2015年12月31日木曜日

第1263話 牡蠣よ 愛しの 牡蠣よ (その1)

好きな食べものとなるとオイスター、
いわゆる牡蠣はどう控え目に見積もっても
ベストスリーの座をはずすことはまずない。
生でよし、酢で〆てよし、フライもよし。
はたまた鍋もけっこうだし、
スープやシチューやカレーもいい。

なんでこんなに旨いんだろうネ。
海産物全般、いやいや貝類に限っても
あの美味、あの食感は他に類をみない。
奇跡が生んだ究極の海の幸と断じてよい。

柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺

牡蠣くえば 腹が鳴るなり 法善寺

むかし、大阪は法善寺横丁のおでん屋で
思い浮かんだ駄句である。
とにかく牡蠣の美味しさは理屈抜きに舌を震わせる。

一般的に世に出回るのは瀬戸内は広島、三陸は宮城の牡蠣だが
J.C.がこよなく愛しているのは三重・的矢のソレである。
当コラムではいくたびも紹介しているから
今さらクドクドとは語らないが
あのデリケートな味覚は他産地の追随を許さぬものがある。

先般、ニューヨーク時代の旧友と
的矢牡蠣を愛でる機会に恵まれた。
舞台は気に入り店の丸の内「レバンテ」だ。
もう40年近くお世話になっている。

「レバンテ」は芥川賞作家・松本清張の出世作、
「点と線」に実名で登場したレストラン。
例によって自著「文豪の味を食べる」より、
その稿を引用させていただきたい。

遅咲き作家の淡き欲望

松本清張を初めて読んだのは中学3年生のときだった。
「点と線」である。
修学旅行で東京から京都に向かう列車の中で読み始め、
目的地に到着する前に読了した。
以来、立て続けに数十冊は読破したのではないか。
同級生同士でファンクラブのようなものを作り、
お互いに本の貸し借りをしたものだった。
そのせいで高校の受験勉強はそっちのけだ。
 
初めての清張を読み終わった最初の印象は
「推理小説ってこんなに面白いものなんだ」である。
そんな経緯もあり「点と線」は
推理小説という名の樹海に踏み入る第一歩となったのである。
 
=つづく=

2015年12月30日水曜日

第1262話 グッと巣鴨がイカすなア (その7)

ミシュラン認定、巣鴨のラーメン店「蔦」の列に並んだ。
整理券持参にも関わらずにだ。
なんだヨ、これじゃ意味ないじゃん!
温厚な性格(?)の持ち主がほとんどフテくされている。
ところがどっこい、ほんの10分で店内にご案内であった。
僥倖といわずばなるまい。

入店するとすぐ右手に券売機。
その前にスタッフのアンちゃんが立っていて
手渡した整理券と引き換えに千円札を1枚くれた。

エッ、これってなあに?
その千円札で「食券を買え!」ということらしい。
買うヨ、買うヨ、買いますとも。
でもネ、アンタに千円めぐまれるほど、
こちとら落ちぶれちゃあいないんだわサ。

アンちゃんの説明のおかげでやっと納得がいった。
何となんと、整理券には千円のデポジットが必要なのだ。
ちゅうことはT橋サンにデポを返さなきゃいけないじゃないか。
まったくもってまだるっこしいシステムだ。

うしろに人の気配を感じ、おちおち選んでられやしない。
すべてが味噌メニューだから
シンプルな味噌そばとせっかくなのでガーリックライスを購入。
確か850円と200円だったと思う。
800円と250円だったかもしれないけれど、
そんなのどっちでみいいや。

なおも店内のベンチシートに腰掛け、さらに待つこと10分弱。
9席しか2⃣ないカウンターに導かれると、
あまり間をおかずに注文品が出そろう。
予想よりはずっと早い対応である。

差き出たガーリックライスは
小茶碗のライスの上にガーリックチップとあぶった鶏もも肉。
醤油が少々掛かってバターの風味が立ち上る。

味噌そばにはこれまた鶏ももに湯がいたと思われるキャベツ。
あとはガーバンゾー(ひよこ豆)、アーリーレッドのスライス、
みじん切りの玉ねぎといった具材の陣容だ。

キャベツやアーリーレッドはともかく、
ガーバンゾーの意味がまったく判らない。
ミシュラン★をもらって我を忘れたに相違ない。

麺もスープも悪くはないがベツに~・・・であった。
うすうす想像はしていたものの、
丸っきりの肩透かしと決めつけても過言ではない。

何だか尻すぼみのイカす巣鴨、
ほかに紹介したい店があるにはあるが
このへんで打ち止めが無難でござろう。

=おしまい。

「蔦」
 東京都豊島区巣鴨1-14-1
 03-3943-1007

2015年12月29日火曜日

第1261話 グッと巣鴨がイカすなア (その6)

巣鴨にはミシュランに掲載されたラーメン店「蔦(つた)」がある。
なあんだ、くだらねェ、オヤジギャグか!ってか?
仰せの通りでございやす。
まあ、気を取り直されて先をお読みくだされ。

当然ながら「蔦」は行列の絶えない店である。
ちょうどうまい具合に店頭の横には
マンションのエントランスに続くけっこうなスペースがあって
客はそこに並ぶことになる。
つたがからまるどころかコンクリートの打ちっぱなしだけどネ。

行列や人混みを極端に嫌うJ.C.、
店先を何度か通過したことはあっても入店はしていない。
「蔦」の格調高き(?)ラーメンを食する機会に
ついぞ恵まれなかったのだ。

その日の午前10時、千石の交差点において
とある会合で顔を合わせたT橋サンとバッタリ出くわした。
短い会話のあとに彼曰く、
「オカザワさん、今日の昼めしはもう決まってる」
「いや、ベツに―」
「そんならコレあげるヨ」

ポケットから取り出したるは小さな黄色い切符状のもの。
ラミネートされており、整理券としたためてある。
これが「蔦」が配ったものだった。
「でも今日は”味噌”の日なんだってサ」
「”味噌”でも”醤油”でも食べたことないからおんなじ、おんなじ」

何でもよく使う駐車場が「蔦」のそばで
たまたま前を通りかかるとスタッフが整理券配りをしていたんだと―。
渡りに舟と受け取ったものの、
再訪しなきゃならない正午には仕事の都合でいけないんだと―。
やったァ!なんて叫ばないがラッキーだとは思った。
貴重なものをゆずり受けたのだから丁重にお礼を述べて別れる。

”集合時間”が12時なので2時間つぶさなけりゃならない。
モズバーガーの2階へ上がり、紅茶を飲みながら
「生きる歓び」の原稿を書き始める。
1時間少々で2話ぶん書き上げ、あとは駒込界隈をブラ散歩。
11時55分には現地に到着の巻である。

当日は水曜日だったが店先の貼り紙には水曜定休、
火曜は”味噌の陣”とあった。
なんだかヘンだがスケジュールを変更したのだろう。

整理券を持っていても5分前ではちと遅かったらしい。
第一グループが入店したあとで短い列のうしろに―。
イヤな予感がしたけれど、こうなったらほかに手立てがない。
そんなに待たされなきゃいいけどなァ・・・。

=つづく=

2015年12月28日月曜日

第1260話 グッと巣鴨がイカすなア (その5)

巣鴨の飲食店を紹介するつもりが大幅に道をそれている。
ラベルを”食べる”から”聴く”に付け替えなきゃいけないところだ。
乗りかかった船ならぬ、それかかった道、
このままもう少々脇道におつき合い願いたい。

ペギー葉山だった。 
「学生時代」と「南国土佐を後にして」に続く第三位曲は?
もともとはシャンソンの「ドミノ」であります。

 ♪  ドミノ ドミノ 神の与えし天使
  ドミノ ドミノ 我を悩ます悪魔
  わが思い 知りながら
  なぜになぜに つれないのか ドミノ

  君の瞳 見入るときは
  胸の思い つのりゆきて
  春の日ほがらに 楽の音みつる
  されど君が 浮気心
  あすは人に 移りゆきて
  見知らぬ男の 胸にぞ寄らん

  ドミノ ドミノ 変わらずと誓いてよ
  ドミノ ドミノ 君ゆえに耐えゆかん
  泣いたとて 浮世なら
  のがれられぬ 二人の運命 ドミノ

  ドミノ ドミノ 君のすべて許さん
  ドミノ ドミノ 帰れ 我が胸に  ♪

  (作詞:ジャック・プラント 訳詞:音羽たかし)

日本語詞がすばらしいので全曲紹介してしまった。
1952年にリリースされた「ドミノ」はペギーのデビュー曲。
フランスはパリの楽譜商のもとに眠っていた楽譜を
発見したのはシャンソン歌手のアンドレ・クレヴォーで
1950年に自身が歌い、世に送り出したのだった。
読者のみなさんにはぜひとも you tube で聴いてほしい名曲です。

ちなみにデビュー・シングルのB面にカップリングされているのが
「火の接吻(キッス・オブ・ファイア」。
原曲はもっとも古いアルゼンチン・タンゴの一曲で1903年の作品。
実に多くの歌手がカバーしているし、
バンドネオン奏者や楽団にインストルメンタルで演奏されてもいる。

数あるうちマイ・ベストは早逝してしまったナット・キングコール。
いや、本当にすばらしい。
「キサス・キサス・キサス」など、
彼のラテン・ナンバーはアメリカン・スタンダードより好きなくらい。
もっともシャンソンの「枯葉」だけはベツですけどネ。

おっと、本題に戻さねば。
「学生時代」を紹介したのは歌詞の出だし、
 ♪ つたのからまるチャペルで ♪
を引用したかったのであります。
真意のほどは以下次話で―。

=つづく=

2015年12月25日金曜日

第1259話 グッと巣鴨がイカすなア (その4)

 ♪  つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日
  夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
  なつかしい友の顔が 一人一人浮かぶ
  重いカバンをかかえて かよったあの道
  秋の日の図書館の ノートとインクのにおい
  枯葉の散る窓辺 学生時代    ♪
          (作詞:平岡精二)

ペギー葉山が歌った「学生時代」がリリースされたのは1964年。
そう、東京オリンピックの年である。
レコーディングにあたり、
作詞者(作曲も)の平岡精二とペギーが
大論争を繰り広げたというエピソードが残っている。
争いは曲のタイトルをめぐってであった。

「大学時代」を主張する平岡に対し、
ペギーは断固として「学生時代」をゆずらなかった。
彼女曰く、
「誰もが大学に行けるわけじゃないから・・・」―
まことに正鵠を射ており、それもそうなのだが
「大学時代」ではどうにも音の響きが悪い、悪すぎる。
そしてダサい、ダサすぎる。

「大学時代」のままだったら大ヒットにつながったろうか?
半世紀を超えて歌い継がれてきただろうか?
おそらく答えは”No”だ。
ペギーによる殊勲の逆転ホームランだったと言える。

多くの方がご存知のように
名曲「学生時代」の舞台は青山学院大学。
論争の二人の学び舎である。
平岡はペギーの2年先輩で
同窓の親近感があったからこそ
ペギーも言いたいことが言えたのだろう。

往時、若い女性歌手が作詞・作曲の大センセイに
モノ申すことなど前代未聞だったハズ。
もっとも美空ひばりが古賀政男の「悲しい酒」をもらう際、
「センセ、もうちょっとゆっくり歌っていいかしら?」―
こう注文をつけている。
原曲はもっとアップテンポの明るいメロディーだった。

大御所・ひばりに諭されたら
大御所・古賀も無下には断れまい。
これもまたひばりのクリーンヒットで
そのままだったら彼女を代表する佳曲に育ってはいまい。

ペギー葉山といえば、この「学生時代」と
「南国土佐を後にして」が二枚看板。
実に甲乙つけがたく、J.C.はどちらも大好きだ。
ここにある一曲を加えてマイ・ベストスリーとしている。
その曲については次話で―。

=つづく=

2015年12月24日木曜日

第1258話 グッと巣鴨がイカすなア (その3)

まだまだ巣鴨である。
グッとイカす巣鴨である。
今話で紹介するのは当ブログとしては珍しくもベトナム料理。
店名を「ハノイフォー」という。

この店も巣鴨駅前で営業している。
ある日、とげぬき地蔵方面から歩いてきたとき、
驟雨に見舞われ、昼めしがてにら飛び込んだのだった。
もちろん初訪問ではない。

店名にもあるフォーはベトナムの国民食。
米の粉から作るヌードルは
あっさりとしたスープの味が魅力だ。

基本的にフォーは二種類でチキンとビーフ。
長年棲んだニューヨークのベトナム料理屋でもそうだったし、
20年前に旅したホーチミンシティ(旧サイゴン)でも同様だった。
なぜかポーク・フォーは見たことがない。
ベトナム人は豚肉が苦手なのかいな?

有史以来、ベトナムは仏教国。
いろいろな理由で豚肉を忌避する、
イスラム・ユダヤ・ヒンズー教国ではない。
不勉強のため、その理由は知らないけれど、
隣りの中国が豚肉の崇拝国だからこそ不思議でならない。
食事に箸を使用するのだって中国・朝鮮・日本以外では
地球広しといえどもベトナムだけなのだ。

この店に初めて入店したときも雨降りだった。
なぜそんなこと覚えているかって?
実はさしてきた傘がみあたらず、
そんなことをとやかく店に告げても始まらないから
巣鴨駅までダッシュ。
自慢の俊足を、もとい、鈍足をとばしたからですねん。

その際には「プティ・ポワ」の稿でも紹介した海南鶏飯を食べた。
海南鶏飯はタイ料理ならカーマンガイだが
ベトナムではなんと呼ばれているのか知らない。
若い頃、シンガポールに長く滞在したから
彼国の国民食、海南鶏飯をそれこそイヤというほど食べてきた。
これを昔とった杵柄ならぬ、昔食った絹さやとでも言うのだろうか?
ハハ、冗談ですって―。
お願いしたのはチキンフォー。
数回訪れたことのある当店では
一応ランチメニューのほぼすべてを試した
ベトナムカレーや焼きポークライスも食している。
そしていずれもハズさないから
こちらは安心してリピート・ユーズできるわけだ。
 
=つづく=

「ハノイフォー」
 東京都豊島区巣鴨1-17-8 B1F
 03-6902-1216

2015年12月23日水曜日

第1257話 グッと巣鴨がイカすなア (その2)

JR巣鴨駅から徒歩2分の距離にある「プティ・ポワ」。
注文したコンフィが来る前に
野菜がたっぷり入った熱いスープが運ばれた。
暖冬とはいえ、今の時期にはありがたい。
スープはサラダとの二択だが、いつもスープを選ぶ。

サイドにはバゲットが2片添えられている。
空腹だったこともあり、スープとともに2片とも食べてしまう。
お替わり可能ですからネ。

いつものことながらスープとメインの間隔が空く。
この時間が少々手持無沙汰で
ランチタイムに時間の制限があるOLやサラリーマンには
使い勝手がよろしくない。
したがっていつ訪れても混雑していることがない。

鶏もものコンフィがようやく整った。
プックリ感が食欲をそそる
骨に沿ってナイフを入れ、
大き目の切り身をパクリ。
ウ、ウマい!
本格的なビストロの水準に達している。
バゲットをもう1片所望した。

食後のコーヒーや紅茶はめったに取らないので
食べ終えたらすぐにお勘定。
さほど満腹感がなかったためか、
今度は海南鶏飯を食べに来よう・・・
そう思ったことだった。

翌々日、再び「プティ・ポワ」にJ.C.の姿を見ることができた。
もちろん目当てはハイナネーズ・チキンライスである。
注文の際、ちょいと浮気心につまづいて
よほど本日のカレー、ポーク・ヴィンダルーにしようかと思ったが
結局は薬局、初心貫徹を崩さなかった。

この料理の本場・シンガポールのそれとは
多少ルックスが異なるものの、
日本女性のデリカシーが皿の上に表れている。
ちゃんと香菜も乗っていた
チリとダークソースは不在なれど、
じゅうぶんに楽しめるワンプレートだ。

フレンチ・ワインバーだから
ビストロ系の料理が主体でも
東南アジアやインディアの風そよがせる「プティ・ポワ」は
読者、殊に女性にはオススメできる佳店であります。

=つづく=

「プティ・ポワ」
 東京都豊島区巣鴨1-1-16
 03-3944-8508

2015年12月22日火曜日

第1256話 グッと巣鴨がイカすなア (その1)

 ♪  上野オフィスの かわいい娘
  声は 鶯谷わたり
  日暮里笑った あのえくぼ
  田端ないなア 好きだなア
  駒込したことア ぬきにして
  グッと巣鴨が イカすなア  ♪
      (作詞:小島貞二)

小林旭の「恋の山手線」は1964 年3月20日のリリース。
旭がビクターに籍を置いていた時代の作品だ。
この半年後、10月1日には東海道新幹線が開業する。

新幹線に対抗しての山手線でもなかろうが
同10月10日には東京オリンピックが開幕し、
その5日後には前作にそっくりの語呂合わせ第二弾、
「自動車ショー歌」が世に送り出された。

こちらは弾丸列車に足を奪われかねない自動車業界が
こぞって後押しをしたことだろう。

 ♪  あの娘をペットに したくって
  ニッサンするのは パッカード
  骨のずいまで シボレーで
  あとでひじてつ クラウンさ
  ジャガジャガのむのも フォドフォドに
  ここらで止めても いいコロナ ♪
      (作詞:星野哲郎)

このときすでに旭はビクターを去り、クラウンに移籍している。
歌詞にクラウンをはめ込んだのは巧みな職人芸の賜物だろう。

作詞の小島サン、星野サンともに苦労なさったことだろうが
山手線の駅順のシバりがある小島サンのほうが
ずっとシンドかったハズだ。
どちらにせよ、昭和の歌謡史を彩る”迷曲”だったことは間違いない。

ある昼下がり、文京区の100円バスに乗っていた。
車内はガラガラでほかに乗客は二人のみ。
下車したのは本駒込六丁目、ちょうど豊島区との区境だ。
ここから巣鴨は目と鼻の先、JRの駅に向かって歩く。

やって来たのはフレンチ・ワインバーの「プティ・ポワ」。
スタッフはみな女性で可愛い店名にピッタリ。
「プティ・ポワ」は仏語でグリーンピースのことだ。
1000円のランチは日替わりのパスタに日替わりのカレー、
海南鶏飯、鶏もも肉のコンフィの4種類。
あとはサービスランチと称してガパオライス(700円)がある。

パスタとガパオは食べていないが気に入りはコンフィ。
その日はこれを食べにきたのだ。

=つづく=

2015年12月21日月曜日

第1255話 奇妙な白子に会いました (その2)

御徒町の「吉池」の鮮魚売り場でボラの白子に初めて出会った。
これが白子でなく真子なら日本三大珍味の一つ、
あの有名な唐墨(からすみ)に大化けして珍重されるが
白子のほうは見たことがない。
商品価値とてなく、廃棄されたり、
漁師さんの賄いにでもなっていたのだろうか?

J.C.は小学生時代に大田区・平和島に住んでいた。
当時の平和島橋の下はまだ埋め立てられておらず、
夏ともなれば多くの釣りバカ、もとい、
釣り人が糸を垂れていたものだ。

ターゲットはボラかハゼ。
水面のウキから目を離して彼方を見れば、
競走馬が走っていたっけ。
平和島競艇場の向こうは大井競馬場。
レースの様子が肉視できたのだった。

時は流れて今度は数年前、東京湾にボラが大繁殖。
神田川最下流に架かる柳橋から川面を眺めたら
もうウジャウジャのウジャ状態。
そのさまあたかも今は昔、
北海道の石狩湾に押し寄せたニシンの如く。
いや、びっくりしたなァ、もう!

「吉池」の売り場のオジさんとの会話はつづく。
「ボラの白子ってシャケみたいに大味なんじゃないの?」
「そうッスネ、ちょっと似てるかもしれないかな?」
「じゃあ、あんまり美味しくないだろうネ?」
「いや、ボラのほうがコクありますヨ」
「ふ~ん、そうかァ・・・じゃあ300gちょうだい」

300gで500円とちょっとだったと思う。
べらぼうに安い。
これがマダラの白子だったら1000円は下るまい。
トラフグだったら5000円は軽く超えるだろうヨ。

帰宅後、まず半量を煮付けにした。
湯を沸かし、醤油・砂糖・日本酒にしょうがを1片加え、
湯霜してブツ切りにした白子を鍋に投入。
5分ほどで白子を取り出し、煮汁はさらに3分ほど煮詰め、
小鉢に移した白子の上から掛け回す。

合いの手は冷やした清酒・浦霞だが
いや、マイッったな。
タラというよりフグの白子に近く、
かなりの美味に舌鼓ポンポンの巻である。

牛もつの煮込みのときと同様に翌日は趣向を変える。
残りの半量は塩・胡椒して小麦粉をはたき、
澄ましバターでソテーしてみた。
いわゆるムニエルでありますな。
仕上げはコニャックでフランベし、
安価なチリ産のシャルドネとともに味わうと、
ウワッ、これまたバッチリじゃないのっ!

いつまた逢えるか判らんが見かけたら必買の逸品は
奇妙どころか稀少な白子でありました。

「吉池」
 東京都台東区上野3-27-12
 03-3831-0141

2015年12月18日金曜日

第1254話 奇妙な白子に会いました (その1)

当ブログで過去に何度か紹介している、
JR御徒町駅前の「吉池」はサカナのデパート。
建て替え前の売り場は今より広く、
サカナの種類もずっと多かった。
現在はスペースの半分をユニクロに賃貸してしまい、
鮮魚や魚介加工品を求める買い物客の不興を買っている。

かく言うJ.C.の訪問回数もずいぶん減った。
むしろ同駅ガード下にある、
「吉池」直営の居酒屋「味の笛」に
立ち寄ることのほうがはるかに多い。

ここの生ビールは工場直送だからバツのグンである。
小ジョッキサイズのプラスチック・コップで250円也。
ビール好きにはとてもありがたい。
立て続けに軽く2~3杯飲んじゃうからネ。
もっともそれは今の時期のハナシで
夏場なんざ4~5杯やっつけちゃうもんなァ。

今は昔、ニューヨーク滞在時。
和食店ではビールの小瓶を2本ほど飲んだら
すみやかに日本酒へ移行していた。
イタリア料理店となると、モレッティやペローニなど、
イタリアビールの小瓶1本を相方と分け合うのが関の山、
実量はグラス1杯に等しいくらい。
そうしておいて即、ピエモンテの赤ワインに直行の巻だった。

今でも旧交を温めている当時の仲間と食事をするたびに
昔は呑まなかったビールをガブガブやるので
びっくりされているくらいなのだ。

さて、今話の主役は居酒屋「味の笛」ではなく、
鮮魚売り場のほうである。
というのも先日、珍品に遭遇したからだ。
いつものように店内をざっと流していると、
見慣れぬ白子(しらこ)に目がとまった。

元来、サカナの真子・白子には目がない。
大好物と断言してはばからない。
したがって、とても看過できるものではなかった。
唯一、あまり好まないのは鮭の白子である。
あればっかりはかなり大味でいかんともしがたいのだ。

実は目にとめたその白子、鮭のソレによく似ていた。
ただし少々濁った色合いの鮭よりも
白みが勝って別物であることだけは判った。

そこで売り場のオジさんに訊ねる。
「この白子、シャケじゃないんでしょ?」
「ああ、これはボラなんッスよ」
答えを聞いてぶったまげやした。

=つづく=

2015年12月17日木曜日

第1253話 最後の牛もつ (その2)

昨日・今日と急いで書き進めている。
なぜかというと、すばらしい牛もつを販売してくれていた、
精肉店「明石家」が3日後の19日土曜日には
68年の歴史に幕を下ろすのだ。

J.C.はここで牛もつと豚の生ベーコンを買うのが常。
生ベーコンはすでに製造中止となっていた。
もちろん牛・豚・鶏の精肉や
とんかつ・メンチ・コロッケなどの揚げ物も豊富。
いつも店頭は買い物客でにぎわっている。

聞くところによると、揚げ物が一番人気であるらしい。
その日も店先に揚げ油のラードのよい匂いが漂っていた。
カツやフライにはラードがベスト。
子どもの頃からなれ親しんでいる香りであり、味なのだ。
ところが「明石屋」の揚げ物は一度も買ったことはない。

コロッケやイカフライをぶら下げて飲み歩くのはイヤだし、
ましてや歩き食いなんぞはもってのほか。
わが散歩コースの谷中銀座では
2軒の肉屋がこれでもかとメンチカツを売りまくっているが
小・中学生じゃあるまいし、いい大人が肉屋の店頭で
買い食い、立ち食いする姿は見られたものではない。
男女差別をしたくはないけれど、
奥様やお嬢様にはもっと羞恥心を持ってもらいたい。

さて、出来上がった自家製牛もつ煮込みを食卓に運んだのだった。
当夜の合いの手は月桂冠の上燗である。
上燗はぬる燗と熱燗のちょうど中間。
酒の燗はぬるい順から
ひなた燗→人肌燗→ぬる燗→上燗→熱燗→とびきり燗
となる。

グビリのパクリ。
いや、イケますねェ、実に旨いですなァ。
鍋半ばで粉山椒を振り、舌先に変化をつけてやる。
八丁味噌には七色より山椒が合うのだ。

「明石屋」の牛もつには
シロコロなんかに混じってフワ(肺臓)が散見される。
こいつが決め手でこんな牛もつはまず手に入らない。
J.C.の知る限りではほかに
台東区・山谷の旧ドヤ街にある「もつの針谷」くらいだ。

そのまた翌日、晩酌の友は残った煮込みであった。
一晩寝かしてるあいだにスペインの赤ワインを投入しておいた。
したがって当夜の酒は同じリオハのテンプラニーリョである。

前夜同様小鍋仕立てにしたが長ねぎは使わず、
代わりにハーブのタイムを散らした。
買い置きのバゲットもガーリックトーストにして添える。
二晩続きで牛もつ煮込みを堪能したものの、
消え行く老舗に思いをいたすと寂しさが降り積もる師走である。
 
「明石屋」
 東京都江東区門前仲町2-7-8
 03-3641-4002

2015年12月16日水曜日

第1252話 最後の牛もつ (その1)

その日は都営地下鉄・新宿線の西大島で下車。
この街には何回か訪れた気に入りの店があり、
当日も遅めのランチをとった。
それはまた近々紹介するとして今話は先を急がねばー。

丸八通りを真っ直ぐに南下。
都内有数の長さと店舗数を誇る砂町銀座に到着した。
商店街の端から端まで踏破し、
これもまた都内有数の親水公園、仙台掘川公園を西に歩む。
続いて銀杏の枯れ葉舞う広大な木場公園を突っ切った。

そうしてやって来たのが門前仲町。
富岡八幡宮から深川不動堂を経て
都営・大江戸線の駅に向かう途中、
差し掛かったのが一軒の精肉店である。

その名を「明石屋」という。
最後に立ち寄ったのは4年前のことだ。
買い物をする気はなっかたが
せっかくだから店頭に群れる主婦たちに入り混じる。

この店で購入するのは二品のみ。
国産牛のもつと豚の生ベーコンだ。
ところがなぜかショーケースに生ベーコンが見当たらない。
売り場のオバちゃんに訊ねたら
「もう、無いんですよぉ」―
申し訳なさそうなセリフが返ってくるのみ。

売り切れではなくて口調から推察すると
ずいぶん前に製造を取り止めたらしい。
無いものねだりをしても仕方ないので牛もつを250gお願いした。
すると、まさにそのときだ、
目の前にぶら下がる貼り紙に気づいた。
 
何と、「明石屋」がこの19日に閉店するというではないか!
昭和23年の開業だから実に六十有余年、
これもまた都内有数の老舗が今消えてゆく。
こりゃ居ても立ってもいられやしないぜ。
 
 翌日、昼過ぎには厨房に立つ。
もう二度と味わえぬ「明石屋」の牛もつで
自家製煮込みの製造に没頭したのだ。
 
一度湯がいてあるから臭みとりの茹でこぼしは不要だ。
 生姜の薄切り数枚とにんにく一片を忍ばせ、
かなりの量の日本酒を注ぎ、トロ火で茹でること数時間。
その後、信州・上田の信州味噌と
三州・岡崎の八丁味噌を使用量全体の半分に
隠し味の砂糖を少々投じ、さらに数時間煮込んだ。
 
八丁味噌は豚もつとの相性イマイチなれど、牛もつには必要不可欠。
仕上げに再び二種類の味噌を加えて味を整える。
煮上がったところを小さな土鍋に移し、
さらに火に掛けてグツグツが始まったら
きざみねぎを盛り付け、食卓に運んだのであった。
 
=つづく=

2015年12月15日火曜日

第1251話 鯛や鰻の舞踊り (その7)

「竹葉亭」の大トリはまぐろでありました。
もちろん刺身に舌鼓を打ったわけではございませぬ。
いただいたのはコレ。
まぐろ茶漬けは1500円+
実はこの「竹葉亭」、
うなぎはもちろんのことながら
鯛茶漬けが人気メニューの一翼を担っている。
だからこそ余った鯛かぶとが存在感を発揮できて
鯛や鰻の舞踊りと相成るわけだ。

ただし鯛茶漬けはそんなに珍しいものではない。
あちらこちらで味わうことができる。
これが鮪茶漬けとなると、提供する店舗は激減、
よって希少価値はきわめて高いものとなる。
しかも「竹葉亭」のまぐ茶は天下一品、たい茶を凌駕しているくらい。
鯛に鰻に鮪とサカナ三昧、ゼイタク三昧の銀座であった。

そうそう、書きそびれたが「銀座ブルース」は
さまざまな歌手がカバーしていてプロのあいだではかなりの人気曲。
中でもベストは松尾和子とフランク永井のデュオだ。
何たってフランク永井は「西銀座駅前」、
「有楽町であいましょう」、「東京午前三時」を続けざまにヒットさせ、
この手のナンバーを歌わせたら他の追随を許さぬ第一人者。
松尾の甘えるようなかすれ声にフランクの低温の魅力がかぶさって
これ以上ない出来映えとなっている。

変わったところでは往年の名歌手・西田佐知子がワンダフル。
本職の俳優業は鳴かず飛ばずで精彩を欠きながら
なぜかTVのキャスターで息を吹き返した関口宏。
年配の方はご存じだろうが西田佐知子は彼の奥さんである。

歌唱力・声質ともに優れ、清純にしてセクシー、
なんとも不思議なシンガーだった。
そんな彼女は結婚と同時に事実上、
芸能界から足を洗ってしまった。
いまだに悔やまれるのはこのことである。

もっともこういうケースはままあるもので
後年の山口百恵、森昌子(のち復帰)が典型例。
西田が先鞭をつけたカタチとなったけれど、
できることならダンナたちのほうに引退してほしかった。
 
その西田佐知子の「銀座ブルース」は清潔感あふれる歌唱。
「お子ちゃまの渋谷やヤッチャンの新宿なんかと
 銀座を比べちゃこまるのことヨ」ー
耳元でそうささやいているかのようだ。
 
とは言ってもマイ・フェイヴァリット、
「赤坂の夜は更けて」があまりにすばらしく、
銀座より赤坂がよく似合う女性でありました。

=おしまい=

「竹葉亭銀座店」
 東京都中央区銀座5-8-3
 03-3571-0677

2015年12月14日月曜日

第1250話 鯛や鰻の舞踊り(その6)

♪   プラタナスの葉かげに ネオンがこぼれ
  おもいでがかえる  並木通り
  五丁目のフユ子は 小唄が上手
  六丁目のナツ子は ジャズが好き
  あなたをよんで 霧もふる
  銀座・・・銀座・・・銀座
  銀座・・・銀座・・・銀座 
  たそがれの銀座

  数寄屋橋は消えても 銀座は残る
  柳とともに いつまでも
  七丁目の酒場で おぼえたお酒
  八丁目のクラブで 知った恋
  あなたが夢を くれたまち
  銀座・・・銀座・・・銀座
  銀座・・・銀座・・・銀座
  たそがれの銀座

     (作詞:古木花江)

1968年にリリースされた、
黒沢明とロス・プリモスの「たそがれの銀座」。
その3・4番である。
1・2番より卓抜につき、あえて紹介してみた。
お断りしておくが、この黒沢明は
国際的映画監督の黒澤明とは別人で単なる同姓同名。
もっとも監督のほうは旧字の”澤”だ。

「たそがれの銀座」はなかなかにできた歌詞。
ただし、作詞の古木サンに申し上げておきたい。
銀座・並木通りの並木はプラタナス(鈴懸)に非ず、
シナノキなのであります。
ハート形の葉っぱがとてもロマンチックな樹木です。
長野県、信州・信濃(古くは科野)は
シナノキを多く産出したのが県名の由来となったそうですヨ。

さて、たそがれの銀座での夕飯はまだ終らなかった。
いや、終らせなかったというのが正しい。
鯛と鰻の舞踊りにてお開きとはならなかったのだ。

それでは最後にやって来たのは
いったいどんなサカナだったのでしょう?
これはブログをご覧のみなさんも一緒にお考えください。
もったいぶらずに早く吐け!ってか?

いや、ごもっとも。
正解はまぐろ、それも本まぐろでありました。
何だって締めにまぐろの刺身なんか食うんだ!ってか?
以下、次話でありますねん。

=つづく=

2015年12月11日金曜日

第1249話 鯛や鰻の舞踊り (その5)

銀座は旧尾張町の交差点近く、
「竹葉亭」の2階席で酒色に、もとい、酒食に励んでいる。
鯛かぶと煮の皿も骨蒸し同様に頭蓋の残骸だけが残された。
文字通り鯛の舞踊りを堪能しきったカタチである。

竜宮城ならば続いて舞踊るのは平目ということになるが
生憎、うなぎ屋に真鯛は居ても寒平目は不在だ。
ここは主役の”うな吉どん”にご登場願おう。

注文したのは一番小さめ少なめの鰻丼(3000円+)である。
しっかし、うなぎも高騰したものよのぉ。
数年前の狂乱相場は落ち着いたものの、
うな丼1杯で天丼・鉄火丼なら2杯、かつ丼・親子丼なら3~4杯、
牛丼なら8杯も食べられる値段であるぞヨ。

「鰻丼は真鯛のあとでお願いします」―注文時に指定しておいた。
一流の店舗には一流の仲居さんが存在する。
客のペースを見計らい、グッドタイミングで配膳してくれる。
故・池波正太郎翁言うところの気働きに長けているのだ。
剣客商売、もとい、客商売の飲食店たるもの、常にこうありたい。

鰻丼がやって来てうなぎが好物の相方がニッコリ。
粉山椒を振る前にパチリ
シンプル・イズ・ザ・ベスト。
つややかにしてあでやかである。

 ♪  あんな哀しい 夜祭りが
  世界のどこに あるだろう
  足音を 忍ばせて
  闇にしみ入る 夜泣き歌
  君に見せたい 風の盆  ♪
    (作詞:なかにし礼)

なかにし礼が作詞だけでなく作曲も手がけた「風の盆」。
その2番だが
こんなシンプルなどんぶりが世界のどこにあるだろう。
余計なモノをそぎ取ったというか、何物も加えることができない。
茶道にも通ずる日本人の美学が象徴されている。

相方には肝吸い(300円+)を付けてやり、鰻丼を分け合って味わう。
うむ、ウム、まことにけっこうでありますな。
タレのまぶし具合もよろしく、
やはりうなぎは江戸・東京に限りますな。

名古屋の櫃まぶし、大阪のまむし、
それぞれに適材適所の妙を感ずるけれど、
鮨とうなぎ、ついでに天ぷらもかな?
日本全国いささか広うござんすが
花の東京に如くはございやせん。

=つづく=

2015年12月10日木曜日

第1248話 鯛や鰻の舞踊り (その4)

そもそもうなぎ屋にやって来て
重箱にせよどんぶりにせよ、主役のうなぎが整う前に
いろんなものをつまんで箸を染めるのは感心しない。
感心しないが店側だってそこは商売、
うざくやらう巻きやら用意周到、
準備万端の構えで客を待ち受けている。

先日紹介した代々木上原の「鮒与」など、
蒲焼きとお重のほかは肝焼きと骨せんべいのみと
余計な仕事は一切しない。
そんな町場の庶民的な店舗も少なくないが、
高級店においては前述のうざく・う巻きはまず間違いなくある。
品書きに載せていないと、格式不足と判断されかねないしネ。

通常、うなぎが焼き上がるまでのあいだ、
新香で一杯飲ることにしている。
そのために上新香を用意している店が多い。
うな重には小皿の新香がちょこっとばかり付いてくるから
区別して(上)を謳っているのだ。

その上新香(500円+)がすぐに運ばれた。
理想的なラインナップ
茄子・胡瓜・蕪・人参・大根の陣容は
非の打ちどころがない。
すっきりとした浅漬けがまたうれしく、
古漬けが苦手の身にはありがた味もひとしおである。

清酒に切り替えたとき、
鯛の骨蒸しとかぶと煮(ともに900円+)が卓上に並べられた。
こちらが骨蒸し
いわゆる鯛の酒蒸しだが「竹葉亭」では骨蒸しと称する。

以前はメニューに無かった一品で
その代わりに鯛のかぶと焼きが幅を利かせていた。
お運びの女性にその点を問い質すと、
彼女、申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べる。
いや、べつに詰問したつもりはないからなだめて帰す。
おそらく塩焼きのほうが手間ヒマが掛かるのだろう。
焼き場から目が離せず、焦がしちゃったらアウトだもんネ。

骨蒸しとかぶと煮、食べ比べてみて相方ともどもかぶと煮に軍配。
この店に来ると必ず真鯛の二品を食するが
以前はかぶと焼きに軍配を挙げることも多々あった。
同じ塩味ながら酒蒸しよりも塩焼きのほうに
真鯛の旨味の凝縮感が顕著であった。

とは言え、お銚子の追加をお願いする頃には
先刻の骨蒸しがかような姿に変身したのだ。
しゃぶり尽くされた鯛かぶと
これなら鯛も本望、成仏したことであろうヨ。

=つづく=

2015年12月9日水曜日

第1247話 鯛や鰻の舞踊り (その3)

文豪・夏目漱石が通った鰻屋「竹葉亭」の稿のつづき。

忘れられないのが旧丸ビル1階にあった支店。
建物にとけ込んだ快適な空間で
時間が静止していたものだ。
あんな雰囲気をかもし出す料理店は
今の東京にほとんど残っていない。
 
尾張町で隆盛を誇った「竹葉亭」も関東大震災で焼失する。
その後再建されたのは
往時の面影を残す銀座8丁目の「竹葉亭本店」。
そんな経緯もあり、この稿では本店のほうを取り上げる。
銀座といっても新橋や汐留にほど近い、
人通りもまばらな一郭にあるので都会の喧騒とは無縁だ。
 
宴席なら離れの座敷だが純粋にうなぎと向き合うのなら、
少々狭くとも20席ほどある椅子席でじゅうぶん。
重箱ではなく鰻お丼と称し、
瀬戸物のどんぶりで出してくれるのがありがたい。
 
A(2100円)・B(2625円)とあるうち、
よほどの大食漢でなければAで満足できよう。
うなぎは丁寧に焼かれて焦げ目が一切ない。
懐かしい風味のタレは控えめな甘みをたたえ、
100年以上も使い継がれているそうだ。
 
ごはんはやや固めに炊かれ、
もう1つの名物料理・鯛茶漬け(2100円)でその本領を発揮する。
胡麻ダレ醤油で味付けされた真鯛の刺身をごはんの上に並べ、
ほうじ茶をかけていただくのだが
半量は茶漬けにせずに刺身でごはんを1膳。
残りをお茶漬けサラサラとやるのが上手な食べ方。
銀座店で人気のまぐろ茶漬けが本店にはないのがまことに残念だ。

そんな鰻屋が銀座の真ん中に生き残っている。
しかも閉店の気配など微塵もなく入れ替わり立ち代り、
客がさざなみのように押し寄せて
商勢は衰退の兆しすら見せていない。

更にすばらしいのは酒類を注文する客に運ばれる肝煮。
これがチャージ無料のサービス品なのに真っ当なのだ。
真っ当ならば文句を言わぬが
愚にもつかない突き出しでこっそりと、
二、三百円かすめ取る居酒屋には猛省を促したい。

最初の注文は以下の3品。
上新香(500円)、鯛かぶと煮(900円)、鯛かぶと蒸し(900円)。
J.C.にとって以上の品々は山田・柳田に匹敵するトリプルスリーだ。
うなぎ前の必食アイテムなのであります。

=つづく=

2015年12月8日火曜日

第1246話 鯛や鰻の舞踊り (その2)

 ♪  たそがれゆく銀座 いとしい街よ
  恋の灯つく銀座 夢買う街よ
  あの娘(こ)の笑顔が可愛い
  ちょっと飲んで行こうかな
  ほんとにあなたって いい方ね
  でもただそれだけね
  たそがれゆく銀座 いとしい街よ
  恋の灯つく銀座 夢買う街よ  ♪
        (作詞:相良武)

松尾和子&和田弘とマヒナスターズの共唱、
「銀座ブルース」のリリースは1966年。
オジさん・オバさんのデュエットとなれば、
「銀座の恋の物語」と「東京ナイトクラブ」が双璧だろう。
「銀座ブルース」はその二大ヒットに匹敵する佳曲にも関わらず、
歌われることはほとんどない。
歌詞もメロディーもこちらのほうがずっとオサレだと思うが
カラオケ・スナックで聴いたことが一度としてないのだ。

ちょいとおこがましいけれど、カラオケ好きのお父さんにアドバイス。
スナックのママとデュエットするなら「銀恋」よりも「銀ブル」がよい。
ママたちは概して「銀ブル」が好きだからネ。
こっちのほうが間違いなくモテる。
スナックのママと鮨屋の大将にとって”銀座”は
思い入れのある特別な街、夢買う街なのですヨ。

たそがれゆく銀座の街を見下ろしながら
「竹葉亭銀座店」の窓際の席で
のんびりとビールを飲んでいる。

この店にふれた一文を自著から紹介てみしたい。
例によって「文豪の味を食べる」の夏目漱石である。

夏目漱石は自作の小説に
数々の料理屋・菓子舗・百貨店を実名で登場させている。
殊に処女作の「吾輩は猫である」に顕著で
うなぎの老舗「竹葉亭」もそのうちの1軒。
「竹葉亭」は江戸末期に
京橋の浅蜊河岸で留守居茶屋として創業し、
明治9年にうなぎを専門に扱うようになった。
その後、同30年には銀座・尾張町に新しい店舗を出したというから
漱石が通ったのは尾張町に違いない。
 
尾張町といえば、今なら銀座5丁目あたり。
現在の「竹葉亭銀座店」と地番を同じくすることになる。
実はこの銀座店が実に使い勝手のよい店だ。

地下・1階・2階と3フロアにまたがるうち、
晴海通りに面する2階の窓際が特等席。
街の灯りと道行く人々、
走るクルマのテールランプを眺めながら
食べるうな丼には格別の味わいがある。
食道楽の映画監督・小津安二郎が愛好したのも
本店ではなく、銀座店のほうである。

=つづく=

2015年12月7日月曜日

第1245話 鯛や鰻の舞踊り (その1)

 ♪  昔むかし浦島は
  助けた亀に連れられて
  竜宮城へ来て見れば
  絵にもかけない美しさ

  乙姫様の御馳走に
  鯛や比目魚の舞踊り
  ただ珍しくおもしろく
  月日のたつのも夢の中(うち) ♪

       (作詞者不詳)

みなさんご存じの童謡「浦島太郎」の一番・二番である。

此度、J.C.が”亀”に連れられてではなく、
”亀”を連れて向かったのは
竜宮城ならぬ、銀座のうなぎ屋であった。

何だ、その”亀”ってのは! ってか?

 ♪  浮世荒波 ヨイショと越える
  今日はおまえの 晴れの門出だよ
  親が咲かせた 命の花が
  二つ並んだ 鶴と亀
  笑顔うれしい 祝い酒    ♪ 
      (作詞:たかたかし)

坂本冬美のシングル第3弾「祝い酒」の発売は1988年。
当時はニューヨークに赴任していたから
リアルタイムでは聴けてないハズだが
’90年頃にはよくクルマを走らせながら聴いていた。
CDのアルバムだった。

裕次郎や圭一郎やフランクはカセットテープ。
荒木一郎、谷村新司、ザ・ピーナッツ、加藤登紀子あたりは
トランクに積み込んだCDである。

「祝い酒」の”亀”はもちろん花嫁のこと。
よってうなぎ屋に連れて行ったのは元嫁だ。
今でも別れた前妻とはときどき食事を共にしている。

訪れたのは「竹葉亭」の銀座五丁目店。
晴海通りをはさんで三越の真向かいにある。
新橋演舞場の近くに格式高い本店があるが
使い勝手のよいのは断然こちらのほうだ。

1階のほかに地下と2階にも席があり、
特等席は2階の窓際に並んだ3つの卓。
行き交う人々やクルマを眺めながらの酒とうなぎは
格別の味わいがあるのだ。

=つづく=

2015年12月4日金曜日

第1244話 永遠の原節子 (その2)

日本の若い世代には理解しにくいと思われるが
原節子は日本映画史上最大の”女星”である。
彼女を追悼して山田洋次かく語りき。

原節子さんが亡くなったなどという知らせを聞きたくありません。
原さんは美しいままに永遠に生きている人です。
半分は神様と思って手を合わせます。

大したもんだよ、蛙のナントカ。
見上げたもんだよ、屋根屋のナントカ。
さすがに山田監督、
これ以上ない名コメントを捧げたものである。
おそれいりました。

今現在、生存及び活躍している女優で
日本のナンバーワンは誰だろう。
人気と実績を加味して選べば、
吉永小百合であることに異論はあるまい。

でもねェ、彼女が主演した映画の興行成績は
思ったほどよくないんですわ。
それがネックでおそらく、
小百合が節子を超える日はこないんじゃないかと考える。

ここで恒例の原節子マイ・ベスト・ファイヴ。
ただし、戦前公開された作品は半数も観ていないから
ベスト・ファイヴなどとはいい難く、
ザ・モースト・フェイヴァリット・ファイヴとでもしておこうか。

① 東京暮色・・・(小津安二郎)
② 晩春・・・(小津安二郎)
③ 安城家の舞踏会・・・( 吉村公三郎)
④ 東京物語・・・(小津安二郎)
⑤ めし・・・(成瀬巳喜男 )
 次点:忠臣蔵 花の巻・雪の巻・・・(稲垣浩)

一般的には「東京物語」が小津の、
そして原のベストと評されるのかもしれない。
その評価に反論するつもりなど毛頭なく、
ただ、ただ「東京暮色」が好きなのだ。

小津の作品としては終始、
陰鬱な空気が立ち込めて酷評する人もいるくらい。
でもネ、笠戸衆はもとより、
有馬稲子・山田五十鈴・中村伸郎・高橋貞二・藤原釜足、
脇で支える役者がいずれも達者で非の打ちどころがない。
加えて駅・雀荘・支那そば屋、揃いも揃って舞台がまことにけっこう。

むしろ脇役陣に主役の原節子が食われた感もあるけれど、
スティル・マイ・モースト・フェイヴァリット。
年に一度はこの映画を観て永遠の女神を偲びたい。

2015年12月3日木曜日

第1243話 永遠の原節子 (その1)

前話でバッサリ斬っちゃったJリーグ。
昨夜のチャンピオンシップ第1戦は意想外に見応えがあった。
後半から試合が動き始めたが
アディショナル・タイムを含む36分間のあいだに生まれた、
5ゴールのすべてが質の高いゴールであった。

あんなゲームを続けてくれたらサッカー人気も
欧州並みに飛躍するのではないか?
とにかく昨夜は驚いた。
広島での第2戦もTVの前で缶ビールとともに味わいたい。

ハナシ変わって、半世紀以上も前。
映画ファンに別れも告げず、忽然と姿を消した女優・原節子。
ファンの目には身勝手な失踪&隠遁をされたように映る。
米女優のグレタ・ガルボと比喩されるが
あんなフェイドアウトのやり方もあるのだ。

J.C.は別段、原節子を特別に恋い慕いはしない。
高峰秀子・有馬稲子・桑野みゆきのほうがタイプだ。
エッ、三人ともタイプが違うじゃねェか!ってか?
いいのっ!鮨も天ぷらも鰻も食べたいのっ!

そんな原節子ながら折りにふれて
監督・小津安二郎の作品をたびたび観ているから
彼女に対してそれなりの好印象を抱くとともに
時代を超えた親近感すら覚えている。

多くの人たちが声高に叫ぶほどに美人だとは思わない。
同じ世代なら、ともに二つ年長の、
高峰三枝子・小暮実千代のほうに
ちょっと見、昔風の美しさを感じる。

でも違うんだよなァ。
原節子の所作や言葉遣いには
古く良かりしにっぽんの乙女の神髄がにじみ出ているのだ。
ああいう人は間違っても電車内で化粧なんかしない。
人前で化粧するするくらいなら自ら命を絶つだろうヨ。 

年齢が年齢だけにある程度、訃報の予感はあったにせよ、
世間に与えたインパクトは大きいものがあった。
まあ次元の低いある種の女性には
福山雅治の結婚のほうがより衝撃的なんだろうがネ。

かつての関係者や映画評論家など、
さまざまなコメントを発信している中で
スポーツ・ニッポンに掲載された、
映画監督・山田洋次のそれを全文紹介してみたい。

と、ここまで綴って以下、次話であります。

=つづく=

2015年12月2日水曜日

第1242話 秋のスポーツ 花ざかり(その6)

21世紀の日本が生んだ不世出のテニスプレイヤー・錦織圭。
昨年のUSオープンが彼のピークだったなんて
絶対に思いたかないネ。
四大大会のウインブルドンで組合わせに恵まれ、
ベスト8まで進んだ松岡修造と比べてもまったくモノが違う。

彼の飛躍が努力と鍛錬の賜物だったこともけっこう。
多くの子どもたちが勇気をもらい、
明日の錦織を目指してテニスに打ち込んでゆくだろう。

それにしてもセルビアのジョコヴィッチは強い。
強すぎる。
おそらくく史上最強のテニスプレイヤーだ。
今年もまた全仏(ローラン・ギャロス)のタイトルを逃したけれど、
来シーズンは四大タイトル総なめの偉業を遂げるのではないか。

おしまいはフィギュアスケートNHK杯の羽生結弦。
いや、驚きましたねェ。
あの身体のキレはいったい何なんだ。
採点を待つまでもなく、
観ていた者はみな史上最高得点を確信したハズ。
優しい顔してトンデモないことをやらかしてけつかる。
本人も含め、しばらくは更新不可能な記録が生まれた。

歓ばしいのは世界のスケート界で初めて和楽が認められたこと。
もともと占いやジンクスなどは気にとめないタチにつき、
「陰陽師」の世界には縁もゆかりもないが
楽曲とスケーティングのシンクロナイジングはよく判った。

男子の羽生に対し、女子の浅田真央はさんざんの不出来。
使用した曲はSPが「素敵なあなた(Bei Mir Bistu Shein )」、
フリーはオペラ「蝶々夫人」の中のアリア「ある晴れた日に」である。
ともに好きな曲ながらとりわけ「素敵なあなた」に思い入れがある。

すでにジャズのスタンダードとなっており、
1930年代nお米国で
アンドリュー・シスターズの三姉妹が歌ってヒットした。
のちにエラ・フィッツジラルドやグレン・ミラーがカバーし、
本邦では雪村いづみと桃井かおりも取り上げている。

松竹映画「蒲田行進曲」のセカンドバージョンに
「上海バンスキング」があるが
ここではクラリネットのソロで挿入されている。
J.C.はヴォーカルも好きだけれど、
このインストルメンタルを第一とする。

とまれ、NHK杯のユヅル君には
完全に魅了されてしまった。
2015年のオールスポーツMVPは間違いなく彼であろう。

=おしまい=

2015年12月1日火曜日

第1241話 秋のスポーツ 花ざかり(その5)

お待たせしました。
遅ればせながらつづきであります。

昨日のブログを読んでくだすった、
栃木県・宇都宮市在住のK林サンからメールをいただいた。
「現在、日本サッカー協会の専務理事に就いている、
 原博美氏はいかがなものでしょう?
 代表でかなりのゴール数を記録していますから
 歴史に残る大型FWの一人じゃないでしょうか?」―
かようなご意見であった。
 
ふ~む、原サンねェ・・・。
ここでJ.C.、はるか昔、1980年代を思い起こす。
まだJリーグ発足以前の時代は日本サッカーの停滞期で
東南アジアの、例えばタイ王国あたりに
なすすべもなくコロリとひねられたりもしていた。
 
それというのもCFを張っていた、
原の不甲斐なさによるところ大きく、
観戦していて歯がゆさを感じることしきりだった。
確かに長身を生かしたヘディングには定評があったが
ドリブル突破なんざほとんど見たことなかったなァ。
 
当然、釜本とは比べるべくもなく、
K林サンには大変申し訳ございませんが
歴代の名選手にリストアップいたしかねます。
 
今年のJリーグを総括すると、ものたりなさばかりが降り積もる。
川崎の大久保が史上初の三年連続得点王に輝いたものの、
有力選手がみな欧州に出払ったあとの、
言わば鬼の居ぬ間の洗濯感否めず。
これでは観客動員数も頭打ちになるわけだ
 
海外に目を転じてもあまり景気のいい話は伝わってこない。
ACミランで飼い殺し同然の本多、
完全復調にはほど遠いドルトムントの香川、
いや、香川はすでにピークを過ぎてしまった可能性が高い。
いやいや、本多だってそうなのかもしれないな。
 
テニス・・・
といっても話題は錦織ただ一人だけどネ。
世界ランクをとうとう8位にまで落としちまったが
先日のフェデラー戦は久々に
テニスという球技の醍醐味を味あわせてくれた。
 
錦織の肩を持つわけではないが
超高速サーブを利して一発ズドンで
勝負が決まるようなテニスは面白くも何ともない。
ボルグ、エドバーグ、コナーズ、マッケンローの時代は
のっぽのビッグサーバーなんてほとんど見かけなかったもの。
一世を風靡したボルグなど、
錦織と似たりよったりの体格だったと記憶している。
 
=つづく=