2015年2月27日金曜日

第1044話 天丼はどんぶりの王者 (その2)

今話、最初に紹介するのは昨日の当ブログを読まれた、
群馬県・前橋市在住のK崎サンからいただいたメール。

「早春天丼のネーミングから
 どうして小津安二郎を連想したのですか?」
という疑念である。

これは筆足らずで失礼しました。
小津作品に「早春」はないけれど、「晩春」がある。
加えて「お早よう」もあって
この二つが頭の中で合体しちゃったんでしょうネ。
それに彼は無類の天丼好きだから
瞬時にして食べさせたいと思ったわけなのでした。

さて、「文豪の味を食べる」より、
小林秀雄の稿は鎌倉小町通りの「天ぷらひろみ」、
そのつづきである。

11時半の開店時間を過ぎること約15分、先客は2組だけだった。
清潔な店内はさほど広くない。
立て込まなければ清楚な雰囲気すら漂う。
テーブル席のほかに個室が1つ、カウンターは8席。
昼は主として天丼と定食の注文をもっぱらテーブル席でさばいている。
1万円からの”おまかせ一通り”を予約した客だけが
カウンターに案内されるシステムだった。

文芸評論家・小林秀雄のほかに
映画監督・小津安二郎もこの店に胸襟を開いた一人。
両雄にちなんだ小林丼小津丼が今でも店の名物となっている。
どちらも3675円と天丼にしては結構なお値段だが
内容の充実ぶりからして満足度は高い。

小林のコラムにつき、客人扱いの小津丼から紹介すると
活け車海老2尾・旬の白身魚・小かき揚げ・季節の野菜、
といった豪華なキャスティング。
これをこの店では”おすすめの天丼”と称している。

小津はこの天丼の海老や白身や野菜を酒の肴に
手に持てないほどの熱い徳利を10本もカラにしたという。
まさか正1合ではあるまいが、それにしても相当な酒量ではないか。
存分に酒を飲んでから赤だしで残りのごはんを食べたそうだ。

今回の訪れは小林秀雄の食跡をたどるのが目的、
よって小津丼は試していない。
お目当ての小林丼は”こだわりの天丼”と明記されていた。
穴子・白身魚・小かき揚げの陣容で、小津版よりもシンプルな印象を受ける。

注文の際、お運びの女性に白身の魚種を聞きそびれたが
いずれにせよ今回の必食科目だから見てからのお楽しみということで・・・。
天ぷら屋では天丼だけでなく、天ぷらごはんも食べたくなるのが人情。
相方にはもっとも廉価な定食のつゆくさ(2100円)をオーダーしてもらった。

と、ここまでで、再び以下次話であります。

=つづく=

2015年2月26日木曜日

第1043話 天丼はどんぶりの王者 (その1)

文京区・本駒込在住のK子老人からまたもやお呼びが掛かった。
先日、当ブログにデビューをはたされた将棋好きのご老公である。
この誘いは無下には断れぬ。
ご老公に対して礼を失すれば、
助さん・格さんにどんなお仕置きをされるか知れたものではない。
でもって日取りを調整し、出張って行った。

お茶もビールもお酒も飲まず、5局ほど指しておいとました。
時刻は17時半、さて、どこへ行ったらよかんべサ?
徒歩圏内は千石・白山・駒込・千駄木あたり。
メトロなら南北線か三田線利用で王子・赤羽・飯田橋・市ケ谷、
はたまた、巣鴨・板橋・神保町と行動範囲はぐ~んと拡がる。
加えてバスなる手もあり、それなら池袋・三河島・三ノ輪・浅草になろうか。

結局は薬局、歩いて2分の白山上に赴く。
入店したのは東京最古の天丼チェーン「てんや」であった。
なぜだろう? なぜかしら?  
実は数週間、いや、数ヶ月ほど前から
「てんや」店頭のポスターに心惹かれておったのサ。

何に惹かれたんだ! ってか?
それはですネ、活け〆穴子と子持ち白魚を組み込んだ、
早春天丼(830円)なる季節限定メニューでござんす。
穴子はもともと好物だし、白魚もあったら必注の種、看過は絶対にしない。

ためらうことなく、早春天丼をお願い。
しっかし、このネーミング、
J.C.は第一感で今は亡き映画監督、小津安二郎に食べさせたいと思った。
小津は天丼が大好きだったのだ。

ここで自著「文豪の味を食べる」から
文芸評論家・小林秀雄の稿を紹介してみたい。
小津と小林は奇しくも鎌倉の同じ天ぷら屋をひいきにしていた。
実はこの稿、浅草の「弁天山美家古寿司」から始まるが
長くなるので前半は割愛、「天ぷら ひろみ」から始める。

10月の三連休の中日、久しぶりに鎌倉を歩む。
若宮大路の西側を平行して走る小町通りは行楽客であふれ返り、
店々を冷やかすどころか、通行すら思いのままにならない。
自分もその行楽客の一人、文句の言えた筋合いではないけれど―。
それでも興の冷めることはなはだしい。
夏の江ノ島は芋を洗うが如くだが
秋の鎌倉もまた豆を炒るが如しであった。

小町通り界隈には鎌倉文士が愛着した料理店が点在しており、
小林秀雄が通った「天ぷら ひろみ」もその1軒。
雑居ビルの2階というロケーションにいささか鼻白むものの、
案外こういうところが当たりだったりするものだ。

と、ここまでで、以下次話です。

=つづく=

2015年2月25日水曜日

第1042回 あの町この町 日が暮れて (その3)

先週土曜夜のTV東京は「アド街ック天国」。
不動前の2店がどうにもこうにも懐かしかった。
ご当地住人のゲストはロミヒーとケンコバ。
さすがに「天冨良むら田」は二人とも踏破していたが
「中華こばやし」は揃って、その存在さえも知らなかった。

まあ、前者は桜の名所として都内屈指のかむろ坂中腹にあるから
坂をいく度か登り降りしたなら誰しも認知できるだろう。
ところが後者はちょっとやそっとでは見つけにくい町はずれ。
これといった商店街に恵まれない不動前駅周辺だが
隣り駅の武蔵小山は大商店街を有している。
「中華こばやし」は不動前から武蔵小山に向かう途中にあった。

「アド街ック」によれば、この店は70代のご夫婦二人の切盛り。
J.C.が訪れた11年前、
女将さんの姿がなかったのはたまたまだったようだ。
画面で観たオヤジさんはさすがに歳を召された。
それもそうだヨ、王子はもとい、往時は60代半ばだもんネ。

実はJ.C、近所の攻玉社学園を一目見ようと
辺りを徘徊していて出会った「こばやし」なのだ。
何となれば攻玉社は亡父の母校なのですヨ。

国破れて山河あり、障子破れてサンがあり。
事業に失敗した父親が長野から東京に落ちくだったとき、
攻玉社の学友にどれほど世話になったか、
その恩義、小学校に上がる前の幼児ですら身に染みた。
草葉の陰のオジさんたち、本当にありがとうございました。

それはそれとして番組は先に進む。
BEST9あたりだったかな?
アース・トレーニングセンターというのが出てきた。
この建物を見たとき、驚いてカウチから転げ落ちそうになったネ。

   ♪ 窓を開ければ 港が見える 
   メリケン波止場の 灯が見える 
   夜風 潮風 恋風のせて 
   今日の出船は どこへ行く 
   むせぶ心よ はかない恋よ 
   踊るブルースの 切なさよ ♪ 
       (作詞:藤浦洸)

ご存知、淡谷のり子の「別れのブルース」(1935年)だが
GFのアパートメントの窓を開ければ、
目の前に開けていたのがこのビルディングとその中庭。
ここは廃校となった元朝鮮第七初級中級学校跡地で
それがトレーニングセンターとして生まれ変わっていたのだ。
びっくりしたなァ、もう!

すぐそばにかむろ坂下の赤提灯、「太田屋」がある。
日が暮れて暖簾をくぐるときの胸のときめきよ。
不動前屈指の名酒場が”選”からもれている。
まったくもってTV東京のスタッフの目は
揃いも揃って節穴というほかはない。
もっとちゃんと、勉強せいっ!

=おしまい=

「中華こばやし」
 東京都品川区西五反田5-23-9
 03-3491-2447

「天冨良むら田」
 東京都品川区小山台1-33-9
 03-3405-1478

「太田屋」
 東京都品川区西五反田4-3-5
 03-3491-3620

2015年2月24日火曜日

第1041回 あの町この町 日が暮れて (その2)

先週土曜夜の「アド街ック天国」が取り上げたのは不動前。
J.C.がこの町に出没したのは2003~'06年頃だった。
和食「ながみね」、居酒屋「奄美」などを訪れたが
もっとも愛好したのは「太田屋」。
禿(かむろ)の悲話残る、かむろ坂下に赤提灯を掲げる大衆酒場だ。

開業後あまり歳月を経ていない店々に鼻白みながらも
そのうちかつてオジャマした店が出てくるだろうと
そこそこの期待を抱いて番組を観ていた。

結果、やはり登場しやしたネ。
ともに11位~15位の間にランクされた、
「中華こばやし」と「天冨良むら田」である。
番組終了後、フード・ダイアリーをチェックしたら
前者は2004年4月、後者は同年5月に訪れていた。
11年も以前のことで恐縮だが
せっかくなので、その際のメモを披露してみたい。

「中華こばやし」

 いかにも昭和の町中華屋然とした風情。
 店内はかなりくたびれていながらも清潔感あり。
 もの静かなオヤジさん独りの切盛り。
 ラーメン、ソース焼きそば、餃子、半炒飯を二人で分け合った。
 半炒飯が350円で、あとはみな450円。

 ほかのメニューはチャーシュー麺と五目そばが800円。
 天津麺と、これは珍しいとんかつラーメンが850円で最高値だ。
 店を出たあと口内に残る化調が残念だけど好きなタイプの1軒。

「天冨良むら田」

 ビールはエビスの生のみ、仕方なく中ジョッキを1杯。
 すぐに富乃宝山のロックに切り替えて2杯。
 突き出しのおぼろ豆腐にイクラがちょこん。
 トマト・キャベツ・レタスの小サラダが供されたが
 天ぷら屋でこういうモノはうれしくない。
 きす&めごちの中骨素揚げはうれしい。
 ほかは小鉢のひじき煮があるだけでほとんど天ぷら一本やりの店。
 
 車海老・きす・小鮎の順に、お好みで揚げてもらう。
 活けではない車海老に落胆、ほかはまずまず。
 鮎は他店の稚鮎より一回り大きく、よって小鮎と記す。
 大きくとも産地はやはり琵琶湖だろう。
 後半はたらば蟹・ふきのとう・小玉ねぎ・穴子。
 たらばは脚肉2本を並べたイカダ仕立て。
 穴子はめそっ子、好きなサイズにして素材も良質。
 このとき初めて使った天つゆはやや甘さが勝っていた。

 店主は不器用な性格のようでいまだに独り者。
 若い衆が一人、女将さんの代わりにサポートしている。
 支払いは5250円也、高くも安くもなし。

とまあ、こんな具合であった。

=つづく=

2015年2月23日月曜日

第1040回 あの町この町 日が暮れて (その1)

  ♪ あの町 この町
   日が暮れる 日が暮れる
   今きたこの道
   かえりゃんせ かえりゃんせ ♪
      (作詞:野口雨情)

童謡「あの町この町」が発表されたのは1924年、大正の最末期だ。
この曲は2007年に”日本の歌 百選」に選ばれてもいる。
振り返れば幼いころ、
お勝手に立った母親が口ずさんでいたのを思い出す。

一昨日は土曜日の夜。
21時ちょい前に帰宅して何気なくTVのチャンネルをザッピング。
すると、TV東京の人気番組「アド街ック天国」が始まるところだった。
今回の舞台は東急目黒線、目黒から一つ目の不動前。
その昔、ひんぱんに出没した町なので
懐かしさのあまり、ザップの途中下車に及んだ次第だ。

不動前は周知の通り、関東最古のお不動様、
目黒不動の最寄り駅である。
徳川三大将軍・家光の加護を受けて
江戸市民の厚い信仰の対象となった。
松本清張、池波正太郎の小説にもしばしば登場する。

おかしなことに不動前駅は目黒区ではなく、
品川区・西五反田にある。
”おかしなこと”と書いてはみたものの、
こういうケースはしょっちゅうあって
そもそもJR目黒駅が品川区だもの。
ほかにもJR東日本のメガ・ステーション、品川駅は港区。
小田急小田原線・南新宿駅は渋谷区だ。

百貨店に目を転ずると、新宿高島屋は渋谷区。
面白いのは池袋で
西武百貨店が東口、東武百貨店は西口にある。
都民なら誰でも知ってることながら
他県からやってきた人々に混乱を招くこと必至だ。

不動前には以前、当時のGFが住んでいた。
そんなことでもなければ、まず訪れる機会のない小駅なのだ。
目黒不動に詣でるにしても、JR目黒駅と距離はほとんど変わらず、
わざわざ私鉄に1駅乗る必要すらないからネ。

「アド街ック天国」では例によって
その街の”BEST 20”を順次発表してゆくのだが
飲食店に関してはオープンして3~5年の新店が多すぎる。
取材や下調べに踏み込みが足りないから
こんな結果を招くのであって
TV東京の力量の限界と斬って捨てては哀れなれど、
もうちょっと向上心を持っていただきたい。
視聴者を軽んじた手抜きはいけやせんぜ。

=つづく=

2015年2月20日金曜日

第1039話 舞い戻って玉子チャーハン

先週、取り上げた文京区・白山上にある町場の中華屋「兆徳」。
素朴なラーメンと焼き餃子のセット(950円)を
二日酔いでゲンナリの日曜夜に食したのだった。
ハナシの締めは
”今度は玉子チャーハンを食べにきたいが1年先になっちまうかも?”
であった。

ハハ、案ずるより産むが易し。
1週間後のネクスト・サンデーに難なくクリアしてしまった。
われながら電光石火の早業(はやわざ)である。
ただし、自分で自分をほめてやりたいとまでは思わない。

その日は昼過ぎにとあるマンションの一室を訪ねた。
場所は白山に隣接する同じ文京区の本駒込。
もちろん目当ては「Love in the Afternoon」、
そう、「昼下がりの情事」であった。

お相手は銀座のオーセンティック・バーでナンパしたK子嬢。
つぶらな瞳にショートヘアの可愛い美女である。
胸のサイズにほとんど関知しないJ.C.ながら
かなりのボイン(死語か?)の持ち主だ。

なあ~んてことがあるハズもなく、
相方は池袋の酒場で隣り合わせたK子老人である。
このK子は女性の名ではなく、男性の姓だから誤解のないように―。
老人の手元が狂ってひっくり返した盃の酒が
J.C.の膝を少しく濡らしたのが会話の始まりだった。

問わず語りによると、
奥さんに先立たれて今はマンションに一人住まい。
遠くはない町に嫁いだ長女が月に二度か三度、
掃除と洗濯にやって来たついでに
亡き妻仕込みの料理を何品か作ってくれるのだそうだ。
きんぴらごぼうが好物だったが最近では歯が立たなくなったんだと―。
同情禁じえず。

趣味というか、楽しみは大衆酒場でのつつましやかな晩酌と、
将棋盤相手の詰め将棋だという。
そこでヘボ将棋には定評のあるおのが身をK子老人に預けた次第。
当日の戦績はこちらの2勝3敗、老練な振り穴熊にやられた。

その帰りに立ち寄った「兆徳」なのである。
ビールも餃子も焼売も取らず、玉子チャーハン(650円)一点勝負だ。
ホントに玉子とねぎのみのチャーハン
ちり蓮華で一匙パクリとやった第一印象。
薄味の中にもほんのりと本格中華の風味あり。
硬めに炊かれたライスが功を奏している。

でもネ、ずっと食べ続けていると飽きてくるのよねェ。
やはり独りでの炒飯一人前は難儀やのォ。
ラーメンのときにそれほど感じなかった、
清湯の化調が此度はちょいと気になった。
遠方から出向くほどの逸品ではないな。

こと教育に関しては都内有数の文京区も食文化においてはまだまだ。
その証しにここにはロクな酒場がないもん。
もっとも教育の場と酒場とはしょせん水と油だったか・・・。

「兆徳」
 東京都文京区向丘1-10-5
 03-5684-5650

2015年2月19日木曜日

第1038話 食堂で飲むのが好き (その4)

お婆ちゃんの原宿、巣鴨はとげぬき地蔵通りの「ときわ食堂」。
昨年末の一夜、冷やしトマトをつまみに
2本目のビールをゆるゆると飲んでいる。

「シアワセだなァ、
 ボクはビールを飲んでいるときが一番シアワセなんだ。
 ボクは死ぬまでビールを放さないゾ、いいだろう?」

加山雄三よろしく、右手人差し指で鼻の脇をこすった。
こすりながらも品書きをじっくりと吟味する。
ちょいとばかり気になったのは
林SPFロースカツ皿(700円)とキングサーモン照り焼(670円)だ。
それに本日の煮物というのがあり、里芋・茄子・生揚げが各260円。
少しづつの盛合わせが370円と、目ざとい客はこちらを頼む。

ミニのメニューに、まぐろ刺身(350円)と白身刺身(400円)があった。
まぐろは判るが、白身は内容をチェックせねばならない。
お運びのオネエさんに訊ねると彼女、即答できずに厨房へ疾った。
戻り来て曰く、飛魚刺しかアジのたたきだと―。

オイ、オイ、そりゃ、どちらも白身じゃなくて青背というんだヨ。
まったくイヤになっちまうな。
こちらは真鯛か平目を想定していたからガックシだ。
結局、あじフライを1尾お願いした。
これがなんと160円だから、デパ地下の惣菜屋より安い。
しかもなかなかの揚げ上がりである。

隣りの客が定食セットを注文した。
品書きをチェックすると、ごはん・味噌汁・新香のトリオが270円とある。
米は秋田のひとめぼれで、お替わりの1杯は無料。
こいつは破格の安さじゃなかろうか。

当夜は大瓶を2本飲んだから、とても飯までゆき着かない。
食堂では飯を食うより、酒を飲むことのほうが多いけれど、
セットの気前よさに敬意を表し、年明け早々出向いた。

1尾からOKのあじフライに加え、
1個からOKのかきフライを一皿盛りにしてもらい、
くだんの定食セットとともにいただく。
あじ(160円)&かき(200円)のフライ

3点セットはおざなり感まったくなく文句のつけようがない。
ビールを1本にとどめ、芋焼酎のロックも1杯だけにしての夕膳。
定食セットに岩のりをプラス
つやつやの白飯に熱々のわかめ味噌汁、
きゅうり&大根のぬか漬けと白菜は塩漬けである。
これじゃ、昼夜を問わない満員御礼も”当たり前田のクラッカー”だわ。

=おしまい=

「巣鴨 ときわ食堂」
 東京都豊島区巣鴨3-14-20
 03-3917-7617

2015年2月18日水曜日

第1037話 食堂で飲むのが好き (その3)

「巣鴨ときわ食堂」はとげぬき地蔵として
その名を世に知られる、高岩寺門前の地蔵通りにある。
記憶は定かでないが改装後、間口がグンと広くなったから
おそらく隣りの店を吸収合併したのではなかろうか。
繁盛度もさることながら
そのスペースにおいても”ときわ一”と言い切ってよい。

1年半ぶりで訪れたのは昨年末。
2014年も残りわずか数日という年の瀬だった。
以来、このひと月半ほどの間に5回はオジャマしている。
ひとつにここ一ヶ月というもの、
所用で巣鴨に出向く機会が多かったためであり、
もうひとつは当店の魅力をあらためて認識したからでもある。

訪問は常に夜。
したがって晩飯派と晩酌派が適度に混ざり合う、
J.C.にとってはまさに理想的な環境下だった。
老若男女に加えて士農工商のバランスがよく、
客層はきわめて幅広い。
士農工商って何だ! ってか?
いえ、あらゆる職業の客が押し寄せているってこッテス。

年末のその夜は17時半の入店。
店内はかなり立て混んでいた。
家族連れが目立つのは日曜の夜だからだろう。
この時間に揃って外食に及んでいる家族は
「ちびまる子ちゃん」にも「サザエさん」にも無縁の人たちだ。

まず好もしい印象を持ったのは喫煙者が皆無だったこと。
店側が設定した禁煙タイムは
もっともたくさんの客が終結するランチタイムの11時~15時。
したがってそれ以外の時間は喫煙が可なのだ。
にもかかわらず、その夜ザッと見渡したところ煙は立っていなかった。

着席と同時にやって来たお運びのオネエさんにビールを所望する。
アサヒの大瓶が480円と、大衆食堂にあって最安値圏。
うむ、気に入ったぞえ。

つまみや小鉢にハーフサイズというかミニサイズが何品かあり、
これが呑み助にはことのほかうれしい。
呑ん兵衛は小鉢にちょこちょこと手を出し、
助兵衛はオナゴにちょこちょこと手を出す。
硬派・J.C.はもちろん前者、
ミニしらすおろし(130円)とミニポテサラ(210円)をお願いした。

う~ん、けっこうじゃないの、ミニのありがたさを実感する。
実感しながら2本目のビールとミニ冷やしトマト(210円)だ。
トマトはちょうど半個分である。
1個は持て余すが半個は大歓迎だ。

目の前の貼り紙に
”割り箸もご用意してます。お気軽にお声かけください”とあった。
なかなかにシャレた文句じゃないですか―。

=つづく=

2015年2月17日火曜日

第1036話 食堂で飲むのが好き (その2)

富山市に転勤になったのみとも・N村サンから便りが届いた。
この人は現役の検事さんである。
弁護士の知人はいるけれど、検事の友人はこの人だけだ。
とまれ元気そうな様子、何よりであった。

前話では東京都内の気に入り大衆食堂を列挙してみたが
惜しくも閉店してしまった3軒が懐かしい。

銀座1丁目でハーフの店主と美しい奥さんが
二人で切盛りしていた「タイガー食堂」
銭湯みたいな瓦葺きの建物に風格が漂っていた、
浅草・竜泉は鷲神社前の「不二食堂」
つい1年ほど前に暖簾をおろした、
御徒町ガード下の、その名も「御徒町食堂」
それぞれに想い出が詰まっている。

そう、そう、”食堂”といえば、
東京都外ながら忘れえぬ2軒があった。

青森県・八戸市の「板橋食堂」
素朴な中華そばと稲荷ずしがウリ。
ひなびた裏町のうらぶれた食堂だった。

昔別れた恋人に理由(わけ)あって数年ぶりで会うため、
ふるさとに引いていた彼女を訪ねたのだった。
といいつつ、その訪問もはるか昔の1990年、
すでに四半世紀もの時が流れたことになる。
この食堂はずいぶん前に閉業したと伝え聞いた。
残念至極。

もう1軒は埼玉県・秩父市の「パリー食堂」
花の都・パリをパリーとすると、一気にレトロ感が横溢する。
フランクの「好き好き好き」1番の歌詞もまさしくそんな感じ。
今は昔、養蚕で栄えた時代を
偲ぶよすがとするにふさわしいファサードが印象的だ。

2006年12月3日、秩父の夜祭に当時の恋人と出掛けた際、
ここでひと夜の晩酌を楽しんだが、あまりに居心地がよく、
もう祭などどうでもいいやという気分になった。
確か、当日スペシャルのイノシシ汁をいただいた覚えがある。

2年後のやはり真冬、旅仲間とともに再訪すると、
店自体はそのままながら、暖房がまったく効かずに寒い思いをした。
こちらは今も営業中につき、お出掛けの際には一訪をおすすめしたい。

さて、今回紹介する大衆食堂は「巣鴨ときわ食堂」。
都内に50軒近く展開する”ときわ”の中ではもっとも繁盛している1軒だ。
初訪問は2001年7月。
まだ改装する以前で店内には昭和の匂いが立ち込めていた。
客入りも今と比べりゃ、3分の1に満たなかったろう。
現在の繁栄の秘訣も含め、当店の人気ぶりを次話で紹介しよう。

=つづく=

2015年2月16日月曜日

第1035話 食堂で飲むのが好き (その1)

 ♪ 好き好き好き 霧の都東京
   好き好き好き うるむネオンの街
   いつもいつでも 君と僕と二人
   とても素敵 おしゃれ横丁の飾窓(ウインドウ)
   パリーごのみのファッション
   好き好き好き 僕はあなたが好き ♪
         (作詞:佐伯孝夫)

フランク永井の低音さえ渡る、
「好き好き好き」が東京の街に流れたのは1960年。
今、小学校三年生だった55年前を振り返ると、
安保とローマ五輪が思い出される。
父親と二人きり、銀座と浅草に一日遊んだのもこの年、
陽光うららかな春の日曜日だった。

フランクが好きな霧の都東京・・・。
J.C.は都東京の大衆食堂で飲むのが好き。
もちろん大衆酒場もいいが俗にいう居酒屋はそれほどでもない。
これがチェーン居酒屋となったらご免こうむりたい。
大衆酒場は単身客主体でグループ客が少ないが
居酒屋にはけっこう多いし、チェーンとなれば団体の天下だ。

なぜ、食堂で飲むのが好きかというと、空間と空気が好もしいから。
酒場ではみんながみんな飲んでるけれど、
食堂なら晩めしと晩酌が適度に混じり合っている。
そこがミソ。

どんな呑み助でも隣りで静かに食事中の客には多少の神経を使う。
それが勤め帰りのうら若きOLだったりなんかしたら尚更だろう。
OLのほうも晩酌組の存在を覚悟のうえでの来店だから
余計なちょっかいさえ出されなけりゃ、
酔客にもそれなりの許容度を持っている。

ほろ酔いとシラフの暗黙の了解が穏やかな空気を育み、
居心地のよさを醸してくれる。
よって、すべての客が酒を酌み交わす居酒屋より、
大衆食堂で飲む酒のほうが格段に美味く感じるのだ。

当ブログにたびたび登場する”ときわ食堂グループ”をはじめ、
数を減らしたといえども都東京には数多くの大衆食堂が現存している。
そうだ! 気に入りの食堂を列挙してみよう。
キリがないから店名に”食堂”の2文字を名乗る店だけにする。
50軒近くある”ときわグループ”も除外しておこう。
順位は付けない。
順位など付けたくないのだ。

そりゃ、加賀まりこの丸い瞳にでも懇願されれば
ランク付けしないこともないが今回はやめておく。
アイウエオ順も地域別もなく、思いついたままに並べてみた。

椎橋食堂(足立市場内)  柏屋食堂(東向島)
北一食堂(北品川)  ふじや食堂(麻布十番)
民生食堂 天平(高円寺)  入谷食堂(入谷)
たけの食堂(築地場外)  月よし食堂(勝どき)
ゑびす屋食堂(立石)  やまと食堂(上中里)
ゆたか食堂(巣鴨)  はやふね食堂(森下)
千通食堂(巣鴨新田)  幸楽食堂(平和島)
ほかり食堂(石神井公園)  三忠食堂(十条)
三晴食堂(高円寺)  せきざわ食堂(東長崎)

いや、ずいぶんあるもんだなァ。

=つづく=

2015年2月13日金曜日

第1034話 スープを掛けてサラサラと

先々話でふれた”動坂下・深酒事件”。
翌日の日曜を棒にふったが
二日酔いとはいえ、めしは食わねばならぬ。
日テレの「笑点」を観終えて家を出た。

浅草に向かうつもりがなぜか心変わり、白山上にやって来た。
大阪鮓の「梅光」は数年前に廃業したものの、
割烹「松下」、戸隠そば「満寿美屋」、焼き鳥「八巻」、
焼肉「Lee Cook」、中華「兆徳」などなど、
訪問に値する佳店にことかかない。

とはいえ日曜のこと、すべての店が客を待ち受けているわけではない。
日本そばと中華で迷った末、「兆徳」のカウンターに席を確保した。
ここは餃子とチャーハンをウリとしている。
割安なセットメニューはかようなコンビネーション。

 A―玉子チャーハン・チャーハン・ラーメン  
 B―焼餃子・焼売 

A・Bから1品づつ選ぶシステムで
チャーハン派は980円、ラーメン派は950円だ。
ちなみに玉子チャーハンは塩味、普通のチャーハンは醤油味。
お願いしたのはラーメン&焼餃子である。

ご多分にもれずラーメンの出来上がりがずっと早い。
どこで食べても餃子は遅れてやって来る。
さっそくスープを一すすり。
フム、鶏ダシがアッサリと主張する好きなタイプだ。
どんぶりを彩る具材は、もも肉叉焼・シナチク・半ゆで玉子・海苔。

「兆徳」は店主を含め、全スタッフが from China(かな?)。
こういう店でラーメンに海苔はきわめて珍しいが
しかし、試みは成功していた。
シコシコ感を残した麺にも及第点、アッサリ派には有難いラーメンだ。

焼き餃子はニンニク不使用。
ややものたりなさを感じるものの、水準はクリアしている。
この日は二日酔いのせいもあり、これが第一食。
食べ進めてみると、眠れる食欲が目を覚ましてきた。
そこで半ライスを追加したものの、コイツがヤケに硬い。
もともと硬めライスが好きな人間がこぼすのだから相当なもの。

チャーハン自慢の店においてはこういうことがままある。
チャーハンに適した炊き方なのだ。
ここで、はしたなくもラーメンのスープをライスにぶっかけた。
お茶漬けさながらにサラサラやったら、これが意想外の美味しさ。
白飯と出会ってスープの鶏ダシがいっそう際立った。

次回は塩味の玉子チャーハンを食べてみたい。
と言いつつ、その次回が1年もやって来ないんだけどネ。

「兆徳」
 東京都文京区向丘1-10-5
 03-5684-5650

2015年2月12日木曜日

第1033話 加賀百万石より 加賀まりこ

一昨日の昼すぎ。
自宅で失敗作のランチを食べながらTVのザッピングにいそしんでいた。
近ごろ地上波の民放をトンと観なくなった。
殊にヴァラエティにはウンザリしている。
そもそも出演者が多すぎるヨ。
オマケに揃いも揃って、”俺が!オレが!”の目立ちたがりばかりなり。
コメントが重なってしまい、何をしゃべっているのか皆目判らん。
ありゃいったい何なんだろうねェ、バッカじゃねェのっ!

その点、NHKはなんぼかマシでっせ。
子どものころ、父親とはしょっちゅうチャンネル権争いをした。
敵はやたらにNHKを観たがるが、子どもには堅苦しくってやり切れない。
それが今、親父の歩いた道を自分がたどっている。
ファーザー、あんたはエラかった!

でもってその日、ザッピングの手が止まったのは
ひかりTVの時代劇専門チャンネル。
画面には御家人風サムライと艶っぽい町女が映っている。
初対面のご両人、意気投合して屋台のおでん屋に飛び込んだぜ。

男は一べつして小林旭と判ったが
女のほうには一拍置いてから目を見張ったネ。
何と、”大”の字が二つも三つも付くほど好きな加賀まりこでねェのっ!
あらためて感心いたしやした、つくづくよかオナゴやねェ、まりこは―。

思い起こせば1964年。
東京オリンピックの年に封切られた映画「月曜日のユカ」。
そのポスターの加賀まりこに強烈なエロスを感じたJ.C.だった。
実際に映画を観たのは30年も経ってからで
期待をはずされ、ピンとこなかったけれど、
例のポスター以来、彼女のファンであり続けたことは確かだ。

くだんの時代劇のタイトルは「幻之介世直し帖」。
1981~82年にかけて日本TV系列で放映された。
まりこはレギュラーではなくゲスト、全24話中第14話のみの出演だ。
貴重な1話を昼めしのつれづれに命中させたんだから
わが指先も捨てたモンじゃない。

江戸市井の伝法な下町女を好演する、おきた(加賀)に心が踊った。
心踊ったものの、シリーズ全体のデキはイマイチ、視聴率も伸びなかった。
時間軸が前後するが
”必殺シリーズ”と「暴れん坊将軍」を足して2で割ったところに
旭自身の”渡り鳥シリーズ”、
加えてアメリカの「バットマン」と日本の「まぼろし探偵」まで入り混じり、
シッチャカメッチャカもいいところ、手の施しようがない。

ただし、作品自体の存在感は際立っている。
旭の殺陣は暴れん坊・健ちゃんサンバに劣るものの、
そこは往年の日活大スター、カッコよさで四角四面フェイスの健を凌駕する。
そして加賀まりこの登場が裏付けるように
ゴージャスな客演者のおかげもあって、マンネリズムに陥ることはない。

今日12日(木)の放映は第16話、24日(火)が最終回の第24話。
時代劇専門チャンネルHDで連続放映中である。
毎日はムリでも1話くらいは観てチョンマゲ。
ただし、わが愛しのまりこの姿はそこにありません。

2015年2月11日水曜日

第1032話 小雨にけむる土曜の夜 (その3)

動坂下の「動坂食堂」にいる。
地下鉄都営三田線・本駒込駅前から
動坂を降りおりたところが動坂下だ。
文京区の北東のはずれに位置するが最寄り駅はJR田端。
同じくJRの駒込、西日暮里、両駅からもそれほど遠くはない。

目の前に運ばれた穴子の天ぷらに困惑している。
大き目が5片はあまりにも多すぎる。
胃袋に負担が掛かるのは当然として
精神的ダメージも小さくないものがあろう。

それでも天丼じゃなかったのは不幸中の幸い、
これにどんぶりめしが加わったら
もうどうすることもできゃあしないぜ。

新たなビール大瓶(こちらは別腹)とともにおよそ30分は掛けたろう。
おろし醤油、食卓塩、天つゆ、
しまいにゃブルドッグ中濃ソースまで駆使して
どうにかこうにか完食を成し遂げた。

それにしても天ぷらにソース系は合わないな。
ウスターやとんかつソースでも駄目だったろう。
なじまないというか、相性が悪いというか、
普段から口にしてないから舌のヤツが拒否反応を示す。
むしろ、フライドポテト感覚で
トマトケチャップ、マヨネーズ、マスタードのほうが合うんじゃないかな。

逆にとんかつや海老フライに醤油はそこそこイケちゃうのにねェ。
日本の醤油の万能性はやはり大したものなのだ。
中国醤油よりも洗練された切れ味を持つのは
日本人が古来より食べ続けてきた刺身の存在が大きいのだろう。

穴チャンのおかげでもう何も食べられない。
ふと、隣りを見やると、
さっきまで冷奴をつまみに生ビールを飲っていた爺さんが
酎ハイに切り替えて肴はカツカレーライスときたもんだ。
トンカツをルウに絡めて”酎の友”としている。
健啖家だねェ。

壁の時計は20時半を指している。
満腹感はあってもまだ飲み足りない。
そうだ! 目と鼻の先にスナック「K」があるじゃないか!
行きつけとは言い難いが月に1度はオジャマする店。

1分と歩かず「K」に到着。
口開けかと思いきや、先客が5名もいてすでに盛り上がっている。
おおよその営業時間は20~25時のハズ。
ところがスタッフを1人雇い入れ、18~26時に変更した模様だ。

時間はたっぷりあるから腰を落ち着けて飲み始めた。
生ビール→芋焼酎→ハイボールと飲んだ、飲んだ、飲みやした。
隣人と語らったり、カラオケを歌ったり、
いや、時の経つのは早いものですな、
結局は薬局、ママに送られて店を出たのは朝の4時半だとヨ。

雨はすっかり上がっちゃいても
翌日、もとい、当日はヒドい二日酔いに悩まされる始末で
日曜日を丸々棒にふりまししたとサ。
バッカじゃないの?

=おしまい=

「動坂食堂」
 東京都文京区千駄木4-13-6
 03-3828-4498

2015年2月10日火曜日

第1031話 小雨にけむる土曜の夜 (その2)

千石の角打ち「十一屋能村酒店」に赴いたものの、
突然の休業に心打ち砕かれ(そうでもないけど)、
同じ不忍通りを逆走している。

バスはアッという間に駒込五丁目を過ぎて動坂下へ。
降客たちのあとを追うようにして反射的に飛び降りた。
ここから「ときわ食堂」へは少々歩く。
「動坂食堂」ならバス停の目の前だ。
雨も降ってることだし、こりゃ近いほうをを選択するわな。

ビールの大瓶が650円と、
この手の食堂としては高めの設定だが
料理の質はそこそこのレベルに達しており、
その証しとして、いつも立て混んでいる。

大瓶としらすおろし(250円)を所望した。
なめこおろしを注文することはまずないけれど、
しらすおろしはひんぱんに頼んでいる。
30代後半あたりから次第に釜揚げしらすが好きになり、
今となっては大好物の仲間入りである。

もう何年も口にしていないが
神奈川県・藤沢市は浜野水産のそれなんざ、まさに天下一品。
酒の肴によし、飯の友にまたよし、なのである。
暖かい季節になったら遠出して買ってこよう。
うん、そうしよう。

しらすおろしの小鉢半分で大瓶を飲み干した。
ここでふと思った。
けっこうな量の大根おろしが残っているから、
何か天ぷらでもいっとくか―。

天ぷらは生醤油とおろしでいただくのが好み。
あとは塩が好きだから、ほとんど天つゆを使うことがない。
天つゆを使うのは穴子くらいじゃなかろうか。

壁の品書きには天ぷら盛合わせ(1100円)と
穴子天ぷら(750円)が並んでいた。
ここは当たり前のように穴子クンであろうヨ。
穴子というヤツは鮨屋にも天ぷら屋にも
必要不可欠な優秀魚と言い切ってよい。

日刊スポーツをめくりながら、揚がりを待つこと10分。
現われた穴天に飛び上がったぜい。
いや、実際に腰を浮かせたわけじゃないけど、
心は確実にジャンプした、高梨沙羅チャンの如くに―。

青唐2本を従えた穴子の群れは実に5ピース。
その1切れづつがかなりの存在感を放っている。
こんなには食べられんヨ、一瞬、半分はお持ち帰りと観念したほどだ。
過ぎたるは及ばざるが如し。
こんなふうに出されると食欲はめげる、メゲる。
芥川龍之介じゃないが、食欲が滅却してしまうのだ。

=つづく=

2015年2月9日月曜日

第1030話 小雨にけむる土曜の夜 (その1)

小雨にけむる土曜の夕刻だった。
上野松坂屋で買い物を済ませ、
新橋から銀座・日本橋・神田を経由して
上野へと続く中央通り沿いに出た。

晩めしどきだが空腹感とてなく、
ビールが飲めればそれでよいという心境。
手っ取り早く上野・湯島・御徒町界隈で晩酌とするか・・・。

そんなふうに思いながら通りの向こうを見やると、
早稲田行きのバスが停まっている。
このバスは次第に左へカーブしてゆく不忍通りをずっと進み、
護国寺前で左折したら江戸川橋を経て
終点・早稲田のリーガロイヤルホテル前に到着する。
途中、根津・千駄木・道灌山下・動坂下・上富士前・千石など、
それなりのプチ繁華街を走り抜けてゆくのだ。

深く考えもせず、ほぼ衝動的にバスの乗客となった。
始発につき、車内は空席だらけだ。
JRやメトロでは座らない主義だがバスはベツ、
吊り革につかまらないと立ってられないからネ。
ちなみに電車の吊り革にはまず手を触れない。
インフルエンザなど、ウイルスの巣窟のような気がするのだ。

一番後部、長いシートの隅に陣取って
しずくに濡れた窓外をながめつつ、思案する。
さて、どこで降りるとするかの?
この前夜、たまたま千石の角打ち「十一屋能村酒店」で飲んだ。
大塚で催された飲み会の前、たった独りの零次会だった。
時間に追われたこともあり、
ビールのレギュラー缶とグラスのカベルネ・ソーヴィニョンを1杯、
それで切り上げたのだった。

ここしばらく「十一屋」の営業時間はまっこと不規則。
開店時刻が16時だったり、17時だったり、はたまた19時だったり。
前日の店主のハナシでは翌土曜(今話当日のこと)は
17時オープンだったハズ。
タイミングがバッチリだったので前夜に続く再訪を決断した。

千石二丁目で下車し、歩を進める。
おや? 赤ちょうちんに灯りが点っておらんゾ。
あゝ、無情にもシャッターは降りたままで、
どうやら臨時休業の様子じゃないか。
そぼ降る雨の中をやって来たのに何てこったい!
いや、マイッたな、やっちまったぞい!

足取りも重く不忍通りに戻ると
帰りのバス、上野松坂屋行きが発車寸前。
運チャンに手を挙げてドアを開けてもらった。
今来た道を引き返しながら再考に及ぶ。
第一感は動坂下の「ときわ食堂」か「動坂食堂」。
第二は団子坂下の「居酒屋兆治」か「にしきや」かな?

=つづく=

2015年2月6日金曜日

第1029話 ハタ坊に脱帽 (その4)

駒込のユニークな中華料理店「炒め処 寅蔵」。
ザ・ピーナッツのCDを聴きながら綴っている。
曲目は「気になる噂」から「悲しきタンゴ」に移った。

 ♪  あなたも私も 窓辺のリラも
   今では枯れはて 風にふるえる
   心に流れる 悲しい唄は
   あなたと踊った ラストタンゴ

   泣きながら 泣きながら
   ひとりゆれて 踊るタンゴ

   部屋のかたすみの 小さな椅子も
   あなたの帰りを 待っているの

   抱きしめて 抱きしめて
   私ひとり 踊るタンゴ

   来る日も来る日も 悲しいだけで
   心に花咲く 春は遠い     ♪

       (作詞:なかにし礼)

好きなナンバーにつき、
寄り道を承知のうえでご紹介に及んだ、しかもフルワードで―。
こうすることによって筆の運びが一段と軽やかなリズムを刻んでくれる。

餃子をつまみに二人で紹興酒を酌み交わす。
ここの餃子はとても旨い。
写真を撮ったが餃子は絵にならないので割愛。

そうこうするうち本日の主役、黄ハタの清蒸が蒸し上がった。
ご覧くだされ、まさに
「ハタ坊だジョー!」―ってな感じ。
二人で食べるに絶好のサイズ
鑑識の専門家じゃないから断定はできないが
おそらく死後24時間まで経過していまい。
白身の身肉がプリップリの弾力を残している。

しばらく酒の肴にしたあとで白飯を所望し、
煮汁を掛け回して味わう。
う~ん、旨いなァ。
これぞ清蒸の醍醐味であろうヨ。

思わずごはんのお替わりをしたくなったが
ちと、はしたないので自制する。
バカスカ食えばいいってもんでもない。

ハタというサカナの比類なき美味を心ゆくまで堪能した夕べ。
旧交を温めながらも二人、ハタ坊に脱帽の巻でありました。

=おしまい=

「炒め処 寅蔵」
 東京都北区西ヶ原1-1-1
 03-3918-2385

2015年2月5日木曜日

第1028話 ハタ坊に脱帽 (その3)

旧知の仲のT原サンとともに「寅蔵」のカウンター席。
こちらは冷たいビールで、モーマンタイ(ノープロブレム)だが
身体が冷えてしまった相方は早くも紹興酒の上燗だ。

マダムがおサカナの調理を始めてよろしいでしょうか?
と、お伺いを立ててきたのでゴー・アヘッドのサインを送る。
何せ、清蒸は時間が掛かるからネ。

そのあいだのつまみに腐乳をお願いした。
1ピースにつき100円なので2ピース注文する。
四角四面のサイコロ状  
ところが、これがヤケにしょっぱい。
ここで物忘れ症候群のJ.C.、
以前に犯した同じ失敗を遅ればせながら思い出す。
その節も持て余したんだよネ、コイツを―。

とにかく1粒を二人でシェアし、
無キズのもう1粒は料理を趣味とする相方が持ち帰りに及ぶ。
腐乳に見た目も原材料もそっくりな沖縄の豆腐よう。
食味においてはまろやかな沖縄に軍配を挙げたい。

しからば軽いつまみをもう一種。
ここでT原氏が選んだのは
ピーナッツときゅうりのニンニク和えものときたもんだ。
妙な選択だぞなもしと思いきや、
ピーナッツやアーモンドなどナッツ類が大好物なんだと―。

ふ~ん、世の中にはピーナッツ好きっているんだなァ。
そんなもんなんだねェ。
いえ、ベツにバカにしてるんじゃありません。
と言いながら、ハタと気づいて思わず膝ポン。
かく言う自分もピーナッツ好きだった。
ただし、こちらはピーナッツ・ファン。
そう、南京豆ではなく、日本歌謡史における最高のデュオ、
ザ・ピーナッツの大ファンでありました。

急に彼女たちのハーモニーを聴きたくなって席を立ち、
CDのセットアップである。
最初に掛けたのは気に入りの「さよならは突然に」。
アップテンポに小気味よいスタッカート、好きなんだよねェ。

ハイ、また寄り道であいすいません。
くだんのピーナッツがコレ  
まっ、何の取り得もない一皿ながら
確かにニンニクは効いていてT原氏はことのほかご満悦。
こちらはただ、ただ、ご同慶の至りと
真向いのシアワセを祝福するほかに手立てがない。

黄ハタ、いまだ蒸し上がらず。
そこで焼き餃子を一人前所望する。
この店では餃子もまた自慢料理なのだ。

=つづく=

2015年2月4日水曜日

第1027話 ハタ坊に脱帽 (その2)

 ♪ 上野オフィスの 可愛い娘
   声は 鶯谷わたり
   日暮里笑った あのえくぼ
   田端ないなア 好きだなア
   駒込したことア ぬきにして
   グッと巣鴨が イカすなア ♪
      (作詞:小島貞二)

素敵な女優・浅丘ルリ子の元恋人にして
偉大な歌手・美空ひばりの元夫、
マイトガイ・小林旭が歌った「恋の山手線」は
東京五輪が開催された年、1964年2月にリリースされた。

てなワケで(どんなワケだ!ってか?)、
こまごましたことア、ぬきにして
駒込の中華料理店、「炒め処 寅蔵」のカウンター。
今宵、席を同じうしたT原サンは隣りで終始ニコニコ顔である。

それにしても「炒め処 寅蔵」・・・なんとも奇妙な店名じゃないか?。
”飲み処”や”食事処”っちゅうのはしょっちゅう目にするけれど、
”炒め処”っていうのはねェ・・・
まっ、確かに中華は支那鍋で炒める料理がイノチではあるわな。
それに加えて一般的な日本人は”寅”の字を目にすると、
ほぼ自動的に寅さんをイメージするから
一直線にチャイニーズにはつながらない。

炒める中華に対して和食は割烹の2文字が示すごとく、
お造りと煮もので勝負だろう。
割烹の”割”は包丁で切り分ける、いわゆるお造りであり、
”烹”は炊くことにつき、煮ものを指す。

ともかくも日華両国、水泳に秀でたスポーツマンなら
泳いで渡れる距離に位置する隣国同士なのに
日ごと人民が口にする食事においては
かくも異なる料理法を用いている。

おそらく昨今の両国における剣呑な間柄は
食べものの違いから生じてるんじゃないだろか?
と、思わないでもないが
米ソが引き起こしたあの冷戦でさえ雪解けた。
近々、日中首脳が笑顔で握手する光景を見られると信じたい。

 ♪ 雪解け間近の 北の空に向い
   過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき
   帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
   せめて今日から一人きり 旅に出る
   ああ 日本のどこかに
   私を待ってる 人がいる
   いい日旅立ち 夕焼を探しに
   母の背中で聞いた 歌を道連れに ♪
          (作詞:谷村新司)

百恵チャンの歌った「いい日旅立ち」、実に名曲ですネ。
おっと、毎度のようにハナシがなかなか前に進まない。
すまんこってす、以下次話です。

=つづく=

2015年2月3日火曜日

第1026話 ハタ坊に脱帽 (その1)

すでに当ブログで紹介したつもりなのに
すっかり載せ忘れていた店舗は過去においてけして少なくない。
JR駒込駅にほど近い中国料理店、「炒め処 寅蔵」もそんな1軒だ。

2週間ほど前に久かたぶりで再訪し、
以前はどんなふうに取り上げたのかなと思い、
アーティクルを探してみてもトンと見つからない。
大好きな店なのに、ついウッカリしていたのだ。

2年前にオジャマしたときは真鯛の清蒸を心ゆくまで味わった。
当店得意の一皿は広東料理の華ともいえる鮮魚の清蒸。
このときいただいた真鯛の雄姿を撮した写真がないのに
なぜか食べあとの残骸は撮ってあった。
どうです? この食べっぷり  
骨まで愛して愛してしゃぶっちゃったのヨ。
食われた真鯛クンもあきれはてて口あんぐりの巻であるぞヨ。

新鮮な白身魚を必要不可欠とする清蒸に
もっともふさわしいサカナは実は真鯛ではなくハタである。
九州地方ではアラ、紀伊半島ではクエと呼ばれる。

目を海外に転ずると、
香港では広東語で石斑魚(セッパンユウ)、
英米なら英語でGrouper(グルーパー)となる。

今回は数日前に予約を入れた。
その際、二人で食べるにふさわしいサイズのハタを
用意してくれるよう、お願いしてある。
シェフ自ら魚河岸に出向いて仕入れてくれるハズだ。

はたして当夜訪れると、
「長崎産の黄ハタをご用意できました」―
マダムのひとことにわれわれニッコリである。
ハタならば、真ハタ・黄ハタ・赤ハタ・キジハタ・アズキハタ・ネズミハタ、
どんなハタでもアクセプタブルでござんす。
みんながみんな美味でありやすからネ。

今宵の相方は40年来のつき合いになるT原サン。
このところ会う機会に恵まれて
月に一度は酒席をともにし、旧交を温めている。
ウラオモテのない性格の持ち主と酌み交わす酒は
素直に心に染み入り、シアワセな夜を招いてくれる。
愚痴や未練ならいざしらず、酒を飲みながら
陰口、告げ口の類いは金輪際聞きたくない。

T原さんとは香港・九竜半島の「福臨門本店」で会食したことがあった。
あれは確か1983年の秋で、鳩を食べた記憶があるが
石斑魚はどうだったかなァ・・・う~む、思い出せない。
あれから三十有余年、こりゃしっかたなかんべサ。

=つづく=

2015年2月2日月曜日

第1025話 世界で一番寒い村 (その2)

前話でご覧にいれたヤクーツクの魚屋のオバちゃん。
目細・鼻ペチャの典型的なモンゴロイド・フェイスは
白鵬の唯一のライバルだった朝青龍にソックリでしょ?

無能な協会があのイタズラ坊主を馘首しなけりゃ、
白鵬のここまでの一人舞台はなかったろうに―。
柏鵬(はくほう)時代ならぬ、
白青(はくしょう)時代が到来していたハズなのだ。

今回、白鵬が引き起こした問題。
あえて彼のカタを持ちたい。
だいたい、ああだこうだとイチャモンをつけすぎるヨ、協会は。
一人横綱として角界を牽引してきた自負があるからこそ、
常々、苦言を呈する機会をうかがっていたのだと思う。

現在の土俵からモンゴル力士が引き揚げてしまったら
はたして大相撲は存続できるのだろうか?
まず、ムリでしょうヨ。
見物に値する日本人力士がいないからネ。
理事長はじめ、理事の面々、審議会の長老たちも
アンタたち今まで何を貢献してきたの?
烏合の集とはまさにこのことで、連中こそ反省してほしい。
10年近くも邦人力士の優勝なくして国技とは呼べんだろうに―。

力が入ってしまってずいぶんスポッてしまった。
ロシアはサハ共和国の寒村、オイミャコンであった。
この村の人口はわずか900人。
番組のロケ隊が訪れた2008年2月、
午前10時の気温は―46℃だった。
1926年(昭和元年)には―71.2℃なんて
とてつもない世界記録を樹立してもいる。

村内の学校は―52℃で小学五年生以下が
―59℃になると全校閉鎖になる。
それでも村人は風邪をひかない。
あまりの寒さにウイルスが死滅するのがその理由。
こうなると、まるで南極並みだネ。
ただし、冬はほとんど無風状態が続き、
加えて村内を流れる川の底からは温水が湧き出るから
体感温度はそれほど寒くならないらしい。

老若男女が入り混じっての900人。
村全体が大きな中学校か高等学校みたいなもの。
互いが互いのことを熟知している。
娯楽は限られており、スポーツはバレーボール。
楽器はアイヌ民族と同じ口琴。
それでも村民はこぞってシアワセそのものに見えた。

異邦人の訪れがないからストレスもたまらない。
画面に映る人々の表情は
日本国民、東京都民のそれより、ずっとずっと明るかった。
われら哀れなり。