2012年12月31日月曜日

第480話 鰻屋の鯖うまし! (その1)

千葉県・松戸市は居住人口において県内第3の市。
J.C.にとってはしばらく棲んだ思い出深い街だ。
ここではいろんなことがあったなァ・・・。
20代半ばから30代初めにかけてだから、さもありなん。
当時は人口20万そこそこだったと記憶している。
あれからおよそ30年、今じゃ48万人と倍以上になった。

千葉市96万、船橋市61万に次いで県下3番目だが
上位2市の面積が272k㎡、85k㎡なのに対し、松戸は61k㎡。
人口で4番目の市川市が47万人の57K㎡で
人口密度では市川・松戸が一、二を争っている。
そりゃそうだろう、どちらも東京都に隣接しており、
首都に接する千葉県の市はほかにない。

松戸駅東口の正面に鰻の「軍次家」を見つけたのは数ヶ月前。
店舗は2階にあって階段入口の品書きを見たときに
ここは間違いなく佳い店だと直感した。

大正13年、創業時には川魚料理に佃煮問屋も兼ねていた。
鰻屋の命ともいうべきタレはずっと継ぎ足して使っている。
鰻は静岡や鹿児島の養殖モノ。
時期によっては国産より台湾産が優れていることもあり、
店主の目利きを頼りに使い分けている。

と、鰻について語ってきたものの、
J.C.が「軍次家」で食べたのはウナ子ちゃんに非ず。
白状すればサバ男くんでありました。
実食時のリポートはあと回しにして
今しばらく、この店を持ち上げてみたい。

まず、徹底した化学調味料の排除がエラい。
化学の子は鉄腕アトムとウランちゃんだけにしてほしい。
おっと、アレは科学の子だったか・・・。
科学まみれのお茶の水博士がここの料理を食べたら
いかなる感想をもらすのか、ちょいと気になるところではある。

ごはんは茨城県の農家から送られてくるコシヒカリの自家精米。
豆腐ははるか尾瀬からの取り寄せで、夏がくれば思い出す逸品。
驚いたのは使用水だ。
浸透膜浄水器でろ過した聖なる水は
本来、高級ホテルのビデ専用水として使われるべきもの、
というのは悪い冗談だが
訊けばこの浄水器、セシウムをすべて除去してくれるそうだ。
それならヤサ男のオタマジャクシなど一たまりもなかろうて。
(まだ言ってるヨ)

ということですから「軍次家」の真価を識るに
何も高価な鰻を奮発する必要はありません。

そろそろそばでも食べようかな。
どうぞみなさん、よいお年をお迎えください。

=つづく=

2012年12月28日金曜日

第479話 茶菓子にチャレンジ (その2)

何十年ぶりかで茶菓子とふれあった。
数日間だけの蜜月ではもったいない気がした。
連夜とはいかないまでも、せめて週に2~3回は向き合いたい。
素朴にそう思ったのである。

上野動物園にいたら夕焼け小焼けで日が暮れた。
不忍池の池畔をブラブラ。
いつの間にやら渡り鳥がたくさん帰って来ていて心が和む。
オナガガモ、ユリカモメ、キンクロハジロ、遊べや親のない水鳥。
連中は歓んでパンを食うがアンコはどうだろう。
今度、あんパンで試してみるか。
パンだけ食ってアンコを残したりして―。

”エサはやるナ!”―
池のほとりには上から目線の立て看板が随所に目立つ。
人と野鳥のふれあいに
無粋な役所がとやかく言う権利があるのかエ?
おのれの権益だけはガッチリ守った末に
あれするナ、これするナ、困ったものよのォ。
日本が第二のギリシャにならないように祈るばかりなり。

野鳥じゃなかった、茶菓子であった。
徘徊の末路、差し掛かったのは根の津の谷の交差点だ。
「I 田屋」なる甘味処の店先に腰の曲がりかかった老婆がひとり。
キンさんギンさんよりだいぶ若いから仮にドウさんとしておこう。
店の売り子さんと大きな声でしゃべっている。
ドウさんに興味はないが、つい立ち止まって様子を伺うに
けっこうな量の団子を買い込んだ。
袋が重くてヨロヨロしてるもの。

われに返って立ち去らんとするそのとき、
「ハイ、どうぞ!」―売り子に肥掛け(汚くてめんご)、
もとい、声掛けされちまっただヨ。
しかるに義経、もとい、J.C.、少しもあわてず、
「だんごください! みたらしとアンコを2本ずつ!」―
即座に応えたものでした。
よくも、「水割りをください!」と言わなかったものよのォ。
よくぞ、アンコを〇ンコと言い間違えなかったものよのォ。

何で1本ずつ頼まなかったのか?
これはオトコのつまらんミエが2本と言わせちまうのだヨ。
1本130円で計520円、すみやかに払って
吸い込まれたのははす向かいのスーパー「A札堂」だ。

さっきのドウさんと同じくらいに古い店舗だから売場もヤケに狭い。
それでもひとめぐりして目に入ったのは
レジの脇にあった大手パンメーカー製造のだんごパック。
いや、まいったぜ、何と3本入りで金77円也!
何だよコレ? 1本当たり26円じゃんよォ!
こんなん食ってダイジョビかァ?
何十年もだんごなんか(だんご屋サンめんご)買ったこたねェから
相場観がまったくないけど、すんごい価格差だやな。
ここで買ってどこかで売って、アービトラージできちゃうゾ!

ぜひ食べ比べたかったが、ここで買ったらだんご過多。
糖尿病も恐ろしいので素通りの巻だ。
でも、どうすんだヨ、食えもしないだんご4本。
唯一、同居のバカ猫のヤツ、肉団子は食うが串団子は食わニャい。
イザというとき、ニャンの役にも立ちゃしニャい、ケッ!

結局は薬局、3日掛けて食べ切りました。
いえ、まだ1本残ってる。
こういうのはいったい何日持つんかネ?
コレを書いてる今現在、目の前にはビールが1缶。
もちろん、だんごなんざあるわきゃない。
だんごもケーキも最中(もなか)も
アッシには関わりのねェ、仇なヤツラでござんした。
See you never !

2012年12月27日木曜日

第478話 茶菓子にチャレンジ (その1)

いやあ、慣れないことはするもんじゃありませんな。
長年の習慣というものは一朝一夕に
変えられるものではないことを身にしみて感じました。

ことの発端はこうである。
12月を迎えて友人から立て続けに菓子をいただいた。
それも洋菓子と和菓子の両方を。
あまり甘いものを好まないから通常は
よく言えば、どちらかにおすそ分け、
あからさまに言うと、どこぞに横流しすることになる。
ところが師も駆け回る師走、
友だちに受け渡しする時間的余裕がない。
簡単には腐らないのをいいことに2~3日が経過した。

そして、とある夜更けである。
タンゴを聴きながら書き物をしていて、のどの渇きを覚えた。
冷蔵庫を開けてビックリ玉手箱、ありゃ~、ビールがねェゾ!
確かに買ってあったんだがなァ!
ビールはキッチンにあるにはあったが冷蔵庫の外でした。
この時期だからそこそこの冷たさは保っているものの、
やはりもっと冷えたのが望ましい。
かといって今から冷凍庫に入れてそのまま忘れちゃったら爆発だ。
いや、缶がふくらむだけで爆発なんかしやしないけど・・・。

ここでふと思ったのである。
今晩は少し酒量を減らしてみるかな・・・と。
そうだ、これを機会にしばらく節酒に努めてみるかな・・・と。
コーヒーはめったに飲まないが紅茶と緑茶ならOKだ。
もっとお茶を積極的に摂取して節酒につなげよう。
ことはついで、同時に甘味・スイーツを味わおうじゃないか。
ちょうど在庫があり余っていることだし・・・。
このことであった。

その夜は最中(もなか)と緑茶、翌晩はケーキと紅茶にした。
ふ~ん、悪かないねェ、タマにはいいねェ。
何だか子どもの頃に戻ったみたい。
小学生時代はアンコ玉や栗むしようかんで
一家団欒、よくお茶を飲んだものだ。

月に一度、わが家に来る父親の友人・A野サンは
泉屋の四角い缶に入ったクッキー専門。
缶の青と白のツートンカラーが子どもの目にもオサレだった。
もう一人のS上サンは三笠山のどら焼き一本やり。
むさくるしい家だったが、あの時代の男たちは
互いの家を訪ね合って酒を酌み交わしていたんだ。

茶菓子の独り宴会を始めて3日目の晩。
ケーキを緑茶で試してみると、これはこれでよい。
おそらく最中&紅茶もいいハズだ。

翌日。
猫がらみでちょいとお世話になった近所のオバさんに
あまりモノで悪いけどと、残りをもらってもらった。
目の前から甘いモノが、きれいサッパリ消えた瞬間である。

=つづく=

2012年12月26日水曜日

第477話 有楽町でロードショウ (その3)

こうして読み返し始めた松本清張の短編集。
”読書の秋”ならぬ、”読書の師走”である。
早くも30篇ほど読みくだしたが
名作・佳作は昭和30~35年に集中していますな。
なぜだろうか?
この頃の清張サンは脇目も振らずにただ、ただ、まっしぐら。
流行作家としての確たる足場をまだ築いたわけではないから
持てる才能のすべてを投入して全力投球だもの。

昨日紹介した「声」と、その二ヶ月前に発表された「顔」は
ともに初期の傑作として呼び声が高いが
あまりにも恣意的な偶然性が鼻につかないでもない。
もっともこれはミステリーに必ずついて回る避けがたき欠陥。
この点をあまり神経質に追求すると、
作品の展開力を極端に拘束することになるので痛し痒しだ。

「一年半待て」、「地方紙を買う女」は誰もが認める秀作。
宮部みゆきサンが責任編集した、
「松本清張・傑作短編コレクション(上・中・下)」にも
しっかりと収められている。
「恐喝者」、「共犯者」、「捜査圏外の条件」もまたしかり。
宮部サンが大好きという、「鴉」は筋書きにムリがあるうえ、
ラストの御都合主義的尻切れトンボがどうにも許しがたく、
J.C.にとっては嫌いな作品の代表格になっている。

「声」、「顔」がはずれているけれど、
彼女が選ばなかった作品群(篇数に制限もあろうが)では
「草」、「愛と空白の共謀」、「怖妻の棺」あたりが好き。
茶目っ気じゅうぶんなおかしみや
すがすがしい読後感を残してくれる作品が
非常に少ない清張サンにあってキラリひかるものがある。。

宮部サンは「コレクション下巻」の冒頭で
「タイトルの妙」と題し、一筆したためている。
題名を上手につけるのは難しいと、作家の悩みを告白している。
しかるに彼女によれば、清張サンは名タイトル製造機なんだそうだ。
確かに「点と線」、「砂の器」はそうであろう。
でもネ、昭和26年の流行歌、「上海帰りのリル」が
効果的に使われる「捜査圏外の条件」はあんまりだろう。
これじゃあまりにモロ、まったくもってそのまんま東、
味気ないったらありゃしない。

「潜在光景」や「削除の復元」、
「愛と空白の共謀」(名作なのに)や「恐喝者」も気に入らない。
「剥製」や「詩と電話」なんてのもつまらない。
昭和33年1月発表の「点」という陰気な小品があるが
この時期は彼の一大出世作、長篇「点と線」の連載真っ最中。
「点と線」のさなかに「点」でっか?
ヨーロッパの作家は「夜と霧」の連載中に
「夜」なんて作品を世に送らんでしょう、いや、ジッサイ。

=おしまい=

2012年12月25日火曜日

第476話 有楽町でロードショウ (その2)

昭和32年当時の東京のロードショウ。
チケットの値段を求めてゆきついた、
松本清張の短編、「声」にはこうあった。

 いったい茂雄にはそんなところがあった。
 名もないような三流会社に勤めていて、
 安月給をこぼしているくせに
 流行型の洋服を月賦で新調したり、
 絶えずネクタイを買い替えたり、
 映画館でも有楽町あたりの高級館に朝子を誘って
 二人で八百円を払ってはいったりした。
 始終借金をしているらしい。
 そんな見栄坊なところが朝子には気になったし、
 性格の不均衡(アンバランス)な面も不安であった。

恋人同士の茂雄と朝(とも)子はほどなく結婚する。
上記は結婚を前にした朝子の心情の吐露である。
三流会社、安月給、月賦、借金、
もちろん現代にも実存しているが、いかにも昭和ですねェ。
有楽町の高級館、二人で八百円、
さんぜんと輝く往時のオサレなデートだったのでしょう。

でなわけで岡山県のY岡サンの問い掛けには
即座にお応えしたのだが問題はそこから始まった。
デスクやソファやベッドの上に拡げちまった10冊の短編集。
いったいどうすんのヨ、コレ?
Book Off にでも売るかァ! バカな、人件費も出ないヨ!

でもって、しっかたナシに読み始めやした。
読書週間でもないのに黙々と・・・・
ちなみにこのチャレンジは現在も進行中であります。
萩本の欽チャンじゃないが、何でこうなるのっ?
まっ、世の中こんなモンだわな。
ここまで書いてアタマが痛くなったので小休止。

キッチンで湯を沸かし、到来物の棒茶を淹れて
なぜか聴いているのは来生たかおのアルバム。
今かかっているのは「セカンド・ラブ」だ。
この曲は哀しいなァ。
流行らせた幸うすき明菜のことを
ぼんやり考えるうちに、曲は「めざめ」に替わった。

このアルバムを聴くのはかれこれ15年ぶりかも・・・。
来生たかおとオネエちゃんの来生えつこは
再びクローズアップされてもいいと思うんだがねェ。

おっと、清張サン、清張サン。
くだんの一作、「声」は結末が存外ながらまずまず楽しめた。
昭和31年の東京の町が次から次へと現れては消える。

銀座→有楽町→世田谷町→日ノ出町(豊島区)→
谷町(文京区)→指ヶ谷町(文京区)→田無(北多摩郡)→
小平町(北多摩郡)→立川→新宿→田端

てな感じ。
ちょいとした「東京だヨおっ母さん」ですな。

=つづく=

2012年12月24日月曜日

第475話 有楽町でロードショウ (その1)

=第365話 山手線をひとめぐり(その1)=で
昭和32年の流行歌、
「有楽町で逢いましょう」の1番の歌詞を紹介したところ、
3名の方からお便りをいただいた。

青森県のK藤サン
― 母が元気だった頃、よく台所で歌っていました。
  なつかしくて胸がキューッとなりました。―

東京都のS谷サン
― この歌がデパートのキャンペーン・ソングだったこと、
  初めて知りました。
  そういえば歌詞にデパートが出てきますものね。―

岡山県のY岡サン
― 当時の恋人たちはデパートで買い物をして
  ロードショーを観たのでしょうか・・・。
  映画の入場券っていかほどだったのかしら?―

それでは曲の2番。

 ♪  心に沁みる雨の唄
    駅のホームも濡れたろう
    ああ 小窓にけむるデパートよ
    今日の映画(シネマ)はロードショウ
    かわす囁き
    あなたと私の合言葉
    「有楽町で逢いましょう」    ♪
           (作詞:佐伯孝夫)

いただいたメールを読み下していて
ふと気になったのがY岡サンの問い掛けだった。
そう、昭和32年当時、
有楽町映画街における高級館のチケットは
いくらであったのだろう。

これにはおぼろげな記憶があった。
松本清張の初期の短編ミステリーに記述があったのだ。
おそらくわが家の本棚に収まっているものと思われるが
何せ清張の短編集だけでも10冊はあろうから
こいつは大変な作業になりそうだ。

手当たり次第に読み始めるのは効率が悪すぎる。
おそらく小説はリアルタイムの描写だろうから
昭和30年代初めの2~3年に書かれた作品にしぼり、
つぶしてゆくと3作目であっけなく問題解決。
自分のカンもまんざらではないと自画自賛しちゃいました。

小説のタイトルは「声」。
「小説公園」なる文芸誌の昭和31年10月号ー11月号に掲載された。
昭和33年には日活が「影なき声」というタイトルで映画化もしている。
主演は南田洋子と今年の1月に亡くなった二谷英明。
監督は若き日の鈴木清順で
彼が清張原作の映画を撮ったのはこの1本だけである。

「有楽町で逢いましょう」がリリースされたのは
昭和32年7月だからタイムラグは8ヶ月、まずビンゴであろう。
原作にはこうあった・・・。

=つづく=

2012年12月21日金曜日

第474話 マージャン教室 開講します

今日は頭のスポーツに関するお知らせです。
今年もあと10日ほどで終わりますが
明けて2013年1月より、
文京区・春日の「麻雀ロンロン」において不肖J.C.、
麻雀教室の講師をつとめることと相成りました。

当雀荘は昨年末に脱サラした友人の I 﨑K司サンが
この春に開いた雀荘なのです。
明るく清潔な店内は
従来の雀荘の暗く不健康なイメージとはほど遠く、
雀荘を意味する英単語、
マージャン・パーラーと呼ばれるにふさわしい空間です。

そこで当ブログを通して
新しい生徒さんの募集をすることとなりました。
老若男女を問わず、初心者から中級者まで
幅広く声をかけていきたいと思っています。

モットーは
・和気あいあいと楽しめる憩いの場の提供
・若い頭脳の柔軟な発想力の育成(ちとオーバー)
・人生の下り坂を迎えた方のボケ防止
といったところでしょうか。

巷で人気の大箱教室のように
ほとんど放ったらかしの大ざっぱな指導はいたしません。
コンパクトに丁寧に
麻雀を楽しみながら覚えていただきます。

パソコン相手と実戦は似て異なるもの、
麻雀の醍醐味をぜひ味わえるようになってください。
殊に年配の方には頭と指先を同時に使うこの”スポーツ”は
一石二鳥でボケ防止に大きな効果を発揮します。

開講日は2013年1月12日(土)午後。
当面、毎土曜午後、そして毎月曜夜を予定しています。
1レクチャー3時間制で受講費は
 男性・・・3000円
 女性・学生・シルバー・・・2400円
 (茶菓付き。完全禁煙、スモーキング・バルコニーあり)
となります。

「麻雀ロンロン」
 東京都文京区本郷4-25-8 猪尾ビル6F
 (白山通り&言問通りが交わる西片交差点角
  都営三田線・春日駅A6出口真上、徒歩0分
  最寄りは春日ながら地下鉄3線・後楽園駅も至近)
 03-5689-3122

お問い合わせは

okazawa@almond.ocn.ne.jp

どうぞお気軽にご相談ください。
キャパシティに限りはありますが
多くの方々のご参加をお待ちしております。

2012年12月20日木曜日

第473話 初めて蕨で飲みました

埼玉県・蕨市は面積において日本最小の市。
5.1平方キロメートルに7万1千人余りが住んでおり、
人口密度の高さも日本一である。

ずっと以前に一度だけここを訪れたことがあった。
当時のあるとも(歩き友だち=散歩の友人)と
二人で駅の周辺を2時間ほど徘徊したものの、
真っ昼間だったため、町の全貌を知るにいたらず、
その相棒からは
「つまんないとこに連れて来ないでおくれ、電車賃の無駄だヨ!」
たしなめられた苦い思い出があるのだ。

蕨といえば、1970年代のストリップ劇場華やかなりし頃、
東京の街角でよく蕨OS劇場のポスターを見たものだ。
往時、蕨と西船橋はストリップのメッカだった。
町を歩いたときに、ふとそのことを思い出したが
当地に乗り込んだのにポスター1枚貼られているわけでもなく、
とっくに消滅したものと決めて掛かり、あえて探さなかった。
それが今日、この稿を書き始める前に調べたら
蕨ミニ劇場というのが細々と営業を続けていることが判明。
客が20人も入ればいっぱいらしいが
とにかく驚いたネ、シーラカンスに遭遇した思い。

此度は「喜よし」という焼きとん屋が目当て。
これも数年前、何かの雑誌でなぎら健壱サンが紹介していた。
蕨駅から歩いて数分なのに店があるのは川口市。
駅の西は丸っきり蕨だが東は蕨と川口が複雑に入り組んでいる。
まったくヘンな町だヨ、ここは。

「喜よし」の焼きとんは味噌ダレがウリ。
同じ味噌ダレで有名な中野区・野方の「秋元屋」は
ここから分かれたのだと、どこかで聞いた記憶がある。
埼玉県・東松山市は味噌ダレの豚カシラをやきとりと呼び、
市内に何十軒もの専門店があるが、まだ行ったことはない。

さっそく生ビールとともに焼きとん・みそ焼きをお願いする。
カシラとレバーのミックスが6本で500円と安い。
本来はタン・ハツ・シロ・ナンコツが揃って6種・6本らしい。
仕掛けた時間がちょいとばかり遅かったかな・・・。
まっ、タン・ハツはあまり好きじゃないし、
ナンコツは固いのに出食わすと歯のためにならない。
なんて負け惜しみ言ってら。

カシラに味噌はよく合うがレバーは甘辛のタレのほうがいい。
素直な感想である。
煮込みはここ2ヶ月ほどイヤというくらい食べたのでパス。
ネギみそきつね焼き(120円)を2本追加した。
きつねといえば油揚げだ。
まずまずながら、湯島「シンスケ」のきつねラクレットには及ばない。
値段がずいぶん違うのでこれは致し方ナシ。

わざわざ遠征するに値する店でも町でもないけれど、
ディープタウンで飲みたい向きなら楽しめるところだろう。
でも、手前に十条・赤羽の最強コンビが控えてるからねェ。
よほどの決意を持って臨まないと、
北区で途中下車しちゃうことになりそうだ。

「喜よし」
 埼玉県川口市芝新町2-11
 048-266-1002

2012年12月19日水曜日

第472話 こんなそば屋がありました (その2)

そうだ、そば屋の屋号をまだ明らかにしていなかった。
大正時代に開業したのか、「大正庵」という。
視力のよい方なら昨日の写真を読み取っていたでしょう。

2杯目のビールをグラスに注いでいるときに
そば定食が登場した。
(ウワッ!)
いえ、声は出さなくとも衝撃のご対面であった。
存在感に圧倒される
まず、ボリューム感がスゴい。
ひやかけはいわゆるぶっかけそばで盛り込まれたのは
 大根おろし・揚げ玉・切り海苔・
 白胡麻・きゅうり・ねぎ・粉わさび
ときたもんだ。
ちょいと気取ったそば屋なんざ、1200円はふっかけようという豪華版。
もりにおろしを添えただけで
野口英世1枚じゃ追っつかない店があるもんなァ。

一箸つまんで驚いた。
旨い、そばが旨い。
コシの強い歯ざわり、なめらかなのどごし、つゆもスッキリと、
こりゃ町場のそば屋のレベルじゃございやせんぜ。
都心であればコレ一つで千円が適正価格だ。

そばを取り囲む脇役陣もなかなかのもの。
チキン南蛮だけはそれなりで可も不可もなし。
隣りのキンピラがうれしいねェ、ビールにピッタリ。
新香だって黄色いたくあんじゃなく、きゅうりのぬか漬けだ。
ごはんの米の質、炊き加減ともによし。
食後の満足感は満腹感とない混ぜになってやって来た。

お勘定で再び驚いた。
請求額の千円ポッキリは何かの間違いだろうと質したところ、
オネエさんが指し示した壁の貼り紙には

 御苦労様そば定食
 ビール又はお酒付き 1000円

いくらデフレの世とはいえ、この値段にゃ野口英世もビックリだ。
以後、夜に2回も訪れて、くだんの”御苦労様”をいただいた。
そのときのおかずはハンバーグと秋刀魚の煮付け。
もちろん2晩ともごはん抜きでネ。

住所は赤羽北だがJRの北赤羽や赤羽よりも
都営三田線・志村坂上からのほうが近い。
駅を降りたら真っ直ぐの1本道で判りやすく高低さもない。
他の2駅はかなりの上り坂になるし、
赤羽だと初めての人はなかなか行き着けないかもしれない。

電車賃をかけても行く価値アリの「大正庵」。
お~い、T大のブンガクくんよォ!
このブログ見たらさっそく行きなよォ!
白山まで歩いて三田線に乗るんだぜェ!

「大正庵」
 東京都北区赤羽北3-25-4
 03-3908-8417

2012年12月18日火曜日

第471話 こんなそば屋がありました (その1)

都の春いまだ浅い頃、
暖かな土曜日の散歩は板橋区・西高島平でスタートした。
ここは都営三田線の終着駅だ。
大きな団地のある高島平は住人以外に
地下鉄(地上だけど)の乗降客がほとんどいないと思われる。
よしんば何もなくったって構わないから
とにかく沿線を歩いてみようと心に決めていた。

新高島平―高島平―西台―蓮根―志村三丁目ときて
まあ、本当に何もないんだわ、ビックリするくらいに。
志村坂下から坂上に上って行く途中に
名も知らぬ小さな庭園があり、そこに立ち寄ったのみ。
そうしてやって来た志村坂上である。

これより先の中仙道沿いは土地カンがある。
このときふいに浮気心がアタマをもたげた。
どうせなら知らない地区を散策したい。
即断即決、駅前の交差点を左折し、
小豆沢方面に進路をとったのだった。
中学生の時分に小豆沢公園内の区営プールで泳いだが
辺りの光景に見覚えもなく、未知の町同然だ。

折れてから1キロほど歩いたろうか、
北区との区界を越えてすぐ、1枚の看板が目に飛び込んできた。
思わず足を止めて見上げましたネ
ちょっと小さくて読みにくいかな?
とにかく都の内外を問わずにあちこち歩き回り、
気になる飲食店の観察に余念のない身ながら
こういう看板を掲げる店は見たことがない。

店主の要望通りに”是非御来店して試食”したかったが
昼食を済ませたあとで、いささかムリ筋。
( I shall return !)を心に叫び、
後ろ髪引かれつつも赤羽方面へと歩を進めた。

それから実に半年後、やっと訪問の機会を作った。
正午前に暖簾をくぐると、けっこうな客入りである。
昼食時の人気メニューはそば定食(700円)の模様。
店のオネエさんに内容を訊ねると、
日替わり定食に冷やかけか温かけが付くという。
その日のおかずはチキン南蛮だった。

量的に絶対多いよなァ、懸念したものの、
そうなったらそうなったで
晩めしをセーブすれば済むこと、挑戦する気になった。
一度腹をくくってしまえば
輪をかけて太っ腹になるのがJ.C.の悪いクセ。
勝負事で調子がいいときは
カサにかかって攻める性格だからねェ。

そいでもってどうしたかというと、
ビールを1本追加しちゃいました。
注文してはみたものの、ビールが運ばれた瞬間に
さっきの強気はどこへやら、オネエさんに伝えました。
「ごはんは半分以下でお願いします」
われながら弱っちいや。

=つづく=

2012年12月17日月曜日

第470話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その3)

この3年4ヶ月はいったい何だったのだろう。
鳩・菅・野、揃いも揃って馬鹿と阿呆ばかりなりけり。
国民をああまで愚弄した報いとはいえ、
こうまで愛想づかれされるとは思わなかったろうに。

それはそれとして煮込みの旅はまだ続いた。
伊勢崎線の線路は続くヨどこまでも、である。
西新井を訪れた翌日、埼玉県・春日部市へ遠征した。

この日は当地の市民文化会館で
鳥羽一郎&ピンクボンゴのジョイントコンサートが開催された。
前日もつき合ってくれた春日部のお茶屋社長・Hしクンが
招いてくれたのはまさに渡りに舟だ。
のみとものN村クンとタコちゃんを誘い、意気揚々と出掛けた。

コンサートの前に1軒目の「福島や」。
いつぞやは当ブログでも紹介した。
殻付きうずら玉子の串焼きに度肝を抜かれた店である。
サッポロ赤星でいただいた煮込みは豆腐入り。
オーソドックスな豚シロの味噌仕立てに安定感がある。。

軽く立ち寄るつもりが町の墓石屋さん・Y田氏の合流もあり、
赤星ラガーのあとにサッポロ生中を3杯も飲んでしまった。
公演中に催すのではと、少々心配になったりもしたが
ワリと我慢の利く体質につき、何とかなるであろう。

初めて観る鳥羽チャンの歌唱もさることながら
曲の合間のベシャリが上手なのには正直驚いた。
実力派ピンクボンゴの演奏もまことにけっこうだ。

コンサートのハネたあと、
われら3人を引率してくれたのは主催者側のHし社長。
訪れたのは「もつ焼き 熱田」。
春日部では知られたホルモン焼き屋があらたに開いた店だ。
豚もつ煮込みと牛すじ煮込みの両方を味わう。
どちらもそこそこのレベルに達していた。

感心したのはお初にお目に掛かったわさびサワー。
焼酎ベースのサワーにおろした生わさびを投入する。
わさびには一家言持つJ.C.が虚を衝かれた。
半信半疑で試してみたら意外や意外、イケちゃうのである。
まあ、ウチでやってみようとまでは思わなかったけれど・・・。

最後に向かったのは最近オープンした「春日部休憩所」。
店名がなかなかにふるっている。
ここは和・仏・伊が溶け合うビストロ風トラットリアとでも申そうか。
ザッとメニューを紹介してみる。
自家製パテ、バーニャ・カウーダ、ポテトとキノコのグラタン、
豚トロとアスパラのトマト炒め、チーズのライスコロッケ、
もちろんピッツァとパスタも揃っている。

豚すじ塩煮込みと牛トリッパトマト煮込みを注文。
ここにも2種類の煮込みが揃っていた。
しかもともに個性が立って味わい深い。
春日部という町は隠れた煮込みタウンであった。
新潟は阿賀町の産、麒麟山を常温で飲みながら
そんな思いがこみ上げてきた。

=おしまい=

「福島や」
 埼玉県春日部市粕壁東1-13-8
 048-755-0970

「もつ焼き 熱田」
 埼玉県春日部市中央1-9-13
 048-754-5550

「春日部休憩所」
 埼玉県春日部市中央1-22-22
 090-6103-8886

2012年12月14日金曜日

第469話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その2)

煮込みの調査で足立区・西新井に来ている。
この駅で東武大師線に乗り換えれば、
弘法大師ゆかりの名刹、
西新井大師(五智山總持寺)まで一駅。
神奈川の川崎大師、
千葉・香取の観福寺大師堂とあわせて
関東厄除け三大師と呼ぶのだそうだ。

煮込みのハシゴのついでにお参りもないものだから
関原地区にて煮込み行脚を継続する。
2軒目の「浩二」での支払い時に
「またあとで寄るからネ」―こう女将にささやいたらしい。
心のうちで締めはこの店のラーメンと決めていたのかもしれない。

さて、3軒目は立ち飲みの「酒屋バル nibu」。
ここはお茶屋・Hしクンのホームグラウンドだ。
以前にも一度案内されたことがある。
ブンガクくんにとっては初訪問、というより、
彼にとっては西新井の街そのものが未踏の地だったのだ。

実はJ.C.、「nibu」の店主夫妻には恩義があった。
あれは今年の5月末。
旧友とともに北千住のスペインバル「ボケロン」を訪れた折、
満席であきらめ、引き揚げかけたところ、
店内のカップルがオモテに出て来て席をゆずってくれたのだった。
この親切なカップルこそ店主夫妻。
「nibu」には一度しかオジャマしていないのに
よくぞ覚えていてくださった・・・なのである。
恩を返すのにずいぶん日が経ってしまったけれど、
何となく肩の荷が下りた感じ。

もともとここは酒屋さん。
18時まで「松屋酒店」、それ以降は第二部の「nibu」になる。
カリニャン種の赤ワインをグラスで2杯飲んだ。
カリニャンはスペイン・サラゴサ県原産のぶどう品種。
プチトマト入りの牛すじ煮込みにピタリと寄り添う。
パンをもらったことだし、
鶏レバーのムースがほしくなったが、ここはグッと我慢の子。
これから約束をはたさずばなるまい。

そうして舞い戻った鶴田浩二ならぬ、ただの「浩二」。
女将に訊いたら息子さんの名前なんだと―。
スーパードライを飲みながら
3人で焼きそば&ラーメンを分け合った。
おう、おう、どちらもマトモだ、マトモだヨ。

 ♪ 何から何まで 真っ当じゃないか
   筋の通った ものばかり
   右を向いても 左を見ても
   馬鹿と阿呆の 男づれ
   どこに女の 影がある     ♪
    (本来は作詞:藤田まさと)

Hしクン、ブンガクくん、今回は馬鹿と阿呆にしちまって
ごめんねごめんね~!
おっと、これは鶴田浩二じゃなくって、U字工事でありました。

=つづく=

「酒屋バル nibu」
 東京都足立区関原3-28-11
 03-3886-2270

「浩二」
 東京都足立区関原3-17-10
 03-3887-0369

2012年12月13日木曜日

第468話 煮込み追いかけ伊勢崎線 (その1)

昨日は五反田発の東急池上線だったが
今日は浅草発の東武伊勢崎線。
何やら私鉄づいている。
野口五郎の「私鉄沿線」でも聴きたい気分だ。

今年もいつの間にか師走、
先月、先々月は発売中の「東京冬ごはん」の取材で
毎晩が煮込み状態だった。
やくざの大喧嘩(でいり)や要人暗殺の際に
寝込みを襲われるのはよく耳にするけれど、
煮込みに襲われたのはJ.C.くらいのものではないかいな。

とまれ、都内をあちこちさまよい、再検証に次ぐ再検証。
しばらく煮込みのカオはご免こうむりたいと思った矢先、
O編集長から発信されたミッションが伊勢崎線を踏破せよ! 
なかなか厄介なんだな、これが!
伊勢崎線といっても
浅草の川向こう、いわゆる墨東や北千住は熟知している。
しかし、その先はあらたに地道に探索せざるをえまい。

そうして侵攻した西新井の町。
こんなときには仲間に声を掛けるのが一番。
改札で待合わせたのは春日部のお茶屋社長・Hしクンと
本郷の現役大学院生・ブンガクくんである。
こう見えても(見えねェ!ってか?)気のいい二人だ、

皮切りは駅東口の「丸重」。
珍しい生ホッピーに意表を衝かれた。
しかも白・黒の両揃いときたもんだ。
1杯ずついきたいところなれど、これからが長い。
妙案のハーフ&ハーフをグイッと飲る。

目当ての牛すじ煮込みは豆腐が入った甘辛醤油味。
足立区ではなく、墨田区の水準に達している。
にらオムレツと呼ぶにふさわしい、にら玉がよかった。
1皿4本のもつ焼きは塩とタレで計2皿。
総じて悪くなかったが、西新井代表とまではいかない。

西口に回って徒歩数分の関原地区を目指す。
未訪ながら目星を付けておいた「浩二」が2軒目。
鶴田浩二みたいな店主がいたら、どう仁義を切ろうか?
意外にも切り盛りするのは還暦超えの女将だけだった。
忙しくなると、近くに住む娘が手伝いに来たりもするそうだ。

瓶ビールを飲みながらの煮込みは豚シロの赤味噌仕立て。
ほ~う、けっこうじゃないの。
お茶屋がじゃがバタ塩辛、ブンガクがかきバターを所望した。
これはブンガクのほうの筋がよろしい。
ゆでたじゃが芋に出来合いの塩辛ってのはどうもネ。
品書きにあったラーメンと焼きそばは
娘さんが拡げたメニューで以前は出していなかった。
どこか惹かれるものがあったが
先を急がねばならぬ身、早くもお勘定である。

=つづく=

「丸重」
 東京都足立区栗原1-7-21
 03-3859-7679

2012年12月12日水曜日

第467話 やはり鰻はおかしいゾ!

「有楽町で逢いましょう」に始まり、
「嵐を呼ぶ男」で終わった山手線めぐり。
先日、裕次郎がドラム缶をたたいた五反田を訪れた。

 ♪  終電時刻を確かめて あなたは私と駅を出た
   角のフルーツショップだけが 灯りともす夜更けに
   商店街を通り抜け 踏切り渡ったときだわね
   待っていますとつぶやいたら 突然抱いてくれたわ
   あとからあとから涙あふれて うしろ姿さえ見えなかったの
   池上線が走る町に あなたは二度と来ないのね
   池上線に揺られながら 今日も帰る私なの     ♪
                    (作詞:佐藤順英)

だしぬけにシンガーソングライター・西島三重子の「池上線」。
作詞の佐藤サンは実体験をもとにこの詩を書いた。
でも実際にフラれたのは歌詞とは逆に彼のほうらしい。
数分後に別れる二人が降りた駅は池上駅。
角にフルーツショップがあったとしても
ほかには池上本門寺しかない寂しい駅である。

池上線は五反田と蒲田を結ぶ東急電鉄の路線。
品川区と大田区の間を弧を描いて走るローカル線だ。
今もこの電車に乗ると、西島三重子の歌声が耳にこだまする。
沿線の戸越銀座や洗足池は
デートにピッタリで訪問者の老若を問わないのがエラい。

池上線の始発駅・五反田に戻ろう。
その日、所用が片付いたのは18時過ぎ。
日はとっぷりと暮れている。
身を置くところは何軒もあるが新規開拓にいそしむことにした。

駅前ロータリーを超えて歓楽街に入り込み、ブラつくこと30分。
何となしに「松月」なる鰻屋の前にたたずんでいた。
店頭にはランチの品書きが残っている。
天丼・海鮮丼・金目鯛煮つけ定食が1000円。
柳川定食が1200円で特うな丼は1500円。
もつ煮込み定食(950円)なんてのもあったが、これは高い。
ほかはともかくも特うな丼がずいぶんと低価格じゃないか。
しかも鰻は愛知県の一色産だという。

最近、鰻じゃロクな目に逢っていないがダメ元で飛び込んだ。
女将との短い会話で奨められた菊定食(1800円)をお願いする。
あとはビールと必注の肝焼き(300円)だ。
肝焼きは値段が値段だけにこんなものか。
肝臓の姿なく腸管ばかりなのは肝吸い用にレバーを抜いた証し。

ホンの15分ほどで整った菊定食。
あまりに貧相な鰻はほとんどどぜうの蒲焼きだ。
ひからびていて本来の味も香りもしない。
隣りにこれまた小さなどぜう柳川鍋。
あとはおざなりな香の物とお吸い物。
やっちまったヨ、安物買いの銭失いとはこのことであった。
やはり鰻はおかしいゾ!

長居は無用と早々に腰を上げる。
支払いの際に女将がひとこと耳元でささやいた。
「お口に合いましたでしょうか?」
合うわけないから話題をそらすほかはない。
「ここしばらく鰻屋さんは大変でしょうねェ」
「ええ、本当に、あまり値上げはできませんし、苦しいですヨ」
(こんな鰻を食わなきゃならない客だって苦しいヨ)
言葉を飲み込んで、独りゆく夜の五反田の街。

「松月」
 東京都品川区東五反田1-16-3
 03-3441-6365

2012年12月11日火曜日

第466話 山手線をひとめぐり (その2)

山手線めぐりは上野から大塚へ。
大塚はかつての三業地。
往時は隣りのターミナル駅・池袋をしのぐ繁華を誇った。
三業地って何だ? ってか?
料亭・芸者置屋・待合の三業種を当局から認可され、
それぞれが営業していたエリアでござんす。

名残りが漂う街で真っ先に訪れたいのが
南口のロータリーに面する酒亭「江戸一」。
当ブログでたびたび紹介しているから今さら多くを語らぬが
文字通り、江戸で一番の酒亭がここ。
日本酒党はぜひ出向き、一献傾けていただきたい。
店と客が一体となって小粋な空間を育んでいる。

大塚駅改札を南に出てたたずむと、
ロータリーをゆっくり通過するチンチン電車が
古き良き東京をしのばせてくれる。
JR山手線と都営荒川線がモロに交差するのは
都内広しといえどもここだけ。
偶然の産物だろうが、この光景はずっと失いたくない。

都電の路線で思い出深いのは
深川・木場から乗った丸の内南口行きと
池袋東口から乗った数寄屋橋行き。
何年か前にスイスのチューリヒでストリートカーに乗車したとき、
大都会・東京と小都会・チューリヒの彼我の差をつくづく感じた。
東京に残る唯一の都電、荒川線だけは何としても残そうヨ。
それが東京都民のつとめであろう。

山手線の中で大嫌いな新宿と渋谷はトバそう。
どちらも人が多すぎて生きた心地がしない。

そうしてやって来た五反田。
ここのいいところはホームから見下ろせる東口ロータリー。
やはり地表にロータリーを持つ駅はいいやネ。
地方へゆくとロータリーの上に
歩道橋を兼ねた広場が広がる駅が目立つ。
苦肉の策だとしてもヤボッたさがすべてをブチ壊している。

東口から線路沿いを目黒方面に歩いてほどなく、
「助川ダンス教室」の看板が見えてくる。
教室の入るビルを超えてすぐ、右側に小さな石段がある。
何の変哲もない階段だがスクリーンを通して
この上に若き石原裕次郎の姿を見ることができた。
当時、J.C.は小学校に上がる前のマセたガキだった。

映画は「嵐を呼ぶ男」。
階段上に現れたのは弟役の青山恭二と
その恋人の芦川いづみの3人。
階段の上に裕次郎の家族が住むアパートがあったのだ。
母親とのいさかいで部屋を飛び出した裕次郎が
へし折った棒っ切れをスティっク代わりに
ドラムに見立てたドラム缶をたたく。
忘れられないなァ、あのシーン。

この映画をキッカケとして日本人は
ガソリンの入ったデカい缶をドラム缶と呼ぶようになった。
なあ~んていうのは嘘。
映画が公開されたのは昭和32年。
そう、街には「有楽町で逢いましょう」が流れていたっけ。

2012年12月10日月曜日

第465話 山手線をひとめぐり (その1)

JR山手線の正式名称は
”やまてせん”ではなく”やまのてせん”。
もともと”やまのて”だったのが
終戦直後に連合国軍総司令部の指示で
鉄道施設のローマ字併記を実施した際、
旧国鉄内の通称”やまて”を
YAMATEとしたために混同された。

国鉄当局が二本立てを一本化したのが1971年3月7日。
先週のブログでふれたが
五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が世に出たのも
J.C.オカザワが横浜から出国したのも1971年3月である。
だから何だ? と問われれば、
ベツに何でもございませんが・・・。

山手線には29の駅がある。
そのうち好きな駅(周りの雰囲気が)は
有楽町・上野・大塚・五反田の4駅。

有楽町にはいろいろと思い入れがある。
駅前の旧「レバンテ」は大好きなレストランだった。
デートの待合わせも今は無き日劇か、
今も在るソニービルだった。

 ♪ あなたを待てば雨が降る
   濡れて来ぬかと気にかかる
   ああ ビルのほとりのティー・ルーム
   雨も愛しや 唄ってる
   甘いブルース
   あなたと私の合言葉
   「有楽町で逢いましょう」   ♪
         (作詞:佐伯孝夫)

フランク永井が歌ったのは昭和32年。
作曲は国民栄誉賞の吉田正だ。
東京進出をはたしたデパート「そごう」の
キャンペーンのために生まれた曲は一世を風靡したものの、
今ではデパートの代わりにカメラ屋が営業しちまっている。
あゝ、無情!
ただ、東口の商業施設「イトシア」に
歌詞の一部が採用されたのは何となくうれしい。

上野に移動する。
この駅はお山の上と下とのギャップが面白い。
公園口から出るのと不忍口から出るのとでは
周りの様子がまったく異なる。
学生カップルのデートは”上”、
不倫相手との逢瀬は”下”であろうヨ。
もっとも熟年が”上”を散策してもすがすがしいし、
”下”で買い物や食事を楽しむ若者も目立つ。

J.C.はひんぱんに上下を行ったり来たり。
このところオペラや美術館にはご無沙汰ながら
わが楽園としての動物園の存在がとても大きい。
動物園の東園は”上”、西園は”下”に位置する。
西園の隣りの不忍池と弁天島も当然”下”だ。
立ち飲める酒場に事欠かない”下”は呑ン兵衛のパラダイス、
混沌とした魅力に満ちている。

=つづく=

2012年12月7日金曜日

第464話 よこはま橋に行きましょう (その3)

到着時間にバラつきがあったものの、
そこは土佐の高知の中村方式。
勝手に飲み始め、全員集合した時点であらためて乾杯だ。
のどをすべり落ちたのはキリン一番搾りの生ビール。

横浜は日本におけるビール発祥の地。
麒麟麦酒もこの地で創業している。
よって地域ではキリンが断トツのシェアを誇る。
調べたわけじゃないから確証はないけれど、
横浜をあちこち飲み歩き、肌で感じた。

みんなに食べてほしかったのは、いの一番に叉焼。
ここのはラーメン屋でおなじみの煮豚ではない。
オーヴンでビシッと焼き上げた焼き豚だ。
同じ豚でも煮るのと焼くのとでは大違い。
何といっても中華は”叉焼”、手抜きの”叉煮”はいただけない。
しかも紅麹の輪郭鮮やかな正統派だから余計にありがたい。

周りが赤い焼き豚は大好き。
中華街の中華料理店は玉石混交なれど、
こと叉焼に限っては東京の店舗よりレベルが高い。
J.C.にとって横浜の第一感は赤い叉焼と、
裕次郎の「赤いハンカチ」ということになろうか。

「酔来軒」の前菜はピータン・ハチノス・海老天の盛合わせ。
和気あいあいとつまみながら、15年物甕出し紹興酒に移行した。
ヨソでは見掛けぬ珍品のトマト肉団子は
ミートボールの中にプチトマトが潜んでいた。
スコッチエッグのゆで玉子の代わりにトマトを仕込んだものだ。
味的にはあまり感心はしなかったけれど・・・。

廣東料理を謳うだけに点心の海老餃子と焼売は高水準。
推奨品の中華風茶碗蒸しも和風と異なる佳品だ。
育ち盛りをとっくに超えたのに、みなの食欲は旺盛きわまりない。
締めにはタイトルロールの酔来丼を分け合った。
具は焼き豚・シナチク・もやし・ねぎ・目玉焼き
これがたったの400円では
「すき家」も「松屋」も「吉野家」も太刀打ちできまい。

よこはま橋をあとにして舞い戻った野毛の町。
かなり歩いたから馬体が重めのY子なんざ、
着いたときには息も絶えだえで酸素マスクが必要なほど。
それはともかく、横浜の野毛は東京の浅草みたいな存在。
呑ン兵衛を歓ばせる店がいくらでもある。

吟味の末、以前に立ち寄った居酒屋になだれ込み、
冷やしトマトでビールを飲んだところまで覚えちゃいるが
恥ずかしながらあとはすべて忘却の彼方。
ひとしきり飲んでそれぞれ帰って行った宮城・埼玉・千葉・本郷。
まことにお疲れさまでした。

「酔来軒」
 神奈川県横浜市南区真金町1-1
 045-231-6539

2012年12月6日木曜日

第463話 よこはま橋に行きましょう (その2)

美空ひばりゆかりの町・野毛から
よこはま橋を目指し、ヒマにまかせて歩く。
よこはま橋商店街の最寄り駅は市営地下鉄・阪東橋。
「新横浜ラーメン博物館」のあとの移動に都合がよい。
JR京浜東北線の関内か石川町からのんびりゆくのもオススメ。
その場合、伊勢佐木町を通る関内からのほうがより楽しい。
京急本線・黄金町はセカンド最寄りでこれもまた便利だ。

商店街の北側から入って南に下る。
途中、必ず足を止めるテイクアウト専用の惣菜屋がここ。
彼女を見るたび焼き豚が食いたくなる
廉価にして味もなかなかだから
わざわざデパ地下の有名中国料理店で買う気がしなくなる。

鮮魚店が多く、商店街には下町情緒が漂う。
なかには安かろう、悪かろうの店もあるから
買い物にはそれなりの目利きが求められる。
近所にサカナ屋がある暮らしは実にいい。
町の生活観をストレートに映し出すのは一番に鮮魚店。
続いて青果店、精肉店という順番だろうか。

それにしてもキャラメルやビスケットを売る、
一般的な菓子屋が町から消えて久しい。
スーパーとコンビニに駆逐されたのだ。
乾物屋なんてのも今の若者には判るまい。
すでに死語にして死舗ですネ。

よこはま橋商店街を抜けてすぐ左手、
当夜の会場、「酔来軒」に着いた。
その夜、参加したメンバーは総勢8名。
敬称略でつまびらかにすると
Y子・W子・R子・I原夫妻・H野・O堤の布陣。
♂と♀とが4名ずつで合コンにピッタリだ。
宴の終わりにはかつてのTV番組「パンチDEデート」さながらに
好きな相手の告白タイムなんてアイデアも脳裏をかすめたが
仲むつまじい”新婚さんがいらっしゃってる”からそうもいかない。
しかし、両番組とも進行役は桂三枝(現6代目文枝)だ。
素人をいじくらせたら右に出るものがいないからねェ。
本職の落語より上手いんじゃないの。

揃って遠路はるばるやって来る集まりは
遅刻者も出そうだから中村方式を採用した。
何じゃソレは? ってか? 
よくぞ訊いてくれました。
コレ、高知県・中村市から全国に広まった(?)システムで
宴会の際、会場に到着した人から飲み始める方式なんざんす。
上司も部下も、接待も被接待もありゃしない、
いわゆる早いモン順ですな。
ただし、先着したからって定刻前のフライングは反則だそうだ。

ホントにそんなのあるのか? ときましたか?
かれこれ17、8年前、
これまたTV番組の「クイズ 日本人の質問」で紹介されたから
間違いはございません。

=つづく=

2012年12月5日水曜日

第462話 よこはま橋に行きましょう (その1)

 ♪ 森へ行きましょう 娘さん アハハ
   鳥が鳴く アハハ  あの森へ ララララララ
   僕らは木を伐る 君たちは アハハ
   草刈りの アハハ  仕事しに     ♪
      (作詞:東大音感合唱団らしい

ポーランド民謡の「森へ行きましょう」を
初めて聴いたのは1962年か63年だったと思う。
正確には聴いたというより、
小学校の音楽の授業で習ったというのが正しい。

ポーランドでは古くから歌われていたこの曲が
日本に入って来たのは1955年。
10年も経ずに文部省が目をつけたことになる。
今と違い、昔のお役所仕事は迅速だったようだ。

港の見える丘の下でラーメンとカレーを食べた午後。
中華街と野毛の町をブラブラしたあと、
相方のP子は鎌倉へ帰って行った。
そして一人たたずむ横浜のたそがれどき。

 ♪  よこはま たそがれ  ホテルの小部屋
    くちづけ 残り香 煙草のけむり
    ブルース 口笛 女の涙
    あの人は 行って行ってしまった
    あの人は 行って行ってしまった
    もう帰らない          ♪
           (作詞:山口洋子)

そういう間柄じゃないから独り取り残された気はしない。
けれど何気なしに口ずさんだのは
五木ひろしのデビュー曲(五木としてはネ)。
リリースされたのは1971年3月だ。

忘れもしない41年前、その年その月25日の午前11時。
19歳のJ.C.はソビエト船・ハバロフスク号に乗り込み、
生まれて初めて故国を離れたのでした。

 ♪ 横浜から船に乗って ナホトカ着いた
   ここは港町 女が泣いてます   

ここんとこ歌ばっかりですんません。
「長崎から船に乗って」は五木ひろしの第2弾。
もっともナホトカの港じゃ、誰も泣いちゃいませんでしたがネ。

数ヶ月後に横浜の大桟橋に帰って来たら
日本全国津々浦々、流れていたのは「よこはま・たそがれ」、
「また逢う日まで」、「わたしの城下町」、この3曲でやんした。
しっかし、歌う3人はいずれも抜群の歌唱力ですなァ。
今の世のチャラ歌手に彼らの爪の垢でも煎じてやりたいヨ。

おっと、どうもハナシがソレルわ、ジュリアン・ソレル。
(文学好きじゃないと判らんよネ))
P子を見送ったあと向かったのは
横浜きっての下町的商店街、そう、よこはま橋商店街だ。
さして長くもないアーケードながら、ここは歩いていて楽しい。
みなさん、横浜を訪れたらぜひ、よこはま橋に行きましょう。
やっとこサ、冒頭の「森へ行きましょう」とつながりました。

=つづく=

2012年12月4日火曜日

第461話 港の見える丘の下

 ♪ あなたと二人で来た丘は
   港が見える丘
   色あせた桜唯一つ
   淋しく咲いていた
   船の汽笛咽(むせ)び泣けば
   チラリホラリと花片(はなびら)
   あなたと私に降りかかる
   春の午後でした      ♪
         (作詞:東辰三)

「港の見える丘」は敗戦の2年後、
1947年のリリースで平野愛子のデビュー曲。
15年後の1962年、横浜に港の見える丘公園が開園した。
もちろん公園名はこの流行歌にちなんでいる。

港の見える丘には公園のほかに
横浜外国人墓地(通称:外人墓地)があり、
この一帯は山手地区。
カップルの散策には恰好のエリアといえる。

丘のふもとに美味しいラーメン店があるとの情報を得て
とある日曜日、東京駅から東海道本線に乗り込んだ。
実はその夜、伊勢佐木町近くの中華料理屋で
J.C.主催の小宴会を張る予定であったのだ。
晩餐が中華だというのに
昼からラーメンを食わなくてもよさそうなものだが
ぜひ訪れたかった店につき、ほかの選択肢はなかった。

つき合わせたのは鎌倉在住のP子。
当ブログにも何度か登場しているからおなじみでしょう。
オンナおんなしていない、
サバサバした性格はまったくの天然。
養殖モノがはびこるご時勢には貴重であろう。

JR横浜駅のホームで待合わせ、
京浜東北線に乗り換えて石川町で下車。
「下前商店」に向かってトコトコ歩いて行った。
店先の行列を形成するのは6名、何だこれなら楽勝じゃん。
と思ったのもつかの間、店内に立ち待ち客が10人ほど居たヨ。

40分ほど経過して席にありつく。
サッポロの赤星ラガーを飲みながら出来上がりを待ったのは
麺少なめのラーメン、細切り叉焼とねぎが別盛りのネギソバ、
そしてもう一つの人気商品、カレーライスのスモールサイズだ。
これを分け合う腹積もり。

鳥ガラ主体の醤油スープが好感を呼ぶラーメン。
塩味スープがねぎ&叉焼とマッチするネギソバ。
ともに麺は細打ち。
クローヴ(丁子)が主導する辛めのカレー。
三者三様にイケている。
L字形カウンター内のスペースはかなりのものだが
中にはオニイさんが独り切り。
注文・調理・会計、そのすべてをこなす。
人件費は切詰められているし、商店街からちょいと外れている。
こりゃ効率がいいから儲かるだろうな。

迷うのが心配な向きは元町の老舗パン屋、
「ウチキパン」を目指すとよいだろう。
何ならここの店員サンに場所を訊いちゃうのが早道だ。

「下前商店」
 神奈川県横浜市中区元町1-54-1
 045-662-6588

2012年12月3日月曜日

第460話 穴子の活作り

鰻はすっかり庶民には手の届かぬ高級魚。
本まぐろの中とろより高価になった。
そこへいくと鰻によく似た穴子は経済的弱者の味方だ。
鯵や鯖や秋刀魚のような大衆魚とはいえなくとも
デパ地下・スーパーで売られている蒲焼きの値段は
鰻と穴子じゃ雲泥の開きがある。
弱きを助ける穴子のような肌合いの持ち主を
穴子肌ならぬ姐御肌と称する、ナンテことをネ。

数ヶ月前、夜の散歩中にたまたま出会い、
気に入った根津の「海鮮茶や 田すけ」は
店頭の品書きにあった穴子の刺身に惹かれたのだった。
血液にイクチオトキシンなる毒素を持つ鰻の刺身はアウトだが
穴子なら刺身で食べてもOK。
なのになぜか日本では一般的でない。
韓国・釜山の海岸に連なる屋台じゃ、ポピュラーなんだがな。

こういう貴重な美味は仲間と分け合おうというのがJ.C.イズム。
ある土曜日に召集をかけると、集まったのは5名。
H野サン、欣チャン、Hしクン、A薙クン、M原サン。
いずれ劣らぬ食いしん坊揃いが
L字形カウンターに鉤の字座りだ。
本来、穴子刺しは金曜限定だが
予約時にちゃんと人数分の仕入れをお願いしておいた。

前菜の盛合わせは総じて悪くはない。
あん肝だけはちと生臭くてアカンかった。
穴子の前に出てきた〆さばはよい。
のどぐろの一夜干しは小ぶりながらもそれらしき味がする。
威勢がよくて咬みつかれそう

ここでお待ちかねの穴子刺しが登場。
さっきまで活きていた穴子
鰻職人のように目打ちするのではなく、
氷水に放って凍えさせ、
動きを封じてさばくから時間も手間も掛かるのだ。
したがってほかの料理を作りながら
時間差で一人前ずつ配膳される。
J.C.のはラストの1尾ということになる。

この夜は生わさびと生醤油を持ち込んだ。
鮨屋じゃないから生わさびがないのは仕方ないとして
溜り醤油だけというのは関東人にかなりシンドい。
今はむかし、京都の鮨屋で一桶のにぎり鮨を食べたとき、
店のオバさんが運んできた醤油の小皿をのぞいて
(ババア、ブルドッグソースと間違えやがったナ)
そう思ったものだ。
京都で鮨なんか食うもんじゃないわいな。

おろし立ての本わさでいただく活穴子の旨さよ!
5人の仲間にとって生の穴子は初体験。
それぞれに歓んでくれ、
連れてきたかいがあったというもの、よかった、よかった。

ところがたった今、
念のために調べてみたら鰻ほどではないにせよ、
真穴子の血液にも弱い毒素が含まれているらしい。
J.C.は何度か食べて何ともないから大丈夫だとは思うが
乳幼児や老人には食べさせないほうが無難かもしれません。

「海鮮茶や 田すけ」
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