2014年4月30日水曜日

第827話 "食べ”の駱駝に行きました (その4)

夕焼けだんだんの上がり口に位置する、
「ザクロ」に集結した面々が乾杯を終えたところ。
男はあぐらをかき、女性は膝を崩して料理を待つ。

そう、そう、目当ての料理でありました。
読者はもうお判りですネ。
だって、サブタイトルにちゃんと書いてありますもん。
食味はともかくもハナシの種に
一度は食べておいて損はないラクダ肉である。

初めに供されたのはスパイシーな香りを放つ具のないスープだ。
カレー風味といえないこともない。
これは可もなく不可もなく―。

お次は人参と大根を煮付けた1皿。
そしてパセリをこんもり盛ったポテトサラダだ。
どちらもあまりパッとしない。
っていうかァ、食材にコストを掛けてないんだよネ、この店は!

ペルシャ(イラン)に行ったことはないが
トルコならほぼ全土を周遊している。
もっとも30年前、1984年の夏だけど、トルコの食事は悪くなかった。
イスタンブールの大衆食堂はじゅうぶんに満足のいくものだった。
この点、「ザクロ」は明らかに負けている。

とにかくトルコという国は野菜類が豊富で
仲のよくない隣国のギリシャにも輸出しているくらいだ。
イスタンブールでは
チョバン・サラット(羊飼いのサラダ)が気に入りだった。
夕方になると、いつもこれで生ビールを2~3杯飲んだ。
サラダの値段は忘れてしまったが
ビールは日本円に換算してちょうど100円。
キリがいいからこの値段は忘れようがない。

100円ビールのサイズは日本の中ジョッキよりやや小さめ。
といっても昨今の東京の居酒屋チェーンは
安さを強調するあまりにずいぶんと小ぶりだったり、
上げ底だったりのジョッキを使用しているから、
むしろイスタンブールのビア・グラスのほうがたくさん入っていたりして。

「ザクロ」で食べた料理の紹介をなおも進めよう。
続いての皿はチキンハートの煮込み、いわゆる鳥ハツである。
残念ながら東京の焼き鳥屋の水準には遠く及ばない。
アヒルのキーマなる料理もやって来た。
何もアヒルの挽き肉を使わんでもなァ。
当然のことながらインドのキーマカレーほどにスパイスが香るわけではない。

ここまでで、コイツは旨い!
そう思うディッシュはただの一皿も出てこなかった。
何だかなァ・・・つぶやきというか、ボヤきというか、
座の会話がため息混じりになってきたヨ。

=つづく=

2014年4月29日火曜日

第826話 ”食べ”の駱駝に行きました (その3)

谷中銀座は「越後屋本店」の店先で
生ビールを1杯飲んだところ。
これから宴会場に向かうのだ。

メンバーの男女比、2対4ではハーレムとはいえない。
いえないが一応ハーレムにちなんで
択んだ店はトルコ料理屋だった。
いや、正確にはトルコ&ペルシャ レストランで
店名を「ザクロ」という。

ここを訪れたのは2001年。
当時は夕焼けだんだんの上にあった。
地下1階で一種独特の雰囲気を醸していたものだ。
それが今はだんだんの下に移転している。
石段の上と下、こういう移り方は非常に珍しい。
しかも以前は地下1階で現在は路面店だから
ダイニング・フロアの標高差はほとんどないに等しい。

13年前はここで、いや、前身店で大宴会を催した。
その数、五十名に達したのではなかったかな?
雪印乳業が自社製牛乳の衛生問題で不祥事を起こすまで
新宿御苑前に雪印チーズ&ワイン アカデミーなるスクールがあった。
われらが同窓生の集まりが「煩悩の会」。
当夜はその月例会だった。

”煩悩”だけに第108回まで頑張ろう!
これを合い言葉に続けてきたが
現在は第90回辺りで長い中断を余儀なくされている。
十数年前を振り返れば、
往時の隆盛ぶりには目を見張るものがあった。
友が友を呼び、参加者の数はふくれ上がっていったのだった。

「ザクロ」で食事するのは13年ぶりだが
その間にも何度か買い物に来ている。
店頭販売されているトルコ産のオリーヴオイルや
スパゲッティが破格の安さだからネ。
谷中散策のおりに立ち寄るには恰好のスポットなのだ。

時刻は午後7時を回り、6人のメンバーが揃った。
飲み食べ放題3000円にカバーチャージが500円で夜はこれ一本やり。
サクッと訪れることはかなわぬシステムになっている。

乾杯はトルコ産ではなく、チュニジア産ビールのセルティア。
この銘柄を初めて飲んだのは1992年2月だった。
アルジェリアからチュニジアに入り、
チュニスとカルタゴを旅したときだった。
アジア・アフリカ・ヨーロッパ、棲みついている人種は違えど、
地中海沿岸諸国のビールは飲み口もスッキリと、好きだ。

さァ、いよいよ料理が運ばれるのだが
先話から話題にしている目当ての一品とは何か?
これは読者の方々にも想像をめぐらしていただきたい。

=つづく=

2014年4月28日月曜日

第825話 ”食べ”の駱駝に行きました (その2)

谷中銀座を東に歩くと
すぐぶつかるのが夕焼けだんだんなる石段。
この段上から眺める夕陽は格別なものがある。
よってこの愛称が生まれたわけだ。

その夕刻、陽の暮れた石段下に
J.C.オカザワの姿を見ることができた。
べつに見たくもないってか?
ハイ、おっしゃる通り、
軽くスルーして先にお進みくだされ。

待ち合わせたのは「キン肉マン」でお馴染みの中野和雄サン。
いつもニコニコ、好々爺然としたお方なれど、
飲むほどに酔うほどに、過激な発言が飛び出すこともままある。
もっともJ.C.の毒舌に比すれば、ずっとマイルドではありますがネ。

宴のスタートまで30分ほどの間があった。
そこでオジさん二人が向かったのは
谷中銀座に2軒ある精肉店のうちの1軒、
「肉のサトー」の隣りの酒屋「越後屋本店」だ。

愛好者のブログの書き込みには”谷中の角打ち”などと
表現されていたりもするが、角打ちの雰囲気には程遠い。
店頭で生ビールを販売しているにすぎない。
もちろん頼めば、酎ハイやハイボールやカップ酒も飲めよう。

ただし、この店のいいところは店先に縁台を配して
ちょいとした休憩所の役割もはたしていることだ。
アサヒとエビス、2種類の生ビールが楽しめ、
つまみには隣りのメンチやコロッケという寸法。
したがって使い勝手は極めてよろしい。

われははもとより、中野サンもアサヒを選択した。
このとき注ぎ手に言い添えるひとこと。
「泡少なめでネ」―こうでもお願いしないと、
店によってはかなり厚めの泡が
ジョッキの上部を占領することとなる。

そうしてプラコップに注がれたビールの泡は1センチほど。
いいですねェ、こりゃ理想的ですわ。
ジョッキならぬグラス、
いいえ、プラスティックのコップを合わせて乾杯!

今宵の宴会はわれら二人のほかに
妙齢の美女・熟女が4名参加する手はずとなっている。
英雄、色を好む、とは言わぬまでも、
中野御大とて美女を侍らせての酒宴が楽しくないハズはない。
2対4だからハーレム状態とはいかないが
春の宵の色香を味わうにはじゅうぶんであろう。
しかも当夜は楽しみがもう一つあったのだ。

=つづく=

「越後屋本店」
 東京都台東区谷中3-13-2
 03-3821-0983

2014年4月25日金曜日

第824話 ”食べ”の駱駝にゆきました (その1)

つい昨日のこと、昼めしを食べに根津の町へ出たら
うわ、何じゃこりゃ!
とてつもない人出で狭い歩道がいっぱい。
仕方ないから車道を歩いて行った。

おまわりサンに注意されようが
走るクルマにクラクションを鳴らされようが
んなこたァ、お構いナシ。
自転車に歩道走行を許す国において
歩行者が車道を歩いて何が悪いっ!

ふた月にいち度、髪を切りにゆく渋谷の街では
いつも車道を歩いている。
同じく歩きにくい自由が丘や下北沢でもそうしている。
シャドー・ボクシングならぬ、シャドー・ウォーキングなんちって。
そういえば一昨夜、長谷川穂積は華々しく散っちゃったなァ。

だいたい、この国はおまわりたちが自転車で歩道を走ってるからネ。
それも二列になってしゃべったりしながら―。
バカさかげんもほどほどにしとけや!

てなこって本日のJ.C.は怒っております。
そう、そう、根津の町であった。
人出の原因はただ今開催中のつつじ祭り@根津神社だ。
もともと谷中・根津・千駄木は谷根千と称して
中年・実年のお散歩のメッカ、平日でも道行く人が引きも切らない。

これといった名所旧跡に恵まれているわけでもないのに
プチ名所が散在しているのだ。
JR日暮里駅と千代田線・千駄木駅の中間に位置する、
夕焼けだんだん・谷中銀座・よみせ通りもそんな場所。

谷中銀座にある2軒の精肉店の前では
いつもオバちゃんたちがメンチカツを頬張っている。
なぜかオジさんよりもオバちゃんが圧倒的に多い。
もっともオジさんたちは会社でお仕事か。

 ♪ 空にゃ今日も アドバルーン
   さぞかし会社で 今頃は
   おいそがしいと 思うたに
   あゝ それなのに それなのに
   ねえ おこるのは おこるのは
   あたりまえでしょう    ♪
      (作詞:星野貞志)

北海道は浜頓別出身で浅草の芸者だった美ち奴が
「あゝそれなのに」を歌ったのは昭和12年。
盧溝橋事件により日中戦争が始まった年だ。
なぜか昭和26年生まれのJ.C.は
この曲を幼稚園時代の持ち歌としていた。

そう、そう、谷中銀座のメンチカツだった。
会社で忙しく働いているお父さんたちをヨソに
徒党を組んでメンチカツにかぶりつくお母さんたち。
これじゃ怒るのは父さんのほうだろうヨ。

=つづく=

2014年4月24日木曜日

第823話 さらば”黒の集団”よ!

その日の正午近く、都営地下鉄・三田線の車内にいた。
芝の御成門に向かう途中、日比谷駅で
この春入社したと思しき新入社員のグループが
男女合わせて10人ほど乗り込んできた。
にわかに活気づく・・・というより、騒がしくなった車内である。
もっとも夜の酔漢オヤジ組より、なんぼかマシだ。

 騒音も  中くらいなり 昼メトロ

彼らの姿をぼんやり眺めていて違和感を覚えた。
ひとことで表せば、”黒の集団”だ。
「黒い画集」・「黒の福音」・「黒皮の手帖」を著した、
清張センセイの推理小説のタイトルにもなりそうだ。

それにしても目の前の新入社員諸君、揃いも揃って黒づくめ。
なんだか、ひと昔前の中華人民共和国における
国家公務員を想起させるものがあった。

今は昔、かれこれ半世紀も以前になるが
日本のサラリーマンのスーツを揶揄して
ドブネズミ色などといわれた時代があった。
ちょうど、一般的な日本人の住宅が
ウサギ小屋とさげすまれた頃だ。

住まいはともかくも、まだあの当時のほうが
服装、殊に色や柄は選択肢がずいぶん広かった。
ひるがえって現在はほとんど黒一色に等しい。
それも男女を問わずに―。

往時の学生ですら、
男子の学生服が黒なら、女子のセーラー服は濃紺と、
最低でも二色刷りだった。
それが今はどうだろう、
こぞってリクルート・スーツに身を包んでは安堵しきっている。
ファッション・センスもへったくれも、あったものではない。

量販店で買い込んだスーツにシャツにタイ。
明らかにこの国のファッションは退化している。
周りとおんなじ恰好をしていないと不安なんだネ。
アパレル産業の罪もあろうが
本当につまらない国に成りはててしまった。

ファッション界をリードする俳優たちをみても
個性的なセンスの持ち主はほとんどいない。
そんな中にあってここ数十年、
おのれのファッションを貫いている大物が二人いる。
かたや田村正和、こなたビートたけしだ。
高倉の健サンがそれに続くかな?

それぞれのスタイルはことなっていても
そのときそのときの流行になんぞ目もくれやしない。
スターには常にそうあってほしい。

若いサラリーマンは黒一色に染まらずに
ぜひ、濃紺や濃い茶のスーツを召してもらいたい。
そして伝統的な柄も復刻させてほしい。
ヘリンボーン(杉綾)やハウンド・ツース(千鳥格子)は
実にオシャレな柄なんだがねェ。

2014年4月23日水曜日

第822話 書棚にみとめた一冊の本 (その2)

「昭和の流行歌 物語」(塩澤実信)の引用を続けましょう。

 北京大学の社会思想教授から、米国大使となった胡適は
 日中戦争が始まる前に
 「日本切腹 中国介錯論」を唱えていたというのである。  

 彼は1930年代の世界情勢を分析して
 中国はアメリカとソ連の力を借りなければ、
 アジアの強国日本には勝てないと見ていた。
 しかし、アメリカは海軍を増強中、
 ソビエトは第二次五ヵ年計画に奔走中で
 中国への援助は望むべくもなかった。 

 日本軍閥は、中国のこの弱点を知っていて
 米ソの軍備がととのわないうちに
 中国へ戦争をしかけるだろうと見ていた。 
 事実、事変を糊塗して戦争を始めるや、
 日本軍は破竹の勢いで中国大陸に戦野を拡大していった。

 胡適はこの現実を前にして
 「アメリカとソビエトを介入させるためには、
  まず中国が日本の戦争を正面から引き受け、
  二、三年は負けつづけることだ」
 と考えたのである。
 彼は次の通りに述べている。
 
 「中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。(中略)
  我々はどのような困難な状況下におかれても
  一切顧みないで苦戦を堅持していれば、
  二、三年以内に次の結果が期待できるであろう」

 その期待とは、この数年後に
 日本の米英蘭国への参戦によって、現実となった。 
 胡適は次の通りに述べている。 

 「満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、
  ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。
  世界中の人々が中国に同情する。
  英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、
  極東における居留民と利益を守ろうと、
  英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる。
  太平洋の海戦がそれによって迫ってくる」 

 胡適は、見事なまでに
 世界情勢の推移を読みきっていたと見て間違いない。  
 その結論は水ぎわだっていた。 

 「以上のような状況に到ってから
  はじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。
  したがって我々は、三、四年の間は
  他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。
  日本の武士は切腹を自殺の方法とするが
  その実行には介錯人が必要である。
  今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。
  上記の戦略は『日本切腹中国介錯』という、
  この八文字にまとめられる」 

 背筋が寒くなるような胡適の予言を知らばこそ、
 日本は国を挙げて”暴支膺懲”にのり出したのだった。

日本の軍人の愚かしさをあざわらうかのような胡適の慧眼。
一歩踏み出したその瞬間に
悲痛な結末は約束されたも同然だったのだ。
嘆くべし。

2014年4月22日火曜日

第821話 書棚にみとめた一冊の本 (その1)

自宅そばのコンパクトな図書館、
いいえ、自らは図書室を名乗っている小さなスペースだが
その書棚に一冊の本をみとめて手にとった。
塩澤実信著、「昭和の流行歌 物語」(展望社)なる書籍だった。

さっそく借りてきて、その日のうちに読了する。
いやあ、まったく、面白いの、なんのって!
第一章「昭和は佐藤千夜子で始まった」(大正末年~昭和11年)から
第五章「歌い継がれていく昭和の名曲」(昭和46年~昭和の終焉まで)まで
数ある流行歌にまつわるエピソードのオンパレードだ。

そこを突き詰めて語りたいところなれど、
今話は珠玉の流行歌を取り上げるのではない。
そんなことをし始めたら、それこそとめどなく綴りに綴って
(その30)くらいまでゆき着いてしまう。

読む方は当然、厭きるし、疲れるし、
誰もシアワセにはならないからやめておく。
その代わりといっては何だけれど、
目からウロコの一文を紹介したい。

第二章「戦時下にも歌は流れた」(昭和11年~20年)の中の
”日中戦争の戦火広がる”にあった、極めて印象的な文章を
かなり長いが作者や出版社の了解も取らずに引用させていただく。

 昭和十二年七月七日夜(七夕ですネ)
 ラジオは歌謡アワー「鶯の饗宴」を突如中断して
 臨時ニュースを流しはじめた。
 北支那の北京郊外、盧溝橋付近で日本軍と中国軍が
 戦火を交えていることを伝えた重大なニュースであった。

 軍事衝突の引き金となったのは
 夜間、演習中の日本軍が小銃弾の音をきいて人員点呼を行ったところ、
 兵一名が行方不明になっていたことだった。

 後刻あきらかになるが、その兵は
 「生理的欲求のために隊列を離れていたにすぎなかったのだ」
 (森島守人『陰謀、暗殺、軍刀」』)。
 しかし日本軍は一斉攻撃を開始し、ここに日本は
 ”聖戦”の美名のもと、中国への全面侵略に突入したのである。
 
 日本は当時”暴支膺懲”(驕れる支那をうちこらしめる)を合言葉に
 一戦を交える謀略策を練っていた。
 東大教授・加藤陽子は、最新の発掘資料から
 駐米国大使だった中国の胡適の卓抜した外交戦略と
 先見性を明らかにしている。

 この胡適なる人物は此度、初めて知ったのだが
 いやはや、大変な才人ですな、この人物は!
 もし、かような君子が当時の日本に一人でもいたならば・・・。
 今さらボヤいてみたとて、愚痴以外の何モノでもござりますまい。

=つづく=

2014年4月21日月曜日

第820話 桜も散ればアカシヤも散る (その4)

先週、数年ぶりに映画「赤いハンカチ」を観た。
月契約のTSUTAYAから取り寄せたDVDだ。
この作品には気に入りのシーンがあって
何度も巻き戻して楽しむ。

ハマの裏町を裕次郎がギター爪弾きながら流してゆく。
歌う主題歌は1~3番まで大判振る舞い。
彼の背中越しに、”浜通り飲食街”の看板が見えるが
J.C.の知る限り、ハマにそんな飲食街はない。
横浜駅前の狸小路と似てないこともないけれど、
これは架空の夜の町、ロケではなくセット撮影である。
セットだが、かなりイカしている。

何度も観直しているうちに
映画も曲も「赤いハンカチ」がマイベストになってしまった。
観れば観るほど、聴けば聴くほど、素敵なのだ。

もともとJ.C.は映画に芸術性をまったく求めないタイプ。
代わりに娯楽性はとことん追及する。
だから黒澤明作品においても
一に「椿三十郎」、二に「用心棒」、
三、四がなくて五に「七人の侍」で収まってしまう。

さて、映画「赤いハンカチ」には北海道、
それも山奥の砕石現場のシーンがあるものの、
主題歌の1番と3番に登場する、アカシヤは出てこない。
ちなみにこの花は通常、アカシアと表記されることが多い。

アカシヤは北の大地、北海道をイメージさせる典型的な樹木。
実はコレ、正しくはアカシヤではなく、ニセアカシヤなのだ。
またの名をハナエンジュという。
本物のアカシヤは寒さに弱く、
日本国内だと関東地方が生育域の北限らしい。

小林旭の「ギターを抱いた渡り鳥」よろしく、
元刑事のヒーローがどこにでもギター片手に現れるのが
ちょいと鼻につくものの、
歌うシーンがふんだんに盛り込まれているため、
演出上、致し方なかったのだろう。

愛し合いながら結ばれなかった裕次郎とルリ子。
どうやらハッピーエンドを迎えたかに見えたのだったが
なぜか裕次郎はギターとともに去ってゆく。
いつか恋人の元に帰って来そうな期待感を観る者に抱かせながら・・・。
このラストシーンがキャロル・リードの「第三の男」をモロに想起させる。
バックに流れる音楽がチターからギターに代わっただけだ。

「役者は男子一生の仕事に非ず!」―こう断言して
石原プロモーションを立ち上げ、映画製作に乗り出した裕次郎。
でもネ、自作の大作、「黒部の太陽」や「富士山頂」は
力作だろうが、けっして名作にはなりえていない。

彼の生命線はデビューから10年足らずの間のみ。
その後は映画より歌のほうでよい作品に恵まれた。
エッ? TVはどうなんだ! ってか?
アレはほかの役者サンたちのものであって
本人は単なるマスコットに過ぎない。

 ♪ 死ぬ気になれば 二人とも
   霞の彼方に 行かれたものを ♪

=おしまい=

2014年4月18日金曜日

第819話 桜も散ればアカシヤも散る (その3)

なおも裕次郎の稿である。

 しかも中退・卒業の違いこそあれ、ともに慶應大学を学窓としている。
 それなのにちっともイメージが重なってこないのだ。
 二人の間に交流があったというハナシは聞かないが
 互いが互いをどのように意識していたのか、猛烈に好奇心を刺激される。
 
 ここでふと気がついた。確かに二人とも海がシックリくる俳優ではあった。
 ところが石原裕次郎にはそれに加えて、港もまた似合うのだった。
 残念なことに、加山雄三には港も港町も似合わない。
 これが二人の歴然とした違いだ。
 夜霧の波止場に立つトレンチコートの裕次郎の背中には男の哀愁が漂っていた。

 逗子から南にクルマで五分。
 葉山マリーナの先の森戸海岸にある中華料理店「海狼(かいろう)」。
 もともとは葉山御用邸開設と同時に創業した料亭「かぎ家」だったが
 昭和53年に業態を転換した。

 この店に裕次郎がたびたび現れている。
 相模湾に臨むダイニングフロアからの眺望がすばらしい。
 正面に富士山がくっきりとその姿を見せている。
 青い海原にヨットの白い帆がフレッシュだ。
 右手に江ノ島が浮かび、
 唄に歌われた通り「真白き富士の嶺、緑の江ノ島」の世界が開けている。

 七五三シーズンのせいか、
 店内は親子孫三代に渡る家族連れでにぎわっていた。
 ビールはエビスの中瓶のみ。
 ビールの合いの手にまずは雲白肉から。
 冷製薄切り豚肉のにんにくソースだが
 他店ではバラ肉が多用されるのに、この店ではロースを使う。
 茶褐色のソースからほんのりと八角が香った。

 続いての上海蟹と白菜の煮込みが本日の最優秀作品賞。
 蟹肉はちらほら散見されるだけで、見た目が寂しいものの、
 細切り白菜のひとすじひとすじに
 上湯(シャンタン)の旨みがしっかりと染み込み、
 これほど完成された白菜料理は記憶にない。
 ぜひ一食あられたしと思う。

 麻婆豆腐の辛口ヴァージョンは麻辣豆腐。
 俗にいう陳麻婆豆腐なのだが
 いたずらに花椒の刺激に頼りすぎることなく、
 香ばしい挽き肉と木綿豆腐のアンサンブルがみごと!
 
 締めくくりの蝦仁湯麺も水準が高い。
 小海老から紹興酒の風味が立ちのぼった。
 この店の特徴は丁寧な下ごしらえに尽きる。
 この一手間が功を奏して、料理に奥行きを与えている。
 葉山の海でこんな名店との出会いが待っているとは夢にも思わぬことだった。

 野菜嫌いの裕次郎もビールのつまみにはキンピラが気に入りだったと聞く。
 「海狼」が開店したのは彼が生死の境をさまよった大手術の三年前のこと。
 すでに体調は万全ではなかったかもしれない。
 野菜をふんだんに使う中華料理だが
 これほどの美味を大好きな海を前に味わうのだから、
 喜んで口にしたのではなかろうか。
 大のビール党の裕次郎は海を見ながら、
 何本のビールをカラにしたことだろう。
 
 「海狼」・・中華
  神奈川県三浦郡葉山町堀内999
  046-875-0015

ということだが、来週もまた裕次郎を引っ張るつもりです。

=つづく=

2014年4月17日木曜日

第818話 桜も散ればアカシヤも散る (その2)

「文豪の味を食べる」における、裕次郎の稿のつづき。

 以来、平和島にほど近い商店街・美原通りにあった映画館で
 裕次郎映画を何本観たことだろう。
 当時の青少年のハートをつかんで離さなかったのは
 スクリーンの石原裕次郎とスタジアムの長嶋茂雄だったのだ。
 やがて二人は生まれついた兄弟の如くに親交を深めてゆく。

 数ある裕次郎映画の中から選んだ、わが心のベストスリーはかくの如し。

 ①「俺は待ってるぜ」(監督:蔵原惟繕)
  理屈抜きに好き。全編に渡って映画俳優・石原裕次郎と
  港町・横浜のエッセンスに満ちている。
  相手役が浅丘ルリ子では画面になじまず、
  北原三枝の冷たくも涼やかな面立ちが必要不可欠。

 ②「赤いハンカチ」(監督:舛田利雄)
  ギターを抱えた裕次郎が夜の街を弾き語る。
  自身のヒット曲をフィーチャーした映画の中では
  もっともスムースに名曲がスクリーンに溶け込んでいる。
  相手役が北原三枝では芝居にならず、
  浅丘ルリ子のうるんだ瞳が必要不可欠。

 ③「嵐を呼ぶ男」(監督:井上梅次)
  単純な筋書きのようでありながら、
  際立ったストーリー性が冴えわたる。
  父子から、母子に置き換えられているが
  ジェームス・ディーンの「エデンの東」の焼き直しでは?
  という疑念が湧くほど。
  ドラムスの競演シーンで歌う裕次郎の突き抜け感が新鮮。
  このときすでに大スターの出現を予感させた。

ついでに、レコーディングされた歌のお気に入り三曲。

 ①「北国の空は燃えている」(作詞:岩谷時子 作曲:平尾昌晃)
 ②「赤いハンカチ」(作詞:萩原四朗 作曲:上原賢六.)
 ③「よこはま物語」(作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介)

 哀切を帯びた旋律が裕次郎の声色と溶け合う曲ばかりになった。
 よく知られているように、神戸で生まれ、
 小樽、逗子と海の見える土地で育った裕次郎はヨットを愛した。

 余談だが、同じ湘南の海でヨットを愛好した俳優に加山雄三がいる。
 同様の趣味を持ちながら、これほど雰囲気の異なる二人は珍しい。
 裕次郎の主演映画には「銀座の恋の物語」があり、
 加山には「銀座の恋人たち」と「銀座の若大将」があって、
 陸(おか)に上がっても、活躍の場が重なることさえあった。

 どちらもアクションをこなす俳優でありつつ、
 裕次郎には石坂洋次郎原作の「あいつと私」や「陽のあたる坂道」があり、
 加山には成瀬巳喜男監督の「乱れる」と「乱れ雲」があるから
 文芸作品においてもそれぞれに持ち味を発揮した。

=つづく=

2014年4月16日水曜日

第817話 桜も散ればアカシヤも散る (その1)

今年の花見はたったの2回だけだった。
およそ30年ぶりの上野のお山と初めての飛鳥山だった。
上野は最悪。
あんな場所で花を愛でてはいけない。
そんなことは判っちゃいたけれど、
諸般の事情により、カタチだけの花見を決行したわけだ。

もう一つはJR王子駅前の飛鳥山。
花の様子は散りぢりに逆三分といった様相。
ようするに七分は落花しちまったということ。
とにかく都内の桜はすでに散り終えた。

 ♪   アカシヤの 花も散って
   あの娘はどこか 俤(おもかげ)匂う
   赤いハンカチよ
   背広の胸に この俺の
   こころに遺(のこ)るよ 切ない影が ♪
           (作詞:萩原四朗)

桜も散れば、アカシヤだって散る。
曲は石原裕次郎の「赤いハンカチ」。
1962年10月のリリースである。
およそ1年後に映画化され、
東京オリンピックの年の正月に公開された。
あれから早や50年、嗚呼!

実はこの曲もこの映画も大好きなのだ。
6年前に上梓された自著、「文豪の味を食べる」では
小説家に限らず、噺家・作曲家・歌手・映画監督・俳優にも
枠を拡げて彼らの食跡をたどった。

裕次郎がたびたび訪れたのは地元・逗子の中国料理店「海狼」。
彼の稿を紹介してみたい。

=海を見ていた裕次郎=

 小学校に上がる前の年のことだった。
 当時住んでいた中板橋の路上に張り出された、
 「嵐を呼ぶ男」のポスターで初めて石原裕次郎の顔を見た。
 裕次郎も映画のタイトルも子ども心にカッコいいなぁと思った。
 
 記憶が確かならば、初めて観た裕次郎映画は「錆びたナイフ」。
 「嵐を呼ぶ男」のポスターからおよそ一年後、
 小学校に入学した年に移り住んだ大森の映画館で母親と二人で観た。
 長嶋茂雄が巨人軍に入団した頃のことだ。
 陰鬱な白黒画面のせいか、子どもには恐い映画で
 裕次郎の弟分の小林旭が狙撃されるシーンでは
 胸がドキドキしたことを思い出す。

と、ここまできて以下は次話です。

=つづく=

2014年4月15日火曜日

第816話 灯ともし頃のうな串 (その5)

一昔前の食日記を紹介したおかげで
1軒のうなぎ屋をずいぶんと引っ張ってしまった。
「いいかげんにしなさいっ!」―そう思われた読者もおられるだろう。
よって、今話でお開きといたします。

5本セットの最初の一串は肝だった。
肝は当然、肝臓だからレバーのことだが
この手の店では通常、腸管などが代用されて
レバーは取り置きされ、純なレバー串として供される。
J.C.的にはどちらもそれ相応に好き。
ただ”肝”より”レバー”のほうが
稀少にして高価だから、有り難みが増すのは確かだ。

2本目はは串巻き。
他店では身をくねらせるように串を打ち、
くりからと呼ばれたりもする。
これはまずまずの味わいだった。

続いてのバラは脂が乗りのり。
こってりしたうなぎを好む向きにはたまらないだろう。
ビールで口中を洗い、ネクストに備える。
小瓶にしたからこの時点で瓶は空(から)になってしまった。
お替わりしたいが当夜は人と会い、一献傾けなければならない。
控えておく。

4本目はエリ。
「エリって何だ?」―当然の疑問でありましょう。
”襟”のことで、主にあっちゃこっちゃのヒレの寄せ集め。
これだけは塩焼きで来た。
ときどきコリッと固い部分が歯に当たる。
妙味はあるものの、川魚特有の泥臭さも感じる。
匂いに敏感な人には気になろう。

最後の1本は八幡巻き。
いわゆるうなぎのゴボ巻きである。
一口パクリとやった第一感は
おお、ゴボウがうなぎの臭みをずいぶん和らげているというもの。
そして両者の相性がなかなかによろしい。

味わっていてひらめいた。
そうか! ゴボウは川魚の匂い消しの役目を果たしているのだ。
どぜうの柳川鍋にしたって
けっこうな量のささがきゴボウがあしらわれているもの。
これが海水魚ならば、生姜がその役目を担うわけだ。
鯵のたたきや鯖の味噌煮は生姜なくして成り立たぬ。
川魚とゴボウの相関関係に気づいただけでも
「川二郎」の訪問は無駄ではなかった。

ビールの小瓶にキャベツの浅漬け、
うな串5本のお勘定は締めて1800円也。
今どき、真っ当なうな重は
それだけでも3千円近くするんじゃなかろうか。
うなぎの稀少な部位を堪能してこの値段は
食べなきゃ損ソンのお食べ得といえましょう。

=おしまい=

「川二郎」
 東京都中野区中野5-55-10
 03-3389-4192

2014年4月14日月曜日

第815話 灯ともし頃のうな串 (その4)

焼きとんの「カッパ」で軽く飲ったあと、
まだ時間があったので立ち寄った「川二郎」。
灯ともし頃の中野の街に
止まり木をもとめる夕雀がは羽ばたき始めた。
雀といっても♂ばかり、♀の姿はきわめて少ない。
♂にしたって若者より、中年や初老の域に達した人々が目立つ。

「川二郎」のビールもキリンラガーだった。
中野はキリン王国なのかいな、よって小瓶にとどめておく。
見上げた壁に
串巻きや肝焼きが350円と記された品札が貼られている。

おや?  どうやら単品でも食べられるようになったみたいだ。
そこでさっそくレバーと短冊をお願いすると、
目の前のオヤジさん(代を継いだ店主らしい)がとまどい気味に応えた。
「あのゥ、最初の注文はセットになってるんですが・・・」―
おい、おい、それじゃ品札の意味がないだろうに。
いや、待てヨ、貼ってあるのは追加オーダー用ということか。

「セットは何本ですか?」―確かめると
「5本なんですが・・・」―くだんのオヤジが即答する。
ふ~ん、11年前から1本減っている。
当然、こっちのほうがちょい飲み客にはありがたい。
できるものならば、3本にしてほしいな。
まっ、いいか・・・、そのセットをお願いした。
いや、そうするよりほかに手立てがないのだ。

1本減は客への歩み寄りとして評価すべきかもしれない。
だがネ、ここで再びふと思った。
待てヨ、ハハァ~ン、これは歩み寄りではないな。
おそらく昨今のうなぎ価格暴騰により、
数を減らして値段据え置きのやむなきに至ったのだろう。

突き出しは相も変わらず、しその実入りのキャベツ浅漬け。
十数年来、同じものを作っているんだ。
まっ、あえて代えることもなかろう。
脂っこいうなぎにはちょうどよい合いの手だからネ。

とはいうものの、ここは一工夫ほしい。
しその実に代えて実山椒の塩漬けを散らしたら
店の品格が格段に上がること請け合いながら
そこまでのセンスを持ち合わせた店ではない。

キャベツをつまみにビールを飲みながら
おまかせ5本センットの焼き上がりを待つ。
待ちながら思った。
何の因果で豚と鰻をハシゴしているんだろう?
どっちか一つに絞れば、それで済むものを―。

=つづく=

2014年4月11日金曜日

第814話 灯ともし頃のうな串 (その3)

11年前の食日記をつづける。

16日(金)
 L・・・「浅草カリー亭」=カレー=@浅草
  特製カレー+ハンバーグ&半熟玉子
  チキンカレー らっきょう
 D・・・「藪伊豆」=そば居酒屋=@川崎
  生ビール中ジョッキ 麒麟山冷酒2合
  枝豆 冷奴 梅きゅうり 玉子焼き 鳥唐揚げ

17日(土)
 L・・・「ドーメル」=ベーカリー=@浅草橋 
  サンドイッチ(ハム・ポテサラ・ハムカツ)
 D・・・「和義」=居酒屋=@中野
  ビール小瓶 千春燗1合
  前菜盛合わせ 皮はぎ肝和え
  合鴨・海老・帆立・春野菜のサラダ
    房総産えんざら(クロシビカマス)塩焼き
 S・・・「川二郎」=うなぎ=@中野
  ビール大瓶
  キャベツ浅漬けw/しその実
  うな串6本盛合わせ
  (八幡巻き・ハス巻き・肝・ニラ巻き・串巻き・えり)
  うな丼

とまあ、こんな具合に食べ継いだ。
店によってはおびただしい数の料理が並んでいるが
それ相応の人数で分け合っているから
けして暴食にいそしんだわけではない。

でもって、最後に登場する「川二郎」だ。
当夜の感想を写しとってみる。

 その筋ではかなり名の通ったうなぎ串焼き専門店ながら
 別段どうということはない。
 追加注文以外は盛合わせのみと言われた。
 要するに最初はセット(コースと呼ぶべきか)で始めよ!
 ということなのだ。

 それならそうと初手から客に説明すべきだろう。
 ”壁に書いてあります”―こんな言い草は言語道断。
 とにかくハナから女将が嫌味な感じ。
 こういうタイプが飲食店の接客に従事すると悲劇が生まれる。
 逆に店主は人がよさそう。
 世の中、こんなケースが多い。
 
 串焼きよりもうな丼がよかった。
 じゃ、何で串焼きなんか出してんだ? ってことにもなりかねない。
 うな丼用のうなぎは製造工程に”蒸し”を入れるので
 多少時間が掛かるがオススメ。
 900円だから飲んだあと、ラーメン屋に寄るならば
 ここのうな丼を食べたほうがよい。

明日は今回の訪問をレポートします。

=つづく=

2014年4月10日木曜日

第813話 灯ともし頃のうな串 (その2)

中野のうなぎ串焼き専門店「川二郎」のカウンターに着いた。
この店を訪れるのは本当に久しぶりだ。
帰宅後、フード・ダイアリーをチェックしたらば、
最後に訪問したのは2003年5月17日、実に11年ぶりとなる。

この頃は今以上に東京のあっちこっちで外食三昧。
浅草のレストランガイドを書き上げるため、
中でもエンコの街に出没することたびたびであった。 

ちょいとばかりハナシが脇道にそれるが当時の食日記を紹介してみたい。
1週間は長すぎるから、5月13日~17日までの5日間にする。
Lはランチ、Dはディナー、Sはサパー(夜食)。

13日(火)
 L・・・「まさる」=天丼=@浅草
  大入江戸前天丼(大車海老・小めごち・中キス・大穴子)
  きゅうり・人参・大根新香 豆腐・三つ葉味噌椀
 D・・・「恵み屋」=そば=@京橋
  生ビール中ジョッキ
  塩らっきょう 玉ねぎスライス そば湯やっこ
 S・・・「セント・サワイ・オリオンズ」=バー=@銀座
  ビール小瓶 バラライカ サイドカー アブサン(チェコ産)水割り
  チャーリー・チャップリン
  竹の子土佐煮 ラタトゥイユ バターロール
 
14日(水)
 L・・・「本家ぽん多」=とんかつ=@上野
  ロースカツレツw/キャベツ・ポテトフライ
  タンシチューw/人参・新じゃが・しいたけ
  きゅうり・白菜新香 たくあん なめこ赤だし 白飯   
 D・・・「トラットリア・ラ・テスタドゥーラ」=イタリアン=@淡路町
  生ビール中ジョッキ ガヴィ’01年 
  ゲンメ・リゼルヴァ デッシラーニ’97年 アニア’94年
  生ハム・サラミ・パンチェッタ盛合わせ
  海の幸のマリネ 真だこ・セロリ・根セロリのサラダ
  真ゴチのオーヴン焼き 地鶏のロースト 米国産仔羊の網焼き 
  生桜海老のスパゲッティ ポルチーニのタリオリーニ
  牛肉ラグーのパッパルデッレ
  バローロのソルベット

15日(木)
 L・・・「なかむら」=和食=@浅草
  ミックスフライ定食(あじ・いか・帆立・串カツ)
  w/キャベツ・ポテサラ・ケチャスパ
  かじきまぐろ照焼き定食
  きゅうり・かぶ新香 小松菜味噌汁 白飯
 D・・・「ワキヤ一笑美茶楼」=中華=@赤坂
  ビール小瓶 甕出し紹興酒(15年)
  前菜盛合わせ アサリと冬瓜のスープ
  才巻海老の烏龍茶蒸し 
  活オマール海老の鞍馬山椒と朝天唐辛子炒め
  マコモ茸の米沢牛ロース巻きw/行者にんにく&黒胡椒のソース
  担々麺 塩湯麺
  杏仁豆腐 マンゴープリン ヨーグルトシャーベット

と、ここまで記してあとは次話。

=つづく=

2014年4月9日水曜日

第812話 灯ともし頃のうな串 (その1)

 ♪ 待ちあわせて 歩く銀座
   灯ともし頃 恋の銀座
   僕と君が 映るウインド
   肩を寄せて 指をからませ
   二人の銀座

   触れあう頬 夜の二人
   甘い香り 熱い二人
   みゆき通り すずらん通り
   なにも言わず ときめく胸の
   二人の銀座

   銀座 二人だけの
   星もネオンも 僕と私のもの
   夜も更けて 消えたネオン
   星空だけ 恋人だけ
   ペーブメントに よりそう影が
   かさなる時 初めてのキス
   二人の銀座        ♪
    
        (作詞:永六輔)

和泉雅子と山口賢のデュエットソング「二人の銀座」。
いつもより長めに紹介してしまった。
1966年のヒット曲の作詞はおなじみの六輔サン。
作曲はザ・ベンチャーズの4人組である。

銀座を舞台にしたデュエットソングには
松尾和子とマヒナスターズの「銀座ブルース」があるが
もっぱらJ.C.がカラオケで歌うのはムード歌謡のこちらのほう。
「二人の銀座」は易しそうでいながら
男性部分の高音がなかなかに難しいのだ。

前フリが長くなった。
「二人の銀座」を引っ張り出したのは
”灯ともし頃”、このワンフレーズのため。
「カッパ 中野店」を出たあと、
遅くやって来る相方との待合わせまで、まだ時間がある。
街は黄昏から灯ともし頃に推移していた。

もう1軒、サクッと行っとくか・・・。
北口の飲み屋街を徘徊する。
こういうときに軽く1~2杯ひっかけることのできる店舗が
世界に名立たるグルメシティ・東京には少なすぎる。
実に情けない。
ニューヨークのバー、ロンドンのパブ、パリのカフェ、
ローマのバール、マドリッドのバル、
こうして比較してみると、東京の劣勢があからさまになって哀しい。

しばしさまよったあと、意を決して入店したのは「川二郎」。
ここはうなぎ屋だがフツーのうなぎ屋ではない。
珍しいうな串専門の店なのだ。

=つづく=

2014年4月8日火曜日

第811話 黄昏の焼きとん (その3)

「カッパ 中野店」のカウンターに独り。
ホーデン(睾丸)の串焼きを味わっている。
この物体はなかなかオツな食感を持っている。
例えていうならば、鶏レバと豚レバの中間感じ。
リンゲル同様、稀少部位につき、
入荷していたらめっけものと心得、必注の一品としたい。

塩で2本食べたのでタレに移行する。
ちょうどこのとき、テーブル席から
「レバー2本、ちょい焼き!」の声が掛かった。
すかさず、ちょい焼きに便乗し、ついでにマメも1本。

レバは本当にちょい焼きだった。
それこそサッとあぶっただけ。
もうちょっと火を通してくれたほうがありがたかったかな。

マメは好物である。
腎臓という臓器のカタチは天豆(そらまめ)にそっくり。
よって通称マメと呼ばれるのだ。
逆にアメリカではある種の豆をキドニー(腎臓)ビーンズと称する。
日本語と反対なんだネ。

マメの食感は独特でサクサクした感じ。
フランス語でロニョンといい、
レストランでは仔牛や仔羊のロニョンを供するが
これは当たりハズレの差が極めて大きく、リスクを伴う。
いわゆるオシッコ臭いのにぶつかることがあるのだ。
いつも思うのだが腎臓がオシッコ臭いのか、
オシッコが腎臓臭いのか、自分の中で結論はまだ出ていない。

ヒモ(大腸)は他店のシロと同じ。
薄めのそれはカリッと焼かれてクリスピー、好きだ。
続いてのチレ(脾臓)もめったにお目に掛かれない部位。
噛んだ歯を一瞬、押し返したあとで受け入れる。
トロ(直腸)は歯応えがあるため、
ヒモ同様に下ゆでされており、とろりとした食感。
以上3本はタレで味わった。
この店のタレはかなり甘めながら
ドロリとしたタイプではなくサラリとしている。

一番搾りのスタウト小瓶を追加してそろそろ締めに入る。
ねっとり感のあるカシラとコリコリの軟骨を塩で。
最後にレバを通常の焼き方でお願いした。
こちらはタレ。
う~ん、ちょい焼きよりもこっちのほうがいいな。

この店は正真正銘の焼きとん専門店。
何せ、ほかのメニューはお新香のみである。
隣りの客が注文したのを盗み見ると白菜だけだった。
これが200円。
焼きとんはすべて100円だから、客も店も計算がラクだ。

と思いきや、飲みものがあった。
紹介しておくと、

 ビール大瓶 570円  黒ビール小瓶 380円
 金印黄桜 290円  上撰白鶴 350円

といったところ。
会計は締めて1950円、安いなァ、うれしいなァ。
笑みをこぼしながら暮れなずむ街にうって出た。

=おしまい=

「カッパ 中野店」
 東京都中野区中野5-56
 03-0123-4567

2014年4月7日月曜日

第810話 黄昏の焼きとん (その2)

中野の焼きとん店「カッパ」。
取りあえずビールの大瓶をお願いして卓上の品書きを手にとる。
ちなみにビールの銘柄はキリン一番搾り。
ほかにはキリンラガーがあった。

焼きとん(この店ではもつ焼きと称するが)のラインナップはかくの如し。

 レバ ハツ タン カシラ 軟骨 ヒモ(大腸) トロ(直腸) ガツ 
 チレ 子袋 リンゲル(膣) ホーデン(玉) オッパイ マメ(腎臓)
 ネギ ピーマン 椎茸

これがオール100円均一。
ヒモは他店でいうところのシロでトロはテッポウにあたる。

最初の注文は塩でオッパイとリンゲル。
注文を受けたのはうら若き乙女だったが
彼女曰く、リンゲルは入荷ナシとのこと。
それではと代わりにホーデンをお願い。

「はい、ホーデンですネ?」―即座に彼女、応えたものだ。
これはちょいとばかりショック。
若い娘が平気で”ホーデン”なんて口にするんだもんな。
先方だって客商売だから、ヘンに勘ぐるこっちがいけないのだが
何のてらいもなく、言われちゃうとなァ・・・。
でもって、このときよみがえった記憶はかれこれ36年も以前のこと。

その頃、勤めていた会社を辞め、古巣のホテルに舞い戻っていた。
配膳会に籍を置き、宴会の接客係に従事していた。
先輩であり、職場のボス的存在だったN西サンが
女性陣の取りまとめ役、T渕サンにこう訊ねた。
ちなみにT渕サンは一時代、某病院の婦長を務めたオバさんである。

「おい、T渕! ホーデンっていったい何だ?」―
あけすけでおおらかな元婦長、しばし逡巡してこう応えたものだ。
「ホーデン? あんたにも付いてる玉のことだヨ」―
これにはボスも開いた口がふさがらない。
一拍おいて
「ん? んん? おっ、そうか、ハハハ、そうなんだ」―
周りにいた連中がこぞって吹き出し、しばらくは笑いが渦巻いた。

そんなことを思い出し、ほのかに心が温まる。
フフッ、ホーデンもリンゲルもドイツ語なんだよねェ。
老いたりとはいえ、さすがに元婦長であった。

それはそれとして、
焼き上がったオッパイとホーデンが目の前の小皿に置かれる。
オッパイは言わずと知れた牝豚の乳房。
有楽町ガード下の居酒屋「八起」で何度も食べているから
この食感にはなじみが深い。
独特のシコシコ感が快適な歯ざわりを生み出すのだ。

いや、実に旨いなァ・・・。
それでは、くだんのホーデン、そのお味やいかに?

=つづく=

2014年4月4日金曜日

第809話 黄昏の焼きとん (その1)

 ♪ 雨に濡れてた たそがれの街 
   あなたと逢った 初めての夜 
   ふたりの肩に 銀色の雨 
   あなたの唇 濡れていたっけ
   傘もささずに 僕達は 
   歩きつづけた 雨の中 
   あのネオンが ぼやけてた  ♪
        (作詞:永六輔)

永六輔と中村八大の黄金コンビ。
彼らがこの世に生み出した名曲は数限りないが
「黄昏のビギン」は間違いなく五指に入るでしょうネ。

オリジナルを歌ったのは水原弘。
「黒い花びら」で第一回レコード大賞を受賞した、
歌唱力に定評のある実力派シンガーだ。

かたや女性歌手では
これも負けず劣らずの名手・ちあきなおみがカバーしている。
何を歌わせても抜群に上手い彼女ながら
このナンバーは水原に分があるような気がする。
こういうものは好みの問題がからむので
断定はできないものの、J.C.は弘クンに1票を投ずる。

その日の黄昏どきはJR中央線・中野駅前にいた。
ワリと遅めにこの街にやって来る相方を待つ間、
どこぞ気の利いた店で時間をやり過ごさねばならない。
待ち合わせは気に入りの天ぷら店「住友」。
たかだか1時間とちょっと、先乗りしてカウンターに陣取り、
一杯飲りながら待てばそれでいい。

中野ブロードウェイの2階に上がってみると、
その日はあいにくと「住友」の定休日。
急遽、相方にメールを送り、こちとらは代わりの店探し。
まあ、中野は知らない街じゃなし、代替案はすぐに整った。
あとは1時間半の時間つぶしである。

そこで西荻在住ののみとも・R香にメールを送信。
この娘(すでに人妻だけど)の通り名は中央線の焼きとん魔女。
蛇の道は蛇、こと焼きとんだの、もつ煮だのにかけては
J.C.が一目も二目を置く女傑なのだ。

ところが待てど暮らせど返信が来ない。
(結局、着信したのは23時であった)
よって、独り北口を物色して飛び込んだのは
もつ焼き「カッパ 中野店」。

荻窪に本家があり、8年ほど前に訪れたことがある。
記憶はうっすらとしか残っていないが
お世辞にもキレイな店とは言いがたかった。
それに比べ、中野店は新しいせいか、清潔感にあふれている。
まだ浅い時間なのでカウンターの埋まり具合は1/3程度。
余裕を持って着席し、豚もつのリストを手にとった。

=つづく=

2014年4月3日木曜日

第808話 初めて食べたアルバニア

読者の方々はヨーロッパの小国・アルバニアをご存じだろうか?
J.C.の記憶が確かなら、この国は長いこと鎖国政策を続け、
毛沢東思想を取り入れた共産主義に染まっていたハズ。
とにかく欧州の最貧国だから
一昔前はそれこそクルマなんかほとんど走っておらず、
乗り物といえば自転車がせいぜいだった。

ロケーションはセルビアとギリシャの間。
バルカン半島の南西に位置し、
アドリア海の向こう岸はイタリアだ。
よって多くの難民が流出して海を渡り、
南イタリアの港町、バーリやブリンディシに漂着している。

J.C.が初めて欧州周遊の旅に出た1971年。
貧乏旅行につき、短い滞在の街はユースホステル、
ローマやパリなど少し長い逗留となると、安いホテルをよく利用した。
そのとき出会った英・米・豪の若者たちがバイブルのごとく、
肌身離さず携帯していたのは往時のベストセラー、
「10 dollars a day in Europe」(ヨーロッパ1日10ドル)だった。

ホステルの食堂での団欒中、
本を拝借して流し読みしていたら
突如としてアルバニアの項目が現れた。
いや、びっくりしたねェ、その紹介文を読んで―。
他の国々には何ページも費やされているのに
アルバニアは1ページどころか、たったの1行。

 Forget it !

要するにハナから旅行はあきらめろ! と諭しているのだ。

以来、この国のことはほとんど忘却の彼方であった。
それが或る日突然、
具体的なカタチを伴って眼前に飛び込んできたのである。

鎌倉在住ののみとも・P子と久々に飲んだ際、
「珍しいモノが手に入ったから持って来たヨ」―
そう言って手渡してくれたのが
何とアルバニア産のアンチョヴィであった。

酔っ払って帰ってさっそく瓶を開け、ビールの友としたが
コイツがすばらしいのなんのっ!
産地として名の通ったイタリアやスペインやポルトガルの上をいった。

その夜は半ベロだったために写真を撮るのを忘れ、
後日、思い出してカメラに収めたのがコレだ。
瓶のデザインもけして田舎臭くない
アルバニア産のフードを食べたのは初めて。
アンチョヴィ1瓶で大それたことは言えぬが
この国は隠れた美食の都かもしれない。
その思い断ち切れぬ今日この頃である。

2014年4月2日水曜日

第807話 政宗は乱世の美食家

今話も前話に続き、NHK-BSである。
数日前に観たのは「BS-歴史館」。
主役は奥州の名将・独眼流こと、伊達政宗。
大震災から8ヶ月後の2011年11月に放映された番組の再放送だった。

秀吉と家康、天下を睥睨した両巨頭と
存分に渡り合ったみちのくの度胸千両は
歴史愛好家の間でいまだに根強い人気を誇っている。

あまり知られてないが政宗は乱世きってのグルメであった。
包丁を手にするかと思えば、
訪れたVIPには自ら配膳に及んだという。
戦国の世にあって茶の湯に秀でた武将は数知れずとも
料理までこなす殿様は他に類を見ない。
おのれの根城、仙台城(青葉城)のシェフにしてギャルソンだったのだ。

政宗は毎朝、目覚めると、
当日の献立を自筆でしたためたという。
その内容たるや、ミシュランの三つ星レストラン顔負け。
ある日の朝食の一部を紹介してみよう。

 このわた  赤貝串焼き  鮭なれずし  
 雲雀(ひばり)照り焼き 雉子(きじ)味噌汁

このわたは酒の肴につき、朝から酒をたしなんでいたことが判る。
赤貝はこの時代、すでに地元の名産品だった。
ひばりの照り焼きというのもスゴい。
天高く舞ってさえずる小鳥はいったいどんな味がしたのだろう。
故美空ひばりに食べさせであげたかった。

番組の出演者のひとり、石坂浩二は雑学の帝王。
彼によれば、当時の出汁は鳥系が主役であったらしい。
献立に雉子の味噌汁が見えるが
冬場はシベリアから飛来した白鳥さえ食したという。

挙句はオットセイのたたきまで登場する。
400年前の三陸にはオットセイがやって来ていたんだねェ。
この珍品を将軍家に贈ったりもしている。
徳川秀忠や家光がオットセイを食っていたとは―。

東北大震災のまさしく400年前の1611年。
やはり三陸沖を震源地とする大地震が発生して
仙台では5千人を超える死者が出た。
こういうのって単なる偶然だろうか?

アメリカの同時多発テロは2001年9月11日。
東北大震災は2011年3月11日。
月日(がっぴ)だけ見れば、10年の時を経て半年後の同日だ。
関東大震災は9月1日だし、
1、3、9、11日は日米の厄日になろう。
ちなみに伊達政宗が没したのは寛永13年であった。

2014年4月1日火曜日

第806話 ザ・タイガースのドーム公演

NHK-BSでザ・タイガース(以下タイガース)のステージ録画を
観る機会に恵まれた。
昨年末の東京ドーム公演である。

それにしてもジュリーの変貌ぶりはあんまりだった。
トッポ(加橋かつみ)なんか、
さほど変わっていないから余計に太目の変身が際立つ。
前参議院選挙において山本太郎候補(現議員)の応援演説に
駆けつけた映像を観ているからショックはなかったものの、
あらためて隔世の感を深めた次第だ。

白ヒゲはともかくも、やはり太りすぎだヨ。
好きなTV番組にNHK日曜夜の「ダーウィンが来た!」がある。
ときどき画面に「ちょっと、待ったァ!」の決まり文句で現れる、
疑問提唱者・ヒゲじいさながらのジュリーであった。
あるいはケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダース翁を
彷彿とさせるものもあったなァ。

いったい愛妻の田中裕子は夫に何を食わせてきたんだろう。
今は知らないが若い頃のジュリーが好きな食べものは餃子。
日本を代表する名女優の日々は当然多忙であるハズ、
毎晩ずっと餃子を包んできたわけではあるまい。

彼らの全盛期、1967~68年は
ブルー・コメッツやテンプターズも大活躍しており、
いわゆるグループサウンズ華やかなりし時代。
特段、タイガースが好きだったのでもない。
各グループに好みのナンバーがあったものの、
まだビートルズの残滓を追いかけていたような気がする。

それでは例によってタイガースのマイ・ベスト5。

① 僕のマリー
② 十年ロマンス
③ シーサイド・バウンド
④ 花の首飾り
⑤ 青い鳥
 次点:モナリザの微笑

いや、選ぶのに一苦労。
オリジナル曲が少ないこともあって
どうにかこうにか6曲並べることができた。

公演を観てサリー(現岸部一徳)のベースギターと
トッポのテノールが印象に残る。
「十年ロマンス」におけるトッポの歌声は昔とちっとも変わっちゃいない。
往年の名コーラスグループ、ダークダックスに例えると、
ジュリーがセカンド・テナーのマンガちゃんなら
トッポはファースト・テナーのバクさんだネ。

何はともあれ、いまだに武道館やドームを満員にできる、
タイガース人気の根強さは敬服に値する。
阪神タイガースは読売ジャイアンツと並び、永久に不滅だろう。
ザ・タイガースも命ある限り、いや、歌って弾けてるうちは
半永久に不滅なのでしょう。