2014年5月30日金曜日

第849話 あゝ上野癖(へき) (その2)

映画”男はつらいよシリーズ”の「寅次郎 春の夢」に登場した、
上野は不忍池に浮かぶ弁財天。
その前に架かる天龍橋の脇には
かつて真っ白な羽毛を持つアヒルが数羽暮らしていた。

それが今はこの鳥たちに取って代わられている。
羽を休める3羽のカルガモ
エッ? 小さくて判らない?
なら、これでどうでしょう?
皇居前は三井物産本社ビルの池で
一躍全国区となったカルガモは
マガモやオナガガモのように渡りをしない留鳥。
都内を流れる神田川で見られるのもほとんど彼らだ。

さて、その上野。
ここでわが半生を振り返る。
半生といってもすでに2/3を超えてしまったけどネ。

自分は東京のどの街で遊んできたのだろう?
考え方によっては、どの街が自分を育ててくれたのだろう?
ということでもある。

小学生の頃はもっぱら家と学校の往復だった。
往時は大田区・大森海岸に居たので
出掛けるといっても平和島か、せいぜい大森・山王界隈。
遠出したくとも先立つものがなくてはどうしようもない。

高学年になって江東区・深川に転居。
深川不動堂の縁日が楽しみだった。
都電に乗って浅草へ行くようにもなった。

中学時代は板橋区・弥生町。
ホームグラウンドが池袋に移る。
成増に引っ越した高校時代は
根城・池袋は変わらぬものの、銀座にひんぱんに出没した。

そして大学入学以降は銀座がわが青春の街となる。
日比谷の映画街でロードショウを観て、
「銀座ライオン七丁目店」かイタリアンの「サン・レモ」で食事して
それから日比谷公園というのが典型的なデート・コース。
銀座にはラブホがないから健全な逢引きでありました。

社会人になってもとにかく銀座。
職場だってあまり銀座から離れたところは選ばなかった。
遊びに行きにくいからネ。
そんなことだから、ロクな職につけなかったわけだ。

心の街・浅草をヒイキにするようになったのは1978年から。
ちょうど隅田川の花火が復活した年で
初めて「弁天山美家古寿司」を訪れたのもこの年だった。

=つづく=

2014年5月29日木曜日

第848話 あゝ上野癖(へき) (その1)

  ♪ どこかに故郷の かおりをのせて
   入る列車の なつかしさ
   上野は俺らの 心の駅だ
   くじけちゃならない 人生が
   あの日ここから 始まった  ♪
      (作詞:関口義明)

井沢八郎の「あゝ上野駅」がリリースされたのは1964年。
東京オリンピック・イヤーだった。
東北から集団就職してくる若者の応援歌として親しまれ、
今も歌い継がれる佳曲である。

そもそも集団就職は世田谷区・桜新町の商店街が
新潟県に中卒労働者の斡旋を依頼したのが始まり。
以来、都内全体に拡がった。
時代を経て桜新町商店街は
サザエさん通りとして、つとに有名なストリートとなった。

さて、上野である。
J.C.の”この街デビュー”は昭和32年だ。
一家揃って上京した年である。
父親の友人の事務所が文京区・根津にあり、
訪問後、不忍池のほとりを二人してそぞろ歩いた。
そのときのことはしっかり幼い子どもの脳裏に刻まれている。

ボート池の脇を通り、弁財天の前に出て
多少なりともお堂に賽したのではなかったかな?
弁財天は現在も変わらぬ姿を見せている。
隣りのコンパクトな大黒天もまたしかり。

先日、寅さんの”男はつらいよ”を観ていたら
画面に弁天堂が登場して、思わず身を乗り出した。
全48作のちょうど中間点、
第24作「男はつらいよ 寅次郎春の夢」だった。
ハーブ・エデルマンなる米国人俳優が重要な脇を演ずる作品だ。

寅さんが弁財天前に架かる天龍橋のたもとで店を拡げている。
幸いにDVDだったから、巻き戻してそのシーンをパチリ。
懐かしのワンショット
今は焼き鳥だの、おでんだの、
はたまたケバーブなどの屋台にとって代わられ、
テキ屋の名口上を聴くこと適わない。

天龍橋は鵜の池と蓮池をつなぐ水路に架る橋。
上の写真で判るだろうか?
寅さんの背後(画面右下)に見えるのは白いアヒルたちだ。
ところが今は・・・鳥は鳥でもまったく異なる鳥が
ピースフルに羽を休めておりました。

=つづく=

2014年5月28日水曜日

第847話 上野着午前1時 (その2)

上野アメ横そばの「一力」に独り。
時刻は1時半にならんとしている。
それにしても「一力」とは大きく出たもんだ。
京都は祇園、かの大石内蔵助が遊んだ料亭の名を
そのまま借り受けている。

酔いつぶれ客のいるカウンターで注文したのは蛍いか刺し。
沖漬けもあったが、刺し身があるならこちらでしょうヨ。
目黒区・不動前の桜の名所、かむろ坂下の赤提灯、
「太田屋」のオヤジさんに聞いたところによると、
蛍刺しはハシリの時期に限られるそうだ。
まだ深海に生息しているうちは寄生虫がつかないが
旬を迎えるにつれ、浅い水域に移動してくるとヤバいらしい。

さすればなおさらのこと、いただかなけりゃネ。
ところが、とかくこの世はままならぬ。
この蛍が大ハズレ、ほとんどOBの三度笠ときたもんだ。
さすがにイタんじゃいないが
ちょいとイヤな匂いが立ってギリギリの線。
6~7尾もあったのに2尾で箸を置いてしまった。
やれやれ。

黒ラベルの大瓶に切り替え、もつ焼きを所望する。
レバとシロをタレでやったが、これもあまりよくない。
向かいの「大統領」のソレに及ばない。
もともとノガミの焼きとんのレベルはそれほど高いものではない。
ちょいとばかり、不完全燃焼を引きずった。

夜も更けたこと、というより下手を打つと夜が明けてしまう。
そろそろ帰るとするかの。
瓶の底に残ったビールをグラスに注いだときだった。
常連と思しき客が現れて隣りに座った。    
何とサンダル履きじゃないか・・・。

一見、アラフォーの御仁がフロアの小妓に告げた。
「取りあえず生ビール持って来て、泡ナシ!」
「エッ、泡ナ~シ?」
「そう、そう、泡要らないのっ!」

小妓は首をひねりながらも
ビール・ディスペンサーの前に進み、生を搾り始めた。
あらら、ホントに泡ナシでキッチリ注いだぜ。
ふ~ん、世の中に泡嫌いはほかにもいるんだ。

蛍いかはダメ、焼きとんも不満足。
食いモンには期待できないから
ここで生ビールを追加する。
もちろん、お隣りさんに倣って”泡ナ~シ!”でネ。
時計の針は午前2時をとっくに回っていた。

2014年5月27日火曜日

第846話 上野着午前1時 (その1)

土曜の夜であった。
といってもすでに日曜だが、深夜の上野駅に着いた。
乗って来たのは常磐線。
その夜は所用に追われてまだ酒を飲んでいない。
まっすぐ帰宅する気にもなれず、ノガミの街をさまよう。

ノガミって何だ?  ってか?
まっ、そのスジの隠語ですがネ、
上野をひっくり返して野上、それをノガミと読むわけ。

新宿のジュクと池袋のブクロは誰でも察しがつくけれど、
ノガミは少々ひねりが利いている。
もっとひねったのが浅草のエンコ。
高倉健の”昭和残侠伝シリーズ”にはたびたび登場する言葉だが
何で浅草がエンコなの?  その疑問、ごもっとも。

実は浅草公園から来てるんですネ。
公園をひっくり返して園公。
えんこうがエンコとなったのでした。
さすれば、上野だって上野公園なんですけれど、
こちらはエンコとは呼びません。

さて、真夜中の上野駅界隈だ。
夜の浅いエンコに比して、ノガミの夜は深い。
24時間営業の飲み屋も少なくない。
とりあえず、アメ横近辺を流してみた。

大箱にして客の出入りの激しい「もつ焼き 大統領」はすでに閉店。
その向かいの「一力」が暖簾を掲げていた。
時間も時間だし、あちこち物色している余裕はない。
数ヶ月前に訪れたときの印象も悪いものではなかった。
よってすんなり入店。

テーブル席はいっぱい。
日本人のアンちゃんと外国人の中年女性。
あるいは外国人のグループがにぎやかに会話を交わしていた。
当方はカウンターに席を見つけておとなしくおさまった。

あらら、数席となりに卓上で寝込んじまった輩が1名。
これはちょっとやそっとでは目覚めそうにない。
深々と寝ている。
店のスタッフ、といっても中国人のオネエちゃんばかりだが
べつに気にとめるふうでもなく、そのままうっちゃっている。

サッポロの中ジョッキがあっというまにノドの奥に消えていった。
旨い! 文句ナシに旨い!
本日のおすすめに蛍いか刺しがある。
ゆがいたそれは珍しくもないが生の刺身は希少価値が高い。
さっそくお願いしたのではあった。

=つづく=

2014年5月26日月曜日

第845話 若大将の影の魅力 (その3)

町のコンビニで一風変わった缶ビールを発見。
色はモダンなスカイブルーだが
図柄はライオンをデフォルメして
見るからにヨーロピアン・クラシカル。
さっそく、レギュラーサイズ(350ml)を買ってみた。

昼間の出先だったため、コンビニの店先で立ち飲む。
おっと、銘柄の紹介、紹介。
その名はホワイトベルグ、販売元はサッポロビールである。
ホワイトを謳うだけあって、日本には未普及のヴァイスビール。
いわゆる小麦原料の白ビールだ。

白濁しているうえに独特の酸味があり、
人気商品にはなりにくいかもしれないが
たまには目先が変わってよい。
ドイツかベルギーに行った気分になれる。

それはそれとして前話のつづきにハナシを戻そう。
加山雄三のナンバーでは
珍しく歌謡曲チックな「別れたあの人」の作詞は
「君といつまでも」をはじめ、長いこと作曲家・弾厚作と
鉄壁のコンビを組んできた岩谷時子。

彼女はこの詞を書いたとき、
「乱れる」の高峰秀子をイメージしたのだろうか?
それとも「乱れ雲」の司葉子だったろうか?
ここはやはり司であろう。
映画じゃないけど、
間違っても演歌「みだれ髪」の美空ひばりではあるまい。
都会的にモダンなのは司葉子だけだからネ。

ただ、この歌詞にただ一箇所、気になる部分がある。

 ♪ 手紙を焼いた たそがれの
   真っ赤な夕陽が 目にいたい ♪

これなんだが、ここで裕次郎の「夕陽の丘」を引っ張り出そう。

 ♪ 人の子ゆえに 恋ゆえに
   落ちる夕陽が 瞳(め)にいたい ♪
          (作詞:荻原四朗)

どうも裕次郎と浅丘ルリ子の「夕陽の丘」をパクッたような気がする。
まっ、ホンの一小節だから、ヨシとするかの。

最後に恒例のマイ・ベストスリー。
もちろん加山雄三のだ。

① 別れたあの人
② 銀色の舗道
③ 君が好きだから
 次点: 旅人よ

「夜空を仰いで」、「まだ見ぬ恋人」、「二人だけの海」なんかも
好きな曲たちではありますがネ。

=おしまい=

2014年5月23日金曜日

第844話 若大将の影の魅力 (その2)

成瀬巳喜男の遺作となった、
「乱れ雲」が封切られたのは1967年11月。
その2ヶ月前にリリースされた加山雄三の曲がある。
タイトルは「別れたあの人」。
まずはお聴きくださ、もとい、お読みくだされ。

 ♪ 手紙を焼いた たそがれの
   真っ赤な夕陽が 目にいたい
   ふたりの恋の 残り火が
   どうして僕に 消せるだろう
   やさしく白い 衿あしに
   かさねた くちづけ
   あなたにだけは あなたにだけは
   幸せ くるように       

   別れが来ると 知りながら
   渡ってしまった 恋の橋
   あなたの淡い 移り香を
   明日はどこで 思い出そう
   涙にぬれた おくれ毛に
   ふるえる 夜風よ
   さみしい声で さみしい声で
   誰かが 歌ってる

   あなたのほかに 恋人は
   この世のはてまで あるものか
   小さな肩の ほくろさえ
   唇ふれた 僕のもの
   せつない恋に 酔いしれた
   かえらぬ 月日よ
   星さえ消えて 星さえ消えて
   空には 雨がふる       ♪

       (作詞:岩谷時子)

めったなことでは3番まで一気に紹介しないのだが
この曲は大の気に入り、勘弁しておくんなさい。
昨秋亡くなった岩谷時子の作詞。
作曲は弾厚作こと、加山雄三である。

楽曲「別れたあの人」と、映画「乱れ雲」が
同時期に重なるのは単なる偶然ではない。
上記の歌詞をいま一度、たどってみてほしい。
相手の女性は間違いなく年上だ。
それもおそらく人妻、あるいは未亡人だろう。

才人・岩谷がこの詞を創作するにあたって
モチーフとなったのは「乱れ雲」だったハズ。
いや、さかのぼること4年、
「乱れる」であったかもしれないのだ。

=つづく=

2014年5月22日木曜日

第843話 若大将の影の魅力 (その1)

ちょいとばかり作話の引きずり。

監督・成瀬巳喜男は「乱れる」を撮ったおよそ4年後。
遺作となる「乱れ雲」を世に送った。
脚本は松山善三から山田信夫に変わっている。
音楽も世界に名立たる武満徹を迎えている。

ただし、キャスティングは
ヒロインこそ高峰秀子から司葉子にバトンが渡されているが
相手役は同じ加山雄三。
ほかに両作品に出演している俳優は
浜美枝・草笛光子・浦辺粂子・十朱久雄・藤木悠・佐田豊と、
かなりのダブりを見せている。

どちらも加山が年上の女に恋をするメロドラマ。
ストーリーも酷似している。
なぜ、成瀬はリメイクともいえる2本目を撮ったのだろうか。

まず第一に、本人がこの自作に自信を持っていたし、
気に入りの一本でもあったのだろう。
第二に画面を白黒からカラーに変更し、
ヒロインを地方都市の女から都会の女に据え直したかったのではないか。

司の夫は加山の車にはねられ、事故死する通産省官僚。
演ずるのは土屋嘉男である。
司と土屋の夫婦となると、黒澤明の「用心棒」が思い起こされる。
あのときの司の美貌の極みは海外でも語り草となった。

おそらく成瀬は可愛いタイプの高峰から
美しいタイプの司にスイッチして気に入りの作品をもう一度、
世に問いかけたかったのだろう。
黒澤が「用心棒」のあとに「椿三十郎」を手がけたように―。
ただし、こちらは男の映画だがネ。

さて、今話の主役は加山雄三。
加山といえば、誰しもが若大将をイメージしよう。
ところがJ.C.は多数派に与しない。
”若大将シリーズ”より、成瀬の2本や
黒澤の2本(用心棒と赤ひげ)が好きだ。
このように加山雄三という俳優は光と影の二面性を持つ。

ちょうどデビュー間もない裕次郎がそうだった。
「嵐を呼ぶ男」、「風速四十米」のアクション映画の影に
「乳母車」、「陽のあたる坂道」、「若い人」などの文芸作品があった。
そして加山にも裕次郎にも大きな音楽の世界があった。

加山の音楽の絶頂期は1965年からの3~4年間。
今も結婚式の披露宴で歌い継がれる「お嫁においで」が
リリースされた’66年6月には
来日中のビートルズを訪ね、
ヒルトンホテル(現 ザ・キャピトルホテル東急)で
会食をともにする機会にも恵まれている。
誰が仕掛けたのか、そんな幸運もあったんだねェ。

=つづく=

2014年5月21日水曜日

第842話 成瀬と秀子の秀作 (その2)

そうして或る平日の朝、TVの前に陣取った。
なぜかこの週の日本映画専門チャンネルは
来る日も来る日も毎朝7時から
東宝映画「乱れる」なのである。

どうしてこんな馬鹿げた番組編成にしたのだろう。
日によって昼過ぎや深夜にずらせば
視聴者の数が増えるに決まっている。
早朝の時間帯が不都合な人は金輪際、観ることができない。
一考あられたしと思う。

「乱れる」が封切られたのは1964年1月。
9ヵ月後には東京オリンピックが開催され、
そのまた1年後には加山雄三の歌声が列島にこだました。
ご存知、「君といつまでも」、
レコード大賞間違いナシといわれたヒット曲である。

ともあれ、久方ぶりに気に入りの作品を楽しませてもらった。
懐旧の情も満たされた。
映画の脚本は秀子の夫の松山善三、音楽は斎藤一郎。
脇役陣はまず三益愛子。
「有楽町で逢いましょう」に出ていた川口浩の実母である。
ほかに浜美枝、草笛光子、白川由美、十朱久雄、藤木悠の面々。

舞台はまだ地方色豊かだった頃の静岡県・清水。
現在は南マグロの一大集積地になった清水を数か月前に訪れた。
そこには映画で観た光景とまったく違う景色があった。
50年経ったのだ、当たり前と言えば当たり前か・・・。

ヒロイン・秀子は嫁ぎ先の酒店を切盛りする未亡人。
夫は戦地から帰って来ない。
遺骨は無くとも未亡人である。
義弟の加山は店そっちのけで徹夜マージャンに明け暮れるが
義姉に寄せる恋慕を胸のうちに秘めている。

或る日、たまりかねた加山に
想いのたけをぶつけられ、秀子は心乱れる。
画面の彼女も乱れるが観ているこちらの気持ちも穏やかではない。
このあたりの秀子の演技、成瀬の演出は白眉。
殊に細やかな心の揺らぎを何気なく見せる演技がすばらしい。

渡世のしがらみから身を退くことを決断、
故郷の山形県・新庄に帰る秀子。
その列車に突然、加山が現れ、
最初で最後の二人のワンウェイ・ジャーニーが始まる。
目的地の新庄には直行せず、
大石田で途中下車を促したのは秀子だった。

JR大石田駅はNHKドラマ「おしん」で脚光を浴びた銀山温泉の玄関口。
映画はここでクライマックスを迎える。
銀山川の川沿いを走る秀子の眼差しと息づかい。
何度観ても、わが心は乱れに乱れるのだ。

2014年5月20日火曜日

第841話 成瀬と秀子の秀作 (その1)

観る機会に恵まれない古い映画や
DVD化されていない作品を放映してくれるひかりTV。
放送時間の偏向性には閉口するものの、
恩恵を受けている視聴者も少なくないだろう。

前話で紹介した「有楽町で逢いましょう」の数日後。
成瀬巳喜男がメガフォンをとり、
高峰秀子を主演にすえた「乱れる」を観た。
実はこの映画、成瀬のマイベストであり、
同時に秀子のベストワンでもあるのだ。
それではのっけから二人のベストスリーと参りましょうか。

★成瀬巳喜男
 ① 乱れる
 ② 流れる
 ③ 乱れ雲
 次点: 浮雲

★高峰秀子
 ① 乱れる
 ② 二十四の瞳
 ③ 女が階段を上るとき
 次点: 華岡青洲の妻

てなわけで、「乱れる」は大好きな映画。
ここで少々、上記作品群の解説をさせていただこう。

②「流れる」の舞台は江戸以来の花街・柳橋。
山田五十鈴を筆頭に、田中絹代、杉村春子、
岡田茉莉子、栗島すみ子、女優陣が咲き乱れる群像劇だ。
もちろん高峰秀子もその一翼を担っている。

③「乱れ雲」はタイトルからして「乱れる」にそっくり。
ストーリーも瓜二つで、ヒロインこそ司葉子に代わっているが
相手役はともに若かりし加山雄三。
「乱れる」がオリジナルで「乱れ雲」は焼き直しの感あるものの、
加山にはピッタリのハマリ役だ。
”若大将シリーズ”とは異なる彼の魅力を
成瀬監督がじっくりとあぶり出している。

次点の「浮雲」は評論家の評価が高い一本。
監督・成瀬、女優・高峰の作品群にあって
最高傑作の呼び声すら上がる。
だのに、なぜか肌が合わない。
相手役の森雅之が苦手だからだろうか?
とにかく心の底で拒否反応を示す何かが点滅する。

「乱れる」に続く、秀子の②「二十四の瞳」については
あえて述べることもなかろう。
今も昔も大石先生を演ずるにあたり、
高峰秀子以上の適役はおりません。

③は仲代達矢&団令子、④は市川雷蔵&若尾文子。
男・女優ともに名立たる役者を従え、
大御所の風格すら漂わせている。

=つづく=

2014年5月19日月曜日

第840話 懐かしの有楽町「そごう」 (その2)

朝の6時から観た「有楽町で逢いましょう」。
さっそくスタッフとキャストを紹介しておきたい。

監督は島耕二、脚本は笠原良三。
撮影が秋野友宏、音楽は大森盛太郎。
島はこれといった名作を残していないが
「銀座カンカン娘」、「上海帰りのリル」などを手がけた。
大森盛太郎とくれば、
裕次郎ファンには「嵐を呼ぶ男」の作曲者としてつとに有名。

ヒロインを演ずるのは京マチ子。
「そごう」店内にブティックを構える服飾デザイナーがその役柄。
相手役は菅原謙二。
建築家でありながら、アメフトの解説者もこなす。
しかしJ.C.、二人のキャスティングには強烈な違和感を覚えた。
ちっとも都会的な感じがしないし、
有楽町のイメージにまったくマッチしない。
舞台は東京と大阪を行ったり来たりと、めまぐるしい。
これは大阪に本店を構える「そごう」に気を使っていたのだろう。

貴重な脇役として二人の婆さんが登場する。
かたや東京の北林谷栄、こなた大阪の浪花千栄子。
浪花が現われるだけで俄然、画面の大阪色が濃厚になる。
若い頃から老け役専門の北林のほうが年上に見えるが
実は浪花のほうが4歳も年長だ。

映画自体は京と菅原の他愛ないメロドラマ。
京の弟役が川口浩、川口松太郎の長男だ。
菅原の妹役は野添ひとみ、競馬に造詣が深い彼女は
一時期、TVの競馬中継のコメンテーターを勤めていた。

若い二人の恋愛が同時進行してゆく。
川口と野添は実生活においても数々の共演を経て結ばれた。
結ばれはしたが
ティーンエイジャーの愛娘をガンで亡くす不幸に見舞われる。
そして川口は51歳、野添は58歳、それぞれガンのために死去した。

主役・脇役の4人のうちでは野添が一番都会的だ。
これは彼女の父親が
丸の内勤めのサラリーマンだったことと無関係ではなかろう。

それはそれとして、本作の本当の主役は「そごう」デパート。
封切り当時はコマーシャル・ピクチャーの面目躍如で
デパートに多大な恩恵をもたらした。
映画は駄作中の駄作であるにせよ、商業的な価値ははかり知れない。

今、観返すと、懐かしき「そごう」店内を
しっかり映像に残してくれた功績が大きい。
殊に2階のティールームは古き良かりしティールーム。
劇映画としてはチョンボを犯しても
記録映画としてはとてつもなく貴重だ。

そしてラストシーン。
大阪からの列車が有楽町を通過するときに流れた、
「有楽町で逢いましょう」の第4番。
不意を突かれて歌詞を書きとめられなかったが
この映画だけに使われたマボロシの歌詞なのである。

2014年5月16日金曜日

第839話 懐かしの有楽町「そごう」 (その1)

四月の中旬のこと。
パラパラめくっていた、ひかりTVガイドに
以前からずっと、観たいと思っていた映画を見つけた。
タイトルは「有楽町で逢いましょう」。

チャンネルNECO+HDで、朝の6時から放映されるじゃないの。
欣喜雀躍し、手を打って歓んだ次第である。
先話をお読みいただいた方なら判っていただけようが
流行歌の「有楽町で~」については語り終えた。
此度は翌昭和33年に封切られた映画「有楽町で逢いましょう」だ。

当日は午前9時からヒトと会う約束があった。
それを1時間先送りにして、TVの前に座った早い朝だった。

  ♪ 北風吹きぬく 寒い朝も
   心ひとつで 暖かくなる
   清らかに咲いた 可憐な花を
   みどりの髪にかざして今日も ああ
   北風の中にきこうよ春を
   北風の中にきこうよ春を  ♪
      (作詞:佐伯孝夫)

こちらは早い朝ならぬ、「寒い朝」。
吉永小百合とマヒナ・スターズが歌った。
この曲がヒットしたのは昭和37年。
J.C.は小学5年生で江東区・古石場にいた。

昭和37年は歌謡曲の当たり年。
ヒットした曲名をザッと挙げると、

「江梨子」(橋幸夫)、「星屑の町」(三橋美智也)、
「若いふたり」(北原謙二)、「可愛いベイビー」(中尾ミエ)、
「恋は神代の昔から」(畠山みどり)、
「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)、
「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「なみだ船」(北島三郎)、
「一週間に十日来い」(五月みどり)
「下町の太陽」(倍賞千恵子)

といったところ。
ユニークな曲目が目白押しである。

おっと、昭和33年の映画「有楽町で逢いましょう」であった。
眠い目をこすりながら画面に集中すると、
さっそく登場したのがフランク永井。
そしていきなりあの低音で同名曲をを歌い始めた。

歌い終わったらそのままフェイド・アウトして
あとはいっさい出てこない。
なんだか唐突なスタートで
観る者は意表を衝かれた格好である。

=つづく=

2014年5月15日木曜日

第838話 心に沁みる有楽町 (その2)

昭和32年、またの名を1957年。
長嶋茂雄が不滅の巨人軍に入団する前夜であった。
立教大学四年生の四番サードは
その強打で神宮の森を沸かせていた。

ちょうどその頃、父親は就職活動に追われていたのだろう。
丸の内から新橋、新橋から虎ノ門辺りに何度か連れられて行った。
連れられて行ってはビルの外で独り待たされる。
新橋界隈ならいざしらず、平日の丸ノ内のオフィスアワーに
幼児がポツンとたたずんでいる光景は日常的ではない。

よくOLさんに声を掛けられた。
「坊や、独りなの?」 
「お母さんはどこ?」
彼女たちの華やかな美貌がまぶしかったなァ。
このとき、幼な心にも思いましたネ、
将来、こういうオネエさんをお嫁さんにしようと―。

有楽町の街を初めて歩いたのもこの年。
デパート「そごう」とJ.C.の有楽町デビューは奇しくも同年である。
それからトンと、ご無沙汰してしまい、
次に有楽町に姿を現したのは昭和40年1月31日。
日劇の「いしだあゆみショウ」だった。

今は無き日劇に入場したのはこれが最初で最後。
彼女が「ブルーライト・ヨコハマ」でブレイクする数年前だ。
公演で聴いた「緑の乙女」や「パールの指輪」は
よほどのあゆみファンでなければ、
タイトルすら聞いたことがないものと思われる。

その年の夏には日比谷スカラ座(地番は有楽町)で
アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」を初めて観た。
日本での封切りは昭和35年。
したがってこれは5年後のリバイバル・ロードショウ。

昭和42年、中学卒業を目前に控え、有楽座で観たのが
オールスター・キャストの仏映画、「パリは燃えているか?」。
GFとのデートは観劇後、日劇前の「九重」でナポリタンを食べた。
確か一人前が200円だったと記憶している。

高校に入ってから有楽町や銀座には毎週のように通った。
大学生になると、アルバイトのおかげでフトコロが温かくなり、
行きつけの店まで作る始末。
日劇のはす向かい、ガード下にあった「サン・レモ」が憩いの場所だった。

大学を中退して欧州放浪の旅に出掛け、数年後に帰国する。
人生最初の就職は有楽町の免税店。
職種というより、ロケーションで択んだ職場である。
月に一度、日曜出勤の当番にあたると、
決まって昼めしの弁当を「そごう」で買った。
まだ「ほっともっと」も「オリジン弁当」もない時代、
ずいぶんお世話になったものだ。

思い出の詰まったデパート有楽町「そごう」が消えて早や14年。
ところが懐かしい店内を
これでもかと撮りまくってくれている映画と出逢った。
つい、ひと月前のことである。

2014年5月14日水曜日

第837話 心に沁みる有楽町 (その1)

  ♪ あなたを待てば 雨が降る
   濡れて来ぬかと 気にかかる
   ああ ビルのほとりの ティー・ルーム
   雨も愛しや 唄ってる 甘いブルース
   あなたと私の 合言葉 
   「有楽町で逢いましょう」  ♪
      (作詞:佐伯孝夫)

佐伯孝夫と吉田正のコンビによるムード歌謡の名曲、
「有楽町で逢いましょう」が
東京の街の隅々まで流れたのは昭和32年。

この年、長野から上京してきたわが一家は
父親の学友や母親の親戚を頼ってその日暮らしの仮住まい、
いわゆるデイ・トリッパーさながらだった。

最初に転がり込んだのが板橋区・中板橋。
そこから渋谷区・富ケ谷、文京区・根津、大田区・平和島と、
たった一年の間に城北・城西・城南を転々とした。
小学五年のときには城東・深川に転居したから、
足掛け5年で帝都の東西南北を制覇したことになる。

とにかく都落ちの正反対、
”都上り”で再起を目論んだ父親に率いられ、
一家総出で足を踏み入れた花の都・東京だった。

「有楽町で逢いましょう」を歌ったのは今は亡きフランク永井。
もっとも好きな歌手の一人である。
殊に冒頭で紹介した「有楽町で逢いましょう」は
心に深く刻まれる思い出のナンバー。
歌謡史に輝く名曲は小学校に上がる前のマセガキの心をもまた打った。

この年のJ.C.のベストスリーはもちろん「有楽町で~」と
初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」、
そして三波春夫の「船方さんよ」だ。
同年は三波のアタリ年で
「チャンチキおけさ」、「雪の渡り鳥」もヒットしているが
なぜか、「船方さんよ」を数多く耳にした記憶がある。

代々木上原の商店街、
現在、古賀正男記念館のある場所から
そう遠くないところに住んでいた一時期が昭和32年だった。
今でもこのエリアを訪れると、
往時を思い起こし、胸の奥で甘酸っぱいモノが弾ける。

 ♪ 心に沁みる 雨の唄
   駅のホームも 濡れたろう
   ああ 小窓にけむる デパートよ
   今日のシネマは ロードショウ かわす囁き 
   あなたと私の 合言葉
   「有楽町で逢いましょう」  ♪

ご存知の方も多かろうが
実はこの曲、大阪のデパート「そごう」が
東京に進出する際のキャンペーンソングであった。

=つづく=

2014年5月13日火曜日

第836話 真夜中のテニス

今は昔、「真夜中のテニス」なるTVドラマありけり。
主役の外国為替ディーラーを演じたのが
名取裕子ということは覚えているけれど、
他の配役やドラマの筋書きはほとんど忘却の彼方に消えた。
チェックしてみたら相手役は宅麻伸。
脇には設楽りさ子や江戸はるみ(現・エドはるみ)の顔も見える。
放映は1990年のことだった。

当時はニューヨークに在住。
それでもリアルタイムで観れていたのは
キー局がNHKだったからだろう。
彼の地に民放は入らなかったからネ。

あの頃よく、日本の トレンディー・ドラマを
貸しビデオ屋から借りてきて楽しんだ。
それも初回から最終回まで十数本まとめて仕入れ、
週末の二日間を丸々費やし、一気に観了していた。

今も記憶に残る懐旧の作品たちは
「ニューヨーク恋物語」、「101回目のプロポーズ」、
「恋人も濡れる街角」、「眠れる森」あたりだろうか。
殊に「ニューヨーク~」はPart2も含めて
舞台が舞台だけに強いインパクトを現地で受け止めた感あり。

先の週末。
こちらはドラマではない”真夜中のテニス”に翻弄された。
土・日ともにほぼ徹夜だ。
おかげで明くる日は生あくび連発の巻である。
まったくもってイヤになっちゃう。

主役は言わずと知れたマドリード・オープンの錦織圭。
とりわけ土曜の夜(日曜未明)のプレイぶりはスゴかった。
第3セットのデュースは及ぶこと10回、
マッチポイントも9回目を数えたかな?

とにもかくにもテニスの醍醐味をこれほど堪能したのは初めて。
当然、翌夜の決勝、ナダル戦も見逃すわけにいかなかった。
結果は周知の通り、錦織の惜敗なれど、
あの試合でハッキリ証明されたことがある。
クレーコートの王者は
もはや世界ランク1位のラファエル・ナダルではない。
錦織圭で衆目の一致を見るのではないか。

腰痛だか股関節痛だか、詳しくは知らないが
レシーブに走ったときにやっちゃったあのダメージが
あと30分遅れで来てくれたならば・・・
今さら蒸し返しても愚痴に過ぎないが、
間違いなく錦織の圧勝であったネ。

しかし彼はちょっと観ない間にトンデモない成長を遂げていた。
今後、クリアすべき難敵はただ一つ。
対戦相手のフィジカルでもなく、おのれのメンタルでもない。
自分の下半身のメディカル、それだけなのだ。

2014年5月12日月曜日

第835話 服のセンスで物申されて (その2)

最初にお詫びです。
前々話(第833話)において
原稿をしっかりと貼りつけたつもりが
冒頭の1/3ほどが抜け落ちており、
唐突な出だしとなってしまいました。
修正したので、あらためてご覧ください。

さて、自分のファッション史(大げさですネ)を振り返ると、
大きな影響を受けたのは服飾メーカーのJUNとVAN。
小学校の六年生だったかな?
いや、中学一年だったかもしれないが日本橋・三越で
父親にJUNのセーターを買ってもらったのが始まりである。
黒のタートルネックは2800円だった。
このときの値段を忘れることはない。

往時はこの2メーカーが一世を風靡した感があった。
JUN派だったJ.C.と友人は銭湯に行くにも
ロゴ入りの紙バッグ(紐付きでないヤツ)に
タオルと石鹸箱を入れて通った。

月刊誌「MEN’S CLUB」を愛読してもいた。
それが今はまったくの無頓着。
ファッションなんて適当でいいやという体たらく。
オシャレとは縁もゆかりもない日々を過ごしている。
第一、買い物自体がめんどくさいんだからしょうがない。

でもって、前話のつづき。
せっかくメールをくれたI澤サンには申し訳ないが
まずはその日のブログのこの部分を再読願いたい。

ファッション界をリードする俳優たちをみても
個性的なセンスの持ち主はほとんどいない。
そんな中にあってここ数十年、
おのれのファッションを貫いている大物が二人いる。
かたや田村正和、こなたビートたけしだ。
高倉の健サンがそれに続くかな?

先のブログでJ.C.としては
当世の若者(男女を問わず)における、
”真っ黒けのけ”ファッションを嘆き悲しむついでに
正和・きよし・健サンにご登場願ったのだった。
健サンのブルゾン(っていうかジャンパーだなアレは)、
けっこうじゃないッスか!
”残侠伝シリーズ”の着流しはもっといいけどネ。

読んでいただければ、お判りの通り、
上記3人のファッションセンスの良し悪しには一言もふれていない。
大切なのは個性的でありつつ、
その個性が普遍性を保っていること。
ある意味、個性とは俗に言うオシャレとは対極にあるのだ。

恥ずかしながら
福山・向井・オダギリ3クンの着こなしを気にとめたことはない、
というか、3人のうち2人は
辛うじて顔と名前が一致する程度だから是非もない。

てなこって、現代ファッションにおける、
I澤サンの造詣には敬意を表するものの、
こちらの狙いはそこではないことをあらためて強調しておきたい。

2014年5月9日金曜日

第834話 服のセンスで物申されて (その1)

第823回だから、およそ2週間前の当ブログ。
「さらば”黒の集団”よ!」と題して
退化する日本人のファッションを嘆いたのだが
ときどきメールをくれる読者のI澤R一サンから
またもやクレームをいただいた。
芸能界に疎い身にはたいへん勉強になったので
さっそく紹介してみよう。

池澤です。毎日楽しくブログ拝見しています。
また、先日の「赤い激流」はありがとうございました。

さて、また、いちゃもんです。
本日のブログについてです。
ファッション界をリードする俳優たちにセンスが無いとは解せませんね。

まず福山雅治さんがいらっしゃいます。
海外のハイブランドから国内のドメスティックブランドまで
幅広く着こなしていて、さりげないセンスで、とても勉強になります。
向井理さんも良いです。
若いだけあって、ドメスティックブランドを上手く取り入れた着こなしです。
オダギリジョーさんも個性的で良いと思います。
センスが良いです。

オカザワさんが挙げられたお三方、
田村正和さんは、古畑任三郎の黒ずくめを思い出します。
ビートたけしさんは三宅一生ばかりの印象が強いです。
高倉健さんは失礼ですが
ダサいブルゾンばかり着ているイメージで
センスとはかけ離れていると思います。
ただ、お三方とも服のセンスは別として、大好きですけどね。

大御所(?)クラスでは、所ジョージさんが、センスが良いと思います。
アメカジをコテコテではなく、上手く着こなしています。
ほんとさりげないので、芸能界のベストドレッサーかなと思っております。
流行に目もくれず、コンサバも良いかもしれませんが
最先端にアンテナを張っているのも、ファッションだと思いますよ。
オカザワさんもロン毛でパンタロンを履いていたのではないですか?

また、生意気を申しました。ご容赦下さい。

てなこって、バッサリ斬られちまいました。
さようでござんすヨ、
1970年代前半、ロンドンで糊口をしのいでたときは
眉毛が隠れるほどの長髪に、ヒールの高い革靴。
それに何といったかな? 
忘れたが裾幅のだだっ広いパンツを穿いてたヨ。
そのいでたちで往時のロンドン娘をブイブイ言わせたものだった。
フッ、そうでも、なかったか!

=つづく=

2014年5月8日木曜日

第833話 長崎からも 加賀からも (その4)

神楽坂の昼下がり。
2軒目の店を探しもとめて
あっちフラフラ、コッチふらふら。
とうとう上方鮓の「大〆」までやって来た。

来たのだけれど、ここにも席はなかった。
店内のウェイティング・スペースてしばらく待てば、
卓に着ける感じはあったが
あまり悠長なことはしていられない。

そこで飛び込んだのが
「大〆」の向かいのジェラテリアであった。
これは同伴の二人に上手くハメられた。
長崎のN崎サンも金沢のCえチャンも大の甘党だったのだ。
なんか二人に連れ込まれた様相である。

スイーツに興味のないJ.C.はどしたらよかんべサ。
ジェラートだけに、「じぇ、じぇ、じぇ!」てなもんだべサ。
まあ、こうなったら致し方ナシ、覚悟を決めた。
さっきはJ.C.独りが生ビールを楽しんだわけだし・・・。

ところが世の中、捨てたもんじゃありませんな。
恰好の獲物が待ち受けていてくれた。
それがコレ  
プティ・サラダを従えたパニーニである。
中の具材はアンチョヴィとマッシュルーム。
酒類もビールはないが、ワインだけはあった。
実は先刻、あたってみた「大〆」にも白ワインだけはあったのだ。

ジェラテリアには赤も用意されていた。
ハーフより小さいクォーターボトルではあるけどネ。
頼んでみると案の定、苦手なカベルネ・ソーヴィニョンだったものの、
ベター・ザン・ナッシングであろうヨ。

N藤サンはジェラート、Cえチャンはなんかバカでかいパフェを注文。
NサンはともかくCチャンはそのパフェに瞳輝かせ、もう夢中であった。
日本そば店「山せみ」で見せたさわやかな微笑と異なり。
眼は爛々と燃えていたのであった。

申し遅れたがジェラート屋の店名は「テオブロマ」。
ギリシャ語で”神の食べもの”だ。
何でもチョコレートの原料となるカカオの木の学名なのだそうだ。
なるほどネ。
ということはジェラテリアではなくショコラティエなのではなかろうか。
まっ、どうでもいいいけど、遠来の二人が歓んでくれたのだから
引率者としてはこれに勝るシアワセはない。

1時間ほど過ごして2ヶ月後の再会を約し、
それぞれがそれぞれの方角に向かってお別れ。
楽しい土曜の午後でした。

=おしまい=

「ジェラテリア・テオブロマ」
 東京都新宿区神楽坂6-8
 03-5206-5195

2014年5月7日水曜日

第832話 長崎からも 加賀からも (その3)

神楽坂上に近い「山せみ」での昼めしは話も弾む。
エドゥアール・マネが「草上の昼食」なら
J.C.オカザワとその友人は「坂上の昼食」である。

前菜に続いた天ぷらは海老・いか・茄子・かぼちゃ・しし唐。
ごく、ごく、フツーで、ややおざなりの感否めず。
締めくくりのせいろには
大根おろし、とろろ、つくね入りの鴨汁が添えられた。
しなやかだがコシはいまひとつ
ちょいとゼイタクな趣き
そばは前菜よりよかった。
その証しとして長崎のN藤サンも
加賀のCえチャンもさわやかな笑みをもらしている。

桜海老と新玉ねぎのかき揚げ丼、
かけそばを分け合ってお勘定。
週末の短い昼食のひとときはアッという間に
その終末を迎えたのでした。

ところがどっこい、軽めにとどめおいたのは
もう1軒回る腹積もりでいたからだ。
でもって先刻、長蛇の列であきらめた「蕎楽亭」に舞い戻る。
しかし短くなってはいたものの、またもや行列だ。
どうしてここばかりが人気なのか
ずっと理解できないままでいる。

芸者新道の「和み」、兵庫横丁の「めの惣」とあたったが
なぜかこの日はどこもいっぱいだ。
マイッタなァ、マイッタたぬきは目で判るってか―。

坂上の交差点を越え、甘味処の「花」に行ってみた。
ここには甘味だけではなく、雑煮や冷や麦もあったハズ。
神楽坂の甘味処としては
坂下の「紀の善」があまりにも有名だが
個人的にはこの「花」が好き。
もっとも甘党ではないJ.C.がこの手の店を論評しても
信頼感指数は上がらない。

入口そばの一卓に案内されたものの、ここもほぼ満席。
しかも、女将独りが孤軍奮闘しており、
先客たちの注文品はただ今製作中といった有様だ。
しばしたたずんではみたものの、
奥で頑張っている女将に一声掛けて、至近の「大〆」に回った。

「大〆」は東京における上方鮓の草分け的存在。
そして値付け的には最高級店になるのではなかろうか。

=つづく=

「山せみ」
 東京都新宿区神楽坂5-31
 03-3268-7717

2014年5月6日火曜日

第831話 長崎からも 加賀からも (その2)

神楽坂の日本そば屋「山せみ」に集ったわれら3名。
ところが歓んで生ビールをエンジョイしているのは
われ独りなる体たらく、でもいいですねェ、
心ある友人はそんなわがままを微笑んで許してくれる。

合議の末、いろいろと注文し、分け合っていただくことにする。
気心の知れた仲間との会食はこんなマネができてうれしい。
まず、これは試してみようと
一人前だけお願いしたのは何とかセット。
店側の説明によれば、お食べ得らしい。

手始めにこちらのご紹介。
前菜は三点が別盛りながら可愛い木箱で配された。

そこそこに小ジャレている
それぞれをアップで撮ると
玉子の黄色で
食べ手の視線をとらえ、
海胆を冠した菜花で
季節感を演出する。
お造りでは食べ手に
実存的満足感を与える。

いわゆる和食の王道をゆくスターターだ。
そのぶん、型にはまったマンネリズムが
卓上を席巻してしまうがネ。

三点の中で主役を演ずるお造りをつぶさに拝察してみよう。
白身は平目で間違いないハズだ。
その隣りはカンパチかな?
いや、違う、おそらくワラサであろう。

ワラサは天然のハマチというか、ブリの若いヤツだ。
ブリは出世魚、若い順から成長に伴い、
ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリとなる。
憶測するより店の接客係に訊けばよいのだが
ついついハナシに夢中になり、訊きそびれてしまった。

食味はいずれも特筆に価しない。
ただ、水準には達しており
無難にその役割を果たしている。
相撲用語で例えれば、和食はかように食べ手をいなすのだ。
これがフレンチになるとガップリ四つに組もうとするし、
イタリアンなら立会いから張り手が一つ飛び、
続いて強烈に突っ張ってくるのだ。
洋の東西はかくも異なるべし。

=つづく=

2014年5月5日月曜日

第830話 長崎からも 加賀からも (その1)

5日(月曜)の当ブログは
インターネットとの接続不良で
大幅に遅れました。
あいすみません。

さて、西方より四十路の友が二人してやって来た。
N藤サンは長崎の人。

 ♪ 恋の涙か 蘇鉄の花が 
   風にこぼれる 石畳 
   噂にすがり ただ一人 
   尋ねあぐんだ 港町 
   ああ 長崎の 長崎の女(ひと)  ♪
      (作詞:たなかゆきを)

春日八郎が歌った「長崎の女(ひと)」である。

一方のCえチャンは金沢の女(ひと)。

 ♪ 君と出逢った 香林坊の 
   酒場に赤い 灯がともる 
   ああ 金沢は 金沢は 
   三年前と おんなじ夜が 
   静かに俺を 待ってる町だ ♪
       (作詞:星野哲郎)

北島三郎の「加賀の女(ひと)」だ。

遠来の二人は互いに旧知の仲。
それではと、三人で出向いたのは神楽坂。
スケジュールの都合上、週末の昼餉ということになった。

「食べたいモンは?」―こう訊ねると、
異口同音に返ってきた言葉は
「おそば!」―であった。
当然、中華そばではなく日本そばである。
いいでしょう、いいでしょう、ご案内しましょう。

てなこって、待合わせたのは界隈の人気店「蕎楽亭」だ。
正午前に到着すると、遠目にも二人はすでに行列の中腹辺り。
J.C.に気づいて手を振っている。
手を振り返したものの、
この次点で「蕎楽亭」での食事はあきらめた。
行列してまで食べたくはない。
ましてや自身のこの店に対する評価はそれほど高いものではない。
もちろん来訪者をエスコートするのだから
それなりの信頼は寄せてはいたが・・・。

小雨混じりの空模様の下、誘導したのは近所の「山せみ」。
ホンの数ヶ月前にも立ち寄ったが
姉妹店の目黒「川せみ」を訪れたのは
10年の以前になるのではなかろうか。

とにかくテーブルに落ち着いた。
N藤サンはこのあと会議に出席とあって、あまり飲めない。
Cえチャンはもともと下戸でアルコールを受けつけない。
したがって昼日なかから生ビールをグイグイやるのは
われ独りなりけり、と相成った。

=つづく=

2014年5月2日金曜日

第829話 ”食べ”の駱駝に行きました (その6)

夕焼けだんだんの足元、
トルコ&ペルシャ料理の「ザクロ」でラクダの肉を頬張った。
無言で仲間と顔を見つめ合いながらしばし咀嚼する。
うむむ、かなりの固さである。
肉の部位は判らぬが、どうやらコブではなさそうだ。
想像するに、ももか腰の辺りではあるまいか。

一同、口中のラクダを嚥下してようやく口を開く。
残念ながら旨い!美味しい!の声は一つとして上がらなかった。
ラクダを食したという事実だけを許容し、
それ以上は話題としたがらなかった。

要するにみな口に合わなかったわけだ。
これをもっとじっくり煮込んで甘辛く味付けしたら
缶詰の牛肉や鯨の大和煮みたいになるかもしれない。
予想通り、ハナシの種にしかならなかったラクちゃんであった。

もう終わりかと思いきや、さらに新しい料理がやって来る。
串焼きのケバブはまず牛のハツ。
またしても臓物である。
それと牛だか羊だかのケバブ。
やっと肉らしい肉が出たものの、これもパッとしない。

最後はガツの塩味スープ煮で、またまた臓物だ。
モツ好きのJ.C.でさえ、もう勘弁してくださいヨ、でな感じ。
いったいどういうつもりなのだろうか。

デザートはかき氷状のグラニテ。
興味がないので女性陣の一人に回す。
それよりもありがたかったのは水タバコだ。
中近東ではおなじみのアレである。
回し飲みするため、衛生上の観点からも
各自にマウスピースが配られた。

この水タバコ、アラビア語ではシーシャと呼ばれる。
ちなみにトルコ語ではナルギレ、ペルシャ語ではガリヤーン。
タバコを糖蜜で固めてあるため、
通常の紙タバコにはない独特の甘みがある。
他のメンバーにスモーカーは皆無。
かく言うJ.C.もタバコは吸わないが、
水タバコをこのときばかりと存分に楽しんだ。

そうこうするうち始まったのはベリーダンスだ。
エジプトはカイロ郊外のサハラシティで初めて観たのは1973年。
その後、トルコのイズミールで観たのが1984年。
今宵のダンサーは日本人だから
やはり肉感的には今ひとつ。
店内が少々暗いが、こんな感じ
ダンサーの横に映っているのが店長だかマネージャーだ。
ひょっとしたらオーナーかもしれない。

この人がなかなかの曲者で客の、
殊に女性客の手を取ってダンサーと一緒にダンスを踊らせる。
結局、十数人がフロアの中央に狩り出された。
ラクダとベリーダンス、こうして谷中の夜は更けていったのでした。

=おしまい=

「ザクロ」
 東京都荒川区西日暮里3-13-2
  03-5685-5313

2014年5月1日木曜日

第828話 ”食べ”の駱駝に行きました (その5)

道半ばにしてこれはもう期待はできないな、と思った。
いえ、谷中「ザクロ」のエスニックフードのことである。
あとはハナシの種のキャメルを待つばかり。

当夜の面子はいずれもラクダ肉初体験だった。
ただし、J.C.はラクダに似ていなくもない、
コブ牛のコブ肉なら食べたことがある。
表参道のフレンチ「Flo」が閉店して
その跡地に開業したブラジリアン・シュラスコの店、
「バルバッコア・グリル」でのこと。
確かクッピンという名ではなかったかな。

コンビーフそっくりのファイバーの立った食感に
食味もまことにけっこう、
珍味と呼んで差し支えのない好印象を残してくれた。
何かの雑誌で読んだ記事に
かのアントニオ猪木の好物がこのコブ肉とあった。
そう、彼はブラジル育ちだったネ。

さて、卓上には鳥レバー&しし唐の炒め煮と
バスマティライスが運ばれた。
ハツだのレバーだの、内蔵肉ばかりが供される。
モツが苦手の方が来店しようものなら
”谷根千の悲劇”が生まれること請け合いだ。
バスマティライスはインディカ米の代表格。
ただ、この店の料理にはあまりマッチしない。
やはりカレーがほしくなる。

ここでいよいよラクダくんの登場。
はたして真打ちと呼べるほどの滋味を
蓄えていてくれるのであろうか・・・。

  ♪ 月の砂漠を はるばると 
   旅のらくだがゆきました 
   金と銀とのくら置いて
   二つならんでゆきました 

   金のくらには銀のかめ
   銀のくらには金のかめ
   二つのかめは それぞれに 
   ひもで結んでありました   ♪

     (作詞:加藤まさを)

見た目はこうであった。
別段、何の変哲もない
脂身の少ない赤身系であることは判る。
そして”焼き”や”炒め”ではない煮込みであることも。

一同、小分けにしてフォークの先で突つく。
そうして互いの顔を見つめ合った。

=つづく=