
勝手知ったる街なので食後、気ままに散策する。
年々、行き交う人が増えている気がしないでもない。
繁華街をさらっと流し、恵比寿方面へ歩き出したとき、
すでに陽は傾いていた。

恵比寿の街も久しぶり。
「コルシカ」も「松栄寿司」も「チャモロ」も
「たつや」も揃って健在だ。
先週の「アド街ック」では4店すべてが紹介されていた。
ほかに店がないわけじゃなし、
TV東京のラインナップは硬直的じゃないかな。

ここ恵比寿には年内に一度飲みに来るつもりでいる。
候補を3軒ほど心にとめて日比谷線に乗り込んだ。
行く先は六本木、
それもパイプメッタ打ち殺人事件現場の真裏である。

実はこの夜はオバさま二人とライブを聴く手はず。
相方はF子サンとC子サンで仕掛け人はF子サン。
やって来たのは「スイート・ベイジル」だ。
いつの頃からか「STB139」を名乗っている。
AKBにでもあやかったのかな?。

出演者は jammin Zeb 。
といっても大半の方は知らないでしょうネ。
J.C.もまったく知らなかった。
奇妙なグループ名はジャズボーカルの男性4人組。
31歳のリーダーをアタマに一番若いのはまだ24歳だ。

音楽は何でも聴くから不満はないが
何よりビックラこいたのは集まった聴衆である。
右を向いても左を見ても
はたまた上を見上げても(2階席あり)、
店内はどこもかしこもオバさまであふれ返っている。
オトコなんぞ数えるほどで
女湯に迷い込んだような気分だ。
直感的に連想したのはヨンさまの追っかけオバさんたち。
実際に彼女たちを見たことはないが
これこそあの光景なのだろう。
いや、ビックリしたなもう!

でもって聴きました。
ただし、彼らのハーモニーを楽しむというより、
中年・熟年の女性たちが
なぜ jammin Zeb に魅せられるのか、それを探りながら・・・。
しかし理由は最後まで判明しなかった。
ギャルの気持ちが読めない、オバンの気持ちも判らない。
やれやれ、自分の時代の終焉を
寂しく実感する今日この頃であります。

「STB139」
 東京都港区六本木6-7-11
 03-5474-0139

2012年11月13日火曜日

第446回 コロッケころころコロリンコ

中学2年か3年の頃、クラスメートのあいだで
焼売(シューマイ)には醤油かソースか、
こんな論争が巻き起こった。
アンケートをとると、6対4で醤油が優勢。
J.C.は少数派だったことを覚えている。
焼売のタイプによるが
それが今はどちらかといえば醤油派だ。
焼売に限らず、目玉焼きや野菜炒めも
醤油で食べるのとソースで食べるのとでは
ずいぶん味わいが変わる。

小学校低学年のとき、
とんかつに醤油をかけてしまったことがある。
別段、悪くもないなという印象だった。
当時は大田区・大森に住んでおり、
大森駅前のデパートで買ったとんかつだった。

揚げ立てのとんかつを食べるとき、
最初は何もつけずそのまま、続いて塩、それから醤油、
最後にソースの順で1切れずつ変化をつけている。
おかしなもので醤油で食べたときは
必ずといってよいほど、小学生だったあのときを思い出す。

そんなことを思いながら大森の町にやって来た。
ちょっと前フリが長かったかが
訪れたのは「はつ半」というとんかつ屋。
ただし狙いはとんかつではなくコロッケ定食(1050円)だ。

評判によるとこの店のミートコロッケは
挽き肉たっぷりでジューシーで
ちょうどコロッケとメンチの中間感じとのこと、
一度食べてみたいと思った次第だ。

メニューを見たらコロッケが2種類。
ミートのほかにカニクリームがあった。
コロッケ定食はミートの2個付け。
それがありがたいことに100円増しで
1個ずつのミックスにしてくれるという。

待つこと十数分、丸っこいのがペアで来た。
コロッケころころコロリンコ
ちょっと見は見分けがつかない
いや、ずっと見てても判らないが
皿の右側にマヨネーズが添えられている。
ということはその隣りがカニクリームということだ。

豚汁とライスと一緒にいただくと、
なるほどミートコロッケは評判通りのおいしさだ。
これなら電車賃を払ってでも一食の価値はある。
一方のカニクリームもアベレージは超えている。

祝日のランチタイムだから家族連れが目立つ。
かと思えば独りカウンターで常連が飲んでいる。
そばに平和島があるだけに大森は平和な町だ。
さて天気もいいことだし、
昔住んでいた平和島の商店街、
美原通りでもぶらぶらしてみようか。

「はつ半」
 東京都大田区大森北1-13-13
 03-3766-4861

2012年11月12日月曜日

第445話 ここに猫あり

ただ今、午前3時過ぎ。
月曜日、本日のである。
今月下旬に角川マガジンズから出る雑誌の原稿を
やっとこサ書き上げたところなのだ。
詳細はまた近々お報せするが
とにかくかなりのボリュームだった。

深夜、足元では愛猫プッチが飼い主を見上げている。
ここ数ヶ月、毎日少量ずつではあるが
人間さま用の旨いモンを与えている。
今日は(昨日か)それがなかったから
催促のまなざしで見上げているのだろう。

猫の食物的嗜好は変わらないというけれど、
ウチのに限っては変化ありとみた。
現在、大好物は鮭(カラフトマス)の缶詰とロースハム。
以前は好きだったまぐろの刺身には狂喜しなくなった。
幼い頃、2~3歳時によく食べたチーズやかまぼこにも
ほとんど歓びを表さない。
いなりずしの油揚げを水洗いしたヤツなど、
今ではまたいでるもんなァ。

「大津美子 ヒット・アルバム」、
このCDを聴きながらコレを書いている。
読者の中には大津美子といっても
知らない方のほうが多いかもしれない。
結婚式の披露宴でおなじみの「ここに幸あり」を
歌った歌手といえば通りがいいだろうか。

曲のリリースは昭和31年3月。
彼女は18歳になったばかりだった。
ちょっと驚くネ。
この曲はブラジルやハワイの日系人社会で
いまだに歌い継がれているそうだ。
名曲とはかくたるものなり。

J.C.は何たって「いのちの限り」が一番。
演歌・歌謡曲・Jポップ、すべての邦楽のなかで
ベスト30には間違いなく入る。

 ♪  愛していたけれど 何にも言わないで
    あの人とあの人と 別れて来たの
    泣かないで 泣かないで
    涙をこらえて
    ラブユーラブユー いつまでも
    いのちの限り           ♪
            (作詞:矢野亮)

大津美子の歌唱・声色にピッタリの詞であり、メロディーである。
初めてのヒット曲、「東京アンナ」(昭和30年)もいいな。
このときは17歳だヨ。

書き上げてもまだ見上げてやがる。
しょうがねェなァ、シャケ缶でも開けてやるか。
ついでにこっちもビールを飲むとするか。
もう、3時半だぜ。
CDをフランク永井に切り替えようかな。

2012年11月9日金曜日

第444話 突然の花束贈呈 (その2)

湯島のとんかつ屋「井泉本店」の2階にいる。
湯島といっても上野広小路に近く、最寄りも同名駅だ。
ちなみに上野は台東区、湯島は文京区で
「井泉本店」が上野の”とんかつ御三家”からもれたのは
このあたりに理由があるかもしれない。
地番が上野だったら
”とんかつ四天王”の一翼を担ったのではないか。

店のパンフレットにはこうあった。

=井泉の由来=

昭和5年、上野の地に根を下ろし、
初代の雅号より、
〔井泉〕(セイセン)と名付けましたが、
いつの間にか、イセンの名で
皆様から親しまれるようになりました。

こうもある。

=かつサンド発祥の店=

初代女将は明治生まれながら
朝食はトーストに紅茶でしたので
パンが身近にある食生活でした。
初代が作ったとんかつを見て
これをパンにはさんだらどうだろう?
とひょいと思い付き、
日本初かつサンドが誕生致しました。

日本人に広く愛される
かつサンドを考案した功績は大きい。

当夜、かつサンドをオーダーしなかったのは
サンドイッチなる食べものが
立食パーティーならまだしも
畳の上の宴会にそぐわないからだ。

さて、引き続き宴席の実況中継である。
料理が揚げもの主体となると、
最初のうちは活発だった箸の上げ下げが
次第にペースダウンしてくる。
しかも若者ゼロだから
1切れずつ残りがちな”遠慮のかたまり”を
さらってくれるスイーパーがいない。
ごはんと味噌椀を所望するものとてなく、
二次会に流れることにする。

会場はすぐ隣りの「ファンタジスタ」なるピッツェリア。
料理長は日本のピッツァ職人No1で
ナポリで行われる世界大会の日本代表とのこと。

北イタリアのランゲ・ネッビオーロで再び乾杯。
当日はさだお御大のバースデイだった。
傍らの花束が香りを放っている。

定番のマルゲリータともう1種、
熟年マドンナのM泉サンが選んだピッツァは
何だったっけな? マリナーラだったかな?
各自計2切れずついただくと、
なるほど日本王者の名にふさわしい焼き上がり。
一同、笑みをこぼしながらの会話にも弾みがついた。

さだお先輩、これからも命ある限り、
漫画を、エッセイを書き続けてください。

「井泉本店」
 東京都文京区湯島3-40-3
 03-3834-2908

「ファンタジスタ」
 東京都文京区湯島3-40-11
 03-5817-4499

2012年11月8日木曜日

第443話 突然の花束贈呈 (その1)

週刊誌におけるロングランの帝王・さだおサンと
「筋肉マン」でおなじみの和雄サンのお二人を
熟女たちとともに囲む会。
今回は湯島の「井泉本店」でとり行った。
川島雄三の名作「喜劇 とんかつ一代」の舞台となった、
昭和5年創業のとんかつの老舗である。

J.C.はこの店の2階の入れ込みが大好き。
味よりも雰囲気を愛している。
いや、料理の味だってけっこうで
デパ地下の販売店しか知らない向きは
意外なヴァリエーションに驚かれるハズだ。

当日は偶然にもさだお御大の誕生日と重なり、
熟女たちのとっさの計らいで
宴席に文字通り花を添える花束贈呈と相成った。
そして御大の大好きな生ビールで祝福の乾杯である。

突き出しはイカの塩辛。
これは自家製にはほど遠く、
やめたほうがよいと感じた。
老舗らしからぬ不デキと断じてよい。

頼んだ料理は真っ先にかにときゅうりのサラダ。
これは全員に1つずつ。
なぜかというと、
この店では数少ないシーフードメニューだからだ。
ここには蟹と海老しかいない。
あと、無くてもいいくだんのイカ塩辛ネ。
せめて平目やキスのフライでも始めてくれたらなァと
いつも思うのだけれど、見果てぬ夢に終わっている。

さすがに丸々1人前のかにきゅうはボリュームがあったが
みな、殊に女性陣が美味しい、おいしいと食べてくれた。
あとはすべて1皿ずつの注文。
順に挙げていくと、
かに玉・かにオムレツ・海老フライ・ロースカツ・メンチカツ・
串カツ・豚から揚げだ。
きざんだねぎのコロモをまとった豚から揚げはここだけのもの。
ユニークきわまりない1品である。

ハナシが元に戻るが蟹モノが3品もある。
海老モノはフライだけしかない。
豚肉以外は甲殻類のみということだ。
サカナを扱うのがイヤなら
カキやホタテなど、貝類をカバーしてくれたら
どんなにか幅が広がるのにねェ。
冒頭で料理の意外なヴァリエーションを謳っておきながら
何だか言うことが矛盾しているな。

=つづく=

2012年11月7日水曜日

第442話 メニューの値段に目が釘づけ (その2)

銀幕に見るメニューのハナシである。
2本目の映画は「喜劇 駅前団地」。
J.C.が注目したのは「高砂亭」なる小料理屋の立て看板だ。
ビールが140円

当時、中瓶は存在しないからビールは大瓶に決まっている。
現在、このクラスの店なら安くて700円、高くても850円程度か。
ビールは半世紀で5~6倍に値上がりしたことになる。
一級酒と二級酒の値段もほぼビールと連動している。

★3本目・・・「配達されない三通の手紙」(1979 野村芳太郎)

よく出来たミステリーだった。
原作はエラリー・クイーンの「Calamity Town (災危の街)」。
冒頭の音楽、E・グリークの「ホルベルグ組曲 (アリア)」が
実に効果的だ。

とにかく女優陣は百花繚乱。
栗原小巻、松坂慶子、小川真由美、竹下景子、神崎愛、乙羽信子、
スゴいねェ、たまらんねェ。
大好きなマユマユも出てるしィ・・・。
(こういう言い方、自分で言ってて気持ちわりィんだよな)
ならやめろ! ってか? へっ、ごもっとも!

舞台は山口県・萩市。
街をゆく片岡孝夫(現15代目仁左衛門)の背後に映った、
食堂の定食メニューはかくの如し。

 すき焼き・・・600円  天ぷら・・・500円  カツ・・・450円  
 ハンバーグ・・・450円  新川・・・450円

1979年の作品だから
33年を経て物価は倍程度にしか上がっていない。
ただし、東京と萩の価格差はあろう。
それよりも気になったのは新川定食である。
調べてみると、新川は萩漁港に隣接する地区で
姥倉運河の白魚(しろうお)漁は冬の風物詩とのこと。
想像するに新川定食は魚介系ではなかろうか。
刺身にしちゃ安すぎるから煮魚か焼き魚の可能性が高い。
あるいは魚介に食材を求めた日替わりとか・・・。

★4本目・・・「居酒屋兆治」(1983 降旗康男)

主演は高倉健、舞台は函館。
健さんが店主の居酒屋「兆治」で池部良が飲んでいる。
この二人は何かと共演の多い間柄だ。
カメラがとらえた壁の品書きを列挙してみよう。

 もつ焼―かしら・しろ・ればぁ・たん・はつ・がつ・
       こぶくろ・・・各70円 なんこつ・・・80円
 冷奴・・・200円  自家製らっきょう・・・250円  
 煮込280円  すだこ・じゃがバター・・・各300円
 ほっけ・ほたて貝柱・・・各400円  いか丸焼き・・・450円
 ビール・・・450円  お酒・・・300円

どうだろう、29年前としてはそんなに安くないような気がする。
この間のインフレ率は30%といったところか。

ところで高倉健の元恋人役を演じた大原麗子。
3年前に不幸な亡くなり方をしたが訃報を聞いたとき、
劇中の彼女の末期(まつご)とダブッてしょうがなかった。
「居酒屋兆治」を観た人なら誰しもが
ドラマと現実の交錯を心のうちに感じたのではなかろうか。
笑顔と声音の可愛い女優さんだったなァ。

2012年11月6日火曜日

第441話 メニューの値段に目が釘づけ (その1)

メニューを眺めるのが好きである。
料理の品目だけでなく、
値段が明記されていたらもっと好きである。
それは高級レストランでも大衆居酒屋でも変わらない。

サブタイトルの「メニューの値段に目が釘づけ」は
何も値段の高さに目ん玉が飛び出たワケではない。
実はコレ、映画の中でのハナシなのだ。
映画、殊に古い映画を観ていて
飲食店の立て看板や店内の品書きが映ったりすると、
もうストーリーなんかそっちのけ。
食べものとその値段に神経が集中してしまう。
これも一種の職業病であろうか・・・。

そこで最近観た4本の映画を振り返ってみたい。
むろん、作品の解説ではなく、料理や酒とその値段についてだ。

★1本目・・・「レベッカ」(1940年 A・ヒッチコック)

ヒッチの渡米後初の記念すべき作品で
アカデミー最優秀作品賞を獲得している。
映画の冒頭、モンテカルロはプリンセスホテルのダイニング。
主人公とヒロインが開いた昼食メニュー

一部しか映らなかったけれど、内容を解説してみよう。
デジュネというのは昼食のことで、フリュイはフルーツ、
ウッフが玉子料理、ポワソンは魚料理だ。

果物はまずグレープフルーツの半割りが8F(フラン)。
洋梨とりんごが12Fでバナナは4F。
こう見るとバナナの安価が際立つが
ひるがえって当時の日本ではかなり高価だったろう。

玉子料理はハムオムレツ9F、玉子のゼリー寄せ4F、
ゆで玉子のクルトン添えとソーセージエッグが各9F。
目玉焼きトマトソースの値段は判らない。

最後に魚料理は舌平目が8Fで
カエルのソテーはその倍以上の18F。
サーモン網焼きのメートルD風は残念ながら価格不明。
戦前の為替相場は見当もつかないが
梨やりんごが舌平目より高価とは!
それにしてもフランス人は
70年も前からカエルを食べていたんだねェ。

L・オリヴィエとJ・フォンテーンが演じた幻想的ミステリーが
オスカーに値するか否かは著しく疑問の作品ではあった。

★2本目・・・「喜劇 駅前団地」(1961年 久松静児)

傑作「駅前旅館」に続く”駅前シリーズ”第2弾。
小田急線・百合ヶ丘周辺を舞台にしているものの、
タイトルとは裏腹、団地に焦点を当てているワケではない。
故人の批判は不本意ながら
当時売り出し中の坂本九の演技が
あまりにもクサくて思わず”下を向いて”しまった。

ここまで書いて、もうお時間きました。
またあしたお会いしましょう。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・。

=つづく=

2012年11月5日月曜日

第440話 しょせん学食は学食

かつては早稲田と並ぶミョウガの名産地、
その名も茗荷谷に拓殖大学 文京キャンパスがある。
近隣にはお茶の水女子大や跡見学園など、
お嬢さまの名門も少なくない。
以前をいえば筑波大の前身、教育大もこの地にあった。
御茶ノ水ほどではないにせよ、
茗荷谷はちょいとした学生街なのだ。

 ♪   君とよくこの店に 来たものさ
   わけもなくお茶を飲み 話したよ
   学生でにぎやかな この店の
   片隅で聴いていた ボブ・ディラン ♪   
           (作詞:山上路夫)

てなこって今日の舞台は拓大の学食。
ひょんなことから銀座のステーキ屋「スエヒロ」が
学食の運営を任されていると知り、
”お手並み拝食”というつもりで出掛けた。
予想通りに人気メニューはサーロインステーキだ。
ライス・サラダ・味噌汁の付く定食が600円という価格設定。
まあ、安いっちゃあ、安いわな。

ランチタイムを大きくズレ込んで食堂内の人影はまばら。
最近は東大以外の学食は未訪だから
ヨソと較べるバロメーターが極端に不足している。
人気のサーロインステーキ定食の食券を買い、
厨房のオバちゃんに手渡した。
トレイにナイフ&フォークと
お冷やのコップを置いて料理が整うのを待つ。
ビールはないからネ。

5分ほどでステーキが焼き上がった。
牛肉自体のサイズと焼き色、ともに悪くない。
ガルニ(付合わせ)はトウモロコシバターとフライドポテトだ。
真っ黄色のコーンを眺めながら、小さなため息をついた。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」とは違うタイプのため息を。
実はJ.C.、コーンとグリーンピースと
キャロットで構成されるミックスヴェジタブルが大嫌いなんだ。

十数年も前になるが、ある女友だちと飲んでいて
手造りカレーが話題になったことがあった。
彼女のレシピを聞き、ひっくり返りそうになったネ。
自慢の一品は挽き肉と冷凍ミックスヴェジのカレーだとヨ。
そん中に牛乳も入れるんだとヨ。
ケーシー高峰じゃないが、それはないぜセニョリータ!
しばらくして所帯を持ったハズだが旦那があまりにも哀れだ。

そんなことよりステーキ、ステーキ、熱いヤツにナイフを入れる。
多少の肉汁がじんわりとにじみ出た。
1切れ口に放り込んで一噛み二噛みする。
あ~あ、結局は薬局、この程度なら
何も「スエヒロ」に委託しなくてもいいんじゃないの。
サラダはキャベツの千切りだし、味噌汁の具はモヤシだぜ。
トドメはライスの不味さで、いったい何年前の米だヨ!
しょせん学食は学食、末広がりどころか
先細りの食堂でありました、チャン、チャン。

「拓殖大学 文京キャンパス 食堂」
 東京都文京区小日向3-4-14 B館B1
 03-3947-7111

2012年11月2日金曜日

第439話 こもれびの小径 (その2) 動物園こそわが楽園 Vol.4

上野動物園はこもれびの小径のそば、
番(つがい)のナベヅルと
1羽のアオサギが同居する檻の前にいる。
本来、鳥は籠の中に居るもの。
でも、ここは相当デッカくて籠というより檻なんだ。

それにしても奇妙な同居じゃなかろうか。
動物園当局にその理由を訊いてみたいが
変人扱いされるのがオチだからやめておく。
ただ、このまま立ち去る気になれず、しばし観察を決め込んだ。

ナベヅルの番はきっとシアワセだろう。
単身のアオサギはたぶん淋しかろう。
脳裏をかすめるのは
小林旭があのカン高い声で歌った「サーカスの唄」である。
 
  ♪ 檻のアオサギ 淋しかないか
    おれもさみしい 独り身暮らし
    ハシゴがえりで 今夜も暮れて
    知らぬ酒場の 花を見た  ♪

ナベヅルは仲むつまじく、
ときおりくちばしを交えたりもしている。
あらら片方が水浴びを始めたヨ

バシャバシャやってるのはおそらくメスだろう。
何で区別がつくんだ! ってか?
これが判るんだな、われわれクラスになりますと―。

概してちょっかい出すのはオスのほうでメスは基本的に受け身。
生きとし生けるもの、みなそうであろうヨ。
ところがこの自然の摂理に逆らうのが万物の霊長、いわゆる人間様だ。
殊に近ごろの日本娘に摂理もへったくれもあったもんじゃない。
欲しいと思ったら、それこそ恥も外聞もなく力ずくで獲りにいくからネ。
まっ、今んとこみんながみんなじゃないからいいけどサ。

水ぎわでたわむれるナベヅルをよそに
高いところの止まり木にアオサギ1羽止まりけり。
淋しそうな様子まったくなく笑ってやがる

われ関せず・・・達観した孤高の姿をぜひ見習いたい。
園内を観回っていて判ったことに、鳥には獣にない潔さを感じる。
連中は哺乳類を見下してるのかもしれない。
何たって彼らは空を飛べるからねェ。
地震だろうが、津波だろうが、巻き込まれる心配ないもんなァ。

   ♪ ああ 人はむかしむかし
    鳥だったのかも しれないね
    こんなにも こんなにも 空が恋しい ♪
            (作詞:中島みゆき)

さりとて今さら鳥に生まれ変わりたくはない。
恥ずかしながら高所恐怖症だからネ。
もっとも鳥になったら、高いとこなんか全然コワくないのだろうが・・・。

2012年11月1日木曜日

第438話 こもれびの小径 (その1) 動物園こそわが楽園 Vol.4

今日は11月1日。
ちょうど1ヶ月前のこと。
午後から上野動物園に赴いた。
10月1日は都民の日で無料開園日。
もっともJ.C.は年間パスポートを所持しているから
来年のGW明けまでは出入り自由なんだけどネ。

無料開園日にわざわざパスポート保持者が
入園したのにはワケがあった。
実はJ.C.が初めて上野動物園を訪れたのは1960年10月1日。
その日はちょうど 52nd Anniversary に当たっていた。
記念すべき日に出掛けておきたかったのである。

いつもは西園側の池之端門から入るのだが
この日は東園側の正門に進路をとった。
正面広場で可愛い仔象のお出迎えだ。
象の鼻ではなく花の象

好天にも恵まれて晴ればれとした気分で歩く。

ゲートをくぐったらパンダや象に目もくれず、
真っ先に目指したのは思い出の場所。
立て札ナシでは見過ごしそう

こう呼ばれるようになったのはいつの頃からか・・・。
52年前のこの日、父親・弟と三人して
母親の作ってくれた弁当をこの場所で広げたのだ。
親子三人ここで食べました

玉子焼きとおむすびを食べた記憶があるものの、
むすびの中身までは思い出せない。
確か海苔は巻いてなかったような・・・。

偶然にもピンポイントでここを発見したのはつい2~3ヶ月前。
そのときは胸が熱くなって仕方がなかった。
そりゃそうだヨ、こんなことって人生にそうそうあるもんじゃない。
驚いたことにこのスポットは半世紀を経てもなお、変わっていなかった。
さもなくば場所の特定など到底できるわけがないのだ。

父も母もすでに墓石の下、今さら訊ねようもないが
父はなぜこんなところで昼めしにしたのだろう。
当時は休憩所があまりなかったせいかもしれない。
そして四人家族の母だけがなぜ居ないのか?
夫婦仲は良かったから、いさかいが原因ではあるまいが・・・。

しばし懐旧の思いにふけり、こもれびの小径をあとにする。
道なりに坂を下って行って妙な檻(おり)に遭遇した。
何が妙かというと檻の中には大型の鳥が3羽。
ナベヅルの番(つがい)とアオサギが1羽である。
何でまたこんな組合せになるのかネ?
ともに番ならまだしも、これじゃアオサギが可哀想じゃないか。
ちょっくら事務所に赴いて、理由を問いただしてみたくなった。

=つづく

2012年10月31日水曜日

第437話 ランチはすべて豚なりき

森下の高橋商店街、通称 ”のらくろーど” にてランチ。
この愛称は漫画「のらくろ」の作者・田河水泡が
近所で生まれたことに由来する。
当日の相方は読者転じて、のみともとなったT堂サン。
当初は築地の河岸の予定だったが互いの都合から
利便牲の高い森下に文字通り、河岸を替えた次第だ。

夜はちょくちょく訪れるが昼となると選択肢がせばまる。
候補としてはまず「満る善」の天丼。
海老は外してキス・メゴチ・穴子のトリオでいきたい。
そば屋みたいな屋号の「尾張屋」でうな重という手もある。
値上がったとはいえ1600円だかんネ。
そうだ、「はやふね食堂」の定食もあったか!
かきフライがすでにスタートしているハズだし・・・。

何だかんだ言って、けっこうあるじゃないの。
ここでふと思いついたのが「はやふね食堂」からほど近く、
「尾張屋」と同じ、”のらくろーど”にある「精華園」。
通りすがったときのノスタルジックなたたずまいが
記憶の片隅に刻まれていた。
よしんば外したとしても悔いが残るわけじゃない。
相方のT堂サンはJ.C.と違い、温厚な性格の持ち主である。

店先のランチボード及びサンプルケースに見入る。
ショージ君ではないが「あれも食いたい これも食いたい」状態。
そい言えば、コレを書いてる今夜は
当ブログでもおなじみのさだお御大、和雄副御大ともども
「美女を侍らす会」の開催が予定されている。
もっとも美女と言ってもかなりトウは立っておりますがネ。
まっ、そのハナシはまた別の機会にでも・・・。

吟味の結果、ラーメンと炒飯は抑えた。
あとは3種ある”本日のランチ”から1品選ぶことに。
だけどサァ、その定食メニューがサァ、
まっ、ご覧くだされ。

 A 豚肉と野菜の炒め
 B 豚肉の味噌炒め
 C 豚肉と野菜のうま煮

ったく、大雑把だなァ、ってゆうかァ、バカじゃないの。
みんなブータンかよォ! 豚肉嫌いはどうすんの? 
イスラム教徒が来たらどうなんの? タリバンとかさァ!
でもって、幸か不幸か豚肉好きのわれわれは”C”にしました。

生ビールを頼んだらモヤシのピリ辛炒めがサービスされる。
おっ、なかなか気が利くじゃん・・・と思ったのも束のま、
定食の小皿がおんなじモヤシと来たもんだ。
オメエの店は豚とモヤシしかないのかえ?

悪態ついてても始まらないから食っただヨ。
すると、するとですヨ、ラーメンはスープ凡庸なれどシコ麺旨し。
ハム・玉子・長ねぎ入り炒飯はさっぱりイケて★1個。
つまらんトマトとレタスのサラダと前述のモヤシを従えた、
豚肉&野菜のうま煮もボリューム満点のうえ、
なぜか味付けまでよく、じゅうぶんに及第点だ。
たっぷり入ったクワイとキクラゲがまたエラい。

何だか甘い評価になっちまったが、ほめてばかりはいられない。
とにもかくにも”三匹の仔豚揃い踏み”だけは何とかせえや。

「精華園」
 東京都江東区高橋8-7
 03-3635-0841

2012年10月30日火曜日

第436話 昼下がりの江戸前鮨 (その2)

浅草の「三角」は大衆ふぐ料理の佳店。
はす向かいにある「紀文寿司」のつけ台にいる。
今にも倒れそうな木造建築、
つけ場に立つのはこれまた今にも倒れそうな親方。
奥のテーブル席では齢85を超える親方のおっ母さんが
しばし身体を休めていた。
 ♪ 休憩だよ おっ母さん ♪
てな状況だ。
この母子、見ようによっては夫婦に見えぬこともない。
数年前に大病した倅が激ヤセして老けちまったからネ。

ビールのハナシであった。
アサヒの本拠地の浅草だっていうのに
キリンラガーとエビスの品揃えとはこれ如何に?
わが質問に応えて親方曰く、
「以前はキリンとアサヒを置いてたんだけど
 アサヒは誰も頼まなかったのヨ」―
ハイィ~ッ、この言葉、にわかに信じがたかった。

人の好みは十人十色、さりとてそんなに差がつくもんかネ。
第一、ここには15年以上も通っているが
アサヒなんざ見たことないぜ。
「親方、それって何年前のこと?」
「う~んとぉ・・・30年くらいかねェ」
とっとっと、これだから浅草っ子はイヤになっちゃう。
時間軸の把握というものがからっきしダメなんだ。

確かにあの頃のアサヒは不味くて飲めたもんじゃなかった。
数年前に復刻版を飲んでみたが
半ダースまとめ買いしたことを深く悔やんだもの。
スーパードライの発売は確か1987年だから
ビール業界の地図を塗り替えた商品を
四半世紀のあいだ、まったく無視し続けているのだ。

キリンラガーを注ぎ合って乾杯。
突き出しは小ぶりのサザエ、
いわゆる姫サザエを酒と醤油で炊いたもの。
爪楊枝でクルリンとねじり出してパクリ。
肝を置き忘れちゃもったいないからネ。

つまみは薄く切ったカサゴ刺しにあぶった墨いかゲソ。
あとはヒモ付き青柳と小柱である。
N藤サンは〆張月、J.C.は菊正宗の上燗に切り替えた。
にぎりの前にもう一品ということで親方オススメの渡り蟹を。
モノがよいから楽しめたが、かなり手数が掛かった。

漬けしょうがをチョイとつまんでにぎりへ。
酢アジ、小肌、煮いかと食べ進む。
「紀文寿司」は生のアジなんぞ出さない。
「弁天山」もしかりで元来江戸前鮨とはそいうものだ。

マイ・アドバイスによりここでN藤サンが
煮はまぐりとはま吸いをはさんだ。
これは訪れたらぜひの逸品なのだ。
大ぶりのにぎりにつき、そうそう数はこなせない。
この日のベストだった穴子と酢めし抜きの玉子で締める。
本格的な江戸前鮨に相方は喜色満面。
明日には山陰の水都にご帰還あそばされる。
お言葉に甘え、ご馳走さまでありました。

「紀文寿司」
 東京都台東区浅草1-17-10
 03-3841-0984

2012年10月29日月曜日

第435話 昼下がりの江戸前鮨 (その1)

所用で日本橋と銀座のあいだの京橋へ。
ついでだからフィルムセンターに立ち寄り、
上映作品のスケジュール表をピックアップする。
その日は日曜日、時刻は13時半。
バタついていて昼めしを食べ損ねていた。

ひらめいたのは「レバンテ」のカキフライ。
JRのガードをくぐったところで
国際フォーラムから出てきたN藤サンとバッタリ出くわした。
旧知の友人は島根県・松江の人である。
先方もこれから昼餉の予定と聞き、
それではカキフライでもと誘うと
折悪しく昨夜の会合で牡蠣をたらふく胃袋に収めた由。
そりゃ塩梅悪いわな。

何がお望みかと訊ねたら、
真っ当な江戸前鮨が食いたいとのこと。
(ゲッ、鮨かァ、こりゃ予期せぬ出費になるなァ、
 せめて「竹葉亭」の鯛茶かまぐ茶なら・・・))
口には出さぬが胸の奥でつぶやいた。

どうやら心もとなさが顔に出てしまったのかもしれない。
N藤サン曰く、
「J.C.、ボクが言い出したんだからオゴるヨ」
「いえ、いえ落ちぶれ果ててもJ.C.は武士です、
 割り勘でいきましょう」
「いいからいいから、その代わり旨い鮨屋に連れてってヨ」
言い出したら聞かない人につき、
ええい、ままよと、店の選定に入った。

日曜のこの時間、開いてるところは少なかろう。
デッカい商業ビルに入居してる鮨屋なんざ死んでもイヤだ。
こういうときには浅草に限る。
加えて銀座より安いしネ。
でもって京橋に戻り、地下鉄・銀座線に乗り込んだ。

第一感の「弁天山美家古」は14時から17時まで中休み。
それではと「紀文寿司」の営業時間を調べたら
運よく日曜・祝日は休憩ナシの通しとあった。
その代わり早仕舞いするのだ。
N藤サンのおおよその好みは知ってるつもり。
ちまちましたにぎりよりガツンと来るのが好きなハズ。
要するに銀座タイプより浅草タイプが嗜好に合致しよう。

久々に「紀文」のつけ台に着く。
浅草でもっとも古びたたたずまいが
相方の好奇心を激しく刺激しているのが手に取るように判る。
品書きを見ると、以前はキリンラガーしか置かなかったのに
エビスが品書きに載っている。
「親父サン、何でまたエビスを?」
「いえネ、お客が置いてくれって言うもんだから・・・」
ふ~ん、そうかァ、自分も常連だったら
好きな銘柄を入れてもらうのになァ。
「浅草なのになんでアサヒを置かないの?」
店主の回答は実に意外なものだった。

=つづく=

2012年10月26日金曜日

第434話 切られ与三の木更津へ (その2)

木更津港を臨む「海鮮茶屋 活き活き亭」。
建物自体が何だか大雑把で
はとバスでも乗り付けてきそうな気配だ。
どれどれサカナはさぞかし活き活きと泳いでいるんだろうと、
ショーケースをのぞいてみたら、何じゃこりゃあ!
品揃えのプアなことはなはだしい。
スイマーは皆無であった。
ネットで調べたときは活け車海老が泳いでいたのにねェ。
結局、蛤と牡蠣を2粒ずつ食べるにとどめた。
遠路はるばる無駄足を踏んだことになる。

長居は無用だ、新内流しのごとく市内の散策を開始した。
もっとも気に染まる店の物色にすぎないけれど・・・。
地元に揚がったサカナで一杯飲りたい、
そんな気持ちでいっぱいだった。

木更津駅前の「好美寿司」に入店する。
フツーの町場の鮨屋だが店構えは悪くない。
それにこの夜は強い味方がついていた。
へへへっ、こんなこともあろうかと
携えてきたのは本わさびとおろし板だい!

着いたつけ台は親方の正面。
周りに客の姿はなくとも
ざわめきが聴こえるのは奥の座敷の宴席だろう。
ここに三味(しゃみ)の音色でも届いてくりゃあ、
「切られ与三」の世界そのものだぜ。

さあてとガラスのケースに目を落とす。
ありゃりゃ、何だヨ、ここもヤケに寂しいなァ。
それでも好物の蝦蛄と小肌がいてくれた。
女将にお燗をお願いし、親方の許しを得てわさびをおろす。
ともに地物じゃあるまいが生わさびのおかげで活き返った。
白身もまぐろもすでになく、あとは平貝と甘海老くらいのもの。
つまみをちょこちょこ計4点にお銚子を2本で切上げた。

実は気になる店がもう1軒。
目抜き通りを外れながらも角地にあって入口が二つ。
懐旧の気持ちをくすぐる「木村屋食堂」だ。
ここを看過するわけにはいかない。
暖簾をくぐると作業着姿のオジさんとアンちゃんが
オムライスをかっ込んでおり、これがとてもいい匂い。

こちらはまずビールと牡蠣フライ。
おっと、小ぶりな牡蠣が意想外の旨さじゃないか。
平らげたあとも前2軒が品薄だったために
胃袋にはまだ多少のキャパが残っている。
ラーメンと迷った末、オムライスをさすがに少なめでお願い。
すると、
ワワッ! 出た、出た、出ました、出ちゃったヨ!
何が出たんだ! ってか?
いやはや、とうとう出たのは逆転サヨナラホームランですがな。
和・洋・中がみな揃う「木村食堂」はこの日一番の当たりであった。

てなこって八州廻りはめでたく大団円。
しばらくは江戸の市井に身を沈めようと思う。
そう、そう、ちなみに映画の与三郎は
故あって牢を破り、関八州のおたずね者に身を落とす。
血のつながらぬ愛しの妹と二人、
江戸湾に入水してゆくラストがはかなく美しく、涙を誘う。

「海鮮茶屋 活き活き亭」
 千葉県木更津市富士見3-4-43
 0438-22-5666 

「好美寿司」
 千葉県木更津市中央1-2-1
 0438-22-2847

「木村屋食堂」
 千葉県木更津市富士見2-1-6
 0438-22-2786

2012年10月25日木曜日

第433話 切られ与三の木更津へ (その1)

この夏に始動した八州廻りもいよいよ大詰め。
締めに訪ねたのは総州・木更津だ。
木更津と聞けば第一に思い浮かぶのは
歌舞伎狂言の「与話情浮名横櫛」であろう。
世にいう「切られ与三郎」、
いや、「お富さん」といったほうが通りがいいか。

1960年、今は無き大映が
「切られ与三郎」のタイトルで映画化している。
前作「弁天小僧」の成功に気をよくしての第二弾。
主役・与三郎が市川雷蔵なら
メガフォンは伊藤大輔、カメラは宮川一夫。
前作とまったく同じ鉄壁のトリオである。
脇を固めるお富を演じたのは淡路恵子、
蝙蝠安が多々良純ときたもんだ。

雷蔵ファンを自称するJ.C.、ニヒルな魅力あふれる、
「眠狂四郎」や「陸軍中野学校」も好きだが
それらを抑えて弁天&切られ与三がわが心の飛車角だ。

とにかく上野から京成線の電車に乗り込んだ。
最近、遠出をするときは必ず、
行きがけ、あるいは帰りがけの駄賃を目論むのだが
当日もご多分にもれずであった。
途中下車したのは千葉中央駅で京成千葉の一つ先。

なぜか千葉の街にはなじみが薄い。
まだ、お天道様が南西上空にある時間帯に立ち寄ったのは
あらかじめチェック済みの「旨いもん食堂かどや」。
通常、こんなセンスのない名前の店には近づかないが
諸般の事情からほかにチョイスがなかったのも事実だ。

結果、読者のご想像通りにダメでやんした。
鳥つくねとホルモン焼きをつまんだものの、
あまりにレベルが低くて
ホルモンなんかレトルトをあっためただけみたいなヤツ。
肩を落として支払いを済ませ、
今度はJR千葉駅まで歩き、飛び乗ったのが内房線。
思い出すまい、嘆くまい、行く手に幸多かれと祈るばかりだ。

そうして到着した木更津。
一世紀半前には与三郎が新内を流した漁師町である。
西口を出たらそのまま一直線に夕陽に向かう。
ここもメインストリートの商店街がサビれはてている。
江戸時代のほうがよほど賑やかだったろうなァ。

実は木更津でもちょいと悪い予感がしていた。
理由はやはり店名にあった。
10分ほど歩いてたどり着いた大型店は
港に面したその名も「活き活き亭」。
ねっ、ほらっ、この名前じゃ期待できないでしょ?

=つづく=

「旨いもん食堂かどや」
 千葉県千葉市中央区中央4-2
 043-216-5355

2012年10月24日水曜日

第432話 百円玉で買った揚げ玉

下町風の天丼が食べたくなった。
胡麻油がプ~ンと香り、
丼つゆも濃いめの辛めがいい。
関西風というか、京風というのか、
サラダ油なんぞで揚げたんではまったくもの足りない。

江戸湾の小魚に恵まれる東京は玉子入りのコロモを付け、
胡麻油でカリリッと揚げるのがいかにもそれらしい。
一方、昔から魚介不足の京都あたりでは
野菜や山菜を玉子抜きのコロモで揚げ、塩で食する。
これは胡麻油じゃ合わないもんねェ。

天丼を求めて出掛けたのは浅草。
「大黒家」、「三定」、「葵丸進」が
浅草の天ぷら御三家という感じながら
この3軒には感心しませんなァ。
浅草はけして”天ぷらの都”ではないのだ。
観音さまのご利益で観光客を相手に
比較的ラクな商売を続けてちゃ、
進歩もなければ向上心も湧き起こるまい。

以前、往年のカリスマ予備校講師、
金ピカ先生と訪れたことのある「多から家」の敷居をまたいだ。
そういえばあのとき、
店主がかつて金ピカ先生の教え子だったと名乗り出て
しばし会話が盛り上がったっけ・・・。

注文したのは穴子芝海老天丼(1400円)。
内容は穴子1尾、芝海老の三連イカダ、ブラックタイガー1尾。
やはり天丼に穴子が参入すると存在感が格段に増す。。
豆腐味噌椀、キャベツもみとともにいただき、満足、マンゾク。

勘定を済ませていると引き戸が開いて一人の婆サンが登場。
手には揚げ玉の袋が二つ握られている。
そういやあ店先で揚げ玉が1袋100円で売られてたっけ・・・。
つい誘われてオツリにもらった百円玉を戻し、1袋買い求めた。

それから数日後、自宅でブランチの際、
豆腐と三つ葉の味噌汁に揚げ玉を浮かべてみた。
おおっ、なかなかいいじゃないの。
アッサリした食事の味噌汁に投ずると効果てきめんだ。

そのまた数日後、
カップそばの明星かけそばでっせにも入れてみた。
シンプルなかけそばが江戸風たぬきそばに変身である。
ややっ、カップの天ぷらそばよりずっといいじゃん。
そりゃそうだ、真っ当な天ぷら屋の揚げ玉だもの。
ただし問題が一つ。
独り身ではいっくら使ってもまったく減ってくれない。
消費しきるのに1年はかかりそうだ。
そのうち油ヤケしてくるだろうし、
飽きたこともあって、今じゃ少々持て余し気味だ。

ここで思い出すのは2袋買って帰ったあの婆サン。
住まいでは大家族が待ってるのだろうか。
独り暮らしじゃないにしても爺サンと二人きりじゃ
両方とも健康を害するぜ、それが気がかりな今日この頃。

「多から家」
 東京都台東区浅草1-11-6
 03-3841-0519

2012年10月23日火曜日

第431話 ドーバーソールはプレスティージ 古く良かりしニューヨーク Vol.5

ここんとこ古巣ニューヨークから友人が
続々と一時帰国して来る。
連中と飲む機会が多くて
思い出話に花を咲かせることたびたびである。

そんなこってつい先日、
お届けしたばかりの”ニューヨークシリーズ”を
もう一発いってみます。

=ドーバーソールはプレスティージ=

舌平目はムニエルになるために生まれてきたようなサカナ。
英語でも仏語でもソールと呼ばれる。
この名称、ゴルフのプレイ中によく耳にする。
「シューズのソールはラバーに限るネ」
「バンカーではクラブのソールを付けちゃダメ」
なんてネ。
舌平目の姿はシューズやクラブのソールによく似ていて
日本の九州でも小さなカレイ類を”靴底”なんて呼んでいる。

あまたあるソールの中で
王様はドーバー海峡から揚がるドーバーソールだ。
しなやかに引き締まった身肉は
伊達公子の太ももを思わせて元気ハツラツ。
(この頃は公子サンの全盛期であった)
お味のほうもすこぶるよろしい。
ニューヨークにも盛んに空輸され、
フレンチでもイタリアンでも高級店は仕入れているハズ。
このサカナこそプレスティージ・フィッシュ、
いわゆるその店の威信や名声を担うサカナなのだ。

「Parioli Romanissimo」は
ニューヨークで5本の指に入る高級イタリアン。
ここでは素焼きをマスタードソースでいただきたい。
イタリア人はあまりムニエルを食べない。
地中海産のブランズィーノ(スズキ)の入荷があったりすると、
ソールと迷うこと必至だ。
ポルチーニや仔牛など、北イタリアの旨いものが揃う名店である。

「La Cote Basque」 はニューヨーク屈指の高級フレンチ。
ドーバーソールを切らすことはまずない。
ムニエルにレモンを搾るのもいいし、
グリルならエストラゴンの効いたベアルネーズソースが抜群。
ただクラシックな料理が多く、日本人の胃袋には重過ぎる。
もうちょいデリケートな皿を供給してほしい。
チャーミングな内装のおかげで居心地がいいだけに残念だ。

ひるがえってわがニッポンの舌平目は赤でも黒でもやや小さめ。
フランスとイギリスの間の狭いドーバー海峡で
どうしてあんなに立派なソールが揚がるのか不思議でならない。

「Parioli Romanissimo」
 24E. 81st St
  212-288-2391

「La Cote Basque」
  5E. 55th St.
  212-688-6525

2012年10月22日月曜日

第430回 悪くはなかった真希絵サン

あれは半年ほど前だったろうか。
俳優・塩谷瞬の二股交際というのか、
Wプロポーズと呼ぶのか、
ちまたを騒がせた事件が勃発(オーバーかな?)したのは―。

最初に嗅ぎつけたのは
「旨すぎる男の昼めし」が大好評(?)の写真誌「FRIDAY」だ。
(誰も言ってくれないから自分で言っちまった)
その「FRIDAY」編集部のM尾サンから連絡があり、
何でも二股の片割れのモデルのほうではなく、
料理人のほうの店に乗り込もうというお誘いである。

ひと月半前の「FRIDAY」に掲載された、
彼の記事の冒頭部分を引用してみよう。

「唐突ですが、来年2月28日をもち、
 自店『園山』を閉めることにしました」

8月27日、フェイスブック上にこんな書き込みをしたのは
料理研究家・タレントで
今年何かと話題になった園山真希絵さん(34)だ。
彼女は’06年の6月、
都内に紹介制の飲食店『家庭料理割烹 園山』を開き、
経営を続けてきた。
しかし、冒頭の書き込みのとおり、
突然その店を閉めることを決定したのである。

話題の紹介制家庭料理割烹、
そんな店に一度も行かないのは実に惜しい、
ということで、閉店前に『園山』に潜入し、料理を食べてみた。

かくかくしかじか、潜入の片棒を担ぐことになりやした。
残暑きびしき9月の上旬、恵比寿駅でM尾氏と落ち合った。
彼は迷ってはならじと、あらかじめ下見を済ませた由、
さっそく店に向かった。
いや、こりゃ判りにくいゾ、
ほそ道の奥に身を潜めるようにして和食店「園山」はあった。

M尾氏によれば、当物件の契約の更新問題がこじれ、
少なくとも当地での営業は終結を迎えることになりそうとのこと。
先行き不透明だからこその潜入実食なのだった。

古民家を改装した店内は神楽坂あたりにはありがちなしつらい。
席の選択を訊かれ、テーブルが2卓配された準個室を選んだが
ここはオープンキッチン・カウンターにすべきだった。
さすれば厨房スタッフの動きが実見できたハズだもの。

ビールがエビスの生しかない。
これは仕方がなかろう、ここは恵比寿だからネ。
でもって真希絵サンが得意とする、
マヨネーズを使わないポテサラや
じゃが芋・人参ゴロゴロの肉じゃがなど、
10品近くの家庭料理をいただきやした。

すると、期待を上回る美味しさなのである。
常人離れした盛り付けが話題の彼女ながら
”旨けりゃいいや派”にはまったく問題ないだろう。
ただし、”料理は目で食いたい派”は途中下車したくなるだろう。
まっ、閉店前の貴重な体験ではありましたがネ。

2012年10月19日金曜日

第429話 ありし日の数寄屋橋 (その2)

小林旭主演の「東京の暴れん坊」は銀座が舞台。
カメラが数寄屋橋界隈をとらえている。
あゝ 懐かしの日劇よ!
日劇の屋上に”東芝(Toshiba)”の名前が見える。
1年前に完成したネオンサインで夜はいっそう目立った。
手前左は阪急デパートが入居していた東芝ビル。
建て替えられたビルが今また取り壊されようとしているのだから
まさに隔世の感あり。

日劇に初めて入場したのは
東京五輪が閉幕して3ヶ月後の1965年1月末。
観たのは「いしだあゆみショー」である。
あの頃、いしだあゆみが大好きだった。

ご覧のように数寄屋橋下の外堀はすでに埋め立てられ、
その上を東京高速道路が走っている。
数寄屋橋自体も消滅してしまった。
道路の高架下は西銀座デパート。
その下の丸の内線・銀座駅は当時、西銀座駅を名乗った。
フランク永井の「西銀座駅前」がヒットしたのは1958年だったか。

  ♪ メトロを降りて 階段昇りゃ
    霧にうずまく まぶしいネオン
    いかすじゃないか 西銀座駅前 ♪
           (作詞:佐伯孝夫)

「東京の暴れん坊」は夜の銀座もしっかりとらえている。
映画における銀座の定番ショット
「不二家」のフランスキャラメル、
ソニービルの看板にはラジオとテープレコーダー、
森永キャラメルの大地球儀、
奥には「服部時計店」の時計塔も見える。

後楽園球場の貴重なシーンもあって
当時の正捕手にして5番打者・藤尾茂が
11号ホームランをかっとばしている。
直後の場内アナウンスがまた泣かせるのだ。
「6番ファースト・王、背番号1」―たまらんでしょ?

藤尾は数年前まで消息不明だった時期があった。
往年の巨人ファンはみな心配したものだが
現在は三重県・鈴鹿市で
ゴルフ場の副社長を務めていることが判っている。

旭演ずる主人公はパリ留学を終えて帰国し、
家業を継いだ「キッチン・ジロウ」の若主人。
並木通りと思しき目抜き通りに店はあるが、これはセット。
セットが多いものの、ロケもふんだんに取り入れられ、
進行のテンポが小気味よく、観るものをあきさせない。
往時の銀座を偲ぶには恰好の1本だ。

ラストシーンも紹介しておきたい。
ルリ子と旭が屋上で追いかけっこ
地球儀と時計塔の位置関係から
貴金属と鉄道模型を商う「天賞堂本店」の屋上だろうか。
当時は画面の彼方、勝どき・晴海方面に
高層ビルは1棟も建っていなかったのだ。
広い東京の空よ!

2012年10月18日木曜日

第428話 ありし日の数寄屋橋 (その1)

昭和33~36年頃。
週に1度は家族4人揃って
近所の映画館へ出掛けたものである。
夕食後の楽しみだったのだ。
当時は京急・平和島に住んでいた。
高架化される前の平和島駅は
”学校裏”というヘンチクリンな駅名だった。

通った美原劇場は旧東海道の美原通りにあり、
家からは徒歩3分ほどの距離。
映画館はとっくの昔に消えたけれど、美原商店街は健在だ。
よく観たのは東映のチャンバラに取って代わった日活アクション。
日活ダイヤモンドラインを構成した四人組、
石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・和田浩治の主演作が
ほとんどでやはり裕次郎が多かった。
ちなみに日活女優陣のパールラインというのもあって
浅丘ルリ子・芦川いづみ・笹森礼子・吉永小百合・
中原早苗・清水まゆみの6人がその陣容。

マイトガイ・旭がルリ子と競演した、
「東京の暴れん坊」(1960年)を初めて観た。
斎藤武市がメガホンをとった作品は実に隠れた傑作で
同じトリオによる前年の「南国土佐を後にして」より好きだ。
いきなり始まった同名主題歌に度肝を抜かれる。
花の都・パリが歌い込まれ、シャンゼリゼやセーヌ河、
はたまた凱旋門にモンマルトルが登場するかと思うと、
ジルベール・ベコーとイヴ・モンタンまでお出ましときた。
いやあ~、オサレなこと。

挿入歌の「イチョサン節」がまたすばらしい。
「ダンチョネ節」、「ズンドコ節」に匹敵する佳曲と言ってよい。
銀座にある銭湯の男湯の湯船で歌う旭の歌声に
女湯の客がこぞって聴き惚れるという設定。

 ♪ 娘という字を ヤッコラヤァノヤァ
    分析すれば ノォ千代さん
    自分で判って いい女 いい女 ♪
            (作詞:西沢爽)

今のところこの曲はこのDVDを観なければ聴けないハズだ。
5月に亡くなった中原早苗がバーのマダムで女湯の客。
「松の湯」の番台に座るのが一人娘のルリ子だからたまらない。

映画はとある大学の体育館でスタートした。
大学OBの旭が現役相手にレスリングの稽古をつけている。
横でフェンシングのマスクを取り、
笑顔を見せたのは大学後輩のルリ子だ。
ふ~ん、レスリングとフェンシングねェ、
とても1960年の映画とは思えませんや。

映画が封切られた2ヵ月後にローマ五輪が始まった。
あれから52年、今年はロンドン五輪の年だった。
レスリングは金、フェンシングは銀メダルを獲得したから
映画は半世紀も前に時代を先取りしていたことになる。
う~む、おそれいりやした。

画面替わって銀座の上空。
カメラが数寄屋橋から日比谷方面をとらえたときには
思わず身を乗り出しちゃった。

=つづく=