2017年9月29日金曜日

第1711話 京王線に乗って (その5)

カウンターを埋め尽くす客、客、客。
その景色を前に茫然と立ち尽くす自分がいた。
国分寺市・本町、「いながき」の店先である。
開店後、10分でこの有り様だったが
どうにか左側奥の1席に滑り込むことができた。
文字通り、滑り込みセーフ!

さて、この地の市名の由来はもちろん武蔵国分寺。
国分寺は日本全国津々浦々(北海道を除く)に
膨大な数が存在しており、
総国分寺は大仏さまで世に知られる奈良の東大寺だ。

その武蔵国分寺は一度も訪れたことはないが
ここ「いながき」は二度目である。
ホッと胸をなで下ろすひまもあらばこそ、さっそく訊かれた。
「お飲ものは?」
声の主は飲みもの&会計担当のオジさん。

ビールをお願いするとキリンラガーの大瓶が抜かれる。
まっ、仕っ方なかんべサ。
1本560円だから下町の大衆酒場並みといえる。
今宵はこれを2本ばかり飲むとしよう。
目の前にはプラスチックの青いザルにキャベツがこんもり。
無料サービスの突き出しは植物繊維とビタミンの補給源だ。

「焼きものは?」
此度はもう片方のオジさん。
「レバとシロ、それに鳥もつ」
「塩? タレ?」
「鳥もつが塩、あとはタレ」
すみやかに注文が通った。

鳥もつはおそらく鳥の横隔膜あたり。
クニュクニュ感が歯に心地よく大好きな部位である。
ところが当夜は食感がイマイチ。
じゅうぶんに美味しいけれど、前回ほどの滋味はない。
レバとシロもいま一つで下町酒場のレベルをやや下回る。
何かヘンだゾ、どこか違うなァ。
これが気のせいなんかじゃないと思いたい。

ビールのお替わりとともに、まくら&ピーマン。
まくらはつくねのニラ巻きでピーマンはそのままピーマン。
どちらも箸休め的役割を果たす。
まっ、こんなもんでしょうネ。

客の滞在時間はきわめて短く平均すれば20分くらいで
長居しているのは数えるほどだ。
18時近くになると空席が目立つようになってきた。
常連客に倣い、このあたりでお勘定。
締めて1850円也。

京王線沿線をめぐるつもりが
気まぐれでモノレールに乗ったもんだから
JR中央線で帰ることになった。
近々、あらためて調布に出張らねば!
無沙汰をずっとしている吉祥寺の街の灯りをながめながら
そう思ったことでした。

=おしまい=

「いながき」
 東京都国分寺市本町2-11-4
 042-323-5835

2017年9月28日木曜日

第1710話 京王線に乗って (その4)

生ビールを飲み、天丼を食べたあと、
高幡不動駅の周辺をぶらつく。
そろそろ調布方面に移動せねば―。
改札のある2階にエスカレーターで上がると
多摩モノレールへの乗り換え通路があった。

ふ~ん、モノレールねェ。
浜松町と羽田空港を継ぐ東京モノレールは
何度も利用しているが多摩モノレールに乗ったことはない。
あまり乗りつけない乗り物だし、
多少、アクロフォービア(高所恐怖症)のケもあるからな。

時刻は16時前である。
調布までは15分もあればじゅうぶんだろう。
適当な止まり木に止まるにはちと早すぎる。
自慢じやないが気まぐれな性格につき、
気に迷いが生じた。

せっかくの機会だからやっぱりモノレールに乗ってみようか―。
思った瞬間に京王線改札から遠ざかる自分がいた。
どこへゆくのかノー・アイデアながら
南に下れば多摩センターから多摩自然動物園、
北に上れば立川方面のハズ。
とりあえず立川を目指すことにする。

眼下の町並みを見下ろしながら、さて、どうしよう。
頭の中にあるリストのページをめくってゆく。
思い浮かんだのは2軒の店だった。
国立の「ノイ・フランク」はジャーマン居酒屋。
国分寺の「いながき」は焼きとん屋だ。
そうねェ、ツレがあれば前者、
ソロなら後者ということになるかな・・・。

JR中央線・国分寺駅北口は再開発の工事が進んでいた。
最後に訪れたときとさほど景色は変わっていない。
見覚えのある道筋を歩いて
「いながき」の前に到着したのは16時半。
暖簾はまだオモテに出ていない。
ガラスを透かして中をうかがうと、
オジさん二人がリラックスして休憩中である。

17時の開店は想定の範囲につき、近辺を探索にかかった。
この町を歩くのは3年ぶりだ。
その際に立ち寄った「いながき」を忘れることができない。
串の種類豊富な焼きとん群の中にあってただ一種、
鳥もつというのが抜群に旨かった。
コイツは外せないゾ。

30分ほどの散策はあっという間。
店に戻ったのは17時10分だ。
ありゃりゃ、コの字のカウンターはほぼ満席じゃないか!
やっちまっただヨ。

=つづく=

2017年9月27日水曜日

第1709話 京王線に乗って (その3)

高幡不動の参道は行き交う人もまばらなり。
近年、元寇の如くに襲来する外人勢も見掛けない。
それにしてもあのベルギー娘、
何でまたこんな遠くに?
今でもこんななのに40年前の昔だヨ、
ちと理解に苦しむな。

境内を一めぐりするのに30分を要した。
もともとお寺はそんなに好きじゃないから
わりかし長く居たほうだと思う。
お堂や五重塔より、日野市のヒーロー、
土方歳三の銅像に見入ったくらいだ。
もっとも葛飾柴又の寅さん&さくらの銅像に似て
デキはあまりよくないな。

参道を引き返す。
時刻は15時にならんとしている。
ふむ、3時のおやつは文明堂か―。
いや、カステラなんか食ってる場合じゃないぜ、
そろそろガス欠症状、現る、現る。

冴えない店が散在する参道に一軒の天丼屋あり。
その名も「四八(よんぱち)天丼」ときたもんだ。
天丼はどうでもいいんだけど、
例によって生ビールに引き寄せられる。
そういえば、元住吉のオズ商店街でも
ビール飲みたさ一心で天ぷら屋に飛び込んだっけ。

その二の舞であった。
券売機にて中ジョッキ(400円)と四八天丼(530円)を購入。
何でもこの天丼はかつて480円だったそうな。
それゆえに四八天丼を屋号とした由。

内容は海老・穴子・いか・かぼちゃ・オクラ。
値段が値段だから素材は輸入物の冷凍品だが
最低限のレベルは維持している。
丼つゆはあとかけタイプでつゆの量が多く、
しょっぱすぎるけれど、濃い味好きにはちょうどかも?

よく冷えたスーパードライがノドに快感をもたらす。
そして天丼よりもむしろ、
化調を感じさせないわかめの味噌汁がよい。
卓上に置かれたどぎつく真っ赤な紅生姜には
さすがに手が出なかった。

券売機にはないトッピングのメニューボードに
”黒い雷神・ブラックサンダー”(100円)というのを発見。
謳い文句は

チョコレート だまされたと思って食べてみよう うまし!

ふ~ん、チョコの天ぷらねェ。
一考の末、だまされるのを思いとどまった次第です。

=つづく=

「四八天丼」
 東京都日野市高幡149
 042-592-4061

2017年9月26日火曜日

第1708話 京王線に乗って (その2)

有楽町の免税店で働いたのは1975年の秋から2年間。
ある日の午後、一人の外国人少女が店に現れた。
ベルギー人の彼女は日本の音楽に興味があって
何か日本のレコードを1枚買いたいと言う。
免税店にレコードはないから
ちょうどヒマな時間帯だったこともあり、
レコードショップに案内した。

日本に入国してからまだ数日の彼女に
流行りの曲など判るわけもなく
すすめて買わせたのが内藤やす子の「想い出ぼろぼろ」。
阿木燿子&宇崎竜童の夫婦コンビによる名曲は
気に入りだったからネ。

たったそれだけの出会いだったが
新仲見世で遭遇したとき、互いに見覚えがあった。
どこで習ったのか、ずいぶん上手になっていたから
交わした会話はすべて日本語。

「今、何処に棲んでるの、浅草?」
「タカハタフドー」
「エッ?」
「たかはたふどうヨ」
「ああ、高幡不動ネ」

このやりとりが頭の片隅に残っていた。
今の世なら携帯の番号なり、
メルアドなりを交換するのだろうが
当時、そんなものはありゃしない。
以来、名も知らぬ彼女と再び逢うことはなかった。

てなこって40年前のタカハタフドーが今によみがえる。
われながら面倒臭がり屋のわりに
フットワークは悪くない。
さっそく数日後、京王線に乗って新宿駅を出発。
予定としては参詣後、参道の店で一憩し、
夜は布田か調布で一酌に及ぶというものだ。

比較的空いている車内の座席に腰掛け、
心なしかウキウキ感を覚えていた。
知らない土地を訪ねること。
その地で飲んだり食べたりすること。
そして機会に恵まれれば、見知らぬ人と語らうこと。
人生のささやかな楽しみ、かようなところにありけり。

特急電車で新宿から約30分。
南口を出ると目の前に参道入口が見える。
横浜中華街では玄武門やら朱雀門やら
10箇所に及んで門を見ることができるが
あのスタイルを簡素にしたゲートが入口にある。
案内図によれば、数分で不動堂に到達するハズ。
秋晴れの下、意気揚々と歩いて行った。

=つづく=

2017年9月25日月曜日

第1707話 京王線に乗って (その1)

清張先生のおかげで京王線沿線に視線が動いた。
新宿に近い幡ヶ谷や笹塚ではたびたび飲んだけれど、
明大前より以西となれば、ずっと疎遠になる。
布田や調布は未踏の地ではないものの、
そこで飲食した覚えがないのだ。

鉄道路線図を開いて思案投げ首。
はて、どこで一酌に及ぶかの?
小説「不安な演奏」にたびたび登場する、
布田の町でも歩いてみようかの?
そう思いながら、ふと目にとまったのが高幡不動だった。

調布の先は東京競馬場のある府中。
競馬に興味のない向きには
府中刑務所の所在地といったほうが
通りがいいかもしれない。
何たって日本最大の刑務所だからネ。

高幡不動は府中のそのまた先。
高幡山金剛寺は成田山新勝寺と並んで
関東三大不動の一つに数えられている。
三つめはいろいろと異説があって定かではない。
かくも高名なお不動さまなのに訪れたことがない。

ふ~む、高幡不動ねェ・・・
ここで突然、或る記憶の扉がパッと開かれた。
あれはおそらく1978年かその翌年。
浅草通いを始めた時期で
先日、紹介した「美家古寿司」の初訪もこの年だった。

新仲見世を歩いていてアレは何というのだろう?
最近はあまり見かけないが
繁華街の歩道にマットを敷いて
手造りのアクセサリーやら何やら並べて売ってるヤツ。
きまって胡散臭そうなガイジンが売り子のヤツ。
それに出くわしたのは
ブロマイドで有名な「マルベル堂」の真向かいだった。

手持無沙汰そうな売り子は若い外人女性で
通りすがったJ.C.と偶然に目が合った。
オヤ? いつか見たことのある顔だゾ。
声を発したのは彼女のほうで
「アレ、どこで逢ったかなァ?」―
ちゃんとした日本語である。

問われた当方、瞬時に思い出したネ。
その2年前の1976年。
若きJ.C.は有楽町の免税店に勤務していた。
なんでんかんでん売りさばく現在と違って
当時、扱う商品はカメラ・オーディオ・時計が中心だった。

売れ筋はピッカリコニカ、ソニーのラジカセ、
セイコーのデジタル・クォーツあたり。
それにカシオの計算機なんかもよく売れた。
品薄だったのはニコンの一眼レフ。
カメラ本体もさることながら、
28mの広角レンズにはプレミアムが付いていた。

=つづく=

2017年9月22日金曜日

第1706話 松本清張を読み返す

ここ数週間、松本清張をしきりに読んでいる。
再読の作品もるが、ほとんどは初読である。
「半生の記」、「影の車」、「途上」、「鬼火の町」、
「不安な演奏」、「喪失の儀礼」と、
エッセイ、連作短篇、短編集、推理モノ、時代モノ、
何でもアリだ。

しっかしねェ、「半生の記」をのぞいて
厳しく評価すれば、凡作、駄作の山であった。
過半が昭和30年代半ばに書かれたもので
作者は多忙を極めていた時期である。

昭和20年代半ばに「西郷札」、「或る『小倉日記』伝」で
文壇に登場した清張だが
広く世に知られ、読まれるようになったのは
昭和32年に発表された社会派推理小説の嚆矢、
「点と線」以降であろう。

連載を何本も抱えて締切に追われ、
推敲が浅く、文体もザツで
キズや欠点だらけの作品が量産されてしまったわけだ。
そんなこんなを考慮しても読み手には不満が残った。

共通するのはオチの稚拙さ。
その点、池波正太郎、藤沢周平、山本一力、浅田次郎など、
そのときどきの流行作家にキズはほとんど見られない。
清張の作品群が他山の石として効能を発揮したのかもしれない。

直近、手に取った「不安な演奏」と「喪失の儀礼」はともに
布田や調布、そして深大寺など
西東京エリアが舞台となっている。
新宿―八王子間を結ぶ京王線沿線の土地である。

わが身を振り返ってふと思ったのは
京王線を利用する頻度がずいぶんと低いことだった。
同じ新宿起点の小田急線と比較してみたら
その差は歴然であった。

深大寺が舞台となると、
第一感は原作・映画ともに気に入りの「波の塔」。
ヒロイン役の有馬稲子、脇の桑野みゆき、
どちらも大好きな女優だからネ。

そうだ!
調布・布田界隈を歩いてみよう。
歩くといっても居心地よさそうな酒場の探訪が
第一の目的だが、とにかく行ってみよう。
そう思って東京都23区のシティマップル、
その巻末にある首都圏鉄道路線図を開いた。
不満の残った清張作品ながら
ここに怪我の功名が生じたのだった。

2017年9月21日木曜日

第1705話 お菓子な世界 (その2)

和菓子&洋菓子のハナシのつづき。
前話で人気の和・洋菓子ベスト・ファイブを紹介したが
ワースト・スリー(リストアップされた中での)は
それぞれ
和菓子―すあま・ういろう・汁粉
洋菓子―ウエハース・キャラメル・パンナコッタ
となっていた。

ワーストはともかくも、つらつらと思い描いて
自分のベスト・ファイブを選んでみた。
それぞれの理由もあげて―。
ちなみに和菓子?洋菓子?
と問われれば、和菓子と応ずるJ.C.であります。

=和菓子=
① さくら餅
 塩漬けした大島桜の葉の香りが好き。
 ポーランドのウォッカ、ズブロッカを即、連想する。
② 上生菓子(ねりきり)
 何といっても見た目の美しさに上品さ。
 根津神社前の漱石ゆかりの店「一炉庵」が飛び切り。
③ 水ようかん
 夏場に二、三度は味わう稀有な菓子。
 さくら餅以上に季節感を覚える。
④ だんご
 あんこや胡麻ではなく醤油、いわゆるみたらし。
 ビールやに日本酒のつまみにもなってくれる。
⑤ 桃山
 子どもの頃にもっとも食べた菓子。
 旨みよりも懐かしみに舌が反応する

=洋菓子=
① サバラン(ババ)
 ラム酒が決め手。
 酒好きにはもってこいの逸品。
② ウイスキーボンボン
 酒をたしなむ以前から愛好していた。
 ウイスキーに限らず洋酒入りなら何でも。
③ チョコレート
 これまた酒との相性のよさ。
 したがってバッカスやカルバドス入りを好む。
④ マカロン
 クッキーのように固めの焼き菓子タイプよりも
 カラフルなパリ風マカロン・ムーを第一とする。
⑤ シャーベット
 柑橘系果汁たっぷりのものがよい。
 シャンパンシャーベットは別格で大好き。
 
何のことはない、好きな菓子のほとんどが酒つながりでんな。
ショコラとコニャックの例を挙げるまでもなく、
菓子と酒は相性のいいもの同士なんですなァ。
酒とバラの日々ならぬ、
酒と菓子の日々をこれからも過ごしたいものであります。
ってか?

2017年9月20日水曜日

第1704話 お菓子な世界 (その1)

9月9日付けの朝日新聞土曜版。
「和菓子と洋菓子、どちらが好き?」なる、
アンケート・コラムに目がとまった。
菓子好きでも何でもないのにネ。

アンケート結果は
和菓子派 59% 洋菓子派 41%
というものだった。
いや、意想外でありやした。
和菓子ってこんなに人気があったのだ。
てっきり洋菓子の大勝と踏んでいたからネ。

朝日新聞には無断でその理由を紹介してみると、

和菓子派
① あんこが好き
② 季節感を感じる
③ 日本茶に合う
④ 伝統があるから
⑤ 小ぶりで食べやすい

洋菓子派
① クリームが好き
② コーヒー・紅茶に合う
③ 見た目が華やか
④ ごほうび感がある
⑤ 食べごたえがある

ふ~ん、そんなものかねェ。
そして好きな種類は? となると

和菓子派
① 大福餅
② さくら餅
③ おはぎ
④ かしわ餅
⑤ まんじゅう

洋菓子派
① ケーキ
② アイスクリーム
③ シュークリーム
④ チョコレート
⑤ プリン

だとサ。
和菓子派では餅系に人気が集中している。
一方の洋菓子はクリーム系が強い。
柄にもなくわが身を振り返ってみる気になったのでした。

=つづく=

2017年9月19日火曜日

第1703話 浅草カーニバルの夜 (その4)

「美家古寿司」における江戸前にぎり二人旅も終盤。
’70&’80年代の「美家古」にはなかった鮨種、
縞あじを目の前にしている。
親方に
「ケ・ス・ク・セ?」
と訊ねた行きがかり上、
やはりいっとくか、と相成りやした。

よって13、14カン目は縞あじ&かつお。
青背のうち、縞あじはもっとも淡白にしてデリケート。
当夜いただいたにぎりでは
これのみ生のまんまのシゴト抜き。
美味なるサカナにつき、これはこれでよし。

外見だけでは判らず、
捌いてみないとモノの良し悪しが判明しない、
いわゆる鮨屋泣かせの筆頭魚、
かつおは世にありがちな血生臭さとはまったくの無縁。
まことにけっこうだ。
ここにニンニクのスライスがあったらなァ・・・
無いものねだりの巻である。

15、16カン目は本日の主役、穴子。
これだけは2カンいただいた。
まずシモ(下半身)は煮切りで。
そしてカミ(上半身)は煮つめで。
甲乙つけがたく、これぞ東京一の穴子と言い切ってはばからず。
沢煮にしたところを直火でサッとあぶる手法は
穴子に独特のプリプリ感を残して旨みの極致をおびき出す。

最後の17、18カン目はまぐろづけ&玉子。
まぐろは生より断然づけだろう。
殊に夏の本まぐろは酸味さわやかにして舌の上に涼を呼ぶ。
冬のまぐろが寝乱れた襦袢の大年増なら
夏のそれは襟を正した制服の処女である。
 
焼き目鮮烈な玉子は1カンに包丁が入って2ピース。
酢めしの上に二つ折りの玉子焼きが屋根のようにかぶさる、
その姿はミニチュアの合掌造りの如し。
玉子を食べねば「美家古寿司」の夜は終わらない。

そうしてこうしてお腹はいっぱい、イッパイ。
腹十二分目に達している。
にもかかわらず、締めにかんぴょう巻である。
さすがに1本をどうにか分け合って決着をみた。

いやあ、こんなに食べたのは何年ぶりだろうか!
ここ数年は大食した記憶がまったくないもの。
漁色に興味のないわが身ながら
漁食の愚をあらためて恥じ入る次第なり。

=おしまい=

「弁天山美家古寿司」
 東京都台東区浅草2-1-16
 03-3844-0034

2017年9月18日月曜日

第1702話 浅草カーニバルの夜 (その3)

 「弁天山美家古寿司」でにぎり鮨を楽しんでいる。
東京を代表する江戸前鮨店は馬道(うまみち)に面しており、
この通りは浅草カーニバルのメインストリートなのだ。
ようやく喧騒がおさまり、静寂がおとずれた。
やれやれ。

ふと思い出したのは10年近く前のこと。
当時、小唄を習っていたJ.C.は
月に二度ほど浅草の稽古場に通っていた。
ある日、稽古日とこのカーニバルがガッチンコ。
騒音如何ともしがたく、稽古不能に陥ったことがあった。

さて、10、11カン目は車海老&たいら貝。
オドリでいただけるほどに
上質の車海老を茹で上げてあるが
熱の通しはもうちょいと浅いほうが好みだ。
同じ浅草の「鎌寿司」は半生状態で出される。
とは言ってもさすがに旨い。
ここにもおぼろがカマされていた。

たいら貝の正式名称はタイラギ。
見た目そっくりの帆立貝柱はほぼ円形だが
こちらはよく見ると、
少々湾曲して天豆(そらまめ)のカタチに似ている。
サッと湯通しした霜降りで供された。
やはり夏場の貝に強い印象は残らない。

にぎりはここでペースダウンして
遅ればせばがらの日本酒に移行。
当方は福岡の上を向いて歩こう、
相方は山形の栄光富士、
ともに純米吟醸である。

一服したのち、12、13カン目は煮いか&蒸しあわび。
いわゆる煮ものである。
「美家古」伝統のシゴトをなされた煮いかは歯ざわり快適。
煮つめのコクが際立っている。
使用されているのはするめいかだ。
 
蒸しあわびには煮つめでなく煮切りが一刷毛。
やはり夏の貝とて、上々であった。
ちなみに当店に生のあわびはない。
あわびはすべて蒸しの一シゴトが施されている。

ケースに並んだ鮨種はみな目視で認知できたが
唯一の例外があった。
白身のようでいて青背であることは判る。
しかし皮目を下側にしてあるので容易に判断しかねた。
かんぱち、ひらまさ、縞あじのいずれかと推測されたが
五代目にうかがうと、はたして縞あじであった。

=つづく=

2017年9月15日金曜日

第1701話 浅草カーニバルの夜 (その2)

こよなく愛する「弁天山美家古寿司」。
にぎりは第二弾の3、4カン目に入っている。
今が旬の新いか&新子を通した。
新々コンビでいってみたのだ。

新いかはすみいかの赤ちゃん。
目の前の種ケースには
茹でられた新いかのゲソが可愛らしく並んでいる。
ちょうど人間の赤ちゃんのニギニギした手のひらのように。
世のイカ類の中で生の新いかより柔らかいイカはナシ。
見た目つややかにして舌先になめらかである。

新子は小肌の幼魚のこと。
シンコ→コハダ→ナカズミ→コノシロ
と順を追う出世魚だ。
山口瞳をして
「九段下『寿司政』のしんこを食べないと私の夏が終わらない」
そうとまで言わしめた新子であり、「寿司政」である。
これは小さいのが2枚づけできた。

続いては真鯛&あじ。
「美家古」の真鯛は霜降りの松皮造りだ。
皮をむかずに残す手法で旨みを逃がさない。
真鯛ならではの美味しい食べ方である。

あじは中ぶりのちょうどよいサイズ。
と、あじ好きの相方は思ったそうだが
J.C.はもっと小ぶりが好みだ。
もちろん酢の入り具合よろしく、じゅうぶんに美味しい。

ここで新いかのゲソがサーヴされる。
新いかのにぎりを注文した客の特権だろうか?。
ご丁寧に山わさび(ホースラディッシュ)が添えられて
デリケートな滋味、ここにきわまれり。

7、8カン目は貝類を所望した。
北寄貝&赤貝である。
北寄はその名の通り、北海道が主産地。
中でも苫小牧の名産といわれる。
ただ1~3月が旬につき、この時期はイマイチだ。
正式名を姥貝といい、30年もの長命を誇る稀有な貝である。
ザッとキャッツ&ドッグスの二倍、いや、長生きだねェ。

やはり冬場が旬の赤貝もイマイチ。
赤貝が旨いのは牡蠣とほぼ同時期に当たる。
貝類で夏によいのはあわびと
日本海側に限った、とり貝くらいではないか。
香りの強いヒモをにぎってもらえばよかったかもしれない。
いずれにしろ、素材の良し悪しは季節要因が最大で
天下の江戸前鮨店ですら自然の摂理に抗えるものではない。

=つづく=

2017年9月14日木曜日

第1700話 浅草カーニバルの夜 (その1)

お世話になった人の誕生日を祝うため浅草へ。
ゲストに何が食べたいのか問うと、
お鮨がいいと言うので
浅草は「弁天山美家古寿司」に予約の電話を入れた。
折悪しく、その日は店が夏季休暇に入っており、
1週ずれ遅らせて席を確保することができた。

その際、電話に出たオニイさんの言うことに
「カーニバル当日なので店の周りはスゴい人ですが・・・」
そう、打診されたのだが
いいでしょう、いいでしょう、おジャマしますとも。
パレードの踊り子が店内に侵入するわけでもあるまいし。

案内された席はつけ台の左隅、五代目親方の正面である。
その隣りでは六代目が補佐役にまわっている。
「お飲みものはお茶でよろしいですか?」―
五代目の第一声は常にこれである。
基本的に酒類をあまり売りたがらないというか
酔客を歓迎しない姿勢は「美家古」の伝統なのだ。

それでも最近は厳選した日本酒を取り揃えるようになった。
昔の「美家古」はつけ台の右端に
大関の樽酒がド~ンと置かれていたものだ。
いや、懐かしいなァ。

初めてこの店を訪れたのは1978年。
ちょうど隅田川の花火が復活した年である。
入店したとき、
四代目がつけ台に背を向けて玉子を焼いていた。
あのうしろ姿は今でも忘れられない。

ビールでハッピー・バースデー!
突き出しはかつおの角煮だ。
ほかにつまみを取らず、にぎりでスタートする。
多彩な鮨種を効率よく味わえるコースが
何種類か用意されているけれど、
いつもお好みでにぎってもらう。

「われわれ同じものをいただくのでお好みでお願いします」
J.C.の常套句がこれだ。
このスタイルでいくと、職人さんはシゴトがしやすいハズ。
それも2種づつ通してゆく。

口切りは平目昆布〆&きす。
平目昆布〆は「美家古」の定番中の定番。
昔より〆がやや深くなり、昆布の旨みが蓄積されている。
皮目を残したきすは繊細の極みにして
薄紅色のおぼろがカマされていた。
好もしい江戸前シゴトと言えよう。

いつものことながら上々のスタートを切ることができた。
桐生選手のスタートも常にこうであってほしい。
隣りを見やると、相方の頬のたるみ、
もとい、ゆるみにも拍車がかかってきたぞなもし。

=つづく=

2017年9月13日水曜日

第1699話 バターとオリーヴ油

北区・王子の酒場で飲んでいた。
あじ酢が運ばれたところでビールから清酒に切り替える。
夜の帳が下りて店内は立て混んできた。
キツキツではないが
相席の隣りは50代とお見受けする熟年カップル。
到着早々、ビールで乾杯している。

オジさんのほうが口を開いた。
「この間さァ、会社の飲み会でイタめし行ったんだヨ」
「珍しいわネ、イタリアンなんて」
「女子に選ばせると、そんなんばっかりや」
「若い娘はやかましい居酒屋がいやなのヨ」
「だけどパンにバターじゃなくて油出しやんの」
「ああ、オリーヴ油ネ、いいじゃない」
「そういうもんかな、でも油はヤだヨ、バター出せっての」

聴くともなしに聴いていた。
オジさんの言い分はよく判る。
オバさんの意見にも理がある。
どんなパンか判らぬが個人的にパンにはバターかな。
殊に食パンやバゲットには絶対バターだネ。

イタめし屋ということなので
ひょっとしたらフォカッチャだったかもしれない。
オイルの浸み込みやすいフォカッチャなら
逆にオリーヴオイルのほうがいい。
味覚的にも両者の相性はピッタリだ。

J.C.はどちらも好きだが、より重要なのはバター。
今、コレを書いているのは3日前の日曜朝。
ついさっき、6枚切り食パンをトーストし、
バターをたっぷり塗って食べたところ。
あとはアイスのストレートティーとホットのミルクティーのみ。
朝食はシンプルでありたい。

バター好きには理由がある。
就学前、幼稚園に通っていた頃の朝食は
バター醤油ごはんが一番多かった。
週に三度はそれだったと記憶している。
幼い時代に好んだものは
懐かしみもともなって簡単には忘れられない。

あとは幼稚園に持ってゆく昼の弁当。
週一でバターと砂糖のサンドイッチだった。
意外と思われるかもしれないが
当時はワリとポピュラーな食べものであったのだ。
これはあまり好きじゃなかったけどネ。

炊き立てのごはんにバターを一片のせて生醤油をたらり。
今でもときどき食べたくなるときがある。
ただ、バターシュガーサンドはさすがに気色が悪く、
就学後は一度も食べていない。
バターとオリーヴ油、
たまたま酒場で耳にしたハナシでした。

2017年9月12日火曜日

第1698話 一日違いの土用丑の日 (その4)

”本日 土用丑の日”
貼り紙のせいで天丼から鰻重に変更の巻。
下拵えは済んでいてもなお、20分ほど要する由。
別段、急ぎでもないから諒とする。

待つ間、店内の様子をさりげなくうかがったり、
品書きに目をこらしたり。
先刻、生ビールを飲んできたというのに
今度は瓶ビールを楽しんでいた。
浅草から上野にかけては好みの銘柄の勢力圏である。

金2600円也の鰻重はほどよいサイズ。
中ぶりの鰻が丸一尾、ごはんの上に鎮座している。
焼きムラもなく丁寧なシゴトが施されていた。
まずはシモ(下半身)から箸を入れる。
鰻本体はけっこうな仕上がり。
惜しむらくはタレが甘ったるくて、もうちょいキレがほしい。

肝吸いはまずまず。
奈良漬け、きゅうりぬか漬け、キャベツもみ、
3種の香の物にも手抜かりはない。
総合的に評価して及第点をクリアしている。

ところが、ところがであった。
帰宅して何気なしに当たってみると、
土用の丑の日は当日じゃなく、その翌日。
するってえと、あの貼り紙は翌日のランチ用かえ?
何だヨ、そんなのありぃ?
(最近、こればっかりですいやせん)

引っ掛かるなァ、心残りだねェ。
どうにも気がおさまらない。
数日後、稲荷町「天三」に再び、
J.C.の姿を見ることができた。

同じようにカウンターに着き、
同じようにビールを飲んでいた。
鰻重の20分に対して
季節の天丼は10分足らずで整う。
価格も半分以下の1200円である。

穴子丸一尾・海老二尾・きす一尾・
なす・いんげん・ヤングコーン
陣容は以上。
真っ黒と表現しても過言でない濃い丼つゆに
ドブンと浸けられたのが白飯に盛られている。
脇はとうふ&わかめ味噌碗、たくあん、キャベツもみ。

ふ~む、味わいは浅草のクラシカルな天丼だネ。
ただし、コロモは浅草にありがちなフリッターではない。
こちらのほうが好みに合致する。
やはり餅屋では餅、天ぷら屋では天丼、
それが外しちゃならない常識でありました。

=おしまい=

「天三」
 東京都台東区元浅草2-8-8
 03-3842-6464

2017年9月11日月曜日

第1697話 一日違いの土用丑の日 (その3)

東京随一の仏壇タウン、稲荷町に来た。
いえ、仏壇を買いに来たんじゃなくて
上野からついフラフラと散歩がてらに―。
この先の田原町はちょくちょく訪れるが
飲食店より仏具店の勢力が優る稲荷町は
常々、スルーしてしまっている。

ちょうど空腹感に見舞われたことでもあるし、
界隈で適当な店を物色するとしよう。
入ったことはないけれど、
駅のそばにフレンチスタイルのラーメン店があるハズ。
試してみてもいいなァ・・・
そう思ったところで、一軒の天ぷら屋を思い出した。
江戸前天丼の「天三」である。

入谷にも同名店があるが相互関係は知らない。
天ぷらの姿・カタチも揚げ方も異なるし、
肝心の価格設定が段違いだから
おそらくつながりはないだろう。

稲荷町の「天三」は古き良かりしたたずまいを見せていた。
通りすがる人々をやさしく手招きするかのようだ。
こうなったら
 フレンチラーメンさようなら、江戸前天丼こんにちわ
であろうヨ。

店先に
 本日 土用丑の日
貼り紙がしてあった。
あれェ、今日がそうだっけ?
この日に鰻を食べる習慣がないから
まったく頓着していなかった。
ふ~ん、丑の日ねェ。

敷居をまたいでカウンターに着席する。
丑の日限定の鰻かと思ったら普段も提供しているようだ。
浅草あたりには天ぷら・鰻を両方手掛ける、
時代遅れの総合和食店がいまだに残っているが
そのほとんどがどっちつかずで
あまりいい思いをした覚えがない。
ここは迷わず天丼でしょ。

しかし、人間の気持ちというのは判りませんな。
殊に移り気なJ.C.のことですからな。
べつに自己弁護するわけじゃありやせんが
土用丑の日に天ぷら屋に飛び込んだのも何かの縁。
その天ぷら屋が鰻を扱っているのも何かのお導き。

「すいません、鰻重一つお願いしまあす!」―
と相成りましたとサ。

=つづく=

2017年9月8日金曜日

第1696話 一日違いの土用丑の日 (その2)

別海バター・・・??
別海ねェ・・・。
ふ~む、おう、やっと思い出したぜ。
すでに四半世紀も以前。
羽田から稚内に飛び、空港でレンタカーを調達し、
オホーツク海沿いを中心にあちこち立ち寄り、
釧路まで走らせたことがあった。

釧路には3日ほど滞在しただろうか―。
滞在中、根室に花咲蟹を食べに行った。
そのとき通ったのが別海町だった。
いや、懐かしいぞなもし。

別海は”べっかい”とも”べつかい”とも呼ばれる。
どちらも正しいらしい。
日本を”にほん”とも”にっぽん”とも呼ぶが如し。
何でもアイヌ語の”ベッ・カイェ”(川の曲がるところ)が
地名の由来だという。

そして初めて耳にした別海バターは
知る人ぞ知る優良バターなのだそうだ。
水産資源に恵まれる別海町はまた、
わが国有数の生乳を産出している。
何ともうらやましい土地柄で
海には鮭・帆立・北寄貝、
陸にはホルスタインが群れを成す。

まっ、以上の能書きは帰宅後に調べたこと。
とにかく別海バターに惹かれたし、
これまた初耳の赤巻きかまぼこにも興味をそそられた。
よって”別海バターたっぷり赤巻きかまぼこと青ねぎ”、
迷わずにお願いした。

チンで温められるのを自席で待っていると、
「赤巻きかまぼこのお客さま~っ!」
すぐに呼ばれたのだが、これがとてもいい。
赤巻きはバター炒めに適したかまぼこなのだろう、
板わさとは一味違った美味しさだ。
その後、何回か「味の笛」を訪れているが
ついぞ出逢っていない。
その日限りのスペシャリテであったらしい。

16時近くになり、店内が立て込んできた。
新潟は魚沼の銘酒、緑川の冷たいのを1杯飲って
河岸を替えることに―。
足が向いたのは東上野・稲荷町方面である。

三井アーバンホテルの角を右折して浅草通りをゆく。
ほどなくメトロ銀座線の稲荷町駅を通過。
ようやく空腹を感じ始めた。
小なすとかまぼこだけじゃ腹もへるわいな。

=つづく=

「味の笛」
 東京都台東区上野5-27-5
 03-3837-5828

2017年9月7日木曜日

第1695話 一日違いの土用丑の日 (その1)

八月初旬のある日。
午前中に所用を済ませてフリーの身になった。
どこへ行こうが、何をしようが、思いのままだ。
靖国神社に詣でたわけではないが出発点は九段下。
そこから神田神保町、水道橋、本郷を経て
切通しの坂を下り、到達したのは湯島天神下である。

時刻は14時半過ぎ。
春日通りを東に歩めば上野広小路は目と鼻の先。
中休みのない「井泉本店」で一飲に及ぼうか?
空腹感はまったくないからとんかつはムリでも
好きな蟹ときゅうりのサラダが待っている。

でもねェ、とんかつ屋のカウンターで
かつを食わずにサラダとビールってのもなァ・・・。
周りの客から
(この人何モノ? 明るいうちからビール飲んでて―)
白い眼で見られそうな・・・そんな気がしないでもない。

結局は薬局、またしても気に入りの「味の笛」へ向かう。
サカナのデパート、「吉池」の直営店である。
本家「吉池」の鮮魚コーナーでお茶を濁してから入店。
2階の椅子席へと螺旋階段を上った。
頭の中を桂銀淑の「夢おんな」の歌い出しが・・・

  ♪  螺旋階段 昇る靴音で  ♪

いや、やめよう、やめよう、やめとこう。
当ブログは挿入歌が多すぎるからネ。
ここはグッと我慢の子でいこう。

開店まもないため、店内は空席だらけだ。
禁煙席と喫煙席の境い目にある定席も空いている。
プラコの生ビールを手に落ち着つく。
半分ほど飲んでカウンターに並ぶつまみを物色した。

十全なすを記した短冊が下がっている。
今年もこの季節がやって来た。
新潟名物の小ぶりのなすは大好きなのだ。
まずはこれから。

なす紺に練り芥子の黄が小粋に映える。
たった200円の小皿がやけに美しい。
生ビールによし、冷酒によし。
焼酎のロックにだってよい十全なすである。

2杯目の注文と同時にあらためて小皿類を再点検。
初対面の珍品が目にとまった。
”別海バターたっぷり赤巻きかまぼこと青ねぎ炒め”
ほ~う、別海バターってか?
別海・・・べっかいねェ・・・どこかで聞いたぞ。
記憶の糸をたぐり始めたJ.C.であった。

=つづく=

2017年9月6日水曜日

第1694話 夕暮れの第一国道 (その4)

薩摩藩とエゲレスが一戦交えた薩英戦争。
ついこの間も議員同士の醜聞が表沙汰になり、
「(一戦は交えたけれども)一線は越えてません」―
なんてアホな言い訳をした挙句、
政活費横領が発覚して辞職した小悪党がいたっけ―。

さて、善玉のわれわれは戦争の火種となった、
生麦事件勃発の地、「大番」で飲んでいる。
カウンターだけの立ち飲み酒場だ。
ナマ物のお次は揚げ物をお願いした。

イカフライとポテトフライはどちらもまずまず。
パン粉のキメが細かいのが特徴と言えば特徴か。
大衆酒場のつまみ類は醤油で食べるものが多い。
その点、ソースとマッチするフライやカツの類いは
とても重要な役割を担っている。
日常のめしのおかずにも言えることだが
ずっと醤油味が続くとイヤになってくるもんネ。

滞在時間は1時間足らず。
当夜の2軒はいずれも長居に向かなかった。
いえ、不満はないですけどネ。
ちょい飲みハシゴには打ってつけでありましょうヨ。

京急・生麦駅で品川行きの電車に乗った。
二人ともまだ帰るつもりはさらさらない。
川崎を過ぎ、蒲田を過ぎ、
J.C.が小学生時代を送った平和島を過ぎた。
その隣りの大森海岸で下車する。
そこからJR大森駅まで10分ほど歩いた。

到着したのは1ヶ月半前にも訪れた、
山王小路飲食店街、通称・地獄谷である。
蟻地獄にはまったわけではけっしてないが
何となく足が向いてしまったのだ。

勝手知ったるとまでは言わないけれど、
だいたいの様子はつかんでいる。
こういうことはだいたいでいいんだ、だいたいで―。
前回同様、小路を行ったり来たり。
扉を開けたのは「H」なるスナックであった。

ママが独りに先客が二人、静かなものだ。
バックバーには相当数のボトルが並んでいる。
キープ用のボトルではなくて洋酒や焼酎が主体だった。

さっそく生ビールを2杯。
銘柄は一転してアサヒスーパードライである。
記憶が確かなら昔はこの地にアサヒの工場があったハズ。
多摩川を渡り返せばアサヒの縄張りとなる。

「H」にはスコッチやバーボンも揃っていたが
ビールのあとは芋焼酎の一刻者に切り替えた。
それも2杯にとどめた。
飲み放題・歌い放題を謳う店だが
飲み過ぎ・歌い過ぎは見苦しいからネ。
ここでの滞在も小一時間。
カラを含めて4軒も回ったから
これにて本日の打ち止めなりぃ~!

=おしまい=

「大番」
 神奈川県横浜市鶴見区生麦3-6-5
 045-521-6800

2017年9月5日火曜日

第1693話 夕暮れの第一国道 (その3)

JR国道駅の真下にある「国道下」。
店の奥、と言ってもたかだか奥行数メートルしかないが
周りのお客さんの協力のおかげで
どうにかテーブルに席を確保してもらった二人。
キリンの生ビールでホットと一息ついた。

カウンターの中にはママが独りきり。
居酒屋の女将というよりスナックのママといった感じだ。
いくら狭くとも一人での切盛りは生半可なことではない。
長っ尻(ちり)は少なそうだから
入れ替わり立ち代り客が押し寄せる。
酒に料理に会計に八面六臂のご活躍である。

それにしても居心地がよいとはお世辞にも言えない。
われらは穴ぐらに押し込められた狸の番(つがい)の如し。
狸たちは取りあえずポテトサラダを注文した。
もちろん作り置きである。
その皿をカウンターの客が中継してくれた。
リンゴ入りのポテサラは口に合わないが
女性はこのタイプがお好みらしい。
相方はパクパクとやっている。

ジョッキのお替わりとともに牛もつ煮込みを追加。
これまた可も不可もナシ。
ロケーションとアトモスフィアで持つ店に長居は無用だ。
当店は飲み食いするよりも
訪れることに意義のある店だろう。

早々に2軒目へと移動する。
京急線で一つ先の生麦駅に近い「大番」は
界隈随一の人気を誇る立ち飲み酒場だ。
「国道下」から第一国道を南へ歩くこと10分で到着した。

店内は意外に空いており、立ち位置を容易にゲット。
ここでは瓶ビールを所望した。
銘柄はもちろんキリンラガーだ。
相方はレモンサワーだったかな?
立ち飲みもまた一興である。

「国道下」も「大番」も生麦河岸商店街から至近距離。
魚介の質・鮮度に間違いはあるまい。
先刻は生モノを注文しなかったから
最初に小肌酢とまぐろブツをお願いした。
どちらも水準を軽くクリアしている。
こんな店が都内にあったら大変な賑わいになろう。

「大番」も回転率が高い。
もっとも回転しなかったら立ち飲みの効力はない。
株式市場に上場をはたした「いきなり!ステーキ」だって
立ち食いのアイデアが功を奏した上での成功だからネ。

=つづく=

「国道下」
 神奈川県横浜市鶴見区生麦5-12-14
 045-503-1078

2017年9月4日月曜日

第1692話 夕暮れの第一国道 (その2)

ラストソング「昭和枯れすすき」の背景に
これから出向くJR鶴見線・国道駅のガード下が映し出され、
ブッタマゲたところである。
とにかく2時間少々歌い、目的地を目指した。

京急川崎から電車に乗り、向かったのは花月園。
カタギ衆には縁薄かろうが競輪場で有名な土地柄である。
かつて生麦事件が勃発し、
今はキリンビールの工場がある生麦の一つ手前の駅だ。

花月園はもともと遊園地だった。
全盛を誇った大正期には
宝塚にならって自前の少女歌劇団を結成し、
西の宝塚、東の花月園とまで並び称された。

競輪場とは線路の反対側、
鶴見川のある東口に出てしばらく歩き、
第一京浜国道にぶつかった。

  ♪   つらい恋なら ネオンの海へ
     捨ててきたのに 忘れてきたに
     バック・ミラーに あの娘の顔が
     浮かぶ夜霧の ああ第二国道   ♪
          (作詞:宮川哲夫)

フランク永井の「夜霧の第二国道」は1957年のリリース。
同年の「有楽町で逢いましょう」より前に
発表されていたが「有楽町で~」の大ヒットにより、
こちらの人気にも火が付いたカタチとなった。

さて、目の前には第二国道ならぬ第一国道。
暮れなずむ左手(川崎方面)を見やれば、
数百メートル先に電車の高架がのぞまれた。
ここにJR鶴見線・国道駅があるのだ。

第一国道の真上にあるから国道。
何ともシンプルな駅名である。
そしてその駅の直下、
改札口の前にあるのから居酒屋「国道下」。
シンプルさはとどまるところを知らない。

ここへ来たのは11年ぶり。
忘れもしない、あれは2006年のGWだった。
東急池上線・池上駅前の中華料理店「松花江」で
ランチを食べたあと、いや、そこから歩いた、歩いた。
何たって横浜まで踏破したんだからネ。
国道はその途中に通りすがったのだった。

「昭和枯れすすき」の映像にあった「とみや」は
とっくの昔に看板を下ろしている。
現在も営業を続けているのは「国道下」だけだ。
とにかく狭い店舗なので
夏場は店先にテーブルを出しており、
そこも客であふれ返っていた。

=つづく=

2017年9月1日金曜日

第1691話 夕暮れの第一国道 (その1)

その日も暑かった。
最近は遠出をするたびに待っているのは炎天下だ。
現れたのは神奈川県・川崎市。
川崎市といってもいささか広うござんすが
その本拠地、JR川崎駅である。

相方は、めしとも・のみとも・うたともの一人三役、
いわゆる”さんとも”のO戸サン。
駅東口から向かったのは徒歩3分のカラ館で
アーケードの商店街、銀柳通りにある。

誰がつけたか知らないが
銀柳なんてやくざの一家みたいなネーミング。
川崎らしいな、と言ったら市民に叱られるかもネ。
まっ、けっこうなセンスということにしときまひょ。

まずは2時間ほど歌って、
それから隣り町の鶴見辺りで飲む腹積もりだった。
2軒の店にちゃんと目星を付けてある。
ただし、相方は興が乗ると、
3時間でも4時間でも熱唱に及ぶクセあり。
上手いことコントロールしなけりゃネ。

2時間ほど経過。
「たいがいにしてそろそろ河岸を替えようや」
切り出すと、意外にも素直に
「それじゃ締めはデュエット行きましょう」
「うん、いいんじゃない」

1曲目
「涙と雨にぬれて」(和田弘とマヒナスターズ&田代美代子)

2曲目
「逢えるじゃないかまたあした」(石原裕次郎&川中美幸)

3曲目
「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)

この3曲目がいわゆる当日のラストソングだった。
歌詞を見ながら歌っていたが
ふと、その背景に目をやると、
トンネル状のさびれた飲み屋街が映っていた。

どこかで観た光景だなァと思っていると、
いや、ビックリしたな、もう!
これから向かうつもりでいた、
JR鶴見線・国道駅の高架下じゃないか!
目当ての店「国道下」は映っていないが
すでに閉店した「とみや」の袖看板は
しっかり撮られている。
こんなことってアリィ?

=つづく=