2015年7月31日金曜日

第1154話 池波翁の「銀座日記」 (その1)

先頃、実に何年かぶりで書架の整理をした。
永井荷風の「断腸亭日乗」によれば、
先生はたびたび蔵書を虫干ししている。
書物と女性には丁寧にマメに接していたことがよく判る。

さて、マイ・ライブラリーであるが
やはり一番多いのが食べもの関連。
映画やオペラに関するものも相当な数にのぼる。
旅行ガイドなどは訪れた国もそうでない国も
情報が古くなったものは大量に処分することにした。

さて、小説である。
数のうえでは、先述の荷風、池波正太郎、
そして松本清張が抜きん出てベストスリー。
ついで浅田次郎といったところだろうか。

整理整頓していて1冊の文庫本に目が留まり、手が止まった。
500ページ超えでやや厚手の1冊である。
タイトルは「池波正太郎の銀座日記〈全〉」。
昭和58年7月から63年2月まで
5年近くに渡り、「銀座百点」に連載されたものだ。

「銀座百点」は地域ミニコミ誌の元祖。
銀座の老舗店舗が街の繁栄を目指して「銀座百点会」を発足させ、
月刊の「銀座百点」を創刊させたのが昭和55年のことである。

すでに池波翁の「銀座日記」は何度も目を通しているものの、
ここ数年はご無沙汰であった。
なつかしさのつれづれに開いてみたら、もう止まらなくなってしまった。
止まらない、止まらない、かっぱえびせんの如くなりけり。

そこで本話から数話に渡り、読者のみなさんとともに
本書を読み下していきたい。
中にはアンチ池波派もおられるだろう。
ときとして女性蔑視ともとられかねない文言の目立つ翁のこと、
女性の中には反発を禁じ得ない方も多かろう。

そんな方々にはしばらくスルーしていただくほかに手立てがありません。
お許しくだされ。

(痛風で銀座遠し)

 講談社の大村氏にさそわれて神楽坂の「寿司幸」へ初めていく。
 小ぢんまりとした気持ちのよい店で鮨もうまい。
 先客に二人の老人がいたわけだが、
 大村氏とわたしが外神田の料理屋「花ぶさ」の
 おかみさんのうわさばなしをしていると、
 やがて当のおかみさんがあらわれたので、びっくりする。
 もし、おかみさんの悪口でもいっていたならば、
 二人の先客からたちどころにおかみさんの耳に入ってしまうところだ。
 おかみさんに見送られて外に出る。
 「ほめてばかりいたのだから、よかったですね」と、大村氏。
 これだから、世の中は油断がならない。
 しかし、また、これだから小説の種がつきないのである。

「寿司幸」も「花ぶさ」もなかなかの佳店。
そう、壁に耳あり、障子に目ありの格言通り、
これだから人の悪口・陰口は戒めなければならないのですヨ。

=つづく=

2015年7月30日木曜日

第1153話 中・高時代は大ご馳走 (その4)

とげぬき地蔵通りの「タカセ」は期待ほどじゃなかった。
しばらく再訪はないと判断しながら、ふと思いついた。
そうだ、ネクストタイムは1Fでパンを購入し、
2Fのサロンでいただいてみようか・・・。
サンドイッチなんぞも試したいしネ。

その日から数えてちょうど1週間後。
再び同店にJ.C.オカザワの姿を見ることができた。
ん? べつに見たくもないってか?
フン、ほっとけや。

とにかくまた行っちゃったんだもんネ。
1Fのベーカリーで調達したのは
白身魚のフライバーガー(200円)と
ハム&野菜サンド(190円)であった。

レジで支払いの際に
「お飲ものは?」―こう訊かれる。
これは必ず注文しなければならない。
パンだけ買って2Fのティーサロンに上がり、
据え付けのお冷やでサクッと済ませることは認可されない。
もちろん好みの飲みものの持ち込みも許されないだろう。

身体が欲する生ビールがないから、アイスティーのストレートをお願い。
でもいつか、そう、8月になったら生はムリでも缶をふところに忍ばせて
「タカセ」のパンとともに味わってやろう。
そんなたくらみを抱いている。

アイスティーはいくらだったっけな? 
おそらく250円じゃなかったかと記憶する。
同じ道筋の」マック巣鴨店」ではアールグレイ葉使用の美味しいヤツが
100円ポッキリで飲めるからずいぶん割高な印象を受けるが
店内の雰囲気から判断して適正価格にも思える。

2Fのサロンは3Fのレストラン同様に広々としていた。
デパートの食堂をコンパクトにした感じだ。
客層は8割、いや、9割が女性で3Fよりも平均年齢がやや高め。
生活を年金に頼っている層には
3Fでぜいたくするより2Fでつましく、ということであろうヨ。

それにしても押し寄せる女性の波はとどまるところを知らない。
”単独波”はほとんど見当たらず、2~5人の”複数波”ばかりだ。
ひるがえって男のほうはわが身を含め、みな単身者のみ。
まさしく「孤独のグルメ」であった。
人数は数えるほどで
その視線は互いの存在を相憐れむかのように弱々しい。
実に嘆くべし。

冷たいティーとともに食したサンドイッチはまずまず。
ところが白身バーガーはイケなかった。
輸入モノの深海魚だろうが白身とは呼びがたいクセがある。
接客係を厨房に走らせて
正体を明かすつもりもなく、その半分を食べ残した。

いつの間にか女性たちの会話がボリューム・アップしている。
ホントにうるせェんだわ、これが!
それも噂バナシや、人の陰口・告げ口の大洪水。
深海魚に目をつぶることはできても
オバタリアンの騒音に耳をふさぐことはできない。
老兵は死なず、ただ消え去るのみでした。

=おしまい=

「タカセ巣鴨店」
 東京都豊島区巣鴨3-20-16
 03-5980-7557

2015年7月29日水曜日

第1152話 中・高時代は大ご馳走 (その3)

「タカセ巣鴨店」の3階ダイニング・フロアで
本日のランチが出来上がるのを待っている。
おっとその前にセルフサービスのパンをゲットしなければ―。

見れば目の前、レジの脇に4種のブレッドが並んでいた。 
塩パン、バターロール、フランスロール、くるみ&レーズンパンである。
のうち塩パンとバターロールをパン皿に乗せた。
コーヒークリームやガムシロップを入れる、
プラスチックのプチ容器入りのバターもちゃあんと2個忘れずに乗せる。

やがて到着したプレートには公約通りに
メカジキとチキンが呉越同舟の態であった。
付合わせはマカロニサラダ繊切りキャベツ、
キャベツにはアルファルファが混じっている。
カジキのフライにはタルタルソースに加え、
櫛切りのレモンが添えられている。
喫茶店のレモンティーのような薄い輪切りでないところを評価したい。

フライの上からレモンギュッと搾り、タルタル抜きでさっそく一口。
ふむ、ふむ、なかなかの美味しさながら
はるか昔、池袋店で食べたときの歓びはないなァ。
これは「タカセ」の味がオチたのではなく、
J.C.の舌が肥えたのであろうヨ。

2種のパンにバターを塗って食べ比べてみたら
変哲のないロールよりも塩パンのほうが断然美味しい。
サカナのフライとの相性もバッチリであった。

続いてチキンソテーだ。
メニューには玉ねぎソースとあったが
正しくは和風玉ねぎ醤油というのが当たっている。
これがしょっぱい。
しかもパンにはちっとも合わない。
やはり醤油には米の飯であろうヨ。

そこで一案、ソースにバターをからめてみた。
するとさっきよりマシで何とかパンとマッチする。
ほかのパンにも合わせてみようと、
フランスロール、くるみ&レーズンを調達にはしる。
このときバターは1個にとどめおく。
食べすぎると気持ちが悪くなるからネ、

食べ放題は嫌いと言ってるわりには結局は薬局、
4種類のパンをすべて制覇したことになっちゃったヨ。
やはりベストは塩パンでセカンドベストがくるみ&レーズン。
ロールはどちらも不味くはないが、そこそこの域を出ない。

何十年ぶりかの「タカセ」の洋食だったのだけれど、
満足感はイマイチだった。
洋食っぽさに欠けたところが原因なのだろう。
軽い肩透かしを食らったカンジが残ったぞなもし。

=つづく=

2015年7月28日火曜日

第1151話 中・高時代は大ご馳走 (その2)

巣鴨はとげぬき地蔵(高岩寺)前の目抜き通り。
そこでパン屋にして洋食屋の「タカセ」を発見し、
店頭のメニューボードに見入っている。

本日の日替わりランチはメカジキとチキンの組合わせ。
老舗が提供するのは750円と良心的価格である。
しかもライスの代わりにパンを選択すると、
驚いたことに4種の自家製パンが食べ放題ときたもんだ。

飲み放題には”飲指”を動かすわが身ながら
食べ放題には食指がピクリともしない。
いや、むしろ食べ放題を避けるというか、
極論に及べば軽蔑するフシすらあるのを自覚している。

あんな暴食は育ちざかりの青少年限定にすべきで
真っ当な成人には百害あって一利ナシ。
挑んだ者の肉体と魂を蝕(むしば)んでやまない。

勝手なご託を並べるな! ってか?
酒びたりのオマエは何様のつもりなんだ! ってか?
ハイ、ごもっとも。
返す言葉が見つかりやせん。

さて、巣鴨の「タカセ」である。
ここは小体なビルが全店「タカセ」。
1Fがパンやケーキの小売ショップ。
2Fはティーサロン。
3Fがレストラン。
三業一体システムをとっている。

三業地となれば、巣鴨の隣り町、
かつての大塚がつとに有名ながら
どっこい巣鴨にも存在していたわけだ。

3階にエレベーターで上がり、
レジ正面の4人用テーブルに着席。
運ばれたお冷やを軽く一気飲みの巻である。
摂氏30度を超える暑い日、
ノドを潤すとともに、ひとまず冷水を流し込んで
いつでもどこでもビールに走ろうとするわが脳を牽制しておく。

レギュラーメニューに目を通しながら
料理の到着を待つこと15分余り。
こんなに出(で)が遅いんじゃランチタイムに限りのある、
OL&リーマンには向かない食事処であることは明らかだ。
そのぶんヒマを持て余す婆ちゃんにはピッタリの場所といえよう。

周りを見渡すと若者の姿は皆無。
かといって客層の主流は婆ちゃんでもない。
オバさんの対子(といつ)か、ママともグループが目立つ。
おそらくお地蔵さまに手を合わせた婆さんたちはそのあと、
甘味&軽食の店で休憩がてらの昼食をとるらしい。
そんな店舗が地蔵通りには数軒あるからネ。

=つづく=

2015年7月27日月曜日

第1150話 中・高時代は大ご馳走 (その1)

都内有数のメガステーション・池袋の東口、西武百貨店の正面角地に
「タカセ」という名のベーカリー兼洋食店がある。

中・高生の頃、板橋区に棲息していたJ.C.
ささやかに遊興した地はもっぱら池袋。
東口も西口もじぶんちの庭みたいなものだった。

たまさか母親の買い物につき合うときも赴くのは池袋。
その際の食事処は今は無き、
キンカ堂なる大型衣料品店の地下食堂だった。
これが何か特別な日、いわゆるハレの日になると、
「タカセ」にグレード・アップするのだ。
食べ盛りの男子に「タカセ」の洋食は
実に魅力的で偉大なるご馳走だった。

たとえダイニング・フロアに上がらなくとも
1階ベーカリーのパンを購入するだけでワクワク感があったなァ。
自宅近くのパン屋のそれとは一味も二味も違うことは
ローティーンの少年でさえ、はっきりと識別できた。

そう、そう、パン屋といえば、母校の中学の最寄り駅、
東武東上線・常盤台駅には線路を挟んで両側に
「マルコ」という店名のパン屋があった。
どちらが本店でどちらが支店か、区別はつかなかったが
とにかくここのパンはまっことグンバツ。
何を食べても美味しく、毎日の昼めしにしたいくらいだった。
もっとも中学生には高嶺の花もいいところ、
簡単に口にすることはかなわなかった。

その「マルコ」がある日、忽然と消えた。
何十年ぶりかで訪れたとき、
2軒あった店舗が跡かたもなく消滅しており、
懐古趣味的精神旺盛なJ.C.は跡地に茫然と立ちつくしたのであった。

東上線沿線の田園調布と言えなくもない、
常盤台のランドマークがなぜに店仕舞いしてしまったのか?
さっそく聞き取り調査に及ぶと、
中学の同期生が言うことには
何でもバブルの前後に投機で失敗したとのこと。
食べ物商売が株や不動産にのめり込んで成功したためしはまずない。
地道なモノ造りの手間を省いて、利に奔(はし)るとロクなことはない。
あの畑は実に危険がいっぱいなのだ。

「マルコ」のハナシはさておき、「タカセ」であった。
都内でお婆ちゃんの原宿といえば、巣鴨のとげぬき地蔵通り。
そこで「タカセ」の支店に遭遇し、入店したのはひと月ほど前だった。

ハンバーグやオムライスなど、
洋食の定番を差し置いて日替わりランチが人気のようで
ソイツがなんと750円のお値打ち価格なのだ。
メニューボードをチェックすると、
その日の献立はメカジキのフライ&チキンソテーの盛合せ。
メカジキにはタルタルソース、
チキンには玉ねぎソースとあったのでした。

=つづく=

2015年7月24日金曜日

第1149話 なかにし礼を聴く (その4)

なかにし礼のマイ・ベスト20を続ける。

⑧ 以前、この曲をクローズ・アップしたことがある。
  ユニークなグループ、キング・トーンズのベスト・ナンバー。

⑨ 作曲はジュンの実兄の三木たかし。
  ♪ 胸ふかく抱て ♪ は ♪ 胸ふかく抱て ♪ のほうがスッキリ。
  かれこれ半世紀のあいだ、胸ふかく引っ掛かっている。

⑩ 記憶が確かならば、「男はつらいよ 奮闘篇」に挿入されていたハズ。
  リスペクトしてやまない筒美京平が作曲担当。

⑪ GP全盛時代の1968年夏、ホテルでバイトしていた。
  東京駅への生き返りによく口ずさんだマイ・メモリアル。
  人生で一番楽しかった頃かも・・・。

⑫ チョーさん担当の5番の歌詞。
  ♪ やって来ました倦怠期 不貞くされ女房は家出して ♪
  ハハハ、無条件で笑える。

⑬  ♪  最後の曲が 終わっても 踊っていたい いつまでも ♪
   ♪ つらい話はよそう 燃える口づけしよう ♪
   じゃ、何だってオメエたち、別れるんだべサ?

⑭ 欧州放浪から帰った1975年。
  街に流れていたのは「シクラメンのかほり」、「エマニュエル夫人」、
  そして細川たかしののデビュー2作目、「みれん心」だった。

⑮ なかにし自身の作曲による「風の盆」とほぼ同時期のリリース。
  ♪ 遅すぎた恋だから 命をかけてくつがえす ♪
  歌うさゆりは3番の詞がことのほか気に入りの様子。

⑯ ♪ 今日でお別れね もう逢えない
    あなたも涙を 見せてほしい ♪
   別れるときは男も涙を見せてあげましょう。
   すんなり別れるためにも―。

⑰ 元は異なる詞をアイ・ジョージが歌ったが鳴かず飛ばず。
  大ヒットの功績は作詞家にあり。
  ♪ 言わないで なぐさめは ♪ が
  ♪ こんなかたちで 君と出会い ♪ だった。

⑱ 元大関・琴風の名唱。
  ブレないハスキーボイスは同じ角界歌手・増位山の上をゆく。

⑲ 阿久悠が「また逢う日まで」なら、なかにし礼は「五月のバラ」。
  ともに尾崎が歌わなければ、布施明が歌っていたであろう。

⑳ アルゼンチンの歌姫もすでに還暦超え。
  でもやっぱりスペイン語圏は日本語の発音が上手だわ。

次点: 美川憲一と並んでニューハーフの嚆矢ピーター。
    どうしてオカマは低温の魅力なのかしらん?

長々とおつき合いくださり、ありがとうございました。
なかにし礼サンの復活を心より祈っています。

=おしまい= 

2015年7月23日木曜日

第1148話 なかにし礼を聴く (その3)

それでは作詞家・なかにし礼のマイ・ベスト20である。

① 石狩挽歌 (浜圭介) 北原ミレイ
② 手紙 (川口真) 由紀さおり
③ 京のにわか雨 (平尾昌晃) 小柳ルミ子
④ 風の盆 (なかにし礼) 菅原洋一
⑤ よこはま物語 (浜圭介) 石原裕次郎
⑥ 恋のオフェリア (宮川泰) ザ・ピーナッツ
⑦ 涙と雨にぬれて (なかにし礼) 和田弘とマヒナスターズ
                       &田代美代子
⑧ 暗い港のブルース (早川博二) ザ・キング・トーンズ
⑨ 霧のかなたへ (三木たかし) 黛ジュン
⑩ あなたならどうする (筒美京平) いしだあゆみ
⑪ エメラルドの伝説 (村井邦彦) ザ・テンプターズ 
⑫ ドリフのズンドコ節 (作曲者不詳) ザ・ドリフターズ
⑬ サヨナラ横浜 (ユズリハ・シロー) 石原裕次郎
⑭ みれん心 (中村泰士) 細川たかし
⑮ 風の盆恋歌 (三木たかし) 石川さゆり
⑯ 今日でお別れ (宇井あきら) 菅原洋一
⑰ 別れの朝 (ウド・ユルゲンス) ペドロ&カプリシャス
⑱ まわり道 (三木たかし) 琴風豪規
⑲ 五月のバラ (川口真) 尾崎紀代彦
⑳ サバの女王 (ミシェル・ローラン) グラシェラ・スサーナ
  次点: 夜と朝のあいだに (村井邦彦) ピーター

と、まあ、こんな顔ぶれになったわけであります。
発表しただけでサラリとスルーしてもよござんすが
やはりいろんな思い出に縁どられた名曲の数々、
短評を添えてみたい。
興味のない方はスキップしちゃってください。

① にしん漁における実兄の失敗がモチーフ。
   浜圭介がすばらしい曲をつけ、なかにし自身も自愛する名作。

② 近年、脚光を浴びた由紀の代表作。
   三宅島の浜辺で初めて聴いたとき、身体がふるえた。

③ てっきり山口洋子の作詞と思いきや、トンデモなかった。
   京都情緒あふれる詞に平尾が魅惑のメロディーで応える。

④ 作曲もなかにし自身で作曲家としての才能を発揮。
   殊にサビは専門家顔負けの悲劇的カタルシス。

⑤ 20年ほど前はカラオケの持ち歌だったが、しばらく歌っていない。
   今度、歌おうっと―。

⑥ 「恋バカ」以来、ピーナッツには「恋の~」を冠した曲多し。
   同じなかにしの「恋のフーガ」よりこちらが好きだ。

⑦ すでに語りつくしたのでパス。

=つづく= 

2015年7月22日水曜日

第1147話 なかにし礼を聴く (その2)

なかにし礼を世に送り出したのは
あの石原裕次郎だと言っても過言ではない。
いや、断言してもよい。

まだ無名だった、なかにし礼、
「涙と雨にぬれて」には少なからず自信があるとみえて
裕次郎率いる石原プロに持ち込んだのだった。
おそらくデモテープと譜面を携えてネ。

実はこの数年前、
単身ヨットで太平洋横断を成し遂げた時の人、
堀江謙一青年をモデルにした、
日活映画「太平洋ひとりぼっち」のロケのため、
伊豆半島の下田に滞在中の裕次郎と
当地のホテルのバーで遭遇している。

バー・カウンターで言葉を交わすうち、
「シャンソンの訳詞なんかやめて自分で何か書きなさいヨ」ー
そう激励さたのだった。

石原プロに現われたなかにしを裕次郎も覚えていたのだろう。
無碍にできるハスもなく、
腹心の渡哲也に「ちょっと面倒みてやれヨ」―
そんな発言があったことは想像に難くない。

こうして作詞家デビューをはたしたなかにし礼。
石原軍団の根回しにより、
「涙と雨にぬれて」をカバーしたのは
和田弘とマヒナスターズ&田代美代子だった。

作詞家としては裕次郎に歌ってほしかったに相違ない。
ムード歌謡の流れを汲んだデュエット向けの曲調は
すでに「銀座の恋の物語」、「夕陽の丘」のデュエット・ナンバーを
ヒットさせた大スターにしっくりくるものがあったと思う。

シャンソンにしてタンゴの名曲「小雨降る径」を
想起させる「涙と雨にぬれて」は
当時一世を風靡していた、佐伯孝夫と吉田正の黄金コンビによる、
ロマン歌謡のように都会的な洗練さには欠けるものの、
甘やかなやさしいムードにはあふれていた。

恥ずかしながらJ.C.、ひと月前にうたともとカラオケに及んだ際、
ふとこの曲を思い出し、ぶっつけで歌ってみた。
覚えやすいメロディーなので無難にこなせたが
残念なことにオリジナルがオケにないのだ。
マヒナ&美代子ではなく、
ロス・インディオスのバージョンでは
デュエットしにくいことこのうえなかった。

ここで恒例のなかにし礼、マイ・ベストテンの披露と相成るのだが
現在、再発したガンと闘病中の主役を励ますため、
思い切ってベストトウェンティに挑戦しようと奮起する。

=つづく=

2015年7月21日火曜日

第1146話 なかにし礼を聴く (その1)

先頃亡くなった作詞家・横井弘が手がけた作品を聴くため、
三橋美智也のアルバムを探して押入れから引っ張り出した段ボール。
幸いにも三橋のカセットテープは一つ目の箱にあった。

いや、ラッキー、ラッキー。
広くもない、わがヤサには膨大な・・・はちとオーバーか?
とにかく相当数のカセットテープ、CD、DVD、
挙句はLD(レーザーディスク)まで瞑っているのだ。

殊に悩みはかなりの枚数のLD。
すべてオペラだが、自宅にLDプレイヤーがなく、
まったくもって無用の長物と化している。
その重くてデカい図体は
ラタンの箪笥の引き出しをしならせているくらいだ。

さて、段ボールの中を捜索中、
たまたま出てきた1本のテープに心が揺れ動いた。
作詞家(ときには作曲家)・なかにし礼の作品ばかりが
24曲も収録された古いテープであった。
往時、おそらく彼の全集が発売されたのだろう、
それをダビングしたものだ。

丁寧な手書きで1曲ずつ曲名が記されている。
筆跡の主はかれこれ四半世紀前に
TBSラジオのミッションを通じて知り合った旧友。
J.C.が要請したのか、友人が自発的に送ってくれたのか、
真相ははるか忘却の彼方、皆目見当がつかない。

今、ソレを聴きながら、コレを書いている。
テープの1曲目。

 ♪  涙と雨にぬれて 泣いて別れた二人
  肩をふるわせ君は 雨の夜道に消えた
  二人は雨の中で あついくちづけかわし
  ぬれた体をかたく 抱きしめあっていたね

  訳も言わずに君は さよならと言った
  訳も知らずにぼくは うしろ姿を見てた
  恋のよろこび消えて 悲しみだけが残る
  男泣きしてぼくは 涙と雨にぬれた  ♪

シャンソンの訳詞ばかりを書いていた、
なかにし礼のデビュー作、「涙と雨にぬれて」。
驚いたことに、この作品でなかにしは自ら作曲も手がけている。

忘れもしない曲を初めて聴いたのはリアルタイムの1966年。
玉置宏がMCを務めた伝説の歌番組、「ロッテ歌のアルバム」だ。
「1週間のごぶさたでした!」―
フレーズを覚えている読者もおられるだろう。

=つづく=



 

2015年7月20日月曜日

第1145話 不思議なパンだヨ 焼きそばパン (その2)

欧米人だったら手を出すのをためらうであろう、
焼きそばパンについて綴っている。

日曜の朝、自宅でブランチ造りに着手。
といってもソース焼きそばなんだけどネ。
スーパーの棚に並んでいるのは
おおむねシマダヤかマルちゃんの蒸し麺だ。
麺の食感、粉末ソースの味からしてシマダヤが好み。

その日もシマダヤの袋を開いた。
野菜庫にキャベツが不在のため、
具材は細切りのピーマンのみである。
冷凍庫には小分けにした豚バラ肉の薄切りが眠っているが
あえて肉抜きでいった。

ソース焼きそばにピーマンだって! ってか?
実はコレ、オカザワ家の伝統。
というか、母親のスタイルなのだ。
はるか昔、長野市きっての繁華街・権堂で
小料理屋を営んでいた彼女は酔客たちの締めくくりに
ピーマン入りの焼きそばを出したそうだ。
キャベツ入りではお祭りや縁日の屋台みたいで野暮ったく、
気に染まなかったらしい。
まっ、一理はありますわな。

フライパンに雪印のラードを引き、中火で念入りに麺を炒める。
この手間ヒマが独特のもっちり感を生み出すから手抜きは厳禁。
炒めながらふと思い出したのが焼きそばパン、そのことだった。

そうだ、パンを合わせてみよう。
とは言うものの、ドッグ用のロールがあるハズもなく、
手持ちは8枚切りの食パンだけである。
よって、トーストを焼いてみた。

焼き上がったトーストにバターをたっぷり塗り、
これまた炒め上がった焼きそばとともに食卓に運ぶ。
もちろん缶ビールと一緒にネ。

モグモグ、うむうむ、けっこうイケるじゃないの。
相性はまったく悪くないネ。
青海苔も振りかけず、紅しょうがも添えない、
シンプルな焼きそばが旨いのはひとえにラードの賜物である。
サラダ油なんか使ったら油臭くて食べられたものではない。

食べながらハッと気づいた。
麺を炒めたラードが雪印製ならトーストに塗ったバターも雪印。
今、わが家の食卓に会いまみえる同僚同士である。
かたや豚の皮下脂肪、こなた牛の乳脂肪、
仲良く手に手を取ってマイ・ストマックに収まりましたとサ。

2015年7月17日金曜日

第1144話 不思議なパンだヨ 焼きそばパン (その1)

近頃はひと頃よりだいぶんにパンを食べている。
午前中に片付けなければいけないミッションが多く、
スムースにことを運ぶには
それなりの栄養素を脳に届ける必要があるからだ。

トーストを焼くのすら面倒なとき、
お世話になるのは前日のうちに買い置いた調理パン。
それも昔ながらのパン屋さんやベーカリーがよい。
若い女の子や中・熟年のオバはんであふれる、
オサレなブーランジェリーは好みに合わない。
もっともたまさかバゲット、クロワッサンのお世話にはなるがネ。

調理パンと菓子パンの区分けをきっちり把握してないものの、
一応、食事の対象に成り得るのが調理パン、
おやつ、あるいはデザートの一種が菓子パンだろう。

どうも菓子パンは苦手。
甘いものだと食事を取った実感がまったく伴わない。
ましてやケーキなんか論外、見たくもないネ。
見ただけで胸ヤケがする。
世の中には朝食代わりに
朝からケーキを食べる女性が少なくないらしいが
わが身にはあり得へん暴挙と言うほかはない。

そしてコンビニのサンドイッチ、ハンバーガーより、
さびれたショボいパン屋で出会うコロッケパン、
ハムカツサンドに食指が動く。
ほとんど大当たり!はないけれど、
幼い時期から親しんだ味は
美味い・不味いの問題をを超えて懐かしみを覚える。

みなさんご存じの焼きそばパン。
ありゃ、何なんだろうねェ。
ドッグ状のパンに焼きそばをはさむ、
いったい誰の発明品なんだろう。

最近はトンと見かけなくなったが
かつてスパゲッティパンというのがあった。
いや、今でもどこかでひっそりと生息しておろうが
1980年代半ばあたりから徐々に
姿を消していったものと思われる。

焼きそばパンの焼きそばの代わりに
スパゲッティ・ナポリタン、
それもケチャップたっぷりの太打ち麺であることが多かった。

スパゲッティの本場、南イタリアではパスタとともに
パンを食するからある意味、
本場の食習慣を取り入れたアイデア商品と言えなくもない。

ある日曜日の朝、J.C.の脳にもあるアイデアが浮かび上がった。

=つづく=

2015年7月16日木曜日

第1143話 あじ酢よければ えび丼またよし (その4)

築地場内の「小田保」でビールを飲んでいる。
合いの手は真あじの酢〆だ。
列島の近海が育んだ海の幸に舌鼓をポンポン、
ついでのもう一丁、ポンの巻である

このサカナは物価の優等生じゃなかろうか。
昭和の時代、サンマやイワシより、
多少割高だった記憶があるが、今やもっとも安価な魚種となった。
しかもスーパーで手に入る生のサンマとイワシは
生食可能なものが少ないけれど、
アジに関してはほとんどが刺身でイケる。
これは貴重な現実でっせ。

さて、ビールの中瓶を2本空けて肝心の食事だ。
冬場のかきバタ&かきフライ定食に匹敵する、
春・夏の必食アイテムはえび丼でキマリ。
まっ、春夏秋冬、通年食べられるんだけどネ。
大ぶりの海老に存在感あり
洋食屋でもとんかつ屋でも
滅多に出会えないのがえび丼。
これで1300円はお値打ち以外の何物でもなかろう。
かつ丼の代わりに海老フライを用いたドンブリだが
実に立派なの海老である。

海老は比較的高価な食材につき、スーパーは言うに及ばず、
奮発してデパ地下で買い求めた海老フライでも
そう簡単に満足感は得られない。
なぜだろう?
ズバリ、コロモが厚すぎるからだ。
見栄えをよくするため、二重、三重にコロモを膨らませすぎるのだ。

最近はあまり見かけなくなったが観光地の土産物の上げ底ネ、
アレと同じ発想が日本人のセコさをあからさまにする。
戦後70年、もうこんなマネはやめにしましょうや。
島国根性と貧乏根性のコラボレーション、ここに極まれり。

その点、「小田保」の海老フライは舌も心も豊かにしてくれる。
食べる歓びを実感させてくれるのだ。
ただし、この日はごはんがやや柔らかく、ここは改善してほしい。

以前、中米系アメリカ人の旧友が来日した際、
案内してえび丼をごちそうしたことがある。
彼女、感涙にむせびはしなかったが
生涯ベストのガンバス(スペイン語で海老)料理だと断言した。
あのガンバス・アル・アヒージョよりネ。

ヘビーな昼めしは極力避ける習慣のJ.C.、
この日は例外中の例外であった。
周囲の女性を食事に誘うときに
朝・昼の築地と、夕・夜の浅草は二大人気エリアである。
経験上、これは間違いなく言い切れる。

貴方も意中の女性を口説き落としたいなら
ぜひ、築地「小田保」のえび丼をふるまってお上げなさい。
効果てきめんで明るい未来が待ってますから―。
”海老で鯛を釣る”とはこのことであります。

=おしまい=

「小田保」
 東京都中央区築地5-2-1  6号館
 03-3541-9819

2015年7月15日水曜日

第1142話 あじ酢よければ えび丼またよし (その3)

「下町を食べる」がちょうど10年前なら、
これもまた10年前の夏。
当時、しょっちゅう一緒に飲み食べ歩いた神奈川生まれのN子を伴い、
しゃこの一大産地、神奈川県・三浦半島の小柴に遠征したことがあった。
むろんしゃこで一杯やるために―。

時刻は昼近くになっていたから港の市場は閑散もいいとこ。
というより人気(ひとけ)まったくなく、
猫の子一匹いなかったネ。

さすればあらかじめ調査しておいた鮨屋に直行の巻である。
N子も相当な呑み助につき、
しゃこわさと地魚の刺身をつまみに
二人で大瓶5本は空ける腹積り。
といううことは一人アタマ.1.5Lちょい、大した量じゃないねェ。
思い切って6~7本いっとこうか・・・。

想像をたくましくしながら、
ともかく心を踊らせてつけ台に着いた。
「ビールを2本としゃこをつまみで二人前お願いしまッス!」―
声高らかに宣誓布告した。
何だか声まで弾んできやがったぜ。

ところが次の瞬間、絶望の淵へと追い落とされたのであった。
「ここんとこしゃこが獲れなくて
つまみにするほどないんですヨ。
お一人様、にぎり2カンのみでお願いしてます」―
申し訳なさそうな店主を責めることはできない。
品薄とは聞いていたが、まさかここまでとは・・・。

結果、ビールは4本で済んじゃいました。
代わりにもならないけれど、
駅前のベーカリーでしゃこパンってのを買ってきた。
まったくしょうもないねェ。
あれからしゃこの水揚げ量は低下の一途をたどったわけだ。

ひるがえって今年。
自著の文中にあるように
近年、築地の「小田保」に来るともっぱらあじ酢を楽しむJ.C.である。
皮目が光り輝くあじ酢
ご覧のようにその日も
オニスラに続き、あじ酢をお願いした。
品書きを見ると、あじ酢の隣りにはたたきが並んでいたが
たたきは苦手、生まれてこのかた注文したためしがない。
ましてや、なめろうに至ると輪をかけていけない。

あじは酢の〆具合が浅めながら、冷たいビールの”連飲”をうながす。
昼めしのえび丼を目当てに来たものの、
ここでビールのお替わりクンと相成った。

=つづく=

2015年7月14日火曜日

第1141話 あじ酢よければ えび丼またよし (その2)

築地場内随一の洋食屋、
「小田保」がいつの頃からか提供するようになった、
チャーシューエッグはそもそも近所のとんかつ店、
「八千代」のスペシャリテだ。
とんかつ屋といっても特大サイズの海老フライをウリとしており、
チャーシューエッグは人気商品の第二位にまで育った。

他店のパクリはいただけないが
その点を差し引いても優良店の地位は揺るがない。
ちょうど10年前の同じ7月に上梓した、
「J.C.オカザワの下町を食べる」、
「小田保」の部分を全文引用してみよう。

◇6年越しの舌びらめ

中華以外は和食も洋食もこなす市場の食堂というイメージだが
洋モノに秀でたメニュー多く、カテゴリーとしては洋食に収めておく。
6年も前の正月早々、初回のしゃこわさ(500円)の質に驚いた。
しっとりなめらかなヤツが本わさびとともに現れた。

舌びらめのバタ焼き(950円)は
食べるところがすくなくて不満が残ったが
蟹コロッケ(1100円)が上デキ。
コロモが立って噛めばサックリ、お味もよろしい。
化調をかけられちゃった新香とわかめの味噌汁がちと残念。
硬めに炊かれたごはんは好みであった。

以来、ちょくちょくおジャマしている。

場内で洋食を食べたくなると、大体ここか「たけだ」。
その後、しゃこわさには滅多にお目にかかれない。
代わりにあじ酢のお世話になっている。
しらすおろし・明太子おろし・焼き海苔・納豆など、
副菜がみなおいしく、必然的にドンブリめし、
小さな茶碗ではまだるっこしい。
 
冬場に必ず注文するのはたら豆腐、これがなんと350円だ。
めかじきのバタ焼きも捨てがたいスグレモノ。
逆に肉モノが少々弱く、豚肉の生姜焼きなどパサついた。

つい先日、オバちゃんのオススメに従って、
あまりいい思い出のない舌びらめに再挑戦。
ホオーッ、今度はかなりいいサイズ、しかもずいぶん肉厚だ。
味の素をかけないでとお願いしたお新香と一緒に至福のブランチ、
6年前の仇をキッチリ
討たせていただきやした。

とまあ、こんな塩梅である。
しゃこわさの”かくも長き不在”は何もこの店に限ったことではなく、
東京湾から江戸前しゃこが消えて10年以上にもなる。
ときおり復活の兆しだけは垣間見えるのだが
本格的な回復にはほど遠い。
嘆くべし。
 
=つづく=

2015年7月13日月曜日

第1140話 あじ酢よければ えび丼またよし (その1)

何か月ぶりかで築地の魚河岸に出向いた。
目的は買い出しではなく昼めしだから場内である。
あちこちに繰り返し書いてきたから
すでに読者はご存じだろうがJ.C.は築地で鮨を食べない。

上から目線で申し訳ないけれど、
江戸前鮨に通ずると、魚河岸で鮨を食うのがバカらしくなる。
サカナの鮮度の良さは認めるものの、
日本人が生み出した鮨という名の食文化は
新鮮な魚介を酢めしにただ乗っければ、
それで済むものでは断じてない。

ここ十数年、黙っていても客が押し寄せるから
築地場内の鮨屋(ずいぶん増えたなァ)は揃いも揃って
本来、施すべき昔ながらのシゴトをしなくなった。
二大人気店、「大和寿司」も「寿司大」も
小肌・きす・さより・春子など、
手のかかる光りモノを出したがらなくなった。
はまぐりやしゃこなど煮モノもまたしかり。
まっ、オンナ子どもや中国人に
”真っ当なシゴトを味わえ”というほうがムリなハナシだがネ。

では場内で何を食すべきか?
オススメは和食堂と洋食屋だ。
J.C.がちょくちょくおジャマするのは
和食の「かとう」、洋食の「小田保」。
この2軒でビールのコップ片手にいただく昼めしは
まっことたまりませんな。

その日は正午ちょい前に「小田保」へ。
冬場なら十中八九、
かきバタ焼きとかきフライのハーフ&ハーフだが
シーズンオフにないものねだりしても始まらない。

4月~9月の半年間、
もっぱらお世話になるのは穴子フライとえび丼だ。
どちらもありそうで、なかなかないメニュー。
穴子天ぷらがあるんだから、穴子フライがあってもいいだろうし、
かつ丼があるなら、えび丼があって不思議ではない。

オニオンスライスでビールを飲みながら壁の品書きを吟味する。
その前にお店へリクエスト。
こういう活気あふれる場所では中瓶ではなく大瓶を用意してほしい。
なるべくアルコールをセーブしたいランチタイムに
大瓶なら1本で済むところを中瓶だとお替わりしてしまう。
フライとカツが大手を振っている
左側にチャーシューエッグの文字が見えるが
これはもともと近所のとんかつ屋「八千代」のオリジナル。
どう、ひいき目に見ても
他人のふんどしで相撲を取ってるようにしか見えないゾ、こりゃ。

=つづく=

2015年7月10日金曜日

第1139話 偶然の澄ましバター (その9)

本家・ムスタキがフォーク調なのに対して
レジャニーはエレガントなシャンソン・タッチ。
相撲じゃないから軍配を挙げたりはしないが
どう聴いてもレジャニーが好きだ。

恋人との想い出が詰まった曲だから
ひいき目に、もとい、ひいき耳で聴いたのじゃない。
ニュートラルな位置に立って判断しても
明らかに分家が本家を凌駕(りょうが)している。

こんなケースはままあることで、たとえば中島みゆき。
マイ・ファイヴァリット・ソング2曲を例に挙げれば、
「しあわせ芝居」は桜田淳子、「雨」は小柳ルミ子のほうが断然いい。
そう、シンガーソング・ライターは歌うのが専門の歌手ではないからネ。
竹内まりあの永遠の名曲、「駅」にしてみても
中森明菜の歌唱のほうに心なしか気持ちを寄せたくなる。

ところでJ.C.はん、テーマの”澄ましバター”はどないしたん?
いや、ごもっとも・・・、そうでした、そうでした。
脇道にそれた自覚が本人にはないにもかかわらず、
いつもの悪いクセでハナシに弾みがつくと、
あらぬ方向に派生してゆくばかり。
キーボードをたたく指先がどうにもとまらない。

ロンドンのサウスウエストに棲んでいた時代。
相方・Michelleはけして料理好きじゃなかったが
そこは腐っても鯛、痩せても枯れてもフランセーズ、
一通りのキッチン仕事はテキパキとこなした。

彼女のレパートリー中、とりわけ好きだったのは
澄ましバターでソテーするソール・ムニエル・オー・ウッフである。
料理名はJ.C.が勝手に名づけた。
ソールは舌平目、ウッフは玉子、
若干異なるけれど、舌平目のピカタと呼んでも差し支えない。

いわゆるムニエルの周りに溶き玉子を掛け回し、
今一度、軽く火を通したものだ。
ドーヴァー・ソールのように立派な舌平目ではなく、
一般的にレモン・ソールと呼ばれる小ぶりなヤツだったが
とてもおいしかった。

今回の失敗が生んだ偶然の賜物、澄ましバターが生じたとき、
その香りで真っ先に思い出したのは帰り来ぬ若き日々。
そうだ! 何か作ろう!
視覚・聴覚が衰えたりといえども
味覚・嗅覚においてはまだまだ現役のJ.C.、
いや、久々に腕まくりしやしたネ。

と、意気込んではみたものの、独りキッチンで作成したのは
手間ひま掛からぬプレーン・オムレツでありました。
でも、これがパン食にはピッタリなんですわ。
以来、目玉焼きまでブール・クラリフィネで焼いております。

=おしまい=

2015年7月9日木曜日

第1138話 偶然の澄ましバター (その8)

ドロンの歌唱力であったが
かつてフランス映画界きっての二枚目も歌はからっきし。
運動神経は欧米の俳優では断トツなのに
天は二物を与えなかったのだろう。

ただし、彼の名誉のためにひとこと付け加えると、
ダリダの名唱、「甘いささやき」における、
語りと言おうか、合いの手と言うか、アレだけはよかった。
邦楽ヴァージョン、中村晃子&細川俊之のソレと比べたら
それこそ雲泥の差もいいところでこの点はサポートしておきたい。

えっ、ベルモンドはどうだってか?
ハッキリ言って論外ぞなもし。
いや、決めつけるには情報不足だけれど、
ジャン=ポールの歌なんて前代未聞だもの。
だったら、フランス男優のレジェンド的存在、
ジャン・ギャバンに登場願おう。
「望郷(ペペル・モコ)」ではアルジェのアパルトマンの屋上で
気持ちよさそうに歌い放っていたものなァ。

ここで突如、

 ♪  俺は想う 海の彼方を
   
   空は青空だ 心がはずむぜ
   波止場に咲いた恋は 楽しいものだぜ
   白い雲 いつも流れるのサ

   海の色は青 潮の香匂う
   紅の波止場だぜ 太陽は燃える
   あかね雲 楽しく歌うのサ     ♪

         (作詞:中川誠)

昭和30年代前半、デビュー間もない石原裕次郎の
「赤い波止場」はそのまま映画化されて
劇中、どこぞのビルの屋上で熱唱されたのだが
あれはモロに「ペペル・モコ」のパクリだネ。

当時のプログラム・ピクチャーは恥も外聞もなく、
とにかく当たればそれでヨシ。
黙っていても観客が押しかけるから
映画会社も出演者もノルマを果たすのに四苦八苦で
仕上がりの良し悪しなんて二の次だった。

今、コレを書きながら
ムスタキとレジャニーの「マ・リベルテ」を聴き比べている。
ムスタキは弾き語りのフォーク調。
小さなホールのライブ録音は
聴衆の拍手やさんざめきをも収めている。
これが意外なことに
どことなく、ガロの「学生街の喫茶店」を偲ばせるのだ。

=つづく=

2015年7月8日水曜日

第1137話 偶然の澄ましバター (その7)

J.C.がまだハタチそこそこだったロンドン時代。
ジョルジュ・ムスタキ作詞・作曲の「マ・リベルテ」を盛んに聴いていた。
歌っていたのはイタリア生まれのフランス俳優、
セルジュ・レジアニでありました。

本邦においてはレジアニと表記されることが多いけれど、
当時のモン・シェリー、Michelleの発音はレジャニーだった。
フランス人が言うんだから、まず間違いはあるまい。
レジャニーはフランスの暗黒映画、
いわゆるフィルム・ノワールには必要欠くべからざる名脇役なのだ。

日本ではなじみが薄いものの、
リノ・ヴァンチュラとアラン・ドロンが共演した、
ロベルト・アンリコ監督の「冒険者たち」をご記憶の方は少なくなかろう。
劇中、コンゴ動乱のドサクサで財宝ごと海に沈んだプロペラ機の情報を
主役の二人に提供するパイロットに扮したのがレジャニーだ。

フィルム・ノワールの第一人者、
ジャン=ピエール・メルヴィルの佳作に「いぬ」がある。
この作品では一枚看板のジャン=ポール・ベルモンドに
勝るとも劣らぬ存在感を示していた。

夜更けにハムのサンドイッチをほおばるシーンが今も忘れられない。
このハムサンドは日本のコンビニで売られている、
チンケな三角サンドなんかじゃありませんゾ。
長いバゲットに無造作にハムがはさみ込まれたヤツで
いかにもフランス的だった。

ハム(ジャンボン)そのものだって
今流行りの生ハム(ジャンボン・クリュ)なんかじゃない。
ごくフツーなんだが、正統派のソレだった。
いや、実にカッコよかったなァ。
初めてパリを訪れた19歳のJ.C.は
さっそくコイツをいただいたが、とても味わい深いものでありました。

つい、数年前のこと。
未観だったオードリー・ヘップバーンのデビュー作、
「初恋」がひかりTVでオンエアされた。
歓んで観ていると、くだんのレジャニーが
真面目な青年役で登場してきたじゃないの。
意表を衝かれてしまい、危うくカウチから転がり落ちそうになった。

彼の本業はもちろん俳優ながら
シャンソン歌手としても高い評価を得ている。
大御所のイヴ・モンタン、あるいは中御所のジャック・ブレル、
彼らを引き合いに出すまでもなく、
フランス映画界には歌唱力に長けた名優が相当数いる。
日本なら鶴田浩二・石原裕次郎・小林旭といったところでしょう。

えっ、アラン・ドロンは? ってか?
お生憎さま、ドロンは駄目だネ。
先述した「冒険者たち」にまつわる曲を歌ってはいるが・・・
と、ここまで来て以下は次話です。

=つづく=

2015年7月7日火曜日

第1136話 偶然の澄ましバター (その6)

鍋の湯を沸かすためのガス火をつけっ放しにしたために
偶然に発生した澄ましバター。
おかげで話題がはるか昔のロンドンに飛んでいる。

こちらもまた偶然に同じ町の住民と判明したマドモアゼルMichelleと
恋仲になるのにさほど時間を要しなかった。
彼女から教わって
のちのちわが人生に多大な影響を及ぼすこととなった重要なものは二つ。

第一にフランス煙草である。
当時、こちらはイギリス煙草のロスマンズやシルクカットを喫していたが
あちらはジタンかゴロワーズ。

 ♪  いつか忘れていった こんなジタンの空箱 ♪

庄野真代の「飛んでイスタンブール」の冒頭に登場するあのジタンだ。
エジプト葉を使用するジタン、ゴロワーズは
紙巻なのに葉巻に限りなく近い。
慣れるとヤミつきになって、元には戻れない。

第二はフランス音楽である。
彼女の部屋にあったシャンソンやフレンチポップスにはハマりましたネ。
中でも今話題のギリシャから逃れてきた、
ジョルジュ・ムスタキの手になる1曲は生涯忘れ得ない。

曲名は「マ・リベルテ(僕の自由)」。
殊に心動かされた歌詞は2番のラストだ。

 ♪   J'ai change de pays
   J'ai perdu mes amis
   Pour gagner ta confiance ♪


訳してみると、

生まれた国を捨て、多くの友を失ったのも
すべてキミ(自由)の信頼に応えるためサ。

ということになる。

国を捨て、縄張りを捨て・・・
何だか赤城山における国定忠治の名ゼリフを彷彿させるものがある。

往時のギリシャは残虐な軍事政権下。
国民のあいだに多くの悲劇が生まれていたのだ。
イヴ・モンタンが主役を演じた映画、
コスタ・ガブラス監督の「Z」にそのへんのことは詳しい。
ご興味のある方はDVDをご覧くだされ。

ところで、名曲「マ・ルベルテ」。
ロンドンで聴いたのはオリジナルのムスタキではなかった。
それでは誰が歌っていたのでしょう?

=つづく=

2015年7月6日月曜日

第1135話 偶然の澄ましバター (その5)

41年前の昔ばなしで恐縮至極。
読者の中には
「バカバカしくて読んでられんわ!」―
お嘆きの向きもおられよう。
まあ、そう言わんと、先にお進みくだされ。
 
その日が非番でどこかに遊びに行った帰りだったのか、
あるいは早番で上がり、真っ直ぐ帰宅の途に着いたのか、
忘却のはるか彼方ながら
とにかく明るいうちにパーソンズ・グリーンの駅に帰着。
マイ・フラットのあるラディポール・ロードへは徒歩3分の距離だ。
 
明るいうちといっても6月のロンドンは21時を回ってなお明るい。
年間を通してベスト・シーズンにつき、
地元民、異邦人を問わず、誰もが6月を心から愛している。
よって、6月生まれのJ.C.は生まれ月に誇りを持っていた。
そう、ジューン・ブライドならぬ、ジューン・プライドでありますな。
 
エニウェイ、改札を出たところでバッタリMichelleと出会った。
もっともこの時点では互いの名前すら知らなかったがネ。
訊けば、彼女もこの町に棲んでいるというではないか。
へェ~ッ、そうかい、ここは君住む町だったのかい。
 
自分がもし関西人だったら
「茶ァ~でも飲まへんかァ?」―
軽いノリで誘ったことだろう。
しかし、長野生まれの信州人にかようなマネはできない。
できないけれど、小学校に入学する前から東京に暮らした身。
おおかたの信州人よりオンナの扱いにはたけている。
 
ただ、ロンドンといえども
市のはずれの小駅にキッチャ店なんかあるハズもない。
ないけれど、そこは霧の都、大都市ロンドン、
どこに行こうが、あちらこちらにパブがある。
 
「Let's have a drink or two ?」―
ヘヘッ、われながらスマートに誘ったもんだ。
5分後にはハーフパイント・オブ・ラガーのジョッキを合わせていた。
ちなみにロンドンというか、イングランドのパブにおいては
日本のビールにもっとも近いのがラガー。
軽い順から
ラガー→ブラウンエール→ペールエール→ビター→スタウトと
相成ってゆく。
日本でもなじみのギネスがスタウトだ。
 
飲み始めたら、a drink or two どころではなかった。
互いに5杯は空けただろうか?
話題は映画・音楽・小説・料理に及び、
数時間を過ごしたのち、再会を約して別れたのであった。
 
=つづく=

2015年7月3日金曜日

第1134話 偶然の澄ましバター (その4)

作詞家・横井弘の手掛けた歌謡曲を聴きながら
自宅の厨房に立っている。
彼が多くの詞を提供した三橋美智也のCDが見当たらない。
確か、1枚あったハズだがなァ・・・。

ガムテープで封印された段ボールを
押入れの奥から引きずり出して開いた。
中には何年も聴いていないカセットテープがビッシリ詰まっている。
幸いにもすぐに三橋のアルバムを見つけることができた。
最初にかけたのは

 ♪   わらにまみれてヨー  育てた栗毛
   今日は買われてヨー  町へ行く
    オーラ オーラ 達者でな   ♪

大切に育てた愛馬との別れを綴った「達者でナ」。
ユニークな詞であり、曲である。

おっと、マカロニサラダだ。
湯を沸かし直したかいあって大変美味しく出来上がった。
ハムがなくともノー・プロブレム。
ちょいと多めの新玉ねぎに
下ごしらえの塩もみをキチンと施したきゅうりが功を奏している。
仕上げに少しばかり散らしたフレッシュ・ミントもよいアクセントになった。
旨いぞなもし、たまらんぞなもし。

さて、さて、ブール・クラリフィネの匂いで
頭の中は40年前に飛んだのだった。
正しくは1974年夏、そのときJ.C.はロンドンにいた。
同じバターの匂いを嗅いだのは
ちょうど現在のようにテニスの全英、
ウィンブルドンが開催されている間のことだった。

市内を走るチューブ(地下鉄)、ディストリクト・ラインの終点、
ウィンブルドン駅の2つ手前だったかな?
パーソンズ・グリーンという町に棲んでいた。

当時のGFはパリ近郊、サヴィニー出身のMichelle。
父親はイタリア系だが母親はフランス人、
彼女の国籍もフランスだった。
ただし、苗字は父方のGottiだったと記憶している。

ロンドン市内の南西部にグロスター・ロードという地下鉄駅がある。
近くにウエスト・ロンドン・エア・ターミナルが控えているため、
比較的乗降客の多い駅だった。
東京ならさしずめT‐CAT(箱崎)だネ。

若かりしJ.C.はその駅前のハンバーガー・レストランで
ウエイターの職についていたのサ。
Michelleは店の常連とまではいかないが
ときどき顔を見せる留学生だった。

ある夕べ・・・。
と、ここまで綴って、以下は次話。

=つづく=

2015年7月2日木曜日

第1133話 偶然の澄ましバター (その3)

鳥取沖で捕獲された生本まぐろを
静岡産の生本わさびとともに堪能している。
肉割れの赤身は期待通りの美味で応えてくれている。
自室に流れるBGMは倍賞千恵子だ。

 ♪   何も言わないで ちょうだい
   黙ってただ 踊りましょう
   だってさよならは つらい  
   ダンスの後に してね  ♪
      (作詞:横井弘)

「さよならはダンスの後に」、好きだなァ。

CDを倍賞千恵子からザ・ピーナッツにチェンジ。
「心の窓にともし灯を」を聴き始めた。
彼女らのナンバーでは好みじゃないけれど、
今宵の主役は歌手ではなく作詞家、このまま聴き続ける。

この曲は行きつけの浅草のスナックのママの持ち歌。
そんなことを思い出しながらの日本酒は2杯目になった。
何だかかったるくなっちゃったぜ。
キッチンに立つのが億劫である。
それでもマカロニサラダだけは作らねば―。

大きめの鍋に水を張って火にかけた。
そうしておいての清酒・ねのひは3杯目。
すでに曲は横井サンの作詞ではないが
ハーモニーに優れたピーナッツの歌声が耳にやさしい。

けっこうな時間が経過したのち、われに返った。
あわててキッチンに戻ると、
ありゃりゃ、鍋の湯が蒸発して半減しちゃってら。
こいつはアカン、水道水を補給した。

ふと、ガスレンジの脇に目をやると、
そばに置いたポットのバターが溶けてしまい、
液状化の憂き目を見ているではないの。
上半分がいわゆる済ましバター状態になっている。

直火ではない間接的な熱のせいで
湯煎と同じ状況下に置かれたんだネ。
フランス料理界ではこれをブール・クラリフィネと呼ぶ。
クリアなバターという意味だ。

キッチンに澄ましバターの香りが立ち込めている。
偶然とはいえ、よてもいい匂いだ。
ここでわが想いは突然40年前にぶっ飛んだ。
これについては後述するとして
熱湯にマカロニを投入するJ.C.であった。

=つづく=

2015年7月1日水曜日

第1132話 偶然の澄ましバター (その2)

根津の赤札堂に到着。
鮮魚売り場に直行する。
ややっ、本日はまぐろの特売日であるらしかった。
かなりの数のパックが並べられている。

本まぐろの大き目なサクが赤身で600円。
安い!
中とろだと800円になる。
これまた安い!
ともに一人では食べきれぬほどの量があった。

まずは産地をチェック、これは重要。
おやまあ、なんと珍しい、鳥取県ときたもんだ。
鳥取というからには境港に水揚げされたものだろう。
今の時期は日本海の夏まぐろが美味しい。

玄界灘から山陰沖を経て能登半島から佐渡島へと彼らは進む。
世に名高い下北・大間のまぐろが大年増なら
佐渡のそれは処女である。
脂のノリは少ないが、さわやかな涼気が魅力なのだ。

20個ほどあったろうか・・・、赤身のパックに目を凝らす。
サカナの目利きはそれなりに培ってきたから
良し悪しの判断には自信を持っている。
まぐろの赤身は見た目きめ細やかなものよりも
表面に人間でいうところのストレッチマーク、
いわゆる肉割れが生じているほうが好ましい。

理想的なサクを一つ選び、お次は山芋だ。
こちらは青森産長芋の小さな真空パックが150円と値ごろ。
これで山かけの材料は揃った。

あとはマカロニサラダである。
マカロニは自宅に買い置きがある。
トマト・きゅうり・玉ねぎ・パセリも冷蔵庫にバッチリ。
あとは玉子をゆでれば、それで済む。
ハムは切らしているが、なくてもまあいいや。

自宅へ戻り、サクを切り分ける。
「弁天山美家古寿司」四代目に倣い、
薄めのスライスをおよそ10切れ。
山かけ用のブツは8個。
こちらは生醤油と日本酒同割の下地に沈めてヅケにしておく。

刺身のほうは生わさびをすりおろしてビールとともにやる。
ほどよい酸味の若い本まぐろは
その本領を発揮して無条件で旨し。
山かけは常温の清酒・ねのひとともに味わう。
これまた、文句のつけようがないぞなもし。

=つづく=