さて、フランシス・レイの思い出。
ある意味、アズナヴールよりも
この人に愛着があるかもしれない。
映画音楽にはスクリーンという強い味方があるからネ。
出会いはご多分にもれず「男と女」。
その後、彼が音楽を手がけた映画はほとんど観てきた。
1971年3月。
東京で米映画「ある愛の詩」が封切られた。
あとになって再観すると、
あまりデキのよくないラブ・ストーリーなのだが
そのときは強く印象に残った。
レイの音楽が効力を発揮していたし、
何たってこちらはまだティーンエイジャーだったし・・・。
ロードショーで観た数日後。
人生初めての渡航は横浜の港からソ連船に乗って―。
ソ連経由の西欧の旅だったが
フランスの小さな田舎町、グルノーブルを訪れた。
「白い恋人たち/グルノーブルの13日」、
冬季オリンピックのドキュメンタリー映画を
観ていなければ、間違いなくスルーしていたところだ。
その旅ではけっこうな日にちをパリで過ごした。
シャンゼリゼの映画館に「ある愛の詩」がかかっており、
引き込まれるように切符を買った記憶がある。
街にはミレイユ・マチュウが歌う主題歌が流れていたっけ。
それではフランシス・レイのマイ・ベスト5を。
① 白い恋人たち
② 雨の訪問者
③ 個人教授
④ ある愛の詩
⑤ あの愛をふたたび
次点:パリのめぐり逢い
「男と女」はどうした? そうおっしゃいますか。
残念ながら次点の次くらいですかな。
レイによる音楽とともにさまざまな女優の面影が浮かぶ。
アヌーク・エーメ、マルレーヌ・ジョベール、
ナタリー・ドロン、アリ・マクグロー、キャンディス・バーゲン、
そして何といってもアニー・ジラルド。
彼女はもっとも好きな仏女優の一人。
「あの愛をふたたび」のラストで
アップにされた冷笑を忘れることができない。
先述の旅でミラノを訪れたのも
アラン・ドロンと共演した映画「若者のすべて」のためで
ドゥオモ屋上のシーンが心に深く刻まれていたのだ。
ある意味、アズナヴールよりも
この人に愛着があるかもしれない。
映画音楽にはスクリーンという強い味方があるからネ。
出会いはご多分にもれず「男と女」。
その後、彼が音楽を手がけた映画はほとんど観てきた。
1971年3月。
東京で米映画「ある愛の詩」が封切られた。
あとになって再観すると、
あまりデキのよくないラブ・ストーリーなのだが
そのときは強く印象に残った。
レイの音楽が効力を発揮していたし、
何たってこちらはまだティーンエイジャーだったし・・・。
ロードショーで観た数日後。
人生初めての渡航は横浜の港からソ連船に乗って―。
ソ連経由の西欧の旅だったが
フランスの小さな田舎町、グルノーブルを訪れた。
「白い恋人たち/グルノーブルの13日」、
冬季オリンピックのドキュメンタリー映画を
観ていなければ、間違いなくスルーしていたところだ。
その旅ではけっこうな日にちをパリで過ごした。
シャンゼリゼの映画館に「ある愛の詩」がかかっており、
引き込まれるように切符を買った記憶がある。
街にはミレイユ・マチュウが歌う主題歌が流れていたっけ。
それではフランシス・レイのマイ・ベスト5を。
① 白い恋人たち
② 雨の訪問者
③ 個人教授
④ ある愛の詩
⑤ あの愛をふたたび
次点:パリのめぐり逢い
「男と女」はどうした? そうおっしゃいますか。
残念ながら次点の次くらいですかな。
レイによる音楽とともにさまざまな女優の面影が浮かぶ。
アヌーク・エーメ、マルレーヌ・ジョベール、
ナタリー・ドロン、アリ・マクグロー、キャンディス・バーゲン、
そして何といってもアニー・ジラルド。
彼女はもっとも好きな仏女優の一人。
「あの愛をふたたび」のラストで
アップにされた冷笑を忘れることができない。
先述の旅でミラノを訪れたのも
アラン・ドロンと共演した映画「若者のすべて」のためで
ドゥオモ屋上のシーンが心に深く刻まれていたのだ。