平和でのどかな尾山台から帰宅した。
軽めの夕食はディナーというよりサパーだ。
ワインは2日前に抜いたキャンティ・クラシコ。
マッツェイのフォンテルートリ2015年がボトル半分ほど残っている。
フレンチ惣菜にイタリアワインもまたよかろう。
日本では鎌倉幕府が滅亡した頃から
ワイン造りを始めていたマッツェイ家が
カステッロ・ディ・フォンテルートリを買い取ったのは1435年。
キャンティという名称の名付け親もまたマッツェイ家である。
まずカイエットを4枚ほど薄くスライスした。
カイエットは豚の粗挽き肉とほうれん草を
豚の網脂に包んで焼き上げたもの。
ちょいと手の込んだハンバーグといった趣きかな。
ワインとグラス、カイエットとナイフ&フォーク。
冷凍庫にはこぶし大ほどにカットした、
フェルツのバゲットが数個あるのでそいつを一つ解凍し、
バターとともに食卓へ。
う~ん、ハーブの効いたカイエットがいい感じ。
キャンティとの相性もきわめてよろしい。
「オー ボン」はスイーツだけじゃないんだネ。
どこのデパ地下にもある某社の惣菜のはるか上をゆく。
しかもそんなに高くもなく、むしろ割安感があるくらい。
その翌日。
ピエ・ド・コション(仔豚の足)のカツレツと
グラタン・ドフィーヌ(ドフィーヌ風ポテトグラタン)の夕食である。
この豚足料理を初めて食べたのは1971年のパリ。
精肉市場があったレ・アール地区の
その名も「オー・ピエ・ド・コション」だった。
深夜まで開けている店でオニオン・グラタンがつとに有名。
まっ、どちらもさほど美味しいものではなかったと記憶する。
1997年に再訪したが初回同様、料理には感心しなかった。
はたして「オー ボン」の豚足はよかった。
骨を外してあり、とても食べやすい。
ゼラチン質が口中でクニュクニュと溶けてゆく。
これには酢の効いたフランチ・マスタードがピッタリだ。
アルミのケースに入ったグラタン・ドフィーヌは
すでに調理済みで焼き目がついている。
そのままフライパンに乗せ、弱火で下部を温め、
そうしてから上面をオーヴンで軽くあぶる。
こちらはまあそれなりの仕上がりだった。
とはいえ、カイエットとピエ・ド・コションは二重丸。
ほかの惣菜もぜひ試してみたい。
毎月はムリとしても 3ヶ月に1度くらいは
東急目黒線の乗客になる覚悟を決めました。
軽めの夕食はディナーというよりサパーだ。
ワインは2日前に抜いたキャンティ・クラシコ。
マッツェイのフォンテルートリ2015年がボトル半分ほど残っている。
フレンチ惣菜にイタリアワインもまたよかろう。
日本では鎌倉幕府が滅亡した頃から
ワイン造りを始めていたマッツェイ家が
カステッロ・ディ・フォンテルートリを買い取ったのは1435年。
キャンティという名称の名付け親もまたマッツェイ家である。
まずカイエットを4枚ほど薄くスライスした。
カイエットは豚の粗挽き肉とほうれん草を
豚の網脂に包んで焼き上げたもの。
ちょいと手の込んだハンバーグといった趣きかな。
ワインとグラス、カイエットとナイフ&フォーク。
冷凍庫にはこぶし大ほどにカットした、
フェルツのバゲットが数個あるのでそいつを一つ解凍し、
バターとともに食卓へ。
う~ん、ハーブの効いたカイエットがいい感じ。
キャンティとの相性もきわめてよろしい。
「オー ボン」はスイーツだけじゃないんだネ。
どこのデパ地下にもある某社の惣菜のはるか上をゆく。
しかもそんなに高くもなく、むしろ割安感があるくらい。
その翌日。
ピエ・ド・コション(仔豚の足)のカツレツと
グラタン・ドフィーヌ(ドフィーヌ風ポテトグラタン)の夕食である。
この豚足料理を初めて食べたのは1971年のパリ。
精肉市場があったレ・アール地区の
その名も「オー・ピエ・ド・コション」だった。
深夜まで開けている店でオニオン・グラタンがつとに有名。
まっ、どちらもさほど美味しいものではなかったと記憶する。
1997年に再訪したが初回同様、料理には感心しなかった。
はたして「オー ボン」の豚足はよかった。
骨を外してあり、とても食べやすい。
ゼラチン質が口中でクニュクニュと溶けてゆく。
これには酢の効いたフランチ・マスタードがピッタリだ。
アルミのケースに入ったグラタン・ドフィーヌは
すでに調理済みで焼き目がついている。
そのままフライパンに乗せ、弱火で下部を温め、
そうしてから上面をオーヴンで軽くあぶる。
こちらはまあそれなりの仕上がりだった。
とはいえ、カイエットとピエ・ド・コションは二重丸。
ほかの惣菜もぜひ試してみたい。
毎月はムリとしても 3ヶ月に1度くらいは
東急目黒線の乗客になる覚悟を決めました。