2017年10月31日火曜日

第1733話 私を森下に連れてって (その3)

「魚三酒場 常盤店」の最寄り駅は森下だが
番地は江東区・常盤、深川芭蕉庵跡にほど近い。
客がドッとなだれ込んで店内はやおら活気づいた。
接客のオバちゃんたちは別段、あわてるふうでもなく、
毎日のことだから手慣れたものである。

大き目の四角いお盆に刺身の皿が数枚。
これを持ち回って客に売りさばいてゆくのだ。
どんな皿かとのぞいてみれば
まぐろ赤身、かんぱち、真鯛の3種類。
いずれも単品で盛合せではない。

第二ラウンドは
まぐろ中とろ、かつお、舌切り&とり貝。
舌切りというのはアオヤギ(バカ貝)のことで
貝類だけが合盛りとなっている。

通人はここでむやみに手を出さない。
4人グループだったかな?
ほとんど全ての皿を横一線に並べちゃってるヨ。
 ♪  サカナ サカナ サカナ~
   サカナを食べよう    ♪
そんな状態である。

刺身がメインの酒場だから
その気持ち判らないではないが
あまりみっとものいい所業ではない。
もっとも大衆酒場で気取ってみても
どうなるもんではないけれど、
掟というか、ルールと呼ぼうか、
それに似たものがあるんじゃなかろうか。

刺身の皿には手を控えたわれわれは瓶ビールで乾杯。
この瞬間のために今日も生きてきた。
相方はあらかじめ当店の下調べを済ませており、
必食の品を絞り込んでいた。
小肌酢、ハゼ天ぷら、つみれ汁の三品をお願いしたいとのこと、
まずは夢をかなえて差し上げる。

そうしておいて当方は刺身の注文だ。
ところが多くの短冊から選びに選び抜いた、
コチもなければカワハギもないって言うじゃないの。
だからって、今さらまぐろでもあるまいし・・・。
今日のところは刺身をパスろう。
よって珍しい穴子のフライをお願いする。

待っているあいだに
持ち回りの第三ラウンドがやってきた。
おっと、シャコがいるじゃないの。
当たり外れの大きいシャコだが見た目はよさそう。
即、手を挙げたのであった。

=つづく=

2017年10月30日月曜日

第1732話 私を森下に連れてって (その2)

地下鉄・都営新宿線の開通によって
隅田川の西側、いわゆる川こっちから
川向こうに行きやすくなった江東区・森下。
すでに40年も以前のことながら
下町飲みを愛する当時の左党たちは
しめしめ、相好を崩して舌なめずりしたに違いない。

新宿線は新宿から真西に走る京王線と相互乗り入れしている。
先日も当ブログで綴ったばかりだが
京王線とはなぜか縁が薄いわが身である。
早いハナシが過去において
沿線に親しい友人も愛しい恋人もいなかったことの証し。
訪ねる機会に恵まれなかったんだねェ。

京王線がダメでも新宿線があるサ。
新宿から千葉県・市川市の本八幡まで全21駅。
そのすべての駅に降り立っている。
そしてほとんどの駅前で飲んでいる。
バッカじゃないの? ってか?
へへ、ごもっとも。
あんまり自慢できるハナシじゃありやせん。

さてさて最近出逢ったのみとも・H谷サンと待合せた森下だ。
時間を15時45分としたのは
最初に行く予定の「魚三酒場 常盤店」が16時オープンだから。
多彩な鮮魚の品揃えを誇って、なおかつ廉価。
地元のみならず遠方からも呑ん兵衛たちが遠征して来る。
よって早めに仕掛けないと止まり木に止まり損なうのだ。

森下駅A7出口に相方の姿なく、門仲方面に目を凝らせば、
ややっ! 行列らしき人々が望見されるじゃないか!
こりゃこんなところでモタモタできないぜ。
走りはしないが少々急ぎ足で店舗に向かった。

列を成す人々はすでに十余名。
最後尾に廻ってしばらくすると、
開店5分前にH谷サンが到着した。
後列の客にペコペコ頭を下げて
何とか割り込ませてもらっちゃってる。
なかなか愛嬌のある人物なのだ。
まっ、そうでなきゃついこの間まで
赤の他人だったオッサンと一緒に飲みには出ないわな。

16時を回ること約3分。
ようやく引き戸が引かれて暖簾が出された。
列の一同、一様にホッコリ笑顔でゾロゾロゾロ。
店内には細長いコの字カウンターが二つ。
いったい何人入れるんだろう?
40人くらいかな?
行列はすべて収まって、あとは数席を残すのみである。

=つづく=

2017年10月27日金曜日

第1731話 私を森下に連れてって (その1)

一ヵ月ほど前に自由が丘で酌交に及んだH谷サン。
「前回はこちらの地元に足を運ばせちゃったから
 今回はそちらにうかがいますヨ」―
そんなレンラクが入った。
「いいッスヨ、酒場めぐりは下町に限るからネ。
 で、例えばどんなとこ?」―
鷹揚に受けると、
「深川とか森下とか行ったことないんで連れてって」―
また珍しい御仁だこと。
酒飲みたるもの、一度や二度は門仲や森下に
行ってるハズなんだがなァ。
結局、待合せたのは森下だった。

その前に深川とはどこぞや?
門仲・森下はメトロの駅があるから
首都圏にお住いの読者なら土地カンはなくとも
地理カンはつかめると思う。
でもネ、昔は現在の江東区の西半分を占めた深川区が
その名称を失って以来、
猫の額ほどの狭い地域に深川1・2丁目を残すばかり。
あと数十年もすれば、下町を代表する深川なる呼称は
忘却の彼方に葬られるんじゃないかと心配だ。
憂うべし。

ウィキペディアによると、
北で平野、東で冬木、南で富岡、
南西で門前仲町、西で福住と隣接する地域
となっており、
単に深川1・2丁目の地理的ガイドに過ぎない。
こんな狭いくくりでは絶対にありゃしない。
はっきり言って間違いだ。
これでは深川不動堂も富岡八幡宮も
アウト・オブ・フカガワになってしまう。
そりゃあないぜセニョリータ、もとい、ウィキペディア!

J.C.の勝手にして個人的な深川は
下記の地番を含むものとする。
越中島・牡丹・古石場・木場・
永代・門前仲町・富岡・佐賀・
福住・深川・冬木・清澄・平野・
三好・白河・常盤・高橋・森下
となる。

てなこって江東区・森下である。
深川エリアの北のはずれである。
待合せたのは都営地下鉄のA7出口に15時45分。
森下にはどちらも都営のメトロ、
新宿線と大江戸線が走っているが
新宿線が開通した1978年12月以前は
麻布十番と並ぶ陸の孤島であったのだ。

=つづく=

2017年10月26日木曜日

第1730話 ちゃぶ台で一献 (その2)

谷中の「のんびりや」は
その正式名称を「散ポタカフェ のんびりや」という。
ん? ”散ポタ”がやや意味不明ながら
屋号の決定は屋主の専権事項だから思うがまま。
その点、いまだに衆議院の解散を
首相の専権事項としている日本の政治は
時代遅れ以外の何物でもない。
嘆くべし。

牛すじと大根の赤味噌煮込みは当たりだった。
これをビールだけで味わうのはもったいないから
芋焼酎でもと思ってリストを手に取ると、
ややっ! 兼八があるじゃないの!

大分県・宇佐市の銘酎は
はだか麦をはだか麦麹で醸す焼酎の逸品。
独特の香ばしさを武器に愛好者の舌を鼻腔を
心までもつかんで離さない。
久々の邂逅に歓びもひとしお、ロックでお願いした。

う~む、掛け値なしに美味いな。
秋どころか冬が到来しても焼酎はロックが好き。
水割りはもの足りないし、
湯割りだと冷めるのが気になって
おちおち飲んでいられやしない。

何かつまみをもう一品。
相方に問うとパクチー餃子を選択した。
女性はパクチー好きが多いからネ。
空前絶後のパクチーブームにしたって
火をつけて薪をくべたのはオンナたちであろうヨ。

かく言うJ.C.も好んで食べている。
ただし、パクチーではなく香菜(シャンツァイ)よ呼ぶ。
皮蛋(ピータン)や海南風チキンライスや
活海老の白灼(パッシャー)には必要不可欠で
香菜がないときは上記のモノは食さない。
同じ香草のディルがなければ、
スモークサーモンを敬遠するのと一緒だ。

登場したパクチー餃子はトマトソースが掛けられて
ちょっと見はイタリアンのラヴィオリ・ポモドーロといった風。
ソースには青唐辛子が投入されてピリッと辛い。
具は豚挽き肉とニラである。
まっ、そこそこの仕上がりと言えようか。

兼八には合わないので締めは珍しいラオスのビール。
ビヤー・ラオなるベタなネーミングのラガービールは
タイやインドのそれと異なるスッキリタイプで
東南アジアのスーパードライってな感じだ。

近々の再訪はないだろうが
しょっちゅう出没するエリアにまた一つ手駒が増えた。
試して損のない佳店であることは確かであります。

「散ポタカフェ のんびりや」
 東京都台東区谷中5-2-29
 050-5278-8753

2017年10月25日水曜日

第1729話 ちゃぶ台で一献 (その1)

散歩の道すがら、谷中は三崎坂上に
「のんびりや」を見つけたのは数ヶ月前。
カフェ風の店舗はいかにも昭和レトロ、
それも近頃流行りの偽レトロではない、
本格的な佇まいに惹かれるものがあった。

半年ほど前、ちょうど桜の季節に紹介した、
日本そばの「慶喜」、さくら餅の「荻野」のそばである。
佇まいもさることながら
店頭のメニューの内容がユニークで
一訪の価値あり、と判断したのだった。
判断したのだが、それから何カ月も経ってしまった。

一夜、旧知の友、T栄サンを誘って訪れた。
入ると右手に二つのテーブル席。
その一つではヤングカップルが酒を酌み交わしている。
もう一つはに入口に近すぎてほとんど道端だ。

さいわいにも案内されたのは左手の茶の間。
丸いちゃぶ台が置かれ、TVではDVDだろうが
トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」を放映中。
音は絞ってあるから会話のジャマにはならない。

奥にそこそこのスペースの座敷があるようで
ときおりざわめきが流れてくる。
グループの宴会真っただ中といった様子だ。
ときどき子どもたちが茶の間に侵入してきて
TVの前にちょこんと座ったりもする。

乾杯のビールはサッポロラガー、通称・赤星。
このタイプの店は赤星を置くところが多い。
レトロ感を醸すに恰好の銘柄だが
最近はしょっちゅう見掛けるから効果は薄れてきている。

つまみはまず、自家製ローストポーク。
醤油ベースのオニオンソースがあしらわれている。
脇にはパプリカと水菜のサラダ。
オッサンには単なる繊切りキャベツでじゅうぶんでも
女性はこのほうが歓ぶのだろう。
主役のローストポークは悪くなかった。

続いてもう一品は牛すじと大根の赤味噌煮。
玉こんにゃくと牛蒡が同居している。
ふ~ん、牛つながりで牛すじに牛蒡というわけか。
アジなまねをしやがる。

アジなまねはともかくも味がよかった。
こりゃ、素人のシゴトじゃあないぜ。
あらためてスタッフを見やると、30歳前後の男女二人。
夫婦かどうかは判断しかねるものの、
情の通じたペアとお見受けした。

=つづく=

2017年10月24日火曜日

第1728話 思い出の町 柳橋 (その4)

台東区・柳橋の洋食「大吉」。
カウンターで独り、遅い昼めしを食べている。
ボリューム満点のAランチだ。
けっこうなサイズのポークソテー&メンチカツに
盛りのよいライスとわかめの味噌汁の組合わせ。
冷めると味の落ちるソテーを先に
それからメンチを食べ終えたところだ。

卓上にはウスターと中濃のサフランソース。
食材紹介のパンフレットには
当店では1970年の創業以来使っており、
昭和天皇の好んだソースとあった。
ふ~ん、醤油は判るが
先帝はソースもお好きだったんだねェ。

なおもパンフレットを読み進めると、
フライ用の海老はブラックタイガーのワンランク上、
ホワイト海老を使用している由、
ヘエ~ッ、こだわってるなァ。

ホワイトとブラックはともにクルマエビ科の海老ながら
決定的な違いは前者が天然モノであるのに対し、
後者は養殖モノということ。
養殖技術の向上のおかげで
ブラックタイガーはもとより、バナメイですら
東南アジアやインドの海老は美味しくなった。
とにかく海老は重要な食材だ。
何たって日本人は世界に冠たる海老好き人種だからネ。

食後、柳橋1・2丁目を散策する。
祝日のこととて行き交う人は少ない。
20年前に棲み始めたときにはすでに
零落を極めていた花街を今さら嘆くこともあるまいが
あらためて思う。
夢破れて山河あり。
障子破れてサンがあり。
だけど滅びの美学を地でゆくこの町が好きだ。

  ♪    だけどわたしは 好きよこの都会(まち)が
     肩を寄せあえる あなた・・・あなたがいる
     あなたの傍で あゝ暮らせるならば
     つらくはないわ この東京砂漠
     あなたがいれば あゝうつむかないで
     歩いて行ける この東京砂漠      ♪
           (作詞:吉田旺)

クールファイブの「東京砂漠」は1976年のリリース。
この名曲がオリコン19位どまりとは未だに信じられない。

たっぷりと1時間、さして広くもない思い出の町をめぐった。
肩を寄せあえるあなたがいなくとも、この町が好きだ。

=おしまい=

「洋食 大吉」
 東京都台東区柳橋1-30-5
 03-3866-7969

2017年10月23日月曜日

第1727話 思い出の町 柳橋 (その3)

かつての花街・柳橋も今は見る影とてない。
1軒だけ残った、花街に付き物の洋食屋が「大吉」だ。
メニューを吟味し、ビールとレバーカツに的を絞った。
マカロニサラダもいってみたいが
レバーカツの付合わせとなる可能性があるので
現物を目にしてから追加の有無を決めたい。

階下への階段を降りた。
なつかしい光景が拡がっている。
13時をとっくに回ったのにかなりのテーブルが埋まっている。
3席しかないカウンターに促された。
キッチンを見通せるからこのほうがよい。

BGMは相も変わらずビートルズ。
「ドライブ・マイ・カー」が掛かっている。
スポーツ新聞を持ってきてくれたオネエさんに
注文品を告げると、レバーカツは夜のメニューだと返された。
そうだ、そうだったな、
しばらく来てないから忘れちゃってたヨ。

サッポロ黒ラベルの大瓶を飲みながら仕切り直し。
BGMが「デイ・トリッパー」に替わる。
単品で頼んでもよかったが
ライス・味噌汁付きのAランチ(980円)をお願いした。
内容は豚ロースソテーのボローニャ風とメンチカツだ。
ボローニャ風だからミートソースでも掛かってるのだろう。
メンチと挽き肉がかぶるが、それもよし。

ちなみにBランチは岩中チャーシューエッグだった。
岩中豚は岩手県産の高級銘柄豚。
チャーシューエッグは築地場内にある「とんかつ八千代」の名物。
あまり旨くなかった記憶があるが、そのパクリだろう。

サンスポに半分ほど目を通したとき、ランチプレートが整った。
豚ロースにはやはりミートソースだった。
それもスパゲッティ用のタイプではなく、
合い挽き肉入りのデミグラスといったふうだ。
付合わせはキャベツとトマトとパセリに案の定、マカロニサラダ。
ただし穴の開いたマカロニではなく、ねじりん棒のフジッリである。

岩中豚のロースはまことにけっこう。
赤身と脂身とのバランスがとてもいい。
そしてボローニャ風ソースもなかなかである。
挽き肉は黒毛和牛が8割、岩中豚が2割と明記されていた。
ハンバーグの黄金比率は、牛7:豚3といわれるが
それよりも牛の割合が多い。

ハンバーグと同じ挽き肉が使われるハズのメンチカツは
期待通りにジューシー。
ナイフを入れたら肉汁がしたたった。
でも、観音裏の名店「ニュー王将」のそれには及ばない。
あれは東京一だもんなァ。

=つづく=

2017年10月20日金曜日

第1726話 思い出の町 柳橋 (その2)

台東区・浅草橋の町を歩いている。
浅草と日本橋のちょうど中間点にある浅草橋。
源頼義とその長男、八幡太郎義家ゆかりの
銀杏岡八幡神社を通りすがったところだ。

鳥居の真ん前には日本そばの「満留賀」、
その数軒先には「そば八」、どちらもたびたび利用した。
「満留賀」では晩酌、「そば八」では昼食という普段使い。
よって「そば八」に入り掛けたものの、
あいや、待て、まて、江戸通りの向こう側、
隅田川沿いの柳橋に行ってみなければ―。
そここそが used be my hometown なんだからネ。

JR浅草橋駅東口に立つ。
あれれ、人形の「秀月」が消えちゃってるヨ。
ライバルの「久月」は健在だが一体何があったというのだ。
帰宅後、調べてみたら
同じ江戸通りの、もうちょいと南側に本店が移動していた。

今のご時世、人形メーカーの行く末は厳しかろう。
まっ、倒産したのじゃなくってよかった。
人形は買ったことがないけれど、
町のシンボル的存在に何となく愛着があるからネ。

総武線の高架線下を歩く。
ここは柳橋1丁目。
天ぷら「江戸平」、うなぎ「よし田」、
ともに暖簾は出ていないが営業を続けている様子。
ご同慶のいたりである。

名匠・成瀬己喜男の名作「流れる」(1956年)には
両店がはっきりと映し出されている。
あれから60年余り、トンデモない老舗が生き残っているのだ。
2軒は同じ並びにあって、ほかに飲食店はまったくない。
これを奇跡と呼ばずして何と言おう。
昭和の残滓などと揶揄したらバチが当たるというものだ。

思い出の町を歩きながら
本日の昼めし処の構想が固まってきた。
洋食の「大吉」である。
名店ではけっしてないが佳店であることは確かだ。
数えきれないほどここに来ている。

行き着けたフレンチ・ビストロはラーメン店に代わっていた。
柳橋が花街として隆盛を保っていた頃からの老舗、
「梅寿司」が見覚えのある暖簾を掲げている。
うれしい限りである。

「大吉」に到着。
この店は地下店舗だが1階にメニューが貼り出されている。
ほとんどの料理を食べつくしているにもかかわらず、
あらためてつぶさに見入るJ.C.であった。

=つづく=

2017年10月19日木曜日

第1725話 思い出の町 柳橋 (その1)

この日の散歩はJR上野駅から。
人波でごったがえす新宿、池袋、渋谷、東京、
そして近年は品川駅まで、
こういうところへは用がなけりゃ行きたくもないやネ。
その点、大きなターミナル駅なのに
上野だけはどこかのんびり感を漂わせている。

その空気が好きなせいか、
ここを散歩の起点や終点にすることたびたびである。
上野恩賜公園、不忍池から谷根千に抜けたり、
稲荷町、田原町を経て浅草方面へ行くのにも便利。
広小路、湯島から本郷へ、
あるいは秋葉原から神田という選択肢もある。
双六に例えれば振りだしみたいな土地柄なのだ。

JR上野駅はやたらめったら出口が多い。
正面玄関口から時計回りに
広小路口、不忍口、西郷口、山下口、公園口、
入谷口、東上野口、浅草口と、大変な数である。

そのうち最もさびしいのは入谷口じゃなかろうか。
岩倉高校や上野学園の生徒のほか、
利用する乗降客があまりいないように思われる。
東上野や北上野、入谷方面につながっていても
道行く人の数はタカが知れている。

その入谷口を出た。
進路を東に取り、昭和通りを渡る。
上野警察と台東区役所の間をすり抜けて稲荷町方面へ。
このまま行くと浅草に行き着くが方向を少しく南に修正する。

都営大江戸線・新御徒町駅そばの佐竹商店街にやって来た。
都内屈指のレトロ感に満ち満ちたアーケードをゆく。
時刻は12時半を回って少々腹が空いてきた。
そろそろどこかに入ろうか―。

コロペットなるユニークなコロッケがウリの洋食店は
いつの間にか閉業して居酒屋だったかな、
ほかの店舗に取って代わられている。
時代遅れの喫茶店兼食堂「白根屋」の前でしばし逡巡。
久々だから入店したいが残念ながらここにはビールがない。
よって見送り。

鳥越のおかず横丁は営業している店がほとんどない。
考えてみりゃ、今日は祝日だった。
例大祭の千貫神輿で世に知られる鳥越神社も人はまばら。
境内には入らず、浅草橋へと向かう。

ニューヨークから帰国してすぐに棲んだのは台東区・柳橋。
10年以上の月日を過ごした。
利用した最寄り駅はJR総武線と都営浅草線が走る浅草橋だ。
新店を除いて駅周辺の飲食店はほとんど訪れている。
胸の奥からなつかしさがこみ上げてきた。

=つづく=

2017年10月18日水曜日

第1724話 サンマの紹興煮 (その2)

自宅のキッチンで新サンマを煮ている。
第一感は塩焼きだった。
大根おろしを添えて酢橘を搾れば
舌上を秋の味覚が駆け巡ること必至なれど、
一ひねり加えて有馬煮ならぬ、
紹興煮とシャレ込んだのだ。

ちなみに紹興煮とはJ.C.の勝手なネーミング。
どんな料理本を開いてもこんなのは掲載されていない。
四川料理の麻婆豆腐に使用される花椒は
華北山椒とも呼ばれる。
よって四川煮、あるいは華北煮のアイデアが浮かんだものの、
浙江省・紹興市の特産、紹興酒が重要な役割を担うため、
紹興煮とした次第だ。

フライパンの煮汁が煮立ってきた。
上(カミ)と下(シモ)2片のサンマを静かに並べ入れる。
煮魚は引っくり返すな! 
巷間そう伝わるが、あえて逆らい、5分ほどで裏返す。
そうしておいて落とし蓋である。
木製のモノなどないからアルミホイルの即席蓋で間に合わす。

最弱火でおよそ15分。
汁気がなくなってきたら花椒を散らして火を止める。
いや、実に簡単なのだ。
テーブルに運んだら刻んだ香菜をこんもりと盛り付け、
おもむろにいただく。
もちろん淡白なシモのほうからネ。

あっ、そうそう、香菜というのはパクチーのこと。
いつの頃からかシャンツァイが
パクチーと呼ばれるようになった。
おそらくここ20年ほどの間だろう。
昭和の後期に朝鮮漬がキムチに
取って代わられたのと同じ現象と言えよう。

サンマの合いの手にはもちろん紹興酒である。
ちなみに自宅にあったのは近所のスーパーで購入した、
塔牌・花彫<珍五年>なる安物。
ラベルには
 日中国交正常化が成立した1972年より
 紹興酒を取扱う宝酒造が品質管理を行い、
 輸入販売している信頼のブランドです
とある。
あまり美味しい紹興酒ではないが思い出すなァ、
田中角栄と周恩来のあの固い握手を―。

ワタの詰まったカミには舌先を変えるため、
五香粉(ウーシャンフェン)を振って味わった。
主に八角と丁子が主張するこのスパイスは
一家に一瓶備えておくと便利だ。
たった一振りであら不思議、
本格的な中華の香りだけは楽しめます。

2017年10月17日火曜日

第1723話 サンマの紹興煮 (その1)

今年は秋の味覚の代表格、サンマが不漁だという。
九月半ばを過ぎてようやく
漁獲は回復傾向にあるというが
過去の豊漁期に比べればずっと少ないそうだ。

先日、近所の鮮魚店に生の新サンマを見掛けた。
サイズが大・中・小とあり、
中が1尾200円、小は200円弱、大は200円強である。
サンマの周りにはイワシ、アジ、カサゴ、
舌平目、スルメイカ、白イカが並んでいる。
刺身のショウケースには
バチマグロの赤身と中とろ、真鯛、カンパチ、かつお、
〆さば、〆小肌、赤貝、ツブ貝などなど。

首をかしげて上空の白雲を眺めるともなく眺め、
はて、どうしたものかのぉ・・・。
以前はあまり並ばなかった小肌が
最近はよく見掛けるようになった。
好物につき、あれば購うのが常、
この日もまずは小肌を4枚に赤貝を一舟、
そして小さいサンマを1尾、買い求める。
サンマは頭と尾を落とし、
胴を真っ二つに切断してもらった。

帰宅後、手を煩わすのはサンマだけだが
粗塩を振ってグリルで焼けばそれで済む。
野菜庫には大根も酢橘(スダチ)も眠っているし、
何の苦労もない。
とは思ったものの、
芸がないので焼かずに煮ようと考え直す。

煮魚は焼き魚に負けず劣らず好きなのだ。
カレイ類や穴子、あるいはカスベ(エイ)が理想的で
イワシやアジなどの青背はめったに煮ない。
ただし、サンマは例外中の例外。
佃煮風に仕上げた実山椒をストックしているから
ちょいと小ジャレて有馬煮にするわけだ。

大き目のフライパンに水を張り、
砂糖と醤油と日本酒を投入して煮立てる。
臭い消しの根生姜を削り終え、
酒類の並ぶ棚に再び目をやった。
おっと、紹興酒があるじゃないか。

瞬時に閃いたネ。
有馬煮はよして中華風にしてみよう。
山椒の代わりに花椒(ホアジャオ)があるし、
香菜(シャンツァイ)もまだ元気。
すでに日本酒を入れてしまったが
追いかけて紹興酒をドボドボと注いだ次第なり。

=つづく=

2017年10月16日月曜日

第1722話 名月とザザムシ (その2)

10月4日の朝日新聞・朝刊の記事。
浅田次郎氏の語るこの部分に括目したのだった。

亡くなった時、僕は諏訪の温泉にいました。
出てくる食べ物が蜂の子、ザザムシ、馬刺し、桜鍋。
一切駄目。
女将に、変えられますかって。

信州特有の食べもの満載である
語り手が一切駄目な蜂の子、ザザムシ、馬刺し、桜鍋。
J.C.はみなOKだが唯一、ザザムシだけは得意としない。
かと言って駄目ではけしてない。

ザザムシとは何ぞや?
カワゲラやトビゲラの幼虫のことで、いわゆる水生昆虫だ。
天竜川の上流域、南信・伊那地方の特産として知られている。
J.C.は同じ信州でも長野市生まれだから北信の出身。
蜂の子・馬肉には幼少の頃から親しんでいるのに
ザザムシだけは見たことがなかった。
天竜川にたくさんいても千曲川には少ないのかな?

記事を目にした10月4日、この夜は中秋の名月であった。
名月とザザムシ、脳裏に閃光がピカリときらめく。
あれは十数年前。
ワイン会の仲間と月見の会を催したことがあった。

毎年、恒例の花見会では
昼間から新宿御苑に集まる呑ん兵衛たちだが
「花見があるなら月見があったっていいじゃないか」―
J.C.の発案でその年の秋、中秋の名月に狙いを絞り、
初めての月見会を開く運びとなった。

当日、仲間たちが集結したのは佃島の隅田川べり。
今年のような雲のさえぎりとてなく、
「お前はどうしてそんなに美しいの?」―
そう、月に問いかけたくなるほどだった。
酒も肴も持ち込みのいわゆるポットラック・スタイルで
J.C.はザザムシの佃煮を持参したのだ。

その1週間ほど前だったかな?
直属の部下にやはり長野生まれのH谷クンというのがいて
「オカザワさん、明日帰郷するんですが
 何か信州のモン買って来ますヨ」
「おう、そりゃありがたい、お言葉に甘えてザザムシを頼むヨ」
「ハァ~ッ?」
意味の判らぬ彼にかくかくしかじか、無事手に入れたのだった。

月見の会でのザザムシの評判は不評。
中でただ独り、アメリカからの帰国子女、K美子嬢だけが
「これ、ボルドーにけっこう合う!」
そう行って箸を止めなかったのを覚えている。

彼女はそれからしばらくして会の仲間のK一クンと電撃結婚。
新郎の任地に向かったのでした。
飛んでイスタンブール、もとい、
飛んでサウジアラビアでありました。

2017年10月13日金曜日

第1721話 名月とザザムシ (その1)

今日は13日の金曜日。
世の中が平和であって
際立った災厄に見舞われなければ、
それが一番なんだけれど―。

10日近くも前のことで恐縮ながら
10月4日付けの朝日新聞をめくっていて
目がとまったのは文化・文芸欄。
「語る―人生の贈りもの―」というシリーズで
語っていたのは作家の浅田次郎である。
朝日にも浅田氏にも無断で
部分的に引用させていただこう。

《作家としての恩人は、井上ひさしさんだった》

最初に会ったのは21歳の時。
表参道で後年の女房になる人とウナギ食ってたんだよ。
見栄をはって、勝負うなぎ。
並でいいなとか言いながらさ。
そしたら隣に座ったオヤジが「特上」とか言って、
この野郎と思って振り返ったら、どっかで見た顔。
小説家は外で会って分からない人もいるけど、
井上ひさしさんは不利な顔だぞ。
どんな遠くから見ても分かるもんな。

作家になってからは、折々に見守ってくれた人でした。
吉川英治文学新人賞も、
その本賞の時も僕の小説をことごとく
読んでいただいた人なんです。
〇はつけてくれてると思います。
小説の神様が引き合わせてくれたんだろうね。

亡くなった時、僕は諏訪の温泉にいました。
出てくる食べ物が蜂の子、ザザムシ、馬刺し、桜鍋。
一切駄目。
女将に、変えられますかって。
ウナギならと言うんで、出前を取ってもらったんです。
その時は「特上」でね。
ふっと井上さんのことを考えたんだ。
ウナギが好きな人で、何回もごちそうになってね。
そこに電話がかかってきた。
「井上さん亡くなりました」って。

なるほどねェ。
人の世の因縁を思わずにはいられないな。
言われてみれば、
井上ひさしはウナギを好みそうなお顔立ち。
正岡子規や斎藤茂吉を横綱格に
とかく文人には極端なウナギ好きが多い。

将棋界からは引退したが
タレントとして今が盛りのひふみんも
異常なウナギっ食いとして世に知られている。
将棋会館で対局の際は昼も夜もウナギだってんだから。

さて、J.C.がこの新聞記事に惹かれた理由は
ウナギじゃなくてベツのところにありました。

=つづく=

2017年10月12日木曜日

第1720話 鰻や穴子の舞踊り (その5)

自由が丘の「ほさかや」にて鰻の串焼きやら、
レバーの塩蒸しやら、煮凝りまで食べたのに
数軒隣りの「金田」では穴子の唐揚げを待っている。
松尾芭蕉に無分別を叱責されそうだ。
 穴唐や 鰻串食ったに 無分別
ハイ、すんません。

おっと、穴子の端正な一皿が運ばれた。
ほぼ同時に左隣りの相方の、そのまた左に
妙齢のご婦人が独り着席したではないか。
この店に女性独りで現れるとは大した度胸だ。
というか、常連サンに違いあるまい。

いや、こうなると相方は穴子どころじゃないネ。
穴子の皿なんかそっちのけだもの。
意識が100%、左に寄っている。
数学において乗除は加減に先立つが
心理学だとオナゴはアナゴに先立つんだ。

おやおや、こっちが穴唐1切れ食べる間もあらばこそ、
早くも話し掛けちゃってるぜ。
興奮のあまり、大声出して
また若女将にイエローカード切られるんじゃないかと、
こちとら気が気じゃないヨ。

とか何とか言いながら結局は薬局、
数分後には3人での談笑と相成りました。
だってハナシを振られたら受け答えはするでしょ。
でも他人のことをとやかく言えないネ。

ご婦人は隣り町の奥沢に在住するセレブな奥様。
30分少々のご滞在であった。
われわれも速やかにお勘定。
「ほさかや」同様に6千円くらいだった。

母娘の接客ぶりにあらためて気が付いた。
ひょっとしたら、いや、おそらく、
「金田」の目指すところは大塚「江戸一」じゃないだろうか?
店内の空気にも客層にも
「江戸一」ほどの洗練はないが手本とする方向は正しい。

これにて終着と断じて駅方向に向かうと、
H谷サンがもう1軒立ち寄りたいと言う。
いいでしょう、いいでしょう、おつき合いしましょう。
駅そばの自由が丘デパート内にあるバー「Z」に赴く。
本日三度目の乾杯はマイヤーズのロックだ。
ジャマイカ産のダークラムである。

なおも歓談することしばし、お替わりをお願いすると
ボトルはすでにカラになっていた。
それではとジン・ソーダを所望するも
銘柄までは覚えちゃいない、ゴードンだったかな?

小腹が空いたようで
ママに五穀米の小さなおにぎりを作ってもらったらしいが
このあたりもよく覚えちゃいない。
お開きになったのは23時過ぎ。
酔いが回ったのか、降車駅を3つも乗り越して帰宅する。
いやはや、チカレたビー!

=おしまい=

「金田」
 東京都目黒区自由が丘1-11-4
 03-3717-7352

2017年10月11日水曜日

第1719話 鰻や穴子の舞踊り (その4)

そんなわけでジモティのH谷サンに
自由が丘のランドマーク「金田」は初訪問だった。
よってトラウマとはいえないまでも
敷居はかなり高いものがあったらしく、
少なからず所作にビビりが感じられる。
それもあと1~2杯飲めば霧消するんだろうがネ。

あらためて店内を一望する。
カウンターの中で接客を担当するのは
相変わらず母娘と思しき女性二人。
どちらもなかなかの貫禄である。

ここで思い起こすのは豊島区・大塚の「江戸一」。
都内屈指の、いや、都内随一の酒場と断言しても
過言ではない、あの「江戸一」だ。
あちらの大女将は引退してしまったけれど、
娘の若女将が立派に仕切っており、
母の不在を補って余りある。

何かつまみをいただこう。
相方をうながすと関あじの刺身を選択。
関あじは言わずと知れた大分県・佐賀関で
水揚げされる豊予海峡の瀬付きアジだ。
房総の黄金アジ同様に
アジは回遊しないほうがより美味とされる。
確かに香りさわやか、コリコリの食感も快適だった。

せっかくの関あじだから清酒への移行を考えたが
すでに2杯飲んできたので自重する。
赤星の追加とともに、もってのほかをお願いした。
もってのほかは山形特産の食用菊。
紫色が特徴で黄色のものより珍重される。
確かに紫の食味のほうがまさっているように思う。
これは三杯酢で供された。

このとき、若女将が相方にひと言。
「恐れ入りますが、お帽子とっていただけませんか?」ー
H谷サンはハンチングを愛用しており、
そこを鋭く衝かれたのだった。

こりゃ「江戸一」より厳しいぜ。
思いも掛けぬローカル・ルールであった。
帽子を脱いだことのない吉田類さんなんか
出入り禁止だネ、この店は―。

まっ、それはそれとしてさらにもう一品。
マークしていた海胆の煮凝りが見当たらないので
穴子の唐揚げを所望した。
鰻を食べてきたのにわざわざ親戚筋の穴子である。
バッカじゃないの? 
かように揶揄する向きもありましょう。
でもネ、互いの違いを比較するには
なかなかの妙手なんですぜ。

=つづく=

2017年10月10日火曜日

第1718話 鰻や穴子の舞踊り (その3)

自由が丘「ほさかや」の鰻レバー塩蒸しは
どうにもいただけなかった。
昭和24年創業の老舗なのにねェ。
J.C.より年長なのになァ。
てなこと言ってても始まらないか。

始まらないので高清水のお替わり。
そうしておいて最後の一品はうなぎの煮凝りである。
確か、このあと訪れる予定の「金田」には
海胆の煮凝りがあったハズ。
ダブッたとしても、それはそれでよしとしよう。

近頃、巷では粗悪な煮凝りが流通しており、
卓に放っておいても、まんまのカタチを維持。
室温でぬくめられても溶けないのだ。
何が混入しているのか知らないが、あれは気色悪いネ。

「ほさかや」に入ったのは16時ジャスト。
2軒目の「金田」は17時開店である。
16時45分になったので、独りちょいと席を外し、
様子をのぞきに行ってみると、
何だ、なんだ!
すでに暖簾を出して席も6割がた埋まっているじゃないの。
ただちに舞い戻り、慌ただしくお勘定。
二人で6千円は想定した通りであった。

懐かしい光景が目の前に拡がっている。
8年ぶりくらいかな? と思ったものの、
帰宅後調べてみたら前回は2012年2月の訪問。
何だ、ワリと最近じゃん・・・でもないか。

「金田」のレイアウトは入って手前に小さいの、
奥に大きいの、二つのコの字カウンターが設えてある。
われわれは奥に案内された。
さっそくの乾杯はサッポロラガー、いわゆる赤星の大瓶だ。

手書きをプリントアウトした品書きには料理がビッシリ。
目を通すにそこそこの時間を要する。
ながめながら相方の問わず語りを聞くと、
地元にいながら「金田」は初めてなんだと―。

以前、やはり「ほさかや」で
隣り同士になった見知らぬ客と意気投合して流れたら
酔客扱いされて追ん出されたんだと―。
へぇ~っ! であった。
その点、今回はだいじょうぶ、
J.C.という名のジェントルマンが付き添っているからネ、
ハハハ。

=つづく=

「ほさかや」
 東京都目黒区自由が丘1-11-5
 03-3717-6538

2017年10月9日月曜日

第1717話 鰻や穴子の舞踊り (その2)

目黒区・自由が丘の「ほさかや」。
相方は初めてサシで飲むH谷サンである。
開店からいきなり立て混んでいるため、
鰻の串焼きをまとめて8本お願いしたところだ。

オーダーを通すまでは待たされたが
通してしまえば、あとはスンナリ。
ホンの2分程度ですべてが目の前に並べられた。
タレ焼きが6本、塩焼きが2本、
2枚の皿にちゃんと棲み分けが成されている。
当たり前といえば当たり前とはいえ、
こうしてもらえるとやはりうれしい。

常識的にまずは塩焼きに手をのばす。
からくり焼きの塩版である。
フム、それなりに旨いが期待したほどではない。
続いて同じ串のタレを。
フム・・・別段、特筆すべき点はない。

ビールで舌を湿らせて、お次はヒレに挑んだ。
ヨソではなかなか味わえないヒレ焼きは
稀少価値のありがたみのほうが
味そのものに勝っている。
ちょいとばかり泥臭いというか、生臭いといおうか、
クセがあるから万人向けではない。

二人揃って日本酒の常温に切り替える。
秋田県・秋田市の高清水だ。
一升瓶をチラリのぞいたら
ラベルに”辛口”の二文字が見えた。
ワリと好きなタイプである。

あちこちの鰻屋で食べ慣れている肝はこんなもの。
居酒屋のソレならいざ知らず、
専門店の肝で外したらどうしようもないやネ。
どうにか及第点に達している。

串焼きはもうじゅうぶんなので
レバーの塩蒸しというのを追加。
鰻の血液は人体に有害だから
必ず火を通さなければならない。
鰻屋の品書きにうな刺しとか、
肝刺しとか見つけても
けっして生の刺身ではなく湯がいてあるハズ。
「ほさかや」では塩蒸しを供している。

いざ食べてみると、どうということもなし。
むしろ、これもまた生臭い。
ポン酢と紅葉おろしでは太刀打ちできぬクセを感じた。
はるばる遠征してきた自由が丘ながら
ハズしちまったんかいな?

=つづく=

2017年10月6日金曜日

第1716話 鰻や穴子の舞踊り (その1)

上野・山下の居酒屋でたまたま知り合った、
H谷サンと酌交を約したのは九月下旬。
東急大井町線沿線にお住いの御仁に敬意を表して
落ち合ったのは東急東横線の自由が丘である。
とは言いながら、
本音は自分が自由が丘に行きたかったんだ。
しばらく訪れていないからネ。

鰻串焼きの老舗「ほさかや」と
同じ並びにある街のランドマーク的(呑み助には)存在、
「金田」をハシゴすることで意見の一致をみていた。
数軒しか離れていないから移動に便利なことこのうえない。

待合わせは開店時間の16時に「ほさかや」。
5分ほど前に到着すると店先には
気の早い連中がすでに10名あまりの行列を成している。
相方の姿はないし、過去に未訪のため、
店内の様子やキャパが判らず、ちと不安になってきた。

16時ちょい前に暖簾が出され、客が中へ誘導されてゆく。
客は奥から順に送り込まれるが1席空けて座ると
「空けないで詰めてください」―
店主にやさしく指導を受けた。
「ツレがすぐ来ますので」―
この一言で諒解される。

すかさず電話を入れたら
相方は駅北口で当方の到着を出迎えていた由。
「あれっ、店に直接だった? オーケイ、10秒で着くから」―
一安心である。

ビールはスーパードライの大瓶。
確かキリン一番搾りもあったハズ。
飲み屋たるもの、やはり最低2種は揃えてほしい。
その点「ほさかや」は合格。
ただし、サービスのお通しがいただけなかった。
小鳥のエサみたいなキャベツもみだもの。
まっ、無料の品に文句は言えないけどネ。

とにかくビールはすぐ来て乾杯を済ませたが
焼きものの注文はなかなか取ってくれない。
アッという間の満席だから仕方ナシである。
こりゃ1本づつなんて悠長なことはやってられないな。

塩焼き・からくり・肝・ひれ、
以上4種を2本づつお願いした。
他店ではくりからと呼ばれる小口切りの串焼きが
なぜかここではからくりと呼ばれる。
そのカラクリは判然としない。
塩焼きというのは、からくり(タレ)の塩版である。

=つづく=

2017年10月5日木曜日

第1715話 ホントにたっぷり海鮮丼 (その2)

文京区・根津の「鮨みひろ」にいる。
冷たい緑茶で一息入れながら
たっぷり海鮮丼が整うのを待っていた。
最初に運ばれたのはサラダで
ベビーリーフが散っているが中身はほとんど水菜だ。

待つこと15分強。
真っ白なドンブリに盛られて海鮮丼が到着した。
見た目は小ぶりながら容量がけっこうあって
手のひらにズシリとくる。
傍らにはスープではなく、
サカナのアラで出汁をとった味噌碗が
コーヒーカップに入れられて―。

ここでドンブリを飾る陣容の検証である。
インパクトの強いのは鉢の半分近くを占めるかつおで
6~7切れもあったかな。
それにブリらしき切り身が4切れ。
そして細かい包丁が入ったイワシが一盛り。
あとはアジと帆立とタコが1切れづつに
茹で海老と玉子焼きだ。
看板に偽りなく、たっぷり海鮮丼であった。

難を指摘すると、かつお・ブリ・イワシ・アジ、
サカナたちはすべて青背。
青背好きには垂涎だろうが
白身を好むJ.C.には、ちとキツい。
せめて酢で〆てくれないものかしら・・・
ここに真鯛と平目が1切れづつあれば、
言うことないんだがねェ。

しかしながら注目したのはブリである。
身肉に濃い赤みがかかって
ちょっと見はブリに見えない。
店主に確認すると、はたして北海道のブリとのこと。
なるほどネ、これは天然モノなのだ。
養殖モノのようなシツッコい脂ッ気とは無縁であった。

何とか完食したものの、
ブリには本わさ、かつおにはニンニクが欲しいなァと
またしてもないものねだり。
ハハ、学習してないねェ。

店内には午後の気だるい空気が流れている。
カウンターが5席、
窓際には10人ほどは座れそうなテーブル席。
確か、以前、この場所はイタリアンだったハズだ。

支払いをしながら店主に訊ねると
「ああ、それはお隣りですネ」―
そうか、「大麒麟」の2階がイタリアンで
ここは1階のマッサージ・パーラーが使っていたんだ。

オモテに出て確認したら「大麒麟」の上は
カジュアル・スパニッシュへと変貌を遂げていた。
同じビルの1階にパスタ主体のイタリアンが
すでにあるから共存は難しかったのだろう。
食べもの商売ってのは一筋縄じゃいかないんだネ。

「鮨みひろ」
 東京都文京区根津1-1-11千代田ビル2F
 03-5842-1668

2017年10月4日水曜日

第1714話 ホントにたっぷり海鮮丼 (その1)

気持ちのよい秋晴れの昼下がり。
不忍池のほとりをめぐったあと、
不忍通りを行かずにその1本東側の裏道を抜けて
根津の町にやって来た。

さて、遅めの昼めしと参ろうかの。
ちょっと見ないあいだに交差点の周辺には
新店が続々と生まれていた。
かつて仏人夫婦と出逢った「大麒麟」の隣りに
もみもみのマッサージ・パーラーがあって
その2階に鮨店がオープンしていた。
「鮨みひろ」という。

昼の海鮮丼がお食べ得との噂は聞き及んでいたが
訪れたことはなかった。
店先に、たっぷり海鮮丼(1250円)の表示がある。
時刻は13時15分。
14時くらいまでランチ営業をしているようだ。

よし、コレで行こう!
2階に上がると男性スタッフのお出迎え。
すすめられたカウンターに着席する。
ちょいとした日本酒バーといった雰囲気である。
バックバーには焼酎の中々、海、佐藤の白&黒、
それに百年の孤独まで並んでいる。
純米酒の遊穂なんてのもあった。

ランチメニューはAからEまでの5種。
紹介してみよう。

Aーたっぷり海鮮丼
Bーテピチダイ、カツオ、サンマ三種丼
Cーブリ、ホタテ、イワシ炙り三種丼
Dーサンマ、アジ、イワシ光り三種丼
Eーサンマ塩焼き定食

Aが1250円で以下はみな1000円。
すべてにサラダとスープが付くという。
鮨店のランチとしては廉価といえよう。
ほかにはランチ生ビールとランチ生カキが各380円。
それにしてもテビチダイって何だ?
沖縄料理のテビチ(豚足煮)と関係があるのかな?
訊くのを失念してしまった。

品書きにサッと目を通し、海鮮丼をお願いする。
すぐにサーヴされた氷入りの緑茶をグイッと飲った。
だいぶ涼しくなったとはいえ、
ずっと歩いて来たから美味い!
このせいでビールのオーダーを忘れたほどだ。
いえ、完全に忘れたんじゃなくてガマンしたんだがネ。

=つづく=

2017年10月3日火曜日

第1713話 雨の公園通り (その2)

渋谷のTホテルのロビーで雨宿りをしていた。
カフェでスパゲッティを食べる客をぼんやり眺めながらネ。
そのとき突如としてひらめいたのがこの曲だった。

  ♪   車のワイパー透かして見てた
    都会にうず巻くイリュミネーション
    くちびる噛みしめタクシーの中で
    あなたの住所をポツリと告げた
    September rain rain 九月の雨は冷たくて
    September rain rain 想い出にさえしみている
    愛はこんなに辛いものなら
    わたしひとりで生きてゆけない
    September rain rain 九月の雨は冷たくて

    ガラスを飛び去る公園通り
    あなたと座った椅子も濡れてる
    さっきの電話であなたの肩の
    近くで笑った女(ひと)は誰なの?
    September rain rain 九月の雨の静けさに
    September rain rain 髪のしずくをふるわせる
    愛がこんなに悲しいのなら
    あなたの腕にたどりつけない
    September rain rain 九月の雨の静けさに ♪

                (作詞:松本隆)

そう、太田裕美である。
「九月の雨」である。
なつかしいなァ。
リリースされたのは1977年。
’75年の「木綿のハンカチーフ」、
’76年の「赤いハイヒール」を経て
3年連続のスマッシュ・ヒットとなった。
ちなみに3曲はすべて松本隆・筒美京平のコンビによる。

それぞれに佳曲だが「九月の雨」が彼女のマイベスト。
やはりマイナーコードのアップテンポが好きなんだねェ。
殊に松本による詞の赤字部分はすばらしい。
こういうシチュエーションは多くの女性が体験していよう。
女心のゆらめきを巧みにとらえて見事というほかなく、
歌詞にしづらい一コマを上手にまとめている。

九月の雨はなかなか止まない。
仕方なく近所のコンビニでビニール傘を購入し、
駅に向かって歩きだした。
相変わらずこの街は歩きにくいことはなはだしい。

ここでハッと気がついた。
ここは公園通りじゃないか!
こんなこともあるんだなァ。
これを単なる偶然とは思えない、
いや、思いたくない自分がいた。
かといって何がどうなるもんでもないけどネ。   

2017年10月2日月曜日

第1712話 雨の公園通り (その1)

ここ数日、秋風が吹いてると思ったら早や十月。
今年の夏は完全に不完全燃焼だったネ。
八月は雨ばかりだったから
海水浴場の海の家なんか大打撃を受けたことだろう。

九月にしたって昨年に比べればずっと涼しかった。
数週間前のこと。
二ヶ月ぶりの理髪を済ませ、渋谷の街を歩いていた。
心なしか襟あしあたりがヒンヤリ。
九月のわりには気温が低い。

朝から雲行きは怪しかったが
ときどき小雨がパラつく程度。
よって、”傘も持たずに渋谷”にやって来た。
ちなみにお隣りは、”傘もささずに原宿”ですな。

何のこっちゃい?
お訊ねの向きは
you tube で「それぞれの原宿」(1980)を
もとい、「別れても好きな人」(1979)を聴いてみてください。
どちらもロス・インディオス&シルヴィアのナンバーだが
紛らわしいなァ。

さて、その午後の渋谷であった。
夜には北区・赤羽で飲み会の予定。
乗りつけない埼京線に乗るつもりで
渋谷駅への雑踏を下って行った。

するとにわかに大粒の雨が落ちてきた。
傘嫌いのJ.C.もさすがにこれじゃ歩けない

  ♪   雨だれがひとつぶ頬に
    見上げればお寺の屋根や
    細い道をぬらして にわか雨がふる
    私には傘もない 抱きよせる人もない
       ひとりぼっち泣きながら
    さがす京都の町に あの人の面影
    誰もいない心に にわか雨が降る ♪
          (作詞:なかにし礼)

小柳ルミ子の歌声が頭ん中をグールグル。
だけどさァ、京のにわか雨なら風情もあろうが
ここは渋谷だからねェ。
普段でさえ歩きにくい歩道が
雨傘の波のせいで、もうどうにもならない。

近くのホテルのロビーに逃げ込んで
take shelter from the rain
である。
このときもう一つの曲が脳裏をよぎったのであった。

=つづく=