新小岩のハズレ、「彩波」からの帰り道。
帰り道といってもこのまま帰宅するわけでは毛頭ない。
来るときに通りすがった1軒。
記憶を呼び起こされた町の中華屋である。
「小川屋」は平和橋通りに面しているため、
裏路地といった感じはないが、ずいぶん裏ぶれていた。
ちょいと中をのぞいたところ、
老店主が独りで切り盛りする様子であった。
よみがえった記憶は1本の寅さん映画だ。
1971年4月に封切られた「奮闘篇」がそれ。
自著「文豪の味を食べる」から
渥美清の稿を部分紹介してみたい。
寅さんシリーズ第7作「奮闘篇」に登場した、
沼津駅前のちっぽけなラーメン屋。
そこで寅次郎とマドンナ役の榊原るみが遭遇するのだが
店のオヤジが先代の5代目柳家小さん。
3人のやりとりが何ともおかしく、
短い場面ながら忘れえぬ名シーンとなった。
ちなみにこの第7作はシリーズ全48作品中、
マイ・ベストでありまする。
「小川屋」の店主は
小さん師匠とは打って変わって痩せ形だから
ユーモラスな雰囲気はまったくないけれど、
店のたたずまいというか、
長い月日の経過が育んだ裏ぶれ感に
共通項を見いだすことができた。
焼きとん「彩波」で飲み始めたときは
あとで立ち寄ろうと腹積もっていたが
何せ、最後のボロネーゼのせいで満腹状態。
とてもとても中華そばはムリだろう。
それでも別腹のビールは飲めるんだけど―。
はて、どうしたものかのぉ?
てなことを思案しながらヨタヨタ歩いていた。
すると、裏道に1軒の店が現れた。
中華そばならぬ日本そば屋である。
昭和の昔ならどんな場末の商店街にも
1~2軒はあった、あの手の日本そば店だ。
見るからに歴史を感じさせる店構えで
だいぶくたびれてはいるが
うす汚れた感じはまったくない。
それよりも何よりも
驚いたのはその値段である。
立ち食いそば屋じゃあるまいし、
今どきこんな値付けでやってイケるの?
=つづく=
帰り道といってもこのまま帰宅するわけでは毛頭ない。
来るときに通りすがった1軒。
記憶を呼び起こされた町の中華屋である。
「小川屋」は平和橋通りに面しているため、
裏路地といった感じはないが、ずいぶん裏ぶれていた。
ちょいと中をのぞいたところ、
老店主が独りで切り盛りする様子であった。
よみがえった記憶は1本の寅さん映画だ。
1971年4月に封切られた「奮闘篇」がそれ。
自著「文豪の味を食べる」から
渥美清の稿を部分紹介してみたい。
寅さんシリーズ第7作「奮闘篇」に登場した、
沼津駅前のちっぽけなラーメン屋。
そこで寅次郎とマドンナ役の榊原るみが遭遇するのだが
店のオヤジが先代の5代目柳家小さん。
3人のやりとりが何ともおかしく、
短い場面ながら忘れえぬ名シーンとなった。
ちなみにこの第7作はシリーズ全48作品中、
マイ・ベストでありまする。
「小川屋」の店主は
小さん師匠とは打って変わって痩せ形だから
ユーモラスな雰囲気はまったくないけれど、
店のたたずまいというか、
長い月日の経過が育んだ裏ぶれ感に
共通項を見いだすことができた。
焼きとん「彩波」で飲み始めたときは
あとで立ち寄ろうと腹積もっていたが
何せ、最後のボロネーゼのせいで満腹状態。
とてもとても中華そばはムリだろう。
それでも別腹のビールは飲めるんだけど―。
はて、どうしたものかのぉ?
てなことを思案しながらヨタヨタ歩いていた。
すると、裏道に1軒の店が現れた。
中華そばならぬ日本そば屋である。
昭和の昔ならどんな場末の商店街にも
1~2軒はあった、あの手の日本そば店だ。
見るからに歴史を感じさせる店構えで
だいぶくたびれてはいるが
うす汚れた感じはまったくない。
それよりも何よりも
驚いたのはその値段である。
立ち食いそば屋じゃあるまいし、
今どきこんな値付けでやってイケるの?
=つづく=