この日はかつて天領だった日田へ。
その前に行き掛けの駄賃とばかり、
由布院へ立ち寄ったが行ってガッカリ。
今回の旅では此処が最悪だった。
駅から金鱗湖に続くメインストリート、
湯の坪街道があまりにもヒドい。
観光地然としてつまらん店々が並び、
若者&インバウンドだらけ。
とにかく昼めしを食わなきゃと
「古式手打ちそば 泉」に入店。
十割そばを謳うわりにこれまたヒドい。
せいろは1480円とモロに観光地値段。
東京の立ち食いそばにも及ばず、
適正価格は700円がいいところ。
由布院は温泉好きならともかく、
J.C.のような常識人には無縁の町だ。
暮れなずむ日田に到着。
古く良かりし豆田町を歩く。
上町(かみまち)通りと
御幸(みゆき)通り一帯が豆田町だが
昨日の臼杵同様にきれい過ぎる。
町全体が丸ごと博物館という日田ながら
心には響かず、むしろ花月川に架かる、
2本の古い橋の姿に旅愁を誘われた。
晩酌は「東洋軒 支店」へ。
洋食屋みたいな屋号だが人気の焼き鳥屋。
カウンターで赤星中瓶を飲み始める。
塩と酢を振ったキャベツが出て来た。
ハツ・つくね・ピーマンを塩、
レバーをタレで焼いてもらう。
ごくフツーだが客はドンドン押し寄せる。
黒霧島のロックにスイッチし、
牛サガリ&ニンニク茎の一串で締めた。
飲み足りなくて駅前の「寶屋 本店」へ。
おそらくこの町一番の有名店は
ランドマーク的な存在と言える。
ドライ中瓶と鮎うるかを通す。
うるかなんて実に久しぶり。
品書きに川魚甘露煮を見つけ、
オバちゃんに訊ねたらハヤだという。
これも珍しく即注に及んだ。
昔ながらの味わいを愛でる。
地酒の山水に切り替えた。
当店はちゃんぽんが人気だが
ご当地グルメの日田焼きそばを
麺半分でお願いした。
パリパリのソース焼きそばは悪くない。
食堂だからか客の飲酒率がかなり低い。
接客係はみんなオバちゃんで
気働き、面倒見、ともによろしい。
翌朝の日田駅、1枚のパネルに目がとまる。
兎に角にもこの日田は特色に富んでいる。
山水もまた明媚である。
人情風俗にもおもしろいところがある。
これぐらい種々のものが
混雑と雑り合っている町は九州はおろか
日本にも他類があるとは思えない。
「水郷日田」田山花袋
昨夜飲んだ地酒、山水のネーミングは
ここから来たものと思われる。
さておき、花袋先生はベタ褒めながら
J.C.にはそこそこの日田でした。
「古式手打ちそば 泉」
大分県由布市湯布院町川上1599-1
0977-85-2283
「東洋軒 支店」
大分県日田市中央1-2-8
0973-22-9388
「寶屋(たからや) 本店」
大分県日田市元町13-1
0973-24-4366
大分は県の経済の中心、繁華な街である。
温泉地の別府とは異なり、
東京にも似た活気に満ちている。
散策を始めてほどなく恰好の店に出逢った。
「五十六屋」の店頭の立て看板に
当店名物
泳ぎカワハギとかぼすヒラメの食べ比べ
税込み 2178円
どちらも大好物につき、一発で決めた。
マネージャーにカウンターへ通されると
目の前に卓上ガスコンロ。
「鍋は頼まないのでコンロは要りません」
「あのうコレ、お通しに使いますんで」
「エエ~ッ、お通しでコンロ使うの?」
ブッタマげた。
ヒオウギ貝の小鍋仕立てが用意された。
この貝はホタテ同様イタヤ貝科で
貝殻がかなり色鮮やか。
しめじと水菜も入った中に
バターをポトンと落とすのがミソ。
スープともども実に美味しかった。
そうして主役の ”食べ比べ” 。
ポン酢と紅葉おろしでいただく。
いいネ、いいですネ、甲乙つけがたし。
かぼすを加えた餌で育てた、
平目もさることながら
新鮮な肝を添えたカワハギに
迷いつつも軍配かな?
中瓶をもう1本空けて
豊後銘酒の二種飲み比べに挑む。
食べ比べに飲み比べ。
大分市民は比べるのがお好きなようだ。
本醸造の鷹来屋(たかぎや)、
純米吟醸のちえびじん。
白身には吟醸の相性が優った。
カワハギとその肝の煮付けを追加すると
今度は鷹来屋が地力を発揮する。
とにかくカワハギまみれの宵となった。
お勘定は7200円ほど。
ちなみにヒオウギ貝のお通しは
500円少々と安価だった。
大分の夜の街を徘徊する。
あっちゃこっちゃ2時間歩いた末に
入店したのが「こつこつ庵」。
レトロな看板の数々がごちゃごちゃと
賑やかながら親しみを感じさせた。
ドライの中ジョッキに
突き出しは豆腐のしめじあんかけ。
続いてエクストラコールドを2杯。
中津産ブランド豚の錦雲豚は
残念ながら入荷ナシ。
鶏めしのおにぎりを1個所望した。
話し掛けてきたのは隣りのお爺さん。
名古屋から来た83歳である。
泊まってるホテルのフロントに
当店を勧められての来訪だという。
一人旅が趣味で予定が決まると
カミさんは手をたたいて歓ぶそうだ。
亭主元気で外がいい、ってか?
今日は臼杵から来たので臼杵の芋焼酎、
のみちょれのロックを1杯。
明日は日田に行くから日田の芋焼酎、
亀山(きざん)も1杯。
頭ん中がグルグルし始める、
1971年創業の老舗居酒屋でした。
「五十六屋 中央町店」
大分県大分市中央町2-3-10
097-574-8686
「こつこつ庵」
大分県大分市府内町8-19
050-5872-5312
この朝はわりと早起きして出立。
列車は県庁所在地の大分を通り過ぎ、
臼杵へと走ってゆく。
駅前からバスに乗って臼杵郊外へ。
ご当地の名所、60体あまりの石仏群は
国宝に指定されており、
さほど興味は湧かないが
そこは旅先のこと、訪れてみた。
岩壁に刻まれた石仏は
磨崖仏(まがいぶつ)という。
多くの仏さまに頭を下げた。
昼食は石仏観光センターの「郷膳 うさ味」。
名物の臼杵たち重を所望する。
太刀魚の蒲焼き重のことで
臼杵は国内有数の太刀魚の産地なのだ。
ビールは嬉しいことにドライの大瓶。
重箱には柚子こしょうが添えられ、
ほかに大根たまり漬けと
しめじ・豆腐・油揚げの味噌椀。
見た目は鰻重そっくりなれど
味わいはずっと軽やか。
物足りなさを感じる向きもあろう。
レギュラー缶を追加し、お代は2830円。
スタッフに車を呼んで貰って町中に戻る。
二王座歴史の道の入口で降り、
武家屋敷や寺院の建ち並ぶ道筋を往く。
でもネ、なんだか綺麗にまとまり過ぎて
時代を感じさせてくれない。
早い話が小樽の運河沿いみたいなんだ。
臼杵城跡にやって来た。
往時は三方を海に囲まれた天然の要塞。
ふと見ると足元に石碑が一つ。
♪ 春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず ♪
日本人なら誰しも一度は
耳にしたことのある「早春賦」。
作詞した吉丸一昌の記念歌碑である。
42歳で早世した彼は臼杵の出身。
”賦”とは漢詩を歌うことを意味し、
舞台は信州・安曇野とされている。
ちなみに作曲は中田章。
臼杵駅へと歩き、
別府行きの列車に乗って大分へ。
チェックインを済ませたら晩酌どき。
夕まぐれの街に飛び出した。
=つづく=
「郷膳 うさ味」
大分県臼杵市大字深田833-5
0972-65-3333
福岡県・小倉から大分県・別府へ。
温泉好きは草津よいとこと口を揃えるが
別府もかなりの人気を誇る。
もっともさほど温泉を好まぬ J.C.、
街としての別府を訪れてみたかった。
昼前に着き、バッグをホテルに預け、
駅前通りを別府湾へと歩く。
葛飾柴又の江戸川土手にも似た、
緑の芝の向こうには大海原が拡がっていた。
市街地に戻り、昼めし処の物色。
聞き慣れない別府ら~めん専門店に入る。
別府ら~めん りゅうきゅう小鉢セットを。
りゅうきゅうは大分名物、刺身のづけだ。
アジもあったがカンパチを択んだ。
博多のとんこつよりスープが色濃い。
魚介の出汁が主張して重さを感じる。
店名を訊ねたら「元祖 別府ら~めん」。
当店が発祥ということのようだ。
缶のかぼすハイボールに切り替え、
小丼ともども美味しくいただいた。
せっかくの別府、一っ風呂浴びとこう。
大正13年に地元の寄付で建てられた共同湯、
駅前高等温泉に出向くと、熱いのなんのっ!
足先をあわてて引っ込めた。
おい、おい、下手打つと火傷するぜ。
隣りのややぬる目に辛うじて浸かり、
早々に退散、くわばら、くわばら。
晩酌は飲み屋街、北浜の「チョロ松」へ。
名代の鴨吸いでドライ中瓶を2本飲んだ。
鴨肉に青ねぎ・ごぼう・豆腐・こんにゃくが
放り込まれた鍋仕立ては本来、冬のもの。
清酒をグッとこらえてハシゴと参ろう。
別府には珍しい「酒スタンド 巡」に流れた。
観光地とあって先刻の「チョロ松」は
香港・台湾など、中華系が目立ったが
こちらは欧米系が数人、立ち飲んでいる。
忌み嫌うブルックリン・ラガーだが
生があるってんで1杯お願い。
苦手なエビスでも生なら
どうにかイケるので
試した次第なれどやはりダメ。
ラガーとは名ばかり、
ペール・エール並みにヘビー級だ。
スペインはラ・マンチャの白、
ラガスカ ペット・ナットを。
こいつはスッキリと好かった。
壁のメニューにワラビ・ズッキーニ・
カリフラワーなど、やたらキムチが多い。
スタッフにキムチ専門店かと訊ねたら
店長がコリアンとのことだった。
だけどサ、此処はワインバーだぜ。
今度はタラゴナのアモール・ペルを。
これまたまずまずでスペインのワインは
値段の割に安定感がある。
夜の街をフラフラ。
スナック「Hこ」に入った。
角地の路面店はかなりの大型だ。
ママのほかに女の子が二人。
京都からの観光客のオジさんが隣りにー。
話が弾んでずいぶんグラスを重ねた。
彼が帰ったあとも長居したせいか、
勘定は銀座並みになっちまいやした。
やれやれ。
「元祖 別府ら~めん」
大分県別府市北浜1-10
080-3228-1700
「チョロ松」
大分県別府市北浜1-4
0977-21-1090
「酒スタンド 巡」
大分県別府市北浜1-1
080-9291-6714
旅に出た。
東京駅でのぞみに乗り込み、
向かったのは北九州・小倉。
♪ 小倉生まれで 玄海育ち ♪
無法松のふるさと、小倉は大好きな街だ。
ところが小倉の沖は響灘。
玄界灘は博多の沖である。
したがって松五郎は小倉生まれの博多育ち、
ということになろうか?
それはさて沖、もとい、さておき、
荷物をホテルに置き、真っすぐ旦過市場へ。
大正9年創業「小倉かまぼこ」で
カナッペと半熟たまご天を購入した。
カナッペはすり身に玉ねぎ・にんじんを混ぜ、
薄い食パンを巻いて油で揚げたもの。
市場の名物にもなっている。
これらは翌日の朝食にしよう。
袋をぶら下げ、繁華な魚町を歩く。
見覚えのある酒場は「酒房 武蔵」だ。
この店も古く昭和28年の開業。
12年前には元カノと
河豚刺し、鰯じんだ煮、串カツで
ビールと日本酒を飲んだ。
懐かしさの一歩手前で
こみ上げる苦い思い出に
言葉がとても見つからない、けど入店。
あいつは今頃どうしているのやら?
まりやチャン、歌詞をパクッてごめんヨ。
カウンターでドライ中瓶を発注。
スタッフはみな若い娘ばかり。
老舗っぽさには欠けるものの、
オジさんたちが歓んでるから
まっ、いいか。
鯛の昆布締めがとても好い塩梅。
たこ焼きを通してみたが
こちらは感心しなかった。
懐かしの串カツは、おう、これ、コレ。
豚肉がちょいと薄めで
しゃぶしゃぶと生姜焼きの中間くらいだ。
大阪は心斎橋の「明治軒」のそれに
似てないこともない。
地酒の天心はすっきり感に乏しく、
重みがあってしつっこい。
やはり九州では焼酎ということか?
お勘定は3200円也。
小倉に来ると北九州モノレールが走る、
平和通りの西側で飲むことが多い。
今宵は東側の鍛冶町・紺屋町を徘徊する。
いろいろ品定めをして
ビルの上のスナック「Tこ」のドアを引く。
「ウチは女の子いないけど、いいですか?」
「いいとも、女の子みたいなもんじゃん」
「あらァ!」
五十路に差し掛からんとする、
小柄なママ一人の切盛りである。
酒は久々のサントリー・リザーブ。
炭酸で割ってもらう。
客がまったく来ないので二人で歌い出す。
「裕次郎が好きなんですけど・・・」
「好きな曲は?」
「『赤いハンカチ』と『ブランデーグラス』」
「じゃ、2曲まとめて入れとくれ」
小倉生まれの彼女と楽しい2時間でした。
「小倉かまぼこ 旦過店」
福岡県北九州市小倉北区魚町4-2-19
093-531-5747
「酒房 武蔵」
福岡県北九州市小倉北区魚町1-2-20
093-531-0634
JR駒込駅界隈でランチをと思い、
目黒の人気店から暖簾分けした、
とんかつ「とんき」にやって来た。
おっ、よし、よし、誰も並んでいない。
ところがギッチョン。
店内に順番待ちが10人も居たヨ。
飯を食うくらいしか
楽しみのない連中がサ。
いかん、いかん、憎まれ口はやめとこう。
諦めてヨソに廻ろう、スゴスゴ。
以前、中華そば屋だった場所に
「蕎麦いなり」というのが出来ていた。
定かではないけれど中華そば屋は
「ひなり」だったような気がする。
店頭の看板に
熱烈中華 × 信州蕎麦 と来たもんだ。
中華と蕎麦の両刀使いを強調している。
大谷翔平のおかげで近頃、
やたらめったら二刀流が流行り出した。
ここで逢ったのも多生の縁、入店に及ぶ。
麻婆茄子・かに玉塩あんかけ・
鶏のチリソースなどと
もり or かけを組み合わせたセットが主流。
黒ラベル中瓶を飲みつつ、
ピーナッツをポリポリやりながら思案する。
麻婆茄子&もりの A列車、
もとい、Aセットで行った。
もちろん、そばは少な目でネ。
ちなみに当店にいなり寿司は無い。
BGMはジャズでなくポップス。
N・セダカの「恋の片道切符」、
J・モランディ「サンライト・ツイスト」、
エルヴィス「ハートブレイク・ホテル」、
ピーター&ゴードン「愛なき世界」と続いた。
何でも店主はホテルの中国料理店で
30年も勤め上げたらしい。
筋金入りですな。
麻婆茄子は上品なルックスに優しい味わい。
なるほど、さすがにホテル出身だ。
町場特有のガサツなところがまったく無い。
もりそばも水準に達している。
だけどもあらためて考えた。
中華と日本そばははたしてマッチするのかな?
はるか昔、NY時代のゴルフ帰り。
コリアンが経営する焼肉屋が
盛んに刺身を奨めてきた。
でもイヤだったネ。
淡麗な刺身と油っこい焼肉の同居は
耐えられないものがある。
日本そばと中華もそうじゃないかえ?
近頃、町中華より町そば屋に執心なのは
そば屋の清潔感に拠るところ大。
中華の場合はときとして
卓や床がベトベトすることすらあるのだ。
中瓶をお替りしてお勘定は2400円也。
ん? 再訪はあるのか? ってか?
う~ん、考えときます。
「蕎麦いなり」
東京都北区西ヶ原1-1-15
電話ナシ
妙正寺川を南へ渡り、
平和の森の入口まで行ったが
そこから引き返す。
川を渡り返し、線路も越えて
百観音霊場にやって来た。
観音様の石像の数は百を超えていそうだ。
テクテク歩いて哲学堂公園に到達。
聖徳太子や荘子が祀られる、
赤く塗られた六賢臺を見上げ、
隣接する妙正寺川公園に下りた。
地上からは見えないが公園の地下には
広大な調整池が潜んでおり、
川の氾濫を防ぐ役目を担っている。
落合南長崎から大江戸線に乗るつもりが
折よく江古田行きのバスが来た。
そうだ、これに乗って新江古田までゆき、
そこから大江戸線に乗ろう。
駅前(駅の上)で降りたものの、
われながら何を勘違いしたものか
目白通りを西へズンズン歩いちゃった。
さすがに途中で気づいたが逆戻りもシャクだ。
とうとう環七まで行き、そこを右折。
そうして千川通りを戻って来た。
西武池袋線・江古田の商店街に差し掛かり、
引き寄せられるように足を踏み入れる。
かなり歩いたけど脚は大丈夫。
でもノドが悲鳴を上げ始めた。
駅南口にいつもの牛めしチェーンを探す。
無いネ、いや、急行は停まらなくとも
これだけの駅だ、松ちゃん居ないハズ無い。
踏切を横切って北口へ。
ほうら、あった、ありました。
市場通りにありました。
初めての江古田店は
細長いカウンターだけの設え。
本日3本目のドライ中瓶をポチッ!
グビ~ッ! っとやって人心地。
何気なしに背後の壁を振り返った。
んん? 何だか古めかしい写真が
展示されているゾ。
1枚目には
1968~
江古田1号店 開店時
ここ「江古田店」の当時の姿。
牛めし焼肉定食店「松屋」の歴史は
ここから始まりました。
たった4~5坪のこの地で勝負に出るため、
両親から借金。
店がお客様のためにあるために。
ここは、みんなの食卓です。
新宿の思い出横丁にありそうな大衆食堂だ。
前身は2年前の1966年6月、
練馬区の住宅街に生まれた「中華飯店 松屋」。
'66年6月にはビートルズが来日している。
2枚目は
1982~
江古田1号店 3回目の改装後
座敷席を廃止し、オールカウンター席へ。
「ファストフード」の性格をより明確に
打ち出したスタイルへと進化。
価格やメニューなど、
お客様に儲けてもらうための工夫を重ね、
学生・モーレツ社員の胃袋を支えました。
それにしてもビックリしたなァ、もう!
新江古田から大江戸線に乗ってれば
「松屋」発祥の店に出逢うことはなかった。
人生、何が幸いするか知れたものではない。
西武新宿線でやって来た沼袋。
帰りは江古田から西武池袋線に乗りました。
「松屋 江古田店」
東京都練馬区栄町34-1
080-5928-0436
サブタイトルをご覧になって
「いったい何のこっちゃい?」ー
首を捻られた読者もおられましょう。
ほどなく種を明かします。
ともあれ、先をお読み下され。
都内で最も繁華な ”袋” は豊島区・池袋。
JR赤羽線が通ったため、
いっそうの隆盛をみた。
もしも線路が大塚に敷かれていれば
大塚が区内随一の繁華街となったハズ。
三業地を擁する大塚はもともと
池袋よりずっと栄華を極めていたしネ。
池袋の地名の由来はかつて
池袋西口に袋状の池があったためだという。
袋状の池って何だ? 意味不明!
百歩譲ってそんなら袋池でいいじゃんかー。
今回、訪れたのは西武新宿線・沼袋。
妙正寺川のせいでこの辺りは沼地だった。
袋状の沼らしいが袋状の沼って何だ?
まったくもってつき合いきれん。
でも、コンパクトでいい町。
”池” もいいけど ”沼” もまたいい。
暖簾を潜ったのは町そば屋「朝日庵」。
大正13年の創業である。
白地に黒の看板がヤケにデカい。
四人掛けに案内され、ドライ中瓶をトクトク。
柿ピーがごっそり出て来た。
かねて調査済みの自家製さつま揚げを所望。
小ぶりながら2種類あって
にんじん・玉ねぎ・インゲン入りと
もう一つは赤いのがチラチラと
見えるものの、何だか判らない。
スタッフに訊ねたらカニカマ入りときた。
まあ、それなりに美味しい。
中瓶のお替わりともりを追注。
おやおや、二段重ねで配膳されたヨ。
黒い星が散って歯ざわりよろしく、
しかもツルツルとノド越しもよい。
あらためて品書きをめくると
八溝そばと云うんだそうだ。
栃木県那珂川町の特産らしい。
八溝地方は福島・茨城・栃木の3県の間。
東の四万十川の異名を取る、
清流・那珂川の賜物とのこと。
ホンマかいな?
贔屓の引き倒しは何を言い出すか
判らんところが怖い。
まっ、いいでしょう。
そば湯もいただき、会計は2400円也。
さて、これから沼袋の町を散策です。
=つづく=
「朝日庵」
東京都中野区沼袋3-7-11
03-3386-5855
北千住は飲み屋横丁の「幸楽」。
J.C.を唖然とさせた御仁は
テーブル席に移動していった。
ハヴ・ア・ナイス・ドリンク&デイ!
本来は夏に旬を迎えるコチ刺しを堪能し、
まぐろ山かけを追注した。
此処ではまだ食べたことがない。
ボール(焼酎ハイボール)もお願いした。
本まぐろのブツがたっぷり入っている。
まぐろは刺身はもちろん、
山かけも即席ヅケにすると好い。
自宅でも常にそうしている。
ベトナムのオネエに日本酒の銘柄を訊ねた。
「幸楽」ではビール、ボール、電気ブランが
マイ御三家、日本酒は滅多に飲まない。
以前、山形の雅山流を飲んだ記憶はあった。
彼女が同じ山形の大山もあると云う。
「エッ、大山があるの?」
「ありますヨ」
懐かしい酒なんだ、コイツは!
初めて飲んだのは1987年。
NYの「レストラン日本」において。
この街に赴任して間もなく訪れたのが
最初でそのときに出逢った。
スッキリしているのに奥行きがあり、
まだ若かった J.C.は
すっかり虜(とりこ)になってしまった。
以来、どれだけ飲んだことだろう。
IKKOじゃないけれど
「どんだけ~」てなもんや三度笠。
大山とキッコーマンを同割りにしてヅケ。
この山かけが不味いワケがない。
大山を3杯も飲んじまったヨ。
脇のボールはチェイサー代わりだ。
北千住の酒場にて至福のひととき。
ほうらチエミ姐さんも歌い出す。
♪ 好きでお酒を
飲んじゃいないわ
家にひとり帰る時が
こわい私よ
あのドアを開けてみたって
あなたはいない
暗い闇が私を
待ってるだけよ
また長い夜をどうして
すごしましょう
愛の香りも
消えたあの部屋 ♪
(作詞:山上路夫)
江利チエミの「酒場にて」は
1974年9月のリリース。
彼女自身、久々のヒットとなった。
一時、落選の憂き目をみた、
紅白歌合戦に復帰させようとNHK が
出演を依頼したがチエミは拒み続ける。
歌手なんていつでも思い通りになると
タカをくくったNHKに一泡吹かせた。
あたかもノーベル文学賞を拒否した、
ジャン=ポール・サルトルさながらで
J.C.はこういう人たちを
心から愛し、尊敬するのです。
「幸楽」
東京都足立区千住2-62
03-3882-6456
東京の北東の玄関口、
足立区・北千住は出没率がきわめて高い街。
口座を持つ3つの銀行がすべて
10m 四方のコンパクトな一画に納まり、
便利きわまりないためもある。
この日も銀行のあとで
マイ・ブレイクルーム「幸楽」へ。
当欄でも何度か紹介している酒場だが
今日は面白いことが一つ、
懐かしいことが一つ、それぞれにあった。
いつものようにカウンターへ。
コチ刺しでドライの大瓶を飲んでいると
隣りに常連らしきオジさんが着いた。
ずいぶん立て混んでいて
テーブル席はほぼ満席状態だ。
オジさんは空きができたら
テーブルに移る旨を
ベトナムのオネエちゃんに伝えている。
そう、当店のスタッフは8割方、
ベトナム出身者である。
それはいいとして度肝を抜かれたのは
この直後であった。
オジさんが何を注文したと思いますか?
エッ、お立合い!
いや、ブッタマげやしたネ。
何とオネエちゃんがホッピーの外を
4本も持ってきやがったぜ。
両手で4本まとめて鷲づかみと来たもんだ。
焼酎はキープしている、
ヒズ・ボトルのキンミヤが残り半分ほど。
作るさまを盗み見してると
焼酎はホンのチョッピリ。
そこへホッピーをドバドバドバ。
黙って見てたが我慢し切れず、声を掛けた。
「コレみんな一人で飲むんですか?」
「ええ、そうですヨ」
「スゴいなァ!」
「いえ、肝臓を悪くしましてネ。
でも好きだから薄くして飲んでます」
ということだったが、それにしてもなァ。
驚かされたのはコレで済まなかった。
彼の発注したつまみ類である。
トマト・冷奴・枝豆の3品が
並んだ、並んだ、赤・白・緑。
これ以上ない定番の揃い踏みだ。
トマトなんかお替わりまでしてやんの。
まさに昭和の光景が拡がる。
ここにラジオの野球中継と
蚊取り線香の豚でも揃えばパーフェクト。
呆れ果てた J.C.、彼の横顔をチラチラ。
つい先日の町屋「ときわ」で
スマホのつまみにやおら野沢菜を
ポリポリやり始めた若い娘の面影が
ダブッて見えたのでした。
世の中に奇人変人は後を絶ちません。
=つづく=
この日も神保町で映画を2本観て
さァ、晩酌の時間となりました。
昼に半しめじごはんと半もりを食べ、
食欲がほとんどないものの、
淫欲は、もとい、
飲欲はすさまじいものがあった。
不思議なことにちょっと食うと
すぐ腹いっぱいになるのに
ビールはいくら飲んでも平っちゃら。
J.C.の場合は飲みものって
食道から胃を素通りして
一気に小腸へ流れ込むようだ。
この特殊体質に感謝を惜しまぬ日々なり。
東神田から岩本町、須田町から淡路町と
昼めし後、ずいぶん歩いたのに
歩きグセがついたみたいで
神保町から湯島までテクテクテク。
先日、のみとも・ハカセと
奥様公認酒蔵「岩手屋本店」で飲んだから
今宵は「岩手屋支店」に迂回した。
こちらも奥様公認なんだが
いったいどちら様の奥様なのかネ?
先客はたった一人。
カウンターに着き、背後の冷蔵ケースから
自分でドライ中瓶を取り出す。
突き出しは胡瓜・茗荷・わかめの酢の物。
品書きで惹かれたのは真っ先に刺身。
かいわり・かつお・あじ・いわし・
まぐろ赤身・酢だこ
以上から客が3点択んで1000円也。
こういう店は滅多にない。
ほとんどが店側の都合を優先するからだ。
珍しいかいわり、好物のかつお、
目先を変えて酢だこをセレクトした。
いったんは通したものの、
ニンニクスライスが可能とあって
たこにサヨナラし、
そのぶんかつおを多めにしてもらった。
うん、いいですな、けっこうですネ。
かいわりはしまあじにも似て
上品なうま味を身にまとったサカナ。
たまに鮮魚のデパートで見掛けるくらいで
滅多なことではお目に掛かれない。
ドライをもう1本やっつけ、
粕取り焼酎・だだすこだんのロック。
雫石は菊の司酒造の手になるもので
菊の司は岩手県最古の酒造である。
かいわり&かつおを堪能し、
何かもう1品と、あんこうの煮凝りを。
手造りの本物は室温に戻ると
溶けかかってくる。
ヘンなモンで固めたヤツは
温まってもそのまんまだからネ。
かいわり、かつおに加え、
あんこうまで味わい、お勘定は4400円。
至福の晩酌に今宵も酔いしれました。
「岩手屋支店」
東京都文京区湯島3-37-9
03-3831-9317
神田川が隅田川に注ぎ込む、
その手前に架かる柳橋。
そのまま地番となって柳橋二丁目は
NYから帰国直後に棲んだ懐かしい町。
その柳橋から上流へ浅草橋、
左衛門橋ときて4つ目の美倉橋。
橋上を清洲橋通りが走っている。
あの美しい清洲橋とつながっているのだ。
南詰に古い日本そば屋がある。
近所と云えないこともないから
何度も通り掛かった。
そのたびに昼どきはけっこうな行列。
並ぶのが嫌いだから未踏のままでいた。
ふと思い立って腰を上げる。
正午を過ぎると待たされるので
11時45分に到着したら
それでも5人並んでいた。
近隣のリーマンはわりかしヒマなんだ。
正午ちょうどに入店がかなう。
すでに男が3人座る卓に押し込められる。
これほどの相席強要は他に例を見ない。
ドライの大瓶を通して、しばし投げ首。
名物はランチタイム限定のしめじご飯。
特に半しめじ飯が人気で
何と165円なのに量もたっぷりあるらしい。
かやく飯や混ぜご飯を好まぬ身ながら
何となく ”半” を通してしまった。
そしてもりもそば半分でお願い。
すべて四人掛けの卓はみな満席。
ものスゴい人気ぶりある。
10分くらい待ったろうか?
まず半しめじが配膳された。
なるほど立派だネ。
油揚げ・豆腐・みつば・わかめ、
具沢山の味噌汁も存在感を放つ。
新香はきゅうり・白菜に
べったら風の大根が2切れ。
でも、食べながら思った。
しめじ・にんじん・油揚げ入り炊き込みは
フツーの白飯のほうがいいんじゃないの?
かやく飯を嫌うから
そう思うのかも知れないけどネ。
そして太打ちのもりそば。
コシは相当強い。
けれどもそばの香りがまったくしない。
これいかに?
周りを見回すと、この暑いのに
8割方は温そばを食っている。
なるほど、そういうことかァ。
入れ替わって座った目の前のカップルも
豚肉南蛮とカレー南蛮だ。
だがなァ、いくら温づゆでも
香り無きそばに明日は無い。
行列の理由が皆目つかめぬ、
創業半世紀に及ぶ、老舗そば屋でした。
「春日」
東京都千代田区東神田2-2-8
03-3865-9568
3年ほど以前だったかな?
メトロ千代田線・根津駅の近くに
馬肉販売店が現れた。
先日、通りすがると角打ちを始めた模様。
角打ちは本来、酒屋が店内や店頭に
立ち飲みコーナーを設けるものだから
そう呼んでよいのか判らないけど
店側が名乗るんだからよしとしよう。
後日、ふらり訪れた。
席は2階にもあるようだが
1階のレジ前の小卓にシット・ダウン。
テーブルは2つあり、
店内で馬刺しを物色していた、
中年カップルもほぼ同時に着卓した。
係の女性に説明を受ける。
今日は会津産のロースとももの入荷あり。
どちらも冷凍ではなく生肉だ。
ほかに熊本産やモンゴル産なども揃う。
せっかくだからロースをお願い。
ビールはケースから自分で択べ!
ってんでスタンド・アップ。
手に取ったのは
LUCKY DOG の 350ml缶。
作り手は何と黄桜株式会社。
あのカッパの CM のネ。
とにかくスッキリ・ラガーは無い。
しょうがないねェ。
重いのは口に合わないヨ。
ドライソーセージと呼ばれる、
小さい馬肉サラミが3本付いてきた。
これはいいかもネ。
調った馬刺しはロースに加えて
コウネ(たてがみ)も盛り込まれ、
鮮やかな紅白ツートンカラー。
ニンニクスライス&おろし生姜に
新玉ねぎと大葉、完璧な脇役陣である。
九州産の馬刺し専用甘口醤油でいただく。
熊本産と称しても実際は
アルゼンチンだったりすることが多い中、
福島・会津はより信頼がおける。
うん、さすがに、まいう~!
角打ちにつき、日本酒を1杯いっとこう。
聞いたこともない銘柄が並ぶ中、
手っ取り早くワンカップを取り出した。
福島の榮川(えいせん)だ。
飲み物リストに
特醸酒(榮川酒造)¥600
柔らかな口当たりと豊かな旨味
スッキリとしたキレのある味わい
こうあったんでネ。
カップの裏を見てみたら
内容量:180ml
原材料名:米国産、米麹、醸造アルコール
アルコール分:15度
とある。
んん? 何だ福島なのに米国産ってか?
よく見たら、米(国産)だった。
( )が見えなかった。
視力の衰えを痛感せずにいられない。
まずまず快適な時間を過ごし、
会計は3498円也。
わが人生の角打ちにおける、
史上最高値を更新したのであります。
「さくら商店 根津店」
東京都文京区根津2-19-7
03-5842-1789
前話の続きです。
「共犯者」の舞台は博多。
清張ほどの筆力があれば
どうにでもなると思うんだが
長いこと棲み慣れた場所から
なかなか離れられないらしい。
北九州を舞台にした作品は多く、
枚挙にいとまがない。
のちに歌手・ペギー葉山の旦那となった、
根上淳がシブい二枚目。
和製アラン・ドロンと云えなくもないが
根っからのあの暗さは
演技ではなく地でいっており、
芸域を狭めているように思われる。
根上の共犯者、高松英郎を久々に見た。
NET(現・テレビ朝日)のドラマ、
「乗っていたのは二十七人」(1965)が
懐かしく思い出される。
西伊豆の断崖絶壁からバスが転落する、
冒頭のシーンが目に灼きついている。
物語の鍵を握る船越英二には
得も言われぬ味がある。
不安と懐疑と凡庸がごちゃ混ぜになった、
彼の表情は新横綱・大の里じゃないけど
まさしく唯一無二。
それがもたらす芸の奥行きは
息子の英一郎がまだまだ及ぶものではない。
「黒い画集 第二話 寒流」。
銀行と料亭が舞台だから
描かれるのは ”金” と ”色” 。
池部良・新珠三千代・平田昭彦が
それぞれに適役でストーリーの展開も
観客を厭きさせない。
ただし、後味の悪さにかけては天下一品。
久方ぶりに苦い思いをさせられた。
監督の鈴木英夫は
さほどの作品を残してもいないのに
俳優いびりには定評、もとい、
悪評があったという。
シゴきにシゴいた末、
役者が涙を流しても赦さないと
いうからほとんどビョーキ。
食えない性格が映画の結末にも
影響しているとしか思えない。
本シリーズも先月末で終了し、
6月の特集は
うたと映画
忘れられない映画の中の「うた」たち
山内賢&和泉雅子の「二人の銀座」と
加山雄三の「エレキの若大将」だけは
観たかったが日程が合わず断念。
よって16本すべてをパス。
予想外の開放感を味わえそうだ。
最後にサブタイトル、
「松本清張の功績」にふれておく。
使い古された文言ながら
彼の最大の功績は本格派から社会派へ、
推理小説を脱皮させたこと。
誰も出来なかった、
あるいは気づかなかった、
一大改革を成し遂げたことなのだ。
清張自身の言葉を紹介しよう。
「探偵小説を『お化屋敷』の掛け小屋から
リアリズムの外に出したかった」
掛け小屋の代表的な主(あるじ)が
横溝正史であることは云うまでもありません。
今回の神保町シアターの特集、
横溝&清張シリーズの残り6本を
すべてクリアしたのでリポートします。
残りと云っても自分でリストアップした、
観たい作品のみです。
とは云え全15本中10本だから
3打数2安打の6割6分6厘。
われながら立派なものであります。
「天城越え」(三村晴彦 1983)清張
「獄門島」(市川崑 '77)横溝
「影の車」(野村芳太郎 '70)清張
「八つ墓村」(野村芳太郎 '77)横溝
「共犯者」(田中重雄 '58)清張
「黒い画集 第二話 寒流」
(鈴木英夫 '61)清張
こんなラインナップでした。
「天城越え」は当シアターには珍しく、
99席あるキャパがほぼ満席。
ヒロイン・田中裕子の魅力かな?
とも思ったが、どうやらこれは
石川さゆりの同名ヒット曲による、
知名度上昇の影響と思われた。
何もここまでやらなくても
観る者がドギマギするほど
激しい濡れ場をこなす裕子。
惜しげもないヌードは
まさに体当たりの演技といってよい。
横溝のご多分にもれず、
「獄門島」は奇妙奇天烈の極み。
殊に本作はあまりにも無理な筋運びだ。
美女や老人が殺人のため、
あんなに大掛かりな肉体労働を
こなせるわけもない。
「影の車」は激しくはないものの、
岩下志麻と加藤剛の愛欲シーンが
これでもか、これでもか。
あの半分でじゅうぶんだヨ。
東宝の横溝作品と異なり、
松竹が手掛けた「八つ墓村」は
主役の探偵・金田一耕助も
石坂浩二ではなく、何と渥美清。
監督も市川崑に代わって野村芳太郎。
当シリーズで横溝と清張、
両方を監督したのは野村ただ一人だ。
荒唐無稽ぶりは緩和されている。
ただ真犯人が美女であることに変わりはない。
渥美がいい味を出しており、
小川真由美もさすがといえばさすが。
ショーケンこと萩原健一は
当たり役を得た感があり、
ファンにはたまらない映画となった。
=つづく=