2012年2月29日水曜日

第262話 春の築地のサービス丼 (その1)

昨日の稿も3時間遅れとなってしまい、
またまたご迷惑をお掛けしました。
最近、パソコンの不具合が多いうえに
ブラウザをエクスプローラーから
グーグル・クロームに変更した不慣れもあって
公開予定を午後8:45に設定したのが原因です。
毎度のおわびを目にする読者もうっとうしいでしょうから
今後はあえてエクスキューズいたしませんのでご了承ください。

さて、この店を知ったのははるか昔。
昭和50年の春だからそろそろ丸37年になろうか。
丸谷才一サンが「文藝春秋」に連載していたコラム、
「食通知ったかぶり」の最終回だった。
題して「春の築地の焼鳥丼」。
その年の5月号に掲載された「とゝや」である。

丸谷サンにも「文藝春秋」にも断りナシに
少々引用させていただく。

築地四丁目に、ととやといふ名代の焼鳥屋がある。
作りはごくありふれた店だが、安くてうまくてじつにすばらしい。
わたしは今度はじめて出かけてみて、
世評がまったく正しいことを確認した。
本当はここに書きたくないのだが、
(なぜなら、あまりはやると、行列をしなくちゃならなくなるし、
 味だって落ちるかもしれない)、仕方がないから書く。
 =中略=
やがて出て来たのは、あまり多くない御飯の上に
濃い褐色の焼鳥がびつしりと豪勢に並んでゐるやつと、
脂の浮いた白いスープで、御飯といっしょに食べると、
焼鳥の味はビールのときよりもいつそう引き立つし、
スープは濃密で清楚、なかなか都会的な味はひで、
白い一滴一滴にエネルギーがこもつてゐる気配がある。
 =中略=
わたしはすつかり満足して、土産に焼鳥弁当を一つ買ひ、
よく晴れた日の築地をぶらぶらと歩きだしたのだが、
そのときわたしは、
何しろ近頃の芝居小屋の食堂はちつとも感心しないから、
芝居見物のときはこの焼鳥弁当を買ってゆかうと考へて、
すこぶる幸福な気持だつたのだ。
赤坂の藝者衆に言はせれば、
これもまた生き甲斐といふことになるだらうか。

およそ2年半に渡る連載の間、
そのほとんどをロンドンをベースとして
アフリカ・欧州の放浪に明け暮れていたJ.C.は
各地の日本大使館やJALのオフィスで
丸谷サンの文章にふれていたのであった。

まだ海外に邦人旅行者がそれほど多くはない時代。
トラベルというよりもジャーニーだった古き良き時代。
異国の独り旅はどこか人恋しくもあり、
常に日本の活字に飢えてもいたのだ。

=つづく=

2012年2月28日火曜日

第261話 ソース焼きそばのリサイクル

日曜日の昼下がり、空腹に耐えかねた胃袋がグウッと鳴った。
さもありなん。
7時半に起きだしてから何にも食べていない。
麦茶を1杯飲んだだけだ。
夕刻に晩酌を始める前のマイドリンクは常に冷たい麦茶。
1年を通してこれは変わることがない。
明るいうちは麦茶、暗くなったら麦酒、
まっこと大麦サンにはお世話になっております。

日曜の朝はけっこう忙しい。
何で忙しいのかというと、TVを観るのに忙しい。
まず8時からTBSの「サンデーモーニング」。
殊にスポーツコーナーははずせない。
10時からはNHKエデュケーショナル(教育チャンネル)で
将棋番組だが、もうこれだけで正午近くである。
そのあとは「素人のど自慢」をほとんど観ずに聴きながら
身支度を整えて外出というパターンだ。

通常は将棋の前に軽いブランチだけれど、
その日はつい食べ損ねた結果の腹ペコ君であった。
こんなときに自分で作るのはパン系が
サンドイッチ(ハム&野菜であることが多い)、
ホットドッグ、トースト&ベーコンエッグ。
麺系だと、日本そば、ラーメン、焼きそばといったところだ。

昼の自宅でパスタは食べないのは
ビールやワインがほしくなっちゃうから―。
午前中ならごはんモノもOKだが午後はNG。
腹持ちがよすぎて晩めしが不味くなるからだ。

そこで取りい出したるものは
野菜庫からキャベツ、冷蔵庫からソース焼きそば、
冷凍庫から豚バラ肉であった。
豚バラは焼きそば&豚汁兼用で
あらかじめ小間切れにして凍らせてあるのだ。

まず焼きそばを丁寧に丁寧にラードで炒めたら
いったんフライパンから取り出し、
同じフライパンで今度はラードを引かずに肉&野菜を炒める。
あとは両者合わせて備え付きの粉末ソースを半分だけ使い、
生醤油かウスターか中濃ソースを少々補って完成である。

ところがその日はついウッカリして粉末ソースを全部入れちゃった。
これじゃ味が濃すぎるが、捨てたらバチが当たる。
そこで高校時代によくやったソース焼きそばライスを思い出し、
冷凍庫を漁ったものの、チン用ごはんの用意がない。
スーパーまで走ってさとうのごはん、
あるいはオリジン弁当で素ライスってのも何だかなァ。

困ったときには頭を使え!
必要が発明の母であることは人類の歴史が証明している。
前日、ホットドッグを作った際のドッグ用ロールが脳裏をよぎった。
パン切り包丁でロールに切れ目を入れたら
パンをほじくって焼きそばのためのスペースを作る。
そうしておいてサッとバターを塗り、
濃い味付けの焼きそば野郎をギッシリとはさみ込む。
上にはタップリの四万十川産高級川海苔と
紅しょうがをチョコンと乗せてパクリとやれば、もう満面の笑みだ。
ホンジャマカの石チャンじゃないが、まいう~~! ですな。

くだらねェもん、食ってんじゃねェ!って叱られそうだが
人生、何が幸いするか判らない。
何せ、人生で一番の焼きそばパンだったんだもんネ~だ。

2012年2月27日月曜日

第260話 伝通院でイタリアン (その3)

吟味に吟味を重ね、Y里と一緒に選んだ皿はかくの如し。

前菜
 イカ墨のカプチーノ仕立て
 平目のカルパッチョ 乾燥熟成した生ハム、セロリ、林檎

プリモピアット
 ポルチーニ茸と苺のリゾット
 白子のカルボナーラ アメリケーヌ仕立て
 
メイン
 子羊のグリル 能登高農園のサラダ
 仏産小鴨胸肉のロースト 3時間オーブンで焼いた玉ねぎ

デザート
 チョコレートのスフレ 金柑のマリネとソルベ
 林檎のクランブル キャラメルジェラートとー196゜Cのバニラ

チーズ各種

パッと見て料理のネーミングが少々ダサい。
パスタ&リゾットをプリモピアット(第一の皿)としたのなら
メインではなくセコンドピアット(第二の皿)としてほしい。
なんか整合性に欠けるんだよなァ。

とにかくザッとこんな感じで選んでみたが
まず初めにメニューにも明記されていた、
能登赤土野菜のバーニャカウダが全員に振舞われた。
10種以上の野菜たちがかなりのボリュームで登場した。
おい、おい、これだけで腹一杯になっちゃうよ。
バーニャカウダ(熱い風呂)に仕立てられたソースも濃厚だしネ。
ただ、珍しい隼人瓜が仲間入りしていたのはうれしかった。

前菜の2皿はこんなものかナという印象。
カルボナーラは手打ちのタリオリーニでこれはおいしかった。
アメリケーヌは甲殻類の殻で出汁をとっている。
子羊と小鴨は水準をクリアしたものの、
記憶に残る、というほどではない。
ドルチェはめったにとらない主義につき、
すべてY里チャンの小さな胃袋に収まった模様だ。
それにしてもー196゜Cってのはスゴいや。

ほかに食指が動いた料理は

 白子のムニエル 蛤と生のりのスープ
 鰯とボッタルガ(からすみ)のリングイーネ
 コテキーノとボルロッティのリゾット

の3品である。
ちなみにコテキーノは豚の腸詰、ボルロッティはウズラ豆のこと。
この食材からはフランス南西部の郷土料理、カスレが連想される。

食べ終えての感想は全体に方向性が分散しており、
そのせいで食べ手の気もバラけてしまうのが残念。
メインは上記のほかに
佐賀県産の酵素ポークのグリルのみだから
必ずしも牛肉料理がある必要はないけれど、
やはり3皿では選択肢が狭く、寂しさを拭えない。

キャパが限られるためか、毎晩満席が続いている様子。
でも積極的にリピートする気にはなれないお店であった。
ズバッと1本、貫かれる柱が求められると痛感する。

=おしまい=

「チッタ・アルタ」
 東京都文京区小石川3-1-24
 03-6325-3703

2012年2月24日金曜日

第259話 伝通院でイタリアン (その2)

礫川公園の春日局像を尻目に富坂を上る。
この辺り小石川はもともと礫川と綴った。
“礫”の字を目にすると今もなお、
被災地に残る瓦礫の山が思い出されて心が痛む。
その処理はまだ5%にすぎないというではないか。
1年で5%じゃ単純計算であと19年。
これじゃ赤ん坊が成人しちゃうよ。

坂の途中にあった桜鍋の「みの家 小石川店」が
いつの間にか姿を消している。
ずいぶん前に暖簾を下ろしたらしい。
下町・森下の本店のほうは盛況のようだが
都内にはもう、馬肉専門店がほとんど残っちゃいない。
鯨みたいに諸外国の圧力がないのに残念なことだ。

坂を上りきり、伝通院前交差点に到着。
角を院に向かって右折したら
すぐ左手に目当ての「チッタ・アルタ」がある。
浅草の観音様に例えれば
雷門をくぐって仲見世に入るとすぐ左手という感じ。
ちなみに店名は「高台の町」の意味。

伝通院は徳川家ゆかりの古刹で
家康の生母、於大の方の院号から名付けられた。
交差点の反対側で生を受けた作家・永井荷風は
「おのれが生まれ落ちた浮世の片隅」と
この小石川一帯を表現している。

当夜は幹事のA子が突発事故で急遽欠席。
その穴を埋めたゲストが
来月挙式するK子のフィアンセのM本クンである。
したがっていつものようにメンバーは6名。
小体な店のカウンターに横並びした。

結婚まぢかの二人のためにプレミアムモルツで乾杯。
(事前にサッポロ赤星を飲んできて大正解)
ワインは白がピノ・グリージョ。
赤はブルガリアの何とかという銘柄とオルネライア。
琴欧州の脇の如くにブルガリアが甘かったけれど、
ほかの2種は比較的よい選択であった。

おまかせコース・・・¥5,500
前菜・パスタ・メイン・デザート(全8品)

当店のメニューはこれ一本ながら
料理の選択肢は幅広いものがあった。
6人横座りにつき、隣り同士が2人ずつ、
いろいろ頼んで分け合うことにした。

前菜6・プリモ6・セコンド3・ドルチェ5の
以上20皿から選ぶのだから目移りは必至。
どれをどうしたら全8品になったのか忘れたけれど、
とにかく隣りに座った新妻・Y里と検討に入った。

=つづく=

2012年2月23日木曜日

第258話 伝通院でイタリアン (その1)

昨日はパソコン不具合のため、
稿のアップが遅れてご迷惑をお掛けしました。
ごめんなさい。
先日のような書き忘れではありませんから念のため。

1月末にしては生暖かい夜。
グルメ軍団を自称するSKYAMKOの食事会である。
会場となったレストランは
文京区・小石川のイタリアン、「チッタ・デルタ」だ。
現地集合の19時にはずいぶん時間があり、
ヒマ人のJ.C.は独り、行きがけの駄賃を物色中だった。

文京区役所のあるシビックセンター近くに
「丸八本店」なる居酒屋を見つけて敷居をまたいだ。
“アタリ”の直感はなくとも
“ハズレ”はなかろうという自信はあった。
小一時間をつぶすに恰好の身の置き所と見えたのだ。

ビールはサッポロのラガー、いわゆる赤星。
以前は懐かしさにもあと押しされて
“あれば頼む”を実践していたが
ある折に黒ラベルと飲み比べて唖然とした。
文句なしに黒ラベルのほうが上だった。
そりゃそうだよ、造り手だって赤星のほうが旨けりゃ、
主力を替えずにずっと造ってりゃいいんだから―。

でも、嫌いではないからいただきました。
突き出しに河豚皮の煮こごりが2切れ出たが
別段どうということもなく、
あとにイタリア料理が控えているので1つ残した。
こりゃハズしちまったかな?

つまみはうなぎ小串と肝焼きを1本ずつ。
これが思いのほかよかったので気を取り直し、
太平山の燗をお願いした。
この手の店で上燗と言っても通じないから
熱燗とぬる燗の中間で、とお願いすることにしている。
ところが店によっては「難しいこと言うわね」などと
不快感をあらわにする女将がいたりもするのだ。
誰が決めたか知らないが、なぜ中燗と命名しなかったのか!
それなら広く人口に膾炙したであろうに―。

目の前にあるスカスカのネタケースには
冴えないスズキが身を持てあまし気味。
しかし、品書きには活スズキ刺しとあった。
おい、おい、そいつはどうあっても
“看板に偽りあり”だろうぜ。
ここへきてやはり当店はハズレに近いな、
そう思ったことだった。

春日の交差点から富坂を上ってゆく。
目当てのイタリアンは坂上の伝通院前にあるのだ。

=つづく=

「丸八本店」
  東京都文京区小石川1-4-14
  03-3814-0808

2012年2月22日水曜日

第257話 浅草公園の夜は更けて (その6)

「基寿司」の小上がり風座敷で宴もたけなわ。
白ワインを飲みきってお次は赤の番だ。
ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニョン、
モンテプルチアーノ、ジンファンデルと
セパージュが入り乱れ、
花菱アチャコじゃないがムチャクチャでござりますがな。

そこへにぎりの三の皿が運ばれた。
陣容はすみいか・大とろ・赤貝ヒモ巻き。
おっと、大とろを目の前にしてメタボOLの鼻息が荒い。
本まぐろの腹の脂身が遅からず本人の下腹部に
まとわりつくことをまるで自覚していない。
傍で見ていて哀れといえば哀れだ。

トドメの四の皿は小肌・いくら巻き・わさび巻き。
小肌とわさび巻きは親方がアンコールに応えてくれたもの。
江戸前鮨の原点ともいうべきこの2点の前では
竜宮城の鯛や平目の舞踊りもかすんでしまう。
もちろんまぐろとて同じこと。
鮨の王者は一にも二にも小肌をおいてない。

せっかく節分の夜にやって来たのだ、
オカミさんの許しを得て豆まきが始まった。
豆だのお面だの一式用意してきたのは幹事のM原クン。
敵役(かたきやく)の鬼に迫力がないから
盛上がり度もそこそこながら、みな大いに楽しんだ。
豆まきなんて何年ぶりかな?
ほとんど忘却の彼方だぞ!

散らかしっ放しの「基寿司」をあとにして二次会に流れた。
J.C.が目星をつけておいたのは
浅草ではきわめて珍しい24時間営業の「大勝館」。
知る人ぞ知る六区の同名劇場内の食堂だったが
本館の建替えに伴い、ひさご通りの脇に移動してきた。
もっとも建替えのほうは遅々として進まぬらしい。

この店では同名のよしみか、
かの有名な池袋「大勝軒」の中華そばを提供している。
経緯は存ぜぬが何かのハズミでこうなったものだろう。
夜も更けて気持ちよく酔いが回り、
さすがに中華そばに食指をのばすことはなかったものの、
キンピラをつまみに飲み直しだ。
おぼろげに思い出せば、ヤケに煮汁の多いキンピラだった。
ヒタヒタの汁にごぼうがシャブシャブしていたもの。

ホンの1時間足らずで二次会は終宴。
ここで帰ればよいものを
悪魔の声が耳元でささやいた。
誰かと思えば先刻の鬼である。
鬼役はイマイチだったが悪魔役は堂に入っているじゃん。
やれやれ。

そうして二人で出向いたのは二人共通の行きつけ店。
そう、田原町の隠れ家スナックである。
飲んで歌って疲れ果て、時計を見たら東京午前二時半。
もうちょっと騒いでいたいという悪魔をあとに残し、
またしても真夜中の帰宅となりましたとサ。

=おしまい=

「基寿司」
 東京都台東区浅草4-37-8
 03-3874-1751

「大勝館」
 東京都台東区浅草2-17-3
 03-3843-6084

2012年2月21日火曜日

第256話 浅草公園の夜は更けて (その5)

さあ、宴会が始まった。
乾杯もそこそこに各自、大皿の刺盛りに箸をのばす。
皿には真鯛・すみいか・赤貝とそのヒモ・つぶ貝・
車海老・かんぱち・まぐろ中とろが所せまし。
海の幸たちがおのおの自己を主張する姿は
まさに絶景かな、絶景かな。

「基寿司」名物のわさび巻きがしっかりと脇を固めている。
千切りの生わさびを巻き込んだ海苔巻きは大好物だ。
その千切りわさびとおろしたばかりの生わさびも
皿の各所にタップリと添えられている。
うれしいなァ! 楽しいなァ!
それもそうだヨ、
この店とのつき合いはわさびが結んだ縁だもの。

「神谷バー」、「正直ビヤホール」と
ビールを飲み続けたから、ここでは早めにワインへ移行した。
卓上に泡はなくとも白・赤のボトルが
じゅうぶんすぎるほど林立している。

大鉢が回って来たので中をのぞくと鮑の肝だ。
いや、ちょっと待てよ、よくよく見たらつぶ貝の肝であった。
ヌメヌメと照り輝くところにポン酢が掛っている。
つぶ肝を一つぶ口元に運び、
嚥下と同時にグラスのシャルドネで追いかける。
おおっと、清酒の助けを借りなくとも
白ワインでけっこうイケちゃう、イケちゃう。

ここへにぎりの一皿目。
小肌・〆さば・とろ鉄火の陣容である。
「基寿司」のにぎりは、
殊に小肌は、肩で風切る姿が鯔背(いなせ)。
江戸前にぎりの理想形は扇の地紙型といわれるが
肩が張ってエッジの立ったにぎりも実にいいモンだ。

「基寿司」の親方は一日で一番シアワセな時間は
つけ場で小肌をさばいているときだと言う。
会社に行くのがイヤでたまらないサラリーマン諸氏には
うらやましくもあり、耳が痛くもなる科白だろう。
よくぞ鮨屋に生まれけり、である。

続いた二の皿は、煮はまぐり・煮いか印籠詰め。
穴子の不在が気がかりなれど、
ここの煮ものは定評がある。

大勢のときはハナからあきらめねばならないが
独り、つけ台に着いたときは
仕込みのときに発生した濃厚なはまぐりの煮汁を
吸い物に仕立てて出してくれる。
数に限りがあるのでこれは常連の特権。
小ぶりのするめいか(ばらいか)を使ったいか印籠が
いかにも江戸前シゴト。
やりいかのそれよりも歯ごたえがあって男性的だ。

ここまで書いて、まだ終わらない。
お願いだから誰か止めておくれでないかい?

=つづく=

2012年2月20日月曜日

第255話 浅草公園の夜は更けて (その4)

浅草は観音裏の「基寿司」で9年前の回想の途中。
前回ふれたいさきの白子はこの店だけのもので
以来、他店ではただの1度もお目に掛かっていない。
生きものの精巣とは思いもよらぬ清涼な味覚だ。

蝦蛄(しゃこ)がまたよかった。
泣く子も黙る小柴産である。
この時代はまだ小柴の蝦蛄が健在だったのだ。
しかも出てきた5尾すべてが子ナシ。
俗にカツブシと呼ばれる腹子は
しっとりとした蝦蛄の食感を著しく阻害する。
「親父、なかなかデキるな」―あらためて襟を正した。

歯ごたえをキチンと残した穴子は見事な江戸前シゴト。
口の中でとろけるフニャチン野郎とは月とすっぽん。
永久歯の生え揃ったダイの大人が
離乳食みたいにヤワいのを有難がっちゃ、世も末だぜ。

親方は以前すぐ近所にあって
今は国際通りに移転した「重寿司」の出身。
独立して30年にならんとしている。
修業先の「重寿司」を訪れたのは1度きり。
鮮度オチの酢あじが匂ったせいで印象はよくない。
ほかの鮨種にも感心しなかった。
さすれば「基寿司」の親方は独立後初めて
自分の才能を開花させたことになる。

飲みものはキリンラガー、桃山ねぶた、田苑(麦)。
それぞれ存分にいただき、支払いは2人で1万8千円也。
あまりのレベルの高さ、良心的な会計に最敬礼だ。
これだから観音裏はおそろしい、あいや、ありがたい。

さて、今月3日、節分の夜である。
座敷に居並んだのは総勢13名。
せっかくだから顔ぶれを紹介しましょうか。
ここで数人にとどめると、省かれた輩がスネたり、
ひがんだりするので全員網羅せざるをえない。
書くほうも面倒だが読むみなさんもご苦労なこってス。
いや、お察しします。

それでは男女ごちゃまぜ、順不同で参ります。
泌尿器専門の医学博士と彼のフィアンセ、
某スポーツ紙の敏腕記者、中堅商社に勤めるITマン、
銘茶を製造・販売する会社の社長、某ホテルのパティシエ、
電気メーカーを退社した悠々自適生活者、
ハーピストと彼女の不肖の弟子、都心にビル所有の女社長、
婚活中の女薬剤師、ごくフツーのメタボOL、
といった面々だ。

各自ワインを持ち寄り、宴の幕は切って落とされたが
「浅草公園の夜は更けて」と題したこの稿、
いつまでたっても終わりゃあしない。
反省してまッス!

=つづく=

2012年2月17日金曜日

第254話 浅草公園の夜は更けて (その3)

「神谷バー」を右に出て1つ目の角を右折するとかんのん通り。
そこから新仲見世、オレンジ通り、伝法院通りを経由し、
ホッピー横丁に入って直進し、ひさご通りのアーケードを抜けて
言問通りにぶつかったら左側に「正直ビヤホール」がある。

H社長と落ち合って乾杯。
ついさっきまでアサヒの生だったが、ここではサッポロだ。
当夜は節分で豆まき用の豆が恰好のアテとなった。
滞在時間はホンの10分ほど。
1杯だけにしておいて、吉原方面に向かう千束通りを北進し、
一次会会場の「基寿司」に到着した。

この店との出会いは2003年6月。
土曜日の夕刻に散歩をしていてたまたま見つけた。
キリッとした店構えに好感を抱き、ちょうど晩めしどきなので
暖簾に染め抜かれた電話番号をダイヤルしてみた。

「もしもし、つかぬことをお訊きしますが
  お宅では生わさびを使ってらっしゃいますか?」
「ハァ?・・・(この間しばらく)・・・
  ウチではずっとそれでやってますけど・・・」
「そうですか、それじゃ15分後に2名、
  カウンターでお願いします」
「ハイ、判りました」

以上のやり取りが交わされ、
15分間つぶしてから意気揚々と乗り込んだ。
オカミさんにしてみたら
ずいぶん胡散臭い客だと思ったに違いない。
当方とてその自覚がないでもないが
入店して粉やニセだったら落胆の大きさははかり知れない。
よって鮨屋に初見参の場合、
必ず事前に電話を入れるようにしている。
転ばぬ先の杖とは、実にこのことである。

そうしてつけ台に落ち着いたのだった。
9年前の初夜のいただきモノを列挙してみる。

つまみ
 真子がれい昆布〆・小肌・まぐろ赤身・やりいかエンペラ・
 きゅうり塩漬け・出汁巻き玉子・さざえつぼ焼き・生とり貝

 蒸しあわびとその肝・いさき湯引き・いさき白子ポン酢
 たこ・しゃこ・あぶり平貝

にぎり
 あじ・中とろ・穴子
わさび巻き

お椀
 あさり味噌椀


例によって赤字が特筆モノ。
生まれて初めて食べたいさきの白子は
真鱈や虎河豚のそれを大幅に上回った。
かくしてイサシラは初夏の必食アイテムとなったのである。

=つづく=

「正直ビヤホール」
 東京都台東区浅草2-22-9
 03-3841-7947

2012年2月16日木曜日

第253話 浅草公園の夜は更けて (その2)

「神谷バー」、「BIG ECHO」、「Orange Room」と
夜中の3時半まで遊びまくって
本家フランク永井を呆れさせたその翌日。
午後5時に再びJ.C..オカザワの姿を
「神谷バー」で見ることができた。

いったいオメエは何やってんだ! ってか?
フン、ほっとけや!
あいや、失礼! 
親愛なる読者に向かって何たる言い草、
申し訳ないデス、反省しまッス。

そういやあ今は昔、南州太郎なんてコメディアンがいた。
「おじゃましまッス」、「反省しまッス」の太郎さん、
今頃どうしてるんだろう?
2年ほど前、TVの「水戸黄門」に出ていたらしい。
訃報を聞かないからご存命だろうが当年とって77歳、
アラン・ドロンと同い年のハズ。

同時期に活躍した東京ぼん太と早野凡平は
すぐ死んじゃったけど、この3人は好きだったな。
お笑い界も今じゃ吉本一辺倒。
日本の喜劇は時の流れとともに退化してんじゃないの。

そう、そう、連夜の浅草「神谷バー」である。
おっと、その前に昨日(15日)の午後のこと。
しばらく会ってなかった飲み友のK美から電話があった。
「ねェ、J.C.、浅草公園ってどこにあるの?
 『花やしき』のことじゃないよネ?
 川沿いのお花見する場所かな?」

オミャアはバキャか!
ハッキリ言ってこの者は馬鹿である。
名古屋人でもないのに手羽先を揚げたのが好物だし、
町の唐揚げスタンドの常連でもあるらしい。
しっかし、頭が悪いうえに味覚オンチときちゃあ、
お先真っ暗もいいところ、真っ当な男はつき合っちゃくれめェ。
「花やしき」は遊園地、花見するのは隅田公園だよ、ったく!

そもそも浅草公園は明治6年の太政官布告によって
浅草寺境内が浅草公園と命名されたことに由来する。
この公園を逆さまにして園公、そのエンコウが詰まってエンコ。
やくざ者が浅草をエンコと呼ぶ所以で上野をノガミというが如し。

「神谷バー」は編集者のK原サンとの打合せ。
談論風発しつつも生中を2杯やっつけた。
ちなみにここの中ジョッキは他店みたいにケチケチしない。
ほとんど大ジョッキに等しいのだ。
さすがは浅草を代表するビヤホールでリスペクトに値する。
おう、おう、ヨソもしっかり見習えよ!

お互いあとが押しており、1時間少々で切上げた。
そこへ19時から席を同じゅうする予定のH社長からメールが飛来。
宴会が待ちきれず、一杯飲ってるからジョインせよとのお達しだ。
こちらも嫌いじゃないから零次会(一次会の前のこと)に
いそいそと出掛けて行ったのであり申す。

=つづく=

*「神谷バー」のデータは前回を参照してください

2012年2月15日水曜日

第252話 浅草公園の夜は更けて (その1)

元来、好きな街だからヒマさえあれば出向いていくが
規模の大小に関わらず、ここで宴会を企画すると
一様に色よい返事が戻ってくる、そんな街が浅草だ。
東京広しといえども江戸の名残りを色濃く残す街は
エンコ(園公)以外にありゃしないと極言しても
あからさまな異論が出ることはなかろう。

行きつけのおばんざい屋、
神保町「やまじょう」でよく顔を合わせるものの、
このところしばらく会ってなかったN濱クンと
「たまにゃ~、飲むかいの?」てなことになった。
「やまじょう」の娘のM由子がパリから帰国中とあって
3人で飲んだくれる手はずとなったが
歌好きのM由子がカラオケを熱望したこともあり、
もう少しアタマ数を増やす流れと相成った。

当夜、顔を揃えたのはほかに
C里チャン、A野ッチ、C枝子サン、K石クン。
総勢7名が浅草のランドマーク、「神谷バー」2階に集結した。
正式には1階が「神谷バー」で2階は「レストラン・カミヤ」。
なあにかまうことはない、
常連は1・2階合わせて「神谷バー」との認識だ。
雰囲気のある2階の居心地が断然いいし、
ノイズもタバコの煙りもぐっと少なく、
いちいち食券を買うわずらわしさからも解放される。
串カツ・鳥唐揚げ・カキフライで(揚げ物ばっかりやな)
生ビールを心ゆくまで堪能した。
ちなみにJ.C.は串カツとカキフライは好物だが
唐揚げを自分から注文することはまずない。
昨今の唐揚げブームは、ありゃいったいどうしたことだ。
輸入物の安い鶏肉に気色の悪い味付けをしおって。
現代日本人の味覚はかくも乱れけり。

女性陣はオサレにも白&赤ワインをたしなんでおる。
そのあと、いろいろ料理が運ばれたが
口にしてないから覚えちゃいない。
チェーン展開するビヤホールよりはマシなれど、
もうちょいとフードが充実してくれればありがたい「神谷」だ。

ここでJ.C.が提案したのは
カラオケボックスにおける曲選びに充てる時間のセーヴ。
誰かが歌っているときに
ほかの連中が必死こいて歌本パラパラってのは実に愚かしい。
よって7人が各自4曲ずつ、あらかじめリストアップしておき、
徒歩30秒の距離にある「BIG ECHO」へ移動したのである。

でも、やっぱダメだった。
風情のないカラオケボックスはどうも性に合わない。
次から次へと歌ばかり続いて、会話も何もあったもんじゃない。
老兵にはちょいとイカしたママのいるスナックが一番だわい。

そうしてこうして夜が更けて、最後に残ったのはオリジナルの3人。
伝法院と六区をつなぐフラワー通りの「Orange Room」にシケ込み、
飲んでしゃべって迎えた時刻は、東京午前三時半ときたもんだ。

♪   真っ紅なドレスが よく似合う
   あの娘想うて むせぶのか
   ナイト・クラブの 青い灯に
   甘くやさしい サキソフォン
   ああ 東京の 
   夜の名残りの 午前三時よ ♪
        (作詞:佐伯孝夫)


草葉の陰じゃフランク永井が
ほとほと呆れて果てていたことだろうよ。

=つづく=

「神谷バー」
 東京都台東区浅草1-1-11
 03-3841-5400

「Orange Room」
 東京都台東区浅草1-41-5
 03-3842-5188

2012年2月14日火曜日

第251話 細魚と真梶木

だしぬけに問題です。
サブタイトルの「細魚と真梶木」は何と読むのでしょう。
これがスンナリ判った方は大したサカナ通ですな。

まっ、真梶木のほうはちょいと頭をひねれば
マカジキと読めますよネ。
ところが細魚のほうはちと厄介でしょう?
細い魚、白魚のような細い指の連想から
白魚の当て字なんて発想が浮かぶかもしれません。
正解はさより、これは針魚とも書きます。

浅草・馬道の「弁天山美家古寿司」では
サヨリを軽く〆、かたつむりの殻みたいにグルッと巻き、
淡い緋色のおぼろをカマせてにぎる。
これを口元に運ぶとき、訪れた春の歓びを実感したものだ。

サヨリは透明感のある身肉と裏腹に真っ黒な腹膜を持つ。
これは体内に取り込んだ植物性プランクトンが
太陽光に反応して光合成するのを防ぐためである。
酸素の気泡で消化器が膨満すると命取りになりかねない。
消化器保護のためにあらかじめ消火器の役割を担っているのだ。

昔から色白のくせに腹黒い美人を細魚のような女という。
そして腹黒毒婦に誘惑されるまま惹かれてしまい、
ついには溺れる男たちをサユリストならぬサヨリストと呼ぶ。
と、これは冗談。
いずれにしろ、食味のよいサカナであることに間違いはない。

一方のマカジキはきわめて珍しいサカナ。
漁獲量が少なく、なかなか市場に出回らない。
一般に流通しているのはほとんどメカジキである。
ソテーやグリルにはメカジキがよいが刺身は断然マカジキだ。
白っぽいメカジキに比べ、マカジキは赤身が濃い。
オレンジというか、ガーネットを帯びた色。
そのぶん鉄分の酸味が立ち、本マグロの赤身に似ている。

「美家古寿司」ではヅケや昆布〆で供され、
銚子沖で銛(もり)に突かれて仕留められたものは
突きん棒と呼ばれ、珍重される。
イタリアはシチリア島のマグロ漁と同じ漁法だ。

カジキ類は水中において最速のスピードで泳げる生物。
これはギネスブックにも記載されている。
鋭く突き出た口吻で獲物をしとめ、捕食する。
あんなんで突かれたら、たまらんだろうな。

ここでハナシは前回に戻ります。
鬼と夜叉にいたぶられ、ラーメン・餃子を恵まれ、
東上線に乗って帰路に下車したのは終点・池袋。
あとはヤサに戻って眠りこけるだけだが
ふと思い、東武デパート地下の食料品売場へ。
晩酌の肴を買い求めに立ち寄ったのだ。
一睡もしてないわりに、われながら元気だよまったく。

ここで見つけたのが細魚と真梶木であった。
下あごだけが発達した細魚、上あごだけが発達した真梶木。
まさしく好対照で世の中にはいろんなサカナがいるもんだ。

帰宅後、熱い風呂に入り3時間ほど仮眠して
アサヒビールと菊正・上撰で楽しい独酌。
”春浅し 隣りは何を する人ぞ”
てなもんや三度笠。
紅いマカジキ、白いサヨリ、
ともに繊細な旨みを持つ刺身とて
わが卓上はにわか”紅白舌合戦”の様相を呈した。

翌日の原稿を書き忘れたくらいなので
写真を撮るのも失念いたしました。

2012年2月13日月曜日

第250話 忘れてドウモすいません!

お待たせしました。
恥ずかしながら本日は大チョンボの巻。
ただいま朝の9時15分。
自分のブログをのぞいてみたら
あれれ、何にもアップされてないぞォ!
それもそのはず、てっきり書き上げたつもりでいた原稿を
コロリ書き忘れていましたとサ。
でもって、おっとり刀で書き始めた次第であります。

どうしてこんな、
”勘違い コタツで母の 手をにぎり”
になったのかというと、
これまた恥の上塗りを告白しなければなりませぬ。

時間を2日前、土曜の昼下がりに戻してみたい。
その日は夕方から高校同期のメンバーによるおやじバンド、
「小田切バンド」の演奏会が大塚駅前のライヴハウスであった。
彼らの兄弟子バンド、「ザ・メッツ」がメインなのだが
ほかにもグランドハープやら寸劇ミュージカルやら
新春シャンソン・ショーやら、まことに盛り沢山の演奏会だ。

最後に「想い出の渚」が鳴り響いたときにゃ、
還暦を迎えたオジさんオバさん(爺さん婆さんか?)が
それはもう大盛り上がりで跳んだり跳ねたり、
存分に日頃のストレスを発散しましたとサ。
こちらは演奏前から打上げの二次会までずっと飲み続け、
したたかに酩酊しておった。

実はその前にも上野の立ち飲み屋「カドクラ」で
レバテキとポテサラ入りハムカツをつまみに
ビールとマッコリをやっつけて来た。
この店は常に昼間っから大盛況。
何せ、大瓶350円は上野で最安値、
いや、おそらく全東京でも最安であろうよ。

二次会も沈静化に向かった21時過ぎに
K木・I 﨑両夫妻と一足先に引き上げ、
チンチン電車で大塚から東池袋へ移動し、
今度は駅前の「揚州商人」でまたまたビール。
1人前200円ほどのおすすめ小皿料理を3種類、
2人前ずつ取り、あとは何だったかなァ、
そうそう、小籠包を1粒ずつ食べたっけ・・・。

さて、問題はその次だ。
東京の北西のはずれ板橋区。
そのまたはずれの赤塚のI 﨑家へ連行(拉致?)された。
そこでまたもやビールを飲みながら、まず夫と将棋を2局。
1時間もかからずに、あえなく連敗と相成りましたとサ。

さてさて、大問題はその次だ。
今度は妻と花札である。
いつもはコケにしているカモネギ婆さんだが
この夜は強いのなんのっ!
赤タン、青タンなんざ数え切れないほど、
果ては本四コウに五コウまで作られた。
オラ、こんなコイコイいやだァ!

結局は薬局、場が閉じられたのは翌朝、
いや、翌昼の11時と来たもんだ。
実に12時間も札を繰っていたことになる。
2人にコテンパンにやっつけられ、
ついでに慰められて下赤塚駅前の安いラーメン屋へ。
380円のラーメンと100円の餃子を”恵まれ”て
失意のままに帰宅の途に着きましたとサ。
おかげで原稿を書き忘れちまったじゃないか!

鬼の亭主に夜叉の女房とは
こういう輩(やから)をいうのである。
翔んだカップルどころか、トンデモねえカップルだぜ。
ケッ!

2012年2月10日金曜日

第249話 権平さんの中華そば (その2)

豊島区・巣鴨新田の「千通食堂」を訪れている。
留守だったオカミさんが戻って来た。
宵の口から客が居るので驚いた様子ながら
自然に愛想笑いではない微笑が口元からこぼれた。

でき上がった肉野菜炒めは
昭和30年代の中華屋の味がする。
味の素が主張しすぎるものの、
当時は赤いキャップの小さな瓶が
どこの家庭のちゃぶ台にもあったのだから致し方なし。

ビールから燗酒に切り替える。
初めておジャマしたときに銘柄を訊ねるまでもなく、
「ウチは昔っから剣菱ですよ」―誇り高く宣言されたものだ。
近頃あまりお目に掛からぬ剣菱は
江戸の昔から江戸っ子をうならせてきた銘酒である。

コップ酒を傾けつつ、老夫婦との会話が始まった。
壁に掲げられた表彰状に話題が及び、
これは本業の食堂へではなく、
副業のタバコ店に専売公社から贈られたもの。
昭和33年の販売コンクールにおける優秀賞であった。

33年は赤線が廃止された年。
これを境にかつて三業地として隣りの池袋より盛った、
栄光の過去を持つ大塚の衰退が始まる。
それでも都内有数の盛り場だったから
そのスジのお姐さんがまだまだうごめいていた由。
男の喫煙者だけではタカが知れており、
姐さんたちのかさ上げがあってこその優秀賞である。

表彰状の宛名は高塩権平殿。
新潟出身の権平さんといえども
ずいぶん時代掛かった名前じゃないッスか。
訊けば、権平さんの父親は景虎さんだとサ。
一瞬、耳を疑いました。
高塩景虎、まるで戦国時代の武将だぜ。
新潟県人はいまだに上杉家再興を夢見ているのだろうか。

今年87歳になるはずのオカミさんは小千谷の出だが
85歳の権平さんは小千谷の奥のそのまた奥で生を受けた。
時をほぼ同じくして上京して来た二人は
飯田橋・富士見町で運命の出会いを遂げる。
何でもオカミの伯父さんに当たる人物が
当地で食堂・中華屋・飲み屋を計3軒、手広く営んでおり、
看板娘の彼女はかけ持ちで八面六臂の活躍だったそうな。
そこへ近所に同郷のいい若い衆がいるってんで
世話好きの親類が権平さんに引き合わせたとのこと。
まったくもって”富士見の恋の物語”である。
こういうハナシは聞いていて飽きないや、ジッサイ。

2杯目の剣菱を飲み終える頃、
ラーメン(450円)が湯気を立てて登場した。
焼き豚2枚・海苔2枚・ナルト1枚、
真ん中にはきざみねぎがこんもりと―。
麺はややぶとチヂレでほどほどのコシ。
スープはまぎれもない醤油味にして昭和味。
開業以来、味も作り方も変えていない権平さんのラーメンだ。

品書きではラーメンだが、こいつは中華そば、
いや、支那そばと呼ぶのが正鵠を射ている。
ところがどっこい、パソコンに”シナ”と入力しても
”支那”とは出て来ぬ、情けないこのご時世。
フン、腰抜けパソコンメーカーに倣い、
一応は体裁をつくろって中華そばとしておくが、
結局は薬局、支那そばは支那そばであろうよ。
誰が何と言おうとも!

「千通食堂」
 東京都豊島区西巣鴨1-5-10
 03-3917-2283
 

2012年2月9日木曜日

第248話 権平さんの中華そば (その1)

お婆ちゃんの原宿の異名をとる、
巣鴨のとげぬき地蔵ストリート。
べつに婆ちゃんが恋しくなったわけでもないのに
通りをぶらぶらと散策していた。
人通りが少ないのは冷たい風のせいだろう。
今年の冷え込みは年寄りの身体にドクだ。

曇ってるからよう判らんが、そろそろ夕暮れどき。
世間一般の常識からして晩酌を始めても
白い眼で見られない時間帯に差し掛かりつつあった。
いや、まだちょいと早いかな? 
うん、早いよ、だって飲み屋が暖簾を出してないもの。

近くには通し営業を貫く大衆食堂が何軒かあるから
落ち着きどころを探すのに苦労はない。
ただ、もうちょっと歩き回って
エネルギーを発散しようという気があった。
ノドの渇きもイマイチだからビールの旨さもそこそこ止まり、
それでは今日一日に悔いを残すことになる。

ピカッとひらめいて進路を大塚方面にとった。
正確には巣鴨新田なる一角で
都内に唯一残るチンチン電車、
都営荒川線には同名の停車場がある。

目的地は「千通食堂」 。
店名は”ちどおりしょくどう” と訓じる。
齢(よわい)八十を超えるご夫婦二人きりで営む食堂だ。
オヤジさんが83歳、オカミさんは87歳の姐さん女房。
傍目にも仲のよさが伝わってくるおしどり夫婦と見受けた。

北大塚3丁目交差点そばの角地に店はある。

この佇まいに魅了された

まずは、よお~くご覧ください。
中華そば屋・たばこ屋・大衆食堂が三位一体となり、
単にレトロなんて言葉で表現してほしくないほどにレトロ。
これには真っ赤な「三丁目の夕日」も真っ青だろう。
われながら上手いネ、どうも。
最近は誰もほめてくれないから自賛することにしております。
悪しからず。

オカミさんの姿が見えないのは気にかかるが、とりあえずビール。
銘柄はキリンラガー、その大瓶だ。
カウンターの中でオヤジさんが
何かをガシガシ削り始めたと思ったら
小ぶりの冷奴がお通し代わりに運ばれた。
力をこめて生姜をおろしていたんだネ。
サービスの冷奴におろし立ての生姜を添えてくる、
これだけで善人にして良店であることが知れようというものだ。

かなり歩いたし今日は健康的な一日にしようと考えて
野菜の補充を試み、肉野菜炒め(580円)を所望した。
壁の品書きを見上げると、串かつ・とんかつ・ハムエッグ、
焼き魚に中華モノ全般と、何でもありの様相を呈している。
でもここへ来たら締めはほとんど支那そばと呼びたい、
中華そばに決めてるもんネ、浮気はせんもんネ。

そこへガラリと引き戸が開き、
出掛けていたオカミさんが戻って来た。

=つづく=

2012年2月8日水曜日

第247話 冬の散歩道

♪  Time,Time, Time, see what's become of me
  While I looked around for my possibilities.
  I was so hard to please.
  Look around, Leaves are brown,
  And the sky is a hazy shade of winter.  ♪

だしぬけの横文字で失礼サンにござんす。
手前、この曲が大好きにござんす。

サイモンとガーファンクルの「冬の散歩道」。
ポール・サイモンの手になる佳曲は1966年の作品だが
出会ったのは’68年頃だったと思う。
高校2年の半ばにサッカー部をやめ、お気楽な放送部に転部。
昼休み、放課後には部室にこもって繰り返し聴いた。

歌詞はだんだん哲学的になり、難解な要素を帯びてくる。
人生の挫折と明日への希望が入り混じって
冬来たりなば春遠からじ、日本のことわざを連想させもする。

1980年代に活躍したアメリカの女性ロックバンド、
バングルスがこの曲をカバーしてリバイバル・ヒットさせたが
本家の持つキレ味、奥行きには遠く遠く及ばない。
曲の魂を理解しないままに歌っちゃったのだろう。

1994年に放映されたTBSのドラマ、
「人間・失格」の挿入歌に採用されたから
覚えておられる方も少なくないと思う。
TBSは主題歌としたかったが
P・サイモンの認可が得られず、挿入歌にとどめたようだ。

月に2~3回、本郷の東大キャンパスを歩く。
学食で食事をしたり、散歩の途中に縦横断している。
原則、部外者立入禁止だが知るもんか。
都心の一等地に広大な敷地を占める国立大じゃないか。
”構内に立入ることなくグルリ迂回せよ”―
そんなシャレた文句、傲慢な態度は
お釈迦様も観音様もけっして勘弁しやしねェよ。

普段、散歩する場所は主に台東区と文京区。
台東区なら浅草寺のウラオモテに吉原と山谷。
あとは上野公園・不忍池・御徒町界隈だ。
文京区だと谷根千(谷中だけは台東区)のほかに
湯島・本郷・小石川といった町々である。

去年のクリスマス・イヴ。
「東大中央食堂」で赤門ラーメンを食べたあと、
正門に向かい歩いているとき、この光景に出食わした。

西洋絵画的、パリにでもいるような・・・

おもむろにポケットからデジカメを取り出してパチリ。
モミジの紅葉もさることながら、イチョウの黄葉も実にけっこう。
大自然には紅葉、大都会には黄葉といったところか。

シャッターを切ってほどなく、いきなり頭の中に鳴り響いたのは
♪ ダダダダダダダダーン ダダダーン ♪
「冬の散歩道」のあのイントロでした。

2012年2月7日火曜日

第246話 酢がきとかき酢 (その3)

どちらも美味なる酢がきとかき酢だが
肝心なのは甘酢の準備だ。
煮立ててから冷ます時間が必要なので
かきを洗浄する前に作っておいたほうがよい。

用意するのは、純米酢・水・砂糖・塩・日本酒。
分量は適当ながら日本酒は少なめでけっこう。
なあ~に、味見をしてみて
酸味が足りなきゃ酢を、甘みが足りなきゃ砂糖を、
あとから加えりゃいいんだから神経質になることはない。
以上をひと煮立ちさせ、そのまま冷まし、
粗熱が取れたら冷蔵庫でしばし冷やす。

洗浄を終え水分を取り去ったかきを小鉢に移し、
上からひたひたに甘酢を張れば、かき酢の出来上がり。
マイルドな酸味を好む向きは
かきを甘酢にくぐらせるだけでOK。

よく、割烹や居酒屋で殻付きのかきに
もみじおろしと小ねぎとポン酢を掛けたのに出食わすが
ありゃ旨くもなんともございませぬな。
まるで馬鹿の一つ覚えの典型例、
創意工夫がないところに進歩は生まれない。

次に酢がき。
J.C.はこちらをより好む。
上記の要領で甘酢ひたひたのかき酢を作り、
数十分、数時間、あるいは半日、はたまた1日、いえいえ2日、
好みの塩梅に〆ると、かき酢が酢がきに昇華する。
〆具合浅め、深め、ともにそれなりのよさがあり、味わい深い。

今の時期なら甘酢に柚子皮を数片泳がすのがオススメ。
見た目美しく、香りかぐわしく、よくぞ日本に生まれけり、である。
しかもかきのあとに残った柚子酢が燗酒のアテにピッタリなのだ。
酢と酒の盃を二つ仲良く並べ、
こっちチビチビ、あっちチビチビ、こりゃたまりやせんぜ。

男やもめなら、かきを300g も買ってくりゃ、
丸3日は楽しめようというものだ。
「3日も続けて食ってられるかい!」―そりゃそうですわな。
当方まったく意に介さずとも、フツーの人はそうですわな。

かき酢に100g、酢がきに100g、要したとしてもまだ100g。
残ったかきの使い道として推奨したいのは、かきの深川めし風。
白・赤・八丁、好みの味噌と日本酒で
かきと長ねぎをサッと煮立て、ごはんに掛けるブッカケ飯だ。
上から一味・七色・粉山椒、自由に振ればなおよろし。

深川めしは下町の漁師のまかないで主役はあさりのむき身。
あさりの代役を務めてもらって、かきの深川めしというのは
何ともおざなりなネーミングじゃないか。
産地にちなみ、広島めし、松島めしと呼びたいところだが
それじゃあ、ちょいと芸がなさすぎる。
ここは一番、瀬戸内めし、みちのくめしと
小粋な名前をプレゼントしてやりたいものですな。

=おしまい=

2012年2月6日月曜日

第245話 酢がきとかき酢 (その2)

前回の稿に関して読者から質問が寄せられた。
かきの洗浄の仕方についてである。
肝心なことなのに説明不足で失礼しました。

それでは、かきの洗浄方法。
買い求めたかきをザルにあけ、万遍なく塩を振ったら
ザルを小刻みにすばやく左右に振り続ける。
するとかきは泡を吹き、灰色のアクが驚くほどに出てくる。
初めての方は本当にビックリしますよ。
思わず「ゲッ!」と声を出した御仁もいました。

ザルを30秒ほど振ったら
フライパンのオムレツの要領で中のかきをひっくり返し、
こちらも30秒振り続け、流水で丁寧に洗い流す。
ザルにしばらく放置して水気を切ったあと、
ペーパータオルで水分を完璧に拭き取る。
これにて完了。

さて、これまた前回の稿の最後に
”酢がきとかき酢を味わう”と書いたら
どっちも一緒じゃないか、どう違うんだ? との問い合わせ。
ふむ、ふむ、その疑問、判らぬではありません。
でも、これが違うんですなァ。

ブツを牡蠣から蛸に置き換えてみるとその違いは一目瞭然。
酢だことたこ酢はまったく別物でしょ?
酢だこは食紅に彩られた酸っぱい加工品で
よくお正月に食べられるヤツ。
一方のたこ酢はたこの足をわかめやきゅうりと合わせ、
二杯酢や三杯酢を掛け回したもの、ですよネ?

酢がきとかき酢も同様なんです。
では、それぞれの作り方。
その前にまず、かきは加熱用を買ってくる。
火を通さず生で食べるのに加熱用を買う。

なぜか?
かきは生食用より加熱用のほうが美味しいからだ。
基本的に両者の鮮度は変わらない。
違うのは養殖水域である。
加熱用はプランクトン豊富にして栄養価の高い水域で育つ。
そのぶん雑菌は増えても身がぶっくりと肥え太るワケ。
当然こちらのほうが旨いに決まっている。
このとき厄介な雑菌を滅却させるのが酢の役割なのだ。

酢の殺菌効果はすんばらしい。
そりゃそうだよ、酢は酒に酢酸菌をブチ込み、
発酵させて作るんだもの。
酢は英語でヴィネガー、仏語ではヴィネーグル。
仏語はvinaigreと綴り、これを分解すると、vin aigre で
何のことかと言えば、”酸っぱいワイン” なんざんす。

あらら、こういう話題になるとハナシがどんどん
あちこちに波及してなかなか終わりゃあしない。
また悪いクセが出てしまったけれど、
作り方はまた明日ということで―。

=つづく=

2012年2月3日金曜日

第244話 酢がきとかき酢 (その1)

牡蠣(かき)の美味しい季節である。
生がき・酢がきはもとより、
フライ・バタ焼き・グラタン・クリーム煮、
はたまた土手鍋・かき飯・かきピラフ、
どうやったって旨いんだから
この海の恵みには感謝してもしきれない。

巷(ちまた)では殻付きの生がきに
レモンを搾ったり、カクテルソースを垂らしてから
ツルリとやるのが第一等とされているが
果たしてそうであろうか。
おそれながらJ.C.はその意見に与しかねる。

1年近く前、当ブログの第9話でふれたのだが
わざわざクリックしていただくのはお手数なので
ここにもう一度、参考写真を貼り付ける。

①洗浄前

②洗浄後

とくとご覧いただきたい。
ぜんぜん違うのがお判りでしょう?
①のアブクとヌメリを見たら
そう簡単ににツルリとはいけやせんぜ。

開けたばかりの殻から身を食するのは
豊潤な海の幸をその汚れとともに味わうも一緒、
まさに清濁合わせ飲むことになるのだ。
O157を引き合いに出さずとも牡蠣で痛い目にあった御仁は
この世の中に星の数ほどいるハズ。
そのほとんどの原因は①の写真にあると言っても過言ではない。

さように洗浄は大事である。
若気のいたりでつい歯止めが利かず粗相をしてしまい、
行為のあとであわてて洗浄に走ってもらっても
あとの祭りになりかねないが、胃腸の弱い人にとって
牡蠣の洗浄は必要不可欠と肝に銘じていただきたい。

真っ当な鮨屋における江戸前シゴトの一つに
生の貝を甘酢にくぐらせてにぎるというのがある。
こういうハナシになると毎度ご登場願うのは
浅草の「弁天山美家古寿司」。
あすこでは赤貝にせよ、本ミルにせよ、北寄にせよ、
み~んなそうされてから鮨ににぎられる。

なぜか?
そのほうが旨いからであり、かつ衛生的であるからだ。
洗浄に加え、酢の効果にも一役買ってもらうのだ。
酢の殺菌力は酒精に匹敵するほど強力なものがある。
先人の知恵を侮ってはならない。
彼らは経験上、それを知っていた。
今、その手間を省く、というか、
シゴトを教え込まれていない半端な鮨職人が
いかに多いことか! 嘆かわしい。

次回は気を取り直し、
目からウロコの酢がき&かき酢を味わうといたしましょう。

=つづく=

2012年2月2日木曜日

第243話 渋谷に疲れて神楽坂 (その2)

渋谷は「富士屋本店」の地下と地上でハシゴしたあと、
向かったのは道玄坂の「京町恋しぐれ 渋谷店」。
ビルの4Fにある大型店舗は新宿にも姉妹店がある。

経営母体はシークレット・テーブル。
傘下には「今井屋本店」、「キリストン・カフェ」などなど。
「今井屋本店」は良質の焼き鳥を供するし、
「キリストン・カフェ」はアフターディナーに最適だ。
前者は料理、後者は雰囲気が気に入っている。

「京町恋しぐれ」は料理よりも内装と雰囲気の店。
町屋和食を謳うだけあり、幕末の京都を偲ばせる。
三条大橋を模した木橋が架かっているかと思うと、
おみくじを引ける神社まであるのだから半端ではない。

店内は大小織り交ぜてほとんど個室。
ホテルのルームよろしく入口にはナンバープレートが。
ひと月ほど前、取材で訪れたから様子は熟知しており、
二人連れがくつろげるベストスポットを押さえておいた。
三条大橋を窓から臨む、小ぢんまりとした部屋である。

この夜は友人のO.K.に店舗の設いを見せるのが目的。
よって飲み食いに軸足を置いていたのではない。
だからこそ行きがけに2軒も寄ってきたのだ。
しかも、このあとどこかに流れるに決まっている。

飲んだのは瓶ビール、そしてフレッシュライムサワー。
生のライムがあるとつい頼みたくなる。
相方も同じものをフォローしていたが
あんこサワーなどとおどろおどろしいのを試飲してもいた。

お願いしたのは馬刺しと岩手鶏の柚子塩蒸し。
主力商品の蒸篭蒸しは2人前からで
もうほかに何かを食べる気がしない。
主力をミニマム・2ポーションに設定すれば、
売上に寄与するだろうな。

快適な空間で会話もはずみ、ひとしきりして夜の街へ。
若者中心に人通りはいまだ絶えない。
若くないわれらはどこかへ移動したくなった。
箱の中に収まっているぶんにはよいが
箱から出てくるとすぐ疲れるのが渋谷だ。

目指したのは神楽坂である。
浅い時間なら第一感は「S寿司」のところ、
すでに日付が変わりそうな深い夜。
神楽坂の坂から一本入って見つけたのは
スペインバルの「Asador El Buey」だ。
「アサドール・エル・ブエイ」と発音するのだが
何がうれしくてこんな覚えにくい店名にするんだかァ。

バルなのにワインはやめて生ビール。
ノドをうるおしオリーヴをつまみながら
トルティーヤと牛もつグラタンを注文した。
牛もつは常々、下町で良品を口にしているから
この程度のレベルでは満足できない。
されど存在感じゅうぶんのトルティーヤは花マルだった。

店名はそれぞれ異なるが近所の本多横丁を皮切りに
次は銀座のはずれ、そしてこの場所と3軒連続の開業。
ふ~ん、けっこう儲かってるんだねェ。
スペインバルのブームは去ったと思いきや、
まだまだ生き残りの道はちゃあんとあるようで。

「京町恋しぐれ 渋谷店」
 東京都渋谷区道玄坂2-29-5 ザ・プライム4F
 03-3463-8866

「Asador El Buey」
 東京都新宿区神楽坂3-4
 03-3266-0229

2012年2月1日水曜日

第242話 渋谷に疲れて神楽坂 (その1)

たびたび指摘しているけれど、渋谷の街は歩きにくい。
スクランブル交差点からNHKに上ってゆく通りなど、
いつも歩道から歩行者がこぼれんばかりだ。

その坂を上りきったところに利用するヘアサロンがあるので
往来を余儀なくされるが人混みを避けるため、
歩道を降りて車道を歩くのが常。
そうでもしないと目的地への進行が遅々として進まぬ。
イヤな街だよ、渋谷の街は!

このほど料理店を開業した友人O.K.を伴い、そのイヤな街へ。
わざわざ虎穴に入ったのにはワケがある。
何かの参考に「こんな設いもあるんだぜ」と
見せておきたい店舗があったのだ。

その前に行きがけの駄賃。
渋谷に来れば立ち寄る「富士屋本店」で軽く一杯を目論む。
店の前に到着してハタと思い当たった。
ポケットの中には数枚の万札と小銭しかないぞ。
立ち飲み屋で万札を出したらイヤな顔をされるからなァ。

ここで即座に一計である。
地下1階にある「富士屋本店」の地上1階部分は
同系列の「富士屋本店 ワインバー」だ。
さっそく入店して両替をお願いした。
「地下でビールを飲んだら戻って来てワインを飲むからサ」―
われながら気の利いた言い訳ではないか。

地下にてサッポロ黒ラベルの大瓶を2人でシェア。
つまみは避けて通れぬ名物ハムキャベツだ。
これは千切りキャベツにハムのスライスがかぶさってるだけ。
ただそれだけなのに人気を呼び、当店の定番になった。
支払いはたったの750円、破格のすべり出しである。
渋谷にもこんな店があるものである。

地上に移動してピエモンテの赤、バルベーラ・ダスティを。
グラスを傾けながら本日のオススメを吟味する。

 鮪の生ハム 450円  仔羊のテリーヌ 450円
 自家製コンビーフ 500円  自家製ロースハム 550円
 穴子とフォワグラのテリーヌ 600円  メンチカツ 400円
 芽キャベツのブレゼ 500円  カキのアヒージョ 650円


2人、意見の一致を見て頼んだ2品はまず穴子。
赤ワインとイチヂクのソースで来たが、こりゃ生臭くてダメだよ。
フォワグラとのコラボが不発に終わった結果だネ。

カキのアヒージョはまずまず。
アヒージョとはスペイン名物のニンニクオイル煮のこと。
通常は小海老を使用するが、カキはカキでまたよし。

さあて、ここからはいよいよ目的地。
勤皇の志士を気取り、”幕末の京都”にタイムスリップを試みる。

「富士屋本店」
 東京都渋谷区桜丘町2-3 富士商事ビルB1
 03-3461-2128

{富士屋本店 ワインバー」
 東京都渋谷区桜丘町2-3
 03-3461-2128