西武池袋線・中村橋から池袋寄りに1駅戻る。
降り立ったのは練馬区の中心、練馬駅である。
この日の相方は
飲む・歌う・食うの三拍子そろった人生の達人。
即刻、駅そばのカラオケボックスに潜入した。
中高年の健康に飲み過ぎ、食べ過ぎは大敵ながら
歌うのと歩くのはかなり効能が高い。
俗に歯・目・マラなどと強調されるが
声のかすれと歩行困難は衰えというか、
人生の幕引き間近とみてよかろうと思う。
読者のみなさんにおかれても
よく歌い、よく歩き、ついでによく眠られんことを―。
中村橋、練馬と遊び歩き、一行、といっても二人だが
練馬区の隣りに位置する板橋区・成増にやって来た。
めったに行かない練馬区に行ったら
こちらもめったに行かない板橋区は帰りがけの駄賃だ。
東武東上線、東京メトロ有楽町線が乗り入れる成増へは
電車を使わずにバスで入城した。
何たる好都合か、練馬駅北口発、
成増駅南口行きのバスに乗ってネ。
それはそうと成増は
1970年を挟んで5年ほど棲んだ懐かしの町である。
駅前商店街に古く良かりし大衆食堂ありと聞き、
朝から晩酌はそこに決めていた。
昭和元年創業の「やまだや」は一見、
都内各地、主として23区の東側半分に点在する、
「ときわ食堂」にも似たたたずまい。
92年もの長きに渡り、暖簾を守り続けているのは
大衆食堂としては奇跡に近い。
それにしても昭和元年というのは
1926年12月25日~31日までのたった1週間。
ホントにその短い期間にオープンしたんかいな?
猜疑心が深くなくともつい、疑りたくなる。
年の大半を占める大正15年の開業とみたほうがよさそうだ。
いずれにしても1926年創業に間違いはなかろう。
当然、J.C.が暮らした5年間にも
「やまだや」は存在していたわけだが
記憶の」片隅にすら残っていない。
もっともその頃は高校及び、大学に通っていたから
外食の機会にはそれほど恵まれなかった。
でもなァ、母親の夕餉の買い物につき合い、
たびたびこの商店街を行き来したんだがねェ。
=つづく=
降り立ったのは練馬区の中心、練馬駅である。
この日の相方は
飲む・歌う・食うの三拍子そろった人生の達人。
即刻、駅そばのカラオケボックスに潜入した。
中高年の健康に飲み過ぎ、食べ過ぎは大敵ながら
歌うのと歩くのはかなり効能が高い。
俗に歯・目・マラなどと強調されるが
声のかすれと歩行困難は衰えというか、
人生の幕引き間近とみてよかろうと思う。
読者のみなさんにおかれても
よく歌い、よく歩き、ついでによく眠られんことを―。
中村橋、練馬と遊び歩き、一行、といっても二人だが
練馬区の隣りに位置する板橋区・成増にやって来た。
めったに行かない練馬区に行ったら
こちらもめったに行かない板橋区は帰りがけの駄賃だ。
東武東上線、東京メトロ有楽町線が乗り入れる成増へは
電車を使わずにバスで入城した。
何たる好都合か、練馬駅北口発、
成増駅南口行きのバスに乗ってネ。
それはそうと成増は
1970年を挟んで5年ほど棲んだ懐かしの町である。
駅前商店街に古く良かりし大衆食堂ありと聞き、
朝から晩酌はそこに決めていた。
昭和元年創業の「やまだや」は一見、
都内各地、主として23区の東側半分に点在する、
「ときわ食堂」にも似たたたずまい。
92年もの長きに渡り、暖簾を守り続けているのは
大衆食堂としては奇跡に近い。
それにしても昭和元年というのは
1926年12月25日~31日までのたった1週間。
ホントにその短い期間にオープンしたんかいな?
猜疑心が深くなくともつい、疑りたくなる。
年の大半を占める大正15年の開業とみたほうがよさそうだ。
いずれにしても1926年創業に間違いはなかろう。
当然、J.C.が暮らした5年間にも
「やまだや」は存在していたわけだが
記憶の」片隅にすら残っていない。
もっともその頃は高校及び、大学に通っていたから
外食の機会にはそれほど恵まれなかった。
でもなァ、母親の夕餉の買い物につき合い、
たびたびこの商店街を行き来したんだがねェ。
=つづく=