2019年4月30日火曜日

第2121話 行人坂下ル 禿坂上ル (その2)

行人坂を下りきり、雅叙園前の太鼓橋で目黒川を渡る。
川面には散り果てた桜の花びらがわずかながら残り、
行く春を惜しむように、たゆたっていた。

柳通りから山手通りに入り、禿坂下にやって来た。
禿は”かむろ”、あるいは”かぶろ”と訓じ、
遊郭に住みこんで高級遊女の身の回りの世話をしながら
自らも修業を積む童女のことである。
芸妓の道ならば、半玉(はんぎょく)に当たろう。

坂の名の由来は
元鳥取藩士・平井権八、新吉原「三浦屋」の遊女・小紫、
「三浦屋」の小紫付き禿、以上3人の伝承物語による。

「お若えの、お待ちなせえやし」―
声を掛ける幡随院長兵衛に
「待てとおとどめなされしは、拙者が事でござるかな」—
応えたのは白井権八である。

歌舞伎の演目、「鈴ヶ森」でおなじみのシーンだが
白井権八のモデルとなったのが平井権八。
同僚の藩士を斬殺して脱藩し、
流浪の身となって江戸に入った権八は辻斬り強盗を重ね、
罪を悔やんだものか、
自首して出た末に鈴ヶ森刑場の露と消える。

思い思われる仲となっていた小紫は
権八が葬られている目黒の冷法寺に駆けつけ、
彼の墓前で後追い自死を遂げる。

帰りの遅い小紫の身を案じた禿が目黒に向かい、
彼女の死を知ることとなる。
帰途、坂の付近で暴徒に襲われそうになった禿は
桐ケ谷二つ池に飛び込んで小紫のこれもまた後を追う。
禿の哀れを偲んだ人々はいつしか
この坂を禿坂と呼ぶようになったという。

坂を上ること2分、初訪問のヘアサロン「W」は
中堅スーパー、オオザキの隣りにあった。
新しいビルの1階の路面店である。
よくもまあ、こんな優良物件が見つかったものだと、
感心するとともに一安心。
買い物客の往来激しい場所につき、
これなら新規客の獲得に好都合だろう。
理髪の所要時間は45分。
オーナー夫妻に見送られて店を出た。

並木がすっかり葉桜となった禿坂を上る。
いつぞや訪れた天ぷら店「むら田」は健在だった。
坂を上り切って小山台の交差点。
さァ、ここからは・・・。
最寄りの盛り場はただ一つ。
ノー・チョイスにつき、ノー・スィンクで進路を南に取った。

2019年4月29日月曜日

第2120話 行人坂下ル 禿坂上ル (その1)

その日の午後。
東京メトロ南北線の電車を降りたのは目黒駅。
気象庁発表の天気予報は終日晴れて陽射しに恵まれ、
気温もかなり上がるとのこと。
それを鵜呑みにしてしまい、
素肌に薄手の長袖シャツ1枚で家を出て来たものだから
歩き始めてすぐに後悔。
曇りがちだし、何よりも吹く風が襟足に冷たい

長いことヘアカットを任せているK子チャンの店が
品川区・西五反田にオープンして約ひと月。
今日はそこで初めて髪を切ってらうのだ。

目黒駅から西方へ下るキツい坂は行人坂。
街のメインストリート、権之助坂の南側に位置している。
行人は”ぎょうにん”音じて
行者(ぎょうじゃ)、いわゆる仏の道を修行する者のこと。
これを”こうじん”と読むと、道行く人、あるいは旅人を指す。

とにかく、この急勾配は下っていて身体がつんのめるほど。
明るいうちならまだしも、
暗くなったら冥界に引きずりこまれそうな心持ちになる。

♪   まっさかさまに 堕ちて desire
  炎のように 燃えて desire  ♪

突然、明菜のパンチある歌声が耳朶に響いてきた。

途中、すれ違った外国のご婦人は
ハアハアと息を切らせていた。
おそらく米国人だろうが
英語だろうと、仏語だろうと、日本語だろうと、
ハアハアはハアハアで変わることはない。
ついでに犬だってライオンだって一緒だ。

大円寺に差し掛かった。
元は大日如来堂のあったところで
この辺りに多くの行者が住みついたのが
行人坂の名前の由来となったらしい。

そして明和9九年(1772)の惨事。
大円寺は江戸三大大火の一つに数えられる、
行人坂火事の出火元となった。
世は悪名高き田沼時代。
明和9年の災厄だったことから
江戸の人々が”めいわく(明和九)の年”と言いふらし、
世相が不安定になったので、幕府は元号を安永に改めた。

振り返って今、改元を明後日に控えて
くれぐれも令和が明和の轍を踏まぬよう、
祈ってやまぬ、時代に寄り添うJ.C.でありまする。

=つづく=

2019年4月26日金曜日

第2119話 背肝もとめて神楽坂 (その4)

「駒安」の背肝を堪能した。
未食の読者に説明すれば、
鶏のレバーと鰻の肝をミックスした感じ。
これで判っていただけるだろうか。
とにかく食味に加えて食感もすばらしい。

相方に野菜の摂取を促すため、
当店のもう一つの名物、キャベジンをお願い。
いわゆるキャベツの浅漬けはきゅうりも混じっている。
地味ながら外せぬ一鉢がコレ。

他店でちょくちょく見掛ける生キャベツがあるでしょ?
味噌やソースに付けて食べるヤツ。
お好きな方には申しわけないが、アレは避けたい。
人は人であって兎じゃないんだから―。

焼き鳥はもうじゅうぶん、河岸を変えることに―。
ここで浮上したのが「三州屋 飯田橋店」である。
ちょうど去年の4月のこと。
神田の名店、「三州屋 駅前店」が突如として廃業。
そのとき今宵の相方、B千チャンがメールをくれた。
実は彼も駅前店の愛好者、ともに嘆いた仲である。

神田が無けりゃ、飯田橋があるサ。
徒歩5分ほどの距離を移動した。
都内に何軒か散在する「三州屋」だが
飯田橋店はその中でも落ち着いた1軒。
もっともこれは夜に限ったハナシで
昼は近隣のOL・リーマンが大挙して押し寄せるハズ。
普段、昼間使いをしない身につき、詳しくは判らない。

当方、黒ラベル大瓶に銀むつ照り焼き。
相方は燗酒とぶり照り焼きだったかな?
神田駅前店を偲びつつ、
亡き店舗とは多少異なる味を楽しみ、雰囲気に浸る。
閉店が比較的早いため、1時間ほどの滞留だった。

締めに軽くもう1杯。
真っ当なバーだと、1杯だけで切り上げるわけにもいかず、
ここはカジュアルな空間がほしい。
ふらふらと神楽坂下方面に舞い戻った。

時間も時間だし、手っ取り早い先刻の「かね子」を再訪。
「あら、お帰りなさい!」—
バーテンダレスの明るい一声に迎えられる。
これが当夜の運の尽き。
われらオッサンのほか、若者主体の店内は大盛り上がり。
コの字カウンターを飛び越えて客同士の叫びが飛び交う。
中にはオーストリア男とブルガリア女のカップルもいたりして
乾杯に次ぐ乾杯の嵐だ。

生ビール、スパークリング、赤ワインと
何杯飲んだか覚えちゃいない。
われに返って乗り込んだメトロは最終の1本手前でした。

=おしまい=

「駒安」
 東京都新宿区神楽坂1-11
 03-3260-3549

「三州屋 飯田橋店」
 東京都新宿区下宮比町1-7
 03-3267-2465

「かね子」
 東京都新宿区神楽坂1-11
 03-5579-8782

2019年4月25日木曜日

第2118話 背肝もとめて神楽坂 (その3)

神楽坂下の「かね子」。
キッシュをつまみながら、まぜこぜワインを飲んでいる。
つまみながらと言ってもキッシュはパクリ一口でおしまい。
ボトルを見せてもらったら山形県・南陽市の産。
エチケットにはホントに”まぜこぜワイン”と刷られていた。

ワインバーを謳いながらもフードメニューは揃っている。
焼きとんはじめ、串焼きはそこそこのラインナップだ。
らっきょうの赤ワイン漬け、甘納豆とチーズなんてのも―。
時間が押していなければ、試してみたい2品だった。

「かね子」というダサい店名はまさかと思ったが
バーテンダレスに
「貴女の名前じゃないよネ?」—一応、訊ねる。
彼女、微笑みを返しつつ、
「オーナーが金子サンなんです」—ハハハ、なるほどネ。
まぜこぜは悪くなかったのでお替わりした。

B千チャンから「駒安」入店のメール着信。
急いでグラスに残ったワインを飲み干す。
支払いは1800円と少々。
ワインが1杯700円、お通しが300円で、
プラス税ということだ。

すぐ隣りの「駒安」に移動。
相方はカウンターの一番端、
それも入口に近い焼き場の前に座していた。
こちらサッポロ黒ラベルの中ジョッキ、
あちら焼酎のロックで乾杯となる。

開店早々につき、ここも先客ナシである。
最初の注文は任せてもらって、通したのは
ハツモト(塩)・背肝(たれ)・ふりそで(塩)・
ソリ(塩)の計4本。

われわれにとって念願の背肝が焼き上がった。
ビッシリと串打ちされ目の前に横たわっている。
テカテカと光っている。
焼き手の大将は大阪の串揚げ屋みたいに
”2度づけ禁止”などとケチなことは言わない。
たれにドボドボつけながら焼いてくれた。
まっ、客の2度づけとは意味が違うけどネ。

冷酒に切り替える。
佐渡の生んだ銘酒、北雪のきりょうよしを。
焼き鳥の追加は
ハツ(塩)・レバー(たれ)、そして背肝のアンコール。
相方はソリ(もものつけ根)と
背肝(腎臓)を気に入った様子だ。

飲み口のよい、きりょうよしを3杯は飲んだかな?
おっと、頭の中が回り出す代わりに
頭の回転がよくなってきやしたぜ。

=つづく=

2019年4月24日水曜日

第2117話 背肝もとめて神楽坂 (その2)

江戸期には栄えに栄えながら
衰退に衰退を重ねた末、消滅してしまった花街・柳橋。
こちらは同じ道を歩みつつも、
しっかりと生き残っている神楽坂。
「かね子」という名のスタンディング・バーに入ってみた。

先客はゼロ。
バーテンダレスの女性によれば、
日本産ワインのみを扱うワインバーとのこと。
う~ん、日本のワインねェ。
ベツに偏見はないんだけれど、
今までにこれぞという国産ワインには1本も出逢っていない。

持論ながら、この国のテロワールに
ワイン用ブドウの栽培は向かないと思う。
キノコ類もまたしかりで
国産の椎茸・舞茸・占地(しめじ)・なめこ等よりも
欧州のジロール・モリーユ・セップ・ポルチーニたちを好む。
とは言いながら、焼いた松茸に酢橘(すだち)を搾って
ぬくめた清酒と一緒に、なんてのはたまらんけどネ。
まっ、松茸とトリュフはそうそう口に入るもんじゃないから
洋の東西における両横綱、別格にしときましょうや。

国産ワインの知識に乏しいため、
女性に説明をもとめると、洋モノ・赤の好みを問われた。
「ピノ・ノワールかネッビオーロ。
 カベルネ・ソーヴィニョンからは限りなく離れたタイプ」
と応える。

「かね子」は女1名、男2名のスリー・オペ。
客の要望に3人が協議を始めるじゃないか―。
出された結論は、まぜこぜワインと来たもんだ。
ん? まぜこぜワイン? 何だヨ、ソレ?

当方に有無を言わせず、グラスに注がれたソレ。
”盛り”はあんまりよくないな。
もっと注げヨ! とも言えず、静かに香りを嗅いだ。
アタリは柔らかい。

舌に少しくトンガリを感じるのは未成熟の証し。
ただ、思ったよりも飲み口に嫌味がない。
ボジョレでもないし、ローヌでもない。
どちらかというと、
北イタリア・ヴェネト州のヴァルポリチェッラに近い。

択べる突き出しは
いずれも小さなキッシュ、キャロット・ラペ、
ペンネのトマトソース。
客に現物を見せながら選択させる。
ペンネがひからびているのはサンプルだから仕方あるまい。
キッシュを指定した。

=つづく=

2019年4月23日火曜日

第2116話 背肝もとめて神楽坂 (その1)

ふとしたことをきっかけに
のみとも・B千チャンとメールをやり取りしているうち、
たまにゃあ一緒に飲もうヨ、という展開に―。
酌交するのは昨年の夏以来である。
どの町の、どんな店で・・・
いろいろ思いをめぐらせていてあることに思い当たった。

彼とは2年前の冬にも
谷中は初音小路の「鳥真」で飲んだ。
つい先日、馬主の半チャンと旧交を温めた店である。

数ある焼き鳥の部位の中でJ.C.が最も愛するのは背肝。
その背肝をいただくために「鳥真」に案内したのだが
大将曰く、
「その部分を捌く職人の人手不足で
 仕入れられないなんですヨ」
結局、肩透かしを食らう破目に陥った。

そのとき、次回はB千チャンを背肝をもとめて
どこか他の店に案内しなきゃいけないな・・・。
かように反省したのだ。
それをコロリと忘れてしまい、
いたずらに月日を重ねてしまったが
ことここに及び、突然、思い出したわけである。
さすれば、目指すは神楽坂下の「駒安」だろう。

開店時刻の17時半に現地で待合せ。
最寄りのJR総武線・飯田橋駅に
到着したのは17時過ぎだった。
30分も余裕があると、
どうしても独り0次会の誘惑にかられる。

前述の半チャンが横綱級の酒豪であるのに対し、
B千チャンは小結と前頭上位を行ったり来たりのクラス。
間違ってもこちらが先に潰れることはあるまい。
相手をナメたつもりは毛頭ないが
取りあえず、軽く1~2杯いっとこう。

「駒安」は神楽坂下から坂上に向かい、
すぐ一つ目の小道を左折して
このエリアの穴場的スポット、
小栗通りに抜ける道筋にある。

取りあえず小栗通りを目指すと
「駒安」の手前に見慣れない立ち飲み処があった。
「かね子」なる場末のスナックみたいな店名だが
雰囲気はイタリアンのバール風。
こりゃ、行き掛けの駄賃にもって来いじゃないか―。
深く考えもせず、飛び込んだのでありました。

=つづく=

2019年4月22日月曜日

第2115話 富山湾の恵み (その3)

浅草の街に今も残る昭和、
「ひろ里」のカウンターに二人。
小鉢の中に燦然と輝く、いく匹かの蛍いかに瞠目している。
小さいなりに丸々と太って、その身ははち切れんばかり。
まごうことなき富山湾産は上物中の上物である。

スーパーに出回っているものは主に兵庫県産。
浜坂漁港に揚がる通称・浜ほたるだ。
日本海全域に分布する蛍いかだが
二大産地は兵庫県の日本海沖と富山湾。
温泉で有名な城崎の西30kmに位置する浜坂と
富山湾は能登半島を挟んでかなり離れているものの、
ともに棲息には適した環境下にあるのだろう。
驚いたのは漁獲高の大きな開きだった。
浜坂だけで富山湾全域の2倍を軽く超えるという。

漁獲量では後れをとっても
食味の点では富山湾が圧倒する。
兵庫の蛍いかは小さな身に張りがなく、
内臓のコク味にも劣り、文字通り味気ない。

この違いはどこから生まれるのだろう。
富山湾は天然生け簀の異名を取るほどに魚介の宝庫。
やはり海の深さが重要で、遠浅の海だとこうはいかない。
① 駿河湾 ② 相模湾 ③ 富山湾
これを日本三大深湾と呼ぶそうだ

①が断トツで深いが、③も最大深度1000m以上に達する。
冬のあいだ、深海でじゅうぶんに栄養を蓄えた蛍いかは
晩春になって産卵のため、
浅瀬に揚がって来たところを捕獲される。
美味の源は深い海にあった。

ボイルされた蛍いかを辛子酢味噌でいただいてみると、
口中に拡がる旨みはフォワグラや鮟肝の上をいく。
思わず身悶えするほどである。
これには大吟醸じゃもの足りなく、豪腕・剣菱がピッタリ。

続いてお願いしたのは甘鯛の焼き物。
シンプルなひと塩がまことにけっこう。
ここで、はたと心づいた。
富山湾は甘鯛も産するハズ。
振り返れば、突き出しのバイ貝だって富山湾の名物だ。
産地を訊きそびれたが
「ひろ里」は富山の魚介を主として扱うのかもしれない。

静寂を破るように若者のグループが入店してきた。
これを潮にこちらは退散することに―。
そのとき奥から女将の声が聞こえてきた。
いや、姿が見えないので女将かどうか定かでないが
おそらくそうだろう。
とにかく、ご存命でよかった。

静か過ぎて独り酒は窮屈に感じる向きがあろうとも
大人同士の逢瀬にシックリくる小粋な酒亭「ひろ里」。
ただし、近所にラブホはございません。

=おしまい=

「ひろ里」
 東京都台東区浅草1-32-13
 03-3841-9264

2019年4月19日金曜日

第2114話 富山湾の恵み (その2)

浅草はかんのん通りのアーケードを進む。
すぐ右手にある「志ぶや」をのぞくと、
8割ほどの埋まり具合。
カウンターに何とか二人、滑り込めそうだ。
だけどなァ、せっかく喧騒から脱出したのに
再び賑やかな店に入るのも何だかねェ。

静けさを求めてもう一つの候補店に向かった。
新仲見世通りを横断するとアーケードは途切れるものの、
依然としてかんのん通りである。
左折して裏路地にたたずむ「ひろ里」の引き戸を引いた。

昭和の面影を残す大衆割烹は静謐そのもの。
だって先客がゼロだもの。
見覚えのある店主のほかに板前がもう一人。
女将の姿が見えない。
あまりに久方ぶりの訪問につき、
だしぬけにことの経緯や現在の状況を問うのははばかられる。

携帯で相方を誘導して、おもむろにぬる燗をお願いした。
銘柄は灘の生一本、剣菱である。
永正2年(1505)の創業は
この国で最も古い酒造メーカーの一つと思われる。
500年以上も当時の味を守り続けているという。
どっしりとした飲み口は
当世流行りの吟醸酒の対極に位置する。

突き出しのバイ貝煮をつまみながら
独酌で酒盃を重ねた。
バイ貝は薄口の上品な味付けだ。
この小品だけで、この店の力量を感じる。

品書きを吟味するうち、相方が現れた。
さっそく当店の主力メニューであるおでんから
好みの種を択ばせる。
当方はおでんに食指が動かずパス。

初めに通したのは蛍いかの酢味噌。
概してイカ類は好きである。
あえてベストスリーを挙げれば、
墨いか、槍いか、蛍いかになろう。

煽りいか、白いか、赤いかは食味に優れているものの、
なかなかお目に掛かれなかったり、
出逢ったとしてもあまりに高価だったりと、
たやすく庶民の口に入らないのが悩ましい。

供された蛍いかは実に美しい。
箸をつけなくとも
この小さな生きものの美味を確信した。
富山湾の産に違いあるまい。

=つづく=

2019年4月18日木曜日

第2113話 富山湾の恵み (その1)

よく晴れた日の午後。
東銀座で所用を済ませ、浅草へ移動する。
相方と落ち合うのはエンコのランドマーク、
「神谷バー」の2階だが少々遅れ気味だった。

地下鉄を降りて
ロートルにはちょいとハードな階段を上っているとき、
パンツの左ポケットがブルブルきたのでチェック。
「2階満席につき、1階にて待つ」とのことだ。

浅草に来れば、よく利用する「神谷」ながら
1階の、いわゆるバーにはまず行かない。
常に2階のレストランに落ち着く。
レストランと言っても、しゃちほこばった高級感はなく、
ビヤホールめいたダイニング・スペースで
試したことはないが料理を取らずに
ドリンクだけでも許容されるものと思われる。

当店の上下ワン・フロアの差は激しい。
月とすっぽんとまではいかないものの、
月とUFOくらいの違いがあろう。
東京の盛り場に例えれば、
喧騒の1階は新橋、端正な2階は有楽町といった感じだ。
ウーマンを誘うなら1階でもよかろうが
レディーの場合は2階のほかに選択肢はない。

案の定、当夜の1階フロアは騒音の渦。
紫煙まで漂っている始末。
相方は酩酊状態のオジさんたちに囲まれて
談笑に興じていた。

いや、マイッたな。
こりゃ、長居は無用だろう。
1階は食券制だが2杯目からはウエイターに頼めば、
レジに出向いてくれるので、客は席を立たずに済む。
しかし、かなりの混雑ぶりにつき、彼らを捕まえられない。

レジの列に並び、生ビールの中ジョッキと
電氣ブランのオールドを1枚づつ購入した。
フツーの電氣ブランは1杯250円。
オールドは4割増しの350円。
さすがにこの価格差は大きく、味わいが格段に違ってくる。
J.C.はいつもキレ味鋭く、
突き抜け感に優れたオールドをいただいている。

酔っ払いの相手をするのはツラいので
飲むものを飲んだら相方を残し、一足先に店を抜け出した。
エンコの夜風が肌に心地よい。
雷門に向かい、手前を右折してかんのん通りに入った。

=つづく=

「神谷バー」
 東京都台東区浅草1-1-1
 03-3841-5400

2019年4月17日水曜日

第2112話 桜散れども 桜刺し (その5)

浅草橋に古くからある酒場「むつみ屋」。
桜刺しの薬味のしょうが・ニンニクを問われて
両方お願いしてみると、
「ハイ、いいですヨ!」—
横のオネエさんと前のオヤジさんが同時にハモッた。
まるで、ヒデとロザンナか、さくらと一郎みたいに―。
いや、いや、このハモリはかなり年齢差があるから
菅原洋一&シルヴィアかな。

さて、何故に馬肉を桜肉と呼ぶのだろう?

咲いた桜になぜ駒つなぐ
駒が勇めば花が散る

元々は伊勢の民謡であったらしく、
それが江戸中期に端唄となり、
幕末には都々逸へと変化していったそうな。
昔の人は実にオサレですなァ。

加えて男を駒、女を花にかけて
男女の秘事を暗示する意味も込められているというから
昔の人はホントにエッチですねェ。
何やら森進一の「花と蝶」めいてくるが
まっ、とにかくそういうことなのだ。

店主のオヤジさんが
冷蔵庫から取り出した馬肉の塊りを切り始めた。
手元に神経を集中する姿が手に取るように伝わる。
”名代さくらさし”を謳うからには
魂のこもり方もひとしおだろう。

横長の四角い皿に盛りつけられた桜刺し。
7枚の薄切りに、しょうが&ニンニクが添えられている。
肉の色はスタンダール・カラーだ。
何だソレは? ってか?
いえ、その、19世紀前半に活躍した、
スタンダールというフランスの小説家がいたでしょ?
サマセット・モームが世界十大小説に数えた、
「赤と黒」という代表作があったでしょ?
馬肉の色が「赤と黒」、要するに赤黒いってことなんッス。
オメエ、また悪いクセ出しやがったな! ってか?
ハイ、スンマソン。

舌にネットリと絡む桜刺しはまずまず。
ただし、薬味のしょうが・ニンニクがいただけない。
ともに粗悪な出来合いの瓶詰は、おそらく中国産だろう。
そのせいで桜肉の魅力は半減、ガックシである。

ここで策謀をめぐらしたJ.C.、品書きに谷中生姜を見つけ、
お替わりのビールとともに発注する。
ちょこんと味噌を付けた谷中を薬味代わりに
名代の一皿をいただいたら
こっちのほうがよっぽど”馬勝った”とサ。

=おしまい=

「むつみ屋」
 東京都台東区浅草橋1-18-6
 03-3866-5078

2019年4月16日火曜日

第2111話 桜散れども 桜刺し (その4)

JR総武線・浅草橋駅に近い「むつみ屋」。
昭和の空気漂う大衆的な酒場にいる。
お運びのオネエさんのほか、
カウンター内には店主夫妻。
おそらくお二人とも古希をすぎているだろう。
それでも元気に立ち働いておられる。
女将さんは今もチャーミング。
若い頃はかなりの美形であったことだろう。

J.C.のあと、すぐに常連と思しきオジさんが入店。
1席空けず、すぐ右隣りに着く。
そこが定席なのか、はたまた定席をJ.C.に奪われたのか、
その点ははっきりしない。
店の3名とそれぞれに親しく言葉を交わすところをみると、
常連も常連、大常連であることは明らかだ。

この御仁もビールの大瓶。
銘柄指定なくともサッポロ黒ラベルが供された。
彼が通したつまみはウインナー炒め。
ちょいと意表を衝かれたものの、
年配者にウインナー好きは意外と多い。

子どもの頃によく食べたか、
いつも魚肉ソーセージを食わされて
多少なりとも豚肉の入ったウンナーに
憧憬の思いを募らせたか、そのどちらかであろうヨ。

頭上に品書きがあるが
ほぼ垂直に見上げなければ目に入らない。
あまり入念に吟味すると首が疲れるので
ときどき視線を戻して首をグルッと回す。

ビールのアテのごま和えは
ほうれん草の湯切りが不十分なせいか少々水っぽい。
ずいぶん以前のことだから
何をつまんだのかまったく覚えちゃいないが
料理に秀でたものあれば、足繁く通ったことだろう。
そうならなかったのは印象が薄かったためだと思われる。

当店の名代は”さくらさし”である。
桜刺しはいわゆる馬刺し。
ふ~む、桜の散ったあとで桜刺しかァ。
こりゃまた小粋じゃないの。
まずはコイツに乗って、パカパカとまいりましょう。

注文の際にオネエさんから
「しょうがとニンニク、どちらにしましょう?」—
そう訊かれて
「両方というのはアリですか?」—
こう応えたのだった。

=つづく=

2019年4月15日月曜日

第2110話 桜散れども 桜刺し (その3)

鳥越神社の境内は静まり返って人の気配がない。
フィクションではるが、この場所は
浅田次郎著、”天切り松シリーズ”の文庫版、
「天切り松闇がたり 2 残侠」における、その名も「残侠」。
いわゆるタイトルロールの舞台となった。

清水の次郎長の二の子分、小政こと山本政五郎。
時代に取り残された侠客もすでに老境の身ながら
この境内で大立ち回りをやってのける。
人生最後の花道を自ら開いてお縄につくのだった。
ハナシがそれて、しかも長くなるから止しとくが
浅田次郎の金看板は
この”天切り松シリーズ”でありまっしょう。

蔵前橋通りを挟んで神社の向こう側は浅草橋。
本郷の東大から、人形店の立ち並ぶ浅草橋まで
ずいぶんと歩いたもんだ。
途中、道草をしたので時刻は16時を回っていた。

晩酌にはまだ早いか・・・。
中休みのない日本そば屋にでも入るか・・・。
つらつらと思いをめぐらしていると、
1軒の酒場がぼんやりと浮かび上がった。
もう十年以上おジャマしていない「むつみ屋」である。

あすこは確か週末に限り、
開店時刻を繰り上げて16時のハズ。
界隈では地元客の人気を集めているけれど、
いきなり満席なんてことはないだろう。

浅草橋、そして隣接する柳橋では
行列のできる店など皆無。
この地に長く暮らした身ゆえ、状況は把握している。
平日はそこそこ賑わうものの、
週末ともなれば人の数より、
人形のほうが多いくらいだからネ。

16時20分、「むつみ屋」の暖簾をくぐった。
案の定、店内はガランとしていた。
それもそのはず、先客ゼロなのだ。
お運びのオネエさんにカウンターをうながされ、
6~7席あるうち、ほぼ真ん中に着席。
こういう地元に根差した酒場では
おおむね奥の端は常連専用。
間違ってもなじみの薄い客が占めるポジションではない。

開口一番、スーパードライの大瓶を所望。
いやはや、よく歩いたから旨いのなんのっ!
まっ、歩かなくても旨いんだがネ。
突き出しはほうれん草のごま和えだった。

=つづく= 

2019年4月12日金曜日

第2109話 桜知れども 桜刺し (その2)

名うてのラーメン・イーターでもないのに
ああだこうだと講釈を垂れ流しているが
湯島の「我流担々麺 竹子」は例外的に好きだ。
ただし、ここでは店名にも謳われている担々麺は食べない。
1度いただいて、不満が残ったわけじゃないけれど、
要するに担々麺という物自体があまり好きじゃないんだネ。

当店の気に入りは支那麺。
これがイチ推しである。
過去においてあまたの友人を同伴したが
こぞって絶賛する一杯だ。

支那麺といっても日本の支那そばとはまったくの別物。
鶏ガラ醤油スープに、豚肩ロースの挽き肉と
刻んだ野沢菜を炒めたものがトッピングされ、
麺はかなりの細打ちである。

スープ&トッピングの味付けがまことにけっこうながら
J.C.が愛してやまないのはしなやかな麺。
そしてしなやかな舌ざわりのあとで
噛もうとする、わが歯をいったん押し戻す弾力がイノチだ。

この支那麺に出会って以来、
ほかのメニューに目移りしなくなった。
もっとも生ビールは毎度、
餃子はときどきお願いしてるがネ。

一番搾りの中ジョッキとともに味わい、
いつもと同じ充足感を携えて、なおも散歩のつづき。
上野の広小路に出た。
湯島は文京区だが広小路は台東区。
街の雰囲気がいきなり猥雑になる。
風俗系の店舗も増えてくる。
まっ、アッシには関わりのねェこったがネ。

御徒町を経て鳥越のおかず横丁へ。
一時期、廃れに廃れて外部から訪れる客も減ったが
横丁は少しく活気を取り戻したような感じがした。
もっとも時間も時間だし、人通りは限られる。

味噌や佃煮を商う店舗が
いくつか残存している様子を見ると、何となくうれしい。
今の若者は味噌・佃煮に見向きもしないから
カップルのデートには不向きなエリアなのだろう。

都内随一の大きさ・重さを誇る、
千貫神輿で有名な鳥越神社の境内へ。
以前、柳橋に棲んでいた頃は近いこともあって
ちょくちょく足を踏み入れた場所だ。
じわり懐かしさがこみ上げてきた。

=つづく=

「我流担々麺 竹子 天神下店」
 東京都文京区湯島3-38-11
 03-3831-6862

2019年4月11日木曜日

第2108話 桜散れども 桜刺し (その1)

その日の散歩は
文京区・本郷の東京大学キャンパスが出発点。
本郷通りに面した赤門から構内に入った。
赤門は旧加賀藩前田家の御守殿門である。

御守殿門は通常、丹塗りされることから赤門と呼ばれる。
丹は赤や朱色のことだ。
御守殿門は焼失しても再建されない習わしがあり、
日本に現存する赤門はここだけなのだそうだ。

キャンパスを散策したあと、弥生門から外に出た。
目の前は暗闇坂である。
江戸時代は夜になれば、真っ暗闇だったのだろう。
坂を北に上ってゆくと、言問通りにTの字でぶつかる。

こちらは弥生坂。
坂を東に下って不忍通りとの十文字が根津の交差点。
明治の昔に根津遊郭のあった場所だ。
ここを右折して不忍通りを進むと左手に不忍池が見えてくる。

水鳥はほとんど北に帰ってしまい、
ゆりかもめのほかには
キンクロハジロが十数羽残るのみ。
水面(みなも)はカップルや家族連れの遊ぶ、
スワンボートで埋め尽くされている。
池畔の桜に残る花びらも残りわずかだ。

湯島天神下の交差点にやって来た。
この日の朝食は
ライムジュースの炭酸割りとレタスのサンドイッチのみ。
空腹感を感じた。

近辺で気に入りのランチスポットは
カレーの「デリー」と中華の「我流担々麺 竹子」の2軒。
春日通りをはさんで向かい合っている。
さて、どちらにしようかな?
どうせ夕刻には酒場の止まり木に止まる予定の一羽雀。
胃に負担の掛からない、軽いもののほうがよい。
よって「竹子」の中華麺を選択する。

何度も書いているので読者には耳タコならぬ、
目タコができていると思われるが重ねて一筆。
ラーメンは昔ながらの支那そば・中華そばの系統が好きだ。

麺は細麺か中細がよく、スープは鶏ガラがいい。
煮干しなど、魚介の出汁はホンノリならOKだが
あまり主張しすぎるのはイヤ。
魚粉の投入など、もってのほかである。

ここ20年ほど、ラーメン界を席巻するつけ麺も嫌いだ。
わが人生において、つけ麺はたったの2度しか食べていない。
ついでに油そばは1回こっきり。
この手の愛好者にはバカにされるかもしれないネ。

=つづく=

2019年4月10日水曜日

第2107話 レタスのサンドイッチ

毎日の朝食というか、ブランチには相変わらず、
トーストしたイングリッシュ・マフィンに
雪印の有塩バターを塗って食べている。
よつばバターや別海バターもときどき使う。
カルピスバターはけっこうだが
値段もけっこうなので、そうしょっちゅう口にできない。

マフィンの製造元は敷島製パン、いわゆるパスコだ。
最近は全粒粉タイプを購入することが多い。
もちろん、たまには食パンのトーストや
サンドイッチもいただく。
トーストは6枚切り、サンドは10枚切りを愛用するが
10枚切りはどこにでもあるわけではなく、
行きつけのスーパーでも売切れが目立つ。

サンドイッチといえば、
子どもの頃からハムサンドが一番好き。
日本のポークソーセージや
イタリアのモルタデッラなんかも大好き。
チーズはあまり好まず、
ツナもどちらかといえば、敬遠したい。
ゆで玉子をマヨネーズで和えた玉子サンドはOKなのに
オムレツをはさんだタイプは嫌い。
アレは日本人特有の嗜好で欧米では見たことがない。

トーストサンドではBLT(ベーコン・レタス・トマト)がよく、
クラブハウスは重くてブランチには向かない。
にっぽんの洋食、
かつサンドは冷めても美味しいタイプが好きで
コレには繊切りキャベツと
中濃、あるいはとんかつソースが不可欠だろう。

最近は野菜サンドをよく作るようになった。
ベーコンの代わりに
きゅうり(キューカンバー)を使うのが気に入りで
勝手にCLTと名付けている。
BLTと異なり、CLTはパンを焼かないほうがよい。

ある日、冷蔵庫にきゅうりなく、トマトなく、
レタスだけがゴロンと転がっていた。
ハムはあるものの、なぜかハムサンドの気分じゃない。
ダメ元でレタスのみのサンドイッチを作ってみた。

10枚切り食パンにバターと練り辛子を塗り、
レタスを乗せたらマヨネーズを少々。
仕上げにレモンをチョッピリ搾りかけ、
はさんで食べたら意外や意外、相当にイケた。
読者にもぜひ一度、試していただきたいほどのもの。
自分でできない方は奥さんに作ってもらってネ。
J.C.はコイツをプアマンズ(貧乏人)・サンドと名付け、
以来、ちょいとばかりハマり気味なんざんす。

2019年4月9日火曜日

第2106話 誘われてエスカルゴ (その2)

♪   アアアアアー アアアアー
  アアアアアー アアアアー
  真夏の匂いは 危険がいっぱい
  そよ風みたいに 感じるその髪
  素肌にこぼれて 素敵さ
  押さえた心に 火がつく
  僕から乱れて しまったみたい
  誘われてフラフラ 乱されてフラフラ
  誘われてフラフラ 乱されてフラフラ
            (作詞:橋本淳)

郷ひろみの「誘われてフラメンコ」は1975年夏のリリース。
ロンドン在住のJ.C.は、パリを新しい生活の場と定め、
転居の準備を進めていた頃だった。
結局はパリに落ち着くこと能わず、
急遽、帰国する破目に陥ったのだがネ。

それはそれとして
ここで何だってフラメンコが出てくるんだ! ってか?
いえ、あの、その、
エスカルゴからフラメンコが連想されたのもですから・・・。
そりゃオメェ、いくら語呂合わせだってムリがあるだろうヨ。
はい、ごもっとも、反省しまッス。
素通りして先をお読み下され。

スーパードライの中ジョッキ片手におつまみ2品を選択。
ブルゴーニュ風だったか、ガーリック風味だったか、
とにかくそんなネーミングのエスカルゴと
洋風トロトロ豚角煮にしてみた。

最初にエスカルゴこと、カタツムリ。
またの名をデンデン虫が登場。
紛れもないエスカルゴ・ブールギニョンで
ニンニクバターの香りが食欲を刺激する。
ところが・・・
匂いは本格的ながら味わいはイマイチ。
仏産の水煮缶詰だろうが下ごしらえ不十分で水っぽい。

一方、トマト味の豚角煮はトロトロでなく、むしろパサパサ。
”トロトロ”なんて余計なことをメニューに書くから
客も余計な期待を寄せるじゃないか、ったく。

生ビールのお替わりもせず、
金1080円也を支払ってエスカレーターを上がる。
このときパッとひらめいた。
最後にエスカルゴを食べたのははるか昔と思いきや、
数年前に仲間と二次会で立ち寄った「サイゼリヤ」にて
誰かが頼んだのを1粒つまんだっけ―。
あっちのほうが美味しかったような記憶が
ほのかによみがえりましたとサ。

「ハンバーグ まつもと」
 東京都荒川区荒川区荒川6-6-1 ウエストヒル町屋B1
 03-3800-2446

2019年4月8日月曜日

第2105話 誘われてエスカルゴ (その1)

先日、乗り込んだ電車が特急だったため、
通過してしまった荒川区・町屋を再トライ。
この日は別段、狙いを定めたのではなく、
数軒の候補店を頭の隅に納めて訪れた。

町屋は、東京メトロ千代田線、京成本線、
都電荒川線(東京さくらトラム)と、
乗り入れる路線が3本もあるのに
これといった名所旧跡や娯楽施設があるでもなく、
つかみどころのない、漠然とした町である。

ちなみに都内における駅前の放置自転車数では昨年、
4年連続トップの北区・赤羽に次いで
ワースト2位へ急上昇した。
こういうのを大躍進とは言わんだろうがネ。

そんな町屋だが早朝から深夜まで飲む場所には事欠かなぬ、
左党にはありがたくも便利な町である。
したがって、下戸にはまったく無縁の土地柄だ。
過去に訪れた人もせいぜい町屋斎場の通夜や告別式に
参列したくらいではなかろうか。

ぶらぶらと歩き始めて
尾竹橋通りが荒川線と交差する踏切前のビルに
ハンバーグ専門店の看板を見とめた。
ビル地下ではほかにも数軒の店が営業しており、
下りエスカレーターに誘われるように降りてみた。

ハンバーグにはあまり興味がないものの、
店頭のメニューに目が釘付けとなる。
当店は洋食屋ながら、主力はハンバーグ。
店名も「ハンバーグ まつもと」だ。
ここに洋食屋には珍しいおつまみセットというのがあった。

昼めしどきならともかく、
夕刻以降はを酒をたっぷりいただくが
つまみはチョコッとあればいい派の身に
このおつまみセットを救いの神と言わずして何と言おう。
頭の中にいくつかあった今宵の候補店は
ワン・クリックで、すべて消去されたのである。

唐揚げだの、海老フライだの、
月並みな揚げものが並ぶなか、
食指を動かされたのはエスカルゴだった。
そう、エスカルゴに誘われたのだ。

ふ~む、エスカルゴねェ。
最後に食したのはいつだったかなァ・・・。
思いをめぐらせていると、
突如、またもや頭の中を
軽快な曲が流れてきやしたぜ。

=つづく=   

2019年4月5日金曜日

第2104話 花はみな 散りゆきて (その2)

谷根千ウォーカー・J.C.が見つけた、
一株のローズマリーが一輪の花をつけた。
生まれて初めて見るローズマリーの花びらである。
数日前には増えていて4~5輪ほどが咲いており、
こちらは一向に散る気配がない。

嬉しくなってその日の夜は
精肉店で銘柄豚・東京Xの厚切りロースを購入し、
ポーク・チョップを焼いて食べた。
ローズマリーとガーリックをたっぷりと効かしてネ。

昨日、上野のお山を下り、
不忍池のほとりを歩いた。
気の早い桜の花びらはすでに散り初(そ)めている。
今年の東京の桜もあと数日の命だろう。

ベンチに腰を下ろし、水面(みなも)を見つめていたとき、
突如、タンゴのメロディーとともに
歌の文句が頭に渦巻き始めた。
花よりダンゴではなく、花よりタンゴであった。

どんな曲なんだ? ってか?
やっぱり聞きたいでしょ?
大阪の小姑に叱られるのを覚悟で
それじゃ3番だけネ。

♪   冬子は冬子は ひとりで生きてる
  ときどきそっと 微笑むけれど
  何んの花やら すぐに散りゆく
  あ~あ あ~あ 冬子よ
  冬子よ雪なら とけよわが手に  ♪
        (作詞:佐伯孝夫)

「冬子という女」は先週紹介した「東京午前三時」と同じ、
フランク永井の歌唱に佐伯孝夫の作詞、
そして吉田正の作曲で、リリースは1964年。
美しいメロディーに、何と言っても歌詞がすばらしい。
殊に赤字部分が非凡だ。
佐伯はさすが西條八十に師事しただけのことはある。

ネットの動画でフランクの歌声に接したとき、
映像の女優、結城しのぶに惹かれた。
おかげで彼女の顔と名前が一致もした。
結城は1953年、千葉県・松戸市出身。
J.C.も松戸に7年ほど棲んだことがあり、
ささやかな縁を感じる。

長いブランクのあと、
今世紀に入り、芸能活動を再開したという。
散り果てることはなかったのだ。
昔の姿だが三白眼っぽい瞳が魅惑的。
主役級の女優ではなかったけれど、
遅ればせながら、ファンになってしまいましたとサ。

2019年4月4日木曜日

第2103話 花はみな 散りゆきて (その1)

ひと月前のとある午後、散歩の途中だった。
鼻腔くすぐる魅惑の匂いに、思わず辺りを見回す。
飲食物、いわゆる口に入るものは別として
この世の中でJ.C.がもっとも愛するのは
沈丁花の匂いである。

前話で紹介した谷中・初音小路からほど近く、
七面坂を下り切った先の1軒のおウチ。
玄関脇に純白と薄紅紫の花をつけた、
沈丁花がそれぞれ一株づつ。
辺りに人影のないのをこれ幸いに
顔を近づけて嗅ぎまくったことだった。

以前、自著の編集者から
沈丁花の香りの香水があることを聞いたが
わが人生において未だ、
その香水をまとった女性にめぐりあっていない。

先日、新聞(3月29日付け)のとあるコラムに目がとまった。
タレントの清水ミチコが綴る「まぁいいさ」。
今回のサブタイトルは「鼻は春開く」だ。
一文を紹介したい。

ちなみに沈丁花の読み方は
「ジンチョウゲ」でも「チンチョウゲ」でもいいらしいですが、
私はだんぜん「チンチョウゲ」の方が
可愛らしくて好きです

まったくもっておっしゃる通り。
J.C.も断然、「チンチョウゲ」である。
「ジンチョウゲ」では響きが悪すぎて
あのかぐわしい花の特徴を表していない。
前々から気になってしょうがなかったのだ。
ミッチャン、よくぞ書いてくれました。

子どもの頃のわが家では
というより、ウチの母親もこの花が大好きで
ずっとチンチョウゲと呼んでいたから
父も息子たちも自然に聞き覚えており、
いまわしいジンチョウゲの呼称は
大人になって初めて知って愕然としたものだ。

匂いを嗅いだチンチョウゲは散ってしまったが
そのお宅から、そう遠くないマンションの入口に
一株のローズマリーが植わっているのに
気づいたのは3年前のこと。

先日、そこを通りすがると、
ローズマリーが一輪の可憐な花をつけていた。
ラベンダーより淡く、
藤の花よりは濃い紫色の花弁だった。

=つづく=

2019年4月3日水曜日

第2102話 旧友 マニラより来たる (その4)

上々の焼き鳥を合いの手に
当方、芋焼酎・佐藤のロック、
相方、角のハイボールに移行していた。
互いに数分で2杯目に突入である。

独り0次会のせいか、このあたりから酔いが回り始めた。
オヨヨ、こんなハズではなかったに―。
相方といえば、まだまだシラフ同然。
ピッチに衰えを見せず、ガンガン飲っている。
これを馬飲と言わずして何と言おう。
彼のスマホで持ち馬のリストを見せてもらいながら
さらにグラスを重ねた。

こちらが隣りのカップルと言葉を交わし出すと、
あちらは店主と馬のハナシを始めた。
店主の趣味は競馬らしい。
ともに馬好きということでウマが合ったようだ。

この夜は「鳥真」だけで到底終らないが
翌日、メールが着信したから
本人の諒解を取らずに紹介しちゃおう。

昨夜は初音小路、夕焼けだんだん、
夜店通りと、初体験世界を堪能出来ました。
カラオケ2店も堪能させて頂きました。
日本には毎月来てますので
何か面白い企画があればお声がけください。
                     (中略)
追伸
日曜は中山で グラスボイジャー勝ちました。
焼鳥屋の親父さん、
馬券取ったかもしれないですね。

というこって人物の正体をバラしちゃったけど、
ベツにリチャード・キンブルみたいな
おたずね者じゃないから構わないよネ、半チャン?

彼からのメールにある通り、
「鳥真」をあとにしたオッサン2人は
カラオケ・バー、コリアン・スナックとハシゴ旅。
飲みも飲んだり、歌いも歌ったり。

そのせいで帰り道は足元がフラついちゃってたヨ。
腰くだけとまではいかなくとも千鳥足だったに違いない。
人生下り坂のジイさんや
飲み方知らずのヒヨッ子ならチョロいもんだが
かなりの飲み手、それも馬並みの酒豪相手に
独り0次会は無謀であった。
今後、くれぐれも墓穴を掘らぬよう、
いたく反省した次第なりけり。

=おしまい=

「鳥真(とりまさ)」
 東京都台東区谷中7-18-13
 03-3822-1810

2019年4月2日火曜日

第2101話 旧友 マニラより来たる (その3)

谷中霊園の北のはずれにある炭火焼き鳥店「鳥真」。
先客は若いカップルが2組の計4人。
オッサン同士はわれわれだけである。

数年ぶりの再会を祝って取り急ぎ乾杯。
中ジョッキはキリンの生である。
ともにかなりの呑み助につき、
ほとんど間を置かずにお替わり。
突き出し代わりに供されたキャベツの繊切りには
和風の胡麻ドレッシングがかかっていた。

客は手書きのメニューを見ながら
注文の品々をメモ用紙に書きだして提出するシステム。
串は鳥のほかに野菜もいくつか、計15種ほど。
健啖家の相方なら全品制覇は確定の赤ランプであろうヨ。

実はJ.C.、夕暮れどきから
いつものように独り0次会を敢行しており、
酒のアテはあまり必要としていないが
取りあえずペンを取る。

「半チャン、全部イッチャうでしょ?」
「ええ」

「ええ~っ!」じゃなくて
軽く「ええ」という御返事でありました。
だよね~。
だけどサ、いくら馬主でも、馬じゃないんだから
少しは戸惑いの色を見せてほしいよなァ。
どうやらこの人に取っては炭火焼き鳥も
単なるカイバに過ぎないということらしい。

ハツ、ハツモト、ふりそで、トマトの4串を書き出し、
店主に
「ボクはこの4本、こちらは全品ネ」
そう告げた途端、右隣りの女性客が叫んだ。
「うわ~っ、スゴい!」
だよね~っ。

まあ、彼女の発した一声のおかげで以後、
右側のカップルとは会話が弾むこととなった。
もっとも左側はわれわれの入店後、
すぐに退出していったがネ。

肝心の焼き鳥はいずれもハズレがない。
そうでなければ、帰国している友人を誘いはしない。
現に相方は続々と出て来る串々を次々に
嬉々として平らげている。
あたかもカイバをむさぼるサラブレッドの如くに―。

=つづく=

2019年4月1日月曜日

第2100話 旧友 マニラより来たる (その2)

ハナシを田原町の午前三時に戻そう。
さすがにわれら二人もバテてきた。
当方は翌日、ノースケジュールだったが
相方は知人の結婚披露宴が控えているという。

「半チャン、そろそろお開きにしようや」
「そうですネ、そうしましょう」
「じゃ、最後にクール・ファイブ歌ってくれる?」
「いいッスヨ」
「マイ・ベスト3の『東京砂漠』、『そして、神戸』、
 『噂の女』を3曲メドレーでお願い!」
「ハイ、ハイ」

とまあ、こんな具合で切り上げた。
翌日、いや、0時を回ってたから当日の夜だった。
彼から1通のメールが着信。

驚くなかれ、披露宴に出席したら
隣りに前川清が座ってたんだと―。
そいでもって余興で
「東京砂漠」と「そして、神戸」を歌ったんだと―。
さすがに披露宴で「噂の女」は歌えんけど、
いや、ビックリしたな、もう!

「さっきまで前川サンの曲、浅草で歌ってたんですヨ」
その旨伝えたら、清サンもビックラこいてたんだとサ。
そりゃ、そうだろうヨ。
しっかし、こんなことってあるんだねェ。

何でも互いの持ち馬の調教師が花嫁の父だったんだと―。
たぶん、二人が同席したテーブルは
馬主だらけだったんじゃないかな。

さて此度、待合せたのはJR日暮里駅・北口改札。
夕焼けだんだんへ続く御殿坂を上ってすぐ左折。
界隈で唯一のラブホテルを行き過ぎ、
地元民の住人すらめったに通わぬ裏路地をすり抜けて
やって来たのは昭和の匂い立ちこめる、
初音小路のアーケードだ。

全長20mくらいだろうか、その両サイドに
支那そば屋、煎餅屋、イタリア料理店、
小料理屋、コリアン・スナック、ワインバーなどが
ビッシリと軒を連ねており、
一番奥に各店共用の公衆トイレがある。

入店したのはカウンター10席ほどの「鳥真(とりまさ)」。
その名が示すように焼き鳥の佳店だ。
およそ2年ぶりの再訪で
相方にとっては初音小路そのものが初めてだった。

=つづく=