2013年5月31日金曜日

第589話 夜霧に浮かぶチェコ (その2)

1時間余り文京区の南から新宿区の東側を歩いて
四谷三丁目の「だあしゑんか」に到着した。
20年ぶりに味わうチェコ料理である。
人種の坩堝(るつぼ)ニューヨークに10年以上も棲みながら
チェコの料理を食べたことはない。
チェコのレストランがなかったからねェ。

店は小さなビルの2階で10人も入ればいっぱいのキャパ。
壁の本棚にはチェコの書籍がズラリ並んでいる。
ミュンヘン、札幌、ミルウォーキーと並ぶビールの名所、
ピルゼンのピルスナー、ウルケルの小瓶で乾杯。
このビールはマンハッタンの行きつけのロシアンレストランで
たびたび味わっている。

ワインリストのハンガリーの赤ワイン、エグリ・ビカヴェールを発見。
彼の地ではもっともポピュラーな銘酒の名は”雄牛の血”という意味。
2800円という値付けのわりにけっこうイケてしまう佳酒である。
そこそこワインにうるさいP子もうなづきながらグラスを口元へ。

さて料理だ。
前菜代わりに酸っぱいキャベツのザウアークラウトを頼むと冷製で現れた。
本場ドイツのように温かい状態で供されると思っていただけに意外だ。
何となく鰻屋の”とりあえずお新香”みたいな感じ。

お次はチェコ名物のブランボラーク、いわゆるじゃが芋のパンケーキ。
パンケーキといってもクレープやギャレットよりもずっと小さめ。
その代わり厚みがあって見た目はイングリッシュマフィンによく似ている。
香草のマジョラムを利かせるのが特徴で
素朴な美味しさがチェコのビールによく合う。
訪れたら頼まなきゃ損の小品がコレだ。

続いてモラヴィア風ローストポーク。
モラヴィアはチェコ東部の地方名。
「ラ・ボエーム」で世に知られたボヘミア地方の東に位置する。
隣接するハンガリーの文化の影響を強く受けている。
それで”雄牛の血”が置かれていたのかもしれない。
一見、豚の角煮にそっくりのコイツが飛び切り旨かった。
塩気が強いものの、中国は浙江料理の東坡肉(トンポーロー)より好き。
白飯との相性もいいハズだ。

メインはビール煮込みのグラーシュ。
ビール・パプリカ・玉ねぎ・キャラウェイ・マジョラムがたっぷり使われている。
これもよかった、よかったがズシンと重い。
接客の女の子がハーフサイズもあると言うのでハーフにしてよかった。
付合せに国民食のクネドリーキが添えられているのがうれしい。
クネドリーキは牛乳入りのふんわりとしたパンだ。

期待値を上回る夕食に満足して夜の町へ。
外苑東通りを渡って振り返ると、
夜霧の中ににレストランの灯りが浮かび上がっていた。
夜はまだ浅い。
これから相棒が初めてだという四谷荒木町の散策である。
荒木町は”プチ神楽坂”と呼べるほど、趣きの漂う町。
ぐるぐるとくまなく歩き回るとしよう。

「だあしゑんか」
 東京都新宿区舟町7 田島ビル2F
 03-5269-6151

2013年5月30日木曜日

第588話 夜霧に浮かぶチェコ (その1)

 ♪ 俺のこころを 知りながら
   なんでだまって 消えたんだ
   チャコ チャコ
   酒場に咲いた 花だけど
   あの娘は可憐な 可憐な娘だったよ ♪
            (作詞:宮川哲夫)

敬愛するフランク永井のナンバーでも
かなり好きな曲が「夜霧に消えたチャコ」。
フランクにとって恩師の吉田正ではなく、渡久地政信の作曲は珍しい。
雰囲気的に津村謙の「上海帰りのリル」に似ている。
この曲のヒットはリアルタイムで記憶していて時に1959年。
まだ小学二年生だった。
ちなみにサザンの「チャコの海岸物語」は1982年のリリースだ。

前置きが長くなったが今日のテーマはチャコではなくてチェコ。
東欧のチェコ共和国である。
そんなの関係ねェだろ! ってか?
まあ、まあ、くだらん駄ジャレと思し召して先をお読みくだされ。

チェコがスロヴァキアと分離独立したのは1993年。
ちょうどその年、東欧を独りで旅した。
ニューヨークからハンガリーのブダペストに入り、
その後、ウイーン(オーストリア)→ブラチスラバ(スロヴァキア)→
プラハ(チェコ)→ベルリン(ドイツ)をめぐった。
隣国のハンガリーやスロヴァキアと比べ、
チェコ国民の眼光は鋭く、まるでヨソ者を拒絶するかのごとくだった。
暗い過去が人々の心に影を落としていたものと思われる。

1年ほど前だったか、四谷三丁目にチェコ料理店を発見。
いつものことだが、そのうち行こうと思いつつも
いつしか時は流れてそのままになっていた。
背中を押してくれたのは鎌倉山のP子。
「たまにはエスニックに連れてって」―このひとことが決め手となった。

エスニックとなると、ヴェトナムやタイなど東南アジアの料理を連想するが
実はJ.C.、これらの国の料理はそれほど好まない。
ニョクマム、ナンプラーなど、
いわゆる魚醤をイマイチ好きになれないからだ。
魚醤の呪縛から解き放たれるシンガポールの味は
彼の地に長く棲んだこともあって大好きなのにねェ。

P子の所用があった本郷は東大前で夕刻に落ち合う。
レストランの開店まで1時間の余裕があり、歩いて行くことにする。
本郷→春日→後楽園→飯田橋→神楽坂→牛込→
市谷→曙橋→四谷三丁目というルート。
直線的に向かうと時間が余るから迂回したわけだ。

途中、神楽坂から市ヶ谷に下る牛込中央通りを歩いたが
ちょいと来ない間にずいぶん寂れてしまった印象。
都営大江戸線の牛込神楽坂ができたとはいえ、
駅から近くはないこの界隈は櫛の歯が抜けるように
閉店する飲食店が目立つ。
神楽坂のメインストリート、早稲田通りを光とすれば
牛込中央通りは言わば影、坂を降りながら一抹の寂しさが胸をよぎる。

=つづく=

2013年5月29日水曜日

第587話 魚貝類のカレーライス (その2) 男やもめのキッチン Vol.7

では、魚貝類のカレーの作り方です。

=ガスレンジが2台しかない男やもめの場合=

① 砂抜きしたはまぐりを茹でる
② 口を開いたらはまぐりをすぐに取り出す
③ はまぐりの煮汁に白ワインを加えてひと煮立ちさせる
④ 白身魚・小海老・いかを投じて軽く火を通す
⑤ スライスした玉ねぎとみじん切りのニンニクをバターでソテー
⑥ ④と⑤を合わせてブイヨンを加えカレールウを溶かし込む
⑦ ルウが少なめなので塩・胡椒して味を調える
⑧ あらかじめ炊いておいたライスと別盛りでいただく

=アドバイス=
カレーはしゃぶしゃぶ状に仕上げるのがコツ
くれぐれも魚貝を煮すぎないように
はまぐりは貝殻から外さないほうが雰囲気が出てよい
殻付きの海老は食べにくいのでむき海老を使う
いかは1パイだと多いから身の半分は刺身で食べる
イタリアンパセリやディルなど魚貝に合う香草を添えるとベター
トマトの缶詰を使うとより地中海風でオサレ
ライスを炊くときにバターを加えるのもオススメ
インドカレーでおなじみのカルダモンやクミンは魚貝には向かない

つい先日、このカレーを一人で作り、独りで食べた。
いや、旨いのなんのっ!
そのときはライスを炊かずにバゲットのガーリックブレッドにした。
合いの手のワインは白ではなく、赤のピノ・ノワール。
安価なワインながら相性は抜群だった。

おっと、そうだ、もう一つ大事なことがあった。
スーパーの冷凍食品売場に
ミックス・シーフードなるものが売られているが
アレは絶対にいけません。
せっかくのシーフード・カレーから品格が失われるからだ。
たとえ男やもめの手抜き料理でも
それなりのエレガンスはキープしておきたい。

ミックス・シーフードで思い出した。
冷凍のミックス・ベジタブルというのもあるネ。
実はJ.C.、これが大嫌い。
庶民的なステーキハウスでは
ステーキの付合せに使われたりもしているが
あれほど味気ないものはない。

もう四半世紀も以前、
当時のGFに手造りカレーをよばれたことがあった。
いやいや出掛けて行って、出てきたカレーにぶったまげたネ。
あろうことかルウがハウス・バーモントカレー。
まったく何考えてんだか、子どもじゃあるまいし・・・。

オマケに驚くなかれ、
食材が牛・豚の合挽き肉にミックス・ベジタブルときたもんだ。
(オマエは馬鹿か!)
さすがに面と向かって口には出さず。
しかし、イヤ~な予感が胸の奥からこみ上げてきた。
(あゝ、このオンナとはそう長くはないな)
案の定、それからひと月と経たずに別れやしたヨ。

2013年5月28日火曜日

第586話 魚貝類のカレーライス (その1) 男やもめのキッチン Vol.7

実にしばらくぶりで=男やもめのキッチンシリーズ=いきます。
Vol.6を紹介してから
かれこれ半年は経ったんじゃないでしょうか。

今回はシーフードカレーを取り上げたい。
カレーライスは通常、
東日本ではポーク、西日本ではビーフがポピュラー。
関東在住の方なら子どもの頃から家庭で親しんだのは
バラ肉や肩ロースや小間切れなど、
部位に多少の違いはあってもポークカレーであったハズ。
かく言うJ.C.も母親の手になるカレーはポーク以外食べたことがない。

日本のカレーはやはり豚肉が好きだ。
これがインドカレーとなれば羊肉が好み。
タイカレーなら鳥肉ということになろう。
あえて魚介のカレーにチャレンジするのは
これはこれでとっても美味しいからなのです。

用意する食材(2人前)は
 白身魚・・・・・2切れ
 小海老・・・・・10尾
 はまぐり・・・・・6個
 いか・・・・・・・1/2ハイ
 玉ねぎ・・・・・小1個
 ニンニク・・・・1カケ
 白ワイン・・・・100CC
 カレールウ・・1皿分
 ブイヨン・・・・1個
 バター・・・・・少々 
 塩・胡椒・・・・適宜
 ライス・・・・・・お好きなだけどうぞ
 
白身はタラ・金目鯛・鯛・すずきなど好みのものを。
海老は小ぶりなむき海老が便利。
はまぐりはあさりで代用してもよい。
いかは最廉価なするめいか(真いか)がよい。
また、タコに代えても差し支えないが、いか・タコ併用がゴージャス。
この場合、タコに火は通さず、仕上げに落として温める程度。
白ワインは安物でまったく問題はない。
ブイヨンは固形のチキンコンソメ、顆粒の鳥ガラ出汁、
本格的にいきたい向きには魚のブイヨン、
いわゆるヒュメ・ド・ポワソンがオススメだ。

男やもめのキッチンは何てったって手抜きが信条。
されど今回は少々手が掛かる。
と言っても材料さえ揃えて、ライスを炊きさえすれば、
そんなに面倒なことはない。
ぶきっちょな方でも30分とちょっとで完成すること請け合いだ。

それではア・ラ・キュイジーヌ!
と、叫んだところで、お時間来ました。

=つづく=

2013年5月27日月曜日

第585話 その日のうちにウラ返し (その3)

霊園では途中落ち合った縁者とともに墓前を掃き清め、
香華を手向けて、とどこおりなく墓参を済ませた。
陽は西のかたに傾き始めていても、まだまだ明るい。
五月の日の長さを実感する。

新京成の電車に揺られ、八柱から松戸に向かった。
松戸の一つ手前の上本郷を過ぎてまもなく、
かつて住んだ古く小さなマンションが線路沿いに今も健在。
築37年になるはずで、さすがに外壁は塗り替えられている。

お墓参りのあとは松戸駅西口にある日本そば店、
「関宿」に立ち寄るのが常ながら
その夕は試してみたい酒場があった。
同じ西口の「ひよし」である。

強い陽射しの下でひと働きしたおかげで
ノドをすべり落ちてゆくサッポロ黒ラベルの旨いこと。
まっ、なんだかんだ言って、いつもビールは旨いんだけど・・・。
突き出しに出たきゅうりと大根の浅漬けがまたけっこう。
お替わりしたいくらいのものだ。

ここは焼きとんが名物。
さっそく所望すると、女将応えて曰く、
「今日はナンコツとレバーしかないんですヨ」―日曜だから致し方ないか。
ナンコツは塩、レバーはタレで焼いてもらったがレバーは特筆に値した。

壁の品書きにガツ刺しを見とめて追加する。
うむ、これは雑色の「三平」に軍配だな。
いや、けして悪いわけではないけれど・・・。
日曜はメニューが限定されるようだし、さて、このあとは・・・。

ここでひらめいたのが、昼間訪れたあの店だ。
相方も乗り気につき、20分後には「綾瀬飯店」に落ち着いていた。
その日のうちにウラを返しちゃったわけだ。
こういうケースは滅多になく、3~4年に一度の確率だろう。

「綾瀬飯店」→「ひよし」→「綾瀬飯店」と、
今日はずっと黒ラベルを飲んでいる。
ビールを頼んだら、昼は茹で茄子がサービスされた。
夜もそうかな? と思っていたら今度はかぶの新香が山盛りで来た。
これもうれしいな。

ビールのあとは紹興酒・珍年5年とピータンをお願い。
そして何か一品料理をと思い、菜譜とにらめっこである。
妙に気になったのが海老蟹炒め。
エビガニ(ザリガニ)ではなく、海老と蟹の合わせ炒めだろうヨ。
海老はともかく蟹には期待できまいと懸念しつつも追加した。

はたして現れたのは小海老と紅ずわい蟹の缶詰だった。
缶詰はほぐれ身の安価なもので化調が使用されている。
許容範囲ではあったものの、
昼に化調抜きのラーメンを食べているだけに残念は残念。
でも、悔いはない。
この店は良い店である。
白状すると、実は翌週の日曜日にも
またラーメンを食べに行っちゃったのでした。

=おしまい=

「ひよし」
 千葉県松戸市本町19-9
 047-362-3182

「綾瀬飯店」
 東京都足立区綾瀬2-23-20
 03-3603-9948

2013年5月24日金曜日

第584話 その日のうちにウラ返し (その2)

東京メトロ千代田線・綾瀬駅南口の「綾瀬飯店」。
ラーメンのどんぶりを前にしてエビス顔である。
傍から見ればバカ面だが、客はほかにいないんだもんネ。

麺はやや縮れの中細で透明感から多加水麺であろう。
ラーメンフリークではないから詳しくは判らない。
それよりも麺の上の具材がおいしそう。
2枚のチャーシューに思わず拍手だ。
いや実際に手はたたかない。
シアワセだが手はたたかない。
なぜって音を聞きつけたオバちゃんが
「なんか用だっぺか?」―テーブルに来ちゃうからネ。

これは正真正銘、本物のチャーシュー。
漢字で書けば叉焼だ。
読んで字の如し、チャーシューは焼き豚であって
けっして煮豚ではない。
近頃のラーメン店のチャーシューは十中八九、
煮豚に成り下がっている。
ラーメン職人の良心、今いずこ?

紅麹による薄い紅色の縁取りがいじらしい。
横浜中華街で食べる拉麺、もしくは柳麺といったふう。
味のほうもまことにけっこうであった。

シナチクがまたいいんだわ。
手割きによる細身のそれはコリコリの食感がすばらしい。
割り箸みたいにぶっといわりには柔らかくて大味なのが多いなか、
昔ながらのシナチクにもやはり拍手を送りたくなる。

青みは小松菜。
どちらかといえば、ほうれん草が好みだが無いよりはずっとマシ。
そしてスープに浮かんだ刻みねぎの細かいこと。
これが町場の中華屋とは一線を画するところで
一流ホテルの中華料理を思わせる。

やや硬めの麺はノビにくく、シコシコ感が持続する。
おだやかな滋味あふれるスープは
化学のチカラを寸分も感じさせない。
こんなラーメンを探し求めていたんだヨ。
これがラーメンの原点なんだヨ。
魚粉をぶっかけたのなんか食いたくないんだヨ。
猫じゃあるまいし。

思い起こせば、すべては
新御茶ノ水駅のホームにすべり込んできた綾瀬どまりの電車のおかげ。
もしあれが我孫子ゆきだったら
おそらく永久にこの店との出会いはなかったハズ。
ありがとさんヨ、綾瀬ゆき。
ワンコインでは安すぎるラーメンのどんぶりに最敬礼して駅に向かった。

=つづく=

「綾瀬飯店」
 東京都足立区綾瀬2-23-20
 03-3603-9948

2013年5月23日木曜日

第583話 その日のうちのウラ返し (その1)

いけない、いけない、またやっちまいました。
午前中に「生きる歓び」を訪れてくれる方々には誠に失礼しました。
今、あわててアップしたところであります。
どうか、お許しを。

実は愛媛・松山から出張で上京してきた友人・Y田クンが
今朝だけ身体が空いたという。
ならば築地の魚河岸でブランチとシャレこもうじゃないか、てなことになり、
今しがた帰宅した次第です。

先週のとある平日。
久方ぶりにお墓参りである。
当家のお墓は千葉県・松戸市の八柱霊園。
新御茶ノ水から千代田線で北松戸を目指し、
目当てのラーメン店で昼食をとり、
そこから40分ほど歩くつもりでいた。

ところが折り悪く、乗った電車は北千住の1つ先、
北松戸の4つ手前の綾瀬行きだ。
綾瀬のプラットホームで時刻表を見ると、8分ほどの待ち時間。
そうだ、ここでランチにしてしまおう。

目星のつかないまま南口をぶらぶらしてみる。
駅から数十秒、つけ麺とラーメンの店に空卓はあるものの、
つけ麺は嫌いだし、
つけ麺を出す店のラーメンも基本的に避けるようにしている。
その先にあった海鮮丼とばらちらしを出す鮨屋のつけ台はほぼ満席。
ここは初心貫徹、ラーメン屋を探そう。

見つけたのは「綾瀬飯店」なる町の中華屋であった。
古ぼけた店舗はひいき目に見れば
ひなびた雰囲気を醸していると言えないこともない。
一も二もなく入店した。

店内に先客は皆無。
奥のテーブルでお婆ちゃんとオバちゃんの中間みたいな女性が
独り、身体を休めている模様。
客の顔を見ておもむろに立ち上がった。

注文したのはビール(中瓶)とラーメン、ともに500円の計1000円也。
ビールはサッポロ黒ラベルで好きな銘柄だ。
うれしかったのは一緒に運ばれた茹で茄子のねぎ醤油掛けである。
こうして見ると”茹”と”茄”の字はそっくりだなァ。
んなことはともかく、この茄子がひんやりとして冷えたビールによく合う。
ねぎ醤油は中華料理の前菜、雲白肉のそれに似ていた。

菜譜に目を通すとなかなかに本格的で
見てくれは町の中華屋だが、実体は中国料理店といってよい。
いや、お見それしやした。

ほどなく登場したラーメンはいかにも中華そばといった面立ち。
フワリといい匂いが立ち上ってくる。
やったネ、これは期待しちゃうぞ!

=つづく=

2013年5月22日水曜日

第582話 待ちきれなくて立会川

ひと月も前になるけれど、
会食の席で顔を合わせたのみとも・H澤サンから耳寄りな情報。
京急・立会川に抜群の焼きとん屋があるというのだ。
やはり同席した大井芸者のS乃チャンも絶賛するではないか。
大井と立会川では目と鼻の先だからねェ、うらやましいなァ。

店の名を「鳥勝」という。
屋号に”鳥”を冠していても、”豚”が実効支配しているらしい。
そんな良店ならば、機会を見つけてご同行願いたいと申し出る。
では近いうちにと、その場はそれで収まった。

しかし、翌日から「鳥勝」が気になって仕方がない。
日にちを決めてセッティングしたわけじゃないから
訪問はいつになるか知れたものではない。
そこでせっかちなJ.C.、
情報入手の二日後に待ちきれず独り出掛けていった。
立会(立合い)だけに突っ掛けちまったのだ。
「待った!」をする相手とていないしネ。

立会川駅からホンの数分、
二級河川・立会川のほとりに「鳥勝」はあった。
ロケーションは申し分なく、佇まいが懐旧の思いを催させた。
店内がまたスゴい。
手前右手にカウンター、奥はゆったりめのテーブル席。
実に昭和20年代のワールドが拡がっていた。
先客に詰めてもらい、キツキツのカウンターに何とか着席がかなう。

ビールはキリンラガーの大瓶。
さっそく焼きとんを所望する。
(塩)―ハツ・カシラ・上ミノ (たれ)―レバ・パイ・シロ
の計6本は上ミノだけが160円、あとは80円均一。
パイは牝豚のオッパイ(乳房)のことだ。
ほかにテッポウ・アブラ・ガツ・ナンコツといったラインナップ。
野菜類もピーマン・しし唐・ねぎの3種が用意されている。

いずれも良質な豚もつたちだった。
品川の芝浦市場が近いからねェ。
この質でこの値段じゃ、宵の口から客が押し寄せるのも致し方ナシだ。
焼きとん屋では生肉はあまり食べないJ.C.、
ふと見たら隣りのアンちゃんは
レバ刺しとセンマイ刺しの2皿を目の前に置いているヨ。
センマイだろう、そのうちに噛む音がコリコリと聞こえ出した。

ただ、ここの焼きとんには問題が一つある。
かなり化学のチカラを感じるのだ。
ごまかしの利かない(塩)だと、それがより強く出てしまう。
昭和2~30年代の庶民の食卓には必ず一つ、
赤いキャップの瓶が置かれていたから仕方がないか。

H澤サン推奨の煮込み(320円)を追加した。
うわぁ~お、彼の言った通り、牛もつのシロコロは
腸壁にビッシリと脂肪の塊りを蓄えているのだった。
コッテリ度では深川・木場の「河本」と双璧だ。
ドン引きする人もいようが、好きな人にはこたえられまい。

東京23区内とは思えぬほどにレトロな西口商店街をぶらつき、
印象深き立会川の町をあとにした。
このあと五反田では買い物、
渋谷では理髪のせわしない春の夕まぐれであった。

「鳥勝」
 東京都品川区南大井4-4-2
 03-3766-6349

2013年5月21日火曜日

第581話 漱石の愛した菓子舗

今年も根津神社のつつじ祭に赴いた。
大型連休の一日とあって人出も並大抵ではない。
人混みに気おされてしまい、つつじのお山には入園せず、
しばし境内を散策したあと、夏目漱石が気に入りの和菓子輔を訪れる。
そう、日医大の坂を上ったところにある「一炉庵」である。

ショーケースに銘菓居並ぶなか、この店の名代は生菓子に尽きる。
去年のお正月、月刊誌「CIRCUS」の依頼で
「文豪の愛したお菓子」と題し、「一炉庵」を紹介したことがあった。
編集者・O野サンの取材を参考にした掲載文を抜粋して転載したい。

 英国留学から帰った直後、漱石が住んだ千駄木町。
 そのそばにあった「一炉庵」の季節感あふれる生菓子は
 年間400種にも及ぶが季節に整合させるのではなく、
 梅花の生菓子ならば、花ほころぶ前に販売し、
 咲いた頃には店頭から消える。
 本物の梅の美しさには勝てない。
 「そろそろ梅の季節なのネ」と並んだ菓子に
 季節感を感じていただくのがもてなしの気持ち。
 粋な心意気といえよう。

漱石の菓子好きについてはこう書いた。

 明治の日本人は驚くほど米飯を食べた。
 それも朝・昼・晩と3度の食事のすべてにおいて。
 その合間を縫い、和菓子・洋菓子を食べ続けたのが胃弱の漱石。
 胃潰瘍で没したが、あれでは健康人も病気になろう。
 食パンに砂糖を塗って(乗せて)何枚も食べたというから
 現代人の想像を絶している。

さて、今年の春の日である。
ポカポカ陽気に浮かれ出て
菓子好きでもないJ.C.はくだんの生菓子を四つも買っちまっただヨ。
まずはとくとご覧あられたし。
緑鮮やかな柏葉ともっと紅鮮やかな端午
どうです?食べるのがもったいないくらいでござんしょう?
岩根つつじと鯉のぼりが可愛らしい
4品ともまさに季節をとらえて「お見事!」と賞賛するほかはない。

菓子箱を抱えて散歩の継続である。
団子坂下を右折すれば三崎坂(さんさきざか)。
穴子鮨の「乃池」や異色の喫茶店「乱歩」のある坂だが
そこまでは上らずに「菊見せんべい」を過ぎたらすぐに左折した。
ほどなく谷中のよみせ通りだ。
通りの中ほどを右折して谷中銀座、そのまま夕焼けだんだんを上がった。

日暮里から京成電車に乗って芭蕉ゆかりの千住大橋へ。
北千住の「食遊館」で晩酌のつまみを買い求め、意気揚々と帰宅に及ぶ。
一杯、いや三、四杯、いやいや五、六杯が正しいけれど、
気持ちよく飲って、飯は食わずに皐月の銘菓を楽しむことにする。
もったいないなどと言っときながら、しっかりと完食いたしやした。

「一炉庵」
 東京都文京区向丘2-14-9
 03-3823-1365

2013年5月20日月曜日

第580話 横浜はだいじょうぶ

鰻の空振りをにぎり鮨でフォローした鎌倉をあとに
やって来たのは港街・横浜だ。
ここはだいじょうぶ、フラれる心配はない。
なぜってちゃんと予約を入れてあったから―。

この夜は相棒の要望により、イタリアンの手はずとなっていた。
街で一、二を争う人気店「SALONE 2007」に白羽の矢であった。
メニューは1万円のおまかせ一本やりでアラカルトの余地はナシ。
本来は避けたいタイプも少量ずつの多皿コースにつき、
ワインのつまみのオンパレードと割り切れば
それもよかろうと決断したのだった。

シチリア産のビール、メナブレアでスタートする。
ワインはバローロ・ボッティの’70年。
あえて値段は記さずにおくけれど、
太っ腹の相棒がおごると言い張るので
清水の舞台から二人、ダイビングした次第だ。

8皿から成るコルソを紹介すると

 山形牛のスピエディーノ
 春のアンティパスト
 真鯛のヴァポーレ
 メッツァルーナのペコリーノソース
 烏賊のファゴット
 サルティンボッカ
 ホロホロ鳥のラグーのタッコーニ
 馬ハラミ肉のアッロスト
 
このあと、葉巻きに見立てたドルチェとエスプレッソ。

食べるほうが覚え切れないほど、
多種多彩にして手の込んだ料理が
これでもか、これでもかと運ばれる。

特筆はオマール海老に
フェノッキオ(ういきょう)のジェラートを添えた春のアンティパスト。
そして何といっても馬ハラミのローストだろう。
この皿は付け合せも秀逸で
ピエモンテ州のウォッシュチーズ、サルバを合わせたポレンタが美味。

唯一、不満が残ったのは
高価なワリに最後まで硬さがほぐれず、閉じたままだったバローロ。
なんか無駄遣いさせたみたいで、あと味がスッキリしない。

普段なら横浜の浅草とも称される野毛に繰り出すところなれど、
この日は鎌倉でさんざ歩いたせいだろう、遠さを感じる。
よって馬車道近くのバー「カサブランカ」に潜った。

まずはマティーニ。
2杯目はシェイクもののアップルカー。
サイドカーにはコニャックが使用されるが
代わりにカルヴァドスを使うとアップルカーとなる。
カルバドスはりんごのブランデーだからネ。
最後にペルノーの水割りで締め、
鎌倉&横浜の休日は幕を降ろすこととなりました。

「SALONE 2007」
 神奈川県横浜市山下町82-3
 045-651-6383

「カサブランカ」
 神奈川県横浜市中区相生町5-79 ベルビル馬車道B1F
 045-681-5723

2013年5月17日金曜日

第579話 鎌倉でもまたフラれ (その2)

鎌倉は和田塚の老舗うなぎ店「つるや」にフラれ、
それならばと、鮨屋「和さび」に電話を入れる。
折りよくすんなり予約が取れた。

「和田塚からタクシーで行きますが
 ドライバーにはどのように説明したらよいでしょう?」
「タクシーでしたら『和さび』と言っていただければ判ります」
へえ~っ、そんなに有名な店なのか! 
女将の応対に少なからず驚いた。

でもって乗り込んだクルマの運ちゃん、
なかなか饒舌にして親切な方で街のガイドをしてくれる。
鎌倉最古の寺、杉本寺を過ぎてほどなく「和さび」はあった。
ふ~む、これは古民家ですな。
ただし、せっかくの佇まいを
玄関に乱雑に置かれたビニール傘の束が台無しにしている。
イケませぬな。
美女の鼻腔からのぞく一本の鼻毛みたいなもんですな。

サッポロ黒ラベルの小瓶をたちまち乾しながら
酒肴をお願いしたら、昼はその用意がないんですと―。
したがっていきなりのにぎり責めである。
それもおまかせ一本槍、好きじゃないなァ、こういうの。
でも郷に入れば郷に従うほかはない。
鎌倉に入れば鎌倉に従うのだ。
すべてを順に記してみよう。

 いさき、平すずき、黄はた、ひらめ、
 赤貝、とり貝、青柳、たいら貝、焼き竹の子、
 赤身づけ、たこ、小肌、あじ、ゆで車海老
 中とろ、墨いか、煮穴子、
 かんぴょう巻き、玉子

にぎり17カンに巻きもの半本、そして玉子だ。
かなりのカン数ながら、極小サイズにてパクパクいけちゃう。
ただし、酢めしは他店に類を見ないほど固めの炊き上がり。
苦手な方は困惑しよう。
われわれはへっちゃらだけどネ。

平目にはおろしが、海老にはおぼろが、
墨いかには酢橘(すだち)と海苔の帯が、
それぞれあしらわれていた。
かんぴょう巻きはわさび、玉子はすり身入りだ。

どうだった?と訊かれれば、
美味しかったヨ、と応えることになろう。
だがネ、正直言えば、満足度も中くらいナリといったところだろうか。

「つるや」のうなぎを食べて長谷の大仏まで歩くつもりが
ここからではあまりに遠い。
近くの杉本寺、そして八幡宮を訪れて鎌倉駅に向かった。
さて、夜は横浜である。

「和さび」
 神奈川県鎌倉市浄明寺2-2-1
 0467-25-2767

2013年5月16日木曜日

第578話 鎌倉でもまたフラれ (その1)

春のときめきとのみともについ誘われて鎌倉へ。
振り返れば、初めて鎌倉を訪れたのは小学五年生の遠足。
長谷の大仏におめもじがかなったのもこの年だった。

あれは1962年、ちまたで橋幸夫と吉永小百合がデュエった、
「いつでも夢を」が流れまくっていた年。
中尾ミエの「可愛いベイビー」、北原健二の「若いふたり」、
倍賞千恵子の「下町の太陽」、ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」、
名曲の数々が庶民の耳をなぐさめてくれていた。

みちのくから上京してきたR子がまだ在京中。
東京はあちこち行ってるのでたまには湘南を案内せよという。
つき合いのいいJ.C.は「あいよ!」と素直に請け負う。
江ノ島では面白くないから久方の鎌倉となったわけだ。
およそ5年ぶりだろうか。

「昼めしは何食べる?」―一応訊いてみる。
「何でもいいわ」―まったく頓着していない。。
どこでもいいのなら気分もフトコロも大楽勝じゃん。

鎌倉から江ノ電に乗り、一つ目の和田塚で降りて
川端康成や田中絹代がひいきにした「つるや」に直行した。
ここは鰻屋。
あまり注文する客がいないけれど、
天丼・かつ丼・親子丼もめっぽう美味しい。

気持ちよく二人暖簾をくぐったものの、
応対のオネエさんのひとことは
「ご予約のお客さまですか?」
んなもんしちゃあいないからイヤ~な予感。
ときに12時15分前。
「ですと、ご案内は13時半くらいになりますが・・・」
ゲッ! 
こいつはいかん、いけませんです。

タカをくくり、予約を怠っていた。
軽い気持ちで親子かかつ丼のアタマでビールを飲み、
しばらくしたら、うな丼をいただこうという腹積もりが
一瞬にして崩壊しちまった。
ぬかったなァ、鎌倉の老舗を甘くみちゃったなァ。
豊島区・大塚ではフラれにフラれたが鎌倉で二の舞かァ。
またもや途方に暮れた二人であった。

道沿い、同じ並びにシラス丼や海藻の赤モク丼を食べさせる、
海の家みたいなレストランがあった。
でもさすがに相方もそこでは不満のご様子だ。
小町通りに戻れば小津安二郎と小林秀雄がひいきにした天ぷら屋、
「ひろみ」があるが人混みの道を歩きたくない。

そこでひらめいたのが鶴岡八幡宮の奥にある一軒の鮨屋だった。
未訪ながら確か「和さび」といったハズだ。

=つづく=

2013年5月15日水曜日

第577話 フラれフラれて大塚の町 (その3)

都内各所に散在する「ときわ食堂」は基本的に独立採算。
ただ、巣鴨の2店だけは母親から息子への枝分かれだから
その限りではないかもしれない。

庚申塚の「ファイト餃子」で生ビール、
「庚申酒場」で日本酒とホッピー、
しっかり飲んだが食べるほうはそうでもない。
殊に相方はまだ腹八分目どころか、四分目がいいとこであろう。

敷居をまたいでJ.C.はビールの大瓶、R子は緑茶ハイ。
ウエイトレスのオススメのつまみはばちまぐろの刺身だ。
部位を訊ねると、言葉に詰まったから赤身とみた。
ベツに食べたいものがあるでもなく、素直にオススメに従う。
町場の食堂で刺身はめったに頼まないけれど、
当夜は粉わさびを承知のうえで注文した。

価格は7~800円だったかな? まずまずの刺身が運ばれた。
冷酒を追加して醤油で割り、即席のヅケを作成する。
でもネ、でもですヨ、やや水っぽいばち赤身に粉わさでは
いくらヅケにしても限界があろうというもの、
大葉を所望してまぐろのシソ巻きとシャレこんだ。

大葉はエクストラ・オーダーにつき、ウエイトレス嬢に
「チャージしていいからネ」―こう伝えると
彼女返って来て曰く、
「5枚で150円ですが、いいですか?」―もちろん、いいとも。

刺身一品じゃ愛想がないのでコロッケを追加し、1個ずつつまんだ。
まぐろもコロッケもさして旨くはないけれど、
町内にこんな店が一軒あったら住民には歓ばしいことだろう。

時刻は早くも23時半。
そろそろお開きにするべェかと勘定を済ませ、そぞろ歩く巣鴨の町。
白山通りを南下、山手線の陸橋を渡って左折、裏町を往った。
この時間ともなればフーゾク系の店も扉を閉じ始めている。

そのとき夜更けの町にぼんやり浮かぶ看板が目にとまった。
店先に立つと場末感満載のスナックで、しかも店名が「R子」。
当夜の相方と同名にして漢字も一緒。
わが人生を振り返ると、こういうシチュエーションの場合、
まず間違いなく扉をたたいてきた。
その夜もけして例外ではなかった。

わりかし小ギレイな店内に先客はおらず、ママが独り。
日本語の会話に問題はまったくないが上海出身の女性だった。
とりあえずビールを抜いて三人で乾杯。
あとはすすめられるままにカラオケである。
相方の1曲目は松田聖子、こちらは吉幾三だ。
ジェネレーション・ギャップもあることだし、互いに無難な選曲であろうヨ。

ところが相棒の2曲目で椅子からすべり落ちそうになった。
よりによって「ブランデーグラス」だとヨ。
コレはオトコの、それもオジさんの歌だろうに。
まっ、いいでしょう、いいでしょう、お聴きしましょう。
ふ~ん、けっこう歌いこなすじゃないの。
飲むほどに、酔うほどに、歌うほどに
グラスの底には残り少ない夢が揺れているのでありました。

=おしまい=

「ときわ食堂」
 東京都豊島区巣鴨3-14-20
 03-3917-7617

2013年5月14日火曜日

第576話 フラれフラれて大塚の町 (その2)

大塚では「千通食堂」、「高木」と連続してフラれ、
流れ着いた庚申塚の町である。
通りすがって入店した「ファイト餃子」の白菜漬けに困惑している。
表面にフラれていた、もとい、振られていたのはカチョーさんだ。
外で注文する新香にはコレがあるからヤバい。
特にお婆ちゃんがいる店のリスクが高い。
かといって注文の際に
「化学調味料は掛けないでネ」―なんて頼もうものなら
「ウチはそんなもん使ってないわヨ」―ピシャリとやられたりするから
下手な口はたたけず、いや、ヒジョーに難しいんだわ、ジッサイ。

ティッシュを取り出し、ビールの泡で湿らせ、
銀の粉末の除去に励んでいたら
お運びの婆ちゃん、再びわれらの卓に近づいて
「アララ、すみませんねェ、嫌いなんですねェ」―この一言が心を和ませる。
「あっ、いいの、いいの、気にしないでいいから」―J.C.は年寄りにやさしい。

てなこって、1軒寄り道したあと、「庚申酒場」に移動した。
およそ1年ぶりの再訪だ。
見覚えのある腰の曲がった婆ちゃんが独りで切盛りしている。
木造二階建ての一階が酒場、二階が住まいになってるらしい。
ビールはしこたま飲んできたから、さっそくの燗酒、銘柄は失念した。

お銚子を1本空けてホッピーに切替える。
「庚申酒場」のつまみはおでんと焼き鳥が二枚看板。
だいぶ暖かくなってきたから、おでんはパスして焼き鳥を。
看板とはいえ、タネはたった3種類しかない。
鳥の正肉、豚のタンとレバー、それだけなのだ。
長年培った経験から少数精鋭に絞り込んだのであろう。
おのおの2本ずつ焼いてもらった。
タンは塩、ほかはタレでお願いする。
いずれもレベルが高く、素朴に旨い。

今にも朽ち果てそうな店内のカウンターに居並んだのは
われわれを含めて3組のカップル、それぞれにわけあり風だ。
互いに干渉することもなく、言葉一つ交わすでもなく、
時がゆったりと流れてゆく。
As Time Goes by とはこのことをいうのだろう。
滞在時間は1時間弱、流れ着く先のあてとてなく店を出た。

ここはお婆ちゃんの原宿、とげぬき地蔵通りのはずれだ。
招かれるようにお地蔵さま(高岩寺)方面に歩みを進める。
左手に「ときわ食堂」を見ながら通り過ぎた。
この通りには「ときわ食堂」が2軒あり、今ゆき過ぎたのは息子の店。
先には本家、母親が営む店舗がある。
本家は商売繁盛とみえて隣りを買収し、
2軒続きの大店(おおだな)に変身している。
外食産業不況の折に経営手腕を発揮して
事業を拡張するところもあるのだ。
ご同慶の至り、ちょいと寄ってみようかな。

=つづく=

「ファイト餃子」
 東京都豊島区西巣鴨3-7-3
 03-3917-6261

「庚申酒場」
 東京都豊島区巣鴨4-35-3
 03-3918-2584

2013年5月13日月曜日

第575話 フラれフラれて大塚の町 (その1)

春の宵、マイ・フェイヴァリット・タウンの大塚へ。
みちのくののみとも・R子が到来したから同伴する。
実は先週紹介したTVドラマ「男たちの旅路」のせいで
都営荒川線・巣鴨新田に心誘われていた。
鶴田浩二扮する吉岡指令補がこの場所に暮らしていたのだ。
相方も東京のチンチン電車は初めての由、
満面の笑みを浮かべ、二つ返事でついて来た。

巣鴨新田は大塚から一つ目の停車場。
駅名は巣鴨でも大塚の一角といってよい。
大塚なら酒亭「江戸一」経由、
もつ焼き「富久晴」がお定まりのコースながら
当夜は八十路の老夫婦が切盛りする「千通食堂」が狙いの的だ。
停車場から徒歩3分ほどの距離にあり、
野菜炒めとポークソテーで一杯飲る腹積もりだった。

明るいうちに電話を入れ、夜の営業を確かめて赴いた。
到着したのは19時半。
店内に灯りは見えるものの、暖簾が仕舞われている。
ややっ、これはどうしたことだろう、
おそるおそる引き戸を引くとオヤジさんが独りでポツン。

「もう、お終いなんですか?」
「ええ、閉めちゃったんです」
「さっき電話したんですけど・・・」
「ごめんなさい、女房が急に体調崩しちゃって・・・ごめんなさい」

病気ならば仕方がない、ご高齢ですからネ。
それならばと向かったのが
明治通り沿いは大正大学前にある大衆酒場「高木」だ。
しかるにこちらもシャッターが下りていた。
見たところ、ここしばらくは営業した様子がない。
長期休業後の再開を聞き及んでの訪問だったが
フラれの上塗りであった、いや、まいったな。

でもそこは勝手知ったる町のこと、
巣鴨新田の隣り駅、庚申塚に「庚申酒場」なる、
これまた老齢の女将さんが営む酒場を思い浮かべた。

途中、通りすがったのは餃子専門店の「ファイト餃子」。
名代のホワイト餃子はフランスパンの生地で包んである。
噂には聞いたものの、未食だったし、
相方も興味を示すので即入店と相成った。

フラれ続けてずいぶん歩いたからノドはカラカラのカラ。
グイッと飲み干す生ビールの旨さは何物にも代えがたい。
30分少々の滞在で中ジョッキを3杯空けちまった。
くだんのパン生地餃子はそれなり。
むしろ卓上のメニューにあった<お新香>に惹かれた。
冬・春が白菜、夏・秋はぬか漬けとある。
こういう気の利いた棲み分けだけで
優良店と思えてしまうわが単純さが浅はかなりにかわゆい。

ところで五月は春かネ? それとも夏なのかネ?
お願いしたらお運びの婆ちゃんが山盛りの白菜を持って来た。
こんなに食えるかな?
大量の白菜漬けの表面をよお~く眺めると、
不気味にもキラキラ光っている。
あちゃ~! やっちまったヨ。
怖れていたことが現実となった。
そうなのサ、これがあるから新香はアブナいのサ。

=つづく=

2013年5月10日金曜日

第574話 心打たれた「男たちの旅路」

去る5月1日のメーデー。
朝の11時から夜の11時までぶっ通しで観続けたNHKドラマ、
鶴田浩二主演の「男たちの旅路」について語りたい。
制作されたのは1976~79年。
第1部から第4部まで、それぞれ3話の計12本。
’82年にはスペシャルとしてさらに1話が放映された。

今回、観切ったのは第3部までの9話。
’76年当時、2話ほど観た記憶があるものの、
ほとんどが忘却の彼方、
したがってすべてが初めて観るも同然である。

特攻隊の生き残りのガードマン、
吉岡指令補(鶴田)を中心に物語は展開されてゆく。
部下の杉本陽平(水谷豊)と島津悦子(桃井かおり)が
重要な脇役を担い、ともに好演している。

わけあって独り身を貫く吉岡は五十路のやもめ暮らし。
東京に唯一残ったチンチン電車、
都営荒川線・巣鴨新田のアパートに棲んでいる。
東映の仁侠&戦争映画で復活を遂げた鶴田浩二には
これ以上ないハマリ役と言える。

NHKに大ヒットした「傷だらけの人生」を
好ましくない曲として批判された鶴田は以来、NHKと絶縁していた。
脚本の山田太一の骨折りもあって両者の関係は雪解けを迎え、
鶴田は「男たちの旅路」の出演を受諾したのであった。
’77年1月に放映された歌謡番組、
「ビッグショー」も和解があってこそ生まれた企画である。
鶴田の遺作となった、やはりNHKドラマ「シャツの店」では
因縁の「傷だらけの人生」が歌われるシーンもあったという。

強く印象に残る話はまず第3部・第1話の「シルバー・シート」。
とにかく勢揃いした老優陣がありえないほどにスゴい。
反乱を起こして荒川線の車両をジャックした四人の老人、
笠智衆・加藤嘉・殿山泰司・藤原釜足に加え、
志村喬と佐々木孝丸まで配されている。
こんな豪華キャストに恵まれたTVドラマはこれが最後であろうヨ。

そして同じく第3部・第3話の「別離」だ。
死の床に着いた悦子(桃井かおり)との涙の別れ。
これにはまいった。
観ているほうも涙をこらえるのに必死であった。
最愛の悦子を失った吉岡は職を辞し、
独り、今は無き特急ひばりで東京を離れる。
このラストシーンでは吉岡がどこに旅立つのか明らかにされていない。
ひばりの終点は仙台、彼の地であらたな人生に踏み出すのだろうか?

まだ観ていない第4部がDVD化されているのを知った。
数日後にはTSUTAYAから宅配されてくる手はず、
今から楽しみで仕方がない。
昭和を代表する大スター・鶴田浩二。

 ♪ 夢をなくした 奈落の底で
   何をあえぐか 影法師
   カルタと酒に ただれた胸に
   なんで住めよか 何で住めよか 
   あゝ あの人が        ♪
        (作詞:宮川哲夫)

彼の歌う「赤と黒のブルース」を聴きながら、この稿を書き終えた。

2013年5月9日木曜日

第573話 TVの前にまた居座って (その3)

ハナシが少々それてしまったけれど、
野球・相撲はこのくらいにして
NHK-BSの「昭和の歌人たち」である。
その日の特集は国民栄誉賞受賞者の遠藤実。
彼にゆかりのある歌手が勢揃いした。
集まったのは五月みどり、森昌子、舟木一夫、千昌夫の面々。
そうそうたる顔ぶれが存分に楽しませてくれた。

「せんせい」・「中学三年生」で世に出た森昌子が
遠藤実の弟子だと知ってはいたが
五月みどりまでそうとは知らなかった。
清純派とお色気路線、方向性は真逆なれど、
チカラのある作曲家は何でもこなしちまうんだネ。

歌が上手なうえに高音がきれいな森昌子は好きな歌手。
「哀しみ本線 日本海」、「あの人の船行っちゃった」、
「おかあさん」がマイ・ベストスリーかな。
山口百恵のときもそうだったが森昌子の結婚の際、
ダンナのほうに引退して欲しかったくらいだ。
もっとも森家はともかくとして三浦家の場合は
経済的にもそのほうがよかったのではなかろうか。
あの頃、百恵に稼ぎが三浦トドカズなんて揶揄されたりもしたっけ・・・。

千昌夫は歌唱スタイルが大げさというか、
相当にクサいから好きではなかった。
ヒット曲の「星影のワルツ」、「北国の春」が
好みでないのも多分に影響している。
しかし、トークが面白く、ユーモアのセンス抜群だ。
「夕焼け雲」、「君がすべてさ」は好きな曲、
これからはもっと温かい気持ちで聴くことにしよう。

 ♪ 溢れる若さ あればこそ
   未来に向かい われら立つ
   海の太陽 山の雲
   輝け命の 歌声に
   あゝ あゝ 青春の胸の血は
   夢ひとすじに 燃えるもの  ♪
        (作詞:西沢爽)

久しぶりに「あゝ青春の胸の血は」を本家・舟木一夫で聴いた。
往時よりキーをだいぶ下げており、
なんだか「あゝ老年の胸の血は」みたいな感あって心配したが
フィナーレで出演者一同と合唱した「高校三年生」は昔のまま。
ホッと胸をなでおろした。

「あゝ青春の胸の血は」と「高校三年生」に加え、
「銭形平次」、「花咲く乙女たち」、「高原のお嬢さん」が
舟木一夫のマイ・ベストファイブ。
御三家のなかでは彼が一番好きだ。

その夜はボクシングのW世界戦があったりもして
長いことTVの前に居座ることと相成った。
それにしても内山高志のボディブローはトンデモないッス。
小学生の頃から、矢尾板・関・原田・海老原、
その後は藤や輪島も観てきたが
あれほど衝撃的なKOシーンは記憶にない。
内山には長谷川が果たせなかったラスベガスの夢を
ぜひ、ぜひ、かなえて欲しい。

=おしまい=

2013年5月8日水曜日

第572話 TVの前にまた居座って (その2)

そう、あの天覧試合は
大森・平和島の美原通りにあった「H岩パン店」で観た。
パン屋では三和土(たたき)の上に集まった近所のガキどもが
茶の間にくつろぐ家族の頭越しに背伸びして立ち見するのだった。

実はこのパン屋には苦い思い出がある。
長嶋のサヨナラホームランから1年後くらいだったかな?
町内相撲大会の翌日、やはり夏の夜だった。
例によってパン屋に赴くと、
デップリ太った店のオバさんが前に立ちはだかる。
「キミが来るとウチの子が嫌がるのよねェ」―こう言われて
「ハイ、そうですか」―すごすごと退散の巻である。
何のこたあない、前夜の大会でぶつかった相手がパン屋の息子だ。

当時のひいき力士は大鵬にめっぽう強かった褐色の弾丸、
房錦であったが2年ほど前に引退した横綱・千代の山も好きだった。
房錦みたいにぶちかましができないので
立会いから千代の山の得意技・突っ張りでいったら
哀れパン屋の息子、ホんの2、3発で土俵の外へ。
これが憎しみとなり、因縁を生んだわけである。
振り返れば、子どもの相撲で突っ張りなんかするヤツはいなかった。
親にしてみりゃ大事な跡取り息子が
土俵上で引っぱたかれてるように見えたんだろうねェ。

以来、しばらくTVとはご無沙汰だったが
懇意にしていた隣りのウチがTVを購入してくれて
今度はもっとリラックスしながら
巨人戦やプロレス中継を観られるようになったのだ。

さて、子どもの日の翌日の振替え休日。
差し迫ってすることもなく、夕方からTVの前へ。
わが身を引き寄せたのはNHK-BSの「昭和の歌人(うたびと)たち」だ。
その日の特集は作曲家・遠藤実。
この人も亡くなってすぐに国民栄誉賞を受けている。

ハナシがちょいと脇道にそれるが
国民栄誉賞ってのは不思議な偏りを持つ賞ですな。
作曲家では古賀政男を筆頭に服部良一、吉田正を含め、
計4人も受賞しているのに作詞家はゼロ。
これはどういうことかというと、
賞を授ける側の首相にせよ、内閣にせよ、
作詞だったら自分でもそこそこ書けるとタカをくくってるんじゃないかな。
その点、作曲にはそれなりの修業や才能が求められるから
政治家の能力じゃ、手も足も出ないってことなんだろうと思う。

野球もまた別の意味で偏っている。
王・衣笠・長嶋・松井と、過去の受賞はすべて打者だ。
賞を辞退した二人、福本とイチローもまたしかり。
投手のほうは神さま・仏さま・稲尾さまの稲尾和久ももらってないし、
400勝投手の金田正一もカヤの外。
使用球が改められる以前の打高投低が
国民栄誉賞の世界ではそのまま歴然として残っているんだわ。

=つづく=

2013年5月7日火曜日

第571話 TVの前にまた居座って (その1)

子どもの日は二人の国民栄誉賞受賞に明け暮れた。
かく言うJ.C.も引きこもって終日TVの前。
松井&ミスターの間隙を縫い、チラリと観たのが
NHKエデュケーショナルの将棋こども(小学生)名人戦だ。

このチャンネルは以前は教育TVと呼ばれた3チャンネル。
どうでもいいことだが
現在のこの局の社長はJ.C.の高校同期のK内クン。
さように、同期には偉くなった人もいるのだヨ。
それに引き換え・・・う~ん・・・まっ、いいか。

その名人戦の準決勝が面白かった。
ともに小学五年生同士。
身体の大きい先手の子が攻め込んで後手の小さいのが受けに回り、
見応えのある攻防戦の末、後手が受け切って逆転勝ち。
局後、解説者の森内現名人に大盤の前で
先手勝ちの手筋を指摘された大きい子、
頭を抱えたと思ったら、いきなりしゃくり上げだした。
そうでしょう、そうでしょう、判るヨ、判る、よっぽど悔しかったんだねェ。

隣りでその子の背中をさすって上げてた、
進行役の女流棋士も思わずもらい泣きであった。
この女(ひと)は心根のやさしい娘(こ)なんだねェ。
J.C.がもうちょっと若かったらねェ・・・。
バカだネ、相変わらず、ハハ、われながらヤんなっちゃう。
とにかく、ほのぼのとした光景に
傷つき汚れたJ.C.の心が和んだ瞬間でありました。

昨日のブログに関しては多くの方からメールをいただいた。
以前、登場願ったアメリカ西海岸の旧友・ホケンもその一人。
ここでまた、彼のメールを端折って紹介したい。

こちらも昨日は生ネットで日本テレビに釘づけだったよ。
松井は全米でも1番好かれた日本の選手。
次に野茂、今ではダルが人気(テキサスでは)だけど、
チョット生意気な感じで、これからどうなるか?
まあ、ワールドシリーズに出て活躍しない事には
イチローと同じように全国区では人気者になれないし、
記憶もされないのがメジャーリーグ。

10歳の時テレビにかじりついて観ていた天覧試合、
チョーさんが試合前に床屋さんに行って
スッキリ短かくした髪で凛々しくヘルメットをかぶり、
同点の9回裏、村山から打ったサヨナラHRは
昨日のことのように今でもハッキリ覚えてる。

初めて知りやしたが、この男も相当な長嶋ファンでござんすネ。
J.C.だってあの天覧試合はおとついのことのように覚えておりやす。
当時、ウチにはTVがなかったからウチを出て観にいった。
どこで観たんだと問われれば、ここで観たんだと応えましょうぞ。
実は近所のしがないパン屋でありました。

=つづく=

2013年5月6日月曜日

第570話 何年ぶりかな?肉骨茶 (その2)

昨日の子どもの日は東京ドームに釘づけ。
もっとも球場ではなくTVの前だが画面はほぼ松井秀喜一色。
ジーターやウイリアムスやトーリ監督のインタビューにより、
ヤンキースでいかに彼が愛されていたのか、よお~く判った。
いえ、そんなことは前から百も承知だけど・・・。
ミスターも頑張って打席に立ってくれたし、
原監督もおどけた三枚目をキッチリと演じてた。

若かりし松井が父君から授かった座右の銘が紹介されて
”努力できることが才能である”
これはけだし名言、思わずうなってしまった。
徳光サンの解説は的ハズレもはなはだしいが
めでたい席に免じてツッコむのはやめとこう。

結局、好天にもかかわらず昨日はほとんど外出せず。
だって子どもの日ですもん。
敬老の日じゃないんだもん。

てなこってシンガポール名物、肉骨茶のつづきとまいりましょう。
数ヶ月前、中目黒のカレー屋「カラカッタ」に出向いた際、
かねてより噂に聞いた「ファイブスター・カフェ」の下見をしておいた。
恵比寿・中目黒方面はあまり出没しないエリアながら
2ヶ月にいっぺんは渋谷で髪を理する都合上、
その帰りに寄ればいいや、な~んてタカをくくっていたら、
ずっとそのままなおざりになっていた。

たまたまアジアン・エスニックに目のないのみともが
上京して来たので、これ幸いと連行した。
相方の好みに合わせ、生ビールで乾杯後、前菜には紹興酒、
それ以降は南アフリカ産白ワインという酒の流れとなった。

烏骨鶏の皮蛋(ピータン)、自家製叉焼、麻辣餃子、
出だしの3品は期待度が高かったせいか、やや不発の感あり。
ただ、香菜と白髪ねぎがタップリ添えられた皮蛋はうれしかった。

お次が目当ての肉骨茶だ。
スープを一口含むと丁子(クローヴ)が相当主張している。
そこそこの量の肉塊が浮き沈みしており、
本場ほどのパンチはないものの、なつかしさが口中に拡がった。
シンガポールを離れたのが1987年の1月だから
最後に食したのはおそらくその前年、されば27年ぶりの味覚となる。

もともとそれほど好きな料理ではないから
まあ、こんなものヨとうなずいて、もう一つのメインディッシュを―。
海南鶏飯(ハイナンジーファン)、これぞ彼の地の国民食だ。
この料理は微笑みの国・タイに行くと、
カウマンガイと呼ばれ、これまた広く普及している。
しょっちゅうタイに出掛ける相方の好物でもあった。

皿に取り分け、まずは蒸し鶏から。
ややっ、コイツはかなりイケますゾ。
鶏の出汁がよく出たスープも上々にして
インディカ米がすばらしい炊き上がり。
間違いなく都内でトップクラスの海南鶏飯がここにあった。

1940年代に海南島から渡って来た人々が
シンガポールに伝えたといわれるハイナネーズ・チキンライス。
日本の洋食屋のチキンライスとは似ても似つかぬ代物だ。
もしも彼の地の人々に
ケチャップ味のチキンライスを食べさせたら、どんな顔をするかなァ。
ダメだろうな、きっと・・・。
彼らのしかめっ面が目に浮かぶのであります。

「ファイブスター・カフェ(五星鶏飯)」
 東京都目黒区上目黒3-12-4
 03-3760-7028

2013年5月3日金曜日

第569話 何年ぶりかな?肉骨茶 (その1)

肉骨茶(バクテー)とは何ぞや?
ご存知だったらアナタは東南アジアの食文化に長けている方だろう。
三文字の漢字から連想するに
お葬式の際に飲むお茶みたいな感じがしないでもない。
肉と骨とお茶、インパクトは相当に強いものがある。

実はコレ、骨付きの肉を中国のスパイスで煮込んだ料理で
茶葉は使われてないのにスープの色はウーロン茶そっくり。
もともとは福建地方の出身者が
マレーシアやシンガポールで普及させたものだ。
現地では白飯とともに主として朝食時に食べられる。
味噌汁のぶっかけみたいに飯の上に汁をかける人も少なくない。

料理名と食材からは濃厚なスタミナ食と思われがちだが
味は意外にアッサリとしており、
シツッコいのが苦手な方もスイスイいけてしまう。
むしろ八角(スターアニス)や丁子(クローヴ)の匂いが駄目な人は
まず敬遠することになりそうだ。

マレーシアの首都クアラルンプール近くの港町クランが
発祥の地といわれるものの、シンガポール港との説もある。
もともとは港湾労働者が安くて精のつく食事として始めたようだ。
その点、秋田の鉱山がルーツとされる日本の煮込みと似ていなくもない。
いや、骨付き豚と馬の臓物の差異はあれど、瓜二つではないか。
スタミナ食であることは確かだ。

発祥に異論はあっても広く普及度が高いのはシンガポールだろう。
なぜか?
マレー人はイスラム教徒がほとんどで豚肉を忌避するからだ。
逆にシンガポール人は民族構成の8割近くを華人(中国系)が占めており、
宗教による束縛がないに等しい。

J.C.が初めて口にしたのは1983年。
週末の朝、ブキティマ地区のホーカーズセンターで食べた。
ホーカーズセンターというのはいわゆる屋台村、
当地のあちこちに存在する。
もっとも有名なのがニュートン・サーカスだ。

金曜の夜からの徹マンが明け、
メンバー4人で雀卓を食卓に替えて食した。
高級鮨屋のオーナーのYチャンがいて、彼が言い出しっぺ。
卓が整うとYチャン、やおら厚めの海苔をもみほぐして
肉骨茶にまぶし出したものだから
こちらは内心、オイ、オイ、鮨屋はこんなモンまで海苔掛けかヨ!
唖然としたものだ。

ところがどっこい、隣りの華人たちまで海苔掛けを始めたのには
唖然どころか、ブッタマゲた。
何のことはない、海苔は持込みじゃなくてトッピングだったのだ。
もちろん注文しなけりゃ付いてはこない。
とにかくその朝、肉骨茶と出会ったのであった。

=つづく=

2013年5月2日木曜日

第568話 想い出のスクリーン(その3)

昨日はブログのアップが大幅に遅れてしまい、ごめんなさい。
時間の入力ミスに気づいたのは午後になってからでした。
実はひかりTVで大好きな俳優、
鶴田浩二のNHKドラマ「男たちの旅路」に没頭しておりました。
朝の11時から夜の11時まで全9話を観了。
いや、長い一日でありました。
このドラマについては近々、稿をあらためましょう。

さて、

 ♪ オロロン オロロン オロロンバイ
   ネンネン ネンネン ネンネンバイ
   おどま おっかさんが あの山おらす 
   おらすと思えば 行こごたる 
   おらすと思えば 行こごたる   ♪
        (作詞:万城たかし)

高倉健が歌った「望郷子守唄」は
「ごろつき無宿」(東映=1971年)の主題歌。
「想い出のスクリーン」シリーズの締めは
健サンが三枚目を演じたこの映画だ。
晩年の国民的俳優も若い時分にはコミカルな役柄をこなしており、
テキ屋稼業におけるバナナのたたき売りなど、
なかなかのセリフ回しを披露して笑わせる。
それにしても「ごろつき無宿」とは
何とまあ、品性のないタイトルをつけたもんですなァ。

監督はのちに健サンと鉄壁のコンビを組んで
「冬の華」、「駅STATION」、「夜叉」、「鉄道員」と
数々の名作を生み出していった降旗康男。
もっともあの「昭和残侠伝」では
助監督をつとめているから二人は旧知の仲だ。

筑豊で炭坑事故に遭い、父親を亡くした主人公が
親の遺言を守り、炭坑夫に見切りをつけて東京に出てゆく物語。
ふるさとを離れて列車に乗り込む室木駅のシーンが
寅さん映画を想起させてわびしくも叙情にあふれている。
室木駅は1985年に廃駅になって七十有余年の歴史にピリオドを打った。

途中で何度か乗り換えたのだろうが
列車が有楽町を通過するシーンはこたえられない。
線路の右手に、サントリー<純生>と Fanta の看板。
左手には「肉の万世」の牛の笑顔と小島功が描いた清酒・黄桜のメスがっぱ。
この時代、日比谷・有楽町・銀座を遊んだモノにはこたえられない。
なつかしさに胸の奥で何かがパチンと弾けてしまう。
ここで画面はいきなり新宿西口のバスターミナルにすっ飛び、
少々鼻白んだりもするのだが、とにかく何度でも観たい作品だ。

新作はほとんど観ないのに昔の作品ばかりをたび重ねて観ている。
故きを温ねて古きを知っている。
鶴田浩二の「傷だらけの人生」ではないが
”こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ”

=おしまい=

2013年5月1日水曜日

第567話 想い出のスクリーン (その2)

 ♪ 逢えば別れが こんなにつらい
   逢わなきゃ 夜がやるせない
   どうすりゃいいのさ 思案橋
   丸山せつない 恋灯り
   ああ せつない長崎ブルースよ ♪
          (作詞:吉川静夫)

喫茶と食事の両方を提供するカフェみたいな店で
谷隼人がジュークボックスから流れる「長崎ブルース」を聴いている。
3曲でたった50円、そんなに安かったかなァ。
コインが切れたところで見ず知らずの松方弘樹が足してやる。
これが縁で谷は松方の舎弟になってゆく。

ラストでは長崎に移るが映画の舞台は主に新宿。
新宿地球座やシネマ新宿には通ったけれど、
好きじゃないから関わりはそう深くない街。
それでも映画が作られた1969年前後はひんぱんに訪れた時期だ。
スクリ-ンに映る光景が今はなつかしい。

 ♪ 恋は私の恋は 空を染めて燃えたよ
   夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
   あの人が云った 恋の季節よ    ♪
         (作詞:岩谷時子)

同じ年の「恋の季節」(松竹)は
「勝利者」(1957年)の井上梅次がメガホンをとった。
裕次郎映画を何本も撮った監督ながら、これは驚くほどの駄作。
ピンキーはともかくキラーズに役者はムリで演技になっていない。

ところがこの映画は貴重な映像を残してくれていた。
東京タワーのそばの高台にあったロシア料理店「ヴォルガ」。
今は無きシアターレストランの店内がしっかりと映し出されている。
舞台ではルバシカ姿のバンドが「ともしび」を奏でている。
世の流行とは逆行して時代に取り残された店だが
料理も雰囲気も好きだった。
高校時代に読んでいた英字誌ステューデントタイムスには
いつもアルバイト募集の広告が載っていたっけ・・・。

最後に「ヴォルガ」へ行ったのは10年以上も前。
東麻布の「富麗華」で食事したあと、
そう遠くもない飯倉まで歩いていった。
ザクースカ(冷菜)をつまみながら
ウォッカとズブロッカを飲んだ。

そのあとでまたプリンスホテルのメインバー「ウインザー」に流れた。
実によく飲むネ、ジッサイ。
中国の紹興酒、ロシアのスピリッツ、アメリカのカクテル、
一晩かけて世界の三大帝国を飲み干したってわけだ。
ハハ、もっともそんな実感はまったくなかったけど・・・。
あれれ、想い出のスクリーンが
いつの間にか想い出のはしご酒になっちまった。

=つづく=