2012年11月30日金曜日

第459話 昔恋しい高砂の町 (その3)

何だ、高砂はまだ=つづく=のか? ってか?
ええ、でも今回で終わりますから
今しばらくのご辛抱を!

8年前、高砂に2軒の店を訪ねたが
駅前の小料理屋「T」はすでにない。
ひょっとすると屋号を変えただけで
女将も料理もそのままかもしれないけれど・・・。
線路の反対側のスナック「M」はどうなったかな?
実はあれ以来、再訪していないのだ。
何となくああいうのは一夜限りがよいのでは? 
と思いましてネ。

バック・トゥー・ザ・プレゼンスの2012年秋。
M鷹サンと高砂駅で落ち合い、
いかにもベタな店名の「トリス酒場」を目指した。
町の評判はいい店らしいが金町の「ブウちゃん」しかりで
葛飾の経営者はあまり名前にこだわらないらしい。
フーテンの寅さんが帰る柴又の団子屋も「とらや」だもんな。

酒場の止まり木に二羽の夕雀が止まった。
ビールはハートランドの中瓶、これで乾杯する。
突き出しは牛もつ煮、だしぬけにもつ煮込みは珍しい。
M鷹サンが野菜のピクルスを注文した。
野菜と食酢でダブル・ヘルシーな一品だ。

芋焼酎・三岳のロックに切替え、スモーク盛合わせを追加。
ししゃも・サラミ・チーズ・ゆで玉子・さつま揚げの陣容は
可も不可もナシといったところか。
トリスのハイボールが20時まで1杯190円だという。
ウイスキーをあまり好まないのと、さすがにトリスはなァ・・・
そんな気持ちが入り混じったものの、
ダメ元でいっときましょうヨ、相方と合意にいたる。
結果は・・・、ハイ、お察しの通りでありました。

2軒目もあらかじめ目星をつけておいた「たかだ」。
居酒屋というか洋食屋というか、まあ、そんな店だ。
口直しにサッポロの生ビールを流し込む。
お通し代わりにスルメイカとホタテの刺身がきた。
マグロや白身と違い、
こういうものは店によってそれほどの差が出ない。
下調べでは人気だった具だくさんの五目せいろを一人前注文。
J.C.とは逆にM鷹サンは飲むよりも食べるほう。
素直に情報に従ってくれたのだった。

運ばれた五目せいろは五目を名乗るだけあり、
海老やら蟹やらいくらやら、滅多やたらに盛込まれている。
盛込まれてはいるが、見るからに素人仕事で垢抜けない。
家庭の主婦でも料理上手ならもうちょっと小粋に器を彩るハズ。
おすそ分けの蟹をつまむと、
解凍を失敗してスカスカじゃないか!
われら顔を見合わせたきり、しばし会話が途切れる。
昔恋しい町なれど、今おいしい町ではなかった高砂、
面目丸つぶれの苦い一夜であった。

=おしまい=

「トリス酒場」
 東京都葛飾区高砂8-12-14
 03-5660-5454

「たかだ」
 東京都葛飾区高砂8-26-1
 03-5699-1531

2012年11月29日木曜日

第458話 昔恋しい高砂の町 (その2)

かれこれ8年ほど前のハナシをしている。
その夜、京成線の高砂駅前に来ていた。
昔恋しい高砂の懐かしい「T」がまだ暖簾を掲げていたのだ。
若女将の変容ぶりにたじろぎながらもカウンターに着き、
あらためて目の前の女将と目を合わせた。

ありゃりゃ、なあ~んだ・・・そうだったのか!
思うのと同時に
「お客さん、ウチ初めてですよネ?」
「それがそうじゃないんだなァ」
「あら、いらしたっけ?」
「うん、ずいぶん昔になるけど・・・」

こんな会話が交わされたがなんのことはない、
目の前の女将はT子とは別人なのだった。
そりゃそうだろう、似ても似つかないもの。
しかしながら遠目で見るより近目のほうが
整った顔立ちで、これは珍しいケースといえよう。
昔から”夜目遠目笠の内”っていいますからネ。

ビールと一緒に出ためかぶポン酢の歯ざわりがいい。
刺身は真子がれい・かつお・〆さばの盛合わせ。
料理に限ると、昔よりずっといいんじゃなかろうか。
麦焼酎の神の河に移行し、お次は鰯の塩焼きだ。
ややっ、これも水準が高いゾ。
鮮度も焼き加減も申し分ない。
いや、実に感心したのだった。

ひとしきり落ち着いて女将との会話が始まる。
居抜きで店名ごと店を引き継ぎ、丸8年になるそうだ。
駅から1分という立地も幸いし、客入りはまずまずだと言う。
呑ン兵衛オヤジのディープタウン・立石と異なり、
青砥・高砂の食レベルはけして高くないのに
大健闘の一軒と言ってよい。

ハナシは当然、先代の女将・T子に及んだ。
すると、彼女は線路の反対側で
スナックを経営しているというではないか。
こりゃ是が非でも立ち寄らずばなるまい。

でもって踏切を渡りました。
スナック「M」はすぐに見つかりました。
四半世紀ぶりの再会に思い出話の花が咲き乱れました。

店内にはT子ママのほかに若い娘が一人。
何とこれがT子の愛娘のM子嬢で
店名は彼女の名前に由来している。
実はこの娘(こ)がまだ母親に抱かれている時分、
二度ほど見たことがあるのだ。
いや、まいりましたネ。
そんなこんなで楽しい宵となりました。

その夜更け、どうやって家に帰ったのかトンと覚えていない。
いえ、酔っぱらったからではなく、
8年も前だから思い出せないだけですって―。

=つづく=

2012年11月28日水曜日

第457話 昔恋しい高砂の町 (その1)

 ♪ 昔恋しい 銀座の柳
   仇な年増を 誰が知ろ
   ジャズで踊って リキュルで更けて
   明けりゃダンサーの 涙雨   ♪
         (作詞:西条八十)

昭和4年の流行歌「東京行進曲」を
佐藤千夜子の歌声で聴きながらコレを書いている。
youtubeが映す御茶ノ水界隈の古い映像が心を洗う。
聖橋のアーチは今も御茶ノ水橋から眺めることができるが
駿河台に屹立していたニコライ堂は
今やビル群に消えて目視不能となってしまった。

昨日紹介したにせどろ酒場「ブウちゃん」を
つい先日、再訪した。
のみともM鷹サンとの待合わせまで小一時間ほどあり、
時間つぶしに金町にやって来たのだ。
気に入りのわさび茎漬けでボールを2杯飲み、
京成・金町線に揺られて高砂に向かった。

京成高砂にはかつてよく飲みに来た。
松戸在住の頃で1970年代後半から80年代初頭にかけてだ。
バイト先の同僚が高砂の団地に住んでおり、
彼の中学の同級生が駅前の小料理屋で若女将をしていた。
家族経営の佳店であった。

店の名前は「T」。
彼女の名前のC原T子に由来している。
暴露しちまえば、”T”は絶滅した日本古来の野鳥の名だ。
彼女は葛飾区にはもったいない(めんご!)ほどの美形で
近所のオヤジさんたちにとってマドンナ的存在だった。

もう何年も前になるが、たまたま高砂で下車し、
ものはついでと四半世紀ぶりに訪ねてみると、
驚くなかれ、暖簾に「T」と染め抜かれているではないか。
いやはや、ビックラこきました。
虹色の思い出が走馬灯のように・・・
いいえ、こんな使い古された陳腐な表現はやめよう。
胸の奥で柘榴(ざくろ)の実がつぶれたような酸っぱさを感じました。

大女将は引退しているだろうがT子はまだ現役かもしれない。
珍しくもJ.C.、ジャケットの襟を正して暖簾をくぐった。
すると・・・、するとでっせ、Oh, my God !!
カウンターの中には変わり果てた姿のオババが一人、
豆鉄砲をくらった鳩のような眼差しを送ってくるじゃないの。
あゝ、無情! あゝ、T子! 
ついに天は彼女を見放したかっ! 

夢破れて山河あり、
障子破れてサンがあり。
そこには後ろ手に引き戸を閉めながら
肩をガクリと落とすJ.C.がおりました。
月日の流れはかくも残酷なりけり。

=つづく=

2012年11月27日火曜日

第456回 金はなくとも金町は にせどろ千夜一夜 Vol.8

お待たせしました。
朝からPCその他と格闘の末、やっとアップできました。
遅れて申し訳ありませんでした。

さて、真っ当なつまみや料理を出してくれ、
フトコロを傷めることもないから
人々に愛される地域の佳店たち。
しかも二千円で泥酔できちゃう店の紹介となれば、
当ブログでもおなじみの”にせどろシリーズ”でしょう。
今回は東京の北東のはずれ、
葛飾区のそのまたはずれの金町に出没となりました。

 ♪  遊びじょうずな ひとだから
    あなた仕事も 押上よ
    金がなくても 金町は
    させてあげます いい思い
    よってらっしゃい よってらっしゃい
    お兄さん                ♪
            (作詞:はぞのなな)

これまた当ブログに何度か登場している「はしご酒」。
唄っているのはご存知、藤圭子である。
金がなくてもいい思いをさせてくれるってんだから
オトコにとっちゃ金町はパラダイスみたいなもんですな。

常磐線で金町の一つ先、江戸川を越えた松戸に
一時期暮らしていたから土地カンはじゅうぶんにある。
なじみの店はないが、何度も途中下車して飲んでいる。
京成線でここから一つ下ると、寅さん映画で有名な柴又だ。

柴又は帝釈さまのご利益(りやく)からにぎやかな町。
川魚や草だんごの店々が参道を埋め尽くしている。
打って変わって隣りの金町は再開発中とはいえ、さみしい。
これといって名の知れた店は見当たらない。
まあ、そこは蛇の道は蛇、
ちゃんと”にせどろシリーズ”にふさわしい酒場を探してござる。

店の名は「ブウちゃん」。
名前を聞いただけで半数近くの呑み助が脱落するかもしれない。
豚のもつ焼き、いわゆる焼きとん中心の店だから
名は体を表しているわけで、このネーミングも致し方ナシなのだ。
すでに半世紀を超える昭和33年の創業と知れば、
早合点して脱落したあわて者も戻ってくるだろうか。

アサヒの大瓶が500円。
ボールと呼ばれる氷抜き酎ハイが290円。
沖縄の柑橘、シークァーサーハイを飲む客が多く、これは300円。
いつものようにビールで始め、ほかも制覇した。

さっそくのもつ焼きはタンとカシラを塩で。
続いてシロとレバーはタレだ。
すべてミディアムレアよりもレアの状態で供され、レベルが高い。
ピーマン・ねぎ・しし唐の野菜を含め、すべて1本80円のようだ。

ほかのつまみはほとんど300円均一。
冷ややっこ、しらすおろし、いんげん胡麻和え、めかぶポン酢、
パリパリキャベツの元気漬けなんてのも並んでいた。
二日替わりメニューがあり、
 月・火―なす焼きのおひたし
 水・木―ポテトサラダ
 金・土―厚揚げのふっくら焼き
これらも一律300円。

J.C.の大の気に入りはわさび茎漬け(300円)。
本わさびの茎の醤油漬けだが
量もたっぷりあってこれは必注の一鉢であろう。

「ブウちゃん」
 東京都葛飾区金町5-17-5
 03-3600-5895

2012年11月26日月曜日

第455話 覆面実食で選んだ「東京冬ごはん」

ただ今、絶賛発売中のファミリーウォーカー冬号増刊、
覆面実食で選んだ「東京冬ごはん」(角川マガジンズ)。
本日は手前ミソながら、少しばかり宣伝させてください。
稀代の咬みつき亀・友里征耶の筆力不足など、
多少の難点はありますが
総じてデキのよいマガジンに仕上がりました。
ぜひ、ご一読のほどをお願いします。

J.C.オカザワが担当したのはまず「東京の煮込み」、
圧巻の全14ページであります。
煮込みの歴史と成立ち、素材と味付けの系統分け、
都内の煮込みディープ度マップなどを網羅しました。

俗に「岸田屋」(月島)、「山利喜」(森下)、
「大はし」(北千住)の3軒をもって東京3大煮込み、
これに「大坂屋」(門前仲町)、「宇ち多゛」(立石)を
補足して5大煮込みと申します。
ちょいとばかり異論を唱える身としまして
「東京真・3大煮込みを歩く」と称し、
マイ・ベストスリーを独断で選んでみました。

ほかにも五つ星、四つ星の煮込み店を紹介。
意外と思われるところが登場します。
はてはとうきょうスカイツリーを出発点として
「東武伊勢崎線を往く!」と題し、
沿線5駅の”煮込み放浪記”をしたためました。
それこそ毎晩が煮込み・にこみ・ニコミのオンパレードでした。
おかげで最近はあんまり煮込みを食べないのです。

続いて覆面実食隊・隊長として
年末年始にぜひ訪れたい「下町鍋」のセレクション。
桜鍋・ふぐちり・すっぽん鍋の名店3軒を選りすぐりました。
何かと物要りなこの時期、
いずれもフトコロを傷めない優良店ばかりですヨ。

そして「築地旬めし」のコーナーでは
かきバタ焼き、かきフライ、かきどうふ、かきめしと
かき料理の数々に加え、煮魚やクリームシチューなど、
オススメの店々を取り上げております。
築地では鮨を食わない築地ジャンキーが4名揃いましたから
みなそれぞれに自分の溺愛する店を推薦しまくりなんですわ。

エッ? 何で築地の魚河岸で鮨を食わないんだ! ですって?
理由はいろいろございます。

・長いこと行列に並ぶのがわずらわしいし、時間の無駄
・両脇の客と肘がぶつかり、背中の壁とのスペースも狭くてイヤ
・指定しないと本わさび不使用の店ばかり
・食べていただくというより、食わせてやるという態度の職人多し

そして最大の理由が
江戸前シゴトを施した鮨種があまりにも少ないことなんです。
どの店も仕方なく穴子はにぎっても小肌は出したがらない。
仕込みに手が掛かりますからネ。
新鮮なサカナを包丁で切って酢めしに乗せただけのお刺身ごはん、
ありゃあ、鮨とはいえません。
少なくともJ.C.は鮨とは呼びませんデス、ハイ。

それでは重ねて「東京冬ごはん」をよろしくお願いいたします。
シツッコくてすみませんデス。

2012年11月23日金曜日

第454話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その3)

母校・上板一中は廃校を免れて
昔日の面影をとどめていた。
一年生の数組が放り込まれた離れの木造校舎は
取り壊されて跡形もない。
跡地はスイミングプールになっていた。
本校舎と体育館は見たところ変わりがないようだ。
おっと、のんびりしてもいられない。
先の道のりはまだ長いゾ。

東新町の辺りでいったん川越街道に出て
陽光の下、時折吹きつける強風を受けながら足早に歩く。
遠くに五本けやきが見えてきた。
ここで街道をそれ、上板橋駅南口の商店街へと切れ込んだ。
せっかくの機会、駅周辺を探索しとかなければ・・・。

隣り駅の常盤台は板橋区きっての高級住宅街。
対照的に上板橋はグッと庶民的だ。
跨線橋を渡り、反対側の北口へ。
階段を降りたところで駅に隣接する「吉野家」に目を奪われた。
あの牛丼の「吉野家」だが
「吉野家」は「吉野家」でも、ただの「吉野家」ではない。
掲げられたネームプレートには「築地吉野家」とあった。
しかも”牛丼専売店”を謳っている。

ピンときたのは築地場内市場にある「吉野家1号店」のこと。
元はといえば日本橋の魚河岸にあった1号店は
関東大震災後の魚市場移転に伴い、築地に移ってきた。
確かに築地店は牛丼しか扱っていない。

BSE騒動で米国産牛肉が輸入禁止になったとき、
他チェーンのように豪州産・中国産に頼らない「吉野家」は
牛丼販売の自粛に追い込まれた。
それでも築地の1号店、府中と大井の競馬場、
戸田競艇場の4店舗だけは営業を続けた。
築地は栄えある1号店としての矜持だろう。
残りの3店は施設内にある他店の業態と競合しないように
牛丼しか売れない契約を結んでいたのだ。

さて、上板橋駅前である。
築地以外で初めて目にした「築地吉野家」である。
こりゃ入らんわけにいかんわな。
食べとかなきゃ人に語れんわな。
かなり歩いて来たんだ、ビヤーブレイクも必要だわな。

自分で自分を説得して、エイヤ!っと入店。
お願いしたのは牛皿(200円)と
スーパードライ中ジョッキ(350円)である。
ジョッキは「ちょもらんま 大山店」より若干大きめだった。
1皿200円はずいぶん安いがつまんでみると、
気のせいかほかの「吉野家」よりおいしく感じた。
帰宅後、調べたらこの形態は都内にけっこうあるじゃないか。
ここもつい最近まで「そば処 吉野家」だったのを
売上不振のせいだろう、模様替えしたとのこと。

支払いの際、お店のアンちゃんに訊いてみた。
「ビールだけってのはダメでしょ? ダメだよネ?」
一瞬応えに詰まった彼、一拍おいて曰く、
「そっ、そうですネ」
「今までそんなお客いた?」
「エッ、ハイ、いません」
そうでしょう、そうでしょう。

餃子に母校に牛皿に、あっちフラフラ、こっちフラフラ。
そのあと急いで駆けつけたものの、
すでにコンサートの前半は終了、ティーブレイク中だった。
3回に渡ったこの稿のラベルの設定に迷った。
”飲む”でも”食べる”でもよかったが
やはり”歩く”がふさわしいと判断しました。

=おしまい=

「築地吉野家 上板橋駅前店」
 東京都板橋区上板橋2-36-2
 03-5922-4772

2012年11月22日木曜日

第453話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その2)

角川マガジンズ発行の「東京冬ごはん」は
本日発売ですよォ!
「生きる歓び」を読んだあとはお近くの書店へまっしぐら、
”走る歓び”を存分に味わってくださいまし。

際コーポが展開する「ちょもらんま 大山店」で
羊の挽き肉で作った餃子を食べている。
辣油を垂らしても酢をかけてもイケる。
生ビールをお替わりした。
もっともジョッキのサイズは生中より生小に近い。
1杯290円では文句を言えた義理ではない。
ただし、キャンペーン期間中だか
ハッピーアワーだかでサービス価格が設定されている。
普段は390円だったかな?
 290円は安いが、390円だと高いなァ。
適正価格は中を取って340円といったところか?

いつの間にかBGMが明菜の「少女A」に代わっている。
彼女の人気を決定づけた出世作がコレ。
口ずさめないので聴くだけにした。
曲が終わり、残りのビールを飲み干す。
お勘定は締めて970円也。

商店街を突っ切り、川越街道に出た。
街道をこのまま北上すればコンサート会場に着く。
だけど車が引っきりなしに行き交う大通りを誰が歩くものか。
よってすかさず脇道に入った。
この通りは下頭橋通り、旧川越街道なのだ。

界隈の地番は板橋区・弥生町。
ここには小6から高2まで、およそ6年間居た。
当然、住んでいた家を訪ねたくなった。
2~3年に1度は来るから、すでに建て替わったことは知っている。
行ってみると、再度の建て替えはなかった。
家の裏側の当時使っていた井戸も撤去されずそのまま。
もちろん赤く錆びついており、
もう何年、いや何十年も使われていない模様だ。

下頭橋通りに戻ってなおも真っ直ぐ。
中板橋駅に通ずる道を右折せず、さらに真っ直ぐ。
石神井川に架かる下頭橋を渡った。
橋のたもとには
中学時代に買い食いした鶏肉専門店「井水屋」が健在。
鶏挽き肉のメンチカツを学校帰りによく食べたものだ。

橋を渡って右折し、川沿いに行くと母校・上板一中がある。
先を急がねばならないのについ誘われて
フラフラッと母校を訪ねてしまった。
折りよく校門が開け放たれて校庭ではチビッ子がサッカーの練習中。
これから試合になるのだろう。
保護者の姿も多く、こちらもそれを装い校内へ。
しばし校庭の片隅にたたずみ、懐旧の思いにふけるJ.C.であった。

=つづく=

「ちょもらんま 大山店」
 東京都板橋区大山町30-15
 03-5926-3490 

2012年11月21日水曜日

第452話 あっちフラフラ こっちフラフラ (その1)

今日は最初にご案内です。
いよいよ、明日(22日木曜)角川マガジンズから
季刊誌「東京冬ごはん」が発売されます。
J.C.は「下町鍋」に「東京の煮込み」に
それはそれは奮闘努力しました。
お読みになった方の目からは
ウロコがポロポロ落ちることでしょう。
損はさせません。
ぜひ、お買い求めくださいまし。

さて、前日の荒れ模様とは打って変わって青空の日曜日。
冷たい風も日向(ひなた)を歩けば、さほど気にならない。
正午過ぎには愛猫に別れを告げ、家を出た。
この日は板橋区・赤塚のハープ・コンサート。
開演は14時半だから余裕もいいとこだ。
時間があったら歩くに限る。
だって、ほかに運動らしい運動をしないんだから・・・。

東武東上線・大山駅で下車し、
残りの5駅ぶんはテクテクゆくことにした。
大山駅から川越街道に抜ける商店街をのんびりと歩む。
この通りは小学校に上がる前から知っている。
当時は物価の安さにかけて都内有数の町だった。
今でもおそらくそうじゃないかな。

途中、とある店の前で脚が止まった。
朝から何も口にしておらず、
空っぽの胃袋が脳に向かって「めしよこせ!」を叫んでいる。
何か食わねば・・・。

店の名は「ちょもらんま」。
ヨソでも見掛けたような気がするからチェーン展開だろう。
あとで調べたら経営母体は際コーポレーションだった。
脚を止めさせたのは
立て看板にあった羊肉餃子(ヤンロウギョーザ)の4文字。
6カンで390円とある。
訪れたことはないが羊肉の餃子は
西域のウイグルやサマルカンド辺りじゃ常食されているハズ。
焼きとんと煮込みの聖域、葛飾区・京成立石に行ったときは
中華料理店「蘭州」に立ち寄り、
必ずこの餃子でビールか紹興酒を飲む。

でもって頼みましたヨ、
くだんの羊肉餃子とキリン一番搾りの生ビールを。
いや、旨かった、どっちも旨かった。
殊に餃子は花マルでありました。
香辛料のクミンがバッチリ効いて
こういうのを390円なんかで売っちゃいけないんじゃないの。
チェーンだろうが何だろうが旨いものは旨い!

頭の上から降ってくるBGMは寺尾聡の「ルビーの指輪」。
つい、つい、
 ♪ く~もりガラスの 向こうは風の街 ♪
なんて口ずさんだりしちゃって
われらがJ.C.、ことのほかゴキゲンじゃん。

=つづく=

2012年11月20日火曜日

第451話 文豪・川端が名付け親 (その2)

大映映画「赤線地帯」が公開された1956年。
この年は滅びゆく花街・柳橋を活写した、
「流れる」(成瀬巳喜男)も封切られている。
心に残る名作で大好きな1本だ。
洋画では「居酒屋」、「ヘッドライト」、「ピクニック」などが。
作品における洋の東西を問わず、
映画が全盛期を誇った懐かしくも輝かしき時代。

一般家庭に普及し始めたTVでは
「お笑い三人組」、「チロリン村とくるみの木」、
「名犬リンチンチン」といった番組が茶の間の人気を集めた。
街には三橋美智也の「哀愁列車」、「リンゴ村から」が流れていた。
三浦洸一の「東京の人」、大津美子の「ここに幸あり」もこの年。

書籍では石原慎太郎の「太陽の季節」。
思うにこの人の活動期はずいぶん長いや。
今また国政に打って出るってんだからネ。
弟の短命が悔やまれる。

昨日の当ブログをご覧になった方から
文豪・川端はいつ出て来るの? というお問い合わせ。
承知しておりますって、でも。もう少々お待ちください。
その前に「赤線地帯」の男優陣。
映画の性格上、主だった役は
女優に割り振られ、オトコどもはみな脇役だ。
その脇役がそれぞれにいい味を出している。
菅原謙二だけがミスキャストながら
これは菅原の責任ではなかろう。
彼にチンピラみたいな役は似合わない。

個性的な風貌の多々良純は好きな俳優だった。
劇中、休日なのだろう、
木っ端役人の彼が家族だんらん、食堂で昼めしである。
骨付きの鳥ももをしゃぶっていたら
折悪しくなじみの若尾とバッタリ、女房に怪しまれてしまう。
そのときのあわてふためきが
手にした鳥ももとあいまって独特のおかしみを醸す。
食堂は日本の外食の一時代を築いた「鮒忠」。
昭和30年代、「鮒忠」の鳥ももはご馳走だった。
暖簾にしっかり屋号が染め抜かれているから
これはセットではあるまい、どこかの店舗のロケだろう。

特飲店「夢の里」では田舎から出てきたばかりの、
いわば半玉、川上康子が小間使いをしている。
そう、この芸名から察しがつくでしょう?
川端康成が”川”と”康”の字を与え、
みずから名付けた女優が彼女なのだ。
美人でもなんでもないが、実にすばらしい。
店屋モノのどんぶり(おそらく親子丼)を初めて口にして
そのおいしさに感激する姿がほほえましくも印象的。
笑っているうちに目がしらが熱くなってしまった。
そして今度は初めて客を取ることになって店先に立つ。
彼女のアップで映画は終わる、強烈なラストシーンだ。
あとは観てのお楽しみにしてください。

劇中、「夢の里」の経営者・進藤英太郎が
たびたび発する売春禁止法なる言葉。
度重なる流産を経て法律が成立したときには
売春防止法と、その名称がすり替わっていた。
”防止”と”禁止”かァ、ビミョーってばビミョーだ。

2012年11月19日月曜日

第450話 文豪・川端が名付け親 (その1)

今月下旬に発売される雑誌の取材で
毎晩のように下町を徘徊していた。
浅草は毎度のことだが
ずっと範囲を拡げて門仲・森下・押上・向島・三ノ輪、
南と北の千住に堀切菖蒲園までも北上した。
しまいにゃ下町を通り越して西新井どころか
はては東京を突き抜けて埼玉県・春日部まで行った。

どこを散策していても楽しみはつきない。
中でもかつて色街・花街だった一郭の残り香を嗅ぐのが好き。
今の時代のフーゾクにはトンと興味がないくせに
赤線の跡地をさまようときの気分は格別のものがある。
おかしいでしょ?

10日ほど前のある夜、赤線地帯に迷い込んだ。
というのは冗談で、映画「赤線地帯」(1956)を観た。
この作品、過去に2回は観ていると思うが
たまたまひかりTVで放映されるのを知り、看過できなかった。
言うまでもなく監督・溝口健二の遺作は
撮影が宮川一夫、音楽は黛敏郎ときて
巨匠三人の豪華な揃い踏みである。

舞台は「夢の里」なる吉原のサロン。
これを女郎屋と呼んだら元も子もない。
やることは一緒でもサロンと女郎屋じゃ、
イメージの面からも天と地ほどの差があろう。

ザッと配役を紹介しておきたい。
サロンを営む亭主と女房が進藤英太郎と沢村貞子。
両者、いい味を出している。
そして何よりも娼婦役の女優たちがすばらしい。
京マチ子・若尾文子・小暮実千代・三益愛子・町田博子。
脇を固める男優陣は
菅原謙二・加東大介・十朱久雄・多々良純・田中春男。
こうして並べると何だか夢を見ているようだ。

京マチ子が白眉。
この大女優は日本人離れした桁違いの存在感に満ちている。
現代女優が束になってかかっても
軽く一蹴してしまうほどのパワーを秘めている。
「羅生門」のあの妖艶美はいったい何なんだ!

撮影当時45歳の三益愛子扮する年増娼婦も印象的。
春をひさぐ稼業の悲哀をあますところなく演じ切る。
あまりにもリアリスティックな演技が観る者の胸を打つ。
サロンの店先で客引きする母親を見て
絶望した一人息子に捨てられてしまう。
走り去る息子に追いすがろうとしてとどかぬ後姿が
映画には出ていない、杉村春子を連想させた。
実生活での三益のご亭主・川口松太郎は
自分の妻ををどんな思いでみたのだろうか?

=つづく=

2012年11月16日金曜日

第449話 10年ぶりの「リラ・ダーラナ」 (その2)

10年ぶりの「リラ・ダーラナ」。
もともとは西荻が発祥の地だそうだ。
移転後の新店は「STB139」の近くにあった。
モダンなビルの2階だが
大衆酒場のよさを備えていた旧店の雰囲気が好きだった。

生ビールの銘柄はストックホルム・プレミアム。
スッキリと飲み口がいい。
今はどうだか知らないけれど、
昔の北欧にはエビスみたいな重いビールがなかった。
2年前にストック在住の旧友・S水クンが一時帰国した際、
缶ビールを何種類かみやげに持参してくれたが
みなスッキリのアッサリだった。
推測するに状況はあんまり変わっていないのだろう。

北欧ではアルコールの含有量でビールの値段が変動する。
昔住んでたときは軽いのを選んで飲んだものだった。
もっともスウェーデン人は酔おうと思ったとき、
ビールなんか飲みはしない。
もっぱらじゃが芋焼酎のアクアヴィットで
ビールはそのチェイサーの役割に甘んじるのが常。

オバさまお二人は「STB139」で軽く食事してきたし、
J.C.はそれ以前に恵比寿のカレー屋を訪れた。
ここでは前菜をつまむ程度に抑えるつもり。
メニューの吟味に入ったので読者も一緒にご覧ください。

=秋の前菜メニュー=

 ニシンのマリネ盛り合わせ3つの味で ポテト添え   1000円
 アボカドのムース グリーンランド産小エビ飾り     1000円
 ノルウェー産 サーモンのマリネ ディル風味      1200円
 ウナギのスモークのオープンサンド            1000円
 ダーラナ特製グリーンサラダ                   500円
 タラレバーのオイル漬け 黒パン添え              800円
 自家製 田舎風肉のパテ                  1000円  
                                         
六本木というロケーションを考慮すると
価格設定は控えめだ。
グリーンランド産小エビは甘海老と同じ。
タラレバーは日本で見かけないが北欧人はよく食べる。
缶詰なんかもあったと記憶している。
あん肝を珍重する日本人はたら肝を捨てちまうのだろうか。
いや、それはあるまい、何かに活用しているはずだ。

協議の結果、ニシンとウナギの2皿に決定。
ポストシアターはこの程度でちょうどよい。
ニシンの3つの味というのは
ヴィネガー、マスタード、チリトマトであった。
マリネされた光りモノは好物につき、文句はない。
ウナギのスモークも好きな一品で蒲焼きの次は燻製に限る。
仏料理のマトロート、
いわゆる赤ワイン煮は佳品に出会ったためしがない。

六本木は社会人に成り立ての頃、よく遊んだ街ながら
肌が合わないというか、けっして好きな街ではない。
ただ、「リラ・ダーラナ」みたいな店が
フツーに営業している、そこのところだけは認めてあげたい。

「リラ・ダーラナ」
 東京都港区六本木6-2-7  ダイカンビル2F
 03-3478-4690

2012年11月15日木曜日

第448話 10年ぶりの「リラ・ダーラナ」 (その1)

その夜はまだ六本木にいた。
「STB139」で jammin Zeb を聴いたあと、
同行のオバさま方より一足先に会場を出て
ポストシアターの物色を開始したのだ。

ミュージカル、バレエ、オペラ、コンサート、
どこへ出掛けようとも欧米なら
プリシアターとポストシアターはきわめて重要。
とりわけデートの場合は男の腕の見せ所だ。
公演前の軽い食事がプリシアター。
公演後の軽い飲酒はポストシアター。
別段、軽く収める必要とてなく、
とことん重くなっても誰も文句は言わない。
ただし、プリで飲み食いがすぎると、
公演のさなかに爆睡の憂き目を見ることとなる。

降って湧いたように
メトロポリタン・オペラにハマッた1990年代。
プリはもっぱらリンカーンセンター近くのイタリアン。
インサラータ・トリコローレ(イタリア国旗風サラダ)や
ヴィッテロ・パイラルド(薄切り仔牛肉の網焼き)をよく食べた。

ポストシアターは58丁目のロシア料理店「P」がなじみ。
ここのバーでよく冷えたストーリを
2~3杯というのがいつものパターンだ。
ストーリはロシアン・ウォッカのストリチナヤのこと。
カーネギーホール(57丁目)の並びにある、
同じくロシアンの「R.T」より素敵な店だった。

六本木の夜にハナシを戻そう。
当夜のポストシアターの第一感は「リラ・ダーラナ」。
芋洗坂を麻布十番方面に降ってゆく途中にある。
ここはスウェーデン料理が主体の北欧料理店だ。
行ってみたら扉に貼り紙が1枚。
実際は移転案内だったが遠目には閉店通知に見えた。
幸いにも移転先は徒歩圏内、それも5分ほどの距離にある。

旧店を訪れたのは10年前の2002年4月のこと。
ワイン好きの小集団、「煩悩の会」の定例会で
その月はJ.C.が幹事だった。
店の予約のみならず、持込みワインの手配もしたっけ…。
10年なんてアッという間ではないが
月日の経つのは早い。

あのときは前菜の盛合わせで始まり、
アンチョヴィとポテトのグラタン、
シーフードのクリーム煮、
国民食のチェットブーラーもいただいた。
チェットブーラーは俗にいうミートボール。
スェーデンでは木苺のジャムを添えて食する。

北欧料理を目の前にすると、
ストックホルムのレストランで
皿洗いをしていた若き日を思い出す。
何を食べてもおいしく、何をしても楽しい日々だった。

=つづく=

2012年11月14日水曜日

第447話 オバさまに囲まれて

その日の午後は中目黒にいた。
日本人が作る本格的なカレーの旨い店があると聞き、
実食に訪れたのだった。
2種のカレーを選べるハーフ&ハーフが人気とのこと。
インド料理屋にはよくあるメニューも
日本人が営むカレー屋ではそんなに見かけない。
何事につけ、あきっぽい性格のJ.C.には
一皿で二度美味しいハーフ&ハーフはありがたい。
この店のことは近々あらためてリポートしましょう。

中目黒はほぼ1年ぶり。
勝手知ったる街なので食後、気ままに散策する。
年々、行き交う人が増えている気がしないでもない。
繁華街をさらっと流し、恵比寿方面へ歩き出したとき、
すでに陽は傾いていた。

恵比寿の街も久しぶり。
「コルシカ」も「松栄寿司」も「チャモロ」も
「たつや」も揃って健在だ。
先週の「アド街ック」では4店すべてが紹介されていた。
ほかに店がないわけじゃなし、
TV東京のラインナップは硬直的じゃないかな。

ここ恵比寿には年内に一度飲みに来るつもりでいる。
候補を3軒ほど心にとめて日比谷線に乗り込んだ。
行く先は六本木、
それもパイプメッタ打ち殺人事件現場の真裏である。

実はこの夜はオバさま二人とライブを聴く手はず。
相方はF子サンとC子サンで仕掛け人はF子サン。
やって来たのは「スイート・ベイジル」だ。
いつの頃からか「STB139」を名乗っている。
AKBにでもあやかったのかな?。

出演者は jammin Zeb 。
といっても大半の方は知らないでしょうネ。
J.C.もまったく知らなかった。
奇妙なグループ名はジャズボーカルの男性4人組。
31歳のリーダーをアタマに一番若いのはまだ24歳だ。

音楽は何でも聴くから不満はないが
何よりビックラこいたのは集まった聴衆である。
右を向いても左を見ても
はたまた上を見上げても(2階席あり)、
店内はどこもかしこもオバさまであふれ返っている。
オトコなんぞ数えるほどで
女湯に迷い込んだような気分だ。
直感的に連想したのはヨンさまの追っかけオバさんたち。
実際に彼女たちを見たことはないが
これこそあの光景なのだろう。
いや、ビックリしたなもう!

でもって聴きました。
ただし、彼らのハーモニーを楽しむというより、
中年・熟年の女性たちが
なぜ jammin Zeb に魅せられるのか、それを探りながら・・・。
しかし理由は最後まで判明しなかった。
ギャルの気持ちが読めない、オバンの気持ちも判らない。
やれやれ、自分の時代の終焉を
寂しく実感する今日この頃であります。

「STB139」
 東京都港区六本木6-7-11
 03-5474-0139

2012年11月13日火曜日

第446回 コロッケころころコロリンコ

中学2年か3年の頃、クラスメートのあいだで
焼売(シューマイ)には醤油かソースか、
こんな論争が巻き起こった。
アンケートをとると、6対4で醤油が優勢。
J.C.は少数派だったことを覚えている。
焼売のタイプによるが
それが今はどちらかといえば醤油派だ。
焼売に限らず、目玉焼きや野菜炒めも
醤油で食べるのとソースで食べるのとでは
ずいぶん味わいが変わる。

小学校低学年のとき、
とんかつに醤油をかけてしまったことがある。
別段、悪くもないなという印象だった。
当時は大田区・大森に住んでおり、
大森駅前のデパートで買ったとんかつだった。

揚げ立てのとんかつを食べるとき、
最初は何もつけずそのまま、続いて塩、それから醤油、
最後にソースの順で1切れずつ変化をつけている。
おかしなもので醤油で食べたときは
必ずといってよいほど、小学生だったあのときを思い出す。

そんなことを思いながら大森の町にやって来た。
ちょっと前フリが長かったかが
訪れたのは「はつ半」というとんかつ屋。
ただし狙いはとんかつではなくコロッケ定食(1050円)だ。

評判によるとこの店のミートコロッケは
挽き肉たっぷりでジューシーで
ちょうどコロッケとメンチの中間感じとのこと、
一度食べてみたいと思った次第だ。

メニューを見たらコロッケが2種類。
ミートのほかにカニクリームがあった。
コロッケ定食はミートの2個付け。
それがありがたいことに100円増しで
1個ずつのミックスにしてくれるという。

待つこと十数分、丸っこいのがペアで来た。
コロッケころころコロリンコ
ちょっと見は見分けがつかない
いや、ずっと見てても判らないが
皿の右側にマヨネーズが添えられている。
ということはその隣りがカニクリームということだ。

豚汁とライスと一緒にいただくと、
なるほどミートコロッケは評判通りのおいしさだ。
これなら電車賃を払ってでも一食の価値はある。
一方のカニクリームもアベレージは超えている。

祝日のランチタイムだから家族連れが目立つ。
かと思えば独りカウンターで常連が飲んでいる。
そばに平和島があるだけに大森は平和な町だ。
さて天気もいいことだし、
昔住んでいた平和島の商店街、
美原通りでもぶらぶらしてみようか。

「はつ半」
 東京都大田区大森北1-13-13
 03-3766-4861

2012年11月12日月曜日

第445話 ここに猫あり

ただ今、午前3時過ぎ。
月曜日、本日のである。
今月下旬に角川マガジンズから出る雑誌の原稿を
やっとこサ書き上げたところなのだ。
詳細はまた近々お報せするが
とにかくかなりのボリュームだった。

深夜、足元では愛猫プッチが飼い主を見上げている。
ここ数ヶ月、毎日少量ずつではあるが
人間さま用の旨いモンを与えている。
今日は(昨日か)それがなかったから
催促のまなざしで見上げているのだろう。

猫の食物的嗜好は変わらないというけれど、
ウチのに限っては変化ありとみた。
現在、大好物は鮭(カラフトマス)の缶詰とロースハム。
以前は好きだったまぐろの刺身には狂喜しなくなった。
幼い頃、2~3歳時によく食べたチーズやかまぼこにも
ほとんど歓びを表さない。
いなりずしの油揚げを水洗いしたヤツなど、
今ではまたいでるもんなァ。

「大津美子 ヒット・アルバム」、
このCDを聴きながらコレを書いている。
読者の中には大津美子といっても
知らない方のほうが多いかもしれない。
結婚式の披露宴でおなじみの「ここに幸あり」を
歌った歌手といえば通りがいいだろうか。

曲のリリースは昭和31年3月。
彼女は18歳になったばかりだった。
ちょっと驚くネ。
この曲はブラジルやハワイの日系人社会で
いまだに歌い継がれているそうだ。
名曲とはかくたるものなり。

J.C.は何たって「いのちの限り」が一番。
演歌・歌謡曲・Jポップ、すべての邦楽のなかで
ベスト30には間違いなく入る。

 ♪  愛していたけれど 何にも言わないで
    あの人とあの人と 別れて来たの
    泣かないで 泣かないで
    涙をこらえて
    ラブユーラブユー いつまでも
    いのちの限り           ♪
            (作詞:矢野亮)

大津美子の歌唱・声色にピッタリの詞であり、メロディーである。
初めてのヒット曲、「東京アンナ」(昭和30年)もいいな。
このときは17歳だヨ。

書き上げてもまだ見上げてやがる。
しょうがねェなァ、シャケ缶でも開けてやるか。
ついでにこっちもビールを飲むとするか。
もう、3時半だぜ。
CDをフランク永井に切り替えようかな。

2012年11月9日金曜日

第444話 突然の花束贈呈 (その2)

湯島のとんかつ屋「井泉本店」の2階にいる。
湯島といっても上野広小路に近く、最寄りも同名駅だ。
ちなみに上野は台東区、湯島は文京区で
「井泉本店」が上野の”とんかつ御三家”からもれたのは
このあたりに理由があるかもしれない。
地番が上野だったら
”とんかつ四天王”の一翼を担ったのではないか。

店のパンフレットにはこうあった。

=井泉の由来=

昭和5年、上野の地に根を下ろし、
初代の雅号より、
〔井泉〕(セイセン)と名付けましたが、
いつの間にか、イセンの名で
皆様から親しまれるようになりました。

こうもある。

=かつサンド発祥の店=

初代女将は明治生まれながら
朝食はトーストに紅茶でしたので
パンが身近にある食生活でした。
初代が作ったとんかつを見て
これをパンにはさんだらどうだろう?
とひょいと思い付き、
日本初かつサンドが誕生致しました。

日本人に広く愛される
かつサンドを考案した功績は大きい。

当夜、かつサンドをオーダーしなかったのは
サンドイッチなる食べものが
立食パーティーならまだしも
畳の上の宴会にそぐわないからだ。

さて、引き続き宴席の実況中継である。
料理が揚げもの主体となると、
最初のうちは活発だった箸の上げ下げが
次第にペースダウンしてくる。
しかも若者ゼロだから
1切れずつ残りがちな”遠慮のかたまり”を
さらってくれるスイーパーがいない。
ごはんと味噌椀を所望するものとてなく、
二次会に流れることにする。

会場はすぐ隣りの「ファンタジスタ」なるピッツェリア。
料理長は日本のピッツァ職人No1で
ナポリで行われる世界大会の日本代表とのこと。

北イタリアのランゲ・ネッビオーロで再び乾杯。
当日はさだお御大のバースデイだった。
傍らの花束が香りを放っている。

定番のマルゲリータともう1種、
熟年マドンナのM泉サンが選んだピッツァは
何だったっけな? マリナーラだったかな?
各自計2切れずついただくと、
なるほど日本王者の名にふさわしい焼き上がり。
一同、笑みをこぼしながらの会話にも弾みがついた。

さだお先輩、これからも命ある限り、
漫画を、エッセイを書き続けてください。

「井泉本店」
 東京都文京区湯島3-40-3
 03-3834-2908

「ファンタジスタ」
 東京都文京区湯島3-40-11
 03-5817-4499

2012年11月8日木曜日

第443話 突然の花束贈呈 (その1)

週刊誌におけるロングランの帝王・さだおサンと
「筋肉マン」でおなじみの和雄サンのお二人を
熟女たちとともに囲む会。
今回は湯島の「井泉本店」でとり行った。
川島雄三の名作「喜劇 とんかつ一代」の舞台となった、
昭和5年創業のとんかつの老舗である。

J.C.はこの店の2階の入れ込みが大好き。
味よりも雰囲気を愛している。
いや、料理の味だってけっこうで
デパ地下の販売店しか知らない向きは
意外なヴァリエーションに驚かれるハズだ。

当日は偶然にもさだお御大の誕生日と重なり、
熟女たちのとっさの計らいで
宴席に文字通り花を添える花束贈呈と相成った。
そして御大の大好きな生ビールで祝福の乾杯である。

突き出しはイカの塩辛。
これは自家製にはほど遠く、
やめたほうがよいと感じた。
老舗らしからぬ不デキと断じてよい。

頼んだ料理は真っ先にかにときゅうりのサラダ。
これは全員に1つずつ。
なぜかというと、
この店では数少ないシーフードメニューだからだ。
ここには蟹と海老しかいない。
あと、無くてもいいくだんのイカ塩辛ネ。
せめて平目やキスのフライでも始めてくれたらなァと
いつも思うのだけれど、見果てぬ夢に終わっている。

さすがに丸々1人前のかにきゅうはボリュームがあったが
みな、殊に女性陣が美味しい、おいしいと食べてくれた。
あとはすべて1皿ずつの注文。
順に挙げていくと、
かに玉・かにオムレツ・海老フライ・ロースカツ・メンチカツ・
串カツ・豚から揚げだ。
きざんだねぎのコロモをまとった豚から揚げはここだけのもの。
ユニークきわまりない1品である。

ハナシが元に戻るが蟹モノが3品もある。
海老モノはフライだけしかない。
豚肉以外は甲殻類のみということだ。
サカナを扱うのがイヤなら
カキやホタテなど、貝類をカバーしてくれたら
どんなにか幅が広がるのにねェ。
冒頭で料理の意外なヴァリエーションを謳っておきながら
何だか言うことが矛盾しているな。

=つづく=

2012年11月7日水曜日

第442話 メニューの値段に目が釘づけ (その2)

銀幕に見るメニューのハナシである。
2本目の映画は「喜劇 駅前団地」。
J.C.が注目したのは「高砂亭」なる小料理屋の立て看板だ。
ビールが140円

当時、中瓶は存在しないからビールは大瓶に決まっている。
現在、このクラスの店なら安くて700円、高くても850円程度か。
ビールは半世紀で5~6倍に値上がりしたことになる。
一級酒と二級酒の値段もほぼビールと連動している。

★3本目・・・「配達されない三通の手紙」(1979 野村芳太郎)

よく出来たミステリーだった。
原作はエラリー・クイーンの「Calamity Town (災危の街)」。
冒頭の音楽、E・グリークの「ホルベルグ組曲 (アリア)」が
実に効果的だ。

とにかく女優陣は百花繚乱。
栗原小巻、松坂慶子、小川真由美、竹下景子、神崎愛、乙羽信子、
スゴいねェ、たまらんねェ。
大好きなマユマユも出てるしィ・・・。
(こういう言い方、自分で言ってて気持ちわりィんだよな)
ならやめろ! ってか? へっ、ごもっとも!

舞台は山口県・萩市。
街をゆく片岡孝夫(現15代目仁左衛門)の背後に映った、
食堂の定食メニューはかくの如し。

 すき焼き・・・600円  天ぷら・・・500円  カツ・・・450円  
 ハンバーグ・・・450円  新川・・・450円

1979年の作品だから
33年を経て物価は倍程度にしか上がっていない。
ただし、東京と萩の価格差はあろう。
それよりも気になったのは新川定食である。
調べてみると、新川は萩漁港に隣接する地区で
姥倉運河の白魚(しろうお)漁は冬の風物詩とのこと。
想像するに新川定食は魚介系ではなかろうか。
刺身にしちゃ安すぎるから煮魚か焼き魚の可能性が高い。
あるいは魚介に食材を求めた日替わりとか・・・。

★4本目・・・「居酒屋兆治」(1983 降旗康男)

主演は高倉健、舞台は函館。
健さんが店主の居酒屋「兆治」で池部良が飲んでいる。
この二人は何かと共演の多い間柄だ。
カメラがとらえた壁の品書きを列挙してみよう。

 もつ焼―かしら・しろ・ればぁ・たん・はつ・がつ・
       こぶくろ・・・各70円 なんこつ・・・80円
 冷奴・・・200円  自家製らっきょう・・・250円  
 煮込280円  すだこ・じゃがバター・・・各300円
 ほっけ・ほたて貝柱・・・各400円  いか丸焼き・・・450円
 ビール・・・450円  お酒・・・300円

どうだろう、29年前としてはそんなに安くないような気がする。
この間のインフレ率は30%といったところか。

ところで高倉健の元恋人役を演じた大原麗子。
3年前に不幸な亡くなり方をしたが訃報を聞いたとき、
劇中の彼女の末期(まつご)とダブッてしょうがなかった。
「居酒屋兆治」を観た人なら誰しもが
ドラマと現実の交錯を心のうちに感じたのではなかろうか。
笑顔と声音の可愛い女優さんだったなァ。

2012年11月6日火曜日

第441話 メニューの値段に目が釘づけ (その1)

メニューを眺めるのが好きである。
料理の品目だけでなく、
値段が明記されていたらもっと好きである。
それは高級レストランでも大衆居酒屋でも変わらない。

サブタイトルの「メニューの値段に目が釘づけ」は
何も値段の高さに目ん玉が飛び出たワケではない。
実はコレ、映画の中でのハナシなのだ。
映画、殊に古い映画を観ていて
飲食店の立て看板や店内の品書きが映ったりすると、
もうストーリーなんかそっちのけ。
食べものとその値段に神経が集中してしまう。
これも一種の職業病であろうか・・・。

そこで最近観た4本の映画を振り返ってみたい。
むろん、作品の解説ではなく、料理や酒とその値段についてだ。

★1本目・・・「レベッカ」(1940年 A・ヒッチコック)

ヒッチの渡米後初の記念すべき作品で
アカデミー最優秀作品賞を獲得している。
映画の冒頭、モンテカルロはプリンセスホテルのダイニング。
主人公とヒロインが開いた昼食メニュー

一部しか映らなかったけれど、内容を解説してみよう。
デジュネというのは昼食のことで、フリュイはフルーツ、
ウッフが玉子料理、ポワソンは魚料理だ。

果物はまずグレープフルーツの半割りが8F(フラン)。
洋梨とりんごが12Fでバナナは4F。
こう見るとバナナの安価が際立つが
ひるがえって当時の日本ではかなり高価だったろう。

玉子料理はハムオムレツ9F、玉子のゼリー寄せ4F、
ゆで玉子のクルトン添えとソーセージエッグが各9F。
目玉焼きトマトソースの値段は判らない。

最後に魚料理は舌平目が8Fで
カエルのソテーはその倍以上の18F。
サーモン網焼きのメートルD風は残念ながら価格不明。
戦前の為替相場は見当もつかないが
梨やりんごが舌平目より高価とは!
それにしてもフランス人は
70年も前からカエルを食べていたんだねェ。

L・オリヴィエとJ・フォンテーンが演じた幻想的ミステリーが
オスカーに値するか否かは著しく疑問の作品ではあった。

★2本目・・・「喜劇 駅前団地」(1961年 久松静児)

傑作「駅前旅館」に続く”駅前シリーズ”第2弾。
小田急線・百合ヶ丘周辺を舞台にしているものの、
タイトルとは裏腹、団地に焦点を当てているワケではない。
故人の批判は不本意ながら
当時売り出し中の坂本九の演技が
あまりにもクサくて思わず”下を向いて”しまった。

ここまで書いて、もうお時間きました。
またあしたお会いしましょう。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・。

=つづく=

2012年11月5日月曜日

第440話 しょせん学食は学食

かつては早稲田と並ぶミョウガの名産地、
その名も茗荷谷に拓殖大学 文京キャンパスがある。
近隣にはお茶の水女子大や跡見学園など、
お嬢さまの名門も少なくない。
以前をいえば筑波大の前身、教育大もこの地にあった。
御茶ノ水ほどではないにせよ、
茗荷谷はちょいとした学生街なのだ。

 ♪   君とよくこの店に 来たものさ
   わけもなくお茶を飲み 話したよ
   学生でにぎやかな この店の
   片隅で聴いていた ボブ・ディラン ♪   
           (作詞:山上路夫)

てなこって今日の舞台は拓大の学食。
ひょんなことから銀座のステーキ屋「スエヒロ」が
学食の運営を任されていると知り、
”お手並み拝食”というつもりで出掛けた。
予想通りに人気メニューはサーロインステーキだ。
ライス・サラダ・味噌汁の付く定食が600円という価格設定。
まあ、安いっちゃあ、安いわな。

ランチタイムを大きくズレ込んで食堂内の人影はまばら。
最近は東大以外の学食は未訪だから
ヨソと較べるバロメーターが極端に不足している。
人気のサーロインステーキ定食の食券を買い、
厨房のオバちゃんに手渡した。
トレイにナイフ&フォークと
お冷やのコップを置いて料理が整うのを待つ。
ビールはないからネ。

5分ほどでステーキが焼き上がった。
牛肉自体のサイズと焼き色、ともに悪くない。
ガルニ(付合わせ)はトウモロコシバターとフライドポテトだ。
真っ黄色のコーンを眺めながら、小さなため息をついた。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」とは違うタイプのため息を。
実はJ.C.、コーンとグリーンピースと
キャロットで構成されるミックスヴェジタブルが大嫌いなんだ。

十数年も前になるが、ある女友だちと飲んでいて
手造りカレーが話題になったことがあった。
彼女のレシピを聞き、ひっくり返りそうになったネ。
自慢の一品は挽き肉と冷凍ミックスヴェジのカレーだとヨ。
そん中に牛乳も入れるんだとヨ。
ケーシー高峰じゃないが、それはないぜセニョリータ!
しばらくして所帯を持ったハズだが旦那があまりにも哀れだ。

そんなことよりステーキ、ステーキ、熱いヤツにナイフを入れる。
多少の肉汁がじんわりとにじみ出た。
1切れ口に放り込んで一噛み二噛みする。
あ~あ、結局は薬局、この程度なら
何も「スエヒロ」に委託しなくてもいいんじゃないの。
サラダはキャベツの千切りだし、味噌汁の具はモヤシだぜ。
トドメはライスの不味さで、いったい何年前の米だヨ!
しょせん学食は学食、末広がりどころか
先細りの食堂でありました、チャン、チャン。

「拓殖大学 文京キャンパス 食堂」
 東京都文京区小日向3-4-14 B館B1
 03-3947-7111

2012年11月2日金曜日

第439話 こもれびの小径 (その2) 動物園こそわが楽園 Vol.4

上野動物園はこもれびの小径のそば、
番(つがい)のナベヅルと
1羽のアオサギが同居する檻の前にいる。
本来、鳥は籠の中に居るもの。
でも、ここは相当デッカくて籠というより檻なんだ。

それにしても奇妙な同居じゃなかろうか。
動物園当局にその理由を訊いてみたいが
変人扱いされるのがオチだからやめておく。
ただ、このまま立ち去る気になれず、しばし観察を決め込んだ。

ナベヅルの番はきっとシアワセだろう。
単身のアオサギはたぶん淋しかろう。
脳裏をかすめるのは
小林旭があのカン高い声で歌った「サーカスの唄」である。
 
  ♪ 檻のアオサギ 淋しかないか
    おれもさみしい 独り身暮らし
    ハシゴがえりで 今夜も暮れて
    知らぬ酒場の 花を見た  ♪

ナベヅルは仲むつまじく、
ときおりくちばしを交えたりもしている。
あらら片方が水浴びを始めたヨ

バシャバシャやってるのはおそらくメスだろう。
何で区別がつくんだ! ってか?
これが判るんだな、われわれクラスになりますと―。

概してちょっかい出すのはオスのほうでメスは基本的に受け身。
生きとし生けるもの、みなそうであろうヨ。
ところがこの自然の摂理に逆らうのが万物の霊長、いわゆる人間様だ。
殊に近ごろの日本娘に摂理もへったくれもあったもんじゃない。
欲しいと思ったら、それこそ恥も外聞もなく力ずくで獲りにいくからネ。
まっ、今んとこみんながみんなじゃないからいいけどサ。

水ぎわでたわむれるナベヅルをよそに
高いところの止まり木にアオサギ1羽止まりけり。
淋しそうな様子まったくなく笑ってやがる

われ関せず・・・達観した孤高の姿をぜひ見習いたい。
園内を観回っていて判ったことに、鳥には獣にない潔さを感じる。
連中は哺乳類を見下してるのかもしれない。
何たって彼らは空を飛べるからねェ。
地震だろうが、津波だろうが、巻き込まれる心配ないもんなァ。

   ♪ ああ 人はむかしむかし
    鳥だったのかも しれないね
    こんなにも こんなにも 空が恋しい ♪
            (作詞:中島みゆき)

さりとて今さら鳥に生まれ変わりたくはない。
恥ずかしながら高所恐怖症だからネ。
もっとも鳥になったら、高いとこなんか全然コワくないのだろうが・・・。

2012年11月1日木曜日

第438話 こもれびの小径 (その1) 動物園こそわが楽園 Vol.4

今日は11月1日。
ちょうど1ヶ月前のこと。
午後から上野動物園に赴いた。
10月1日は都民の日で無料開園日。
もっともJ.C.は年間パスポートを所持しているから
来年のGW明けまでは出入り自由なんだけどネ。

無料開園日にわざわざパスポート保持者が
入園したのにはワケがあった。
実はJ.C.が初めて上野動物園を訪れたのは1960年10月1日。
その日はちょうど 52nd Anniversary に当たっていた。
記念すべき日に出掛けておきたかったのである。

いつもは西園側の池之端門から入るのだが
この日は東園側の正門に進路をとった。
正面広場で可愛い仔象のお出迎えだ。
象の鼻ではなく花の象

好天にも恵まれて晴ればれとした気分で歩く。

ゲートをくぐったらパンダや象に目もくれず、
真っ先に目指したのは思い出の場所。
立て札ナシでは見過ごしそう

こう呼ばれるようになったのはいつの頃からか・・・。
52年前のこの日、父親・弟と三人して
母親の作ってくれた弁当をこの場所で広げたのだ。
親子三人ここで食べました

玉子焼きとおむすびを食べた記憶があるものの、
むすびの中身までは思い出せない。
確か海苔は巻いてなかったような・・・。

偶然にもピンポイントでここを発見したのはつい2~3ヶ月前。
そのときは胸が熱くなって仕方がなかった。
そりゃそうだヨ、こんなことって人生にそうそうあるもんじゃない。
驚いたことにこのスポットは半世紀を経てもなお、変わっていなかった。
さもなくば場所の特定など到底できるわけがないのだ。

父も母もすでに墓石の下、今さら訊ねようもないが
父はなぜこんなところで昼めしにしたのだろう。
当時は休憩所があまりなかったせいかもしれない。
そして四人家族の母だけがなぜ居ないのか?
夫婦仲は良かったから、いさかいが原因ではあるまいが・・・。

しばし懐旧の思いにふけり、こもれびの小径をあとにする。
道なりに坂を下って行って妙な檻(おり)に遭遇した。
何が妙かというと檻の中には大型の鳥が3羽。
ナベヅルの番(つがい)とアオサギが1羽である。
何でまたこんな組合せになるのかネ?
ともに番ならまだしも、これじゃアオサギが可哀想じゃないか。
ちょっくら事務所に赴いて、理由を問いただしてみたくなった。

=つづく