2015年5月29日金曜日

第1109話 何処よりも此処を愛す (その13)

浅草の「弁天山美家古寿司」にO戸サンと二人。
にぎりの7カン目をいただいたところである。
互いにお腹を空かせて美食の都、
もとい、「美家古」を訪れたので
鍋のこげ飯をたもとに隠すこともなく、
二人の”空腹にぎり旅”はなおも続く。

8番打者は飛車的存在の穴子だ。
まずは魚体のシモを煮切りでお願い。
この美味については先述した通り、重複はしない。

9番に持って来たのが煮いか。
五代目は「するめいかの煮いかでございます」―
そう、ひとこと添えて相方の前に着地させた。
悲しからずや、江戸以来のこの種は
平成の鮨屋からほとんど消え去ったのが現実。

ここ数年、真いかなどと、
以前には聞き覚えのなかったイカが巷にあふれている。
しかし、何のことはない、
真いかはするめいかの別称、というか新称だ。
干しするめとの混同を避ける意味合いもあろうが
廉価なイカに高級感を与える、
あざとい作為が見え隠れしないでもない。

野球なら9番打者で打ち止めとなるところ、
われわれ腹っぺらしの旅は終わらない。
10番は穴子のカミを煮つめでやる。
そう、常に穴子だけは必食の2カンなり。

当夜は穴子を続けてやらず、
あえてあいだに煮いかをはさんでみた。
初めての試みなれど、これはこれで目先が変わってよろしい。

11番はまぐろ中とろのづけ。
往時、づけはといえば、赤身一辺倒だったが
近頃は中とろにも一仕事施すようになった。
中とろもまた、づけにしたほうがベター。

O戸サンに双方の違いを味わってもらうため、12番は赤身のづけ。
順番的にあべこべになったものの、彼女のほほはゆるみっ放しだ。
それにしてもよく食べるぞなもし。

燗酒の徳利は3本目を数えている。
銘柄は大関。
甘口ではなくとも菊正より甘めだ。
本まぐろと出会い、大関がいっそう輝きを増す。
穴子との相性だってけしてわるくはないが
穴子には冷たいビールがよりいっそう合うのです。

=つづく=

2015年5月28日木曜日

第1108話 何処よりも此処を愛す (その12)

”美家古シリーズ”もとうとう(その12)まで来てしまった。
しかもいっこうに終わる気配がない。
読者におかれましてはご迷惑なこってすが
いましばらくのおつき合いをおん願い奉ります。

平目昆布〆・鱚・真鯛ときて4番バッターは
「美家古」の持ち駒では角行(かくぎょう)、
いわゆる角的存在の小肌だ。

小肌が角なら飛車は何だ!  ってか?
ここは無条件で穴子。
先述の通り、「美家古」名代の鮨種は穴子をおいて他にない。
 
飛車角か決まったところで興味は王将にしぼられよう。
しぼられるが、実のところ玉(ぎょく)は鮨種ではなく、
種の土台にあたる生わさび&酢めしに落ち着く。
このコンビなくして飛車角はその本領を発揮することができぬ。
 
小肌と穴子についてはすでに多くを語ったので
これ以上、くどくどと述べない。
スルーして5番打者に抜擢したのはあじ。
当然、生あじではなく、酢あじだ。

常々、言ったり書いたりしてきたから
読者には耳タコ・目タコの向きも多かろうが
J.C.は青背の生は得意としない。
鮨屋で生のあじ・いわし・さばを注文することはまずない。

たとえばあじ。
どんなに新鮮であろうと、たたきやなめろうの類いは敬遠する。
ところが酢で〆たのに出会った途端、
彼らは必注の品目に変身してしまう。
酢あじ、酢いわし・〆さば、いずれも大好きなのだから  
これを酢の魔力と言わずして何と呼ぼう。

ケースの中に見知らぬ小サクを発見。
見た目はかんぱちのようだが「美家古」にはないハズ。
エッ? しまあじかな?
しまあじだって、ここにはないのだが・・・
はたして、しまあじだった。

記憶は定かでないが当店では初めて遭遇するサカナである。
マスト・トライを実感し、6番はしまあじ。
ふむ、それなりに美味しいけれど、
やはり「美家古」に生モノはそぐわない。

7番バッターは車海老だ。
オドリと称される活け海老ではなくボイルされたものだ。
火を通されて素材に潜んでいた甘みが穏やかに花開く。
車海老にはハナからおぼろが挟まれていた。
う~む、名脇役のおぼろがいぶし銀の光彩を放っている。

=つづく=

2015年5月27日水曜日

第1107話 何処よりも此処を愛す (その11)

およそひと月ほど前。
4月に入って2度目の「弁天山」参りであった。
のみとも・めしとも・うたともと、一人三役をこなしてくれる、
O戸サンとつけ台、それも五代目親方の正面におさまっている。
 
たった今、初っ端の平目昆布〆を口元に運んだところだ。
ちなみににぎり鮨をいただくとき、J.C.は必ず割り箸を使う。
もちろん直(じか)に指先でも作法上、いっこうに構わないが
何十年も割り箸のお世話になってきており、
もうこればかりは死ぬまで変わることがない。
 
なぜか?
指を使うと体温の熱のため、
直前に食べたサカナの匂いが付着して、それが気になるからだ。
小まめに手拭きを使うのも煩わしいしネ。
その点、割り箸はまことに使い勝手がよろしい。
 
これが塗り箸となるとまた厄介で
箸先が細く鋭いから酢めしの中に食い込んでしまう。
さすれば、下手を打つと酢めしが割れる。
それもまた割れ箸じゃないか! ってか?
フンッ、シャレにもなりやせんぜ、お立合い!
つけ台の上で割れるならまだしも
最悪のケースは空中分解、救いのない惨状を招く。
 
ヨタもいい加減にしてトップバッターの平コブくん。
「美家古」初訪問の相方をそっとうかがうと、
OK、オーケー! ことのほか満足の様子だ。
そうでしょう、そうでしょう、それが常識と分別を兼ね備えた、
レディーの反応というものでありまっしょう。
ヨも満足じゃぞヨ。
 
2番打者はきす。
サカナのきすには”鱚”の字を当てる。
皮目の細やかな絣(かすり)模様が何とも言えず小粋で
ガラス越しに一目見たときから2番はコレと決めていた。
 
鱚というヤツは天ぷらにするとホックリ柔らかな食味を見せるのに
軽く〆た生でやると歯を押し返す、ほどよい弾力が魅惑的ですらある。
まっことデリカシーの頂点と断言してよい。
したがってデリカシーのない人には向かない鮨種でもある。
 
3番は春の王者・真鯛。
皮目をサッと熱湯処理した松皮造りで供される。
よく、果物の美味みは果皮と果肉のあいだに潜むといわれるが
真鯛がまさしく、そうなのだ。
理にかなった江戸前シゴトの極みがコレだ。
とにかく旨みじゅうぶん。
平目や鰈(かれい)では物足りない向きには絶好の白身である。
 
ここでわさび(山葵)のおハナシ。
本わさびというヤツは、イカや平目には効きすぎて
カンパチ・ブリ・まぐろトロなどには効かなすぎ、
そんな脂っ気に弱い特性を備えている。
ちょうどよいのが真鯛で、相思相愛の間柄と言えましょう。
 
=つづく=

2015年5月26日火曜日

第1106話 何処よりも此処を愛す (その10)

苦手な花、ジャスミン香る町々を越えて浅草を目指す。
4月下旬のとある夕べは根岸・入谷を通ってエンコの街に入った。
「神谷バー」の店先で待ち合わせた今宵の相方は
新しい友人のO戸サンである。
直前に慶事のあった彼女のお祝いを兼ねて
この月2度目の「弁天山」訪問である。

予約の18時半に10分ほど遅れ、つけ台に着いた。
この夜は六代目襲名が決まっているY下D輔クンと
六代目女将としてすでに活躍中のN川A子サンから
丁重なご挨拶をいただいた。

A子サンは五代目のご息女。
他家へ嫁がれて2児(3児だったかな?)の母となっているが、
通い女将を続けられている由。
日に日に数年前に急逝された先代女将に似てこられて
血は争えぬものを実感させてくれる。

D輔クンは「美家古」子飼いの二番手で
四半世紀を超える修業を積んできた。
伝統のシゴトと味覚が無事引き継がれることが決定し、
ご贔屓、ファン、サポーター、すべてひっくるめて
歓ばしいかぎりではないか。

ビールのグラスを合わせると、定番の北寄貝のヒモ酢がやって来る。
今宵のお相手はそこそこの呑み助、楽しい夜になりそうだ。
いつの頃からか品書きにつまみの欄ができている。
せっかくなので煮だことぬたをお願いした。

たこはいわゆる桜煮。
番茶で煮たのだろうか、柔らかい仕上がり。
その中から深いコク味が立ち上ってくる。
赤貝のヒモと長ねぎのぬたは赤味噌仕立て。
料理屋のそれよりもそこは鮨屋、インパクトが強い。
上方ではなくモロに江戸を主張している。
日本酒が欲しくなったが、あいやまだまだ、ここは我慢の一手だ。

互いの近況を語り合いつつもわがマナコは
目前の鮨種ケースに貼りついたまま動かない。
いや、右から左、左から右と動いてる、動いてる。
何から何へ、どのように征服していこうか・・・このことである。
とは言うものの、打順はほぼ固定されてはおるんですわ。
それでもそのときどきの相方の好みなんぞも考慮しながら
最終決定することを心掛けてもいるのだ。

1番バッターは不動の平目昆布〆。
コレ以外で始めたことはないんじゃないかな?
念のために28年前からつけ始めたフード・ダイアリーを
もちろんすべてじゃないけど、
チェックしたらば、毎度トップに打席に入るの平コブくんであった。

=つづく=

2015年5月25日月曜日

第1105話 何処よりも此処を愛す (その9)

すべてにおいて完ぺきな「弁天山美家古」のにぎり鮨。
唯一不満の残るのはかつおである。
なぜか?
かつおにピッタリの薬味、ニンニクが不在だからだ。

かつおには、わさび・生姜・青ねぎなどよりも
辛子・玉ねぎ・みょうが・大葉あたりが存外にハマる。
とりわけニンニクとかつおの相性の良さは
錦織圭とマイケル・チャンのごとしである。

無情にも「美家古」はニンニクをまったく使わない。
かつて浅草にあった高級店「新高勢」は好んで使用したし、
東京屈指の名店、六本木「兼定」、四谷「すし匠」も
かつおには断然ニンニクだ。
鮨店にはそれぞれイズムがあるから
強制はできないけれど、こればかりは残念でならない。

さて、当夜の5&6カン目は同じサカナの下半身と上半身。
そう、北九州の小倉名代が無法松なら
浅草の美家古名代は穴子ときたもんだ。
ここでは必ず穴子は2カン。
三十有余年つらぬいてマイ・ルーティンとなった。

まず、繊細なシモを煮切りで味わう。
白煮の下拵えを施された穴子はにぎる直前に火であぶられる。
プリッとした食感が歯と舌を楽しませ、
香ばしい風味が鼻腔を抜けてゆく。

続いて濃厚なカミを煮つめでやった。
チョコレートのようなコク味を持つつめが
プレミアムをシュプリームまで昇華させる。
カミ・シモともに甲乙つけがたく、”食べる歓び”、ここに極まれり。

ザ・ピーナッツにとって、ため息が出ちゃうのが
「恋のバカンス」における”あなたの口づけ”ならば、
J.C.は「美家古」における”あなごの口受け”にため息をもらす。
東京で一番、いえ、日本で一番、
いえいえ、世界で一番の穴子が此処にある!

いったん、にぎりを休んで巻きものへ。
おぼろ&わさびを1本づつ、巻き簾でキチッと巻いてもらい、
すでに満腹となってギブアップ気味のN村サンと分け合った。
当店の巻きもののオススメはかんぴょうでも鉄火でもなく、
ひたすらおぼろとわさびなのだ。
とは言え、われ以外に注文する客とてなく、
行かれる機会がありましたら、ぜひとも締めにお試しくだされ。

手の空(す)いた五代目に訊ねた。
「今夜の美家古コースからもれた定番のタネはありましょうか?」
「そうですねェ・・・あとははまぐりくらいかな?」
かぶりを振るN村サンに有無を言わせず、
仲良く煮はまを1カンづつ。
これにて本日の打ち止めと相成りました。

=つづく=

2015年5月22日金曜日

第1104話 何処よりも此処を愛す (その8)

今春は例年になく、桜花が散り急いだ。
その四月初め、
浅草は「弁天山美家古」にて、最初のにぎりは平目である。
慶応2年創業の老舗が供する白身は
この平目昆布〆と真鯛の松皮造りが二大定番になっている。

 ♪  乙姫様の御馳走に
   鯛や比目魚(ひらめ)の舞踊り
   ただ珍しくおもしろく
   月日のたつのも夢のうち ♪
       (作詞者不明)

古くは「浦島太郎」に謳われたごとく、
御馳走は鯛&平目と相場が決まっている。
多種多彩な白身魚の中には
星がれいや皮はぎのようなニッチに君臨する、
暫定王者的存在もあるにはあるが
それはごく少数、乙姫様の晩餐にお呼びは掛からない。

2カン目はなぜか真鯛をスキップして赤貝を選択した。
朱色とオレンジのグラデーションが美しい。
食味も文句なしにすばらしい。
産地を訊きそびれたが、おそらく宮城の閖上(ゆりあげ)であろうヨ。
鮨屋における貝の双璧は赤貝とはまぐり。
「美家古」では赤貝は甘酢にくぐらせ、はまぐりは煮はまで提供する。

ここで清酒・大関の常温を所望する。
改築する以前の当店では
つけ台の奥隅に菰樽(こもだる)が雄姿を見せていた灘の銘酒だ。
東京の鮨屋・蕎麦屋では菊正と大関に出会う機会が多い。
ここ十数年、大手を振って酔客を睥睨(へいげい)する、
純米やら大吟醸やらより、J.C.は時代遅れの菊チャン・関チャンを愛する。
なぜか? フフッ、子どもの頃から馴染んだ酒ですからネ。

続いての小肌にはおぼろをカマせてもらう。
「美家古」のように〆がキツめの小肌には
おぼろの甘みがピタリとハマる。
平成も早や四半世紀、
こんな江戸前シゴトはトンとみられなくなった。

4カン目はかつおだ。

 目には青葉 山ほととぎす 初がつお

江戸の俳人・山口素堂の句を取り上げるまでもなく、
かつお(勝つ魚)は戦国の昔から縁起のよいサカナとして愛された。
でもネ、「美家古」のかつおには物足りなさが残るんですわ。
何処よりも愛する鮨店ながら、かつおだけは不満なのだ。

=つづく=

2015年5月21日木曜日

第1103話 何処よりも此処を愛す (その7)

失礼ながら日本全国47都道府県にあって
人口の一番少ないのが鳥取県。
いや、古い知識だから最近は変化があったかもしれない。
が、おそらくそのままであろう。

わが友人・知人で鳥取県の出身者は
「美家古」に今、同席しているN村サンと
現在も金融界の第一線で活躍中のF岡サン、
このお二人しか思い浮かばない。
たまたまF岡サンとは昨日、メールのやり取りがあった。
話題ははるか昔の混声デュオ、Kとブルンネン。
ヒデとロザンナの焼き直し感否めずのカップルといえども
いや、とても懐かしかったぞなもし。

それはそれとして「弁天山美家古」である。
実はその日の数週間前、N村サンにごちそうになった。
ところは池袋の鮨屋では人気ナンバーワンの「K寿司」。
噂に聞いてはいたものの、初訪問だった。

待合室に順番待ちの衆があふれているのに
つけ場で酒をだらだらと飲み続け、声高にくっちゃべる客多く、
印象はけっしてよいものではなかった。
そんな状態を放置している店の姿勢もよくない。

肝心のサカナたちだが、品揃え豊富にして質もそこそこ。
ただ、生モノを包丁でさばくだけの海鮮寿司屋に過ぎず、
江戸前シゴトの対極にあることは事実。
わさびだって”生”なんかこれっぽっちも使っていない。
そこでお返しの意味も含め、今回の「美家古」同伴と相成ったわけだ。

N村サンは下戸ながら完全下戸ではない。
ビール中瓶1本くらいは何とか頑張れる。
よって再会を祝し、華々しく乾杯!
ただし、かような雰囲気の鮨店は尻の座りが悪いのか
どことなくソワソワしている。

とにもかくにも食べ始めなけりゃ始まらない。
彼には、にぎり17カンと巻モノからなる美家古コースを―。
J.C.はお好みで軽くゆくつもり。
美家古コースであれば
仕込まれた鮨種のほぼすべてを堪能できるハズ。
それをあてがって・・・と言ったら失礼だが
酒をたしなまぬ向きにはこの選択こそがベストなのだ。

突き出しは北寄貝のヒモ&ハシラの酢の物。
このスターターは十数年前からずっと変わらない。
コレだけでビール1本が飲み干された。

すでに6カンほど食べ進んだN村サンを尻目に
こちらもにぎりのスタートだ。
皮切りは平目の昆布〆、ほかの種から始めることはまずない。
常に安定した美味が舌の上で遠慮がちに拡がる。
この繊細さが平目のいいところ。
江戸前鮨においては白身のキングが真鯛だとしたら
クイーンは平目で衆目の一致をみるだろう。

=つづく=

2015年5月20日水曜日

第1102話 何処よりも此処を愛す (その6)

「美家古」のつけ台に八戸生まれのE子と二人。
ときに1981年、実に34年前のことになる。

小肌論議をかまびすくしていると、
まぐろ赤身のスライスカット同様に四代目が動いた。
その動き、雷蔵扮する”忍びの者”のごとし。
E子の目の前にソッと置かれたのは1カンのにぎり。
キョトンとしている彼女の脇からのぞくと、
見覚えのない姿がチョコンと鎮座ましましている。
自慢じゃないが、この店のにぎりはすべて食べつくしたつもり。
だのに、見知らぬ異邦人の襲来とはこれいかに?

でもすぐにハハ~ン、判り申したぞヨ。
これはまぎれもなく小肌である。
ただし、皮目を内側にして、いわゆるでんぐり返してにぎったもの。
銀色に輝く絣模様(かすりもよう)をあえて隠したわけだ。
四代目ははちゃあんと二人の会話を聴いていたんだネ。

「お上がんなさい!」―うながされて
「いただきます!」ー素直に従う、よい娘だった。
何でまた別れたんだろう・・・まっ、それはそれとして
親方は彼女の正面から、こちらは横顔を
しばし見つめたまま、目が離せないぞなもし。

モグモグ、無事、嚥下して開口一番。
「おいっしい~っ!」―心なしか普段からデカい瞳がよりいっそうだ。
「何ですか、このおサカナ?」―問いかけるE子に
四代目はニヤニヤするばかりでまともに応えなかった。

ところがE子も引き下がらない。
再度訊ねると、
「アンタの苦手なサカナなんだヨ!」―これには彼女、言葉を失う。
おのれの無知を恥じらったのか、ほほが桃色に染まった。
以上が”小肌でんぐり返し騒動”の顛末である。

むかしばなしもほどほどに2015年、現代に戻そう。
この4月は2度も「美家古」を訪れる機会に恵まれた。
まさに”食べる歓び”満喫である。

月初めは数ヶ月前にたまたま知遇を得たN村サンをご案内。
雷門で待ち合わせたものの、
下戸の彼の横で一人グイグイ飲むのはいささかはばかられる。

したがってこちらはあらかじめ近くの浅草1丁目1番地1号、
「神谷バー」で下地を作っておいた。
もっとも生ビールの中ジョッキを2杯だけだけどネ。
これから天下の美味を味わいにゆくのだ、むろんつまみはナシ。
よって紫煙と嬌声にまみれた1階席に甘んじて身を置いた次第なり。

鳥取県・米子市出身のN村サンは
すぐ目の前の米子港、あるいは島根県との県境にある、
境港に揚がった新鮮な魚介に子どもの頃からずっと馴染んでいる。
ところが、江戸前シゴトを施した鮨は生まれて初めての体験であった。

=つづく=

2015年5月19日火曜日

第1101話 何処よりも此処を愛す (その5)

浅草一、そして東京屈指の江戸前鮨店、
「弁天山美家古寿司」の回顧談を続ける。

薄めにさばいたまぐろの赤身をわれわれの前に並べ、
四代目が語る。
「そう、そう、刺身はそうして食べるのが一番。
薄すぎたら2枚まとめてやればいいんだ」―
いや、うれしかったネ、そして美味しかった。

口中まぐろだらけにしてモグモグやるより、ずっと味わい深い。
後にも先にも、まぐろを薄造りにしてくれた職人さんは彼一人。
もっとも平目や真鯛のソレよりはずいぶん厚いけれど、
親方の心配りが身に染みたのでした。

小肌のでんぐり返しに遭遇したのは1981年。
相方は青森県・八戸市出身のE子だった。
彼女が一番好きな食べものは庶民的な真いわしの塩焼きだ。
八戸の海産物といえば、いわし&いかが双璧だもの、
さもありなん。

離乳食がいわしだったというからE子のいわし好きは筋金入り。
塩焼きほどではないにせよ、刺身も好物とのこと。
ところが薄紅色の唇から漏れたのは意外な言葉だった。
「おすしの中では小肌がキラいなの」―
あまちゃんじゃないが、”じぇじぇ”である。

東京人が大雑把に語れば、
いわしも小肌も大して変わらないんじゃないの?
となって、細かいことに頓着しない江戸っ子はそれで一巻の終わりだ。

ここでJ.C.、しばし沈思黙考。
わが身を振り返れば、自分も昔は小肌が大の苦手だった。
来客でもあって、たまさか出前のにぎりにありついたときでも
常に自分の鮨桶の小肌と、母親の鮨桶の玉子が
空中で物々交換されたものだった。

それが今では一も二もなく、江戸前鮨は小肌だぜ!
そう主張して譲らぬ自分がいる。
いったい何処でこうなっちゃったのかな?
答えは簡単。
昔食べたのは場末の大衆店の粗悪な小肌。
いわゆる小肌ではなく、巨肌ってヤツですな。

欧州ながれ旅から帰国して会社勤めを始め、
自分で稼いだ給料で真っ当な鮨屋に出入りがかなうようになり、
晴れて真の小肌にふれることができたのだった。
まったくもって、小肌と巨肌は別物というほかはない。

おそらくE子の小肌嫌いもそのあたりに因を発していハズ。
はたして指摘すると、ズバリ的中でありました。
かように似非(エセ)が本物を駆逐している。
”悪貨は良貨を駆逐する”―
グレシャムの法則は何も通貨に限ったことではないのだ。

=つづく=

2015年5月18日月曜日

第1100話 何処よりも此処を愛す (その4)

18年前、墨田区の知人宅に居候を決め込み、
ヤサ探しに明け暮れていた。
浅草のそれも「弁天山美家古」の出前が可能な範囲が必要条件だった。
しかし、当時のエンコはきわめて物件薄、
気に染まるハコはついに見つからなかったのだ。

オフィスの所在地はは日本橋。
結局、仕事場の日本橋と遊び場の浅草のちょうど中間点、
浅草橋に居を構えたのであった。
ニューヨークから船便で送られてきた山のような荷物も大方カタがつき、
身辺が落ち着きを見せた或る夜、
独り「美家古」を訪ねた。

ビールと日本酒を飲み、にぎりをひとしきりいただいて
五代目親方と言葉を交わす。
浅草で家探しをしたことを含め、これまでのいきさつを語る。
「美家古」の出前に話題が及ぶと、
五代目がポツリと言ったネ。
「ウチは何年も前に出前やめちゃってますけど―」―
強烈な肩すかしに哀れJ.C.、もんどり打って黒房下に転げ落ちましたとサ。
Oh, my God !
初手から言うてくれぃ!
てなことでありました。

ところで作話のブログを読まれた読者より何通かのお訊ねがあった。

=小肌のでんぐり返しとな何ぞや?=
=まぐろ赤身のスライスカットとは何ぞや?=

いや、ごもっとも。
それでは説明不足を補いましょうゾ。

時間軸の順番にまず赤身のスライスカットから。
あれは1979年のこと。
当時のGF・R子と二度目の「美家古」再訪の際だった。
ちなみに初回はJ.C.にとっても初訪問の1978年である。

千葉県北部は我孫子生まれで我孫子育ちの彼女は
それまで鮨とは縁が薄かった由。
子どもの頃より手賀沼から揚がった、
小魚や小海老の佃煮は食卓に上がっていたそうな―。

まぐろの刺身もあまり好きではなく、
ことに分厚く切られたそれは苦手であった。
こちらも刺身は薄めに造られた白身が好みで
まぐろは滅多に注文しない。

このとき二人の会話を聴いていた四代目が
何も言わずに薄くさばいた赤身を10枚ほど、
われわれ二人の間に置いたのであった。

=つづく=

2015年5月15日金曜日

第1099話 何処よりも此処を愛す (その3)

初めにお詫びと訂正です。
第1065話「五反田でレバカツを(その1)」で紹介した、
もつ焼き「ばん」は中目黒に開業した「ばん」の暖簾分けで
本家は祐天寺に移転しているとのこと。
読者のN澤サンよりご指摘がありました。
N澤サン、ありがとうございました。

「J.C.オカザワの浅草を食べる」における「美家古寿司」、
そのつづきである。

最初の昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨ってありゃ一体なんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子をわさびと煮つめで一カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまって・・・。

ふと壁に目をやると、すしだねを記した木札が―。
見慣れぬ札が二枚あって「粉山葵不許」と「NKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でアタマのNは逆さまだったがイクラであった。
「イクラなんてモンは酒の肴にチョコッとつまめばいいの
職人が海苔で囲った酢めしの上に
スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。

かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
小肌のにぎりのデングリ返し、まぐろ赤身のスライスカット、
話題が鮨を離れても、
大陸からの引き上げ船の甲板上の浪花節など、
四代目の思い出は尽きない。

三段重ねの三重ちらしが名物だったのにいつのまにか消えた。
親方に文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは出しちゃいけねェって
税務署に言われたのっ!」―
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。

さて、五代目。
「美家古」のシゴトは立派に引き継がれている。
すべてのすしだねが健在だ。
ただし、にぎりはひとまわり大きくなって男性的になった。
柔のイチローから剛の松井に変身したかのように―。

ボブ・サップなら五代目の、菊川怜には四代目のにぎりがお口に合うハズ。
「オマエはどっちだ?」ってか?
迷わず先代。
何せ人生観が変わるほどの衝撃を受けやした。
「仰げば尊し 我が師の恩」―生涯忘れることはございません。

思い起こせば1997年秋。
(「美家古」初訪問から20年の歳月が流れていた)
15年にも及ぶ長い海外生活を終えて帰国した際、
まずは家探しに奔走したのだが
浅草に棲むつもりだった。
それも「美家古寿司」の出前が可能なエリアに―。
ところが・・・であった。

=つづく=

2015年5月14日木曜日

第1098話 何処よりも此処を愛す (その2)

 ♪  誰にも言われず たがいに誓った
   かりそめの恋なら 忘れもしようが
   ああ 夢ではない ただ一すじ
   誰よりも 誰よりも 君を愛す  ♪
       (作詞:川内康範)

松尾和子&和田弘とマヒナスターズが歌った、
「誰よりも君を愛す」は昭和35年の作品。
この年の第2回レコード大賞に輝いている。

「誰よりも君を愛す」ならぬ、
J.C.にとって「何処よりも此処を愛す」の対象店が
「弁天山美家古寿司」だ。

12年前に上梓した自著「浅草を食べる」では
200軒に及ぶ店舗を紹介したが
その巻頭を飾ってもらったりもした。

少々長くなるが心を籠めて綴った一文、
読者を飽きさせることはないので紹介してみましょう。

「弁天山美家古寿司総本店」

=松井とイチロー =              

初めて伺った日のことはよく覚えている。
1978年の9月か10月、隅田川の花火大会が復活した年の、
その花火から1~2ヶ月のちのことだ。
去年(2002年)亡くなられた先代親方(四代目)の時代であった。

建て替える以前の店内には
下町の鮨屋ならではの風情が濃厚に漂っていた。
のれんをくぐると、カウンターが今と同じ左手にあり、
奥まった端っこに大関の樽が置かれていた。

漬け場では親方が背中を向けて玉子を焼いている。
カウンターに落ち着いてさっそくにぎってもらう。
「何からにぎりましょうか?」―息子さん(現五代目)に訊かれて
「ひらめの昆布〆めと小肌をお願いします」―こう応えた瞬間、
クルリとこちらを振り向いた親方と目が合った。
ニヤッといたずらっぽく笑ったあの顔をいまだに忘れない。

実は天下に名だたる「弁天山」を訪ねるにあたって
江戸前鮨の予習をしておいたのだ。
教科書は料理家の故土井勝氏の著書「本物の味を訪ねて」。
当時としては珍しいムック・タイプの本で記憶は定かでないが
この店のにぎりを食べる順番なども紹介されていたように思う。
こちらは仰せの通りに注文しただけなのに
初っ端のひらめと小肌で気に入られたのか
その夜はずっと四代目に相手をしてもらった。

=つづく=

2015年5月13日水曜日

第1097話 何処よりも此処を愛す (その1)

本日は諸般の事情でブログのアップが遅れ、すみません。
お待たせしました、ではまいります。

 花の雲  鐘は上野か  浅草か 

芭蕉晩年の句、といってもまだ42歳にすぎなかったが
とにもかくにも名句だと思う。
「奥の細道」へ旅立つ2年前、1687年に詠まれた句である

ソメイヨシノが東京の空に花の舞いを踊ってから早や一月半、
そう、花の雲とは咲き誇る桜花のことだ。
俳匠は満開の雲の下にあって弟子たちに囲まれ、
宴の真っ最中であったろう。

芭蕉が聞いた鐘の音は
上野の寛永寺、あるいは浅草の弁天山だったハズ。
どちらの鐘か判断しかねたとなると、
花の宴はいったいいづこで催されたのか?

高層ビルなど皆無の江戸中期、
鐘の音はかなり遠方まで鳴り響いたとはいえ、
両所の中間点、あるいは同距離にあって
三角形の一点を成す場所と推測するのが妥当だ。
さすれば芭蕉が住まった深川の芭蕉庵あたりになろうか。

場面を現代に戻そう。

    さあさ着いた 着きました
   達者で永生き するように
   お参りしましょよ 
   観音様です おっ母さん
   ここが ここが 浅草よ
   お祭りみたいに 賑やかね ♪
      (作詞:野村俊夫)

”お祭りみないに賑やかね”と島倉のお千代姐さんが歌った、
浅草のランドマーク浅草寺に向かって
雷門(正称は風雷門)をくぐり抜け、
仲見世を真っすぐに本堂を目指す。

途中、小舟町(こぶなちょう)の大文字をしたためた、
大提灯が提がる宝蔵門の手前を右に折れると、
小さな公園があり、小高い一画に梵鐘を見ることができる。
ここが弁天山だ。

公園の向こうに裏口を構えるのが
下町の江戸前鮨ファンを魅了してやまない、
その名も「弁天山美家古寿司総本店」である。

はるか以前は参詣のあとで訪れるに
好都合の勝手口からオジャマしたものだが
いつの頃からか(おそらく建て替えと同時期)、
入店は馬道にに面した玄関のみとなった。 
都内にあまたある鮨店のなかでJ.C.がもっとも愛好する店がここ。
今までいくたび訪れたことだろう。

=つづく=

2015年5月12日火曜日

第1096話 ふりむけばニシニッポリ (その4)

初めて訪れた西日暮里の「はってん食堂」。
選んだつまみは青椒肉糸だ。
自分でチンしてラップをはがす。
実際に見てチョイスしたんだから確認済みなれど、
主役となるべき青椒(ピーマン)と肉糸(豚肉)よりも
にんじんと竹の子が幅を利かせている。

当然、不満は残るが
170円じゃ文句を言ったらバチがあたるというものだ。
CPを考慮して及第点をあげよう。

壁に大きく貼られた文言には
 食の原点食堂にあり
 食の明日もここ食堂にあり
とあったが意味はよく判らん。

それでも庶民の”食”を支えているという自負があるのだろう。
いずれにしろ、そこそこの新発見ではあった。
よかとでしょう、よかとでしょう。

30数分後、目当ての中華屋「万馬」へ舞い戻る。
すると、前回は仲良く賄いを食べていた女将の姿がない。
店主が独りで中華鍋をあおっているではないか。
その横顔を正面に見るカウンター席に腰をおろした。

 先客は一人だけだ。
鍋をあおるオヤジの胸元からのぞく白い胸毛が
どことなく彼のパーソナル・ヒストリーを物語っている。
どうやら客の注文は焼肉ライスらしい。
出来上がりをチラリとみたが、あまり旨そうにはない。

ワンモア・チャンスを与えたラーメンがホンの5分で目の前に―。
やや細めの麺はチリチリに縮れて気に入りのタイプだ。
スープも化学の力をさほど感じさせず、
これは明らかに先夜のニラレバよりデキがいい。
厚切りのチャーシューはもも肉だろう。
ほかにシナチクとほうれん草。
昭和30年代の中華そばは常にこんな景色だった。

「万馬」だけに万馬券とはいかないまでも
名誉挽回にはじゅうぶんといえよう。
このラーメンのために
わざわざ西日暮里まで出向く気にはならないが
とにかく「万馬」の再訪が
「はってん食堂」の発見に”はってん”したことは事実。
ナイスゴールの代わりにナイスアシストと言っておこう。

これを機会にその後、
2度ほど24時間営業の「はってん食堂」で飲んだ。
ニシニッポリをふりむいて、よかったぞなもし。

=おしまい=

「はってん食堂」
 東京都荒川区西日暮里5-14-12
 03-5811-6126

2015年5月11日月曜日

第1095話 ふりむけばニシニッポリ (その3)

♪   ABC・XYZ
  これは俺らの 口癖さ
  今夜も刺激が 欲しくって
  メトロを降りて 階段昇りゃ
  霧にうず巻く まぶしいネオン
  いかすじゃないか 西銀座駅前  ♪
       (作詞:佐伯孝夫)

フランク永井が歌った「西銀座駅前」が
銀座の街にこだましたのは昭和33年。
長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団した年である。

往時、営団地下鉄丸ノ内線・銀座駅は西銀座駅と称された。
東銀座は今も残るが西銀座は消滅した。
銀座の匂いが濃厚に立ち込めるのは何といっても西銀座。
歌舞伎座や演舞場などを擁する芝居の街、東銀座ではけっしてない。

西銀座駅前ならぬ西日暮里駅前にいる。
目当ての店がオープンするまでおよそ30分。
時間つぶしを兼ねたツナギとなる飲み屋を物色中だった。

道灌山通りを歩いていて
牛丼の「吉野家」の隣りに間口の狭い、
それこそ見過ごしてしまいそうな食堂を発見した。
その名も「はっけん食堂」、もとい、「はってん食堂」である。

ちょうど晩飯と晩酌が重なる時間帯、
店内はなかなかの混雑ぶりだ。
しかし、喧騒をきわめているのでもない。
グループ客が少ないのが静かな理由だと思われる。

例によってビールの大瓶を所望した。
店のスタイルはセミ・セルフサービスと呼んでよかろう。
飲みものは接客係が運んでくれるが
食べものは小皿に盛られた料理を客が選び、
自ら電子レンジでチンするスタイルなのだ。

揚げ出し豆腐、筑前煮、かに玉あんかけ、青椒肉糸、
酢鶏、鶏団子入り八宝菜あたりがすべて170円均一。
塩じゃけ、さんま開き、さば味噌煮、かれい煮付けなど、
サカナ系は一律190円。

どこをどうひねったらこんな値段で出せるのだろう。
料理ボードは大安売りの態を様している。
ただし、飲みものはそんなに安くない。
ビール大瓶は599円、ホッピーセットが420円、酎ハイ330円、
レモンサワー350円といった具合だ。

居並ぶ小皿&小鉢をつぶさに観察し、
つまみの物色に入った。

=つづく=

2015年5月8日金曜日

第1094話 ふりむけばニシニッポリ (その2)

先週、レバをたっぷり食べた西日暮里に舞い戻った。
Why? ってか?
読者も覚えておられるでしょう。
老夫婦二人で切盛りする町の中華料理店「万里」を。
われわれが入店したとき、彼らは賄いの真っ最中。
それでも分業でニラレバを仕上げ、自分たちの食事が済んだら
デザートにアップルパイを切り分けた夫婦であった。

そう、確かにニラレバは不デキだった。
だけどその一品だけで評価を下すのも早急な気がする。
とにかくこの店の自慢はニラレバとラーメンなのだ。
少なくとも片手落ちは避けなければ―。

 ♪   Pinkの薔薇の束を 背中に隠しながら
   君のRoomを Knockしたよ
   甘い時間が流れ あとひと息でKissに
   たどり着くChanceに 電話のBell
   どうせRival 「あいつは No No No」
   Dateの誘い「二枚目禁止」

   燃える瞳 読みあったね
   君も同じ気持ちさ
   あとは何かきっかけさえ
   つかまえれば Make-Me-Love-Yeah
   ついてない どうすりゃいいのさLady
   幸運を祈るよ 最後のLucky    ♪

           (作詞:松本隆)

C-C-Bの「Lucky Chanceをもう一度」は1985年のリリース。
当時、シンガポールに居たJ.C.は
現地の日本人クラブの特設会場で
その年の「NHK紅白歌合戦」を観た覚えがある。
「Lucky Chancを~」を聴いたのははおそらくこれが初めて。

何だっていきなりC-C-Bなんだ! ってか?
いえネ、ニラレバで一敗地にまみれた「万里」に
「Lamen Chanceをもう一度」与えようと思った次第なんざんす。

平日の夜、17時半に訪れたら店はまだ支度中。
夜の部は18時開店とあった。
やれやれ、まだ30分もあるじゃないか・・・。
どこか身の置き場を探さずばなるまい。

でもって界隈をぶらぶら。
駅ガード下には先日、P子と一飲を喫した「喜多八」がある。
ほかにも居酒屋が何軒か―。
「喜多八」再訪のセンはなく、並びの店々も気に染まない。

続いて駅前ストリートの道灌山通りを
日暮里・舎人ライナーの駅に向かって流し始めた。
すると、ほどなく・・・。

=つづく=

2015年5月7日木曜日

第1093話 ふりむけばニシニッポリ (その1)

  ♪  夢の続きはおしまいですか
   全て白紙にかえるのですか
   もしも叶うなら
   この体投げだして ついて行きたい
   閉じたまぶたにあなたが映る
   別れ話を打ち消すように
   汗がにじむ程 もう一度抱きしめて
   映画のように

   恋はいつも背中合わせ
   追えば追うほど
   ふりむけばヨコハマ くちびるが淋しい
   ふりむけばヨコハマ 置いてきぼりね ♪

       (作詞:たきのえいじ)

ブラジル出身の日系三世・マルシアが歌った、
「ふりむけばヨコハマ」は1989年初頭のリリース。
名曲とは断言できずともそこそこのヒットとなった。

横浜は大好きな街である。
北海道・関西・九州の方々にはすまないけれど、
函館・神戸・長崎、そのどこよりも横浜が好きだ。

ここでもう1曲。

  ♪  波止場を離れる あの船にあなた
   想い出残して 私を残して
   夕陽が傾く 横浜桟橋
   海鳥鳴いてよ 私と一緒に

   あァ あァ あァ 海よ
   あァ あァ あァ 憎い
   国を越えて ことば越えて
   愛に溺れた 横浜    ♪

       (作詞:吉幾三)

吉幾三作詞・作曲の「横浜」は
「ふりむけばヨコハマ」と同じ1989年前後のリリース。
大ヒット曲の「雪國」や「海峡」のあとだったように思う。
以前にも紹介したことのある「横浜」は
吉幾三ファンを自認するJ.C.のヒズ・ベストワン。
「海峡」・「釜山」も好きだが、なんといっても「横浜」につきてしまう。

横浜が舞台の楽曲を2曲続けて披露に及んだが
今話の主役は横浜に非じ。
表題にあるごとく、荒川区・西日暮里だ。
横浜ならぬ、鎌倉在住のP子と二人して先ごろ訪れた町である。
そう、ふりむけばニシニッポリ。

=つづく=

2015年5月6日水曜日

第1092話 ニシンは春を告げる魚 (その3)

自宅のキッチンでニシンを焼いている。
幼少時から慣れ親しんだサカナである。
その頃の記憶をたどると、
イワシやサンマやアジの塩焼きよりも
ニシンのそれをよく食べた気がする。
 
ふむ、なぜだろう?
当時はさして気にもかけなかったが、おそらく亡父の好物だったのだ。
いや、そうに違いない。

思い起こせば夕餉の献立は母親が父親に伺いを立てていたように思う。
一家でふるさとを離れ、上京して間もない逆境の時代も
そのならわしは変わることがなかった。
もっとも状況が状況だけに命ずるほうもあまり無理は言えなかったハズ。
それでも指示されたほうはやり繰りに苦労したものと推察される。
あらためて母に、メニー・サンクス!
 
若い頃、欧州を放浪していた際もニシンにずいぶんとお世話になった。
オランダやスウェーデンではもっぱら酢漬け、
イギリスでは燻製を楽しんだのだ。
さすがにスウェーデンの特産缶詰、
あの悪名高き、シュールストレイミングだけは
一口、味見しただけでドン引き、以来口にしていない。
琵琶湖特産の鮒ずしと並び、わが苦手食品の双璧である。
 
思い出話もそこそこに、ニシンが焼き上がった。
ふくれた腹を箸先で突っついてみたら案の定、数の子がびっしり。
とにもかくにもうれしいなァ。
ここで思い当った。
これだけの抱卵ぶりである。
ニシンの語源はニンシンにあるんじゃあないかとネ。
 
まず全体にフレッシュレモンを搾った。
そのうえで上半身には生醤油をたらし、口元に運ぶ。
う~ん、美味いぞなもし。
本当は塩をして、ひと晩おきたかったのだが
そんな悠長なことはしていられやしない。
大量の卵にはさらに藻塩を振った。
いいネ、いいネ、特有の歯ざわりを堪能する。
 
数の子の残り半分と下半身には
ヴァージンオリーヴオイルとオレガノを振り掛けたら、これもよし。
たまらずほどよく冷やしておいたブルゴーニュの白を抜栓。
自分自身に乾杯してヘリンとともに味わう。
 
すると口内ではシュールストレイミングならぬ、
シンクロナイズド・スイミングと相成ったではないか!
いやはや、たまりませぬな。
春告魚の異名をとるニシン。
望外の口福に、わが身にも遅すぎた春が訪れたのでありました。
 
=おしまい=

2015年5月5日火曜日

第1091話 ニシンは春を告げる魚 (その2)

最近は従来のめんどくさがり屋に磨きが掛かり、
もとい、拍車が掛かってしまい、トンと自炊をしなくなった。
殊に晩メシに限っては月に1度か2度に激減している。
 
けれどもその夜は特別だった。
三浦・八重樫・村田のボクシング、
トリプル・ファイトを見逃すわけにはいかない。
でもって、台東区・御徒町の「吉池」に出向いたわけだ。
 
真子がれいの刺身は即断で購入した。
それもすでに切り分けられたものではなく、
まぐろでいうところのサク状態を―。
愛用の包丁を片手に半分は薄造りに捌いてポン酢おろし、
残りはこころもち厚めに切ってわさび醤油で賞味するつもりなのだ。
 
問題は吟味に入った、目の前のニシンである。
 
  あれからニシンは どこへ行ったやら  
 
いるじゃないのサ、ちゃあんとここに―。
もっとも昔に比べて漁獲量はわが自炊に等しく激減の憂き目をみている。
はるか昔は北海道ではなく富山湾あたりに
群が押し寄せていたのだそうだ。
 
さて、1尾づつパックされたのがおよそ十数匹。
つぶさに見てみると、大量に捕獲されるイワシと違い、
ニシンはサイズのバラつきが激しい。
個体差が著しいのだ。
ということは成魚も若魚も同じ海域を回遊していることになる。
 
出会ったのはとにかく目の覚めるような素晴らしいニシン。
肌は銀色、ニシンの色よ、なのである。
十数パックを入念に吟味した。
 ぷっくりと肥っていたのは3尾のみ。
ラップが掛かっているから触診はしかねたが蛇の道は蛇、
長年の経験上、それなりの目利きは養ってきたつもりだ。
 
 3尾のうち2尾はおそらくオスで腹に白子を抱えているハズ。
残り1尾はメスだから数の子がギッシリ詰まっているに相違ない。
ニシンに限っては白子も数の子も大好き。
ここは迷いに迷ったが食感重視で数の子を選択する。

両サイドに軽く切れ目を入れ、
粗塩をしてから小1時間ほどおき、
日本酒を振りかけてじんわりと焼き始めた。
こればかりは火元を離れられない。
焼き過ぎたら一巻の終わりである。

焼き上がりに目を配りながら
平目の薄造りで始めた晩酌@キッチンでありました。

=つづく=

2015年5月4日月曜日

第1090話 ニシンは春を告げる魚 (その1)

♪  海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
  赤い筒袖(つっぽ)の ヤン衆がさわぐ
  雪に埋もれた 番屋の隅で
  わたしゃ夜通し 飯を炊く
  あれからニシンは どこへ行ったやら
  破れた網は 問い刺し網か
  今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
  沖を通るは 笠戸丸
  わたしゃ涙で にしん曇りの 空を見る ♪
 
      (作詞:なかにし礼)

なかにし礼&浜圭介の黄金コンビが放った、
名曲「石狩挽歌」は1975年のリリース。
歌ったのは「懺悔の値打ちもない」で歌謡界の度胆を抜いた北原ミレイだ。

「石狩挽歌」を初めて聴いたのは
千葉県・松戸市の新京成線・上本郷駅前にあったパチンコ店だった。
第一印象は ”なんじゃこりゃ?ずいぶん奇妙な歌詞だな!” でありました。

♪  あれからニシンは どこへ行ったやら ♪

誰がニシンの行く先なんか気にしてるんだろう?
ずいぶん疑問を持ったものだった。
違和感を感じっぱなしのこの曲も何度か聴くうち、
まぎれもない傑作と気づくまで時間はそんなに掛からなかった。
作詞者・作曲者ともに自信を持って世に送り出し、
互いに自負・自愛を禁じ得ない楽曲なんだと思う。

五月に入り、薫風そよぐなか、街歩きが俄然楽しくなってきた。
この季節、都内の住宅地を歩いていると、
鼻孔を刺激するのはもっぱらジャスミンの強烈な香り。
つい、ふた月前には沈丁花がかぐわしくあった。
沈丁花の匂いは狂おしいほど好きなのにジャスミンは大の苦手。
そこを差っ引いても五月の散歩は胸が躍って心が弾む。

その日は神楽坂から本郷を経て
わが憩いの場所、上野恩賜公園にやって来た。
不忍池に遊ぶボートの数が格段に増えている。
逆に水鳥の姿はほとんど消えた。

この夜はボクシングのビッグマッチがTV中継される予定。
始まるまでのあいだ、自宅で晩酌しながら待つ腹積りでいた。
酒の肴を求め、御徒町駅前にあるサカナのデパート「吉池」へ。
まずは刺身、まぐろよりも白身が食べたい気分だ。
鮮度抜群の真子がれいをバスケットに投じ、
さらに陳列棚をめぐると、小ぶりの生にしんが目にとまる。

1尾あたり200円そこそこの廉価にもかかわらず、
ぱっちりと開いた目は澄み切り、肌は銀色に光っている。
これは迷わず”買い”であろう。
十数尾が並んでいるものの、個体差が激しい。
腕まくりしてベスト・ニシンの選別にかかった。

=つづく=

2015年5月1日金曜日

第1089話  レバをたっぷり食べたレバ(その7)

いきなり訂正であります。
西日暮里の中華屋におけるレバニラは
レバニラじゃなくって、ニラレバでありました。
そんな些細なことはどうでもいいってか!
そりゃそうですけど。

さて、目の前のニラレバである。

「P子、お前、コレどう思う?」
「うん、外したネ」
「ああ、外しちまったな」
「駄目じゃないかもしれないけど、ダメに近いでしょ?」
「ああ、駄目に近いよな、だから言ったろ、ダメ元だって―」

ほとんど会話になっておらん。

で、実際に食してみて、やっぱり駄目だ、
いや、ダメではないが冴えなかった。
これが店の推奨品なら
もう一つのオススメ、ラーメンだって推して知るべしであろうヨ。

壁には単品でレバ炒め(600円)、ニラレバ炒め(700円)とあった。
女将サンに訊ねたらニラの有無だけの違いだそうだ。
となれば、豚レバはニラより単価が低いということになる。
そう、今じゃモツより野菜が高いんだ。
昭和の時代にゃ夢にも思わなかった現実が
今ここにこうしてある。

もうちょい長居すべきか、せざるべきか、
迷う二人の真ん前で女将サンがアップルパイを取り出したぞなもし。
いや、我々にふるまうのではなく、
どうやら賄い後のデザートであるらしい。
比較的サイズの大きいソレはすでに3分の1ほど食されていた。

ここで女将が店主に訊いたネ。
「ねェ、どうやって切るの?」
3分の2になって円形が崩れているから切り方が判らないらしい。
「ん? 中心に向って包丁を入れるんだ」
この時点で客なんか(われわれですが)そっちのけである。

アップルパイを食べながら、老夫婦はTVのグルメ番組に夢中。
画面では鳥取県・境港市場の蟹にタレントたちがかぶりついている。
まっ、確かに旨そうではあるわな。

ニラレバに不満は残れども、
とにかくレバをたっぷり食べたことでもあるし、
ほかに何を追加するでもなく、お勘定。
おっと、忘れるところだった。
店の名は「万里(ばんり)」という。

小降りになった雨の中、相方に訊いてみた。
「口直しに『モス』でチーズバーガーでも食ってくかい?」―
口元から白い歯がこぼれたものの、
そこは利発な彼女、さすがに「ウン」とは言わなかったぞなもし。

=おしまい=

「喜多八 西日暮里店」
 東京都荒川区西日暮里5-21-4
  03-3801-5268

「万里」
 
 東京都荒川区西日暮里5-21-3
  03-3802-1240