半年も以前のことになるが
日暮里から鶯谷に向かって
線路の東側を歩いていると
今まで気づかなかった、
小体な日本そば屋を通りすがった。
「艶(えん)」という名のそば屋らしからぬ、
屋号が気になったが、それ以上に惹かれたのは
米切りなる麺であった。
今は昔、そばは団子状のそばがきが
主として食されていた。
麺状の蕎麦切りが世に広まるのは
ずっと後世のことである。
うどんも当初は麦切りと呼ばれた。
その名残りが冷や麦で
あれは冷やし麦切りの略語だ。
そして米切り。
紛れもなく米の麺と推測される。
日本では珍しい、と言うより、
国内ではお目に掛かったことがない。
目をアジアに向けると、あちこちで見られる。
代表格はチャイナの米粉。
あとはベトナムのフォー、
タイのパッタイ、シンガポールのクエティオ。
南に下れな下るほど、米の麺が幅を効かせる。
南方では米しか取れない。
小麦は北の産物なのだ。
よって同じ中国でも
満州あたりは小麦粉圏内だから
主食もマントウや餃子に代わるのだ。
東日暮里で出逢った米切りだったが
日に日に記憶は薄れてゆき、
いつしか忘却の彼方にー。
まったくもって歳はとりたくないものよのぉ。
ところが忘れる神あらば、思い出す神あり。
今日こそは食べてやるゾ。
心に決めて夕焼けだんだんを上って行った。
半年前と同じ道筋を往く。
正岡子規が愛した「羽二重団子」の
立派なビルを過ぎるとほどなく、
「羽二重」とは似ても似つかぬ、
小ぢんまりとたたずむ「艶」が現れた。
=つづく=