2013年6月28日金曜日

第609話 マンハッタンからのメール (その1)

昨夜、ふるさとへ帰る友人を上野駅に見送ったあと、
独り御徒町のガード下で飲み直した。
ほろ酔い気分をよいことに自宅まで歩いて帰り、
PCを開けてみると、マンハッタンより1通のメールを着信。
センダーは女料理人の盟友・K美子だ。
以前にも紹介したから、ご記憶の読者もおられよう。
彼女とはかれこれ二十有余年のつき合い。
気心を知り尽くした仲で、まあ、妹みたいなもんかな。

帰宅後、菊正宗をレンジでチンして飲んだものだから
ほろ酔いどころではなくなってきた。
それでもコレを書き上げねばならない。
ただ今、時刻は本日の午前1時過ぎ、やれやれ。
スペースを埋めようというつもりはないが
ちょいとしたニュースにつき、
彼女から届いたメールを紹介してしまう。
もちろん、了解なんかとってるヒマなどありゃしない。

岡沢さん、お元気?
日本は梅雨なのかな? NYは暑いです、ここ数日。

岡沢さんに昨秋、浅草で会って「神谷バー」で私が
ぶーぶー文句言ってた、プロモーションを受ける事になったの。
ポジションは同じシェフがもう一件出す、
フレンチレストランの sous chef。
(とは言え、7人も sous chef がいるうちの一人)

その店の、NY TIMES のレビューが出ました。
絶対2スター欲しかったのに1スターにとどまり、
うちのシェフ曰く、"worst review in my life" の内容に
当人は相当ショック受けている。
サイドの私たちも愕然としたものの、
修正できるもんでもないし、もう運命としてあきらめるしかない。

わたしのここでのポジションは "production sous chef "。
店のプロダクツに一貫性を持たせるため、
仕込み専門でとにかく、一日中料理してる役。
記事の中に出てくる、Tripe 、Bouillabaisse などは
私が仕込んだもので、悪くは書かれてないんだけど。。。

これがもっといい感じの記事で
おかざわさーん、見て見て! みたいのだったら
もっとよかったんだけど、そうこなかったところが残念。
まあ、近況報告として読んでみてください。
店の写真とかもあるし・・・。

岡沢さんはどうしてる? 
プッチ(注:ウチの猫デス)も元気?
楽しく飲み食いしてますか?
夏は夜風に吹かれながらのビールが最高。
わたしもまた浅草に行きたいヨ。

であったが、現時点ではまだ、
NY TIMESの記事を読んでいないんです。

=つづく=

2013年6月27日木曜日

第608話 豆腐畑につかまって (その4)

そぞろ歩きの名所、谷根千は根津の「とうふ工房 須田」にて
豆腐畑につかまっちゃってる。
いや、マイッタな。

昨日、ご覧に入れたその畑の説明のつづきだ。
え~と、どこまでだったかな。
豆腐ドレッシングのあとですネ。
食膳をぐるり一周して手前右にきた。
これは味噌椀。
ここにも豆腐と油揚げがドッサリである。
それに青ねぎが散見された。
正直に言うと、この味噌椀が一番美味しい。

白羽二重の如き豆腐クンにはほとほと飽きちゃった。
豆腐好きを自認してきたものの、
たかだか一食にして自信が砕け散りました。

おっと忘れるところだった。
生姜とねぎの右手に湯呑みが見えるが
これは冷たい豆乳。
お豆腐サンはもう勘弁と観念し切っているところに
最後の最後で豆乳を投入される始末であった。
ちと大げさかもしれないが、泣きっ面に”みつばちマーヤ”だ。

豆乳をやっとこサ飲み干してため息をつく。
ここで突然、脳裏をよぎったのははるか昔に観た1本の邦画だ。
おそらく1961年、大田区・平和島の美原映画劇場だった。
市川雷蔵主演の濡れ髪モノで・・・
いや、橋幸夫と共演した「おけさ唄えば」だったかな?
とにかく雷蔵が、とある宿場の旅籠で豆腐責めにあい、
辟易とする場面が出てきた。
そうだよなァ、シツッコさとは無縁の豆腐なのに
まとめて出されると、なんでこんなにシンドいの?

振り返れば、この界隈は豆腐の名所と言えるかもしれない。
鶯谷に向かい、善光寺坂を登り切ってしばらく、
フランス菓子で有名な「イナムラ・ショウゾウ」の手前あたりに
都内屈指の造り豆腐屋がある。
大正3年創業の「藤屋豆腐店」は今も井戸水で豆腐を造っている。
「豆腐は8割が水だから、良い水で豆腐を造りたい」―
見上げた信念である。

鶯谷駅前、古くは根岸の里と呼ばれた場所に
こちらは創業320年を誇る豆腐料理店「笹の雪」がある。
ここでは豆腐畑につかまった自覚はなかった。
終始美味しく食べられたのだ。
もっとも豆腐以外に焼き鳥なんぞもつまんだけれど・・・。

店のHPには
「笹乃雪の井戸水は、数百年かけて武蔵野から
 到達する水脈を地下80メートルから採水しています」―
こうあった。
いやはや、恐れ入りやした。

鶯谷のすぐ東側には地下鉄・日比谷線が走っているが
本郷・春日のように
4路線が縦横無尽に走りまくっているわけではない。
地下鉄工事のせいでほとんど壊滅状態になった都内の井戸。
「藤屋」、「笹の雪」にも
やがては井戸の枯れる日がくるかもしれない。
良質な豆腐を食べられるのは今のうちということか。

=おしまい=

「とうふ工房 須田」
 東京都文京区根津2-19-11
 03-3821-0810

2013年6月26日水曜日

第607話 豆腐畑につかまって (その3)

文京区・根津の「とうふ工房 須田」にて日曜日のひととき。
朝食も昼食もメニューは”いなり御膳”ただ一品。
注文する手間が省けて
接客のオバちゃんの「お食事ですか?」の問い掛けに
客はただ「ハイ」とひと言応えるのみ。

待つこと数分で食膳が運ばれた。
百聞は一見に如かず、ご覧くだされ。
一面豆腐と油揚げだらけ
一見に如かずといえども、よく判らんから注釈を加えよう。

手前は二口サイズの豆いなりが5カン。
酢めしを包む油揚げはあっさりと炊かれて上品な味。
都内、ことに下町に散在するおいなりさんの専門店に
なじみの深い向きにはいささかのもの足りなさが残ろう。
なぜなら郷愁を誘う、あの甘じょっぱさがないからだ。
ご覧のように漬け生姜もちゃあんとあしらわれている。
丁寧な仕事ぶりと言えよう。

左奥のまあるいお月さまみたいなのはすくい豆腐。
”いなり御膳”を名乗ってはいても主役はこれであろうヨ。
しっかしデカい。
朱塗りの椀を手に取ったとき、ズシリときたもんネ。
おそらく300グラムは下らない代物だ。

だけどサ、豆腐っていちどきに
こんなに食べるものじゃないんじゃないの。
「お塩だけでも美味しく食べられます」との仰せに最初は従う。
でも、やっぱり途中で飽きてくる。
さすがにカツ節はなかったが
たっぷりのおろし生姜とさらしねぎに助けられ、
奮闘努力してみたものの、
結局は薬局、1/3をやっつけるのがやっと。
いや、マイッタぜ。

満月クンの隣りの小皿は一見玉子焼きのよう。
しかしてその実態は豆腐田楽なのだった。
焼き豆腐に田楽味噌が塗りたくられておる。
味噌は日替わりで朴葉味噌だったり鳥味噌だったり。
薄めの味付けが多いなか、
味噌のしょっぱさに白飯がほしくなる。
でも、これとて2切れでじゅうぶん、3切れは多いや。

田楽の右側も一見ヨーグルトのよう。
これはシメジの豆腐ドレッシングと称するものだ。
何だかつかみどころのないひと鉢で
女性には好まれようが、オトコの食べものではないネ。
殊に酒飲みは一顧だにしないのではないか。
表面に散らされた白胡麻がどことなく白々しく空しい。

右を向いても左を見ても豆腐と油揚げの絡み合い、
どこに男の夢がある。
豆腐畑につかまって、ホンの1~2切れでいいから
焼きたら子か塩ジャケがほしくなってきた。

=つづく=

2013年6月25日火曜日

第606話 豆腐畑につかまって (その2)

一昨日の日曜日。
10時きっかりにスイーパーのCエさんが現れたので
10時5分過ぎには自宅を出たJ.C.、
まずはブランチの算段である。
様々なアイデアが浮かんでは消える。

上野へ出て駅構内の駅弁、
あるいは松坂屋で「天一」の天丼か、
「井泉」のとんかつ弁当を買い求め、
動物園で開くとしようか・・・いや、やめとこう、
日曜は混んでてやかましいから
オチオチ弁当なんか食ってられやしない。

北区・十条の食堂「天将」は朝から営業している。
ケチャップ味の炒り豚にライスを付けるのも悪くない。
でもねェ、十条はちょいと遠いや。
それにあの店へ行ったらシラフで帰ってはこれない。
下手を打つと、放映時間に間に合わなくなる。
それでは本末転倒、何のための時間調整だか判りゃしない。

大丸デパートの「イノダコーヒ」もいいなァ。
あそこの朝食はまことにけっこう。
しかしここも動物園と同じ、近頃の東京駅の混雑ぶりは半端じゃない。
君子、人混みに近寄らず、くわばら、くわばら。
第一、「イノダコーヒ」は京都市・中京区の本店が一番だしネ。

するってェと、浅草の「喫茶アロマ」かな。
コーヒーはあまり飲まないからいつもミルクティーだが
オニオンサンドが他店にはないユニークな一品で旨い。
朝食ならともかく、ブランチにはボリューム的にもの足りないから
おごってホットドグッグを1本付けるか。
思いは散りぢりに乱れまくってしまうのだ。

そうしてこうして白羽の矢を立てたのは、とある豆腐屋さんだ。
「とうふ工房 須田」というのが正式名称。
土・日・祝日に限り、朝から昼過ぎまで
”いなり御膳”(750円)を提供している。

言問通りと不忍通りが十文字に交わるのが根津の交差点。
根津の谷と呼ばれたくらいだからここは低地。
交差点から谷中の墓地に向かう善光寺坂を登り掛けてすぐ、
1本目の路地を左折すると、製造と小売りが主体のこの店がある。

路地を曲がらず、もうちょいと坂に進めば、
おそらく本店だろう、同名店がもう1軒。
ただし、こちらには朝食の用意がない。

コンパクトな店内には二人掛けのテーブルが6卓。
10時半過ぎの入店時に先客は若いカップルが1組だけだ。
以前から当店の存在は認識しており、
折りがあったらここで朝めしを・・・という気はあった。
でもネ、いくら豆腐が好きでも豆腐づくしというのはなァ。
なかなか食指が動くものではないのですヨ。

=つづく=

2013年6月24日月曜日

第605話 豆腐畑につかまって (その1)

コンフェデ杯のメキシコ戦は存外だった。
後半、押し込まれての連続失点。
SBの酒井(宏)は使えないなァ、ったく。
簡単にクロスを上げさせるかネ。
ブロックする足の運びが逆だヨ。
バックスとしての自覚と能力の欠如は目を覆うばかりだ。
メディアに叩かれているザックの選手交代だが
あれは懲罰的な意味がこめられている。

吉田も相も変わらず、ダメ男クン。
出て来たら即2点目だもの、疫病神的存在になってしまった。
とにかく守備の破綻は救いようがなく、
いっそ闘莉王を呼び戻したほうがいいんじゃないか。
少なくとも闘志を前面に出すガッツはチームに刺激を与えるだろう。

日本ゴルフツアー選手権に移行しよう。
2日目の石川遼は見せてくれたものの、健闘むなしく予選落ち。
いっぽうの松山英樹は最終日にリトル爆発して
7位に食い込む離れ業をやってのけた。

その2日目の松山だが
本来のゴルフとはほど遠い不調にもかかわらず、
パープレイで回った。
ここが初日に+8の石川との大きな差だ。
スゴいねェ、このアンちゃんは!
しばらくのあいだ、松山のプレイを追いかけてみる気になった。
毎週ゴルフ中継を追いかけるなんて我が人生、初めてのことなり。

本題に入ろう。
数日前、夏の冷奴と冬の湯豆腐が晩酌の友と強調したばかり。
それなのに自分の豆腐好きに何だか自信が持てなくなってきた。
ことの起こりは昨日の日曜日の昼前である。

ハナシは突然スッ飛ぶが独り暮らしのJ.C.、
炊事・洗濯は厭わねど、掃除だけは大の苦手。
これは小学一年生のときからちっとも変わらない。
よくサボっては担任の教師につるし上げられたこと、
二度や三度ではないのだ。
自慢じゃないけどネ、テヘッ!

そんなことで家の掃除は
台湾出身のCエさんというオバさんにお願いしている。
彼女がやって来るのは隔週日曜の正午。
2時間掛けて家の隅々まで完璧にクリーンナップしてくれる。
まことにありがたいことだ。
掃除のあいだは身の置場に困るし、
邪魔にもなるので消えることにしているが
昨日はゴルフをどうしても観たかった。

TV中継はNHK-BS1で正午から。
そこで一案、前日の土曜に電話を入れ、
出動を2時間繰り上げてもらうことにした。
これで心置きなく観戦を楽しめる。

=つづく=

2013年6月21日金曜日

第604話 スポーツ漬けの昨日・今日

結果は残念無念なれど、面白いゲームだった。
いえ、コンフェデの日本VSイタリアですがな。
ザックの言うように
勝利にふさわしいのは日本だったかもしれない。
だが、それがサッカーというスポーツで
柔道みたいに優勢勝ちはないし、
同じ球技でもバスケットのように
押しまくってるほうが必勝というわけじゃないからなァ。

死んだ子の歳を数えても仕方ないけれど、
返すがえすも吉田麻也の判断ミスが痛かった。
あそこはセコくゴールキックをほしがらず、
CKを与えたくないのなら
タッチラインに蹴り出すのが手すじ、もとい、足すじ。
自分の身体でオブストラクトしつつ、
ボールがゴールラインを割るのを待ったものの、
ヤバくなってあわててクリアしたボールが相手に当たり、
ゴール側に転がってしまった。
ささいなミスが致命傷になる、典型例を見せつけられた思い。

長谷部が取られたPKも100%誤審だ。
アレを取られちゃ、DFはたまったものじゃない。
ずいぶん古いことなれど、
シドニー五輪の篠原VSドゥイエのジャッジが脳裏をよぎった。

日本にとってイタリアはブラジルより組しやすしと踏んではいた。
だが、ここまで奮闘するとはうれしい誤算以外の何物でもない。
立ち上がりから目を見張る攻撃に
何だ、なんだ、やりゃあ出来るじゃん! 胸弾み、心わくわく。
首尾よく2点取って欣喜雀躍、何とかこのまま持ちこたえておくれ、
その祈りとどかず、やっぱり2-0じゃ折り返せなかった。

後半の出だしはご覧の通り。
昨日、お伝えしたように心が萎え切った。
ところが、ところがですヨ、そこからの頑張りがスゴかった。
萎えた心が再びエレクトしたもの。
先日、岡崎には期待できないなんて書いちゃって
あれは謝らなきゃいけません、お見それしました。

香川・本田のデキもよかった。
マンUの香川は適材適所ながら
本田はチェスカにいちゃいけないプレイヤーだ。
イタリア戦のパフォーマンスを観て
リーガ、プレミア、セリエAから声が掛からないものかねェ。

ハナシ変わって同じ頃にヤンキースのイチローが久々の大活躍。
攻守にわたって黒田の7勝目に貢献した。
でも何だかイチロー、老けちゃったなァという印象。
その理由はすぐに判った。
剃り入れるのやめたんで眉毛がぶっとくなったんだ。
それで爺さん臭くなったんだ。
いずれにしても松井なきあと、
イチローには行けるとこまで行ってほしい。

スポネタの最後は日本ゴルフツアー選手権。
案の定、松山英樹と石川遼の実力差があからさまになった。
石川の悔しさたるや、いかばかりかと気の毒なくらいで
初日の夜はなかなか寝つけなかったのではなかろうか。
一緒に回って、かたや-5、こなた+8。
ゴルフって意外に残酷なスポーツだったんだ。
遼クンには悪いが、今日からあと3日間。
英樹クンをオッカケる(TVですけど)のが本当に楽しみになった。

2013年6月20日木曜日

第603話 歳とともに変わりぬ

歳を重ねるとともに食べものの好みはずいぶんと変わってくる。
巷間、よくいわれるのは肉とサカナ。
若いうちは肉をモリモリ食べていたのに
40代になったあたりから自然とサカナに切り替わってくる。
もっとも個人差があるから一概には決めつけられませんがネ。

J.C.の場合はまさしくソレ。
子どもの頃はすき焼きや焼き鳥が好物だった。
サカナはわりと苦手なほう。
殊に鯖や鰯など、青背の生臭さには閉口していた。

もっとも江戸前鮨だけは別格で
深夜に父親が鮨折りをブラ下げて帰宅したときなど
眠い目をこすりながら頬張ったものである。
ただし、小肌だけは駄目。
かすり模様の斑点を目にすると、鳥肌が立ったもの。
それが今ではもっとも好きな鮨種に昇格しているのだから
人生、一寸先は闇である。
っていうのは大げさですな。

往時は江戸前の両雄、真鯛や本まぐろより、
カステラみたいな玉子にありがたみを感じたし、
鉄火巻きよりかっぱ巻き、かっぱ巻きよりかんぴょう巻きだもんネ。
モロにお子チャマでした。

面白いのはなぜか、蝦蛄・穴子・はまぐりなど、
煮ものには目が無かったこと。
このあたりはちょいとした鮨通である。
種明かしは実に簡単、
煮つめの甘じょっぱさがすき焼きや焼き鳥に似ていたためだ。

それが知らず知らずのあいだ、
嗜好がゆるやかにサカナへとシフトしてゆく。
昔は見向きもしなかった豆腐に目覚めたのも
同じ時期ではなかったろうか。
夏の冷奴、冬の湯豆腐、豆腐の味わい深さを認識してからは
晩酌の卓の主役とはいかないまでも
立派なバイプレイヤーに成長している。

そばとうどんも年齢とともに立場が逆転した。
以前はうどん派だったのだ。
一流店に出入りしていたわけではなく、
利用頻度の高かったのはもっぱら駅の立ち食いスタンド。
うどんがそばより旨かったというのではなく、
食べ応えの問題だったように思う。
量ったわけではないけれど、うどんにはボリューム感があった。
加えてうどんはノビにくいからねェ。
当時の立ち食いそばなんざ、クタクタのフニャフニャだったもの。

ただ今、コンフェデ杯の日本VSイタリアはハーフタイム。
香川の2点目が決まってから
前半はこのまま、このままと祈り続けたものの、
好事魔多し、世の中そんなに甘くはない。
2点差と1点差では文字通り、雲泥の差だからネ。

さて、後半のホイッスルが鳴った。
うどんだ、そばだなんて言ってる場合じゃないゾ。

と思ったら、いきなり同点だヨ。
麻也は下手というより愚かだネ。
やらずもがなの1点。
と思ったら、今度はPKだ。
あれを取るかネ、主審のアホが!

観てるほうも一気に気持ちが萎えた。
どうにもならないED症候群。
10分少々で3点取られたわけで、こりゃもうサッカーじゃないぜ!

2013年6月19日水曜日

第602話 南北アメリカ大陸から (その2)

コンフェデ杯のブラジル戦惨敗から気を取り直し、
一人の青年に期待を込めて観た全米オープン。
今回はひかりTVのゴルフ・チャンネルと
地上波のTV朝日をやりくりしてじっくりと観戦した。
ゴルフクラブを置いて早や十数年、
それでもいまだに観るのは好きなのだ。

ハードなコース設定の大会は本当に面白い。
国内の箱庭コースをチマチマと回り、
バーディー続出の試合なんぞ、観る気がまったくしなくなる。
日本の男子に世界的な選手が生まれないのは
その環境が災いしていると指摘されて久しいが
一向に改善される兆しが見えない。
お手盛りのマスターベーションに明け暮れてちゃ、
マスターズ制覇なんて夢のまた夢だヨ。

ウッズもマキュロイも馬群に消えた。
ミケルソンは何とこの大会6度目のランナー・アップ(第2位)。
悪霊にとりつかれているとしか思えない。
2位だってスゴいじゃないか、なんて慰められても
マスターズを3度も制した彼とすれば、
意地でもそんな地位に甘んじていられやしないのだ。

さて、われらが松山英樹。
すでに日本ゴルフ界における史上最強のプレイヤーといってよい。
精神と肉体を兼ね備えた理想的なゴルファーの誕生だ。
末恐ろしい? いえ、いえ、行く末が楽しみで仕方がない。
まったくモノが違う。
みんながチヤホヤしていじり壊した石川遼とは次元が違う。
今週、両者一緒に回る日本ツアー選手権で差がハッキリするだろう。

ほかの日本のトッププレイヤーが
せいぜいサッカー日本代表クラスとすれば、
松山は立派にブラジル代表クラス。
早いとこ米ツアーに参加してほしい。
世界の四大メジャーを制したアジア人は
全米プロ(2009年)のY.E.ヤン(梁容銀)ただ独り。
それに続くのは松山以外にありえない。

ミケルソンが全米オープンにどうしても勝てないように
松山がメジャーにどうしても勝てない(岡本綾子みたいに)なんて
泥沼にはまらないとも限らないが、それも杞憂に終わるだろう。
この青年はそれだけのモノを持っている。

サッカーとゴルフは明暗分かれた。
でも明暗でよかったヨ。
これが暗暗に終わっていたならば、
暗澹たる気持ちでコレを書く破目に陥っていた。
窮地を救ってくれたのは弱冠21歳の大学生。
心を込めてお礼を言いたい。
ありがとうヨ、英樹クン!
秀喜無きあとは英樹、キミの時代だヨ!
メジャーを制して国民栄誉賞でも何でもかっさらっておくれ!

2013年6月18日火曜日

第601話 南北アメリカ大陸から (その1)

今日は久々にスポーツ・ネタです。

先の週末、日本スポーツ界の将来を占う、
大変に重要な二つのイベントが海外で行われた。
明暗分かれる結果となったが
ちょいとばかり振り返ってみたいと思う。

かたや南米はブラジルの首都・ブラジリア。
こなた北米は合衆国建国の地、ペンシルヴァニア。
そう、言わずと知れたコンフェデ杯と全米オープンである。

まずはサッカー日本代表VSブラジル代表。
いや、参ったヨ、親善試合は別として
公式戦でここまでたたかれたのは実に久しぶり。
手も足も出ないとはこのことだった。
もっともサッカーで手を出すと、
豪州が本田にくれたPKみたいな事態を招くけどネ。

日本オフェンスの弱点は何十年も言われ続けている決定力不足。
これがここ数試合、殊にヒドい。
ディフェンスはパワーと高さと走力不足の三重苦。
テクニックで巧みに攻めてくる相手には何とか対処できても
力でグイグイくるタイプにはからっきし弱い。
ツキに見放され続けているGK川島も気がかりだ。

試合後、DF長友が語ったように彼我の差は中学生とプロそのもの。
昨年末に対戦したときより、明らかに差は拡がっている。
豪州戦後に本田が提起した個々の力を高めていくことの
重要性があらためて浮き彫りにされたのだった。

長友のコメントは悲惨な現実を前にした自虐的な嘆き節。
一方、本田のは将来像を見据えた建設的な苦言。
さすれば、涙をふいて明日に向かうしかない。
とは言うものの、
これが一朝一夕に解決しないのは誰もが知っている。

日本中に蔓延(まんえん)していた浮かれサッカー熱は
頭からザバーッと冷水を浴びせられたが
ここで選手もサポーターもめげる必要などない。
必要などないがW杯まであと1年、
個の力の上乗せはできない相談だろう。
とすると結局は薬局、チームワークに頼るしかあるまい。
1個+1個=2個半くらいに引き上げるしか手立てがないのだ。
まったくもって日本サッカー、ふりだしに戻るの巻ですな。

ただ、本田と香川はそこそこ通用していた。
でも、岡崎・前田には到底、期待できない。
これから先、遠藤はオチるだろうが清武はノビるだろう。
キャプテン・長谷部はもうイッパイ、いっぱい。
問題はDFで内田はまずまずだが
今野はアジアレベルの選手に過ぎず、
吉田はまだまだウドの大木クンだ。
若い女性に人気があって各種イベントが開催されている様子だが
女性ファンにおいては、あまり麻也をあマヤかさないでほしい。
男が女にチヤホヤされ始めると、人生ロクなことはない。

=つづく=

2013年6月17日月曜日

第600話 ボルドーで途中下車 (その4)

先週金曜のつづき。
42年前、横浜の大桟橋から離日した、
人生発の海外旅行、その旅日記である。

5月2日
 車内でK大教授に朝食をご馳走になり、
 K島クンと話をしているうちボルドーに到着。
 独り下車してボストンバッグをY.Hに置き、街なかをぶらぶら。
 ビー玉の親分みたいなゲームが
 あちこちの公園で盛んに行われている。
 5.5フランのすばらしい昼食。
  ハム・野菜サラダ ヌードルスープ ポークチョップ
  レタスサラダ バナナ 赤ワイン
 晩めしもその店で食べた。
 カナダ人とアメリカ人のアベックと互いの旅について話す。

バックパックは大嫌い、昔からボストンバッグ派である。
ビー玉の親分は後日、ペタンクと判明。

店名が記されていないのは
レストラン自体にまだあまり関心がなく、
食いモンそのものだけに入れ込んでいたらしい。
それにしてもアベックはないよなァ。
当時はまだカップルなんて呼ばなかったのだろう。

5月3日
 Y.Hで一緒になったオーストラリア人の若者二人とともにパリへ。
 初めて見るエッフェル塔、夢にまで見たパリ。
 なのに、感動はナシ。
 到着したオステルリッツ駅は即物感に満ちて興ざめ。
 旅行者に対するもてなしの心どころか配慮もまったくない。
 パリの第一印象悪し。
 彼らと別れてモンマルトルの丘のふもと、
 ピガール広場に近い学生ホテルへ行けどもclosed。
 あちこち電話したり、駆けずり回ったりした挙句、
 ピガールとは反対方向、パリ南方のY.Hに落ち着く。
 6フランでローストビーフの夕食。
 BGMはその年、世界中を席巻した、
 「ある愛の詩(ラヴ・ストーリー)」の仏語版だ。
 歌っているのはミレイユ・マチュウ。
 オステルリッツ駅にバッグを取りに行き、戻って就寝。

かのオーストラリアンズは翌年、
日本に訪ねて来たので板橋のわが家へ夕食に招いた。

翌日には先述のK島クン、それにこちらはモスクワのあと、
ヘルシンキまで一緒だった年上の女性たち、
I原サンとW辺サンと再会をはたし、
カルチェ・ラタンの中華料理屋で晩めしをともにしている。
ソルボンヌへの留学を志すK島クンのアパルトマンに
長いこと居候させてもらった。
宿泊代が浮いて大助かり。

ところで、青春時代の旅日記となると、
1971年のこの旅行がたびたび登場してくる。
実は克明に記された日記はコレしか残っていないのだ。

19歳から23歳までの5年間は旅に明け暮れていた。
バイトで稼いじゃ、放浪していた。
Yesterday When I was Young .
そう帰り来ぬ青春の一コマであった。

=おしまい=

2013年6月14日金曜日

第599話 ボルドーで途中下車 (その3)

ボルドーへはマドリッド発パリ行きの夜行列車を途中下車した。
人生初めての欧州旅行では12カ国を周ったが
長期滞在したパリ以外に訪れたフランスの都市は3箇所。

最初のグルノーブルに惹かれたのは冬季五輪(1968年)の影響だ。
映画「白い恋人たち」は鮮烈で
フランシス・レイのテーマ曲は日本中に流れていたからネ。
マルセイユはやはり映画「ボルサリーノ」のおかげ。
フランス版「ゴッドファーザー」ですな。
もともと小ぎれいなとこより、犯罪の匂い立ち込める街が好き。
そしてボルドーである。
ワイン畑に興味はなくともワインの一大産地は見ておきたかった。

マドリッド―ボルドー―パリ。
ここで1971年の旅日記から、あの3日間を紹介してみたい。
コクヨの横書きのノートに青いインクの万年筆で書かれている。
しばし、おつき合いくだされ。

5月1日
 マドリッドのユースホステルで目が覚めて気づいた。
 昨日、どこかで400ペセタ落としちゃってる、ガックリ。
 あいにくの雨天、昼過ぎから同宿の日本人数名でダベリ会を開催。
 甘口のVino(ワイン)をみんなガブガブ。
 そぼ降る雨の中、駅へ両替に行く。
 そこでK島クンとまたもや偶然に出会った。
 この旅行、彼とは3回目の奇異なる遭遇だ。
 同伴していた米人の女の子、フラン&クリスを紹介された。
 フランは知的で美しく、クリスはお茶目で可愛い。
 アメリカ娘、捨てがたし。
 Y.Hの晩メシを急いで済ませ、ノルテ駅へ。
 初めてのヒッチだったが、中年のオジさんが一発で停まってくれた。
 ムーチャス・グラシャス! 
 ノルテ駅にて先刻の3人とまた会い、コーヒーブレイク。
 乗った列車はシュド・エクスプレス。
 走り出した車内でK大の教授と一緒になり、少しく談話。
 一等車で寝ていたら、車掌に見つかって追い出される。
 あゝ、無情!

K島クンは横浜―モスクワ間を
交通公社の”Look欧州片道の旅”で一緒になった一歳年長の留学生。
三度の奇遇(こんなこともあるもんだ!)はローマで二度、
マドリッドで一度、これについてはまた稿を改めて詳述したい。
彼にとっては少々不名誉かもしれないが
もう40年以上のときが流れているし、
けっこう面白いうえに旅行者の参考にもなるから許してもらえるだろう。

一等車で寝ていたというのは
J.C.が携帯していたのは2ヶ月間有効のステューデント・レイルパス。
欧州13カ国の鉄道の二等車に限り、乗り放題のパスだった。
一方、K島クンのは1ヶ月のユーレイル・パス、これだと一等車に乗れる。

深夜、彼のコンパートメントに忍び入ってチャッカリ寝付いたところ、
車掌のヤツ、よく見ていやがったなァ、
ピンポイントで顔に懐中電灯を照射されたもの。
あのときの車掌の強面、
「レ・ミゼラブル」のジャベール警部に生き写し。
J.C.、しょんぼり退場の巻である。

=つづく=

2013年6月13日木曜日

第598話 ボルドーで途中下車 (その2)

フランス映画、「ヘッドライト」は心にしみ入る名画だった。
初見はTVの洋画劇場じゃなかったかな? 
たぶんそうだろう。
近いうちにぜひ、TSUTAYAから取り寄せて再見してみよう。
原題は「とるに足らない人々」。
主役は当時のトップスター、ジャン・ギャバンだ。

ギャバンを初めて見たのは大作「レ・ミゼラブル」。
小学六年生のときに池袋西口の小さな洋画劇場で父親と観た。
ちょうど欧米の映画に目覚めた頃で
子ども心にも何だかスゲエ映画だなと感じ入ったことを覚えている。
その四半世紀後、ブロードウェイのミュージカルを観劇したが
インパクトの強さは映画のほうが断然であった。

「ヘッドライト」のギャバンの相手役は
「学生たちの道」や「フランス式十戒」で
若き日のアラン・ドロンと共演したフランソワーズ・アルヌール。
フランス的な匂いがプンプンしてアメリカ女優にはまずいないタイプだ。
どう表現したらよいだろう、コケティッシュとは違う、
あどけないセックス・アピールの持ち主とでも言おうか・・・。

監督は「地下室のメロディー」、「シシリアン」のアンリ・ヴェルヌイユ。
ともにギャバンとドロンの競演なのだが、映画のデキは今ひとつ。
ミッシェル・マーニュとエンニオ・モリコーネの音楽はよかったけど・・・。
ヴェルヌイユの作品では「ヘッドライト」が生涯ベストになろうか。

音楽は不朽の名曲「枯葉」のジョセフ・コズマだ。
J.C.にとっては「枯葉」に加え、
「パリの空の下」、「ラ・ボエーム」がシャンソンのベストスリー。
さすがはコズマ、「ヘッドライト」のテーマも
もの悲しく、うら寂しく、耳朶(じだ)に訴え続けてやまない。

ここで再びひかりTVの旅チャンネル。
サン=テミリオンの大衆食堂のテーブルに置かれた赤ワインを見て
思い出したことがもう一つあった。

あれは1971年、初めてボルドーを訪れたときのことだ。
たまたま昼めしに入った食堂のテーブルにまさしく赤のボトルが1本。
うれしくて思わず笑みがこぼれたが、ふとわれに返った。
何せ貧困学生の貧乏旅行につき、
フルボトルに手を出しだりしたら、ナンボ取られるか知れたものではない。

さっそくセルビス担当のオバちゃんに訊ねましたネ、
「コンビアン(コレ、おいくら)?」
オバちゃん、にっこり笑って
「プール・ヴー(アンタのもんですヨ)、ムッシュウ!」
エッ? ヘッ! やったネ! てなもんですな。
歓び勇んだJ.C、か~るく1本空けちゃいました。
恥ずかしながら、若いうちから呑ん兵衛だったんです。

=つづく=

2013年6月12日水曜日

第597話 ボルドーで途中下車 (その1)

昨日のテーマはフランス菓子のマカロン。
昔懐かしのマカロンを求めて
近所のスーパーに出向いたものの、
空振りしたまま、まだ実物との再会をはたしていない。

ところがその翌日のこと。
前述したスーパーで意外なモノを発見。
”マカロン食感ホイップ”並びに
”マカロン食感ホイップ・ピスタチオ”の二つのパック。

何だヨ、これ?
見た目は長方形の菓子パン以外の何物でもない。
メーカーはPASCOである。
ここの食パンは美味しいのでよく買う。
トーストは山型の5枚切り。
サンドイッチはスタンダードの10枚切りと決めている。

でもって、くだんのマカロン食感ピスタチオを買ってみた。
このクソ暑いのに熱い紅茶を淹れて食した。
結果・・・う~ん、PASCOはやっぱ食パンだべサ。
余計なモン、作るなってのっ!

気を取り直して、本日の本題。
これもまた、昨日紹介したサン=テミリオンの
マカロンのつづきといえばつづきなんだが
旅チャンネルのナビの女性たちが次に訪れたのが
ボルドーに続く国道沿いの大衆レストラン。
店名は「ラ・ピュス」といったかな?
幹線道路に面しているから
長距離トラックの運チャンたちも入替わり立替わりやって来て
なかなかに感じのいい店だ。

メニューはなく、すべてがターブル・ドート、いわゆる定食。
最初にガルビュールという田舎風野菜スープが運ばれる。
続いて何種類かの前菜だ。
ナビの二人はグラトンなる豚のパテを味わう。
番組ではパテと紹介されていたが
これはパテというよりリエットでしょうヨ。

主菜はロティ・ドポール、豚のローストである。
たっぷりのガルニテュール(付合わせ)は
インゲンと赤ピーマンの炒め煮、そしてポム・フリット(揚げじゃが芋)。
しっかし、よく食うわ!

肉体労働に携わる客が多く、みなモリモリと小気味よい。
テーブルにはあらかじめ赤ワインのボトルが置かれ、
こぞってガブガブ飲っている。
ワインは飲み放題、さすがフランスですなァ。
こりゃ、酒気帯びなんてもんじゃございやせんぜ。
彼の地の運チャンはスゴいや!

ここで突如、思い出したのが往年の名画、「ヘッドライト」(1955年)。
ジャン・ギャバン扮する初老の長距離運転手が走るのは
偶然にもパリとボルドーの間だった。

=つづく=

2013年6月11日火曜日

第596話 マカロンの謎が解けた!

フレンチやイタリアンのコース料理をいただいても
デセールやドルチェをパスしてしまうので
洋菓子を口にすることがめったにない。
ただし、ラム酒の効いたサバランや
色とりどりのマカロンなんかはわりかし好きなほうだ。

マカロンと言えば、
十数年前に銀座「ダロワイヨ」のそれを初めて食べたとき、
そのおいしさに少なからず驚かされた。
当店のバゲットは東京でも一、二を争う焼き上がりにつき、
ときどき買うからついでに手を出してみた次第だ。

でもネ、子どもの頃に食べた無骨なマカロンとは
似ても似つかない代物なんだよなァ。
したがってアレはまだ貧しかった日本が
勝手にアレンジしたものと信じ込んでいた。
それがつい数日前、ひょんなことから謎が解けた。
目の前を覆っていた霧が晴れたのだ。

ヒマに任せてぼんやり観ていたひかりTVの旅チャンネル。
二人の日本人女性が
南仏はサン=テミリオンの歴史ある市街を散策している。
この街はワインで名高いボルドーの北東35kmに位置して
車を飛ばせば30分ほどの距離だ。
紀元前にはすでに進出した古代ローマ帝国が
ブドウの栽培を始めており、有史以来のワイン王国といってよい。

ナビゲーターの女性たちが入ったのは一軒の洋菓子店。
マカロンの専門店である。
とにかく小太りのマダムが説明を始めたのはマカロンの作り方だ。
それをカウチに引っくり返って観ていたJ.C.、思わず飛び起きた。
何となれば、画面に映し出されたのはサイズこそ違え、
忘れもしないガキの時代に食べてたアレと瓜二つなんですもん。

あとは食い入るようにTVに釘付けである。
この素朴な焼き菓子はファルリオン・マカロン、当地の名物であった。
ちなみにクリームやフルーツをはさんだオサレなのはパリ風だそうだ。
なるほどネ。
目からウロコがポトリ。
胸につかえていた異物も胃の腑にストン。
梅雨の雲間に陽が射したかのようだ。
もっとも今年の関東地方はさっぱり降らないけどネ。

店名は忘れちゃったが、この店は1620年の創業(スゲェ!)。
当時の修道院のレシピを今に受け継ぐという。
メインの原料はスイート&ビターの2種類のアーモンド。
道理で香ばしいわけだ。
しかし昔の日本の菓子に高級なアーモンドが使われているハズもない。
おそらく南京豆あたりを代用したのだろう。
あの頃の東京にはザ・ピーナッツの歌声があふれていたからねェ。

急に懐かしのマカロンが食べたくなり、
近所のスーパーに駆け込んだものの、案の定、不在。
確か、数年前にどこかで見た記憶があるような、ないような・・・。
でなわけで明日にでも
御徒町の「二木の菓子」に出掛けるつもりになったのでした。

2013年6月10日月曜日

第595話 荷風の”食跡”を訪ねて (その3)

永井荷風ゆかりの洋食店、「アリゾナ・キッチン」での食事会。
その夜はあいにくの雨模様。
「筋肉マン」でおなじみの中野和雄サン曰く、
この食事会はかなりの確率で雨にたたられているんですと―。

そういえば、前回もそうだったなァ。
合羽橋通りのどぜう屋から田原町のスナックまでの近距離を
雨足の激しさに歩くことままならず、
タクシーに分乗して移動したっけ・・・。

さてさて、J.C.にとっても久方ぶりの「アリゾナ・キッチン」。
店に入ってすぐ右手の壁には昔も今も
荷風の食事風景のパネルが掲げられている。
リラックスした自然体は
なかなかシャレたポートレートに仕上がっている。

雷門通りの日本そば店「尾張屋本店」には
かしわ南蛮をすすり込む荷風の写真が飾られているが
あちらは盗み撮りのせいもあり、そこいらの老人さながら。
とてもとても稀代の文豪には見えない。

マルケ州産の赤ワインを楽しみながらオーダーした前菜は3種6皿。

 スモークサーモンのマリネ  
 はまぐりのオーヴン焼き  
 牛肉のカルパッチョ 

牛肉にはあまり相性がいいとも思えないアヴォカドが添えられている。
各自、皿に取り分けて味わってはみたものの、
すべて可も不可もナシ。
もともと此度は話題先行、お味のほうは二の次だから仕方がない。

続いて第二弾の料理も3種6皿。
 
 生ハムとパルミジャーノのホワイトピッツァ
 魚貝のミックスフライ
 チキン・クレオール

ピッツァはイタリア料理店には及ばないけどまずまず。
ミックスフライは海老も帆立も小粒に過ぎる。
カジキさえもずいぶんと小さく切り分けたものだ。

目玉は荷風がもっとも好んだチキン・クレオール。
鳥のもも肉とレバーのブラウンシチューだ。
クレオール料理はニューオリンズを中心としたルイジアナ州のもので
当地のケイジャン料理が庶民の味なら
クレオールは支配者階級の上品な味というくくりになっている。
さすがに当店の名物とあってこれはなかなかの仕上がりだ。

とは言え、やはり料理にはもの足りなさが残った。
まっ、”アリゾナ”だけにたまにゃあ、こういうのも”ありぞな”、もし。

=おしまい=

「アリゾナ・キッチン」
 東京都台東区浅草1-34-2
 03-3843-4932

2013年6月7日金曜日

第594話 荷風の”食跡”を訪ねて (その2)

永井荷風の「断腸亭日乗」における最後の年は昭和34年。
正月元日から亡くなる前日の4月29日までをたどってみたい。

1月1日(旧11月21日) 
 雨。正午浅草。高梨氏来話。日本酒を贈らる。雨雪となる。

この日から1月10日までの毎日、”正午浅草”の文字が見える。
ほかには”晴”、”陰(くもり)”、”立春”、”日曜日”などが
素っ気なく記されているばかり。
飲食店に関しては1月3日に「アリゾナ」が顔を出すだけだ。

日記はしばし絶えて2月2日に復旧し、同28日までの27日間連続で
再び”正午浅草”のオンパレード、いやはや、皆勤賞ものですな。
そして運命の日を迎えることとなる。
その日にはこうあった。

3月1日 
 日曜日。雨。正午浅草。病魔殆ど歩行困難となる。
 驚いて自動車を雇ひ乗りて家にかへる。

以来、散人が浅草の街に現れることはなかった。
翌2日から10日まで”病臥”、あるいは”風邪”と記されている。
”病魔”が一時、去ったためだろう、
11日から20日までは判で捺したように”正午大黒屋”。

3月21日
 祭日。晴。

ここで日記はまた途絶え、4月10日にリスタート。

4月10日
 祭日。晴。

この年だけの祭日は、そう、皇太子明仁親王の結婚の儀だ。
明仁親王は言わずと知れた現在の天皇陛下ですネ。
荷風はただ”祭日”と認(したた)めただけで
結婚の儀にはまったくふれていない。
嬉々として文化勲章を授かったくせに皇室に対してつれない素振り。

4月19日
 日曜日。晴。小林来話。大黒屋昼飯。

生涯最後の外食はかつ丼。
あとはずっと、自炊に明け暮れていたものと推察される。

4月23日
 風雨わずかにやむ。小林来る。晴。夜月よし。

荷風、見納めの月。

4月29日
 祭日。晴。

これが絶筆。

京成八幡駅前の「大黒屋」は今、
荷風定食なる、あやかり名物をウリにしており、
内容は、かつ丼とお新香、そしてお銚子1本。
ハナシの種に食べてみるのも一興なれど、
そのデキは・・・いや、あえて語るまい。
推して知るべしなりけり。

おっとっと、荷風最後の浅草の昼餉、
「アリゾナ」のことであった。
また引っ張っちゃったが、以下次話ということで。

=つづく=

2013年6月6日木曜日

第593話 荷風の”食跡”を訪ねて (その1)

手元に岩波文庫版の「断腸亭日乗」がある。
荷風散人こと、永井荷風の代表作は
特筆されるべき日記文学の力作といってよい。
淡々ととした(ときとして濃密)筆の運びから
力作というのも何だかなァ・・・という気がしないでもないが
何せ大正6年9月16日から
亡くなる前日の昭和34年4月29日まで綴られた大長編、
昔から継続は力なりと申しますもんネ。

最晩年の荷風は毎日のように
市川市・八幡の自宅を出ては浅草に現れ、午餐をとっている。
それもほとんど今もある「アリゾナ」で―。
日記にはっきり「アリゾナ」と書かれているわけではないが
おそらく間違いはなかろうと思われる。

亡くなる前年、昭和33年の元日に
合羽橋通りの「飯田屋」で昼めしを食べてから
16ヶ月のあいだ、日記に登場する店舗は「アリゾナ」と
京成八幡駅前の「大黒屋」だけだ。
小まめに自炊した荷風だが、よくも飽きないものヨと驚嘆してしまう。
もっと驚くべきは3軒とも現存することだ。
没後54年、幾星霜を経て生き残っている事実は
にわかに信じがたいものがある。
これこそまさに”継続は力なり”そのものだ。

2ヶ月に1度ほど会しては
飲んだり食べたりする間柄にさだおサンと和雄サンがいらっしゃる。
毎度、会場選びはJ.C.の役目なので
此度は荷風ゆかりの「アリゾナ」にしてみた。
ちなみに現在の店名は「アリゾナ・キッチン」。
前回はたまたま、どぜうの「飯田屋」であった。
偶然にも荷風の”食跡”をたどってるんですなァ、これが!

当夜、集結したのはオジさん3名+妙齢の美女(?)3名。
エヘヘ、ちょいとした「パンチでデート」状態だネ。
揃ってビール好きのオジさんたちは
零次会としてどこぞで一杯飲るのが常、
その日は浅草のランドマーク、「神谷バー」に集まった。

季節もよくなり、生ビールの旨さがこたえられない。
殊にこの店の中ジョッキは他店の大ジョッキ並みのサイズ、
1杯でじゅうぶん堪能できちゃうのだ。
つまみは天豆(そらまめ)のみながら、
そらぁマメなこって、なんちゃって。
あいや、失礼!

そうしてこうして邂逅した6人がイタリアはマルケ州の赤ワイン、
サン・ロレンツォで乾杯したわけなのだ。
それぞれに喜色満面、
これはもう楽しい一夜が約束されたようなもんですな。

ーつづく=

「神谷バー」
 東京都台東区浅草1-1-1
 03-3841-5400

2013年6月5日水曜日

第592話 楽しみ本線瀬戸内海 (その2) 古く良かりしニューヨーク Vol.6

 ♪ 私には 戻る 胸もない 戻る 戻る 胸もない 
   もしも死んだら あなた あなた泣いてくれますか 
   寒い こころ 寒い 哀しみ本線 日本海  ♪
            (作詞:荒木とよひさ)

森昌子は哀しみの日本海をたどったが
J.C.は瀬戸内海を楽しんでいる。
さっそく昨日のつづきとまいりましょう。

=楽しみ本線瀬戸内海 ②=

旅の終わりは丸谷才一氏が
”西国一の鮨や”と称えた伝説の名店、岡山市内の「魚正」へ。
つけ場に立つのは先代の娘さん、
といっても五十路に差し掛かっていようか。
脇で彼女の息子がアシストしている。
とにかくオンナの鮨職人は生まれて初めての体験である。
何につけても女性との初体験にはおのずと緊張感がつきまとうものだ。

突き出しのバフン海胆とベイカ(蛍いか)で地酒のお多美鶴を楽しみ、
すぐににぎってもらう。

 平目・さより・真鯛・きす・平貝・ママカリ・とり貝・シャコ・
 穴子・かんぴょう巻き・玉子

とりわけ穴子がすばらしい。
1カンに1尾付けでは口の中がパン食い競争状態になるから
包丁を入れてもらったが、香ばしさの中に旨みがスッと立ち、
さわやかなあと味を残して消え去った。

ポン酢おろしをカマせた平目はこの店ならでは。
岡山名産のママカリは小肌に及ばぬものの、それなりによかった。
真っ白に煮上げたかんぴょう巻きの美しさが記憶に残っているし、
オムレツ風の玉子の美味しさも忘れられない。

暖簾を反対側からくぐり、石畳を踏んで門の外へ。
さっきまで帳場に立っていた先代の未亡人が
曲がった腰をいといもせずに出てきて送って下さる。
笑顔が今食べたばかりの鮨のようにつややかだ。
お婆ちゃん、いつまでもお達者で。

こうして2泊3日の旅を終え、帰京したのだった。
丸谷才一氏の随筆集「食通知ったかぶり」に収められた一篇、
「岡山に西国一の鮨やあり」から抜粋して名文を紹介したい。

この鮨やはたしかに名代の店らしく、
数日後、石川淳さんにお目にかかった折り、
岡山ゆきのことを口にした途端、夷齋先生はただちに魚正をすすめて
「神戸から下関までの鮨やで随一」
と断定したのだ。
話がかうなると、新幹線に乗るのも張り合ひがありますねえ。

ベラタといふ、穴子の稚魚を辛子味噌で和へたもので
お多美鶴といふ地酒を飲みだしたとき、
わたしはこの店が西国一の鮨やであることを確信してゐた。

丸谷サンは翌々日の昼にも「魚正」を再訪している。
そして赤貝の見事さに驚嘆してこう締めくくった。

こんなに見事な赤貝は見たことがない。
倉敷の大原別邸の緑の瓦は
戦前ドイツに注文して作らせたものださうだが
昔のドイツの名工の作った赤い瓦が倉敷の春の雨に濡れたならば、
かういふ色艶で照り輝くのではないかとわたしは思った。

いや、赤貝も見事だったのだろうが、御大の筆も実に見事でござんす。

「魚正」
 岡山県岡山市中央町7-5
 0862-22-3505

2013年6月4日火曜日

第591話 楽しみ本線瀬戸内海 (その1) 古く良かりしニューヨーク Vol.6

およそ半年ぶりで”古く良かりしニューヨーク”シリーズいきます。
読売アメリカの連載コラム、
J.C.オカザワの「れすとらんしったかぶり」から
思いついたままピックアップしてお届けする回顧版。
今回は出張で一時帰国したときのものですヨ。

=楽しみ本線瀬戸内海 ①=

東京でのシゴトを終えて待望の休暇に突入。
行く先は瀬戸内海をはさんで対峙する香川県と岡山県。
旨いものだらけの幸福な旅となった。

讃岐は琴平の「小縣家(おがたや)本店」。
名代はしょうゆうどん。
客は注文と同時に丸のままの大根とおろし金を与えられる。
うどんがゆで上がるまでのあいだ、
客はもっぱら大根おろしの作成に忙しい。
店のあちらこちらでガシゴシ、ガシゴシとそれはにぎやかなことだ。

ゆで立てを冷水で引き締められ、どんぶりに盛られたうどんに
おろしをたっぷりとまぶし、備え付けの醤油を掛け回す。
この醤油がミソで鮨屋の煮切りに似た旨みがある。
最後にすだち酢を落としてツルツルッとすすり込む。
これ以上のうどんの食べ方はありませんネ。
しかも1杯がたったの400円だ。

唯一、残念だったのは酢橘(すだち)の季節を外したこと。
秋口から年明けまでは生の酢橘を添えて出すという。
それを搾って、もいちど食べてみたかった。

広島との県境に近い笠岡に
街道名物の食堂があると聞いてクルマをとばす。
その名も「シャコ丼の店」。

シャコのフライを溶き玉子でとじて
かつ丼仕立てにしたものだが文句ナシに旨い。
玉子のふっくら加減がほどよく、つゆは薄めの多め。
主役のシャコのレベルも高い。
酢の物を試してみると、
そんじょそこいらの鮨屋じゃ太刀打ちできないシャコだった。

泣かせてくれたのが200円均一の惣菜類。
とりわけイカと竹の子の煮付けは東京で食べたら
1000円は下らない代物だヨ、エッ、お立会い!

と、まあ、こんな具合であったのだが
この瀬戸内の旅では最後にもう1軒、
あの丸谷才一サンが”西国一の鮨や”とほめたたえた店に寄った。
以下、次話であります。

=つづく=

「小縣家本店」
 香川県仲原郡満濃町吉野1298 -2
 0877-79-2262
 高松空港ほかに支店あり

「シャコ丼の店」
 岡山県笠岡市笠岡5914-5
 0865-63-450

2013年6月3日月曜日

第590話 愛しゅてるのに哀愁 この歌詞が魅了する Vol.1

今日は新シリーズの第一回です。
題して”この歌詞が魅了する”。
星の数ほどあるにっぽんの歌にあって
心に残る名歌詞にスポットライトを当ててゆきたいと思います。
もっともJ.C.の偏った好みに基づいているので
その偏向には目をつぶってください。

 ♪  惚れて 惚れて 
   惚れていながら 行くおれに 
   旅をせかせる ベルの音 
   つらいホームに 来は来たが 
   未練心に つまづいて 
   落す涙の 哀愁列車   ♪
       (作詞:横井弘 )

三橋美智也の「哀愁列車」の一番である。
赤字の部分がハイライト。
”未練心につまづいて”、ここがすばらしい。
出そうで出ないフレーズとはこのことだろう。
まだ相手のことを好きなのに別れる破目に陥った方なら
誰しも実感できる胸の痛みがコレでしょう。

リリースされたのは昭和31年。
作曲は鎌多俊与。
同じ年のもう一つの大ヒット曲、
「リンゴ村から」はリアルタイムでよく覚えているのに
「哀愁列車」はトンと記憶にない。

当時、J.C.は満5歳の幼稚園生。
棲んでいた長野では周りの大人がよく「リンゴ村から」を口ずさんでいた。
これは長野県が青森県に次ぐりんごの大産地であったことと
無関係ではあるまい。

 ♪  もっと素直に僕の 愛を信じてほしい
   一緒に住みたいよ できるものならば
   誰か君にやきもち そして疑うなんて
   君だけに本当の 心みせてきた
   会えない時間が 愛育てるのさ
   目をつぶれば君がいる
   友だちと恋人の 境を決めた以上
   もう泣くのも平気 よろしく哀愁  ♪
          (作詞:安井かずみ)

郷ひろみが歌った「よろしく哀愁」は1974年のリリース。
あの筒美京平の作曲である。
同じ”哀愁”でも趣きがずいぶんと違うものだ。
”会えない時間が愛育てるのさ”、ここが白眉。

ロシアの文豪・ドストエフスキーが残した言葉。
「コロンブスが幸せだったのは
 アメリカ大陸を発見したときではない、発見しつつあった時だ」
けだし名言。
実際に恋人と会っているときよりも、会いに向かっているときのほうが
より心は弾むだろうし、会えない時間に愛はより大きく育まれるのでは―。

男と女は一つ屋根の下に暮らして、のべつ顔を合わせているよりも
時間をおき、距離をおいたほうが
シアワセな関係を維持できるのではなかろうか。
いや、そうだヨ、きっと。