所用を済ませ、宵闇迫りくる秋葉原。
絶好の晩酌タイムである。
東京でJ.C.が嫌いな街、
ワースト3の一翼を担う場所に
1軒だけ好んで訪れる店がある。
昼めしも晩酌も秀にして逸な両刀使い、
「赤津加」だ。
神田の旧連雀町から昌平橋を渡り、
悪名高き(?)電気街にやって来た。
その真ん中に位置する店の前に
ズラリ居並ぶのは揃いも揃って
真っ白なヘアキャップの少女たち。
そう、メイド・カフェのメイドである。
頭の中を童謡「チューリップ」が流れる。
♪ さいた さいた メイドのはなが
ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ
どのはなみても きれいだな ♪
着ているオベベはともかくも
容貌はあまりきれいじゃないけれど
その蜜に引き寄せられて
蝶々や蜂や銀蠅まで舞い踊る。
ところが峠を過ぎたJ.C.は
すでに彼女たちの対象外。
目の前をずんずん歩いてゆくのに
誰一人、声を掛けてくる花とてない。
数年前はけっこう声掛けがあったのに
歳は取りたくないもんだ。
まっ、わずらわしくなくていいけどネ。
引き戸を引くと
コの字カウンターの先客は
カップルと仕事帰りのリーマン二人連れ。
コの字の真ん中に陣取って
黒ラベルの中瓶をお願い。
お通しは真鯛1切れとワカメのポン酢。
最初に必食の逸品、鳥もつ煮込みをー。
小鍋仕立ては、もつの各部位に
豆腐・コンニャク・玉ねぎ。
以前より皮が増え、必ず1粒あった、
小豆(脾臓)が見当たらない。
ちと残念。
菊正生貯蔵酒生酛300mlに移行する。
海老と新茶葉のかき揚げも追注。
ところが酒は美味いのに
かき揚げはイマイチ、いや、イマニ。
量を増やすためか小海老と茶葉より、
ナスとエリンギがたっぷりなんだ。
かき揚げは居酒屋よりも日本そば屋。
つくづく思い、肝に銘じた次第です。
「赤津加」
東京都千代田区外神田1-10-2
03-3251-2585
山谷のはずれの泪橋。
「居酒屋 ニュー泉」のカウンターで
ビールを飲んでいる。
一皿500円のくじベコがなかなかに良質。
感心することしきりであった。
日本酒に切り替えた。
大関生貯蔵酒300ml がよく冷えている。
つまみを何かもう1品と
コマイ(氷下魚)を所望した。
これも2尾で500円。
ハタハタ(鱩)でん、
シシャモ(柳葉魚)でん、
北の海を泳ぐサカナたちは
ホクホクとした白身が持ち味。
アジやイワシのように
青背の特徴の魚臭さがない。
サンマだけは北で生きてるけどネ。
お勘定は2600円也。
福州生まれの小姐に
「また来るネ」
「待ってますっ!」
手を振って退店した。
泪橋から吉野通りを南下する。
突き当りは言問通りと江戸通りが
交差して五差路の言問橋西詰になるが
そこまで行かずに手前で
通りすがった「居酒屋 アロー」。
チラリ中をのぞくと
地元の常連らしきオッサンたちが
けっこうな盛り上がりを見せている。
飲み足りないこともあり、
引き込まれるようにステップ・イン。
ドライ中瓶のお通しはブリ大根。
周りの雰囲気に溶け込みながら
気分よく飲むビールは格別だ。
隣卓の四人組がきこしめしながら
高尚な会話に口角泡を飛ばしまくる。
オスマントルコを語り出した、
J.C.のすぐ隣りのオッサンが
「あのほうらビザンチウムはさ、
も一つ名前があって何だったっけな?
あ~、思い出せん!」
お節介なおジャマ虫は聞き流すこと能わず。
「コンスタンティノープル」
割って入ると
「アッ、それそれ、アリガト!」
ここから会話が始まってもうた。
店はママと妹と娘のスリーオペで
これも一種の家族経営。
そのうちカラオケが始まって
店内はさらに盛り上がる。
四人組が席を立ったのを潮に
こちらもお勘定。
ビール2本とお通しで1600円でした。
これから吉原のソープ街を流します。
いえ、背中は流しませんけどネ。
「居酒屋 ニュー泉」
東京都台東区清川2-39
03-3871-6681
「居酒屋 アロー」
東京都台東区清川2-16
電話ナシ
東京に泪橋は二つある、北と南に。
南千住の小塚原と立会川の鈴ヶ森。
それぞれ刑場に向かう場所で
科人(とがにん)と家族が
今生の別れに際し、泪にくれた。
今回、もう一つあると知った。
京王線・明大前駅から
明治大学・和泉キャンパスへの道すがら
甲州街道を跨ぐ歩道橋が
泪橋と呼ばれるそうだ。
明治大学には早稲田大学の入試に
不合格となった学生が多く、
彼らが涙して橋を渡るんだそうだ。
ホンマかいな?
明も早も大した変わりはないだろに。
取って付けたみたいで嘘っぽいな。
それはそれとして
台東・荒川の区界に位置する泪橋。
日暮里発、亀戸行きのバスに乗ってたら
泪橋交差点の一角に
居酒屋の暖簾が見え、急いで下車。
書き遅れたが此処は
「あしたのジョー」のふるさとだ。
「ニュー泉」は昼前に開いて
14時にはいったん閉じる。
看板に中華居酒屋「泉」の名残りがあるが
現在、中華は提供していない。
(肉野菜炒めはあったけど)
だから「ニュー泉」なんだネ。
観音裏「ニュー王将」同様のネーミング。
あちらは喫茶店から洋食居酒屋。
オバちゃんとオネエちゃんのツーオペだが
見えない厨房に男手もあるようだ。
ドライの中瓶を飲みながら
壁の品書きを見ているとネエさんが
「コレもありますっ!」
オススメのボードをかざしてくれる。
すかさず鯨のベーコンを通した。
言葉のイントネーションが
日本人じゃないので
「アナタは何処から来たの?」
「中国ですっ!」
「中国の何処?」
「福建省の福州」
J.C.は若い頃、シンガポールに居たが
彼の地の同僚によく言われたものだ。
もし、中国人を恋人にするんなら
福建人がいいヨ。
間違っても広東人はいけないヨ。
性格が強すぎるからネ。
=つづく=
好きな商店街なのにずいぶんと
ご無沙汰してしまったキラキラ橘。
此処は墨田区・京島で
最寄り駅は東武伊勢崎線、
あるいは京成押上線の曳舟である。
日本そば「五福家」の敷居をまたいだ。
初めて訪れたのは忘れもしない、
令和4年7月8日。
安倍元首相が凶弾に倒れた、その日だ。
地元客が小宴会を催していたものの、
一同の眼はTVの画面に釘付けだった。
さもありなん。
その日、もりそばを食べたあと、
壁に貼られた1枚の品札に目がとまる。
スープがうまい
そばやのラーメン 650円
これが気になって翌週ウラを返した。
看板を偽ることなくスープはうまかった。
ふと思い出し、3年ぶりに再訪。
ドライ中瓶を飲みつつ、割り箸をパキッ!
細打ちちぢれ麺と相変わらずの醤油スープ。
チャーシュー・シナチク・ナルトに
ほうれん草が好感度を高める。
小松菜だと減点、ワカメなら大減点。
その足で歩くキラキラ橘。
これまた3年前におジャマした「千丸」へ。
たこ焼きの幟を掲げるくせに
なかなかたこ焼きにありつけない店で
居酒屋も兼ねている。
缶ビールが気にさわるけれど
銘柄は気に入りにつき、許す。
何か一品、つまみを取ろうと思うが
この日もまた、たこ焼きは準備中。
ママ独りの切盛りとはいえ、
どうなってんだい、このタコ!
もとい、たこ焼き屋!
仕方なしにアサリとネギのかき揚げをー。
だけどネ、ラーメンのあとだから
とてもじゃないが完食はムリ。
しかもかなりデカいんだ。
「五福家」に立ち寄った旨を告げ、
半分残しを認可されたのでした。
別腹のビールのほうは
しっかり3缶いただきやした。
「五福家」
東京都墨田区京島3-52-1
03-3611-3698
「千丸」
東京都墨田区京島3-19-3
03-6657-1239
しょっちゅうバスで通りかかる荒川区役所。
すぐそばにわりかし大きな日本そば屋が
在ることは認知していたが
あらためて屋号を確認したら「瀧乃家」。
都内各地に散見される、
たきのや系列はみな老舗と呼んでよい。
先日、東尾久の「滝乃家本店」で
おそば少な目、ごはんも少な目の、
やさしさあふれる親切セットに
頭(ず)を下げながら
舌鼓を打ったばかり。
一度行っておこうと訪れる。
大毎オリオンズの本拠地だった、
東京球場の跡地に建つ、
荒川スポーツセンターに続く道筋が
二又となる角地で出入り口も二箇所。
客商売には打ってつけだ。
そば・うどん・丼物はもとより、
定食・セット・つまみまで
多彩なラインナップから
穴子天丼セット(1200円)をもりそば。
サッポロ黒ラベル中瓶とともに通した。
穴子は小ぶりなメソッ子1尾。
デカいものよりよほどよい。
根菜たっぷりのけんちん風味噌汁に
新香は白菜漬&きざたく。
大関生貯蔵酒1合瓶を追加して
美味しく平らげた。
品書きの一品に目がとまる。
海鮮天ぷら定食(1200円)は
海老・穴子・いか・きす・
かけor もり・ライス付き。
ここまで揃って、この値段?
にわかには信じられない。
翌週、舞い戻り、かけそばでお願い。
海老・きす各1尾に穴子・いか各1片。
かけそばなので味噌汁は付かず、
新香はキャベツきゅうりもみ&きざたく。
口元に運びながら思う。
役者は揃っているものの、
前回の穴子天丼にはかなわない。
理由はただ一つ。
当店の天ぷらは天つゆよりも丼つゆと
相性が好いのでした。
「瀧乃家」
東京都荒川区荒川1-1-22
03-3801-2411
西尾久「北珍」から一週間後、
孫弟子が営む松戸市「大八北珍」を訪れた。
松戸市にありながら都営の八柱霊園に
岡澤家のお墓があってGWの墓参は定例。
その日も墓前を掃き清め、
香華を手向けてから向かった。
夕方の開店時間、17時ちょうどに伺うと
早くも近隣の常連客が詰め掛け、
10分過ぎには満卓と相成った。
界隈の超人気店なのである。
迎えてくれた女将サンとしばし談笑。
小台(西尾久)の「北珍」にふれたら
目を真ん丸にして驚いていた。
あちらのオヤジさんが云う通り、
こちらは三ノ輪「大八北珍」の出身だった。
「千駄木の日医大にはまだ通院してるの?」
「甲状腺だったんだけど、もう行ってないの」
「いや、ボクもネ、
日医大で白内障の手術をしたんだヨ」
「そうなの? いい病院だものネ」
「じゃ、身体の調子はいいんだ?」
「ううん、救急車を10回も呼んじゃった」
「ん? 回数券があったほうが便利だヨ」
「うん、アハハハ!」
ドライの中瓶を通すとお通しは
大根&コンニャクの炒め煮。
「北珍」と比べるつもりはないが
焼き餃子を発注した。
当店は何を食べてもハズレがない。
紹興酒の珍五年に切り替える。
キンミヤ焼酎と同じ600cc ながら
度数は25度に対して16度だから
左党にはどうってこたあない。
常温をクイクイ飲っていた。
「大八北珍」に来ると
女将発案の穴子丼が必食。
これは2種類あって
カツ丼みたいな玉子とじと
大根おろしの載った蒲焼き風だ。
過去に2~3度いただいたけど
いつも玉子とじなので蒲焼きに初挑戦。
ラーメン付きが1250円と破格につき、
麺半分で頼んでしまう。
当店のラーメンは
目黒区・祐天寺の「来々軒」にも似た、
昔の支那そばを偲ばせる。
店は家族経営。
夫婦と長女と次女のほかに
若い娘が居たがバイトなのか
孫なのか訊きそびれた。
いずれにしろ商売繁盛はご同慶の至り。
また来年の GW におジャマしまッス。
「大八北珍」
千葉県松戸市仲井町3-13
047-368-1609
あれはひと月前のこと。
都電荒川線の小台から
今はさびれ果てた目抜き通り、
小台銀座を南下していた。
道筋を通り抜けたところで
1軒の町中華に目が釘付け。
餃子ハウス「北珍」だった。
ん? 「北珍」とな?
連想されたのはかつて棲んだ、
千葉県松戸市・上本郷に
今もある「大八北珍」だ。
その日の昼食は済んでおり、
数日後に舞い戻った。
店は年配の店主独りの切盛り。
70歳はラクに超えているだろう。
カウンター3席にテーブルが3卓。
先客は一人だけだった。
空いていた卓に着き、
キリンラガー中瓶を通すと
きゅうりの浅漬けが付いて来た。
まずは ”餃子ハウス” に敬意を表して
焼き餃子を発注してみた。
うん、なかなか。
続いてラーメンを麺半分でお願いすると
「難しい注文をするなァ」ー店主が一言。
(そうかなァ)ー言葉を飲み込む。
「やったことないけど、味はどう?」
「うん、美味しいヨ」
会計時に訊ねた。
「松戸の先の上本郷に『大八北珍』って
あるんだけど、関係ありますか?」
「うん、あるヨ」
「そうか、やっぱりねェ」
店主によると彼の先代(亡父)が
「北珍」を開いたのは吉原の見返り柳そば。
そこの弟子がのれん分けして三ノ輪に開店。
松戸はそのまた弟子の店だった。
あとで判ったことだが
「北珍」は油そばの元祖という説がある。
J.C.には油そばを食べる習慣がない。
生涯で試したのはただ一度きり。
本郷三丁目の「とんちん亭」で
確か西暦二千年前後だったと思う。
これも何かの因縁だと、後日再訪。
食べてはみたものの、やっぱ合わないや。
最後に追いスープなんぞもいただいたが
ニンニクが強烈過ぎて
さしものニンニク好きもマイッたのでした。
「北珍」
東京都荒川区西尾久4-1-11
03-3893-2820