♪ 過ぎた日の 微笑みを
みんな 君にあげる
ゆうべ 枯れてた花が
今は 咲いているよ
過ぎた日の 悲しみも
みんな 君にあげる
あの日 知らない人が
今は そばに眠る
温かな 昼下がり
通りすぎる 雨に
濡れることを 夢に見るよ
風に吹かれて
胸に残る 思い出と
さよならを するために ♪
(作詞:石坂浩二)
ビリーバンバンの「さよならをするために」は
1972年2月のリリース。
春先からじわじわとヒットし始め、
街に流れ出だしたから何となく耳にしていたが
曲をはっきりと自覚しつつ聴いたのは8月だった。
今でもその日曜の朝はよく覚えている。
千葉県・市川市の田んぼの中の一軒家は
GFの住まいであった。
ラジオはニッポン放送の「不二家歌謡ベストテン」で紹介され、
確か、その週の1位だったと記憶している。
司会は東京下町生まれのトルコ人、ロイ・ジェームス。
俳優業から転身した外タレのハシリ的存在だった。
それにしても
お菓子屋が歌謡番組のスポンサーだったんだねェ。
「不二家歌謡ベストテン」は
毎週欠かさず聴いてたわけではないが
そのときそのとき、その場その場で
機会に恵まれること多く、耳になじんだ番組ではあった。
ちょうどその2年前の1970年8月。
やはり同番組で流れたのが名曲「手紙」。
高校時代の友人たちと
伊豆諸島の三宅島へキャンプに行ったときのこと。
「今週の第一位、由紀さおりの『手紙』!」―
ロイの声が三宅島特有の黒い砂浜に響いたものだった。
’70年の「手紙」、’72年の「さよならをするために」、
その真ん中の’71年の同じ8月に
同名映画の主題歌として世に出たのが
井上陽水夫人、石川セリが歌う、
「八月の濡れた砂」であった。
あゝ、帰り来ぬ’70年代の夏よ!
=つづく=
みんな 君にあげる
ゆうべ 枯れてた花が
今は 咲いているよ
過ぎた日の 悲しみも
みんな 君にあげる
あの日 知らない人が
今は そばに眠る
温かな 昼下がり
通りすぎる 雨に
濡れることを 夢に見るよ
風に吹かれて
胸に残る 思い出と
さよならを するために ♪
(作詞:石坂浩二)
ビリーバンバンの「さよならをするために」は
1972年2月のリリース。
春先からじわじわとヒットし始め、
街に流れ出だしたから何となく耳にしていたが
曲をはっきりと自覚しつつ聴いたのは8月だった。
今でもその日曜の朝はよく覚えている。
千葉県・市川市の田んぼの中の一軒家は
GFの住まいであった。
ラジオはニッポン放送の「不二家歌謡ベストテン」で紹介され、
確か、その週の1位だったと記憶している。
司会は東京下町生まれのトルコ人、ロイ・ジェームス。
俳優業から転身した外タレのハシリ的存在だった。
それにしても
お菓子屋が歌謡番組のスポンサーだったんだねェ。
「不二家歌謡ベストテン」は
毎週欠かさず聴いてたわけではないが
そのときそのとき、その場その場で
機会に恵まれること多く、耳になじんだ番組ではあった。
ちょうどその2年前の1970年8月。
やはり同番組で流れたのが名曲「手紙」。
高校時代の友人たちと
伊豆諸島の三宅島へキャンプに行ったときのこと。
「今週の第一位、由紀さおりの『手紙』!」―
ロイの声が三宅島特有の黒い砂浜に響いたものだった。
’70年の「手紙」、’72年の「さよならをするために」、
その真ん中の’71年の同じ8月に
同名映画の主題歌として世に出たのが
井上陽水夫人、石川セリが歌う、
「八月の濡れた砂」であった。
あゝ、帰り来ぬ’70年代の夏よ!
=つづく=