2011年5月31日火曜日

第64話 「ゆうひ」の鮨に 友と行く (その1)

♪   夕陽の丘の ふもと行く
   バスの車掌の 襟ぼくろ
   わかれた人に 生き写し
   なごりが辛い たびごころ ♪
     (作詞:萩原四朗)


裕次郎&ルリ子の歌声が街に流れていたのは1963年。
東京オリンピックの前年のことで
三波春夫の「東京五輪音頭」もこの年すでに流行していた。

1963年は前年の’62年に続いて歌謡曲の豊作年。
梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」が
大賞にふさわしいかどうかはともかく、
名曲に恵まれた卯年の一年であった。

舟木一夫「高校三年生」、三田明「美しい十代」はともに
二人のデビュー曲として大ヒット、それぞれ彼らの代表曲となった。
北島サブちゃんのデビュー曲、「なみだ船」、
亡き坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」もこの年だ。
でも一番好きなのはザ・ピーナッツの「恋のバカンス」。
4ビートのリズムに乗った双子姉妹のハーモニーがすばらしかった。
あまり時を置かずにロシア(当時はソ連)でも大ブレーク。
いまだに歌われ続け、ロシア国民の心に根付いている。

さて、とある夕暮れ、実はほんの数日前のこと。
こぬか雨が肩を濡らし、
西空を見上げても夕陽の姿なき黄昏どきである。
親しき友と「ゆうひ鮨」に出掛けた。
以前は不忍通りに面する三角形の珍妙な造作の店舗。
それが駒込はアザレア通りの外れに移って丸2年、
移転後は初めての訪問だ。

当然ながら親方の面立ちには見覚えがある。
つけ台がだいぶ長くなって10席はありそう。
ビールは生も瓶もサッポロのみながら
晩酌の対象として不足のない銘柄ではある。
特別のリクエストがなければ、おまかせ一辺倒のシステムで
これは移転前にはなかったしきたりだ。

まずは生を1杯。
突き出しは釜揚げの桜海老。
これは”大”の上にも”大”の付く好物。
大根おろしをちょこっと添えてくれたらもっとうれしいが
どうしてどうして、このままでもじゅうぶんにありがたき幸せ。
箸の上げ下げにリズムが出てくる。

親方曰く、つまみの間ににぎりをはさんで供するとのこと。
珍しいスタイルながら、ほかにないこともない。
有名なのは四谷見附の「すし匠」であろう。
突き出しのすぐあと、目の前ににぎり第一号がスッと着地した。
おやっ? 少なからず意表を衝かれたことであった。

=つづく=

2011年5月30日月曜日

第63話 豚肉の新生姜焼き 男やもめのキッチン Vol.2

今日は”男やもめのキッチン”シリーズ第2回。
誰にも料理を作ってもらえない哀れな男が自ら厨房に入り、
手抜きをきわめながらも
それなりの美味にありつこうというものだ。

俗に物事をいじり壊すという言い回しがあるが
料理とて同じこと。
手を掛けすぎて台無しにしちまうことがままある。
殊に料理本と首っ引きで
塩や砂糖を几帳面に量って使う主婦に
そんな例があとを絶たない。

その点、男やもめは気楽なもの。
誰に食わせるわけじゃなし、
もともと手を掛けないから失敗しても悔いは残らず、
精神的打撃も軽微なもので済む。
駄目もとOK、けっこう毛だらけ、猫灰だらけなのである。

日々気温が上がり、新生姜の出回る季節となった。
今回はこいつを使ってみたい。
定食屋の定番に豚肉の生姜焼きがあるが
これを新生姜で作るのだ。
ただし、生姜は卸さない。

ところで豚肉生姜焼きの発祥地をご存知だろうか?
銀座7丁目の和食店、「銭形」で生まれたものとされている。
昭和26年創業というから今年で還暦。
生姜焼きが生まれたのはもっとあとのことだろうが
今も変わらず提供している。
その流れを汲む日本橋小網町「銭形」でも同様に食べられる。

それでは豚肉の新生姜焼きを作って参りましょう(2人前)。

用意する食材は
   豚バラ肉薄切り・・・300g
 新生姜・・・100g
 信州味噌(白)・・・適宜
 日本酒・・・適宜


豚肉はバラでもロースでもかまわないがJ.C.の好みはバラ。
しかもバラだと油を引かずに済む。
豚肉にはあらかじめ軽く塩・胡椒をほどこしておく。

新生姜は鮨屋の漬け生姜よりやや厚めにスライス。
このとき繊維を切断せず、繊維に沿って包丁を入れるのがコツ。

あらかじめ味噌を日本酒で溶いておくが目分量で同量くらい。
好みで若干の醤油を加えてもよし。
通常の生姜焼きは醤油味が基本ながら
新生姜の場合は断然、味噌との相性が勝る。
谷中生姜に添えるのは味噌と昔から相場が決まっている。

豚肉が焦げ付くようであれば、少量の食用油をフライパンに落とす。
ラードがベストであることは言うまでもない。
手早く炒めたら火の止め際に溶いた味噌を掛け回して完了。
アルコールが苦手の向きは投入の時期を早める。
きざみねぎ・七味唐辛子・辣油(ラーユ)の類いは使わぬほうがよい。
新生姜特有の香りと辛味を堪能するためだ。
まっこと簡単な料理なりけり。

2011年5月27日金曜日

第62話 野方で明暗分かれるの巻 (その2)

中野区・野方に来ている。
「秋元屋」で焼きとん&焼き鳥をつまんだあと、
その名も「野方食堂」に向かうところだ。

最近、ときどき晩酌につき合ってもらう人間が
某出版社勤務のM山クン。
別段、酒は強くはないが晩めしは毎晩食べるわけで
「オゴッてやるよ」の一言が殺し文句。
身体さえ空いていれば、
大概の場所にはたとえ遅れても必ず現れてくれる。
まことに使い勝手のよろしいヤツにつき、
こちとらは大助かりである。

実はこの日も「秋元屋」に寄り道を決めた時点で
即、メールを送っておいた。
「秋元屋」における独り酒は
彼が到着するまでの時間調整も兼ねていたのだ。

さっそく「野方食堂」ではビールと赤ウインナー。

下世話なコレが好き

いったい何時の頃からだったか、
粗挽きウインナーが幅をきかせるようになったのは。
おそらく1980年代初めじゃなかったろうか、となれば早や30年。
そのワリを食ったのが懐かしの赤ウインナーなのだ。

現在、豚肉100%の細挽き赤ウインナーをゲットすることは
ほぼ不可能に近い。
したがって豚肉・鶏肉混交で我慢の日々を送らざるをえない。
さすがに魚肉入りはトンと見掛けなくなった。

ほどなくM山クンが登場。
この人はいつも疲れているのが身体的特徴。
いや、疲労の原因は精神的なものかもしれない。
コップ1杯のビールで顔を赤らめながら
注文したのは季節の御膳、金980円也。
料理4品にごはん・味噌汁・新香が付き、
バランスの取れた定食仕立てだ。
こちらも絹揚げ豆腐を追加する。

運ばれた御膳はこんな風であった。

どんぐりの背比べだが目立つのはかつお造り

筑前煮と蕗煮、煮物の重複は感心しない。
バッテラみたいのは春キャベツと豚肉の博多押しというらしい。
写真入りのメニューにはこうあった。
”絶妙な塩コショウの塩梅!まずはそのままお召し上がりください”
ところが、ところがである。
その博多押しの塩辛いこと、口元ひん曲がるが如し。
オマケにかつおも筑前煮もまったく冴えない。

卓上にはメニュー類に混じり、いろいろと能書きが。
”美味しさのヒミツ”と題し、米・味噌・醤油・酒をはじめ、
各種食材の自慢話がこれでもかと満載である。
どんな材料を使用しようとも、
料理人の舌がお粗末ではまさに猫に小判。
これでは昭和11年創業の金看板が泣く。
料理の世界で生きる者は
腕よりもまず、舌を磨かなくてはなりませぬ。

はるばる野方までやって来て
「秋元屋」と「野方食堂」、2軒の店を訪問したが
モロに明暗分かれるの巻であった。

「野方食堂」
 東京都中野区野方5-30-1
 0303338-7740

2011年5月26日木曜日

第61話 野方で明暗分かれるの巻 (その1) 

ついこの間、何人かの読者の方から
「しばらく居酒屋・酒場の紹介がないのはどうしたことだ!」
てな、お叱りを受けたばかり。
それではと、努めてその類いの店を積極的に取り上げていたら
今度は
「最近は居酒屋ばっかじゃないか、飽きたからいい加減にしろ!」
こう言われる始末。

いったいぜんたい、どうしたら歓ばれるんでござんしょうか?
アメリカ人なら大げさに両手を拡げて
「What Can I Do?」―こう嘆くこと必至である。
いいでしょう、いいでしょう、
今回を最後に最低1週間は
赤ちょうちんと縄のれんを封印いたしやしょう。

そこで、というわけでもないが、西武新宿線・野方にやって来た。
中野からテクテクと歩いてネ。
この日は食事処「野方食堂」が目当てだ。
メニューは豊富だし、小ぎれいだし、
期待に大きく背くこともなかろうと皮算用をはじいた次第。

沼袋を経由し、野方の町に入ったとき、
思い出したのは焼きとん「秋元屋」のことである。
時間が17時前とあって、目当ての暖簾もまだ出ていないハズ。
迷うことなく「秋元屋」に直行し、焼き台の真ん前に陣取った。

串が焼き上がるまでの間、
サッポロ黒ラベル(大瓶550円)の友となるのは
100円ポッキリの甘らっきょう。
これを1粒口にした瞬間、
今は亡き三木のり平の面影が目に浮かぶのは
ひとえに「桃屋」のCMのおかげであろう。

多少の例外があっても基本的に焼きとんは1串100円。
焼き鳥のほうが高くて120円。
ランダムに1本ずつ焼いてもらう。
ハツ・チレ・コブクロ・シロコロは塩、レバはタレだ。

手前シロコロ、奥コブクロ

ちなみにチレは脾臓、コブクロは子宮のこと。
焼きとんというヤツは旨くて安くて栄養価が高く、
しかもビールとの相性がピッタンコときては
もう、やめられない、とまらない、
かっぱえびせんも真っ青の代物ですナ。

鳥系からも2本お願いした。

手前背肝、奥セセリ

背肝は腎臓、セセリは首肉である。
ネギマ・ササミ・砂肝・ツクネの基本路線も悪くはないが
稀少部位が揃った店に来たら絶対に試すべき。
当夜食した2本など、
鳥肉専門店でさえ、めったに手に入らないもの。

さあ、そろそろ切上げて
当初の目的地、「野方食堂」へ移動、移動。

=つづく=

「秋元屋」
 東京都中野区野方5-28-3
 03-3338-6236

2011年5月25日水曜日

第60話 渡り鳥いつ帰る

久保田万太郎が永井荷風の短編小説3篇を
構成して生まれた映画、「『春情鳩の街より』 渡り鳥いつ帰る」。
1955年の作品はカフェー街、はやいハナシが紅燈街、
もっとはやくいえば赤線地帯の鳩の街を
舞台に繰り広げられる人間ドラマである。

鳩の街は墨田区に現存する地区。
今では寂れに寂れ果てていても
それなりの雰囲気を醸すカフェや喫茶店が
まだ数軒、つつましやかに営業を続けている。

昨今の邦画界でオールスターキャストは死語。
往時、“赤穂浪士”や“連合艦隊”をテーマにした作品では
豪華キャストを楽しめる機会がたびたびあった。
しかしながら赤線地帯が舞台の映画で
豪勢なキャスティングはほとんど記憶にない。

「『春情鳩の街より』 渡り鳥いつ帰る」の女優陣は
柳橋の花柳界を舞台にした「流れる」(1956年)と双璧。
田中絹代・高峰秀子・淡路恵子・岡田茉莉子・
桂木洋子・久慈あさみ・水戸光子・浦辺粂子に加え、
子役だった二木てるみまで登場する。
ほとんどの女優が春をひさぐ役柄ときては
一度でいいから客になってみたかった。

花街・紅燈街の主役は女性、男優が手薄となるのは当前。
森繁久弥が唯一の主役男優だがラストには溺死する。
意外な結末が久保田万太郎自身の末期に
シンクロナイズしないこともない。
赤貝が苦手だった万太郎はパーティーの席上、
その赤貝のにぎり鮨を無理してほう張り、
飲み込もうとした結果、窒息死してしまう。
嘘みたいな死に方だが、これを笑ったら故人に礼を失っしよう。

GWさなかの一日、陽光うららかな午後の散歩は不忍池池畔。
この時期、渡り鳥は北に帰って水面が急にさみしくなる。
池の主役を張ったオナガガモも
脇役をこなしたキンクロハジロもすでにいない。
ところが1羽だけ見慣れぬ鳥がいた。

チョコレート色の目の周りと頭

これはいったい何モノだ! パンダ鳥なんか見たことないぞ!

帰宅後、調べてブッタマゲた。
この鳥は普段よく見掛けるユリカモメだったのだ。
赤いくちばしと脚が特徴のユリカモメは
眼光鋭いカモメの仲間にあって、唯一やさしい眼差しの持ち主。
実は冬と夏では羽毛が生え変わり、夏羽がこれである。
ユリカモメが渡り鳥とは知らなかったが
仲間に取り残され、衣替えだけを済ませたらしい。
まさか隣りの動物園に到来するパンダを仲間と思い、
待ってたわけでもあるまいに。

カモメよカモメ、独りでさみしくないのかえ?
北へはいったい、いつ帰る?
どうにもこうにも気になって仕方なく、
その2日後、池に舞い戻ってみると、
パンダカモメはもう何処にも居なかった。
よかった、よかった、今頃ロシアかアラスカか?
ホッと安心したついでに歌いたくなったのは
♪ 安堵、アイ・ラブ・ハー ♪
ビートルズのナンバーでしたとサ。

2011年5月24日火曜日

第59話 板橋宿は今 (その3)

九州北部の福岡・大分県あたりでは
両面焼きそばなる代物がポピュラーらしい。
首都圏では数年前に「あぺたいと」という店がお目見えした。
板橋北部、埼玉県との県境の高島平本店のほか、
江戸川区・鹿骨や埼玉県・戸田市にも展開している。

両面焼きを試すため、その夜は板橋支店にいた。
つまみに頼んだ3種盛りが今ひとつで盛り上がらない。
品書きと実物との差異を根に持ったわけではないが
ちょいとおざなりで退屈な3種盛りだった。

しばらくして運ばれた両面焼きそばと初めての対面。



見た目はごくフツーのやわらかい焼きそば

量的に小・中・大・ビッグ・ばくはつの5段階あって
値段は590円から1270円と幅がある。
小を頼んで食してみると、確かに硬めに炒められているものの、
別段、これといった特徴があるものではなかった。
まあ、ハナシの種に一度は食しておいてもよいという程度だ。

早々に次の店に回った。
こちらはしかと目星をつけておいた居酒屋「政屋」。
ウリモノはおでんである。
女将は日中、鮮魚店で働いているらしいが
仕込みもあるのに、そんなことが可能なものだろうか。

以前は都営三田線・新板橋駅近くにあり、
立ち退きか何かでこの冬、移転して来たばかり。
もっとも徒歩で1~2分の距離だから
なじみ客を失う懸念はまったくなかった。
最初に立ち呑みで開業したのは1978年のことだそうだ。

テーブル席があるにはあるが、常連はみなカウンターに落ち着く。
女将との会話ナシでは飲みに来た意味がないと言わんばかりだ。
傑出した器量や話術の持ち主ではないものの、
妙に心休まる雰囲気を持ったオバちゃんである。

湯気を立てている鍋のおでんをのぞき込み、
好みの種を選ぶシステムは3品でたったの380円。
比べるのも狭量ながら、銀座のおでん屋で飲むのがばからしくなる。



大根・しらたき・じゃが芋をチョイス

しらたき以外はめったに頼まぬ種だ。
皿を見ていて思った、ハハハ、根菜ばかりじゃないか。

もう一つの人気アイテム、焼き鳥も所望する。



大ぶりの串3本でこれまた380円

もも肉のぶつ切りが滋味たっぷり。
焼け焦げの香ばしさも手伝ってなかなか旨い。
神保町の気に入り店「多幸八」のそれに似たタレもけっこう。
これはおでん以上の必注品ですナ。

当夜は女将の孫娘が手伝いに来ていた。
しばらくするとお腹がへったのか、賄いのお時間。
「何食べたいの?」―女将に訊かれて
「厚揚げ焼き!」―こう応える。
ほう、てっきり焼き鳥や焼肉(メニューにあったかな?)かと思ったら
今の若い娘にしてはずいぶん枯れたモンを食いたがるじゃないの。
サッポロの赤星ラガーを飲りながら、つい、便乗してしまう。
1枚焼くのも2枚焼くのも手間ひまァ一緒だし、
節電ならぬ、節ガスにちょいとばかり協力してみました。

「あぺたいと 板橋店」
 東京都板橋区板橋1-45-6
 03-3579-4200

「政屋」
 東京都板橋区板橋1-48-2
 03-3964-8094

2011年5月23日月曜日

第58話 板橋宿は今 (その2)

旧中仙道、かつての板橋宿で飲んでいる。
居酒屋「松月」はいささか立て込んできた。
出版社勤務の友人から電話が入り、
これからヒマだと言うのでもっけの幸い、
板橋まで直行することを半ば強制的に言い渡す。
ほとんど命令に近い。
到着まで30分もあればじゅうぶんであろう。
いや、仕事の遅いヤツだから、もうちょっと掛かるか。

ビールと煮込みのあとでどうしたものか、壁の品書きを見上げた。
酒は正一合と銘打ってある。
真っ当な店なのだ。
深山雪(290円)、初孫(370円)、澤の井(520円)、
初めて見る東京の銘柄、滝野川(520円)は
地元の要請で造られた酒なのだろうか。
そう、この一帯は滝野川の町である。
隣りの客の注文した厚揚げ焼きがバカデカく登場した。
あまりにデカいものだから、こちらの領域を侵犯している。
ここで細かいことをとやかく言うJ.C.ではない。
笑みをたたえて余裕の構えを崩さない。

つまみ類のラインナップは
本日の特売のいか大根煮が210円。
新じゃが煮は300円、小肌酢が350円、
脂の乗ったとろかつおは480円だ。
わざわざメスと但し書きのある本ししゃもが330円と安い。
ポテト、マカロニ、ハムの揃い踏み、
言ってみれば、サラダ三兄弟はオール380円也。
せっかく板橋くんだりまで北上してきたのだ、
今宵はもう2軒はツブさないと気が済まない。
かくして追加を断念、会計を決断した。
これから目星をつけ、狙いをしぼるために市中見廻りである。
鬼平こと、長谷川平蔵にでもなった気分。

おっとり刀で駆けつける友には
まず食事を摂らせないといけない。
落ち合ってから向かったのは「あぺたいと」なる店。
何でも高島平に本店を構えるチェーン店かフランチャイズらしい。
高島平といえば、できたときには都内最大の団地群だった。
一時は“自殺の名所”などと、
不名誉きわまりない異名をとった時期もあった。

「あぺたいと」の名代は両面焼きそばなる一品。
鉄板の上に焼きそばの玉を着地させたら
あとはあんまり動かしたり、ほぐしたりせずに
ジックリと火を通すのだそうだ。

まずはビールをお願いし、
そのアテに本日のおすすめから、3種盛りを注文。
内容はチャーシュー・ピリ辛メンマ・ゆで玉子とあった。



実際はメンマでではなく味付けザーサイ

断りもなしに平気でこういういい加減なことをする店が
旨かったためしはない。
やれやれ、どうなることやら・・・。

=つづく=

「松月」
 東京都北区滝野川6-86-11
 03-3916-1572

2011年5月20日金曜日

第57話 板橋宿は今 (その1)

400年も前のハナシ。
お江戸日本橋を基点として旅に出た場合、
最初の一夜の宿となる、いわゆる江戸四宿は
 品川宿―東海道
 千住宿―日光街道・奥州街道
 板橋宿―中仙道
 内藤新宿―甲州街道
江戸時代初期に各街道の初宿として幕府が指定した。

内藤新宿の開設だけが1699年と
ほかの三宿よりも80年ほど遅い。
それ以前、甲州街道の第一宿だった高井戸宿が
ほかの宿場と比べて倍ほどの遠距離にあり、
いろいろと支障を来たしたため、
より近いところに新設されたからだ。

各宿場町の今に至る繁栄はご存知の通り。
ただし、板橋を除いては。
此度はその板橋宿を訪ねてみたい。

往時、この宿場町は江戸から近い順に
下・中・上と三宿に分かれており、
それぞれに別々の元締めが仕切っていた。
現在、JR板橋駅がある界隈は下宿にあたる。
そのせいかどうかは知らぬが
近くには東武東上線・下板橋駅がある。

板橋区は青春時代を過ごした土地。
中学は区立上板橋第一中学校、
高校は都立板橋高校の出身である。
そのくせ板橋駅にはついぞ現れたことがなかった。
そんなことを思いながら
無縁の地を訪れたのは桜のつぼみがふくらみ始めた頃。

駅周辺を中心に小一時間ほどほっつき歩いて
埼京線の踏切そばに「松月」なる古びた居酒屋を見つけた。
店の前の通りは旧中仙道である。
引き戸越しにのぞくとほぼ満席ではないか。
地元の人でこれだけにぎわっていればまずハズレはない。
安心して踏み込める。
運よくカウンターの一席を占めることができた。

店内の貼り紙で目を引くのは”中仙道の味44年”の煮込み。
値段は380円で、まあ標準価格といえよう。
頼まざれば、のちのち悔いを残すことになる。
いの一番に注文した。

トッピングは長ねぎではなく玉ねぎ

これは珍しい、ほとんど見たことがない。

箸をつけて口元に運ぶと白味噌仕立てのこってり味に
オニオンスライスがいい感じでからむ。
熱々の土鍋のおかげをもって
ゆっくりやっても冷める心配がないのがよい。
その間にも客はひっきりなしに訪れ、二階に上がってゆく。
こりゃなかなかの人気店である。

=つづく=

2011年5月19日木曜日

第56話 夜の佳店が昼は凡店

神田は広い地域である。
やれ東神田だ西神田だ、それ内神田だ外神田だ、
ほかにも個別の名前を持った小さな町も多い。
いまだに古い町名がいくつか残っており、
浅草~丁目、銀座~丁目、新宿~丁目、
そういった味気なさがないだけでもよい。

神田小川町・神田淡路町・神田司町と
3つの大きな交差点をつなぐ三角地帯の内側に
明治38年創業の縄のれんがある。
酒場好きなら一度は敷居をまたぎたい「みますや」だ。
明治時代が舞台の映画なんか、
すぐロケができるほどの風情が醸されている。

軒先の赤ちょうちんに”どぜう”の3文字。
人気のつまみはどぜうの丸煮だ。
下町の専門店とは比べるべくもないが
どぜうはもともと大衆的な庶民の味覚。
気取りを捨てて突っつきながら酒を酌み交わすのが一番。
酒盃を交わす相手がいなければ、独り酒もまたよしである。

もう一皿は馬肉の刺身、そう、さくら刺しがよい。
千代田の城の膝元でどぜうと桜肉を同時に味わえるのは
願ってもない幸運と受けとめるべきで
本来は深川や吉原まで脚をのばさないといけない。

隣り町の美土代町で所用を済ませたのが12時過ぎ。
「みますや」のランチ営業を思い出して迷わず向かった。
夜の訪問ですらトンとご無沙汰だから
昼めしは何年ぶりだろうか、少なくとも5年は経過していよう。

そうだ、そうであった、ここはセルサービス。
トレイを持って大テーブルのおかずを選ぶシステムで
値段は昔と変わることなく一律750円。
いや、カキフライだけは850円と100円高かった。
選べるのは主菜と小鉢、それに豆腐味噌汁と白菜漬が付く。

さば味噌煮、ホッケの開き、アジフライ、チキンカツなどから
イメージとして店にふさわしい穴子の煮付けをチョイスする。
細身にして小ぶりの、いわゆるメソッ子と呼ばれる穴子は
鮨屋よりも天ぷら屋で重宝されるサイズ。
小鉢代わりの野菜サラダをトレイに乗せ、
熱い味噌汁と、このところ昼は食が細っているため、
ごはんを軽めによそってもらい、相席となるテーブルへ。

自分でほうじ茶を湯呑みに注いだら
まずは穴子の尻っ尾のほうを一口。
ありゃりゃ、ずいぶん冷たいじゃないの。
これじゃ、気持ちまで冷え切っちゃうよ。
悪いことは重なるもの、ごはんがチョー柔らかい。
何が嫌いって、ヤワいメシほど嫌いなものはない。

かくして夜の佳店が昼は凡店に堕することを確認。
やっぱり明治生まれの老舗では
どじょっこだの、馬っこだの、食うモン限ると思うべナ。

「みますや」
 東京都千代田区神田司町2-15
 03-3294-5433

2011年5月18日水曜日

第55話 ウズラに驚いたズラ (その2)

藤と桐の町、埼玉県・春日部市に来ている。
春日部駅に近い焼きとん店「福島や」で
仲間たちと生ビールをグイッとやったばかりだ。
肌寒さの残る春浅き宵、
それでもビールの旨さは格別である。
世の中にこんなに旨いものがほかにあろうか。
下戸の方には申し訳ないが心底そう思う。

当夜の目当ては殻付きウズラ玉子の串焼き。
これを殻ごとシャリシャリ食おうというのだ。
世間にはまだまだ想像もつかない、
不可思議な食いモンが実存している。
実存主義の大家、J.P.サルトルもびっくりだろう。

のどをうるおし一息ついて焼きものの注文。
店主みずから、というよりほかに誰もいないから
彼がすべてを取り仕切るのだが
いきなり奈落の底に突き落とされた。
何と、お目当てのウズ玉が売切れだとのたまうではないか。
強烈な肩透かしに哀れJ.C.、
もんどり打って黒房下に転落の巻。
それはないぜ、セニョール! 

前回食べているから今回は食べなくともよい。
ただ、珍品をカメラに収めて読者にお見せしたかった。
アテがはずれてガックリ、それからあとはムッツリ。
疑り深さにかけては他の追随を許さぬ性格が
(売切れじゃないだろ、仕込みをサボったんだろ)
八つ当たり気味に妄想&暴走している。

運ばれた焼きとんを前に食指が動かない。

レバ・ハツ・カシラなど

レベルの高い焼きとんが食欲に直結しないのは
心のキズがまだ癒えていないからだ。
とはいうものの、そこは気の合った仲間うち、
次第にペースが生まれてくる。
生ビールからホッピーに切替え、
”食”はともかく”飲”のピッチは上がってきた。

するとここで店主から思いも掛けぬプレゼント。
「ウズラ、1本だけ残ってましたァ」―
おう、おう、皿の上には確かに勇姿ありき。

黄色いのは辛子じゃなくて黄身

疑り深さがふたたびアタマをもたげた。
コイツは残りモンじゃなくて忙しいなかをわざわざ、
1本だけ仕込んでくれたのだろうヨ。

春日部市民の民心はかくも温かきものなり。
「春日部よいとこ一度はおいで、あ、どっこいしょ」―
わればがらゲンキンなものである。

あとで店主に訊いたことには
彼が修業した北千住界隈ではほかにもちらほら
殻付きウズ玉を供する店があったそうだ。
北千住にはときどき出向き、
焼きとん屋も何軒か訪れているが
今までコイツを見たことはないなァ。
とまれ、「福島や」のウズラには本当に驚いたズラ。

「福島や」
 埼玉県春日部市粕壁東1-13-8
 080-3365-1747 (独りだから携帯なんですネ)

2011年5月17日火曜日

第54話 ウズラに驚いたズラ (その1)

ウズラは当ブログにたびたび登場する食材。
好物だから当然といえば当然だ。
去年の秋、埼玉の春日部で変わったウズラ物に遭遇した。
ほとんど未知との遭遇に近い。

春日部にはときどきおジャマしている。
以前、コラム「食べる歓び」を綴っていた頃からの読者で
ごく自然に飲み友となったH社長が経営するお茶屋さん、
「おづつみ園」に年に二度ほど遠征するのだ。

中学の同級生でハーピストの I 﨑サンが
「おづつみ園」主催のミニコンサートに出演するため、
毎度、その進行係として一役買うことになっている。
演奏終了後は近所の居酒屋や焼肉屋で打上げる。
中でも気に入りの店が「福島や」という焼きとん屋。
焼き鳥より焼きとんをこのむタチ、さもありなん。

江戸末期には屋台の食いものだった鮨や天ぷらが
いつの間にやら高級化して、
それに右へならえしたものか、
焼き鳥までけっこうな値段を取る店が急増した。
やだねェ、いけませんよォ、やるせないなァ。

その点、焼きとんは庶民を裏切らない。
さみしいフトコロを痛めつけたりはしない。
昔からずっと安値安定、鶏卵と並んで
物価の優等生であり続けている。
特に内臓、いわゆるホルモンは
”放るモン”と称されるくらいだから
よっぽど仕入れ値が安いものとみえる。

ライオンだってヒョウだって
たおした獲物はまず内臓から食い始める。
一番旨い部位のありがたみを
まだ人間はじゅうぶんに理解していないようだ。
人類は真の肉食動物たりえず、ということだろう。

おっと、今日の主役はウズラであった。
ウズラはウズラでも「福島や」においては肉ではなく玉子。
焼き鳥屋ならウズラの玉子にありつけるから
べつに珍しくもなんともないと思われるだろうが
ここのウズ玉は驚くなかれ、殻付きで登場する。
しかも殻をむかずに殻ごと食べちゃうのだ。
まさに未知との遭遇であった。

昨秋、初めてお目に掛かって目からウロコ。
たまたまその夜はデジカメ不携帯で
せっかくの珍品を撮ることあたわず、ほぞを咬むことに。
そこで此度はH社長にリクエストして
打上げの会場を再び「福島や」に設定してもらった次第だ。

ところが・・・。

=つづく=

2011年5月16日月曜日

第53話 森下の「魚三酒場」

先週の金曜日はシステムの不具合で
記事のアップがとどこおってしまい、
ご迷惑をおかけしました。
どうやら年に一度くらいの確率で
こういうことが起こってしまうようです。
どうぞ、ご容赦を。

さて、最近は何人もの読者の方々から
ご指摘、いや、むしろお叱りを受けている。
ここ1ヵ月半というもの、大衆酒場や居酒屋の紹介が
全然ないのはどうしたことか?
飲みに行く場に困るから早急にどこか書いてほしい。
得意分野じゃないか! ですって―。

ハイ、ごもっとも。
いえ、べつに避けてたわけじゃないんですが
ふと気がついたら、しばらくご無沙汰だったんですよ。
でなことで、書きます、書きます。
そういやあ、二郎サンも天国に飛んじゃったなァ。

門前仲町のランドマークは富岡八幡宮と深川不動尊。
このことは異論をまたない。
ただし、それはまだ明るいうちのこと。
夕闇迫れば、通りをはさんで向かい側、
1軒の酒場が町の主役をつとめることになる。
いわずと知れた「魚三酒場」だ。
まるで灯りに群がる虫のごとく、呑ん兵衛たちが集まってくる。

世の中にはとてつもない酒場があったもので
メインの1階を取り仕切るのはコワい婆さん。
とりわけ女性、それもうら若き乙女なんかが
訪れようものなら目の仇、つまみ出されること必至となろう。
まっ、つまみ出されるは大げさとしても
上席の1階カウンターにはまず座らせてもらえない。
アゴをしゃくられて2階、あるいは3階へと追いやられるのだ。
まさに女はつらいよ、である。

ところが「魚三」はほかに2軒の店舗を構えている。
新小岩と森下で、今日は森下へご案内。
ここは1階だけの営業で門仲よりはずっとコンパクト。
細長いコの字形カウンターが2つあり、
それぞれにここもやはりオバちゃんが仕切っている。
愛想はけっしていいほうではないが
門仲の婆さんよりずっとマイルド、女性客も安心だ。
どちらかというと右側のシマのオバちゃんのほうが
とっつきやすいかもしれない。

本店同様に何でも安い。
ビールの大瓶が500円だもの。
左側のカウンターに陣を取り、
330円のしゃこわさをつまみに飲んでいたら
たまたま目の合ったオバちゃんが
「小肌食べる?」―訊いてきた。
「うん」―もらってみたら200円だった。
この値段だ、愛想まで要求したらひっぱたかれるネ。

行列までいかなくとも常に数人待ってるから長居は遠慮しよう。
安さにまかせてバカスカ食う店ではない。
サッと座ってサクッと飲んだらスッと席をゆずりましょう。
通りがいいので森下店としたが
高橋(たかばし)店、あるいは常盤店と呼ぶ人もいる。

「魚三酒場 森下店」
 東京都江東区常盤2-10-7
 03-3631-3717

2011年5月13日金曜日

第52話 あの人 この人

日曜日の昼過ぎのこと。
観るともなしに観ていた「素人のど自慢」が終わり、
そろそろ散歩に出掛けようとTVのスイッチを切りかけたとき、
思いがけない顔が画面に映って手がとまる。
そこにはしばらく見ないので
気にかかっていた杉浦直樹の顔があった。
目元と下あごで演技する性格俳優である。

彼を初めて見たのは裕次郎主演の日活映画「錆びたナイフ」。
ボスから差入れられた饅頭が毒入りと知りつつ、
わしづかみにして頬張る狂気の眼が強く印象に残った。
何せ、こちらはまだピカピカの1年生だったんですからね。
この映画は宍戸錠も小林旭も殺しちまってる。
年端もいかない子どもには白黒のサスペンス映画が
薄気味悪くて怖くてドキドキしながら観たのを覚えている。

杉浦直樹が登場したTV番組はNHKアーカイブス。
1996年に放映されたドラマ「鳥帰る」の再放送だった。
先月亡くなったスーちゃんこと、
田中好子を偲ぶ追悼番組である。
結局、散歩はそっちのけで見入ってしまった。
二人ともよかったし、母親役の香川京子もけっこうでした。

キャンディーズがデビューした1973年から数年の間、
海外にいたのであまり親近感がなくファンではなかった。
むしろ1980年に田中好子が女優として
芸能界復帰後のほうになじみがある。
ニューヨークで観た、やはりNHKドラマの「大地の子」が
今もなつかしく思い出される。

田中好子は亡くなるまぎわまで
もっとたくさんの映画に出たいと願っていた。
これを聞いて彼女の最後の主演映画、
「0(ゼロ)からの手紙」を監督した塩屋俊は
映画人の一人として申し訳ない気持ちになったという。
アメリカでは4、50代の女性が
主役を張る映画の企画がたくさんあるのに
日本は低年齢化したコンテンツばかりだと
嘆き、悔しがっている。

まさにその通り。
この国では金儲けが文化・芸術を破壊している。
映画界も悪けりゃTV界も悪い。
文部科学省は何をやっているのだ!
政府も駄目なら総理大臣はこれ以上ないほどの阿呆。
知識人と呼ばれた輩はいったいはどこへ消えたのだ?
大人が子どもを指導・育成できない国がニッポン。
日出ずる国の最大の欠点がそこである。

ハナシを俳優に戻そう。
杉浦直樹の消息が気になって仕方がない。
ほかにも行方が心配な人たちがいっぱいいる。
日下武史は?
園井啓介は?
川地民夫は?
われながら古いや。
家庭に入った笹森礼子と桑野みゆきの追跡は
いささか野暮というものか。

そして誰よりも1963年12月12日、
小津安二郎の通夜の席で
最後の姿を見せた原節子はどうしているのだろう。

2011年5月12日木曜日

第51話 なぜか忘れぬ野菜そば

 ♪  なぜか忘れぬ 人ゆえに
    涙隠して 踊る夜は
    濡れし瞳に すすり泣く
    リラの花さえ 懐かしや ♪
           (作詞:佐藤惣之助)

昭和15年に流行った「緑の地平線」は
典型的な古賀メロディーで歌ったのは楠木繁夫。
デッカい鼻の持ち主は
「さざんかの宿」の大川栄策に風貌のよく似た歌手だ。
原曲ははあまりにもテンポが速く、
聴いていてせわしないこと、あわただしいこと。

美空ひばり、島倉千代子、都はるみ、
小柳ルミ子、石川さゆり、森昌子、春日八郎、
名だたる大歌手がこぞってカバーしている。
名曲にあらずんば、かような現象は起こりえない。

コブシを使わぬひばりはさすが大御所。
反対にコブシがコロコロの千代チャンもけっこう。
はるみ節はいささかトゥー・マッチという感じ。
ルミ子ののびやかな声は曲との相性がよい。
さゆりと昌子は上手いけれど、心に迫りくるものに欠ける。
ハッチーは本家・楠木をしのぐ歌いっぷりで聴かせる。
だが、ベストは意想外のところにいた。
この曲に関する限り、石原裕次郎がなぜかピッタリなのだ。
オールドファンはぜひyoutubeで聴き比べてみてください。

裕次郎のナンバーでは
「赤いハンカチ」、「よこはま物語」、「俺は待ってるぜ」、
「錆びたナイフ」、「北国の空は燃えている」あたりが好き。
数年前に初めて聴いた「緑の地平線」も
即刻、お気に入りの仲間入りをはたすこととなった。

裕次郎本人曰く、歌は素人だからと
紅白歌合戦の出場をずっと辞退し続けたが
ある意味、映画より歌のほうがよかったかもしれない。
けっして俳優より歌手のほうがとは言えないものの、
いまだにそんな気がしてならない。

誰しも”なぜか忘れぬ人”を心の奥に秘めているもの。
おいそれとは口にできない忘れ得ぬ人がいるものだ。
その点、簡単に口にできる”なぜか忘れぬ物”がある。
J.C.の場合はとある店の中華そば。
それもラーメンではなくタンメンなのだ。

千駄木・三崎坂(さんさきざか)のふもとにある「砺波」。
砺波といえば「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件が
世間を騒がせているけれど、
老夫婦二人っきりで営む町の中華屋さんは日々平安。
タンメン、いや、ここでは野菜そばと称するのだが
なぜかときどき食べたくなる。

GW前の土曜の昼下がり。
イカフライを合いの手にキリンラガーをプファーっと。

初めて注文したイカフライがなかなか

ほどなく野菜そばが運ばれる。

純白のどんぶりがよく似合う

見るからに清楚な野菜そばは、さながら西施か楊貴妃か。
このたたずまいに心が和む。

今日のブログのジャンル分けは
「食べる」と「聴く」とで迷ったが
亡き裕次郎の歌声に敬意を表して「聴く」にしました。

「砺波」
東京都台東区谷中2-18-6
03-3821-7768

2011年5月11日水曜日

第50話 イル・モストロ事件


その日、下車したのは千代田線・代々木上原駅。
午後3時頃だったか、春の陽はまだ高いところにあった。
工事中の改札を出て歩き始める。
東北沢―下北沢―梅ヶ丘―豪徳寺―松原
小田急線から世田谷線沿いの長距離散歩を敢行した。
駅前に着くたびに近辺の商店街を流すので
時間が掛かり、殺風景な松原駅に到達したときは
すでに陽がかげっていた。
  
はて、これからどうしたものか。
このまま北上して下高井戸に向かうもよし。
あるいは豪徳寺か梅ヶ丘まで戻り、
先刻、目星をつけておいた店に入るもよし。
思案の末、Uターンすることにした。

当夜の1軒目は豪徳寺駅前の焼きとん「まつり邑」。
初訪問はなかなかの佳店という印象。
いずれ“にせどろ”シリーズで紹介したい。

有名な「寿司の美登利」が本拠地を構える梅ヶ丘に移動。
いや、すしを食おうというのではない、
「イル・モストロ」なるピッツェリアが気になっていたのだ。
通りすがったとき、店先に薪が積まれてあり、
店内には本国から運ばれた石窯が据えられていた。
これなら本格的なナポリ・ピッツァが味わえるはずである。

薄暗い店内に存在感のある石窯

マルケ産の赤ワインをグラスで頼み、
つまみは小イワシの酢漬けと魚介類のフリット。
イワシは酢が利いてスペイン・バルのボケロネス並み。
フリットはこんなものだろう。
イカとエビだが、ホタテが加わるとベターかも・・・。

そうこうするうちピッツァ・マルゲリータが焼き上がった。
ナポリ・ピッツァの生地は厚い。
厚いのはよいけれど、もっとクリスピーなほうが好みだ。
トマトの酸味が出しゃばりすぎで
逆にバジルはケチらず使ってほしい。
節電のせいか店内は暗く、
カメラの性能も悪くて料理の写真は不発。
仕方がないから目の前のTVをワンショット。

ロイヤルウエディングの真っ最中でした

帰宅後、店名の意味を調べて
モストロ=モンスター=怪物であることが判明。
そして大変なことが判った。
かつてフィレンツェとその近郊で起きた連続殺人が
イル・モストロ事件と呼ばれていたのである。
あまりに長期に渡っており、
同一犯人とするには疑わしい点もあるが
1968年8月から1985年9月までに
8組のカップル、計16人が殺害されている。
被害者が2人のドイツ人男性というケースもあって
1人が長髪だったために誤認されたものと推定される。

休日前夜に停車中の車内にいるカップルが
ベレッタ(イタリア製22口径)で射殺されるのが常。
その後、男性の遺体の一部(主として性器)が切取られ、
女性の身体には多くの刺し傷がみられるのが特徴だ。
イタリアに時効があるのかないのか存ぜぬが
事件は未解決、犯人も捕まっていない。

この2月で開店6周年のピッツェリア「イル・モストロ」。
はたしてオーナーはこの事件を知っているのだろうか?
知ったうえでの店名とあらば、
勇気ある決断か奇抜な悪趣味か
評価が二つに分かれるところであろう。

「イル・モストロ」
 東京都世田谷区梅丘1-23-5
03-3706-2257
 

2011年5月10日火曜日

第49話 咬みつき亀におつき合い (その2)

湯島天神そばの「ビストロ タカ」で
ニジマスの燻製を食べ終えたところ。
大食いの友里はオードヴルを2皿も注文した。
何やら日帰り大阪出張のあおりで
朝から何も食べてなかったらしい。
相変わらずアホでんな。
仕事が遅いからメシ食う時間がなくなるのよね。
典型的なSD(仕事できない)人間だものな。
せっかく大阪くんだりまで行ったんだから
せめて新幹線の車内でタコ焼きでもつまめばよかろうに。
もっともタコがタコ食ってもシャレにならんか。

さてさて、当夜注文したプリフィクスには
スープも組込まれていた。
ポロねぎとじゃが芋のクリーム仕立てだが
何だかなァ、あまり感心しなかった。
ところが主菜の鴨もも肉のコンフィは上々のデキ。
もともと当たり外れのない料理ながら本日のベストはこれ。

そうそう、咬みつき亀・友里のブログであった。
あのような駄文・拙文を引用すると、
当ブログの品位がはなはだしく汚されるが
亀の愚昧ぶりを検証するためだ、仕方なく載せる。

 「下町」から友里が選んだビストロでありましたが、
 慣れない土地柄からの選択だったので結果は
       まったくの失敗
 料理の種類は少ないし(しかも欠品がいくつもあった)、
 ポーションも小さい。
 ワインの品揃えもイマイチで、そして肝心の
       料理も完全な期待はずれ
 週はじめとはいえ客が我々4名しかいなかった理由が
 わかった次第であります。
 しかしMSGてんこ盛りの焼きトン屋「忠弥」を

 向島の料亭若主人と共に絶賛する舌の持ち主で
 小食でもあるオカザワは
 久々の自称ビストロ料理が嬉しかったのか
       今までで最高の鴨コンフィ
 と喜んでおりましたから、
 誘った甲斐があったというものです。

バカだねまったく、湯島は下町じゃないよ。
これ一つとっても奴サンの無毛、
もとい、無知が知れようというものだ。

近所の魚屋で買って来た刺身に
混ぜモノいっぱいのチューブわさびを塗って食う輩が
MSG云々に言及した挙句、
いけしゃあしゃあと鮨屋評価をするんだから
何をか言わんや、である。
鮨屋の親方衆も到底浮かばれまい。

オマケに”今までで最高の鴨コンフィ”だと?
嘘八百もいい加減にしてほしい。
真実は”今夜はコンフィが一番”と
そうシェフに感想を述べただけのこと。
”生涯ベスト”と”その夜ベスト”は雲泥の差だろうよ。
ありもしないことの捏造は厳に謹んでもらいたいものだ。

そう言えば、つい最近も亀はブログで書いていた。
1勝もできないとコキオロした斎藤佑樹が
2勝したからといって舌の根も乾かぬうちに
10勝以上で新人王獲得だってサ。
バカだねまったく、恥知らずもいいところ。
こういう赤っ恥亀にはフレンチ・ビストロならぬ、
ハレンチ・スカトロのレッテルを貼り付けてやりたいぜ。

「ビストロ タカ」
 東京都文京区湯島2-33-1
 03-3836-9250

2011年5月9日月曜日

第48話 咬みつき亀におつき合い (その1)

薄髪の吸血鬼、またの名を的外れの咬みつき亀こと、
友里征耶が拙文垂れ流しの自身のブログで懲りもせず、
はなはだ五月蝿いことを書き連ねているとの報告を受けた。
誰かをけなしていないと生きてゆけない哀れな生き物は
まさしく五月のハエと揶揄するにふさわしい。

今しばらく泳がせておくつもりだったが(オイラは刑事か?)、
このところ俄かに周りがざわついてきてそうもいかなくなった。
何人もの読者の方が
「亀が言いたい放題ですよ、放っといていいんですか?」―
口々に心配してくださる。
どうせ構ってほしくて吠えてるものと知りつつも
つまらんブログをのぞいてみると、
やれやれ、原発の専門家気取りで勘違いの乱発をしておる。
ありゃあ、いったい何様かね?
話題にしちゃうと奴サンの思うツボなれど、
たまには相手をしてやってもいいかなという気になった。

よほど友だち(特に女性の)がいないのだろう、
電話を掛けて来て晩メシにつき合ってくれというから
それもよかろうと、湯島天神の石段を上ったのは
小雨パラつく肌寒い夕暮れのことであった。
以前はときどき食事会を開いたF元・M松両女史にも声を掛け、
4人で卓を囲んだのは界隈で評判の「ビストロ タカ」だ。

こういった場所では好みのビールにはまずありつけない。
御徒町のスタンドバーに立ち寄り、
生ビールを1杯、クイ~ッと飲ってきた。
思惑通り、店にあったのはプレミアム・モルツ。
CMで頑張る永チャンと結子には悪いけど、
プレモルはいささかリッチ過ぎるのよね。
好みの生ビールを飲んだことだし、珍しくギネスを所望した。
ワインは白がリュリー、赤はカオールとボーヌに決定。
4人で3本は適量であろう。

メニューを開くときわめて限定的でガッカリ。
なおかつ欠品があったりして
選択&構築の楽しみを奪われたも同然だ。
これは大きなマイナス要因。
駄目もとでメニュー以外の料理の有無を訊ねると、
前菜用に自家製ニジマスの燻製があるという。
ふ~ん、ニジマスかァ、アユかヤマメだとよかったのになァ、
でなことを考えつつもお願いしてみた。

はたしてサラダ仕立てで登場したニジマスのスモークは
淡白ながらもさわやかな味わいがあった。
それより驚いたのは
うっすらとサーモンピンクに色づいていたことだ。
はは~ん、これはいわゆるサーモントラウトというヤツだな。
甲殻類の成分を含む飼料を与えられ、
海洋上で養殖されるニジマスは身肉が色づき、
体長1メートルにも達すると聞いたことがある。
キングサーモンのように脂のノリはなくとも
アッサリしていていいじゃないか、
舌に柑橘の酸味を感じながら、そう思った。

=つづく=

2011年5月6日金曜日

第47話 わさび茶漬け2種 男やもめのキッチン Vol.1

今日は”男やもめのキッチン”シリーズ第1回。
禁断を破って男子、厨房に入れども、
なるったけ手を抜いて手間ひま掛けずに
旨いもんを作って食べようという試みである。

ずいぶん古いハナシで恐縮ながら、
新婚時代の小林旭は
新妻・ひばりが丸一日掛けて作る手料理を
待ちくたびれて音を上げたそうだ。
読者も一度や二度は経験がおありでしょう。
恋人に愛情のこもった手料理を振舞われるのは
ありがたき幸せなれど、
ビール飲み飲み待ってるうちに、すっかり出来上がってしまい、
ついうたた寝の挙句の果てが、いつの間にやら白河夜舟、
なんてことがネ。

今回作るのは2種類のわさび茶漬け。
それでは参りましょう。

用意する食材は
 本わさび・山わさび・・・それぞれ1本
 醤油・日本酒・・・適宜
 白飯・・・お好きなだけ(できれば炊き立てが望ましい)
 煎茶・・・お好きなだけ(白湯でも構わない)

茶漬けを食べる前日に本わさびの茎を
マッチ棒ほどの千切りにし、
醤油と日本酒、同割りの漬け汁に漬けておく。
こうしておけば数ヶ月は平気で持つ。
わさび本体は大き目の容器に水を張り、
チャポンと落として冷蔵庫にキープ。

山わさびは仏語でレフォール、英語でホースラディッシュ。
同じく前日に丸1本をすりおろし、
やはり醤油・日本酒を同割りにして
おろした山わさびにたっぷりと掛け回し、冷蔵庫にキープ。
これも1~2ヶ月はラクに持つので重宝する。
いか刺しやあじのタタキなんかにはピッタリ。

炊き立てのごはんの上に茎わさびの醤油漬けを乗せ、
そのまた上におろし立ての本わさびをチョコン。
塩気が足りないから醤油を数滴垂らし、
あとは熱い煎茶を掛けて召し上がれ。
二膳目はおろした山わさびの醤油漬けを乗せ、
こちらは醤油っ気じゅうぶんにつき、
煎茶を掛けてサーラサラ、である。

サイドの香の物には奈良漬か山ごぼうが理想的。
たくあんと福神漬けはよしたほうがいい。
せっかくのわさび茶漬けに気品がなくなる。

好みで針海苔やもみ海苔をあしらってもよいし、
これだけじゃもの足りないと感じる向きは
おぼろ昆布の吸い物を煎茶代わりに用いても美味。
昆布とわさびはなかなかの相性を見せる。
ほかに釜揚げのしらすや白魚、
あるいは桜海老を加えれば、
優雅な彩り、風雅な味わいが約束されようというものである。

2011年5月5日木曜日

第46話 ときどき観たい小津映画

小津安二郎の映画は相当数観ている。
ただし、タイトル、ストーリー、キャスティング、
いずれも似通った作品が多いため、
アレ? あのシーンはいったいどの映画だったっけ?
思い浮かべるたびに、こんな症状に見舞われてしまう。
彼が自分のスタイルを確立したのは
巷間伝わるように1949年の「晩春」以降であろう。

小津の作品中、どれか1本と問われると、
間髪置かずに「東京暮色」と応えている。
封切られたのは1957年4月30日。
スカイツリーどころか、東京タワーすら完成していない。
長嶋茂雄はまだ神宮球場の六大学だし、
正田美智子さまもまだ宮城入りを果たしていない。
もっとも皇太子妃殿下が住まうのは
皇居ではなく赤坂御所のほうだ。

ところでなぜ「東京暮色」が好きなんだろう。
映画でん、食べものでん、好きなものは好き、
取り立てた理由など用意せずとも構わぬが
気になるので連休中に観直し、分析してみた。
浮かび上がった理由を
大小、重軽にこだわりなく列挙する。

① 小津映画としては異色、独特の暗さが全編を支配している
② 大好きな有馬稲子が主役の一翼を担っている
③ 日本酒を飲むシーンが多く、観ていて酒が飲みたくなる
④ 小料理屋・うなぎ屋・中華屋・鮨屋、なじみの店が目白押し
⑤ 狂言回しとして唯一の明るいキャラ、杉村春子が効果的
⑥ 常に良き父親の笠智衆が悲しい過去を背負っている
⑦ 田中春男と須賀不二男、二人の脇役がそれぞれに抜の群
⑧ 雀荘を営む夫婦、中村伸郎と山田五十鈴の呼吸が絶の妙
⑨ 小料理屋「小松」の女将・浦辺粂子が的矢の牡蠣を自慢する

といったところであろうか。
⑨番は蛇足で、単にJ.C.も的矢の牡蠣に目がないだけ。
小津自身も若い頃を過ごした三重の地には
ひとかたならぬ愛着を持っていたことが偲ばれる。
しかし半世紀以上も前から
的矢の牡蠣が東京に運ばれていたのにはびっくり。

こうしてみると小津映画の不動のヒロイン、
原節子だけがちょいとばかり、はてなマーク。
この作品に彼女は不要、使ってほしくなかった。
さすればよりいっそう異色感が際立ったのに・・・。

黒澤映画でおなじみの藤原釜足が店主に扮する、
「珍々軒」の立て看板に目が釘付けになった。
有馬稲子の行きつけの、しがない町の中華屋である。
昭和32年当時の物価が計り知れるので一部を紹介しよう。

 ワンタン・・45円      中華そば・・50円
 チャンポン・・70円     もやしそば・・80円
 叉焼麺・・80円       揚げ焼きそば・・100円
 五目そば・・100円      シューマイライス・・80円

なぜか炒飯が見当たらない。
もやしそばがチャンポンより高く、
叉焼麺と同値というのもヘンだ。

うなぎと中華が大好きな小津は
たびたび銀幕にも好物を登場させている。
熱烈に観たくなるというのではないけれど、
たまに観たくなるのが小津作品の不可思議な魅力である。

2011年5月4日水曜日

第45話 ツツジと生菓子

連休2日目は板橋に遠征。
友人の I 﨑家において
月例で開かれるドライスイミング大会に参戦だ。
ドライスイミングとは何ぞや?
乾いた水泳、水のないスイミング、
実は麻雀のことなんですね。
東南アジアのシンガポール特有の言い回しで
雀牌をかき回す手の動きが
平泳ぎに似ているところからきている。

戦いすんで日が暮れて恒例の宴会が始まった。
宴もたけなわで話題が突然、根津神社のつつじ祭りに及んだ。
4月初旬から5月5日まで、祭りが谷根千の人気を独占する。
ただでさえ、広くもない町に老若男女が入り乱れ、
咲き乱れるツツジを愛でるのである。
美しさを絶賛する友人の意見を尊重して翌日出掛けていった。

今まで何度か訪れているがいつもサラッと通り過ぎるのみで
「つつじ苑」なる丘の存在に気づいていなかった。
入園料は200円、へェ~ッ、有料だとも知らなんだ。
ほう、なるほどネ、
小高い丘に上ってみれば絶景なり、絶景なり。

遠くに赤い鳥居が連なっている

色鮮やかなツツジがさまざまに咲き誇るなか、
可憐な一株に目がとまった。

淡い緋色のカエデツツジ

屋台も何軒か、賑わいに彩りを添えている。

若者はのしいかなんて食べるのかな?

最近の屋台の新顔は肉巻きおにぎり。
昔の人間は聞いただけ、見ただけで、げんなりしてしまう。
今年は震災の影響で都民が遠出を控えているため、
都内、あるいは近場の景勝地が人気を集めているという。

神社の北側、根津裏門坂に抜けて坂を上ると、
すぐ右手に菓子鋪「一炉庵」が現れる。
茶会の席になくてはならない上生菓子が評判の老舗だ。
何度も店先を通っているが初めて引き戸を引いてみた。

この季節は何といっても粽(ちまき)と柏餅。
粽は一束ねの販売につき、バラ買いのできる柏餅を購入。
 白餅・こしあん 薄紅餅・みそあん 草餅・つぶあん
以上3種類から、こしあんとつぶあんを1つずつ。
せっかくの初訪問、名代の生菓子を買わぬ手はなかろう。
ケースには色とりどりにおよそ10種類。
普段は迷うところながら意外と早く決断してこちらも2つ買った。

端午(赤)&かぶと(黒)

食べるのがもったいない? 
トンデモないこって、食べるのがとても楽しみだ。
いざ食してみると、柏餅もかぶとたちもまことにけっこう。

デパ地下に出店なんかしないし、お取り寄せも不可能、
ここに来なければ手に入らない。
東京のみやげにしたって、こういうものこそ最適ではないか。
東京ばな奈にうらみはないが、あんなモンはどこでも買える。
真心のこもった手みやげだけが人の心に響くのだ。
ちなみに漱石の「吾輩は猫である」のモデルは
往時、この店にいた猫である。

「一炉庵」
 東京都文京区向丘2-14-9
 03-3823-1365

2011年5月3日火曜日

第44話 白金 四の橋 主菜はウズラ (その2)

白金・四の橋「ラビラント」でメニュー吟味の真っ最中。
余談ながら四の橋はなじみ浅からぬ街である。
一時期、友人が棲んでいたのでちょくちょく遊びに来た。
あれから一昔、10年も経っちまったんだなァ・・・。
月日は流れ、人は年齢を重ねる。
このことを苦にしていたら人類は生きていけない。

おっとそんなことより大切なのは
これから食べる料理の品定めであろうよ。
明日を生きるためにも今宵を食べねばならぬ。
「ラビラント」の必食アイテムは
何を差し置いてもツガニのビスク。
四万十川の清流に育まれた蟹のポタージュは
花の都広しといえどもここだけのもの。
余計なことを考えず、ストレートに味わいたい。
あとは前後に前菜と主菜を配すればそれで済む。
春の宵、迷った末に絞り込んだ候補は下記の通り。

前菜
 漁師風サラダ 甲殻類のドレッシングソース
 仏産エスカルゴとリ・ド・ヴォーのパイ仕立て
 伊豆の葉わさびと丹波産仔猪の網焼き サラダ仕立て
 馬肉のタルタル トラディショネル

主菜
 春のアサリのマリニエール(500g)・・こんなに食えるか!
 丹波産仔猪と筍の煮込み
 ドンブ産ウズラの黒米詰め 大根のテュイル仕立て
 仔牛フィレ肉のパイ包み焼き フランボワーズソース

選んだのは、わさび葉と網焼き猪のサラダ仕立て。
そしてウズラのロティの黒米詰めだ。
猪はなかなか食べられないから
外食時、殊にフレンチやイタリアンでは積極的に注文する。
フォワグラならぬ黒米詰めのウズラも
なあに、ウズラ本体が滋味たっぷり、
あえてガチョウの肝の助けを借りずとも楽しめる。 

いざ食してみて、どちらも及第点。
素材の持ち味が素直に発揮されていた。
ところが、そのあとがイケなかった。
一体全体、いつ、どこからやって来たのか、
呼吸の合わないメートルのあざとさ、ここに極まれり。
フロマージュは彼の顔を立てて少しずつお願いしたのに
ちゃんこ鍋の具材さながらテンコ盛りで運ばれた。
そのチャージは推して識るべし。
イタリア人なら「マンマ・ミーア!」と天を仰ぐところであろう。

今さら愚痴は言うまい、嘆くまい。
おのれの心に言ってきかせたところで、さらに追討ち。
またもや、どっさりオッツケられたデセールがヒドかった。
時代遅れの甘味は大きいばかりで女性軍もお手上げ。
どうやら今まで評価の高かった店に
とうとうサヨナラを告げる日が来たようだ。
かくして佳店は客を失ってゆく。
サビし~い!

「ラビラント」
 東京都港区白金3-2-7
 03-5420-3584

2011年5月2日月曜日

第43話 白金 四の橋 主菜はウズラ (その1)

ウズラには目がないズラ・・・。

街でフレンチや焼き鳥屋を見かけると、
メニューにウズラの料理を探すのさ、
あなた(あるホテルのシェフ)に教わってから・・・。

 ♪ 街でベージュのコートを見かけると
      指にルビーのリングを探すののさ
                あなたを失ってから ♪

ちょうど30年前のレコ大受賞曲みたいなもんで
ウズラを見かけたら最後、
ほとんどちゅうちょなく注文してしまう。
ハトやキジやシギやヤマウズラ、
はてはイワジャコなんかも好きだが
一番はウズラかもしれない。

敬愛する高峰デコちゃんの大好物であったがため、
彼女の結婚披露宴でもふるまわれたウズラのフォワグラ詰めは
先ごろ銀座の「ル・シズィエム・サンス」で堪能した。
今度はフォワグラこそ詰まっていないものの、
フランスはドンブ産の上等なウズラのロティ(ロースト)に
白金は四の橋で出食わした。

下町ックな商店街に異彩を放つフレンチビストロは
界隈で知らぬ人とてない「ラビラント」。
店名はフランス語で”迷宮”の意味だから
ここに入店することを”迷宮入り”と言う、
かどうかは保証の限りではない。

当夜は此度の大震災に襲われた宮城県・登米市から
震災後初めて上京してきたN堂女史を
励まそうと企画された夕食会だった。
宮城の中心都市、杜の都・仙台では
和食はともかくも本格的なフレンチやイタリアンは
いまだ復旧の途にあるそうで
なかなか口に入らないとのこと。
彼女のリクエストもフレンチであったのだ。

「ラビラント」はアラカルト・メニューにこだわり続ける店。
多種多彩な料理の数々が大きな魅力となっている。
近所の人気店「ラ・シェット・ブランシュ」の料理が
ホンの数皿に絞り込まれているのとは実に対照的である。
客にとってどちらがよいのか、あらためて指摘するまでもない。
ちなみに「ラ・シェット・ブランシュ」の向かいには
その名も「うずら」なる和食店がある。
ただし主として鯨肉を扱い、ウズラは見たことがない。

集結したのは総勢5名。
シャンパーニュ派2名、生ビール派3名に分かれ、
主賓の無事を祝ってグラスを合わせた。
そうしておいて各自、メニューの吟味に没頭する。
これは迷いますよ。
本当に迷路に迷い込んだが如くですよ。
もしも自分に胃袋が3つあったなら、
なんて突飛な発想が浮かんでくる始末。
はて、どうしたものでござろう。

=つづく=