1980年代半ば、南国シンガポールに4年ほど赴任した。
まだシンガポール政府がカジノを公認するずっとずっと前、
かつて日本軍の占領下にあった時代は
昭南島と呼ばれた島国にはのどかな空気が流れていた。
犯罪が少なく平和で対日感情もよく、
日本人にとっては住みやすい土地柄であった。
往時、よく利用させてもらった日本料理店で
マネージャーを務めていたT栄サンから突然のメールをいただいた。
たまたま何かのキッカケで”生きる歓び”にブチ当たり、
懐かしさのあまりに一筆したためた次第とあった。
いや、こちらも実に懐かしい。
一度、結婚に破れてからはずっと独り身をつらぬき、
今は東京都・北区でのんびりシアワセな日々を送っているとのこと、
まことにご同慶の至りである。
とにもかくにも一度会って
それからのそれぞれを語り合いましょう、てなことに相成った。
待合わせたのはJR埼京線・赤羽駅の改札口に15時。
再会の瞬間に思わずハグの巻である。
向かったのは赤羽でもっとも有名な酒場、「まるます家」。
ところがこの日は月曜日、知らずに来たが定休日ときたもんだ。
ありゃりゃりゃ、やっちまったぞなもし。
ほとんど目の前の立ち飲みおでん屋、
「丸健水産」へ流れてみたら
「まるます家」が休んでいるせいだろう、けっこうな混みよう。
立ち飲みだから長居するつもりはないにせよ、
これじゃいかんせん落ち着いて
思い出話に花を咲かせることなどできやしない。
赤羽で二番目に有名な「いこい」に向かった。
こちらも立ち飲み酒場だ。
ところが再び定休日じゃないのっ!
むか~し、そう、1960年のギリシャ映画に
「日曜はダメよ(Never on Sunday)」というのがあったが
北区・赤羽は「月曜はダメよ」なのでした。
とはいえ、餅は餅屋、蛇の道はヘビである。
この旧軍都にはまだまだ手持ちの駒が残っている。
そう思いながらもその駒まで休みだったらどうしよう・・・
T栄サンの手前、面目丸つぶれじゃないか・・・
一抹の不安が脳裏をよぎるのでした。
東口駅前に戻り、店先に立つ。
OK、オーケー、「まるよし」はちゃあんと暖簾を掲げていた。
営業時間は14時~23時と、
真っ昼間からの飲酒を厭わぬどころか愛でる不届き者には
まことにありがたい存在なのである。
二人笑顔で敷居をまたいだ。
=つづく=
まだシンガポール政府がカジノを公認するずっとずっと前、
かつて日本軍の占領下にあった時代は
昭南島と呼ばれた島国にはのどかな空気が流れていた。
犯罪が少なく平和で対日感情もよく、
日本人にとっては住みやすい土地柄であった。
往時、よく利用させてもらった日本料理店で
マネージャーを務めていたT栄サンから突然のメールをいただいた。
たまたま何かのキッカケで”生きる歓び”にブチ当たり、
懐かしさのあまりに一筆したためた次第とあった。
いや、こちらも実に懐かしい。
一度、結婚に破れてからはずっと独り身をつらぬき、
今は東京都・北区でのんびりシアワセな日々を送っているとのこと、
まことにご同慶の至りである。
とにもかくにも一度会って
それからのそれぞれを語り合いましょう、てなことに相成った。
待合わせたのはJR埼京線・赤羽駅の改札口に15時。
再会の瞬間に思わずハグの巻である。
向かったのは赤羽でもっとも有名な酒場、「まるます家」。
ところがこの日は月曜日、知らずに来たが定休日ときたもんだ。
ありゃりゃりゃ、やっちまったぞなもし。
ほとんど目の前の立ち飲みおでん屋、
「丸健水産」へ流れてみたら
「まるます家」が休んでいるせいだろう、けっこうな混みよう。
立ち飲みだから長居するつもりはないにせよ、
これじゃいかんせん落ち着いて
思い出話に花を咲かせることなどできやしない。
赤羽で二番目に有名な「いこい」に向かった。
こちらも立ち飲み酒場だ。
ところが再び定休日じゃないのっ!
むか~し、そう、1960年のギリシャ映画に
「日曜はダメよ(Never on Sunday)」というのがあったが
北区・赤羽は「月曜はダメよ」なのでした。
とはいえ、餅は餅屋、蛇の道はヘビである。
この旧軍都にはまだまだ手持ちの駒が残っている。
そう思いながらもその駒まで休みだったらどうしよう・・・
T栄サンの手前、面目丸つぶれじゃないか・・・
一抹の不安が脳裏をよぎるのでした。
東口駅前に戻り、店先に立つ。
OK、オーケー、「まるよし」はちゃあんと暖簾を掲げていた。
営業時間は14時~23時と、
真っ昼間からの飲酒を厭わぬどころか愛でる不届き者には
まことにありがたい存在なのである。
二人笑顔で敷居をまたいだ。
=つづく=