2012年2月10日金曜日

第249話 権平さんの中華そば (その2)

豊島区・巣鴨新田の「千通食堂」を訪れている。
留守だったオカミさんが戻って来た。
宵の口から客が居るので驚いた様子ながら
自然に愛想笑いではない微笑が口元からこぼれた。

でき上がった肉野菜炒めは
昭和30年代の中華屋の味がする。
味の素が主張しすぎるものの、
当時は赤いキャップの小さな瓶が
どこの家庭のちゃぶ台にもあったのだから致し方なし。

ビールから燗酒に切り替える。
初めておジャマしたときに銘柄を訊ねるまでもなく、
「ウチは昔っから剣菱ですよ」―誇り高く宣言されたものだ。
近頃あまりお目に掛からぬ剣菱は
江戸の昔から江戸っ子をうならせてきた銘酒である。

コップ酒を傾けつつ、老夫婦との会話が始まった。
壁に掲げられた表彰状に話題が及び、
これは本業の食堂へではなく、
副業のタバコ店に専売公社から贈られたもの。
昭和33年の販売コンクールにおける優秀賞であった。

33年は赤線が廃止された年。
これを境にかつて三業地として隣りの池袋より盛った、
栄光の過去を持つ大塚の衰退が始まる。
それでも都内有数の盛り場だったから
そのスジのお姐さんがまだまだうごめいていた由。
男の喫煙者だけではタカが知れており、
姐さんたちのかさ上げがあってこその優秀賞である。

表彰状の宛名は高塩権平殿。
新潟出身の権平さんといえども
ずいぶん時代掛かった名前じゃないッスか。
訊けば、権平さんの父親は景虎さんだとサ。
一瞬、耳を疑いました。
高塩景虎、まるで戦国時代の武将だぜ。
新潟県人はいまだに上杉家再興を夢見ているのだろうか。

今年87歳になるはずのオカミさんは小千谷の出だが
85歳の権平さんは小千谷の奥のそのまた奥で生を受けた。
時をほぼ同じくして上京して来た二人は
飯田橋・富士見町で運命の出会いを遂げる。
何でもオカミの伯父さんに当たる人物が
当地で食堂・中華屋・飲み屋を計3軒、手広く営んでおり、
看板娘の彼女はかけ持ちで八面六臂の活躍だったそうな。
そこへ近所に同郷のいい若い衆がいるってんで
世話好きの親類が権平さんに引き合わせたとのこと。
まったくもって”富士見の恋の物語”である。
こういうハナシは聞いていて飽きないや、ジッサイ。

2杯目の剣菱を飲み終える頃、
ラーメン(450円)が湯気を立てて登場した。
焼き豚2枚・海苔2枚・ナルト1枚、
真ん中にはきざみねぎがこんもりと―。
麺はややぶとチヂレでほどほどのコシ。
スープはまぎれもない醤油味にして昭和味。
開業以来、味も作り方も変えていない権平さんのラーメンだ。

品書きではラーメンだが、こいつは中華そば、
いや、支那そばと呼ぶのが正鵠を射ている。
ところがどっこい、パソコンに”シナ”と入力しても
”支那”とは出て来ぬ、情けないこのご時世。
フン、腰抜けパソコンメーカーに倣い、
一応は体裁をつくろって中華そばとしておくが、
結局は薬局、支那そばは支那そばであろうよ。
誰が何と言おうとも!

「千通食堂」
 東京都豊島区西巣鴨1-5-10
 03-3917-2283