2017年10月27日金曜日

第1731話 私を森下に連れてって (その1)

一ヵ月ほど前に自由が丘で酌交に及んだH谷サン。
「前回はこちらの地元に足を運ばせちゃったから
 今回はそちらにうかがいますヨ」―
そんなレンラクが入った。
「いいッスヨ、酒場めぐりは下町に限るからネ。
 で、例えばどんなとこ?」―
鷹揚に受けると、
「深川とか森下とか行ったことないんで連れてって」―
また珍しい御仁だこと。
酒飲みたるもの、一度や二度は門仲や森下に
行ってるハズなんだがなァ。
結局、待合せたのは森下だった。

その前に深川とはどこぞや?
門仲・森下はメトロの駅があるから
首都圏にお住いの読者なら土地カンはなくとも
地理カンはつかめると思う。
でもネ、昔は現在の江東区の西半分を占めた深川区が
その名称を失って以来、
猫の額ほどの狭い地域に深川1・2丁目を残すばかり。
あと数十年もすれば、下町を代表する深川なる呼称は
忘却の彼方に葬られるんじゃないかと心配だ。
憂うべし。

ウィキペディアによると、
北で平野、東で冬木、南で富岡、
南西で門前仲町、西で福住と隣接する地域
となっており、
単に深川1・2丁目の地理的ガイドに過ぎない。
こんな狭いくくりでは絶対にありゃしない。
はっきり言って間違いだ。
これでは深川不動堂も富岡八幡宮も
アウト・オブ・フカガワになってしまう。
そりゃあないぜセニョリータ、もとい、ウィキペディア!

J.C.の勝手にして個人的な深川は
下記の地番を含むものとする。
越中島・牡丹・古石場・木場・
永代・門前仲町・富岡・佐賀・
福住・深川・冬木・清澄・平野・
三好・白河・常盤・高橋・森下
となる。

てなこって江東区・森下である。
深川エリアの北のはずれである。
待合せたのは都営地下鉄のA7出口に15時45分。
森下にはどちらも都営のメトロ、
新宿線と大江戸線が走っているが
新宿線が開通した1978年12月以前は
麻布十番と並ぶ陸の孤島であったのだ。

=つづく=