2011年7月29日金曜日

第107話 裕次郎に背を向けて

めったに行かない町、小田急線沿線の祖師谷大蔵へ。
およそ3年ぶりの訪れはマレー料理屋が目当て。
友人との待合わせに1時間も早い17時前に駅に降り立つ。
3年前は「J.C.オカザワの昼めしを食べる」の取材で訪れた。
その際は時間に追われ、ろくすっぽ町を散策していない。
此度は夕食の前にゆっくり見て回って
出来得れば佳店の1軒も探り当てようという腹積もりだ。

以前ここには円谷プロダクションの本社が置かれていた。
よってウルトラマン誕生の地とされており、
町のメインストリートはウルトラマン商店街の異名をとる。
一見、庶民的な町並みながら、そこは世田谷区、
下町のような一杯飲み屋の林立はなく、
カフェやバーが幅を利かせている。

ウルトラマン商店街から脇に入って焼きとん屋を発見。
男性が3人、開店を待っている様子だ。
暖簾は出ていないものの、嗅覚を激しく刺激された。
遠巻きに眺めていると、
中からアンちゃんが出てきて暖簾を掲げた。
即座に入店する3人のあとに続いて敷居をまたぐ。
すると驚くなかれ、店内はすでにいっぱいである。
このやり口は国立の「まっちゃん」と同じではないか!

奥に小上がりがあるものの、
14席のカウンターに空席は2つのみ。
しかもうち1つは遅れてくる仲間のキープ席だ。
一番奥の端、目の前が壁の末席に招じられた。
いいでしょう、いいでしょう、どうせこちとら長居はしない。
さっそくサッポロ黒ラベルの大瓶をお願いした。

周りは焼きとんを頬張る人、焼き上がりを待つ人、
おおむね半々である。
ただ、ほとんどの客が生のきゅうりをポリポリやっている。
あいや、これは生ではなく、1本130円の浅漬けだった。
ちなみに焼きとんも野菜焼きもみな130円。
注文したのは4種を1本ずつ、これはみなタレで来た。
卓上に備え付けの薬味は
一味・七味・山椒・白胡椒・食塩・ガーリックパウダーの6種類。
塩とガーリック以外を適当に使って味わう。
カシラが柔らかいのはよいがシロは柔らかすぎ。
アブラは適度に肉も付いており、ちっともクドくない。
レバーがベストで半生の火の通しが二重丸。

ふと、背中に視線を感じて振り向いくと
おお、北原三枝が裸の裕次郎に抱きついている。
言わずと知れた出世作、「狂った果実」のポスターだ。
兄・慎太郎が作詞した主題歌もヒットした。
これは日活が売り出した裕次郎カレンダーで当月は7月。
席を立たずに振り向き、手を伸ばしてめくると
8月は「海の野郎ども」だった。
「狂った果実」の翌年、1957年に封切られたこの映画、
監督は今もなお健在の新藤兼人である。
12月まで全部めくりたかったけれど、
そんなヨソ者の行為は警戒されるから断念。

ビールが何よりも好きだった裕次郎に
背中を向けて飲んだ大瓶1本と焼きとん4本。
勘定は締めて1170円也。
あとで判明したことだが当店は1950年の開業。
現在の店主は二代目で暖簾を出したアンちゃんが将来の三代目。
こんな老舗をホンの10分で嗅ぎ分けるのだから
わが嗅覚も捨てたものではない。

さあ、これから相棒と落ち合い、マレー料理と参りやしょう。

「たかはし」
 東京都世田谷区祖師谷1-9-12
 03-3483-5182

2011年7月28日木曜日

第106話 串揚げに目覚めた日

串揚げと串かつ、この似て非なるものは
本来、前者が大阪、後者が東京を生誕の地とし、
なおかつホームグラウンドとして成長してきた。

串揚げと串かつの関係は
阪神タイガースと読売ジャイアンツのそれにも似ている。
少なくともJ.C.はそう信じて疑わない。
東京育ちに加えて長嶋茂雄が大好きだから
子どもの頃より串かつはよく食べてきた。
精肉店の揚げ物コーナーには必ずあったし、
酒をたしなむようになってからも
大衆酒場やビヤホールの定番メニューだった。

その反面、串揚げには見向きもしなかった。
というより昔は東京に串揚げなんかなかったのだ。
思い起こせば、1970年代になって
銀座の「五味八珍」、六本木の「南蛮亭」を訪れたのが
東京における串揚げの歴史の始まりだったような気がする。
印象はさして旨いものでもなく、
第一、15本もまとめて食べたら飽きちゃうよ。
ビールの友に串かつを2本、これが東京人の美学だ。

2002年7月13日土曜日、根津の「はん亭」に赴いた。
都内でもっとも有名な串揚げ専門店である。
立派な木造3階建ては大正6年築で亡きおふくろと同い歳。
創業が明治だから銀座と六本木の2店よりずっと古いが
まさかその時代から串揚げを商っていたのではあるまい。
調べてみたら案の定、往時は下駄の問屋さんだった。

珍しいサッポロ赤星ラガーと広島の純米吟醸・誠鏡とで
串を1ダースほど平らげて満悦。
串揚げがこんなに繊細なものとは知らなんだ。
目からうろこがポロリと落ちて
この日こそ串揚げに目覚めた日となったわけ。

過日、友人の招きにより「TSUKIJI はん亭」を初訪問。
新丸ビル店は本家の支店だが、こちらは暖簾分けとのこと。
店主は長年、根津で修業をした方で
さすがにやる事なす事、丁寧な仕事ぶりだ。

薬味・生野菜・お通し

当夜の飲みものは一番搾りの生、スーパードライの瓶、
そして赤ワインはオーガニックのサクラ・ナチュラ2006年。
スペイン産だがセパージュはテンプラニーリョではない。
味わいは予想以上で、串揚げとの相性もよし。

海老の大葉巻きと谷中生姜でスタート

続いて稚鮎と枝豆

あとは、きびなご・穴子・蓮根カレー詰め・小玉ねぎなどなど。
最後の4本が

いか&とびっ子と茄子肉詰め

アピオスと牛肉ごぼう

食べ終えて痛感した。
東の串かつ、西の串揚げというくくりは早計で
江戸の天ぷら、上方の串揚げというのが正しい。
「わてらの串揚げ、串かつと一緒にされたらかないまへんえ」
浪花っ子のボヤきが聞こえてきそうだ。

「TSUKIJI はん亭」
 東京都中央区銀座8-18-4 銀座フォルム21-B1
 03-3547-1601

2011年7月27日水曜日

第105話 焼肉好きの仲間たち

行きつけのヘアサロンは渋谷区役所の真ん前。
このために6週に1度、歩くのもイヤな渋谷に出向く。
小ぢんまりとしたビルの4Fにあるが店名は明かせない。
ハリウッド一の高級住宅街、B.H を店名に冠していて
口にするのも恥ずかしいからだ。
まあ、ここまで言えば明かしたも同然か。

担当者はオーナー理髪師の娘さん。
かれこれ10年来のつき合いである。
以前は南青山の「B」なる店の店長に任せていた。
その後、彼は独立して東急田園都市線・あざみ野から
横浜市営地下鉄で2つ目のセンター北に開業した。
有名ラーメン店「くじら軒」の隣りに店はある。

とてつもなく遠くに移られてしまったものの、
がんばって2年近くは通ったが、さすがに息切れしてギヴアップ。
彼の弟子だった現在の担当者が実家に戻ったのを潮に
渋谷通いが始まったというわけだ。

どうでもよい取り留めのないハナシで恐縮至極。
とまれ、その日はくだんの「B.H」で髪を理した。
それからときどき食卓をともにする、
自称グルメ集団「SKYAMKO」の食事会に向かった。
行く先は「房家 コレド室町店」。
みんな焼肉と聞くと、二つ返事でレッツラゴーなのだ。

幹事が飲み放題のセットを予約してくれており、
一同、ハナから”ガン飲み”モードに入っちまってる。
こちらも若い衆に負けまいと年甲斐もなく
空けた中ジョッキとグラスワインは数知れず。
翌朝、思い出そうとしても計測不能であった。

お待ちかねの肉は活魚の舟盛りさながらに現れた。
それぞれの部位名を記したタグ付きながら
これとて思い出せないのがいくつかある始末。
あとで仲間の一人に確認したところ、
塩盛り
 上タン・中肉・縦バラ
たれ盛り
 上モモ・ハラミ・縦バラ・カルビ・サーロイン
ホルモン盛り
 タン筋・シビレ・ハラミ筋
だったそうな。

最後は全員、冷麺で締めたがみんなよく食うこと。
見ていて舟木一夫の「仲間たち」の歌詞が脳裏をよぎる。

♪  歌をうたって いたあいつ
   下駄を鳴らして いたあいつ
   思い出すのは 故郷の道を
   みんな一緒に はなれずに
   行こうといった 仲間たち ♪
              (作詞:西沢爽)

ヒマに任せて替え歌。

♪  タンをあぶって いたあいつ
   のどを鳴らして いたあいつ
   ヨダレ出すのは 極上のミノよ
   みんな一緒に あせらずに
   食おうといった 仲間たち 

ホント、ヒマだわ。
おあとがよろしいようで。

「房家 コレド室町店」
東京都中央区日本橋室町2-2-1 コレド室町3F
03-6225-2347

2011年7月26日火曜日

第104話 ハニーとともに叉焼を

6月下旬に誕生日を迎えた。
今年は祝いの会を開いてくれる奇特な方が多い。
この歳ともなると、けっして目出度くはないけれど、
無下にお誘いをお断りすれば、立たずともよい角が立つ。
よってありがたくお受けし、
その都度いそいそと出掛けるわけである。

この夜もその一環であった。
今後、当ブログで似たようなダイニングシーンを
紹介することになろうとも
誕生祝い云々に関しては触れないことにする。
なぜって、何だか自慢してるみたいだし、
キマリがみっとも恥ずかしい。
こう見えても(見たことない人のほうが多いか)
けっこうシャイな性格の持ち主なのである。

赴いたのは汐留は日テレタワーの「潮夢来」。
チョウムライと読みたくなるがチャオメンライと発音する。
「中国飯店」系列では比較的カジュアルな店だ。
メンバーは元横濱カレーミュジアム館長のO野チャン、
フードアナリストのA子・M央の両嬢である。

幹事のA子嬢は最初、
芝大門の「S飯店」を選んでくれたのだが
これは強制排除させてもらった。
何とならば旧著にて
「行ってはいけない有名店」の最右翼として糾弾したからだ。
こりゃいくら何でも行けんわな。
ところが、ここでささやかな悲喜劇が発生。
連絡不行き届きで、O野チャンが大門に行ってしまったとサ。
でもよかったよ、隣り街で。
これが芝でなく吉原大門だったら一大事だった。

小籠包と焼き餃子でビールを飲み、
乾焼蝦仁(芝海老のチリソース)から甕出し老酒に切り替える。
腰果鶏丁(鶏のカシューナッツ炒め)をはさみ、
締めは上海式の炒麺と中国醤油の黒炒飯。

ハズレのない中、特筆すべきはチャーシュー。
店側はハチミツ金色チャーシューを謳うが
何だかカタカナだらけのJ-ポップみたいで冴えないから
”蜂蜜金色叉焼”と明記してほしいな。
これで初めて名が体を表すこととなる。
ネーミングはさておき、
ハニーのアクセントで豚肉の旨みを引き出した逸品に
舌鼓がポンポン鳴ること請け合いだ。

使い勝手のよい店はカップルにも適している。
ハニーを誘って蜂蜜叉焼でもてなし、
食後は階上のラウンジで甘いささやき。
締めはハニー本体のお味見というのはいかがでしょうか?
この際、BGMはもちろん「A Taste Of  Honey」。
ただし、ビートルズ版だとポールの歌声で気が散り、
貴殿のポールに悪影響を及ぼすから
インストルメンタルのティファナ・ブラス版を推したい。

くれぐれも気をつけなきゃならないのは最後の詰めで
着地を誤ると一転、「A Waste Of  Money」の成れの果て。
おっと、これは
この曲を嫌ったジョン・レノンの受売りでした。

「潮夢来(チャオメンライ)」
 東京都港区新橋1-6-1 日本テレビタワー1F
 03-5568-1818

2011年7月25日月曜日

第103話 真昼の酒盛り (その2) にせどろ千夜一夜 Vol.4

墨田区・玉の井には秀逸な街場中華が点在している。
「興華楼」しかり、「生駒軒」またしかりである。
しかし真っ昼間から客が酒をガンガン飲ってる店は
今来ている「来集軒」のほかにはない。
呑ん兵衛たちがまさしく”来集”しているのだ。

ビール党も清酒党も大集合

コップにビールをトクトク注ぎ、ひと息にグビビッとやってニッコリ。

ブランチといえども、ここでいきなり炒飯や湯麺に直行はしない。
さりとて皿盛りでドサッと来る一品料理はもてあますから
小物を狙っていくのである。
当然ビールとの相性をじゅうぶんに考慮して。

どっちが先に来てもいいように、注文したのは串かつと餃子。
この両面待ちに”高め・安め”はない。
ともに二翻四十符、子で2千600点といったところ。
(麻雀を知らない方にはご免なさい)

まず、串かつが登場。

生パン粉がタップリ

一見、シツコそうだが悪くない。
むしろデパート屋上のビヤガーデンのそれなんかよりずっとよい。

続いて焼き餃子。

焦げカスもなく丁寧な焼き上がり

お世辞にもキレイな店舗とは言いがたいが
施す仕事はキチンとしたものだ。
味も食感もけっこうだった。

こうしておいて、締めの麺類は五目そばだ。

かまぼこ・伊達巻き・鳴門巻の練り物トリオ入り

何だかとっても具だくさん。
ダブル豚肉、ダブル玉子、トリプル練り物である。
ことここに至り、読者におかれましては
ずいぶん食いやがるとお思いでしょうが
この日はちゃあんと墨田区在住の友だちを呼び寄せており、
以上を二人でシェアしたのであった。

会計は2050円也。
ビールは1本だけだったが、あとおよそ2千円分飲んだとして
ピッタリ一人アタマ”にせどろ”に到達する。

後日独りで再訪し、ビール・酎ハイ・日本酒をチャンポンして
本当に”にせどろ”を体験してきた。
ついでに近所の「三河屋」へハシゴしたものだから
つまみに何を食べたか、まったく覚えちゃいないのである。
タハッ、馬鹿だね、じっさい。

「来集軒」
 東京都墨田区墨田4-48-14
 03-3611-6931

2011年7月22日金曜日

第102話 真昼の酒盛り (その1) にせどろ千夜一夜 Vol.4

さあ、やって参りました、にせどろシリーズ第4弾。
今回は永井荷風のオッチャン、いわゆる荷風散人が
こよなく愛した墨東の陋巷、玉の井へお誘いします。

浅草からのろのろと東武伊勢崎線に乗っていくと、
いえ、北千住方面から行ってもいいんですがネ、
とにかく東向島なるつまらん名前の駅に着く。
東京メトロ半蔵門線と直結する急行電車は
通過するのでご注意あられたし。

かつて東向島は玉の井という素敵な駅名を冠していた。
世に有名な「抜けられます」の玉の井である。
何のこっちゃい? と思われる方は
DVDで映画「濹東綺譚」でもご覧あそばせ。
荷風自身を模した主人公が
芥川比呂志版と津川雅彦版があり、オススメは前者。
何せ相手役が山本富士子のお姐さんだもの。

玉の井にはいにしえの銘酒街、いわゆる紅燈街、
早いハナシが私娼街のイメージがついて回るので
地元の人々がこれを嫌い、変名したいきさつがある。
部外者にとっては残念なことながら
これは実際にその地に棲んでいる人の自由で
ヨソ者がとやかく言うことではない。
(でも、やっぱ惜しい)

さて、玉の井で下車したら進路を真北にとりましょう。
ほどなく”いろは通り”というレトロもレトロのトロットロ、
そんな感じの商店街入口に到達する。
そこをまっつぐ進むこと10分足らず、鐘ヶ淵通りの商店街にぶつかる。
その角にあるのが「来集軒」だ。

国際通りを西に入った地点にある同名のラーメン店が
浅草ではつとに有名ながら両者の相互関係は知らない。
ただ、支店や姉妹店でないことは確かだ。
この店名はほかに吉原大門近く、
入谷の金美館通りそばにも見受けられる。
蔵前の春日通りにもあったが、そちらは10年ほど前に閉業した。

初めて赴いたのは土曜日の11時前後だったか。
週末のブランチのつもりで入店してビックラこいた。
松田優作じゃないが、「何じゃ、こりゃあ!」なのである。
店内は立錐の余地もないほどに満杯。
しかもど真ん中では大宴会の真っ最中だ。
店の隅のほうで中華そばをすする独り客もいたけれど、
ほとんどの客が昼前だというのに酒を飲んでいる。

こうなりゃ、こちらも負けてはいられない。
よい口実ができたからには、ここで飲まずにおくものか!
大震災で心砕かれた直後、しかもまだそのときは
”なでしこ”に勇気をもらう前だったが不思議と力が湧いてきた。
その結果、当店が”にせどろ”に最適であることを発見したのだから
世の中、飲み屋との出会いはどこにどう転がっているか
知れたものではないのである。
かくして目の前にスーパードライの大瓶が運ばれましたとサ。

=つづく=

2011年7月21日木曜日

第101話 「美家古」は心の都なり (その2)

浅草は馬道の「弁天山美家古寿司」に来ている。
五代目親方の正面に居座り、江戸前鮨の真髄にふれているのだ。
当店はわが心の都、ここで江戸前の何たるかをたたき込まれた。

かんぱち・ひらまさ・ぶりの類いはあまり好まないが
縞あじとなるとハナシはベツ。
ましてや天然の縞あじにはめったにお目にかかれない。
まっこと、おいしゅうございました。

続いては、今まさに旬を迎えたきす。

わさびとともにおぼろが忍ばせてある

きすでん、春子でん、小肌でん、
小魚は皮目の美しさがイノチ、これぞ江戸前鮨の華である。
そして嗚呼、この美味さ、いったい何に例えたらよござんしょ。
こういう逸品に出会うと、
ただ刺身を酢めしに乗っけただけの生々しいにぎりなんぞ、
金輪際食べたくなくなるもんなァ。
ああいうのはにぎり鮨じゃないヨ。

お次は酢あじ。
酢と塩がいい塩梅で、もう生あじなんか食いたくねェ!
第2グループの3カンのあと、一服おいてひと休み。
しばし五代目と思い出バナシに咲かせたひと花。

さて第3の陣は必食の小肌から。
こやつに関してはあっちゃこっちゃでたびたび書きふれたので
あえてここでは語らず。
おあとは火の通し卓抜なる車海老、
そしてコンパクトでありながら身厚の赤貝だ。

身がハチ切れんばかり

赤貝はデカけりゃいいってもんじゃない。
サイズが大事なんです、サイズが!

第4の陣は蒸しあわび・赤身づけ・煮いか。
「美家古」の煮いかはまったくもって独特のモノ。
パキッとした歯ざわりが実に快適で
あわびの上をゆくから困ってしまう。
いや、何も困ることはない、ひたすらエンジョイすればよいのだ。

ここで2回目の小休止。
手を休めた親方とああでもない、こうでもないと言葉を交わしつつ、
頭の中では次は何で行こうか考えている。
最後の三連発の前に玉子をつまみでいただいた。

すり身入りの焼き玉子

33年前、初訪問の際、つけ台に落ち着くと、
目の前で四代目が玉子を焼いていたっけ。

締めはさらに必食、穴子の下半身と上半身を1カンずつ。
そしてアンコールの小肌におぼろをカマせてもらう。

沢煮の穴子の下半身

江戸前の穴子はプリプリでなくっちゃ。
口の中でトロける穴子なんぞ、足元にも及ばぬ。
ヤワい穴子はどこのどいつが始めたんだろうねェ。
離乳食じゃあるまいし、ったく!

大満足にほほをゆるめていると、
あらためてうら若き美女が名刺をくれた。
数年前に女将を亡くされたあと、
空席だったその座を二番目の娘さんが継がれたとのこと。
のち添えをもらわず、実の娘を女将に据えるなんて
なかなかに小粋な計らいじゃないですか。

わが心の都の末永き繁栄を祈りつつ、
夜の浅草に再び打って出た。
ほおずき市を訪れた人影も絶えて久しく、
月の光がいたずらに明るいばかりなり。

「弁天山美家古寿司」
 東京都台東区浅草2-1-16
 03-3844-0034

2011年7月20日水曜日

第100話 「美家古」は心の都なり (その1)

浅草寺境内にて、ほおずき市をひやかしたあと、
馬道の「弁天山美家古寿司」に出向く。
横浜は馬車道、浅草は馬道である。

「美家古寿司」へは観音堂から三社様の前を通り、
二天門をくぐるのが近道ながら、この夜は急ぐ必要がない。
仲見世を雷門に向かって逆行し、
新仲見世を左折してゆっくりと赴いた。

初めて「美家古」を訪れたのは1978年。
隅田川の花火が復活を遂げた年のこと。
今年の花火は大震災の影響で中止も懸念されたが
何とかひと月遅れの開催となった。

’78年は実質的に浅草デビューを果たした年でもある。
むろん、それ以前にもたびたび遊びに来ていたが
この年をさかいにひんぱんに現れるようになった。
目的は鮨・どぜう・うなぎ・洋食の名店・佳店の歴訪。
「紀文寿司」・「飯田屋」・「小柳」・「大坂屋」・
「リスボン」・「喜多八」、訪ねた店は数限りない。
少ない給料をやりくりして覚えた味は
たとえ頭が忘れても舌がはっきり覚えている。

当時の「美家古」の親方は先代の四代目。
この人こそ江戸前鮨の概念を
根底からひっくり返してくれた恩師である。
初めて四代目のにぎってくれた鮨を食べたとき、
身体は震え、皮膚には鳥肌が立った。
以来、しばらく他店の敷居をまたがなくなり、
この店は心のふるさとならぬ、心の都となった。
小肌のどんでん返し、まぐろ赤身のスライス責め、
機知に富んだ裏技を始めとして
数々の思い出はそう簡単に語りつくせない。

当夜はハナからにぎりに焦点を絞っていた。
つまみは突き出しの北寄貝のみ。
通い始めた頃はいきなりにぎりであった。
 平目昆布〆・さより・真鯛・小肌・赤貝・車海老・
 赤身づけ・とろ霜降り・煮いか・穴子X2・玉子

こんな順序で食べていた。
季節によってさよりが
きすやあじに代わることはあったが・・・。

卓上の品書きがグッとハイカラになり、
以前のようにコースだけでなく
その日の鮨種がすべて列挙されている。
これならあえてネタケースをのぞかなくともよいのだが
そこはいつものクセ、ついついマナコが吸い寄せられる。

皮切りは季節感満載のすずきの洗い。
洗いをにぎる店はきわめて珍しい。
続いて時候が時候ながら平目昆布〆。
青森辺りでは通年水揚げされるようだ。
そして真鯛の松皮造りと、ここまでは三連荘。
松皮は皮目を残し、湯引いて仕上げる。

常日頃、にぎりは3種類を1カンずつ、
同時注文するようにしている。
飲みものを菊正の樽酒に切り替え、
第2グループ三連発の先陣は縞あじとした。

ほう~っ、理想的な良形だ

薄紅色の血合いはこやつが天然モノであることを物語る。

=つづく=

2011年7月19日火曜日

第99話 何年ぶりかのほおずき市

梅雨明け直後の熱射の下、不忍池のほとりにいた。
ボート池に浮かぶボートは数えるほど、それも片手で足りる。
池畔のベンチでは将棋を指すオジさんが3~4組。
ぐるりと囲んで見守る見物人を含め、おなじみの光景だ。
木陰にすっぽり収まって、炎暑をよそに涼しげである。

ヒマに任せて見物の輪に混じり、盤面をのぞく。
飛車取りと攻められた胡麻塩頭ののお爺さん、
熟考の挙句、飛車を下段に逃げたが
おい、おい、飛車を切って金を取らなきゃ自玉が詰んじゃうよ。
やれやれ、典型的な”王より飛車を可愛がり”である。

ずっと見物していても詮ないので散歩のリスタート。
広小路を左折して上野駅前に出る。
「丸井」地下にある「無印良品」と「GAP」で
徒然なる買い物を済ませ、東に進路を取って浅草に向かう。
目指すは吾妻橋の「23Banchi Cafe」だ。
まずはそこでヒャッコイのをやらにゃあ、浅草に来た意味がない。
殊にこの季節は必訪の必飲である。

仏具街の稲荷町を通り抜け、田原町に差し掛かる頃、
普段にも増して浴衣姿のカップルが多いのに気がついた。
中には植木鉢を下げている人々がいる。
おっと、そうか、今日からほおずき市だった。
もう何年も来ていないがよい機会だ、あとで立ち寄ろう。

くだんのカフェでドライの生のエクストラコールドを
立て続けに2杯飲り、長居はせずに墨東を北上する。
枕橋のたもとの「枕橋カフェ」が扉を閉ざしている。
1枚貼られた貼り紙は5月末で閉店の挨拶だった。
肉まん片手に飲むビールが好きだっただけに淋しい。

言問橋で隅田川を渡り返し、観音様の裏手から境内へ。
そこそこの、いや、予想以上の人出である。

鉢は2500円、枝は1000円均一

ウグイス嬢のアナウンスがほおずきの値段を告げている。
酉の市のように値段交渉の余地がなく、
明朗といえば明朗だが、味気ないといえば味気ない。

ほおずき市は芝の愛宕神社が始祖。
ほどなく浅草寺がお株を奪ったカタチとなり、
本家のほうは衰退どころか消滅してしまった。

ほおずきは鬼灯、あるいは酸漿とも書く。
観賞用や食用のほか、咳止めや解熱に効能があるため、
煎じて飲む地域が日本各地に点在している。
平安時代には鎮静剤、
江戸時代には堕胎薬として活用されたという。

境内を一回りしたら、またのどが渇いた。
乾いた花には水をやり、
渇いたのどには麦酒を与えなければならない。
角打ちの「大滝酒店」ならまだギリギリ間に合う時間、
駆け込んで何とか1本ありつけた。

再び一息つき、
さて、今宵身を置くのは江戸前鮨の名店。
自然に笑みがこぼれ、舌なめずりをする自分であった。

2011年7月18日月曜日

第98話 ありがとう なでしこ娘!

おめでとう、なでしこジャパン!
ありがとう、なでしこ娘!
こんなにうれしい慶事は久しぶりだ。

しっかし、こういうことってあるもんですなァ。
アメリカチームには気の毒だけど、
サッカーはこれがあるから怖い。
この球技には押して押して押しまくっても、
ついに勝てない試合があるのだ。
これがバスケットだったならアメリカの大楽勝もいいところ。

ゲームを振り返れば、すべての点でアメリカが優れていた。
勝利の女神は日本に微笑んだものの、
彼我の差はまだまだ埋められていない。
過去、21敗3分けもむべなるかな。
立ち上がりからガンガン飛ばしてきたから
そのうちバテるとタカをくくっていたらトンデモない、
心身ともに最後まで頑張りきってしまった。

フィジカルの強さ・高さは大人と子ども、
あるいは男と女ほどの差があった。
接触のたびに跳ね飛ばされる当たり負けは目をおおうばかり。
走力にしたってスピード(短距離)、
スタミナ(長距離)ともに相手が上だった。
キック力もずいぶん違うし、日本得意のパスワークですら
あちらがより正確ときては神仏に祈るほかすべはなく、
まさに奇跡の勝利というほかはない。

そのたびに肝を冷やした相手のシュートが
ゴールポストとクロスバーをたたくこと計3度。
アメリカのコーチ陣も選手たちも
信じられぬ思いの敗戦だったろう。
「何でわたしたち、負けなきゃいけないの?」―
神の存在を疑い、運命のいたずらを呪ったに違いない。

日本がアメリカにまさっていたのは
少ないチャンスをものにした、その勝負強さくらい。
あとは肝心要のPK戦か。
PKに関する限りは
蹴る選手も守るGKもデキ過ぎの感さえあった。

GK海堀は頭上のボールが弱点ながら
PKを止める技量はアジア杯の川口を彷彿とさせた。
最初に蹴った宮間もたいしたものだ。
遠藤以外のコロコロPKには初めてお目に掛かった。
小さい身体にあの童顔ながら
やり遂げる仕事はプロの殺し屋に匹敵しよう。
しぐさはひょうきんだが、ありゃ只者ではない。

そして特筆すべきは延長後半に追いついた2点目。
宮間と澤のサインプレーは実に男顔負けだ。
スウェーデン戦とは打って変わった戦いぶりに
勝つ見込みを見出せないままでいたTVの前のファンを
地獄から救い出してくれた値千金のゴールだった。

W杯制覇という長年来の見果てぬ夢を
まずはなでしこ娘が達成してくれた。
次はザック・ジャパンの番だが
これ以上の無理難題はそうあるものじゃございません。

2011年7月15日金曜日

第97話 茄子の油焼き 男やもめのキッチン Vol.3

孤独な男が独り厨房に立ち、
出来うる限り手を抜いて料理に挑む。
今日は”男やもめのキッチン”シリーズ、
その第3回をお送りする。

梅雨らしい梅雨がないままに梅雨明け宣言。
今年はヘンな年である。
観測史上もっとも暑い6月を経験して
ヘロヘロになった向きも少なくなかろうが
おかげでビールがヤケに美味かった。
引き続き7・8月も暑く熱い夏であってほしい。
海水浴には行かないけれど、
ビールのためにもそうあってほしいのだ。

夏場のビールの友といえば論をまたずに
枝豆・冷やしトマト・冷奴が御三家。
ほかには谷中生姜・もろきゅう・エシャレットあたりかな。
ちょっと手を掛けて、鶏ささみの鳥わさ、
豚のロースやもも肉使用の冷やしゃぶなんてのもけっこう。

さて、J.C.の大好物にしてイチ推しは表題の茄子の油焼きだ。
茄子は今が旬、お盆の送り火には欠かせない茄子の牛だって
旬だからこそのご登場、自然の摂理には素直に従いたい。

水茄子の生食、巾着茄子の浅漬けもすばらしいが
もうちょい大き目の茄子は何てったって油焼きに限る。
茄子と油の相性が抜群だからだ。
遠く欧州の空の下でも茄子と油は名コンビ。
南仏料理の定番、ラタトゥイユは両者が主役を張っている。
イタリアのカポナータもまたしかり。
もっともトマト・玉ねぎ・パプリカ・ズッキーニあたりも
重要な役割りを担っていますがネ。

それでは茄子の油焼き、アラ・キュイジーヌ!

用意する食材(2人前)は  
 中ぶりの茄子・・・2個
 胡麻油・・・適宜
 根生姜・・・1カケ


茄子は手で触り、なるべく皮の柔らかいものを選ぶ。
真ん中で輪切りにしたら、ヘタに近い上半身は縦に4ツ切り、
下半身の大きいほうは縦に6ツ切りにする。
したがって1個(1人前)を10ピースに切り分けたことになる。

フライパンに胡麻油を落とし、茄子を整列(ここが大切)させ、
焼き目がついたら順に返しながらゆっくりと焼いてゆく。
適当に火が通ったところで皿に移し、
上から根生姜をおろし掛け、醤油を垂らしていただく。

たったこれだけのことである。
好みで刻んだ長ねぎや青しそやみょうがをあしらうのもまたよし。
オススメはみょうがか青しそ、あるいはその両方一緒だ。
よくあるのが茄子を丸焼きにし、皮をむいてしまうやり方ね、
好きな方には申し訳ないが個人的にアレはまったく合わない。
皮目の鮮やかな色あってこその茄子、
古くから”茄子紺”というではないか。

2011年7月14日木曜日

第96話 二晩続きのブイヤベース 古く良かりしニューヨーク Vol 2

なでしこジャパンが頑張るおかげで寝不足気味。
でも、こういうのはウェルカム、楽しいなァ。

さて、今から20年前のニューヨーク赴任時代、
「J.C.オカザワのれすとらんしったかぶり」なるコラムを
「読売アメリカ金曜版」に綴っていた。
そこから選んで紹介する”古く良かりしニューヨーク”シリーズ、
今日はその第2回をお送りしたい。

=二晩続きのブイヤベース=

サカナを好んで食べる国には必ず、
様々なサカナを放り込んだ寄せ鍋みたいな料理がある。
イタリアはカチュッコ、スペインがサルスエラ、
ベルギーならワーテルゾーイと、枚挙にいとまがない。
中でも王者の風格漂うのはフランスのブイヤベースであろう。


この料理は南仏のマルセイユが本場。
カサゴ・メバル・ヒメジ・ホウボウ、プリッとした白身魚が主役だ。
香りの決め手は高価なサフランで
ほかに香辛料は加えず、胡椒すら使わない。
最初にスープを楽しんだあと、
アイオリやルイユとともに海の幸を味わうのが正統的。


ところが先日、正統派ではないブイヤベースを
二晩続けて食べる破目に陥った。
ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」のプリシアターでのこと。
79丁目西222番地にあるから「Two Two Two」という、
きわめてお気楽なネーミングのフレンチアメリカンを訪れた。


マデイラ酒とバルサミコ酢の利いたフォワグラのラヴィオリが好印象。
さっとあぶったツナ(まぐろ)のタタキも質が高い。
そしてお待ちかねのブイヤベースだが
皿を満たすべきスープが見当たらず、
煮詰まったソースが底に溜まっている程度。
しかも具材がツナとサーモンときては二度だまされた気がしてくる。
こうした期待感の不完全燃焼は翌日まで尾を引くものだ。


次の夜、連夜の大盛況と呼び声高い「Jubilee」へ。
サットン・プレイス界隈には珍しい本格的なビストロである。
ここの名物は一にも二にもムール貝。
4種類の味付けから、一番シンプルな白ワイン蒸しを選ぶ。
ブイヤベースとかぶるようだが旨ければ構ったことじゃない。
主菜のステーキ・フリッツも鴨のオレンジ煮も上デキであった。


くだんのブイヤベースだが、まずスープがストックというより
スープ・ド・ポワソンに近い濃厚なもの。
旨味じゅうぶんにして、これはこれでよかった。
残念なのは白身に混じり、ここでもサーモンが使われていたこと。
シャケは石狩鍋だけでたくさんだヨ。
たっぷり入ったじゃが芋がポテト好きを喜ばせよう。


てなことでした。

10年前に一度だけブイヤベースを作ったことがある。
サカナは金目・皮はぎ・あんこう、貝はムール・はまぐり。
材料費は高かったが、やはり日本は食材が違う。
ニューヨークのレストランを凌駕する逸品に
ピエモンテの白ワイン、ガヴィ・ディ・ガヴィを合わせ、
シアワセな一夜を過ごしたのだった。
手間ヒマと金を惜しみなく注いだ、あんなマネはもう無理。
今となったら鱈ちりで大満足ですもの。

「Two Two Two」
 222W 79th st
 212-799-0400

「Jubilee」
 347E 54th st
 212-888-3569

2011年7月13日水曜日

第95話 スタミナはつけたけど・・・ (その2)

霊園帰りの日曜日、夕暮れ迫る北千住。
居酒屋「MASUMASU」のカウンターにいる。
年中無休のこの店は鳥刺し・焼き鳥が主力商品で
茨城紅どりなる銘柄鶏を使用している。

チャンジャやキムチなど韓国風つまみのほかに
中華のピータンまであり、
よく判らんメニュー構成という印象は免れない。
突き出しが低評価だったため、その手のものはパスした。

初っ端に頼んだのは白レバー刺し。

見るからに鮮度高し

その朝に絞められたのだろう、光り輝いている。
穂じそ・大葉・小菊・青ねぎが添えられて純和風だ。

一切れつまみ、うなづいたのは納得したから。
やはり鳥メニューに絞り込むのが正解とみた。
鳥刺し系は、砂肝刺し、ささみ霜降り、
地鶏たたき、地鶏刺し三品盛りと、なかなかの充実ぶり。
とはいえ、刺身はレバーだけでじゅうぶんだ。

焼き鳥は、こころ・つくね・ヤゲンの3串を。
こころはハート、いわゆるハツのこと。

塩焼きのハツにレモンを搾って

ヤゲンはいわゆるナンコツである。
薬剤や薬草をすりおろす薬研に似ているのでこう呼ぶ。
両国橋の西詰、浜町河岸そばに薬研堀不動院がある。
かつてここには薬研堀なる運河があった。
江戸の昔、この地には米蔵が立ち並び、
各地から積荷を満載してくる船のために
薬研の如くにV字形の深い堀が欠くべからざるものだった。

メニューに鳥レバのガーリックバターを見つけた。
ついさっきレバ刺しを食べたのに再び食指が動く。
心配性の御仁なら痛風を怖れて尻込みするところを
頓着しない性格につき、ためらいもせず追加注文。
すると固形燃料を仕込んだ鉄鍋が登場するではないか。
温泉旅館の夕食時に活躍するあの小鍋である。

着火後、5分もすればすぐに食べ頃。
付いてきたのか、別注文したのか忘れてしまったが
とにかくバゲットとの相性がよい。

鮮度を信じてあまり火を通さずに

ハムでもパテでもパンにはさんじゃうのが好きだ。

図らずも大量のスタミナ補給と相成った。
かくなるうえは千住から遠くない吉原に繰り出すのも一法。
ところがどっこい、そっち方面はトンと不調法なわが身、
貯えたエネルギーをどこへ放出したら歓ばれよう。
エネットあたりで買電してくれりゃ一番いいが
そんなことあるわけないわな。

「MASUMASU」
 東京都足立区千住2-62
 03-3870-4548

2011年7月12日火曜日

第94話 スタミナはつけたけど・・・ (その1)

豚や鶏の内臓(モツ類)に目がない。
豚ならさしずめシロ・レバ・カシラ、
鶏はセセリ・ハツ・レバが好みだ。
殊に鶏の場合、凝った焼き鳥店の中には
背肝・アズキ・チョウチン・ボンジリなど、
珍しい部位も揃っていて楽しませてくれる。

これが牛となると繊細さを失うせいか、
豚・鶏ほどの魅力を感じない。
焼肉店では仲間に合わせて
タン・ミノ・ホルモンあたりをつき合うのだが
たまに上等のホルモンに出会うのがせいぜいだ。
業者間では内臓にくくられるハラミ(横隔膜)は
大好きながら、あれをモツとは認めがたい気がする。

ひかりTVのナショナル・ジオグラフィックで
「最強の捕食者 チーター」を観た。
獲物を狩るときのトップスピードが時速120キロに達し、
2度に1度は狙った相手を仕留めるという。
ただし、そのうち半分はライオンやハイエナに横取りされるから
”地上最速”の生きものは”地上最強”とは言えない。

母チーターが倒した獲物に群がる子どもたちは
例外なく内臓から食べ始める。
やれロースだ、ほれカルビだと、
目の色変えるのはどうやら人間だけのようだ。

5月中旬の日曜日、松戸市・八柱にて墓参。
その脚で足立区・北千住にやって来た。
比較的出没率の高い街である。
なじみの「大はし」や「千住の永見」ではなく、
新規開拓を試みるのがこの日の狙い。
別段、居酒屋に絞ったわけではないが
結局、選んだのは「MASUMASU」なる居酒屋。
店先の品書きを吟味して決断した。
さして広くはないものの、けして狭くはない北千住、
あちこちほっつき歩いた挙句、
入店したのは駅から徒歩1~2分の至近であった。

立て混む店内を見渡し、
カウンターに空席を見つけて落ち着く。
突き出しの小冷奴と鳥皮マヨに気落ちした。
先行きあまり期待できそうにない。
でも生ビールの旨さだけは格別。

墓前に香華を手向け、掃き清める程度なら
さほどわずらわされることもないが
生垣の剪定(せんてい)、雑草の駆除はいささか大儀。
しかし作業中もそのあとも
清涼飲料水には目もくれず、グッとガマンの子、
もとい、ズッとガマンのオヤジであった。
すべてはそののち待っているオンナのためである。
もとい、ビールのためである。
いやはやどうも、”もとい”の多い今日この頃。
読者の方々には何かとご迷惑をお掛けしております。

のどはすでに潤した。
あとは舌を歓ばせ、栄養を摂取してスタミナをつけよう。
冷奴の小鉢を隅に除け、おもむろにメニューを開いた。

=つづく=

2011年7月11日月曜日

第93話 世にも小さなとんかつ屋

先日、泉州岸和田の水茄子について書いたら
T梨サンという方から、かようなメールをいただいた。

こんにちは。
茄子は、水茄子だけじゃなくて普通の茄子も生食出来ますよ。
山形県では「だし」といって、
細かく刻んだ生の茄子、胡瓜、茗荷などをご飯に掛けて食べます。
山形では、夏の定番中の定番です。


これなら酒の肴にも恰好、さっそく試してみようと思った。
大葉を加えてもよさそうだし、
冷奴にあしらっておろし生姜をトッピングしてもイケるだろう。
T梨サンの情報に感謝である。

続いては先週金曜日の解答。
江戸の夜に千両おちるのは吉原遊郭。
あとは朝と昼だが、朝は日本橋の魚河岸、
昼は浅草・猿若町の芝居茶屋が正解。
ただし、江戸初期の芝居は二丁町(人形町界隈)が中心だ。

ここでハナシはいきなりアメ横に飛ぶ。
上野アメ横とはいうものの、
同じJRでも山手線や京浜東北線を利用するなら
御徒町のほうが使い勝手がよろしい。
上野でん、新宿でん、池袋でん、
デッカい駅は電車を降りてからが大変だ。

でもって、今回やって来たのは
おそらく東京で一番小さなとんかつ屋「まんぷく」。
狭くてもここのとんかつを食べれば満腹請け合いということか。
アメ横の入り組んだ裏路地に隠れるようにして店はある。
8席のみのカウンターは横も狭けりゃ、うしろの壁も近い。

正午過ぎに入店すると1席だけ空いていた。
それがホンの数分で4~5人が並んだ。
客はすべてオトコ、まさに女人禁制の世界がここにある。
ちょっと見は往年の名歌手、藤山一郎に似た老主人に
こちらはおそらく息子だろう、親子二人の切盛りだ。
ともに客の注文を忘れがちで血は争えない。

お願いしたとんかつ定食(900円)は
大きなロースカツに、白菜&大根の新香、豚汁とライス。
たっぷりの新香がうれしいものの、味の素は余計だよ。
豚汁は肉の切れっ端とねぎのみ、皿盛りライスの量が多い。
卓上には、とんかつソースとウスターソースにキッコーマン。
とんかつソースが馬鹿デカく、
ビールジョッキみたいなグリップまで付いている。
醤油に気づかず、危うくウスターを新香にかけるところだった。

すると、入れ替わって隣りに座った若いサラリーマン、
注文品のメンチカツにとんかつソースをドボッとやった。
そして、そして、「アアーッ!」― 止めるヒマもあらばこそ、
新香にウスターをしっかりかけちゃったよ。
こちとら箸を休め、固唾を飲んで見守ると
「エッ、エエーッ!」― 気づいているのか、いないのか、
平気の平左でソースまみれの白菜を食べ続けている。
一体全体、どういう味覚してんのかしら・・・。
キャベツにソースでいいのなら、白菜にかけてどこが悪い?
そんな自信に満ち満ちた所業でありました。
でもネ、思い出すとやっぱ気色悪いや。

「まんぷく」
 東京都台東区上野4-1-5
 03-3831-3457

2011年7月8日金曜日

第92話 ソープ嬢が消えた! (その2)

花の吉原に来ている。
かつては”江戸三千両”の一翼を担ったあの吉原に。
何のこっちゃい? ってか!
江戸の昔は毎日、朝・昼・夜とそれぞれ千両、
金が動く場所があったのだ。
夜はもちろん吉原の遊郭。
では、朝と昼はどこだったのだろうか?
ふふふ、さあみなさん、お考えくださいまし。
答えは次回、週明けのの当ブログで発表しましょう。

さて、吉原といってもソープランドではなく、
日本そば屋の「梅月」に寛いでいる。
そば屋だからそばが食えるのは当たり前。
ところがここではありがたい(?)ことに
ソープ嬢の日常生活を垣間見ることもできるのだ。
東京広しといえどもそんな場所は
そうあるもんじゃございやせんぜ。
「梅月」には仕事明けのソープ嬢がひんぱんに現れ、
大きな声じゃ言えないが湯殿姫御用達のそば屋がここだ。

ちっとも梅雨らしさのない晴れた夕刻、
入店すると三十がらみの男たちが酒盛りの最中。
目の端にその光景をおさめながらテーブルに付き、
ビールを注文して驚いた。
何と数年前、「おとなの週末」に書いた、
おのれのコラムが目の前にピンナップだ。

Oh,My God!

それはそれとして店内を見渡すものの、
お目当て(?)のソープ嬢の姿がまったくない。
彼女たちはいったいどこへ消えたのだ?
思うにこの時間帯がいけなかったのかもしれない。
考えてみれば、ここに来るのは昼めしどきが多かった。
需要がないためか18時頃には暖簾を仕舞う「梅月」に
夕方やって来た記憶はあまりない。
夜に営業しても姫君たちはフル稼働中だものネ。

拍子抜けしてビールを飲みつつ天もりを頼む。
海苔は好まず、ざるではなくもりにした次第。

野菜の下に海老天が2尾

そばも天ぷらもそれなりの水準に達している。

酒盛りの男たちの会話が耳に入ってきた。
ややっ、おお、そうか、そうか、
彼らはソープランドの黒服たちであった。
ふ~ん、なるほど、得心して店をあとにする。

後ろ手に引き戸を閉めて二歩三歩と踏み出したとき、
背中に視線を感じて振り向いたら
今度はお狸が見送ってくれている。

どこまでも可愛いヤツだ

商売上、他の店を抜くから”他抜き”。
この者、ただのペット代わりではけっしてない。
店に繁盛を招く、お狸さまなのでありますぞ。

「梅月」
 東京都台東区千束4-27-12
 03-3872-7588

2011年7月7日木曜日

第91話 ソープ嬢が消えた! (その1)

フードには著しく興味を示すが
フーゾクにはまったく興味のないこの身、
歓ぶべきであろうか?
人それぞれにいろんな人生の楽しみ方があるもので
あまり余計なことを考えず、思いのままに生きるのが一番だ。

東京都における最大の紅燈街は吉原。
日本一のソープランドタウンである。
もとは江戸開府後、現在の人形町に開設された遊郭だが
1657年の明暦の大火で消失、浅草の奥へ移転して来た。
その当時は新吉原と呼ばれたものの、旧吉原ががなくなれば、
”新”を付ける必要もなく、いつの間にか単に吉原となった。

フーゾクとは無縁でも吉原と隣りの山谷へはしばしば出向く。
山谷は酒場と角打ちが目当てだが
吉原へは見返り柳の正面に並ぶ、天ぷらの「土手の伊勢屋」、
ケトバシ(馬肉)の「中江」と「あつみや」に行く。
ものはついで、その際にソープ街の見廻りを怠らない。
入浴料を払わずとも、そぞろ歩くだけでけっこう楽しい。

吉原のそば屋「梅月」へは、まれに顔を出す。
2年に1度くらいのペースだろうか。
場所柄、とてもユニークな店で
「J.C.オカザワの浅草を食べる」でも紹介した。
この項のサブタイトルは”ソープ嬢は天ざるがお好き”。
一部を抜粋してみよう。

ソープランドの林立する吉原は
そのまま台東区・千束四丁目にスッポリと収まる。
ほぼ正方形の敷地に横一本、縦二本の線を引いて

六つの町と丁目に分かれていた。
地図を見ると、正方形がそっくり左に40度ほど傾いている。
浅草の町はおおむね碁盤の目状なのに
ここだけが意図的に傾斜をつけられているのだ。
ナゼだろう?
何とトマリ客のために縁起の悪い北マクラを回避したのである。
これなら北東マクラか北西マクラどまり、オツな真似をしやがる。


「梅月」は吉原の南の外れにあり、
ちょうど旧京町二丁目の一郭にあたる。
もりそばは普通、典型的な町場のそば屋然として
甘辛いつゆに薬味はさらしねぎと粉わさびだ。


若いソープ嬢が携帯メールを打ちながら入店してきた。
席につくといきなり 「天ざる~うっ!」と叫んだ。
おいおい、頼み方ってモンがあるだろに。
彼女悪びれもせず、携帯の操作に忙しい。
そこへもうひとり、また若いのが現れて先着の娘のテーブルへ。
夜勤明けの同僚同士だなこれは。
「アンタ、何にしたの? ふ~ん。アタシも~おっ!」
ハハ、こういうのは見ていて飽きません。
隣りの中年カップルもそうだし、

何で揃いも揃って天ざるなんだろ?

たどりついたらいつも雨降り、
もとい、いつものようにお狸さまのお出迎えだ。

艶っぽいたたずまいがいかにも色街

天ざるに心を決めつつ敷居をまたいだ。

=つづく=

2011年7月6日水曜日

第90話 心に残るテレビドラマ

一昨日(7月4日)発売、
「週刊現代 7/16・23合併号」の大特集に着目。
「決定!懐かしのテレビドラマ ベスト100
 本物の家族と本物の刑事(デカ)がいた時代」
と謳われた特集は
”合併号巨弾企画14ページぶち抜き”ときた。

ほお~っ、スゴいですねェ、やりますなァ。
よい企画につき、発行元の講談社には無断で
ちょいとばかり中身を紹介してみよう。
宣伝にもなるハズだから別段おとがめはなかろう。

まずはベスト10といきたいところなれど、
そこまで公表すると売上にも影響するので
ベスト5に抑えることにする。

① 岸辺のアルバム     TBS
② 北の国から          フジ
③ 早春スケッチブック   フジ
④ 夢千代日記         NHK
⑤ 東京ラブストーリー   フジ


学生時代は夜のバイトが多く、
成人してからも海外生活が長かったため、
TVドラマを観る機会には恵まれていない。
①、③、④はまったく観ていないし、
②もごくまれに再放送や特別版に接した程度だ。

⑤だけはニューヨークに居た頃、
日本のビデオショップでまとめて借りてきて
週末一気に観た覚えがある。
トレンディードラマとしては
けしてよいデキとも思えなかったが
主題歌のおかげもあってヒットしたのだろう。

わが身を振り返り、
思いつくままに自分のベスト10を選んでみた。

① 赤穂浪士        NHK
② 事件記者          NHK
③ 若い季節        NHK
④ 男はつらいよ     フジ
⑤ 七人の刑事      TBS
⑥ 三姉妹          NHK
⑦ 古畑任三郎       フジ
⑧ スチャラカ社員     TBS
⑨ 王様のレストラン   フジ
⑩ セールスマン水滸伝 フジ


NHKが目立つのは
両親がチャンネル権を握っていたせいだが
初期の大河ドラマは実に見応えがあった。
重厚な役者のオンパレードだった。
記者クラブでのやり取りは軽妙にして味があり、
子ども心にも強く印象を残してくれた。
あの寅さんは映画になる前、TVだったのだ。
ハブに咬まれて死んじゃったけどなァ。
ホームドラマが1つも入っていないのは
自分が家庭的な人間でないからだろう。

今朝(5日)、一人のバカモンが大臣を辞任した。
あの言い草では辞任の前に更迭が妥当だ。
メディアが伝えるように
”上から目線”なんて甘っちょろいものではない。
他人への思いやりもなければ、品性のかけらすらない。
宮城県知事に待たされてプライドを傷つけられ、
それをとがめるあまり、ご乱心あそばされたのだろうが、
例えあの場をしのいだとしても
化けの皮がはがれるのは時間の問題であったろう。

菅もアホなら龍もアホ、
同じアホならエバらにゃ、ソン、ソン。
ソンと言やあ、菅を持ち上げた孫も見苦しかったなァ。
まっ、被災地の方々にも一般国民にも
韓流ならぬ”菅龍ドラマ”が1週間そこそこで
幕を降ろしたのは慶賀すべきこと。
あとは最大にして最悪のガレキ、
菅を片付けりゃ復興の目途も立とうというものだ。
フン、愚か者どもめ!

2011年7月5日火曜日

第89話 大塚は底なし沼 (その2)

昨日はかつての花街・大塚で4軒はしごしたハナシ。
まるで底なし沼にハマッたが如くだ。
都内でも浅草と並び、はしご率がめっぽう高いのがこの地。
後日、何度か出没しているが
今日もまた底なし沼事件の顛末である。

その夜は東京メトロ丸の内線・茗荷谷で下車。
新大塚に向かって歩み、
1軒目は有形文化財に推したいくらいの「柄沢商店」だ。
腰掛け可能ながら、基本は立ち飲みの角打ちで
ふらりと椿三十郎が現れてもシックリくる雰囲気がある。
独りで客をケアする女将はおっとりとした性格、
注文時のみ応対して、あとはのん気に茶の間でTVを観ている。
都内に何軒もある角打ちだが、こんなのはこの店だけだ。

サッポロ黒ラベルの大瓶に”うまかつ”なる得体の知れないつまみ。
パン粉の厚いカツの中身は薄い合成肉みたいなヤツで
角打ちにはお似合いの酒の友といえよう。
だが、読者の方々にはおすすめしない。
第一感は大人の駄菓子そのものだもの。

2軒目はかねて狙いを定めていた「大雅」なる中華料理店。
上野と大塚を結ぶバスに乗った際、車窓から見掛けた店だ。
ちょっと見、どことなくおいしそうな気配がした。
春巻と穴子の辛子炒めで紹興酒を飲んだが
穴子の鮮度に疑問符が付き、アテがはずれた恰好、
どうも最近、目利きの力が落ちている。

失敗したら長居は無用。
そのまま千川通りを直進して大塚のフトコロに飛び込む。
となれば、今宵も「江戸一」であろう。
この日は〆さばを肴に真澄を常温で2杯やった。
刺身はまぐろ・かつお・すずき・白いか・とり貝と揃っていたが
何となく酢の利いたものが食べたかった。
小肌か酢あじがあれば、そっちにするところなれど、
〆さばで折り合いをつけた次第だ。

いつ訪れても「江戸一」は満席である。
大女将をはじめ、接客の女性たちがあわてず騒がず、
常に落ち着いた応対ぶり。
この空間に身を置くだけで
幸せを感じるオジさんたちが夜な夜な参集してくる。
客の喫煙率の高さがネックだが、さほど気にならない。
何せ大女将自身がスモーカー、
店内禁煙のお達しなど、彼女の目の黒いうちに出るはずもない。

「江戸一」に寄って「富久晴」を素通りするのは片手落ち。
それじゃ仁義にならないと4軒目は大塚随一の焼きとんだ。
この夜はカミさんに任せっきりで
しばらく姿を見せなかった店主が
殊勝にも焼き台に貼り付いて串をあやつっている。
オヤジの復活に伴い、今度はカミさんの姿が消えた。
夫婦並び立っているところを見たことがない。

なぜか大塚はキリンビールの天下で
行きつけの2軒がともにそうだ。
ラガー大瓶を2本飲み、串は5本だったかな?
コブクロが売り切れだったような記憶がうっすらと・・・。

千鳥足で町にサヨナラ。
再び大塚の底なし沼で沈没しかかった。
まったく、アホでんなァ。

「柄沢商店」
 東京都文京区小石川5-41-9
 03-3811-7380

「大雅」
 東京都文京区千石3-1-1
 03-3942-2518

「江戸一」・「富久晴」は昨日のブログをどうぞ

2011年7月4日月曜日

第88話 大塚は底なし沼 (その1)

豊島区・大塚はちょくちょく訪れる町。
戦前は隣りの池袋より隆盛をきわめた土地柄で
その名残りが懐旧の気持ちを盛んに刺激する。
線路脇に背の高いホテルが建ったりしたが
全体に低層の町並みが続き、
山手線とチンチン電車の駅を中心として
東西南北、どの方角に脚を向けても
異なる面影を見せてくれるところが好きだ。

東京屈指、それも右手の親指か人差し指に
数えられる酒亭「江戸一」の存在もまた、
大塚に引き寄せられる大きな要因。
近所の焼きとん屋「富久晴」も拍車をかける。
大塚に来て、この両者をソデにすることはあり得ない。
必ずどちらかに立ち寄るのが常、
あいや、両方行くことのほうが多いから
来れば3軒のはしご酒は必至だ。

2軒、3軒と回るうち、
頭の中を藤圭子の「はしご酒」がグルグル回りだす。
アレはまっこといい歌で彼女のナンバーワン。
だけど今日は歌詞を披露しない。
最近、歌謡曲の登場が多すぎるのでしばらく封印だ。
でも誰かが「歌ネタ出せ!」と言い出せば、またベツのハナシ。

数ヶ月前のその日は「江戸一」でスタート。
キリンラガー大瓶と真澄の銚子を1本ずつ空けた。
春まだ浅き宵につき、燗は上燗(ぬる燗と熱燗の中間)。
突き出しは塩豆、つまみは好物の桜海老おろし。
悪店に行くと駿河湾産桜海老の代わりに
台湾産オキアミをシャアシャアと出してくる。
もちろん「江戸一」にそんな心配は無用のこと。

四半刻ほど過ごして三業通りの「一松」へ移動。
友人と待ち合わせていたのだ。
サッポロ黒ラベルで乾杯後は芋焼酎・島美人のロックで通す。
前菜はふぐ煮凍りとポテトサラダ以外に
もう1品あったものの、忘れてしまった。
名残りのとらふぐ刺しと野菜の煮たのとでロックを4杯やる。

ネクストは前述の「富久晴」。
キリンラガー大瓶に戻し、焼いてもらったのはタンとハツを塩、
レバとシロはタレであったような、ないような?
酩酊が進んでどうにも困ったもんだ。

そしてなおも4軒目。
ビールを飲んだが銘柄すら思い出せない。
注文した肴が何で、それを食べたかどうかさえ記憶にない。
さらに店名まで覚えちゃいないから
数日後、確かめに舞い戻るったら「豊川」なる居酒屋だった。
急性記憶喪失につき、この店の批評は不可能だ。
よってデータも省略させてくださいまし。

=つづく=

「江戸一」
 東京都豊島区南大塚2-45-4
 03-3945-3032

「割烹 一松」
 東京都豊島区南大塚1-56-2
 03-3944-4649

「富久晴」
 東京都豊島区南大塚2-44-6
 03-3941-6794

2011年7月1日金曜日

第87話 水茄子の季節

先日、作曲家・筒美京平サンのことを書いたら
読者の方々から「ボクも好き」、
「わたしもファン」という声が多数寄せられた。
その中に野口五郎の「私鉄沿線」を推す方が何人か。

この曲については奇しくも当ブログの第78話でもふれた。
東京郊外の私鉄沿線を散歩しながら口ずさむくらいだから
好きな1曲であることに間違いはないのだけれど、
実はこの曲、筒美サンの作曲ではない。
珍しくも彼は編曲を担当しているのだ。

季節はずれの晴天というより、
暑気払いが必要なくらいに暑い日が続く毎日。
「梅雨よお前は何処に?」―
空に向かって問い掛けたいくらいのものだ。
もっとも子どもの頃から暑いのは大好き。
フェイヴァリット・シーズンは夏、
フェイヴァリット・マンスは8月につき、いっこうに構わない。

遠く泉州は岸和田特産の水茄子が出回っている。
だんじり祭りで名を馳せる岸和田だが
この地で採れる水茄子は天下の珍味、
生で食べられる貴重な茄子である。
アクは少なく水分多く、これが生食を可能にしている。

岸和田市に隣接する貝塚市の馬場茄子は
まぼろしの水茄子の異名をとり、
その旨さたるや想像を絶するものがあると聞くものの、
機会に恵まれず、いまだ口にしたことはない。
われわれの世代は貝塚の名を耳にすると
女子バレーの日紡貝塚を思い起こさずにはいられない。
東京オリンピックで金メダルを獲得した”東洋の魔女”、
その基盤となった偉大なチームである。

古い民家のおかげで昭和の情緒を残す文京区・根津。
ここに大阪から進出して来たうどん店、「釜竹」がある。
本店は羽曳野にあり、岸和田に近いといえば近い。
根津店の昼は地元の会社員のほか、
谷根千歩きにいそしむオバタリアンが襲来したりもして
かなりの活況を呈している。

この間など、どこからやって来たのか高校生、
いや、中学生かもしれないな、
とにかくそんな感じの男子が5名、
車座になってうどんをすすっているではないか!
わが身を振り返ると、その時代に口に入ったのは
ラーメン・たぬきうどん・ソース焼きそばが関の山。
いやはや、今どきの子どもはいいモン食ってるなァ。
親は小遣いをやり過ぎじゃないの?

みちのくで麺造りに携わっている友人が
上京してきたので「釜竹」に案内した。
昼下がりのビールを飲りながら
本日のおすすめ、水茄子を所望する。
季節感を舌先に運ぶ食べものが少なくなった当節、
貴重ですなァ、うれしいですなァ、旨いですなァ。
いきなり”ですなァ”を三連発だ。

後学のために釜揚げうどん、細・太2種あるざるうどん、
3品すべてを注文して2人で分ける。
いずれものびやかなコシのあるうどんたちだが
3人前はかなりのボリュームでシンドい。
たぬきうどんの大盛りにライスまで付けた高校時代。
帰り来ぬ青春を振り返ってほろ苦し。

「釜竹」
 東京都文京区根津2-14-18
 03-5815-4675