2015年1月30日金曜日

第1024話 世界で一番寒い村 (その1)

ひと月以上も前になるけれど、
その日の午後は昼めしを家で食べ、くつろいでいたのだろう。
NHK―BSをただ、ぼんやりとながめていた。

「名作選プレミアム8 世界一番紀行 ~世界で一番寒い土地~」、
番組のタイトルに心惹かれ、われに返る。
あとはもう、TV画面に釘づけの巻である。
その姿たるやそれこそ十字架に釘打たれたイエス・キリストの如し。
ジーザス・クライスト!
そりゃそうだヨ、あちらがJ.C.なら、こっちだってJ.C.だ!
もっとも信者の数ではいささか水を開けられてはいるがネ。
なんちって!

ずいぶん昔に何かの本で読み、意表を衝かれたことがあった。
世界中の国の首都で
冬の平均気温が一番低い都市を読者はご存知だろうか?
食事会や飲み会の席上、ことあるごとに
「さて、ここで問題です」―こうして出題したが
正解者はただの一人も出なかった。

何のことはない、ロシアのモスクワ、
フィンランドのヘルシンキあたりが関の山。
かなり地理に明るい向きでもアイスランドのレイキャビクがせいぜいだ。
まあ、レイキャビクが出ただけでも評価に値する。

正解はモンゴルのウランバートル。
横綱・白鵬の生まれ故郷でもありますネ。
内陸性気候のモンゴルの冬はかくも寒いのだ。
まっ、盲点といえば盲点なのでしょうヨ。

これまた書物から得た知識だが
モンゴロイドの容貌の二大特徴ともいえる目細(めぼそ)と鼻ペチャは
人類が寒さと闘い続けた結果、産出された進化の賜物だという。
確かにデカ目では寒風にひとたまりもなく、
涙が凍ってまぶたが開かなくなるおそれすらある。
鼻にしたってコーカソイドみたいに高かったら鼻先まで血が通わず、
真っ赤なお鼻のトナカイさんみたいになっちゃうだろう。
ふむ、低い鼻梁にもそれなりの利点があるってこった。

番組が取り上げた世界最寒の土地は
ロシアのサハ共和国・オイミャコン村だった。
ギネスブックにもそのように登録されている。
地球上ではもちろん南極や北極のほうが寒いが
あくまでも人類が定住している土地でのハナシである。

取材班がオイミャコンに入る3日前。
ヤクーツクの魚屋には驚いたネ。
天を仰いで直立に凍りつくサカナたち
魚種はオームリだと思われるが
これじゃすべての鮮魚が冷凍品だ。

=つづく=

2015年1月29日木曜日

第1023話 横綱大鵬が泣いた日

33回目の優勝を成し遂げた白鵬が協会批判だなんだと、
逆に批判の矢面に立たされている。
角界というところは梨園にひとしく、実にメンドくさいところだ。
そういう世界だからこそ、
横綱としてのさらなる自覚を求められるのも判らなくはないが
ちと可哀相。

サッカーのアジア杯で本田が審判団を批判し、
60万円(だったかな?)の制裁金を課せられた。
本人には痛くもかゆくもない金額だろうし、
別段、メディアその他に批判されることもなかった。
プロ野球でも選手や監督が審判にたてつくのは日常茶飯事だ。

まっ、対遠藤戦での遠藤コールにイラついたように
白鵬には常日頃から
日本人力士へのひいき目に対する憤懣が蓄積されている。
それがポロリと口をついて出たのだろう。
横綱としてほめられたことではないにせよ、
横審の審議委員がこぞって非難するのも大人気ないように思う。
取組をライブで、さらにリプレイを見たが白鵬の指摘する通り、
確かに同体というより白鵬に分があったのも事実だ。

さて、その偉大な横綱・白鵬が
リスペクトしてやまないもう一人の偉大な横綱・大鵬。
読者におかれては
「何だ、またかヨ!」―あきれる方もおられようが
三たび例の旅日記の登場である。

実はJ.C.、大鵬引退の報をパリのシャンゼリゼで知った。
ときに1971年5月19日(引退は前日)。
よって、その日の日記をまたもや引用してみたいのであります。
お許しあれ、そして先をお読みくだされ。

午後、米映画「Love Story(ある愛の詩)」を観るために
セーヌ左岸のサン・ミッシェルに向かう。
東京で観てきたばかりだが何度でも観たい。
オープニングとラストのセントラル・パークはほんとうにキレイだ。
ただ、幕が降りる前に席を立つ観客には失望した。

サン・ジェルマン・デ・プレのニューススタンドで
M村クンにやる映画雑誌、「シネマ’71」を買った。
その後、シャンゼリゼのJALへ日本の新聞を読みにいく。

あの大鵬が引退。
子どもの頃は大鵬に強かった押し相撲の房錦ファンだったから
むしろ敵視していたけれど、
いつしか好きになっていて、寂しささえ感じる。
彼のような力士はもう永遠に現れないだろう。
インタビューで涙をぬぐう顔に子どものようなやさしさがあった。
プロ野球では長嶋が大活躍を続けている。
スポーツ選手の宿命の重さを思い知らされた。

22時15分。
オリエント・エクスプレスでウィーンへ発つ。
パリで行動をともにした3人と固い別れの握手。

ミスタープロ野球はその3年半後に引退した。
好敵手不在とはいえ、偉大な横綱はまた現れた。
しかし、スポーツはいいねェ、実にいい。
この稿を綴っているのは28日未明。
一夜明けたら全豪オープン、錦織―ワウリンカ戦である。
昼めしにはハムサンドでも作っておいて
ビールを飲みながら観戦しようっと―。

2015年1月28日水曜日

第1022話 汝の隣人を愛せ (その7)

浅草のビヤホールで色めき立った、
ミレイユの気持ちが判らぬでもない。
それもそうサ、ひょっとしたら彼女の伯母さんは44年前のあの日、
キュロッツ駅でJ.C.にコーラを振舞ってくれた、
女子高生その人かもしれないんだからネ。

でもって、その結果。
冷静に判断したら、こりゃ間違いなく別人でありました。
まず、伯母さん曰く、
「まったく心当たりがありまっしぇん!」とのこと。
姪っ子たちに対するポーズもあろうが
トドメは女子高生時代に
しかも初めて逢った外国人に
キスするわきゃないときたもんだ。
ですよねェ、ハナからこんな奇遇があるハズはないんだ。

しかし、一連の成り行きにミレイユは
ケラケラけらけらと、ワラうこと笑うこと。
つられて姉のイヴォンヌまで目に涙を浮かべて笑ってる。
フン、まったく冗談じゃないぜ!
少しはこっちの身にもなってみろってんだ。
とは言いつつも、J.C.伯父さんの頬もまた、
ゆるみっぱなしであったけどネ。

その後はテーブルが和んで交わす会話も和気あいあい。
話題は浅草から京都、グルノーブルからパリへと、
やたらめったらあちこちを飛び回る。

フランスの政治にまで及び、
やれシラクの時代のほうがまだマシだった、
国を悪くしたのはサルコジだ、
オランドはまだ何もしちゃいないなどなど、
まあ、よくしゃべること、しゃべること。

そいでもって何かのはずみからテーマが歓楽街に移った。
パリのピギャール広場、ハンブルグのザンクトパウリ、
ご当地・浅草の吉原、続々と出てくる。
挙句の果ては「K」で何杯か飲んだあと、
姉妹を吉原のソープ街にご案内ときたもんだ。

 ♪ 梅は咲いたか 桜はまだかいな 
   柳やなよなよ 風しだい
   山吹や浮気で色ばっかり しょんがいな
   
   柳橋から 小船を急がせ
   舟はゆらゆら 波しだい 
   舟から上がって土手八丁 吉原へご案内 ♪

小唄の「梅は咲いたか」にも謳われた吉原。
もちろん、ご入浴に及ぶわけもなく、そぞろ歩いただけながら
彼女たちにとっては二度と得られぬ貴重な体験だったろう。

とまれ、シアワセな出会い、楽しい春の夕べでありました。
カフェでもビヤホールでも居酒屋でも
人生、汝の隣人を愛することが肝要であるぞなもし。

最後にちょっと意外な新事実。
本シリーズ前半に登場したミゲル&マリア夫妻だが
彼らそれぞれの生誕地、ブエノスアイレスとサラマンカは
驚くなかれ姉妹都市だった。
二人はソレを知っていたのかな?
いや、たぶんご存知ないのだろうヨ。

=おしまい=

2015年1月27日火曜日

第1021話 汝の隣人を愛せ (その6)

旅日記@グルノーブルのつづき。

とりあえず、近所のスーパーマーケットに行ってみた。
このホステルに日本人の姿なく、
同行してくれたのはオランダ人のカップル。
彼らは肉や野菜を買ったが、こちらは調理済みのものを物色。
親切な二人だったのに名前を聞き忘れた。

ここで痛恨の失策を犯す。
手頃な値段だと早合点して買ったボイルド・ポークが
なぜか高かったうえにまったく口に合わない。
半分も食べられず、捨てるハメに陥る。
赤毛のアンのセリフじゃないけど、
あまりにも現実的にすぎる食物だった。
人生、こんなこともあるんだ。

食後、日本の実家や友人に絵ハガキを書く。
なんとなく空腹感を覚えながらも洗濯を済ませ、
久々のシャワーを浴び、こうして日記をつけている。
熱いシャワーがうれしかった。
豚野郎はさておき、とてもいい気持ち。

もの心ついてからというもの、
フランスはあこがれの国であり続けた。
もちろん美食大国としての認識がある。
あゝそれなのに、人生最初のフランスでの食事は大はずれ。
どうにかこうにか気を取り直し、翌朝はマルセイユへと旅立つ。

西暦2015年(今年ですが)に舞い戻り、
2週前のビヤホール「K」である。
イヴォンヌとミレイユに彼女らの故郷の思い出話を熱く語るJ.C.。
ジュネーヴからグルノーブルまで一緒だったヨランダのくだりでは
ミレイユが身を乗り出して額(ひたい)と額が触れんばかり。
何となれば、彼女たちの伯母の名前もまたヨランダというじゃないか。

じぇじぇ! まさか、まさか・・・、もしや、もしや・・・、
息をつくひまもあらばこそ、
ヨランダ伯母さんの履歴やら容貌やらを聞かされたものの、
こちとら顔すらほとんど覚えていないんだから確かめるすべはない。
でも、驚いた。
ミレイユ曰く、伯母さんは今年で61か62歳になるとのこと。
年がピタリと合っていてまたもや、じぇじぇ・・である。
好奇心旺盛なフランス娘は伯母さんに電話を掛け始めたぜ。
おい、オイ。

ことここに及んで沈着冷静なJ.C.も
44年前、ホッペに受けた口づけを思い出してソワソワし始める。
ヤケにノドが渇き、中ジョッキから大ジョッキに切り替える始末。
姉妹にも小ジョッキのお替わりに加え、名代の電気ブランをとってやった。
ついでにスモークサーモンとカキフライを追加注文する。
こうなりゃ、金に糸目をつけない大盤振る舞いでいくぞなもし。

=つづく=

2015年1月26日月曜日

第1020話 汝の隣人を愛せ (その5)

浅草のビヤホール「K」で遭遇した仏人姉妹はグルノーブル生まれ。
おかげで欧州旅日記を再び開くこととなった。

ときに1971年4月25日。
最近、とみに為替相場を騒がせているスイスフランだが
当日はスイスの首都・ベルンからローザンヌへ抜け、
レマン湖を船で渡ってジュネーヴに入り、ユースホステルで1泊。
明けて4月26日のダイアリーである。

ユース近くのカフェで朝食をとった。
オムレツにクロワッサン2つ、デニッシュ1つ、
バター、チーズ、ジャム、カフェオレ、コカコーラ、
総額4.5フラン以下は安い。
久しぶりに充実の朝めしとなった。
イタリアよりうまいとは思わないがドイツより洗練されている。

イギリス公園、モンブラン橋、ルソー島を廻る。
レマン湖の大噴水も見たし、
はるか遠く、モンブランも眺めることもできた。

ジュネーヴ駅のビュッフェで軽い昼食後、グルノーブルへ発つ。
頭の中を「白い恋人たち」のメロディーが回り始める。
作曲はフランシス・レイ。
ちょうど1月前、横浜の大桟橋を出る数日前に
レイが音楽を担当した「ある愛の詩」をロードショウで観た。
テーマ曲が心に深く残っている。

途中、キュロッツという山中の小駅で乗り換え。
このとき、列車内で前の席にいた仏人の女の子が
いろいろ教えてくれ、とても助かった。
彼女の行く先もまたグルノーブル。
以降、一緒に行動したというより、連れられていった感じ。

キュロッツ駅構内のカフェではコーラをごちそうになる。
彼女の名前はヨランダ、リセに通う17歳の高校生だ。
2歳年上の男子学生が2歳年下の女子高生におごられる。
こんなことでいいんだろうか、日本男児?

たどたどしい会話を交わすうち、グルノーブルに到着。
高原の駅よ、こんにちわ。
別れ際、ヨランダからほっぺたにキスされて胸が騒ぐ。
もしもこの町にとどまっていたら、たぶん恋仲になったろう。

グルノーブルはヒドく英語の通じない土地だった。
バスストップの場所をたずねるにも一苦労。
それでもどうにかユースにたどり着く。
バスの窓からアラン・ドロンの新作映画のポスターが見えた。
ポール・ムーリスとナタリー・ドロンが並んでいる。

ホステルの責任者は中年のマダム。
食事は出せないがキッチンの設備は整っているから
何か自分で作りなさいとの指導。
自炊をすすめられてもなぁ、日本男児はここで困ってしまった。

またもや日記の中途ながら、以下は次話で―。

=つづく=

2015年1月23日金曜日

第1019話 汝の隣人を愛せ (その4)

浅草1丁目1番地のビヤホール「K」にいる。
他店の大ジョッキ並みのサイズを誇る中ジョッキを飲んでいる。
つまみは今が旬のかきフライだ。
有楽町の老舗ビヤホール、
こちらは冬場を迎えると、かき料理専門店として脚光を浴びるのだが
「L」のそれには遠く及ばない。
及ばなくとも一応、真っ当なかきフライのレベルには達している。

ポケットのケータイがブルルッときた。
メールではなく電話のほうだ。
掛けてきたのは鎌倉ののみとも・P子。
店外に歩み出、サンプルケースの前で通話を終えたとき、
突如、英語で話しかけられた。

振り向くと声の主は赤みを帯びた茶髪の女性。
その隣りにもう一人、こちらは金髪に近い。
明らかに外国からの来訪者である。

「Excuse me 」とこられたから
「May I help you ?」と応じた。
彼女たちの質問の内容は
このビヤホールで飲みたいのだが
どういうふうに注文したらよいのか?
電気ブランなる飲みものとはいったい何ぞや?
オススメの料理は何か?
というものだった。

手短かにすべて答えて店内に導き入れたとき、
またもやP子からの電話だ。
女性たちを1階のチケット売場に連れてゆき、
再び外へ出る。

急ぎ戻って店内を見渡すと、
ちょうど二人がジョッキを合わせるところ。
結局は薬局、飲みかけの中ジョッキを自分で運び、
彼女たちのテーブルに移動した。

互いの自己紹介により、
判明したのは二人が姉妹であること。
声を掛けてきたのは妹のほうでミレイユ。
3歳年長の姉はイヴォンヌ。
ともにフランスはグルノーブルの生まれだった。

1968年に冬季五輪が開催されたグルノーブル。
その模様をクロード・ルルーシュがフィルムに収め、
フランシス・レイが音楽を担当したのが
仏映画の「白い恋人たち」である。

ここでまたもや1971年の欧州旅日記を紐解かねばならない。
グルノーブルに到着したのはトレド観光の4日前、
4月26日のことであった。

=つづく=

2015年1月22日木曜日

第1018話 汝の隣人を愛せ (その3)

1971年春、欧州旅行の日記のつづきは、@トレドである。

その後、M子サンと語り合ったのは
もっぱら互いのふるさと・長野県と、
一応、二人の母校と呼べる長野西高について―。
楽しい時間だった。

日本に帰るのはこちらが来月、あちらは来年の予定。
再会したら一緒に野球の早慶戦に行く約束をした。
本当にまた会えるかな?
同郷のよしみがあることだし、この偶然を活かしたい。
2歳年上になっちゃうが、とても可愛い人だし・・・。

かくして春のトレドの一日は
忘れ得ぬ思い出として記憶にとどまる。

そして翌年、願いはかなって二人はめでたく再会。
それなりの関係を結ぶのに、ほとんど時間を要しなかった。
まっ、そこそこロマンチックにしてドラマチックでござんしょう?

このハナシをサラマンカ出身のマリアに聞かせたわけだ。
目の前の日本人の恋人が
かつて自分の生まれ育った街に留学していたとなると、
他人事ではない因縁を感じるのも当然、
耳を傾けているあいだ、彼女の瞳はずっと輝いていた。
もっとも夫のミゲルは早いとこ、
アルゼンチンの話題に戻したい様子だったけどネ。

てなわけで袖振り合うも多少の縁、
このまま別れるに忍びがたく、
3人は8丁目のバーで飲み直しと相成った。

以上が去年の年末の出来事。
年は明けて舞台は浅草に移る。

松が取れても浅草の人出は衰えない。
とはいうものの、
文字通り、夜の”浅い”土地柄につき、にぎやかなのは夕暮れまでだ。

 ♪  さあさ着いた 着きました
   達者で永生き するように
   お参りしましょよ 観音様です
   おっ母さん
   ここが ここが浅草よ
   お祭りみたいに 賑やかね ♪
       (作詞:野村俊夫)

1957年リリースの「東京だよおっ母さん」。
島倉千代子が歌った浅草はお祭りみたいに賑やかで
往時は多少なりとも夜の深みがあったハズだ。
J.C.が初めて浅草を訪れたのも同じ1957年。
大人同士の酒宴の片隅で
近々、小学校入学を迎える少年はうな丼を食べていましたとサ。

さて、年初の浅草である。
その夕刻は街のランドマークともいえるビヤホール「K」の1階にいた。
いつもは2階に上がるのだが
この日に限って1階の雑然とした雰囲気に身を置きたくなったのだろう。
そこに一つのドラマが待っているとは夢にも思わずに―。

=つづく=

2015年1月21日水曜日

第1017話 汝の隣人を愛せ (その2)

銀座7丁目の巨大ビヤホール「L」にいる。
アルゼンチン人の夫、スペイン人の妻、
ともにスペイン語圏に出生した夫婦と会話を楽しんでいるのだ。

まずは夫のほうのふるさと、ブエノスアイレス談義だ。
J.C.がこの街を訪れたのはちょうど20年前の1995年3月。
ニューヨーク在住時代に
予定外の休暇が5日ほどポッコリ取れたので
以前から行ってみたかったブエノスに単身出かけたのだった。

観光には興味が湧かないタチにつき、
あてもなく市内をぶらぶらしては昼日中から酒を飲んでいた。
よく顔を出したのは有名な「Cafe Tortoni」。
ランチタイムはいつもここだった。
アンニュイ漂う店の雰囲気が好きだった。
クルメス・インペリアルという銘柄のビールを水のようにあおり、
その片手間にサンドイッチやサラダをつまむのだ。
二日酔いのときにはフレッシュ・オレンジジュースを飲んだりもした。
店のステイタスは一流だったが味はせいぜい二流どまり。
アルゼンチンの食文化は推して知るべしであったネ。

晩飯には「Alturito」に2回行っている。
リブアイステーキやパリラなるミックスグリルを食べている。
未消化の詰め物入り豚の腸にはマイッた記憶がある。
以上2軒のレストランをブエノス生まれの夫・ミゲルは知っており、
ハナシに花が咲いたのだった。

一方の妻・マリアはスペインの大学都市・サラマンカの出身。
サラマンカ大学はヨーロッパ大陸において
ボローニャ大学、パリ大学と並ぶ古い歴史を持っている。
J.C.はこの街には行ったことがない。
行ったことはないけれど、縁も所縁もないというわけではなかった。

今は昔、1971年4月30日。
初めての欧州旅行のさなか、スペインの首都・マドリッドにいた。
その日の日記を紹介してみよう。

近郊の古都・トレドに行く。
マドリのユースホステルで一緒になったS君と同行した。
一つ列車に乗り遅れてしまい、駅前で軽い昼食をとる。

トレド行きの列車内で日本人の女の子と偶然出会った。
旅は道連れ、3人で古いトレドの町を歩く。
さすがに他のスペインの町々と比べると、趣きを異にしている。
これぞスペインの感がしないでもない。
一通り廻ったあと、カフェで話し込み、帰りの列車に乗った。

発車後すぐS君は居眠りを始めてしまい、会話は彼女と二人。
K滝M子サンはA大学の4年生だが
現在、サラマンカ大学に留学中とのこと。
驚いたのは出身地が同じ長野県の篠ノ井で
もっと驚いたのが出身校が長野西高だったこと。
西高は母親の母校であり、自分も附属幼稚園に通っていたのだ。
こちらも驚いたけれど、向こうも驚いた。

とここまで綴って、日記の途中ながら以下は次話。

=つづく=

2015年1月20日火曜日

第1016話 汝の隣人を愛せ (その1)

去年の暮れと今年の初め、似たようなことが重なった。
どちらも舞台は都内有数のビヤホールである。
今話からその2件を語ってみたい。

クリスマスと大晦日にはさまった或る夜。
わりかし早い時間に引けた忘年会のあとだった。
何となく飲み足りなくてふらり立ち寄ったのは
日本のビヤホール史における草分け的存在の「L」。
首都圏に棲んだり、働いたりしている方なら
容易に店名を推量できるはずだが
ここはあえてイニシャルにとどめておく。

年の瀬の店内はごった返していた。
真夏の湘南海岸に等しいものがあった。
生ビールが美味しいのは何も夏に限ったことではない。
厳冬に暖炉の前で飲るビールもまた、夏場に劣らぬ旨さだ。

独り小卓で中ジョッキを楽しんでいると、
隣りの卓が、ちと騒々しい。
べつに酔漢が騒いだりしているんではなく、
外国人カップルがウエイターと会話を交わしていただけのこと。

ただし、接客係のイングリッシュはたどたどしいどころか
おまえサン、中学で何勉強してたの? てな稚拙さ。
かたや、外人ペアのソレもスペイン語の訛り激しく、
お世辞にも上手とは言えない。

しょうがないねェ・・・。
ホスピタリティのエッセンスみたいな男が
この光景をどうして看過できようか。
よって通訳に及んだわけだが
何のこたあない、客側は夕食を済ませたので
セルベッサ(ビール)を1杯飲ったら引き上げるつもりのところ、
店側はフードの注文を取ろうとしてたワケだ。
もっとも店は強制的に何か食わせようとする意図などなく、
コミュニケーションの欠如がハナシをややこしくしただけだった。

これにて一件落着。
と思ったものの、人生はそんなにシンプルではないわいな。
銀座の「L」にはかれこれ40年以上通っているが
昔は今ほど混まなかったからテーブルの間隔にもゆとりがあった。
ところが昨今は詰め込みやすいように小卓同士がニアミスしており、
くだんのカップルともほとんど同居状態だ。
当然、互いに沈黙のキープなんかできやしない。
ましてや連中にとって、J.C.はつかの間の恩人だもんネ。

つたない英会話教室が始まった。
結果、判明したのは二人が夫婦で
夫はアルゼンチンのブエノスアイレス出身、
妻はスペインのサラマンカ生まれということでありんした。
こりゃ、このままじゃ終わらんネ。

=つづく=

2015年1月19日月曜日

第1015話 理髪のあとさき (その3)

髪を理して男前によりみがきのかかったJ.C.、
待望の晩酌タイムを迎えている。
普段は渋谷きっての立ち飲み酒場「富士屋本店」に立ち寄るか
日本最古のメトロ・銀座線に乗って都内有数の盛り場に繰り出す。

候補地の選択肢は3箇所もあっていずれもが銀座線沿線。
便利といえば便利ながら、行く先を迷うのが常、
いろいろあり過ぎるのもまた悩みを生み出す素になる。

三つの候補地はまず最初に神田。
表通りと裏通りにそれぞれ別経営の「三州屋」があり、
行き着けは裏のほう。
ここは銀ムツのあら煮とカニサラダがとても旨い。
1皿千円弱の刺身盛合わせがなかなかで
殊にめじまぐろや上りかつおが組み込まれていたらオススメ。

お次は上野広小路。
御徒町駅のガード下にある「味の笛」が気に入りだ。
1Fが立ち飲み、2Fが座り飲みの両面(リャンメン)待ちは使い勝手がよい。
工場直送のスーパードライの生が爽快で
つまみには鮭とばや新香盛りがよろしい。
小腹が空いたらマカロニサラダか塩焼きそばを取る。

そして最後が地下鉄の終点・浅草。
改札を上がると、目に前には「神谷バー」。
ここではポテトサラダと串カツで生ビールをグイッと飲る。
ジョッキを2杯ほど飲ったら名代の電気ブランに移行しよう。

さて、散髪を済ませたその夜であった。
結局、「富士屋本店」にも行かなければ、
銀座線の乗客にもならなかった。
どこで生まれた発想だろう・・・なぜか
理髪前に飲んできた「丸木屋商店」に舞い戻ったのだ。 
こういう不可解な行動はまず取らない。
魔が差したとしか言いようがなく、われながら理解に苦しむ奇行だった。

本日2度目の「丸木屋商店」で飲んだのは
またもやビールの大瓶と二級酒の燗。
つまみに選んだ新香はこの時期、白菜漬のみだった。
真っ赤な鷹の爪が散見されたのに
無意識のうちに七味を振りすぎ、結果として白菜は激辛。
ブラックマヨネーズじゃないが、ヒーハーの巻である。

せっかく角打ちに来たのだから定番の缶詰を開けてもらわなきゃ・・・。
そう思ってお願いしたのが明治屋のウインナー缶。
さして美味しくもないのに角打ちではときたま注文する。
小さな缶のわりにギッシリ詰まっており、
ヒマに任せて数えてみたら11本もあったぞなもし。

さすがに11本を独りで食べると飽きる。
チューブ辛子をつけたりもしながらふと見ると、
卓上にハチ公ソース中濃なんてのがあるじゃないか。
製造元のハチ公ソース株式会社は隣り町の富ヶ谷に本社がある。

忠犬ハチ公は確か秋田犬のハズ。
まさか大手のブルドッグに張り合うつもりのネーミングでもなかろうが
秋田犬とブルドッグ、まともにやり合ったらどっちが強いんだべか?

=おしまい=

「丸木屋商店」
 東京都渋谷区神山町7-5
 03-3467-7668

2015年1月16日金曜日

第1014話 理髪のあとさき (その2)

渋谷は神山町の角打ち、「丸木屋商店」で独り立ち飲んでいる。
先客は中年のカップルにリーマンの上司と部下の二人組、
計4人だけである。

壁に貼り出された日本酒のリストを見上げていると、
目の前で手持ちぶさたにしていた女将から一声掛かった。
何でも酒造からの好意もあり、
正月の6日から9日までの期間限定で八重寿の二級酒を
普段330円のところ、300円で提供しているとのことである。
たった30円の値引きながら、こういうものは縁起モノ。
素直にオススメに従い、ちょいと熱めの燗にしてもらう。

つまみは先刻頼んだ煮込みだけでじゅうぶん。
それでも品書きから目を離さない。
冷奴は1丁が450円、半丁だと240円。
厚揚げ焼きは470円で油揚げ焼きが250円。
味海苔w/6Pチーズなるものがあり、これは170円。

いかにも角打ちらしい手の掛からないメニューが主流だ。
レンジで温めたり、お湯を注いだりするだけの手抜き品が多い。
おでん・焼きそば・焼きおにぎり・スパゲッティ・カップヌードルあたりはともかく、
さとうのごはんてのはちょっとねェ・・・。
第一、酒屋の角打ちでごはんを食う客がいるのかい?
もしいたとしたら無粋極まりないぜ。

ぬる燗と熱燗のちょうど中間の上燗についた二級酒が旨い。
奇をてらわぬ昔ながらの懐かしい味がする。
やはりにっぽんの酒、日本酒はこうでなくっちゃ。

そうこうするうち、時間となってヘアサロンに赴く。
昨年、コリアンの青年と所帯を持ったK子チャンに
髪を切ってもらい始めて10年余りの月日が流れているはずだ。
あどけなさの抜け切らなかった彼女も今や人妻、
こちらの髪に雪がちらつき始めるワケだヨ。

訊けば、やさしい旦那だそうで、それなりのシアワセをつかんだ様子。
けっこう毛だらけ、猫灰だらけでごじゃりますがな、もう!
悩みのタネは食べものの好みらしく、
互いに相手国の味になかなかなじめないんだネ。

そんな彼女、年末年始は京都で過ごしたとのこと。
京都には彼女の実姉が嫁いでいる。
その節の京都みやげ、「あーじや」の抹茶チョコをいただく。
甘味にうといJ.C.は知らなかったが世に名の知れた逸品であるらしい。
猫に小判、豚に真珠、象にダイヤモンドとはこのことで
まっ、気が向いたら夜更けにブランデーの友にでもするかの?

=つづく=

2015年1月15日木曜日

第1013話 理髪のあとさき (その1)

地下鉄の車内で見掛けた本を読む少女は表参道で下車していった。
立ち上がると意外にもスラリとして、いわゆるバックシャン。
健康そうなうしろ姿に幸多かれと祈るJ.C.であった。

こちらはこれから2ヶ月に一ぺんのヘアカットである。
おっとその前に心が晴ればれとしたせいか一杯飲りたくなった。
さいわい予約時間まで少々の余裕がある。
渋谷界隈でサク飲みとなれば、第一感は「富士屋本店」だが
明治神宮前(原宿)から歩くには距離があり過ぎるし、
そこまでの時間的余裕はない。
さっき彼女が降りた表参道で乗り換えればよかったなァ、
などと、今さら後悔しても始まらないのだ。

でもそこは餅は餅屋というか、蛇の道はヘビであったぞなもし。
振り向けば横浜、ひらめけばひざポンでありやした。
1駅乗り越して代々木公園まで行く。
ヘアサロン方面に向けて歩くこと5分、
やって来たのは角打ちの「丸木屋商店」だ。

1月初旬ながら暖かい夕暮れ。
しかも足を急がせたものだからビールが欲しい。
餅は餅屋なら酒は酒屋であろう。
ちゃあんとキリン・サッポロ・アサヒの揃い踏みときたもんだ。
もちろん望めばサントリーだって
奥から(こちらが店の表だが)出て来るハズである。

ビールは大瓶(500円)、中瓶(450円)、小瓶(330円)の価格付け。
まっ、酒屋の角打ちとして安くはない。
最近、何度か訪れた「巣鴨 ときわ食堂」は大瓶が480円だからネ。
リストに小瓶はアサヒだけとある。

アサヒの大瓶をもらってつまみを択ぶ。
冬だけメニューは

 月曜―湯豆腐  火・水・木曜―煮込み  金曜―煮込み豆腐

といったラインナップ。
その日は水曜、よって煮込み(430円)をお願いしたわけだ。

小鉢にあふれんばかりの煮込みは豆腐が主役。
続いて大根、豚のシロもつ少なく、あとはゴボウだ。
薄味仕上げながら、熱々で身体が芯から温まる。
好みのタイプとは異なるものの、これはこれで悪くない。

酒は酒屋(しつこいかな?)にして主に東日本の銘酒が並ぶ。

 秋田・高清水本醸造、北海道・国士無双純米(各390円)
 秋田・白神山地の四季特別純米、新潟・吉乃川吟醸、
 東京・澤乃井純米大辛口(各410円)
 石川・天狗舞純米(490円) 富山幻の瀧大吟醸(530円)

といったところだ。

大瓶を飲み干してなお、若干の時間があった。
日本酒を1杯飲っておこうか―。

=つづく=

2015年1月14日水曜日

第1012話 本を読む少女 (その2)

今話のアップが遅れ、失礼しました。
稿は書き上げたものの、PCにインプットし忘れました。
今、ランチから戻って気がつき、遅ればせながらであります。
お許しください。

暖かい日々が続く新年の東京。
朝からまぶしい陽射しに恵まれた好日の夕刻、
理髪のために渋谷へ向かっていた。
地下鉄・千代田線の明治神宮前(別名・原宿)で下車する予定だ。
ヘアサロンは渋谷区役所の真ん前にあり、
最寄り駅は渋谷か明治神宮前だが代々木公園からもそう遠くない。

さて、千代田線の車内であった。
ふと見掛けた、いや、見初めたと言い切ってもいいかもしれない。
とにかく、一人の少女のことだ。
下心もないのになぜ心惹かれるものがあったのでしょう?
読者も一緒にお考えください。

そう、サブタイトルにあるごとく、彼女は本を読む少女でありました。
いやあ、電車内で読書に耽る乙女を見るのは実に久しぶり。
昨今、老若男女を問わず、
本を読む乗客がめっきり減ったからねェ。

ここ数年、ラッシュアワーを極力避けているので
実情を把握しきれてないけれど、
出版社の経営不振から察するに
本が売れないんだから読まれるハズもない。
ただし、電子書籍がそこそこの人気を得ているようで
傍からは読書に見えなくとも
実際は活字になじんでいる向きも少なくないのだろう。

本を読む少女にビビッときたのはほかでもない。
彼女の横顔がインスパイアーさせたものは
1枚のフランス絵画であった。
絵にそれほどの興味を示さない方でも
フラゴナールの「読書する娘」はご存知なのではないか。
シンプルなのに心に染み入る少女の横顔であり、
眼差しであり、指先であった。

ジャン・オノレ・フラゴナールは18世紀後半、
ロココ美術最盛期のフランスで活躍した。
「読書する娘」と並び称される傑作、
「ぶらんこ」は後世の画家たちに多大な影響を与えている。
バブル華やかなりし頃の東京で一世を風靡した感すらある、
ルイ・イカール(米国ではルイス・アイカート)など、その最たるものだろう。

それにしても本を読む女性はいいですねェ。
マジマジと見たわけではないが、美人というほどではなかった。
さして美しくはなくとも何とも好もしい表情に
オジさんの頬はつい、ゆるんでしまう。

若い女性にはケータイやスマフォを手にするよりも
文庫本でいいからサ、書を開いていただきたいなァ。
そのほうがはるかに利発に、そして魅力的に見える。

ん? 車内で化粧に励む女性はどうだってか?
ケッ、ああいうのは女性とは言わないでしょ。
オンナとも呼べないネ。
あの手はさしずめメスって言うんだヨ、あったりまえじゃん!

2015年1月13日火曜日

第1011話 本を読む少女 (その1)

今年の初春は暖かいですねェ。
関東地方を暖冬が包んでくれているのか、
はたまた自分自身の寒さに対する感度が鈍ったのか、
そのあたりはよく判らないんだけれど―。

数日前のこと。
東京メトロ・千代田線に乗り、渋谷を目指していた。
行きつけのヘアサロンで髪を理するためである。
車内は空いており、ほぼガラガラ状態。
常日頃から、たとえ空席があっても
なるべく座らないように心がけてはいる。
心がけてはいてもガラガラの車内で不自然に突っ立っていると、
かえって目立ってしまい、他の乗客に怪しまれないとも限らない。
よってすみやかに着席した次第だ。

やけに暖房が効いて、おケツがムズムズと温かいぞなもし。
おまけに重くなったまぶたが自然に降下をし始める。
うたた寝に陥る寸前、二日前にTVで観たワンシーンを思い出した。
おかげで閉じかけたまぶたが開いたのだった。

民放による群馬県・みなかみ温泉を紹介する番組だったが
近年この地に、欧米・オセアニア・東南アジアあたりから
観光客が激増しているというではないか。

そのなかで北欧・スウェーデンより来訪したカップルが
ひとしきり日本の温泉の素晴らしさを語ったあと、ひとこと付け加えたネ。
それは温泉とは無関係ながら
「都心を走る電車内の乗客が揃ってしているお昼寝は
 国民的慣習なのでしょうか?」―
ハハ、言われちまったヨ。
あまり世界に誇れることではないからなァ。
事実、日本人は電車に乗るとホントによく眠るねェ。
まっ、車内だけにシャーナイ、ってか。

でもってその千代田線である。
向かいの座席には男女2名づつの計4名。
うち3名が眠りこけていて
残りのアンちゃんはケータイの操作に忙しかった。

でもって反対側、いわゆるJ.C.側を流し目で見てみると、
数メートルへだてて若い娘が一人だけだ。
ここでいや、マイッたなァ、彼女の横顔をみとめた瞬間、
年甲斐もなくビビッとくるものがあったのでした。

いや、ベツにイヤらしい気持ちでそう思ったのではないし、
ましてや下心の”シ”の字もなかったんだヨ、正直言って―。
歳の頃なら二十歳(はたち)前後だったでしょう。
ひょっとしたら昨日あたり、晴れ着をまとって
どこぞで性人式、もとい、成人式にのぞまれておったやも知れぬ。
いや、ハタチはないな、せいぜいがハイティーン、
ヘタしたら15歳の中学三年のセンもあり得るぞなもし―。

=つづく=

2015年1月12日月曜日

第1010話 D坂下の交差点 (その4)

谷中は三崎坂の中華「砺波」からハナシの流れで
鶯谷はラブホ街入口の居酒屋「信濃路」に来てしまった。
中身スカスカじゃないものの、
ころもガシガシの不味いイカフライに添えられた、
キャベツをつまんだところである。

いや、まいったネ。
ドレッシングに含まれた強烈な化学調味料とニンニク臭に見舞われて
心ならずも「ギャッ!」っと悲鳴をあげちまったじゃないか!
「太陽にほえろ!」のジーパン刑事こと、
松田優作じゃないけれど、「何じゃ、こりゃあ!」だったのである。

ビールとイカフライで計910円を支払い、夜明けの街に出る。
時刻はまだ5時半前。
街もホテルもカップルたちも、みな寝静まっている。
なかにゃ励んでる元気なのもいるやろう。
ふ~む、なんだか侘しいねェ。
ヒマに任せて自宅までとぼとぼ歩いて帰ったのでした。

「砺波」からまた脱線しちまった。
大瓶が半分ほどなくなったところで野菜そばが登場した。
醤油スープのタンメンといった感じ
何も気にとめずスープを一口。
うん、なかなかである。
続いて具の野菜を押しのけ、一箸引き上げた麺をすする。
モグモグやったその瞬間、われに返った。
ちょ、ちょっと待てや!
前話の「古き良き東京を食べる」の文章にあるごとく、
「砺波」の野菜そばは他店のタンメンに等しいハズ。

思い起こせば前回も意識はしなかったものの、
醤油仕立てだった気がする。
帰宅後、あわててPC内のフォトリストをチェックすると、
ありました、ありました、2010年に撮影したものが―。
ソレがコレ
両者、まったくの別物でありましょう。
どちらがいいかって?
そりゃあもちろん、以前の塩味スープのほうが断然いい。
見た目も味もネ。
美しさ、清らかさが雲泥の差でしょうがっ!
たかが汁ソバ一つでそんなに熱く語らなくっても・・・
読者の声が聴こえてきそうだが
J.C.が一目惚れしたのは以前の野菜そばであって
此度のどんぶりに恋心は芽生えんのですヨ。

あらためて見比べると、
白雪姫ともののけ姫ほどの違いがある。
これは近々、また訪ねてオバさんを問い質さねばならない。
いったいどんな経緯(いきさつ)があったのだろうか。

そう言やあ、もう一つ気になっていることがあった。
当店の目の前の小さな交差点を北に走るのがよみせ通り。
この通りに同名の居酒屋「砺波」がある。
そうそうある屋号ではないし、何か因縁がありそうだ。
常々、中華屋のオバさんに訊こうと思っていながら
つい、つい、忘れてしまっている。
いよいよアル中予備軍にとどまらず、
アルツ予備軍にも片足突っ込んでいるやもしれまっしぇん。
あ~、ヤだ、ヤだ。

=おしまい=

「信濃路」
 東京都台東区根岸1-7-4
 03-3875-7456

「砺波」
 東京都台東区谷中2-18-6
 03-3821-7768

2015年1月9日金曜日

第1009話 D坂下の交差点 (その3)

旧臘、三崎坂の中華屋「砺波」を数か月ぶりで訪れた。
相変わらずオバさん(女将さんデス)がテキパキと元気、ゲンキ。
それもただ元気なだけでなく、彼女の気ばたらきがこちらに伝わって
客の居心地をよりよいものにしてくれている。
大手外食チェーン店のバイト嬢による、
マニュアル通りの空疎な接客スタイルとは
根底から異なる温かみに満ちているのだ。

いつものように注文はビール大瓶&野菜そば。
周りを見渡すと、いや、小体な店だから
あえて見渡すまでもないが先客は誰もいない。
手酌でキリンラガーをコップに注ぎながら思う。
あゝ、いつの日かサッポロ黒ラベル、
あるいはアサヒスーパードライを併用してくれないものだろうかと―。

最近、とみにキリラガの苦みを受けつけなくなった。
苦さが文字通り苦痛になっってきている。
若い頃からキリンはけして嫌いじゃなかったのに
年とともに嗜好の幅が狭まって、わがままになるんだねェ。
と言いながらも一昨日、またソイツを飲んでいた。

その朝は明け方5時にJR鶯谷駅前の居酒屋「信濃路」にいた。
それもこんな時間にたった独りで―。
この店は年中無休の24時間営業につき、
行く先に窮した場合、逃げ込むにはまことに都合がよい。
いわば、マイ・ラストシェルターなのだ。

それにつけても正月早々、
何だって朝っぱらから鶯谷なんかにいたのかネ?
ここで多くの読者は、おおかた都内屈指のラブホ街に
どこぞの若いオンナとしけ込みやがったなと邪推するのであろう。
いえ、いえ、品行方正なJ.C.に限り、かような淫行はありえましぇん。
いや、例えそうなったとしても不名誉でも何でもないけれど、
一応、世間体ってものがありますぞなもし。

さて、脇道にそれた「信濃路」だが今回の訪問であらためて感じた。
実に小汚い飲み屋だネ、ここは―。
目の前にはキリラガの大瓶と
野菜そばに代わって不味そうなイカフライの皿が並んでいる。

いやこの朝、つくづく実感した。
プレミアムモルツ、エビスビールに続き、
いよいよキリンラガーにも決別を告げる日がやって来たのだ。
もう、このオンナとは別れるしかないな・・・そんな心境でありました。

おまけに合いの手のイカフライがヒドかった。
サカナのフライに比してハズレの少ないのがイカフライの利点、
しかるにこれでは元の木阿弥もいいところ。
仕方なく添えものの繊切りキャベツにウスターソースでもぶっかけて
ビールのアテにしようと思いきや、
何やらデフォでドレッシングがふりかかってるじゃないの。
いやな予感を抱きつつ、一箸つまんで口元に運ぶ。

ギャッ! 
と、驚いたところで以下は次話。

=つづく=

2015年1月8日木曜日

第1008話 D坂下の交差点 (その2)

いえ、谷中銀座のメンチカツに群がるオバハンなどどうでもよい。
再びハナシをD坂下に戻そう。
D坂とは反対側のスロープ、S坂を上り始めて数十メートル、
J.C.が愛好する町の中華屋が1軒ある。
屋号は「砺波(となみ)」。
自著「J.C.オカザワの古き良き東京を食べる」からその稿を引用してみよう。

=野菜そばに恋をした=

 大好きな店である。
 近くにあれば中華そばが食べたくなったとき、足繁く通うことになろう。
 ここもまた初老のご夫婦だけの切り盛り。
 滑舌のよろしいオバさんの接客が丁寧で好感が持てる。

 店名から察するに、お二方もしくは
 旦那さんの出身地が富山県の砺波市なのかもしれない。
 おそらくそうであろう。

 ラーメン(500円)はスープに化調を感じても
 味のバランスは崩れていない。
 中細ちぢれ麺は粉々感が心地よく大好きなタイプ。

 焼きそば(600円)は柔らか麺のあんかけスタイル。
 豚小間・きくらげ・野菜のあんに練り辛子がたっぷり。
 「三丁目の夕日」、あの時代の味と香りがして
 酢を垂らしたら、より舌と鼻腔が反応した。

 週末のせいか、小体な店に近所の家族連れが数組詰め掛け、
 地元の人たちの愛着度がよく伝わってくる。
 壁の品書きには街の中華屋さんの定番以外に
 あじフライライス・いかフライライス(各700円)・
 かつ丼(750円)なども並んでいる。

 隣りの卓のお母さんが食べていた野菜そば(550円)がとても美味しそう。
 野菜そばは他店のタンメンとまったく同じ。
 どうしてもタンメンが食べたくなり、半月後に再訪。
 まずは餃子(550円)でキリンラガーの大瓶を飲む。
 その夜はオジさんが留守らしく、
 オバさんが調理場とホールの一人二役だ。

 やがて運ばれた清楚なタンメンに一目惚れ。
 純白の小さなドンブリもまた可憐なり。
 こんなに可愛いタンメンは東京中探し歩いても絶対に見つからない。

そうしょっちゅうは行けないけれど、
それでも年に一度はおジャマしている。
店内は狭くとも、この空間に身を置けるシアワセを実感している。

=つづく=

2015年1月7日水曜日

第1007話 D坂下の交差点 (その1)

老若男女を選ばず、都内屈指の散歩の名所が谷根千。
言わずと知れた谷中・根津・千駄木の3エリアを総ずる愛称だ。
一翼を担う千駄木の中心は団子坂下の交差点附近で
東京メトロ・千代田線の千駄木駅前を不忍通りが南北に走っている。

この交差点を西に上ってゆくのが団子坂。
東に上がれば三崎坂(さんさきざか)。
江戸川乱歩の探偵小説、
「D坂の殺人事件」は団子坂を舞台にしている。
本作の発表は大正ロマンの最末期、大正13年だ。

作中、”私”は団子坂に面した「白梅軒」なる喫茶店で
アイスコーヒーを飲んでおり、
この店で知り合いになった名探偵・明智小五郎とともに
たまたま殺人事件の第一発見者となるのである。
ちなみにのちのち怪人二十面相と
数々の名勝負を繰り広げることになる、
明智探偵のデビュー作は「D坂の殺人事件」だ。

おかしなことに団子坂とは反対側の三崎坂に
「乱歩」という名の喫茶店が現存している。
店内はずいぶんキテレツにして店主もかなりの変わり者という評判。
ご興味のある方は一訪あられたし。
それなりの満足感とともに帰宅の途に着かれることになろう。

団子坂下周辺にはいくつかの名店・佳店が散在している。
食シーンに関して千駄木は根津や谷中よりも恵まれている。
いくつか列挙してみようか―。
煮穴子がウリの「すし乃池」、たこ料理の「三忠」、居酒屋「にしきや」、
焼き鳥店「今井」、家庭料理の「五十蔵(いすくら)」、
イタリアンの「イル・サーレ」、コーヒーハウス「やなか」、
いやずいぶんとあるものだ。

近くには森鷗外や夏目漱石の旧居跡が点在しており、
明治の文豪ゆかりの地としての風格も備えてもいる。
鷗外の旧居はかつて東京湾を臨めたところから観潮楼と呼ばれ、
鷗外生誕150年に当たる平成24年には
この場所に文京区立森鷗外記念館が開館している。

三崎坂下からよみせ通り、谷中銀座、夕焼けだんだんと
一連のコースはJ.C.もしょっちゅう徘徊している。
何せ、ウチのバカ猫のトイレ商品を扱う店が谷中銀座にあるものでネ。

谷中銀座を通るたびに目にするのは
2軒の精肉店が商魂たくましくして店頭販売するメンチカツ。
そしてそれに群がる老若男女である。
まあ、若いカップルは致し方ないとして
オバさんグループがメンチを路上で立ち食いする姿など見られたものではない。
オバタリアン(死語か?)なるもの、
単身の場合は借りてきた猫さながらなれど、
いったん徒党を組むと豹変、いや”豹”ではなく、”虎”へと変ずるのだ。
まっこと、始末に終えりゃあせんのよねェ。

=つづく=

2015年1月6日火曜日

第1006話 春の海老マヨ 回鍋肉

今年はまだ初詣に行っていない。
たぶんパスすることになるのだろう。
去年もしなかったんじゃないかな。
一昨年は仙台、その前年は向島で済ませた。
もっとも初詣にノルマがあるじゃなし、
済ませるものではあるまいがネ。

新春、不忍池のほとりを歩む。
この冬はいったいどうしたことだろう。
渡り鳥の渡来が驚くほど少ない。
たくさん来ているのは見た目がどこか滑稽なキンクロハジロ。
シベリア渡来の小さな渡り鳥
毎冬、常連のオナガガモはかなり数を減らしている。
マガモより一回り大きい
ほかに目立つのはいにしえ都鳥と呼ばれ、
先人の愛顧を集めたユリカモメくらい。
マガモなんぞ、ただの一羽も見当たらず、
警戒心が強く、人前をはばかるバンを数羽確認できただけだ。

ポカポカ陽気に恵まれた一日は
陽が沈んだあとも寒さが和らぎを含んでいる。
これからどこへ繰り出そうか?
不忍池の東は上野、北は根津、南は湯島。
晩酌にも晩飯にも事欠くことはない。
エッ? 西はどうだってか?
ハハ、西には日本の最高学府が暗闇の中に沈んでいるぞなもし。
安田講堂地下の「東大中央食堂」なんか、
東京の学食ベストスリーに数えられようが
肝心の酒が飲めないからネ。

進路を北へとり、不忍通りを真っ直ぐ北上する。
谷底に位置する根津の交差点に差し掛かる手前、
広東酒家の「楽翠荘」に入店した。
美味しいもの少ない旧遊郭の根津にあってここは出色。
よって何度か利用している。
以前は同じ交差点近くの「中華オトメ」をよく訪れたが
ここ数年、ガクンと味が落ちて足が遠のいている。
料理人が代わったとしか説明がつかない。

ビールは気に入り銘柄の中瓶。
料理はハーフポーションのラインナップが多彩で
中からめったに注文しない海老マヨを選んだ。
マヨのからみが美しい
海老・蟹・蝦蛄と、甲殻類はみな好きだが
海老マヨのチョイスは魔が差したんだろうねェ。
ところが意想外にもこのデキがよかった。

中瓶1本とともに存分に楽しみ、紹興酒に移行する。
追加料理はこれまたハーフの回鍋肉。
広東ではなく四川だネ
うむ、こちらもなかなかの仕上がりを見せている。

飲み食べ終えて胃袋の状態はまさしく腹八分目。
ここ半年あまり、愛猫ともども食事の量をコントロールしている。
バカ猫の健康を維持して長生きさせようという腹積もり。
しかし猫ばかりにひもじい思いをさせるのは動物虐待になるから
一緒につき合ってやっているわけだ。
これならどこからも文句は出るまい。
まったくもって飼い主の鑑(かがみ)だネ、J.C.は―。

「楽翠荘」
 東京都文京区根津1-1-15
 03-3821-7422

2015年1月5日月曜日

第1005話 緑のたぬきで力ぬき (その2)

2015年1月1日午前7時、独り厨房に立っていた
おっと、その前に何人かの読者の方からいただいた、
お問い合わせに応えておきましょう。

「ビアリーって何ですか?」―質問はこのことであった。
みなさんはユダヤの民がことのほか愛する、
ベーグルというドーナツ形のパンをご存知ですか?
ビアリーもやはりドーナツ形をしてはいるが
ベーグルより二回りほど小型にして質量も小さく、
スカスカの生地を持っている。
アメリカではレバノンのベーグルなんて言われてたっけ―。

元旦のキッチンであった。
緑のたぬきに餅を乗せたら即、力そばだが
それはあくまでも力そばであって雑煮とは呼びがたい。
しかし、緑のたぬきのそばぬき、いわゆる力ぬきなら
三つ葉でもあしらえば、もう立派な雑煮でありまっしょう。

さっそく調理(というほどでもないが)に取り掛かる。
三つ葉の買い置きがなく、長ねぎの代用でガマンした。
その代わり、年末に買った柚子の果皮を3片ほど浮かべてみた。
う~ん、いい香りだ。

そう、そう、緑のたぬき備え付けのかき揚げだが
1個を丸ごと入れるとシツッコいため、半分に割って入れる。
当然のことながら満月ではなく、半月になった。
粉末のつゆの素も丸一袋では味が濃すぎるため、4分の3に抑える。

ねのひの尾張男山を1合を上燗につけ、力ぬきとともに飲る。
うん、うん、まったくもって悪くないねェ。
新年の第一食としてはちと侘しいが、とにかく雑煮が食べられたのだ。
これでいいじゃないかえ、皆の衆?

多くの読者は今きっと案じていることでありましょう。
「緑のたぬきのそばの方はいったい何処へ行ったのか?」 と―。
もちろん棄てやしませんヨ。
熱湯に4分間浸したあと、冷水にさらし、ザルに揚げて水切りを施している。

長ねぎの白い部分を薄くきざみ、これも冷水にさらす。
冷蔵庫に活かしている生わさびと寝かしてある自家製のそばつゆを取り出す。
そうして雑煮のあとでもりそばを味わったのだった。
ここで燗酒をもう1合だ。

酒2合でホロ酔い加減。
歯磨きと洗面をすみやかに済ませ、ベッドにもぐり込む。
すかさず愛猫・プッチが隣りに滑り込み、添い寝の準備である。
そうしてわれら二人、暁を覚えたうえで春眠をむさぼった。
シアワセなり。

2015年1月2日金曜日

第1004話 緑のたぬきで力ぬき (その1)

お正月である。
今回の年末年始は大晦日から元日にかけ、徹夜でマージャンを打った。
「紅白歌合戦」とも「ゆく年くる年」とも除夜の鐘とも一切無縁、
ただひたすらにポン・チー・ロンの繰り返しだった。

明けて元旦、帰宅したときはお腹がペコペコ。
それもそうだヨ、大晦日の18時ににぎり鮨を1人前食べただけで
およそ12時間、飲みもの以外は何も口にしてないんだからネ。

この日は昼過ぎから旧友宅に招かれている。
ひと眠りする前に新年の朝食を軽くとろうと思った。
今まであまり食べなかった朝食だが最近はときどきとるようになった。

和食の場合の定番は小粒納豆、焼き海苔、味噌汁に何かもう1品、
塩じゃけ、たら子、目玉焼き(玉子は1個)、しらすおろしあたりだ。
洋食のケースはもっぱらトースト&バター。
食パンはPascoの8枚切りが気に入りである。
サンドイッチ(ハムか野菜が多い)のときには同じく10枚切りを使う。
トーストと紅茶のみがほとんどながら
気が向けばボイルドエッグ(3分)か野菜サラダを付けることも。

朝食といえば、毎日食べてたニューヨーク時代を思い出す。
近所のデリに出前注文するのだが
もっともよく食べたメニューは下記の通りだ。

 トーステッド・ビアリー(イングリッシュマフィンになるときも)
 w/ライトバター(こう言わないとバターの塗りすぎになる)
 3ミニッツ・ボイルドエッグ
 パンフライド・ボローニャソーセージ Not too much cooked
 パイナップルジュース

何度同じものを食べたことだろう、懐かしいなァ。
デリで電話を取るアンちゃんには
「Hey J.C., Are you from Hawaii ?」―なんてよく訊かれたネ。
毎朝、パインジュースを飲んでるんだから、さもありなん。

さて、今年の元旦である。
いただきものの切り餅があるから雑煮でも作るとするかの。
いや、正月早々、面倒くさいねェ。
どうするべえかな?
すぐにピカッとひらめいた。
食品棚に緑のたぬきを見とめたのだ。

ここで大方の読者は
ハハ~ン、緑のたぬきを応用して力そばだろ? と思われたに違いない。
ところがどっこい、そうじゃないんですな。
みなさんは日本そば屋における、
天ぬき、鴨ぬき、おかめぬきの存在をご存知だろうか?
天ぬきとは天ぷらそばのそば抜きのこと。
下町の粋人はコレを日本酒のアテにする。
鴨南蛮のそばぬきが鴨ぬき、
おかめそばのそばぬきならおかめぬきになるわけだ。

=つづく=

2015年1月1日木曜日

第1003話 北の横丁をさすらう (その11)

新年おめでとうございます。
そして本年のご愛読、よろしくお願いいたします。

  ♪ 夜がまた来る 思い出つれて
   おれを泣かせに 足音もなく
   なにをいまさら つらくはないが
   旅の灯りが 遠く遠くうるむよ ♪
          (作詞:西沢爽)

いきなり元旦にはふさわしからぬ曲を載っけてしまい、失礼さんにござんす。
1960年リリースの「さすらい」を歌ったのはマイトガイ・小林旭。
哀愁を帯びた歌詞に哀調のこもるメロディー、
これがフィリピン・ルソン島へ出征中の日本兵の間で歌われた、
兵隊節とはつい先日まで知らなんだ。

そう、まだ仙台の横丁をさすらっている。
餃子の老舗「八仙」でニラモツ炒めとラーメンを食べ終えたところだ。
この夜、「八仙」にて印象に残ったのは女将サンのひとこと。
J.C.の隣りの隣りのOL二人組はビールを飲みながらご機嫌もいいとこ。
化粧品に始まって会社の話、オトコの話、
まあ、次から次へとしゃべること、しゃべること、まるで機関銃連射の如し。
二百三高地のロシア軍も真っ青だぜ、こりゃ!

その二人組が注文した餃子2人前が焼き上がった。
皿を差し出した女将が教育的指導を発したネ。
「コレだけはおしゃべりストップして食べてね、ヘリが硬くなっちゃうのヨ」―
そうでしょう、そうでしょう、一所懸命包んで焼いた名代を
うっちゃられてのおしゃべり三昧じゃ、店側もヤッてられんわな、これは―。

とまれ、その夜は更けた。
ワシントン広場の夜も更ければ、仙台・文化横丁の夜も更ける。

翌日はDサンと晩飯を食う予定。
Dサンは下戸につき、クルマで迎えに来てもらった。
「とんかつ杉」なる推奨のとんかつ屋に連れていかれる。
おや、ちょいと待てよ、前夜、壱弐参横丁の共同トイレ前に
貼り出されていた仙台・名所番付にその「杉」を見掛けたゾ。
東前頭筆頭に「とんかつ杉」がっ!
ちなみに「八仙」は西の正大関ときたもんだ。

「杉」ではヒレかつとロースかつを分け合って食べた。
3枚付けのヒレかつ

やや厚切りのロースカツ
おお、さすがに実力店だけあってどちらも旨い、ウマい。

ただ一つのイチャモンはロースの向きが右・左、逆じゃないのかい?
焼き魚のアタマが右にあったら食べ手は強い違和感を持つハズ。
とんかつにせよ、ステーキにせよ、”向き”は大切ですヨ。
そう言いながら、みちのくの旅は終わりを告げたのでありました。

=おしまい=

「とんかつ杉」
 宮城県仙台市若林区志波町18-18
  022-283-1968