2015年3月31日火曜日

第1066話 五反田でレバカツを (その2)

のみとも・M鷹サンと五反田の「ばん」にいるが
その前にわが散歩の途中のオアシス、
ガス・ステーションならぬ、ビア・ステーションのハナシ。

中華の「日高屋」は生ビールだけの提供で
一番搾りの中ジョッキが310円也。
ここはフード・メニューを注文せずとも
イヤな顔をされない貴重な休息所である。

牛めし(ここでは牛丼とは呼ばない)の「松屋」も便利。
食券制であるからにして余計なモノを取る必要とてなく
ビール券だけ購入すればことが足りる。
スーパードライの中瓶が430円はそこそこ良心的。

牛丼チェーンの元祖ながら、
最近、とみに「松屋」や「すき家」に押され気味の「吉野家」。
アサヒかサントリーの中瓶(店舗により銘柄が変わる)を
比較的安価で出すけれど、
ビールのみの注文は無理じゃなくとも非常に頼みにくい。
よって、牛皿あたりを取らねばならず、
ビア・ステーションの責務を果たしてはくれない。

困るのは「やよい軒」だ。
おそらくここの中ジョッキが日本最小サイズだろう。
しかも370円と、小さいくせに「日高屋」よりずっと高い。
法外な値付けは糾弾されてしかるべき。
ここも銘柄は一番搾りだが、それこそ一気に飲み干せる容量で
あまりの少なさにカチンときたJ.C.、
近くのコンビニで缶ビールを買って持込み、
ジョッキに注いで量ってみたら
ロング缶(500ml)でちょうど2杯とれたからたったの250ccじゃんかヨ。
これではジョッキとはいえず、グラスと呼ぶのが正しかろう。
意図的に値段を吊り上げて
客にビールを頼ませないよう、教育的指導を施しているのかな?

ハナシが脇道にそれすぎた。
五反田の「ばん」に戻る。
ビールの友は真っ先にマカロニサラダだ。
マカサラは今や焼きとん人気店の定番ともいえなくもない。
赤羽の「米山」、本郷の「じんちゃん」、
みな、黒胡椒のピリッと効いたヤツをウリにしている。
「ばん」のそれは珍しくも胡椒控えめであった。

焼きとんはアトランダムに
カシラ・ハラミ・タン元・ナンヤワ(ハツ元)・レバを1本づつお願いした。
レバのみタレで、あとはすべて塩だ。

モグモグ・・・、う~ん、さらにモグモグ・・・。
別段、どうということもない。
やっぱり焼きとんは下町を中心とした城東に限るなァ。
テーブルでため息がひとつもれた。

=つづく=

2015年3月30日月曜日

第1065話 五反田でレバカツを (その1)

巷間、レモンサワー発祥の店と伝わる焼きとん屋「ばん」を訪れた。
開業は中目黒だが現在は五反田に移転しており、
ラブホやら風俗やらが密集する東口の一郭にある。
この陋巷を今しばらく進めば、清泉女子大のキャンパスに行き着く。
五反田は清濁併せ呑む土地柄なのだ。

当日はふた月に一度の理髪を渋谷で済ませ、五反田に回った。
相方はのみとも・M鷹サン、久々の再会である。
こちらの都合で五反田に呼び出したカタチになってしまった。

安くて旨いと評判の店につき、けっこうな混雑ぶり。
それでも何とか一番奥のテーブルを確保できた。
ただし、相席のうえにトイレの真ん前だから
小用の客がひっきりなしに出たり入ったりして
せわしないことこのうえない。

生ビールはキリンの一番搾り。
中ジョッキの容量が少なく、あっというまに飲み干してお替わり。
店によって同じ中ジョッキでもサイズはまちまち。
経験上、キリン一番搾りのジョッキが一番小さい。

ここでちょいとハナシが脇道にそれる。
以前にも当ブログでふれたが
東京の街には(日本全国どこも一緒だけれど)
気軽にビールやワインを引っ掛けられる場所がまずない。
ニューヨークのバー、ロンドンのパブ、パリのカフェ、
ローマのバールに匹敵する酒場がまったくないのだ。

散歩大好き、ビール大好きの人間にとってこれはツラい。
酒店の立ち飲み、いわゆる角打ちとて
真っ昼間から開けている店はきわめて少ない。
ほとんどの酒屋が17時以降のオープンなのだ。

ビールを提供する喫茶店はあるものの、
割高の小瓶を何本もお替わりしていたら財布がもたない。
ホテルのバーもまたしかりで、思わぬ散財の憂き目をみることになる。
そこでときどき利用するのが大手外食チェーンだ。
中休みを取らないから使い勝手もよろしい。

東京の街に展開する主なチェーンを列挙してみよう。
牛丼系は「松屋」、「すき家」、「吉野家」、「なか卯」。
和食堂系で「やよい軒」、「大戸屋」。
中華系なら「日高屋」、「ふくしん」といったところだ。

アルコール飲料の販売に関しては店それぞれにポリシーが異なる。
もっとも積極的なのが「日高屋」で
日本酒、酎ハイ、ホッピーと何でもござれ。
食事も飲酒も大歓迎というスタンスだ。
逆に消極派は「吉野家」と「やよい軒」。
どちらも置くのはビールのみ、しかも深夜は提供しない。
しょうがなくビールを売っているのである。

=つづく=

2015年3月27日金曜日

第1064話 ボナセーラ・トライベッカ (その3) 古く良かりしニューヨーク Vol.8

さらに今は無き、読売アメリカ現地版連載の
「れすとらんしったかぶり」をつづけます。

=ボナセーラ・トライベッカ(下)=

「Acappella」。
イニッツィオ(お通し)に出たズッキーニのフリットが
苦みばしって美味しい。
ノルウェー産サーモンのカルパッチョ、
ニュージーランド産ム-ル貝の白ワイン蒸しもよいデキだ。
3種のパスタの盛合わせがいろいろと楽しめて素敵。
とある夜はフジッリ、パッパルデッレ、
パリア・エ・フィエノの組合せだった。
パリア・エ・フィエノは直訳すると麦わらと干し草。
その名の通りに薄黄色と薄緑色の2種類の麺が絡み合っている。
東京ではまず見掛けないオサレなパスタだ。

高級魚・ブランツィーノ(地中海スズキ)の仕上がりは
クリームが重たく、塩気も強いものでまったく感心しない。
骨付き仔牛のチョップは仔牛そのものよりも
添えられた揚げじゃが芋のほうが美味。
とかくこの世はままならぬ。

高い天井が快適な空間を生み、入店の際の第一印象は好ましい。
ただ照明が暗すぎてメニューを読むのに一苦労も二苦労もする。
ムード優先のアメリカ人にはよいかもしれないが
子どもの頃から 
 ♪ 明る~い ナショナル ♪
を聴かされて育った日本人にはあまりにも暗い。
いやいや、ドイツ人のゲーテだって叫ぶだろうぜ、
「もっと光を!」と―。

=おわり=

「J.C.オカザワのれすとらんしったかぶり」は
読売アメリカ紙上にておよそ4年間(1993~97)連載された。
主としてニューヨークの”食べ歩記”ながら
一時帰国の際に訪れた東京をはじめ、日本各地の店々や
往時、毎年のように休暇旅行に出掛けた、
パリのレストランをも紹介したものだ。
幸いに読者の好評を得ることができ、
この連載から”読売グルメ倶楽部”なるサークルが生まれたのだった。

パリ・リヨン・ブリュッセル・ローマ・ヴェネツィア・ミラノ・
マドリッド・バルセロナ・イスタンブール・ベルリン・ストックホルム・
ロンドン・ケベック・モントリオール・シカゴ・サンフランシスコ・
ブエノスアイレス・シンガポール・香港・マカオなどなど、
世界中の都市を食べ歩いたが
世界の二大食都はニューヨークと東京に尽きる。

幅の広さ、奥の深さにおいて他の追随を許さないのだ。
二大食都のそれぞれの最強料理は
東京が江戸前鮨、ニューヨークはイタリアン。
誰が何と言おうと、これだけは自信を持って断言できやす。

=おしまい=

「Gigino」
 323 Greenwich St
 212-431-1112

「Arqua」
 281 Church St
 2121-234-1888

「Barocco」
 301 Church St
 212-431-1445

「Acappella」
 1 Hudson St
  212-240-0163

2015年3月26日木曜日

第1063話 ボナセーラ・トライベッカ (その2) 古く良かりしニューヨーク Vol.8

「J.C.オカザワのれすとらんしったかぶり」のつづき。

=ボナセーラ・トライベッカ(上)=

引き続きトライベッカの「Arqua」。
主菜では仔牛レバーのヴェネツィア風、地鶏の蒸し焼き、
骨付きうさぎのソテーと安定感抜群。

ブロックの角地にあり、窓を大きくとってあるから
陽光燦々の昼下がりも、窓ガラスに二人の横顔が映る夜更けも
それぞれに趣きがあって居心地がいい。
ただし、トイレにゆくのにキッチンの真ん中を横切らねばならず、
日本の女性は気恥ずかしい思いをするかもしれない。
ここは米人女性に倣い、毅然と胸を張って通り抜けるしかない。
たとえ、胸に自信のない方でさえも・・・。

=ボナセーラ・トライベッカ(下)=

先週に続きトライベッカのイタリアンを紹介する前に
訃報を伝えなければならない。
過日、気に入りのポルトガル料理店、
「Tasca do Porto」を訪れて愕然とした。
いつのまにかフレンチビストロに変身していたのだ。
ステイク・フリッツやシュークルートなどに並んで
イワシの塩焼きが残っている。
前店の残滓と呼ぶほかはない。

「Barocco」、この店の料理は大好きだ。
アンティパスト(前菜)は魚介類のサラダ、サーモンのグラヴラックス、
牛肉赤身のカルパッチョとスタンダード・ナンバーを中心にはずれナシ。

日本に帰国した際、天ぷら屋に立ち寄ると、
スミイカにせよ、アオリイカにせよ、
イカ天はまず外さないほどイカ好きなくせに
イタリア料理屋ではめったに食べないカラマーレ・フリット。
しかし、「Barocco」のそれは花マル。
旨みを閉じ込め、カラリと揚げきっている。

パスタはフェットチーニ、ラヴィアオリ、ラザーニャが自家製の生。
スパゲッティーニ、ペンネ、リガトーニ、ガルガネッリが既製乾麺。
すべて秀逸のなか、
小ダコのガルガネッリとポルチーニのラザーニャが抜きん出ている。
殊にラザーニャはミートソースとベシャメルソース、
二つのソースの絡みが絶妙だ。

主菜ではペッシェ(魚)なら尾頭付きスズキのロースト。
食材の鮮度、火の通し、タイムによる香りづけ、
付け合せのブロッコリー・レイヴに至るまでパーフェクトだった。

カルネ(肉)は骨付きうさぎのロースト。
焼き色美しく、ローズマリーが香り、
黒オリーブの塩っ気とトマトの酸味が味を引き締め、
噛みしめると一瞬、奥歯をはね返す弾力が頼もしい。
絶品のこのウサちゃん、お出かけしていることが多く、
留守どきの穴埋めには若鶏か仔牛を召し上がれ。

=つづく=

2015年3月25日水曜日

第1062話 ボナセーラ・トライベッカ (その1) 古く良かりしニューヨーク Vol.8

およそ1年半ぶりの”古く良かりしニューヨーク”シリーズです。
読売新聞のNY現地版、読売アメリカの連載コラム、
J.C.オカザワの「れすとらんしったかぶり」からの回顧版であります。

=ボナセーラ・トライベッカ(上)=

今月の晦日から3日間にわたって開催される”第4回読売グルメ倶楽部”。
此度はロバート・デ・ニーロがオーナーの人気店、
「Nobu」でのランチということもあり、
受付開始後3時間で締切りとなった。
しかも50名以上の方々がウェイティング・リストにお名前を連ねている。
読売の担当者、M嬢も早急に次回の企画を練り上げた様子、
主催者として参加できないみなさんの寛大なご理解を賜りたいと存じます。
どうぞ、お許しください。

マンハッタンの素敵なレストランの宝庫となったトライベッカ。
トライベッカとは、Triangle below Canal の略。
そう、カナル・ストリート下の三角地帯という意味だ。
「Nobu」もその一郭にある。
今週から二週にわたり、トライベッカのイタリアンを攻略してみたい。

以前、この欄で紹介した
カリフォルニア風タイ料理の「Tommy Tang’s」。
その後、客足が落ちて閉店の憂き目をみた。
その跡地にオープンしたのが「Gigino」。
壁を塗り替えただけで雰囲気が変わり、
ネオ・リアリズモのイタリア映画を観ているようだ。

単一の地方に固執しないその料理は、やや南の匂いが勝っているかな?
パスタが個性的だ。
バーリ風カヴァテッリ、ポジターノ風ラヴィオリのほかに
定番のリングイニ・ヴォンゴレ、ペンネ・アラビアータ、
スパゲッティ・ペスカトーレ、タリアテッレ・ボロネーゼも。

インパクトの強さではスパゲッティ・パドリーノが断トツだ。
ビーツ(赤大根)の繊切りをたっぷり使うため、
スパゲッティが真っ赤に染められている。
パドリーノはゴッドファーザーのこと。
皿の上は血塗られて流血の大惨事状態だ。
ところはコイツがヤケにうまい。
もともとビーツは好まぬ食材ながら
ロシア料理のボルシチとここのパドリーノだけには太鼓判を捺す。

焼き上がり香ばしく、肉汁あふれる仔牛のグリルの香草は
使用されているタイムよりローズマリーのほうが好ましい。
ピッツァとカルツォーネにも力を注いでいるのが大衆的で好印象。

トライベッカのイタリアンの覇者的存在、「Arqua」。
パスタが魅力にあふれている。
季節になったら白トリュフのタリオリーニが断然。
サルシッチャとフェンネルのパッパルデッレも非の打ち所ナシ。
生ハムに添えられた小粒な黒イチヂクの美味しかったこと。
こんなイチヂクなら子どもたちも浣腸を怖れまい。
何のこっちゃい?

=つづく=

2015年3月24日火曜日

第1061話 なんとなく再びエスニック (その3)

谷中の名所・夕焼けだんだんの上、
エスニック中華の「深圳(しんせん)」にいる。
ノドの渇きを鎮めて一息つき、肴の吟味に思いを致す。
ところが適当な小皿がトンと見つからない。
それもそうだヨ、「深圳」は料理屋というより、
飯屋と呼ぶほうが当たっているのだ。
さして多くもない品書きをつぶさに観察すると、
そのすべてが一膳飯ならぬ、一皿飯なのであった。

披露してみようか。
最初に”おすすめ!”と明記された3皿。

 ニラと豚丼レモン醤油味 800円
 辣油がけラム肉丼 950円 
 辣油がけパクチーラム丼 1200円

加えてこちらは定番らしい。

 ラムとパクチーの炒め飯 1000円 
 ラムのジンギスカン風炒め飯 900円
 ラムのカレー風味炒め飯 800円

一見して幅を利かせているのはラム肉とパクチーだ。
深圳は広東省だから主として食されているのは広東料理。
彼の地でラムはポピュラーな食材とはいえない。
北京料理の羊肉しゃしゃぶをはじめ、
中国北方で好まれるのがラム肉なのだ。

パクチー(中国では香菜)にしたって
代表的広東料理、鮮魚の清蒸にあしらわれることはあっても
主役にはほど遠い存在だろう。
まっ、ああだこうだと理屈を並べても始まらない。
イーティング・イズ・ビリーヴィングでまいりましょう。

当夜は迷いに迷った。
だって、ポーション小さめの皿を2~3品という、
普段から馴れ親しんだ選択肢がハナからないんだもの。
熟考を重ねた末にたどりついたのがコレだった。
ラムとパクチーの炒め飯
トマトを浮かべたスープはクローヴ効きすぎ。
デザートはパイナップル風味のヨーグルトで
これはあってもなくてもいい。
肝心の炒め飯のベースは玉子炒飯、その上にラムのソテー、
そしててんこ盛りのパクチーときたもんだ。
あまりのパクチーの量にラムが隠れて見えない。

箸先でラムを探すわが心境は
富士山麓の青木ヶ原樹海で行方知れずとなった、
人々の亡骸(なきがら)を捜索するが如し。
とにかくパクチーの絶対量が多いし、
固い茎まで入っているから大いにバランスを欠く。

漫画家のやくみつるによく似た店主には悪いが
もうちょっとやりようがあると思うんですがねェ。

=おしまい=

「深圳(しんせん)」
 東京都荒川区西日暮里3-14-13
 03-3824-5668

2015年3月23日月曜日

第1060話 なんとなく再びエスニック (その2)

所用で出向いた麻布十番から
新橋→銀座→京橋→日本橋→神田→末広町を経て上野に到着。
さらにもうひと踏ん張り、恩賜上野公園と谷中霊園を横切って
夕陽の名所、夕焼けだんだんに歩き着いた。

階段を降れば谷中銀座である。
夕焼けだんだんも谷中銀座も荒川区と台東区の区境に位置している。
北側が西日暮里、南側が谷中だが
地図によると、どちらも正確な地番は荒川区・西日暮里のようだ。

この日のJ.C.、いきなり階段を降りはしなかった。
夕焼けだんだんの上にしばしたたずみ、西空を見上げる。

  ♪ 利根の 利根の川風よしきりの
   声が冷たく 身をせめる
   これが浮世か
   見てはいけない 西空見れば
   江戸へ 江戸へひと刷毛(はけ)
   あかね雲              ♪
        (作詞:猪又良)

猪又良の詞に長津義司の曲、そして三波春夫の唄と
三拍子揃った永遠の名曲「大利根無情」が
列島に流れたのは1959年。

その56年後の今、西空を見上げている。
もっとも「大利根無情」で江戸の方角の西空を見つめているのは
下総の国は笹川の繁蔵の食客、平手造酒(ひらてみき)。
時は天保15年(1844年)、171年も以前のことだ。
平手造酒は実在の人物で東流斎馬琴の講談、「天保水滸伝」の主役。
この名作はたびたび映画化されてもいる。

夕焼けだんだんから臨む西空に夕陽の姿はもうなかった。
なかったが1軒の料理屋に目がとまった。
何度も前を通り過ぎたことのある、その店は「深圳(しんせん)」。
中国屈指の大都市、広東州・深圳は香港の新界に接し、
広東語ではシェンヂェンと読まれる。

店頭の品書きを見ると、
一般的な中華料理ではなく、中華風エスニックの趣きあり。
つい先日、ミャンマー料理の「TAWARA」を訪れたばかりだが
なんとなく再びエスニックを食べようという気になった。
よって気が変わらぬうちに入店の巻。

カウンターだけの小体な店には8席ほどしかない。
ノドの渇きをうるおすため、さっそくドリンクメニューに目をやる。
ビールは青島(チンタオ)、パンダの小瓶がともに450円。
青島黒の小瓶は600円、スーパードライ大瓶が700円。
あとは甕出し紹興酒が1合で700円。
当然、気に入り銘柄の国産大瓶を所望する。

努めて泡立ちを抑えながら手酌で注いだ1杯は
ノドの奥をカスケイド(小滝)のごとくにすべり落ちていった。
「クゥ~ッ!」―あまりの旨さに言葉を失う。
いやはや、たまりません。
たとえ愚か者のそしりを免れなくともお構いナシ。
この1杯、いや、この1瓶のために
遠路はるばる2時間半を歩き抜いてきたのだ。

=つづく=

2015年3月20日金曜日

第1059話 なんとなく再びエスニック (その1)

コートもジャンパーも要らぬ季節になって来た。
街を歩いていて、快適なことこのうえない。
過日の昼下がりなど、麻布十番から上野まで一気に踏破してしまった。
噺家・古今亭志ん生の十八番(おはこ)、
「黄金餅」の道筋をモロに逆行したわけだ。

飯どきも酌どきも外した時間につき、
飲まず食わずでただひたすらの歩け歩け運動、
いや、楽しいんだな、これがっ!

「あゝ上野駅」に到着したのは日暮れた17時。
すでに立派な晩酌どきになっていた。
晩酌タイムに立派もへったくれもあるもんかっ! ってか?
いえ、誰はばかることなく、心おきなく酒を飲み、
誰からも後ろ指を指されない時間帯ってこってス。

さすがに超長距離歩行のあと、
ノドは渇くし、ハラは減るしの、Wスターヴェーション。
酒は飲みたし、飯は食いたしの巻である。
どちらにしろ上野という街なら適当な店がすぐ見つかるが
この地はどちらかというと、飯よりも酒の都だ。

もちろんJ.C.自身、飯よりも酒を好む今日この頃、
当然、居心地が悪いわけはない。
わけはないが、当夜はもう一足延ばしたい気分であった。
となると今来た道を戻る、いわば進路を南に取ることはありえない。
行く先は東か、北か、西になる。

東は浅草、北が谷中、西なら本郷だ。
ジャケットの胸ポケットに眠っていたボールペンを宙に投げて
これから向かう方向を占った。
ハハ、黒澤明の名作、「用心棒」における桑畑三十郎みたいだぞなもし。

落下したペンが示した先は今やって来た南と出た。
こりゃあかん、やり直し、やり直し。
二度目に出たのは北だった。
上野から北へ進路を取るのはちょいと微妙。
山手線の外側、昭和通りを北進すれば、恐れ入谷の鬼子母神。
内側を東京文化会館に向かい、坂を上れば谷中方面に達する。

今度はペンをトスせずに坂を上った。
文化会館のみならず、美術館や博物館が建ち並ぶ、
アカデミックなエリアになんとなく足先が向いたのだ。
上野動物園と東京芸術大学を左に見ながら谷中霊園を突っ切った。
桜並木のつぼみは未だかたくなに小さい。

霊園に棲みついている猫たちとしばし戯れる。
定期的にエサを配膳する愛猫家が少なくないのだろう、
霊園の猫はとても人なつこい。
そうしてこうして到着したのは夕陽の名所、
谷中・夕焼けだんだんであった。

=つづく=

2015年3月19日木曜日

第1058話 なんとなくエスニック (その4)

千石の「TAWARA」でスペシャル・ダンパウを待っている。
前話で紹介したおすすめメニューのうち、最高値のディッシュだ。
それにしても「TAWARA」なる店名、ミャンマー語だろうか?
なんとなく日本語の”俵”を連想させるものがある。
あとで調べたら、はたして「俵」であった。

ビールの中瓶が残り少なくなってきた頃、
待望のダンパウがやって来た。
サイドに3点セットを従えている。
ルックスはチキン・ビリヤニそっくり
長粒米はその一粒ひとつぶが存在感を示し、
われこそはインディカ米なるゾ、と訴えているかの如し。

インドのビリヤニ、インドネシアのナシゴレン、シンガポールの海南鶏飯、
インディカ米を使った米料理はJ.C.の大好物なのだ。
こちらが3点セット
野菜スープに干し海老風味のチリ、
それにキャベツのサラダ。
キャベツにはナンプラー(魚醤)が振りかかっている。
ミャンマーではこの魚醤を、ンガンピャーイェーという。
まったくもってミャンマー語の難解さにはお手上げである。

何はともあれ、ライスを一匙口元に運ぶ。
ウ~ン、想像した通りの味と食感。
日本の誇るコシヒカリやひとめぼれとは別世界の美味だネ、こりゃ。

ここで突然、ハナシは40年前に飛ぶ。
1975年当時、J.C.は二人の仲間ともども
ロンドンで小さな食堂兼雀荘を営んでいた。
日本人の学生やビジネスマン相手の細々としたミニクラブだったが
将棋好きの英国人や麻雀好きの中国人が出入りしたりもしていた。

そんな中の一人にインドネシア人のイワンがいた。
イワンと聞けばトルストイの「イワンの馬鹿」が第一感。
ロシアの男子名を連想させる。
しかるに彼はインドネシア人であった。

ウマが合ったというか、J.C.にとっては最初で最後のインドネシア人の友だ。
そう、そう、連れ立ってピカデリー・サーカスだったかな?
いや、レスター・スクエアかもしれない、とにかく一緒に
高倉健とロバート・ミッチャムの「ザ・ヤクザ」を観に行ったっけ・・・。
ラストの健さんには異常に興奮していたネ。

そのイワンにわがクラブの炒飯を振舞ったことがあったが
ほんの一匙、二匙で投げ出されてしまった。
ライスがスティッキー(ねばねばしている)で
とても食べられたもんじゃないんだと―。
その一件を思い出させたスペシャル・ダンパウであった。

ディッシュの主役ともいえるチキンに手をつける。
スプーン&フォークを入れるとホロホロに崩れた。
ビリヤニのそれよりも柔らかい。
フレンチのロティ(ロースト)でもなく、
アメリカ的なフライドチキンでもなく、
ましてや和風の照り焼きでもない。
ブイヨンで煮たのだろうが
これはコレでほどほどに美味しくいただけましたとサ。

=おしまい=

「TAWARA(俵) RESTAURANT」
 東京都文京区本駒込6-5-1
 03-6902-1080

2015年3月18日水曜日

第1057話 なんとなくエスニック (その3)

白山通りと不忍通りが交わる千石交差点にほど近い、
ミャンマー料理屋「TAWARA」のテーブル席に独り。
ちょっと見、4~5席はありそうなカウンターに陣取りたかったが
おそらくそこは常連客の晩酌用だろう、
一見客の初回利用には遠慮したほうが無難、
と言うよりマナー、いや、仁義かもしれない。

奥さんが運んでくれたミャンマー・ビールはその名もミャンマー。
過去においていくたびもモンドセレクション金賞の栄誉に輝いている。
でもネ、猫も杓子もモンドを謳う今日この頃、
詳しい仕組みは知らんけれど、これほど胡散臭いのもないなァ。
初めて飲んだミャンマー・ビール
おっ、小じゃれた乾きものが追い掛けてきた。
干したナッツ&ビーンズ
日本そば屋でビールを頼んだときに
よく出される柿ピー(柿の種&ピーナッツ)より、なんぼか気が利いている。

店主が主張した通り、
ミャンマー・ビールは口当たりよく、あと味もスッキリしていた。
しかし小瓶はやはり小瓶、アッという間になくなって
今度は国産アサヒの中瓶をお願いすることに。
しかもミャンマーの小瓶が600円なのに対し、国産の中瓶は500円。
そりゃ、こちらのほうがずっといい。

壁のメニューボードを眺めながら
スペシャル・ダンパウの出来上がりを待つ。
せっかくだからそのメニューを紹介しておこう。

=本日のおすすめ=

¥380
 ミャンマー風たまご焼き サモサ とりかつ 砂ずりガーリック

¥480
 とり肉冬瓜煮 牛スジ煮込み あさりバタースープ 山芋磯辺揚げ
 モヒンガー・ハーフ ミルクラーメン・ハーフ

¥580
 牛ハチノス和え もつ煮和え 冬瓜天ぷら

¥680
 ミャンマー風まぜそば

¥800
 ミャンマー風焼きそば

¥1050
 スペシャル・ダンパウ

といったふうであった。
ちなみにモモンガー、もとい、モヒンガーは魚のスープであるらしい。

=つづく= 

2015年3月17日火曜日

第1056話 なんとなくエスニック (その2)

文京区・千石の白山通り沿い。
歩行する足を止めたのはこの写真であった。
スペシャル・ダンパウなる米料理
ダンパウとは初めて目にするディッシュである。

レストランは「TAWARA」という名のミャンマー料理店。
韓流バブル弾け散ったコリアンタウン新大久保には
ミャンマー料理屋が増殖しているらしいが
あの街は自分の縄張り外なのでめったに足を踏み入れない。

何年か前、週末のランチタイムに
JR大久保駅そばのミャンマー料理屋に飛び込んだら
何やら店内で宗教的な儀式が執り行われており、
相方ともども逃げ帰ったことがあった。
まさかサリンを散布されることはなかろうが
いや、不気味なことこのうえなかった。
もともと宗教は苦手の口だからネ、くわばら、くわばら・・・。

千石の「TAWARA」に戻ろう。
写真で見る限り、スペシャル・ダンパウは
インドのチキン・ビリヤニに似てないこともない。
違いといえば、ビリヤニがややウェットな感じなのに対して
ダンパウはかなりドライなこと。
炒飯・ピラフ・パエリャの類いはみな好きだから
この米料理も試してみたくなった。

当夜は別段、目指す店があるでもなく、
なんとなくエスニックにしちゃおうかな・・・てなフィーリング。
空を見上げれば月がとっても青かった。
ルナが呼んでいる。

入店すると先客は皆無。
切盛りする若い男女は夫婦者だろう。
「いらっしゃいませ!」の声がハモッた。
二人ともミャンマー出身のようだ。
事実、確認したらミャンマー人だった。

「スペシャル・ダンパウできますか?」
「ハイ、できますよ」

「ビールもらおうかな」
「ミャンマーのビールありますよ」

「タイのビールみたいにクセがあるんじゃない?」
「いえ、さっぱりしてますよ」

「中瓶か大瓶ある?」
「小瓶だけなんです」

「小瓶はすぐなくなっちゃって飲んだ気がしないんだ」
「前は中瓶あったんですけど―」

「まぁいいや、小瓶ください」

こんな会話が店主と交わされたのだった。
もちろんランゲージは日本語で―。

=つづく=

2015年3月16日月曜日

第1055話 なんとなくエスニック (その1)

ここ2週間ほど、東京の街・町をぶらぶらしていてシアワセを感じる。
大好きな沈丁花が季節を迎えており、
散歩の道すがら路傍の生垣からも馥郁たる香りがただよいくるからだ。
何を隠そうJ.C.、この世の花の匂いでは沈丁花が一番好き。

  ♪ あかく咲く花 青い花
   この世に咲く花 数々あれど
   涙にぬれて つぼみのままに
   散るは乙女の 初恋の花  ♪
      (作詞:西條八十)

島倉千代子のデビュー曲、
「この世の花」が列島を風靡したのは1955年。
まだ4歳の誕生日を迎える前だったが
ウチにレコードがあったのでよく覚えている。

この曲がヒットしているさなかに弟が生まれた。
病院の看護婦さんたちがしょっちゅう口ずさんでいたっけ・・・。
年端もゆかないガキがそんなに鮮明に覚えてるわけがないやろ! 
ってか?
へへっ、だって看護婦さんのひざの上で聴いてたんだから間違いないやネ。

とにもかくにも”この世の花”のマイ・ベストは沈丁花。
千代ちゃんの「この世の花」で花は赤く咲いたり、青く咲いたりするが
沈丁花は真っ白か、赤紫と白のツートンカラーの2種類。
それぞれが放つ匂いはまったく同じである。

匂いを脇に置いといてルックスだけなら好きな花は
バラ・桜・コスモス・桔梗・松葉牡丹と数々あれれど、
やはり香りよく、花弁も可憐な沈丁花に如くはなし。

以前、一緒にシゴトをした編集者のF元サンに
沈丁花の香りのハナシをしたら
その香りのする香水を教えてくれた。
意中の人に贈ればよかったかもしれないが、すぐに名前を忘れてしまった。

もっともいくら好きだからって
自分の相方に使う香水までとやかく指図はできない。
そんなことすると、ケンカの種になる可能性のほうが大きい。
第一、ああいうものはオモテで嗅ぐからいいんであって
その匂いをベッドまで持ち込むってのもねェ・・・。
やはり野に置け沈丁花、であろうヨ。

さて、その日は板橋区・仲宿の旧中仙道界隈を散策していた。
ソメイヨシノ発祥の地、染井霊園から
駒込は六義園の脇をすり抜けて千石の町にやってきた。
花は咲けども北風がピューピューと背中に吹きつける寒い夕暮れ。
白山通りを春日・後楽園方面に向けて歩き始めてほどなく、
とあるレストランの店頭に貼られた1枚の写真に足がとまったのである。

=つづく=

2015年3月13日金曜日

第1054話 閃いて日暮れの里 (その2)

JR山手線・京浜東北線、
そしてこのほど将来の全線再開通が報じられた常磐線、
加えて京成線に日暮里・舎人ライナー、
ちょいとしたターミナルでありながら
どこか都会ばなれしたローカル色の漂う日暮里にいる。

「いづみや」のカウンターは細いのが二本差向い。
牛丼のチェーン店をイメージしてもらえばいいが
雰囲気はずっとずっとレトロだ。
べつに腹は空いてなかったが
大衆酒場においては一人一品のつまみは暗黙のルール。
T栄サンと意見の一致をみて最初にかきフライを注文した。
5分少々で揚げ立てが運ばれる。
やや大きめのが4粒にキャベツとレモンの輪切りが添えられていた。
ナリは小さくなってしまうがコロモはもっと薄めにしてほしい。
ウスターソースをたっぷりかけてB級グルメ風とした。

壁の貼り紙に目がとまる。

=いづみや名代梅割焼酎始めました=

ふ~む、一昨年夏の大宮本店では見掛けなかったものだ。
ご丁寧に”梅割”部分は赤字で染められてている。
試してみたいと思う反面、
最近始めたものに”いづみや名代”もなかろうぜ。
と、判っちゃいるけど、頼んでしまう。
しかもこれがまた210円なのである。
赤羽「まるよし」ではさんざ金210円也のつまみをむさぼってきた。
こういうことって重なるのよねェ。

1分と経たずに目の前に置かれた梅割焼酎はかなり色が濃い。
ウイスキーの水割りより濃く、ウーロン茶くらいだろうか。
東京下町ではハイボールに店独自の梅シロップを混入させるが
そのスタイルとは一線を画している。
画しているが比べれば”下町味”に軍配だ。

二人での来店だから、つまみをもう一品頼まねば―。
品書きを吟味していてまぐろモノに行き当たった。

 まぐろぶつ 510円  山かけ 570円  まぐろ刺身 800円

相方に
「まぐろでもイッてみる?」―こう振ると
「お任せします」―とこられて
お願いしたまぐろぶつであった。

べつに安いから注文したわけではない。
銀座・赤坂の割烹ならいざしらず、
東京の酒場ではまぐろ刺身より、
まぐろぶつのほうが粋なのである。
鯔背(いなせ)なのである。
コレは読者の方々にもぜひ覚えておいていただきたい。

能書きが先行してしまったが
結局は薬局、ぶつはあんまりよくなかった。
本店の目刺しよりはマシだったけれど、オススメはしませんネ。

「いづみや」
 東京都荒川区西日暮里2-18-5
 電話ナシ

2015年3月12日木曜日

第1053話 閃いて日暮れの里 (その1)

サブタイトルは変われども今話は昨話の続編みたいなもの。
30年ぶりに再会したT栄サンとともに
JR赤羽駅で京浜東北線の電車に乗った途端、少しく後悔。
埼京線で一つ目の十条に向かえばよかったものを―。
そのことであった。

突然の雨のため、傘ナシの二人は赤羽でのはしご酒を断念したのだ。
いわば降雨コールド負けである。
よって2軒目は駅から至近でなければならない。
京浜東北沿線だと、まず東十条の「杯一」が第一感。
そうだ、ここにしようと決めたものの、
電車は無情にも東十条駅のホームを離れたところであった。

王子の「山田屋」は気に入り店ながら駅からちと遠い。
乗降客も少なけりゃ、飲食店なんざ指折り数えて片手に余る、
上中里で唯一使える「百亀樓」は一皿のボリュームがあり過ぎる。
豚肉の朝鮮焼きなど、なかなかの旨さだが
エイジ的にわれわれ二人にはムリだ。

田端・西日暮里では駅そばにこれといった店が思い浮かばない。
日暮里・鶯谷・・・やはり上野まで行ってしまうか・・・。
いや、新宿・池袋ほどではないにせよ、
メガ・ステーションの上野は駅の周りが遠い。
かといって駅中(なか)の店舗では味気ない。
上野ならむしろ一つ先の御徒町のほうが使い勝手がいい。
頭の中で漠然と御徒町のガード下をイメージしていた。

前述の通り、乗降客の数きわめて少ない上中里で停車中、
向かいのホームにも反対方向の大宮行き電車が停車していた。
ん? 大宮? 大宮ねェ・・・
駅東口には街で一番有名な酒場「いづみや」があったなァ。
雰囲気のいい店だが一昨年の夏には
史上最悪の目刺しを食わされたっけ・・・。
それを差し引いてもあの臨場感は捨てがたい。

なあんてぼんやり思っているうち閃(ひらめ)いた。
そうだ、日暮里には「いづみや」の支店があるじゃないか!
ツレのT栄サンにかくかくしかじか、
店のプロフィルを説明して日暮里駅下車の巻であった。

冬至から2ヶ月経過したとはいえ、冬の日は短い。
小雨そぼ降る東口ロータリーに出たとき、すでに日が暮れていた。
文字通りの日暮里である。
「いづみや日暮里店」は本店よりずいぶんコンパクトな造りにつき、
席を確保できるかどうか懸念したが店内は意外にも空いていた。

さっきまで居た赤羽「まるよし」のそれに似たカウンターに落ち着き、
さっそくの大瓶ビールはサッポロラガー、いわゆる赤星である。
これは大宮の本店同様だ。

向かいのオジイさんが片手に持ったグラスを差し上げてこちらに向かい、
乾杯のポーズをとったのでわれわれもそれに応える。
大衆酒場ではこういうシーンがしばしば見受けられるんだよねェ。

=つづく=

2015年3月11日水曜日

第1052話 月曜はダメよ (その3)

赤羽東口駅前の「まるよし」で二人飲み。
大瓶をお替わりしながらそれぞれの30年を語り合う。
いや、互いのことだけでは終わらない。
共通の友人・知人にも当然のことながら話題ははねる。
アイツはどうした、コイツはどうなったと
ハナシの接ぎ穂はいくらでも見つかってしまうのだ。

ひとしきりしゃべって、どちらからともなくため息がもれた。
おっと、われに返って酒である。
ビールのあとは当方が黒ホッピー、相方はバイスサワー。
読者の中には聞きなれない方も多かろうが
バイスというのはここ数年、
下町の酒場を中心に勢力を拡大してきた酒割り飲料だ。
色は薄紅色、風味は赤じそである。
大田区・大森のコダマ飲料が製造している。

こどもの頃によく噛んだロッテ梅ガムにも似た味わいで
ノスタルジーを刺激するものがある。
T栄サンにとっては初めてのバイスだったが
焼きとんのカシラ同様、いたく気に入ってくれた。

シーズン・メニューのせりおひたしは今日が初日。
いわゆる解禁日だ。
やわらかくて美味しいのにこれもたったの210円、
犯罪的な安さではなかろうか。
還暦のオトコが21歳の娘とつき合ったら
犯罪呼ばわりされても仕方がない。
しからばせりひたしの210円も犯罪じゃないのか。
とまれ、安いに越したことはないやネ。

黒ホッピーとバイスサワーをお替わりしたついでにつまみを追加。
選んだのは当店・名代のキャベ玉とかきフライだ。
キャベ玉というのは単なるキャベツと玉子の油炒め。
ただそれだけのシンプル品なのに素朴な旨さを内包している。
かきフライは例に寄って2個で210円也。
ここの”21シリーズ”は胃袋の収縮した老頭児(ロートル)を
常にやさしく迎えてくれる。

河岸を替えようとオモテに出ると外は雨。
けっこうな降りぶりである。
ちょうど駅前でもあることだし、赤羽の街を徘徊するよりも
電車に乗ったほうが手っ取り早い。

埼京線で池袋方面か、あるいは京浜東北線で上野方面か―。
中高生のころはもっぱら池袋がホーム・グラウンド。
ところがオヤジ世代に足を踏み入れてからは上野がマイ・タウン。
日暮里・上野方面大船行きの電車に乗った二人でありました。

=おしまい=

「まるよし」
 東京都北区赤羽1-2-4
 03-3901-8859

2015年3月10日火曜日

第1051話 月曜はダメよ (その2)

シンガポール赴任時代の旧友・T栄サンと
およそ30年ぶりの再会を果たしている。
北区在住の相方に好都合と思い、
赤羽で落ち合って東口駅前の「まるよし」に来た。
細長いコの字形カウンターのちょうど左奥にスペースができ、
無事に収まることができた。

サッポロ黒ラベルの大瓶を互いに注しつ注されつして乾杯。
山ほど積もる話の前に、つまみの注文をしておこう。
ここの名物は何たって、もつ焼き(焼きとん)だ。
1種1本から受けてくれ、それが各80円と格安。
優良店の証しがこれである。

焼きとんなんて食べたことはあるけれど、
それがいつだったかまったく覚えていないという困り人のT栄サン。
ここで見放しては哀れを誘うため、簡単なガイダンスを施して差し上げた。

とりあえず、カシラ・レバ・シロを1本づつタレで焼いてもらう。
カシラは塩のほうがおすすめながら
たかだか3本のしみったれた注文で
塩・タレの分別は大衆酒場の流儀に反する。

すると、カシラのタレ焼きがことのほかお気に召した様子じゃないか―。
J.C.すかさず焼き手にお願いした。
「カシラを塩とタレでもう1本づつ焼いてちょうだい!」―
せっかくだから塩焼きも味わってほしかったのだ。

ともに210円のオニオンスライスとせりおひたしを同時注文。
「まるよし」の特徴はつまみ類の安さで
まあ、そのぶん酒はそんなに安くはないんだけどネ。
それでもビール大瓶が600円だから大衆価格ではある。

せりおひたしの注文の際、目の前のオニイさんがオウム返しに
「せり? せりですかァ? せりはあったかな・・・」―
ちゃんと壁の品書きに明記されているのに
トンチンカンな応対である。
オニイさんといってもすでに中年、50代に突入しているなこりゃ。

会話を耳にした彼の隣りのオバはん(女将かもしれない)が
強い口調でたしなめたネ。
「ほら、品書きにあるじゃない、駄目ダメ、しっかり見なきゃ!」―
なんかケツを引っぱたきそうな勢いだ。
ちなみに季節を迎えたせりはこの日からの新メニューだとサ。
気がつかないワケがここにあった。

その後もこのコンビは常に、♀が♂を叱り飛ばす。
われわれは苦笑しながらそのやり取りを聴くともなしに聴いていた。
いったいこの店のスタッフの相互関係はどうなってるんだろうねェ。

とにかく一段落した二人、
思い出話の詰まった玉手箱の紐をおもむろに解いたのであった。

=つづく=

2015年3月9日月曜日

第1050話 月曜はダメよ (その1)

1980年代半ば、南国シンガポールに4年ほど赴任した。
まだシンガポール政府がカジノを公認するずっとずっと前、
かつて日本軍の占領下にあった時代は
昭南島と呼ばれた島国にはのどかな空気が流れていた。
犯罪が少なく平和で対日感情もよく、
日本人にとっては住みやすい土地柄であった。

往時、よく利用させてもらった日本料理店で
マネージャーを務めていたT栄サンから突然のメールをいただいた。
たまたま何かのキッカケで”生きる歓び”にブチ当たり、
懐かしさのあまりに一筆したためた次第とあった。
いや、こちらも実に懐かしい。

一度、結婚に破れてからはずっと独り身をつらぬき、
今は東京都・北区でのんびりシアワセな日々を送っているとのこと、
まことにご同慶の至りである。
とにもかくにも一度会って
それからのそれぞれを語り合いましょう、てなことに相成った。

待合わせたのはJR埼京線・赤羽駅の改札口に15時。
再会の瞬間に思わずハグの巻である。
向かったのは赤羽でもっとも有名な酒場、「まるます家」。
ところがこの日は月曜日、知らずに来たが定休日ときたもんだ。
ありゃりゃりゃ、やっちまったぞなもし。

ほとんど目の前の立ち飲みおでん屋、
「丸健水産」へ流れてみたら
「まるます家」が休んでいるせいだろう、けっこうな混みよう。
立ち飲みだから長居するつもりはないにせよ、
これじゃいかんせん落ち着いて
思い出話に花を咲かせることなどできやしない。

赤羽で二番目に有名な「いこい」に向かった。
こちらも立ち飲み酒場だ。
ところが再び定休日じゃないのっ!
むか~し、そう、1960年のギリシャ映画に
「日曜はダメよ(Never on Sunday)」というのがあったが
北区・赤羽は「月曜はダメよ」なのでした。

とはいえ、餅は餅屋、蛇の道はヘビである。
この旧軍都にはまだまだ手持ちの駒が残っている。
そう思いながらもその駒まで休みだったらどうしよう・・・
T栄サンの手前、面目丸つぶれじゃないか・・・
一抹の不安が脳裏をよぎるのでした。

東口駅前に戻り、店先に立つ。
OK、オーケー、「まるよし」はちゃあんと暖簾を掲げていた。
営業時間は14時~23時と、
真っ昼間からの飲酒を厭わぬどころか愛でる不届き者には
まことにありがたい存在なのである。
二人笑顔で敷居をまたいだ。

=つづく=

2015年3月6日金曜日

第1049話 昼はカレー屋 夜はバー (その2)

同じ日本橋本石町でも江戸通りの北側(神田寄り)と
南側(日銀寄り)では雰囲気がまったく異なる。
当夜の集いの場、「本石亭」は、より庶民的な神田寄りにある。

ほどなく本日の主役(おそらく新妻)が馳せ参じ、
フルメンバーと相成って乾杯。
この店には生ビールがなく(いや、あったかも知れない)、
サッポロ黒ラベルの大瓶だ。
それをオーナー・バーテンダーが
きめこまやかな泡を立てながらグラスに注いでいる。
読者の方々が周知の通り、泡嫌いのJ.C.だけは
他のメンバーとは真逆に静かに静かに泡を抑え、
炭酸を逃がさずに注いでもらう。

突き出し代わりというか、最初の小皿は砂肝入りのチキンカレー。
スパイスがふんだんに使用されており、
カウンター上空にエキゾチックな香りが立ち上った。
好きなタイプのカレーといえる。

オーナーはちょいと前まで銀座のバーでシェイカーを振っていた。
バカみたいにずうっと、ビールを飲んでいる場合ではない。
好きなカクテル、ホワイトレディをハードシェイクでお願いした。
Kるに愛の告白でもするつもりだろうか、
I田クンは自分のハートに気合を入れて
ドライマティーニなんか頼んじゃってるヨ、オイ、おい。

二番目に現れた皿にはブラジル産のぶっといソーセージが3~4種類。
みんなのために、そのイチモツをナイフ&フォークで切断に及んだA子は
けっこうな硬さに少々持て余し気味だ。
ダイナミックではあるが大味で
ソーセージはブラジルよりドイツのほうがいいな。
先のW杯ブラジル大会でもブラジルはドイツにコテンパンにやられたものネ。
これには珍しいルーマニア産の赤ワインを合わせた。

お次はなぜかスペイン色強いフィリピンの鶏料理、アドボが出てきた。
あれは34年前、フィリピンはルソン島北部のバギオで食べた記憶がある。
特徴のない鳥の煮込みにイタリア南部のアリアニコ種赤ワインに切り替えた。

何か小品が1~2種類出たような気もするけれど、まったく忘却の彼方。
それでも締めのガーリー・ファンは覚えている。
いわゆる中華のカレーライスである。
オーナー曰く、インド在住の中国人が食べているカレーなんだと―。

おっと、主役・Kるのサーネーム・チェンジの件だった。
華燭の典にはほど遠く、事情があって母方の姓に戻しただけとのこと。
これを聞いたI田クンは胸をなでおろし、”生きる歓び”満喫と相成った。
おかげで彼、二次会のカラオケはノリにノッてしまったネ。
あまりのすさまじさに肝心のKるがドン引きの巻。
これじゃ、まとまるものもまとまらんぜ、アーメン!

「本石亭」
 東京都中央区日本橋本石町4-4-16
 033272-2909

2015年3月5日木曜日

第1048話 昼はカレー屋 夜はバー (その1)

半年に一度くらい、顔を合わせては夕食をともにし、
二次会はカラオケ率きわめて高しのめしとも仲間が久々に集まった。
集結場所は日銀のおひざ元、本石町はその名も「本石亭」である。

余談ながら財務省と並んで日本金融界の頂点に君臨する日銀は
中央区・日本橋本石町にある。
最寄り駅は東京メトロ銀座線か半蔵門線の三越前。
日銀は三越本店のはす向かいに位置しているのだ。

JR新日本橋駅も至近だし、天下の東京駅だってそう遠くはない。
山手線で東京駅のお隣り、神田から歩いて通う行員も多い。
何せ、神田駅南口に1本走る商店街は
日銀通りと呼ばれてるくらいだものネ。

幹事役のA子嬢から店名を通達されたとき、
本石町にそんな屋号の飲食店があったかいな?という印象だった。
すき焼き屋か焼肉屋だろうと想像したりもした。

すると先般、メンバーのO野チャンが
月刊誌「dancyu」で紹介したカレー料理店だというではないか。
何でも昼はカレーライス専門店で
夜になるとカレーも供するバーになるのだそうだ。
ふ~ん、何となく楽しみだぞなもし。

ちなみにO野チャンは以前、横浜・伊勢佐木町にあった、
「カレー・ミュージアム」の名誉館長を務めた御仁。
押しも押されもせぬカレーの大家である。
他のメンバーは最近、苗字が変わったKる嬢に
A子とJ.C.の計4人がオリジナルの顔ぶれだ。
ここに1年ほど前からジョインしたのがI田クンで
当夜はフルの5人が集まったのだった。

日銀通りから1本入った横丁に「本石亭」はあった。
到着すると、何やら店先でA子がデジカメを駆使している。
ところが暗すぎてよく撮れないらしい。
確かにこの裏路地は暗い。

路地の突き当たりに
かつて「白蘭(びゃくらん)」なる中華料理店があった。
界隈で働いていた頃はたびたび小宴を張ったものだが
すでにべつの店に代わっていた。
飲食店の命は花の命に等しく短きものなりき。

入店してみて・・・おう、ここはホントにバーぞなもし。
スパイスの香りさえしなければ、バー以外の何物でもない。
男性陣二人は先着しており、
あとは苗字の変わったKるを待つばかりとなった。

当夜の話題は当然彼女に集中するハズ。
同性のA子は真相を知ってるくせに
オトコどもにはヒントすらもらしてくれやしない。
殊にKる嬢を憎からず思っている、I田クンなんぞ、
内心穏やかではなかろうヨ。
はて、結末やいかに?

=つづく=

2015年3月4日水曜日

第1047話 天丼はどんぶりの王者 (その5)

  ♪ 思い出の夜は 霧が深かった
   今日も霧がふる 万代橋よ
   別れの前に 抱きしめた
   小さな肩よ ああ ああ
   新潟は 新潟は 面影の街 ♪
   (作詞:水沢圭吾・山岸一二三)

いきなりの「新潟ブルース」は1967年のリリース。
歌ったのは美川憲一だから
「アンタ、もうちょっと真面目にお書きなさいヨ!」―
なあんて言われちゃいそうだが
「まっ、アタシの曲だから許してあげるワ」―
てなことにもなりそうである。

「新潟ブルース」の登場にはワケがある。
実は前話を読まれたS藤サンからメールをいただいた。
彼女は新潟県・新潟市にお住まい。
だからどうした? 問われればそれまでながら
スルーして先をお読みくだされ。

S藤サン問うて曰く、
「私はかぼちゃの天ぷらが大好物なのですが、J.C.さんは?」―
とのことである。

マイ・フェイヴァリット天種は下記の通りです。

 魚介類ベスト5・・・桜海老 穴子 銀宝(ギンポ) 白魚 めごち 
 野菜類ベスト5・・・絹さや 小玉ねぎ いんげん 小茄子 せり

したがってマイ・ベストは
釜揚げ桜海老と新玉ねぎのかき揚げでござんす。   

逆に嫌いとは言わないまでも
好んで注文しない筆頭格はグリーンアスパラ。
あとは椎茸とかぼちゃ(S藤サンごめんなさい)。
子どものころ大嫌いだったさつま芋はここ数年、好きになっている。

さて、さて、「てんや 白山店」の早春丼である。
期待以上の美味しさに笑みをこぼしながら
ごはん粒は努めてこぼさずに完食に及んだ。

食べ終えて、唯一の疑問は子持ち白魚だ。
季節商品とはいえ、チェーン展開している店が
かなりの長期に渡り、供給し続けている。
いったい狭い日本のどこに
そんなマネのできる産地があるというのだろうか。

カウンター内で忙しく立ち働いている女性スタッフに訊ねてみた。
一瞬、返答に窮して固まってしまった彼女、
店長だかマネージャーだか、とにかく上司のもとに走った。
舞い戻っての答えは予想通りに中華人民共和国であった。
中国のどこかまではついに判明しなかったが、いや、美味しかった。
中国製冷凍食品の点心類は買う気がしないけれど、
この白魚はよかった。

お好み単品だと150円の子持ち白魚でビールを飲むつもりで
今度は「てんや 巣鴨店」を訪れると、
すでに白魚の姿なく、その役を桜海老に取って代わられていた。
前記の通り、桜海老は大好物ながら、ここの桜チャンには力がない。
真っ当な駿河湾産桜海老はかなり高価だから
「てんや」では使いこなせまい。
安価な中国産白魚だからこそ生まれた優れメニューだったわけで
これは致し方あるまい。

とまれ、早春丼、まことに美味しゅうございました。
かつ丼・うな丼・鉄火丼、みな好きだけど、
天丼こそがどんぶりのチャンプでありまっしょう。

=おしまい=

「天丼てんや 白山店」
 東京都文京区本駒込1-2-3
 03-5689-4681

2015年3月3日火曜日

第1046話 天丼はどんぶりの王者 (その4)

だいぶ鎌倉に寄り道してしまったが
文京区・白山の「てんや」に、アイ・ケイム・バック!

天丼チェーンの「てんや」に初めて入ったのは1997年の秋。
長かった海外赴任から帰国した直後だった。
仮住まいから近かった、錦糸町店で天丼を食べた。
駅ビル内をウロウロしていてフラフラと入ったのだ。

食後の感想。
いや、ヒドかったなァ。
油が悪く、胃もたれに悩まされた記憶がある。
海老やキスの質も劣悪、
こんなんでやってイケるのか疑問に思ったことだった。

時は流れて10年後、今度は神保町店に入った。
何のことはない、生ビールの中ジョッキが目当てだ。
近所の雀荘で麻雀を打つまで1時間ほどの余裕があり、
軽く引っ掛けておこうという腹積もり。

酒屋の角打ちじゃあるまいし、
生ビール1杯だけというワケにも参らない。
天丼には懲りているから何か逃げ道を探そうと
メニューをつぶさに拝んでいて天ぷらの単品、
いわゆる”お好み”を揚げてもらえることが判明。
これなら何とかなるぜと即断、穴子とインゲンをお願いしてみる。

ものの5分ほどで揚げ立てが天つゆ&おろしを従えて運ばれた。
穴子が熱そうだったから細長いいんげんをつまむと、
おりょりょ、悪くないんでないかい。
まず、揚げ油に改善のあとが歴然である。
穴子の熱が落ち着くのを待って挑むと、これまた悪くない。
あいや、悪くないというよりも”良い”のだ。

コレは使えるなァと、思わずニンマリしちゃいましたネ。
とりわけ散歩好きのJ.C.、途中でノドが渇いたら
「てんや」の生ビール&天ぷら数点で一息入れることに決めた。
あるいは待合わせまでのキリング・タイムに
実に有効と判断したのであった。
キリング・タイムって何だ! ってか?
時間を殺す、いわゆる時間つぶしであります。

直感的に映画監督・小津安二郎に
食べさせてあげたいと思った早春天丼が出来あがった。
ほ~うっ、けっこうなボリュームだぜ、こりゃ!
かき揚げからは湯気が立ち上っているじゃないの。

どんぶりを彩るのは穴子・海老・れんこん・いんげん。
そして主役格の子持ち白魚のかき揚げである。
すべてが自分好みの天種でうれしい。
箸を取る手に心なしか弾みがついちゃっているもの。

=つづく=

2015年3月2日月曜日

第1045話 天丼はどんぶりの王者 (その3)

鎌倉は小町通り、「天ぷら ひろみ」を続ける。

待つこと15分、小林丼は陶器のふた付きどんぶりで登場した。
多彩なサカナたちが所狭しと並んでいる。
海老や野菜を入れないため、色彩的にちょいと寂しいが
かき揚げの芝海老の淡い紅色がささやかなアクセント。
小津丼よりも小林丼がベターと直感した。

野菜を使わぬ江戸前の流儀が好ましい。
丼つゆとの相性にしても、海老より小魚のほうがよろしい。
天丼としての完成度が高く、小林はそこを熟知していたに相違ない。
サカナとかき揚げだけという潔さが彼の美学に通ずるものを感じさせる。

夫人とともに立ち寄ってはこの天丼を味わう日々だったという。
若き日は女の元に浅草「弁天山美家古」の穴子鮨を運んだ人間が
老いては老妻とともに天丼を楽しむ。
人生の縮図を目の当たりにするようで微笑ましい。

さあ、小林丼をいただくとしよう。
主役を張る穴子はめそっ子の1尾付け。
若い穴子の黒縁ちの尻尾が波打つのは鮮度が高い証左だ。
あっさりしていながら繊細なコク味を兼ね備えている。

何が来るのか気になった白身魚だが定番のメゴチキス
ハゼも加わる強力トリオは完璧な組合せと断言したい。
望外の歓びとなった。
時期的に江戸前のハゼはちょいと早く、三陸は松島あたりの産か? 
海老の甘みと小柱の歯応えを
三つ葉が微妙に取り持つかき揚げにも満足だ。

丼つゆは甘さ抑えめにして辛口あっさりのケレンないもの。
固めに炊かれたつややかなごはんも申し分ない。
赤だしのしじみが相当に大粒。
この大きさなら青森の小川原湖か茨城の涸沼とみて間違いあるまい。

天ぷら定食のつゆくさは天丼と趣きを異にしている。
活けの才巻きではないが小ぶりの海老はしっとりと揚げられ、素材も良質。
キス・メゴチ・帆立・ズワイ蟹と魚介が多彩な上に
いんげん・しいたけ・茄子などの精進モノも豊富だ。

天つゆもキリリと引き締まり、ありがたいのはたっぷりの大根おろし。
しかも辛味が利いたみずみずしいもの。
おろしでいただく天ぷらが捨てがたいから
気心の知れた相方と一緒のときは天丼と定食を分け合うに越したことはない。
女性陣の接客ぶりかいがいしく、お茶のお替わりにすら心配りが感じられた。

会計の際に女将さんと言葉を交わすことができた。
店は昭和32年創業で今年(2007年)がちょうど50年の記念すべき節目。
この界隈ばかりを2度移転し、3店目となる現在地での営業は25年になる。

小津は最初の店だけの客で小林は2店目にもやって来たそうだ。
二代目となる当主は女将の旦那さん。
鍋の前に立ち、もの静かに天ぷらを揚げている。
女将の実父となる初代は小林秀雄が亡くなって間もなく、
彼の後を追うようにして逝ったという。

これでやっとこさハナシを文京区・白山の「てんや」に戻せるが
またまた、以下次話であります。

=つづく=

「天ぷら ひろみ」
 神奈川県鎌倉市小町1-6-13寿名店ビル2
 0467-22-2696