2015年10月30日金曜日

第1219話 YOKOHAMA is Beautiful ! (その3)

  ♪  あなたのほかに 恋人は
   この世のはてまで あるものか
   小さな肩の ほくろさえ 
   唇ふれた 僕のもの
   せつない恋に 酔いしれた
   帰らぬ 月日よ
   星さえ消えて 星さえ消えて
   空には 雨がふる    ♪
      (作詞:岩谷時子)

1967年にリリースされた、
弾厚作(加山雄三)作曲「別れたあの人」の3番だ。
「ビューティフル・ヨコハマ」が大学一年なら
「別れたあの人」は高校一年のときだった。

この2年前「エレキの若大将」の主題歌として
大ヒットした「君といつまでも」と比べると、
注目度が低く、日陰に咲いたプチヒットてな感じ。
同年発表「二人だけの海」より売れなかったんじゃないかな。

さて、横浜は日本大通りに面した、
「別れたあの人」(アルテ・リーベ)にやって来た。
平日のランチタイムなら問題なかろうと予約はしなかった。
案の定、ゆったりとして気品に満ちた空間には
3組ほどの客たちが散在するのみである。

有閑マダムの大、いや、中グループ、
ママとも風の小グループ、
そして夫婦だろうか、初老のカップルだ。

ここはオーストリア料理店である。
横浜での食事を決めた際、相方から
「ちょっと素敵なお店をお願いネ」―かようなリクエスト。
大桟橋の入口にむか~しからある、
「スカンディア」と迷った末、こちらに白羽の矢を立てたのだ。
ちなみにあちらは北欧料理店である。

思いおこせば横浜大桟橋からソ連の客船、
ハバロフスク号に乗ってシベリアに渡り、
その後、ヨーロッパを周遊、というより放浪したのだった。
旅は北欧に始まり、最後に行き着いたのがオーストリア。
その二つの地域と国のレストランで迷ったのは
まっ、単なる偶然の産物ですけどネ。

オーストリア料理を初めて口にしたのは
そのときたどり着いた音楽の都・ウイーン。
ガイドブックを通して知り得た当地の料理は
ウインナー・シュニッツレル(仔牛のカツレツ)と
タッフェル・シュピッツ(牛肉の白ワイン煮)の二つだ。
なけなしのサイフをはたいて食したが
前者はまずまず、後者がイマイチだったかなァ。

当時の渡航者はそれぞれたった、
400ドル(14万4千円)しか国外に持ち出せず、
外貨は命の次に大切なものでした。
まさに隔世の感あり。

=つづく= 

2015年10月29日木曜日

第1218話 YOKOHAMA is Beautiful ! (その2)

あれは1970年。
ろくすっぽ大学に通わなかった一年生の心をとらえた流行歌は
ほとんどが女性歌手によるものだった。

ちなみにその年は
故・尾崎紀世彦が「また逢う日まで」でレコード大賞。
五木ひろしが「よこはま・たそがれ」、
小柳ルミ子が「わたしの城下町」で
それぞれ新人賞に輝く前年だった。

「 経験」・・・辺見マリ
「 手紙」・・・由紀さおり
「 京都の恋」・・・渚ゆう子

よかった、よかった、よかったねェ。
どれも好きで好きでもう、順位などつけようがない。
それぞれに思い出が詰まりすぎているのだ。
いちいちこだわりを持って解説に及ぶと
1曲につき1話は楽勝だから、まったくもってきりがないことになる。

そういえば一昨日、日本シリーズにおいて
ヤクルトの山田選手が3打席連続ホームランを放った。
45年前にミスター・ジャイアンツこと、
長嶋茂雄が2試合に渡って3連続を打ったのは
ちょうど「ビューティフル・ヨコハマ」が世に出た頃だった。
Yesterday When  I was Young.

ハナシを前に進めなければ―。
当ブログでもたびたび書いているから
読者の耳タコ覚悟でシツッこく、なおも記すが
J.C.は横浜の街が大好き。
愛していると言い切っても過言ではない。

何ヶ月ぶりだろう・・・そんな横浜に出向いた。
デートのお相手は同世代のM代サン。
器量イマイチなれど、気質はなかなかの半美人である。
正午にJR京浜東北線・関内の改札で待合せた。

結局は薬局、今年も最下位に沈んだ、
横浜DNAのホーム・スタジアムの脇を抜けて
行き着いたのは「アルテ・リーベ」。
日本では珍しいオーストリア料理店である。

独語のアルテ・リーベは英語ならオールド・ラヴァー。
いわゆる”昔の恋人”という意味。
”昔の恋人”では少々色気がないから
ここは加山雄三のマイ・フェイヴァリットソングを借用して
”別れたあの人”としておきたい。

=つづく=

2015年10月28日水曜日

第1217話 YOKOHAMA is Beautiful ! (その1)

 ♪  ヨコハマ ヨコハマ 素敵な男が
  ヨコハマ ヨコハマ いっぱいいるわ
  遊び上手な ミツオにサダオ
  話し上手な ジローにジョージ
  わたしの好きな あの人は
  ひとりで海を 見ているわ
  ラララ ララララ
  ビューティフルな お話しね

  ヨコハマ ヨコハマ 素敵な男が
  ヨコハマ ヨコハマ いっぱいいるわ
  それでも私 もう恋しない
  こころがとても みたされたのね
  あなたのために この髪だって
  黒く染めたの 安心してね
  ラララ ララララ
  ビューティフルな お話しね  ♪

       (作詞:橋本淳)

歌手・平山三紀となると、
いの一番に「真夏の出来事」を思い浮かべるファンが大多数だろう。
ふりがえってこの「ビューティフル・ヨコハマ」は彼女のデビュー曲、
1970年11月にリリースされた。
作曲はJ.C.がもっともリスペクトする筒美京平。
今、聴きながらコレを綴っているが、う~ん、実に名曲である。

上記の歌詞は1番と3番。
2番を割愛したのはウルサい読者から
「いいかげんにせい!」―
そう、言われかねませんからネ。

1・2・3番、すべての歌詞がチャーミングだが
殊に

  それでも私 もう恋しない
  こころがとても みたされたのね
  あなたのために この髪だって
  黒く染めたの 安心してね

この部分が大好き。
当時は好きなオトコを安心させるために
髪を黒く染めるオンナの子が生息してたんだねェ。
今の世の中じゃ、まったく考えられないヨ。

その頃のJ.C.は大学のキャンパスが
過激派学生に占拠されていたのをいいことに
もっぱら都内の某ホテルでアルバイトに励む毎日。
恋人も職場で出会ったR大の学生で二歳年上だった。

彼女が「ビューティフル・ヨコハマ」を口ずさんでいた、
記憶がおぼろげながらあるけれど、
この年のヒット曲で印象的だったのは・・・
以下、次話で。

=つづく=

2015年10月27日火曜日

第1216話 京成沿線を歩き続けて(その8)

かつては東京パレスなる一大歓楽郷が存在した小岩。
東京パレスのエントランスには”青春の殿堂”と記された、
門柱が老若のオトコたちを迎えていたが
その実は赤線地帯、というより、
赤線宿舎か赤線団地といった態を成していた。
大きなダンスホールまで擁していたのだ。

その小岩の「江戸政」ですだちハイを飲み干したあと、
いよいよ名代のコーヒーハイをいただく。
生まれて初めて飲むコーヒー酎ハイである。
底にはコーヒー豆が沈んでいる
 ♪ これでおよしよ
   そんなに強くないのに
   酔えば酔うほど 淋しくなってしまう
   涙ぐんで そっと時計をかくした
   女ごころ 痛いほどわかる
   指で包んだ まるいグラスの底にも
   残り少ない 夢がゆれている  ♪
       (作詞:山口洋子)

裕次郎のブランデーグラスの底には夢がゆれているが
J,Cの酎ハイグラスの底にはコーヒー豆が沈んでいる。
グビリツ。
ふーん、悪くないねエ。

ティータイムにはコーヒーより紅茶を好む身ながら
コーヒー酎ハイはなかなかけっこう。
これにヒントを得て今度は自宅で紅茶ハイでも作ってみるか。

再び壁を見上げてつまみの物色に入る。
入ったところで食指が動いたのは入豚(いりぶた)なる一品。
下町では時折り目にする簡単な料理だ。
豚の小間切れやバラ肉を玉ねぎとともに炒め、
ケチャップ味で仕上げるものだ。

通常は炒り豚の字が当てられる。
なぜかここでは入豚、初めて目にした。
さっそくオーダーしてみる。
オーソドックスにケチャップ味
浅草の「水口食堂」、十条の「天将」、
みなケチャップ仕上げで記憶をたどると、
大島(おおじま)の「ゑびす」だけが塩味だったかな?
そこそこ美味しくいただいてのお勘定は2500円でオツリがきた。

京成小岩へ歩き戻り、青砥の駅で京成押上線に乗り換え、
下車したのは浅草橋である。
久方ぶりに以前行き着けた「P」という小料理屋に立ち寄った。
まぐろの山かけでキリンの生と、蔵の師魂のオンザロックを。
これにて長かった本日の打ち止めであります。

=おしまい=

「江戸政」
 東京都江戸川区西小岩1-30-6
 03-3672-1035

2015年10月26日月曜日

第1215話 京成沿線を歩き続けて(その7)

小岩の「江戸政」で酎ハイを飲んでいる。
生の酢橘(すだち)をギュッと搾り込んださわやかなすだちハイだ。
実はここのオリジナル酎ハイはコーヒー豆入りのコーヒーハイ。
すだち、コーヒーともに1杯300円のお手頃価格がうれしい。
すだちのあとでコーヒーにいくつもりだが 
初っ端は柑橘(かんきつ)系をスカッと飲りたい。
 
そう言えば先述の中ジョッキ。
あまりの小ささに苦言を呈したものの、価格表を見たら350円だった。
この値段なら他店の小ジョッキ並みも当たり前、
通常の中ジョッキは500円が相場だもの。

さてさて、酎ハイの合いの手である。
カウンターに品書きがないから壁の札をチェック。
真っ先に目についたのが新香浅漬けだ。
新香は珍しくもなんともないが浅漬けには惹かれた。
ぬか漬けは浅漬けに限る。
というか、古漬けが苦手なんだよねェ。

プライスのことばかりで恐縮ながら
何とこの浅漬けは100円ポッキリ。
浅漬けを謳う以上、安くとも自家製だと思われる。
間違ってもたくあん2切れなんてことはあるまい。
期待もせずに注文に及んだ。

5分後、カウンターに感動で打ちふるえる、
というのはいささかオーバーとしても
心底びっくりしたJ.C.であった。
いや、恐れ入りました。
 正真正銘の浅漬け
おざなり感などまったくなく、
つややかに光り輝いている。
切り付け、盛り付けも申し分ナシである。

さっそくきゅうりを一切れ。
うむ、ウム、よいネ、いいネ。
お次はにんじんをまたいでかぶだ。
これもよし。

浅漬けたちはいずれもシャキシャキとして舌の上に爽快感を運んでくれた。
すだちハイのツレ合いとしてもバッチシである。
これが100円とはなァ。
価格破壊もいいところで
日本橋は「たいめいけん」のボルシチと酢油キャベツみたいに
客はみんながみんな注文するものと思いきや、そうでもない。

はは~ん、ぬか漬けを代表とする漬物類は好き嫌いがあるからネ。
殊に現代の若者の中にはまったく口にしない向きが少なくないという。
夏場のきゅうり・なす、冬場のかぶ・白菜、
酒の肴に飯のおかずにサイコーだと思うけどねェ。

=つづく=

2015年10月23日金曜日

第1214話 京成沿線を歩き続けて(その6)

江戸川区・小岩の居酒屋「江戸政」のカウンターにいる。
今、江戸川区・小岩と記してハタと思いあたった。
豊島区・大塚の酒亭「江戸一」は
それこそ江戸(東京)一番の秀にして麗なる名店だが
「江戸政」の”江戸”は東京ではなく江戸川区を指すのではないか!
おそらくそうであろうヨ。
”政”は店主の名前が政吉サンだったりして―。

おっとホンビノスであった。
この貝について語らねばならない。
タンカーや貨物船が目的地に寄港して任務を終えたあと、
母港に帰る際、積み込む荷がない場合は
船の重心が上がってしまいって不安定になる。
その状態を回避するため、
大量の海水を汲み上げて荷の代わりとするのだが
これをバラスト水と呼ぶ。

実はホンビノスのヤツ、
バラスト水に紛れ込んで太平洋横断を果たした。
ふるさとのイーストコーストからはるか遠く、
東京湾に打ち棄てられた仲間が繁殖して
市場に流通するほど数を増やしたってんだから
まことに大したヤツらよのぉ!
近年では大阪湾まで勢力を拡大しているらしい。

ここでことわっておくが
ホンビノスはけして大あさりなんかではない。
れっきとしたとしたはまぐりの仲間だ。

実はJ.C.、彼らとのつき合いは長いものがある。
初顔合わせは1987年、NYKに赴任した年。
あちらのオイスターバーはどこでも
生がきだけでなく、生はまぐりを食べさせるが
実に美味しいもので大きな驚きであった。
生のはまぐりを食べる習慣がに日本にはまったくないからネ。

サカナには小肌・すずき・ぶりなど、いわゆる出世魚が少なくない。
ホンビノスは言わば出世貝であり、
リトルネック→トップネック→チェリーストーン→チャウダークラムと
その名を変えてゆくものの、
一般にはリトルネックとチェリーストーンが認知されている。

ニューヨーク滞在時は別種と信じていたが
同種と知ったのはつい最近のこと。
それ以前はてっきり真がきと岩がきみたいなものだと思っていた。
好みの問題ながら食味はリトルネックのほうがはるかによい。
デリケートにして歯応え、舌ざわりもなめらかなのだ。
それこそ真がきと岩がきほどの差がある。

でもって「江戸政」の大あさりことホンビノス。
これはアカンかった。
熱が通り過ぎたせいでかなり硬かった。
他のつまみを物色しつつ、ビールから酎ハイに切り替えたのだった。

=つづく=

2015年10月22日木曜日

第1213話 京成沿線を歩き続けて(その5)

かつては文豪・永井荷風が好んで出没した小岩の町に独り。
居酒屋「江戸政」で小さめのジョッキを飲み干したところだ。
突き出しの野菜の煮ものがなかなかで
すぐに瓶ビールをお願いすると、

「エッ、もう飲んじゃったの?」―店主に驚かれたが
続けて
「そうだよねェ、待てないよねェ」―すまなそうな視線を送られた。
生だと少々待たせることになる。
客に気を使わせちまったなとリグレットしているのだ。
それには逆にこちらがすまないと思ってしまう。

生ビールは手間ヒマが掛かるというより、
いきなりドバドバ注げないから時間が掛かる。
立て混んだときには生より瓶のほうが店側にとってラクなのだ。

結局は薬局、冷蔵庫から大瓶を取り出したのはJ.C.自身。
もっともこういうのはちっとも苦にならない。
オヤジの人柄にもよるが、むしろ歓んでお手伝いしたくなる。

実の娘さんだろうか、接客係がようやく出勤してきた。
店主に気を使う素振りさえ見せないから
血がつながっているハズ、
雇われ人ではとてもこうはいかない。
これでオヤジさん、一息つけることとなった。

それではと売れ筋のメニューから
大あさりバターというのをを注文する。
あさりバター、あるいはあさりの酒蒸しを
めったにオーダーしない理由は味噌汁が一番だと思うからだ。
そう言えば、スパゲッティ・ヴォンゴレも久しく食べていないな。
最近、街のレストランをのぞき見ても
ヴォンゴレはひと頃の人気を失ったような気がする。

あまり時間を経ずに運ばれた大あさり。
ところがコイツが大きく外してくれた。
千葉県・内房から揚がるあさりは本来、良質なのに
コイツは古来から千葉に生息する”和あさり”ではなかった。

それでは何だろう。
10年近く前、突如、
町のスーパーにデビューしたホンビノス貝である。
もともとの生息地はアメリカの東海岸。
そう、ニューヨークやボストンの海域だ。

では誰が輸入したのだろう。
誰も輸入などしていない。
さすれば、貝が勝手に移動してきたのだろうか。
こんな遠距離を移動していたら、
到着前に貝の寿命が尽きちゃうヨ。
調べてみたらいとも不思議な事象が発覚したのであります。

=つづく=

2015年10月21日水曜日

第1212話 京成沿線を歩き続けて (その4)

 ♪  飲めば飲むほど うれしくて
  しらずしらずに はしご酒
  恋は小岩と へたなしゃれ
  酒の肴に ほすグラス
  よってっらしゃい よってらしゃい お兄さん ♪
           (作詞:ほぞのなな)

宇多田ヒカルのお母さん、
今は亡き藤圭子が歌った「はしご酒」。
いや、実に名曲でありましたなァ。

その小岩にやって来た。
 ♪ は~るばる来たぜ こ~いわ ♪
てな感じである。

小岩で一杯となれば真っ先に寄りたくなるのが
じゃが芋入りのもつ煮込みがユニークな「大竹」だ。
おそらく小岩でナンバーワンの酒場であろう。
ところが当日は未踏の店に狙いを絞っていた。

その名は「江戸政」。
”江戸”を冠した酒場となると、
どこをおいても大塚の「江戸一」を推さねばならぬ。
それほどの名舗だが
江戸川区・小岩の「江戸政」もまたすばらしいから
ぜひ一度お試しくだされと耳に届く声、少なからず、
よって遠征に及んだわけだ。

到着したのは16時半過ぎだったと思う。
入店すると目の前に4~5名が止まれるカウンター。
左手には卓数こそチェックできなかったが
小上がりのあるレイアウト。
17時前なのにそこそこ先客の影があった。

厨房には店主と思しき旦那が独り。
女将もいなけりゃバイトの若者もいない。
忙しさにほとんどてんやわんや状態だ。

「お手空きで生ビール!」―
お願いしたらば、包丁の手を止め、
オモテに出てきてサーバーから注いでくれた。
突き出しは蓮根・にんじん・しいたけ・竹の子が散在する筑前煮風。
これがチェーン居酒屋のようにおざなりでなく、
心のこもった佳品であった。

残念なのは中生としてはあまりに貧相なサイズのジョッキ。
他店の小生に等しい。
まっいいか、グビッとあおればすぐカラになる。
何せ長距離を歩いてきた身、ノドの渇きは相当だった。

手間ヒマ掛けさせては申し訳ないから瓶ビールを追加注文。
「エッ、もう飲んじゃったの?」―店主応えて
驚きの眼差しに見舞われたのでした。

=つづく=

2015年10月20日火曜日

第1211話 京成沿線を歩き続けて (その3)

堀切菖蒲園からお花茶屋を経て青砥に着いた。
駅名は青砥でも界隈の地番は青戸である。
さして大きな駅ではないし、駅周辺もどことなく寂しい。
ただ、上野から来る京成本線と、
地下鉄・都営浅草線が押上を経由し、
京成押上線として連結するので
その乗換駅としての役割は重要な駅だ。

青戸の町で迷いに迷った。
ここから高砂橋を渡って高砂へ出るか・・・、
押上方面に南下して立石へ向かうか・・・。

三船敏郎扮する「用心棒」の桑畑三十郎ならば、
棒っ切れを空に放り投げ、
地面に落ちた棒の指す方向に進むところ。
生憎、周りに棒っ切れなんぞあるワケもなく、
100%自己判断に頼らざるを得ない。

悩んだ結果、進路を北東に取って
20分ほどでなつかしい高砂駅前に到着。
40年以上前の1970年代前半、この町にはたびたび出没した。
駅前に「Tき」という小料理屋があり、
その店の若女将のファンでしたからネ。
アドマチック天国ならぬ、アバンチュール天国に
酔いしれていたわけだ。

まっ、それはそれとして
高砂で再び迷う。
ここからたった2駅だけの京成金町線が出ている。
 高砂―柴又―金町
ただそれだけ。

それだけだけど、
柴又のプラットフォームは日本全国津々浦々、
膨大な数のにっぽん人が何度も目にしているハズだ。
そう、寅さんシリーズの「男はつらいよ」でネ。

高砂で迷ったのは柴又へ上るか、
直進して小岩へ出るかである。
結論はすぐに出た。
夕暮れに柴又なんぞに出向いてもいいことは何もない。
そりゃ映画にも登場する「川千家」あたりで
鯉こくか鯉のあらいをつまみに一杯飲ることはできるが
ほかに晩酌客があろうハズもないし、
適当な時間に追い出されるのが関の山だろう。

よって目指したのは小岩の町だ。
本来ならここで藤圭子の「はしご酒」をご覧にいれるところなれど、
過去に何回か紹介しているから省く。

エッ? それでも聴きたいってか!
いいでしょう、いいでしょう、お聴かせしましょう。
ただし、明日ネ、See you tommorow !

=つづく=

2015年10月19日月曜日

第1210話 京成沿線を歩き続けて (その2)

カトリーヌ・スパークに対するカトリーヌ・ドヌーヴ。
ドヌーヴが映画ファンを魅了したのは
何といっても「シェルブールの雨傘」(1964年)だろう。
オペラのレチタティーヴォを取り入れた唱法に
開演直後はずいぶんとまどったが
ストーリーが進むうち、不思議なんだよねェ、
ほどなく違和感が払拭される。

ドヌーヴと比較してスパークの女優人生はまったく不幸。
B.Bのバルドーとタイマンを張ったC.Cこと、
カルディナーレにも似た魅惑的な瞳の持ち主なのに
だんだんスクリーンから遠ざかっていったのだった。

本題に戻る。
本郷図書館を出たあと、太陽の下を歩き始める。
団子坂を下り、よみせ通りを進み、
やなか銀座から夕焼けだんだんを上る。

日暮里のとある居酒屋で昼定食のかきフライを食べたが
あまりにヒドく、少々心に痛手を負った。
よって店名はパス。

やっちまったヨ、ホゾをかみつつ、
歩きついたのは京成線の新三河島。
コリアンタウンのJR三河島エリアは
焼肉屋などが軒を連ねてそれなりの繁華を誇るものの、
新三河島にはなんにもない。
こばと商店街なんてのが一応、あるにはあるけれど、
すでにさびれはてて興をそそられるものなど皆無であった。

ただ一つ気になったのは「エフ」という名の喫茶店。
店頭のメニューをチェックするふりをして店内を盗み見ると、
初老の夫婦が二人きりで切り盛りしている。

何となくいい感じ・・・こんな経営者たちなら
さぞかし真っ当なモノが出てくるのではないか、
そんな予感がした。
予感はしてもすでに昼食を終えているから
そのうちあらためて訪れよう・・・そう思ったことだった。

でもって歩き始めただヨ、京成沿線を隣りの町屋方面に向かってヨ。
ただ、町屋のあとが遠い。
尾竹橋で隅田川を渡り、千住桜木から元町、ようやく北千住に至る。
厳密にいうと、このルートは京成沿線ではない。
しかしながら、鉄道と徒歩では川を渡る際の橋が全然違う。
ここがアルキストのツラいところなのだ。

地図上ではずいぶん遠回りをして京成牛田を過ぎ、
堀切橋を越えて到着したのが堀切菖蒲園。
季節はずれの菖蒲園に用はない。
なおも前身あるのみだった。

=つづく=

2015年10月16日金曜日

第1209話 京成沿線を歩き続けて (その1)

その日は午前中から調べもののため、
千駄木・団子坂の本郷図書館へ。
1時間半ほど費やしたろうか・・・調査は無事終了。
表へ出ていきなりまぶしい日差しにさらされた。
どんなに暑くとも、どんより曇り、ましてや雨ザアザアよりよほどいい。

こういう強い日差しに見舞われると、
ときとして脳裏をよぎるのがこの曲。

 ♪ E gira e gira e vai. E non fermarti mai. ♪
  (エジレ・ジーレ・ヴァイ エノン・フェルマルティ・マイ)
                  (作詞:ルチアーノ・サルチェ)

カトリーヌ・スパーク主演の映画、
「太陽の下の18才」(1963年)の主題歌、
「サンライト・ツイスト」(原題:ゴーカート・ツイスト)である。
作曲は映画音楽の大御所、エンニオ・モリコーネ。
モリコーネというとマカロニ・ウエスタンが第一感ながら
2003年にはNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の音楽を担当した。

「サンライト・ツイスト」は軽快なリズムの中に哀感が練り込まれ、
往時、一世を風靡していたカンツォーネというより、
イタリアン・ポップスの名曲中の名曲と言い切れる。
歌ったのはジャンニ・モランディ。
1944年ボローニャ生まれの彼もまた18才だった。

「さすらいのギター」の小山ルミはじめ、
多くの、主として女性歌手がカバーしているが
もっとも印象に残っているのが梅木マリ。
といっても読者の95%はご存知あるまい。

1950年生まれで劇団ひまわり出身の彼女、
1960年代前半はちょっとしたプチ・アイドル的存在だった。
ある日曜日の夜、TVの「お笑い三人組}を観ていたら
出演していた彼女が突然歌い出したネ。
 ♪ 回れ回れ 赤いゴーカート ♪
と―。

梅木はその後、松平マリ子と芸名を変え、
そのまたその後、三木たかしと結婚(のちに離婚)して
芸能界を退いた。
言わずと知れた三木たかしは
あの大作曲家にして歌手・黛ジュンの実兄である。

好きな話題となるとドンドン羽目をハズしてゆくわが悪癖は健在なり。
ハズしついでにカトリーヌ・スパークにふってみよう。
当時、映画界には二人のカトリーヌが君臨していた。
もう一人はのちに世界的大スターとなったカトリーヌ・ドヌーヴだ。

=つづく=

2015年10月15日木曜日

第1208話 セブン・イレブンを食べる

だしぬけにコンビニ最大手のセブン・イレブンである。
このブログの前身、「食べる歓び」で
フランチャイズに課する理不尽なロイヤリティを
糾弾したのはかれこれ8年ほど前だったが
此度はそのラインナップを試食することになった。

今月末にロンドンへ転勤となるS村クンから誘いがあり、
彼のマンションで酒を酌み交わす破目に陥った。
どこか外で飲めばよいものを内飲みとはこれいかに?
詳細は記さぬが、まあそれなりの事情があったのだ。

何でもカミさんが北海道の実家に帰省中とあり、
つまみの造り手は不在。
よって、すべてコンビニ調達することを許されたし、
との打診が事前にあった。

不本意ながら、彼の手料理なんか食いたくもなく、
いやいや、ゴー!のサインを送ったのだった。
当方もオトコやもめの身、
コンビニの世話になる機会がたまにはあるゆえ、
渋々、了解した末のことである。

用意されていたのは実に15品目に及んでいた。
日付けが変わるまで痛飲したため、
忘れてしまったというか、箸をつけなかったものも多々あった。

記憶をたどると、うの花・ポテトサラダ・コールスロー・
小アジの南蛮漬け・サバ味噌煮・豚角煮・チーズ入りハンバーグ・
ロールキャベツ・ハムカツサンド・紅鮭と筋子のおにぎり・
みたらしだんご、などなどが思い出される。
まっこと、実によく取り揃えたものよのォ。

こちらは好きな銘柄のビールをロング缶で6本、
それにブルゴーニュの白と
ピエモンテの赤を1本づつy用意したのであった。

到着するやいなや飲み始めた。
意外だったのは、てっきり仕事に関する現在の悩みや
これからの不安を聴かされるものと覚悟していたのに
話題は音楽・文学に始まって
はては外国オンナとのHow to Sex にまで及んだのだった。
いや、マイッたぞなもし。

それはともかく。コンビニ食品の試食の結果だ。
もちろんすでに食したものが何品かあるなか、
ベストはうの花とみたらしだんごであった。

逆にイケなかったのはコールスローが筆頭。
キャベツの固い芯ばかりを細かくきざんだソレは
言わば廃物利用の最たるもの。
原価は果てしなくゼロに近いのではないか。
セブン・イレブンたるもの、
コールスローには柔らかい葉の部分を使用してもらいたい。
じゃないと、即刻スロー・アウェイしちまうぜ。

2015年10月14日水曜日

第1207話 王子で味わう ツブとブツ (その4)

ドンチャン騒ぎとまではいかないまでも、
グループ客が発する騒音はかなり耳ざわり。
それでも気を取り直して酒盃をか交わす。
清酒・白鷹は好きな銘柄である。

薄いのが4切れのかんぱち刺しは良質。
食べ応えはないが420円の良心的値付けは
”個食”に対応する方策の表れであろう。
これなら単身でも何品か重ねて注文できる。

実はJ.C.、刺身の盛合せというスタイルを好まない。
刺盛りとなれば、まぐろは必ず参加していようが
あとはすべて店任せ、
何が盛られてくるのか知れたものではない。
そこがイヤなのだ。
好きなものを好きなだけ、このことによって
酒と肴の連動性が生まれ、晩酌の楽しみが倍加してゆく。

かんぱちのもの足りなさを補うためにまぐろブツを追加。
以前に書いたが割烹でまぐろ刺しでも
居酒屋はまぐろブツが似つかわしい。
しかもいろんな部位が混じり合うから
食味のヴァリエーションを味わうことができる。

到着したブツにわれら二人、目を瞠った。
どう見てもブツではない
こりゃブツではなく中落ちだ。
ブツというのは読んで字のごとくブツ切りのこと。
間違っても中落ち、いわゆる掻き身ではないハズ。

一箸つけて互いに落胆。
もともと中落ちは好きじゃない。
いや、嫌いと言ったほうが当たっている。
デパ地下でにぎり鮨のパックを買うときも
中落ちを避けるようにしているくらいだ。

ん、北区・王子まで遠征してツブとブツかァ。
ツブはともかくブツにはハズされたぜ。
白鷹の生吟醸を飲み干し、八重壽の燗に移行する。

生モノはもうじゅうぶん。
当店一番人気のハムカツと、ついでにイカフライを所望した。
どちらもデジカメにおさめたののの、
見映えがしないのでアップは控える。

ほとんどパン粉のハムカツが捨てたものではない。
ハムよりコロモが主役を張っている。
人気の理由を納得しながら、楽しい飲み会がお開きとなった。

=おしまい=

「山田屋」
 東京都北区王子1-19-6
 03-3911-2652

2015年10月13日火曜日

第1206話 王子で味わう ツブとブツ (その3)

大衆酒場としては例外的にして
模範的に天井の高い、王子の「山田屋」にいる。
卓と卓との間隔も広めにとってあり、居心地がよい。

中ジョッキを飲み干したわれわれは
瓶ビールに切り替えることにした。
瓶も銘柄はキリンのみだが
こちらはラガーと一番搾りの2種類が用意されている。

ずっと以前は米国のバドワイザーにも似たクセが
気になって仕方がなかった一番搾りだが
いつの間にやら改善されて今はわりとスッキリ。
むしろ重たいラガーより飲み口がよろしい。
もっともこういうものは好みの問題だけどネ。

瓶ビールは大きな冷蔵庫まで客が勝手に取りにいく。
栓を抜くのもセルフだが周りに栓抜きがが見当たらない。
これは壁に備え付けのオープナーに
ボトルの頭を差し込んで王冠を外すタイプで
近頃、ほとんどヨソでは見掛けなくなった。
レトロな昭和の遺産と言えよう。

あじ酢、ツブ貝刺しと来て、お次はほたるいかの沖漬け。
淡白なつまみが続いたから
多少パンチの利いた塩辛い味を選んだわけだ。
となれば、欲しくなるのは日本酒だろう。

「山田屋」の品揃えは八重壽と白鷹。
小徳利は、八重壽が250円、白鷹青松が280円、黒松が310円。
300ml入りの生酒は、八重壽生貯蔵酒が410円、
白鷹吟醸生貯蔵酒が700円である。

八重壽は渋谷の「丸木屋酒店」で
白鷹は大塚の「江戸一」で
それぞれなじみがあるから安心して頼める。
清酒の出たとこ勝負はときとして大きくハズすリスクが伴うからネ。
相方・T栄サンの手前、見栄を張ったわけでもないが
ちょいとおごって白鷹の吟醸生を所望した。
ついでに本日のおすすめからかんぱち刺しも―。

入店時には空席のほうが多かったのに
押し寄せた呑ん兵衛たちで大方のテーブルが埋まった。
そばに10人ほどの団体客、それも世代の開きはあるものの、
オトコばっかりの野郎どもグループが陣を取った。
紅一点の存在すら見とめられない。

オスとメスとが真っ二つに分かれて行動する後進性を
いまだに維持している先進国は日本のほかに一国としてない。
恥ずるべし。

おまけに何の集まりか知らないが
呑むほどに酔うほどにやかましさが倍々アップのていたらく、
いや、マイッたぞなもし。

=つづく=

2015年10月12日月曜日

第1205話 王子で味わう ツブとブツ (その2)

北区・王子のランドマークともいえる「山田屋」にやって来た。
浅い時間ゆえ、心身ともに余裕でくつろいでいる。
キリンの中ジョッキをカチンと合わせ、
壁の品書きを互いに見上げた。

おおざっぱに紹介しておきましょう。

ハムカツ・メンチカツ  170円
冷や奴・湯豆冨・ほうれん草おひたし  180円
あじフライ・いかフライ・ほたるいか沖漬け
板わさ・しらすおろし・味噌おでんチーズ・
ウインナー・エシャレット・落花生・半熟玉子  250円
まぐろ刺し・ブツまぐろ・あじ酢・ツブ貝刺し  310円

一番安いハムカツがこの店の一番人気なのだろう。
客の半数以上が注文している、
半熟玉子というのも店の看板メニューで
コレは玉子の小鉢に日本そばが同居する景色、
アイデアはユニークながら、あまり旨いものではない。

ほかに本日のおすすめというのがある。
こちらは小さなボードにチョークで記されていた。
当日の7品目はかくの如し。

かんぱち刺し  420円
赤魚の粕漬け  330円
いわしの煮付け  250円
まぐろの目玉煮  420円
白身フライ  250円
揚げとうもろこし  250円
湯でアスパラ  250円

まぐろの目玉煮ねェ・・・、どうやらコイツが目玉商品らしい。
白身フライってのは、いったいどんなサカナかな?
おおかた冷凍輸入された深海魚であろうヨ。
まっ、値段が値段だけに、文句はありまっしぇん。

われわれが最初にお願いしたのはあじ酢。
十数年前になるだろうか・・・
初訪問の際にその旨さ、その安さに衝撃を受けて
以来、必注品目となったのだ。

続けてツブ貝刺しである。
破格の310円だから、ボリューム的に期待はできない。
案の定、つぶらなツブがやって来た。
つぶらなツブもまたよかろう
サイズは小柄だがモノ自体は悪くない。
少なくとも鮮度がきわめて高く、
”山椒は小粒でピリリと辛い”―
そんな文言が脳裏をかすめていったのでした。

=つづく=

2015年10月9日金曜日

第1204話 王子で味わう ツブとブツ (その1)

つい先日、東十条までテクテク歩いて行ったばかりなのに
此度はJR京浜東北線で一つ手前の王子を目指した。
もちろん徒歩でネ。

田端銀座のハズレにある、
「パンのかわむら」の食パンにはまってしまい、
再び購買に立ち寄ったあと、
行きがけの、もとい、帰りがけの駄賃にと、
またもや散歩を楽しんだのだった。

駒込駅から霜降銀座を一気に北上する。
この商店街は都内有数の面白さを誇っている。
鮮魚店・青果店・スーパーマーケット、
個性あふれる店々が連なって
そぞろ歩きにもって来いなのだ。
城南の戸越銀座、
城東の砂町銀座に匹敵する魅力に満ちみちている。

西ヶ原、滝野川を抜け、
ぶつかった明治通りを右に進めば、
桜の名所、飛鳥山が見えてくる。
JR王子駅は山のふもとに位置している。
JRのみならず、都内に最後に残ったチンチン電車、
都営荒川線が走っているし、
地下深くには南北線が十数年前に開通した。

王子はこの先の赤羽と並び、
今や城北の交通の要所といえる。
王子・十条・赤羽一帯は終戦まで
大日本帝国の一大軍都であったのだ。

荒川線の停車場でT栄サンと待ち合わせた。
相方は都電に乗って来るのではないが
王子にはここぞといった待合わせの適所が
ほかに見当たらない。
JR改札口のそばにあるのも都合がよい。

たそがれ時ではあるが、灯ともし頃ではまだない。
連れだって向かったのは「山田屋」だ。
庶民に愛好されるこの大衆酒場は
街のランドマークと言い切ってもよいだろう。
浅草に「神谷バー」、銀座に「ライオン」あらば、
王子には「山田屋」がある。

仕掛けが早かったせいか、
店内は客もまばらでガランとしていた。
友人の坂崎重盛翁は
”体育館で飲んでるみたい”とこの店を表現した。
実に言い得て妙である。

=つづく=

2015年10月8日木曜日

第1203話 店は見かけによらぬもの

2ヶ月に1度の割合いで髪を切る。
いつものように渋谷区役所前の「B」へゆく。
その夕べも頭髪をサッパリさせたあと、
近所に晩酌の止まり木を求めた。

ハチ公広場方面はあふれ返る人混みがイヤだ。
原宿あたりは若者の街にして
年配者が訪れてもシックリこない。
こないどころかオジャマ虫扱いされるのが関の山。
とかく現代の東京には遊びにくいエリアが増えた。

よって、当夜は東京メトロ千代田線・代々木公園駅を目指す。
小田急線・代々木八幡駅も至近距離に隣接している。
渋谷のヘアサロンに通い始めて、およそ15年。
おかげで周辺の様子はしっかりと頭に入っている。

そば屋で飲むのが好きだから
当夜も富ヶ谷商店街の「長寿庵」に落ち着くつもりだった。
つもりだったが、一応、道筋の店々を見定めることを忘れない。
この作業がとても重要なのだ。

そうして発見したのが居酒屋「滝乃家」。
外見の印象はけっしてよくなかった。
ビルの半地下にあって、どことなく期待できない感じ。
店先のメニューボードを見てみても訴えてくるものがない。

まっ、いいやァ、というより、
エイヤッ!ってな勢いで入店してみた。
バイトと思しき若い男性が応対してくれたが
スレてなくてこれはこれでいい。

板場で包丁を握る店主もまた、
言葉少なめで注文をさばくことに神経を集中している。
店先の第一印象より、
店内における第二印象のほうがずっといい。
こういうことはままあるもんだ 。

サッポロ黒ラベル大瓶の突き出しは蓮根煮。
ビールの合いの手としては上々のデキだ。
最初にオーダーしたのは刺身5点盛りである。
内容は、平目・さんま・酢あじ・白いか・インドまぐろ中とろで
これがたったの1000円ポッキリ。
それぞれの質・鮮度ともに申し分がなかった。
加えて添え物もすばらしく、
酢橘(すだち)・穂しそ・紅たでが実に効果的だ。

とりわけ酢橘の存在が大きい。
平目と白いか、はてはさんまにまで搾りかけて
その特性を堪能する。

ビールのお替わりと一緒に頼んだ焼き鳥は
ねぎまとつくねを1本づつ。
う~ん、天は二物を与えんネ。
すべて試したわけではないけれど、「滝乃家」は刺身に尽きる。
反して、焼き鳥はごくフツーなのだった。

そこを差し引いてもサカナたちのラインナップに
あらためて”店は見かけによらぬもの”、
その感を深めた次第でありました。

「滝乃家」
 東京都渋谷区神山町4-19
 03-3468-7844

2015年10月7日水曜日

第1202話 歩き続けて3万歩 (その2)

田端銀座をあとにして歩みゆく進路を北に取る。
やって来たのはわび・さびならぬ、
さびれ、うらぶれた尾久の町だ。
昭和11年、そう、二・二六事件が勃発した年に
ここでは阿部定事件が発生している。

邱永漢サンのサイトに連載していた、
「食べる歓び」で尾久を詳しく紹介したことがある。
ご興味のある方はご覧ください。
http://www.9393.co.jp/okazawa/kako_okazawa/2010/10_0903_okazawa.html

相変わらず人気のないオグトピアを歩き、
なおも北上して隅田川を小台橋で渡る。
行き着いたのは蛇行する隅田川と荒川に挟まれた三角州だ。
足立区の小台1・2丁目と宮城1・2丁目がそれで
工場や配送センターや都営住宅群に小・中・高校があるばかり。
ずいぶんと殺風景な土地である。

荒川の河川敷を風に吹かれながら歩く。
宮城土手上なる場所に到達した。
ここから東にゆけば江北橋、西なら豊島橋だ。
思案する時間もあらばこそ、すんなり西に向かった。

なぜか?
決め手はですネ、飲み屋街までの距離なのでした。
東へ行ったら西新井、西に行ったら東十条、
こりゃ、どう比べても十条のほうが近いもの。

そうしてたどり着いた東十条だった。
焼きとんのフルコースをウリとする、
「埼玉屋」はちょいとばかり敷居が高いから
気軽に立ち寄れる、同じ焼きとんの「新潟屋」に直行。
単なる偶然でも埼玉VS新潟の構図は
Jリーグを彷彿とさせるものがある。

時は開店間もない16時45分。
それでも店内に空席は数えるほどしかない。
かつては都内における一大軍都だった北区。
朝から昼から飲ませる酒場に不自由することなどない。

瓶ビールをお願いすると、突き出しに小さな新香。
大根と人参の浅漬けがちょっぴりだけだが
無料のサービス品にイチャモンをつける輩などいるわけもナシ。
焼きものは1種類2本からで
これが単身訪問者にはややキツいところだ。

例によってシロ&レバをたれで注文。
うむ、ウム、相変わらずの旨さであるぞヨ。
そしてあまりキノコを好まぬ身としてはめずらしくも椎茸を。
ここはモツだろうが、野菜・キノコ類だろうが、一律1本100也。
埼玉より新潟に軍配を挙げたくなる所以だ。

滞在時間は40分ほど。
再び都心に向かって歩き始める。
万歩計を腰のベルトから外して10年が経つけれど、
実感としてこの日の踏破は3万歩を軽く超えているハズ。
久々の長征でありました。

「新潟屋」
 東京都北区東十条2-14-18
 03-3914-6630

2015年10月6日火曜日

第1201話 歩き続けて3万歩 (その1)

婆ちゃんの原宿で二婆のささやきを聴いたあとである。
西新宿から馬場・雑司ヶ谷・茗荷谷・千石を経由して
巣鴨の街にやって来たのだが、その日はそこで終わらなかった。

巣鴨には東京中央卸売市場の豊島市場がある。
ここは築地、あるいは大田や足立の各市場と異なり、
鮮魚部がないから中に足を踏み入れても面白くない。

代わりに隣りの染井霊園へ向かった。
都心の墓地としては最大の青山には遠く及ばず、
谷中ほど広くもないが、雑司ヶ谷と同規模だ。
とにかく中に入ったのは初めて―。

染井村は江戸の昔からたくさんの植木屋があった土地。
現代では日本の国花・サクラの代表品種、
ソメイヨシノ発祥の地として全国にその名を知られている。

墓地内を散策して感じた。
どうも管理が行き届いていない。
整理整頓に問題があるのだ。
管理所脇の男子トイレに立ち寄ってビックリした。
あまりの不潔さに出るものも引っ込む始末。

人目をしのぶことはじゅうぶんにできるが
墓場で立ちションはバチ当たりもいいところ。
風雲急を告げているわけでもないから
ここは我慢の巻であった。

JR駒込駅方面に歩いていて、本郷高校の前を通過した。
おや?何だって染井の里に本郷高校があるんだろう。
高校時代、サッカーの試合で対戦したことがあったが
こんな場所にあるとは夢にも思わなかった。
確かに本郷通りが近くを走っているけれど、
東京大学のある本郷7丁目までは相当の距離がある。

駒込駅前から南に走る商店街、アザレア通りを抜け、
田端銀座に到着。
ここは下町ではないが、昭和の匂いが濃厚に残っており、
都内有数のマイ・フェイヴァリット商店街なのだ。
田端銀座を隅から隅まで行ったり来たり。
田端とはいえ、銀ブラは銀ブラである。

ストリートの端っこに天然酵母使用の「パンのかわむら」がある。
店頭に並んでいるのはほとんど食パンのみで
真四角のスタンダードと山型の英国風の2種類だが
店主がすすめるのはスタンダードのほう。
オススメだけあってコレが実に美味しい。
生で食べてもトーストにしても常用するPascoの上をいく。
何でも小売りよりホテルや喫茶店への卸しが主流らしい。

真四角の食パンを1斤買い求め、
その日はなおも歩き続けたのでした。

=つづく=

「パンのかわむら」
 東京都北区田端4-3-11
  03-5834-9877

2015年10月5日月曜日

第1200話 婆ちゃんたちのささやき (その3)

とげぬき地蔵そばの「すがも園」。
天ざるを注文した婆ちゃん二人の元に
戻ったお運びの女性が言いました。

「天ぷらでしたら、目の前の通りを右にずっと行くと、
 同じ並びに『てんや』ってお店がありますよ。
 ちょうど巣鴨駅の前あたりです。」

「てんや」は天丼のチェーン店である。
初めて利用したのは20世紀末、
JR錦糸町駅ビル内の店舗だった。
いや、マイッたネ。
揚げ油の質が悪く、食べられたものではなかった。

それがここ数年、いや、もっと以前からだろう、
かなり美味しくなってきている。
わが髪を理してくれる渋谷のヘアサロンもK子チャンは
学生時代に「てんや」でバイトした経験を持つが
賄いで毎日食べても飽きなかったと言う。
食事の時間が待ち遠しかったとまで言い切るのだ。

まあ、判らんことはないけれど、
毎日・毎食、天ぷらはごめん蒙りたいネ。
そう、そう、「てんや」とくれば、日本そばのレベルが高い。
少なくとも立ち食いそばチェーンの「F」、
あるいは「K」の水準を超えている。

それに加えて生ビールと小さな天ぷら盛合せのセットがよい。
小腹が空いて、なおかつビールが飲みたいときに重宝する。
浅草・上野・神保町、あれまっ、ずいぶんお世話になってるな。

そう、J.C.にとっては「てんや」、「日高屋」、「吉野家」、「松屋」、
そのすべてがちょい飲み酒場に等しいのだ。
ロンドンのパブ、パリのカフェ、
ローマのバールの役割をはたしてくれている。
ありがたや。

さて、お隣りの二婆であった。
「ご親切にどうも・・・」―店員にお礼の言葉をかけたあと、
二人の会話が始まった。

「チェーンの天ぷらじゃ、ウチのお爺さん、いい顔しないのよォ」
「だけど、あすこの天丼、バカにできないわヨ」
「ホント、ほんと、今どき500円じゃ天丼なんか食べられないからネ。
 でも、わたしゃ、ここのが好きなんだわ。
 ハナシしたら、お前ばっかり旨いもん食ってないで
 たまにはみやげに買って来い!って言われちゃってサ」
「揚げ物は自分ちでやると、面倒だもんねェ」

歳をとると耳が遠くなるぶん、声がデカくなるから、よく聴こえた。
おかげで二人のささやきを、しばし楽しむことができたのでした。
いえ、あのボリュームは”ささやき”とは言わないな。

=おしまい=

「すがも園」
 東京都豊島区巣鴨3-20-17
 03-3917-2450

2015年10月2日金曜日

第1199話 婆ちゃんたちのささやき (その2)

巣鴨はとげぬき地蔵(高岩寺)前の目抜き通りにある、
「すがも園」で中華そばを待っている。
昭和の時代には支那そばの名称で親しまれたラーメン。
あの頃は町の中華屋の品書きに
柳麺の表記をひんぱんに見掛けたものだが
近頃はトンと目にしなくなった。
むしろ拉麺が主流となっている。

拉麺はよくないなァ。
”拉”の字が”拉致”を連想させて
中国よりも北朝鮮のイメージがまとわりつく。
よくないねェ。

しばらくして運ばれたどんぶりにはチャーシュー、
シナチク、青梗菜(チンゲンサイ)が浮かんでいた。
往時はほうれん草だったのに青梗菜とは・・・
時代の移り変わりを実感した次第である。
もっとも他店で見ることはまずないから
巣鴨、いや、「すがも園」だけのアイデアか。

麺を一箸すすると、これが悪くない。
少なくとも予想を超える味わいがあった。
真うしろのテーブルでは二人の婆ちゃんが
もやしそばを楽しんでいる様子だ。
「美味しいネ」
「うん、美味しい」
そんなつぶやきが聞こえてきた。

すると隣りの卓に、これまた二人の婆ちゃんが着席に及んだ。
聞き耳を立てていたワケではないけれど、
注文品は天ざるが二つである。
ふ~む、天ざるかァ、巣鴨の婆ちゃんはリッチだなァ。

中華そばを食べ終えたJ.C.、即お勘定ではなかった。
隣りの天ざるを拝見してから席を立つつもりになっている。
はて、どんな天ざるが現れるものやら好奇心につまづいたのだ。

立ち上がって上から目線でのぞき見るのははばかれる。
仕方なく、チラリちらりとうかがうと、
ほう、なかなかの見てくれぶりである。
驚いたのは婆ちゃんの一人が箸をつける前に
天ぷらのテイクアウトの交渉に入ったことだった。

「おタクの天ぷら美味しいから二人前包んでいただけない?」
応えた中年女性のお運びさん、
「ごめんなさいネ、ウチはお持ち帰りしてないんですよォ」
へえ~ッ、人は見かけに、もとい、店は見かけによらぬもの。
そんなに旨いのかネ、ここの天ぷら。
中華そばはなかなかだったし、
天ぷらのレベルもかなり高いのかもしれない。

そろそろおいとまと、伝票をつかんだときに
先刻の接客係が隣りのテーブルに舞い戻ってきた。

=つづく=

2015年10月1日木曜日

第1198話 婆ちゃんたちのささやき (その1)

その日は歩いた、歩いた、実によく歩いたのですヨ。
西新宿で所用を終えたのが午前10時半。
さて、どこで昼めしにするかの?

ザッと1時間半は散歩に費やすとして
それに見合った目的地に進軍しなければならない。
要するに、渋谷・池袋・四ツ谷・中野あたりでは近すぎるってこった。

候補地としては、銀座・麻布・上野かな?
浅草・深川・西荻ではちと遠すぎる感がある。
思案の末に目指したのは駒込・田端方面であった。

あっちフラフラ、こっちヘラヘラの挙句、
婆ちゃんの原宿、そう、とげぬき地蔵を擁する巣鴨に到着の巻。
時刻はすでに12時を過ぎていた。

 ♪   上野オフィスの 可愛い娘
   声は 鶯谷わたり
   日暮里笑った あのえくぼ
   田端ないなア 好きだなア
   駒込したことア ぬきにして
   グッと巣鴨が イカすなア ♪
      (作詞:小島貞二)

小林旭が「恋の山手線」を歌ったのは
東京五輪が開催される半年前の1964年3月。
いや、上手いこと詞をつけたものよのォ。
イカす街、巣鴨が婆さんたちの原宿に変身するとは
さすがのマイトガイも予測がつかなかったろうヨ。

巣鴨とくれば、うなぎの「にしむら」、洋食の「タカセ」、
大衆食堂の「ときわ」あたりがピンとくるけれど、
地蔵通りを流しながら、ふとアイデアが浮かんだ。

そうだ、婆ちゃんたちでにぎわう休息所みたいな店に入ってみよう、
かように思い立ったのであった。
お汁粉やあんみつ、かんぴょう巻きやいなり寿司、
はたまた、親子丼や中華そばを供する甘味処にして食堂である。
そんな店がとげぬき地蔵の目抜き通りには何軒かあるのだ。

立ち寄ったのは中でも一番繁盛している「すがも園」。
店頭で黒山の如くに人だかっている婆ちゃんたちの脇をすり抜けて
店内に入ると中はそれほど立て混んでいたわけではない。
客の入りはパラパラのパラであった。

注文したのはラーメン、あいや中華そばだ。
J.C.はこんな店舗の中華そばが好き。
間違っても麺の上に魚粉がブッカかっていたりしないからネ。
これが古く良かりしにっぽんの中華そばなのである。
昭和20~30年代の中華そば、いや、当時は支那そばといったが
ラーメンとは本来、そいうものだと信じて疑わない自分である。

=つづく=