2013年12月31日火曜日

第741話 ひもじさのつれづれに

  ♪ さみしさのつれづれに 
   手紙をしたためています あなたに 
   黒いインクがきれいでしょう 
   青いびんせんが悲しいでしょう

   あなたの笑い顔を 
   不思議なことに 今日は覚えていました 
   19才になったお祝いに
   作った歌も忘れたのに     ♪

井上陽水自作自演の「心もよう」がリリースされたのは1973年9月。
第四次中東戦争勃発の前夜で
ほどなく日本中にオイルショックの嵐が吹き荒れることとなる。

この「心もよう」、翌年には南沙織と小柳ルミ子が
それぞれのアルバム内でカバーしている。
まことに名曲の証しといえよう。

 ♪ あざやか色の春はかげろう
   まぶしい夏の光は強く
   秋風の後 雪が追いかけ
   季節はめぐり あなたを変える ア~ア~ ♪

最終節のメロディーの盛上がりもさることながら
詞がまたステキだ。
この詞に出会ったとき、
あゝ、これは現代版「枕草子」だと思った。
現代版といっても、あれからすでに40年もの月日が流れた。

 ♪ ひもじさのつれづれに
   厨房に立っています 独りで
   黄色い玉子がきれいでしょう
   赤いケチャップが悲しいでしょう ♪

てなこって、昼めしを食べ損ねた昼下がり、
空腹を抱えてオムライスを作ってみました。
ケチャップライスを薄焼き玉子で包み込むタイプは
おそらく初めて作るのではないかな?
まあ、このところやっとオムレツを上手に焼けるようになったので
一念発起、というほどではないにせよ、
チャレンジ精神が頭をもたげたのでありましょうヨ。

まず、ケチャップライスを用意する。
具材は豚バラ肉の小間切れと玉ねぎのみじん切り。
サラダ油、それも新品まっさらの油は大嫌いなので
愛用のコーン油とバターを半々にフライパンで熱し、
具材・ライス・ケチャップの順に投入し、炒める。
あっさり目が好きな方は鳥もも肉で代用し、
チキンライスにすればよい。
本来、こちらが正統派だ。

薄焼きオムレツは玉子2個分。
先刻のフライパンをティッシュで軽く拭い、
今度はコーン油だけで焼く。
ここにバターを使うと、少々シッツコくなる。
玉子が固まりきる前にパンの向こう側、
丸い薄焼き玉子を地球儀に例えれば、
北半球の部分にライスを乗せ、左手首を右の拳で軽くトントントン。
菜箸を働かせて上手いこと丸め込んだら皿に盛る。
ハイ、出来上がりました
まあまあの出来映えでしょうかネ。
真っ黄色より焼きムラのあるほうが美味しそうですし・・・。
では失礼して、いただきま~す!

おっと、みなさん、それでは良いお年を!

2013年12月30日月曜日

第740話 路線バスを降りた町 (その3)

昨夜、NHK-BSの歌番組、
「歌謡祭2013~日本歌手協会設立50年~」を観てよかった。
ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」を聴けたからだ。
あの暴れん坊がやせてしまって
タキシードとドレスシャツのうなじの衿と衿のすき間が空いてしまって。
目頭が熱くなった。
ペギーの「南国土佐をあとにして」、”さくら”の「かあさんの歌」、
こまどりの「姉妹酒場」もよかったな。

さて、先週のつづき。
江戸川橋のうどん屋さん「はつとみ」のカウンター席にいる。
ビールを飲みながら品書きに目を通していて
惹かれたのは信州の郷土料理、塩いかであった。
海のない長野県でイカは獲れない。
こりゃ当たり前ですわな。
イカに限らず淡水系の生きものしかいないのだ。

そのすき間をうずめる意味もあっただろう。
おそらく新潟辺りに揚がったスルメイカの塩蔵品を
取り寄せたものと思われる。
と思ったら主な産地は隣りの富山県と
遥かみちのく青森県であった。
一部には海のない岐阜県で加工されたものもあるとか・・・。
そう、岐阜や福井でも食べられているという。

そのイカを塩抜きしてきゅうりもみと和えたのが塩いかである。
長野市生まれのJ.C.だが、子どもの頃のわが家の食卓に
塩いかがのぼることはまったくなかった。
母親が嫌いだったのか、
あるいは北信ではポピュラーでなかったのか、
霊園を訪ねて訊ねるワケにもいかない。
そこで調べてみたら南信地方の駒ヶ根・飯田・中津川あたりで
広く愛食されているとのこと、道理でなァ。

2年前だったか、軽井沢のスーパーマーケット「ツルヤ」で見つけ、
自宅に戻って塩いかを作ってみた。
イカは好きな食材ということもあって気に入り、
以後どこかで見つけたら買い込もうと思っているが、
まずお目に掛かれない。

実際に見てもらったほうが手っ取り早いか。
胡瓜だけでなく茗荷も
おろし生姜とマヨネーズも添えられている。
なかなかオツな一品である。
ただ、これはどうも塩いかではなさそうだ。
いえ、料理の名前は塩いかでも
使われているのは生のスルメイカを茹でたものではなかろうか。
ベツに美味しきゃいいんだが
信州人としてはやはり元来の塩いかに接してみたかった。

焼酎は宮崎産が中心。
麦のくろうまと芋の黒霧島を1杯ずついただく。
芋焼酎に東国原というのがあったが
ああいう人に東京都知事にはなってほしくないので見送った。

締めは釜揚げうどんである。
ほどよくクネクネとちぢれてる
いや、このうどん、柔らかめながら
舌ざわりとノド越しがとてもよい。
舌の上でツルルンと弾むことしばし、
いつの間にかノドの奥をすべり落ちてゆく。
ちょいとした白糸の滝ですヨ。
訊けば、これは宮崎うどんでありました。

=おしまい=

「はつとみ」
 東京都文京区関口1-48-5
 03-3260-9234 

2013年12月27日金曜日

第739話 路線バスを降りた町 (その2)

江戸川橋の「みつぼ」にいる。
池袋や高田馬場にも店舗のある焼きとん屋だ。
ヒョンなことからバスに乗ってこの町へやって来た。
好みの酒と焼きとん5本のセットメニューを頼んだところである。

すると真っ先に運ばれた生ビールがサントリー・モルツ。
これには心底ガックシきた。
晩酌の最初の1杯として、J.C.にモルツは濃厚過ぎる。
女将さんにビールの銘柄を確認したら
サッポロだっていうから安心してたのにそれは瓶のほうだった。
強烈な肩透かしに黒房下へもんどり打って転げ落ちながらも
すかさずサッポロ黒ラベルを追加した。

これには女将が怪訝な顔をする。
それもそうだヨ、どうしちゃったのこの人? てなもんだわサ。
だけどネ、こちらにはこちらの事情がある。
彼女に落ち度はないが
やはり晩酌は好みの銘柄でスタートしたいのだ。
まず瓶を飲んでから生に取り掛かった。
こうするほうがナンボかマシ。

おまかせの焼きとんが焼き上がる。
左からコブクロ・レバー・ハツモト・カシラ・シロ
すべてタレ焼きである。
カシラやハツモトは塩のほうがシックリくるけれど、
これはおまかせの割安価格、致し方あるまい。
それでも揃って見事な雄姿、その肉質に不満はございません。

狭い店が立て込んできたのと、
背中越しのテーブルの学生3人組(♂2・♀1)がやかましく、
殊に女学生の嬌声に耐え切れず、お勘定の憂き目となる。
もう少し長居をしたいところなれど、
君子、やかましきに近寄らず、な~んちゃって。

せっかく江戸川橋にやって来たのだ。
1軒だけで他の場所に退散してはもったいない。
「みつぼ」の近くの「はつとみ」に移動した。
初見参のうどん屋ながら評判は聞いている。
他論はおしなべて高評価が下されている店だ。

店内は細長くうなぎの寝床風。
席は8割方うまっている。
単身なのでカウンターに通された。

ビールは生も瓶もアサヒ・スーパードライ。
そうですよネ、うどん屋・そば屋にエビスやモルツは強過ぎですよネ。
中瓶をお願いすると、お通しは塩味の米粉炒め。
うどん屋で米粉は違和感があるものの、
まあ、小鉢のことにつき、目くじらを立ててもしょうがない。

あとで釜揚げうどんをいただく腹積もりだが
その前に何かつまみを所望したい。
目にとまったのはわがふるさと、信州名物の一品であった。

=つづく=

「みつぼ」
 東京都新宿区山吹町 364
 03-3268-9494 

2013年12月26日木曜日

第738話 路線バスを降りた町 (その1)

やれ、やれ、上野広小路でたまたま乗った都営バス・・・。
いつの間にかハナシが55年前の観光バスにすっ飛んじまった。
ハハ、これにはコント55号も真っ青でしょうヨ。
ハハ、二郎サン、「トビます、トビますッ!」ってか?

ヨタも大概にして、その路線バスである。
不忍通りを真っしぐらにゆく、ゆく、「ゆきます、ゆきますッ!」ってか?
道灌山下で乗客がごっそり降り、車内が空いてきた。
周りに配慮しながら一番奥のシートに座らせてもらったJ.C.がいた。
こうなって来ると、ちょいとした観光バス気分、
道行く集団下校の児童に手の一つも振りたくなるじゃないの。

だけど、集団の登下校ってありゃなんなんだろうな。
しょっちゅう居眠りやら酔っぱらいのクルマが突っ込んでるが
子どもが集まると当たる確率が高まり、かえって危ないんじゃないの。

結局、早稲田行きのバスを下りたのは終点の一つ手前の江戸川橋。
ここから地蔵通り商店街を抜けて少々歩けば神楽坂だ。
そのつもりだったけれど、ふと、バス停付近を周回してみる気になった。

そこで見つけたのが焼きとん「みつぼ」。
もう5年以上、いや、10年近く前に
江戸川橋にはたった3坪しかない「みつぼ」なる焼きとん屋があることを
何かで読んだ記憶がよみがえってきた。
ここであったが10年目、サァ、いつ入るか?・・・今でしょ!

店内はカウンターのほかにテーブル席もあり、
これは創業当時の3坪じゃないことが容易に推測される。
それでも9割方、席は埋まっている。
何とか詰めてもらってカウンターに着席。
目の前のメニューを手に取った
真っ先に目に入るのは”お得!セットメニュー”だ。

せっかく、A~Eまで取り揃えてくれてるわけだし、
取りあえずはそこから選ぶのが渡世の義理というもんだ。
ふむ、ビールが一番高くてチューハイと日本酒が最安なのネ。
それなら今夜はおごって最高値のビールでいったろじゃないか!
といってもキャップ(天井)とフロア(床下)のギャップは
たかだか170円ですけどネ。

それよりも5本の串焼きのことである。
当然、焼きとんはおまかせ5本。
モツの部位を選べるわけじゃなし、
塩とタレだって、アレは塩、コレはタレなんて注文はつけられまい。
まあ、何がどんなふうに出てきても
オトコJ.C.、文句なんか金輪際つけませんて。

セットだからつまみを吟味することもなく、
ひたすらビールと焼きとんを待てばよし、気楽なもんだ。
ところが、ところがであった、
次の瞬間、黒房下にもんどり打って転げ落ちるわが身を
いったい誰が想像できたであろうか? ええッ、お立ち会い!

=つづく=

2013年12月25日水曜日

第737話 上野で乗った都営バス (その2)

上野広小路で都営の路線バスに飛び乗ったのだったが・・・

 ♪  若い希望も 恋もある
    ビルの街から 山の手へ
    紺の制服 身につけて 
    私は東京の バスガール 
        発車オーライ 
        明るく明るく 走るのよ ♪
    (作詞:丘灯至夫)

初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」が
世に出たのは1957の10月。
小学校に上がる直前のJ.C.は
このヒット曲をリアルタイムで鮮明に記憶している。

この年の春だったか、
当時、長野県・長野市に在住していたわがファミリーは
亡父の事業失敗により、東京へ落ち延びてきた。
言わば、都落ちの逆バージョンですネ。

しばらくは親の親戚やら友人を頼る日々が続いた。
とにかく初めの1年は都内各所を目まぐるしく移り住んだのだ。
そうこうするうち、この悪ガキも小学校に進むってんで
健康診断を受けたのが文京区立根津小学校。
それが数週間後に入学したのは大田区立大森第五小学校。
根津も大森も親父の学生時代の盟友が棲んでおり、
そこここに居候することになったというワケ。

短い期間にあっちゃこっちゃグルグル回ってるんだから
友人の方々もいろいろ算段してくれたのだろうが
厄介なのが上京してきたものだと頭を悩ませたハズ。
これをたらい回しなんぞと言ったらバチが当たる。
みなさん鬼籍に入られたが、ご恩をわすれやしません。

1958年4月、J.C.オカザワは小学校へ。
長嶋茂雄は読売ジャイアンツへ。
杉浦忠は南海ホークスへ。
そういやあ、とうとう、
ビッグコミック・オリジナルの「あぶさん」が終わるんですってネ。

ハナシを元に戻すと、1958年の5月。
親父の盟友で根津在住のK岡サン、
実はこの方、粉わさび製造会社の社長サンだが
その会社の社員旅行がとり行われた。
行く先は石段で有名な群馬県の伊香保温泉である。
今となってはどんな経緯か知る由もないけれど、
なぜか社員旅行にわれわれ親子が便乗したのだった。
まあ、息子から見ても親父はちゃっかり屋でしたから。

旅行は往復ともに観光バス。
いや、バスガイドのオネエさんが歌いに歌いました。
何を? ってか? もちろん「東京のバスガール」ですがな。
何せ、当時の大ヒット曲、社員連中のリクエストもあって
往復でトータル8回は歌ってもらったんじゃないでしょか。

昭和33年、みんなまだ貧しかったけど、平和な時代でありました。

2013年12月24日火曜日

第736話 上野で乗った都営バス (その1)

東京・上野の不忍池に渡り鳥たちが帰って来た。
都内23区、それも山手線の内側で
鳥たちの戯れを眺めることのできる場所は
ここしかないのではなかろうか。

その日の夕刻は池畔をそぞろ歩いていた。
午後4時を回っため、もう動物園には入れない。
したがって、カワウ、ペリカン、コハクチョウたちを
間近に見ることはできない。

そう、驚いたことに
この池にはハクチョウまでいるのだ。
昨日、80歳の誕生日を迎えられた、
天皇陛下がお住まいの皇居のお濠以外に
都内でハクチョウの姿を拝めるのは不忍池だけだろう。

もっとも日本の冬の到来とともに
はるかシベリアから渡って来たわけではない。
いや、もともとは野生のハクチョウなのだが
翼を傷めて北へ帰れなくなった数羽が
動物園の庇護のもと、ひっそり暮らしているんだそうだ。

世のお父さん、お母さん、可愛いわが子に
童話「みにくいアヒルの子」を語って聞かせたことがあるのなら
ぜひ一度、実物を見せてやっておくれでないかい?
子どもたち、殊に女の子はきっと歓びますヨ。

宮城県在住の友人が言うには
彼の地でも伊豆沼や長沼に毎年ハクチョウが飛来するものの、
必ず何羽か怪我をしてしまい、取り残されるとのこと。
空を翔べるとはいえ、やはりワイルド・ライフはきびしい。

小一時間も池のほとりを散策したろうか、
御徒町か湯島で一杯やろうと広小路に出たところ、
目の前に早稲田行きの都営バスが停まっている。
この路線は確か

 上野―根津―団子坂下―動坂下―
 千石―護国寺―江戸川橋―早稲田

そんなルートであるハズだ。

ふ~む、途中の団子坂なら谷中銀座、
動坂下だと田端か駒込、千石からなら巣鴨も近い。
まあ、行き当たりばったりで酒場に苦労することはあるまい。
衝動的とまでは言わないが、反射的に飛び乗っていた。

たまに乗るとバスはいいもんですねェ。
ちょいと高めの位置から東京の街を眺めていると
心なしかワクワクしてくる。
今はみなワンマンカーだが、われわれ子どもの頃は
紺の制服をまとったバスガールのオネエちゃんが
「願います、発車、オーラ~イ!」―なんちゃって
後楽園球場のウグイス嬢顔負けの美声を放ったものだった。

=つづく=

2013年12月23日月曜日

第735話 看板にたぶらかされて (その2)

神楽坂の「エリゼ」でバエリアを食べている。
正直いって不満である。
ランチメニューはこれしかないから仕方がない。
一見美味しそうに見えるんだがなァ
でも、魚介はすべてあと乗せみたい。
真ん中に君臨しているのは芝海老の代役として
近頃話題になったバナメイ海老であろう。
けして不味い海老ではないのに悪役にされた感あり。。
ただ、具材がプアなせいもあってボリューム的には軽すぎる。
ダイエット指向の若い女性には適量でしょうがネ。

順序が逆になったが、前菜の生ハムサラダは悪くなかった。
サシが美しい
葉野菜はともかくも生ハムの質がよく、
舌ざわりも滑らかにしてしなやか。
だからこそ、ひょっとしたらパエリアも当たり!かなと思ったワケ。
それがものの見事に空振ったのだ。

卓上のランチ用ドリンクメニューも何だかなァ。
こんな値付けをしている店は界隈にないのにねェ。
ちょっと紹介してみる。

=アルコール=
生ビール(一番搾り)        ¥800
ハートランドビール(小瓶)      ¥800
グラスワイン              ¥600~

=ノンアルコール=
キリンフリー               ¥800

=ソフトドリンク=
ペリエ                  ¥500
オレンジジュース            ¥400
コーヒー                ¥500

ビール小瓶の800円はないだろう。
コーヒーの500円だって、これじゃ食後に気安く飲めまい。
いかにも素人商売という印象を受ける。

壁のボードに夜の品書きが並んでいる。
こちらもいくつか紹介してみようか。

にんじんのムース、スモークサーモン、グリーンサラダが各650円。
サーモンとサラダが同値でっか?
田舎風パテ、海老とアヴォカドのサラダは各850円。
パエリアは1400円でサーロインステーキが2000円。
最高値のブイヤベースは3000円だ。
どこかトンチンカンな品揃えというほかはない。

表通りに立て看板がなければ気づかなかった店舗だが
階下にある看板の主力商品、千円ポッキリのパエリアを
店内メニューから外すのはやはりいけないと思いますヨ。

「エリゼ」
 東京都新宿区神楽坂4-2-1島田ビル3F
 03-5228-2011

2013年12月20日金曜日

第734話 看板にたぶらかされて (その1)

昨日は一昨日に続いてうっとうしい雨降り。
イヤだねェ、気分がクサクサしてきちゃう。
結局、池のほとりに赴くこと能わず、
自宅でコレを書きました。

新宿区・神楽坂でパエリアの昼食をとったのは
かれこれひと月ほど前のこと。
街のランドマークと呼んでもイチャモンのつけようのない、
イチャモン天、もとい毘沙門(びしゃもん)天・善国寺。
その門前のビル3階にあるパエリア専門店「エリゼ」に入店した。

小さなビルの入口に
これまた小さな立て看板を見初めたのがそもそものキッカケだ。
看板の写真には
鉄鍋のパエリア、小皿のサラダ、グラスの赤ワインがワンショット。
そしてコピーは
3F エリゼ ランチ パエリア1人前1000円 
サラダ コーヒー or 紅茶付 (ワインは含まれていません)

写真のパエリアには小海老2尾、ムール貝2個、
アサリ数個が盛込まれ、これで千円は安いなァという印象。
まあ、値段も値段だし、ランチタイムのことだから
炊き立てであるはずもないが、つい誘われてしまった。

店の切盛りは初老の夫婦二人きりである。
初老といっても店主のほうは熟老の域に突入している。
調理を妻、接客を夫というケースはけして珍しくはないが
通常は逆であることがはるかに多い。

先客は中年カップルが1組だけで
店主との会話から初訪問の様子だ。
席数は4人掛けX2卓、2人掛けX2卓、
6席のカウンターにがあるものの、昼は使われていなかった。
夜なら独り飲みに打ってつけだろう。

壁のメニューボードを見たJ.C.、途端に首をかしげた。

= パエリアランチ =
Aランチ ¥1200 生ハムサラダ コーヒー or 紅茶付
Bランチ ¥1500 生ハムサラダ デザート コーヒー or 紅茶付

おやおや、階下の看板にあった¥1000ランチが見当たらないゾ。
仕方なく(訊き質せばいいんだけれど)Aランチを所望する。
200円の上乗せで普通のサラダが生ハムサラダに昇級するようだ。

待つこと10分弱。
現れたパエリアは案の定、温め直しのシーフードピラフだった。
ポーションは小さく、サフランも香らず、これでは美味しいわけがない。
しかも海老もムールもわずかに1ピースづつ、アサリとイカが2片づつ。
あとは緑・赤・黄のトリオ・ロス・ピメント。
これは明らかに羊頭狗肉、”看板に偽りあり”だろうヨ。
階下の看板で文字通り客を釣り上げる商法は
ちょいとばかりあざといんじゃなくって?

=つづく=

2013年12月19日木曜日

第733話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その3)

歌は世につれ、世は歌につれ。
誰が言い出しっぺか存ぜぬが
昔の人は上手いことを言ったもんですなァ。

ともあれ、1本の映画をまだ引きずっている。
いかげんにしろ!  ってか?
いや、ごもっとも、やめます、やめます、今回で。

映画の中で歌われた「東京ドドンパ娘」はウチにない。
「伊勢佐木町ブルース」のほうは古いカセットがあった。
青江三奈のヒット曲集で、それを聴きながらコレを書いている。
今かかっているのは「大田ブルース」。

でもねェ、1969年の「私が棄てた女」に
ドドンパとドゥビドゥヴァーが同居しているとは思わなんだ。
そしてとにかくこの作品、
配役陣、ロケ地ともに観客をまったく飽きさせない。

すでに紹介した役者以外にもなかなかの曲者揃い。
小沢昭一と加藤武は実生活の盟友同士だったが
それぞれに個性的な役回りをキチンとこなしている。
辰巳柳太郎と大滝秀治は兄弟役。
劇中、二人の産婦人科医が登場して
かたや三代目・水戸黄門の佐野浅夫、
こなた原作者の遠藤周作だってんだから笑わせる。

カメラも1960年代の東京をあちこち映し出してくれる。
何といっても強烈な印象を残すのが
五反田駅近くの目黒川沿い。
東急池上線・高架下のうらぶれ感がすばらしい。

五反田を捉えた映画となると、第一感は裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
しかし、あれは皇后陛下の生家があった池田山に近い東五反田。
こちらは西五反田で、こう言ってはなんだが
お品(ひん)がだいぶ下がる。
同じ目黒川でも桜の名所の中目黒界隈とは
似ても似つかぬ流れがドブ川に見えないこともないほどだ。

成城学園前の桜並木、代官山のマンションと、
カメラは自由自在に東京を駆け巡る。
忘れられないのは上野動物園の西園。
鵜の池に面するここは往時、水上動物園と呼ばれていた。
それがいつの間にか西園と改名されたのだ。

田舎から上京してきた吉岡の母親と弟が池畔に憩う。
弟には養子に出る話しが持ち上がっている。
卓上にストローの刺さった3本のペプシコーラ。
協賛しているのだろう、ペプシは随所に登場する。

バックには池に遊ぶ水鳥たち。
すでにこの時代から目立つのは真鴨ではなく、尾長鴨。
現在も主流は尾長鴨で真鴨はめったに見られない。
むしろ嘴広(ハシビロ)鴨のほうが多いくらいだ。

水のある風景は人の心を和ませる。
ましてやそこに生きものの姿があればなおさらのこと。
不忍池周辺は23区内に残された数少ない景勝地。
昨日に続いて小雨交じりの今日だが
雨が上がったら池のほとりを訪れようと思う。
水鳥を脇に見ながら明日の原稿を書くんです。

=おしまい=

2013年12月18日水曜日

第732話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その2)

43年ぶりに再会した日活映画、「私が棄てた女」。
ちょうど同時期に観たイタリア映画、
P・ジェルミ監督、S・サンドレッリ主演の
「誘惑されて棄てられて」とヤケにダブるが
そこは日・伊の違い、こちらは暗くあちらは明るい。
月と太陽にも似た彼我の差。

昭和30年代の日本女性は現代のようにチヤホヤされておらず、
社会的に虐げられた日陰の部分を内包していた。
美人でも魅力的でもない不細工なミツ(小林)と
吉岡(河原崎)がつき合っていることを知っている、
学友の長島(江守徹)は吉岡に言い放つ。

「女は男のレベルメーター、
 たとえば豚の仔が可愛いからって
 一生その豚抱いて暮らせるか?」

こうまで言われちゃ、
この役を都はるみに演じさせるワケにはいくまい。
男が女を見下していただけではない。
マリ子(浅丘)も母親のユリ子(加藤治子)に言われる。

「女はとにかく、自分の不幸を人に
 見透かされたら おしまいなんだから・・・」

そんな時代だったんだねェ。
女性にとってはまだ夜明け前、
陽が昇るまで今しばらくの時間を要する時代だったのだろう。

得意先の接待で温泉地に出向いた吉岡は
ミツに売春を強要した過去のある女、
しま子(夏海千佳子)とそこで邂逅する。
未練心につまづきながら、
心の奥底に断ちがたいミツへの恋慕を抱える彼は
彼女の居場所をしま子から訊きだす。

このときいきなりバックに流れたのが

 ♪ あなた知ってる 港ヨコハマ 
   街の並木に 潮風吹けば 
   花散る夜を 惜しむよに 
   伊勢佐木あたりに 灯がともる 
   恋と情けの ドゥドゥビ ドゥビドゥビ
    ドゥビドゥヴァー  灯がともる ♪
        (作詞:川内康範)

「伊勢佐木町ブルース」は1968年の年明けに発表された。
初見の際には気にもとめずに聞き流したが
この曲は45年を経た今も新鮮、ちっとも古びていない。
青江三奈のハスキーヴォイスが流れたとき、
胸の奥でパチンと弾けるものがあった。

映画自体はどんどん歳を重ねていくのに
傑出した楽曲はけっして歳をとらないものなんですネ。

=つづく=

2013年12月17日火曜日

第731話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その1)

胸の奥で澱(おり)のようにわだかまっていた映画に再会した。
浦山桐郎監督の日活映画「私が棄てた女」(1969)。
原作は遠藤周作である。

ひかりTVの日本映画専門チャンネルが
5日間に渡って毎朝9時から上映してくれ、2度も観てしまった。
池袋・文芸挫(文芸地下だったかも?)での初見は
確か封切りの翌年、大学に入学した年だったと思う。

主人公の吉岡(河原崎長一郎)は
自動車部品を扱う会社のサラリーマン。
重役の姪で同僚のマリ子(浅丘ルリ子)を妻としている。
彼には学生時代に性欲を満たすためだけに抱き、
棄てたミツ(小林トシエ)という名の女工との過去があった。

 ♪ 好きになったら はなれられない
   それは はじめてのひと
   ふるえちゃうけど やっぱり待っている
   それは始めてのキッス 甘いキッス
   夜をこがして 胸をこがして
   はじけるリズム
   ドドンパ ドドンパ ドドンパが 
   あたしの胸に
   消すに消せない 火をつけた  ♪
         (作詞:宮川哲夫)

湘南・逗子海岸でドドンパを踊る若者たちがいた。
屈託のない笑顔でミツは輪の中に飛び込む。
ミツにとって吉岡は初めての人。
翌朝、まだ浜の小屋で眠っているミツを置き去りにして
吉岡は独り、逗子駅のプラットホームに立つのだった。

「東京ドドンパ娘」は1961年のリリース。
歌手・渡辺マリは一発屋で終わったがドドンパのリズムは
翌年、北原謙二の「若いふたり」に継承される。
この二つのヒット曲はJ.C.の中に
忘れ得ぬ記憶となって残存しているのだ。

当初、監督の桐山は吉岡に小林旭、
ミツには何と、歌手の都はるみをイメージしていたという。
実現しなかったのはギャラの問題とされているが
実際はそうではあるまい。
小林はともかくも、都にはイメージダウンにつながったハズ。
とにかく、ミツという女性はドン臭さの極みとして描かれており、
すでにスター歌手に飛躍を遂げていた都にはできない相談だ。
そして旭とルリ子の共演では”渡り鳥シリーズ”からの脱却能わず、
失敗作に終わった可能性が高い。

当時の世相がそうだったのだろうか、
今では物議をかもしそうな女性蔑視の台詞が
ふんだんに盛り込まれている。
何せ、女を仔豚に例えたりもするんだから
無茶苦茶でござりまするがな!

=つづく=

2013年12月16日月曜日

第730話 「あしたのジョー」の町から (その5)

泪橋から始まったはしご酒は日本堤を経て向島に到達。
「かどや」の店先には
”大衆酒場”と染め抜かれた暖簾が夜風になびいている。
ところが店内は大衆酒場の雰囲気には非ず。
むしろ、ちょいとモダンな居酒屋といった趣きだ。

当夜の相方、
N目サン from Kitakyushu はかなり酩酊の様子。
しかも青森の田酒を所望におよんだ。
こちらもそれに倣っておつき合いの巻。

先刻まで焦点の定まらなかったマナコが
飲むほどにしっかりとしてきた。
目が据わったというんではなくネ。
不思議な方だなァ。
シラフに戻ったとは言わないがシャンとしてきましたヨ。

酒の肴は鯨ベーコン、牛もつ煮込みの2品。
くじベコは極上品とはいかないまでも
値段が値段だけにじゅうぶん許せる品質。
煮込みは牛もつ使用とあってコク味が深い。
もっともJ.C.の好みは豚シロの白味噌仕立て。
いわゆるホワイト&ホワイトですけどネ。

楽しいひとときを過ごし、そろそろお開きの時間。
と思いきや、終わんないんだな、これがっ!
つぶれそうでつぶれない相方を次にお連れしたのは
徒歩数分の距離にある同じく向島の「らん亭」だ。

戦前の、いや、もっと昔か・・・、
昭和初期の風情が残る仕舞屋風の店は中華そばと缶詰がウリ。
向島の料亭「きよし」と
神田のラーメン店「きび」のジョイントベンチャーである。
店主は「きよし」の御曹司で
料亭のほうは実の姉上が女将として仕切っている。
実はJ.C.、店主のK林サンとは何度か酒交した仲である。
しばらくご一緒してないが最後に飲んだのは祐天寺の「忠弥」。
15時の開店に備え14時半頃から並んだ記憶がある。

ここで飲みものを三たび瓶ビールに戻し、
厚揚げ焼き、蓮根のキンピラを合いの手とする。
4軒目とはいえ、食べるよりも飲むほうが主体だから
胃袋のキャパはまだまだあるわけだ。
よって名物の塩ラーメンをシェアして締めとした。
レイシオはあちら2/3、こちら1/3。
ややちぢれの中太麺、鳥&豚ガラだしのスープ、まことにけっこうなり。

酔い醒ましと腹ごなしを兼ねて深夜の街を歩く。
桜橋、あいや、言問橋、いえいえ、吾妻橋・・・
いったいどの橋を渡って浅草に・・・
気がつけば田原町を抜け、稲荷町に居た。
こりゃ、まいったな。

オマケにあろうことか、
ファミレス「J」のテーブルに差し向かいときたもんだ。
しかもこの後におよんで
J.C.はおつまみカキフライなる小皿でビールの中瓶。
N目サンはプッツンしたのか、プリン・アラ・モードだってサ。
揃いも揃ってバッカじゃなかろか!

=おしまい=

「かどや」
 東京都墨田区向島5-30-6
 03-3626-9606

「らん亭」
 東京都墨田区向島5-20-4
 03-3624-3988

2013年12月13日金曜日

第729話 「あしたのジョー」の町から (その4)

さてさて、メルとも変じて
のみともとなった遠来の志との3軒目。
行く先は現在の東京にかろうじて残った花街の一つ、
隅田川の向こう岸は向島である。

その前に山谷地区をひとしきり散策して
到着したのは吉原大門だ。
門前には大正建築も立派な天丼の「土手の伊勢屋」と
ケトバシの「中江」がその雄姿を競い合っている。

ちなみに吉原大門は”よしわらおおもん”と称する。
芝増上寺の大門は”だいもん”で、こちらは”おおもん”。
かたや門前町、こなた色街。
日本最大のソープランド街・吉原の東の入り口だ。
読み方が異なるのは仏さまと観音さま(シモネタ失礼ッ!)を
同居させるわけにはまいりませんもの。

界隈を案内したあと、土手通りを南下してゆく。
小唄の入門歌、「梅は咲いたか」で

 ♪  舟から上がって 土手八丁 
   吉原へ ごあんな~いっ ♪

こう唄われた土手通り。

地方橋の交差点をちょいと左折し、山谷堀公園に入る。
堀を埋め立てた公園だからヤケに細長い。
江戸の昔は柳橋に遊んだ札差のお大尽が
小舟を仕立てて大川(隅田川)を上り、
今戸橋から堀に入って吉原へ繰り出した。

隅田川に架かる唯一の歩行者専用橋・桜橋を渡り、
いよいよ向島にご入来。
エリアには珍しいモダンな居酒屋、「かどや」の暖簾をくぐった。
読者諸兄にこの店はオススメですゾ。

よしんば家族サービス、あるいはカノジョとのデートで
はからずもスカイツリーに出掛けたとしましょう。
ツリーの中で開業しているのは
わざわざ訪れなくともよい大手資本の店ばかり。
そんなとき、徒歩圏内の「かどや」に案内してごらんなさい。
子どもはともかくも、カノジョはいたく感激してくれるハズだ。

キリンビールは横浜、アサヒは浅草がお膝元だが
浅草寺の浅草は台東区で川を渡れば墨田区。
厳密には吾妻橋や向島がアサヒ本来のお膝元となる。
てなこって本日3回目のグラス合わせはスーパードライ。

突き出しの蒸し海胆豆腐が小粋じゃないの。
粋筋をうならせるにはこうでなくっちゃいけない。
心なしか目がトロンとしてきたN目サン、
意を決したかのように冷酒を所望した。

おっと、青森の田酒ときましたか!
ダイジョビかいな?
寅さんはOKだが、虎さんは困るんですけど・・・。

=つづく=

2013年12月12日木曜日

第728話 「あしたのジョー」の町から (その3)

北九州からやって来たメルとも・N目サン。
酒杯を交わすのは初めてながら
メルとも→のみともに深化する気配あり。

2軒目は山谷に残る有形文化財と奉っても
過言ではない名酒場「大林」だ。
相方は店先にたたずみ、早くも感嘆の声をもらしている。
地元の小倉に名店あれど、こんなタイプは皆無だという。

引き戸を引いて身体をすべりこませ、
すぐ目の前のカウンターに着いた。

 ♪   今日の仕事はつらかった
   あとは焼酎をあおるだけ  ♪

 「山谷ブルース」の世界をイメージしていたN目サン、
あまりにも粋にさばけたお江戸・下町の空気に酔いしれている。
酔いしれてはいても酔っ払っているわけではないのに
いきなり店主にガツンとやられた。

「どっかで飲んで来てない?」ー
ハハ、この文句はここのオヤジの常套句。
顔を覚えられているからだろうか、
J.C.がモロに指摘されることはないが
常に同伴者が詰問されてしまう。

先日も「キン肉マン」の中野和雄サンがいきなりやられた。
そのときの彼は正真正銘のシラフ。
にもかかわらず、常套句を浴びせられたのだった。
客をイジクるのが生きがいなのかもしれない。

そこで対応するJ.C.、
「とっ、とんでもない?」ーちょいと語気を強めて応えると、
オヤジは一応、素直に引き下がってくれるのだ。

ビールに酎ハイ、炭酸系は飲んできたから日本酒にした。
銘柄は白雪、ぬる燗でお願い。
小皿にホンのちょっとの白菜漬が突き出しだ。
下町だからこういうものにチャージはしない。

一品だけ所望したつまみは下町の定番、炒り豚。
あまりポピュラーではない炒り豚とは
豚のバラや小間切れを玉ねぎと一緒に炒りつけたもの。
手っ取り早くいうと豚と玉ねぎのケチャップ炒めだ。
浅草の「水口食堂」、王子の「天将」がその正統派。
大島の「ゑびす」は一風変わって塩味で仕上げている。

いつ訪れても「大林」の客はまばら。
立て込んでいるのを見たことがない。
南千住、三ノ輪、東向島、どの駅からも離れているからなァ。
都営バスが一番便利だが
当世、バスに乗って飲みに行く酔狂な呑ん兵衛は少なかろう。

早々に勘定を済ませる。
終始、ブスッとした表情を崩さぬオヤジだが
店を出る際、「ありがとうございました」の声を背中で聞いた。
めったにないことである。
N目サンが律儀にも振り返って会釈をした。

=つづく=

「大林酒場」
 東京都台東区日本堤1-24-14
 03-3872-8989
 注:電話は非公開なので no reply の可能性あり

2013年12月11日水曜日

第727話 「あしたのジョー」の町から (その2)

劇画「あしたのジョー」の物語は泪橋から始まった。
われわれの酒交も泪橋を始まりと決めた。
待合わせたのはJR常磐線・南千住駅だ。

N目サンは今日一日まったくのフリー。
そうしておいてたっぷり睡眠をとり、
喫茶店でブランチを済ませてきたという。
気力はみなぎり、本当にやる気満々の様子で現れた。
だからといって「やるき茶屋」にはお連れできません。

小塚原の刑場跡をご覧に入れ、常磐線の跨線橋を渡る。
右手に都営バスの車庫があり、
バスは南千住駅と東京駅八重洲口を結んでいる。
陸橋から100mそこそこの距離に泪橋の交差点が見えた。

1軒目は交差点にほど近い「淀屋酒店」。
角打ちにもかかわらず立ち飲む客は一人もいない。
町会の待合所みたいな空間に
みなゆるりと腰を降ろし、好みの酒を楽しむ。
N目サンには初体験の強烈な場末感が漂っている。

互いに好みのスーパードライ大瓶で乾杯した。
なんだかとっても感激してくれて、こちらが恐縮してしまう。
感激ついでにN目サンが所望したのは袋入りのアラレ。
昔からある煎餅みたいなアラレは
歌舞伎揚げなる立派な名前があるのだそうだ。
歌舞伎揚げかァ、それじゃ感激じゃなくて観劇だネ。

2杯目は最近ご無沙汰のため、懐かしさを感じる発泡酒、
サッポロ北海道プレミアムのロング缶だ。
相方はレモンの酎ハイに移行している。
おそらくキリンの氷結だ。

もう一品のつまみはこれまた懐かしい魚肉ソーセージ。
すると店のオヤジさん、ソーセージの端を剃刀でスパッと切った。
赤いフィルムをむき易くするためだろうが
最近あまり見掛けない女性の襟足を剃ったりする剃刀だから
見ているほうの襟足までヒヤリ寒くなった。
いわゆる男用のT字形ではなく、I字形の怖いやつだ。
まっ、それはそれとしてソーセージには
マヨネーズをたっぷり添えてくれた。

先は長い、そろそろ河岸を替えねば―。
浅草方面に向かい、吉野通りを南に歩く。
行く先は都内屈指の大衆酒場「大林酒場」だ。
何せ、ここのオヤジさんは都内屈指、
もとい、都内随一の気難し屋だから
N目サンのリクエストにドンピシャリなのだ。

入店と同時に何か起こりそうな予感。
あゝ、やっぱりな、いきなりガツンとやられちまった。

=つづく=

「淀屋酒店」
 東京都荒川区南千住3-11-14
 03-3801-6789

2013年12月10日火曜日

第726話 「あしたのジョー」の町から (その1)

隅田川に架かる言問橋の西詰に端を発し、
浅草から逃れるように北上してゆく吉野通り。
今戸を過ぎ、清川を超え、
東西に走る明治通りと十文字に交わる場所が泪橋交差点だ。

江戸の昔には小塚原の刑場がすぐそばにあり、
処刑を前にした罪人がこの世の見納めにと渡った橋が泪橋。
往時は思川なる川が橋の下を流れていたが
すでに暗渠化され、橋の名は交差点の標識に残るばかり。

この土地を一躍有名にしたのが「少年マガジン」に
1970年をはさんで5年ほど連載された「あしたのジョー」。
物語は橋のたもとのボクシングジムから始まった。
ジムの会長はもちろん隻眼の丹下段平である。

北九州からN目サンが上京してきた。
当ブログの長い読者の方で
以前、一度だけお会いしたことがあり、
以来、メールの交換が数回あった。
飲み歩き・食べ歩きがお好きなようで
「ぜひ一度、酒盃を交わしましょう」―約してから2年は経ったか。

その約束をやっと果たすことができた。
こういう場合・・・って、どういう場合だ! ってか。
いえ、ヨソからやって来る方々に
東京の飲み処・食べ処を案内する場合ですがな。
J.C.はなるたけリクエストに応えるようにしている。

今回のN目サンの要望はこのようなものだった。

浅草が大好きです。
東京訪問の機会があると、必ず一度は出向いて飲食しています。
J.C.サンの「浅草を食べる」と「下町を食べる」をバッグに潜ませて。
もし、お許し願えるのなら浅草でも観光客が行かない、
ディープ感漂うスポットにお連れくださいませんでしょうか?
おいしいお酒とおつまみがあれば
わたくしは何処へでも着いてまいります。
お引き回しのほど、よろしくお願いいたします。

てなわけでお願いされちゃいました。
これは思い出に残りうる一夜にしなければいけないゾ。

上京前のやり取りで下町情緒たっぷりの、
それも偏屈なオヤジがいる飲み屋に行ってみたい。
岡林信康の「山谷ブルース」が好きだから
山谷の町にも足を踏み入れてみたい。
今もなお東京に残る花街・向島の香りをかいでみたい。

いろいろと、”みたい具体案”が浮上してきた。
ふ~む、そうかァ、なるほどねェ。
振り出しを「あしたのジョー」の町にしてみようかの。
そんなアイデアが浮かんで膝をポンと打ったのでした。

=つづく=

2013年12月9日月曜日

第725話 クラブが出て来てこんにちは (その2)

近隣のスーパで購入した千葉産のアサリ。
砂抜きのために張った塩水の中に
小さな生きものを発見したハナシのつづきです。
百聞は一見に如かず、とくとご覧くだされ。
それは蟹であった
貝殻の中に潜んでいたに違いない。

蟹クン、しばらくはジッとしていた。
その後、静かに着地を試みてひとしきり歩き回った末に
1粒のアサリの下に隠れた。
徘徊中の蟹
アサリやハマグリを食べているとき、
このような小蟹に遭遇することがある。
しかし、それは貝と一緒に料されたあとの亡骸。
小さな身体もほのかな緋色に変色している。

今は昔、1980年代初頭。
丸の内北口にある「丸の内ホテル」内の仏料理店をよく利用した。
建て直す以前の建物は準シティホテルといったたたずまいで
現在の姿とは趣きがまったく異なっていた。

記憶は定かではないものの、
フレンチは確か「バンブー」という名前ではなかったろうか。
気に入りの料理はハマグリのクリーム煮だったが
ここで三度続けて貝の中に小蟹を発見した。
「へぇ~っ、こんなこともあるもんだ!」―
率直な印象を抱きつつ、そのまま食べたっけ・・・。

懐かしのレストランも
今は「ポム・ダダン(のど仏)」とその名を変えている。
ポム・ダダンは英語のアダムズ・アップル、
そう、アダムのリンゴだ。
なるほど仏料理で、のど仏ですかいな。

以来、貝の中の蟹にはたびたび出くわしている。
そしてこの現象は貝が蟹をエサとして捕獲し、
サァ、これからいよいよ食ってやるか・・・そう思った瞬間に
今度は貝自身が人間に捕らわれてしまい、
食事どころではなくなったものと信じていた。

今回なんとなくふと気になって調べてみると
意外なことが判明した。
この小蟹の正体は英名・ピンノで和名はカクレガニ。
貝に捕まったのではなく、
自らの意思でプランクトンの頃より
貝の中に移り住んだ永遠の居候だった。

生まれて初めて宿った貝の中で一生を過ごし、
貝が死ねば自分もあとを追う、
というか、エサを捕る術(すべ)を知らないから
生き延びることができないのだ。
一蓮托生とはまさにこのことで
自然界の不思議ここに極まれり、でありましょう。

2013年12月6日金曜日

第724話 クラブが出て来てこんにちは (その1)

近所のスーパーで良質のアサリを発見。
貝殻の色合いがとても美しい。
おしなべて貝類は好きですネ。
味噌椀ならアサリかシジミがよろしい。
おすましだとハマグリになろうか。
ハマグリはチャウダーもいいし、鮨種にしてもけっこうだ。
いわゆる煮ハマですな。

鮨種ならば王者は赤貝であろうヨ。
甘酢にサッとくぐらせてにぎったヤツをパクリ。
いやはや、こたえられませんや。
黒ミル(本ミル)、タイラギ(平貝)、生トリ、北寄貝もいいですねェ。

エッ、アワビが出てこんじゃないか! ってか?
ふふ、磯のアワビの片想いってか!
アワビはまことにけっこうながら、生よりも蒸しアワビがいい。
生アワビは硬いので薄く切ったのを酒の肴に
チョコッとつまめばそれでじゅうぶんなんざんす。
生のにぎりは酢めしとの相性が悪いこと、悪いこと。

おっと、スーパーで出会ったアサリだった。
パックの表記は千葉産とあったものの、
浦安や船橋じゃ、もうほとんど取れないんじゃないかな?
するってえと、木更津か富津あたりかいな。
とにかく黒白の濃淡がくっきりと分かれた優良品。
千葉のアサリは本当にいいんだ。
これが有明だか天草だか熊本産になると、あまりよろしくない。
全体的に貝殻が黒ずんで泥臭いことが多い。
その代わりといってはなんだが有明産の海苔はすこぶる良質。

でもってそのアサリ、買い求めました。
よく洗って塩水に浸け、暗所に置いてオーバーナイト。
まずは半分を翌朝の味噌汁の種とした。
その味すばらしく、独りでいただくのがもったいないくらいだった。

残り半分は塩水を入れ替え、夜までお預けとしよう。
するとそのとき、老眼鏡越しに何やらうごめく小動物を発見。
水の中を泳ぐさまがミズスマシの如し。
と言ってもミズスマシやゲンゴロウを
認知できる読者はほとんど皆無でござろうヨ。
ましてやタガメなんてのは
 ♪ 誰も知らない 素顔の八代亜紀 ♪
でしょうな。

そう言やあ、鎌倉在住ののみとも・P子は以前、
バンコクでタガメの揚げ物を食べたんだそうだ。
それ以来、トラウマになってしまって
昆虫系はいっさい受けつけなくなったんだそうだ。
イナゴ、蜂の子、ザザ虫、全部ダメなんだと―。

かく言うJ.C.、イナゴと蜂の子は比較的好きだけれど、
ザザ虫だけはたとえ郷土(長野県)の名産といえども
けして得意とはしていない。
そんなことより、アサリと同居していた小動物のことであった。
気を持たせて申し訳ござらんが、以下次話ということでお許しを。

=つづく=

2013年12月5日木曜日

第723話 ようやくコーヒー買いました!

きのう、おとといと綴った「ザ・商社」に関して
ふと思い出したことがある。
ドラマは1980年12月、4夜に渡って放送された。
当時は千葉県・松戸市に棲んでおり、自宅で観たのだが
奇しくも俳優・山崎努はその松戸市の出身なのだ。
So What(だからどうした)?
とハナシの腰を折られればそれまでながら
偶然とはいえ、縁浅からぬものを感じてしまうのですヨ。

ドラマの最終話を見終えたのは先週木曜の昼下がり。
当日の夜の飲み会は23時過ぎに神楽坂でお開きとなり、
帰宅後、缶ビールを飲みつつ、
TSUTAYAから取寄せたDVDを1本観た。

映画は寅さんシリーズの第29作、
「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」。
これを観るのはもう5回目くらいになろうか。
ヒロインのいしだあゆみはわが青春のアイドルである。
もっともその時代にアイドルなんて言葉はなかったけどネ。
「サチオ君」、「緑の乙女」、「パールの指輪」、
デビュー当時の一連の楽曲がなつかしい。

この映画で人間国宝の陶芸家に扮するのが
「ザ・商社」で破綻する商社の社主を演じた13代・片岡仁左衛門。
昼間見た顔が深夜に再び出てきたわけだ。
えてして偶然は重なるものですなァ。

「あじさいの恋」はシリーズ中でも気に入りの作品。
奥丹後は伊根の舟屋が情緒たっぷりに映し出されて旅愁を誘う。
周囲が公認する許婚(いいなずけ)のような男に去られ、
いしだ扮する傷心の女性・かがりは生まれ故郷の伊根に帰る。
そこへ慰めに現れた寅次郎とほのかな恋心が芽生える筋書き。
のちに上京してきたかがりと寅は一日鎌倉に遊ぶことになる。
暮れなずむ江ノ島の海、シリーズ屈指の名作です。

劇中、寅の妹のさくらが夫の博にコーヒーを淹れてやる。
このとき彼女が左胸と左腕で抱えたのがネスカフェとクリープ。
そうだ! 先日、買いそびれたインスタントコーヒーじゃないか!
映画に背中を押され、翌日、近所のスーパーで買い求めたのがコレ。
ネスカフェ230g クリープ280g
コーヒーの容器のほうが大きいのに
クリープのほうが重いのは比重の違いのせいだろう。

インスタントコーヒーもクリープも自分で買うのは生まれて初めて。
ともにデカい瓶を買ったのはさくらが抱えたのがこのサイズだったからだ。
以来、日に一度は飲んでいる。
今もこれを書きながら飲んでいる。
常人から見たら他愛のないことかもしれないけれど、
わが人生は大きな転換期を迎えているのかもしれない。

若い頃には想像もつかなかったのに現在、実践していることが二つ。
一つはコーヒーの愛飲、そしてもう一つは猫との同居。
せっかくだから猫と一緒にコーヒータイムを過ごそうと思いついた。
いくらなんでも猫がコーヒーを飲むことはあるまい。
そこでクリープをぬるま湯に溶いてやったら
ヤッコさん、何食わぬ顔してまたぎやがった。
チッ、可愛くねェなァ、ったく!

2013年12月4日水曜日

第722話 「ザ・商社」に血が騒ぐ (その2)

昨日のつづきを綴る前にたずねびと。
読者からいただくお便りはうれしいものなれど、
ときとして返信がリジェクトされてしまい、
連絡不能な事態を招くことがある。

此度は、I澤R一サンなる野球ファンの方。
日本シリーズやイチロー選手に関して
手きびしいご批判をいただいたのだが
現時点ではどうすることも I can not 。
お目にとまりましたら、今一度メールをください。
携帯電話番号を報せてくだされば、電話でも対応します。

さてNHKドラマ、「ザ・商社」のつづき。
演出は和田勉、脚本は大野靖子だ。
さすがの名コンビ、
ひねった台詞が随所に散見された。

例えば、江坂アメリカ社長・上杉二郎(山崎)と
愛人関係にある米人秘書が
仕事以外は顧みないボスに対し、別れ際にこう言い放つ。

「アナタは孤独という名のコインで
 自由という名のキップを買い、
 野望という名の列車に乗り込むのネ」

涙ながらに永遠の愛を誓うピアニスト・松山真紀(夏目)に
冷淡な上杉は

「現に今もホテルの部屋で女が待っている。
 レイナという名の・・・」

ここで真紀は上杉の頬を張るのだが
ホテルで待っていたのはレイナという名の仔猫。
部屋に戻った上杉はレイナにミルクを与える。
こんなシーンは猫の独壇場で犬ではまったく絵にならない。
そう、猫は孤独の代名詞。

美貌と才能を兼ね備えた絶世の美女を袖にする主人公。
先週、たまたま読んでいた「一瞬の光」(白石一文著)の
橋田浩介と藤原瑠衣がオーバーラップして仕方がなかった。
ブス(言葉悪くてごめんネ)をフるのは誰でもできる。
美女をフッて初めてオトコは一皮むけるのだ。

もともとアメリカよりもヨーロッパ派のJ.C.。
1980年に初めて「ザ・商社」を観たとき、
まさか6年後に自分自身が
ニューヨークで仕事をしようとは夢にも思わなかった。

20年近く前、山崎努と遭遇したことがある。
場所はJFK空港から成田空港に到着したJALのジャンボ機内。
2階席から降りてきたJ.C.と1階に居た山崎サンが
階段下で鉢合わせしたのだった。
上目づかいにこちらを見上げた彼の視線がまぶたに灼きついている。

「アッ、どうぞ」(J.C.)
「アッ、どうも」(山崎氏)

交わした言葉は互いにひと言。
空港内の通路を歩く山崎サンは目の前だ。
足か膝を傷めていたのだろう、
ステッキをつき、片足を引きずられていた。
追い抜くことはたやすかったが、そうしたくはなかった。
「あゝ、この人が俳優・山崎努か・・・」
背中を見つめながら殊更ゆっくりと、
彼のうしろを歩いたのでした。

2013年12月3日火曜日

第721話 「ザ・商社」に血が騒ぐ (その1)

先週の月・火・水・木曜日と4日間に渡り、
1980年に制作されたNHKドラマ、「ザ・商社」が
ファミリー劇場HDチャンネル(ひかりTV)で放映された。
これまで何度か再放送されているが観たのは33年ぶりのこと。
いや、年甲斐もなく血が騒いだ。

かつての日本十大総合商社の一角、
安宅産業の崩壊を描いたドラマの原作は松本清張の「空の城」。
主要キャストは山崎努、夏目雅子、十三代目・片岡仁左衛門、
中村玉緒、水沢アキ、浜田光夫といった面々。

山崎の存在感に圧倒される。
これ以上のハマリ役はないのではないか、おそれいってしまった。
古くは黒澤明の「天国と地獄」、「赤ひげ」、「影武者」。
時代やや下って「お葬式」、「タンポポ」、
「マルサの女」など、一連の伊丹十三作品。
そのいずれよりも、このTVドラマの上杉二郎は衝撃的だ。

亡くなる5年前の夏目雅子もがんばった。
やたらめったらピアノをかき鳴らす曲はショパンの「幻想即興曲」。
脱がなきゃならないシーンでもないのに
カタチのよいバストトップを披露してくれもした。
彼女のニップルにまたもや血が騒いだ。

「なめたらイカンぜよ!」の名セリフで
一躍話題となった映画「鬼龍院花子」でも脱いだが
「ザ・商社」はそれに先立つこと2年。
さらに子どもも観られるTVドラマ、しかもお堅いNHK。
いやはや、斬新でありました。

それにしても山崎努と仲代達矢、
ある意味、よく似た個性派俳優との連続共演は
あいだに大河ドラマの「おんな太閤記」や
TBSの「野々村病院物語」をはさんでいるにせよ、
夏目雅子は女優冥利に尽きたのではなかろうか。

安宅産業はドラマでは江坂産業。
社主に扮する十三代・片岡仁左衛門がまたピッタリ。
ねちっこいアクが持ち味の役どころは
関西の役者はんには太刀打ちできまへんな、ホンマ。

舞台設定は1968年から1977年頃。
ニューヨーク・ロケがふんだんに取入れられているのも魅力で
カナダのニューファンドランドや英国のロンドンも登場する。
たとえいっときでもニューヨークに身を置いたビジネスマンなら
このドラマを観て、なつかしさに身をよじること請け合い。
かく言うJ.C.など、最たる者だ。

メトロポリタン・オペラハウスに山崎と水沢アキが現れる。
演目はヴェルディの「リゴレット」。
おそらく彼の作品中、もっとも有名な曲、
「女心の唄」が画面から流れくる。

=つづく=

2013年12月2日月曜日

第720話 裏切りのたこ焼き

 ♪  とぎれとぎれに靴音が 駅の階段に響いてる
   楽しく過ぎてゆく人ごみ キップを握った君がいた
   わかったよ どこでも行けばいい
   おいらをふりきって 汽車の中
   思わず叩くガラス窓 君は震え顔をそむけた
   しとしとさみだれまたひとつ ネオンが夜にとけてく
   たよりない心傷つけて 裏切りの街角過ぎてきた ♪
                (作詞:甲斐よしひろ)

「裏切りの街角」は甲斐バンド2枚目のシングルで
J.C.が欧州放浪の旅から帰国する2ヶ月ほど前、
1975年6月のリリースである。
ほどなくこの曲が東京の街に流れるようになり、
初めて聴いて即刻好きになった思い出の曲だ。

それはおいといて、
「俺のフレンチ 神楽坂店」を15分で出てきたわれら二人。
狙いを定めていた日本そば屋へ向かった。
所在地が新宿区・市谷田町だから「たまち屋」。
ベタな店名ながら「たまち藪」とか「たまち砂場」とか、
有名店の屋号を安易に拝借しないところは認めてあげたい。

先刻の店のビールはプレミアム・モルツ・・・だったかな?。
とにかく好みの銘柄に非ず、よってパスしてきた。
「たまち屋」にはアサヒのドライがあり、あらためて乾杯。
相方のK村サンもビールをそこそこ飲むほうだ。

この店にはほろ酔いセット(1050円)というのがあり、
内容はビールか日本酒、冷奴、ざるそば。
酒とそばの料金で冷奴がサービスされる値付けになっている。
でもネ、いきなりざるそばはないだろう。
セットに食指は動かず、
にしんの酢漬けと蓮根のはさみ揚げを所望した。
されど取り立てて旨いわけではなかった。

燗酒に切り替え、つまみの追加だ。
そば屋には珍しいたこ焼きを品書きにみとめ、
相方の止めるのも聞かずに注文。
べつに好きでもないのに好奇心につまずいたのだ。
ついでにカキフライもお願いする。

運ばれたたこ焼きは見るからにクタ~ッとしている。
一つ口にして絶望の淵へ・・・期待は完全に裏切られた。
だって冷凍品をチンしただけだもの。
料理人の陳サンはいいけれど、
電子レンジのチンさんはいけませんや。

そば屋でたこ焼きなんぞ、頼むほうも頼むほうだヨ。
オマケにカキフライまで出来合いの冷凍じゃ泣きっ面に蜂。
相方の冷たい視線に耐えながら
ひとしきりうつむいて反省したJ.C.でありました。

締めのせいろには香りもコシもなく、
和風ラーメンはヤケにスープが甘かった。
せっかく旧交を温めようと目論んだのに
2軒続けて外しちまったぜ、こりゃ。
友よ、われを許したまへ!

「たまち屋」
 東京都新宿区市谷田町2-7
 03-3267-9322