2013年2月28日木曜日

第523話 夕陽とうなぎを追いかけて (その3)

南房総、というよりも房総半島の突端に近い、
館山の由緒あるうなぎ店「新松」にいる。
江戸末期の創業は当代が五代目という。
とにかくデカい鉢の酢の物を前に途方にくれているのだ。
1200円も取るんだからハーフサイズを用意しておくれでないかい?

昨日の写真ではその大きさがつかみにくいので、もう1枚。
小さめのおろし板に中サイズの生わさび
鮫皮の板とわさびは持参した。
両者はいつも同行してくれる頼もしいわが旅の友だ。

酢の物の内容は
このしろ・たこ・子墨いか・赤貝・海老・わかめ・みょうが・きゅうり。
出世魚の小肌は新子・小肌・なかずみ・このしろと、
成長とともにその名を変える。
ご覧のように大柄なかすり模様はもはや小肌ではなく巨肌である。
大味なものもあったけれど、本わさびが功を奏してなんとか完食。
しかし、こりゃニセわさびじゃ食えやせんぜ。

品書きをちょいと紹介しておこう。

鰻献立
 イ・並うな重(中串)             2500円
 ロ・特上うな重(大串)            3000円
 ハ・超特上うな重(御飯の間にも鰻入)  3500円

おつまみ各種
 肝焼き(2本) 900円  うざく 1300円  う巻き 1500円
 お刺身・天麩羅 各1680円  たこブツ 700円  

ほかに冬季限定のこんなのがあった。
味噌仕立ての鍋は2人前で5000円 

注文したのはうな重の並。
うなぎは鹿児島産
蒸しが浅く、歯応えを残している。
フワフワでとろけるタイプよりずっと好きだ。
肝吸いには三つ葉・しいたけ・竹の子が。
新香はきゅうり・白菜・たくあんの三種盛りである。

それなりの満足感を胸に再び夜道を駅へ。
街を見て回ることもせず、内房線の上り列車に乗り込む。
旅の主要な目的は東京湾の夕陽だから、これはこれでよしとしよう。
しかしながら、このまま東京へトンボがえりするJ.C.ではない。

へへっ、降車したのは千葉駅でありました。
目星をつけておいた「スタミナ呑」に直行する。
ところが目印となる動物病院がなかなか見つからない。
仕方なく電話を入れると、店の女性が迎えに出てくれた。
訊けば、病院は廃業したとのこと、道理で。

焼肉屋みたいなへんてこりんな店名ながら、ここは居酒屋である。
のどが渇いており、いきなりレモン・山いちご・黒糖梅酒のサワー三連発。
つまみは厚揚げの焼いたのと焼きとんのレバをタレで2本。
「新松」では肝焼きを食べなかったから補給した恰好になった。
するとこのレバが旨い、レアじゃないのに旨い。

切盛りするのは親父さんと先ほどの女性だが二人は夫婦ではない様子。
言葉遣いに遠慮があるものの、互いに親しみを感じているようでもあり、
将来の女将さん候補といったところかな? まっ、野暮な詮索はよしとこう。
1時間少々の滞在で支払額は1930円。
夕陽とうなぎを追いかけた日帰りの旅に
サワーと焼きとんのオマケがついて、ヨは満足至極じゃ。

=おしまい=

「新松」
 千葉県館山市北条1561-3
 0470-22-0472

「スタミナ呑」
 千葉県千葉市中央区登戸1-7-14
 043-247-5914

2013年2月27日水曜日

第522話 夕陽とうなぎを追いかけて (その2)

東京駅から乗り込んだのは普段乗りつけないJR京葉線。
ディズニーランドに用がなければ、まったく無縁の路線だ。
蘇我駅でJR内房線に乗り換え、
目指したのは房総半島の先っちょにある館山。

狙いは二つ。
まず内房線から眺める東京湾の夕陽が
すばらしいと聞いていたので一度拝みたかった。
ただし、3時間近くも掛けて行って
夕陽だけ見て帰って来たのではうかばれない。
館山のとある老舗うなぎ店で晩酌を楽しもうというのが
第二の目的としてあった。
館山はむか~し海水浴に来たことがあり、
指折り数えてみたら、実に32年ぶりでしたとサ。

浜金谷を過ぎて保田と安房勝山のあいだあたりから
対岸の三浦半島に沈みゆく夕陽が臨まれた。
♪ 落ちる夕陽が 瞳(め)にいたい ♪

ガタゴト走る列車からのスナップにつき、
上手に撮れていないが観賞に堪えないこともないので紹介。

夕陽はいいなァ。
山には朝日がピッタリで、海には夕陽がシックリくる。
山登りには爪の先ほどの興味すらないJ.C.は
初日の出を拝んだことなど生まれてこの方、ただの一度もない。
「哀れなヤツよのう・・・」―登山家のあざけりが聴こえてくるようだ。

館山に到着。
すでに陽はとっぷりと暮れていた。
1年ほど前、パソコンにつながるプリンターが故障しやがった。
面倒くさいからずっとそのままにしてあるので
どこかへ出掛けるときに地図をプリントアウトすることができない。
頭の中にたたき込んできた地図を思い出しだし夜の道を急ぐ。
耳朶の奥では、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」が鳴り始めた。

 ♪ かんかん照りの昼は怖い
   正体あらわす夜も怖い
   燃える恋ほど もろい恋
   あたしの心の深い闇の中から 
   おいでおいで
   おいでをする人 あんた誰  ♪
       (作詞:友川かずき)

うなぎ店「新松」は深い闇の中に沈んでいた。
往時の隆盛を偲ばせる二階建て

三味(しゃみ)を爪弾く新内流しでも現れたひにゃ、
館山からところ代わって、はるか江戸の木更津ですな。
そう、「切られ与三郎」の世界ですぜ。
いや、あるんだねェ、こんな店舗がこの街には―。

誰もいない1階のカウンター席に案内され、
ビールを注文すると
”簡単なお摘み”と称する三点盛りが一緒に運ばれた。
ひしこいわしの酢漬け、山芋の梅酢漬けに
もう1品はチーズ入りの玉子焼きみたいなヤツ。
あまり面白くないのでうなぎの前に酢の物をお願いする。
それがこれだ。
ウワッ、多いだろコレッ!

J.C.は独りだヨ、家族連れじゃないんだヨ。
いや、参ったな。

=つづく=

2013年2月26日火曜日

第521話 夕陽とうなぎを追いかけて (その1)

 ♪  夕陽の丘の ふもと行く
    バスの車掌の 襟ぼくろ
    わかれた人に 生き写し
    なごりが辛い たびごころ ♪
        (作詞:荻原四朗)

裕次郎がルリ子とデュエッた「夕陽の丘」。
東京五輪の1年前、1963年のヒット曲だ。
ちょうど今年で丸半世紀。
5番まであり、(男・女・男・女・混)の順で歌われる。
男→女、ようするに1番と2番のあいだ、
そして3番と4番のあいだには間奏がないから
男がどんなに上手に歌っても拍手はもらえない。
拍手はみな女性の歌い手にもっていかれる。
珍しくも不公平なデュエット・ナンバーなのだ。

「夕陽の丘」が流行った年、J.C.は小学校6年生だった。
1年生で「嵐を呼ぶ男」と「錆びたナイフ」を観て以来、
裕次郎ファンに成りきっていたから
映画も歌もずっとフォローしていた。
ずいぶんマセたガキだったのである。

子ども心にもメロディーの叙情感が快かったし、
歌詞、殊に”バスの車掌の 襟ぼくろ” には心が動いた。
襟あし、いわゆるうなじは女性の大きなチャームポイント。
そこを覆い隠してしまう長い髪はキライだ。
当時、気に入りの女性歌手は
いしだあゆみ・槇みちる・梓みちよ・九重佑美子と
すべて典型的短髪のセシル・カットの持ち主だった。

歌手には多いセシル・カットも女優には少なかった。
本家本元はフランソワーズ・サガンの小説を
映画化した同名の「悲しみよこんにちは」で
セシルを演じたジーン・セバーグのヘアスタイル。
いや、実に可愛かったなァ。
そのままの髪型で再登場したゴダールの「勝手にしやがれ」は
もっと可愛かった。

現在はまず見かけぬセシル・カットだが
長い髪でもアップにすれば、うなじの美しさを強調できるから
世の女性たちにはどしどし襟あしを見せてもらいたい。

 ♪  人の子ゆえに 恋ゆえに
    落ちる夕陽が 瞳(め)にいたい
    さよなら丘の たそがれよ
    また呼ぶ秋は ないものを ♪

男女が合唱する5番。
”落ちる夕陽が 瞳にいたい” 、これがステキだ。
夕陽はいいよナ、夕陽はいいヨ。
胸に熱いものがこみ上げてくるもの・・・。
落ちる夕陽が見たくなって
その日、東京駅から列車に乗り込んだのだった。

=つづく=

2013年2月25日月曜日

第520話 上野に怪獣現る! 動物園こそわが楽園 Vol.5

しばらくぶりのZooシリーズ。
もっとも寒さにもめげず、週に一度は入園していますがネ。
週末を避ければ、ほぼガラガラだし、
ここへ来ると気は晴れわたり、心はほぐれまくる。
生きもののいるところ、幸多きことを実感している。
寒さに負けずといえども、冬場はそれほど歩き回らない。
行きつけの西園食堂にくつろぎ、もっぱら生ビールを飲んでいる。
好みの銘柄ではなくとも、これが旨い。

当月初旬の小雪がちらつく日。
荒天下で動物園はどんな状態だろうと探りに来た。
いやはや、世の中にはもの好きがいるもんですねェ。
まばらながらも園内に人影の絶えることなく、
食堂にはほかに2組・3人の先客がいた。

お茶してるカップルとカレーライスを食ってるオジさんだ。
デート日を設定してあったと推察される恋人たちはともかく、
オジさんは何の因果で雪の日に動物園くんだりまで来て
独りカレーをかっ込んでいるのだろう。
J.C.同様に年間パスポートの保持者だろうか?

寒いから動物はみな屋内に引っ込んでるし、
入園料の600円を上乗せして町場で食えば、
カレーがカツカレーに転じてなお余りある。
かく言う自分も実態調査に来てるんだから
もの好きを通り越して粋狂もいいところだ。

後日、荒天転じて好天に恵まれた昼下がり。
西園食堂のはす向かいのキリンを観察。
上野のキリンは器量よし
おや、まあ、キリンなキリンだこと。
陽光を浴びて目を細め、ゴキゲンの様子だ。
どちらも好きなサイとカバは表に出ていなかった。
なぜか同居しているシマウマとバーバリーシープは
いつもの通り、なかよく遊んでいる。

いそっぷ橋を渡り、東園へ向かった。
モノレールと平行する通路を歩いていると、
ややっ! ここには居ないはずの怪獣が現れたではないか!
コモドドラゴンかいな?
ゴジラほどの迫力はないが
いったいコイツは何なんだ。
フェンスの向こうは東照宮の敷地、
そこから脱出するため、木に登ろうとしているのだろう。

なあ~んちゃってネ。
一瞬ギョッとしたものの、これは単なる朽木だった。
それにしてもいい位置に目玉が付いていやがる。
誰かが埋め込んだに違いない。
ポカポカ陽気のもと、ウキウキ気分の一日でありました。
かくも動物園は楽し。

2013年2月22日金曜日

第519話 ジュリーとはばたく東京の空 (その3)

自分の好きなジャンルとなると、
なかなか終われないのが当ブログのいけないところ。
いまだに沢田研二&菅原文太の「太陽を盗む男」を引きずっている。

1979年度の「キネマ旬報」日本映画部門において
第2位に選出されたことはすでに述べたが
2009年度の「キネ旬オールタイムベスト映画遺産200」では
第7位にランクされているのが何たってスゴい。
ちなみにベストスリーは

 ① 東京物語
 ② 七人の侍
 ③ 浮雲

スタッフもキャストも充実しており、脚本は世界でただ一人、
日本語と英語で脚本が書ける男、レナード・シュレーダー。
助監督には翌年(1980年)、
「翔んだカップル」で監督デビューし、そのまた翌年には
「セーラー服と機関銃」を発表した相米慎二の名前もみえる。

井上堯之の音楽がまたすばらしい。
取り戻した原爆を乗せて
夜明けの首都高を失踪するジュリーのサバンナRX-7。
それを追いかける文太のコスモAP。
初代のコスモ・スポーツとは似ても似つかぬコスモAPが大活躍だ。
クルマにうるさい方なら
映画のスポンサーがマツダということは一目瞭然ですネ。

鳥瞰するカーチェースが快感を呼び、
観客は東京の空を飛んでいるかのよう・・・。
空撮シーンにかぶさって流れる音楽が
1960~70年代のヨーロッパ映画を彷彿とさせる。
自らもカーキチの井上には楽しいシゴトであったろう。

主役の二人以外のキャスティングもしゃれていた。
怪優・伊藤雄之助扮する意味不明のバスジャック犯がインプレッシヴ。
数日前、ひかりTVで長谷川一夫の「雪の渡り鳥」を観ていたら
伊藤の実兄の澤村宗之助が出てきて懐かしかった。
とは言っても兄弟揃って恐ろしい面貌の持ち主だから
子どもの頃は悪役専門の澤村が現れると身が縮む思いだったがネ。

見落とせないのは、ともにチョイ役ながら水谷豊と西田敏行。
水谷は派出所の巡査役でボケ老人に変装したジュリーに
催眠スプレーを吹きつけられ、短銃を奪われてしまう。
一方の西田はサラ金の取立て役。
追いかけっこするのは神宮球場の回廊だろうか?
ジュリーとの絡みがバツのグンだ。
ハマちゃんは上手い、実に上手い。
この人の持つ天性のおかしみはやはり天が与えたものだ。

とにもかくにも見どころ満載の「太陽を盗んだ男」。
興行的には振るわなかったが年を追うごとに評価は高まっている。
こんな映画を撮れる監督はもうこの国にはおらんのかネ?
ずいぶんこまかいとこまで書いちゃったが
ポイントとなるスジは外したつもり。
読者にはぜひ観てほしい1本であります。
長谷川監督、ありがとう!

=おしまい=

2013年2月21日木曜日

第518話 ジュリーとはばたく東京の空 (その2)

映画「太陽を盗んだ男」は快作である。
1979年度の「キネマ旬報」において
日本映画部門の第2位に輝いたのもうなづける。
ちなみにこの年のベストワンは
今村昌平監督の「復讐するは我にあり」だ。

「太陽を~」は荒唐無稽というか、現実にはありえない、
しっちゃかめっちゃかさが気にはなる。
そこだけが難点なのだが、まあ許容範囲かな。
ジュリーが東海村の原発から液体プルトニウムを奪うシーンなど、
ゴルゴ13も顔負けのスゴ腕ぶりで
一度は警察の手に落ちた自作の原子爆弾を取り返すところは
まるでターザンかスーパーマン。
文太にしたってヘリコプターに片手でぶら下がりながら
発砲する姿はランボーさながらだ。
CGのなかった時代なのに派手なカーアクションは迫力じゅうぶん。
スタントマンたちは身を削る思いをしたことだろう。

カメラは東京の街を丹念に追ってゆく。
空撮が多用されており、いつしか観るものは
ジュリーとともに東京の大空をはばたいているような気にさせられる。
渋谷の街をこれほどクローズアップした映画は珍しい。
東急本店が重要な舞台となっていて
映画はデパートの宣伝に多大な貢献をしたのではなかろうか。
ただし、流れの中で渋谷・東急に続き、
日本橋・高島屋が登場したのにはシラケきったけれど・・・。
造り手側はもうちょっと神経を使ってほしい。

似たような現象が地上でも起こる。
ジュリーと池上季美子が歩きながら会話を交わすシーン。
渋谷からアッというまに都営・荒川線の線路上に現れる。
うしろから三ノ輪橋行きの電車が迫り、二人は今にも轢かれそう。
次の瞬間には勝鬨橋の上を歩いているかと思ったら
いきなりお台場の第三台場に飛ぶ。
そりゃ東京めぐりとしては楽しいかもしれないが
都内をくまなく徘徊するJ.C.としては愚痴の一つもこぼしたくなる。

何せ、勝鬨橋で池上が
「親なんかはどうなのヨ?」―訊ねると、
「親はとっくの昔に殺した」―ジュリーが応えたのは第三台場だもの。
もう、やってらんない、観てらんない。
でも、この場所での二人のキスシーンはうつくしい。
ちょいとばかり、大島渚の「青春残酷物語」を想起させる。
あちらは川津祐介と桑野みゆきだった。

あるいは「復讐するは我にあり」の浜松競艇場が思い浮かぶ。
逆光でとらえられた緒方拳のシルエットが
きらめく水面(みなも)に映えて
日本映画史上、屈指の名カットになっていた。

=つづく=

2013年2月20日水曜日

第517話 ジュリーとはばたく東京の空 (その1)

昨日、わが愛猫の近況を紹介したら、いく通もの便りをいただいた。
そのうちの1通、
以前、ともに仕事をした編集者・F元サンからのメールを紹介したい。
本人の許諾をもらっていないが怒られることもないでしょう。

本日拝見したblog に
器量のよいお嬢さんが出ていたので
思わずメールをお送りした次第です。
9歳ですか! でも、まだまだ若いですね。
愛情たっぷりに育てられているのが
険のない表情から伺えます。
飲食店もさることながら
愛猫日記も楽しみにしております。

うれしかったのは”険のない表情”である。
そうか、猫というものは厳しい環境下に身を置かれると
表情に”険”が出るものなんですねェ。
これからもそれなりの愛情を注いでやって
せいぜい長生きしてもらいまひょ。

ジュリーこと沢田研二と菅原文太が競演した、
「太陽を盗む男」(1979)を観た。
監督は長谷川和彦。
ジュリーは中学校の理科の教師役で
東海村の原発からプルトニウムを強奪し、
手製の原爆を作り上げるトンデモないヤツだ。
その際、原発の作業員を何人も射殺するが
トボケたキャラのせいで殺人鬼というイメージにはほど遠い。

若くして才能を見込まれた長谷川和彦だが
監督作品は「青春の殺人者」(1976年)と合わせ、たったの2本。
以来、三十余年に渡って酒と麻雀に明け暮れているようだ。
生活のパートナーは女優・室井滋というのが定説となっている。

原爆密造という素っ頓狂なテーマに着想したのは
広島原爆投下直後に長谷川を懐妊中の母親が市内に入り、
本人も胎内被爆していることと無関係ではなかろう。

察するに主役にジュリーを抜擢したのは
TVドラマ「悪魔のようなあいつ」(1975年)で一緒に仕事をしたから。
長谷川が脚本を書き、ジュリーは府中で起きた三億円事件の犯人役。
映画「太陽を~」を観ていると、
原爆密造と三億円強奪、虚実入り混じり、
二人の犯人がまぶたの裏で交差する。

ハナシは脇にそれるが「悪魔の~」はリアルタイムで観ていない。
長かったアフリカ・欧州放浪の旅から帰国したのがこの年だからだ。
代わりに主題歌の「時の過ぎゆくままに」は
同時期流行った「シクラメンのかほり」とともに耳朶にこびりついている。

ドラマの仕掛け人はかねてよりジュリーに着目していた久世輝彦。
阿久悠(作)、上村一夫(画)のコンビで
「ヤングレディ」(講談社)に連載された劇画がそもそもの始まりだ。
数年前にTSUTAYAから取り寄せてDVDを観始めたものの、
若山富三郎、荒木一郎、安田道代(現・大楠道代)など、
好きな俳優の揃い踏みにもかかわらず、中途で挫折した。
とりとめのないダラダラした筋の運びが気に染まなかったように思う。
テーマ・配役・主題歌に恵まれたわりに視聴率も今一つだった。

「太陽を~」にハナシを戻すのは次話からということで。

=つづく=

2013年2月19日火曜日

第516話 バカじゃなかったウチの猫

先週のとある昼下がり。
わが家の愛猫・プッチは
かような姿で陽光を浴びつつ、惰眠をむさぼっていた。
まさに”太陽がいっぱい”
アラン・ドロンも真っ青である。

ここでJ.C.に妙案が浮かんだ。
キッチンに立ってヤツの大好物の鮭缶を開けようと思ったのだ。
鮭缶といっても豪勢な紅鮭ではなく、
安価なカラフトマスのそれである。
プルトップを引いたときの音にはしごく敏感なので
ほとんど音を立てずに、そお~っと開けた。

しかし、そんな企てをあざわらうかのように
ヤツは猛ダッシュ、キッチンに飛び込んで来たのでありました。
ホント、いい耳してるヨ。
小缶より割安なので大缶を買うようにしてるから
一度にやったら多すぎるので
おおよそ4~5回に分けて与えている。

昨夜、冷蔵庫にまだ残っているのを思い出し、
空っぽのフードトレイに入れてやると、
匂いは嗅いだものの、ズルズルとあとずさり。
おかしななこともあるものだと、
ドライのキャットフードをシャケの脇に添えてやっても食わない。
「なんで食わないのっ!」―怒鳴ってみても
無言で飼い主を見上げるばかりなり

もしやと思い、缶の残りを嗅いだらちょいと匂う。
まあ、許容範囲だろうと一サジ口に含む。
ややっ、イッチャッてはいないけど、少々ヤバかった。
中身を処分し、トレイをキレイに洗浄し、
これまた大好物のロースハムを献上したら
いきなりバックンバックンの猛烈な食いっぷりである。
ふん、まったくいい耳と鼻をしてやがるぜ。
悪態をつきながらも
「まんざらバカじゃないな、オマエは」―アタマをナゼナゼしてやった。

そういやあ、年末年始に数日間、家を空け、
帰宅して残りの鮭缶をやったときもそうだった。
これが二回目だが、ともにシャケは傷みつつあった。
臭覚の鈍い人間なら平気で食べられるレベルの異臭を
ちゃんと嗅ぎ分けて、見向きもしないのだから大したものである。

最近、気になっているのはときどき食べたモノを戻すこと。
しかもドライフードが原形のまま出てくるから心配だ。
噛まずに飲み込んじまってるんだな、こりゃ。

2004年2月29日生まれだからもうじき満9歳。
7歳以上の老猫用フードで養っているが
そしゃく力や消化力が衰えているらしい。
砕いて与えるにもキャットフードってのは意外に硬いものなのだ。
明日にでも金づちを買いにいかなきゃなるまい。
これが介護の始まりでないことを祈るばかりの今日この頃

2013年2月18日月曜日

第515話 アネゴと味わうアナゴ (その3)

1978年、初めて「弁天山美家古寿司」を訪れたときの相方は
千葉県・我孫子市在住のR子だった。
当時、J.C.も千葉県の松戸市に棲んでおり、
互いに都合がよいからと足立区・北千住でよく飲んだ。
北千住・松戸・我孫子は地下鉄・千代田線でつながっている。

35年の歳月を経た今年、
つけ台の隣りにいる姐御の名もR子、漢字の綴りも同一だ。
まったくもって、歴史は繰り返すものなんだネ。

当夜は「神谷バー」で生ビールを飲んできたから
いきなりの清酒・大関に、突き出しは墨いかのゲソが出た。
こんな小物ですら、ちゃんと甘酢にくぐらせてある。
今どきの鮨屋には、ぜひ見習ってほしいシゴトじゃないか。

つまみは取らずに徹頭徹尾、にぎりでいった。
皮切りは「美家古」名代の平目昆布〆。
思い出すなァ、35年前のあの鳥肌を。
煮きりを一刷毛、スッと置かれたところを間髪入れずに口元へ。
昆布が勝ってしまうとクドくなるが、ちょうどいい塩梅だ。

お次はキス・酢あじ・小肌と光りモノの三連荘。
たまらないなァ、好きだなァ。
酢の効きがちゃあんと三段階で深まってゆく。
酢あじをわさびでやったら最後、
ねぎ・生姜風味のたたきなんぞ食べる気がしなくなる。
小肌の酸っぱさは東京でも指折りだろう。

皮目をを残した松皮造りの真鯛が白眉。
鯛の旨みは皮と身のあいだにあり、果物のりんごと一緒だ。

ひと息入れて煮いかを。
平成の時代に移り、この種を置く鮨屋がめっきり減った。
ときおり小槍いかの印籠詰めを見掛けるが
J.C.はするめの煮いかを好む。
パキッとした歯応えを槍いかに求めるのは酷だからネ。

グッドサイズの赤貝と世にも珍しい真かじきの昆布〆。
どこにでもあるめかじきと
めったにお目に掛かれぬ真かじきは別もので
薄いオレンジを帯びた身肌に色気が漂っている。
サカナにせよ、オンナにせよ、
生まれ出でたからにゃ、こんな美肌の持ち主でありたかろうヨ。

姐御に車海老をすすめ、こちらはひと休み。
五代目との会話を楽しむ。
35年前、常連のために折詰をこさえているところを
「またイタズラしていやがる」と先代に皮肉られていた彼も
すでに古希まぢかである。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

かつてJ.C.の目がしらを熱くさせた穴子は
あのときと同じように下半身を煮きり、上半身を煮つめでやった。
これこそが真実の穴子である。
舌の上でとろけるようなのは歯が抜けてから食えばよい。
傍らでアネゴがアナゴに感じ入っている。
さもありなんて―。

締めに芝海老でこしらえた極上のおぼろを
巻き簾でピシッと巻いてもらった。
いつの頃からか、手巻きなどとくだらんモンが流行りだしたが
あんなモンは週末にでも、子どもと一緒に家で食えばよい。
鮨屋では食うほうも食うほうなら、巻くほうも巻くほうで
美学の欠如は人生を味気ないものにしてしまう。

夜の更けた浅草の街は行き交う人もまばら。
夜風に吹かれながら二天門をくぐって浅草寺の境内へ。
目指すは行く先を失くしたオヤジたちの吹き溜まり、
その名もホッピー・ストリートであった。

=おしまい=

「弁天山美家寿司総本店」
 東京都台東区浅草2-1-16
 03-3844-0034

2013年2月15日金曜日

第514話 アネゴと味わうアナゴ (その2)

気に入りの江戸前鮨店、
「弁天山美家古寿司」のつけ台で燗酒を飲んでいる。
この空間に身を置くことのできるシアワセをかみしめている。

あれは10年前。
自著「浅草を食べる」を上梓してからもうそんなになるのだ。
せっかくだから「美家古」に関する部分を抜粋して紹介したい。

初めて伺った日のことはよく覚えている。
1978年の9月か10月、隅田川の花火が復活した年の、
その花火から1、2ヶ月のちのことだ。
去年(2002年)亡くなられた先代親方(四代目)の時代であった。

最初のひらめ昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨って、ありゃいったいなんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子を煮きりと煮つめで1カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまった。

壁には鮨種を記した木札が。
見慣れぬ札が2枚あり、「粉山葵不許」と「ИKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でイクラのことだった。
「イクラなんてもんは酒の肴にチョコッとつまめばいいの。
 職人が海苔で囲った酢めしの上に
 スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ!」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。

かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
三段重ねの三段ちらしが名物だったが、いつのまにか消えた。
文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは
 やっちゃいけねェって税務署に言われたのっ!」
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。

東京の鮨職人ここにあり、である。

当代は五代目。
「美家古」の伝統は立派に受け継がれているが
にぎりは一回り大きくなり、男性的になった。
野球選手に例えれば、先代が柔のイチローで当代は剛の松井。
浅田真央や高梨沙羅は先代の、
白鵬や日馬富士なら当代のにぎりがお口に合うハズだ。

J.C.は迷わず先代。
何せ、人生観が変わるほどの衝撃を受けましたからネ。
仰げば尊しわが師の恩、生涯忘れることはありません。

=つづく=

2013年2月14日木曜日

第513話 アネゴと味わうアナゴ (その1)

 ♪  あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
   動き始めた汽車に ひとり飛びのった
   ひなびた町の昼下がり
   教会の前にたたずみ
   喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた ♪
               (作詞:吉田旺)

あれは21年前。
先立った最愛の夫を追って
あたかも殉死するかのように姿を消してしまったちあきなおみ。
好きでした、いや、今でも大好きです。
冒頭のレコ大受賞曲、「喝采」もさることながら
マイ・ベストスリーは

 ① 雨に濡れた慕情
 ② 夜へ急ぐ人
 ③ 朝がくるまえに

雨・夜・朝か・・・なんか出来すぎだなや。
シャンソンではアズナブールの「ラ・ボエーム」を
訳詞で歌っており、これもなかなかの歌唱。
稀代の名曲、「黄昏のビギン」は水原弘のほうにやや分がある。
「禁じられた恋の島」はイタリア映画の同名主題曲と早合点して
飛びついたが、まったくの別モノでがっかりもいいところ。
代わりにこれは園まりがカバーしている。
まりチャンは「太陽はひとりぼっち」や「女王蜂」など、
イタリアの映画音楽をいくつも持ち歌としてくれていてありがたい。

さて、あれは3年前。
何だ! そこにつながるのか! ってか?
へい、その通りでござんす。

そう、あれは3年前でござんした。
夜の下町で小股の切れ上がった姐御と袖すり合わせたのは―。
頭の上から三味(しゃみ)の音色が降りそそいできてたっけ・・・。
姐御と申しましても、アッシよりずいぶん年若ではありやすがネ。
以来、たまさか酒盃(さかずき)を交わす仲となりやした。
酒盃は交わしても、情けは交わさぬ、まっこと清い仲でござんす。

同伴したのは江戸前鮨におけるわが原点、
浅草は「弁天山美家古寿司」である。
おっとその前に例によって「神谷バー」に立ち寄り、
中ジョッキを2杯やっつけてきた。
ここの生中はほとんど他店の生大に等しく、
馬道を歩く道すがら、腹がタップンたっぷんと波だっていたものヨ。

「美家古」ではなんといってもにぎりだ。
鮨種を切ってもらってゆるゆる(ダラダラか)と飲む店ではない。
当然、大酒呑みは歓迎されない。
ほぼすべての種に入念な江戸前仕事が施されており、
酒より酢めしとのアンサンブルに配慮がなされている。
生々しい刺身を酢めしにおっかぶせただけの代物は鮨とは呼べない。

ビールはタップリ飲んできたので
のっけから大関の燗をお願いした。
傍らの姐御に異存があるハズもなく、素直に追随してくれた。

=つづく=

2013年2月13日水曜日

第512話 みちのくひとり旅 (その6)

年が明けても引き続きアルコール漬けである。
このままデカめのビーカーかなんかに身体ごと詰めてもらって
どこぞの小学校の理科室に保存してほしいくらい。
肉林に迷ってはいないが酒池に溺れていることは確かであろう。

招かれたお宅はご馳走のオンパレード。
古代ローマの貴族にでもなった気分だ。
ヒットは子持ちなめたがれいの煮つけ、さすがに本場である。
真鱈白子のムニエル、これもまいう~だった。
白子は河豚より鱈が好きだから余計だ。
いずれにしろオトコに白子は必要不可欠ですもんネ。

コレを書きながらTVをつけたら
NHKの「歌謡コンサート」で五木ひろしが歌っている。
愛媛・松山が舞台の「夜明けのブルース」。
けして悪い曲ではないがご当地ソングなら
デビュー曲の「よこはま・たそがれ」のほうがずっといい。
詞も曲も歌唱もはるかにいい。
レベルというよりディメンションが違うんだ。
おい、ひろし!
オメェはいったい、42年もの間、何してやがったんだ?
そう問いかけたくもなっちまう。

ハナシをみちのくに戻しましょう。
夕暮れせまって東京に帰ろかな? と思ったものの、
乗りかかった船から下船するにはパワーが必要、
動くのも億劫になってるからなァ。
でもって、ステイング・ワン・モア・ナイト。

日付けが変わった。
これといってやることもないから
大晦日の「ゆく年くる年」で紹介された大崎八満宮に詣でる。
成田山新勝寺ほどじゃないが
けっこうな石段が目の前にせまっていた。
自慢の足腰につき、なんなくクリアして国宝の御社殿に向かう。

つつがなく参詣を済ませ、と言いたいところなれど、
同行者に財布を賽銭箱に投じたおめでたいのがいた。
いえ、酔っ払った勢いとかでなく、たんなるミステイク。
現金はともかくもカード類は紛失すると厄介だ。
賽銭箱は縦格子の下に段違いV字型の取り込み口があり、
財布はそこに引っ掛かっていた。

細い腕なら格子のすき間に差し込んで取れないこともないが
傍から見たら賽銭泥棒もいいところ。
おみくじ売場に助けを求めたのはほかならぬJ.C.である。
ほどなく紅い袴の巫女さん登場。
彼女が手を伸ばしてくれて事なきを得た。
しっかし、賽銭箱に財布を落としたヤツなんか初めて見たぜ。

一件落着、八満宮入口の「とんかつ石亭 八幡茶屋」で
ヒレカツとロースカツをつまみに一同、冷たいビールを飲む。
「とんかつ石亭」の本店は市内の高森という町にある。
おしなべて仙台のとんかつはレベルが高い。
愚かなる旅行者はまっしぐらに牛タンだが、あれは大きな過ち。
あんなモンのどこが旨いというのだろう。
まっ、憎まれ口もほどほどに夕刻には杜の都をあとにして
バックオーライ!のみちのくの旅でありました。

=おしまい=

「とんかつ石亭 八幡茶屋」
 宮城県仙台市青葉区八幡4-5-9
 022-718-8398

2013年2月12日火曜日

第511話 みちのくひとり旅 (その5)

初めてやって来た山形県・山形市。
県内でもかつてゆかりの深かった米沢市はたびたび訪れた。
それだけにお初の山形では地元色豊かな酒場で酒が飲みたい。
しかしこの天候、しかも大晦日とあって、にっちもさっちもいかない。
まったく策ナシ、打つ手ナシの立ち往生である。

仕方なく駅舎の中の店舗を物色した。
そうして入店したのは「平田牧場」。
何年か前、コレド日本橋の支店で食事をしたことがある。
ロースカツを食べて、その印象はよかったことを覚えている。
あちこちに店舗を展開している店は好まないが背に腹は替えられない。
朝から何も口にしていないので腹はペコペコ。
昼めしどきを過ぎており、飲食店は中休みに入る時間帯だ。

この夜は仙台市内の友人宅に招かれていた。
察するにステキな晩餐が用意されているハズ。
さすれば午後の遅い時間にとんかつでは重過ぎる。
人のウチに呼ばれていながら、箸がすすまないのでは見識を疑われる。

メニューを丹念に吟味すると、
生ビールの中ジョッキとおつまみサイズのかきフライが
セットになって800円というのがあった。
いいじゃないの、いいじゃないの、一も二もなくそれにした。
2カン付けにタルタルソース添え

味のほうはともかくも、これだけじゃ腹の足しにならないや。
つまみメニューから三元豚の唐揚げを選んだ。

ところがこの豚野郎が大ハズレ。
いや、豚に罪はないけどサ。
硬いうえにパッサパサときた。
豚肉専門店がこんなん出してちゃダメだわ。
しかも本拠が酒田市とはいえ、
山形県は「平牧」のホームグラウンドじゃないの。

あんまり不デキだから写真は載せない。
生ビールのお替わりをする気にもなれず、仙台にトンボがえりとなった。
何のために山形くんだりまで出掛けたのか判らない。
仙山線の車窓だけが旅愁のなぐさめである。

そうしてこうして年越しの夜。
「紅白」を観ても知らない名前と顔ばっかし。
年々この傾向が強まるなァ。
まっ、美酒とご馳走があれば、それでじゅうぶんですがネ。

歌合戦が終わり、2012年も残りわずか。
「ゆく年くる年」では初っ端に
地元仙台の大崎八満宮が登場してビックリの巻だった。

=つづく=

「平田牧場 山形店」
 山形県山形市香澄町1-1-1 ホテルメトロポリタン山形 2F
 023‐679‐5929

2013年2月11日月曜日

第510話 みちのくひとり旅 (その4)

夜更けの仙台に到着。
この街きっての繁華街・国分町の先にある宿へ直行した。
普段のようにテクテクと歩いて―。
ルームでまたもや缶ビールを2缶開けた。
冷蔵庫にあったロング缶とレギュラー缶を1each。
あとは湯船につかって身体を温めたら
ベッドにもぐり込んで爆睡である。

白状すると、この日は徹夜明け。
明け方、自宅の近所の「吉野家」にて
牛皿と生玉子と半ライスで腹ごしらえを済ませ、
熱い風呂はカラスの行水だ。
そうして家を出てきた。
上野―宇都宮間の車内で1時間ほどウトウトしたが
ボックス席ならまだしも、横長対面の座席じゃ寝た気がしない。
さすがに疲れたビー!

よく寝たせいか、翌朝の目覚めはハッキリ・クッキリ東芝さん。
このCMを覚えている人はかなりのご年配だろう。
何も飲まず、何も食わず、昨日来た道を仙台駅へ。
仙山線に乗り、目指したのは山形だ。

仙山トンネルを抜けると、そこは雪国だった。
収穫されないままの柿の実が
ぶら下がったまま凍りついているのを何度も見た。
もはや死語同然の表日本と裏日本、
いわゆる太平洋側と日本海側の気候の差は
残酷なほど歴然である。

 閑さや 巖にしみ入る 蝉の声

松尾芭蕉がこの句を残した山寺(宝珠山立石寺)に
興味を引かれたものの、時期が時期、
とても詣でる気にはなれない。
冬山、殊に雪山はキライだ。
スキーなんか金輪際してやらないんだもんネ。
夏になったら鳴きながら
必ず帰ってくるあのつばくろのように
また訪れれば、それで済むことだ。

仙台発の普通電車おりたときから山形駅は雪の中。
吹雪とまではいかないが粉雪が舞っている。
酔狂な店主のいる居酒屋でも開いていないものかと、
駅周辺を徘徊してみても、店という店はとびらを閉ざしている。
あたり前田のクラッカー、この日は大つごもりだもの。
いや、それどころか傘のない身、
オマケに薄着なもんだから雪の山形は相当シンドい。
ものの15分で早くも限界に達し、
尻尾を巻いて駅舎へ逃げ帰るの巻であった。

=つづく=

2013年2月8日金曜日

第509話 みちのくひとり旅 (その3)

福島駅に近い繁華街のバーにいる。
店名は「グットフェローズ」。
隣りに座っているのみとももグッド・フェローだ。

ホワイトレディにちょいと注文をつけてみたが
はたしてバーテンダレスのシェイカーさばきは
意想外に見事なものだった。
けしてオーバーアクションにならず、
立ち居振る舞いにソツがない。

その姿をもいちど見たくなって
2杯目はブランデーベースのサイドカーを。
ホワイトレディのジンがブランデーに代わるだけで
レシピはまったく一緒だ。
ベースがウォッカになればバラライカ、
テキーラならマルガリータ、
ラムの場合はXYZとその名を変える。
いずれもカクテルの定番、世界の人びとに愛飲されている。

会津の地酒が効いてきたのか、
このあたりから記憶が途切れとぎれ。
あとで相方に聞いたら
オニオングラタンスープとビーフシチュウを味見程度に食したらしい。
肝心の味のほうはまったく覚えちゃいないけどネ。

そろそろ福島を離れなければ・・・夜の街を駅に向かった。
前方に駅舎が見えたとき、はたと気がついた。
のんきなことに手ぶらで歩いていたのだ。
日頃から荷物を持たない習慣が
とことん身にしみついているんだねェ。
旅行者が旅行カバン忘れてどうすんだべサ。
よたよたと引き返す「グットフェローズ」であった。
なんか最近、こういうのが多いんだよな。
いよいよアルツの前兆だろうか・・・。

しかし世の中、何が幸いするか判らない。
忘れもののおかげで酔いが覚めてきた。
こういう展開になるとJ.C.は強い。
底なしとは言わないまでも二枚腰が功を奏するのだ。

おそらく駅ビルの中だったと思う。
カフェレストランの名前は「デュッカ」だったかな?
ワインの品揃えが豊富でしかも値付けが良心的な店だった。
スーパーで買えば、千円を超えるチリ産のピノ・ノワール、
コノ・スルが2千円ポッキリ。
ただし、この時間にワインを1本開ける気力はすでにない。

そこで銘柄は定かでないが(たぶんサッポロだった)、
生ビールの中ジョッキを2杯飲んだ。
ここ数年の晩酌は途中何を飲んでも
最後はビールで締めくくることが多い。

45年ぶりの福島をあとにして
乗り込んだのは杜の都・仙台行きの列車であった。
みちのくの旅はなおも続く。

=つづく=

「グットフェローズ」
 福島県福島市置賜町7-3
 024-524-3660

「デュッカ福島」
 福島県福島市栄町1-1
 024-526-0911

2013年2月7日木曜日

第508話 みちのくひとり旅 (その2)

悪天候のせいもあって白河に長居はしなかった。
時雨のなか、駅に戻ったものの、
みちのくの旅を続けるための列車はなかなか来ない。
底冷えのする待合室で魔がさしたように飲んでみたのは
自販機で100円の苺オーレだった。

いや、不味いのなんの。
こういうものを飲む人がいるから
存続している飲みものなんだろうが
ヒドく人工的な味わいに愕然、半分も飲めなかった。

郡山で乗り換え、やって来たのは福島駅。
この日は隣県から駆けつけたのみともと駅で待合わせ。
福島は高校一年の夏、
サッカー部の合宿で訪れて以来だから実に45年ぶり。
投宿した旅館「大亀(おおかめ)」はホテルに建て替わっていた。

時刻は17時前、暖簾を出している店はほとんどない。
何とか見つけたのは「大政食堂」なる印象深い屋号の一軒だ。
再会を祝し、スーパードライで乾杯する。
立て続けに3本の大瓶が空いた。

白河でラーメンを食べてからそれほど時間が経っておらず、
腹は減っていなかったが
注文したのはホルモン炒めとかつ丼のアタマだ。
これがどちらも上出来でビールにもピッタリ。
ハシゴの最初の一軒として上々のスタートを切ることができた。

夜のとばりが降りる頃となり、
2軒目に選んだのは「たこ寅」というおでん屋。
さっそくの燗酒は会津の末廣である。
酒はよかったが突き出しの中華風くらげがイケない。
化調まみれの甘酢で和えられている。
苺オーレに続き、本日2発目の愚作。

気勢をそがれたカタチながらメインのおでんはなかなかだった。
車麩と白滝に始まり、おぼろ昆布を乗せた豆腐をしみじみと味わう。
ぜいたくにも鯵と鰯と秋刀魚のすり身を合わせたつみれが白眉。
複雑というより、まろやかな仕上がりとなっている。
里芋・大根・厚揚げはごくフツーなれど、締めの鳴門わかめがクリーンヒット。
煮込まず、でんつゆにシャブシャブっと泳がせるだけで滋味タップリだ。

3軒目はバー「グットフェローズ」。
バーテンダーは若い女性だった。
お手並みを拝見するにはシェイクものを注文するに限る。
1杯目はジンベースのホワイトレディを
コアントロー少なめのハードシェイクでお願い。
コアントローを制御するのは甘みを抑えるため。
ハードシェイクの狙いは砕けた細かい氷片が表面に浮くことで
最初の一口がキリリとした味わいになるのだ。
さあ、ヤングレディの力量はいかに?

=つづく=

「大政食堂」
 島県福島市栄町12-24
 024-522-1355

「たこ寅」
 福島県福島市新町1-2
 :024-522-3626

2013年2月6日水曜日

第507話 みちのくひとり旅 (その1)

 ♪ 時の流れに 逆らいながら
   ひとりゆく身の 胸のうち
   俺は男と つぶやきながら
   みちのく ひとり旅
   月の松島 しぐれの白河
   昨日と明日は ちがうけど
   遠くなるほど いとしさつのる
   みれんがつのるだけ    ♪
         (作詞:市場馨)

当ブログの長年の読者、
大阪在住のみめ麗しき乙女・らびちゃんに
「最近、昔の知らん歌ばっかり載せとりますなァ」―
なんて言われちゃったりしてもいるが
今日もめげずにオジさんはゆくヨ。

行ったのはみちのくでありました。
山形にも行ったから純粋にみちのくとは言い切れないけどネ。
みちのくは福島・宮城・岩手・青森のルートで
山形・秋田は残念ながら含まれないんですわ。

上野から宇都宮・黒磯と乗り継いで
降り立ったのは白河の関ならぬ、白河の駅。
山本譲二が歌った通りに白河は時雨に見舞われていた。
ウソじゃないヨ、ホントだヨ。

駅舎の向かいのコンビニ(けっこう遠いんだわ)に駆け込み、
まずはビニール傘の調達である。
これだけでビショ濡れではないが半濡れになった。
とりあえず目指したのは白河ラーメンの人気店、
「手打ちラーメン 英」だった。

雨の中、何でこんなことしてるんだろう? と思いつつも
俺は男とつぶやきながら歩くこと15分、どうにか到着した。
店の前にはクルマが5~6台とめられるスペースがあり、
近隣の客が家族連れで来店するのだろう。

案の定、店内はファミレス化していた。
空席のあったカウンターに導かれ、品書きに目を通す。
塩ラーメン(650円)、ワンタンメン(700円)と迷ったものの、
すんなり王道のラーメン(600円)を所望した。

待つこと10分、現れたのは典型的な昭和の中華そば。
どんぶりを彩るのはフチの赤いもも肉叉焼が2枚に
シナチク・焼き海苔・ナルト・ほうれん草。
そしてこれだけは、らしくない茹で玉子のスライスが1枚。

麺は同じ県内の喜多方ラーメンをちょっと細めにした感じ。
スープは東京の中華そばとそんなに変わらない。
わざわざラーメンのために訪れる町ではないけれど、
しかも白河しぐれの洗礼を受けたのだけれど、
何となく、理由もなく、肌にシックリくる町だったことは確かであった。

=つづく=

「手打ちラーメン 英」
 福島県白河市二番町6
 0248-22-1250

2013年2月5日火曜日

第506話 田端でバタバタ (その3)

北区・田端の「立飲スタンド 三楽」でくつろいでいる。
ほかに客はオジさんが一人ずつ。
われわれを含めて計4人・・・何ともさびしいネ。
ここに来たのは二度目だが、切盛りしているのはオバちゃん独り。
オバちゃんといっても率直にいえばオバアちゃんだ。
立ち飲みだから詰めれば20人は入れるスペースを
独りでこなすのはかなり難儀であろうヨ。
まっ、心配してもしょうがないけど・・・。

2軒目は同じ北口でも山手線の内側にあって、ラクに10分は歩く。
千駄木と駒込の中間に位置する不忍通りの動坂下交差点に近い。
あらかじめ目星をつけておいた店は「三好弥」だ。
この屋号は洋食屋に多い。
都心には少なくても下町にはけっこうあるんじゃなかろうか。
ただし、この店は洋食屋に非ず。
メンチカツなど洋食系をカバーしているものの、
どちらかというと、和系に軸足を置いた創作料理といった趣きである。

入店すると先客はゼロだ。
近頃、個人経営の飲食店の客足がヤケに鈍っているような気がする。
チェーン店なんかどうでもいいから
外食するなら個人の店に行きましょうや、なるべくならサ。
そうでもしないと日本の食文化は滅びちゃいますぜ。
あ~、イヤだ、ヤだ、ヤだ。

冷えた身体にカツを入れる燗酒の銘柄は愛知・安城の人生劇場。
ネーミングがイカすじゃないか。

 ♪ 吉良の仁吉は 男じゃないか
   おれも生きたや 仁吉のように
   義理と人情の この世界    ♪
        (作詞:佐藤惣之助)

東映映画で吉良の仁吉に扮したのは
辰巳柳太郎と月形竜之介。
個人的には辰巳のとっつぁんが好きだ。
相方の飛車角は何といっても鶴田の浩サンだろう。
       
人生劇場の合いの手は最初にごぼうの唐揚げ&クレソンのサラダ。
意表をつく組合せだが、これはこれでよし。
金目鯛のかぶと煮は身肉を相方に任せ、
こちらは目ン玉にしゃぶりつく。
煮魚・焼き魚の目には目がない。

二重丸を付けたいのはメンチカツであった。
観音裏の「ニュー王将」には及ばぬものの、
都内屈指のメンチカツが田端にございました。
付合わせのキャベツがまた、
丁寧でしなやかで、これは観音表のとんかつ「ゆたか」に匹敵しよう。

おのおの満足して会計を済ませ、
流れたのはハス向かいにあったカラオケスナック「K」。
衝動的に入ったといってよい。
生ビールを飲んでいると、歌好きの単身客がポツリぽつりとやって来る。
店のオンナの子(ジッサイはオバちゃん)に促され、
常連客の方々にも背中を押され、
歌ったのはM鷹サンがテレサ・テン、J.C.は荒木一郎。
立ち飲みに始まって創作料理にカラオケスナック、
めったに来ない田端の街をバタバタと楽しんだ呑み助二人でありました。

=おしまい=

「立飲スタンド 三楽」
 東京都北区東田端1-12-23
 03-3893-5361

「三好弥」
 東京都北区田端1-12-13
 03-3821-4156

2013年2月4日月曜日

第505話 田端でバタバタ (その2)

JR田端駅は、殊に南口は
山手線と京浜東北線が通る駅前とは思えぬ光景。
駅舎のある丘に立つと思わずこの曲が脳裏をよぎる。

 ♪  こんな淋しい 田舎の村で
   若い心を 燃やしてきたに
   可愛いあの娘は 俺らを見捨てて
   都へ行っちゃった
   リンゴ畑の お月さん今晩わ
   噂をきいたら 教えておくれよなあ ♪
            (作詞:松村又一)

1957年のヒット曲、藤島桓夫(たけお)の「お月さん今晩わ」。
似たテーマを持つ三橋美智也の「リンゴ村から」より好きだ。
尺八のイントロがもの哀しく、残されたオトコの心情を奏でる。
昭和30年代、猫も杓子も田舎から東京へ行っちゃったんだネ。

藤島桓夫といっても今判る人は少ないだろう。
’60年の「月の法善寺横丁」なら
あゝ、あの曲か、という方がそこそこおられるかもしれない。
目はパッチリと色白でおデコが広く、
鼻の大きい(大川栄策ほどじゃないけど)歌い手さんだ。

そんな田端に来ている。
ただし、南口よりだいぶにぎやかな北口のほう。
山手線の外側の田端新町に向かうほうだ。
「立飲スタンド 三楽」でキリンラガーを飲んでいる。
隣りが角打ちの「喜多屋酒店」で
以前そちらに行ったとき、たまたま見つけて立ち寄った。

当夜はのみとものM鷹サンと田端駅北口で待合わせ。
仕事が長引いて遅れるというメールがあり、時間つぶしの独酌だ。
突き出しに出た2切れの薄っぺらな蒲鉾でつまみはじゅうぶんだが
店のオバちゃんが手持ち無沙汰にしていたので
秋刀魚の丸干しを焼いてもらっている。

すると、意外に早く相方から駅到着の電話が入った。
秋刀魚はまだ焼けてもいないから、ちょいと焦るじゃないの。
駅に迎えに出るわけにもいかず、電話でナビゲートに及ぶしかない。
方向音痴で地図の読めないM鷹サンながら
簡単な道筋につき、数分後には現れてひと安心、やれ、やれ。

「お疲れさん!」とグラスを合わせた。
グラスというよりコップの雰囲気だなこの店は―。
大きなおでん鍋が湯気を立てている。
種を3つ選べていくらだったかな? 200円ほどだったと思う。
立飲みとはいえ、ヤケに安いや、オマケにけっこう旨いや。

そしておでんの上をいったのが焼き上がった秋刀魚の丸干し。
大根おろしが添えられて、これも250円くらいのもの。
前回は気づかなかったが、ここのつまみ類は一級品だヨ。
つい、大瓶をお替わりした二人である。

=つづく=

2013年2月1日金曜日

第504話 田端でバタバタ (その1)

東京都には23の区があり、
JR山手線には29の駅がある。
さて、ここで問題です。
23区のうち、もっとも駅がたくさんあるのは何区でしょう?

都内の地理に明るい方なら
駅名と所在区を指折り数えれば回答は明らか。
ただし、意外な事実にビックリされるはずだ。

何となれば、正解は城北の豊島区ですからネ。
区都(こんなのありません)池袋を擁するものの、
あの狭い豊島区に5つの駅がひしめいちゃっている。

もっと驚くのは中央区には一つもないこと。
「有楽町で逢いましょう」の有楽町は
目の前に銀座を控えていても千代田区。
目黒駅でさえ、地番は品川区につき、目黒区もゼロ。
山手線の駅を区内に収める区は23区中、
たったの9区にすぎない。

乗降客数はどうだろうか?
断トツは誰もがうなづく新宿。
第2位の池袋を大きく引き離している。
大ざっぱに列挙すると、

 ① 新宿 ― 75万
 ② 池袋 ― 55万
 ③ 渋谷 ― 40万
 ④ 東京 ― 38万
 ⑤ 品川 ― 32万

なのである。
こうみると新宿はオバケですな。
東京と品川の合計の上をいっている。
渋谷が東京を上回っているのにも愕然。

それはそれとして、逆に乗降客数が少ない駅はどこだろか?
細かい数字は定かでないとしても
駒込・田端・新大久保・目白・鶯谷が
さみしい五人囃子であることに間違いはあるまい。

前フリが超ロングになったが
今回の舞台は全29駅中、もっともさみしいと思われる田端。
第一、なんでこんな駅名にしたんだろう?
田んぼの端っこの田端、昨今の女の子なら
「イミ、判んな~い!」で一巻の終わりだろうぜ。
北口はともかくも、西日暮里方面の丘に出る南口には
心底さみしい風景が拡がっている。

ある月夜の晩。
小高い丘に立ったJ.C.の耳元に聴こえてきたのは
古賀メロディー、もとい、このメロディーであった。

=つづく=