2015年9月30日水曜日

第1197話 K嬢の里帰り (その3)

ここ20年来、都内有数の散歩コースとなった谷根千の一翼を担う根津。
その裏通りのバーに18年ぶりの再会を果たした男女が隣り同士。
よもやま話に花の咲かぬ道理がない。
”花咲か爺さん”と”華活け婆さん”が、席を同じくしたようなものである。

5席ほどしかない窓際のカウンターに2人だけだから
嬌声による迷惑を周りにまき散らすことはなかったが
もともとマシンガン・トークのK美クン、
五十路坂を越えてもその速射砲は衰えていなかった。
いや、マイッたぞなもし。

接客係が現れないのをよいことに一しきり口角泡を飛ばしたあと、
こちらはワインを、相方はつまみを、それぞれ選ぶ作業に入った。
その結果、注文したのは
バルベーラ・ダスティ サッコ ’11年とフロマージュの盛合せ。

フロマージュって何だ?ってか?
いえ、単なるチーズのこと、ただし、フランス語であります。
ちなみにイタリア語だとフォルマッジォ。
スカしてんじゃねェヨ!ってか?これは失礼、
あいすみませぬ。

バルベーラは北イタリア・ピエモンテ州を代表する軽やかな赤ワイン。
同州産出のバローロがイタリアワインの王様、
バルバレスコが女王と呼ばれるのに対して
バルベーラは王子的な存在と言えなくもない。
比較的廉価で気軽に楽しめるところがよく、
マイ・フェイヴァリット・セパージュ(ブドウ品種)の一つだ。
案の定、K嬢の表情にも満足感が露わとなっている。

一方のフロマージュは6種盛りであった。
その内容は、コンテ、ミモレット、カマンベール、
ゴロゴンゾーラ、ブリヤ=サヴァラン、
あとの1種がどうしても思い出せない。

いずれもバルベーラとの相性がよろしい。
もっとも通常の赤ワインであれば、通常のフロマージュと、
それなりのコンビネーションの良さを発揮してくれる。
とりわけ「美味礼賛」の著者にして
政治家でもあったサヴァランの名を冠した、
ブリヤ=サヴァランがピッタリであった。

逆に感心しなかったのはミモレット。
今は昔、小泉&森の深夜の会談において酒のつまみになり、
一躍有名になったオレンジ色のチーズである。

それにしても2020年東京五輪に関する一連の不祥事の責任者、
森喜朗オリンピック組織委員長の厚顔無恥ぶりはどうだ!
真っ先に表舞台から追放されるべき元凶が
いまだに生き残るどころか、ふんぞり返っていつ言語道断の醜態。
誰が猫に鈴をつけるのか、あきれ果てながらも注視している。

グチるのはよそう、せっかくの再会じゃないか。
とまれ、その夜はワインとチーズだけのささやかな宴でも
旧交を温めるにじゅうぶんな楽しいひとときでありました。

=おしまい=

「TAMAYA」
 東京都文京区根津1-1-6 2&3F
 03-5834-8771

2015年9月29日火曜日

第1196話 K嬢の里帰り (その2)

そうしてこうして3人による「旧交温め会」の設定に入ったワケだ。
ところが日程が合わない、合わない、合いません。
K嬢にとっては短い一時帰国の間だし、
娘さんを同行しているので
自由になる時間がなかなか見つからないらしい。

とうとう、今回は見送りという段になったのだったが
ある夕、
「明日、NYKに戻りますが、今晩、お時間取れませんか?」―
かくなるメールがK嬢より来信した。

何でも文京区・根津の実家に滞在しているそうだ。
根津はわが縄張り、その夜の予定を早めに切り上げて
20時過ぎには根津の交差点に帰着。
スーパー・赤札堂の前で18年ぶりの再会を果たすことができた。

K美クンもすでに五十路に差し掛かっている。
他人(ひと)のことを言えた義理ではないが
往時は三十路の入口に立っていたのだ。
いや、実に隔世の感を禁じ得ない。

それでも歳よりは若く見えるし、面貌にさほどの衰えがあるでもなく、
何よりも中高年最大の難敵、肥満の兆候すら見とめられない。
普段から節制しているのだろう、立派なものである。

互いに食事を済ませているから行く先はバーだ。
根津という小さな町は
言問通りと不忍通りの交差点がその中心。
J.C.の提案は交差点の北東にあるブラジルチックなカフェバーだったが
K嬢が主張したのは南西のワインバーであった。

むろんのことに異論があるハズもなく、
ワイン商を兼ねる「TAMAYA」に向かった。
不忍通りの1本西にある裏道の2、3階がその店舗だ。
数年前にはこの場所で高級コリアンが営業していたが
業績不振に苦しんでいたのだろう、すでに撤退した。

「TAMAYA」は2階がワインバー、3階がレストラン。
食後とはいえ、オードヴルを2皿ほど注文してワインを開けるつもり、
3階に上がった。
上がったがフロアはすでに満席状態であった。
へぇ~っ、ビックリしたなもう!

年寄りばかりが目立つ根津は絶対人口が少ないリトルタウン。
根津神社のつつじ祭や例大祭でもない限り、人混みを見ることもなく、
飲食店にしたって、行列のできる今風の店などただの1軒としてない。
木造三階建ての串揚げ店、「はん亭」が唯一、
その集客力を誇る程度なのである。

仕方がないから今上った階段を、
今度は下って2階のバーへ戻る初老のカップルであった。

=つづく=

2015年9月28日月曜日

第1195話 K嬢の里帰り (その1)

またもやNYK時代の思い出話がらみにて
失礼サンにござんす。

彼の地に暮らした10年余り、
自分で言うのもなんだが、平日は実によく働いた。
ランチタイムは顧客とのパワーランチを除けば、
常にディーリング・ボードに張りついていたから
夜の帳(とばり)が落ちると、よく食べ、よく飲み歩いた。
もっとも8割方はパワーディナーだけどネ。

その合間を縫って週に1~2度は
雀卓をわが止まり木としたのであった。
これはあくまでもウイークデイのハナシで
ウイークエンド、殊に土曜は
午前中がゴルフ、午後は同じ面子で雀荘に直行だった。

行動をともにした3人は主として
グランドセントラル駅そばにあった和食店「C」の親方、T木サン。
イーストヴィレッジの居酒屋オーナー、T山サン。
そして米系証券のディーラー、Y留クンである。

  ♪  土曜日は土曜日は いちばん
   あの人と遊びにも 行けるわ
      今夜だけ二人とも 大人で
    灯にさそわれて  踊るの
    帰りの時間も 気にしないで
    踊ろう踊ろう  明日は日曜
    あの人に少しだけ お酒を
    飲まされて 幸せな土曜日 ♪
       (作詞:岩谷時子)

ピンキーとキラーズが歌った「土曜日は一番」のように
本来は恋人と過ごすべき土曜日。
かなりの年齢差があるオトコばかりが4人揃って
一体全体、何してんだか。

でも、今思うと1960年代は土曜日が一番だったんだねェ。
それがいつの間にか”華金”に移り、
挙句は”華木”だもん。
いや、実に隔世の感あり、とはこのことである。

J.C.が帰国してからあまり時を経ずして
Y留クンは早逝してしまった。
しまったが、彼の部下にT川クンという往時の青年、
今はオヤジの仲間入りがいて、ときどき卓を囲んでいる。

そのT川からメールが舞い込んだのはひと月余り前。
彼のの同僚だったK嬢が一時帰国して来るので
ついてはJ.C.と旧交を温めたいというのがその趣旨。
K嬢はK美クンといい、何度か飲みに行ったことがあった。
もう18年も以前のハナシだけどネ。

ここのところ、旧交を温めてばかりだが、
いいでしょう、いいでしょう、
楽しい一夜を過ごしましょう、ということに相成った。

=つづく=

2015年9月25日金曜日

第1194話 鰊と鯨と穴子と数の子 (その4)

浅草・すし屋横丁の「三岩」では鍋で清酒を飲むのが常だった。
それも鍋を”囲む”というのではない。
いつも独りか二人だから、”突つく”というのが当たっている。

このシーズンに鍋物は出さないので
あらためて品書きを吟味すると、
そのヴァリエーションは意外にも限定的だ。
小品はべつとして目立ったところでは
天ぷら・フライ、それに生モノはまぐろのみである。

ふ~む、記憶をたどると、
この店の天ぷらはかなりのレベルだったことを思い出した。
T栄サンも天ぷらは大好きなハズ。
異論はあるまい。
そこで穴子の天ぷらを1人前お願いしてみた。

5分少々で到着したアナゴ君は
ごま油の香り薫るいかにも下町的、
いいえ、浅草的な天ぷらであった。
上・下2片で丸1尾ぶんをさらに4片に分け、
互いに上半身と下半身を味わえるようにする。

いや、マイッたぞなもし。
何にマイッたんだ!ってか?
その旨さにでございますヨ。
浅草三大天ぷらの「A」、「S」、「D」をはるかに超えている。
穴子本体の質もさることながら、揚げ上がり、
殊にチリチリと素材にまとわりついたコロモがすばらしい。

穴子に先制パンチを見舞われたわれら二人。
海老だのイカだのあるなか、今度は盛合せを追加したのだった。
登場したのは、海老・キス・イカに青唐である。
穴子ほどではないにせよ、これらもすべて合格点。
これは冬場にも頼まなきゃいけないネ。
鍋を差し置いても注文しなけりゃならないネ。

それから数週間後、同じ店で、
これまた同じ二人を見ることができた。
何のこたあない、別件でやり取りしているあいだに
どちらからともなく、
「あの穴子、また食べたいなァ」―と相成ったのであった。
いや、好きだネ、われわれも―。

ビールと同時にアナゴ君をお願いした。
そうしておいて他品の物色に入る。
当夜は、にしん酢をパス。
代わりというのではないが、数の子に目をつけた。
これも以前に試しており、
取りあえずの一品として重宝するのだ。
案の定、数の子は細身ながらもわれらの期待に応えてくれた。

例によってデンキブランに切り替える。
壁の品書きに”三岩のおすすめ マグロフライ”を見とめ、追加した。
う~ん、悪くはないが、ごくフツー。
この店はフライではなく、やはり天ぷらでしょうヨ。

=おしまい=

「三岩」
 東京都台東区浅草1-8-4
 03-3844-8632

2015年9月24日木曜日

第1193話 鰊と鯨と穴子と数の子 (その3)

浅草すし屋通りの気に入り店、
「三岩」に旧友と差し向かいながら
必注品のにしん酢の仕上がりがいまひとつでマイッたぞなもし。
あらためて品書きを手に取り、思案をめぐらせる。
 
「あっ、そうだ!さらしくじらって食べたことある?」―訊ねると
「聞いたことはあるけど、それ、何だっけ?」―と、こうきたもんだ。
こりゃ、是が非でも食してもらわにゃなるまい。
しかもこういった小品はすぐに出てくるのがありがたい。
 
にしん酢同様にさらしくじらも
ほとんど絶滅状態となった今日この頃。
若い読者の中には、ご存じない向きもおられよう。
分厚いクジラの皮脂を熱湯で脂抜きし、
水に晒したものだが、通常は辛子酢味噌でいただく。
別名はオバイケ、それがなまってオバケとも―。
 
 変わったところでは浅草の「駒形どぜう」だ。
はとバス御用達の当店では小鍋仕立てを供する。
供するけれど、熱を通すとさらしくじらに
独特のクセが出てしまい、あまりオススメしない。
人気商品ともいえず、今でも品書きに載っているかどうか・・・。
しばらく訪れていないので判らない。

はたして「三岩」のクジラ君は
オーソドックスな辛子酢味噌を頭から掛けられて登場した。
経験上、白味噌が主流と承知しているが
ここでは赤味噌が使われている。
砂糖の甘みも他店より控えめだ。

一箸つけた相方は
「へぇ~っ、オツな味ですねェ」ーいたく気に入られたご様子。
「ハナシの種に一度は食べといて損はないでしょ?」―と、J.C.。
この辺りで瓶ビールからデンキブランに移行した二人である。

デンキブランは同じ浅草のランドマーク「神谷バー」が発祥の地。
ブランデーにジン、そこにワインやキュラソー等々を配合したものだが
一口すすっての第一感はイタリアン・ヴェルモットのそれだ。
チンザノやガンチアの赤を感じさせる。
したがってかなり甘口。
ただし、アルコール度は30度に達するから
調子に乗って”連杯”すると、あとで脚にくる。
殊に甘いもの好きな女性には危険な酒と言えなくもない。

ニシンとクジラだけではあまりにもの足りない。
メニューとにらめっこしていたJ.C.、ふと気がついた。
「三岩」に来るのは秋口から冬にかけてなんだと―。
いつもたらちりやかき鍋を突つきながら燗酒を飲んでいたのだ。
この時期ならほとんど「神谷バー」に直行だもんネ。

=つづく=

2015年9月23日水曜日

第1192話 鰊と鯨と穴子と数の子 (その2)

さて、笠戸丸の詳細である。

もともと、この船はイギリスのニューカッスルで建造された、
ロシアの貨客船・カザン号だった。
日露戦争の際、旅順港内で大破しているところを
日本海軍に戦利品として捕獲され、
笠戸丸とネイム・チェンジされたのだった。

日露戦争終結直後、船籍を東洋汽船に移され、
憧れのハワイ航路というわけでもあるまいが
日本からハワイへ多くの移民を運ぶことになる。
その翌年にはブラジルへもー。

あとはもう、イワシ工船だの、魚餌加工船だの、
さんざ、こき使われた挙句に昭和20年8月、
突如、宣戦布告してきたソ連に拿捕され、爆破され、沈没。
そのとき、船内には数名の病人が残されたままだっという。

ロシア船として誕生した笠戸丸。
その数奇の運命にトドメを刺したのが革命・ソ連という、
歴史の皮肉・惨酷、ここに極まれり。

 ♪  つらい話はよそう
  甘いくちづけしよう
  他人同士になる前に ♪
   (作詞:なかにし礼)

裕次郎の「サヨナラ横浜」。
いえネ、先週もわが愛するハマに行って来たんですがネ、
おっと、また横道にそれた。

ともかく、つらいハナシはよそう、
ハナシをエンコの「三岩」に戻そう。

そう、にしん酢であった。
東京の居酒屋からすっかり姿を消したメニューながら、
ドイツ風ビヤホールあたりなら、まだときどき見掛ける。
もっともニシンを好む民族はドイツよりスカンジナビア。
北欧ではとてもポピュラーなニシンの酢漬けなのだ。

そう、そう、笠戸丸を沈めたソ連、もとい、
今ではロシアか・・・彼の地ではウォッカの合いの手に
ニシンの酢漬け(セリョートカ)はこよなく愛されている。
北欧においてもニシンはやはり、
じゃが芋焼酎・アクアヴィットの友なのだ。

ところが、その夕のにしん酢には感心しなかった。
どこか生臭みが漂っている。
これではイケない。
T栄サンを伴ったJ.C.、少なからず狼狽の巻であった。

=つづく=

2015年9月22日火曜日

第1191話 鰊と鯨と穴子と数の子 (その1)

先月、お盆の真っ只中、浅草へ晩酌に出向いた。
観音さまの周囲の店でお盆休みをとるところはほとんどない。
訪問者には便利である。

通常、エンコ(浅草の隠語)では
浅草1丁目1番地の「神谷バー」か、
大川を吾妻橋で渡り、川向こうの「23 BANCHI CAFE」へ赴き、
冷えた生ビールを2~3杯空けてからヨソに移るのだが
その宵は、すし屋通りにある「三岩」に直行した。
相方は40年来の旧友・T栄サンである。

「三岩」は昭和の名残りが濃厚に漂う酒場。
俗にいう居酒屋とはまったく雰囲気が異なる。
寿司も天ぷらも、トンカツなんぞも出す、
いかにもエンコ的な食べ処にして飲み処といった風情。
好きなんだよねェ、こういう店舗がっ!

再会を祝してグラスを合わせ、簡単なつまみを注文しておく。
ここへ来ると、必ず頼むにしん酢、
たまあに頼むさらしくじらの2品だ。
あじ酢・小肌酢・たこ酢あたりにはしょっちゅう遭遇するものの、
北海道ならいざ知らず、東京でにしん酢は極めて珍しい。

 ♪ 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
  赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
  雪に埋もれた 番屋の隅で
  わたしゃ夜通し 飯を炊く
  あれからニシンは どこへ行ったやら
  破れた網は 問い刺し網か
  今じゃ浜辺で オンボロロ
  オンボロボロロー
  沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
  わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る ♪

           (作詞:なかにし礼)

にしんとなると、そこはもうほとんど条件反射。
脳裏をよぎるのは北原ミレイが歌った「石狩挽歌」である。
以前も当欄で紹介したが
言葉の錬金術師・なかにし礼の最高傑作がコレ。

歌詞の中にあって、意味難解な言葉の説明をしておこう。

筒袖
 つっぽはつつそでで、袂(たもと)のない筒型の和装労働着。
 ここでは赤い防寒着のこと。

やん衆
 一般にニシン漁に携わる漁師として解釈されるが
 本州(主に東北地方)から渡って来て
 雇われた流れ漁師の意味合いが強い。
 いわゆる季節労働者。

問い刺し網
 押し寄せたニシン(雄)の白子による海の白濁を確認する刺し網。

笠戸丸、この船については少々お時間拝借。
20世紀前半、およそ半世紀にわたって
実に誠に、数奇な運命をたどった、
日本の近代史を象徴する船舶である。

浅草へ飲みに来て、またまたハナシが大きく脇道にそれるが
いつもの悪いクセと思われて、ご看過くだされ。

=つづく=

2015年9月21日月曜日

第1190話 あの鮎をもう一度 (その2)

童謡「夏の思い出」で脚光を浴びた尾瀬には水芭蕉の花が咲く。
奥のほそ道に旅立つ前の松尾芭蕉は深川に庵を構えていた。
その深川は清澄庭園沿いに、和食店「天竜」はある。

夏がくれば、この店のことを思い出すのは
ひとえに若鮎の塩焼きが恋しくなるからだ。
これはNYKリユニオンのメンバーすべてに共通する思い。
ゆえに今夏もあの鮎をもう一度と相成ったわけである。

開宴時刻は常に19時。
みな現役ながらそれなりの役職に付いており、
退社時間は勝手気まま、したがって時間を持て余すことになる。
よって次回からは18時に繰り上げようと思っている。

その夜も18時40分に到着すると、
すでに2名の先着者がカウンターで飲み始めていた。
こちらも泡少な目の生ビールをほとんど一気飲みで追いかける。
珍しくも19時には全員揃い、めでたく乾杯となった。

さっそく前菜の四点盛りが各自の前に並んだ。
内容は、枝豆・うるか・稚鮎唐揚げ・川海苔アヴォカト和え。
こぞって夏の”涼”を舌先に運んでくれた。
ビール好きのJ.C.はまだグラスを重ねるつもり。
さしたる日本酒党ならずとも
冷酒に切り替えるメンバーのがはるかに多い。
さもありなん。
枝豆にはビールでも、うるかには清酒だよねェ。

続いて8種の刺身の盛合せ。
内容は、鮎・真鯛・真子がれい・甘海老・いたや貝・
するめいか・かつお・まぐろ中とろだった。
これを本わさびで味わい、まことにけっこう。

このあとに供されたのが本日の主役、鮎の塩焼きだ。
店名の「天竜」が示唆するごとく、
天竜川をさかのぼる道中に
不覚にも釣り上げられてしまった天然鮎である。
けして鮎マニアではないJ.C.が舌鼓をポンポンの巻。

稚鮎の天ぷら、酢の物をはさみ、締めは土鍋でで炊いた鮎めし。
これがまた旨いぞなもし。
晩酌どきは努めて炭水化物を避けているものの、当夜はベツ。
しっかりとお替わりをしてしまった。
もっともドンブリではなく、お茶碗ですけどネ。

次回は3ヶ月後に神楽坂の「新富寿司」に集結することを約し、
会はお開きとなった。
お開きとはなったが、飲み足りない呑ん兵衛が約3名。
近所の焼き鳥屋に河岸を移してクダを巻いてしまった。
深川だけに、夜は深いものがありましたとサ。

「天竜」
 東京都江東区清澄3-3-28
 03-3630-8850

2015年9月18日金曜日

第1189話 あの鮎をもう一度 (その1)

 視聴率調査で毎回、首位の座を争うラジオの人気番組が
「森本毅郎・スタンバイ!」(TBS)。
平日の朝、6:30~8:30の時間帯に生放送されている。

番組が始まったのは1990年4月。
番組の冒頭に”ウォール・ストリート情報”というのがあって
当時、ニューヨークに居たJ.C.は週に1度、生出演(電話)していた。
第1回から帰国する寸前の’97年9月まで
400回近く、日本へリポートを届けた記憶がある。

週一の出演というのは常時5人の出演者が
月・火・水・木・金曜を輪番制で担当していたため。
みなニューヨークの金融界に身を置くディーラーであった。

あれは確か6年前。
ふとしたことから往時のメンバーによる、
食事会開催のハナシが持ち上がる。
ほどなく神田神保町の寧波料理店「源来酒家」に
出演者(4名)、担当ディレクター(2名)の計6人が集まった。
以来、3~4ヶ月に1回、定期的な開催が続いている。
会の名称は”NYKリユニオン(同窓会)”。

メンバーが集まり易い都心の店を毎度選ぶのはJ.C.の仕事。
目先を変えるために料理ジャンルや開催場所に
ヴァリエーションをつけているが
5年も経てば自ずと馴染みの店が出て来る。

リピートして使っているのは今のところ3店舗。
神楽坂・本多横丁の「新富寿司」。
本郷・菊坂下の「海燕」。
ここはロシアン・レストランだ。
そして深川・清澄の和食店「天竜」である。

7月末だから・・・もうひと月半以上にもなるんだねェ。
深川の「天竜」に一同が終結した。
その間、池波翁の「銀座日記」をずっと連載しており、
紹介するヒマとてなかった。

とにかく夏がくれば思い出すのが「天竜」。

 ♪  夏がくれば 思い出す
  はるかな尾瀬 遠い空
  霧のなかに うかびくる
  やさしい影 野の小径
  水芭蕉の花が 咲いている
  夢見て咲いている 水のほとり
  石楠花色に たそがれる
  はるかな尾瀬 遠い空   ♪
     (作詞:江間章子)

栃木県・尾瀬沼を爆発的に全国に広めた、
同様の名曲、「夏の思い出」の一番である。

=つづく=

2015年9月17日木曜日

第1188話  はも鍋で旧交を温める (その2)

千駄木は団子坂の「にしきや」にいる。
キスの天ぷらを食べ終えた頃、
やっとこさ、刺盛りが到着して、やれやれ。

盛合せは3点。
かつお・いわし・白いかである。
夏の宵における酒の合いの手としては恰好の組合わせだ。
殊に白いかがよろしい。
ゲソの部分は軽くボイルされており、
このひとてまが食感の妙を構築してくれる。

かつおといわしもまずまず。
生の青背は好まぬJ.C.ながら、不満はまったくない。
かと言って大満足したわけでもない。

およそ20年前の記憶を紐解きながら語り合う話題はつきない。
思いおこせば、二夫婦でブロードウェイに出掛け、
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」を観劇したこともあった。

9・11の悲劇が勃発するずっと以前、ニューヨークは平和だった。
犯罪件数だって他国が非難するほど多くはなかった。
危ないエリアにさえ、足を踏み入れさえしなければ、
身に危険を感ずることもなかったハズだ。

かく言うJ.C.もジャズを聴くときは
日本からの観光客であふれる「ブルー・ノート」や
「ヴィレッジ・ヴァンガード」なんかに目もくれず、
もっぱらハーレムまでクルマを飛ばしたものだ。

刺身盛合せの残り半分は
新潟・南魚沼の銘酒・八海山とともに味わう。
冷酒である。
八海山は気に入りの銘柄ではないが
かつおの持つ酸味、つまりヘモグロビンとの相性はよかった。

いよいよ当店の夏の自慢メニュー、はも鍋である。
二人前注文しようとすると、女将だろうか、
まずは一人前を召し上がれとの的確なアドバイス。
結果としてそれでじゅうぶんだったから
くだらぬチェーン居酒屋の押っつけ商法との差を感じる。
ありがたし。

鍋はなかなかの味。
出汁で炊く、いわゆるすき鍋ながら
丁寧に骨切りされたはもは滋味たっぷり。
ポン酢でいただく、ちり鍋仕立てが好みであっても
これはこれでよい。

八海山のお替わりをして鍋のつゆを飲み干した。
現在の職を辞し、近々、新天地・名古屋に赴任する、
F田サンの行く末に幸多からんことを祈り、
再び乾杯してお開きとした。

「にしきや」
 東京都文京区千駄木3-34-7
 03-3828-0935

2015年9月16日水曜日

第1187話 はも鍋で旧交を温める (その1)

今年になってから
昔かかわりのあった方からレンラクをもらうことたびたび。
先方が下戸の場合は昼めしをともにし、
イケるクチだと酒を酌も交わすこととなる。

この夏も、とある米銀のディーラーだった、Y田サンと30年ぶりに会い、
浅草の「神谷バー」で盃の代わりに、ビヤジョッキを合わせた。
話題はもっぱら想い出話だが、それもまたよしである。

旧都市銀行のニューヨーク支店のディーラー、
F田サンからメールをもらったのも、つい最近だ。
ニューヨーク時代には
家族ぐるみのつき合いとまではいかぬものの、
互いの家を訪ね合ったりはしたのだ。

晩酌をともにするため、落ち合ったのは千駄木の「にしきや」。
日中、散策を楽しむ中高年カップルの姿絶えることなき谷根千ながら
気の利いた居酒屋の数はきわめて少ない。
ある意味、文京区の特質の表れと言えなくもない。
上野・浅草を擁する台東区との違いが歴然だ。
もっとも谷中自体は台東区なんだけどネ。

「にしきや」を訪れたのは3年ほど前。
出版社の編集者と女流作家の三人で飲んだ。
特筆する点はなくとも、
飲食メニューのバランスに秀でた佳店といった印象があり、
再会の舞台に決めたのだった。

キリンの生でスタートしたが
互いにビール好きにつき、珍しくも大ジョッキである。
突き出しに見映えのしない揚げシューマイが出てきたのには
ちょいとガッカリで、こりゃ外しちまったかな、
という懸念が頭をもたげる。

まあ、何とかなるだろうと注文したのが
刺身三種盛合せ、焼き鳥5本盛り、
それにキスの天ぷらだった。
当然、刺身が最初に運ばれると思いきや、
なぜか焼き鳥がスターターとなった。

塩焼きのもも肉・つくね・レバー・砂肝と、あと何か・・・
もう一つはすでに忘却の彼方である。
普段は都内各地の焼きとんを食べ歩いている身、
焼き鳥屋はあまり利用しないが当店のソレには魅力を感じない。
かと言って不満がつのるわけでもなく、これこれで了としよう。

お次はキス天である。
いったい、いつになったら刺身が整うのであろう。
まっ、キス天が上手に揚がっているから
気長に待つといたしましょう。

=つづく=

2015年9月15日火曜日

第1186話 家庭の味のネパール料理 (その2)

豊島区・巣鴨の夕まぐれ。
フレンチ・ワインバーの「プティ・ポワ」から
ネパール料理店「プルジャ・ダイニング」に移動する。

到着すると、すでにO野チャンが
サッポロ黒ラベルの生を飲みながら待っていた。
ほかの二人は仕事が長引き、遅れてやって来るという。
A子にいたっては名古屋からの出張帰りとのことである。
それほどの遅着ではなさそうなので三人はビールの飲み直しだ。

ほどなくフル・メンバーが揃い、食事会の始まり、はじまり。
初っ端のディッシュは、青バナナとジャックフルーツの炒めもの。
どちらもはるか昔に食べた記憶がある。

まず、青バナナ。
あれは1973年、東アフリカはウガンダの首都・カンパラだった。
クーデターを成功させたあと、独裁者・アミン将軍は
敷いていた鎖国政策を解いて外国人の入国を認める措置をとった。
その直後に同国を訪れたのだが
食堂で庶民が食べているのは一様に青バナナの煮込み。
郷に入ったら郷に従え、先人の教えに倣って食してみたものの、
けっして美味しいものではなかったネ。

ジャックフルーツは1984年頃、シンガポールで食べた。
地上最大の果実と呼ばれ、ドリアンに似たような形状と果肉を持つ。
ただし、ドリアンのように強烈な臭気を持ち合わせてはいない。
デザートというより、惣菜の素材として使われていたように思う。
これもまた、あまり旨くはなかった。

ネットの書き込みでは評判の高い「プルジャ・ダイニング」ながら、
青バナナ、ジャックフルーツともに
ハナシの種に一度でじゅうぶんといった感否めず。
しかしながら、これがネパールの家庭料理とは!
アフリカならいざ知らず、
アジアの民もさまざまな食物を日常、楽しんでいるんだねェ。

お次は羊と山羊のあぶり肉だ。
どちらも野性味に富んだ味わいである。
羊はおそらくオーストラリアかニュージーランド産であろう。
それでは山羊はどこからやって来たのか?
女主人に訊ねてみると、群馬産とのこと。
へえ~っ、群馬の山羊かいな。

ここでJ.C.、思わず膝ポン。
そうか、そうか、群馬の民謡に山羊節、もとい、
八木節ってのがあったっけ・・・。
いや、失礼!

締めには羊だか山羊だか判らんけれど、
もつ煮込みのカレーライスをいただき、定例会は終宴を迎える。
線路沿いに巣鴨駅方向へ戻り、
二次会はカラ館でカラオケと相成りました。

「プルジャ・ダイニング」
 東京都豊島区巣鴨1-36-6
 03-6912-1867

2015年9月14日月曜日

第1185話 家庭の味のネパール料理 (その1)

 3~4ヶ月に1度くらい顔を合わせ、会食を楽しむ仲間がある。
顔ぶれは、O野チャン・I田クンに、A子・Kるの両嬢だ。
二人とも”嬢”と呼ぶには少々、薹(とう)がたっているけれど、
ともになかなかの器量よしではある。

以前は幹事持ち回りで店を選んでいたが
ここ数回はその役をカレーの達人・O野チャンに任せっきり。
何せこの人、すでにクローズはしたものの、
横濱カレー・ミュージアムの元名誉館長の肩書を持っている。

向かうは巣鴨のネパール料理店、「プルジャ・ダイニング」。
JR山手線のほぼ線路沿いに店を構えている。
すると開催日の夕方、メンバーに向けて
Kる嬢から一通のメールが来信。
何でも仕事が早く終ったので時間に余裕のあるおヒマな方、
0次会はいかがでしょうか? というお誘いだった。

結局、快く応じたのはおヒマなJ.C.だけだった。
巣鴨に心当たりの店はおあり?の問いに
「巣鴨ときわ食堂」とワインバー「プティ・ポワ」の二択を提示すると、
彼女のチョイスは後者であった。
まっ、そりゃそうかも知れんわな。

一次会開宴の1時間前に「プティ・ポワ」で待合せた。
この店は何度かランチに訪れているし、
1週前の同じ金曜夜にも立ち寄った。
昼と夜を比べたら、どちらかといえば、昼に推したい店である。
その辺りのことは日をあらためて紹介したい。

アサヒ熟成の生で取りあえず乾杯。
スーパードライのほうが好みなれど、
瓶と違って生の場合はクセがさほど気にならない。
とにもかくにも暑い日のことだから
冷たい生ビールの美味しさは格別である。

あとに食事会が控えているとはいえ、
ワインバーでワインを飲まなきゃ、スタッフの面々に失礼だ。
よって生ビールをお替わりしたのち、
シチリアのシャルドネをワン・グラス。
ついでに何かつまみをと、白貝のワイン蒸しをお願いした。

白貝というのはその名の通り、
白粉(おしろい)を塗りたくったかのように真っ白な貝殻を持つ貝。
白粉を塗りたくったといっても、ときどき地下鉄の車内でも見掛ける、
二本脚の女狸(めだぬき)なんぞよりずっと可愛い容貌をしている。
平ぺったく薄いので、皿貝と呼ばれることもしばしばだ。
産地は主として北海道の太平洋側、それも浅い海である。

鮮度のせいだろうか、ワイン蒸しの仕上がりはイマイチだったが
シチリアの白ワインを飲み干して
一次会のネパール料理店にに向かう二人であった。

=つづく=

「プティ・ポワ」
 東京都豊島区巣鴨1-11-6
 03-3944-8508

2015年9月11日金曜日

第1184話 日暮れの里でたぐるそば(その4)

日暮里は御殿坂の日本そば店、
「川むら」の訪問から2週間ほど経った頃。
日暮れの里に再びJ.C.オカザワの姿を見ることができた。
ただし、同じ日暮里でも此度は西日暮里である。

おジャマしたのは「そば彩園 つるや」。
野暮ったい屋号が気になるものの、店構えはさほど悪くはなく、
以前から見知っていたことも手伝って、今回の初訪問と相成った。

先客は単身のオジさんが二人。
かたや晩飯、こなた晩酌の構図であった。
そこそこのキャパがある店につき、
個別のオジさん二人だけではどうしても寂しさがつきまとう。
まっ、それもよし。
何たって当方もオジさんだからネ。

さっそくサッポロの生ビールをお願いし、プッファー!の巻である。
突き出しには煮つけた大根が一切れ。
おでん屋でも大根はあえて頼まないから
別段、うれしくもなんともないけれど、
箸をつけてみると、意に反してなかなかのお味、
よい合いの手になってはくれた。

オーダーしたつまみは
そば味噌きゅうりと鶏もも肉のハーブバター焼きだったが
どちらもイマイチ、いやイマニの出来だった。
何となくおざなりで、食べ手にうったえてくるものがまるでない。
料理を得意としない主婦が作った家庭料理のレベルなのだ。

これでは先行き期待できないし、長居は無用と判断した。
日本酒に移行することもなく、
そば屋に来たのだからと、一応せいろだけはお願いしてみる。
まあ、一縷(いちる)の望みといったところだろうか。

案の定、肝心のそばもいただけなかった。
中太でやや平たいそれは予想通りに不出来。
仕方なく、たぐり終えてはみたが、これでは浮かぶ瀬とてない。
あらためて想い起こせば、
この店を見とめたのはかれこれ5年以上も前のこと。
そのとき、すんなり入店しなかったのは
それなりの理由があったためかもしれない。

さあ、これからどうしよう。
どこぞで飲み直すか、このまま帰宅の途につくか、
ぼんやりと考えた。
日暮れの里で途方に暮れる、
と、まではいかなかったが
おもてに出たら日はとっぷりと暮れていた。

こんなハズじゃなかったぜ。
不完全燃焼のままに
停めたタクシーの運チャンには
「上野広小路へ!」と告げたのでした。

=おしまい=

「そば彩園 つるや」
 東京都荒川区1\15\1
 03-3891-7099

2015年9月10日木曜日

第1183話 日暮れの里でたぐるそば (その3)

さて、日暮里の「川むら」である。
佐渡の銘酒、北雪に合わせてお願いしたのは
水なす以上に好物の桜海老かき揚げだ。
日本そば屋の品書きにコイツを見掛けたら最後、
看過すること能わず、どうしても注文する羽目に陥ってしまう。
たとえその日はせいろだけでサクッといく腹積もりだったとしても
そうなるから厄介きわまりない。 

桜チャンが揚がるまで、さわやかな冷酒を楽しむ。
その間しばらくあって、くだんのカップルに運ばれたのは
1杯の生ビールと1枚のざるそばだけであった。

いやあ、苦肉の策だったんだねェ、
入店して着席し、英語のメニューまでもらった以上、
そのまま立ち去ることができなかったんだなァ。
その気持ち、よお~く判り申す。
何せ若い頃には似たような体験を何度もしているからネ。

またまた思い出ばなしで恐縮ながら、そのうちの一つを振り返る。
ときは44年前の1971年5月。
ところは音楽の都・ウィーン。
中央駅の構内だったか、あるいはその隣りの建物だったか、
記憶は定かでないが、とにかく大きなビルの2階であった。

貧乏な若者にとって場違いなほど立派なレストランに入ってしまった。
その日の夜にはウィーン発の列車で
チェコのプラハ、ポーランドのワルシャワを通り抜け、
ロシア(当時はソ連)のモスクワに数日滞在し、
ハバロフスク、ナホトカ経由で帰国する手はず。
経費はすべて事前に払い込んでいるため、
横浜までのあいだ、それほど金が掛かることもない。

そんな事情に加えて、少々高級なレストランといえども
ビールとサラダくらいにおさめておけば、
大した金額になるまいと踏んだのであった。
ところが甘かったネ。
19歳の少年の考えはまったく甘かった。
世間知らずというほかはない。

登場したのは洗面器ほどのプラッターに盛り込まれた、
豪華絢爛たる特製サラダでありましたとサ。
まるでエカテリーナ妃か
マリー・アントワネットがいただくようなヤツじゃんか。
当然、勘定書きはジャンプ・アップして想像を軽く超え、
頭の中をシラケ鳥が翔んでいった。

ハナシはウィーンから日暮里に舞い戻る。
一杯のかけそばならぬ、一枚のざるそばを分け合った、
外人カップル(おそらくフランス人だなアレは)の背中を見送りながら
こちらは北雪を飲み干した。

締めくくりは一杯のかけそば。
そこに半分残しておいた桜チャンのかき揚げをドボンと落とし、
実に美味しくいただいたのでありました。

=つづく=

「川むら」
 東京都荒川区西日暮里3-2-1
 03-3821-0737

2015年9月9日水曜日

第1182話 日暮れの里でたぐるそば (その2)

日暮里は御殿坂の「川むら」にいる。
好物の水なすに箸を運びながらも
気になったのは1組のカップルだった。

おそらく店の性格を知らずに飛び込んでしまったのだろう。
二人の表情には困惑の色がありあり。
世間知らずの馬鹿者、もとい、若者でもなく、
ましてや修学旅行の学生でもない。
それは外国人のカップルであった。
歳のころは二十代半ばすぎであろうか・・・。

なかなか注文の品が決まらない。
どうやら英語のメニューを手にしているようだが
どうにも踏ん切りがつかない様子だ。
店側にもそれとなく二人を放置している空気が読み取れた。
こちらのほうがやきもきするヨ、まったく。

はは~ん、これはいかにも日本的、
かつ庶民的な店構えに惹かれて入店はしたものの、
品書きはちんぷんかんぷんだし、
それにもまして割高な値付けに当惑しているのではなかろうか。
そう、「川むら」は町場のそば屋よりはるかに高価なのだ。

好奇心豊かにしてお節介、加えて出しゃばりな性格のJ.C.、
彼らの元に馳せ参じ、一助の功を差し伸べようと腰を浮かせた瞬間、
お運びのアンちゃんが彼らのテーブルに近づいた。
とにかく無事にオーダーが済み、ホッと胸をなでおろす。
安心した当方はここで日本酒に切り替えた。
銘柄は佐渡の北雪である。
清純な香りにスッキリとした飲み口がステキだ。

この酒を初めて飲んだのはマンハッタンの「Nobu」。
ロバート・デ・ニーロが出資してトライベッカに開店した、
ヌーヴェル・ジャポネのレストランだった。
節をくり抜いた青竹に北雪を注ぎ、
氷を敷き詰めた木桶に差し込んで供する、
その演出には驚いたが、勘定書きには度胆を抜かれた。

そう、そう、「Nobu」といえば、こんなことがあった。
もう18年もの昔。
ある日曜日の午後に独り訪れてカウンターの端に陣取る。
隣り・・・といってもカウンターの端と端で
くの字型の隣り同士なのだが
その客の拡げて読む新聞がヤケにうっとうしい。

べつに文句をつけるほどじゃないので
迷惑な野郎だな・・・と思いつつも午後の独り酒を楽しんでいると、
一通り読み終えたヤッコさん、
おもむろに新聞をたたんで傍らに置いたネ。

見るともなし、ごく自然に横顔をうかがったJ.C.、
ビックラこいて椅子から滑り落ちそうになったじゃないか!
なんとその御仁、
映画俳優のデンゼル・ワシントンでありましたとサ。

=つづく=

2015年9月8日火曜日

第1181話 日暮れの里でたぐるそば (その1)

荒川区・日暮里。
この町の歴史は古い。
いにしえは新堀(にいぼり)と呼ばれていた。
赤穂浪士討入り(1702年)のおよそ四半世紀後、
享保の改革の頃には一日中過ごしていても
退屈しない町として”日暮らしの里”として江戸市民の人気を得る。
享保の改革となれば、
ときの将軍は例の暴れん坊、そう、徳川吉宗である。

JR日暮里駅のメイン改札口を西に出て
御殿坂を上ってゆくと、
ほどなく右手に月見寺の異名をとる本行寺。
往時、ここをたびたに訪れた俳人・小林一茶は

 青い田の 露をさかなに ひとり酒

酒飲みならではの句を詠んでいる。

門前をそのまま進むと、
界隈では一番人気の日本そば屋、「川むら」がある。
とある夕暮れに訪れた。
浅草からコミュニティ・バスのめぐりんに乗り、
谷中霊園前で下車し、霊園を横切って到着した。

御殿坂をもう2分ほどゆけば、
月見ならぬ夕陽見の名所、夕焼けだんだんが控えている。
階段下はプチ商店街の谷中ぎんざだ。
ここにやって来るための最寄り駅は前述の日暮里(荒川区)、
あるいは地下鉄千代田線・千駄木(文京区)のどちらか。
そして谷中自体は台東区だから、3区が入り乱れるエリアとなっている。

さて、そば店の「川むら」。
引き戸を引いて入店すると、
左右に食卓が並んでいるだけの実にベタなレイアウト。
にもかかわらず、いつも賑わっているのはどうしたわけだろう。
居心地がよいとはけっして思えない。
いや、むしろ悪いくらいだ。

食べる客と飲む客が半々か・・・むしろ酒を酌む向きが勝っていよう。
まるで町の大衆食堂とほとんど変わらぬ景色が広がっている。
気取らぬ雰囲気が気に染まっているのだろう、
かく言うJ.C.自身も訪問すること数回に及ぶのだ。

月曜日で苦もなく席を確保できると、
タカをくくっていたがとんでもない、空卓は1卓のみ。
やれやれ、アブナいところであった。
さっそく冷たいビール、そして合いの手に
水なすの刺身、青唐入りの玉子焼きを所望する。
この店の玉子焼きはもう1種、青海苔入りがあるが
ともにそば屋のつまみとしては気が利いている。
ヨソでは見掛けぬ一品につき、他店も倣ってほしい。

一息ついて店内を見回したところ、
場違いなカップルに目がとまった。

=つづく=

2015年9月7日月曜日

第1180話 池波翁の「銀座日記」 (その27)

1ヶ月以上に渡って読み進めてきた翁の「銀座日記」もいよいよ大詰め。
最終章、(舞台の鬼平)をつづける。。

去年の日記を読み返してみると、まだまだ元気で、
一日二食だが欠かさずに食べている。
そのかわりに、家人が重症の拒食症になってしまい、
(これでは、来年が持つまい)
と、おもっていたが、今年になって、私が同じ症状になってしまったのである。
拒食症というのも、辛いものだ。
やせおとろえて体力がなくなり、立ちあがるのにも息が切れる。
ま、仕方がない。
こんなところが順当なのだろう。
ベッドに入り、いま、いちばん食べたいものを考える。
考えてもおもい浮かばない。

この文章で、「銀座日記」は結ばれている。
池波正太郎の絶筆と断じてもよいのではないか。
亡くなったのは1990年5月3日未明、享年67歳。
病名は拒食症なんかではなく、急性白血病であった。
5年前の1985年には夏目雅子が同じ病気で亡くなっている。
女優の享年は27歳、若すぎる。

食欲がなくなったり、些細なことで息が切れたり、
たびたび転倒したり、これらはすべて病のせい。
好きだったビールがノドを通らず、
酒をほとんど飲めなくなってしまった。
そのワリに食べるほうは最晩年までなんとか継いでいけている。

長すぎたこのシリーズの締めくくりに
翁が好んで訪れた飲食店を地域別にリストアップしてみよう。

=銀座=
 楼蘭 煉瓦亭 新富寿司 みかわや 清月堂 凮月堂

=有楽町=
 やぶ 慶楽

=京橋=
 与志乃 ドゥ・ロアンヌ

=日本橋=
 野田岩 たいめいけん

=淡路町=
 まつや 竹むら

=神保町=
 揚子江菜館 松翁

=駿河台=
 てんぷら山の上 新北京

=築地=
 かつ平

=目黒=
 とんき

鮨・天ぷら・うなぎ・カツレツ・中華、
脂っこい食べものが大好きだったんですねェ。
それはそれとして
長いこと、おつき合いくださり、ありがとうございました。

=おしまい=

2015年9月4日金曜日

第1179話 池波翁の「銀座日記」 (その26)

「銀座日記」を読んでいて、気が滅入るのはこちらのほうである。
食欲が失せて目方が減り、心細さを嘆く翁が気の毒でならない。
(舞台の鬼平)を続ける。

一日中、ミゾレまじりの雨となる。
出るのをやめようとおもったが、
おもいきって、地下鉄で歌舞伎座の[鬼平犯科帳]を観に行く。
出てしまえば、さして寒くないのだ。
私が[鬼平ー狐火]の脚本を書いたのは、二十二年も前ののことで、
いうまでもなく、先代の幸四郎(白鸚)さんのテレビの鬼平が
大好評であったことから、東宝(当時、白鸚さんは東宝にいた)が
明治座の舞台にかけたのである。
いまの幸四郎、吉右衛門は盗賊の狐火兄弟を演じた。
今回は、八十助と歌昇が演じて、なかなか、よかった。

外へ出て、何を食べようか、と考える。
迷うことなく、[新富寿司]へ行った。
食べられるかどうかとおもったが、ぺろりと食べてしまう。
こういうときは握り鮨にかぎる。
[清月堂]でコーヒーをのんでから、[凮月堂]へ寄り、
アイスクリームとシャーベットを買って帰る。
あまりに疲れたので、タクシーを拾い、帰る。

そうですネ、食欲を失ったときはにぎり鮨にかぎりますネ。
何十年も以前、知り合いの幼女の入院先に
鮨の折詰をぶら下げて見舞ったことがあったが、折を開いた瞬間、
その子の瞳がパッと明るくなって輝いたのをよく覚えている。
その食味のみならず、見た目の美しさ、華やかさが
江戸前鮨の魅力なのだろう、いや、魔力と言いきってもよい。

よく友人・知人から、[凮月堂]の”凮”の字は
どうしてフツーの”風”の字じゃないの?
こう訊かれることがある。
答えは
”風”には”虫”の字が入っており、
お菓子の中に虫が入っちゃ、具合が悪いからである。

午後になって、少し足を鍛えようとおもい、地下鉄の駅まで行く。
往復四十分。
息が切れて、足が宙に浮いているようで、危なくて仕方がない。
いろいろな人から入院をすすめられているが、いまは入院ができない。
また、入院したところで結果はわかっている。
夜は、家人が所用で出かけたので、
鳥のそぼろ飯を弁当にしておいてもらい、食べる。
やはり、半分も食べられなかった。
今夜は[鬼平犯科帳]の最終回、九十分の長篇。
鬼平の[大川の隠居]と[流星]を一つにしたものだが、
脚本よろしく少しもダレなかった。
評判がよかったので、また三月から撮影をするらしい。

自宅やホテルの部屋で何度も転倒しているのに
40分の散歩は無謀きわまりない。
おそらくこれが人生最後の散歩だったと思われる。

=つづく=

2015年9月3日木曜日

第1178話 池波翁の「銀座日記」 (その25)

このシリーズも綴りに綴って、いよいよ(その25)まできてしまった。
しかし、まだ終わらない。
いましばらくのおつき合いをー。

(舞台の鬼平)

六十七歳の誕生日なり。
義姉と二人の姪が、鯛一尾を祝いに持って来てくれるというので、
第一食は、もりそばのみにしておく。
編集関係の新年挨拶が、そろそろ、やって来はじめる。
私は十二月に休んで、正月は元旦から仕事をする。
それをわきまえているので、新年は、編集者が、ほとんどあらわれない。
夕飯、姪が大きな鯛を持って来る。
第一食をひかえておいたので、旨かった。

一昨日から山の上ホテルへ来ている。
毎日、曇っていて寒い。
昨日は、天ぷらコーナーへ行き、
いろいろと食べたが、やはり食欲が出ない。
すっかり、やせてしまった。
仕事もせず、のんびりホテルに泊まっているように見えるが、
もう、そろそろホテルへ一人で泊まることも
むずかしくなってきたようにおもう。
二度も三度も、部屋の中で転倒する。
足がすべるのだ。

新潮社の相談役、佐藤俊夫氏が先月に亡くなり、
その葬儀が青山斎場でおこなわれる。
私は冠婚葬祭に出なくなってしまったが、きょうだけは別だ。
帰宅して、今夜は、手製のチャーシュウをつくらせる。
うまくいかなかったが、努めて食べる。
毎日のように体重が減っていくのが心細い。
今夜は二度も、書斎の中で転倒し、腰を打った。

ごく普通の室内生活をしていて
何度も転ぶようになってしまってはもうダメだ。
読んでいて余命いくばくもないことを感じてしまう。

きょうはコロムビアの試写があったので、
行くつもりだったが出そびれてしまう。
私の出不精は、いよいよ本格的なものになってきた。
何を食べても旨くない。
体重が減って、まことに心細い。

毎日、鬼平犯科帳を少しずつ書きすすめている。
気が滅入るばかりだ。
今月は歌舞伎座で吉右衛門が[鬼平]を演っているので、
ぜひとも行きたいとおもっている。
だが行けるか、どうか・・・。
それほど、私の外出嫌いは重症になってきている。

=つづく=

2015年9月2日水曜日

第1177話 池波翁の「銀座日記」 (その24)

引き続き(テレビづけの正月)

昨日、第一食は鳥南ばんを食べて、
久しぶりに山の上ホテルへ行く。
年末は数日、何処かへ行っていないと家の女たちが困る。
大掃除をするからだ。
夜テレビで、大岡政談[魔像]を、杉良太郎が演(や)る。
これを大河内伝次郎の主演で観たのは、
まだ私が小学生のころだった。

快晴の朝、ホテルに近いうどんや[M]へ行く。
きょうはあたたかい山かけそばにする。
それから散髪。
やはり行きつけの床屋がよい。
夜はホテル内の天ぷら。
昨日は、あまり食べられなかったが今夜は、
コースをほとんど食べられた。
突き出しの白魚をさっと煮たのがよかった。
これほどに食欲があると自分でも安心をする。

うどんや[M]は駿河台に近い猿楽町にある[松翁]のこと。
古くから行きつけた神田須田町(旧連雀町)の[まつや]ではない。
[松翁]はうどんも供するがメインは蕎麦だ。
「銀座百点」の読者には[松翁]を[まつや]と
取り違えている向きが相当数いるのではないか。
J.C.は蕎麦そのものも、店内の雰囲気も、[まつや]のほうがずっと好き。
数年前に失火で焼け、再建された近隣の[かんだやぶそば]よりもなお、
[まつや]を愛好している。

平成二年の元旦、快晴なり。
朝、入浴をする。
例年のごとく、雑煮とおせちの第一食。
夜は、亡師・長谷川伸の原作による[荒木又右エ門]を
テレビでやったので、二時間余もかかって全部観る。
原作は時代小説のドキュメントのおもむきをそなえた傑作だが、
テレビ化にあたって、これを忠実に構成化し、
すばらしい出来栄えとなった。
主演の仲代達矢以下、出演の人びと、いずれも気が入っていて、
ことに平幹二朗、緒方直人の河合父子が最後の別れをするシーンなどは、
両人とも、本当の泪が出たほどだった。
原作のちからだ。
吉右衛門の語りも荘重でよかった。

きょうもテレビを観る。
十二時間もかけての[宮本武蔵]つづいて[緋ぼたんのお竜]を観て、
一日、つぶれてしまう。
やはりテレビはクセになる。
つとめて観ないようにしてはいるのだが・・・。

テレビづけといっても商売柄か、
ご覧になっているのはもっぱら時代劇ばかり。
でも、その気持ちはよく判ります。

=つづく=

2015年9月1日火曜日

第1176話 池波翁の「銀座日記」 (その23)

さらに(体の精密検査)の稿。

昨日から、山の上ホテルへ泊まっている。
きょうは所用をすませてから、地下鉄で銀座へ出る。
先ず、試写で観なかった[ブラック・レイン]を、日劇プラザで観る。
日米の俳優と大阪ロケによるアメリカ映画。
いま人気上昇中のマイケル・ダグラスと、わが高倉健の共演である。
監督は[エイリアン1]のリドリー・スコット。
高倉健は十五年も前に、シドニー・ポラック監督で、
大物スター、ロバート・ミッチャムを向うにまわし、
任侠道に生きるやくざを演じた、というキャリアをもっている。
[ザ・ヤクザ]である。
映画は成功というわけにはまいらなかったが、高倉のやくざはよく、
いまだに、決闘シーンのあざやかさが目に残っている。

[ブラック・レイン]は1989年にニューヨークで観た。
確かに健サンと、これが遺作となった松田優作が
マイケル・ダグラス&アンディ・ガルシアを食っていた。
食ったどころか、優作はアンディをなぶり殺しにしちゃったもんネ。
この映画を観たニューヨーカーの同僚たちは異口同音、
優作の狂気じみた惨酷さを語ることしきりだった。

[ザ・ヤクザ]は1975年(もう40年も以前なんだ!)にロンドンで観た。
やくざのしきたりにのっとって、ミッチャムが小指をツメるシーンは
ロンドナーの失笑を買ってしまったけれど、
なかなかに楽しめる作品だった。
あちらの映画誌にも”ラストのエンカウンターは必見!”とあった。
何たって、健サンの見せどころは
「昭和残侠伝」に代表される”討入り”であろうヨ。
翁は”決闘”とおっしゃるが、アレは”決闘”じゃなくて”討入り”。
最後通牒とてなく、いきなり殴り込むんだからネ。

(テレビづけの正月)

毎朝、焼穴子を食べている。
きょうは午後になって、今年、死去した友人・井手雅人の次女、
和歌子ちゃんが訪ねて来る。
顔つきばかりか、しゃべり方まで、井手君そっくりだ。
夜は、けんちん汁に牛肉のすき焼き。
ともかく寒くて身うごきもならぬ。
炬燵へ入ったら最後、もう出られない。
それにカレイの煮付けと柚子切りそばで夕飯。

食欲が失せた、というわりにはかなり食べてますなァ。
第一、けんちん汁とすき焼きを同時に食べるかネ。
挙句はカレイの煮付けときたもんだ。
変わりそばの柚子切りで締めるのはヨシとして
どちらも甘辛醤油味のすき焼きとカレイの煮たのを
一緒に味わう突飛な技には唖然とする。
こんなマネは凡人にゃ出来っこないぜヨ。
びっくりしたなァ、もう!

=つづく=