2014年6月30日月曜日

第870話 シンガポールの四人の仲間 (その2)

34年も前の思い出話で恐縮なれど、
その夏、初めてシンガポールを初めて訪れたのだった。
第二次大戦時、日本の占領下では
昭南島と呼ばれたマレー半島の突端の小さな島国である。

現地のスタッフが休憩時間に興ずる、
5スタッドポーカーを観ていて
あいや、実際に参戦もしたが、いささか退屈に過ぎる。
そこで機会をみて進言した。

「Stop the 5, Let's play the 7!」

プレイヤーの手札を5枚から7枚に増やし、
その7枚のうち、任意に5枚を使って手役を作るのだが
ベットの機会の絶対数が増えるわけだから
おのずと賭け金はふくらみ、
必然的にギャンブル性は高まる。
ご興味のある方は”ポーカーの種類とルール”をググってください。

以来、オフィスで5スタッドをプレイするものは誰もいなくなった。
7スタッドが一世を風靡したのだ。
麻雀において東風戦に手を染めると
まだらっこしい東南戦にはもう戻れないのと同じことである。

シンガポールでは人口の7割以上を中国系が占める。
マレー系、インド系、ユーレシア(ユーロ・アジア)があとに続くが
中国系のギャンブル好きはつとに有名。
日本人のように賭博に対する嫌悪感や拒絶の姿勢が
中国人にはまったくないと言ってよい。
もちろんギャンブル嫌いのチャイニーズも少なくないから
あくまでも相対的なハナシではあるけれど―。

数年後、シンガポールに赴任した。
そのときこんなことがあった。
交流のある日本人の仲間が
夫婦揃っての食事会を催した。

会食後、誰が言い出したのか
二次会はボーリングと相成った。
まあ、ゾロゾロと大人数でバーやラウンジに押しかけるよりも
ずっと気が利いている。

何組かに分かれて気楽にピンを狙うわれわれのうしろに
数人の現地人が集まりだした。
どこか得体の知れないグループで、ちょいと異様な雰囲気が漂う。
そのうち奥さんたちが気味が悪いと騒ぎ始めた。

放っておくわけにもいかないから
意を決したJ.C.、連中のもとへ歩み寄って問い質す。
その結果、返って来た言葉にしばし言葉を失うこととなる。
何と、彼らは赤の他人のわれわれのスコアに注視して
右のペアが勝つのか、はたまた左のペアが勝つのか、
勝手に賭けていたのであった。

中国人のギャンブル好き、ここに極まれり!
そう思ったことでした。

2014年6月27日金曜日

第869話 シンガポールの四人の仲間 (その1)

またまたアップが丸一日遅れ、あいすみません。
此度はシステム障害が原因でした。
突然炎の如く、インターネットに接続不能となりました。
こういうものは重なるんだなと、
つくづく思い知らされた次第であります。

どぎゃんかせんとアカンと取りあえずプロバイダーに電話。
結果、OCNのテクニカル・サポート、
NTT東日本の通信機器相談センターに
故障処理窓口とたらい回しにされたが
結局は薬局、何も改善しなかった。
しかも電話の掛かりにくいこといったらホントにヤになっちゃう。

さんざんまたされた挙げ句、
「のちほどおかけ直しください」だとヨ。
決まり文句の
「サービス向上のため、この通話は録音される場合がございます」」―
このセリフも聞きあきた、というより耳タコだぜ。
何をおいてもオペレーターの頭数を増やすことこそ、
サービス向上の原点じゃないか。
人件費削減もいいかげんにしとけや。

とにかく数時間かけて、あちこちいじくってるうちに治ってしまった。
機械オンチの身としてはよくやったと、自分で自分をほめやした。

さて、本題。
30年も以前に一緒に仕事をした仲間がシンガポールからやって来た。
それも四人まとめて―。
彼らを引き連れて最初に訪れたのが浅草だ。
トレビの泉ならぬ観音様の賽銭箱にコインを投じさせ、
ご本尊には手を合わせさせ、そのまま「神谷バー」に直行の巻である。

地下鉄で上野に回り、不忍池のほとりを歩み、
再び地下鉄で銀座に出た。
京橋から新橋まで、いわゆる銀座1丁目から8丁目まで流し、
そのあとは「銀座ライオン」だ。
意に反して連中は生ビールをよく飲んだ。

飲むほどに酔うほどに語るほどに
座は盛り上がりに上がり、
そのうちの一人がつぶやいたのが
「Let's play Poker !」であった。

忘れもしない1980年8月。
若かりしJ.C.はシンガポールへ長期出張に及んだ。
休憩時間に現地スタッフがポーカーに興ずるのを見ていて
ずいぶんかったるい遊びをしてやがるな、そう思ったことでした。
何となれば、彼らがプレイするのは5スタッドと呼ばれるゲーム。
これではプール(場)の金額があまり増えないし、
とにかく退屈極まりない。
そこでJ.C.、一計を案じたのでした。

=つづく=

2014年6月26日木曜日

第868話 動坂下の「ときわ食堂」 (その2)

読者のみなさんには昨日・今日とご迷惑をお掛けし、
まことにすみませんでした。
遅ればせながら本日分のアップです。

動坂の「ときわ食堂」に後輩のT村クンと二人。
J.C.の選んだ肴はまぐろブツとホタルイカの2品。
生モノがよろしいとの評判を聞き及んでいたのでネ。

汗ばむ陽気の夕暮れにつき、
大瓶のビールが次々に空いてゆく。
まるで真夏のビヤガーデンにでも来た気分だ。

ポテサラをつつきながら余裕で待っていると、
まず、まぐろのブツが運ばれる。
本わさびを持参すればよかったな、などと思いつつ、
ひとブツ味わってみると、期待ほどではなかった。

名店のほまれ高い大塚の「江戸一」でさえも
ブツはイマイチだったから、さもありなんという感じ。
でもネ、浅草「志ぶや」、神田「三州屋」のソレは
とてもよい酒の友になってくれる。

首をかしげたのはホタルイカだ。
質そのものにも鮮度にも不満が残った。
これなら御徒町の「吉池」で買い求め、
自宅でおろし立てのわさびでやったほうが数段よい。
まっ、値段が値段だけにぜいたくは言えんがネ。

T村はウーロンハイ、こちらは瓶ビールのまま、
ウインナー炒めとちょい焼きたらこを追加して
2時間半ほど滞在したろうか。

退社にまつわる話をいろいろと聞かせてもらったが
T村のよいところは一切、愚痴や悪口をもらさないこと。
オトコとは悪口、陰口、告げ口の類いを厳に慎まなければならぬもの。
その手の”口”はオンナの特権と肝に銘ずべきなのだ
シェイクスピアの悲劇「オセロ」(ヴェルディのオペラは『オテロ』)にしたって
陰湿な悪漢、イアーゴさえいなければオセロが血迷うこともなかった。

「ときわ食堂」のあとはすぐ近くのスナック「K」へ。
ここ1年ほど前から月に一度くらいのペースで訪れるようになった。
陽気なママのいるカラオケ・スナックだ。
飲み放題・歌い放題に数種のお通しがついて3時間、
男性・3000円、女性・2500円ポッキリ。
くだらないカラオケ・ボックスなんぞ、足元にも及ばぬ。
常連客に迷惑が及ぶのでデータを詳らかにできないのが残念だ。

当夜は、相方が前川清、
J.C.はあおい輝彦のナンバーを気持ちよく歌った。
グラスを重ねたのはサントリー角瓶の炭酸割りでありました。

「ときわ食堂」
 東京都文京区本駒込4-37-5
 03-3821-7420

第867話 動坂下の「ときわ食堂」 (その1)

本日、朝帰りで帰宅してビックラこいた。
昨日(水曜)の当ブログがアップされてないではないか!
日本VSコロンビアの一戦を観たあと、
インプットしてから仮眠をとったつもりだったが
あにはからんや、大きな勘違いと判明した。

昨日は2時間ほど寝たあと、
シンガポールからやって来た昔の同僚たちを案内して
終日、都内の名所めぐり。
浅草をブラブラして、銀座で夕食。
その後、誰が言い出したか
以前、盛んに遊んだポーカーをすることとなった。
おかげでで徹夜になったワケ。
そのあらましに関しては近いうちにご報告申し上げる。

さて、昔の同僚といえば、
もと直属の部下だったT村クンから一文のメールが届いた。
このほど会社を辞めたという。
長年勤めてきた職場を離れるときは
”立つ鳥あとを濁さず”のことわざ通りにいかなかったり、
立たれる水のほうがあまりに濁っていたりするものだ。
近年は水(会社側)の濁りがヒドいケースが目立つけどネ。

ついては新しい仕事を見つけるまで
時間的ゆとりができるので、一献かたむけたいとのこと。
10年も経つのに、いまだに慕ってくれるのはうれしいものだ。
深く信頼を寄せた旧知の仲間と重ねる酒盃は
昔ばなしが華を添えてくれもして、楽しさこのうえもない。

訊けば、オカザワさんの縄張りである、
日暮里・谷中・根津近辺で飲みたいという。
いいでしょう、いいでしょう、ご案内しましょう。
ここで脳裏をかすめたのが動坂下の「ときわ食堂」だった。
動坂といってもピンとくる方は少ないかもしれない。
JRの田端駅から、あるいは西日暮里から10分以上歩くかな?
不忍通りの動坂下交差点までバスを利用したほうが便利だ。
くだんの「ときわ食堂」も不忍通り沿い。
動坂下から北に向かい、徒歩2分ほどである。

西日暮里で待合わせしてテクテク歩いた。
実はこの「ときわ」、訪れるのは初めてだ。
振り返れば、浅草は雷門脇の「ときわ」に一番行っている。
主に朝めしで利用した。
もっとも朝めしにとどまらず、朝酒になってしまうがネ。

動坂の「ときわ」にはコワい頑固オヤジがいるとの噂。
入店してみても、そのオヤジさんの存在には気がつかなかった。
接客は老若とり混ぜた女性陣である。

例によってビールで再会を祝す。
銘柄はスーパードライ。
ここでT村クンが所望したつまみは冷奴とポテトサラダだ。
定番といえば定番だが、ちょいとばかり退屈でもある。
当方も壁の品書きをみつくろってみた。

=つづく=

2014年6月24日火曜日

第866話 町屋の「ときわ食堂」 (その2)

早朝でも真夜中でも飲める町屋は呑ん兵衛の聖地。
中でもそのリーダー格ともいえる、
「ときわ食堂」の小上がりにあぐらをかいた。

本日の相方は鎌倉武士の末裔、P子嬢だ。
グラスのビールを飲み干し、
注がれるままに壁の品書きを見やる。
とにかく品数が多いので目移りしてしまう。
ハシからハシまでつぶさに吟味しているヒマはない。

そこでJ.C.の案じた妙案。
互いにつまみたいメニューを2品づつ選ぼうじゃないかというものだ。
持ち時間は3分。
そのあいだにそれぞれの注文品を決めた。
まず、P子が選んだのは
かにクリーム・コロッケとハンバーグ・エッグ。
いかにも洋食屋の献立である。

一方のJ.C.は水なすとイワシ天ぷら。
泉州岸和田産の水なすは今まさに旬を迎えている。
この地でしか収穫できないジューシーな逸品だ。
初夏のイワシもけして不味くはないハズ。
イワシは刺身や塩焼きより、フライや天ぷらが好きだ。

しかしながら、ここでふと思った。
P子のチョイスはまごうことなき若い娘の好み。
J.C.のは逆に年寄りくさい。
ジェネレーション・ギャップの差を痛感した。
まっ、いいか。

頼んだ4品はみなまずまず。
いや、200~400円の値段を考慮すれば立派なものである。
「ときわ食堂」は独立採算なので
一律に安価というわけにはいかない。
町屋店の値付けはひじょうに良心的だ。

接客しながら各テーブルを見回る女将が
われわれのもとにやって来た。
整った顔立ちは女将というより、ママといった感じ。
P子が盛んに言葉を交わしている。

オススメに従い、最後にお願いしたのは
新玉ねぎと玉子の炒め。
同時に飲みものを酎ハイに切り替える。
炒めものは焼酎にもよく合って
結果的にはこのメニューがベストであった。

ほろ酔いでフラフラと西日暮里まで歩き、
古都に帰ってゆく相方を見送る。
これから独り、谷中銀座の酒屋の店先で
冷たい生ビールを一杯やる心積もりであった。

「ときわ食堂」
 東京都荒川区荒川7-14-9
 03-3805-2345

2014年6月23日月曜日

第865話 町屋の「ときわ食堂」 (その1)

東京都内に住む方か通勤する方なら誰しも
「ときわ食堂」をご存じだろう。
入店したことはなくとも街角に暖簾を掲げている姿を
一度や二度は見掛けているはずだ。

おそらく23区内に30軒以上存在するのではなかろうか。
殊に下町エリアや城東方面において
密集度が高いように思われる。

お婆ちゃんの原宿こと、
巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵)前の目抜き通りには2軒もあり、
それぞれ母と息子が経営している。
基本的に「ときわ食堂」は独立採算制。
というより、暖簾分けでも子分け、孫分け、
兄弟分けなど入り乱れており、
系図やルーツを追跡してもあまり意味をなさない。
巣鴨のケースは親子だから、資本は一緒かもしれない。

何かの本か雑誌で読んだことには
この食堂の発祥の地は墨田区・本所であるらしい。
それも明治40年代というから、大変な歴史を刻んできている。
赤穂四十七士に討たれた吉良上野介の屋敷があったのは本所松阪町。
本所はいささか広うござんすが
まあ、その界隈に開業したわけだ。

食堂の名を冠していても「ときわ」は単なる食事処ではない。
店によっては「ときわ酒場」のほうがシックリくる。
その最たるところが町屋の「ときわ食堂」だ。
ここは早朝から昼過ぎまでと、夕方から22時までの二部制。
驚いたことに朝めしどきも昼めしどきも、
めしより酒の客が圧倒的多数をしめている。

鎌倉在住ののみとも・P子が久々にやって来た。
午前中にシゴトが終る旨のレンラクが入ったので
「それじゃあ、ランチでも食うかい?」と伺いをたてると、
「食事より昼酒がいいわ!」ときたもんだ。
まったく若いみそらで何を考えてんだか―。

てなこって、待ち合わせたのは正午の町屋駅前。
チンチン電車の踏切脇である。
町屋は西日暮里と北千住の間。
ターミナル駅でもないのに都電・荒川線、
地下鉄・千代田線、私鉄の京成線と3本の電車が走っている。
にもかかわらず、場末感漂う不思議な町だ。

駅から歩いて3分ほど、
到着すると、すでに店内はほぼ満席である。
とまれ、小上がりの一卓に落ち着いた。
さっそく再会を祝して乾杯。
ビールはスーパードライの大瓶。
互いに好きな銘柄につき、ニッコリであった。

=つづく=

2014年6月20日金曜日

第864話 背肝も肝も肝のうち (その3)

神楽坂の気に入り店、焼き鳥の「駒安」。
入谷の「鳥昭」のように
ありとあらゆるパーツが揃っているわけではない。
でも、勘どころをしっかりと抑えているのがありがたい。
ちょいと立ち寄って軽くつまむには打ってつけの店舗なのだ。
したがって、この店に長居をしたことは一度もない。

殊に必ず1本、ときにはお替わりをして2本、
それが特筆の背肝だ。
エッ? そんなら3本いけばいいじゃんか!ってか?
いえ、そりゃいけません。
何となれば、3本食うと鼻血ブーだかんネ。

その一品がコレ。
串打ちされてムッチムチ
背肝は肝の一種だが
肝は読んで字の如く肝臓のこと。
背肝は肝臓に非ずして腎臓なのだ。
如いて表現するならば、
鳥のレバーと、うなぎの肝の中間といった味・食感を持つ。

J.C.は牛・豚・羊・鶏を問わず、とにかく肝が大好き。
それ以上に好きなのがチキンの背肝。
複雑な食感と食味が生ビールにもコップ酒にもピタリと合う。
正直言って、高価なうなぎの肝より好きだなァ。

背肝の美味に初めて遭遇したのは小学5年生か6年生の頃。
当時は板橋区・弥生町に住んでいた。
最寄り駅は東武東上線・中板橋である。
家族の誰かの誕生日だったか、
あるいはクリスマス・イヴだったか、
記憶は定かでないけれど、
ある夜、父親がローストチキンをぶら下げて帰宅に及んだ。

往時、中板橋の駅前商店街には
焼き鳥のチェーン店として名を馳せた「鮒忠」があった。
どうやら父はそこで購入してきたらしい。

あの時代、牛のすき焼き、豚のカツレツ、ローストチキンは
間違いなく一般庶民にとって大のご馳走。
こんがり焼き上げられた丸一羽のニワトリに
ファミリー一同の目は光り輝いた。

胸とモモを取り分け、みんなニコニコ笑顔でかぶりつく。
近頃は年に一度も利用しない「鮒忠」なれど、
何回かお世話になり、そのたびにおいしい思いをしたのだった。

食卓の真ん中にチキンの亡骸(なきがら)が横たわっている。
意地汚いJ.C.が何気なく取り上げた骨の奥で
たまたま発見した背肝であった。
がらんどうのあばら骨のどん詰まりにあった小さな肉塊、
それが背肝との出会いだった。

こわごわつまみ出して味わい、その美味に驚く。
以来、鳥の背肝は大好物となって早や半世紀が経過。
この世に存在する肝のうち、背肝に勝る肝はない。

=おしまい=

「駒安」東京都新宿区神楽坂1-1
 03-3260-3549

2014年6月19日木曜日

第863話 背肝も肝も肝のうち (その2)

神楽坂の焼き鳥店「駒安」を初めて訪れた際のメモのつづき。

店主のポリシーでお通しは出さない。
あの手この手で収益増を図り、
具にもつかない駄品を出す店があふれるなか、
見上げた心意気と言わねばならない。
開店30分ほどで7席ほどのカウンターは満席。
みな近所の常連である。

焼き鳥は稀少部位の取り揃え多く、そこから攻めてゆく。
ふりそで(肩肉)、ハツモト(大動脈)、さえずり(食道)、
ハラミ、ソリ(モモのつけ根)は塩。
背肝(腎臓)×2、豚シロはタレ。

背肝はお替わりをするほどだった。
すべて旨いが豚シロはイマイチ。
腸壁の掃除が不じゅうぶん。
この店は豚もつを捨て、鳥の稀少部位に集中すべし。

周囲の客は常連にもかかわらず、
正肉、ねぎま、ささみ、つくねなどを注文している。
宝の山に気づいていない悲劇がここにある。
価格帯は1本、140円~220円。

焼き鳥の友・キャベジンはキャベツの浅漬け(250円)。
これがすばらしい。
きゅうりもタッブリ入り、
赤唐辛子の小口切りがよいアクセントで必注品目。
卓上のキッコーマンしぼりたて生しょうゆ本醸造とよく合う。

本日のメニューに、まぐろぶつ、ぶり大根(各480円)がある。
牛すじ煮込み(700円)にはこうあった。
“お好みでお入れします。豆腐100円、ニラ100円、キムチ150円”
実にユニークなアイデアだ。

会計は大瓶2本、焼き鳥7本、キャベジンで、2750円也。

メモにあるように、この店の焼きとんはダメ。
東京には名立たる焼きとんの名店が数あるが
その水準には遠く及ばない。
けして不味いわけではないけれど、一度試してそれきりにした。
ここは焼き鳥専門店として認識しておくことが大切だ。

前述の「文ちゃん」のように
焼き鳥の値頃感を完全に無視した焼き鳥屋があとを断たない。
しかもそんな高級店に限って部位の品揃えも少なく、
稀少な内蔵類には出会えない。

焼きとんはもとより、焼き鳥の醍醐味もまた、モツにとどめを刺す。
その点、「駒安」はいいですゾ。
ホントに好きだなァ。

=つづく=

2014年6月18日水曜日

第862話 背肝も肝も肝のうち (その1)

神楽坂の老舗中華料理店「龍公亭」をあとにして
向かったのは焼き鳥の「駒安」。
この街には「文ちゃん」なる焼き鳥の人気店があるが
そこはやたらめったら高い。
もはや焼き鳥の常識を超越していて庶民には高嶺の花だ。
何せ鮨屋並みの値付けだから
ほとんどの客が領収証を求めているのもうなづける。

 「文ちゃん」の店主は銀座の「武ちゃん」で修業を積んだ。
ところが本家とはまったく異なるスタイルを導入して
街のセレブに愛好され、利益を上げている。

いっぽうの銀座「武ちゃん」はぐっと庶民的。
店内の雰囲気や客あしらいに気取ったところがない。
上から目線で客を見下しているのはキジの剥製(はくせい)だけだ。
J.C.がどちらに肩入れするかは言わずも、
もとい、書かずもがな。

おっと本日の主役は「駒安」であった。
名は体を表すの言葉通り、この店は安い。
きわめて良心的である。
憶測だが、どうやら店主は新潟県・佐渡の出身らしい。
佐渡の高校が甲子園出場をはたしたときの新聞記事が
壁に貼りつけてあるし、
日本酒の取り揃えにも佐渡の銘酒が目立つ。
北雪(ほくせつ)を飲むこともできる。

すっきりとした切味の北雪にはあちこちで出会った。
もっとも高かったのは
竹筒入りではあるもののニューヨークの「Nobu」。
そう、ロバート・デ・ニーロがオーナーの店だ。
一番安いのは御徒町の「味の笛」かな。
何せ、300ml瓶が500円だもの。

「駒安」は初訪問でバッチリ気に入った。
その夜のメモを紹介してみよう。
訪れたのは去年の秋口であった。

小栗通りの東の突き当たり、
焼き鳥の「駒安」に開店時間の17時半に入店。
もちろん先客はいない。
カウンターのスツールが珍しくもビヤ樽だ。
樽には”SAPPORO”の刻印が記されている。
18時半になるとカウンターは一席残すのみ。
テーブルはノーゲスト。

スーパードライの大瓶と中ジョッキがともに580円。
しっかりしたサイズの中ジョッキだ。
瓶はサッポロ黒ラベルの用意もある。
すんなりドライの大瓶を所望した。
ビールはよく冷えてうまし。
御徒町の角打ち、「槇島商店」と同様の水冷式だ。

と、ここまで綴って、以下は次話。

=つづく=

2014年6月17日火曜日

第861話 試しに飲んだフローズン (その2)

大正時代には花街として栄華をきわめた神楽坂。
その中腹にある「龍公亭」にいる。
この街でもっとも古い中国料理店の一軒である。

たいした距離でなくとも
新宿から歩いてきたからノドが渇いた。
当然、冷えたビール、
それも好みの銘柄を晩酌の口切りとするのだが
その日はわけもなく気がまぐれた。

一番搾りのフローズン生を注文しちまったのだ。
それがコレ。
 泡がスムージー状態 
ミニストップのソフトクリームの親玉みたいでもある。
いきなりグイッとは飲めないので半分凍った泡を一なめした。
舌に残るのはなんだか奇妙なあと味。
楽しむよりも試しに飲んだのだから、さもありなん。
やはりなじみの薄いものは避けたほうが無難だ。

本日のおすすめメニューには、自家製腸詰め、
よだれ鶏、有頭海老のXO醤蒸しなどが並んでいる。
吟味して海老のチャイニーズトーストをお願いし、ビールの友とした。
ビールのアテにふさわしい
小品だから食べ応えはなくとも、まずまずのデキ。

店内を見渡すと1階がオープンキッチンになり、
以前よりずっとモダンになった。
接客スタイルは中国料理店よりも西洋料理店のそれに近い。
そのせいかワインを飲む客が目立つ。

トーストを食べ終えてもグラスの泡は消えない。
残った泡を箸で食べてしまった。
隣りの卓の客たちもかなりの確立でフローズン生を注文している。
ほとんどが女性だが、彼女らも箸で泡をかきまぜたりしている。
デザート好きの女性たちにとって恰好の手なぐさみになるらしい。

同じく一番搾りの中瓶に切り替え、五目焼きそばを追加した。
見た目は美味しそうじゃないか
鳥胸肉・小海老・いかなどが入り、
味はそこそこにして可も不可もない。
見映えがよいだけに、多少の不満は残った。

会計は3千円と少々。
割高感はまったくないけれど、
そりゃ大衆酒場よりは高くつくわな。

窓の外はまだ明るい。
宵の口もいいところである。
さて、これからもう1軒、
焼きそばを食べながら狙いを定めた、
気に入り店に出向くとしますかの―。

「龍公亭」
 京都新宿区神楽坂35
 03-3260-4848

2014年6月16日月曜日

第860話 試しに飲んだフローズン (その1)

所用で東新宿に出向いた。
銀座で午餐のあとに赴いたのだが
ずいぶんと時間を費やしてしまい、終了したのは16時過ぎ。
さすがに晩酌にはちと早い。
加えて昼に摂取した食物もまだこなれていない。
腹ごなしに一時間ほど歩いてみようか―。
そうすればぽつりポツリと酒場の灯がともる頃合いになろうヨ。

さて、ターゲットをどこに定めるとするか?
黒澤明の「用心棒」、
三船敏郎扮する桑畑三十郎なら路傍の小枝を宙に放り、
地面に落ちた枝先の示す道をゆくのだが
当代の道路に木の枝などあるはずもない。

結局、とった進路は東である。
歩き始めた足は自然に自宅の方角に向かう。
なるべくおのれのヤサに近づくのだ。
帰巣本能は何も鳥類に限ったことではない。

プラタナスの並木が心和ませる大久保通りを行った。
この道は都内でも屈指の趣きを備えた道。
歩いていて楽しい。

左手に戸山公園を眺めつつ、若松河田を過ぎ行き、
以前は排気ガスのせいで
東京最悪の汚れた空気が漂った牛込柳町の交差点を通過する。
もう神楽坂は目の前だ。

神楽坂には気に入った飲み屋が数軒ある。
いや、十数軒かな?
ただ、当夜は坂を下ってゆく途中、
一軒の中国料理店の前で足が止まった。
数年前に建物を建て替えた「龍公亭」だ。
あそらく、この街でもっとも古いチャイニーズだろう。

ウインドウ越しに中をうかがうと、イメージチェンジがはなはだしい。
寄ってみようか、寄るまいか・・・
迷った末に寄った。

坂に面した窓際のテーブルに独りくつろぐ。
おもむろに開くのはドリンクメニューだ。
目に飛び込んだのは発売されて久しいキリン一番搾りのフローズン。
記憶が正しければ、
イチローと蒼井ゆうがCMキャラクターをつとめていたハズ。

読者には目タコ耳タコで申し訳ないが、ビールの泡は好きじゃない。
しかもその泡がシャーベットみたいに
フローズン状の生ビールなんか飲みたくない。
とは言うものの、人間、誰の元にも
魔が指す瞬間は突然やってくるものなのだ。

=つづく=

2014年6月13日金曜日

第859話 バンとオオバン 動物園こそわが楽園 Vol.11

ごぶさたしていた”動物園シリーズ”、いきます。
今話は水鳥のバンとオオバンが主役。
サブタイトルを見て
「何のこっちゃい?」―そう思われた読者も少なくないでしょう。
バンなんてあんまり耳にしませんものネ。

バンは漢字で鷭と書く。
したがってオオバンは大鷭。
ともにクイナ科に属する。
ちなみにクイナは水鶏と書くのだそうだ。
クイナといってもピンとこないが
沖縄のヤンバル(山原)クイナと聞けば、
ああ、あれかと思われる向きも多かろう。

その日は上野動物園の西園をぶらぶら。
池のほとりづたいに歩いていた。
ペリカンのたまり場とオオワシの番(つがい)の間あたりで
幸いにもオオバンを見つけた。

水鳥の中でもバン類は警戒心が強い。
人影に気づくと、すかさず水草の陰に逃げ込む性癖を持つ。
それでもここ数年はパンくずを放る人のもとへ、
カモメやキンクロハグロにつられて
あとからノコノコ現れるようにもなった。

その日のバンがコレ。
真鯉より小さいオオバン
特徴はクチバシが伸びたような額板。
真っ白ではなく、ほんのり薄紅色がさしている。
水かきはほとんどないが、そこそこ巧みに泳いでいる。

一方のバンはもっと小型、ハトと同サイズといったところか。
バンとは動物園の外、弁天堂前の天竜橋で遭遇した。
水かきがまったくない
したがって泳ぐには泳ぐが前のめりでずいぶん不恰好。
エッ? よく判らないってか?
それならコレでいかがでしょう?
あんまり変わらないってか?
なじみの薄い鳥ながら日本全国で見られ、
東日本では夏鳥、西日本では留鳥なのだそうだ。
ただし、東京近県の千葉・埼玉では準絶滅危惧種に指定されている。

いろいろと調べていて驚いたのは
何とこのバン、江戸時代には食味のよさで食通をうならせていたという。

何でも美味の象徴に三鳥二魚というのがあって
陣容は、雲雀・鷭・鶴に、鯛・鮟鱇。
魚に関しては現代と変わらないけれど、
江戸のグルメはとんでもない鳥たちを食していたんですねェ。
いや、ビックリ。

2014年6月12日木曜日

第858話 或る夜突然 (その3)

 ♪ 遠い北国の森 愛の泉があった
   その泉の前で 二つの影は出会う
   水鳥たちが遊ぶ 愛の花咲く岸辺
   その泉の前で 愛は結ばれる

   若者は少女に 首飾りを贈った
   それはそれは 二人だけの愛のしるし
   二人が歌い出せば 魚たちが踊った
   二人が泣いた時 泉は嘆いた

   夢の中で少女は 若者の胸に
   二つの二つの 白い鳥は空に消えた
   遠い北国の森 愛の泉があった
   今そこに残るのは 愛の首飾り
   愛の首飾り 愛の首飾り

        (作詞:渡辺隆己)

これがトワ・エ・、モワで一番好きな「愛の泉」。
メロディー抜きだと実感が伴わずに残念。
でも、この機会に you tube か何かで、試聴してみてください。

おそらく彼らのナンバーではもっともアップテンポ。
スローバラードが多い中で異例中の異例だ。
J.C.はテンポの速いマイナーコードの曲調が大好物。
「君恋し」、「恋のバカンス」、「好きになった人」、「よろしく哀愁」、
「迷い道」、「異邦人」、「私はピアノ」、「誘惑」、
「さよならイエスタデイ」、みんないいねェ。
あまり知られていないが
加藤登紀子の「歌いつづけて」なんか、もう、たまらなく好きだ。
今でも聴くたびにインタールードのピアノには胸がふるえる。

「愛の泉」はきわめてメルヘンチックな曲。
歌詞から連想される第一感はチャイコフスキーのバレエ、「白鳥の湖」、
あるいは「眠れる森の美女」だろうか。
われわれの世代の日本人ならブルコメの「ブルー・シャトー」かな?
クラシックファン、それもオペラに造詣の深い向きは
ワーグナーの長編、「ニーベルングの指輪」(通称・リング)の第一話、
「ラインの黄金」を思い浮べることだろう。
グループサウンズ全盛期に思春期を迎えたJ.C.は
寺尾聰が参加していたザ・サベージの「哀愁の湖」がピンときた。

リズミカルなイントロで始まる美しいメロディーを
二人のハーモニーが高みに導いてゆく。
「愛の泉」にはもっとヒットしてほしかったし、
トワ・エ・モアももっと歌い継がれてほしい。

ところで「愛の泉」を作詞した渡辺隆己は作曲も担当している。
トワ・エ・モアのナンバーで
作詞・作曲を独りでこなすケースはまれだが
作者は今、どこでどうしているのだろう。
皆目見当がつかないけれど、感謝の気持ちを捧げたい。

  ♪  空よ 教えてほしいの
   あの(人)は今 どこにいるの ♪
         (作詞:難波寛臣 )

=おしまい=

2014年6月11日水曜日

第857話 或る夜突然 (その2)

上野広小路のカラオケボックス。
H岡サンが選んだのはトワ・エ・モワの「或る日突然」。
或る夜突然、「或る日突然」が鳴り響いたのだ。

おおっ、懐かしいぜヨ。
仲間の歌声をよそに
ぼんやりと翌日のスケジュールを思い浮かべていたJ.C.、
イントロが始まった途端、われに返った。

好きなんだなこの曲。
好きなんだなトワ・エ・モワ。
失礼ながら、H岡サンはごくフツーの容姿の持ち主。
その彼女が突然、数段ひかり輝いて見えたもの。
加えて歌唱力も抜群、しばし聴きほれてしまいましたとサ。

この曲がリリースされた1969年は高校三年生だった。
間借りなりにも受験勉強にいそしんでいた頃で
よくGFと巣鴨図書館に通ったものだった。
そんな可愛い時代もあったのだ。

思えば、トワ・エ・モワの楽曲は
わが青春に寄り添ってくれていた気がする。
生まれて初めて海外に渡り、
スウェーデンのストックホルムを訪れた際に
ユースホステルで出会った日本人たちとささやかな飲み会を催した。
いつしか会は歌声喫茶の様相を呈してきて
合唱したのが「誰もいない海」。
みんな歌えたということは当時のビッグ・ヒットだったんだねェ。

札幌冬期五輪のテーマ曲、「虹と雪のバラード」が
列島を席巻していたときは二回目の欧州旅行を目指し、
都心のホテルでバイトに明け暮れていた時期。
スキー・ジャンプの日の丸飛行隊の活躍を
勤め先の社員食堂で観戦した記憶がある。

そのホテルのパーティーで
あれは渡辺プロの新年会だったかな、
トワ・エ・モアのモアちゃんを見掛けたのは―。
彼女、模擬店のにぎり鮨を頬張っていたっけ。
なぜか相方のトワくんの姿はなかった。
出席者多数のため、見落としたのかもしれない。

おっと、モワちゃんは山室英美子(現姓:白鳥)、
トワくんは芥川澄夫のこと。
勝手にそう決め込んで、こう呼んでいるのだ。

ここで恒例の彼らのベストスリー・ナンバーの発表。

 ① 愛の泉
 ② 誰もいない海
 ③ 初恋の人に似ている
  次点:或る日突然

ベストワンの「愛の泉」をご存じの方は
そんなに多くはないだろう。

ではご紹介といきたいところなれど、スペースがなくなりました。
以下、次話ということで。

=つづく=

2014年6月10日火曜日

第856話 ある夜突然 (その1)

ワインを愛する仲間の集まりが外神田・末広町であった。
ところがJ.Cはその夜.、急遽、ヤボ用が発生してしまい、
会に間に合わず、参加したのは二次会からと相成った。
出先から幹事にメールで問い合わせると、
二次会場は上野広小路のカラオケボックスとのこと。
アチャー!であった。

少人数ならともかくも大きなグループでのボックスは嫌いだ。
なぜならば、みんな自分の次曲の選択に忙しく、
他人の歌なんざ聴いちゃいないからなァ。
ありゃいったい何なんだろうネ。
限りなく時間の浪費に等しいと思う。

したがってカラオケはスナックがよい。
ほかのお客さんに配慮しながら、
拍手を送ったり、マイクをゆずり合ったり、
それがカラオケを楽しむ本来の姿であろうヨ。
ボックスは集団で行動をともにしていながら、
トドのつまりは個別にいそしむマスターべーションだわサ。

ところでわが人生においてカラオケにお目見えしたのはは1977年。
社員旅行で出掛けた箱根のスナックだった。
生まれて初めて歌った曲は裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
もちろんインタールードのセリフもばっちりがなったぜ。

 ♪ 畜生 やりやがったな 倍にして返すぜ ♪

ってネ。

さて、ワイン会の二次会、広小路のカラボである。
見知った顔ぶれと落ち合ったのは
湯島天神下交差点そばの「ドン・キホーテ」前。
ここから広小路は目と鼻の先だ。
路面にエスニック・レストランが入居している、
ビルの階上に乗り込んだのは総勢8名。
意外に少なかった。
一次会で切り上げた参加者がいるからネ。

まずは生ビールで乾杯したけれど、
カラボにおけるビールは十中八九、サントリーモルツ。
判で捺したようにサントリーなんだな、これがっ!
たまったモンじゃありやせんぜ、ジッサイ。
まっ、あんまりサントリーの悪口ばかりじゃ、
申し訳ないから付け加えとくが
発泡酒の金の麦はなかなか美味しい。
プレミアムモルツよりずっと好きだ。
オマケに安いしネ。

とまれ、お歌の会のゴングは鳴った。
若い仲間の歌う歌はまったくもってチンプンカンプン。
おりゃそんな歌、いやだァ!
 ところが比度、初参加の女性、
H岡サンの選曲がすばらしかった。

=つづく=

2014年6月9日月曜日

第855話 金がなくても金町は・・・ (その5)

第一感は立石であろうヨ。
あとは町屋に曳舟あたりだろうか。
でもって、立石へ行くことを決意した。

柴又駅前でしばし思案投げ首。
電車ならワン乗り換えで15分もあればじゅうぶん。
はて、どうしたものか・・・。

駅前広場に面した居酒屋「春」の看板を見ながら考える。
ここを何回か訪れたのはもう10年以上も前のこと。
映画撮影の合間を縫って
渥美清が納豆オムレツを食べたというエピソードを持つ店だ。
広場には渥美扮する寅さんのブロンズ像が立っているが
この銅像にはどうしてもなじめない。
強面(こわもて)に過ぎてテキヤというよりヤクザに近く、
寅さんの温かみがこれっぽっちも伝わってこない。

結局、決断した。
「よお~し、歩いたろうじゃないか!」―
そうして徒歩にいそしむこと1時間弱。
立石に入城の巻である。

町のランドマーク、「宇ち多゛」の前に行列がない。
以前はオモテとウラ、別々のラインが並んでいたが
どうやらウラ一本に絞ったようだ。

金町のそば屋「白樺」ではビールを我慢したし、
柴又の参道でも誘惑を振り切った。
そのうえ、これだけの道のりを踏破したのだから
ノドはカラカラ、古代ローマのカラカラ浴場も真っ青で
すでに限界を超えている。

脇目もふらず、一直線に目指したのは「ゑびすや食堂」。
好みの銘柄の中ジョッキを一気に空けた。
つまみは2品。
チョイ焼きたらこと蝗の佃煮である。
エッ? たらこは判るが蝗ってなんだ? ってか?
蝗はイナゴのことでした。
そう、あのバッタの一種のネ。

「ゑびすや食堂」には1時間もいたろうか。
ジョッキを3杯飲んでのお勘定ではあったが
何だかまだもの足りない。
踏切を渡って線路の反対側、北口に回った。

”立石のポンパドール夫人”として名高い女将のいる「江戸っ子」へ。
ここではデンキブランを2杯やっつけた。
やはりつまみは2品。
うずら玉子と野菜のピクルス、それにもつ煮込みだ。
さんざ歩いたせいか、ドッと疲れが出て睡魔にも襲われる。

酒場のカウンターで居眠りするわけにもいかず、
あとは電車で真っ直ぐ帰宅。
その夜の眠りの深かったこと。
飼い猫に起こされるまでグッスリであった。

=おしまい=

「ゑびすや食堂」
 東京都葛飾区立石1-15-11
 電話ナシ

「江戸っ子」
 東京都葛飾区立石7-1-9
 03-3694-9593

2014年6月6日金曜日

第854話 金がなくても金町は・・・ (その4)

金町から歩いて柴又に到着。
柴又街道と帝釈天参道の交差点には
うなぎの「たなかや」が健在、
変わらぬ庶民的なたたずまいを見せていた。

今は昔、この店を一回だけ訪れたことがある。
おそらく1980年の初夏だったと思う。
金融界に身を投じた直後のことで
当時のGFがこの町の女性だった。

「寅さん好きでしょ? 地元を案内するから川を渡って来て!」―
てなわけで週末の一日、葛飾柴又に遊んだのだった。
その頃J.C.が棲んでいたのは江戸川対岸の松戸市。
言わば二人の仲は近距離恋愛だったのだ。

請われて赴いたその日は
どうせなら矢切の渡し舟で来ようとも思ったが、
松戸側の乗り場は駅からずいぶん離れており、
相当な物好き以外、そんな無茶はしない。

ちあきなおみと細川たかしの歌声が
日本全国津々浦々に響きまくった「矢切の渡し」。
その効果もあり、帝釈天を訪れた観光客の中には
つかのま船上の人となった向きも多かろう。

でも、ほとんどの人は柴又で乗った舟が矢切に着いたら
そのまま同じ舟に乗って引き返す。
これといった特徴のない渡しはハナシの種に一度乗ればイナッフ。
ただし、十年以上利用していないから
今では事情が変わり、何かサプライズがあるやも・・・
んなワケないか。
ちなみに矢切は”やぎり”ではなく、”やきり”と訓ずるのが正しい。
知ってか知らずか星野哲郎先生は”やぎり”で詞を書いている。

34年前は「たなかや」でうなぎを食べなかった。
天丼と天ぷら定食を分け合った記憶がある。
うなぎは高くて手が届かなかった気もするが
たぶん相方がうなぎを避けたせいだ。

なぜなら柴又デートの数ヶ月前、
浅草デートでこれまた今も営業中、「やっこ」の鰻重を食べた彼女、
小骨をノドに刺して四苦八苦(七転八倒まではいかない)。
おかげで当夜は食後のラブホどころじゃなくなった。
国破れて山河あり、小骨刺さって難があり。

さて、今回の柴又歩き。
参道はもとより、駅前や江戸川土手をぶらりぶらり。
当初はどこぞで生ビールを飲むつもりだったのに気が変わった。
何となれば、柴又に心惹かれる酒場や居酒屋がないからだ。
しいていえば、「川千家」か・・・。
鯉のあらい、あるいは鯉こくを肴に燗酒だろうが
所詮、独り飲みには向かない店である。

そこで向かったのが、京成沿線随一の酒飲みたちの聖地。
そう、あの町であった。

=つづく=

2014年6月5日木曜日

第853話 金がなくても金町は・・・ (その3)

金町は昌明通り、日本そばの「白樺」で腰が宙に浮いたところ。
何となれば、壁の品書き札に食したいひと品を認めたからだ。
それは、変わりそばのよもぎ切り。
肉せいろと小天丼のセットを注文したが、
季節のよもぎ切りに遭遇したからには看過できぬものがある。
当然、チェンジ、チェンジであろう。

しかし、ここでちょいと考えた。
この日、目覚めてから麦茶を飲んだ。
その後、出先でアイスティーをいただいた。
でも、食事は取っていない。
そう思うと、一気に空腹感がつのってくる。

そばだけではもの足りない気もするし、
かといってどんぶり物を追加したら、
今度は食べきれないだろう。
よって、オリジナル・オーダーの据え置きを決断した。

それにしても気になるなァ、よもぎ切り。
ご丁寧に貼り札には”丹沢山麓よもぎ使用”とあったのだ。
そういえば”男はつらいよシリーズ”で
三崎千恵子扮するオバちゃんが嘆いていた。
「よもぎなんか昔は江戸川の土手でいっくらでも取れたのにねェ」―
それが今は丹沢でっか!

まずセットの片割れ、肉せいろが運ばれた。
南蛮ねぎとともにイベリコ豚のスライスが
熱いつゆに浮遊している。
「熱いトタン屋根の猫」ならぬ、「熱い肉せいろの豚」である。
部位は脂ののったバラ肉だろう。

そばを少々、箸先でつまみ上げ、そのまま口元に運ぶ。
噛み締め感のある好きなタイプだ。
これなら熱々のつゆに負けることもない。
いざ、食してみると、
その美味に舌の鼓がポンポコポンのポン!
いや、旨いのなんのっ!

数年の時を経て、
たまたま気まぐれに立ち寄った金町で
思いがけない佳店に出会った。
これを僥倖と言わずして何と呼ぼう。

小さめのどんぶりに
小海老の天ぷらが5本散らばった天丼だって
かなりのレベルに達している。
朱鷺(とき)色の尻っ尾までしっかり食べちゃった。
いや、満足、まんぞく。

そば湯を飲み干し、柴又へと向かう。
そして小一時間、寅さんの町をぶらついたのでした。

=つづく=

「白樺」
 東京都葛飾区東金町3-17-12
 03-3607-3684

2014年6月4日水曜日

第852話 金がなくても金町は・・・ (その2)

おやおや、最近ずっと上野について語ってきたというのに
まだ引きずってるヨ。
寅さんつながりで再び上野に舞い戻ってしまった。

今話の舞台は金町。
松戸から歩いてきたが、このまま軽く流して柴又に向かう腹積もり。
でも久々に訪れたのだ、しばらく散策するのも悪くない。
「東急ストア」を正面に見ながら北口を出た。

とにかく金町を歩いてみよう。
わりと新し目の駅前商店街には「松屋」、「日高屋」、「やよい食堂」、
「平禄寿司」、「東京チカラめし」、「オリジン弁当」が一直線に目白押し。
それもすべてが通りの右側(南側)に並んでいる。
何なんだ、この町は!  チェーン店ばっかじゃんか!

それでも抜けきったところに
昌明通りなるレトロな商店街が控えていた。
入り口の角には「上総屋」なる鮮魚店がある。
通りを進むと店先に野菜を並べた昭和チックな青果店もあった。
これコレ、こうでないと歩いた気がしないんだ。

一軒の日本そば店の前で立ち止まる。
店の名は「白樺」、ダーク・ダックスの歌うロシア民謡みたいな屋号だ。
店先のメニュー・スタンドにはランチ・セットが3種類。
思い出し出し、列挙してみよう。

 A かつ丼・ミニざる  820円
 B カレーせいろ・小海老5本天丼  870円
 C 肉せいろ・小海老5本天丼  920円
    (イベリコ豚使用)

眺めているうちに空腹感が襲ってきた。
よお~し、ここは”A”で行こう。
オスカー・ピーターソンを気取れば、
”A列車で行こう”ってこった。
時計は14時を回ったところ、店は15時から休憩に入る。
急がなくっちゃ。

おそらくこのあと柴又に移動する。
となれば、参道の茶店で1杯の茶を喫することになろう。
いえ、いえ、そうはならないのが哀しいおのれの性(さが)、
代わりに1杯の生ビールを飲むんだもんネ。

麦茶を運んできたオネエさんに迷うことなく注文した。
「肉せいろと天丼のセット、お願いします!」
「ハイ、かしこまりました」

わけの判らん番組の流れるTVを
ぼんやり眺めていた視線が壁の品書きに移る。
ややっ、おい、おい、こんな一品があったのかい。
あわてて注文を差し替えようと、腰が宙に浮いたのだった。

=つづく=

2014年6月3日火曜日

第851話 金がなくても金町は・・・ (その1)

 ♪ 遊びじょうずな 人だから
   あなた 仕事を押上よ
   金がなくても 金町は
   させてあげます いい思い
   よってらっしゃい 
   よってらっしゃい お兄さん ♪
      (作詞:はぞのなな)

藤圭子が自死してもうじき1年。
彼女のナンバーでは一番好きな曲がこの「はしご酒」。
当ブログではすでに紹介したことがあるけれど、
好きなものは何度でも登場させるのがJ.C.の主義につき、
お許しを。
というのも歌の文句に出てくる金町を訪れたからだ。

陽光うららかにして初夏のそよ風が襟足に涼しい。
こういうのを緑のそよ風というのだろう。

  ♪ みどりのそよ風 いい日だね
   ちょうちょもひらひら 豆のはな
   七色畑に 妹の
   つまみ菜摘む手が かわいいな ♪
        (作詞:清水かつら)

上記の2曲。
かたや不健康な呑ン兵衛オヤジの”応演歌”。
こなた健康な少年少女の愛唱歌。
何とまあ、落差の激しいことヨ。

とにかく、そよ風そよぐ昼さがり。
所用で出向いた松戸から江戸川を渡り、葛飾区金町まで歩いた。
早いハナシが千葉県から東京23区内に戻ったわけだ。
寅さん映画で一躍有名になった葛飾・柴又の隣り町が金町。

映画ではよく、妹のさくらにカバンを持たせて
(シリーズ終盤は甥っ子・満男に代わること多し)
柴又駅のホームにたたずむ寅次郎の姿を見ることができた。
あれは隣りの京成金町発の上り電車、高砂行きを待っているところ。

京成金町線は全3駅しかないので柴又からだと
上りに乗ろうが下ろうが1駅乗ったらもう終点
寅さんは高砂で乗り換え、西郷さんの真下、京成上野に向かう。
そこからJR上野駅に移動し、どこか遠いところへ旅立つのである。

今は無き駅地下の食堂や、
これも消えたレストラン「聚楽(じゅらく)」がスクリーンに現れると、
懐かしくて心にさざ波が立ってしまう。
と、同時に「ドナウ川のさざなみ」か、
「アムール河の波」が耳にこだまし始める。
前者の場合はインストルメンタル、
後者のケースはダーク・ダックスのコーラス付きだ。

=つづく=

2014年6月2日月曜日

第850話 あゝ上野癖(へき) (その3)

東京に長く暮らしていると、
おのれのホームグラウンドが移り変わったりもする。
あれほど親しんだ銀座も最近は足が遠のき、
さすがに浅草は常に身近であるが
このところよく出没するのは上野だ。

なぜか?
一つには上野動物園の存在が大きい。
そして不忍池。
水辺の散策は楽しい。
けして清らかな水をたたえているのではないのに
つい、つい、足が向いてしまう。
もう、癖になってしまった。

もしも浅草にひょうたん池が残っていたら・・・。
いや、それは銀座にもいえること。
かつては数寄屋橋の下にも
三原橋の下にも水が流れていたのだ。
イタリアのヴェネツィアには比べるべくもないが
銀座は水の都であった。

上野は不思議な街だ。
上野のお山と山下ではまったく異なる表情を見せる。
例えば上野駅を公園口に出ると、
目の前にオペラの殿堂、東京文化会館があり、
博物館、美術館が雄姿を連ね、
そのまま真っ直ぐ進めば動物園だ。
周辺を歩いているだけで心が晴れてくる。

一方、不忍口や浅草口を出たらどうだろう。
庶民の台所、アメ横が迎えてくれるし、
湯島へ続くフーゾク街が手招きもしている。
”食”と”性”、人間の二大欲望を満たすスポットがすぐそこにある。

山の上と山の下、
聖なるモノと俗なるモノが両翼を拡げて待つ街が上野だ。
文化と歓楽、アカデミズムとセクシャリズムが
共存して繁栄している。
こういう場所は東京広しといえどもほかにない。

しいていえば浅草がそうかな?
ただし、浅草はシンプルきわまりなく、
単に観音さまと吉原ソープ街に分かれるだけのハナシ。
もっとも吉原に足を踏み入れたとしても
拝むのは観音さまだったりして―。
おっと、シモネタを回避するのがJ.C.の真情だった。

ここ1~2年、上野界隈で飲み歩く機会が激増している。
ビョーキとは言わないまでも、悪癖になりつつあることは確かだ。
なじみの女はできちゃいないが、なじみの酒場はずいぶんと増えた。
この現状を嘆くべきか、嘆かざるべきか・・・
あゝ上野癖よ!

=おしまい=