妙正寺川を南へ渡り、
平和の森の入口まで行ったが
そこから引き返す。
川を渡り返し、線路も越えて
百観音霊場にやって来た。
観音様の石像の数は百を超えていそうだ。
テクテク歩いて哲学堂公園に到達。
聖徳太子や荘子が祀られる、
赤く塗られた六賢臺を見上げ、
隣接する妙正寺川公園に下りた。
地上からは見えないが公園の地下には
広大な調整池が潜んでおり、
川の氾濫を防ぐ役目を担っている。
落合南長崎から大江戸線に乗るつもりが
折よく江古田行きのバスが来た。
そうだ、これに乗って新江古田までゆき、
そこから大江戸線に乗ろう。
駅前(駅の上)で降りたものの、
われながら何を勘違いしたものか
目白通りを西へズンズン歩いちゃった。
さすがに途中で気づいたが逆戻りもシャクだ。
とうとう環七まで行き、そこを右折。
そうして千川通りを戻って来た。
西武池袋線・江古田の商店街に差し掛かり、
引き寄せられるように足を踏み入れる。
かなり歩いたけど脚は大丈夫。
でもノドが悲鳴を上げ始めた。
駅南口にいつもの牛めしチェーンを探す。
無いネ、いや、急行は停まらなくとも
これだけの駅だ、松ちゃん居ないハズ無い。
踏切を横切って北口へ。
ほうら、あった、ありました。
市場通りにありました。
初めての江古田店は
細長いカウンターだけの設え。
本日3本目のドライ中瓶をポチッ!
グビ~ッ! っとやって人心地。
何気なしに背後の壁を振り返った。
んん? 何だか古めかしい写真が
展示されているゾ。
1枚目には
1968~
江古田1号店 開店時
ここ「江古田店」の当時の姿。
牛めし焼肉定食店「松屋」の歴史は
ここから始まりました。
たった4~5坪のこの地で勝負に出るため、
両親から借金。
店がお客様のためにあるために。
ここは、みんなの食卓です。
新宿の思い出横丁にありそうな大衆食堂だ。
前身は2年前の1966年6月、
練馬区の住宅街に生まれた「中華飯店 松屋」。
'66年6月にはビートルズが来日している。
2枚目は
1982~
江古田1号店 3回目の改装後
座敷席を廃止し、オールカウンター席へ。
「ファストフード」の性格をより明確に
打ち出したスタイルへと進化。
価格やメニューなど、
お客様に儲けてもらうための工夫を重ね、
学生・モーレツ社員の胃袋を支えました。
それにしてもビックリしたなァ、もう!
新江古田から大江戸線に乗ってれば
「松屋」発祥の店に出逢うことはなかった。
人生、何が幸いするか知れたものではない。
西武新宿線でやって来た沼袋。
帰りは江古田から西武池袋線に乗りました。
「松屋 江古田店」
東京都練馬区栄町34-1
080-5928-0436