2017年4月24日月曜日

第1607話 ブリにクジラを食べさせた (その4)

浅草(台東区)と本所(墨田区)をまたぐ吾妻橋。
橋の西詰にある交差点角の「神谷バー」から
雷門前を横切り、入館した「カラオケ館」。
そこそこの時間を過ごしたあとはむろん飲み直しだ。

カラ館前のストリート(雷門通り)を
そのまま西に進んでほどなく、
狙いを定めた酒亭「酒富士」の暖簾をくぐった。
気づいてみれば、神谷→カラ館→酒富士と
3軒はみな雷門通りの北側に並んでいる。
エンコ広しといえども、
狭い区域ですべてを済ませることとなった。
エンコをホームグラウンドとする身には珍しい。

J.C.が初めて浅草を訪れたのは1957年。
一家揃って長野市から上京した年だった。
戦災で焼失した雷門が再建される前のことだ。
とある夜、父親の友人のオジさんとともに
鰻屋の2階に上がったのを覚えているが
どうしても店名が思い出せない。

おそらく鰻専門ではなく、
総合和食を供する店で鰻丼を食べたのだろうが
思い出せぬのも無理はない、小学校に上がる前だもの。
たぶん、その店は現存していないだろう。

往時、雷門通りの突き当りには仁丹塔がそびえていた。
たいした高さじゃないけれど、
子どもにはずいぶん立派に見えた。
老朽化して倒壊の危機にさらされ、
取り壊されてから20年にもなろうか―。

「酒富士」は昭和の匂いを残す稀少な酒場だ。
どちらかといえば、未来を夢見るよりも
過去を振り返るほうが性に合ってるJ.C.、
こういう店には心が揺れて騒いで、ホントにヨワい。
エッ、何だって?
そりゃアンタが歳をとったってことだヨ! ってか?
だよねェ、きっとそうに違いない、ご指摘アリガトさんキュー。

「酒富士」の店先に1枚の写真が貼られている。
来るたびに見入ってしまう。
その写真をガラス越しに撮ったので写りが悪いが
思い入れに後押しされながら、あえて披露してみたい。
笑顔、笑顔が微笑ましい
撮影されたのは1958年。
J.C.が小学校に入学し、
長嶋茂雄がジャイアンツに入団した年である。
暗い影つきまとった”戦後”に終止符が打たれたのは
この年だったと確信する自分がいる。

=つづく=