2012年1月31日火曜日

第241話 イスタンブールに飛んだ

♪   いつか忘れていった こんなジタンの空箱
   ひねり捨てるだけで あきらめきれる人 ♪
              (作詞:ちあき哲也)


庄野真代の「飛んでイスタンブール」。
作曲は敬愛する筒美京平サンである。

シンガポール赴任時代の1984年。
休暇でイスタンブールに飛んだ。
パキスタン航空を利用した手前、
カラチにストップオーバーしてから現地入りした。
酒にからんだカラチでの顛末はいつか書いたから今回はふれない。

イスタンブールは気に入りの街である。
ローマとパリはさておいて、ストックホルム、ウイーン、ブダペスト、
ドゥブロヴニク、マルセイユ、ヴェネツィア、ジェノヴァ、コルドバ、
好みの街は欧州に数あれど、イスタンブールは途方もなく好きだ。

イスタンブールには1週間ほどいたが
日本からやって来た阪神航空のトルコ周遊ツアーに途中参加した。
国内線で首都・アンカラへ飛び、あとはのんきなバスの旅である。
ギョレメ(カッパドキア)―コンヤ―アンタルヤ―パムッカレ―
イズミル―チャナッカレと周遊してイスタンブールに戻る日程だ。

遺跡めぐりに飽きてしまって1日、独りだけ自由行動にしてもらい、
過ごしたアンタルヤの街と海が強く印象に残っている。
たまたま滞在したホテルの真裏が
映画「太陽がいっぱい」のラストシーンに出てくる岩礁にそっくり。
A・ドロンとM・ラフォレのあのシーンね。
波も穏やかでプカリぷかり浮かんでいると、
水深10メートルほどの海底に紫海胆の群れを発見。
ザッと数えて50匹はいただろう。

ダイヴィングなんてしたことないし、素もぐりなんかハナから無理。
泳ぎのほうもまったく自信がないうえに、
海胆の棘(とげ)に指されたら、さぞや痛かろう。
20人ほどのツアーだったから
中にはこういうのが得意の達人がいたかもしれないが
みんなエフェスだったかな? 遺跡見物に行っちゃってる。
生海胆は垂涎だったけれど、あきらめるほかはなかった。

バスで移動中、メンバーの一人に歌謡曲好きのオジさんがいた。
この人がのべつまくなしウォークマンを聴いてるんだよねェ。
結局はそいつを分捕ってこちとら楽しんだが
彼自身が録った曲の中に由紀さおりの「挽歌」があったというわけ。

♪    やはりあのひとは 
   私を送りに来なかった
   にぎわう夕暮れ 人ごみの中
   私はただバスを待つ
   悲しみだけを 道案内に
   想い出色の 洋服を着て
   辛くないと 言えば嘘だわ
   あのひとのことが 気がかりだけど
   私は今バスを待つ      ♪
         (作詞:千家和也)


そうしてこうしてイスタンブールに舞い戻り、
翌朝はみんなを見送るために空港へ。
その後、数日間をまた独り東ローマ帝国の古都で過ごしたが
街角を歩いてるときもバーでビールを飲むときも
しばらくは頭の中を「挽歌」がグルグル回っていたっけ・・・。
繰り返し巻き戻し、何度も何度も聴いたものなァ。
ややっ、今もイントロが聴こえだしたよ。
さっそく youtube のお世話になるとしますかの。

2012年1月30日月曜日

第240話 さおりも大きくなりました

先週綴った「廃墟の猫」は3話で締めくくったものの、
まだ何となく流れを引きずっている感じ。
何となれば、由紀さおりに振っちゃったからなァ。
彼女を素通りすることはできない。

「1969」かァ、しっかし素敵なコラボが生まれたものだ。
一世風靡と言い切っても過言ではないだろう。
つい先日、「さゆりは大きくなりました」(第227回参照)と題し、
石川さゆりにスポットライトを当ててみたが
どっこい、さおりも大きくなりました。
昨夜、NHKのBSプレミアム3で歌番組を観ていたら
二人一緒に登場して、ビックリしたなもう!

コラボのきっかけとなった「Taya tan」を
ピンク・マルティーニで聴きながらコレを書いている。
もともと由紀さおりは大好きな歌い手で
2年前だったか、由紀&安田姉妹のコンサートを
茨城県・牛久市まで聴きに行ったことがある。

デビューした当時のこともよく覚えている。
ただし、なぜか「夜明けのスキャット」はあまり好きではない。
スキャット自体に慣れなかったせいもあるが
何だか浮世離れしていて宇宙の果てとはいわないまでも
空飛ぶ機内で聴くしかないんじゃないの? てな印象だ。

彼女のデビュー翌年の1970年夏。
高校時代の仲間と一緒に伊豆七島の三宅島でキャンプをした。
ヒマに任せて1週間近く居たのではなかったかな。

ある日、砂浜で甲羅干しをしていると、
耳元のラジオから外人タレントの草分け的存在、
ロイ・ジェームスの低音が聴こえてきた。
「今週の第〇位、由紀さおりの『手紙』!」

♪   死んでもあなたと 暮らしていたいと
   今日までつとめた この私だけど
   二人で育てた 小鳥をにがし
   二人で書いた この絵燃やしましょう ♪
            (作詞:なかにし礼)


曲はいいし、詞はいいし、歌はうまいし、声もいい。
この日から、さおりが好きになりました。

せっかくだから例によってマイ・ベストスリー。

 ① 挽歌
 ② 手紙
 ③ タ・ヤ・タン
   次点 赤い星 青い星


①と②は僅差。
どちらも別れの歌、というか女が男に棄てられる歌だ。
①のほうがカラリとしており、やや救いがある。
イントロとインタールードがリズミカルにしてエキゾチック。
全体的にどことなくギリシャの民族音楽を連想させて哀愁が漂う。

「挽歌」はギリシャならぬトルコを旅しているときに繰り返し聴いた。
そう言やあ、50歳そこそこで没したロイ・ジェームスはトルコ系だ。
何だかまたハナシがつながりそうな予感がしてきたぞ。

2012年1月27日金曜日

第239話 廃虚の猫 (その3)

♪   人はだれも 悪いことを
   覚えすぎた この世界
   築き上げた 楽園(ユートピア)は
   こわれ去った もろくも
   誰も見えない 廃虚の空
   一羽の鳩が とんでる 真白い鳩が
   生きることの 喜びを
   今こそ知る 人はみな   ♪
           (作詞:山上路夫)


タイガースの「廃虚の鳩」。
加橋かつみがヴォーカルを担当していて
ここで歌われている廃虚は原爆ドームを指している。

おっと、広島ではなく東京は高田馬場の廃虚であった。
そこで鳩ならぬ猫に遭遇し、異物を見てたじろいだところだ。
J.C.をあとずさりさせたのは
忌まわしくも1匹のドブネズミの死骸であった。
それも相当デカいヤツ。
猫にしてみりゃ、獲物を見せびらかしているのであろう。
獺(かわうそ)が獲ったサカナをお供えのように陳列するさまを
獺祭(だっさい)と呼ぶが、まさしくこれは猫祭(びょうさい)だ。
いや、はや、それにしてもイヤなもの見ちまったぜ。

廃虚に立ち、四十有余年前に思いをめぐらせた。
Kはいかにしてこの場所を探り当てたのだろうか?
大学で出会った唯一の友人がKで、彼とはどこかウマが合った。
お互い高校時代にサッカーをしていたので
親近感が湧いたのかもしれない。
当然のように2人は大学の体育もサッカーを選択した。

ある日、体育の先生(助教授かな?)が
出席回数の足らない学生たちに奇抜な提案。
彼が率いるサッカー同好会、「稲穂キッカーズ」と試合をして
勝てば欠席の3回分、引き分けても1回分を
出席扱いにしてくれるという実に粋な計らいであった。

これにゃ燃えたネ、いや、張り切った。
何かを賭して闘うことは男の本能を刺激し、血潮をたぎらせる。
KもJ.C.も奮闘努力した結果、3-0 の大楽勝ときたもんだ。
大学に入ってから趣味で始めた同好会の連中を
サッカーとともに育ち盛りを過ごしたわれわれが
文字通り、軽く一蹴した次第である。

もっともこの翌月、過激派学生が校舎をロックアウト。
勝ち取った出席3回分は意味のないものになってしまった。
ノンポリのJ.C.にとってロックアウトはいい迷惑だったが
おかげでバイト、麻雀、ビリヤードに明け暮れる日々、
実によく稼ぎ、大いに遊んだものである。

あの頃、街に流れていたのはは辺見マリの「経験」。

♪   わかってても あなたに逢うと
   いやと言えない ダメなあたしネ
   だから今日まで だから今日こそ
   きらいにさせて 離れさせて   ♪
           (作詞:安井かずみ)


様々な経験をした1970年だが、それから間もなく、
最近、一躍脚光を浴びている由紀さおりの歌声を
八月の濡れた砂の上で聴くことになった。

=おしまい=

2012年1月26日木曜日

第238話 廃墟の猫 (その2)

1970年の初夏、大学の友人Kに誘われて
「早稲田松竹」裏のうらぶれたコリアンめし屋にいた。
初めて食べる料理の出来上がりを待っていたのだ。

ほどなく店のオモニがどんぶりを両手に現れた。
中をのぞくと白飯の上にスープがぶっかかっている。
Kによれば、クッパという食べものだそうだ。
コリア風スープ茶漬けというより、
味噌汁ぶっかけ飯というのが第一印象だった。

好みのタイプじゃないなァと思いつつも
一匙、二匙と食べ進み、そこそこに美味しくいただいて完食。
これがクッパとの初顔合わせであった。
満腹になり、映画や文学について熱く語り合ったっけ・・・。
ゴダールだ、アントニオーニだ、サルトルだ、カミユだ、
大江健三郎だと、話題は尽きることがない。
若かったんだねェ。

当時はまだ焼肉店が少なかった時代。
コリアンめし屋も初めての経験だったのである。
半島から来た食べもので口に入るのはキムチくらいのもの。
キムチじゃなくて朝鮮漬けという名前で呼ばれていたけどネ。

40年あまりの歳月が流れ、
ビビンパもチゲ鍋も冷麺も食べるようになった。
ただ、どちらかと言えば、
焼肉を含めてコリアン・キュイジーヌはあまり好まない。
全体に味付けが濃すぎて自分の舌にフィットしないのである。

2年ほど前だったか、飯田橋から神楽坂を経て
早稲田を抜け、高田馬場に向かう散歩の道すがら、
突如、脳裏をよぎったのはあの名もないコリアンめし屋だ。
店のあった辺りは今、どうなっているのだろう。
いったん思いつくと、気になって仕方がない。
「よっしゃ、探してやろうじゃないか!」―心に定めた。

この時点で店のあった場所を正確に思い出せたのではなかった。
手がかりは明治通りと早稲田通りがクロスする、
西早稲田の交差点からそれほど遠くない地点というだけである。
でも、それだけでじゅうぶんだった。
探し回ることホンの10分、すぐに目標は見つかった。

むろんのことに店はない。
ないが、跡形もないというのではなく、
建物は崩れかかりながらも何とか残っていた。
廃屋というか、むしろ廃墟はこういうのをいうのだろう。
誰が管理しているのか存ぜぬが、よくもまぁ、である。

ふと足元を見れば不気味なことに
廃墟には数匹の野良猫が巣食っているではないか。
近づいても逃げはしないが、警戒の視線は鋭いものがある。

「ゲッ!」―あまり物事に動じないJ.C.が
声を発して一歩あとずさりを余儀なくされた。

=つづく=

2012年1月25日水曜日

第237話 廃墟の猫 (その1)

先週、「週刊現代」をめくっていてハタと手が止まった。
手を止めたのは主に作家たちが入れ替わりで綴る、
「わが人生最高の10冊」という連載コラムである。
その回の担当者はは芥川賞作家の藤原智美サン。
女性みたいなお名前だがレッキとした男性だ。

彼が選んだベストテンには
「ティファニーで朝食を」で有名なカポーティの「冷血」、
「トロッコ」や「杜子春」を収めた芥川龍之介の短編集、
安部公房の「砂の女」などが並んでいた。
そう言えばこのほど芥川賞を受賞した田中慎弥サンは
嫌いな作家として芥川の名前を挙げていたっけ・・・。
会見では石原慎太郎知事に逆襲してもいた。
ハハハ、慎・慎対決だネ、こりゃ。

今、コレを書きながらトワ・エ・モワのアルバムを聴いている。
いや、神経はより書くほうに集中しているから
聴きながら書いているのだがネ。
ちょうど大好きな「愛の泉」が終わり、
ジェリー藤尾が歌った「遠くへ行きたい」に替わったところ。
気がつけば、このデュオの男性ヴォーカルも芥川クンだ。
まっ、どうでもいいことですけどネ。

ハナシを藤原サンの選んだ10冊に戻す。
第1位はポール・ニザンの「アデン アラビア」だった。
今回のサブタイトルは
「『アデン アラビア』から70年後に同じ舞台を追体験しました」。
講談社には無断で出だしを引用してみる。

「ぼくは二十歳だった。それがいちばん美しい歳だとは誰にも言わせない」
 という、『アデン アラビア』の冒頭の一節と出会ったのは中学3年のころ。
ある漫画誌に掲載されていた真崎守さんの漫画の、
やはり冒頭に引用されていたんです。
青春とは美しいものではなく、つらく苦しいものだという、
いわばアンチ青春のスローガンのようなこの一節が、
思春期の入り口にさしかかっていた僕の心をとらえた。
大げさに言えば、文学的なものに対する興味を芽生えさせてくれたんです。


ときは1970年初夏。
春に入学したものの、結局は数ヶ月しか居なかった大学に
J.C.が通い始めてまだ1~2ヶ月の頃だった。
友人のKと高田馬場方面へ歩いている途中、
彼に袖を引かれて1軒の書店に入った。
「オレ、この小説の書きだしが最高に好きなんだけど、どう思う?」―
そう言いながら彼が開いた1冊が「アデン アラビア」だった。

週刊誌をめくっていて手が止まるのも当然でしょう?
その後、何度か「アデン アラビア」の冒頭に遭遇したけれど、
此度の衝撃はことのほか強烈だった。
Kにしても藤原サンにしても思春期の若者が
この文章に出会って同じ思いにとらわれるのもうなずける。

書店をあとにした2人が文学論でも戦わせようと
晩めしを食いに入ったのは
「早稲田松竹」の裏あたりにあった名もないコリアンめし屋。
店名のない、文字通り名もないめし屋だ。
そのときKが強くすすめてきた一品は
まだ19年しか生きていない人生で
初めて食するものであった。

=つづく=

2012年1月24日火曜日

第236話 やっぱり観ちゃった大相撲 (その2)

大関・把瑠都にちなむ大相撲ネタは
一話完結のつもりだったが、ついつい引っ張ってしまった。
食べものに限らず、映画でもスポーツでも
好きな物事について書き始めると長くなっていけない。

そう、注文相撲のハナシであった。
くだんの12日目、稀勢の里戦だが
両者の仕切りの呼吸が合わず、把瑠都はフワ~ッと立った。
観ていて、おや、「待った」かな? と思ったほどである。
それが両手で頭を押さえ込んでのはたき込み。
意外と言えば意外な顛末であった。

それゆえの心ない”帰れコール”である。
でもネ、けたぐりだろうがはたき込みだろうが1勝は1勝、
勝ち星に色が付くわけではない。
エッ、白星には白い色がついてるってか?
やれやれ、白星も黒星もモノクロだからカラーじゃないのっ!

相撲から目を転じて、例えば野球。
テキサスリーガーズでもセーフティバントでもヒットはヒット。
サッカーにしてもPKだろうがオウンゴールだろうがゴールはゴールだ。
クリーンヒットやファインゴールはそうやすやすと生まれるわけではない。
カタチにこだわらず、勝負にこだわった把瑠都の精神こそ、
プロのスポーツマンとしてあるべき姿であろう。

優勝インタビューでアナウンサーに
「お母さんにはどう報告しますか?」と訊かれ、
「お母さん居ないと私もここに居ないんだから
 産んで(くれて)ありがとう!」と応答。
おっしゃる通りで、まったくよく笑わせてくれるよ。

そう、そう、奥さんの着物姿もよかったネ。
通常は金髪の外国婦人に着物は似合わないんだけどなァ。
控えめな色調もまことにけっこうでした。

振り返って日曜夜のNHK「サンデー・スポーツ」。
以前撮ったビデオながら記者とのやりとりが面白かった。
「出稽古には行かないんですか?」
「行きたいですねェ」
「エッ、例えば何部屋に行きますか?」
「え~と、徹子の部屋!」
兄弟子の受け売りだが、またまた笑わせてもらった。

千秋楽の結びは把瑠都全勝優勝への期待もあり、
懸賞幕の本数も相当なものがっあった。
グルグル回るのを見るともなしに見ていたら
最後の最後で目に飛び込んできたのが
森永ミルクキャラメルとイチヂク浣腸の垂れ幕。
瞬間、昭和の匂いが土俵に立ちのぼったようでうれしかった。
あゝ、相撲ってやっぱりいいナ、そう思ったことでした。

思い出すのは数年前。
キャラメルを久々になめてみたら昔と微妙に味が異なっている。
使用する油脂の違いのせいだな、これは―。
一方、イチヂクには子どものとき以来、トンとご無沙汰だ。
”イチ浣チャン”には申し訳ないが
もう死ぬまでお世話にならないつもりでおります。

2012年1月23日月曜日

第235話 やっぱり観ちゃった大相撲 (その1)

大相撲には決別したつもりでいた。
八百長問題に対する日本相撲協会の不明朗にして
公平さを欠く終止符の打ち方に業を煮やしたからだ。
ところが根っからのスポーツ好きをどうにも抑えきれず、
結局は薬局、毎夕ではないにせよ、
ヒマを持て余すとちゃっかりTVの前に座り、
合わせるチャンネルはNHK総合ときたもんだ。

それにしても去年は散々だった。
ひいきにしていた桐山部屋は
朝日山部屋に吸収合併されちゃうし、
唯一の関取だった前頭・徳瀬川は廃業させられ、
ふるさとのモンゴルに帰ってしまった。
何でも中古自動車関連の仕事をしているらしい。

そんなこんなでずっと気乗りもせずに取組を観ていたところ、
琴奨菊、稀勢の里と国産の大関が立て続けに生まれ、
頃合いよく年も明け、ここは心機一転とばかり、
気を入れ直して初場所を見守っていた。

するとうれしいことに応援する把瑠都が初優勝してくれた。
さすがに横綱には全勝優勝を阻止されたけどネ。
今、幕の内でひいきにしているのはこのエストニアン力士だ。
なあ~んも考えない(実際は考えてるのだろうが)能天気なところが
何よりも気に入っている。

あのつぶらな垂れマナコを見ると、
「0011 ナポレオン・ソロ」のロバート・ヴォーンを思い出す。
愛嬌があって茶目っ気すらあって
憎めない性格の持ち主は今まで角界にいなかったタイプだ。
いつぞやはインタビューで
「私も人間ですから・・・・」―これには笑った。
どこで覚えてきたのか知らんが言うにこと欠いてまぁ。

今場所は12日目の二番の注文相撲がすべてであった。
ベア(雄熊)がブル(雄牛)をはたき込んだ把瑠都ー稀勢の里戦。
闘牛士が猛牛をかわして送り出した日馬富士ー白鵬戦。
優勝の行方を決定づけたこの二番に尽きる。
ただ、把瑠都に対する観客の”帰れコール”はないだろう。
今や日本人の期待の星となった国産車・稀勢の里が
ひっくり返されるのを見て
怒りのおさまらないファンの気持ちも判らぬではないが
あれは稀勢の里が無謀にしてバカ正直に過ぎるのだ。

ああいう一番のあとでは必ず解説者が苦言を呈するのが常。
でもネ、その文句はもう耳タコ、いい加減にしてもらいたい。
奇襲は反則に非ず、ルールに則った正しい戦法ではないか。
解説者諸君よ、もしも不満ならば
キミたちの手でルールを改正したらいかがかな?
相手力士とぶつかるまでは、”立会い変化禁止令”とかネ。
過去には立会いにけたぐりをカマした横綱すらいたっけ・・・。
アレはトンデモない生き物であった、ちと懐かしい。

注文相撲に関しては
昨夜のNHK「サンデー・スポーツ」に
生出演した把瑠都自身も語っていた。
「いろいろ言われても勝つのが一番」―
おう、そうとも、その通りだぜ。
勝つと負けるは大違い、それが勝負の世界じゃないか。
把瑠都よ、アンタは正しい。

=つづく=

2012年1月20日金曜日

第234話 河豚をも超える鮍刺し

鮍とはなんぞや?
魚偏に皮と書くのだからサカナであることは想像がつく。
そう、察しのよい読者であれば、もうお判りですネ。
エッ、まだお判りにならない?
それではヒントを差し上げましょう。
鮍は皮剥とも書きます。
ハイ、読んで字の如し、カワハギですがな。

実はJ.C.、このカワハギくんには目がありません。
ここ10年はまぐろをよく食べるようになったものの、
それまでは鮨屋に行っても白身一辺倒。
平目や鰈類のように繊細な白身魚が好物で
真鯛・こち・すずき・おこぜ・はた・あいなめ・ほうぼう、
これらのサカナはみんな好き。
中でも鮍は最良の白身の持ち主なんざんす。
逆に好まないのは、かんぱち・ぶり・平政・むつの類い。
その境に居るのが縞鯵で
許容できる脂の限界点がこのサカナなのである。

この時期、刺身の王者は虎河豚かもしれない。
さすがに河豚は旨い、旨いが途中で飽きてくるのも事実。
ポン酢に飽きるのかしら・・・と、
わさび醤油でやったが、まるでピンとこなかった。

よって河豚より鮍に魅力を感じている。
一つには肝の存在がとても大きく、
河豚の場合は命がけで食うところを
鮍ならば超安心、いや安心どころか
この肝の旨さたるや身肉に勝るとも劣らない。

殊に冬場に第二の旬を迎えると、
肝が肥大化してマニアの舌をうならせる。
まあ、そのぶん身が痩せるから
肝に関心のない向きは秋口のほうがより楽しめよう。

最近知ったことだがこの鮍、
海の嫌われ者の越前水母(エチゼンクラゲ)を集団で襲い、
捕食する様子が観察されたそうだ。
でもって嫌われ者の駆除対策における期待の星となった。
だがネ、いわしや秋刀魚みたいに大量水揚げされるサカナと違い、
こんな高級魚におめおめとクラゲ退治をさせるほど、
のんきな漁師はおらんやろ。
まったくもって学者の考えることは机上の空論ばかりなりけり。

だいぶ以前、真冬に愛媛県・松山市を訪れたことがある。
この街では鮍がことのほか珍重され、
市民は親しみをこめて単にハギと呼ぶ。

盛り場の二番町にある「創作料理 川原」で食べた、
肝付きのハギ刺しの旨かったこと。
あこう鯛の煮付けや季節はずれの松茸炭火焼などもやったが
ハギ刺しは際立っていた。
追い討ちをかけたハギのアラの潮汁もまことにけっこうだった。

松山訪問の数日前、
人形町「吉星」で虎河豚のフルコースを奢ってはみたものの、
満足度は「川原」のほうが数段高い。
オマケに支払いが半額ときては何も言うことはない。
鮍の河豚超えは紛れもない事実として認証されてしかるべし。

もしもデパ地下あたりで鮍の姿を目にすることがあったなら
Try it !
You will like it !!

「創作料理 川原」
 愛媛県松山市二番町1-5-1
 089-913-7300

2012年1月19日木曜日

第233話 バッテラとベッタラ (その3)

渋谷区・幡ヶ谷の「魚貞」で
刺盛りを肴に生ビールを楽しんでいる。
あっさりめのぶりは佐渡の産。
やがらは薄造り、青柳はヒモ付きであった。

入念に吟味して久々に出会ったベッタラ漬と
小鍋仕立てのねぎま鍋を所望する。
町の料理屋ではちょくちょく「~~鍋二人前より」なんて
洒落た文句に出会うけれど、フン、糞食らえ!である。
ふぐちりでもすき焼きでもちゃんこでも鍋専門店ならいざ知らず、
居酒屋でそんな科白に出食わすのは不快極まりない。

おっと、今日はベッタラであった。
日本橋大伝馬町の宝田恵比寿神社界隈では
毎年10月19、20日の両日にべったら市が開かれ、
下町の秋の風物詩となっている。
くだんのベッタラをポリポリやると、
甘みがフンワリと口の中に拡がった。

ねぎまは鉄鍋で来た。

まぐろタップリのねぎま小鍋

焼き豆腐としいたけも入ってゴージャスなれど、
ねぎま鍋らしく、もっと長ねぎが欲しい。

ここで待望のバッテラである。

正方形が8ピース

普通は長方形が6切れで来るが
これはいわゆるキュービック・カットだな。

何も付けずにパクリと1つ。
むむっ、ふむ、ふむ、ふが、ふが、ごっくん!
う~む、悪かあないけど、酢めしにパンチがない。
鯖本体にも酢が足りんなァ。
白板昆布にもうちょい甘味があったほうがいい。
やはり餅は餅屋、鮨は鮨屋である。

2つ目の前にベッタラをもう1切れ。
このとき突然、記憶が28年前にさかのぼった。
あれは赴任先のシンガポールでの出来事。
自宅にクライアントを招いた日のことだ。

ラッキープラザにあった「鮨 野川」に赴いたのは
夕方の5時頃だったろうか。
店番をしていた通称・三太郎にバッテラを2本調整してもらう。
三太郎は中国本土の出身。
数年前、香港まで泳いで密入国したツワモノだ。
祖師谷大蔵の「鮨 青柳」で修業しており、
江戸前シゴトもきっちりこなす。

作らせている間はリカーショップでワインを調達した。
出来上がったバッテラをピックアップして帰宅。
ほどなく来宅したクライアントと晩餐が始まった。
大いに盛上がり、締めはくだんのバッテラだ。
おもむろに「鮨 野川」の折箱を開く。
「アッ!」―思わず声がもれた。
箱の中身はバッテラに非ず、何と2本のベッタラであった。

バッテラよ、ベッタラのために詰めて詰めて

時を超えて会いまみえた両雄、せっかくだからとカメラに収めた。

=おしまい=

「魚貞」
 東京都渋谷区幡ヶ谷2-8-13
 03-3374-3305

2012年1月18日水曜日

第232話 バッテラとベッタラ (その2)

京王線・幡ヶ谷駅にほど近い「魚貞」のことは
以来、ずっと気になっていた。
ときおりデジカメに収めたメニューの写真を眺めながら
訪問の際は何を食べようかと思い描いたりもしていた。

昨日のブログに貼り付けたメニューをいま1度吟味してみよう。
初っ端の上三点盛り(赤貝・はた・まごち)が何ともよい。
すべて好物だからこれだけでも入店の価値大いにアリノスケ。
板長のセンスのよさがうかがい知れる。
もしもこれが(帆立・ぶり・まぐろ)と凡庸なトリオであったなら
鼻も掛けずに素通りの巻であろうよ。

はたかぶと酒蒸し、あらの一夜干し、この2品にも惹かれた。
白子の天ぷら、鯨の立田揚げもけっこうじゃないですか。
バッテラがあるかと思えば、ベッタラもあるぞ。
バッテラについては昨日詳述した。
ベッタラ漬に限らず、たくあん系はワリと好きで
奈良漬や千枚漬なんぞもときどき食べたくなる。

でもネ、残念ながらこういう漬物類は個食に合わない。
だいたい漬物の全盛期はメシはあれどもオカズが少ない、
むか~しの大家族が支えたんではないのかな。
今の世の中、どこで買っても分量が多過ぎて独りじゃ持て余す。
かといってコンビニなんかじゃ買う気になれないしネ。
よって食堂や割烹で見掛けると思わず手が出てしまう。
食べる機会に恵まれないから身体が渇望しているのであろう。

そうしてこうして「魚貞」を訪れたのは撮影日から数えて16日後。
すると、おう、おう、ありました、ありました、
見覚えのあるメニューボードが!
♪ 見覚えのある レインコート
   たそがれの駅で 胸がふるえた ♪

ならぬ、
♪ 見覚えのある メニューボード
   たそがれの店で よだれあふれた ♪

であった。

この日は店内に入るのだから
寒空の下で品書きを吟味する必要はない。
したがって写真は撮っていない。
ていうかぁ~、見もしませんでした。

ところが生ビールを注文してわれに返り愕然。
何とくだんの三点盛りが
(青柳・ぶり・やがら)と大変身を遂げていた。
それはないぜ、セニョール!

が、入店しちまったもんは仕方あるまい。
でもって頼みましたよ、三点盛りを。

ヤガラは好きだからまっ、いいか

ぶりも脂のシツコいヤツでなかったのが救いだ。
生中のお替わりをお願いして、料理の見繕いに専念する。
さあて、どれ、どれ・・・。

=つづく=

2012年1月17日火曜日

第231話 バッテラとベッタラ (その1)

いつの頃からか、ひかりモノが好きになった。
自分で金を稼ぐようになり、
鮨屋に出入りし始めてからだから
欧州放浪の旅を終えて帰国した1975年以降であろう。

子どもの頃は自分にあてがわれた鮨桶の中に
小肌を見つけると鳥肌が立つほど忌み嫌った。
母親の玉子と自分の小肌をいつも交換していたっけ・・・。
それが何の因果か、ひかりモノ大好き人間になっちまうのだから
人生、その軌跡の一寸先は
闇であろうと光だろうと、凡人の知り及ぶところではない。
たまたまJ.C.の前には”ひかり”が待ち受けていただけである。
上手いネ、どうも!
ハハハ、自画自賛してしまった。
ごめんネ、ゴメンね!

次なることは過去において何度も書いてきたし、
しゃべくってもきたので読者や知人の中には
「何だ、またかヨ!」とおっしゃる向きもおられよう。
目には目ダコ、耳には耳ダコの方には少々我慢をいただいて
ハナシは浅草・馬道の「弁天山美家古寿司」に飛ぶ。

初訪問は忘れもしない1978年。
ちょうど隅田川の花火が復活した年だ。
初めて口にする今は亡き四代目のにぎった小肌に鳥肌が立った。
同じ鳥肌でも子どものときの鳥肌とはまるで意味が違う。
あれが負の鳥肌なら、こちらは正の鳥肌である。
以降、「美家古寿司」に通うことたびたび、
平目昆布〆・小肌・穴子がマイ御三家となった。
これは35年を経た現在も変わらない。

ヨソの鮨屋でも真っ先に訊ねるのはひかりモノの取り揃え。
小肌に限らず、あじ・きす・春子・さより・いわし・秋刀魚、
果ては、にしん・えぼ鯛・ままかりにいたるまで
酢〆であらば何でも好きだ。

ただし、鯖だけは二の足を踏むこともしばしば。
このサカナ、ヤケに脂が強いことが多々あり、
脂ヤケでもしようものなら、箸にも棒にも掛からない。
何せ、英文の魚図鑑には
indigestible fish = 消化不良を起こしやすい魚
とあったもんネ、くわばら、くわばら・・・。

したがって〆鯖はパスすることのほうが多い。
ところがギッチョン、バッテラだけは別物なのだ。
アレは鯖本体と酢めしのバランスがよく、
仲を取り持つ白板昆布、通称・バッテラ昆布がよい風味を醸す。
これが上等にしてぜいたくな鯖棒寿司になってしまうと、
鯖の量が多過ぎてシツッコくなり、好みではなくなる。

とある夕まぐれ。
散歩がてらに幡ヶ谷・笹塚方面で食いもの屋を物色していた。
そして、とある料理屋の店先の品書きに目がとまった。

心惹かれる一品多し

簡素な店構えにも好感

ほう、バッテラがあるではないの。
ちょいと1杯引っ掛けたいが
当夜は笹塚の「常盤食堂」で取材をしなければ・・・。
相棒との待合わせ時間が迫っていることでもあるし、
うしろ髪を引かれつつ、品書きをカメラに収めるだけにした。

=つづく=

2012年1月16日月曜日

第230話 やっぱりヒイキの引き倒し (その2)

目黒区・目黒の「メッシタ」に来ている。
壁に書き出されたメニューの内容は多種多彩である。
小皿料理が少なくなく、1皿500円くらいから用意されている。
これなら少人数でもいろいろ試せてよろしい。

ワインは好きな北イタリアものが揃っており、好感度大。
カヴァロット・ギリニョリーノ ’09年が5250円。
プロデュットーリ・デル・バルバレスコ ’06年は8900円。
市価の2.5倍ほどの値付けでこの手の店としてはやや高めかな。
当夜の相方はほとんど下戸につき、グラスワインでお茶を濁した。
バルベーラ・ダスティ レ・フォルミケ ’10年を
何杯か飲んだが値段は不明。

注文した料理はかくの如しである。

 白インゲン豆のスープ煮 500円 
 セルウ゛ァティコのサラダ 500円
 にんじんのバター煮 690円 
 アーティチョークの玉子焼き 890円
 うさぎのフリット 1500円
 スパゲッティ・ボロネーゼ・ビアンコ 980円


白インゲンがいかにも牧歌的トスカーナ風。
セルヴァティコはルッコラの野生種のことだ。
ローマの冬の風物詩、プンタレッレのサラダを期待したが
ちょいと時期が早かったようだ。

にんじんのバター煮はイタリア人よりフランス人が好みそう。
好物だからあればお願いする一皿だがネ。
アーティチョーク(朝鮮アザミ)の玉子焼きは店の名物。
まあ、あんまり変哲はないけれど・・・。

うさぎはブツ切りにしちゃうと個性がボヤけ、
見た目も味もチキンとの区別がつきにくくなる。
やはり丸ごとローストに越したことはない。
トマトの赤を排したボロネーゼ・ビアンコ(白色仕立て)も
悪くないが個人的には定番のほうが好きだ。

あらためて店内を見渡すとテーブル席は皆無。
オープンキッチンに面した客以外は鼻っ面にガラス窓か壁だ。
目の前の窓はよくとも壁っってのはちょいとねェ。
まっ、狭い店なので文句は言えないか。

それはそれとして肝心の料理である。
いずれも水準に達してはいるが何皿かは自分でも作れそう。
したがって住まいや職場のそばにあったら重宝するが
あえて遠征・長征はおすすめしない。
近所に住むジモティのリピーターが口コミと書きコミで
盛んに喧伝した結果、かなりの高評価につながったものらしい。

結論を急げば過大評価と断じるほかはない。
やっぱりヒイキの引き倒しであった。
ただし、うら若き女性シェフは本当に一所懸命。
カンジがよく性格もよさそうだから日々進化してゆくのだろう。
これからが楽しみな1軒ではありましょう。

「メッシタ」
 東京都目黒区目黒4-12-13
 03-3719-8279

2012年1月13日金曜日

第229話 やっぱりヒイキの引き倒し (その1)

旨い!美味しい!素晴らしい!
評判を聞きつけて遠路はるばる出掛けてみると、
悪くはなくとも存外だったりすることってけっこうありませんか?
わが身を振り返ると、しょっちゅうなんだなこれが!
イヤになっちゃう。

映画なんかにもこういうケースがちょくちょくある。
「絶対に面白いから観て、観て!」―
例えば歳の離れた女性にこう言われて実際に観てみると、
あにはからんや、強烈な肩透かしを食らうことが多い。
あながちこちらが歳を取りすぎたせいばかりではあるまい。

小説もまさしくそうだ。
日頃から映画はともかく小説のケースは
絶対、口車に乗らないように心がけている。
さんざん今まで苦い経験をさせられてるからネ。

さて、秋刀魚で有名な目黒。
駅から徒歩15分ほどの距離に
すんばらしいイタリア家庭料理を供する店があるという。
小体な店で席数が限られていることもあり、
なかなか予約が取れないそうだ。

電話を掛けてもいつも話し中のところは
行かないことにしている。
どうしても行きたいというヤツにつき合うときは
ソイツに予約を取ってもらっている。
それが世の、人の、道理というものであろうよ。

このときは一発で電話がつながった。
地番は目黒4丁目で
バスで行くなら最寄りの停留所は旧競馬場。
そう、1933年まではここに競馬場があったのだ。
その名残りが中央競馬・重賞レースの目黒記念である。

15分くらい”ヘ”でもないからトコトコと歩いていった。
以前、世話になった出版社の編集者を引き連れて―。
フフフ、比較的安価な店だから大した出費にはならんしネ。

旧競馬場のちょいと先に油面なるエリアがあり、
かつてそこの商店街に「巴仙」という日本そば屋があった。
場所が場所につき、通ったというほどではないけれど、
たびたび出向いて行った。
大好きなそば屋であったなァ、旨かったなァ。

釣ってきたんじゃなかろうが
水槽に泳いでる稚ハゼを天ぷらに揚げてくれ、
ソイツでやる冷たいビールは堪らんかった。
もちろん、そば自体もグンバツであった。
オヤジさんが病気でもしたんだろうか、
ある日突然、暖簾をたたんでしまった。
J.C.も驚いたけれど、トワ・エ・モワもビックリしたであろうよ。
エッ、何のこっちゃい? ってか?
ハハハ、「或る日突然」つながりでんがな。

そうしてこうして到着しました、
「メッシタ」なるジェノヴァの裏町のバールみたいな店に。
ビールはハートランドの小瓶。
キリンの製品ではこれが一番好きだから一安心だ。
グラスを合わせ、壁の品書きを見上げる二人であった。

=つづく=

2012年1月12日木曜日

第228話 あゝ あの顔で あの声で

 ♪  あゝあの顔で あの声で
   手柄たのむと 妻や子が
   ちぎれる程に 振った旗
   遠い雲間に また浮かぶ ♪
       (作詞:野村俊夫)

あゝ、とうとう当ブログにも軍靴の響きが聞こえてきた。
初登場の軍歌は1940年に封切られた松竹映画、
「暁に祈る」の主題歌である。
厳密に言うと、この曲は軍歌ではなく戦時歌謡なのだそうだ。

おっと、今日は軍歌ではなく中三トリオであった。
百恵・淳子・昌子、
あの顔が、あの声が、懐かしくて悪ノリしてしまった。
デビュー当時は海外に居たので知らないが
1975年に帰国すると時世は彼女たちの全盛時代。
映画「花の高2トリオ・初恋時代」で初めて3人が共演している。

3人の寸評を試みる。
百恵は稀代のイメージメーカー。
「青い性」は周りが作り上げたものだが
彼女の特性を見事にとらえた極めつきの売り出し路線だ。
願わくば、結婚を機に友和サンが引退してほしかった。

歌い手よりも役者としての淳子が好き。
「8時だョ!全員集合」で志村ケンと演じたコント、
西瓜のハンドバッグは大いに笑った。
「ニューヨーク恋物語」の相川里美役も忘れられない。
あの頃のニューヨークは里美みたいな日本娘であふれてたっけ。

歌唱力では昌子が断トツ。
上手すぎて個性に欠けるうらみがあるが上手いものは上手い。
同じく超人的な歌唱力を持ちながら
個性の点で真逆にいたのが、ちあきなおみであろう。
願わくば、結婚を機に進一サンが引退してほしかった。

それでは3人の歌唱のマイ・ベストスリー。

山口百恵
 ① 横須賀ストーリー
 ② パールカラーにゆれて
 ③ 秋桜
  次点 いい日旅立ち
イメージにピッタリの①は横須賀育ちの本領発揮。
熱いミルクティーで胸まで焼けちゃうものなァ。
阿木&竜童が初めて手がけたナンバーでもある。
インタールードがすばらしい②は編曲の勝利だ。

桜田淳子
 ① しあわせ芝居
 ② ねえ!気がついてよ
 ③ わたしの青い鳥
  次点 夏にご用心
①は数少ないマイナーコードの曲、ぶっち切りでマイ・ベスト。
さすがは中島みゆき姐さんである。
ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」を連想させる②が軽やか。

森昌子
 ① 哀しみ本線 日本海
 ② おかあさん
 ③ 立待岬
  次点 あの人の船 行っちゃった
さゆりの「津軽海峡・冬景色」よりも好きな①。
演歌群の中にあって上位にランクの②は
♪ 泣き虫だったわ~♪ で跳ね上がるところがイノチ。
今まで泣かされ通しの女が③で初めて決意もあらた、
岬に凛と立上がった姿が目に浮かぶ。

オジさんにはキャンディーズよりピンクレディーより、
中三トリオが懐かしいんだヨ。

2012年1月11日水曜日

第227話 さゆりは大きくなりました

♪    夜明け間近 北の海は 波も荒く
   心細い 旅の女 泣かせるよう
   ほつれ髪を 指に巻いて 溜息つき
   通り過ぎる 景色ばかり 見つめていた
   十九なかばの 恋知らず
   十九なかばで 恋を知り
   

        あなた あなたたずねて 行く先は
   夏から秋への 能登半島     ♪
            (作詞:阿久悠)


今日はだしぬけに演歌。
1977年にリリースされた石川さゆりの「能登半島」です。

去年の暮れにNHKのBSプレミアムで
「ショータイム」という番組を初めて観た。
4人の進行役が毎週土曜日、
持ち回りで内外のアーティストを紹介するものだ。
およそ月にいっぺん、進行役に順番が回る計算になる。
その日は武田鉄也が石川さゆりをクローズアップ。
半年前にに放映された番組の再放送だった。

石川さゆりは1958年、熊本県生まれ。
熊本は女性歌手を豊富に産出しており、
水前寺清子・八代亜紀・原田悠里など大物揃い。
その中でもさゆりが第一人者であることは論を俟たない。

だが、そんな彼女もデビュー当時は不遇をかこっていた。
当時は花の中三トリオが
飛ぶ鳥を何羽も撃ち落としていたのだから仕方がない。
デビュー曲の「かくれんぼ」なんか、
森昌子の「せんせい」と比べたら
ずいぶん見劣り、いや、聴き劣りするものなァ。

でも、トリオがそれぞれユニークな結婚生活に入り、
引退や活動の制限をしているあいだ、
カメがウサギたちに追いつき、追い越した。
阿久悠・三木たかしのゴールデンコンビをもってしても
すぐにヒットは生まれなかったが彼らの3作目、
「津軽海峡・冬景色」で大ブレイク、辛苦が報われた。
自身も結婚・出産・離婚を経て今は独身。
事業のトラブルなんぞも経験したが見事に乗り越えている。

彼女のナンバー中、マイ・ベストスリーは

① 能登半島
② 風の盆 恋歌
③ 暖流

  次点 鴎という名の酒場

いきなり歌詞を貼り付けるくらいだから「能登半島」は大好き。
出だしの突き抜け感が何とも耳に心地よい。
詞も卓抜で殊に赤字部分には拍手を送りたい。

今あらためて聴き直してハッとした。
「能登半島」は吉幾三の「雪国」や「海峡」に
多大な影響を与えたのではないかと―。

去年の「紅白」では紅組のトリをつとめ、
本当にさゆりは大きくなりました。
彼女の本名は石川絹代。
名付けた父さんか母さん(爺さんか婆さんかも?)が
きっと田中絹代の大ファンだったんだろうネ。

ものにはついでということがある。
明日は花の中三トリオに筆先を振ってみたい。

2012年1月10日火曜日

第226話 つむぎうどんと伊達焼そば

ずう~っと昔からの習慣で昼めしを食べたあとは
間食はもとより、間飲すらしない。
なぜか?
晩酌のビールが美味しくなくなるからだ。

それが最近は昼めし自体が軽いもの中心になった。
麺・パン系がほとんどで米飯はずいぶん減っている。
とんかつ定食なんて文字通り、トンとご無沙汰、
せいぜい親子丼とか焼き魚定食とかだ。
なぜか?
晩めしが不味くなっちゃうからネ。

歳のせいで食べる絶対量が減少していることもあろう。
焼き魚や煮魚の定食を注文する際も
「ごはん、少なめで!」―必ず言い添える。
当然、自宅でも米の消費量は減り、麺・パンのそれは増えた。

友人・知人からパンをもらうことはまれだが
麺はちょくちょく頂戴する。
今日は最近のいただきもので気に入ったのを2品紹介したい。

最初は埼玉県・栗橋にある「つむぎや」の新麦つむぎうどん。
あまり知られていないが
埼玉県はうどん用小麦の全国有数の生産地だという。

「つむぎや」のHPによれば、
讃岐の人は讃岐うどんを飲み込むように楽しむが
埼玉の人はつむぎうどんをよく噛んで味わうそうだ。
何だか日本人はロングパスタの喉越しを
イタリア人は噛みしめ感を愛でるのに似ている。

自分で化調無添加のつゆを作り、冷たいのをツルツル。
ほう、独特のモチモチ感が印象的だ。
小麦使用の麺にはこのように歯を押し返してもらいたい。
味も香りもコムギチックでなかなかのものだ。

お次は宮城県・登米市の「マルニ食品」による伊達焼そば。
以前、麦つるりを紹介したメーカーだ(第70回参照)。
あれは夏場に食べるととてもよかった。

伊達焼そばは、よお~く焼いて(炒めて)、
ラードの旨みが効いたソースをからめ、
白髪ねぎを散らして食べるのがオススメと聞いた。
それに従うと、市販品とはひと味違う逸品であった。
真っ当なお好み焼き屋の鉄板焼きそばの風味がある。
歯ごたえじゅうぶんのコシは快感を呼ぶ。

後日、白髪ねぎの代わりに黄ニラと炒めると、これまたけっこう。
再び後日、桜海老と香菜(シャンツァイ)でやったら、またまたイケた。
カップラーメンはともかくも
カップ焼きそばでこの味はまず出せまい。

つむぎうどんと伊達焼そば

送ってくれた友人に感謝である。

「つむぎや」
 埼玉県久喜市栗橋中央1-17-1
 0120-888-555

「マルニ食品株式会社」
 宮城県登米市南片町鴻ノ木123-1
 0120-58-2201

2012年1月9日月曜日

第225話 エルヴィス・オン・スクリーン (その2)

去年の11月から12月にかけて3本観た、
エルヴィス映画の2本目は「ブルー・ハワイ」。
1961年の作品である。
ハワイが舞台のラヴ・コメディで他愛ないことこのうえなく、
映画のデキもけしてよくないが
ハワイアン・ソングのオンパレードはエルヴィス・マニアならずとも
音楽ファンなら十二分に楽しめるハズだ。

タイトル曲の「ブルー・ハワイ」や「ロカ・フラ・ベイビー」は
日本でもそこそこヒットした。
ビング・クロスビーとアンディ・ウイリアムスが歌い、
すでにスタンダードになっていた「ハワイの結婚の歌」も
挿入されており、リバイバル・ヒットとなった。

観ていていちばん驚いたのが
エルヴィスの母親役のアンジェラ・ランズベリー。
アニメのベティちゃんみたいなデッカい目のこの顔、
どこかで見たんだがなァ・・・と思っていたら
アガサ・クリスティ原作の「クリスタル殺人事件」で
ミス・マープルを演じたイギリス女優だった。
「ナイル殺人事件」でも女流作家役で出てたっけ。

映画「ブルー・ハワイ」が日本のミュージック・フィルムに
多大な影響を与えた点も見逃せない。
加山雄三の若大将シリーズなど随所にその匂いがする。
シリーズが始まったのは奇しくも同じ1961年、
因縁を感じずにはいられない。

3本目は「ラスベガス万才」。
1964年の作品ながら没後30周年を記念した、
メモリアル・エディションで、原題は「Love in Las Vegas」。
現在とはまったく異なる、失われしラスヴェガスが映っている。
タイトル曲の「ビバ・ラスベガス」がすばらしく、
映画自体のデキも彼の作品中、
3本の指に、いやいや、ベストかもしれない。

共演のアン・マーグレット抜きには語れない映画で
歌って踊れる彼女の存在感は
ほかの作品の相手役とは比べるべくもない。
歌はそれほどではないものの、踊りはプロダンサー顔負けだ。
美貌とプロポーションにも恵まれたマーグレットだったが
なぜか大成しなかった。
清純さに欠けるところがあって、そこが災いしたのだろう。
ジャック・ニコルソンと共演した「愛の狩人」には
その辺りのしどけなさが如実に表れている。

浅田真央が採用したリストの「愛の夢」が原曲の挿入歌、
「Today,Tomorrow and Forever」がなかなか聴かせる。
ただし、邦題の「恋の讃歌」ってのは何だかなァ。
もっとも「今日も あしたも 永遠に」じゃ、間が抜けてるか。

エルヴィスが亡くなった1977年8月16日はよく覚えている。
バイト先の仲間と4人で麻雀旅行に出掛けており、
伊豆七島は神津島の民宿で
昼めしを食っていたらラジオのニュースが流れた。
その衝撃は射殺されたジョン・レノンのときとまったく同じ。
一同、箸をとめて互いの顔を見つめ合ったものだった。
あれから35年、あのときの連中はどうしているのだろう。

2012年1月6日金曜日

第224話 エルヴィス・オン・スクリーン (その1)

最近、トンと映画館に行かなくなった。
億劫なのである。
メンド臭いのである。
よしんば出掛けてもシリーズ物ばかりで
あれじゃ第1作を観てなきゃワケ判らんと思うから
おっとり刀で途中乗車する気になんかなれやしない。

そんなこってもっぱらTSUTAYAの宅配レンタルに頼っている。
月ぎめで毎月8枚ずつDVDが送られてくるヤツね。
おかげであらゆるジャンルの作品の鑑賞ときたもんだ。
ここ1~2ヶ月の間に
エルヴィス・プレスリーの主演作を3本立て続けに観た。

まず「エルヴィス・オン・ステージ スペシャル・エディション」。
42年前の1970年、ラスヴェガスはインターナショナルホテルでの
ライブ公演を中心に据えたドキュメンタリー映画、
「エルビス・オン・ステージ」の公開30年を記念して
フィルムを修復、再編集したニュー・ヴァージョンである。

観終わっての第一感。
エルヴィスにはやはりライヴがよく似合う。
比べるのもなんだけれどこの4年前、
武道館でビートルズの第1回公演を生で見たが
ステージの完成度ははるかにエルヴィスのほうが上である。

エルヴィスにとって成功の恩人でもあり、
同時に寄生虫とまで酷評された彼のマネージャー、
パーカー大佐がパラマウントと
長期に渡る映画出演契約を結んでしまい、
そのせいでずっとライヴ公演を封じられていた鬱憤を晴らすに
じゅうぶんなステージであり、映像となっている。

それにしてもパーカー大佐は相当に胡散臭い人物だった。
見かけは単なるデブで、出生はよく判っていない。
オランダ出身らしいが無国籍者としてアメリカに入国し、
国籍取得のために軍隊入りしたというのがもっぱらの噂だ。
ヘプバーンの「暗くなるまで待って」や
マックイーンの「華麗なる賭け」に出演した名脇役、
ジャック・ウェストンによく似た風貌をしている。

肝心のステージ映像だが
ベストソングは「サスピシャス・マインド」であろうよ。
バック・コーラスの黒人女性とのからみも含めて
活き活きとした歌いっぷりが観客をノリにノラせる。
映画を観ている者にも
臨場感がモロに伝わってきて実に楽しい。

「この胸のときめきを」、「愛さずにはいられない」、
「明日に架ける橋」など、
他シンガーのヒット曲も存分にカバーして、
なおかつエルヴィス独自の世界に誘う名歌唱は
数限りないアーティストに大きな影響を与えた。

必見のミュージック・フィルムの前には
ビートルズもマイケル・ジャクソンもまるでかすんじゃうもの。
エッ、かすむのはオメエの老眼のせいだ! ってか?
ほっとけや!

=つづく=

2012年1月5日木曜日

第223話 めったに入らぬ甘味処

甘いものが嫌いというわけではないが
めったに口にすることはない。
フレンチやイタリアンに行ってもほとんどの場合、
デセールとドルチェはパスしている。

ハナから組み込まれているコース料理でも
パスの姿勢は変わらないから実にもったいないハナシだ。
でも大抵は相方が2人前食べるからいいのだけれど・・・。
気の利いた店だとデザート代わりにチーズを出してくれ、
これはまことにありがたい。
世の店主さんよ、この厚意を見習ってくれ給へ。

今日(だったかな?)発売の月刊誌「CIRCUS」2月号。
このミッションで菓子に携わることになった。
編集者・O野サンのご依頼は
「文豪の愛したお菓子」を何品か紹介してほしいとのこと。
漱石・清張・池波など、5人・5品を取り上げた。
ご興味がおありの方はお近くの書店へどうぞ。
68~69頁の見開きです。

永井荷風の稿では浅草「梅園」の粟ぜんざいを紹介した。
久しく味わっていなかった粟ぜんざい。
最後に食べたのは10年以上前の神田「竹むら」だった。
戦災を免れた旧神田連雀町に
鮟鱇鍋「いせ源」、鳥鍋「ぼたん」とともに
今も営業を続ける老舗である。

「梅園」で少々味気ないのは前売り食券システム。
明るいうちは参拝客でごった返す場所柄では
これも致し方ないのだろう。

でもって、久しぶりに粟ぜんざいを食べた。
実際は粟ではなく餅きびを使用しているため、
つき立ての餅のようにノビること、ノビること。
餅好き、餡子好きにはこたえられんだろうな。

脇に添えられた紫蘇の実漬が心憎い。
このせいでビールが飲みたくなり、
ダメ元で食券売場に戻ると、案の定、
そこのオバちゃんに「お前はアホか!」ってな顔をされましたとサ。
タハッ!

ハナシは変わって今年の初詣。
マイ・メイン神様は向島の白鬚神社だ。
琵琶湖湖畔の白鬚神社を総本宮とし、こちらはその御分霊。
御分霊といっても侮るなかれ、千年以上の歴史を誇っている。

参詣を済ませたあと、
必ず立ち寄るのが墨東通りの「志゛満ん草餅」。
寅さんにゃ悪いが、葛飾・柴又の草だんごの上をゆく。
よって甘味とは基本的に無縁のJ.C.にとって
唯一の例外がここなのだ。

あん入りとあんナシが3個ずつ詰合わさった箱を買い求めた。
6個で金810円也はお値打ちである。
入りはそのまま、ナシは白蜜を掛けてきな粉をまぶす。
どちらも旨いが好みはナシのほう。

創業は明治2年にさかのぼる。
大川の渡しを利用する客相手に商いを始めたという。
振り返れば長き人生、
よもぎの新芽香るこの志゛満ん草餅を超える草餅に
いまだかつて出会ったことはない。

「梅園」
 東京都台東区浅草1-31-11
 03-3841-7580

「志゛満ん草餅」
 東京都墨田区堤通1-5-9
 03-3611-6831

2012年1月4日水曜日

第222話 アップを忘れていた鮨屋

うなぎ・天ぷら・そば、そして鮨は
元来、東京の食いモンである。
江戸前鮨というくらいだからネ。
江戸前はもともとうなぎが本家本元だけれども・・・。

その東京の鮨屋がどんどん駄目になる。
なぜか?
ロクでもない客がわけも判らず、
金に任せて勘違いをするからだ。
店側も客の勘違いをたくみに利用しているうちに
自分も勘違いをするようになる。

一昔前まで鮨といえば銀座だった。
いまだにこの神話は生きていて
場末で名を成した鮨屋は例外があるにせよ、
一様に銀座進出を試みる。
挙句はそこそこの成功を収めてしまうから
勘違いに拍車がかかるのだ。
嘆くべし。

人類以外に哺乳類の友だちは愛猫だけだが
爬虫類に1匹いた。
そう、咬みつき亀の友里クンである。
去年の秋口、鮨屋につき合ってくれというので
たまには亀と戯れるのもいいでしょうとハナシに乗った。

行く先は知る人ぞ知る、四谷の「三谷」。
予約の取れないことにかけては東京で3本の指に入る鮨屋だ。
顔ぶれは友里夫妻と出版社勤務のO鬼サン。
実はこの夜の顛末を当ブログにアップし忘れていた。
日々、つれづれに綴っているとこんなことがままある。
訪れた店のアップ率は7割5分というところか。

いただいたモノを思い出せる限り列挙してみる。

つまみ 
 黒あわびとその肝 赤海胆のベルーガキャヴィア添え
 秋刀魚とその肝 赤むつ からすみと筋子のジュース
 からすみ射込みのあぶり穴子 穴子肝のコンフィ
 松茸土瓶蒸し 
 
 (筋子のジュースというのは皮膜の中の液状部分)

にぎり 
 秋刀魚 平目昆布〆 小肌 まぐろ赤身即席づけ
 あぶり鰯 焼き車海老 まぐろとろ 煮穴子 
 バチ子&このわた だし巻き玉子
 鉄火巻き(大とろハガシ)


飲みものはエビスの生に始まり、シャンパーニュ、
ローヌとマコンの白、清酒はひやおろし鶯と英君であった。

食べ終えての実感は、まず最初に鮨屋に来た気がしない。
会計は一人アタマ3万円だから、これで旨くなきゃ暴動が起こる。
中には非凡な逸品が少なくないものの、
鮨屋のカテゴリーにくくったら不満分子が出てこよう。

それに何よりもすべておまかせってのはやはりつまらない。
江戸前鮨を食べ込んでいない向きが
ツレの前で恥をかかずに済むのは大きなメリットだろうが
そういう輩が職人の勘違いを誘発し、増長を促すのだ。

スッと暖簾をくぐってサッとつけ台に落ち着いたら
チョコッとしたつまみか、せいぜい白身の昆布〆あたりで一杯。
ほどなくにぎりに移行して、ひかりモノ、烏賊か蛸か貝、
海老か蝦蛄、赤身づけ、煮穴子か煮はまぐり、
すり身入り玉子と来たら、巻きモノはあってもなくてもよい。
こんな感じでサクッと切り上げたいものだ。

切り上げたいが、「三谷」も「さわ田」も「あら輝」も
それを絶対に許してはくれない。
となれば、そういう店々を鮨屋の範疇にくくれまい。
築地で特等のまぐろを買い付け、
包丁で切ったら酢めしの上に乗っけるだけ。
これは江戸前鮨では断じてない。
上記の芸当を試みるには下町に行くしかないのだ。
嗚呼、再び嘆くべし。
こんな鮨屋に誰がした?

「鮨 三谷」 
 東京都新宿区四谷1-22-1
 03-5366-0132

2012年1月3日火曜日

第221話 チダイにダイダイ

昨日紹介したサメガレイを「松坂屋 上野店」で買った日、
近所の鮮魚店「吉池」の青果部で珍しい柑橘を見つけた。
今日のサブタイトルにある橙(ダイダイ)である。
橙色に色づく前のまだ青い果実であった。

時節柄、鏡餅の上に鎮座まします橙を見ることはあっても
それは正月用のお飾りに一役買っている姿に過ぎない。
本来の出生に基づき、
単体の果実として店頭に並んでいるのはなかなか拝めない。
値札を見たら1個100円だった。
カリフォルニア産レモンより高いがメキシコ産ライムより安い。

橙の前にたたずんで鍋物のポン酢に加えてみようと思った。
名のあるふぐ専門店ではちり酢に橙を使う店が少なくない。
簡単に手に入るかぼすよりポピュラーとも思えぬが
橙の持つ強い酸味や苦みが淡白な身質のふぐに
よりなじむような気がしないでもない。
事実、味わってみると橙に軍配が挙がる。

結局、100円の橙を1個買った。
買ったからには今夜はたらちりである。
とは思ったものの、
なんとなく気が変わって焼き魚の上から搾ることに。
よってあまり大きくないサイズの血鯛(チダイ)を1尾購入。
エラぶたに血のような赤が走っているので血鯛。
地方によっては花鯛、連子鯛とばれることもある。
真鯛の半分の40センチほどにしか成長しないが
素人が真鯛と見分けるのは難しいだろう。

100%天然モノの血鯛は真鯛より淡白にして繊細。
風味に欠けると指摘する向きもあるが
個人的には非常に好きなサカナである。
少なくとも養殖真鯛を超えるよさがある。

塩焼きの代わりにイタリア風のハーブ焼きにした。
振り塩をして香草のタイムとニンニクを効かし、
ヴァージン・オリーヴオイルを振り掛けた。
焼き立て熱々のところに橙をたっぷりと搾る。
むむぅ、何なんだ、この旨さは!
これじゃリストランテに行く理由が見つからんじゃないか!

サカナ1尾に搾るのに1個は多すぎる。
そこで橙スカッシュを作ってみると、これがまたけっこう。
甘さが立ちすぎるオレンジスカッシュはもう飲めないぞ。
英語名をビターオレンジというくらいで
通常のオレンジとはパンチ力が明らかに違う。

橙の果実は冬に黄熟しても春には再び緑色に戻る。
そして冬を過ぎても落下せずに
2~3年はそのまま木にぶら下がっているのだ。
その生命力の強さ、目出度さから
代々(だいだい)と名付けられたそうな。
まことに素敵なネーミングと感心するほかはない。

「吉池」
 東京都台東区上野3-27-12
 03-3835-8071

2012年1月2日月曜日

第220話 アニサキス みいつけた!

以前より自炊率が上がったので食品の買出しも増えた。
数ある食品売り場の中でも楽しいのは鮮魚売り場である。
次が青果で、精肉はどちらかといえばつまらない。

日本の肉屋は牛肉が主役を張っており、
すき焼き用なんぞピンからキリまで相当の種類が並ぶ。
せめて1種でいいから仔牛を置いておくれでないかい?

あとは豚肉と鶏肉と、せいぜい合鴨どまりだ。
仔羊でさえ手に入れるのに難渋するくらいで
たまにデパ地下や高級スーパーで見掛ける程度。
猪・鹿・鳩までは望まないが
兎・鶉(うずら)くらいは揃えてほしい。

肉の味を覚えて、たかだか150年足らずではさもありなん。
まだまだ食の大国・日本も
こと肉食文化に関しては後進国もいいところだ。
神戸牛だの、薩摩黒豚だの、ブランド追求もたいがいにせいよ。

建替えを待つ数寄屋橋の東芝ビルに
阪急デパートが入っていた30年ほど以前。
精肉売り場に真鴨や鶫(つぐみ)が入荷していることがあった。
鶫は確かスペイン産だった。
デパ地下でジビエを見たのはあれが最初で最後だ。

一度、大晦日に真鴨を購入して
今は亡き両親と弟と家族4人、
すき焼きにしたが肉の臭みが総身に回ってしまい、
とても食べられたものではなかったけどネ。

サカナを買いに行くのは当ブログでも
たびたび紹介した御徒町の「吉池」。
品揃えの豊富さにかけては
築地の場内を除けば都内随一だ。
サカナに限らず、ここでは鯨肉と馬肉も揃う。
加えて近所に「松坂屋上野店」があるから
まさに鬼に金棒、耳に綿棒、航平に鉄棒、
永田町にでくの棒、てなもんや三度笠。

年末に「松坂屋」で珍しい鰈(かれい)に遭遇した。
その名もサメガレイは、鮫鰈と書くのであろう。
サイズのわりにエンガワ部分がかなり多い。
パックを手にとってよくよく見ると、
1匹の回虫がクネクネとダンスを踊っているではないか。
おう、おう、これは紛れもなくアニサキスだ。
ここで会ったが百年目、迷わずアニサキス入りを買い求めた。

帰宅後、パックを開いてみるとアニサの野郎は
サメガレイの身肉を食い破り、頭と尻だけ出してやがる。

右下に出ている糸状のヤツが見えますか?

ソイツを引きずり出してみた

カメラに収めたあとは小皿にとって”塩ぶっかけの刑”である。
ずっと昔、真鱈に寄生しているのを同じ刑に処したら
奴サン、ナメクジみたいにゃ溶けずに
身体をよじり、のた打ち回っていたっけ。
残酷なようだが胃にでも進入されたひにゃ大事にいたる。
今まで痛い目に会ってきた同胞の仇討ちだと思えばいい。

さて、肝心のサメガレイの味だ。
見た目からして水っぽいかな?
そんな懸念も吹き飛び、刺身にしてよし、煮付けにして更によし。
鮫皮のように固い皮が名前の由来で
皮をむかなきゃ食えないからムキガレイの異名を合わせ持つ。
いや、実にけっこうなお味でござんした。

エッ? アニサキスはどうした! ってか?
塩じゃくたばらないからマッチの火で
”火あぶりの刑”にしてやりました。
鬼に金棒、アニサキスにマッチ棒ってネ。

「松坂屋 上野店」
 東京都台東区上野3-29-5
 03-3832-1111

2012年1月1日日曜日

第219話 2012 今年こそ元気に!

新年、おめでとうございます。
今年こそ明るく元気に健やかにまいりましょう。

元日はまたもや天気に恵まれた。
ここ何年もの間、東京の1月1日は
ずっと晴天が続いているのではなかろうか。
雨より雪より曇りより、晴れるに越したことはない。

新年早々、まずはいきなりのお断り。
長かった海外赴任から帰国して以来、
ずっと年賀状は失礼のしっ放しで
いただいた方にはこの場を借りてお詫びいたします。
来年からは賀状の代わりにメールでもください。

今年も淡々と「生きる歓び」を綴る所存である。
そこであらためて思うに
モノを書くときはほとんどいつも音楽を聴きながらだ。
ジャンルは問わずに何でも聴くが、
やはりインストルメンタルのほうが書きやすい。

不思議なことに
普段はあまりなじみのないジャズをよく聴く。
執筆とジャズはなぜか相性がよくてシックリくる。
げんに今もマイルス・デイヴィスの
「ディア・オールド・ストックホルム」をかけている。
実にいいんだなァこの曲、殊に真夜中には―。

ただ今、元日の午前2時半過ぎ。
ひかりTVでたまたまやってたR・ヴァンチュラと
A・ドロンの「冒険者たち」を観終わったところだ。
青春の思い出がいっぱい詰まった映画である。

さて、昨日の大晦日は午後から浅草へ出た。
初詣での参詣客が到来するまでは
人出もたいしたことないと踏んだが、とんでもなかった。
浅草は正月だけでなく、年の瀬もにぎわいを見せるのだ。

普段、長蛇の列の「松喜精肉店」は意外にもさほどでない。
ところが新装成った「並木藪そば」がスゴかった。
午後3時15分の時点で70人ほどは並んでいたろうか。
建替え後は2階にも客を通すようで
そのぶん回転率は上がったとしても
寒空に長時間並ぶのは、かなりの苦痛を伴うだろうに。

帰宅後は恒例の「紅白歌合戦」。
毎年のことながら前半戦は
誰が誰で何が何だか見当のつかない曲ばかりが続く。
”昭和は遠くなりにけり”とはこのことで
早々と先刻まで
チャンネルを合わせていたTV東京に避難。
もっともCMのたびにNHKに戻るのだけれど・・・。

ただ、TV東京のおかげで懐メロを堪能できた。
ボクシングの世界戦も好試合だったしネ。
S・フェザー級の内山高志はとてつもなく強いや。

何だかとりとめのないスタートとなりましたが
今年もよろしくお願い申し上げます。