台東区・浅草橋の町を歩いている。
浅草と日本橋のちょうど中間点にある浅草橋。
源頼義とその長男、八幡太郎義家ゆかりの
銀杏岡八幡神社を通りすがったところだ。
鳥居の真ん前には日本そばの「満留賀」、
その数軒先には「そば八」、どちらもたびたび利用した。
「満留賀」では晩酌、「そば八」では昼食という普段使い。
よって「そば八」に入り掛けたものの、
あいや、待て、まて、江戸通りの向こう側、
隅田川沿いの柳橋に行ってみなければ―。
そここそが used be my hometown なんだからネ。
JR浅草橋駅東口に立つ。
あれれ、人形の「秀月」が消えちゃってるヨ。
ライバルの「久月」は健在だが一体何があったというのだ。
帰宅後、調べてみたら
同じ江戸通りの、もうちょいと南側に本店が移動していた。
今のご時世、人形メーカーの行く末は厳しかろう。
まっ、倒産したのじゃなくってよかった。
人形は買ったことがないけれど、
町のシンボル的存在に何となく愛着があるからネ。
総武線の高架線下を歩く。
ここは柳橋1丁目。
天ぷら「江戸平」、うなぎ「よし田」、
ともに暖簾は出ていないが営業を続けている様子。
ご同慶のいたりである。
名匠・成瀬己喜男の名作「流れる」(1956年)には
両店がはっきりと映し出されている。
あれから60年余り、トンデモない老舗が生き残っているのだ。
2軒は同じ並びにあって、ほかに飲食店はまったくない。
これを奇跡と呼ばずして何と言おう。
昭和の残滓などと揶揄したらバチが当たるというものだ。
思い出の町を歩きながら
本日の昼めし処の構想が固まってきた。
洋食の「大吉」である。
名店ではけっしてないが佳店であることは確かだ。
数えきれないほどここに来ている。
行き着けたフレンチ・ビストロはラーメン店に代わっていた。
柳橋が花街として隆盛を保っていた頃からの老舗、
「梅寿司」が見覚えのある暖簾を掲げている。
うれしい限りである。
「大吉」に到着。
この店は地下店舗だが1階にメニューが貼り出されている。
ほとんどの料理を食べつくしているにもかかわらず、
あらためてつぶさに見入るJ.C.であった。
=つづく=
浅草と日本橋のちょうど中間点にある浅草橋。
源頼義とその長男、八幡太郎義家ゆかりの
銀杏岡八幡神社を通りすがったところだ。
鳥居の真ん前には日本そばの「満留賀」、
その数軒先には「そば八」、どちらもたびたび利用した。
「満留賀」では晩酌、「そば八」では昼食という普段使い。
よって「そば八」に入り掛けたものの、
あいや、待て、まて、江戸通りの向こう側、
隅田川沿いの柳橋に行ってみなければ―。
そここそが used be my hometown なんだからネ。
JR浅草橋駅東口に立つ。
あれれ、人形の「秀月」が消えちゃってるヨ。
ライバルの「久月」は健在だが一体何があったというのだ。
帰宅後、調べてみたら
同じ江戸通りの、もうちょいと南側に本店が移動していた。
今のご時世、人形メーカーの行く末は厳しかろう。
まっ、倒産したのじゃなくってよかった。
人形は買ったことがないけれど、
町のシンボル的存在に何となく愛着があるからネ。
総武線の高架線下を歩く。
ここは柳橋1丁目。
天ぷら「江戸平」、うなぎ「よし田」、
ともに暖簾は出ていないが営業を続けている様子。
ご同慶のいたりである。
名匠・成瀬己喜男の名作「流れる」(1956年)には
両店がはっきりと映し出されている。
あれから60年余り、トンデモない老舗が生き残っているのだ。
2軒は同じ並びにあって、ほかに飲食店はまったくない。
これを奇跡と呼ばずして何と言おう。
昭和の残滓などと揶揄したらバチが当たるというものだ。
思い出の町を歩きながら
本日の昼めし処の構想が固まってきた。
洋食の「大吉」である。
名店ではけっしてないが佳店であることは確かだ。
数えきれないほどここに来ている。
行き着けたフレンチ・ビストロはラーメン店に代わっていた。
柳橋が花街として隆盛を保っていた頃からの老舗、
「梅寿司」が見覚えのある暖簾を掲げている。
うれしい限りである。
「大吉」に到着。
この店は地下店舗だが1階にメニューが貼り出されている。
ほとんどの料理を食べつくしているにもかかわらず、
あらためてつぶさに見入るJ.C.であった。
=つづく=