2018年7月23日月曜日

第1920話 成増ではかき揚げを (その1)

西武池袋線・中村橋から池袋寄りに1駅戻る。
降り立ったのは練馬区の中心、練馬駅である。
この日の相方は
飲む・歌う・食うの三拍子そろった人生の達人。
即刻、駅そばのカラオケボックスに潜入した。

中高年の健康に飲み過ぎ、食べ過ぎは大敵ながら
歌うのと歩くのはかなり効能が高い。
俗に歯・目・マラなどと強調されるが
声のかすれと歩行困難は衰えというか、
人生の幕引き間近とみてよかろうと思う。
読者のみなさんにおかれても
よく歌い、よく歩き、ついでによく眠られんことを―。

中村橋、練馬と遊び歩き、一行、といっても二人だが
練馬区の隣りに位置する板橋区・成増にやって来た。
めったに行かない練馬区に行ったら
こちらもめったに行かない板橋区は帰りがけの駄賃だ。

東武東上線、東京メトロ有楽町線が乗り入れる成増へは
電車を使わずにバスで入城した。
何たる好都合か、練馬駅北口発、
成増駅南口行きのバスに乗ってネ。

それはそうと成増は
1970年を挟んで5年ほど棲んだ懐かしの町である。
駅前商店街に古く良かりし大衆食堂ありと聞き、
朝から晩酌はそこに決めていた。

昭和元年創業の「やまだや」は一見、
都内各地、主として23区の東側半分に点在する、
「ときわ食堂」にも似たたたずまい。
92年もの長きに渡り、暖簾を守り続けているのは
大衆食堂としては奇跡に近い。

それにしても昭和元年というのは
1926年12月25日~31日までのたった1週間。
ホントにその短い期間にオープンしたんかいな?
猜疑心が深くなくともつい、疑りたくなる。
年の大半を占める大正15年の開業とみたほうがよさそうだ。
いずれにしても1926年創業に間違いはなかろう。

当然、J.C.が暮らした5年間にも
「やまだや」は存在していたわけだが
記憶の」片隅にすら残っていない。
もっともその頃は高校及び、大学に通っていたから
外食の機会にはそれほど恵まれなかった。
でもなァ、母親の夕餉の買い物につき合い、
たびたびこの商店街を行き来したんだがねェ。

=つづく=