2015年8月14日金曜日

第1164話 池波翁の「銀座日記」 (その11)

(久しぶりの試写通い)の稿を続ける。

松茸があったことをおもい出し、
そのバター炒めで冷酒を少しのみ、
御飯はやめて小千谷の干しそばをあげることにした。
その旨を電話で家へ予告しておき、地下鉄で帰る。
晴天の夕暮れだが、しだいに冷気がきびしくなっている。
夜、我家にいる四匹の猫のうち、
もっとも年をとっている女猫のメイコが、長らく病気で寝ていたが、
めずらしく今夜、部屋へ入って来る。
しかし、もう歩けない。
歩こうとしては倒れ、倒れては必死になり、
起きあがろうとするありさまを見ていると、あわれになる。
何処へ行きたいのか、それがわかれば手を貸してやるのだが、
わからない。
メイコは我家の猫のうち、もっとも古い猫だ。
人間なら七十をこえているかとおもう。

メイコは未明、家内の部屋で息を引き取った。
猫が最後の期(とき)を迎える姿は、
立派だと、いつもながら、そうおもう。

J.C.も愛猫・プッチと暮らし始め、早や11年を超えた。
彼女の血統書には2004年2月29日生まれとある。
なるべく健康で長生きしてもらいたいと、
食事制限をするようになって1年半になるだろうか。
猫だけにひもじい思いをさせるわけにもいかず、
自分も節食のおつき合いに努めてはいる。
おかげで2キロ以上体重が減り、体調はすこぶるよろしい。

プッチが息を引き取るとき、どんな気持ちになるんだろうネ。
もちろん哀しむに決まっているけれど、
それだけではないような気がする。
今も足元で惰眠をむさぼるその表情は
老猫に似ず、何ともあどけない。

(出さなかった年賀状)

一九八九年の新年を迎える。
六十をこえると格別のおもいもない。
雑煮も元日だけできょうはチキンライス。
一日中、テレビの忠臣蔵を見ていた。
年賀状がぞくぞくと到来。今年にかぎって、心が落ち着かず、
賀状は早く刷りあがっていたのだが、ついに書けなかった。
体調をくずして、千数百枚の宛名を書く気力がなかったことも事実だ。
眼は老人性のかすみ目らしく、
名簿の名を追うのも骨になってきた。

いよいよ、翁もあぶない。
それにしても、千数百枚の年賀状とは!
健康に害が及ぶこと、はなはだしいのではないか。
自殺行為というほかはなく、思いとどまって、よかったぞなもし。

=つづく=