2019年11月15日金曜日

第2264話 「斫る」←この字を読めますか?

浅草の酒場で独り酎ハイを飲んでいた。
らくに6人は座れる卓に男性二人組と相席である。
聞くともなしに、もれ聞こえる会話から
お二人が建築関係にたずさわっていることは判った。
ほどなく若手のほうが席を立ち、
上司だか先輩だかに頭を下げて退出していった。

醤油注しの受け渡しをキッカケに
居残った年配者、といってもJ.C.よりは若いが
その人と言葉を交わし始める。
話題は界隈の酒場だったり、内外のスポーツだったり、
話しによどみがなく明晰な頭脳の持ち主だ。

ここで先刻から気になっていた疑問を投げかけてみた。
「いえ、盗み聞きしてたつもりはないんですけど
 聞き慣れない単語が妙に引っ掛かってしまって—」
「はァ、何でしょう?」
「ときどき出ていたハツルとかハツリって
 いったい何ですか?」
「ああ、ハツルですネ」

やおら手帳を取り出した彼が書き記した文字がコレ。
=斫る=
日常生活で読めぬ漢字に出会うことはあまりないが
コレは読めない。
しばし黙したあと、おそるおそる、
「これがハツるなんですか?」
「そうです、これをハツると読みます」
読み方は判っても何のことやら意味がまったく判らん。

ご説明によれば、䂨る正しい漢字ながら
省略形の斫る一般的になったとのこと。
古くはノミで木を削ったり、
刃物で動物の皮を剥いだりする意味もあった。
現在ではほとんど建設業界の専門用語となって
コンクリートなどの構造物を壊したり、
整形のために削ることだが
あくまでも人力による作業を指し、
重機を用いると、斫りではなく解体工事と呼ぶそうだ。

工事現場でドリルを使い、ダダダダッと
コンクリートを破壊する作業を見るのは珍しくない。
あれが典型的な斫りなのだそうだ。
かなり危険を伴い、身体にも影響を与える作業だから
斫り担当者の健康診断は他の作業員より綿密とのこと。
先刻去った青年が、その斫り屋サンで
家計を支えるために頑張っているそうだ。

「それじゃ、さっきの方はハツラーって呼ばれるんですか?」
「ハツラー? そうは言いませんが、ハハそれいいなァ。
 今度、使わせてもらいます」

店を出た青年のうしろ姿がよみがえった。
悪夢どころか暗黒の安倍政権のせいで腐り切った日本社会に
大変なシゴトに従事する若者がまだいるのだ。
彼にこそ御苑の桜を見せてあげたい。
酎ハイをあおると、耳の奥で「山谷ブルース」が鳴りだした。