ここ数日、東京の街をあちらこちらと歩き回っている。
勝手気ままに足の向くエリアを訪れている。
浅草・上野・谷中・本郷・日本橋・銀座・有楽町・
神楽坂・門前仲町・向島・柴又と、
まあ、そんなところだ。
皇居を東京の真ん中に位置づければ、
行く先はイーストサイドに偏っている。
ウエストサイドは神楽坂くらいなものだ。
下町が好きだから、さもありなん。
その日は上野広小路を皮切りに中央通りを南下。
秋葉原・神田・日本橋・京橋・銀座を経て
有楽町にやって来た。
先頃、終了したNHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場した、
織田信長の末弟、織田有楽斎の屋敷が
数寄屋橋辺りにあったことが町名の由来とされるが
異説もあって定かでない。
J.C.にとって有楽町は思い出深い場所である。
記憶をたどれば、中学一年生のとき、
今は無き日劇のいしだあゆみショーが最初。
翌年には日比谷スカラ座で
「太陽がいっぱい」のリバイバル・ロードショーを観た。
日比谷公園の東側にはかつて
映画街があったが地番は有楽町二丁目である。
1975年、ロンドンから帰国し、
初めての会社勤めも有楽町の免税店だった。
その頃、ひんぱんに利用した店で
現在も営業を続けているのは
食堂「いわさき」と居酒屋「八起」くらいのものだ。
職場では月に一度か二度、土曜出勤日があり、
その際はこれまた今は無きそごうデパートの地下で
昼めしの弁当を買い求めていた。
現在はその場所にビッグカメラが進出している。
そごうデパートの名前が出ると、
第一に思い起こすのはこの曲である。
♪ あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああ ビルのほとりのティー・ルーム
雨も愛しや 唄ってる
甘いブルース
あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いましょう」 ♪
(作詞:佐伯孝夫)
フランク永井の歌声が
有楽町に流れたのは1957年のことであった。
=つづく=
勝手気ままに足の向くエリアを訪れている。
浅草・上野・谷中・本郷・日本橋・銀座・有楽町・
神楽坂・門前仲町・向島・柴又と、
まあ、そんなところだ。
皇居を東京の真ん中に位置づければ、
行く先はイーストサイドに偏っている。
ウエストサイドは神楽坂くらいなものだ。
下町が好きだから、さもありなん。
その日は上野広小路を皮切りに中央通りを南下。
秋葉原・神田・日本橋・京橋・銀座を経て
有楽町にやって来た。
先頃、終了したNHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場した、
織田信長の末弟、織田有楽斎の屋敷が
数寄屋橋辺りにあったことが町名の由来とされるが
異説もあって定かでない。
J.C.にとって有楽町は思い出深い場所である。
記憶をたどれば、中学一年生のとき、
今は無き日劇のいしだあゆみショーが最初。
翌年には日比谷スカラ座で
「太陽がいっぱい」のリバイバル・ロードショーを観た。
日比谷公園の東側にはかつて
映画街があったが地番は有楽町二丁目である。
1975年、ロンドンから帰国し、
初めての会社勤めも有楽町の免税店だった。
その頃、ひんぱんに利用した店で
現在も営業を続けているのは
食堂「いわさき」と居酒屋「八起」くらいのものだ。
職場では月に一度か二度、土曜出勤日があり、
その際はこれまた今は無きそごうデパートの地下で
昼めしの弁当を買い求めていた。
現在はその場所にビッグカメラが進出している。
そごうデパートの名前が出ると、
第一に思い起こすのはこの曲である。
♪ あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああ ビルのほとりのティー・ルーム
雨も愛しや 唄ってる
甘いブルース
あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いましょう」 ♪
(作詞:佐伯孝夫)
フランク永井の歌声が
有楽町に流れたのは1957年のことであった。
=つづく=