2016年9月30日金曜日

第1459話 納豆はアンビバレント (その1)

 ♪    心が忘れたあの人も
    膝が重さを覚えてる
    長い月日の膝まくら
    煙草プカリとふかしてた
    憎い 恋しい 憎い 恋しい
    めぐりめぐって 今は恋しい
    雨々ふれふれ もっとふれ
    私のいい人つれて来い
    雨々ふれふれ もっとふれ
    私のいい人つれて来い   ♪
        (作詞:阿久悠)

八代亜紀の歌った「雨の慕情」は1980年のレコード大賞受賞曲。
TVの歌謡番組「夜のヒットスタジオ」で歌う八代の頭上から
大量の雨(スタッフの撒く水)が降ってきて
彼女がビッショリになったことがあった。
司会の井上順と芳村真理も驚いたけれど
TVを観ていたわれわれもビックリしたな、もう!

続いてもう1曲。

 ♪    あれから数えきれぬ男と
    夜をともにしてきたけれど
    愛と罪の駆け引き覚えて
    戻れぬ純情
    ゴメンネ許さない
    大嫌いでも大好きよ
    矛盾だけに正直だった
    さよならイエスタデイ  ♪
       (作詞:前田亘輝)

1985年結成のロックバンド「TUBE」の「さよならイエスタデイ」は
1991年のヒット曲。
初めて聴いたのは京都駅前から乗ったタクシー、
車中に流れるラジオであった。
もともとアップテンポのマイナーコードが好きなJ.C.、
一発でハマったことを覚えている。

出し抜けに2曲も披露しなくてもいいんだが
赤字部分に注目していただきたい。
憎いのに恋しい、大嫌いなのに大好き、
この感情をアンビバレントと称する。

両曲にあるように
女性から男性に向けて相反する感情が
葛藤する状態を指すことが多いが
男にもあるんですな、このアンビバレンス!

おかしなハナシだと思われようが
J.C.にとっては、あのネバネバ納豆こそがアンビバレントなのだ。

=つづく=   

2016年9月29日木曜日

第1458話  こち亀タウンの北口にて(その4)

亀有の「江戸っ子」でシロとレバの焼きとんを注文したところ。
壁に貼られた品書きに目がとまった。
この店では通常よく見られる塩とたれのほかに
にんにく辛たれ、そして蜜たれまで用意されていた。
極めてまれなケースである。

大勢で出掛けたときにはいろいろ試す手もあろう。
しかし、当夜は日本そば屋の「花かご」に廻る予定。
串は4本でじゅうぶんすぎるのだ。
よって見送りの巻。

さて、焼き上がったシロ&レバだったが
どちらもその質に不満が残った。
加えて下ごしらえが不十分。
もうちょっと丁寧な処理がほしい。

シロの下茹でが浅いため、チューイングガムを噛んでるみたい。
レバはレバで筋っぽいうえに火の通しすぎだ。
よみがえるのは同じ葛飾区・金町の「B」や文京区・千石の「H」。
安価な焼きとんでも優良店のそれは美味の極みに達している。

一息ついてあらためて店内を見回す。
客の八割方は男だ。
立錐の余地がないとは言わないまでも満員御礼に近い。
ビールが空いてボールに切り替える。
 
ここで隣りのオジさんに話し掛けられた。
「近所の人ッスか?」
「いえ、上野のほうからです」
「あっ、そう、わざわざこの店まで?」
「そういうわけじゃないんですが、これから近所でもう1軒」
「ふ~ん、ハシゴかネ、だけどここのモツは旨いっしょ?」
「ええ、そうですネ、1本90円なら御の字ですネ」

オジさん満足そうにうなづいてボールのグラスを掲げる。
こちらもつき合って合わせる。
「モツ焼きはネ、おまかせ4本のみつくろいってのがあるんだけど、
 それ頼むのが一番いいッス、いろいろ食えるから」
なるほど独り飲みなら4種1本づつ、それが一番だ。

その後、しばらくとりとめのない会話を交わし、
軽く会釈して「江戸っ子」をあとにした。
そうして向かった先で眼張の洗礼を浴びたのだ。

そのまますぐ帰る気にもなれず、
隣り駅の綾瀬まで歩くことにした。
くれなずむ並木道にはアブラゼミとヒグラシだろうか・・・
すさまじいばかりのせみしぐれ。

命短し、恋せよ、セミたち。
眼張なんかでメゲてられないや。
セミに力をもらったものか綾瀬を行きすぎ、
東京拘置所の脇を抜けて北千住まで歩いちまったヨ。

=おしまい=

「江戸っ子」
 東京都葛飾区亀有5-32-1
 03-3605-0619

2016年9月28日水曜日

第1457話 こち亀タウンの北口にて (その3)

亀有のそば屋にいた。
時刻は13時前だったろうか―。
隣客のつまむカツオの刺身が気になりながら
残り少ないビールを飲んでいた。

すると、今度は右隣りに
小さな女の子を連れた親子三人が着席。
品書きをじゅうぶんに吟味したうえで
天ざると冷や麦の大盛りを注文した。
仲睦まじい夫婦の穏やかな会話が続く。
ダンボでなくとも自然に耳に入ってくる。

小分けにされた冷や麦をすする娘がおとなしくてとても良い子。
利発なのだろう、無駄口をいっさいたたかない。
飲食店だろうが電車の車輛だろうが
ピーピーギャギャー騒ぎまくる馬鹿っ子が跡を絶たない昨今、
いや、これはほとんど親がアホなんやけどな、
こういう落ち着いた子どもを見ると心が和むヨ、いや、ジッサイ。

小一時間も滞在したろうか、勘定の1550円にびっくり。
Cセットが1000円でっせ!
そこにビール大瓶、突き出し、サービスのさつま芋天だヨ。
しかも女将さん、オツリの50円より先に
「よろしかったら、どうぞ!」―
苺ミルクのキャンディーを手のひらに乗せてくれた。
思わず彼女の手を握り締めるJ.C.、っていうのはウッソー!
エニウェイ、良心的な町場のそば屋の姿がそこにあった。

北口駅前の「江戸っ子」は焼きとん酒場。
「花かご」再訪の前にふと立ち寄った。
京成線・立石の飲み屋街に同名店があるが
両者の関係は知らない。

メニュー幅の広い立石に比べ、亀有は焼きとんが主体。
前者は座り飲みだが後者は立ち飲みである。
そんなこともあって縁戚、あるいは姉妹店、
はたまた暖簾分けではないだろう。
一概には決めつけられなくとも何となくそんな気がする。
もっともあちらは”立石のポンパドゥール夫人”の異名をとる、
名物・女将のインパクトがあまりに強くて
二店の雰囲気は違いすぎるものネ。

ビールは一番搾りの大瓶。
初めての訪問につき、
周囲の様子を観察して状況把握に努めなければならない。
ほとんどの客が
1杯360円のボール(ハイボールのこと)を飲んでいる。

名代の焼きとんは1人前4本からで
黙って注文すると、同じ部位が4本まとめてきちゃうみたいだ。
これが”ミックス”、そう一言添えれば、
2種が2本づつ盛合されるしくみらしい。
シロとレバのミックスをたれでお願いしてみた。

=つづく=

2016年9月27日火曜日

第1456話 こち亀タウンの北口にて(その2)

亀有北口の「吉田パン」。
この店のコッペパン・サンドには都内随一の折り紙をつけたい。
コッペの旨さは天下一品である。
比べるのもどうかと思うが
半世紀以上前に小学校の給食で食べたコッペの10倍は美味しい。

コッペサンドの包みを抱えてオモテに出たときに
前話で紹介した日本そば店「花かご」を見つけたのだった。
メバルの刺身については語り終えたので
メバルの二日前の昼食、大瓶のビールとCセットである。
これがよかった。
よかったからこその再訪で外したわけだ。

まずはCセット(1000円)の内容から。
ミニざるにはさらしねぎと粉わさび。
天丼は小海老が5尾にしし唐が1本。
豆腐・油揚げ・わかめの味噌汁。
べったら風たくあんとしば漬け。
なかなかの取り揃えであった。
おまけにサービスのさつま芋天ぷらが1枚。

実はこの時点でビールは注文していない。
昼めしだからと見送りを決めていた。
ところがアイスボックスにスーパドライがあるのを目ざとく見つけ、
どうにも我慢ができなくなったのだった。
「ビールは中瓶ですか?大瓶ですか?」―
訊かれて、もちろん大瓶を指名する。

そばは中太、そこそこのコシがあって歯ざわりがよろしい。
つゆは町場のそば屋にありがちな下世話な甘みを感じさせ、
好きなタイプである。
近頃、流行りのオサレに気取った、
そば店の洗練されたそばつゆはあまり好きではない。

そばの上をいったのが天丼。
コロモが厚いが旨い。
浅草辺りによくある昔風の天丼なのだ。
こういうのには久しぶりに出会った気がする。
食べてるそばから再訪して
もう一度食べたいと思ったほどだった。

忘れた頃に女将さんが
「突き出しですが・・・」―きゅうりと大根のぬか漬けをくれた。
小柄な彼女と大柄な店主はさながらリスとタヌキの夫婦である。

このとき来店したのが常連のヒルノミストだ。
そばを食わずにカツオとカンパチの刺身で
ボトルキープのそば焼酎を飲り始める。
カツオにはたっぷりの刻みねぎ。
傍目にも美味しそうで
二日後再訪の誘い水はまさにこれだった。

=つづく=

2016年9月26日月曜日

第1455話 こち亀タウンの北口にて (その1)

前話まで綴った「鱸と眼張」。
そこにチラチラと垣間見えた店々をあらためて紹介してみたい。
”こち亀タウン”にはときどき出没しているが
訪れるのは南口エリア一辺倒だった。
くだんの両さんスタチューも北より南のほうに多く見られる。

もっとも少年ジャンプの読者じゃないJ.C.は
「こち亀」をほとんど読んだことがない。
ここ何年も目を通していないが
愛読していたのはもっぱらビッグコミック。
とりわけ「ゴルゴ13」は好きだった。

普段、足を踏み入れない亀戸北口に赴いたのは
1軒のパン屋さんのためであった。
その名を「吉田パン」という。

外に順番待ちの客が3人並んでいた。
店頭に日傘が置いてあり、自由に使えとのこと。
陽射し除けの傘を用意する店舗には初めて遭遇する。
親切なんだねェ。

ほどなく店内に案内されたが
何だ!何だ! 中に10人も並んでいるぜ。
客層は千差万別、見たところ主婦と中高年のオジさんが目立つ。
これを若い娘ばかり3人のスタッフがさばいてゆく。
みんなけっこうまとめ買いしているなァ。
一人平均4~5個といったところだ。

待ち時間10分足らずで順番が回ってきた。
コンビーフ&ポテト、ハムカツを注文すると
「マスタード・マーガリン、お付けしますか?」との問い。
コンポテにはナシ、ハムカツにはアリでお願いする。

調製を待っているあいだ、一番人気と聞き及んでいた、
あんこ&マーガリンもほしくなり、計3個も購入してしまう。
いったいどうすんだヨ、これ!
俺らはバカか? まだ言ってるぜ。

今夜はコンポテとハムカツでビールを飲もう。
あんこは明日のおやつにでもするかの?
でもねェ、間食はしないからなァ・・・
かと言って食事に甘いもんは気が染まない。
まっ、何だかんだ言ったものの、
翌日の昼に緑茶を淹れてやっつけた。

もちろん当夜に味わったコンポテとハムカツのほうがよかった。
コッペがふんわりシットリして実に美味しい。
コンビーフの濃厚さをポテサラが和らげて
文字通りグッド・コンビーフ、もとい、コンビネーション。
ハムカツはハムカツでビールが殊更美味くなる。

=つづく=

2016年9月23日金曜日

第1454話 鱸と眼張 (その2)

浅草で鱸に閉口した二日後、
「こち亀」の町、常磐線・亀有にやって来た。
此度は眼張である。

北口商店街をまっすぐ北上してゆくと、
極上のコッペパン・サンドで人気の「吉田パン」がある。
当店のコッペはふんわりしっとり。
他店のものとはまったく異なるタイプで
地域の人々に愛されている。
この日は3つも購入してしまった。

帰りぎわ、はす向かいの日本そばに目がとまった。
ちょうど昼めしどきのことで渡りに舟、ちゅうちょなく暖簾をくぐる。
Cセットをお願いした。
ミニざると小海老天丼の組合わせだ。
そしてあとからビール。
このことについては
前述の「吉田パン」ともどもあらためて紹介し直したい。

食べ終えてしばしくつろいでいると、
隣りの席に中年のオジさんが着席。
店の女将がそば焼酎のボトルを取り出してきた。
こりゃどう見ても常連サンの昼飲みですな。

続いて厨房から店主が運んできたのは刺身の盛合せだ。
これは品書きに載っていない。
ふ~ん、こういう店なんだねェ。
Cセットはよかったから刺身もイケるんじゃないか、
そう思ったことだった。

そのまた二日後、「花かご」に再びJ.C.の姿を見ることができた。
此度はまず駅前の焼きとん専門店「江戸っ子」で一杯。
「江戸っ子」は今話の主役じゃないので
前記の2軒とまとめて登場させたい。

二日前と同様にさっそくビールの大瓶。
突き出しはキンピラ、きゅうり&大根の浅漬け。
こちら常連ではないから店主に
「刺身は何かありますか?」―
おそるおそるというのではないにせよ、
遠慮がちに訊ねてみる。
「ございますヨ、盛合せましょうか?」―
明快な応えが返ってくる。
「ええ、お願いします」―
これにて第一関門突破の巻である。

はたして白身魚と貝の二点盛りが目の前に。
貝のほうはひと目で北寄貝と判る。
白身は食べてみなきゃ判らない。

一切れ口元に運んでまたもやガックシ。
これはおそらく眼張。
雷門の鱸ほどではないものの、やはり鮮度に問題がある。
何とか三切れほどヤッツケたが、あとは箸が進まない。
やれやれ、白身魚に連荘でやられちまったぜ。

教訓として残ったのは
そば屋・居酒屋において生モノ、殊に白身は避けるべし。
せいぜいタコやマグロのブツにとどめることが肝要なり。

「花かご」
 東京都足立区中川4-25-6
 03-3629-7529

2016年9月22日木曜日

第1453話 鱸と眼張 (その1)

先の三連休のあいだ、久しぶりにのんびりとTVを観た。
話題はもっぱら築地から豊洲への移転問題で
盛り土不全と溜まり水が焦点となっている。
移転賛成派と反対派もかんかんがくがく、
まっことかまびすしい。

歌舞伎役者の不倫も繰り返し報道されていた。
昔っから梨園における女遊びは
芸の肥やしなんぞといわれ、半ば公認されてきた。
でもネ、考えてもごらんヨ。
浮気や不倫で培われた芸なんざしょせんタカが知れてる。
そんなもん観たくもねェや。

表題の「鱸と眼張」。
ちょいと難しい漢字かもしれない。
これは「スズキとメバル」と読みます。
阿川弘之のユーモア短篇小説に「鱸とおこぜ」があるが
今話の主役は鱸と眼張である。

ともに食味のよいサカナで
殊にスズキはフランスでバール、またはルー・ド・メール(海の狼)、
イタリアではスピゴラ、あるいはブランツィーノと称され、
高級魚として珍重されている。

ポール・ボキューズの代表的スペシャリテ、
バール・アン・クルートはスズキのパイ包み焼きのこと。
仔羊のマリア・カラス風、牛フィレ肉のウエリントン、
パイで包んで焼き上げる料理には目のないJ.C.であります。

八月初旬、この2種類のサカナを食する機会に恵まれた。
最初に鱸である。
浅草は雷門脇の「ときわ食堂」をちょい飲みに利用した際、
つまみに選んだのがスズキの昆布〆だ。
白身魚の昆布〆も大好きだから期待度は高まる。

さあ、どんな美味が到来するやら・・・
想像しただけで飲むビールの旨さまで増すから不思議だ。
ところが運ばれた皿を一べつしてイヤな予感。
見た目に冴えがない。

案の定、一箸つけて箸を置く。
おそらく前の晩に刺身で出したモノの使い回しだろう。
素材の旨味がすでに峠を越えている。
越えたどころか下り切ってしまっている。
白身魚の昆布〆というものは
刺身でいけるほどに新鮮な段階で仕込まねばならない。
真っ当な江戸前鮨店は必ずそうするハズだ。

ほかにめぼしい代替品は見つからない。
もっとも生モノを再注するつもりはまったくないけどネ。
仕方なく鍋仕立てのニラ玉に救いを求め、
ものの30分で夜の街に出たのでありました。

=つづく=

「浅草 ときわ食堂」
 東京都台東区浅草1-3-3
 03-3847-8845

2016年9月21日水曜日

第1452話 俺らはバカか? (その6)

松戸駅西口の大衆酒場「ひよし」。
豚レバーサイコロステーキをお願いした。
どれだけの量でくるのか見当もつかない。
下手を打ったら焼きとんに移行できないかも・・・。

名物の焼きとんは4本で290円。
タン・ハツ・レバ・シロ・ナンコツのラインナップ。
頭の中でタンとハツを塩で1本づつ、
シロをタレで2本と決めておく。

しばらくしてサイコロステーキが運ばれた。
「ウゲッ!」―
何だヨ、このボリューム。
品書きを見返れば400円
3~4人でつまんでもじゅうぶんだ。
こんなん完食したらとてもじゃないが前へ進めない。
先刻のアイデアを即座に削除した。

味付けもかなり濃いからライスがほしくなる。
ビールじゃとても太刀打ちできない。
育ち盛り、食べ盛りの高校生ならこれだけで
どんぶりメシ3杯はいけちゃうだろう。

写真からはうかがい知れぬがレバーの下にキャベツが潜んでいる。
キャベツが濃い味付けを緩和してくれ、こちらのほうが旨いくらいだ。
それでも同じ味がずっと続くことに耐え切れず、4分の1ほど残した。
追加オーダーをする気にもなれず、
ビールの大瓶2本とレバー1皿で切り上げる。
勘定は1620円也。

いつのまにか汗は引いている。
さて、どうしよう?
さんざん歩いたから電車に乗ろう。
当然、都心に近づく方向で―。

JR常磐線及びメトロ千代田線の沿線はホームグラウンドに等しい。
候補地はいくらでもある。
金町・亀有・綾瀬・北千住・町屋・西日暮里・千駄木・根津・湯島、
一駅ももらさず、ずっとつながってすべてがホームだ。

選んだのは綾瀬。
近頃、長期連載を終了した「こち亀」でおなじみの亀有。
その一つ都心寄りの駅である。

メニュー豊富にして客であふれ返る「串のこたに」にするか、
良質な中華料理をつまみに「綾瀬飯店」で独り静かに飲むか、
当夜の選択は二つに一つであった。
ここで妙案が浮かんだ。
そうだ、「こたに」で中華を食べよう。
これなら一石二鳥じゃないか!
自分で自分の才能(?)がコワくなる。

結果、海老チリとニラ玉で、こたにサワー(酎ハイ)を2杯。
締めて1199円也。
2軒立ち寄ったのに3千円でオツリがきた。
長かった一日もこれにて本日の打ち止めでござい!

=おしまい=

「ひよし」
 千葉県松戸市本町19-9
 047-362-3182

「串のこたに」
 東京都足立区綾瀬2-24-9
 03-3604-4546

2016年9月20日火曜日

第1451話 俺らはバカか? (その5)

そうしてこうしてたどり着いた松戸。
時刻は17時を回ったところで
汗はだくだく、ノドはカラカラ。
とにもかくにもどこか酒場に飛び込まねば―。

入店したのは旧知の「ひよし」だ。
開店後まもないようで先客はゼロ。
オバちゃんが一人で仕込みだか、
食材の補充だかに勤しんでいた。

よく冷えたサッポロ黒ラベルで生き返る。
それにしても冷房の効いていない店内が暑い。
カウンターの傍らに置かれた団扇に手をのばさずにはいられない。
でも、団扇なんかじゃ汗は止まらない。
まっ、自分で蒔いた種だから、しゃんめいヨ!

突き出しはきゅうり&かぶの浅漬けである。
愚にもつかぬ突き出しをオッツケてくる店が少なくないなか、
かえってこんなシンプルなモノのほうがありがたい。
殊に夏場の浅漬けはけっこうだ。
好物の焼きとんをいく前に何か一品ほしい。

入店から20分ほどして厨房にアンちゃん登場。
オバちゃんとのやりとりから親子らしい。
これでやっと店側の受け入れ態勢が整ったわけだ。

壁の品書きで目にとまったのはコチとアイゴの刺身だった。
コチは今が旬、好きなサカナである。
アイゴは極めて珍しい。
タイ類に似た体系をしており、背ビレはより険しく鋭く長い。
ヒレのトゲに毒を持ち、刺されると激しく痛むそうだ。
主に西日本で漁獲される。

沖縄料理にスクガラス豆腐というのがあるが
これはアイゴの幼魚を塩辛にして豆腐に乗せたもの。
那覇の郷土料理屋で食べたことがある。
あまり美味しいものではなかったけれど―。

「ひよし」を目指したときから目当ては焼きとん。
生モノは念頭にまったくなかったから食指は動かなかった。
牛すじ大根煮、肉味噌オムレツ、当店の名物料理らしい。
ん? 焼き豚にんにくビーフって何だ?
豚と牛が同居する一皿のようだ。

豚レバーサイコロステーキを見つけた。
レバはあとで食べるから重複する。
にもかかわらず反射的に注文してしまった。
豚レバが好きなんだねェ。

=つづく=

2016年9月19日月曜日

第1450話 俺らはバカか? (その4)

千葉県・松戸市の馬橋駅は流山線の起点ともなっている。
2両編成の単線で路線距離は全長5.7kmにすぎない。
以前は流山電鉄流山線を名乗っていたが
数年前、流鉄流山線に改称している。

そう言えばはるか昔、常磐線のプラットフォームから
停車している流山線の車輛を眺めたことがあった。
時代遅れのロケットみたいで
「何じゃ、あれはっ?」―ってな感じ。
現在、あの手の車輛は廃車となった模様。

流山線を利用したことはただの一度もない。
せっかくだから乗ってみようか―。
気まぐれ心に突き動かされたカタチ。
われながら酔狂なヤツよのぉ。

到着したのは終点の流山駅。
もともとこの地の名産品である醤油や味醂を
運搬する目的で大正時代に敷かれた鉄道なのだ。

しっかし、何にもないとこだこと。
20年ほど前だったか、松本清張原作の松竹映画、
「砂の器」に出てきたJR木次線・亀嵩駅を訪れたことがある。
映画とほとんど変わらぬ様子に満足し、しばしたたずんだ。
山陰の山奥にあるその駅と流山は大して変わらぬ印象だ。

進路を東にとり、江戸川を目指した。
途中、新撰組の近藤勇が敷いた陣屋跡を通りすがる。
官軍に包囲された近藤はこの地で偽名を名乗って自首し、
板橋宿に連行され、結局は見破られてしまう。
ただちに板橋で斬首、その後どうやって首を運んだものか、
京都の三条ヶ原で梟首となった。

江戸川の土手にやって来た。
午後の陽射しが強烈だ。
蒸し暑い日も川風のおかげでいくぶんマシになった。
川風をたもとに入れたいところなれど、
Tシャツじゃそうもいかない。

駅に戻るのもなんだし、
意を決して松戸まで歩いて南下することにした。
まあ、ザッと2時間はかかるだろう。
それにしても直射日光がモロ燦々である。

歩き始めてすぐに後悔。
すれ違う人とてなく、
ときおりチャリンコに追い抜かれる。
流れる川の景色がなけりゃ音を上げるとこだわい。

彼方にホテル・ニューオータニを模したビルが見える。
それが松戸の目印なのだが、ずいぶん遠いや。
この炎天下に独りテクテクと―。
まったくもって、俺らはバカか?

=つづく=

2016年9月16日金曜日

第1449話 俺らはバカか? (その3)

アップが遅れ、失礼しました。

千葉県・松戸市の馬橋にいる。
たまたま遭遇した寺院は萬満寺。
何でも鎌倉時代に千葉市・稲毛で創建された真言宗大日寺が
室町時代に臨済宗の寺院として再興の際、萬満寺と改名された由。

神社仏閣の歴史は素人、いわゆる無神論者には
理解不能なところが多々ある、
わけのわからんまま、なおも調べてゆくと、
明治時代後期の大火で伽藍を焼失したとのこと。
新本堂が完成したのは昭和62年だというから、
J.C.がたびたびここに出没した時期よりあとだった。
そうか、そういうことか、ようやく合点がいった。

  ♪    誰もいない 誰もいない
     長い長い 孤独の夜よ
     寒い心に ひざかけまいて
     宛名のない 手紙を書くの ♪
        (作詞:なかにし礼)

八十路を超えた菅原洋一の「誰もいない」。
唐突にて失礼ながら
フジテレビ系列の歌謡番組「夜のヒットスタジオ」は
われらの世代にとって一世を風靡した感あり。

初代・司会者の前田武彦はあだ名付けの達人。
”三日前のハンバーグ”と称されたのが菅原洋一だ。
声楽をキチンと学んで
侘び寂びすら内包する歌声が列島に流れたのは1968年、
メキシコシティ・オリンピックの年だった。
この曲はレコード大賞の歌唱賞に輝き、
翌々年、「今日でお別れ」の大賞につながってゆく。

歌詞にある”心にひざかけを巻く”のは
奇妙にして至難の業なれど、
なかにし礼独自の世界らしくもある。
一番から三番まで歌詞の始まりは”誰もいない”。
なかにしサンは孤独を愛するタイプだネ、きっと。

おっとと萬満寺であった。
風格はあるけれど誰もいない
境内にたたずんだ15分の間、誰にも出会わなかった。
こういう場所に寺が建つのだから
界隈は室町時代の頃より栄えていたらしい。
おそらく当時はひなびた漁村に過ぎなかった江戸よりも。

JR常磐線・馬橋駅に舞い戻る。
都心に戻ろうか、それともヨソへ廻ろうか・・・
ここでふと思い出した。
ここからはもう一本、
時の流れに取り残された鉄道が走っていることを。

=つづく=

2016年9月15日木曜日

第1448話 俺らはバカか? (その2)

この稿を綴っているうち”裕次郎ステップ”に会いたくなって
つい先日、またまた五反田に行って来た。
短い石段にこんなにも惹かれるなんて俺らはバカか?

その日の夜は青山で食事会があり、
地下鉄・銀座線の青山一丁目駅に着いた。
先月、不幸な転落事故が起こってしまった現場である。
事故をきっかけとしてホームドアの設置が
喫緊の課題として浮かび上がった。

設置には莫大な費用がかかり、
銀座線全駅だけでも90億円とのことながら
必要なものは必要、
築地市場の移転や東京五輪に比べれば屁でもあるまいヨ。

事故防止には周囲の乗客の声かけを挙げる意見があるが
周りに誰もいないケースだってありうる。
とにかく今からすぐ始められるのは
駅員が視覚障害者を車椅子利用者と同様にケアすることだ。
それだけで解決するのではないか。
いや、必ず事故を防げるだろう。

現在、車椅子利用者には駅員が付き添っている。
改札で見とめたときからアテンドするのが望ましい。
障害者の方々もすすんで駅員に要請するべきで
周囲からの声かけに期待せず、
自身が駅員に声かけするのだ。

さて、子どもたちの夏休みが終わりに近づいた頃。
上野駅からJR常磐線に乗ってみた。
行く先のアテがあるわけでもない。
取りあえず土浦あたりに行ってみようか―。
いや、土浦はちと遠いな・・・我孫子にするかな?

結局、降り立ったのは千葉県・馬橋である。
もう40年も以前、ここには親しい人が在住していて
たびたび出掛けていった。
とっくに移転しているが、その界隈を訪ねる気になった。

東口を出て水戸街道を渡り、中和倉の商店街に向かう。
懐かしいなァ。
目当てのマンションはあったものの、
どうやら建て替えられたらしい。
それもそうだヨ、半世紀近くの月日が流れたんんだもんねェ。

駅への帰り道。
馬橋東口商店街の突き当りに様子のよろしいお寺を遠望。
アレレ、こんなお寺があったかなァ、まったく気づかなかった。
遠方から眺めても立派な姿、
参拝してみよう、そんな気持ちになりました。

=つづく=

2016年9月14日水曜日

第1447話 俺らはバカか? (その1)

 ♪    俺らはドラマー やくざなドラマー
    俺らがおこれば 嵐を呼ぶぜ
    喧嘩代りに ドラムを叩きゃ
    恋のうさも ぶっとぶぜ

    この野郎、かかって来い!
    最初はジャブだ...ホラ右パンチ...
    おっと左アッパー...
    畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ
    フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ
    えゝい面倒だい この辺でノックアウトだい!

           (作詞:井上梅次)

1958年のマイ・ベスト曲、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
紫色はセリフ部分だ。
同名映画の主題歌で映画は銀座の夜景から始まる。
晴海通りに面したビルの屋上にあった、
森永製菓の地球儀みたいな広告塔。
J.C.にとってはこれが銀座のシンボルだった。
服部時計店の時計塔じゃなくてネ。
時計なんかよりキャラメルのほうがガキには魅力的だもの。

映画で強く印象に残るのは今も五反田5丁目にある石段だ。
「助川ダンス教室」の脇にあって
JR五反田駅に近い場所で線路に面しているから
山手線の車窓から眺めることができる。

石段を上った先に裕次郎たち家族3人が暮らす、
古ぼけた安アパートがあった。
母親(小夜福子)と口論した裕次郎が家を飛び出してくる。
弟(青山恭二)と
その恋人でアパートの管理人の娘(芦川いづみ)が
止めるのを振り切り、裕次郎は階段を降りて立ち去る。
彼の魅力があふれまくる名シーンだったな。

五反田の町を訪れたとき、時間の余裕があれば、
必ずこの石段にやって来て昔を偲ぶことにしている。
いつの日からか心のうちで”裕次郎ステップ”と名付けた。
いや、小学一年生の生意気盛りが
この1本で完全にノックアウトされやしたネ。

ところで今や海外でも人気のカラオケ。
誕生したのは1971年のことだが
世間に普及し始めたのは1977年。
この頃、有楽町の免税店に勤めていた。

八月だったかな?
社内旅行で箱根に出掛けた。
宿近くのスナックで生まれて初めてカラオケを歌った。
選んだ曲が「嵐を呼ぶ男」。
ちょいとテレくさかったが、ちゃんとセリフもこなしたっけ・・・。

=つづく=

2016年9月13日火曜日

第1446話 鯨にギヴアップ (その6)

「大衆酒場 富士川」の鯨メニュー。
せっかく大森にやって来たんだから、
多々あるうち、思い出の詰まった竜田揚げを選ぶ。
生姜焼きやステーキに興味はあったが未練はない。

レモンサワーは早や3杯目を数えている。
突き出しのマカロニサラダだけで3杯だもんなァ。
ちょいとペースダウンしなきゃなァ。
もっとも小さいジョッキに氷が目いっぱいだから
酔いなんかぜんぜん回ってこない。

かんかん照りの昼下がり。
カウンターには単身飲みが自身を含めて4人。
二人連れが1組で計6人。
みいんなオッサンである。
1組を除いて孤独感満載だ。
よって言葉を交わさなくとも連帯感が生ずる。
それぞれにそれなりの人生を送ってきた男たちだろう。

竜田揚げが揚げ上がって運ばれ来た。
ん? んん、ん~ん!
何だか妙な匂いが立ちのぼってきたゾ。

第一に揚げ油がよろしくない。
第二に鯨の質もよろしくない。
明らかにどちらも劣化が進んでいる。
一片をつまんで口元に運んだものの、
意を決しかねて、いったん皿に戻す。
いや、ちゅうちょしやしたネ。
リリーじゃないが立ち止まって考えた。

エイヤッ、浜口親子にあやかり、気合いで口に押し込む。
ありゃりゃ、臭気もさることながらこの鯨、
固いのなんのっ、とてもとても噛み切れやしないヨ。
行儀が悪いが右手には箸、左手は鯨を掴み、
両手と歯の三角攻めで喰いちぎりを試みる。

結局は薬局、どうにか半片を嚥下しただけでギブアップ。
その後も舌の上と左手の指先に
異臭が残って消えてくれない。
口直しに赤しそ風味のバイスサワーを頼み、
洗い流しを図ってみたが効果はほとんどナシ。
皿の上はまったくの手つかずに等しい。
まっ、この状態が無言のメッセージとして伝わるだろうヨ。

会計を済ませたら一目散にステーション。
トイレに駆け込んでうがいと手洗いを敢行したJ.C.でありました。
いや、マイッたぞなもし。

=おしまい=

2016年9月12日月曜日

第1445話 鯨にギヴアップ (その5)

  ♪    夢の光りよ シャンデリア
     粋なカクテル マンハッタン
     欧州通いの 夢のせて
     銀座九丁目は水の上
     今宵は船で すごしましょう  ♪
          (作詞:藤浦洸)

甘い美声の持ち主、神戸一郎が歌った「銀座九丁目は水の上」
この曲が流行ったのは1958年。
ちなみに彼の芸名は歌の上手さから
出身地・神戸の”藤原一郎”と称されたことに由来している。
歌手としては短命に終わったが記憶に残る歌い手さんだった。

銀座の地番は1丁目から8丁目まで、9丁目は存在しない。
現在、首都高速の真下にある銀座ナインは
埋立地の上に建設されており、
往時はその場所を汐留川が流れていた。

1958年はJ.C.が小学校に入学した年。
長嶋茂雄がジャイアンツに入団した年でもあった。

おーい中村君(若原一郎)  思い出さん今日は(島倉千代子)
星はなんでも知っている(平尾昌晃)  別れの燈台(春日八郎)
だから言ったじゃないの(松山智恵子)  夜の蝶(大津美子)

そんな曲々が街に流れていた。
この年のマイ・ベスト5は

① 嵐を呼ぶ男(石原裕次郎)
② 無法松の一生(村田英雄)
③ 花笠道中(美空ひばり)
④ 西銀座駅前(フランク永井)
⑤ 赤い夕陽のふるさと(三橋美智也)
 次点:からたち日記(島倉千代子)

であります。
この頃は裕次郎、フランク、三橋の全盛時代だった。
ことに裕次郎とフランクは活躍した時期が重なっており、
まったく異なるタイプの二人が広く大衆に受け入れられた。
ともに個人となった今も、彼らのナンバーは歌い継がれている。

さて、大田区立大森第五小学校に入学したJ.C.。
 ♪ ひんがしはるか 水平線 ♪
校歌も出だししか思い出せなく、あとはみな忘却の彼方だ。
数年前に訪ねてみたら、校庭の東側にあった入海が
すでに埋め立てられてしまい、水平線なんぞ臨むことができない。

人生初めての給食受給者となり、
出会った鯨の立田揚げと竹輪の磯辺揚げ。
前者は美味いと思ったものの、後者は大の苦手であった。

=つづく=    

2016年9月9日金曜日

第1444話 鯨にギヴアップ (その4)

大田区・大森の「富士川」にいる。
ハナシはちょいとそれるが
区名の由来は区内を代表する盛り場、
大森と蒲田の合体である。
JR中央線の国分寺と立川の間にある駅が
国立と名乗っているのと同じスタイル。
この国立、東京の住人なら”くにたち”と読むが
北海道や九州の人にはどうみたって”こくりつ”だろう。

高級住宅街として有名な田園調布には
どことなく世田谷区のイメージがつきまとう。
ところが実は大田区の端っこに位置しているのだ。

蒲田と田園調布が同区内にあるわけで
言っては蒲田の住人に失礼ながら
悪魔と天使が同居する構図である。
もっともJ.C.は蒲田のほうが好きですけどネ。

ハナシが脇にそれた、本筋に戻そう。
「大衆酒場 富士川」の品書きに鯨を見つけた。
その品揃えが驚くほどに多彩。

刺身・立田揚げ・しょうが焼き・かつ・ステーキ・
ベーコンとあって一律580円のサービス価格だ。
何か1品いっとこうか―。
ちょうどこのと、き脳裏を横切ったのが鯨の思い出だった。

今を去ること半世紀前。
大田区立大森大五小学校に通っていた。
入学したときにはすでに学校給食が始まっており、
富める子も貧しい子も昼めしだけは確保できていた。

献立のなかで思い出せるのは3品。
ねぎま汁、竹輪の磯辺揚げ、鯨の立田揚げだ。
ねぎまは砂糖をまぶした揚げコッペパンとともに
月曜日に供されることが多かった。
竹輪と鯨は隔週金曜にローテーションでやって来た。
今週が竹輪なら来週は鯨というように―。

あの頃の日本人はみな貧しく、
殊に食生活は今と比べものにならないくらい。
給食のない土・日は
栄養価の低い食物しか口にできなかった子もいたハズ。
そのあたりを補うためか、週末をはさむ金曜・月曜に
カロリーの高い揚げものを投入したんじゃなかろうか。

いや、厚生省だか文部省だか存ぜぬが
往時の省庁がそこまで深く考えたかなァ?
疑問符が付くのも仕方あるまい。

それにしても遠き日の給食の定番、
脱脂粉乳とマーガリンはおっそろしく不味かったぜ。

=つづく=

2016年9月8日木曜日

第1443話 鯨にギヴアップ (その3)

JR京浜東北線・大森駅そばの「大衆酒場 富士川」にいる。
生ビールを注文しようとした矢先、
サービス価格で提供されるサワー類に気がついたのだった。
レモンサワーだろうが,、緑茶ハイだろうが、みな150円也。
生ビールといえば、中ジョッキが450円ときたもんだ。

コスト・パフォーマンスというか、費用対効果というか、
世間を渡る者として一応は考えますわな。
まずは生を1杯飲ってからサワーに移行しよう。
そう、心に決めたことだった。
「スイマセ~ン!」
オジさんに向かって叫ぶ。

「生ください!」
そう言うつもりだったのに
「レモンサワーください!」
なぜか口から出たのはその一言。
何でこうなるのっ?
いや、マイッたぞなもし。
言葉を発したのはJ.C.じゃないなたぶん。
心のうちに潜んでいた悪魔が勝手に口走ったんだヨ、きっと。

中ジョッキ1杯と同値でサワーが3杯飲める。
加えてビールが気に入りの銘柄じゃないことも
悪魔のささやきを許した一因ではなかろうか?
そんなふうに思うのは自分で自分に言い訳してるな。

かくしてレモンサワーが小ジョッキで運ばれた。
こうなったら余計なことはいっさい忘れるのが一番。
クイ~ッと飲っってみる。
ありゃりゃりゃ、ジョッキの半分がなくなっちまった。
こりゃ二息で飲み干せちゃうねェ。

突き出しはマカロニサラダ。
有料か無料か知らぬが可も不可もなし。
会計時の支払いから逆算したら150円だったみたい。 
卓上のメニューをつぶさに眺める。
ちょいと紹介してみましょう。

 本まぐろ赤身ー580円 中とろ―750円 大とろ―880円
 いわし天―450円 アナゴ天―550円 イカフライー400円
 焼き穴子―550円 レバニラー480円 牛もつ煮込み―550円

ふむ、フム。
おや、にぎり鮨もあるネ。
ただし、鮨は17時からの提供になる。
種のほとんどが1カン80円で
まぐろ類と赤貝・とり貝だけは少々高い。

あやや、鯨まであるじゃないか!

=つづく=

2016年9月7日水曜日

第1442話 鯨にギヴアップ (その2)

半世紀以上も前の流行歌、
「南国土佐を後にして」を引きずり出して来たのには
ワケがある。
実は此度の主役が鯨だからである。
それもとてつもない鯨だったのだ。

あれは10日ほど前のこと。
川崎在住の友人と会わなければならぬ案件が生じ、
はて、どこで落ち合うかの? 
ということになった。

互いの住まいの真ん中をとれば、
田町か品川あたりが妥当なれど、
そこは相手にやさしい心根の持ち主、J.C.のこと、
先方により近いJR大森駅前で待合せた。

珍しくもアイスコーヒーなどいただきながらの会合は
1時間少々で終了し、一人になったのは14時半である。
さすがにこの時間から飲むのは早すぎよう。
かといってほかにやることもなし。
せっかく遠征してきたこともあり、
ここは一番、お天道様に背を向けて
ご法度の裏街道を歩いてみようかの?

ロータリーのある、駅東口のほうが
意に染まる酒場を見つけやすそう。
あいや待て、待て、
わざわざ新規開拓に及ぶこともないか、
以前訪れた店でいいじゃないか―。
記憶が確かなら14時か15時の開店だったハズだ。

線路沿いにちょいと南に下り、
見覚えのあるアーケードの商店街に入る。
およそ50m先の左手に
これも見覚えのある「大衆酒場 富士川」が暖簾を掲げていた。

(コイツはラッキーだったわい!)
ほくそ笑みながら前進すると、
身体が勝手に反応しちゃうんだネ、つい早足になってら。
白い暖簾の上には小ぶりの赤提灯が
十張(はり)も横並びに連なっている。

ガラスの引き戸を引いて入店した。
まだ15時前だってえのに
右手のカウンターには7名もの先客あり。
客と客の合間を選んで腰を落ち着けた。

さっそくにビールだろう。
生にするか瓶にするか・・・今日は生でいってみるか。
カウンターの中にはオニイさん、いや、オジさんが一人。
声を掛けようとしたその瞬間だった。
ちらり目を落としたメニューに”サービスタイム”の文字を発見。
何でも14~17時はサワー類がすべて150円均一とある。
反射的に生ビールの値段をチェックするセコいJ.C.であった。

=つづく=

2016年9月6日火曜日

第1441話 鯨にギヴアップ (その1)

  ♪   南国土佐を後にして
     都へ来てから 幾歳(いくとせ)ぞ
     思い出します 故郷の友が
     門出に歌った よさこい節を
     土佐の高知の 播磨屋橋で
     坊さんかんざし 買うをみた

     国の父さん 室戸の沖で
     釣ったと 言う便り
     わたしも負けずに 励んだ後で
     歌うよ土佐の よさこい節を
     言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
     潮吹く魚が 泳ぎよる
     よさこい よさこい        ♪

            (作詞:武政英策)

「南国土佐をあとにして」、ペギー葉山の伸びやかな歌声が
列島を席巻したのは1959年5月。
ときの皇太子殿下(現・天皇)と正田美智子さんのご成婚、
そのひと月後。
長嶋茂雄の天覧試合におけるサヨナラ・ホームラン、
そのひと月前のことであった。

同年夏に小林旭&浅丘ルリ子主演で
同名の日活映画も封切られ、
歌手のペギー葉山自身も本人役で出演していた。
歌はときの爆発的なTVブームに乗って大ヒットしていたから
耳に馴染んでいたものの、
映画の予告編で初めてペギーの顔を見たのだった。
可愛かったヨ。

当時、小学校低学年だったJ.C.は裕次郎ファン。
旭主演の映画にはあまり接しなかったから
「南国土佐を後にして」を観ることができたのは15年ほど前、
中野にあった中野武蔵野ホール(2004年に閉館)だった。

作詞の武政英策は作曲も兼ねている。
彼は近代日本音楽の父ともいえる山田耕筰の弟子。
ご存じ山田耕筰は明治・大正・昭和の長きに渡り、
活躍し続けた作曲家にして指揮者である。

武政は出身地の大阪で戦災に見舞われ、
妻の実家の高知県・南国市に疎開した際、
地元の「よさこい節」に出会ったのだった。
「南国土佐を後にして」の原曲、
「よさこい節」は元々、中国大陸に出兵して行った、
地元の陸軍朝倉歩兵236連隊(通称:鯨部隊)内で
兵隊たちが愛唱していた楽曲らしい。

ペギーが歌う4年前、
やはり流行歌歌手の鈴木三重子が吹き込んでいるが
民謡調の歌い回しが災いしたせいか、
まったくの鳴かず飛ばずで終わる。
ところがその翌年、三重子は大ヒットに恵まれた。
それが出しゃばりお米(よね)が出て来る「愛ちゃんはお嫁に」だ。

そういえばわれらがアイドル、卓球の愛ちゃんもお嫁にいくんだネ。
相手は太郎じゃないけどネ。

=つづく=

2016年9月5日月曜日

第1440話 ふりむけばリオ (その8)

そんなこって主力4競技以外の金メダルは
何ものにも代えがたい重みがある。
もっとも得意種目はどこの国にもあるもの。
かつては陸上のアメリカ。
競泳のアメリカとオーストラリア。
体操のソ連及び東欧諸国。
それぞれにごっそりと金メダルをさらっていった。

種目数の多いボート・カヌー・セーリングでは
上記強豪国のすき間をぬって
東側・西側を問わず、欧州諸国が栄光に輝いた。
まっ、それはそれとして
リオにおける日本勢の金である。
いま一度、振り返ってみよう。

= 日本の金メダル@リオ =

 競泳・2  体操・2  柔道・3  レスリング・4
 バドミントン・1
           (男子・5 女子・7 計12)

何だ、女子のほうが強いじゃんか!
本当だねェ、レスリングなど呆ッ気に取られるほどだった。
”乳”よ貴方は強かった! ってか?

過去において日本選手は
リードされたまま最終盤に入ると、
一部の例外を除き、ことごとく負けていた。
ほらァ、もっと攻めなきゃダメだろがッ!
叫んでも怒鳴っても声は選手に届かない。
いや、たとえ届いたとしても
彼らの体力・気力はすでに限界を越えていたのだ。

過去は過去、今は今。
そろそろ五輪ネタを締めくくろう。
獲得した金メダル12個のうちから、
J.C.なりに金の中の金・銀・銅を選んでみたいと思う。
独断と偏見? トンデモない、英断と卓見で決めやした。

 ―伊調馨(女子58kg級レスリング)
 ―高橋礼華&松友美佐紀(女子バドミントン・ダブルス)
 ―内村航平(男子体操個人総合)

伊調の五輪四連覇はおそらく向こう半世紀、
日本人が破ること不可能な偉業。
この大記録は間違いなく金の中の金。

高松ペアはバド史上、日本初の頂点に立った。
ごくフツーのオンナの子たちが
或る日突然、”スペースシャトル”に君臨する。

団体と合わせてWゴールドの内村。
四連覇(金)と初制覇(銀)がなければ、
押しも押されもせぬ、金の金は彼である。

さらば、リオよ!
あとはリリーに任せましょ!

=おしまい=

2016年9月2日金曜日

第1439話 ふりむけばリオ (その7)

夏季オリンピックにおける日本の金メダルの歴史は
アムステルダム大会(1928年)に始まる。
陸上三段跳びの織田幹雄と
競泳200m平泳ぎの鶴田義行が獲得した。
初めて女子選手の参加が認められた大会でもあり、
陸上女子800mで人見絹江が銀メダルに輝く。

以後、三段跳びはロサンゼルス(’32年)で南部忠平、
ベルリン(’36年)で田嶋直人と三連覇を達成し、
日本のお家芸となったものの、活躍はそこまで。
あとは真っ逆さまである。

前述したが日本のドル箱は競泳・体操・柔道・レスリング。
それ以外の競技で獲得した金メダルは
リオを含めて驚くなかれ17個に限られる。
だからこそ他競技での金は稀少価値が高い。

その17個の内訳を見てみよう。

 男子三段跳び・3   馬術障害飛越個人・1
 男子重量挙げ・2   男子ボクシング・2
 男子バレーボール・1   女子バレーボール・2
 男子射撃ピストル・1   女子マラソン・2
 男子ハンマー投げ・1   ソフトボール・1 
 女子バドミントン1
    (注:男子マラソンは隣国の方なので除外)

いやあ、暗澹とはしないけど、驚嘆してしまう。
語り済みの三段跳びはさておき、注目すべきは馬術の西竹一。
映画「硫黄島からの手紙」にも登場するあのバロン西である。
投降を呼びかけるアメリカ軍の声に耳を貸さずに戦死した。

重量挙げフェザー級で東京・メキシコで勝った三宅義信も偉大。
この競技では唯一の金メダリストにして連覇のオマケまでつく。
その遺伝子が姪っ子の銀&銅につながっているんだろうネ。

ピストルはソ連と東欧勢のいない、
ロスアンゼルスだったことも幸いしていよう。
それでも蒲池猛夫はいまだに
日本人最年長金メダリスト(48歳)の記録を維持している。

高橋尚子・野口みずきの女子マラソンは不滅の連続金の立役者。
漫画チックに乙女チック、トボケた顔してバン、バン、バン!
大変な偉業を成し遂げてくれたものだ。
世界中がビックラこいたに違いない。

ボクシングの桜井孝雄と村田諒太、ハンマー投げの室伏広治、
すべてが稀少にして貴重な金メダルである。

球技では東京・モントリオールを制したバレーボールに
北京のソフトボールと、マラソン同様に女子の活躍が目立つ。
ひるがえって男子はミュンヘンのバレーボールが唯一の金。
確かに準決勝のブルガリア戦は今でも語り草の大逆転ながら
片方の準決で東ドイツが難敵・ソ連を駆逐してくれてなければ、
十中八九、銀に終わっていたことだろう。

=つづく=
 (やっぱり終わんないや)

2016年9月1日木曜日

第1438話 ふりむけばリオ (その6)

そのハネタクのおかげで注目を集めたカヌーだが
五輪ではカヌーのほかにもボートにセーリング、
いわゆる艇モノ競技がかなりの数にのぼる。
ヒマにまかせて数えてみたら30種目もあった。
金・銀・銅合わせて90個のメダルはまさに宝の山、
日本が4年後の量産を狙うならこの”山”を放っておく手はない。
ふ~む、有望選手をごっそりスロヴァキアに送るってか―。

銅メダルでは陸上50キロ競歩の新井広宙にも拍手。
20キロで期待を裏切っていた日本勢だけに
何とか面目を保ったカタチとなった。
さすがに自衛隊である。

最近、話題を集めている自衛隊の駆けつけ警護だが
やっぱりやめたほうがいいんじゃないの・・・
競歩は駆けたら失格だもの。
何てのは冗談、J.C.は駆けつけ警護賛成派であります。

え~っと、あとは何だったっけかな。
前々話でふれた卓球男子シングルスの水谷隼。
バドミントン女子シングルスの奥原希望。
どちらの種目も日本選手の初メダル。
あっぱれ! でありましょう。

シンクロのデュエット&チームも
復活を感じさせてくれて歓ばしいが
目の上のタンコブ二つ(ロ&中)があまりに大きすぎる。
2020年までにどれだけ差を縮めることができるかが課題だ。

重量挙げ女子48kg級の三宅宏美。
競泳女子200mバタフライの星奈津美。
ともに二大会連続のメダルに敢闘賞を進呈したい。

すでに語ったテニスの錦織圭だが
振り返ればちょいとホメすぎた。
ただ今、全米オープンを戦っており、
一回戦を突破したけれど、
考えてみりゃ2年前にはジョコヴィッチを破って決勝進出。
チリッチには屈したものの準優勝の結果を残している。
メジャーの準優勝者にとって五輪で銅メダルは
当前といえば当前のハナシであった。

金メダルにまいりましょう。
半月前に当コラムでふれた時点で日本の金は3個。
体操2個に競泳1個だった。
その後の量産は柔道とレスリングによるところが大きい。
殊に女子レスリングはごっそりだもんネ。
これなら女子にもグレコローマンを新設してほしいくらいだ。

結局は薬局、五輪ネタはサラッと綴るつもりがこの体たらく。
次話で打ち止めにしようと思います。
何せ、いろんなネタが詰まりに詰まって便秘状態となっている。
それにスポーツ興味ナシなんて御仁もあろうことだしネ。
だけんど、あと一話で収まりがつくかのう・・・。

=つづく=