2020年1月8日水曜日

第2302話 しば柴 又また (その3)

江戸川区・南小岩の焼きとん「一力」。
店内にはもつを焼いた煙が充満している。
カウンター内で接客に当たる二番手に
アサヒの大瓶をと告げた。
なぜかカタチの異なるコップが2個出て来たが
そんなことに頓着せず、カッチンコ。

あまり長居するつもりはない。
この煙で長時間燻されたひにゃ、
われわれはスモークサーモンならぬ、
スモークヒューマンとなる懸念あり。

焼きとんはみな2本づつ。
カシラを塩、レバとシロをタレでお願いした。
豚頭部の脂身がほどよく付いた、
カシラがベストながら、すべての串が懐かしい。
そうなのサ、子どもの頃の焼きとんはこうだった。

壁の品書きを見ていた相方が
「カミナリ・ハイボールって何?」
ん? 聞き覚えはあるんだが思い出せない。
訊ねたらデンキブラン使用のボールとのこと。
おお、そうだった、そうだった、
デンキブラン発祥の浅草「神谷バー」は
雷門の並びにあるからネ。
さっそくビールからカミナリに移行した。

すると、左にいる相方から2席置いてなお左にいた、
50歳前後と思しきオジさんが
その酒をオレにもくれ、ときたもんだ。
二番手すかさず、
デンキはあまりチャンポンしないほうが・・・
と、たしなめる。
それでもオジさん、耳を貸さずに通したヨ。

ここからオトコ3人による会話が始まった。
話題は当然、エンコ一色だ。
浅草公園のコウエンをひっくり返してエンコ。
転じて浅草そのものを指す俗語だ。
ただし、上野公園を擁する上野をエンコとは呼ばず、
上野のケースは上と野を逆さまにしてノガミとする。

なんでも二番手の祖父がデンキブランを常飲しており、
その爺さんは仁丹塔の建設に携わった人なんだと―。
昭和29年から同61年の間。
雷門前に立って西空を仰げば、通りの突き当り、
国際通りとTの字でぶつかる場所にそびえていた仁丹塔は
幼少のJ.C.にとって限りなく思い出深いモニュメント。
仰げば尊し、わが心の塔だったのです。

=つづく=