2014年7月18日金曜日

第884話 言葉がとても見つからないわ (その4)

1966年のイングランド大会以降、
W杯の歴史を回顧している。

’78年のアルゼンチン大会は
軍事政権下の異様な雰囲気の中で開催された。
脅迫を受けたオタンダの至宝、
J・クライフが参加を見合わせたほどだ。
決勝戦はそのオランダと地元アルゼンチン。
延長の末、地元が栄冠を勝ち取る。

この試合は芝のシティ・ホテルのルームで観た。
当時はここで働いており、翌日も午前中から仕事。
帰宅しても真夜中の観戦はツラすぎる。
そこでこちらは宴会担当と、部署は違うが
旧知の友人がフロントにおり、便宜を図ってもらった。
要するにタダで泊まらせてもらったワケだ。

スペイン大会は’82年。
’80年に金融界に身を投じていたJ.C.は
ようやく生活が安定し、自宅でゆっくり観戦できたのだった。
決勝はイタリアと西ドイツでイタリアの勝利。
イタリアは大会序盤に苦戦を強いられたが
優勝候補の筆頭・ブラジルを沈めてから調子の乗った。
西ドイツは一次リーグでアルジェリアに破れ、
その後のリーグ最終戦、対オーストリアとの談合試合が
W杯の歴史に大きな汚点を残すこととなる。

’86年のメキシコ大会は赴任先のシンガポールで観た。
シンガポールはバクチ好きの中国人の国である。
J.C.はここで彼らにサッカー賭博(?)の方法を
徹底的に叩き込まれた。
コレについては近いうちに当ブログで紹介したい。
本当はブラジル大会前に載せればよかったのだが
当局からにらまれるオソレがあったのでネ。
この大会はマラドーナの独壇場。
決勝もアルゼンチンが西ドイツを破り、二度目の栄誉に輝く。

’90年のイタリア大会時はニューヨークにいた。
ちょうど長期出張が入ってしまい、
ロンドン―パリ―ブラッセルと飛び回ったから
あまり試合を観ていない。
それでもイングランドのゲームをロンドンのパブで観戦できたりもした。
地元イタリアをサポートしていたJ.C.が
アルゼンチンにPK戦の末、敗れたという悲報を聞いたのは
ヒースロー―JFK間の機内アナウンスであった。
伊・西独の決勝を夢見ていただけに
このときも、言葉がとても見つからなかった。
結果は西独がアルゼンチンに楽勝する。

’94年、アメリカ大会は
当時、ニューヨークに棲んでいたJ.C.にとり、
忘れ得ぬ特別な大会となった。
以下は次話で―。

=つづく=